ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『Yankee Hotel Foxtrot』Wilco(11/12 Reservations)

 アルバム収録曲全11曲めのうちの11曲目、最終曲です。

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Yankee Hotel Foxtrot

Yankee Hotel Foxtrot

Yankee Hotel Foxtrot

Yankee Hotel Foxtrot

 

11. Reservations

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楽曲精読

 左右には溢れ出すあぶくのようなノイズ、奥ではひたすら引き攣りを起こし続ける光のようなフィードバックノイズが反復し続ける中で、白玉で配置されたピアノの存在はひどく頼り無い。歌が始まってはじめて、かろうじて曲の輪郭を取り戻す。歌の強度。それだけがこの曲を歌ものの曲として成立させていて、それがなければこの曲は混沌としたアンビエント〜ポストロックの類にしかならない。

 ひたすらにバンド演奏の感じはなく、サウンドからはJim O'Rourkeの作品のような趣ばかりが感じられ、彼が今作では最後のミキシングだけで、演奏やサウンドプロデュースには直接は関わっていないという事実がなければ、多くの人がこれをJimとJeffの共同制作としか思わないだろう*1

 多くの抽象的な音が飛び交う。いくつもの筋のようなノイズが立ちのぼり、混線を示すようなノイズが旋回し、抽象化されたアコーディオンのようなシンセも響く。これは、あらゆる環境音・ノイズのみで構成されたシンフォニーになっている。全ての音が渾然一体となるよう曖昧で有機的なミックスが施されている中、Jeffのソングライティングと歌だけがやたらとくっきりしている。ボーカルは、ここにきて今作でも最もノンエフェクトで、コーラスを除いて重ねも無くシングルトラックで、声のかすれ具合や息継ぎの音なども含めて、もはやこの曲のベースラインも兼ねるかのような重厚でリアルな響きがある。

 この曲のタイトルが現れるコーラス部のメロディーはまるで、この荒涼としたアルバムにおける聖歌のように響く。ボーカルは2つ重ねられ、きっちりとタイミングを合わせていない2つのボーカルは僅かにズレが生じていて、そこに機械的でない、この曲で非常に希少な肉感的な質感が宿る。1回目のコーラスでは、ボーカルの音以外でサウンド的にそれまでと異なる部分は見られず、Jeffの声がなければそこがコーラスとは気づかないだろう。2回目のコーラスについては、無機質なパッドシンセが次第に重厚に声を取り囲み、荘厳で幽幻な雰囲気を放っている。

 歌は、2回目のコーラスを経て、3分に達しないうちに途切れてしまう。サウンドは多くの引付けと明滅を重ねながらも、3分半程度で一旦の収束を見せる。7分半ほど尺のあるこの曲の、残りの時間はひたすらにアンビエントなインストが続いていく。低くくぐもったピアノ、混沌さが取り除かれ、静かにドローン的に流れ続けるパッドシンセ、前半よりも小音量になった、いくらかの混線ノイズたち。いくつかのシンバルプレイも存在感としては空間にすっかり溶けてしまっている。

 そしてそのような最後のアンサンブルも6分半ごろには終わって、最後はドローンシンセの音がゆっくり減衰していく。7分を超える頃には、殆ど何も聞こえなくなってしまう。今回これを書くために改めて聞き返して、実は曲が終わる直前(7分15秒〜)に、非常に遠く小さい音で、サイレンのような音が聞こえることに気づいて、背筋に冷たいものを感じた。

 

 私が思うに、アンビエントミュージックというものは幻想的すぎてはいけないものと思っていて、それは現実的な空間の持つ空気感を音に寄託することがアンビエントミュージックの目的であるため、現実と違う世界が音から見えてしまってはいけない、シャングリラなり地獄なりが音から見えてしまっては、リアルな空間を示す音楽としては成立しないものと理解している。

 その点でこの楽曲は、楽曲としてのロマンチックさをほぼ歌だけに留めて、サウンドはひたすらに抽象化されていく。前半は歌もあり、いくらか幻想的な感じもありつつも、しかしながらどこか、まるで都市が見る夢のような、そんな感じがすると書いてしまうといささかレトリックに陥りすぎてるだろうか。そして後半のよりアンビエントミュージックさが増す部分は、都市が夢から覚めてしまった後の光景を単に描写しているようにさえ思える。都市の一角の何かあった空気は、ゆっくりと日々の空中に溶けて消えていく。

 

 この一連の記事で何度も取り上げてきたこのアルバムのドキュメンタリー映画にて、この曲のレコーディング風景が映るチャプターがある。バンドがギターを抱えてこの曲のことについて語り合う。変則チューニングじゃないと感じが出ない、と主張するJeffがそこには写っている。弾き語りにチェロやピアノを合わせた、優雅なテイクが映像には示されている。

 けれども、実際にアルバムとしてリリースされたこの楽曲を聴く限りにおいて、そのような、バンド的・伝統的な楽器の音の形跡は、この曲にはほとんど残されていない。チェロの音も消されてしまっているか、もし入っていたとしても、それがチェロとはわからなくなるレベルまで希釈されてしまっている。

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 このアルバムは混迷を極めた制作行程だったとされる。この曲はもしかしたら、それを最も象徴する楽曲なのかもしれない。このようなアンビエントサウンドのシンフォニーとして、この解体され尽くされた楽曲がアルバムの最後に配置され、そしてそれが長い余韻を経て終わる時、このアルバムは壮絶とも、空虚とも思える着地、着地というよりも消失というか、そのような帰着をする。この終わり方はRadiohead『Kid A』とかなりの類似をしていて、このアルバム制作における影響元として『Kid A』は避けられないものと思われる。『Kid A』等のインパクト、そして911インパクトにより、非常に淡く空白を描くようなサウンドの作品が多く見られた2002年のロック音楽界。そこにおいてこの曲は、結果的にその傾向の決定打であった。

 

歌詞翻訳

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どうやってきみに分かってもらおうか、
ぼくが嫌ってるのはあくまでぼく自身だってこと。
きみの視線を気にしていないんじゃない。
ぼくが距離を取ってしまったり嘘をついてしまったりするなら、
それはどんな時でも、愛のためだ。

 

選べないようなことにこの身を縛られている。
あっさり騙せるような感情にこの身を縛られている。
でも、きみとぼくを引き裂く程のことは何も無い。

 

ああ、ぼくの世界には不安ばかりがある。
でも、それはきみのことじゃない。

 

こんなの、きみが言って欲しいことと違うなんて分かってる。
嘘が美しさを生むなんていう酷い真実について、
どうすればうまい距離の取り方ができるんだろうね。

 

ああ、ぼくの世界には不安ばかりがある。
でも、それはきみのことじゃない。

きみのことでは決してない。

きみであるはずないよ。

 

  「Reservation」という単語には多くの意味がある。最初自分は「予約」と解釈して、コーラスの歌詞を「僕は沢山予約があるけど、きみはそれに入ってないよ」という意味だと思って、なかなかひどいことを言ってる、と思ってた。でも、それだと前後の歌詞と噛み合わないと思って、この単語を調べ直したら「心配・不安」といった、留保から派生したような意味もあることが分かった。なので上記のように解釈した。

 このアルバムで度々取り上げられた、どことなく不幸な不和の存在する二人についての歌の、この曲がその完結編なのかなと取れる歌詞になっている。「嘘」がとりわけこの曲では引き合いに出され、歌の主人公の苦い感情を思わせる。コーラスのフレーズはその結論として、ギリギリのところで「you」に対する切実な親愛を歌い上げている。

 そしてこのコーラス部の、単に個人的な不安と愛の話であっただろう歌詞が、911後の世界でどのように人々に聞こえてきたかを思うことはとても果てしない。私の訳も結局、そういうことに引き摺られてしまっているんだと思う。そしてそれで構わない。

 

楽曲単位総評

 ただただ美しい、ということだけであれば、このアルバムは名盤にはなっても、歴史的なものにまではならなかっただろう。この曲の美しさには、そういう複雑さが付きまとう。流石にこの曲についてだけはJim O'Rourkeが音を足すなり、バンドと話し合って演奏を追加するなりしたんじゃなかろうかと思ってしまう。これだけの音がJimが最終的にミックスに参加するより前に全て出来上がっていたとすれば、バンドは相当な段階まできていたことが伺える。

 彼らの次のアルバム『A Ghost is Born』にはこの曲と同じような構成の『Less Than You Think』という曲がある。あっちは完全にJimが音作りの段階、もしくは作曲の段階から入っていたのかなと思うけど、その分この曲以上に荒涼としたアンビエントが延々と、それこそアルバムの価値をいくらか損なうくらいに延々と録音されている*2。その点こっちは、アルバムを締めるにあたっての神聖なメロディと、それに反するような現実的なポリフォニックでノイジーな風景感とが、やや後者が強い程度の程よいバランスで混合されている。このアルバムの他の曲がポップソングに実験要素が入ったような作りになっているのに対して、この曲と『I am Trying〜』は楽曲が徹底的に解体され尽くしている。それでも、この曲の主役はまだ歌だよな、と思わされる。Jeff入魂のメロディが、このアルバムのエンディングとして相応しい気高さ・美しさを持っている。そして歌が終わって、余韻とともに自然と世界に帰っていく。

 この曲がこのアルバムの締めで良かった、そう思わせるだけの世界が広がっていく1曲。

 

www.youtube.com アルバムリリース直後のライブ映像。流石にこの曲のスタジオ音源の音をライブで再現は不可能。でも、上記の制作途中の風景と比べても、よりアルバムバージョンに寄せた演奏になっていることに注目したい。

www.youtube.com 割と近年のライブ。流石にアルバムのアレンジからいくらか離れた、ライブらしい演奏になっているように思う。Nels Clineのギターのボリューム奏法がとりわけ印象的。

 

 

 あと1回だけ、各曲紹介では触れてなかったこと、ジャケットのこととか、そういったことを触れた上でアルバム全体の総評として、記事を書く予定です。ひたすら拙さがダラダラ続くシリーズでしたが、もしよろしければ最後まで読んでいただけると幸いかもしれません。

 

*1:同時に、ミキシングだけとはいえ、とりわけこの曲におけるJimの存在感というのも、相当なものがあったのではと思いもする

*2:『Less Than〜』に限らず、「『YHF』で程よい感じにやったことをもっと極端に、破綻したバランスでやる」というのがあのアルバムのコンセプトだったのかなあと思ったりする。