読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

【か】カナリヤ/THE YELLOW MONKEY

もっと日記のように書ければ更新ペースも早くなるのかもしれない。

吉井和也関連作品の中でイエモンの『8』だけなんかやたら好きで、それは高校生くらいの頃に中古ではじめてイエモンのCD買ったのがこれで、なんか聴いたことあるシングルとかも多くて良かった、みたいなのもあったのかもしれないが、今聴いてもやっぱすげえいいなって思って、それでちょっとよく考えたら、このアルバムは全体的にSFチックなコンセプトがあって、そこがなんかいいんだなあって気付いた。

「SF」というジャンルの雰囲気や付随するガジェットのなんかいいところとは、ファンタジックなあれこれもドラマチックなあれこれも悲しみも退廃も死生観も、すべて無慈悲で無感動的なテックを基として置き換えられるところだと思う。文系なのでちゃんとした工学的なあれこれ、理論的なあれこれは全く分からないけれど、とりあえずは「全ての出来事が工学的な説明がついてしまう」ということになることで、あらゆる要素に現代的・未来的・物質的な万能感・虚無感・神経質さなどが宿るところが文系的には大事なんじゃないかなと、勝手に思ってる。

そんな感じを求めたからかどうか知らないが、この『8』というアルバムの楽曲は、ともかく随所に「悲しげな」SF的な香りがする。サウンド的には電子音の多用や、バンドサウンドにしてもどこか無機質なリズム感・アレンジだったりが散見される。これはそれこそ本人らが日本盤のライナー(伝説的な…!)を書いたRadiohead『OK Computer』辺りからの強い影響下にあると思われるが、それによりこれまでもっと弛緩ドロドロのハードロック歌謡していたサウンドは一気に逆ベクトルの緊張感を得た。それはさしずめグラム時代からベルリン時代へのDavid Bowieのキャリアの変遷のような。

歌詞も、今改めて見返すとSF的、それもサイバーパンク的なフレーズがちょいちょい散見される。1曲目からアンドロイドの歌だったり、インストナンバーの曲名が『人類最後の日』だったり、最後の曲に出てくる「巨大なモーターのエスカレーター」とか(歌詞だけで見るとSF要素はアルバムのみ収録曲に偏っていて、シングルからの収録曲の多いこのアルバムでは言葉的なコンセプト自体は後付けチックなものだったのかもとも思う)、あとブッックレットの吉井の写真に機械が被せられたり。また、SF的な音の装飾があると、他のもっと自然的な歌詞なども聞こえ方が違ったりする気もする。

総じて感じられるのは、閉塞しているような虚無しているような、息詰まるような雰囲気だ。それに発売当時ならバンドの終焉が重なってまた別の悲壮感もあったんだろうか。何にせよ、その世界観の厳しさと美しさに、この作品特有独特の吉井やバンドのセンスが現れている。それはそれまでの作品の、どこかロックスター的なものを背負った作風とはかなり違った、不思議で無力無情的な魅力だ。

このままではアルバムの話だけで終わりそうなので、そろそろ『カナリヤ』の話を。この曲も、本作で数少ないアルバムのみ収録の曲。やはりSFコンセプトがより活きているのか、プログラミングされた電子音がバックで静かに旋回していたり、メインフレーズのひとつにアナログシンセの細い音色を使っていたりする。その横で整然としたハードなギターリフやビートルズライクなアルペジオが鳴るのもまた、ビンテージ感を脱臭してSF的な異化効果を発揮しているような気がするのは流石に思い込みが過ぎるか。

単純に曲が凄くいい。極端なデカダン・ゴスでもなく、お茶の間まで届く楽しいハードロックでもなく、壮大でもなく、着飾り感(これもイエモンの大事な魅力だと思うけれども)が薄くとても素直に、歩く程度のテンポで、4分未満の尺で、吉井和也の歌謡ポップさが奥ゆかしく花開いている。ブレイクから駆け上ってそして落ちていくような2段階サビの構成もかっこいいし、間奏から半ばCメロみたいに突入してあっさり終わる最後のサビなどは邦楽界きってのCメロ職人である彼らしい魅力がある。

吉井の歌唱も、バンド活動休止以降のソロ的な憂鬱さとバンド的なパワーとを適宜使い分けるスタイルで良い。そして歌う内容もまた、微妙に繋がらない感じに配置されたセンテンスの中に、少年的でいてかつちょっと乾いた、不思議な寂寥感が美しく揺らめいている。
あしたを眺めていた/遠くで眺めていた/OH YEAH
 そこには悲観が転がっていた/先には小さな花が咲いていた

無意味で無情に広い世界と、どこにも行けない「僕」との、痛々しくもよくある対比が、端的に描かれている。そう、このアルバムを占める閉塞感の、最も平和的日常的でかつそれゆえにどうしようもない形での表現が、この曲なんだと思う。
かごの中であの夢は/一人だけの妄想にした
 たとえ空が晴れていても/全然忘れてない/全然忘れてない/あおむけで眠りたい

空が晴れていたら忘れるものなのか、とも思うけど、これはつまり「晴れた空」が虚無感の表現に使われるアレで、そういうの個人的にとても共感する。しかし「いつの日にか/あおむけで眠りたい」という表現はすごい。どれだけ息苦しい状況だろう、そしてそれは事件ではなく日常なんだ。そういう意味ではぼくだって、いつの日にかあおむけで眠りたいものですよ結婚おめでとうございます吉井さん。

ぼくが近頃SFSFうるさいのは、単にニンジャスレイヤーにはまっているからです。生活の時間を大分持っていかれてしまっている…。でもホント、すっごいキャッチーで分かりやすいサイバーパンク小説なんじゃないっすかねこれ(全然SF詳しくないけれども)。