ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

ギターロック10選(後編)

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(前編・後編ともにトップ画像のギターがジャズマスターなのは仕様です)

 後編です。10選のうち6〜10番目。正直ギターロックとオルタナティブロックと何が違うのか分からなくなってくるラインナップだと書いてて思いました…。せめてシンセとかが入って無い曲だけでリスト組もうとも思ってたけどキュアー入れちゃったし。

 考えていけばいくほど、ここで言ってるギターロックという枠組みは、現代においてとても不自由な形態のように思えます。幾分か分厚い歪みのギターを鳴らせることを条件に、シンセ・シーケンサー、キーボードなしの演奏をしないといけない。かといってハードロック・ヘヴィメタルの方に行ってもいけない。マッチョさを感じさせず、どことなくナード的な風味を残し、かつ使用できる楽器がベース・ドラムと、そしてもう何十年もサウンドが研究・開発されすぎて、新しい奏法や音が出せる気がしない、ギターとかいう楽器。評論家にバカにされ、音楽家にバカにされ。そもそもが、トラックメーカーがPC1台でできることを、4人前後集まってやっとでしか演奏することができない、音の自由度でもトラックメーカーに全く及ぶことのできない、バンドとかいう不自由・不合理の塊。

 でもですね、現代の自由で刺激的なR&Bやヒップホップの世界観でしか描けない風景があるのと同じくらいには、ギターロックでないと現せないような風景だってあるんだということは言いたい。たとえ「インディロックがブルジョアな青年男女の慰みものに堕してしまった」という言説がある程度事実であるとしても、この形式でしか、この制約でしか出せない音はあるんだと思います。すっかり言葉どおりのオルタナティブさが失われてしまったかもしれない“オルタナティブロック”も、そういう音や、そういう演奏をしているところが好きであれば、それはもう、トラックメーカーがどれだけ合理的で現代的で先進的であっても、それは仕方がないこと。

 年老いたロマンだとか、視野狭窄だとか、感性が貧しいとか、貶す言葉は自分の被害妄想体質からか幾らでも絞り出せるけれども、それでも好きならば仕方がない。ヒロトマーシー的な「最初にギターをジャーンと鳴らしたときが人生の絶頂」という感覚をそのままファズ・ディストーションに浸して、どこまでも阿呆のように、何か新鮮さを求めながらもやや退屈げに、ブルースにドライブしていけばいいんだと思います。

 

6.『When You Sleep』My Bloody Valentine (1991)


My Bloody Valentine - When You Sleep (Live at the Palace Theatre, Melbourne on Feb 22nd 2013)

 90年代はまさにギターロック全盛期。91年にアメリカでNirvanaが世界的にブレイクしたことで、分厚いギターを平坦に鳴らす形態が世界的なトレンドとなった。それと同じ年の、海の向こうイギリスではセカンドサマーオブラブとシューゲイザーというふたつのムーブメントが、2つのアルバムによってなんか収束してしまった感じがある。ひとつは『Screamadelica』であり、いまひとつが『Loveless』である—というのがロックの教科書的な理解どころ。その『Loveless』の方の1曲。

 シューゲイザーの重要なところのひとつとして“そもそもギターロックである”ということがある。リアルタイム時のシューゲイザーのプレイヤーは概ねバンドであり、ギターによって音の壁を作り出しながら楽曲をドライブさせる、という点で、USインディのオルタナ勢と基本的に違うところは無い。それがギターのレイヤー感が極まった『Loveless』なんかだとちょっと具合が変わってくるけれども、この曲なんかはまだ、ギターロックとしての機能を全開に果たしている。上の動画を聴けば、思いの外ギターがガチャガチャと鳴っていることが分かるし、ドラムもベースもバタバタと性急なところがある。その最新のライブにおける勢いっぷりについては、最近記事を書いたところ。ライブで見ると、凄い音とはいえギターをガチャガチャしていて、とてもとてもギターロックな音楽だったという。

ystmokzk.hatenablog.jp

 流麗なメロディとドライブ感。元々ギターポップ的な要素も強かったマイブラのポップセンスと『Loveless』的な幻惑感とが合致した至高のギターロック。意外とこの曲の爽快感は替えが利かない感じがして、不思議な気がする。

 シューゲイザーも、RIDEとかPale SaintsとかSwervedriverとか、ギターロックの素晴らしい楽曲が沢山あるけれども、やはり10曲の縛りでこれだけ。

 

7.『Black Star』Radiohead (1995)


Radiohead - Black Star - Live

 オルタナティブロックを長いこと本当に“オルタナティブ”たるように努めてきたバンド・Radioheadの、一番ギターロックしていた時期は間違いなく2ndアルバム『The Bends』の頃だけども、その中でもこの曲の持つ強烈な、なんと言えばいいのか、重力感?宿命感?荒涼さと煌めきとの極端なバランス加減の美しさは本当に、替えるものが無い。近年少しずつ『The Bends』の楽曲がライブで解放されていく中、この曲が未だに演奏されないことが(他に数えきれないほどの名曲があるので全然問題ないとはいえ)少しばかり寂しい*1

 『The Bends』はイギリスのギターロックでも歴代最高峰にして、おそらくギターロックのアルバムではこれが一番好き、という人もそこそこいると思われる、強烈なアルバム。USインディが比較的平坦さを好む感じがあるとすると、Radioheadのそれはヒステリックでかつドラマチックといえる。ともかくバンド全体でキメまくる。極端さを好み、その為の曲構成や音作りが展開される。演奏する人たちでもこの時期のバンドのギター陣を理想とする人は数多くいるだろうし、このアルバムのためにどれだけのShred MasterとDemeterのトレモロが流通したんだろうか。

 ギターロックの名曲が詰まった『The Bends』。この頃のような音楽にRadioheadが回帰しないこと自体が、人生のどうしようもない切なさのように感じられてもしまうけれども、しかしファンにはこの頃の音源を聴いてライブ映像を見て、いつかバンドがライブでこの曲を演奏してくれることを夢見ながら死んでいく自由がある*2

 

8.『Make Like Paper』Red House Painters (1996)


Red House Painters - Make Like Paper

 本来この辺りにはYo La Tengo辺りを入れようと思ってたけど、しかしやはり、自分のより好きなものを優先させることにした。この時期のこのバンドがライブでこの曲をスタジオ音源レベルに満足いく形でライブ演奏していたのか、正直怪しい感じもするけども。

 Red Houese Paintersに限らず、Mark KozelekElliott Smithなどと同様に、相当にギターサウンドに精通した人物であり、かつ自分の作品やライブでその点を全開にしない人物だ。スロウコアというジャンルの第一人者である彼は、そのスロウコア的な、4AD的な冷たいギターサウンドを経て、Neil Young的なサウンドをいつの間にか得意とした。本曲はその典型例のひとつにして、冗長な間奏にてそのアバンギャルドな奏法の数々をして「実はこのバンドもこういうサウンドを出すことができるんだ」という部分を示した事例。オルタナティブロックとスロウコアとアメリカーナの狭間の荒涼感は、ギターロックの傍流のひとつとして死ぬほど魅力的で、そしてそういう要素をライブバンドとして全然示さないMark Kozelekの、それでも別の部分で傑出しているからライブ自体は良いものになるという才能に、苦しさ混じりの愛着を憶える。この曲の最後の方だって、段々演奏が崩壊していくのはともかくとして、一体何回繰り返すんだよ!っていうのが、才能の傲慢さと、それでも好きになってしまいやむを得ないこちら側の立場の弱さを感じさせる。

 近年でも旺盛なリリースを繰り返しているMark。Sun Kil Moonの新譜ではまた不思議なサウンド展開されそうだが、この人ほどエレキギターをグチャグチャに弾き倒すイメージが沸かず、しかしそれを見てみたい人も居ない。人生は叶わないことばかりで儚い…。

 

9.『Desire Lines』Deerhunter (2010)


Deerhunter - Desire Lines (Live on the Interface)

 時が一気に飛んで2010年の曲。これじゃまるでゼロ年代ギターロックが元気無かったような感じもするけれど*3、それはともかくこの曲。そもそもこの後編のトップ画像はBradford Coxだけどもこの曲はBradfordの曲じゃないわけで、なんか妙だけども気にしないでほしい。

 ゼロ年代後半に出現したニューゲイザーというシューゲイザー再評価のムーブメントの中で、Deerhunterが確実にロックバンドしていたことはギターロック的にとても重要なことで、ニューゲイザーはどっちかというと“エレクトロ方面からのシューゲイザー再評価”みたいな側面の方が大きい感じがした。高度にシステム化したシューゲイザーサウンドの発出方法は、しかしどうにもギターを弾きエフェクターに興味のある自分みたいな人間には、肌感覚で理解するのが難しいところがある。Deerhunterはそういう意味で、そのギターサウンドの恍惚性や攻撃力の高さから、ゼロ年代以降でもとりわけ“とても機材(エフェクターとか)が気になる”バンドとして自分には感じられた*4

 特にこの曲の、どこかで見かけた文章では「脳に直接ハチミツを注入するかのよう」と称された、甘くもサイケデリックに煌めくギターサウンドの美しさには舌を巻く。尺の半分にさしかかる手前からの演奏の、ギタートーンの絡まり方の悩ましさはまさに、ギターによって発出された音であり、その制約による官能とロマンとに溢れた光景が広がっている。ギターは脳を溶かすことのできる道具であり、ギターロックは脳を溶かすことがある。大事なことです。

 

10.『The Echo Of The World』Cloud Nothings (2018)


Cloud Nothings - "The Echo Of The World"

 最後の一枠は迷って、Courtney Barnettを入れようと思ったけど、今のライブ編成見たらキーボードが入っていてギターが本人1本しかなかったので外した。ギターロックはギターが2本なくてはいけない、それは自分の古臭いギターロック観念における、何気に重要なポイントらしい。

 それで結局このバンドにして、最高に名曲な『Modern Act』にしようとも思ったけど、いや折角だからと、まだ新作アルバムが出ていない状況の、このリードトラックにしてみました。

 いやしかし、このリードトラックの破滅的な様は一体どうしたことだろ。昨年から連続でアルバムを出すということで、アルバムはまた元の8曲40分足らずのようで、全体としてどんな作品になるか楽しみだけど、それにしてもこの、ささくれ立ったリードトラックの存在感は際立っている。元々彼らは、パワーポップを荒々しい形で、しかも先祖帰りめいた方法にて現代式にアップデートしてみせたという妙なところのバンドだったけど、今回はこのリードトラックを見るに、より演奏に入っていき、ギターをキリキリいわすことに注力しているんだろうか。彼らのギターロックは今、まさに悲鳴を上げている。それは何か、完全に完成された昨年のアルバムを超えるべく負荷をその身に集めているようで、痛々しくも頼もしくもあるし、不安と期待が入り交じった形で、この10選の最後を終わらせることにしたい。その不安と期待はある種、彼らの存在を超えて、ギターロック概念に対するそれでも、あるのかもしれませんね、と。

 

 以上、10曲でした。

*1:本当になんで演奏されないんだろう。ドラマチックすぎる曲構成が他の楽曲と並べて齟齬を来すから?歌詞がやや身勝手だから(この時期の歌詞は大体そんなものでは)?今の年齢で演奏するにはちょっと恥ずかしいから?

*2:もしくは「Radioheadが何らかの理由で『Black Star』をライブで演奏しないことを続けていること自体にエモみがある」とさえ言えるのかもしれない(?)

*3:ゼロ年代でいまひとつギターロックという枠組みの名曲が思いつかなかったのは、前半はThe Strokes以降のガレージロックリバイバルやポストパンリバイバルで典型的なギターロックのイメージから遠ざかり、また後半に全盛期となるUSインディも、どちらかといえばドリームポップな方向性だったり、そもそも単純にギターロックと片付けられない芳醇さがあったりとかで、逆にシンプルにギターロックバンドだなあと純真に思い込めるのが、Deerhunterくらいしか思いつかなかったということがあります。少なくともゼロ年代産の純ギターロックバンドがDeerhunterしか思いつかない辺りに自分の思う限りのギターロックの限界が存在してるし、そもそもこんな言い訳を晒す程度の貧弱な理解とライブラリで申し訳ないです・・・。

*4:つくづくリアルタイムでハマり込んでいなかったことが悔やまれる