ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『A Moon Shaped Pool』Radiohead(2016年の好きなアルバムベスト30枚:1位)

1位これです。

 1.『A Moon Shaped Pool』Radiohead

A MOON SHAPED POOL

A MOON SHAPED POOL

 

これが1位なのは単に、トム・ヨークの元妻、レイチェル・オーウェンが2016年12月18日に癌で死去したから。以下、感想とも妄想とも妄言ともつかない内容なので、読む必要は無いです。


Radiohead - Daydreaming

この作品(以下『AMSP』と記載)は、今年の年間ベストを作り始めた今月はじめ〜半ばくらいの時点では、7〜8位くらいでした。おそらく、何も無ければ以下のような文章を書いていたと思います。

世界最大のインディーロックバンド・Radioheadのこの本作を自分は当初よく分かりませんでした。サマソニに行こうと思って買ったくらいで、はじめて聴いたときもなんか地味だーって思って、しばらくは良さが分かりませんでした。いや、インディークラシックなる、最近ネットでそれを喧伝して回る人を見て嫌になった概念に結びつけて語られてるのを見た時、むしろちょっと嫌になったかも。完全な巻き込みで、この時のRadioheadなんもわるくねえ。

次第に何曲か良さが分かって来て、サマソニではその何曲かは楽しめたけど他はややポカーンとして観てた。あの時は他のアルバムからの曲が凄く印象に残ったのとあと人多すぎてとても疲れてたから、本作の楽曲はやや印象が弱かった。タナソーのレディへサマソニセットリスト煽り文を繰り返し読みすぎたせいもある。

サマソニ終わってしばらくして次第に、アルバム全体がしっくりきたのに気付いた。切っ掛けは分からないけど、これはとても陶酔的で美しくも心地よいアルバムなんだと気付いた。音楽的には、ともかくピアノの洪水という感じで、確かに今作をポストクラシカル的な目線で捉える人がいるのもよく分かる。『Daydreaming』をはじめ、多くの曲でピアノという楽器の透明感・冷たさを感じられる。それだけなら本当にポストクラシカルの作品になってしまうところを、やはりバンドであるからそういう演奏が入って来ることで、バンド的なフィジカルさ・緊張感が生じてくる(その辺のバランスは『Decks Dark』が最高)。ジョニーによるストリングスやコーラス等の色づけもジャケットの色彩を超えない程度の彩度で楽曲を美しくも哀しげに包んでいる。

それにしても、収録曲は結構作られた時期がバラバラなのに、元からこのアルバムをしつらえるために存在してたかのような質感は不思議。特に『True Love Waits』という超古い曲が、この作品の最後に我が物顔で居座っていて、それがとても奇麗に収まっているのが魔法のような感じ。それらのバランス感覚は、長年連れ添った妻との離婚等を経てブレィキンハートメィキッドレーィンしたトム・ヨークのSSW気質によるものなのか。『Present Tense』が静かに目立っているせいか、今作は普段以上にトムの存在を強く感じる。しかしその佇まいはとても儚く、頼りなく、微風に揺らぐ枯葉のような美しさがある。

Radioheadの作品で「力強いぜ!これからが楽しみでワクワクするぜ!」っていう感覚はそんなに起こらないと思うんですが、今作はしかし特になんか、不安な感じがします。歴代で一番ヨーロピアンな陰影を持った作品だと思いますが、それがEUとかで揺れるヨーロッパの状況と重なるからか、それともなんか謎の「出し切った感」があるからなのか。とりあえずバンドは来年も活動をするらしいので、静観。

 

状況は変わった。今はともかくトムが死なずに音楽を続けてくれることを祈ることしか出来ない。しかしどこかから聞く話だとトムは既に別の若い女性とつきあっていて、それはそれで割と普段通りに暮らしているとか。

今回のレイチェルの死にあたって、多くのファンが思うことはやはり、「トムはレイチェルがこうなってしまうことを予期していた上で『AMSP』を制作し、そしてその後のライブを行っていたのか」ということだろう。

もしそのような前提が全くのそのとおりであるならば…そうだったんだろうと思わせるフラグメントが『AMSP』には多すぎる。『Daydreaming』や『Tinker Tailor〜』など『AMSP』制作が本格化してから作られたと思われる曲の歌詞やPV、子守唄か葬送曲のように静謐なピアノ曲と成り果てた『Trune Love Waits』の存在、アルバム全体を覆う優しくも冷たい、この世とあの世の間のような雰囲気。

もしそのような前提が全くそのとおりであるならば、『A Moon Shaped Pool』というタイトルは何を意味するのか。ぼくはもう、それがトムが死にゆく妻に捧げた、棺桶的な何かに思えてならない。そしてこの考えのせいで、ここしばらくは全く生気が抜けてしまい、具合が悪い思いをしている。以下はこの思い込みを前提に話が進む。

仮に本当にトムがすべてをそう思ってこういう作品を作り、このタイトルを付けてレイチェルに捧げたのだとしたら、それは考えようによっては、最高にロマンチックなことなのかもしれないが、しかしこのロマンチックさを素直に心地よく受け入れることなどできるだろうか。

 

たとえば、ノベルゲーム。門外漢なので的外れなことを言うかもしれないが、こういうゲームにはトゥルーエンドとバッドエンドみたいなのがあって、それらの各ルートの中にはその“攻略対象”となる女の子などが死んでしまうこともままある。死んでしまうルートがトゥルーであることさえある。そういう場合、その死に方は概ね、美しいもの・耽美なものになってくる(と思われる)。

そういう視点からいくと、今回トムがレイチェルに捧げたこのエンディングはなんともノベルゲーム的な美しさに満ちていると言える。出来すぎているくらいだ。誰がここまで人の死(しかも制作時点ではまだ死んでもいない!)を飾るために準備して、ここまでの作品を作るだろう。もし本当にトムがそういう意図で『AMSP』を意図したならしかし、それは最早狂気そのものなんじゃないだろうか。申し訳ないが、現実はゲームではない。もし仮にトムが本当にノベルゲーム的な終末感の演出をして今作を作ったとして、そこから得られる情感とノベルゲームのそれとは果たして同じものになるだろうか。なるはずがない。

現実の死を装飾することは、それもボウイみたいなやり方ならともかく今作のようなやり方は、ひたすら虚しさと痛ましさで気分が悪くなる結果にしかならないように思う。

 

たとえば、追悼アルバム。古くはニール・ヤングがドラッグで死んだバンドメンバーやローディーに捧げた『Tonight's The Night』や、またはルー・リードジョン・ケイルが自分たちが世に出る切っ掛け(ヴェルヴェッツ!)を作ったアンディ・ウォーホルに捧げた『Songs For Drella』など、おそらく数はそこまで多くないだろうけど様々な形で誰かを追悼するアルバムというのもある。

そういう観点からいくと、『AMSP』はこの界隈でも屈指の名盤として今後もその哀しい輝きを失わずにいるだろう。やはり製作中には生きていたことが特異だけど、ここまで丁寧に、綿密に、美しく象られた葬送作品はロック界隈でもそうそう無いだろう。最早クラシックの偉人が直面した悲劇の物語の数々にも比するレベルだろう。しかし仮にそうだとして、そういう誉れがあるとして、トムがそれで何か得するようなことが果たしてあるだろうか。これはあくまで、気の毒すぎて色んなことを考えすぎてしまったファンの目線にすぎない。

 

そもそも死を、それも過ぎ去った死ではなく、長年連れ添った者にこれから訪れる死を見つめながらそれをテーマに作品を作るというのは、どういう気分だろう。このモチベーションは、どれだけ辛気くさく、虚しく、やるせなく、どうしようもないだろうか。それでこの作品を作り上げてしまったのならば、その思いは最早狂気じみていないだろうか。

ぼくは今年の自分の年間ベストを、カーネーションを1位にして「狂気も凄いけど、それ以上に知恵と機転とけだるさで、もっと素晴らしい作品を作ることはできるんだ」というオチにしようと思っていた(ダシに使われるサニーデイに対して失礼極まりないけれど)。しかし、今回の件を知ってしまって以降、『AMSP』に対するあらゆる物語の可能性が自分の中で膨れ上がってしまい、その静かな情念がとても狂気じみたもののように思えてしまい、恐ろしくなってしまった。月とは、狂気の象徴でもある。トム・ヨークは、狂ってしまっているんじゃないか。だからサマソニ等のライブであんな訳の分からないMCをするのではないか…。

 

こうして、今回の件により事故的な形で、妄想に満ちた恐怖にあてられた形で、『AMSP』を年間1位とさせていただきました。音楽的な理由付けは、もうずーっと後退してしまった。美しい退廃に満ち満ちたこのアルバムのフォルムが、ここまで恐ろしく思えるようになると思ってなくて、ひたすらその豊かで心地よい死の影に、思いを捕われてしまっている。

『KID A』のときの田中宗一郎氏の伝説的なライナーノーツの一節を今こそ引用しよう。

おそらくトム・ヨークという人は、ひとりきりでこんな気分にいつだって苛まれていたのだろう。そして、もはやそれを押し殺して、自分の中にしまい込んでおくことは出来なかったということなのだろう。

2016年の最終日の今、このように『AMSP』に宛てて、リライトしてみよう。

結局トム・ヨークという人は、ひとりきりでどんな気分に四六時中苛まれていたんだろう。そして、それをすっかり押し殺してしまって、このアルバムの中に泳がせた上でライブであんなにおどけてみせて、今何を考えて生きているんだろう。

そう、我々は幻視してしまった。アルバム『A Moon Shaped Pool』という、吹き荒れれそうな虚無と狂気を静かに月形のプールに満たして水遊びをする、とある中年男性の姿を幻視してしまったのだ。もしかしたら、すべてが無駄に終わる分かりきった上で、出来うる限りをひたすらやり続けた結果なのかもしれないし、これからも彼はそうするだけのことかもしれない。どういうモチベーションでそれをするのか、ぼくなどにはまるで想像もつかない。本人は何も考えず生きてるかもしれないのに、一方的にこっちの不安は増していくばかりだ。

 

けれど、忘れてはいけないことがひとつだけある。確かだと信じたいことがひとつだけ。1995年という遥か昔に作られた曲の歌詞を引っ張ってくるのもアレだけども、トムが歌詞をそのままに収録してしまったんだから仕方がない。これは言質だ。『True Love Waits』の歌詞を、最後の一部だけ引く。

And true love waits
In haunted attics
And true love lives
On lollipops and crisps

Just don't leave
Don't leave

少なくともトムは、行ってほしくなどなかったんだ。作った当時とすっかり意味が違って聞こえてしまうだろう歌詞をそのまま収録した、「Just don't leave」という一節を変更しなかったトムのことを、ぼくは信じたい。妻の死のゆくえを冷徹に作品に落とし込む非情な男ではなく、どうしようもなくやりきれない不安と虚無の中で、なんとか漕ぎ着けたひとつのトゥルーエンドーーそれがどんなに悲しく痛々しいものであってもーーそれこそが『A Moon Shaped Pool』だったんだと妄想することは、ぼくの勝手だ。誰からも咎められることじゃない。なので、拙くも次の歌詞と接続して、これでこの無駄に垂れ流された駄文を終わらせることも、許してもらうことにしよう。日本のとあるポップバンドの歌詞だから、トムは知らんだろうけれど。

君は生きてく 壊れそうでも
愚かな言葉を 誇れるように

涙が乾いてパリパリの 冷たい光受け立ち上がれ
まだ歌っていけるかい?

          ーー『雪風スピッツ

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以上、妄想おわり。最後に、この妄想をするのにアルバム冒頭の『Burn The Witch』は大変ジャマでした。いらなくねこれ?(これが好きな人ごめんなさい)

もし最後まで読んでいただいた方いらっしゃいましたら、たいへんありがとうございました。今年最後の自己満足が成ったところで、ぼくの所謂年間ベストはお終いです。来年も、快さと寂しさと祈りと少しばかりの勇敢さがある音楽(や、マンガとか小説とかその他作品とか)に出会えますように。