ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『Ocean Beach』Red House Painters

Ocean Beach

Ocean Beach

 
Over My Head

Over My Head

夏が終わって秋が来たし、スロウコアを聴いてる*1

Red House Paintersを聴いて気分を希釈していこう。

ひとまずは、タイトルが夏へのひんやりとした憧憬醸し出しなこの辺を。

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1. Cabezon

緩やかなシャッフルのリズムで軽やかに通り過ぎていくインスト曲。あまりに圧とか迫力とかと無縁な、どこまでも朗らかで平和な世界がアコースティックなバンドスタイルであっさりと刻まれている。その本当にあっさり通り過ぎていく世界に、何らかの“夏”を見いだすことは容易だし、ノスタルジーを拗らせるにしてもなんとも平坦に世界しすぎていて、ひたすらぼーっとしてしまう。その感覚を、スロウコアと呼んでしまうのは流石に安易か。

2. Summer Dress

アルバム導入めいた1曲目からの、やや陰鬱なアコースティックギターの響きで始まる2曲目。アコギと歌とストリングスだけの小品で、アルバムとしてのキャッチーさとかインパクトとかそういうものにハナから興味がないことを伺わせる。しかし今作リリース当時の1995年、この曲はシングルリリースされました。

曲としては、マーク・コズレック特有の常時薄らと憂鬱そうな囁くようなメロディが所々でやや陽転し、そこに薄く眩いストリングスが被ってくる辺りが美しい。後年と比べてもこの時期はまだボーカルにリバーブが多めに掛かってることがあり、それが独特の湿度を持っていることに、夏への憧憬めいたものを感じてしまうかもしれない。

3. San Geronimo

3曲目にしてようやくバンドサウンドが全開な楽曲。全開といっても、テンションの低いニール・ヤングのような、不思議に平坦なディストーションギターサウンドが魅力的。今作のリリースは95年で、グランジやらエモやらの時代の裏でひっそりと、高揚するでもなく鳴っているけれども、Mark Kozelekの楽曲の中では所謂ラウドナンバーと呼ばれるタイプの曲のひとつでもある。

基本的に淡々とリフを繰り返す中でも、幾らかの淡いカタルシス的な展開は用意されていて、それはブリッジのフィドルも入ってくるパートだったり、(珍しく)サビ的なパートのやや陽性なメロディやドラムの歯切れのいい5連フィルだったり。全編バンドサウンドという作品が稀少なMark Kozelekだけども*2、この人がいざバンドサウンドに取り組むとかなり作り込んでくるところが厭らしくも素晴らしい。

セルフタイトル前作までの、4AD的なリバーブ・ディレイ感は消失し、ギターサウンドはどっしりしたオルタナティブロックな歪み具合で、フィドルも含めて寂寞系のカントリーロックな風情がある。この辺は興味の分かれるところだけど、個人的には今作以降のどんどん乾いていくギターバンド・サウンドにこそスロウコアの、というかこの人の素晴らしさを感じる。あっさり目ながらもポップなサビのメロディの抜けの良さに、今作の転機っぽさを大いに感じる。

4. Shadows

前曲の一応ラウドナンバーを受けてか、続くこの曲はピアノの伴奏をバックに歌われる。クラシカルでかなり饒舌なピアノプレイで、アコギメインの曲の静けさとはかなり違った性質を持つ。1stから『Mistress』のピアノバージョンがあったりはしたけど、ここまでがっつりピアノが弾かれてる曲は彼のキャリアでも珍しい。ピアノに合わせてか、歌のメロディの抑揚も彼にしては饒舌気味でメロディアス、そしてノーエフェクトで輪郭がくっきりしているのでその熱の籠らない声質がよく響く。所々に薄く入るオルガンの音も、効果音的な存在感。終盤で突如思いっきりオルガンし始めるけれど、より聖櫃さが強調される。

なお、ベスト盤『Retrospective』の2枚目はデモ・レアトラック集になっているけれど、そこにこの曲のバンドサウンドバージョンも収録されている。こっちはピアノもかなり抑えめで、相当印象が違う。エレキギターの漂うようなアルペジオなど完成度は高いだけに、これをボツにしてのアルバム収録バージョンか、という気持ちにもなる。この曲順ならピアノオンリーの方が合いそうだけど。

5. Over My Head

この曲だけはどう書いても言い尽くせない。

アコギのひたすら反復する透明感に満ちたフレーズに、途中からソフトで緩やかにシャッフル気味ななバンドサウンドも入り、そして憂鬱さも朗らかさも感じられないひたすら涼しくて伸びやかなメロディ。ボーカルはノンエコーで突っ切っていく。

抑揚を一定に抑えてさらっと流れていく景色の中で、たった一カ所、1分程度だけ入ってくるアコーディオンの音がとても淡くて、この1分だけに、なんだか総ての情感が含まれているような、永遠に感覚が希釈されていくような、そんな気持ちを感じる。

この曲の中ではずっと平坦な景色が続いていく。それは、演奏が始まるまでの無駄に長いスタジオのおしゃべりを録音してる部分や、楽曲終盤の執拗に反復フレーズを繰り返した*3かと思うと突然演奏が崩れてフリーキーすぎるアコギのソロが始まって、やがてそれがグダグダに行き詰まって曲が終わるのも、まるで平坦な日常の一部分をさりげなく切り取って見せただけ、かのような装いをしている。

この曲で一貫して演出された平坦さは、安心感とか温もりとかとも違うような、すっきりとしながらもぼんやりとしていて、薄味の虚無感やら感傷やらを含みつつも、ひたすら無表情に平坦で、ぼくなんかはこういう光景が、ある種の優しさの一形態*4なのではなんて思ったりして。豊穣な平坦さ。この尊さだけで一生を過ごすことが出来たらいいのにと思うような、そういうことが不可能であるからこその尊さでもあるような。

Mark Kozelek史上でも最も美しい部類の曲。前述のベスト盤2枚目にはこの曲のデモが収録されていて、アコギ(エレアコ?)の音が荒いこの段階でも中間部のアコーディオンが軸として入っている。

6. Red Carpet

前曲がグダグダに終わった後に、また陰鬱気味でお化けっぽい弾き語りか…と思ってこの曲を聴いてたら途中からしっとりとバンドサウンドが入ってきて、最終的にはシューゲイズなギターも入ってきて、そこそこハードに一連のリフを繰り返して尺の半分を埋める。短い尺の中にはっきりと前半・後半で異なる曲展開になっていて、特に後半パートは、今作3曲目のドライ感とはまた違ったウェットさで、このアルバム後半の水中感に差し掛かっている感じがする。

7. Brockwell Park

こちらは本当に弾き語りで終始する小曲。複数録音されたアルペジオ主体のアコギが水中っぽさを醸し出し、またボーカルにもリバーブが深めに掛かっている。次作アルバム『Songs For A Blue Guitar』以降はひたすら乾いたサウンド、水中というよりは土や空気といった雰囲気で突き詰められていくMark Kozelekの作風を思うと、今作は転換点であり過渡期、その中でも水中感が強いこの曲は短いながらアルバムのカラーを次2曲とともに印象づけている。何気にポストロック的な光線のような音も挿入されている。

8. Moments

今作後半の水中感・潜行感は終盤の長尺2曲によって決定的に印象づけられる。こちらは8分弱。曲構成を見ると、何のことはない、6曲目と全く同じく、前半は淡々と歌が続き、そして後半バンドサウンドが膨張していく。しかし尺も長いだけあり、この曲の仕掛けは手が込んでいる。

前半の歌のあるパート、アコギのコード感の薄いカッティングの上にリバーブたっぷりなボーカルのぼんやりしたメロディが掛かる。途中から挿入されるしんしんとしたアルペジオの連なりも不思議な水中さを醸しながら、ずっと歌のメロディは切れず、特に目立った展開もせずに進行していく。

歌のメロディがはっきりと収束しきると同時に、それまでの繰り返しが切り替わり、遠くにノイズギターが鳴る、どっしりしたバンドサウンドの展開に移っていく。4分半頃からリフがまた切り替わってからは、残り3分半ほどを同じ繰り返しのまま貫徹していく。はじめはアコギの響きがより残っていて前半との繋がりが感じられるが、繰り返しが進んでいくに連れて、よりエレキギターのグチャグチャしたサウンドが強調されていく。気がつけば、まるでSonic Youthか何かか?と思うような非常にノイジーで破滅的な演奏が曲を塗りつぶしていく。その壮絶さが、前半の穏やかさ及び次曲との激しい隔たりにより際立っている。Mark Kozelekオルタナ的な意匠も実は非常に得意としていることが、次作収録の『Make Like Paper』*5とともによく分かる場面である。なんでここまでギターをグチャグチャに弾かないといけないのかと思ったときに、その思想性に強く憧れる。

9. Drop

今作後半の潜行感をとりわけ体現した、曲名からしてそのものな、曲。後述のボーナストラック的箇所を除いても9分弱*6、今作中最長の楽曲。

楽曲としては、前曲の前半部分をよりメロウなさうんどにし、そしてそれで終始していくものとなっている。アコギとピアノの揺らぎ続ける演奏は、アコギが反復するアルペジを弾き続け、ピアノがその周りを次第に饒舌になりながら繋いでいく。穏やかでかつ暖かくも冷たくもないコード感。歌がなければ、これは近年で言われるところのポストクラシカルなるジャンルにつま先突っ込んでるような。

途中からドラムが入ってくると、さりげなくピアノとアコギのバランスが微妙に変化し、ピアノがリフ的な響きに移り変わる。5分半頃の展開部ではヨーロッパ調のコード展開を見せるも、前曲のように破綻に向かうことはなく、すぐにもとの繰り返しに回帰してしまう。ドラムやピアノの強弱が前半よりやや強い。最後にまた繰り返しから逸脱した進行に突入し、微妙に濁ったコードで弱々しく完結する。

ボーカルは、終始同じコード循環の中を、終始同じメロディーを反復していく。あまりに弱々しい抑揚の付け方は活力とは逆の、ひたすら無に沈潜していくような具合の中でギリギリの優美さを保ち続ける。今作より後、特にSun Kil Moon以降であればコーラスを重ねて色々と処理しそうなところもこの曲ではずっとダブルトラックで終始し、ひたすら淡々と、淡いストイシズムを滲ませている。

この曲の最後の展開が終わった後、それほど間を置かずにアコギの響きがフェードインしてくる。多数重ねられ、残響もたっぷり施されたこのリフの繰り返しは『Brockwell Park (Part 2)』といい、確かにPart1の方の一番最後に歌の裏で鳴るリフを発展させたものになっている。歌もなしに、同じリフの繰り返しを(途中よりエレキギターの追加などがありながらも)4分も行う辺りにスロウコア的なグダグダ反復の美があり、アルバムの余韻となっている。

 

今作はRed House Paintersの95年リリースのアルバム。英語版Wikipediaには色々特徴が書かれており、中でも「牧歌的でフォークチックな作風に移行したこと」と「4ADからの最後のリリース作品となったこと」は彼らの歴史の上で重要。前作セルフタイトル(Brigde)及び94年のEPまではまだ4AD的なくぐもったボーカル・サウンド処理が為された、どこかぼんやりした、湿度のあったサウンドであったことを思うと、今作でのサウンドの枯れ方・くっきりした質感はかなりの転換であったことが分かる*7*8

転換。そう、ここでは彼らのスロウコア的な性質自体の変化が発生している。スロウコアという音楽性の最大の特徴がその“ぼんやり感”にあるとすれば、今作より前と後とでその性質が異なっている。つまり、スロウコアの元祖たるGalaxie 500以来の、Velvet Underground等由来とされるラフでダルなサイケデリアの影は、今作から殆ど後退したように思える。代わりに採られたアプローチが、かたやウエスト・コースト的なフォークサウンド、ニール・ヤングオルタナロック的なギターバンドサウンドであり、かたやアンビエント音響派や後のポストクラシカルにさえ感じられるピアノの反復であった。結果的にMark Kozelekのこれより後の作風は前者に偏ったものとなっているが、今作ではこの二つのアプローチが入り交じっているために、彼のキャリアでも比較的サウンドが多彩というか、一貫性はやや欠いているというか、そういうものになっている。個人的にはそのバランスがとても好きで、今作を彼の作品でトップクラスに好んでいる。収録時間も彼の作品では珍しい方の1時間に満たないもので聴きやすい。

何よりも『Over My Head』の景色ごと揺らめくような感覚が非常に尊い。以後の彼の作品の盤石さの中では感じられない不思議な揺らぎが、今作にはこの曲を代表として詰め込まれてしまっているように思う。その何らかの届かなさ・替えの効かなさが、今作にどうしようもない永遠性を感じてしまうところなのか。やるせなくも美しい真夏の光景、はっきりとイメージできないが確かにあるそんなイメージが、この1枚には詰まってしまっているような気がしてならない。また冒頭から再生して、この世のどこにも存在し得ない、嘘のように美しい真夏にしけこんでしまう日々が、続いていってしまうのだろう。

*1:別に夏も聴いてた

*2:2017年現在のSun Kil Moon新譜『Common As Light…』はまあ全編バンドサウンドではある、ではあるけれどもあれは…

*3:よく聴くとそれまでにない響きも加えられている。彼のレコーディングの執拗さと完璧主義っぷりを感じる

*4:たとえば小沢健二の歌で出てくる「そうしていつか全ては優しさの中へ消えてゆくんだね」の“優しさ”とか

*5:こっちは最早色々やり過ぎ、といった感じ。長過ぎる間奏の暴走っぷりと、それ以上に長過ぎる終盤の繰り返し…

*6:ベスト盤『Retrospective』にボートラ部分なしで収録されている

*7:と同時に、今作より前を典型的なスロウコアサウンドと捉え、本作以降をアメリカーナ的音楽性に移行した、と捉える向きもある。

*8:というか、95年作とはとても思えないほどくっきりした音・曲・完成度で、最初にリリース年を確認したときは驚いた。