ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『超越的漫画』曽我部恵一

 前回の続き。
曽我部恵一の『PINK』以来およそ2年ぶりとなる単独名義作品。これがとてもおもしろい。

超越的漫画超越的漫画
(2013/11/01)
曽我部恵一

商品詳細を見る
 ジャケットの漫画は曽我部本人が書いたもの。曽我部のサブカルマンガ属性が覗いている、と同時にこのテキトーな画風が今作の方向性を指名しているようにも思わせるのかも。内ジャケにはその漫画含むこのアルバムの登場人物(?)の絵が書いてある。無駄に書き込みの細かいあべさんと、そして本人の存在感w(本人ノリノリであえてヒドい写真選んだろ…)

 タイトルからして「なんで漫画なんだよ」「「超越的」ってなんだよ」って感じだが、OTOTOYのインタビュー記事では内田裕也の『コミック雑誌なんかいらない』を例に挙げて「漫画」について語ってる。「超越的」の部分はよく分からないし意味ありげにも聞こえるが、それよりも実際に作品を聴くと「とりあえず凄そうに聞こえるようにスーパーってつけとこ」みたいなノリなんじゃないかなって気がする。

 このインタビュー、特に最高なのが以下。
つまり、生きたいように生きようよってことです。だって、日々生きているなかで、「ホントこいつアホだな」「ムカつくな」と思うときって、誰しもあることじゃないですか。でも、実際はそれを置いといて、「あの子と僕の海辺でのある時間が〜」みたいなことしか歌わなかったりする。まあ、俺がそうなんだけど。
ウケた。クッソよく分かってる。勿論、この自己認識こそがこのアルバム(やシングル『汚染水』とかあとエレカシの『デーデ』カバーなんかも含むか?)を「いつもの」と違う、痛快さのある作品にしている。



1. ひとり
 唐突な時報音の後、いきなり歌から始まるのがインパクトでかい。ここでの曽我部の歌は荒々しいが、ソカバンモードみたいなのとも表情が違う。っていうかいきなり歌詞が「いつも」のあの子と僕の海辺でのある時間が〜」から相当距離ある、皮肉(でもしたり顔というよりもなんかヤケっぽい)利かせまくり。
ひとりじゃなんにもできないやつらが/2、3人あつまってなんかやってるってよ
 演奏が始まると、この曲が実は「いつものメロウなのじゃない感じのファンク」調であることに気づく。かなりそっけないリズム、低目を這いずるベースライン、そして怪しく縮こまったかと思うと、乾いた音で要所要所にカッティングで入るギター。こういうソリッドさは曽我部の長い経歴中でも以外と新機軸っぽい。
 曽我部の歌もどんどんノリノリになって、ヤケっぽい歌い方でも持ち前の音楽的身体能力によりソウルなノリを所々に利かせてあって、そのバランスがいい。
 歌詞も段々と「ひとりじゃなんにもできないやつら」が人数を増やしていくところが、作詞技法的にバカっぽくて良い。最後の方で再びブレイクした状態で歌うときには2、3千集まっちゃってて、アホっぽいと同時に「あの年」以降の具体的な出来事にもそういうスタンスで触れちゃうのか…と、「難癖がROSE RECORDに殺到しないかなこれ…」とか無駄な心配もしつつも痛快。
そのブレイクからの展開が最高。演奏はいつもの色彩をやや取り戻しながらも沢山の曽我部ボイスが跋扈し、そしてトドメの、割合いつものメロウソウルなノリに乗って「さみしいんだね」って連呼。カミソリレター送られても知らんぞ。
 元のホネホネな演奏でばしっと終わって、3分ちょっと。いつになくサバサバ感とアホっぽさとゆらゆら帝国みたいな怪しさが調和した開幕曲。

2. すずめ
 チープな電子音のアルペジオ、口笛、などの穏やなサウンドスケープの出だしから、いつからか曽我部の大きな武器のひとつになってた(『MUGEN』以降かしら)軽快なカッティングギターがドライブする弾んだ演奏に流れこんでいく、前曲よりもより「いつもの」な感じのメロウファンクナンバー。だけど、これも色々と面白い。
 はきはきした調子の曽我部の歌は軽やかだが、歌ってる内容も爽やかにシンプルに町中の様子を綴ったような感じ。曲名がなんで『すずめ』なのかはよく分からないが、なんか分かるような曲調・歌詞。恋がどうこうの話でも季節限定の内容でもないのがなんか開けてて良い。
 面白いのは、歌メロの繰り返し方。同じメロディを、一回目はテンポよく歌うが、二回目はいちいち一行歌うごとにディレイで引き延ばす。こんな適当なソングライティングありか、ってとこがいい。それでも「真っ赤な自転車で街をかけてく」の箇所はメロディも急に飛翔し、短いながらもこの曲を鮮やかなものにしている。
後半は遊び心が散見される。ユニークなエレピやベースの動き、曖昧だったりノリノリだったりなアドリプやフェイクがランララランララってヤケっぽくて楽しそうな感じに収束するところとか。

3. リスボン
 それこそ曽我部がソロ1st辺りからずっとやってる軽やかなカッティングギターが続いていくメロウソングのひとつ。しかし、いつもだったら大人っぽさやエロっぽさが前面に出るところを、この曲ではミニマルな演奏や、そして殆ど意味のない歌詞によって、そういった要素の薄い、爽やかな具合に仕上っている。
リスボン/ああなんていいひびき/行ったことはないけど」という飄々とした歌と延々と続いていくミニマルなカッティングの不思議な調和。
 クレジットを見ると、この曲は曽我部ひとりですべて演奏しているのが分かる。そのコンパクトさがそのまままとまった感じ。意外に4分44秒もあるのが不思議な軽やかさ。

4. うみちゃん、でかけようよ
 軽やかにシャッフルするフォーク・カントリータッチのナンバー。どことなく初期のフォーキーなRCサクセションの香りもする。可愛く転がり回るピアノが愉快(サニーデイからの付き合いな高野勲氏のプレイ)。声を細めて歌う曽我部もメロウというよりも結構ラフな感じなのがいい。Bメロ部の裏声がメロディとともになんか可愛らしい。
 こんな曲でも一部に空間的なエフェクトを駆使した間奏を置いたりと、今アルバムの展開・アレンジの細かいところに(作品全体のラフ感からは意外なほど)気をつかっている作風がこの曲にも反映されてる。

5. あべさんちへ行こう
 曲名で「!?」って感じだが、曲自体はうごめくエフェクトと不協和音気味なピアノという実験的なトラックの上で、しかしエコーたっぷり・ピッチシフトのコーラス付きで「あべさんちへ行こう/なんかいいもんごちそうしてくれるかも」と歌う、その固有名詞の割に政治的な臭みは全く取り除かれたユーモラスな1分くらいの曲。
 今作の遊び心に満ちたアイディア「だけ」で軽く1分作ってみちゃった、みたいな曲で、それゆえに総理大臣(とは断定していないけど)の名前が出てくる割に一番まったりするという。このフラットなスタンス(『超越的』なとこか?)自体に、なんだかすごく安心してしまう。

6. もうきみのこと
 前曲から一転、タイトなマイナー調でちょっと歌謡曲っぽいけど直接的な生々しさは抜いてある的な、それこそ『MUGEN』辺りのサニーデイみたいな感じの曲。重ねたボーカルが特にそれっぽいかも。
 それにしても「もうきみのことは好きじゃないから/ぼくはきみの歌をもう歌わないよ」という歌詞がなんとも、アルバム単位とか以上にキャリア単位でも唐突に現れて、なんかこのアルバムの並びでこの曲があるのが可笑しい。
 この曲も後半に仕掛があって、演奏が突然細切れになったかと思うとそのまま強引にテンポチェンジしてしまう。ドロドロダラダラしたこじんまりな混沌(ちょっと七尾旅人みたいになっちゃってる)で引っぱる。この楽曲の構成自体にも食い込む編集感覚が、今作のトリッキーさ・ユニークさの幅をまた広げている。

7. そかべさんちのカレーライス
 前作『PINK』でもカレーのお店の歌(『がるそん』)を作っていた曽我部、今作ではさらに踏み込んで(?)、自らカレーを作るところを歌にしてしまった。それも今作でもとりわけメロウで哀愁に満ちたメロディに乗せて歌うもんだから大変シュール(そういう意味でもやっぱり『がるそん』のドラマチックなところを排した続編的な曲かも)。
 特に「あーあーあーあーカレーライス」(歌詞カードママ)と歌うサビのメロディの切なさには、思わず笑えてくる。生活的な歌詞の歌は以前の曽我部にもいくつもあるが、この曲は特に曲がガチなので変な笑いがこみ上げる。
 この曲も『リスボン』『あべさんち〜』と並んで曽我部単独録音と思われる。シンプルなクランチギターのコード刻みやソロなど、奥田民生の『ひとりカンタービレのテーマ』とどこか似てるが、このシュールさは民生的なそれとも大分異なってる。

8. 6月の歌
 この曲のみ『PINK』とかに収録されても自然そうな、「いつものまったりでメロウでファンシーな曽我部恵一」「あの子と僕の海辺でのある時間が〜」な曲。こういう曲も一曲アルバムに忍ばせてPVも作る辺り、バランスを取ったと思うか保険をかけたと思うか。個人的にはこういう曲もユニークなこのアルバムに一曲あるとなんかホッとしていいなと思った。
天使と海と音とカレーライスときみとぼくだけの歌
淡くてロマンチックで優しい世界。それにしても曽我部さんカレー好きすぎやろ…。

9. マーシャル
 マーシャルアンプでギター鳴らすぜロックだぜ!って感じの、ロック表現としてはそこそこありがちなタイプの歌。この曲に関しては歌詞もその類型の枠を出ないつくりになっている。
 …が、曲の方はタイトルほどマーシャルしてないw伴奏がシンセだったり、サビがディスイズ曽我部なトーキョーメロウ節だったり。やっぱこのアルバム一筋縄でいかない。歌い方はサビ以外は突き抜けた風ではあるが。
 曲が終わった後に、ノイズパートが始まる。ホワイトノイズ、フィードバックノイズを越えて最後まで残るのは、ぐちゃぐちゃのミミズみたいなシンセのフレーズ。そのヘンテコな収束の仕方から、次の曲の出だしに繋がるところ、ここがなんともこのアルバム的で、素晴らしい。

10. バカばっかり

 この曲が新曲としてPV公開されたとき、
おれ「あー今度の「ヘンテコ小並おじさん路線」の曲なのかなーおっちゃんフォークギター持っとるやんやっぱそういうバカフォーク路線かーもうこーいうのいいよー」と思いながら観る。歌いだし最初のアコギストロークの音。
「ファッ!?」
それは全然アコギじゃなく、ディストーションギターのゴリッと重いパワーコードだった。そしてその第一音のすぐ後からいきなり歌が始まる。なんだこのヤケクソさ!?あれっこういうのってやってそうで意外とやってない…?
 …という経緯で、この曲に興味が持てたことで、ぼくは再び曽我部さんの音楽に惹かれた。
 曲としては、曽我部恵一42歳にして新鮮な超直球ガレージパンクorグランジ、といいた様相。ともかくギターの歪み方が汚い、重い、トレブル死にすぎな音で延々と鳴り続ける。演奏はこのギター一本とベースドラムと歌のみ。曽我部のバンド形式の曲の中でも最も簡素な楽器数。だがそれをカバーして余りある曽我部のブチギレ歌唱。なんで今までやってなかったんだ!バカバカと連呼するのもいいが、とりわけ素晴らしいのはサビの終わりの絶叫。伸ばして、枯らして、みっともなくへしゃる。『ジュークボックス・ブルース』等で聴かせる絶叫とも違う、「絞り出しすぎ」のシャウト、これをこの男が今更やる、という爽快さこそが、この曲の醍醐味。
 とはいえ、実は意外とサビのコード自体はいつもの曽我部っぽいジャズライクなものだったりする。ただそれをいつになく汚い音のギターでそれも絶叫しながら響かせていて、その構図自体もなんか面白い。
 この曲のもうひとつ清々しいところは、歌詞の「誰にも味方していない」感である。この曲は2回のサビで色んなものを挙げてみんなバカと言う曲であるが、ともかく全員攻撃。以下二回目のサビ歌詞。
雑誌も新聞もネットもテレビも与党野党政治家芸術家加害者被害者部外者真っ白い大衆言葉も夢も歌も/バカバカバカバカバカバカバカばっかり
この並び、さりげなくしかし丁寧に「Aを否定することでBの味方をすることになる」「AやBは攻撃するのにCは攻撃しない」みたいなのを排除している。ここまで全体攻撃だと党派性が全くなくなって、そこに浮かぶのは「ただみんなバカって言ってるオレだけ」、でその汚いグランジでいい歳こいてクッソ情けなくわめき散らしてる「オレ」だって、当然…という、見事な全体攻撃っぷり。社会派的な要素も孕んだ歌のはずなのに、ねっとりした臭みのない、どうしようもない「ひとり」が浮かんでくる、この清々しさが今作の曽我部恵一の立ち位置なのだろう。
 曲は最後、みんな眠ってる、と連呼したところで唐突に叩き付けて終わる。無駄な余韻をばっさりと切り捨ててアルバムを終わらせる、今作ならではの見事な締め。


 以上10曲、収録時間はなんと33分38秒しかない。この収録時間で2500円をどう思うかは人それぞれだろうが、豊穣分と新しいエッセンス、そして意外となかなか見せないあれやこれやのユーモア感覚が凝縮された、充実の一枚。
 今作の特徴のひとつとして、ともかく圧倒的に他人を促すようなメッセージやらロマンチックな言葉やらがない、ということ。そこにはただ、大衆に大人げなく皮肉を言ったり、自分の子供に優しく語りかけるかと思ったら突然他人を突き放したり、突然リスボンいいよねーとか言い出したり、マーシャルという単語から適当な歌詞の歌作ったり、といった、徹底して「ひとり」な曽我部恵一しかいない(『6月の歌』はともかく)。「サニーデイ時代とは違ってもっとその場その場の生活を切り取った「日記」みたいな作品作りをしたい」とかつて言っていたソロ曽我部だったが、それでも結局サニーデイから引き続いて「あの子と僕の海辺でのある時間が〜」な歌の再生産をしてきた曽我部恵一。それが今作に至ってはじめて、自分のしょうもないプライベートのこととかをいちいち絞り出して、どうにか一枚、本当にただの日記、みたいなものを作ってしまった。その辺の経緯は各種インタビューに詳しいが、そうしたときの曽我部さんの、思いのほかニュートラルな視点が面白い。この作品で彼はやっと、先述のコメントのような作品を作ることが出来なのではないか。
 もうひとつの特徴として、今作のあちこちで、堂々としたバンド的と言うよりもずっとチープな、宅録的なアプローチが顔を覗かせているところ。曽我部さんもマルチプレイヤーで、出自もポスト渋谷系な訳で、そういう遊び心重視な編集テクは本来大いに得意とするところだろうが、しかし意外にこれまでそれほど全面に出てなかったその要素が今作では噴出しまくっている。この辺の「手作り感覚」はかつて中村一義などが得意としたところだが、曽我部が自作でそのセンスをいい具合に「浪費」しているのが、楽しい。「ああ、この人はこういうユーモアがあるんだ」ってところで共感できる度合いは、これまでのキャリア中でも最高クラスではないだろうか。
 ここで重要なのが、上記のどの要素にしても、天然で作ってるというよりは、明らかな自己分析があった上で、しっかりセルフプロデュースしているところ。曽我部恵一という才能も認識能力も秀でた音楽家が、ここまで自分の人間性と音楽の細々した趣味を見つめて音楽を作っている作品は今までになかなかないのでは、と思った。
 『ひとり』で群れる奴らをバカにしてそして『バカばっかり』でひとりわめき倒す曽我部恵一、その姿は42歳らしくない(だからこそ、なのだろうけど)渾身の「攻め」の姿勢が見て取れる。この路線、支持です。