ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『Yankee Hotel Foxtrot』Wilco(3/12 Radio Cure)

 全11曲入っているアルバムの、3曲目です。爽やかな前曲から一転、陰鬱で不穏な雰囲気を突如巻き散らかし始める、このアルバムの初心者キラーチックな曲。でも、この曲に良さを感じ始めてしまうとまた、このアルバムの良さが一段階深くなっていく、そんな感じの曲と思ってます。

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Yankee Hotel Foxtrot

Yankee Hotel Foxtrot

 

Yankee Hotel Foxtrot

Yankee Hotel Foxtrot

 

3. Radio Cure

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前書き

 おそらくこの曲を聴く多くの人が、シンプルな前曲からこの曖昧然とした不安が広がる曲に触れて、幾ばくかの不安なり困惑なりを抱いてしまうと思う。そしてそれはおそらく、そうなるように曲を並べているのかなと。

 歌詞翻訳を先にして分かったけれど、この曲は本作の中でもとりわけ、歌詞の登場人物の状況が混沌としている。混沌としているけどもそれは激しくグチャグチャに鳴っているという訳ではなく、もっとこのサウンドのように、曖昧でかつ、薄らと気味の悪い感じなんだということなのか。

 

楽曲精読

 この楽曲の不穏さというのは、つまるところ「音の空白」に宿っていると言ってもいいんだと思う*1。つまり、アコギ・ベース・フロアタムをベースとするコーラス部以外の演奏の醸し出す、別にはっきりと短調なわけでも無いけどしかし長調っぽくも無い感じでアコギはチリチリと鳴らされ、フロアタムはひたすら単調に鈍くリズムを刻み続け、ベースもその単調さに付き合うものだからそもそも鳴ってるのか覚束ない。そこにキーボードの低音やら、よく分からない(故に非常にこのアルバム的な)ノイズっぽいシンセやらギターやらが重ねられて、出来上がる雰囲気、 「音の空白」は、なんかどこか埃臭いというか、たとえばそれはアメリカの田舎的な、いわゆるカントリー的な、Neil Youngとか的な「土臭さ」とは全然別種の「空白」なんだと思う。

 この「空白」の感じはスロウコア勢の「空白」の感じにやや近いのかもしれないけれども、それにしてはこの「空白」にはノスタルジーとか空虚とかみたいな広がりは感じない。それはおそらく、一方でこのアルバム的なノイズやキーボードの使い方が、もう一方で単調な演奏に線の太いボーカルの呟きという構図が産む浮遊感のようなものが、非常に大きく作用してるんだと思う。この「空白」はもっと、当時の街の緊張感や不穏さそのものを妙にスケッチしたもののように感じられてしまう。それはやっぱり、このアルバムのイメージがあまりに911という歴史上の事件に結果的に結びついてしまったからなのか。何か恐ろしいことを前にした街の埃っぽい空気が、何らかの不穏なエネルギーを吸ってチリチリと瞬く、そんなイメージをどうしても、ぼくは抱いてしまう。

 そんな雰囲気にサッと明かりが差し込むのが、コーラス部のポップでエモーショナルなメロディ。この優美なメロディが付くことによって、この曲も実験的なだけで終わらずにしっかりとこの曲単体として“ポップな曲”として成立し、「『Yankee Hotel Foxtrot』はホント全曲いい曲だなあ」って感想が成立する*2。歌われている内容はともかくとしてポップなこのメロディも、1回目はこの曲の大部分に降りかかっている上記の不穏さの中に、メロディだけ強引に投げ込むような形を取っている。このポップではっきりと長調なメロディも、メロディに並走して鳴らされるグロッケンも、この不穏さを取り払うには至らない。

 結局、このコーラスのメロディが活きるのが楽曲の終盤の地点であることが、この曲のじれったさ、そしてその分十分に溜められたエモーショナルさを引き出している。4分前後からの、ドラムがThe Beatlesライクなもっさり感でしっかりと8ビートを叩き始める*3ことで、この曲は初めて不穏な曖昧さから解放され、何かしら断定的な力強さを幾らか有することになる。グロッケンやシンセのフレーズは、激しくは無いものの鮮やかにロマンチックなラインを描くし、そしてボーカルは次第に、元のダルさを確実に抱えたままながらも、何かをもっと力強く訴えるべく声を張り上げる。結局は、Jeff Tweedyのボーカル力が、この曲を感動的なものにする一番の原動力になっている。何だこの美しいかすれ方は。

 丁寧なことに、この盛り上がりからもう一度、以前の不穏・曖昧さに回帰した上でこの楽曲は終わる。それは、どうにか力を振り絞って空に叫んだところで、何も世界は変わらないままにまたうなだれるような感じがする。そしてそれは、普通に考えればそれはそうなるに決まっている訳で、空に向かって格好よく叫んだところで、世界は何も変わらんという、そんな当たり前のことを、こういう曲とかを繰り返し聴いたりすることで覚えていくようなところもある。

 そしてそんな月並な無常観を抱いたところから、次曲の無意味に快活な響きに繋がっていく。この、アルバムならではの、雰囲気と雰囲気の切り替わり/連続していく感じが、このアルバムは本当に気持ちがいいと思うけれども、どこまでを当初から考えててどこからが制作中に結果的にこうなったんだろう、というのは個人的に気になるところ。ここの繋ぎが、このアルバムの各曲間の繋がりの中でも一番好きだ。全く救いがないくらいに爽やかなんだもの。

 

歌詞

genius.com

ぼくに精気をおくれよ、ハニー。きみならできると祈ってるよ。

ぼくには何かしら問題があるんだ。

銀色の星たちがぼくの頭の中に渦巻いている。

ハニー、キス、綿毛の雲。

すっかり肩をすくめてしまう。

 

ぼくに精気をおくれよ、ハニー。きみならできるだろうよ。

ぼくには何かしら問題があるんだね。

ラジオの救いがぼくの頭の中に渦巻いている。

電気的で外科的に作用しそうな言葉たち。

 

林檎を取ってみせよう。

今まで見たことないものたちの王と王妃のために。

ああ、距離が2人の愛を浮かび上がらせるなんて、あるわけない。

 

ぼくに精気をおくれよ、ハニー。きみならできるって思うよ。

ぼくには何か問題があるね。

銀色の星たちがぼくの頭の中で渦巻いている。

ハニー、キス、綿毛の雲。

 

林檎を取ってみせよう。

今まで見たことないものたちの王と王妃のために。

ああ、距離が2人の愛を浮かび上がらせるなんて、あるわけない。

ああ、距離が2人の愛を浮かび上がらせるなんて、あるわけない。

ああ、距離が2人の愛を浮かび上がらせるなんて、あるわけない。

ああ、距離が2人の愛を浮かび上がらせるなんて、あるわけないよ。

 

ぼくに精気をおくれよ、ハニー。きみならできるだろうよ。

 

  上記の歌詞サイトには所々に注釈(誰の?)が付いているけれども、この曲における多くが「この単語の並びはナンセンスさを狙っている」とされているので、英語でも意味が通らないような文章を日本語にしても、やはりはっきりと意味を結ばないところが多々ある。「今まで見たことないものたちの王と王妃のために」という一文なんて、まさに日本語に落とし込みにくそうな英文法的なクドさを感じたし、しかし意訳しすぎてしまうとニュアンスを著しく損なう気がした。

 上記サイトの注釈によるとこのナンセンスさはまた、作詞者であるところのJeffの当時の混沌とした状態を表現している、とのこと。特に、心の中で渦巻くものの表現に、ドラッギーな感覚が見えるけども、他の曲の歌詞とか、あとドキュメンタリー映画とかを見る限りだと、これはドラッグよりもむしろ酒なのかなと。Jeffはこの時期ひたすらアル中で、色々な問題を抱えてたのかなと思ったり*4。その苦しさを、このように楽曲にしっかり反映させて、そして美しいメロディで締めることによってひとつの優れた楽曲として成立させてしまうバランス感覚に、この時期の彼の(当然、相応の実力を持った上で)「音楽の神様に選ばれた」感じが伺える。

 また、「ラジオの救い」というのも、おそらくは彼らにとって非常に大事なテーマだったと思う。Wilcoというバンドはそもそもとしてラジオや無線に対する敬意が根底にある。「Wilco」という バンド名自体が「will comply(了解)」を意味する無線用語から取られているし、彼らのファーストアルバムのタイトルは『A.M.』で、ジャケットにはラジオの写真が一面に鎮座している。そう思うと、この曲に限らず、このアルバムのあちこちに配置された奇妙なノイズが、ラジオや無線の受信時のノイズから連想されているのだと考えつく。そして思うのは、自分の外部から「受信」するには「ノイズが発生してしまう」という構造の、メタファー的な意味合いの程である。このアルバムの楽曲はずっと、何かしらの「交信の不調」を歌い続けている。そう思ってアルバムを聴くと、あちこちで聞こえてくるノイズの意味合いがまた、違った感じに聞こえるのかもしれない。

 

楽曲単位総評

 結果として、この不穏な楽曲があることでアルバムの世界観が奥深くなった部分は大いにある。言ってみれば彼らが“アメリカのRadiohead”と目されるにあたって最も重要だったのはこの曲とか『Poor Places』とかの存在だろうし。

 ただ、こんな楽曲でもあくまで「アコギ含む生バンドの音」にノイズやシンセ等が入り込む構造になっていることはそれ以上に重要で、このアルバムの「古き良きアメリカンロックが何か現代的な悪意や混沌に曝され、侵されている」感じ、そのアンビバレンツな切なさや美しさを象徴する曲のひとつであるということ、そしてこの曲自体がどこか疲れ切った感覚に満ちていることが、今作でも聴き辛い方に入るであろうこの曲の、しかしある程度以上に聴き込むとアルバムでも一際エモーショナルに感じられてしまう所以なのかなあとか思う。 

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*1:メロディも、コード感的になかなか終始せず、延々とつかみどころがない感じで聴き辛いと思うけども。

*2:その点、次作『Ghost is Born』はその辺の前提条件が全然違うっていうか、単体として「いい曲」であることを放棄することから製作が始まっている感じがします。

*3:パンが左に寄っていることもどこかThe Beatles的に感じる。

*4:その割には、件のドキュメンタリー映画には自分の息子と一緒に楽しげに『Heavy Metal Drummer』を口ずさむシーンみたいな、ホッとする場面も散見されるけども