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ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

【く】グライダー/advantage Lucy

ギターポップって眩しい太陽・元気な少年少女たち!ってイメージはあるけど、でも肌は白っぽくないといけなさそうで微妙に難儀ですよね。

ギターポップ」という概念がある。あるし、みんな使っているけども、しかし明確な定義とかはよく分からないし、みんなそんなに気にしない。まあ、「ギターロック」よりは皆の思い描くイメージに差が出ないんじゃないでしょうか。

ギターポップに必要なものとはなんだ。爽やかさ?アルペジオ?疾走感?リッケンバッカー?ぼくが個人的に思っているのが「少年少女チックな勇敢さ」だ。

なんか精神論チックで暑苦しいけど、とりあえずそれだ。だって爽やかギターポップに乗ってドロドロ痴情もつれほつれな歌はイメージしないでしょ(案外新しいかもしれない)。スミス?オレンジジュース?フリッパーズ?あいつらはネオアコだ。ネオアコは「子供っぽい勇敢さ」の代わりに「痩せてそうなシニカルさ」が来るんだ。ネオアコギターポップもよく並列されるものだし分けて考えるのは違うんじゃねーの?という意見はごもっともだが、とりあえず上記の定義をとりあえず言ってみるのにその二つは分けとく必要があるんだ。おれもその場限りの思いつきを言ってるだけなのでご容赦してほしい。(「『カメラ!カメラ!カメラ!』ギターポップヴァージョン」という名称…?やっぱりフリッパーズギターポップなんじゃ…)
言い訳を打ちながらもさらに踏み込むと、ギターポップという語は日本で生まれ日本国内のみで言及される概念のような節がある。歴史的に追えば、イギリスのネオアコがポストパンクの一形態として登場して、それが渋谷系とかなんかで日本の音楽シーンに受容されていく中でいつの間にか「ギターポップ」なる単語が生まれた、という経緯でそこそこ合ってるはず。個人的には、その受容の中で何かしらのネオアコギターポップへのイメージの変遷があったように思うということ。言ってみればそれは「シニカルさの漂白とイノセンスの強調」だろう。白く眩しい光に純化していく、そんなイメージがギターポップという語にはなんとなく付き纏う。
(勿論海外にも「ああーこれはギターポップですねー」と思う曲は山ほどあるけれど、それらは向こうからしたら「パワーポップ」とか「インディーポップ」とかそんな感じの扱いになって、あくまで日本から見たときに「ギターポップだなー」ってカテゴライズするという感じ、になってるんですかね。そういう意味でもギターポップは日本的な概念ということでいいんだろうか)
さて、上記のような意味で、ギターポップという語をまさにそのまま体現しているバンドこそが、advantage Lucyだと思うのです。「透明のある女性ボーカルやサウンド」と形容されるそれはまさにイメージ直球。勿論シニカルさが全くないとまでは言わないけど、それでも少なくとも音楽性が急にコートニー・ラブみたいになったりはしないでしょう。

今回の文章ギターポップって言い過ぎじゃなかろうか…。以下も多用。

今回の選曲『グライダー』は、そんな彼女らの3枚目のアルバム『Echo Park』の先頭を飾る曲。このバンドは一時期メジャーレーベル(東芝EMI)に所属していて、やはりその時が全盛期、みたいな雰囲気があるのかもしれない。そこからインディーに戻り、活動の密度やら何やら変わっていき、そしてメンバーの脱退・死亡なんかもあって、その後に出たものがこのアルバムだった。それを「待つのが長かったけどルーシーは変わんないね」と言う人もあれば「昔とは違ってなんか寂しいね」と言う人もいるらしい。

私見を言えば、このアルバムは日本で最高のギターポップアルバムだし、『グライダー』『Anderson』は日本ギターポップ界でも至高の楽曲だと思ってる。ギターポップが、ここにある!って感じ。

アルバムについてさらに言うと、上記の通り今作は所謂“全盛期”を過ぎてリリースされた作品である。つまり、人生に一度しかないかもしれない「青春の渦中」(本人たち的にそうなのかではなく、端から見ての話)を“過ぎてしまった後”に作られた作品である。予備知識に左右され過ぎな上感情論的でアレだけれど、それでもやはり、サウンドや歌詞に「渦中にはもういない」ことによる落ち着きや整頓のされ方があって、今作を苦手な人はそこが全盛期と違うと感じるところかもしれないが、個人的にはそのことが、このアルバムをずっと聴けるものにしている気がする。

『グライダー』について。これぞadvantage Lucy!って具合に開けたメジャーコード感が印象的なソングライティングの良さは勿論だが、この曲の最大の特徴はアルペジオが殆どないこと。その代わりに、リードギターは終止カッティングを続ける。このカッティングの多彩で自由な感じこそが、この曲の想像力を飛躍させる最大のアイテムだ。細かくフレーズを反復させながら駆け上がっていくこのプレイが、この曲のタイトル通りのイメージをより羽ばたかせていく。それはまるで、機械仕掛けのグライダーを自作して飛んでいこうとする少年少女のような。

この曲には、ギターポップ的な繊細な勇敢さとともに、そんなリフや、突き抜けていくようなサビのメロディラインに現れるようなある種の力強さが感じられる。要所要所で素晴らしいかき鳴らされ方をするアコギや、ドラムプレイの細やかさなど、相当丁寧に仕上げられたアレンジが、ある意味では全盛期的な勢いを削ぎながらも、それとはまた別の穏やかな力強さを与えているように、予備知識に左右されまくった頭だけど思う。

穏やかな力強さ。それは、言葉にしてしまうと少し嫌になるけど、より大人的な落ち着きを得た上での、少年少女的な勇敢さがあるんだと思う。
思い出すんだ/あの風/あの陽射し/忘れようとしたって/そばにいる
その感覚は、マンガでいえば登場人物は少年少女であっても、少年誌ではなくもっと年齢層上でかつヤンマガとかでもなく、マイナーな雑誌(少なくともアフタヌーン以下)のそれみたいな感じと言えばいいのか。大人になってしまった目線で、子供の頃の切なさみたいなのは確かこんなだったよな、と噛み締めてエミュレートしていくような。
白く伸びる/雲に沿って/僕らは今/走るよ
 瞬いては/遠くなる/憧れを/追いかけたまま
 降り注ぐ/木洩れ日はそっと/穏やかに/心を照らす

彼女らのキャリアの変遷がぼくにそう思わせてしまっているところはあるにしても、この少し夏枯れしたようなギターポップは、それゆえにいつまでも高く、飛んでいけるような気がする。せこい考え方かもしれないが。

前回といい、だんだん文章が老害ノスタルジックになりつつあるんじゃないか…?