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ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『シャーロット.e.p.』ART-SCHOOL

 アートスクールのインディー最終作。曲もサウンドもメジャー寸前、っていうか完全にメジャーと陸続きな作品。

シャーロット.e.p.シャーロット.e.p.
(2002/04/05)
ART-SCHOOL

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 ジャケットの元ネタはグラスゴーのインディポップバンドThe Starletsのアルバム『Surely Tomorrow You'll Feel Blue』。ブックレット中のイラストは全部大山純の担当。木下が筆を執ることはもう、ない…(確か)。

 収録曲六曲中二曲が後にメジャー1stアルバム『Requiem For Innocence』にほぼそのまま収録されることからも分かる通り、曲の質・性質、録音の具合などが次のシングル『DIVA』及びアルバム『Requiem〜』と共通している。個人的には今作からこの二枚までを「レクイエム期」と呼んで区別している。

 また、メジャー行き決定〜この作品の制作時期までのどこかで、木下の母親が亡くなっている。今作から歌詞が死にフォーカスを当てることが急増するが、そういった事情もあったように推察される。このミニアルバムはその母親に捧げられている。

 あと、クレジットのspecial thanksの欄、遂に知り合いっぽい人の名が二つだけになり、8割方錚々たるアーティスト方で埋まってしまっている。もうspecial thanksの意味が完全に違ってきてる…。



1. foolish
 快活なポップさと適度なドライブ感、オルタナ・ローファイな感覚が自然に溶け合った陽性でキャッチーな曲。そしてこのミニアルバム唯一の快活なメロディが聴ける曲。初作から通して聴いて行くとこのミニアルバムでダークな作風への変化が感じられる中、この曲のポップさは際立つ。
 これまで以上に各楽器陣の役割がはっきりした印象の演奏。ドラムはタムやキックの音が大きくなりより重く、フィルインの重さも含めて、重戦車系ドラマーとしての櫻井雄一氏のプレイスタイルが一気に確立された感がある。ベースもより低くなり、ギターのうち一本はこの曲を特徴づけるアーミングで微妙にかつルーズに揺らしたプレイを聴かせる。そしてサビのグランジ的で押し潰すようなディストーションギター、おそらく、このミニアルバムがアートの音源でギターを多重録音した最初の作品ではないか。これまでの作品と音の圧倒感がまるで違うことに気づく。
 曲はそんなルーズな揺れギターが引っ張るパートと、ディストーションギター含めたバンド一丸の轟音パートが際立った構造をしている。ディストーションパートのパワーコードの音階がどんどん下がって行くところは軽くジェットコースター感があるし、特にその直後リズムが直線的なのからタメを利かせたものに変化する辺りは疾走からの絶妙にジャンクな浮遊感が現れている。シンプルながら効果的な展開。余談だが、レクイエム期はこういうバンドごとのワンポイント/キメ的なリズムチェンジが多用される。
 そんな重くなったサウンドの中で、相変わらず線が細いままの木下の歌はそのまま、賛否両論あるだろう演奏との鮮烈な対比を生み出している。特にサビのシャウトの「自然に出していない」「明らかに無理してる」感が、個人的には大変魅力的。サビでのメロディの飛翔具合もより鮮明になっていて、それを締める「I don't have the light」のフレーズでThe Posies『Throwaway』からの引用メロディをかますところも含めて完成度高い。
 歌詞について。今作唯一の明るい本曲ではあるが、歌詞の方は他の曲に漏れず沈み込むような作風に変化している。やや挑発的なのは曲のポップさに合わせてかもだが。
今日は何て美しい一日だ/此処へ来て、僕に麻酔を打ってくれ/
 今日は何て美しい気分だろう/ごらん夢は今/目の前で崩れて行く

これまでは滅びの世界の中の純真さみたいなものを歌っていた木下だが、本作からは滅びそのものを歌い始める。その滅びの世界はしかし、甘美で耽美な世界を常に目指している(少なくとも初期アートでは)。この曲はその宣言のような歌詞になっている。
I'm falli'n falli'n falli'n/君は救ってくれるのかな?俺を救ってくれるのかな?
無限の空へ落ちて行く系バンド筆頭ART-SCHOOLとしての、覚悟完了の一曲。
 なお、『シャーロット.e.p.』という作品タイトルに反してこの曲でPVが作られている。ポップでキャッチーなので理解できるし、映像はFiona Appleの『Across The Universe』カバーのPVのモロパクであるがいいPVである(元ネタが良過ぎるのだと思う)。またフルアルバム『Requiem For Innocence』に次曲と一緒に(曲順まで一緒)収録される。なのに、ベスト盤では収録から漏れている。まあ本作から大傑作の次曲とライブ最頻出の4曲目が収録されているので、やむなしか…。

2. シャーロット
 本作で打ち立てられた「甘美な滅亡」の世界観を早くも極め尽くしてしまった、ダークに沈んでいく耽美バラード(?)の決定版。第一期アート最高傑作にして、登場が唐突すぎる・突然変異的過ぎる気もしないでもないずば抜けた名曲。個人的にも第一期アートで二番目に好きな曲。
 イントロの、プレイ自体は何てことの無いベースとトーン押さえ気味のギターの単調なカッティングだけで、一気に沈み込むような耽美なムードを作り上げてしまう。この不思議なコード感が曲全体を支配している。決定的にマイナー調ではない、だけどぼんやりと陰鬱な音像は、The CureなどのNWからの影響から現れたものだろうが、サビのグランジ的展開含めて、完全に「木下的なもの」として消化し切っている。そこに木下のファルセットやトライバルなドラムなどが絡むイントロ〜一回目のサビまで(なお、この曲こそ「一回目のサビは押さえて二回目以降でドラマティックに演奏する」パターンの曲で最高の部類の楽曲である)においてその不思議なムードを蔓延させ、二回目のAメロからドラムが8ビートに戻り、そして二度目サビ以降のドラマチックな展開に向かっていく。
 淡々と耽美したムードを打ち破るサビのグランジ的展開だが、ここからの展開はグランジ的な殺伐さというよりもむしろシューゲイザー的な陶酔感に満ちている。しかし夢見心地すぎもせず、闇夜の海に放り出されたような暴力性と切迫感と広がりを感じさせる微妙で絶妙な雰囲気。歌メロが終わって木下のシャウト〜ファルセットに繋がっていくところからはサウンドはそのままでAメロのコード進行に回帰し、いよいよ壮大になっていく。この壮大で憂鬱で荒涼とした音に対して木下のシャウトもファルセットも心細過ぎて、轟音に飲み込まれそうな瀬戸際でとても美しい。
 そして3度目のAメロ、ベースとギターだけになった心細さの極まったところから、最後のサビの再び暴力的なドラマチックさになだれ込む。特にシャウト&ファルセットの部分はリズムが頭打ちになり、この曲の美しさと壮絶さがピークに達する。
 重苦しいドラムフィルにて曲が終わった、と思ったところで遠くで鳴ってるような水っぽいギターが聞こえる。この曲の壮絶さに程よい余韻を付け加える。
 実はAメロがBelinda Carlisle『Heaven Is A Place On Earth』まんまだったりというアレもあるが、個人的にはむしろよくこんな雰囲気の曲にこのメロディぶっ込むの思いついたなと、賞賛の気持ちしかない。ちなみにこの曲からの引用は二度目。一曲目である『RASPBERRY』からの飛距離を思うと、急に遠くて寂しいところに来たという感じもする。
 滅亡の美学を極めた楽曲にはやはり滅亡の夢を見る歌詞が乗る。
君の胸にある小さな傷をずっと見ていた/
 美しい秋の木々を見に行こう、正気なうちに

ここにあるのは前作までの寂しさの中純粋さを頼りに歩こうとする人格ではなく、もう滅びが決定された上での、ささやかな希望のような、祈りのような感覚。そしてそれさえ、決定的な崩壊の予感の前では空虚だという、そんな諦観、やるせなさ。
シャーロット、僕を焦がして/シャーロット、それが全てで/
 シャーロット、空っぽなだけ/シャーロット、僕達は皆

「君」を通してしか世界から鮮烈な印象を得ることが出来ない、そして二人は滅びが決定されている、そんな「行き止まりの世界」を木下は夢想する。夢想。そう、この「美しい滅亡を追い求める」姿勢こそが、一緒に鬱バンド認定されがちなSyrup16gなどの「リアルな生活の行き止まりと破滅」を曝け出そうとするバンド群とアートの、根本的な違いだと個人的に考えている。そしてこの滅びの美学のファンタジー具合こそが、バンドを意外と長続きさせているし、またKeyの麻枝准など感傷系エロゲーの世界や、ボーカロイド系の一部の陶酔的楽曲にも飛び火しているのだと考えられる。
 つまり、木下式メンヘラ道完成にして究極の楽曲。ある意味では生活感・肉欲感の出てきた第二期以降の楽曲の方がメンヘラ度は高いような気もしなくは無いが、いったいこの曲だけで一次的二次的に何人のメンヘラを生んだんだろとかも思うと、まさに木下が生み出すことの出来た一番の怪物曲ではないかとさえ考えられる。

3. プール
 耽美系の曲が続く。この曲は前曲以上にシューゲイザー的要素が濃い、というか、ギターのコード感がモロにRide『Vapour Trail』になっている(ご丁寧に途中のドラム三連打ちも引用してきて爆笑。完全に開き直っている印象)。
 VapourがTrailするクリーンなコードカッティングのキラキラ感が、まさにタイトル通りの浮遊感・陶酔感を形作っている。しかしどことなく息苦しさを感じさせるのは、元ネタ自体の調性が曖昧なコード感もさることながら、特に一発一発の音が重いドラムによるもののように思う。特にサビでのディストーションギターも交えた演奏は、沈むような浮かぶような不思議な感覚(これは前曲とも共通する)を醸し出している。リードギターのフレーズはシーケンサーっぽさを増している。
 また、アートの曲では特に二度目のサビ後にブレイクする展開が非常に多いが、この曲は二回目のAメロでブレイクする。ドラムが重たい楽曲だからか、ここで急激な重力変化を感じさせて、カッティングが単調な曲ながらドラマチックさを演出している。ちなみに二度目のサビ後もきっちりブレイクする。例の三連の直後のためこちらもインパクトがある。
 木下のメロディは元ネタ曲の曖昧さにグランジ的、というかスマパン的な静と動のヒステリックさを加えたようなものとなっている。特に最後のシャウトは声を枯らしながら発せられて痛々しく、前作までのある意味での呑気さみたいなのがすっかりなくなってしまい代わりに壮絶さを感じさせる。
 歌詞の方もプールを「沈んでいくもの」として捉え、耽美な傾向で書かれている。
サンディ、この水の中でいつまで夢を見ているの?
 サンディ、どうしてそんな寂しい目をしているの?

やはり、メンタルがヘルしきった感覚。その幻想の中を泳ぐ上で、諦観を表すサビ最後のフレーズが虚しさを漂わせる。
You are the beautiful one/いつも硝子みたいな君に溶けてた/
 それだけ、それだけさ

4. FADE TO BLACK
 強烈なリフと穏やかな疾走感を併せ持つ、静と動のはっきりしたタイプの曲。アートの楽曲でもライブ出動頻度が最大級の楽曲のひとつ。なのでベスト盤収録。写真集のタイトルにもなっているなど、代表曲然とした存在感が今でもある。
 曲を再生してすぐに聴こえてくる轟音のリフが最大のトレードマーク。基本的にはこの爆発的なパートと穏やかな演奏をバックに疾走するパートを交互に繰り返す、至ってシンプルな構造をしている。この轟音パート、音が塊のようになっていて特攻感がある。特に一連のリフの最後に、バンド全体でキメを入れるところなど、バンドサウンド的。重くためたリズムを重い音で鳴らすドラム、低いところを這うベース、割とキラキラした音で重さに眩しさを付け加えるギターなど、キリキリ切迫したアンサンブル。
 アートスクールは割とイントロ・間奏と歌の部分が連続性をもってることの多いバンドだが、この曲は所謂「イントロの演奏がそのままサビの演奏になる」タイプの曲だ。イントロと同じ勢いそのままにサビで木下が「I don't know how」と絶叫する構造は、アートのグランジ曲でも最も直球な部類か。
 サビ以外のパートでは、ベースとドラムを中心にしたシンプルな疾走をしている。特にベースが目立つ。やはり調性は曖昧だがダークなコード感。よく聴くとバックで静かに水っぽいギターがアルペジオを弾いている。これは二度目のサビの後のブレイクで特に存在感が出てくる。
 この曲の勢いの最高点は最後のサビ。繰り返し箇所でリズムが一気に静パートの疾走リズムと同じになる。そのままキメもこなし、終いには激しく縦ノリな頭打ちのリズムを叩き付け、そしてキメで余韻を残さずスパッと終わる。尺は3分を少し切っている。
 緊迫感のある疾走曲だが、歌詞は全て過去形で書かれ、やはりどうしようもない世界観を構築している。
「去って行ったあの女の眼は/あの女の眼は僕を焦がした
 太陽の下/乾き切って/彼女は死んだ、死んで行った」
これまでの曲も強く破滅を匂わせていたが、この曲で遂に人死にへの言及が為される。これから先割と頻度高めに死に続ける「彼女」ではあるが、ただこの曲に関しては、二番で
「太陽の下契り合って/僕等は死んだ、死んで行った」
とあるため、結局誰が死んだのか、「死んだ」とは直接的な死ではなく比喩的なものなのか、その辺がよく分からないようになっている。

5. I hate myself
 NIRVANAの『In Utero』の仮題『I hate myself and i want to die』が元ネタなのか的なタイトルにして今作一の重いグランジソング(少し地味かもだが)。前曲に続いて「イントロの轟音リフパートがそのままサビの演奏にもなる」パターンの曲。このパターン、アートではそんなに多くは無い(あとは『欲望の翼』『ジェニファー'88』『UNDER MY SKIN』『欲望』あたりか)ところだが、このミニアルバムでなぜか連続して披露されている。
 前曲が疾走していたのに対して、こっちはもっとミドルテンポでどっしりとした演奏が特徴。そのためか主軸となるギターリフも前曲のギラギラした感じと比べて、より細かく、針を連打するようなものになっている。また、もう一本のパワーコードギターもこっちでは重厚で目立つリフになっており、よりグランジ色が強くなっている。しかし、リフの最後にバンド全体の跳ねるようなキメが入るところはやはり前曲と共通している。というか静パートのアルペジオの雰囲気も前曲とあまり変わらない。
 今作中最も素直に90年代USインディの影響下にあるこの曲においては、とりわけドラムの逞しさ・粗暴さが際立っている。サビ前のタメ、サビリフのキメの時の何か引っかかったような叩き方、3回目のAメロに向かう直前の轟音武装解除な状態からのせり上がるようなフィルなど要所要所のプレイはもとより、全体的に無骨で重いリズムを構築していて、今作でもとりわけ重戦車感のあるプレイ。
 相変わらず調性曖昧・ダーク目なメロディが歌われるが、この曲は他の曲よりもマイナー調成分が強いように感じる。そして抑えたAメロから一気にサビで舞い上がるのは前曲と同じだが、こちらはファルセットも使用しシャウトの連発に色と初期アート的な切迫感を添えている。
 歌詞について。散々破滅について歌われた今作だが、この曲だけ破滅よりもむしろ疎外感・劣等感について書かれている
君もあんな美しい人の仲間かい?/この僕はその中に入れるだろうか?
 照らさないで、醜い顔をしてるさ/照らさないでくれ

まるでThe smiths『Bigmouth Strikes Again』のようなことを歌いだす木下。自嘲的な歌詞は決してこれが初ではなく、『車輪の下』などは特に際立っているが、この曲はそもそもタイトルがそのものである。この疎外感・劣等感のテーマはどちらかと言えばレクイエム期までよりも、それ以降、LOVE/HATE期に一気に花開き、その後どことなく通低音的に描かれ続けるテーマであるが、この曲はそれをやや先取りしたような形になっている。
ハツカネズミ、死骸は君に似ていて/この世界でそれだけが奇麗だった
 連れていって、その温い子宮の中へ連れて行ってくれ

ソロの頃の「君だけが奇麗」感にグロテスクな意匠が混ざっている。この辺も今作の他の耽美指向な曲とは趣を異にしている。そしてこれまで後に頻出する「子宮へ帰る」モチーフが登場している。「子宮へ帰る」という、エロ情けないフレーズにやはりスピッツ的な死と性の世界を匂わせている。

6. IT’S a MOTHERFUCKER
 退廃と耽美に一気に傾いた本作の最後を締めるのは、まさに退廃に呪われたシンガーソングライターとも言えるだろうEelsの『Daisies Of The Galaxy』に収録された美しいピアノ小曲のカバー(動画)。木下関連の他人のカバー音源は長らくこれが唯一だった(今ではNIRVANAdipのカバーが存在している)。
 ギターの柔らかなアルペジオ、それにささやかなグロッケンシュピールのみで構築された伴奏は木下ソロ的(実際のアート以前のソロという意味ではなく)。キーが低いのか、ささやきというか、ぼそぼそした感じになっている歌が印象的。リヴァーブの利いた歌は上手ではないが味がある。
 この曲は木下の独断で収録されたと聴いたことがある。やはりタイトルや歌詞的に、彼の身内の不幸を受けて収録することになったのか。後にこの作品自体を母親へのレクイエムと言っていたが、この曲はその最たるものなのだろう。


 以上6曲。最後の曲がややおまけ的なので実質5曲っぽく感じる。
 今作での作風の変化はこれまでの変化よりも著しく、またある意味ではこれ以降の変化よりも根源的なことである。その変化とは「破滅のファンタジーを歌う」ことで、これにより前作までのどこか純粋無垢な要素が著しく減退し、その分を退廃的なムード・閉塞感が溢れんばかりに補っている。より生々しく、より切迫したものを求めたのだろうか。これからこの作風でメジャー以降も行く、と心に決めていたんだろう。この暗い感覚は10年以上経った今でもアートの世界観の主軸である。
 テーマの変化に連れて、楽曲もよりメンヘラ指向に一気にアクセルを踏み込んだ感じとなっている。これまでも『Fiona Apple Girl』や『MISS WORLD』などにあった暗い雰囲気が、ここでは基本とされている。何気にレクイエム期の作品の中では最も暗めの曲の割合が大きい(その点『foolish』の収録にはバランス感覚を感じなくもない)。何よりも、その変化した作風の象徴であろう名曲『シャーロット』が収録されタイトルにもなっている。
 その作風の変化の中で、従来のオルタナサウンド以外に、シューゲイザーニューウェーブの雰囲気を取り込んで行こうとする積極性も見られる。特にギターフレーズは次第に水っぽさを増しつつあり、コーラスの利いたよりひんやりした音色になっている。またギターの重ね撮りなど、これまでよりもプロ指向なプロダクションにもなっている(それでも音の分離はあまり良くないが)。
 以降の作品に直接繋がって行く、重要なターニングポイントの作品。であるとともに、どこか子供っぽい真っすぐな感じと無邪気な逃避行的なロードムービー感のあった、以前の作風が消えてしまったことに一抹の寂しさも覚える。この作品の後にシングル『DIVA』を挟んで彼らの初フルアルバム『Requiem For Innocence』のリリースとなるが、個人的にはそのタイトルは今作の方が相応しいのかも、など思ったりもする。


問題のFiona Apple丸パクリのPV。何気にワーゲンバスがオシャレだ…。