ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

2002年のアルバム20枚(後編 ※1位のみ別記事)

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結構前になってしまった前回からの続きです。

ystmokzk.hatenablog.jp

正直間が開きすぎて何枚か入れ替わってしまいましたが…2002年1位はいったい何キー・ホテル・フォックストロットなんでしょうか?というか、1位は別記事にしますので、今回は2位までを書きます。

 

 10位以下を書く前に、25位→21位を簡単に。

25. 『Highly Evolved』The Vines

ロックンロール・リバイバルとかまびすしく叫ばれていたこの2002年ですが、自分のこのランキングでは25位中2枚しか入りませんでした。意外と色褪せてしまった感じが。

というかThe Vinesに至ってはたまたまタイミングが被ったからリバイバルの枠に入ってるけど、形式的に全然ロックンロールではないな、うん。当時から言われてたとは思うけど。そして当時の宣伝文句「ニルヴァーナmeetsビートルズ」とはいうけども、曲によってNirvanaThe Beatlesかはっきりしまくってる。ライブハウスの楽屋でビートルズニルヴァーナがばったり会って「あっどうも〜」「…どうも」程度のmeetsさしかないと思うのですが如何。

 

24. 『Requiem For Innocence』ART-SCHOOL

今更特に言うことはありません。

強いて言うなら「サブカルクソキノコさんチームはそのままガケに突っ込んでください」って感じの勢いのあるアルバム。サブカルクソキノコ達のルーツとしても歴史的価値が出てきた、むしろそっちのが重要じゃね?的ななんかの金字塔。まあここまで思い詰めながら鮮やかに疾走できることなんてまずあり得ないけれども。

 

23. 『三日月ロック』スピッツ

このクオリティで20位以内に入れないので2002年レベル高いんだと思います忘れてた訳じゃないちがう。

最近自分の中のスピッツアルバムランキングで『醒めない』がこれを抜いた。あれ去年の上位でした。

 

22. 『You Forgot It In People』Broken Social Scene

2曲目『KC Accidental』を聴いて凄くびっくりしたことを覚えている。大人数バンドとして、アーケイド・ファイアよりも先に出てきたんだったなあと、かなりの後聴きながらその多彩なのに結構暴力的なプロダクションに驚きと興奮とをしました。なんでこんなアルバムがあったのにその後アーケイド・ファイアが大人数バンドの天下取ったんやろ…と思ってしまうほど。

 

21. 『HIGHVISION』スーパーカー

スーパーカーと、あとクラムボン辺りは途中からバンド名表記が英語になってたりして、確かに音楽性的にそっちの方がそれっぽいかもなあって感じはしますが面倒くさいのでiTunes上では全部カタカナ表記。同じ理由でミッシェルも全部大文字小文字併用で登録されてる(大文字小文字が混ざった時期なんてミッシェルにはないのに)。

最近スーパーカーは『Answer』の頃のシングルカップリング曲が一番いい気がしてる。してるけれどもこれもとてもいいアルバムで、この後で何度も言及する「2002年の音楽」っぽさに溢れている。どうしてこの時期みんなこうなったのか。

 

以下上位の10位。

 

10. 『Is A Woman』Lambchop

Is a Woman

Is a Woman

  • Lambchop
  • ポップ
  • ¥150

正直最近ようやく人に教えてもらってラムチョップ聴き出した自分なので、登場が唐突だしそれにもっと上に持っていった方がいいのかもとかも思いながらとりあえずこの辺に。

大人数バンドの走りということで、もっと以前の作品だとまだいくらか賑やかなバンドサウンドって感じだった(それも聴いたらめっちゃ良かった)のが、2000年の『Nixon』にて急にオブスキュアな滋養を全面に出した作風に展開し、そしてそれに続く今作では更に一気に黄昏さの上澄みを贅沢につまみ上げたかのような、ジェントルでノスタルジックなサウンドが展開する。

絹のような音処理のピアノやアコギの豊かさ・優しさ、それを薄皮一枚で現実の向こう側に表現してしまう音処理のトータリティーがとても素晴らしい。ドラムさえ大半のパートをギターか何かのスラップ音に置き換えられ、その静寂な揺らぎの歌はどこか遠い国の作り話のような、何とも表現しがたい憂いと滋養が感じられる。

こんな素敵なサウンドさえも内包せんとする“アメリカーナ”という単語の欲の深さがちょっと怖くなる、そんなことも思ったりした一枚。

 

9. 『NUM-HEAVYMETALLIC』Number Girl

Tombo the electric bloodred

Tombo the electric bloodred

2002年のロキノン系、その大本命の一角にして、2017年現在で最早伝説の彼方に行ってしまったイメージさえ漂うナンバーガールの、言わずと知れた(知れていてくれ…)ラストアルバム。

今回のこの企画のために聴き返して思ったのは、その音処理の極端さ(ボーカルの機械的な処理や、各楽器の徹底的にキリキリしたエコー処理など)もさることながら、「意外とポップだ」ということだった。

もちろん、青春ギターロックの残滓が込められた1st『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』や、それでも比較的まだポップなメロディが思いのほか多い『SAPPUKEI』と比べると、今作で明確にメロディックでメロウになる局面は相当に限定される。それらの局面以外はもうキリッキリに痙攣しているか、破滅的に音が反響しているか、もしくは重くだるく弛緩しているかで、とてもポップなそれではないのだけど、そのせいで、その貴重なメロウさがとても鮮烈に印象に残る。今作はそのように仕組まれているのだ。『Tombo the electric bloodred』や『性的少女』で凶悪なサウンドの合間に見せる殺伐と乾燥したメロディアスな場面は、バンドがサウンドの残酷な進化と表現する情緒の深化の狭間で見せた、ユーモアが極限まですり減った末のシリアスさだと思える。

これより後のZAZEN BOYSでは意図的に排除されThis is 向井秀徳劇場と化してしまうリリシズムが、このアルバムの中では断末魔を上げ、血を流している。そんな音源を残して果ててしまったバンドは、幸福だったのかもと思ってしまう。

 

8. 『Anothe Sky』GRAPEVINE

Colors

Colors

GRAPEVINEほど長らく邦楽ロックで王道とも大正義とも言えるポジションにいるバンドもいない気がしていて、淡々と継続力のすごいリリースペースのせいで大量にある作品のどれが最高傑作かなんてことを考えるのもアホらしくなってくる。なってくるけれど、自分の中で今作はその一角です*1

この盤をなんか特別にしてる気がするのはそのサウンド、バイン特有のどうとでもなってしまうバンドサウンドが、今作ではかなりサイケ方面に寄っていることだろうか。今やベテランの彼らも今作ではアルバム5枚目、サウンドの模索で様々なアプローチが飛び交いやや混沌とした前作『Circulator』を経て、もうちょっと腰を据えてサイケをしようとしたのかもしれない。そのサイケデリアのトーンはおしなべてダウナーで、冒頭の『マリーのサウンドトラック』の虚無的な轟音から、『それでも』『Colors』と続く遠景が滲んでいくようなメロウなサイケデリア、シングルでもポップでカラフルでノスタルジックな『ナツノヒカリ』を経て、バインが時々出す“アルバムの軸”的楽曲でも最高峰であろう『アナザーワールド』のどこまでも沈んでいける薄らと眩しくも悲しい情緒に至るまで、その世界観は透徹しきっている(遊びっぽい曲もそこそこあるけど、突出し過ぎないようトーンは抑えてある、と思う)。

それこそロキノン脳的なバイオグラフィーを言えば、かつてバンドリーダーだったベーシストの脱退を控えた時期であった。にしても、ここまで寂しげな世界を作ってしまうと、次のアルバムで冒頭『豚の皿』なんていうメチャクチャな曲を作ってしまったりしてしまうんだなあとかも思ってしまうが。

そして不思議と、今作のサイケな奥行きはどうも、シーチェンジでワールドイズマインでフォックストロットな2002年の奥行き、どうにも穴がぽっかり空いて、それこそ世界と同じくらいの大きさの空洞ができてそこに取り残されているような、そんな情緒とやはり共振している気がする。意外と自分は、この盤を2002年のものだと意識して聴いてしまうことがある。2002年は自分の中で情緒の一形態の名前になりつつあるかも。

 

7. 『Thank you, my twilight』the pillows

Thank you, my twilight

Thank you, my twilight

上の盤で色々よく分からないことを書いた後に、そういうのに殆ど関係なさそうな今作を置くと妙にスッキリする。その辺は流石に当時既にベテランの域に足突っ込みつつあったバンド、いい意味で時代に揺さぶられない。

ピロウズもまた、コンスタントなアルバムリリースを続けていて大量の作品を残しているバンドで、それでもピロウズの場合は、強引に言えば『LITTLE BUSTERS』以降はオルタナロックンロールを軸に似たような作品を連発しているだけ、とだって言えるだろう。それでネタ切れ起こさないところが凄いのだけど。

ピロウズもまた、何個か最高傑作だと思う作品がある。『HAPPY VIBOUAC』『MY FOOT』『トライアル』(これが出たときは嬉しかった…!)、そして今作『Thank you, my twilight』だ。

このアルバムが他のアルバムと比べて何がいいか、と言われると、結局は「曲が…」と言わざるをえない気もするけども、それでも今作では、ギターの音が割とクリアだったり、所々に電子音を使用していてその辺ちょっと宅録風味が効いてて面白かったり、などが特徴と言える。けれどもそれよりも『バビロン』『Come On, Ghost』『白い夏と〜』そしてタイトル曲といった名曲がテンポよく並んだアルバムだから、というのが最高さの理由として強いのかも。

でも、今作は曲順も良いと思う。『白い〜』とタイトル曲の間に入る『ウィノナ』とか最高に気が利いてて、曲順とはこうすべし、のような王道感がとっても頼もしくも快い。

キャッチーでちゃんと気の利いた広がりもあるギターロックとして真っ先に推薦できるナイスなアルバムで、高校から聴いてて付合い長いけど今聴いてもやはり最高。なのでちゃんと書こうとすると幾らでも文章長くなりそうだしもうやめよう。

 

6. 『Murray Street』Sonic Youth

Rain on Tin

Rain on Tin

ソニックユースの最高傑作に今作か『Sonic Nurse』辺りを推してしまうと「お前は本当に実験的で果敢なソニックユースをわかっていない…」などと言われそうでやや怯えてしまうけれど、いやでも正直どっちかでしょ(笑)という感じに、この2枚は彼らの作品中でも突出した良さを感じてしまう。

上記2作とその後の『Rather Ripped』に共通するのは曲の圧倒的な歌もの感だ。楽曲の歌の部分だけを取り出すとなんだかグダグダしててよく分からん…という場合がソニックユースでは割と多いけれど、この3作についてはその点かなり「歌だけでも聴ける」度合いが高い。軽やかなメロディ、という訳でもないけれどでも、やや渋めのシンガーソングライター程度のポップさをこの時期はアルバム中にちゃんと行き渡らせていて、単純に聴きやすい。聴きやすいものだから、それと対置される彼ららしさの象徴である不穏だったりノイズインプロだったりの要素も、よりキャッチーな感じに響く。

上記3作が聴きやすいもうひとつの理由として、軽やかでかつ鋭いリズム感と情緒を併せ持ったギターカッティングが頻出するところか。ギターロックバンドのようで思ったよりギターロック感が「?」なことも多いソニックユースも、この3作ではきっちりギターロック、しかもちょっと渋い具合のギターロックバンドという感じがする。

そしてトドメとなる、ジム・オルークの関与。実際彼がどこまで音作りやらミックスやらに関与したのかはよく分からないけれども、『NYC Ghosts & Flowers』までの実験的共同作業を経て、この『Murray Street』ではジム的奥行きの音響感とバンドのノイズロックさが、ややジム寄りのところで絶妙なバランスで合致している(ややソニックユース寄りにしたのが『Sonic Nurse』とも言えるかもしれない)。あとジムのプロデュースはなんかされる側の歌心を引き立てるのがホント上手いですね…。彼のプロデュースものでも最高の部類のものが2002年には2枚もある(もう一枚…?何ィルコの何ンキー・ホテル・フォックストロットのことだろうか…???)。

本作では、歌もの各楽曲の完成度もさることながら、3曲目の『Rain On Tin』の素晴らしさがとりわけ華々しい。これは彼らがアルバム『Washing Mashine』での『The Diamond Sea』や『A Thousand Leaves』での『Wild Flower Soul』などで取り組んできた、緻密に構築された、バンドぐるみのギターオーケストレーションの美しさシリーズの、頂点の曲ではなかろうか。特に、乾ききった響きでギターのグルーヴと同期するドラムの機動力が最高。スティーブ・シェリーって本当に最高のドラマー。

 

5. 『Up The Bracket』The Libertines

UK120%!どこを切ってもグレートブリテン。そういう音楽家やアルバムはかの国で時々出てくるようで、キンクスだったり、XTCだったり、The Smithsだったり、blurだったり*2。そしてその2002年、21位世紀になって初めて登場したスターが、このリバティーンズだったことは、昨年のピーター・ドハーティの素晴らしいソロアルバムに至まで間違いのないことだ。ロックンロールリバイバルと叫ばれた当時で、彼らはそれ以上の何か、要はUK汁に満ち満ちた“音楽”をどこからか“復活”させて身に纏っていた、とてもナチュラルに、カジュアルに!

リバティーンズがセンセーショナルだったのは、そんなUK感が云々という雰囲気的な部分もそこそこに、まず何より最高にロックンロールであったことだった。「えっこの音作りでこのフレーズでいいの?」っていう隙だらけのギターサウンド(とそれを支えるこっちは意外と相当に堅実なリズム)に、更においおいおい…ってならざるを得ない二人の男の勢いに満ちたボーカル。カール・バラーについてはまだ自分の声質を理解してエロく聴かせよう、みたいな魅せ方も感じさせるが、もうひとりの男は、ピーター・ドハーティは、一体こいつは何処を見て歌ってるんだ、という正気じゃなさ。声の裏返り、強引なメロディのベンド、リズムの揺らし方。そしてそれが圧倒的にポップでクールでロックンロールで格好いいこと。ここに、ひとりの替えが全く利かないシンガーソングライターが産まれてしまっていたのだけど、それは今作で、ロックンロールの熱と完全に一体になっていた。

当時のCDのライナーノーツで「何を置いてもとにかく曲が良い」と言っていたのがともかく印象的。分析すれば『The Boy Looked At Johnny』のサビで突如ビールのCMと化すところ(あれの元ネタはイギリス映画『第三の男』のテーマ曲なので、納得)や、『Time For Heroes』のブリテンネトウヨ的な歌詞の鮮烈さ(「野球帽を被ったイギリス人みたいにうんざりな光景」って)や、『The Good Old Days』って題が自分の人生よりむしろ想像の中の英国そのもののことを指していたり(やっぱりお前何言ってんだ、っていう)等々、英国批評家として超一流であるピーターが、ここでは同時に『Up The Bracket』(曲の方)のように溢れ出すほどのエネルギーを激しく鮮烈に放出している。

後年のエネルギー削がれてヤク中ヘロヘロUKおじさんになってからの作品も情緒に満ちて素晴らしいのが多いけれど、とにかくここでのこのバンドの出で立ちは奇跡としか言いようがない。以後誰も今作ほど勢いとメロディに満ちてそしてイギリスすぎるアルバムを作れていない。作れるものかよ。

 

4. 『ヘヴンリィ・パンク・アダージョ七尾旅人

ヘヴンリィ・パンク:アダージョ

ヘヴンリィ・パンク:アダージョ

 

itunesのスマートプレイリストで2002年で検索かけたとき「これも2002年かよ…」と溜息が出た。つくづく2002年は2002年っぽい音楽が多いなという。分かるだろ?分かってください。

2002年頃の音楽の2002年っぽさ、改めてこれを強引にイメージづけるならばそれは60年代のファンシーさとも、70年代の渋さやパンクさとも、80年代のダークさ、90年代のハードさやジャングリーさとも切り離された地平のサウンド。どこまでもあてがなく、うっすらぼんやりと荒野で、妙に光に満ちてはいるが希望も絶望もない、ひたすらぼんやりが続いていく…などと書くとなんだか中二ロキノニズム的表現になってしまうけれども、この感覚。この感覚が自分はとても好きだからこそ、この2002年の自分のベストアルバムはこういう感じの並びになっています。それが2001年のテロの影響云々で、などと言ってしまうのはあまりに結果論的すぎる。

話は戻ってこのアルバム。七尾旅人もまた、当時はそんな溢れかえった空虚さの地平を歩んでいたのかもしれない。メジャーレーベルに干され、急ごしらえで作り上げたプライベート録音環境で制作されたのが、この時に美しく時に悪夢的な音響と、それ以上に素朴にして自在な歌唱と詩に満ちた、“驚きに満ちた”2枚組160分弱だ。このひたすらに満たされず、やり場なく溢れ返ってしまった才能の素晴らしさと、痛ましさをいつも思う。

分析。今作は、デビュー盤『オモヒデ・オーバードライヴ』以来となる繊細な弾き語りの楽曲と、情報量が破裂寸前だった名作『雨に撃たえば…!disk2』を情報量を“2002年的に”整理し直したより大量の楽曲とで構成される。七尾旅人もまた、はじめから常軌を逸した感覚を胸に携えたシンガーソングライターであり、『雨に〜』ではそれを壮絶なまでの躁鬱感と情報量で放出しまくった訳だけど、今作ではその精神的なバランスはメロウさを伴いながら鬱に傾いている。

繰り返される「僕に何かできることありますか」という思い、それが何もない、という虚しさを引き倒しながら(それをもしかして彼はアルバム終盤で「サーチンソウル」と言い換えているのか)、夜や海を見に行って、天使を幻視する、そういう2枚組分の風景の中に彼の声と意識は溶けていく。彼は世界のどんなことでも「背負ってしまう」タイプの音楽家だと思うけど(そのことはどうやらずっと前に田中宗一郎氏が指摘してるっぽいが)、彼がここで背負ってしまった世界はなんとも曖昧で救いがなく、そしてだからこそ、どこまでも妖しく危うく美しい。打ち込みや電子音に満ちた音においても楽曲性は輪郭をはっきり持ち、アレンジのアイディアは縦横無尽で、とても器用に見えるのにしかし声や思いはひたすらにあどけない。

ここまでの世界観をひとりで作り上げてしまっては、もう彼が妄想のフィールドでできることはやり尽くしてしまったのかもしれない。その後彼は弾き語りを自分のフィールドに定め、段々と力強さとタフさを蓄えて現実のフィールドに積極的に打って出て行く。つまり彼は、今作までの鬼才宅録家としての人生と、以降の放浪演奏家としての人生との、2つの人生を渡り歩いている。それについて善し悪しをどうこう言う気持ちは全くないけれど、でもそれらを繋いでいる彼の“まともじゃなさ”にはひたすらに敬意を表する他ない。

 

3. 『Brainwashed』Geroge Harrison

Rising Sun

Rising Sun

上で書いた「2002年のイメージ」はあくまで筆者がその頃発売された音楽を聴いて思っているだけで、当事者からしたら思いは別に色々だろうし、そもそも制作時期は2002年よりもっと前だったりするだろうけれど、それでもぼくはそれらの音楽を“2002年”に押し込めないと気が済まない。2001年よりずっと前から制作が進められ、本人の死後に辛うじてリリースされた今作でさえも。

妄想をする。これがもし遺作でなければ、暴漢にナイフで刺されたりせず、癌や腫瘍も治って、命を繋ぎ止めていたならば、ジョージ・ハリスンは今作で、USインディーのゴッドファーザーとして絶大な存在感をシーンにもたらしただろう。…あれっこの人イギリス人じゃなかったかしら。

いや、ジョージ・ハリスンの音楽性は不思議なものだった。ビートルズ晩年頃から明確に芽生え出す彼の音楽性は、バンドの他メンバーよりも遥かに土臭く、草っぽく、少なくとも都市よりも、大地に魂を紐づけようとするそれだった。ボブ・ディランとの交流やスワンプへの興味など原因は様々だったろうけれど、そのような要素が彼の体内で年月をかけてグルグルして、それを晩年10年くらいの彼がナチュラルに曲として吐き出した結果が、この今作でのとても爽やかに大地に寄り添うサウンドなのだ。

いつしか彼のサウンドのトレードマークになった、スライドギターやアコースティックギターの多用は、彼が自分の個性をアピールしたというよりも遥かに自然に、無邪気に選択されているように思う。それはまた、「ジョージ節」と言わざるを得ない、彼独特の細く奇妙なメロディメイクにも現れている。今作は、それら総て引っ括めて、あまりにも“ジョージ・ハリスンくさすぎる”彼の遺作になった*3

思うに、彼は自分の自我よりも、その外側にある「何か」に重きを置いていたのだろう。インド哲学だったり、ハレ・クリシュナだったり、モンティ・パイソンだったり、彼のそんな妙に自分の肉体を飛躍した興味関心の数々が、ソロ以降の妙に達観気味な世界観の構築の背景としてあるのかもしれない。今作で時々聴かせるウクレレのサウンドも、彼の気難しそうなのにどこか気楽そうでもある、そんな妙な姿勢の現れのひとつのように思える。

そう、「気楽さ」。もしかするとこれは2002年でも随一の気楽なサウンドに満ちたレコードではないか。各曲はいい具合の滋養や奥行きも持ちながら概ねポップで、細く緩んだジョージのボーカルも心地よく渋い頼りなさを持つ。曖昧で空虚に満ちた「2002年の音楽」において一番気楽なのが既に死んでしまった人のレコードだなんて。

…という締め方をするとこの文章があまりにレトリックに頼りすぎた感じになるので付け足すと、彼は気楽なアルバムの最後に、よせばいいのに妙に高いテンションで、どこを見ているのか怪しいメッセージソングを忍び込ませて、あまつさえアルバムタイトルにしてしまっている。この気難しくも気丈な老人(享年58なので言うほど老人でもない)のフォークロックは叫ぶ。「神よ!神よ!神よ!」丁寧にインド要素も回収し、その音響具合は不思議と2002年的に聞こえる。

 もういっそ、私たちも洗脳して下さればいいのに…

 (『Brainwashed』George Hrisson 最後の一節)

ジョージ・ハリスンは死んだ。人々はともかく洗脳され続けるし、都市と田舎とを問わず荒野は続く。筆者は2002年頃の音楽にずっと取り憑かれている気が、この一連の文章をずっと書いてるとなんか、してしまいますね…。

 

2. 『THE WORLD IS MINE』くるり

知らん間にこの世界すら君のものじゃなくなってた

そんな顔しなさんな 旅はこれから これから

   (『アマデウスくるり

知らん間にこの世界すら君のものじゃなくなってたんですか?(「逆にどこかまでは世界はお前のもんだったのかよ」とか「「すら」って何だよ」とかそういう期待されたツッコミはともかく)どうして我々は、こうも無力で空っぽなものなのかということを、このアルバムは静かに告げてくる。くるり史上で最もアンビエントサウンドスケープに満たされ、言葉数も少ない今作は、メジャー1stアルバム以降続けられてきたポストロック的挑戦の一旦の終着点であり、また詩情的にも、彼らが引き延ばしてきた「学生的・若者的な虚無感」の最果てとなる作品だった。

もっと思い込みで言い切ってしまうと、これは「モラトリアムの終わり」であると同時に「モラトリアムの果てで、永遠のモラトリアムに意識が溶けていってしまう」アルバムなのだ。*4

思えば、示唆的なフレーズは結構沢山ある。未だにくるり史上最も売れたシングルらしい『ワールズエンド・スーパーノヴァ』はまさに2002年の邦楽を色んな意味で代表する1曲だと未だに思うけれど、この曲はまさに、多様化していく世界の中で色んなものが平準化されて、曖昧になって、そこに取り残されてしまう人間たちの虚空っぷりを歌にしている。

僕は風になる/すぐに歩き出せる/次の街ならもう名前を失った

僕らのことも忘れたふりして

ここにおいてかつて彼らの情緒の象徴だった京都は世界の果てしなさの前に消失し、もはや東京だって消滅し*5、それを憂うこともなく岸田繁はただただ「2002年の音楽」そのものになりきっている。もしかしたら90年代中頃の小沢健二に代わる“時代のアンテナ”役として機能していたと位置付けられそうな(本人もそのつもりだった?)岸田繁の、そのアンテナとしての絶頂期がこの曲とこのアルバムになる*6

歌詞だけでなく、今作の彼らのサウンドはしっかりと、孤立した感じになっている。前作『TEAM ROCK』が遂に東京を我がものにしたぜ!的な煌びやかさがあったのに対し、今作はひたすらポストロック的なアレンジ・プロダクションを繰り返し、枯れた情緒が垂れ流される。音の余韻は引き延ばされ、たまに出てくる可愛らしいポップソングにもボコーダーやらリバーブやらがかけられる(『男の子と女の子』だけノーエフェクトなのがまたすごく「あえて」って感じがする。この曲は後のカントリー路線のはしりのひとつでもある)。エレクトロニカともフォークトロニカとも言えそうなサウンドの中で、しかし意外とバンドサウンドも活躍していることが、バンド好きにとってはキャッチーなところ。

徹底的に曖昧にすること、現在地とか季節とか食べ物とか、そういうのを一切微分してしまって消し飛んだ先に現れる漠然とした“世界”、そういうものがやたら溢れていたのが2002年の音楽だと思うのだけど(本当になんでだろう)、これはその日本における一番“キャッチーな”アルバムだったのかもしれない。かつてジム・オルークに手を引かれて始まったであろうくるりの音楽旅行も最の果て、くるりのメンバーたちと一緒に行く曖昧世界旅行って感じ。その親しさが、なんでこうも深く寂しく虚しく感じられるのか、不思議でならないけれど。アルバムの最後で、延々と船を漕いでいられたらいいのかもしれないけれど、このアルバムの収録時間は59分52秒で、永遠には程遠い。

個人的に、高校生のときにはじめてくるりを聴いて好きになったのがこのアルバムだったので、自分の音楽の趣味をかなり阻害されたような感じがします(笑)

 

1位も、なるべく間が空かないうちに書ければとは思いますが、しかし人生ベスト級のあのアルバムをどう書いたものか…。

*1:あとは『deracine』『真夏の〜』『愚かな者の〜』がつよいすね

*2:デーモン単体だとそうでもないな

*3:プロデュースしたジェフ・リンの仕業かもしれないけども

*4:この後のシングル『How To Go』でRed House Paintersのモロパ…オマージュをかまして「モラトリアムの終わり…?」という感じがするのはともかく

*5:この辺は実際に日本でなくイギリスの片田舎でアルバムのレコーディングを行ったことも関係するのかもしれない

*6:その後タイトルそのままのアルバム『アンテナ』でその“アンテナ感”が後退するのはちょっと皮肉めいてるように書けてしまうけれども