東京のインディーギターポップシーンの一角だったFor Tracy Hyde(以下FTH)が、ボーカルにラブリーサマーを迎えたことであらゆる方面に求心力が急激にアップした感じのある、4曲入りのEP的作品。一部レコード店で無料配布が行われていたが品切れが続出。ぼくはtwitterのバンドアカウントの中の人とやり取りさせてもらって郵送で入手。期待に違わぬすげえいい作品。
と同時に、ある種の決意とそのための決別を感じさせる作品でもある。後述。
1. First Regrets
新生FTHの名刺代わりとなってアジカン後藤氏やThe Novembers小林氏にまで賞賛されるようになった、“必殺”の感じがする一曲。2012年発表済みだった原曲をラブリーサマーのボーカルに合わせて、よりバリッとしたアレンジ・ミックスに仕上げられている。
再生後0.1秒で確実に伝わってくる強烈なギターポップ感!ちょっとクラシカルでスピッツな感じのギターの旋律と、同音反復でシューゲイズ的な爽やかさと浮遊感を醸し出すリズムギターの対比は、ジェントルなギターポップのお手本のような佇まい。そして一定のパターンで軽快にやや16分気味にロールするドラムは、バンドのブレインであるスガ氏(a.k.a夏bot氏 @chelseaguitar)の90年代初頭マンチェスター観を覗かせる。単純に爽やかなバタバタ感が大変気持ちいい。
ボーカルが入ると、一気に雰囲気が華やぐ。ラブリーサマーのボーカルは(彼女が『術ノ穴』レーベル関係者ということもあるのか)、弱く儚げでちょっとウィスパー気味なロリータボイス、いわゆる「やくしまるえつこ以降」の流れのボーカリストである。そんな彼女が歌い出すメロディの、そこから感じられる質感は、なんだかGalileo Galileiのよう(原曲はそうでもない(より渋谷系感、スパイラルライフ辺り感が強いのだろうか)ので、その辺に興味深い差異があるのかも)。枯葉が風で舞うようなフワフワ感は、FTH元来のギターポップさとラブリーサマーの性質どちらの印象も強く感じられるが、従来以上に、そこにヒリヒリした感覚が加味されている。
落ち着いたAメロからシンコペーション込みで旋回し高揚するBメロ、そして伸びやかでオチもきっちりなサビへの連なりは、日本の渋谷系以降のギターポップに対する途方も無いの研究の感触を匂わせる。各セクションの繋がりがとても滑らかで奇麗だ。
この楽曲でとても感心するのが、最初のサビが終わって以降の展開。再びイントロのフレーズに回帰して、そこからまたAメロに入るのか、と思ったらここで新しいメロディがブレイクとともに挿入される。ミドルエイトとも言えない程度の尺(“ミドルエイト”が必ず八小節である訳ではないらしいけれど)だが、ここぞとばかりにフェイザーやディレイの効いたサウンドが浮遊感と新展開を持たせる。
そして、ここにCメロが来ることで、この後の二度目のAメロ以降が“Cメロ以降の展開”という雰囲気を纏ってくる。Cメロの主な効果は勿論楽曲の繰り返しサイクルの中に新しい展開をもたらすことだが、副次的効果として、Cメロ以降の展開を楽曲の終盤のものとして異化して印象づけるというのがある。日本のポップソングではCメロは割かし二度目のサビ後などに持ってこられがちだが、この楽曲ではそれを一回目のサビ後に配置したことにより、二回目のAメロ〜サビのサイクルを終盤の展開として聴かせることに成功している。これによって楽曲の尺は大きく節約され、3分半足らずという絶妙なサイズに収まることとなる。
そんなCメロから軽やかなフィルインで繋がれた二度目のAメロ以降、そしてサビの後のイントロフレーズ回帰。ここでイントロフレーズを一回で終わらせず2回繰り返しているのもサビの高揚感の余韻の調節として絶妙なところがある。個人的にはFlipper's Guitarの『カメラ!カメラ!カメラ!』シングルヴァージョンの二回繰り返しで終わるかな、と思ったところに三回目の反復が来る瞬間を思い出す。
歌詞。この曲はリメイクであって、原曲との間の歌詞の改変は無いようだ。が、歌い手が男性から女性に変わることで、言葉の印象も著しく違って聴こえるのが面白い。
「そして最初のひとひら舞う灰の空を仰ぐ君に、
変わらず手を振る。僕らがゼロになる前に。
はじめての後悔を君に捧げよう。」
“ゼロになる”という部分が、原曲だと強く渋谷系(というか『ゴーイング・ゼロ』)を想起させるとしたら、このラブリーサマーヴァージョンはもっと鮮烈で痛々しい、例えばアートスクール的な質感に近いヒリヒリさを覚える。何より、そういうのも計算した上でこういう歌詞を女の子に歌わせるのは作曲家冥利に尽きるだろうなあ、とか思っちゃうヤバい。
「ねえ、あの日あの時伝えたことにひとつとして偽りはないから。」
新生FTHの、どこを切っても必殺の楽曲。数あるレパートリーの中からこの曲を選びシェイプアップした感覚がとても素晴らしい。
2. 笑い話
今作で唯一ラブリーサマー作の楽曲。そのためなのか、どことなく他のFTH楽曲、少なくとも今作の他の歌ものな『First Regrets』『SnoWish; Lemonade』と、メロディの感覚が結構違うことに気づかされる。
前曲からぐっとテンポを落としたリズムの、どこか機械的な質感。分厚いシンセ主体のバッキング。そういう要素がFTHの過去楽曲に全くない訳ではないが、それよりもむしろ、泉まくらみたいな“術ノ穴”的な感じに聴こえる。もっと言えばこの曲は術ノ穴的な楽曲のFTHリミックスだと個人的に思い込んでたり。ギターのアレンジ、特にディレイの効いたミュートギターでカッティングが入る辺りやサビのワンコード感にそのリミックスの方向性を垣間見る。演奏では他にベースのうねりが面白く、シンセやギターそして勿論歌の旋律の裏を縫ってかなり主張していて聴かせる。
Aメロ〜Bメロにかけての同コードで進行するメロディは、ボーカルの声質を無視しても(無視できるわけないが)、非常にやくしまるえつこ的な要素を感じる。メロディ自体に溜息めいた要素があるというか、仮想現実上の文系女子的なメンタリティがメロディにも歌詞にも強く出ている感じがする、というか。
それに比べてサビのメロディはあまりやくしまる的ではない。もっときっちりして、裏声の配置なども含めて、強力にサビとして作られた感じのメロディになっている。偶数拍のシンバルを効かせた展開も抜け目のなさを感じさせる。
歌詞。今作で唯一の女性による作であり、一人称もしっかり「私」である。(他の歌もの二つは一人称が「僕」で、『SnoWish; Lemonade』が今回書き下ろしか何かしらの男性ボーカル時代のリメイクなのかは無知にして知らないが、好対照を成している)
「夜中にあいつの日記を覗く。私は一度も出てこない。
「何もなかったことにしないで」と私は涙をこぼす。」
日記をつけてるとか殊勝じゃないか“あいつ”は!この辺などに、作家の違いによる質感や指向の違いがはっきり感じられる。“喪失の季節とその中での一瞬の美しくて儚い瞬間”をまるで映画づくりみたいに追い求める傾向にある、スガ氏含む“男性的”な感覚に対し、ここでのラブリーサマー女史のペンは“ふたりの関係性の微妙さ”そのものをネタにする、“女性的”なもののように思える。
と、ここまで作者の違いによる性質の違いについてばかり書いてしまったが、その割にこの曲が今作4曲の中で特に浮いている訳でもなく、普通に馴染んでいることは申し添えなくてはならない。渋谷系的な感覚はFTH全楽曲の中でも最大級で、モロにゼロ年代以降を感じさせながらも、それでも全く浮かないということは、今作においてFTH自体がその“ゼロ年代以降”な感じに大きく舵を切っている証拠とも考えられる。
3. さらばアトランティス鉄道
インストナンバー。これは流石にスガ氏の別ユニット・Shortcake Collage Tape(以下“ショコラテ”。この自称してる略称、ちょっと上手いというか、ドヤ顔感ある)を思い起こさない訳にはいかない。音の方向性なんかは、ショコラテの南国感と比べれば、というかこれまでのFTHのインスト群と比べても、こっちはずっと音が冷え冷えして寂しい感じがする。でも、音の処理のチルウェイブ通過した感じとか、そもそも音が指向するノスタルジーだとかは、かつてとそれほど変わっていないような感じがして、作者の人となりがある意味歌ものよりも見える部分ある。
ディレイを効かせたミュートギター→シンセの継投が良い。分厚いコーラスの壁も、2分間のこの曲をなんとも途方もない感じにさせる。
4. SnoWish; Lemonade
いきなりサビのメロディから始まる、新生FTHの気概と方針が強く感じられる今作書き下ろし(“リメイクじゃない”程度の意味)曲。5分間をがっつり作り込んだ今作での大作ポジションでもある。
そのいきなり始まるサビのメロディからして、気合いを感じる。リズミカルな節回しのくるくる具合とか、いかにも乙女ポップな感じする。バックのシンセサウンドも、降りしきる雪のような感じというか、ある意味セルアウト寸前な感じというか。悪意なく言えば、このサビを通じて所謂J-POPが見えてくるような、そんな具合が、しかしウィスパーボイスとマッドチェスターチックなギターアレンジでまだインディーポップの側に立っている、とでも言えばなのか。
AメロやBメロなんかは、抑え目の伴奏もあってか、ちょっと初期〜中期スピッツっぽくも感じられる涼しさ・軽やかさがある。Aメロは特にボーカルの声質の寂しさがハマり、Bメロ以降の展開といい対比になる程よい寂寥感や可愛らしいけだるさ・残酷さがある。スネアの手数多めで反復するドラムが頑にバンドの基底を主張するが、Bメロで次第に音が増えてくると次第にぼんやりとした浮遊感に引っ張られていく。そしてサビで改めて重ねられたボーカルのメロディに巻かれる形になる。
二回目のサビ以降の展開、ちょっとした間奏におけるワウギターやリゾート感あるコード進行などに、これまでのFTH的な蓄積を見せる。そしてそこからの“ブレイクしてサビ”の「や・・・やったッ!!」感。J-POPの王道から逃げない姿勢。ブレイク部後半に挿入されるパーカッションは少し恥じらい払いを感じさせもするが、そこからしっかり大サビに向かい、そして無機質なコーラスだけが響くアウトロに至るまでの流れは、完成している。王道の切なさを、持ち前のサウンドを維持してパッケージング。元々洗練された音像を作っていたFTHではあるが、ここではそれがとりわけ、“女の子が儚げに宙を浮かんでいる”感に費やされている。
その王道フォーマットさえ使いこなして描かれる歌詞世界、個人的に面白いのが、その世界観がでもやっぱり、どこか“男の子”的に感じられるところ。
「校庭の片隅にできた仮設のエデンで、
僕らがあくびをしていられるのも、あと少し。」
この辺、文系男子の妄想チック(いや最近は女の子もこんなこと考えるかもしれん)。しかしもっと、よりどうしようもなく“インディーロックな”男の子のフレーズがある。
「壁に貼られた絵葉書で海岸行きを想像しても、
結局どこへも行けやしないとわかってる。」
これ、男性が歌うか女性が歌うかでかなりシリアスさの度合いが変わってくる感じする。もしこの曲が男性ボーカルで発表されていたら、それはそれで全く別の側面から捉えられていたようにも思われる。というかこの曲も、元々男性ボーカルで発表する予定があったのかもしれない(にしてはサビのメロディが女の子感全開な気もする)。
歌詞上に託された性別が何にせよ、この曲の微妙な終わりの予感と記憶を巡る歌詞はドリーミーに上手く纏まってるし、それを少女ボーカルで歌われるとやたらと切ない。
「もういろんなことが最後になってゆくけれど、
こんな他愛のない想いは打ち明けたら続くかな。」
この作品は”はじめての後悔”で始まり、最後の予感で終わる。できすぎてるぜ、と思うのはちょっと穿ち過ぎてるとも思い反省する。
以上4曲。
ヒリヒリし、スースーする。そんな感じのギターポップだと思う。そしてそれは、決してこれまでのFTHの持ち味の本分ではなかったはずだし、ラブリーサマーちゃん自体の作品だって、もっと別の感触のように思う。なので、両者が今回協力関係になったところには、まさにその「ヒリヒリし、スースーする」世界観を求めてこそ、だったのではないか、と邪推する(結果的にこうなっただけの可能性も高い)。
“これまでのFTH”の作品は恐らくその大半がネットで無料で入手できる。それらを聴いて頂ければ判るのが、FTHのリーダー・スガ氏=夏bot氏(=かつてのDaydrop氏)の渋谷系趣味と、それを確実に音に出来る器用さだ。特にその“渋谷系遊び”の極みである2013年の作品『Satellite Lovers』は本当にナチュラルにもの凄い“何でもあり”具合であり、これをタダで出す夏bot氏はアホすごい人だ…と思っていた。思っていたのが今回こうなった。
少なくとも今作に限れば、前作までの“遊び心”は大きく減退した。減退し代わりに大きく現れたのが「ヒリヒリし、スースーする」感じなのだ。もしかしたら次作でまた渋谷系大博覧会モードになったりもするかもしれないけど、でもおそらくは、この感じをさらに追求していくんだと思う。
嫌らしい話をすれば、ポストやくしまる的ボーカルは、シティポップ系統には強いが、もっと芝の香りや土の香りのする音楽においては、それほど広まっていないように思われる。そんな中でのこの作品はまさに“芝のやくしまる”である、というところで他に先んじている(ホントに嫌らしい話だ…)
今作はサウンド的にバラエティな方というよりはむしろ、一本通した感じの作品である。本当に器用なFTHが今あえて渋谷系的な華やかさと決別して、ピントを絞り、技術を偏光させてこれを作るという、その“狙い”の先が気になる。『First Regrets』『SnoWish; Lemonade』には、ただ可愛いだけでは済まない、密やかだが何か恐ろしい、静かに奥歯をカタカタいわすようなものを感じさせる。少女インディーロックの急先鋒にFTHがデビューしたことは、まだ見たことのないタイプの残酷で美しい“少女のとげ”が現れる、その兆候かもしれない。