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ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『Requiem For Innocence』ART-SCHOOL

 2014年4月現在、折角渾身のニューアルバムが出たというのに、このアルバムのレビューです。

 アートスクールの、キャリア初のフルアルバムである。
そしてバンドの代表作でもある。ライブでいっつもこのアルバムの曲やりすぎ。

Requiem for InnocenceRequiem for Innocence
(2012/02/15)
ART-SCHOOL

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1. BOY MEETS GIRL
 バンドの代表作の一曲目ということで、2分半足らずの尺を勢い任せに突っ切る、今作におけるバンドの名刺代わり的なナンバー。ライブでの登場回数はかなり多い方。
 バンドの代表作のイントロとなってしまった程々に衝動的なメインフレーズのギターはジャリジャリのエッジを響かせるが、木下側のそれはサビ以外の大半がずっと同じとこを抑えて弾いてるだけ。そのプレイがこのバンド的なコードの曖昧さとキラキラした勢いを作り出している。ライブでも弾きやすいんだろうなー。ドラムはタムを引き摺るように叩く重いプレイで、同じく重めなベースと一緒にこの曲の疾走感に荒々しい重量感を付加している。
 いわゆるレクイエム期のアートのCDはは、ギターを重ねて録音し始めたばかりだからか、他のどの時期よりも音の分離が曖昧という特徴があるが、この曲などではその団子状の音が勢い任せに突っ走る。この団子状の音がしかし、特に今作における疾走サウンドの音の勢い・一体感の演出に大きく影響を与えている。
 勢いで突っ走る曲ではあるが、サビでキメを入れたり、恒例のブレイクの部分でも全楽器鳴りっぱなしだったりで最後のシャウト含めて実質Cメロ・ブリッジ的な役割を担ってたり、バックコーラスが入ってたりする。そんな細部の工夫がよりこの曲の疾走感に弾みをつけていて、特に終盤のシャウト→キメでばっさり終わる所は次曲へのつなぎも含めて「上手い」と思わされる。コード感も含めて、かなりポップな作り。
 名刺代わり的な歌の歌詞は、冒頭にまさにこのバンドのテーマが掲げられる。
ねえ/今から/美しい物を見ないか?
思うに、木下理樹の今作までの世界観というのは、要するにそういうことだった。絶望的な光景も含めて、その「醜くも美しい世界」と、その中で孵化する何らかの想い、それこそが初期アートの本質だった。このテーマ自体は度合いや色合いは変わりながらも現在の木下の楽曲まで一貫して感じられる。
 そしてサビにて締めに歌われる語句「灰になってさ」「透き通ってさ」これは手段である、その「醜くも美しい世界」にイノセントな二人が溶け込んで情感を得るための。そのためならどうなったって構わない、そんな二人の「約束」こそが、木下作品全般とりわけ今作における大前提だ。

2. リグレット
 前曲の勢いをホントそのままに受け継ぎ、前曲よりやや軽やかに、前曲と同じ陽性コードで疾走を始めるナンバー。なんとなく「アルバムの2曲目」感を強く感じる。
 イントロから印象深いのが、帯状になってどんどん遠ざかっていく景色のように鳴り続けるギターの持続音。前曲も同系統だが、アートに限らずエモ系・ロッキンオン系バンドの疾走曲の1類型として、「コードを半ば無視して持続する音をバックに爽やかに流したところからサビでパワーコードをがっしり決める」というのがある。この曲はその典型で、伸びやかなAメロからパワーコードで一転、起伏の激しいメロディとともに演奏がぐしゃっとなるサビに到達する、そのダイナミクスを売りとしている。そのサビのメロディがPosies『When Mute Tongues Can Speak』からのモロ借用ではあるが。
 前曲は2分半足らずだが、この曲も3分を切っている。勢い任せ感は特にサビで強いが、一回目のそこからまた爽やかなAメロに繋がる辺りのシンプルな滑らかさはこのバンドの潔くて小気味よいところ。またリズム隊は曲展開に合わせ強弱を上手く付けている、特にドラムの所々でシャープに収まるタム回しが好き。サビやブリッジでの重戦車っぷりが良い。
 サビの終わりのフレーズ「for Dream」は映画『レクイエム・フォー・ドリーム』からと思われる。この映画のタイトル自体が本アルバムのタイトルの元ネタであることは明白だが、その辺があるのか、この曲が最もアルバムタイトルを反映した歌詞になっている。Aメロは全て過去形で書かれ、爽やかなサウンドの中二人は「約束」の下に逃げ出す。しかしサビでの現在の時系列、激しさのうちに「僕」は「君」に叫ぶ。
君はあの時なんて云った?/僕には聞こえなかったんだ
この印象的なフレーズ、僕は「変わってしまった君」に対する強烈な皮肉のように聞こえる。だけどそれは「君」だけのせいでは勿論無い。
硝子の向こう/手を伸ばした/だけど触れもしなかった
『MISS WORLD』でも歌われた光景が、結末を付け加えて反復される。過ぎた青春に大きく横たわる「失敗」という事実。この鮮烈さも、アートスクールというバンドの大きなテーマのひとつだった。

3. DIVA
 アルバムをはじめて聴いた人に「おっ、今度はミドルテンポの曲か」と一瞬だけ勘違いさせて、サビで「やっぱり疾走曲だった!アルバム始まってからこっちずっとコレやん!こいつらバカか!?」と思わせるリードシングル曲。レビューはこちら。アルバムの最初のピークはここかーと思わせる。思わせといて…。

4. 車輪の下
 3曲疾走曲が続いたから4曲連続は無い、そんな思考を即粉砕するテンポの速いベースラインから始まる、4曲目の陽性疾走曲。殆どアホである。アホなくらいに今作で最もシンプルな曲でもある。そしてライブでの出勤率は今作のみならずアート全楽曲の中でも1、2を争う。あえて言うと、今作の代表曲は『DIVA』よりもこれと『サッドマシーン』である。
 といってもこの曲、今作が初出ではなく、既に『MISS WORLD』にボーナストラックとして収録されている。今回はその再録となっている。が演奏の勢いが違いすぎる。
 冒頭で申した通り、この曲は何よりもベースである。拍子足らずで循環するこのシャープにゴリゴリ鳴るルート弾きベースは曲の始めから終わりまで同じフレーズを反復し続ける。そして、この曲はそのベースラインと同じ、拍子足らずの循環コード一本で出来ている。循環コードはグランジではしばしば見られる作曲法だが、これに拍子足らずがくっつき、更にリズムもバカ正直なものなので、結果的に曲自体が直線的で前のめりな構造になっている。
 演奏面では、リードギターはベースに次ぐシンプルなメインフレーズとサビのベタ弾きを淡々と使い分ける。その抑圧したプレイが地味にコーダの部分でソロプレイに走るのがなんだか可笑しくも可愛い。ドラムはベーシックなプレイだが拍子足らずのせいか勢いづいた感じも。演奏全体が曲の疾走感を損なわないよう、サビへの繋ぎ部分も必要以上に重くなってない辺りが聴いててスムーズ。
 この曲の気持ちよいところの一つは前のめりでスムーズな演奏だとして、もうひとつは言葉の乗せ方だと思う。短めのセンテンスを連続で詰め込む感覚は洋楽パワーポップ的。そしてそこに乗る歌詞の単語選びのチョイスが非常に気持ちがいい。自棄なフレーズと混濁・鮮明の鮮やかな情景描写がきびきびと書き連ねられる。
偽った/苦しくて偽った/車輪の下/誰一人信じれず生きてきた/笑えばいい
海岸線/天使が行く/含羞に頬染めて/美しい物もある/そんな気がした
その小気味よいリズム感と文学チックな雰囲気が、サビで一転中二病全開でバカっぽくも惨めな叫びによってのびのびと打ち破られる。
アイソレーション/Hello,my name is monster
この曲のその繰り返しのダイナミズムが、非常にポップでキャッチー。最後のサビのアクセントもクスッとくる感じでいい。ライブでサビのフレーズで合唱が起こると、なんとも素敵にアホっぽい雰囲気になって最高だ。
 総じてこの曲は、バンドの短距離走的・一点集中的なテンションと木下の文学的趣味と自棄気味なアホっぽさが気持ちよく拮抗したソングライティングの両輪によって、ライブでも格別の心地よい盛り上がりを見せる楽曲となっている。大仰でもなく陰鬱過ぎもせずしかし無神経でもない、絶妙な憂鬱ポップ具合。こんな快活な絶叫ソングがあっていいのかという、木下が生み出した最高のパワーポップのひとつ。

5. メルトダウン
 前曲まで4曲連続で続いた陽性疾走パワーポップの流れがこの曲から一転する。マイナー調の響き、鬱屈した静動のギャップ、これまでと比べて明らかに悲痛に聞こえるシャウトなど、前曲までのある種の爽やかさ・鮮やかさをぴしゃっと打ち消す。シングル収録曲なのでレビューはこちら。この曲よりアルバム中の鬱ゾーン的な流れに入っていく。

6. サッドマシーン
 今作中の陽性サイドの代表曲『車輪の下』に対し、ダークサイドの代表曲はこれで間違いない(『シャーロット』はまた別格。先行発表済の曲だし)。やはりライブで1、2を争う登場率を誇る、ハイテンションの陰鬱曲。この矛盾した感じのわけ分からんパワーがこの曲の醍醐味。
 緊張感に満ちたアルペジオと重いドラムの引きずり気味プレイ、叩き付けるように鳴るベースはある程度の音の隙間を維持して進行、そこに冷たく囁くような木下のボーカルが入り、そしてディストーションギターの挿入から一気に激しい縦ノリとタイトルコールの連打に突入する、この今作でも最も強烈で鮮烈なダイナミクスがこの曲の魅力。ここでのバンドはグランジ的要素を見事にある種かなりドメスティックなゴス的世界観に落とし込んでいる(というかアートのこういうタイプの曲やsyrup16gなどのバンドの各曲が日本の下北沢系ギターロックの調性を方向付けた側面は大きい)。
 圧倒的なのはあっという間に二回目のサビまでの繰り返しが終わった後、一旦奥の方で抑圧された演奏が次第にせり出していき、その上に木下の息も絶え絶えなファルセットが「助けて」と連呼し、そして最後今作一のギリギリなシャウトの後三たびサビの絶望的な高揚感に到達する箇所。アルバム序盤のキリキリしたシャウトが気持ちよかったのとは打って変わって、ここでの音割れも気にせず挿入されるシャウトは非常に閉塞的でギリギリなな雰囲気が出ている。今作中盤のダークサイドゾーンでのピーク、中二病的成分の頂点だ(『シャーロット』はどん底って感じ)。
 そのまま突入する四度目のサビとも言える終盤の繰り返しでは、強く今作を特徴づけるコーラスでより尖った風に聞こえるギターが、非常にノイジーなプレイを見せる。この演奏の崩壊感、そしてそれをさくっと余韻十分に終わらせる曲構成が、ダークな曲ながら非常にポップに感じられる。ギリギリのテンションによるポップさ。
 この曲はともかくブリッジ部の「助けて」のフレーズ一点をめがけていく様な構成で何もかも作られていて、それは歌詞も例外ではない。
君は俺の祈り/君は俺の欲望その物/
 そしてそれは消える/音も立てず崩れて失くなる

「君」に対する圧倒的な救いと、その鮮烈な喪失。そこから来るサビの絶望的な希求。
Sad machine/You're sad machine/灰になる前に/助けて/助けてよ
特にブリッジの「助けて」は薬物中毒患者のようなパラノイアックさが炸裂する。アートスクール的な「破綻しまくることに美を見出す式セカイ系の、とことん沈み込む『シャーロット』とも異なるもう一つの焦点がここにある。
 ちなみにタイトルはSmashing Pumpkins『Here Is No Why』のサビの一節「And in your sad machines/You'll forever stay」から。そう思うとこのゴス感はスマパン由来かもと思えてくる。

7. 欲望の翼
 重め暗めの曲が続く。ミドルテンポでどっしりしたオルタナ感を聴かせる。『I hate myself』をよりハードにしたような曲。
 その『I hate myself』などと同じく、アートでは意外と数の少ない「イントロの轟音リフパートがそのままサビの演奏にもなる」タイプの曲。コーラスが厚くかかったリードギターの音と、それよりも随分と大きい木下のパワーコードギターが印象的。サビ以外の部分ではアルペジオもなく乾いた演奏をしているためギャップが激しく、グランジ的。今作で一番パワーコードが分厚くて目立つ曲。
 歌の方も、今作で最も低い音程で囁くように歌われるAメロからサビで伸びやかに「笑って」とシャウトするに至るまでのギャップがシンプルにグランジ指向。そこにファルセットも交える辺りは木下的。「ウーフウッフーゥー」って歌うとこはキャッチーでちょっとユーモラス。
 展開的には終盤の、ブレイクからのクランチギター→三たびサビ→ギリギリの高音を叫ぶ新しいメロディの登場、の畳み掛けが爆発的。
 歌詞。なぜかブックレットではこの曲だけ見開き2ページにぽつんと書かれているので目立つ。そこのイラストも今作で最もパラノイアックなものだし。歌詞のイメージもそれに準じてる。
偽った/偽った/俺の世界は悪夢だ/裏切って/欺いて/獣みたいに犯して
車輪の下』を具合悪くしたようなリズムでぽつんぽつんと呟く。サビでは、救いは君の笑顔だけ、という、木下お得意の切羽詰まった世界観。「笑って」の箇所は『サッドマシーン』における「助けて」と同等の扱いのようにも聞こえる。
でも今日は/ねえ今日は/どうかそんな風に/笑って/ただそれだけで

8. アイリス
 アートのマイナー調疾走曲の中でも最もシンプルな、というかアートの曲の中でもとりわけシンプルな部類に入ると思われる、勢い一発な疾走ナンバー。2分40秒弱を突き抜けるように進行していく。
 イントロの掻きむしるギターはまさに一曲目と似た勢いだが、一曲目が明るかったのと比べるとその響きは暗い。
 やたらと短いAメロからサビに繋がるという曲構造をしているが、一度目の繰り返しは「一回目のサビは押さえて二回目以降でドラマティックに演奏する」パターンによって唐突さを隠している。そこまで抑えていた演奏が、一度目のサビが終わった瞬間から一気に直線的に吹き出す。特にコーラスのきついギターが神経質な音を出している。
 何よりもサビ、どう聴いても「バイバイ スウィート アイリス」と聴こえない辺りの変なテンションが凄い。「ババスワイナー」とか「ババスワレー」とか絞り出すように叫んでるように聞こえて、初見では「何事か!?」と思ってしまう。
 また、二度目のAメロで突如挿入される「ヘッヘーィ!」というファルセットもまた変なキャッチーさがあって、曲調の割にちょっと楽しい。
 歌詞。短いAメロの歌詞が殆どで、例によって逃避の追憶チックなもので、サビのシュールな切迫具合がインパクト大だが、印象的なフレーズもある。
ミネアポリスで/子供達が愛を射つ/この肌の下/僕らは溶けあったっけ

9. フラジャイル
 お得意の切なげな調性でもって青白い切迫感のようなサウンドを目指したミドルテンポの楽曲。基本的なエイトビートを外した機械的でやや術祖的なリズムやコードのテンションの加わり方など、どちらかと言えばRadioheadとか後期Sunny Day Real Estateとかそういう方面を向いている曲か(『シャーロット』もこちらの傾向)。個人的にはこういうタイプの曲はLove/Hateの時期からいよいよスケールが大きくなってくる印象だが、この時期特有の湿って肌寒い感じもこれはこれでいい。
 そのやや不思議なコード感を担っているのが、木下ギターのひとつ抑え奏法。シューゲイザー以降的な揺らぎをコード進行の上に作り出すこの弾き方が今作で最も活用されているのがこの曲か。ポロポロ鳴るアルペジオとコーラスの利いたうねるリフを繰り返すリードギターもコードの曖昧さを醸し出す。後の同タイプの曲と比べるとまだグランジ的要素が強い辺りがこの時期的。
 曲自体のキリキリした雰囲気とともに木下の歌も張りつめている。特にサビのフレーズがシャウト気味なものからファルセットに推移する辺りは実に木下的なリリシズムを持っている。
 この曲も、喪失について切実に歌う形式の歌詞だ。
君は僕の太陽を奪い去った/鮮やかに/思い出すのはもうきっと戻ることも無い様な
冬になるとよく着てた古いセーターの模様や/誰も居ない公園で君が吐いた白い息
アートは冬っぽい音楽と言われることがある。全体的な音の傾向としての青白さの他に、こういう歌詞が結構地味に影響してるのかもと思う。

10. foolish
 前曲までの陰鬱ゾーンを抜け、再び曲調に明るさが戻ってくる。自棄っぱち気味なドライブ感がこの曲順のタイミング的に気持ちいい、ピンポイントリリーフ的なポジション。次曲と並んで先行するミニアルバムで発表済。次曲も含めてレビューはこちら

11. シャーロット
 『foolish』とこれと、ミニアルバムの時と曲順が変わってないが、位置的にアルバム終盤の重みの部分。今作の曲順で聴くとより圧倒的な沈み感がある(他の曲に比べボーカルが少し引っ込んだ録音なのも影響してるか)。アルバム中盤のダークサイド曲とも全く異質な暗黒感は、このアルバムでメンヘラ方向に火がついた年端も行かない少女たちを死と性の静寂に沈み込ませる役割を持つ。この曲がこのアルバムに入ってなかったら何人のひとたちが病気にならずに済んだか…はともかく、今作随一のディープサイド。

12. 乾いた花
 アルバムラストを飾る、陽性なポップさとこのアルバムの特に中盤以降のシリアスさを併せ持ったミドルテンポ曲。ポジション的には『SUNDY DRIVER』や『ダウナー』と同種のエンドロール的楽曲だが、それらのような気楽さはレクイエム期的な切実さに取って代わられている。
 確かに乾いてる、という感じのシンプルなパワーコードアルペジオからサビで急にバリバリした演奏に変わる辺りは実に今作的なグランジ具合。サビではドラムがドコドコ威勢良く鳴り、パワーコードがリードギターを音量的にほぼ食ってしまっている。初期スマパン等に通ずる土っぽくいなたいグルーブ。
 この曲のエンドロール的だなーと思う要素の一つが曲構成。まずAメロがまた短い。二度目のサビが終わって最後の繰り返しに入る前のブレイクをした時点で、まだ1分25秒。3分の尺の半分にも満たない。この中にあっさりさと流れていく様なサビの追加フレーズも含まれている。残りの尺がどこで使われるかというと、最後のサビ以降の展開だ。普通に一度さびを回した後に間奏とも言えぬ溜めの後、さらに上ずった風に歌う四度目のサビ、そして最後の絶叫と流れていくシャウト。そして最後にピアノの柔らかな音でピシャリと締める。アルバムの締めとして狙い澄ました様な組み方に木下のアルバム観・映画観が垣間見える(ちなみにこの曲のタイトルも映画からの引用)。
 今作中で究極的に死と性に接近した前曲から、「ギリギリでの生への決意」に漂着する歌詞は、やや予定調和的な感じもするが感動的な流れだろう。
そうさ/今日は/生き残っていたい/生き残っていたいよ/此処で
そういった部分も悪くないが、むしろAメロ部分のなげやりさと滅びの美学が混ざった節回しがより好きだ。
アリゾナで枯れ果てた花びら/その匂い/その指
 獣より美しく焦がして/おかしいか?/殺せよ

初期アートの木下はアメリカの地名を上手に使うなって割とよく思う。


 以上11曲。
 とても鮮烈なアルバムである。ある程度の人は演奏のドシャメシャ感や木下の歌のスタイルにドン引きするだろうが、また別の人たちはこの中におっさんロック的要素ゼロの、本場のグランジよりも遥かに鋭く神経質なものを感じただろう。鬱屈した方向に傾きかけてる中学生の耳に入ったりしたら危ないだろう。2002年にはこのアルバムと、これまた陰鬱系中二病方向に尖りきったsyrup16gの『coup d'Etat』なんかも出ている訳で、一気にジャパニーズ・下北・メンヘラロックが花開いた年である
 冗談でなく、本作と『coup d'Etat』を並べると、両バンドのキャラクターの違いがよく分かる。結局のところアートスクールというバンドは、本作冒頭の「ねえ/今から/美しい物を見ないか?」がある意味全てだということ。惨めさも、滅亡も、喪失も、それらを含めての「美しい世界」へたどり着くための手段である、そのようなナチュラルに倒錯した美意識が、アートスクールの、木下理樹の大前提の一つだと思っている。
 その前提に立ってアルバムを眺めると、一見勢い重視でバカっぽく並んでるようにも見える曲順が、実はその「勢い」こそが、その美意識にリスナーをナチュラルに引き込むための最大の仕掛なんだと気づく。冒頭4曲の明るくもテンポよく自棄な単語を吐きまくるところで耳を引き、中盤のざくっと切り込むようなダークネスで網を張り、そして『シャーロット』でメンヘラの大海に突き落とす。落とした後『乾いた花』で無惨にも生き長らえさせてしまう。

 アートスクールのメンヘラは奇麗なメンヘラだという話がある。銀杏ボーイズみたいなクソミソ現実グチャグチャ具合と対照的だという分析をかつてどこかの対談で峰田が木下に話していた様な気がするが、確かにそうかもしれない。木下の詞世界において破滅も混濁した性も喪失も、どこか鋭いナイフの様な爽やかさがある。下世話さは顧みられず、極端なゆえにくっきりしたコントラストの世界が聞き手に届く。それがいいか悪いか、所詮ファッションメンヘラと貶されるか、映画の様な世界観と褒めそやされるかは、結局ある程度は好みだ。
 そういったことを踏まえてあえて言えば、今作は最高の映画的ファッションメンヘラアルバムだ。時に快活に時に陰鬱に、海外インディの趣向をオシャレにまぶした屈強でボトムが低く時にややパラノイアックなサウンドに、線の細さも含めて完璧な文学青年っぷりを見せるフロントマンの美意識が、それも最も狙い澄ました様な形で染み込んでいる。その中では、上手く整理されずにすっかり潰れてしまったサウンドさえ切実さや重圧感を感じさせてしまうのだからお得なもの。
 ともかくこのアルバムを作ったことで木下理樹は「こういう美しさ」みたいなものを見事に提示しきったのだと思う。そういう意味では、この作品は間違いなく彼の代表作だし、ライブでも頻繁に演奏されるだろうし、そしてこの後安心して、より自虐的・自嘲的領域に踏み込んだ作風に進んでいけたんだろう。

 色々たくさん書いたけれど、大体はどうでもいい。ただ単に、『車輪の下』のサビをライブで合唱する、それだけでいいんだ、こんなクソみたいな気持ちのままそのクソみたいな気持ちごと楽しもうと思うなら。