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ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『ニッケルオデオン 青』道満晴明

 IKKI廃刊に伴いなのかそれとも既定路線だったのか分からないけれども、ニッケルオデオンが終わってしまった。今年の一月にネットカフェで読んで鮮やかに衝撃を受けてから、1ヶ月〜2ヶ月おきくらいにネットカフェで読める楽しみのひとつだったけれども、残念。
 その最終巻を購入。既に何度も読み返し、やっぱいいな〜。

ニッケルオデオン 青 (IKKI COMIX)ニッケルオデオン 青 (IKKI COMIX)
(2014/09/30)
道満 晴明

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ある日のこのツイートが結構ふぁぼを稼げて(この数字で多い方)嬉しかったので勢いでレビュー書く。実際タイトルの並びがすごい。多方面に渡る引用・パロディと、文字の並びの見栄えがどちらも凄く映えてる。訳の分からない感じと、変態っぽさ・狂気っぽさ、硬質な感じとポップな感じが入り交じった文字の並び。アルバムの曲目ってこんな感じに作ればいいんだとホントに思う。

 可愛い絵柄と乾いた描写、辺境チックな雑学から哲学・そしてオタクの流行までをさらりとアマルガムしてしまう発想、学園ものも日常系もSFも歴史モノもファンタジーも寓話もラブコメもサスペンスも狂気もあっさりとごちゃ混ぜてしまう作風、そしてそれらすべてひっくるめた物語から沸き立つ抒情性、といった辺りが道満先生の、特にエロ漫画誌以外で書きはじめて以降より目立つようになった特徴だろうか。
 群像劇チックでありながら完全にひとつの世界での長編ものとしても進行する『ヴォイニッチホテル』(こっちももうちょっとで完結?)と比べると、より短編集に近いニッケルオデオンは一話一話の独立性が高く、どの話からでもさらっと読めるのが強み。その分あっさり目の話が多いような感じでもあるが(この巻の後半なんか、とりわけあっさり風味の話が多めかな、と思ったり)、それでも一話につき8ページにいろんなカルチャーやアイディアが当然のように整然と詰め込まれてる様を見ると、それだけで楽しくなったりする。
 基本的に残酷なトーンが作品の底に感じられる『ヴォイニッチホテル』と違って、こっちはもっとシンプルにほっとする話や、日常系に近い楽しげな話なども収録されてあるので、その構成要素から色んな楽しみ方がありえる道満作品の、幕の内弁当のような感じだろうか。色んな美味しそうなものを、ちょっと物足りなくもなるかも程度に配置した、基本腹八分目のマンガと言えるかもしれない。
 個人的にはヴォイニッチホテルの完結が大本命ではあるけれど、でもこっちも味わいが多彩で、枕元とかに置いておくと毎日別の話を読んで楽しめるような作りになっていると思う。と同時に、その多彩でコンパクトな味わいが、8ページの中でどのようにしてできているか、技巧的に見ていくのもまた興味深い。マンガ作りに限らない、テンポ感とか、雰囲気作りとか、そして根っこの部分のリリカルさとかが見えてくる。何よりも、道満先生のミックス感覚は、マンガに限らず世の中の色んな文系カルチャーの中でも、とりわけオタク的に雑多でカラフルでポップなので、その感覚を特に多種多様に味わえるこのシリーズは、その感覚をまざまざと見せつけられて、とても羨ましく思うところです。

 以下、各話のレビュー。



Scene 1 Grim Dead
 他の巻と同じくフルカラーで掲載されている。細やかに影のコントラストをつけない氏のカラーの絵柄は、特にメルヘンを扱ったこの話においては、色はカラフルだけどトーンは少し薄めで、全体的にシミっぽい加工が施してある。カラフルさの中顔だけ黒塗りされているのと相まって、カラーの割にきつくデフォルメされたダーティーさ・ダークさが感じられる。
 話の筋自体は全く救われ様がないほど暗い。童話の登場人物たる女の子たちは、他人に対しても自分に対しても破滅に向かう途上にある。食欲の暴走という呪いは、その発生源たる魔女すら食いつぶされた中で行き場を失いかけ、そして他の森=他の童話世界を食い尽くしに向かう。この構図に何かしらの比喩を結びつけることは可能そうだけどここでは控える。
 最終巻の冒頭だというのに、実に不穏で虚しいはなし。タイトルと相まって、冒頭からこの本全体にうっすら影を落とすようなゴシックメタルな輝きを帯びている。元々寓話っぽい作風と言われがちな道満先生の作風は、特に寓話そのものな話のとき(=現実っぽさを離れたとき)に最も暗くどうしようもなくなるような気が、この本のこの話やScene 9なんかを読んでてもそんな気がしてならない。

Scene 2 迷子のチーコ
 この本の表紙にも選出された話。深い森に迷い込まんとする少女のファンタジックな表紙に対して、実際の話は非常に身近な場所で行方不明になる(のは表紙詐欺じゃないか…なんて)。
 表紙のカラーイラストではそうでもないけど、白黒の本編で見ると、このチーコというキャラはとても存在感が淡い。これは多分、髪も、本来黒目の部分も白いからだと思う。特に話の後半は、着てるものも白くてトーンも貼ってない。裸になるといよいよ白くて、細くて、ふとした拍子に夜の暗さに飲み込まれてしまいそうなくらい。彼女の彼氏はそんな様に結果的にずっと振り回され続ける。
 迷子になったときの目印にしてた黒猫や、その喪失を告げるおばあさん等、この話の特に後半は白黒のコントラストが強調されて、その中でふっと物音も立てずに消える彼女がなんだか不思議に儚い。前話から一転日常世界で展開するこの話からは、そんなふっと日常からわき上がるような不思議さともの寂しさが香ってくる。こういう香りにおける砂糖加減について、道満先生は本当に上手なんだと思う。

Scene 3 リノベート・アト・ランダム
 手塚治虫ライクな惑星開拓SFの話。星ごとリノベーションするという考え方といい、その結果が人類の発展の起源になりそうというオチといいそれっぽい感じ(最後の惑星の絵柄は絶妙に地球っぽく見えなくもない感じの陸地している。単行本オマケページでタンザニアという実名の地名出てるし多分ホントに地球)。
 今作でも最も気楽に読める。SF的な悲劇や寂しさみたいなのは一切なく、一回の天候操作とコメディ調のセックス(2話連続で割と直接的なセックス描写がある)から話はおかしな方向にのみ転がり、SFチックなオチに向けて順序よく進行する。
 よくよく考えると、この星の原始人類(=地球人)からしたら、巨人の進撃のような感じだったのだなあ。それも超ハイテクな。あっさり天変地異を崇めてついでにセックスし始める様がしょうもなくてかわいい。

Scene 4 食餌の衝動
 食人狂とそれに捕まった家族、というか姉妹の話。または不幸に不幸がかち合うと稀に何かが解消することがある、という話。
 スマートな食人狂キャラのいでたちはヴォイニッチホテルのホロンという悪魔にちょっと似てる。この食人狂が、あくまで自分に関わることだからだろうが、姉妹の親たちについて彼なりの方法で推察していく。その推察通りの事実から、最後姉が吐き捨てるような言動をするに至る結末は、個人的には岡崎京子の短編『エンド・オブ・ザ・ワールド』を思い出した。とっさの機転で危機をくぐり抜ける彼女の、倫理観から自由な発想が黒くも眩しい。総じてソリッドな後味が心地よい。

Scene 5 魅惑のヴンダーカンマー
 ニッケルオデオンの世界観には2種類あると思っていて、それは「現代日本っぽい場所の日常のちょっとした話」の世界と、それ以外(ファンタジーだったりSFだったり歴史上の話だったり)の話とに大別できるような気がする。で、この話に出てくる魔女が、「現代日本っぽい」方の世界の幾つかの話を‘接続’する、何気に重要そうなキャラになっている(この辺に関しては最下部で書きます)。
 近年一部界隈で活況の単眼キャラたるこの魔女。様々な話があるニッケルオデオンだけど、それでも基本的には「(外見上は普通の)人間の」物語である。その中でこの単眼キャラというインパクト、存在感はすごい。割と普通の現代日本っぽいサイドの世界における、様々な不思議な出来事の発生源、この世界の特異点ではないか、とさえ思う。単眼であることに何の違和感も感じない周りも大概不思議世界に染まっているとは思うけれども。
 そんな彼女のヴンダーカンマーのコレクションの数々、そしてオチを見ると、そのコレクションのどれもが、そのモノにまつわる物語があるんだろうなあ、と思わせられる(まあ博物館ってそういうものでしょうけど)。そのためか、彼女は単にモノを集めるだけでなく、物語を蒐集しているのではないか、と思ってしまう。そう思うと、このニッケルオデオンという一連の短編集的な作品も見方が変わってくる気がする(これについても最下段で)。
 一応音楽ブログである当方としては、カートコバーンのショットガンがあるということは、エリオットスミスのナイフとか、ニックドレイクが最期に聴いてたバッハのレコードなんかもあるんかな、と思いました。
 

Scene 6 とある家族の飲尿
 IKKIでの連載再会時の最初の話がこれ。その最初の1ページ目として、満を持して繰り出されるセリフの清々しいどうしようもなさが素晴らしい。狙い澄ましたかのようなひどいガジェットの用い方に、休止中に再開時どの話が一番鮮烈か色々考えや話し合いがあったんじゃと勘繰ってしまう。
 全体的にひどい話をちょろっといい話風にする手管はホント上手。だが、この話がニッケルオデオン緑収録のカエルにされた姉の呪いを解く話だと気づくと、話の見え方ががらっと変わるのでびっくりした。小学生の妹の非処女も面会謝絶もそういうことかよ!と、色々条件が覆って見える。それでも、そんなまず現実で起こりえないような倒錯しきったシチュエーションでも、普通のドラマ風ないい話っぽさを導きだせるのは何気にすごい気がする。というかその前の話でお姉ちゃん美人だけどクズだから、って言ってたけどこの話では一番常識人じゃ…魔女の機嫌を損ねた、って何をしたんやろ…。
 あと何気に縦セタ非処女のお母さんがエロい。おっぱい。

Scene 7 不死体コンストレイン
 constraintは、脅迫・束縛などの意。コンピューター用語でもあるらしい。
 主となるキャラの元ネタが分からない。外見は『ぱらいぞ』のレズビアン番長で(何故か連載再会時のIKKI表紙を飾っていて、なんでその月の話とズレてんだ?と思った)、手は『寄生獣』ミギーのようでもあるけれど、そこに‘開拓時代’等のアメリカンな要素が絡んでよく分からない。
 捕食のための‘制約’がどういうものかの説明が実にさらっとしていて上手い。そこに『銀河鉄道の夜』のサソリのエピソードをイタチの側から言い出す理不尽な脅迫、そしてその思惑が見事にサソリ側の状況により「偶然に」回避されて逆転し事態が硬直するオチまでの流れは、滑らかでかつがっちり構成されている。
 しかしこの話、単行本おまけ部分のオチが更にその上で印象をかっさらってしまってる。なんでそうなったんだよ!?ってかカバー内側までその話かよ!?表紙の話じゃないのかよ!?っていうかお前ノンケかよォ!?と、色々ビックリした。道満先生この造形のキャラお気に入りだったのかしら。

Scene 8 かいばみ幽霊
 まるで落語チックなオチ。活字ネタではあるけれども。道満先生は何気に落語ネタが結構ある。『ぱらいぞ』では落研のエピソードにかなりページを割いていたし、またニッケルオデオン赤収録のポケモンバトルみたいな話でも、古典から引用しまくりな技名の中で落語から引用されたものも多い。落語見なきゃ(使命感)。
 確認すると、ニッケルオデオンでは一冊につき一話BLネタがある。周期とか計算されてる…?どんな形状になってもホモが嫌いな女子なんかいないのかもしれない。
 菅原さんは三度目の登場。こいつの周りホモばっかじゃね?

Scene 9 ミシュリーヌとその中の者たちの話
 今作中(=ニッケルオデオン全話)でももっとも童話的な雰囲気のエピソードで、それは普段以上に極端なカートゥン風のデフォルメが利いた絵柄からも察せられる。そして、今作中もっともやるせない話でもある。やはりファンタジーに寄った道満先生は容赦ない。
 全くの異常事態かつ閉鎖的だが安寧な世界、そのある意味とても情けなくぬるいユートピア感・牧歌的な雰囲気は、しかしすぐにその終わり=不穏な死の影がかき消してしまう。終わっていく理由がファンタジーな世界観に反して非常に現実的な病理であるところ、そしてそれがまるで天変地異と重ねられるように表現される辺りに、乾いた感覚とファンタジーさの狂おしいほどの同居が見られる。黒い月。そしてそんな世界=彼女をそれでも想い続ける男たち、そのやるせなさ。ラストの落ちも、照れ隠し程度の下ネタがまるで機能していない程の虚しさがある。想う人の便に包まれながら眠るように死んでいくっていうシチュエーションが一周回って凄く奇麗で悲しく見えてくるような。
 巨女のルックスは性本能シリーズの風俗店の話で出てきたゾンゲリアさんという不思議少女とちょっと似てる。目隠れ巨女…フェチズムが事故ってる感じがすごい。

Scene 10 ほうき星のナルナ
 ニッケルオデオンで唯一のネトゲものの話。ネトゲと現実との関係性でさらりと話を作っている。ファンタジーものもネトゲものも性本能シリーズでもそれぞれ話があったが、この話はニッケルオデオン仕様といったさっぱり感。
 ある困難があって、それをバネに、というよりもそれこそを糧に、理由にして何か極めようとする人の話、とまで言うとちょっと違うかもしれない。何にせよ、優しい世界、といった感じ。
 訳知り風なエルフ耳の戦士は何者なんだよ…。
 
Scene 11 積めない方程式
 SFの古典『冷たい方程式』のパロディ。ぼくはその原作を未読で、ウィキペディア読んだ程度の知識しかないので下手言いそうだけど、原作と、そしてそれに対する批判、つまり「方程式もの」と呼ばれるジャンルで交わされる問題意識を踏まえて作られた話のようだ。
 カルネアデスの板とも呼ばれ、またマイケル・サンデルの講義でも有名な道徳的ジレンマの話、かと思わせておいてしかし、対話するキャラがお互いに嘘をばらす辺りでさらっと問題が別の箇所にずれていく。この話ではそういう道徳についての議論をさらりとずらし、ガンダム以降的な暴力的SF世界でのちょっとしたいい話、といった纏め方をしている。
 道満先生の物語世界上では、さらりととんでもなく酷いことが行われ、そしてそれに対してどうこうするでもなく物語はあっさり進行する。時にはその酷さに感謝したり(Scene 4)、またこの話のように僅かな抵抗をしたりする。氏のいい話は、そんなどうしようもなさを前提とし、倫理観を曖昧にさせる。

Scene 12 OKEYA
 女子中学生とおっさんたちがそれぞれしゃべくり倒してるだけの話、とも言える、ある意味とても平和で日常系な話。日常系ストーリーテラーとしての道満先生の実力が垣間見える(ちょっとした小骨はあるが)。
 女子中学生パートはひたすら楽しいばっかりだ。‘風が吹けば桶屋が儲かる’をお題にして三人組の連想ゲーム的なテンポの会話がずっと続く。三人で一番冷静にツッコミ的なポジションにいた伏見さんが宇宙人の話で突如ヒートアップするとこがかわいい(この娘が一冊前の冒頭の話で飛び降り記憶喪失に何度も挑んでいた娘と同一人物とは。「脚立とか重くて運べないよ」とけろっと言っちゃうものなあ。殺伐感虚無感ばかりのニッケルオデオンで、次の話にも出てくる虎娘と並んで、一番幸せになれたキャラかも)。
 最後1と2/3ページがおっさんたちの話。‘風が吹けば〜’を‘バタフライエフェクト’に接続してネタにした形。だけれどもそれ以上に、事件の収拾を付けたおっさんたちが美味そうにうどんを食う姿に、平和だなあ、と思ってしまう。というか、桶でうどんって食うもんなのか…?

Scene 13 うたかたの日々
 最終話、といっても特別感動的な話でもない、むしろオチはかなり軽めだが、それでも最終回をさらりと感じさせる内容。
 動物園の鳥に恋をしたから別れる、と言いだす彼女。当然怪訝な顔をする彼。ニッケルオデオン第一話の虎娘のことが都市伝説めいた噂話にまでなっている。
 彼女が消えた後、彼がモノローグで語りだすその都市伝説の数々(‘愛する人に月まで追いかけて欲しくて行方をくらました女科学者の話’‘トイレに行くだけなのに迷子になった少女の話)。ここで、これまでの基本独立した各話がまた連結させられる(その辺は下で纏めます)。最終回的なせつなさがある。
 夜の動物園。噂話と思っていた不思議な出来事が本当だったことに、そして自分の彼女だった人がまたその不思議に触れつつあるのを見つめて、戸惑いながらも納得しようと努めて煙草をくわえる彼に対して、ゴリラが一言「ここ禁煙だよ。」「あ、すみません…」。それでこの話は終わり。
 最終話だよな…!?本誌で読んだとき、そのあっけなさすぎる終わり方にちょっと驚きながらも、まあでもこの作品ならそんなものかもしれない、と思った。ちなみにその最終話最終ページの編集のアオリ文は「ウホッ、いいマナー。」でした。だから最終話だってば!
 よく見ると最初のページ下段のコマの端にScene 6の飲尿ジジイがいる。このレベルで持ち直したのか…。



[各話のつながりについて]
 最終巻ということもあってか、この巻には前の巻の話と繋がっていくような話がいくつか収録されている。これらを確認していくと、Scene 5で述べた「現代日本っぽい世界」の上で展開された話のうちの少なくとも幾つかが、確かに同じ世界、同じ時間軸で起こった話っぽく見えてくる。ので、最後にそのつながりを見ておく。

・Scene 5 魅惑のヴンダーカンマー
 →(カエルの呪い)緑Scene 3 かわずカーズ
 →(ポケモンチックな魔法使い)赤Scene 12 パラケルススの愛弟子達

・Scene 6 とある家族の飲尿
 →(妹・入院患者が同じキャラ)緑Scene 3 かわずカーズ

・Scene 8 かいばみ幽霊
 →(菅原というキャラ)赤Scene 2 コピ・コピ・ルアク
            赤Scene 7 ヒールとスニーカー

・Scene 12 OKEYA
 →(伏見さん(くん)というキャラ)緑Scene 1 コロンバインで給食を

・Scene 13 うたかたの日々(最終話だからか、つながりがお祭り状態)
 →(飲尿じじい)青Scene 6 とある家族の飲尿法(→)
 →(虎娘)赤Scene 1 Heart Food
 →(女科学者)赤Scene 5 竹取パラダイム
        →(科学者イズミ)赤Scene 4 カクリヨジョウント
                 緑Scene 6 遊星より愛をこめて
 →(迷子の少女)青Scene 2 迷子のチーコ

特に緑Scene 3と青Scene 6、Scene 13が繋がるのはかなり大きい。すなわち、SFも歴史物もファンタジーもなんでもありのこのニッケルオデオンという漫画において、少なくとも以下の話は、同じ世界・同じ時間軸上の話である可能性が高い、ということになる。

・赤Scene 1 Heart Food
・赤Scene 4 カクリヨジョウント
・赤Scene 5 竹取パラダイム
・赤Scene 12 パラケルススの愛弟子達
・緑Scene 3 かわずカーズ
・緑Scene 6 遊星より愛をこめて
・青Scene 2 迷子のチーコ
・青Scene 5 魅惑のヴンダーカンマー
・青Scene 6 とある家族の飲尿
・青Scene 13 うたかたの日々

これだけの話の中の不思議なことやキャラが同じ世界にいるということは、ニッケルオデオン上の現代日本は大概不思議なことで満ちていそう。
 意外なのが、赤と緑では結構各話のリンクがあったキヨスバシさんシリーズが、ほぼ間違いなく同じ現代日本の世界の話だと思われるが、上記の一連と直接のつながりを見いだせないこと。この最終巻でキヨスバシシリーズの話がないのがちょっと寂しい、といった感想をネットで散見したけれど、それはこういったところで意外とつながりがなかったりすることもあるのかもしれない。

 この上記のつながりを観て思うのが、青Scene 5における蒐集家の魔女の存在である。ニッケルオデオンという言葉の意味は20世紀初頭にアメリカで流行した庶民向けの小型映画館のことだが、このニッケルオデオンというマンガ自体が、魔女が蒐集した物語の束じゃなかろうか、と思ってしまったのである。であれば、魔女が存在する現代日本の物語はもとより、歴史やファンタジー、SFなどのラインを超えて色々な物語があることにも、まあ魔女だから、色んな世界の・時代の物語持っててもおかしくないよな、と考えられる。
 地の文、という視点がどうしても存在してしまう小説と違って、マンガは映画とかと同じように、写実をそのまま作品にするため、本来どの視点から物語が作られているかなど考えなくてもいい媒体だ。しかしここで作者たる道満先生というメタ的存在をとりあえず無視して、この一見脈絡はないけど、全体を通じてどことなく悲しげで、不思議で、そして可愛らしい(絵柄を中心に)物語はどういった意図でひとつの作品として並列されているんだろう、と、その必要性を考えてしまうと、この魔女という超越的存在に目がいく。何気にIKKI最終号の最後の最後の読者カードにもコレクションのサーベルタイガーくん(骨)と一緒に登場したこともあって、この魔女が一連の物語の中の超越者であり元締めなんだろう、みたいな感じがした。機嫌を損ねて人をカエルにしたり、ジト目から優しい目まで実に様々な表情をするこの魔女は、悲しい、虚しい、寂しい、不思議な、変な物語を集めるのが趣味なんだろう。
 …とここまで書いていて思い当たったのが、その魔女と似たような趣味指向が多少なりともあって、このマンガや他の道満作品やら、他のマンガやら映画やらドラマやらアニメやらCDやらを鑑賞したりして暮らしている我々自身のことでした。ダラダラ書いて最後ただの自己言及だよ!
 道満先生お仕事頑張ってください!おわり。