ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『Yankee Hotel Foxtrot』Wilco(10/12 Poor Places)

 いよいよこのアルバムもクライマックスになってきたなという10曲目。実質アルバムタイトル曲的なポジションになります。どういうことか。まあ聴けばわかるんですけども。この曲や次の曲(あと『I am Trying〜』とか『Radio Cure』とか『Ashes Of American Flags』とか)があるおかげで、Wilcoが「アメリカのRadiohead」と呼ばれるようになった、と言っても言い過ぎでは無いのかも。このアルバム的な素っ気なさと壮絶さと、その両極を極端に有している楽曲。

open.spotify.com

Yankee Hotel Foxtrot

Yankee Hotel Foxtrot

Yankee Hotel Foxtrot

Yankee Hotel Foxtrot

 

10. Poor Places

www.youtube.com

楽曲精読

 前の曲がフェードアウトして、いきなり時報か何かのような音が断続的に鳴り、そしてドローンめいたシンセ、オルガンを背景に、Jeffの歌が現れる。声はシングルで録音され、少しリバーブがかかっている。メロディはどこか掴み所のないラインをしている。ドローン的に曖昧に混ざり合った音の中で、次第にピアノっぽいタッチが混じって聞こえてくる。バンドな感じは全然して来ず、ポストロックのインストものに強引に歌を乗っけているのかな、といった風情がある。コード感は非常に曖昧にされ、リズムも無く、抽象的な音の中をボーカルだけがまだはっきりと輪郭を持って進んでいく。

 同じメロディが繰り返し歌われる中、次第によりはっきりと、ピアノのアルペジオが挿入される。ピアノの音は少し歪んでいて、チューニングも少しずらされているのかもしれない。ホンキートンクなピアノの幽霊みたいな存在感がある。次第に音量的にせり上がってくる、整然として無機的なノイズの圧。

 そして1分50秒前頃になって、そんな曖昧に緊張しきった状況が一気に解ける。ドラムの静かなフィルが入って、そこから伴奏の音は急に整理される。ピアノはリバーブも歪みもデチューンも無くなり、自然なピアノの音色で整然と優しげなリフレインを綴っていく。シェイカーの音、また少し遠くでタム回しをするドラムの音が挿入され、少しナチュラルな音楽の感じを取り戻す。郷愁を誘うように鳴るトランペットめいた何かの音。歌のメロディは繰り返され、そしてピアノはいつの間にか執拗に無機的なリフを反復し続ける。ピアノの感じがまた現代音楽みたいなミニマルさで、やはり抽象的な圧が高まっていく。

 致命的な変化が訪れるのは2分30秒頃。強迫的に繰り返されていたピアノが無くなり、アコギと歌とシンプルなピアノ伴奏だけになって、歌はこれまでの繰り返しでは無いメロディにようやく到達する。伴奏にはしっかりとコード感があり、この曲の中で唯一、聴いてて曲の輪郭が明確に分かる場面。歌われるメロディははっきりと抑揚があり、そしてしっかりと落とし所のあるメロディが、少し声を張り上げたことでザラつくJeffの声で歌われる。落とし所と言うけれども、実際に、少し高揚したメロディはこのパート後半で一気に音程が降下していく。

 歌が途切れた瞬間、短いアコギソロのパートが挿入される。郷愁を誘うような甘美なフレーズは、まるで窓辺に置かれた小さな花瓶の花のような面持ちがする。そしてその窓の外では、元のメロディに戻らずに、むしろこのアルバムのクライマックスの展開が待っている。

 マーチングのようなドラムをバックに、ピアノの魔法みたいに降下していくメロディが、ディレイを掛けられて左右で少しタイムラグを持ってリフレインする。遠くでは一定のリズムで、これはティンパニかな、小節の変わり目を知らせるかのように鳴る。アコギも弦の煌めきが際立つような、葡萄の蔓のような、甘美なアメリカを感じさせるようなプレイを続けていく。いつの間にかそこに、先の展開部と同じメロディが歌われる。ここでは伴奏は最早コード感を支えるようなプレイはしていないため、ここでの歌はこの曲の最初の頃以上に、音の飛び交う空間の中を力無く漂っている。

 この歌のメロディが終わるよりもやや早いうちに、このアルバムのテーマたるものが遂に登場する。ラジオから流れてくる、女性の機械音声のようなものが唱える、フォネティックコードを3つ。

Yankee, Hotel, Foxtrot

 フォネティックコードとは、無線や電話等で番号や単語を伝える際に、双方に誤解が無いようにするために用いられる単語のことをいう。例えばPなら「パリのP」などということが電話で交わされたりすることは日本でもあると思う。

 そもそもこのアルバムは、Jeffがこのフォネティックコードが関わる乱数放送*1に興味をきっかけに、ラジオ・無線といった当初から彼が興味を持っていたであろう通信手段のことを裏コンセプトとして製作されたもの。 そこでJeffが、入手した乱数放送の音源から選び出したのが「YankeeのY」「HotelのH」「Foxtrot*2のF」をひたすら繰り返す放送だった。

 果たしてJeffが、この乱数放送からの引用にどんな意味を載せたかったのかは全然見当がつかない。しかし、そんなリスナーの思惑をよそに、Jeffの歌は次第にこのYHFの連呼にすっかり取って代わられてしまい、そして途中から湧き出してきたノイズがどんどん増殖し、音量が上がっていき、ドラムが消えた辺りで、流れてくるのは激烈に旋回するノイズと、この無機質に浮かび上がってきたラジオボイスの反復のみになる。ノイズは、永遠に見つからない出口を求めのたうつかのようにうねり、彷徨しながら咆哮し、そしてラジオボイスの繰り返しが最後の「Hotel」を言い終わるのと同時に、全く無機質にスッと息絶える。

 この終盤のノイズの展開こそ、このアルバムのクライマックスなんだと思う。これにどういう意味を感じるか、それはある程度聴く人によって個人差があると思うけれども、おそらくそれらの印象は決して、ポジティブなものでは無いはず。他の曲で何度も話したとおり、このアルバムのリリース時期の問題(911)もあり、このノイズもまた、極度の混乱と、戦争の狂気とを思わせる要素も多分にある。ノイズにおどろおどろしさは無く、ひたすら乾いた、単調な激しさと、無機的な物悲しさがひたすらに広がる。

 

Wilcoとラジオ・無線

 他の曲の項でも触れたとおり、Wilcoはそもそもがラジオ・無線に対する思い入れが多々見られる。「了解(Will Comply)」を意味する無線用語であるwilcoをバンド名に冠したことや、そのファーストアルバムのタイトルが『A.M.』である辺りは、そんな興味が幾分無邪気に露出した場面だっただろう。

 しかしながら、このアルバムをそれらと同じくらいの無邪気な興味により作られたと見做すことは到底不可能だと、このアルバムを聴いた誰もが思うだろう。この全編、音としてのラジオノイズまみれになり、また歌詞においても幾つもの「通信失敗」「電波の混線」のような場面が描かれるこのアルバムは、単なる電波放送に対するリスペクトとは捉える事が出来ない。

 では、Jeffはそんなネガティブな電波放送のモチーフを用いて、結局何を伝えたかったのか。現実の困難さか。疲れ切って病に陥った自身の表現か。現代社会のコミュニケーションの困難さの音楽的表現か。少なくとも以下の記事において、Jeff本人は以下のようなコメントをしているらしい。

tower.jp

ジェフはウィルコの音楽が実験的だと評価されることについて、いくぶん不服そうでもあった。彼によればウィルコのサウンドは「実験的ではなく、感情の起伏の表れ」なのだ。

 

 これをどう捉えるか。又は、メジャー調の可愛らしい楽曲でイタズラっぽく現れては消えていったノイズのことをどう捉えるか。このアルバムにおけるノイズは、時にポップな形で表出する。そういうノイズを、イタズラ好きな可愛らしいお化けにたとえるなら、この曲の最後のノイズの嵐は、それらが壮絶にも絶命する様に思えてくる。そして最後の曲の葬送曲めいた存在感…。

 僕たちはこの曲にて、時に可愛らしく時に狂気走ったノイズたちとお別れをすることになる。ノイズに乗った(我々が勝手に投影した)様々な思いを胸に、アルバムは静かに深く沈んでいくようなエンディングー最終曲『Reservations』に進んでいく。それは、ノイズの幽霊が死んで、静寂に満ちた大いなる流れに飲まれていくようである*3

 なお、このアルバムにおける乱数放送との関わりについては、このサイト記事が詳しい。というかこのページもう何回も読み返したなあ。

 最後に、アルバム制作時にJeffが入手したと思われる乱数放送の音源は、どうやら普通に販売されていたらしい。

www.amazon.co.jp

 CDで4枚組という圧倒的ボリューム。私はこれを持ってないですが、結構これに影響を受けたというか、この中身をサンプリングした音楽というのはあるらしく、その辺は「乱数放送」のwikipedia記事を読んでいただければいくつか確認できる。興味深いのは、あの石野卓球が直球に『Y.H.F.』という曲を作っていたということ。ニコニコにアップされてたので参考までに。

www.nicovideo.jp

 

歌詞翻訳

wilcoworld.net

父さんの声が夢で響いて、消えていく。
朝に船乗りが陸に上がっていく夢。
階段を登りきった先の、エアコンの効いた部屋に向かって。

彼の顎は砕けてしまっていて、
彼の身体には包帯がきつく巻かれてる。
その牙は抜かれてしまってる。
そして本当に、ぼくは今夜、きみに会いたい。

 

バーボンの匂いが、きみが本当に愛してる歌手の口から臭い立つ。
彼はいろんな書籍から自分が歌にする言葉を引っ張ってきてる。
きみがどうあっても読まさそうな本から。


彼の顎は砕けてしまっていて、
彼の身体には包帯がきつく巻かれてる。
その牙は抜かれてしまってる。
そして本当に、ぼくは今夜、きみに会いたい。

だれかがぼくの裏庭で蝶ネクタイをしてる。
ぼくに親愛を示すために。
ぼくの声は苛立っていて、
煙草を片手に愛を求めて彷徨う。

ぼくの顎は壊れきってて、
心は凍りついている。
牙はすっかり抜かれてしまってる。
本当に今夜、きみと過ごしたいんだ。

そしてだれがありとあらゆる国でどんな風に泣いていようと、
ぼくには関係のないことだ。
貧しいところで今夜、何かが起こってたとしても、
ぼくはどこにも行かないよ。

だれかがありとあらゆる国で泣いていた。
だけどぼくには何の関わりもない。
貧しいところで今夜、何か起こっていたとしても、
ぼくはどこにも行かないんだ。

 

 タイトルからしてどういう意味だろうか、と思うけれども、展開後のメロディ部分の歌詞で、シンプルに「貧困地域」と捉えて良さそうなことだった。

 これは、この歌詞の意味するところは反語だろうか、皮肉だろうか。「世界でどんな悲劇が起こっていようと、僕は君のそばにいるよ」というメッセージだと単に表明すれば、それはきっと昨今のSNS全盛時代では格好の炎上のタネになるだろう。

 しかしながら、実際にたとえば外国で戦争が起こって、罪のない人がたくさん死んだとして、それらについて何ができるだろうか。自然災害なら募金などでいくらか我々の良心を金銭で落ち着かせることはできるかもしれないけど。

 この歌詞の真意はよく分からない。分からないけど、他所で何があっても離れないよ、という内向きな歌詞の内容の外側で、あの戦争のようなノイズが巻き起こっていることは非常に、何かを過剰に語ろうとしている感じがする。そしてそれはたとえば全然正反対のベクトルの物事を同時に言うような、そういう、言葉では伝えられない類のものなのかもしれない。

 

楽曲単位総評

 アルバムタイトルの正体が、遂に明かされました。とても無機質で、意味が特になくて、その意味の皆無さと、その周りの壮絶さに、初めて聴いたときは絶句したような気が。

 そしてクライマックスを終えて、アルバムは最後の曲で、死んだ電波が行く天国のようなところで、最後の祈りのようなものを放つ。この曲は実際、その最後の祈りのために捧げられた、あらしのような花束だったのかもしれない。よく分かりませんが。

 

www.youtube.com 例のドキュメンタリー映画での、この曲の制作風景の一幕。この段階では普通にしっとりとしたカントリー要素が大いに残存していて、すでにノイズは添えられているけれども、楽曲としての美しさはこれはこれで十分に素敵。ここから現在のスタジオ音源の段階まで行ってしまったことに、このアルバムのセッションの壮絶さを思う。メガネで長髪の男性がJay Bennett。この映像の時期ではまだ仲違い前なのか、Jeffと一緒になってアレンジやミックスを調整している絵が、今となっては悲しい。

www.youtube.com 音が劣悪なライブ映像だけども、このライブではスタジオ音源のアレンジをほぼそのままに再現している。これって再現できる類のものなのか…絶叫するファンの気持ちもよく分かる…こんなの目の前で見せられたらね…。終盤の、そのまま(おそらく)『Spiders(Kidsmoke)』に繋げる展開が気が利いてて素晴らしい。

*1:スパイ活動などに用いられるラジオ放送のことらしい。これはこれで非常に奥や闇が深そうなテーマ…。

*2:この単語だけ意味が日本人には特に馴染みが無い。アメリカのトラディショナルな社交ダンスの一つで、ラグタイムに合わせて踊るらしい。Harry Foxという人物が自分の名前を冠して発表したダンスが始まりらしく、狐は関係が無いらしい。。。

*3:いささかスピってるけど、こういう発想は多分『火の鳥』とかを読んだ印象が強いのかなと。