ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

【け】劇場支配人のテーマ/THE PINBALLS

当初は【け】はゲットアップルーシー/thee michelle gun elephantで考えていたけど、最近買った忍殺コンピのこの曲もよく考えたら【け】の段の曲だし、どっちも割と路線も近いマイナー調ファンタジック・ガレージ・ロックンロールだし、そしてその他色々な要素により、こっちにしました。

自分のTwitterやこのブログでちょいちょい触れる通り、ニンジャスレイヤーにはまり込んでいる。存在自体はもう少し前から知ってはいたけど、結局4月から始まったアニメイシヨンがきっかけとなって、大概時間を裂き原作各エピソードのツイッターまとめを読み漁り、一応大体のエピソードを読み終わり、やや重篤寄りのニュービーとヘッズなった(はず)。

そんな日々の中アニメイシヨン3話のエンディングがこの曲だったのだ。
ちなみにこのアニメ、EDを毎回別のアーティストの曲が担当する形となっており、つまり全26話予定なので全部で26種類ものEDが存在することとなり、しかもそのアーティストの人選も1話2話でBorisMelt Bananaだったりと、実際ジョジョ以上にオルタナな範囲からの曲名からもじった名前等が登場することが多いこの作品の作者もとい翻訳者の趣味志向が全開で、一気に日本のオルタナティブアンダーグラウンドロック周辺のショーケースの場めいている。

はじめて聴いた時の印象を言うと、これより前のED曲がBoris『キルミスター』とMelt-Banana『Halo Of Sorrow』で、「全然アニメのEDらしくねえ!」と思ってた(特にMelt-Bananaの方は超強烈だったなあ)ので、「おっここに来てやっと割ともっと歌っぽさのある曲が来たゾ」って感じだった。あんなにガレージロック全開な曲なのに!あと最後のサビ前の「アイエエエエエエ!」のシャウトはあざとくもかっこ良かった(「アイエエエエエ!?」はニンジャスレイヤーの作品中で多くのキャラが発する驚嘆・恐怖とかのシャウト)。

そしてそのアイエエエエエ!のシャウトがやっぱキャッチーだったのか、上記の中毒動画がすぐに作られ、そして一気に再生回数が駆け上がっていく。アニメ後半の実写パート(!?)のインタビューの際もボーカルの古川氏がニンジャスレイヤー原作に対する愛着と情熱を語り倒し(「ザ・ヴァーティゴになりたい」!)、忍殺側のファンを強く引き寄せた感がある。

そのマッチングの良さの最たるものが、やはりこの曲の歌詞だ。例の「アイエエエエエエ!」の部分以外は直接的にニンジャスレイヤー的な単語(いわゆる「忍殺語」)を全く含んでいないにもかかわらず、忍殺原作のマッポーでサツバツな世界観と平行するようなキリキリしたリリックが、ニンジャヘッズに強く響いた。
(これはむしろ、忍殺もTHE PINBALLS も両方とも、殺伐とした作品、例えばそれがロックであれば、Blankey Jet Citythee michelle gun elephantに影響を受けているとも考えられる(←アッコラー!原作者はアメリカ人で連載は90年代半ばからだッコラー日本のバンドからの影響とかあり得ないッコラー!)。そのためか、THE PINBALLSについてよりいろんな曲を聴いていくたびに、今回のこの曲が特別に忍殺の世界観に“寄せた”曲でもないことが判り、その分むしろ忍殺とバンドの自然なセンスの共鳴感が光っている)

より忍殺的な内容を踏まえて言えば、この曲の歌詞に綴られたストーリーは「サツバツで救いの無い世界で汲々とするモータルの悲哀とその捨て鉢な叫び」といったところか。忍殺では超人然としたニンジャたちの活躍は勿論、非ニンジャ=モータルの、ネオサイタマというサイバーパンクで救いの無い街で暮らしていく上での悲哀や奮闘もしばしば描かれている。この歌詞における「劇場支配人」もまた、支配人という概念の負担の部分ばかりが積み重なった、今にも崩れ落ちそうな生活苦を背負った男として描写される。
金を借りてるままの恐ろしいブリトー兄弟が
 きっとやって来るぞ逃げ場はないぞ

しかしながらそれでも劇場支配人、ショウこそが仕事にして食い扶持にして人生。ショウ・マスト・ゴー・オン。2番のサビから(EDバージョンなら1回目のサビから)ギターソロも無くソリッドに展開していく最後のヴァースで、この男は結局その生業に向かっていかなければならない。
さあショウを始めよう/もう後がないやつらのため
そして自棄と奮起と絶望とその他酒とかによる混乱とかなんかそういうのが綯い交ぜになった末の「アアイエエエエエ!!

楽曲自体も見ていこう。コンピレイシヨンを購入できて発覚した、この曲の尺の短さ。3回ヴァースとサビを繰り返しているにも拘らず、僅か2分42秒というソリッドさにまず舌を巻く。これは特に曲の最後が歌が終わると同時にあっさりと演奏も終わってしまうことが大きいが、この結構思い切った手法を、この曲ではそれを不自然に感じさせないどころかむしろ「ああこの曲のストーリーを考えるとこのアッサリ感はまさにマスト」って思わせるくらいにハマっている。

ソングライティングとしては、マイナー調のガレージロック直球。これは特に後期THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(以降のチバユウスケ作品もか)が強い影響力を持っている領域であろう。しかし、より殺伐で獰猛な感じのある後期ミッシェルやそのフォローワー的なものと比べると、THE PINBALLSはもっとしなやかだ。そこに、大文字のロックンロールの“ダサさ”を認識した上で、何らかの確信的な意図とセンスを持ってあえてそれをする、というバンドの姿勢が垣間見える、と書くと穿ち過ぎかもしれない。

そう、 この曲に限らずTHE PINBALLSの楽曲全般に言えることだが、サウンドの軸は明らかにガレージロックなのだけど、ソングライティングのセンスが結構歌心重視というか、それこそ他のガレージバンド勢と比べても遥かにメロディが書けるところが、彼らのとても大きな強みだ。そのメロディからなんとなく想起されるのはThe PillowsだったりGRAPEVINEだったり(ニコ動のコメントで挙っていた名前を並べただけだけど)、そんな感じの日本のバンド、言ってしまえば所謂ロキノン系的なドメスティックなセンスが、しかしガレージロックのサウンドに載って余計な臭みのない形で放たれる(それは勿論古川氏の、嗄れながらも少年なボーカルの魅力と効用も大きい)。そういったキャッチーな歌があるからこそ、リスナーは歌詞を聴く気になり、そして独特のややゴシックな文学臭を放つ彼らの歌詞世界に入っていく。

こういった特徴を踏まえて聴くと、今回のこの曲のソリッドなキャッチーさに改めて気付く。そして同時に、スカしたオシャレ野郎共が跋扈する音楽界で“ダサい”ロックンロールをぶん回すという意識、その演劇めいた客観的な知性が、この曲の「劇場支配人」に被ってくる。そう、この曲は実は「現代でロックンロールをする、その極々なスタンスを叫ぶ」曲なのだ、『劇場支配人のテーマ』とは「現代ロックンローラーのテーマ」そのものだ!
出来るなら神よお恵みを/それも金貨の恵みを!

……などと言うと、流石に大げさですね。ハズい。
キャッチーなロックンロールを量産してきたTHE PINBALLS。この曲で知れて本当に良かった。この曲も収録されるという今度の新譜『さよなら20世紀』(このケレン味!)もとても楽しみです。

折角だから彼らの現時点での最新アルバムも。キャッチーですげえかっこいい。『(baby I'm sorry) what you want』のガレージバンドの範疇に収まらない哀愁感とか最高にグッド。
忍殺コンピも、できれば全曲レビューしてみたいところ。最近よく聴きます。