ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『Crispy!』スピッツ(リリース:1993年9月)

CRISPY!

CRISPY!

 

 初期スピッツの4枚を一気にレビューしていった訳ですが、ここまではまだ「初期スピッツ」という分かるようで分からないような概念がバックにあったから、自分の中でも作品や楽曲の見取り図が立てやすい感じでした。またブレイク後のアルバムも、それぞれ色々な趣向がありながらも、どれもバンドのナチュラルな魅力が十分に備わっていると思います*1

 ただ、そのブレイクまでの時期のスピッツというのはやや宙ぶらりんな状態だと思います。まだ『空も飛べるはず』の後追いヒットがあった『空の飛び方』は、ブレイク以降のスピッツの基本的な武器が揃ったようなアルバムになっていますが、その前のアルバム━━今回取り上げる『Crispy!』については非常に微妙な状態で作られたアルバム、と言える部分がある。売れるべく、人気プロデューサー・笹路正徳氏を迎えての制作だったけれども、果たして…。

 しかしながら、ではなぜ「微妙な状態」だったのか、その状態で作った曲はどうなのか、っていうか初期スピッツ引きずってる曲もまだあるじゃん、っていうかこのアルバムまでが「初期スピッツ」じゃね?等々も含めて、色々聴き返して発見があったりするのが、こういう微妙な時期のアルバムだったりもしますので、その辺を念頭に置きながら、1曲ずつ見ていきます。

 そういえばいきなり余談ですが、タワレコ40周年のポスターにも、なぜかこのアルバムジャケットが選出されています(下画像の真ん中らへんにあります)*2。なぜこれなのか謎だけど、このアルバムのファンがいたのか、それともタワレコ挙げての今作の復権運動なのか…。ちなみにこのジャケット写真のモデルは草野マサムネさん本人だそうです。

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1. クリスピー(3:06)

 新生スピッツをカジュアルに伝える、軽やかなポップソングでアルバムは始まる。ハネた感じが一切ないベターっとした8ビートと、そしてキーボードがメインフレーズを執るイントロに、初期から順番に聴いていくと「うわっ変わったな」とすごく思えてちょっと驚く。失礼を承知で書けば「スーパーで流れる音楽」みたいな方向に近づいたというか。

 ただ、そんな様子は歌が始まるとちょっと様子が変わる。歌のメロディも歌い方もかなりファニー気味になってて、今までよりも軽快といえば軽快、軽薄といえば軽薄。だけど、よく聴くとこの歌メロの感じとギターリフを交互に展開するAメロって『Summertime Blues』じゃん!*3今までジャンル的な部分で同時代なり過去なりからの引用はあったと思うけど、ここでの「特定のメロディや曲構造」の引用は結構意外な感じ。この感じ、渋谷系っぽさがあるなと思った。サビではバックで流れるシンセの感じもちょっとT.Rexっぽい奇妙なハズし方をしていて、ファニーさと同時に、ちょっとしたカジュアルさを感じる。こういう各ポイント単位でのカジュアルさは今までになかった要素だと思う。

 そしてミドルエイトでリズムを重く切り替えて、これまでのファニーさをちょっと破るような、感動的に伸び上がるコードとメロディをさっと挿入する辺りは、この曲の軽薄気味なイントロからは意外なメロウさとキャッチーさがある。ブレイク以降のスピッツが大衆からもコアなファンからも求められる最大公約数的なメロディの要素が現れてると思う。

 そして歌詞も、新生スピッツ的な側面の表れた格好になっている。つまり「売れたいのだ」というバンドの意思表示が。

 輝くほどにブサイクなモグラのままでいたいけど

クリスピーはもらった クリスピーはもらった

ちょっとチョコレートの クリスピー

ここで注目したいのは、上記の1行目に出てくる「輝くほどにブサイクなモグラ」がスピッツというバンドやそのファンを比喩したものであること。この曲で初めて、スピッツというバンドが「自ら」を形容したという事実は特筆すべき。そもそも今までの歌詞はあくまで主人公が「男性の人間」って感じで、それに対する直接の形容・比喩はあまりなかったように思う。その辺が変わってきている。そしてそんなバンドやファンが「クリスピーはもらった」と勝利宣言をする、というテーマになっている。

さよなら ありがとう 泣かないで大丈夫さ

初めて君にも春が届いてるから

そしてこの箇所は、ポジティブなのかポジティブじゃないのかよく分からない文章になっている。全体的に励ましている感じがする割には「さよなら」が付いたりしていて、どういう光景なんだろうとか思った。

 ちなみに「クリスピー」という単語はこのバンドがスピッツと名付けられる際の、他のバンド名候補のひとつだったらしい*4。そう思って聴くと、そんなタイトルをアルバムにも先頭曲にも付けたバンドの気合が感じられる。

 

2. 夏が終わる(4:11)

 シティポップだこれ!欧米方面からの日本のシティポップ再評価が「華やかに」謳われる最近の風潮からすれば、もしかしたらこの曲も再評価されるかも。

 イントロからして、チャカチャカしたギターカッティングとボンゴのリズムで、そこから一気にストリングスやホーンがしっとりと入ってくる演奏は実に当時のシティポップ然としている。同じくギターカッティングをフューチャーした近年の『ヘビーメロウ』があくまで「“スピッツの曲”に対する気の利いたアレンジ方法のひとつ」みたいな取り入れられ方であるのと比べると、ここははっきりと曲の方からシティポップという概念に接近している。

 16ビート気味なリズムに、涼しげなコード進行。曲構成もサビっぽいメロディと思わせてさらりとAメロに帰ってくるブリッジ的構造でシックな作り。艶やかなバブル感だけを抽出したこの感じはかなり的確で、音楽的コスプレと呼ぶのが憚られるくらいの完成度がある。ここまでモロにシティポップ然とした楽曲は他のスピッツの曲には無いように思うので、そういう意味でもこの曲はかなり貴重な存在だ。曲調やアレンジ的に夏っていうより秋冬な雰囲気を感じもするけど。

 歌詞の方も、かなりシティポップな雰囲気に寄せてるのかなあなんて思う。歌い出しの情景描写からしてやや大人っぽい感じ。

遠くまで うろこ雲 続く

彼はもう 涼しげな襟もとを すりぬける

1行目の感傷的な感じがいい。「彼はもう〜」の部分はよく読むと意味不明な感じもするけど、そもそも「彼」という3人称を使っているところが非常に珍しいスピッツの基本である「僕と君」ではなくこの曲では「彼と君」になっている。その突き放した感じが前の曲とギャップがあってちょっと可笑しい。

日に焼けた鎖骨からこぼれた そのパワーで

変わらずにいられると信じてた

でも、こういうフレーズがすぐにまた出てくるので、やっぱスピッツの歌なんだなあと思う。「日に焼けた鎖骨からこぼれたパワー」ってなんだよ(分かるっちゃあ分かるけども)。

またひとつ夏が終わる 音もたてずに

暑すぎた夏が終わる 音もたてずに 深く潜ってたのに

そしてサビ(ブリッジ?)で、オシャレな感じとスピッツな感じが衝突する。最後の「深く潜ってたのに」は意味的には「冷たくって柔らかな 二人でカギかけた小さな世界」(『ニノウデの世界』)と同じサイドの言葉で、意外と初期スピッツ的な精神性を引き摺っていることが分かる。

キツネみたい 君の目は強くて

彼方の記憶さえ楽しそうに突き刺してた

この辺とか実にスピッツ。それも初期じゃなくて中期以降っぽい表現。「君」の容姿に言及するのもスピッツの歌詞では珍しい。

 このように、この曲はサウンドアレンジ的にも詩作的にも、スピッツ史においてかなり希少な要素を沢山持っている。特に、洒落たシティポップに意外とスピッツな描写が溶け込んでいるのは非常に興味深い。ちなみに本作リリース後に『君が思い出になる前に』がシングルカットされた際、この曲がカップリングとして収録された。

 

3. 裸のままで(4:47)

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なかなかの恥ずかしPV…。だけどサムネの場面はバックにいろんなバンド名が書いてあったりして、色々と面白いです。

 スピッツ笹路正徳プロデューサーと初めて制作した楽曲にして、このアルバムのリードシングル。そして、このアルバムやこの時期のスピッツを良くも悪くも象徴する曲である。

 イントロからサクソフォンがグルーヴィーなリズム隊の上で咲き乱れる、所謂「ポストストーンローゼズ系」のグルーヴィーさとダサさのあるポップスである。ワウギターのカッティングと16ビートで動き回るベースは実にそういう感じが出てるけども、サビではストリングスまで入って来て、それこそスーパーの宣伝みたいな曲にも聞こえてしまうギリギリさがある。曲のシメもかなり大げさ気味。なお、この曲のシングルが1993年の7月で、似たような雰囲気のホーンイントロを持ちやっぱりギターがワウるコーネリアスのデビュー曲『太陽は僕の敵』のリリースが1993年の9月なのはちょっと面白い前後関係だった*5

 曲構成も、イントロ・間奏等のコード進行とAメロ・Bメロ・サビのコード進行がそれぞれ違う、所謂「J-POP」的な作り込みを感じさせるがっちりしたもので、特にサビのメロディのひと回しの長さは実に「歌謡曲の延長としてのJ-POP」的な作りで、最後のサビでのファルセットも含めて、相当に市場におもねった感じがする。草野ボーカルもかなり声をファニーでポップな感じに「作り込んでる」ように聞こえ、初期スピッツ的な気だるさやブレイク以降のフラットな歌い方とはかなり違っている。

 歌詞の方も「これまでからの変化」を内面化した上で書かれた節がある。それは歌い出しから明らかである。

ひとりの夜くちびる噛んで 氷の部屋を飛び出したのさ

先ほども引用した『ニノウデの世界』の冒頭で歌われているような、初期スピッツの象徴である「氷の部屋」を「飛び出した」と歌うこれは、“初期スピッツの状態”からの転向宣言だ。ただ、その割には他のAメロの歌詞はむしろ初期っぽい危うさも見せる。

はがれはじめた嘘について レールの上で考えたのさ

「レールの上」が比喩でなければなかなかな精神状態…。さらに2番はAメロもBメロも危うい。

地下道に響く神の声を 麻酔銃片手に追いかけた

無くしたすべてを取り戻すのさ 地の底に迷い込んでも

Aメロの上段は別の方向性で危うさを感じるし、Bメロは前向きなのか後ろ向きなのか分からない感じがなかなかにスピッツ的。

 しかしながら、最後のサビでは遂に、歌詞書いた本人でさえ「恥ずかしかった」と言うフレーズが登場する。

どんなに遠く離れていたって 君を愛してる

ほら 早く!早く! 気づいておくれよ

「愛してる」というフレーズは後の『チェリー』や、さらに後年の『つぐみ』にも登場する。やはりシングル向きの単語っぽい。というかサビの「早く!早く!」の部分とかは売れたさの強迫観念的なのも感じられて痛々しい。

 以上のとおり、「売れる」ということを目標に変化に挑戦するバンドの姿が端的に表現されたシングル曲で、その挑戦する姿に痛々しさを感じてしまったり、当時のファンがそれまでの作風からのギャップに困惑したりと、色々物議を醸し出した曲。何よりも、これだけやって「100万枚売れる!」と草野さん本人も思ったのに、オリコンチャートにランクインすることすらできなかったことが一番痛々しい。そのことで当時相当落胆していたとのこと。

 ただ、殆ど捨て身の覚悟でここまでやったことで、いよいよスピッツというバンドの音楽性に「禁じ手」はなくなってきた感じがある。そのガムシャラさで開けた可能性・世界のことを思うと、彼らにとって最重要な音楽的実験だったのかもしれないと思ってみたり。

 

4. 君が思い出になる前に(5:03)

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 今作リリース以降にシングルカットされ、遂に念願のオリコンチャート入りを果たしたのがこのポップでメロウな曲*6。また、リリース経緯がレコード会社の暴走として悪名高いベスト盤『RECYCLE Greatest Hits of SPITZ』の冒頭にも収録された。シングルリリース当時はそこまで大ヒットしたわけではないけども、「大衆受けする感傷的なスピッツ」の結晶のようなバラードになっている。

 イントロのパッと鮮やかに景色が広がるようなサウンドは、ヒットソングとしてのポテンシャルとして十分なものがある。特に、シタールの奇妙に揺らいだ音が非常に印象的に配置されていて、プロデューサーの手腕を感じる*7シタールにシンセにピアノで、ギターはどこへ…?というサウンドではあるけど。バンドサウンドを楽しむ曲ではないかも。

 このような透明感のあるサウンド草野マサムネの甘く潤んだ、そしてある程度以上にコブシの入らないフラットなボーカルは実にマッチしている。典型的なJ-POPという曲構成やメロディ、および歌詞にスピッツ的な個性や面白みはあまり感じられないけれども、『裸のままで』ではなくこっちが売れたという事実は、バンドはじめ製作陣において草野マサムネのボーカル」のヒットにつながる活用方法が見つかった画期的な出来事だったのではと思う。

 歌詞は、本当にヒット曲に寄せた内容になっている。詩人・草野マサムネとしての作家性は相当に限定され、トレンディドラマのような光景描写に注力している。J-POPあるあるな「ケンカばかりしてた二人」が出てくる!それでもちょこちょこ、一般の人から見たら「?」となりそうなフレーズはいくつか刺し込まれている。

あの日もここではみ出しそうな君の笑顔を見た

水の色も風のにおいも変わったね

いくらかトレンディ感が出ているけどでも「君に恋することで変わる世界」というスピッツの基本線はここでも現れている。

忘れないで 二人重ねた日々は

この世に生きた意味を超えていたことを

この辺とか、ここだけ抜き出して読むと結構初期スピッツっぽくて「おっ心中の歌か?」とか思わせる。まあ他の箇所ではっきりと「具体的な別れの歌」と読めてしまうけれども。

 

5. ドルフィン・ラブ(4:06)

 また「ファンキーでグルーヴィーでファニーなスピッツ」を強調したポップソング。個人的には盟友だったであろうフィッシュマンズが初期にやってた変な曲との類似性を感じる。多分、佐藤伸治のボーカルに差し変わってもさほど違和感は無いと思う。

 この曲の面白いところは「ブルース進行のメロディに強引にポップなサビをくっつけてしまった」こと。そう、ブルース進行なんてスピッツの長い歴史でもこの曲くらいのもんでしょ。極めて珍しい。とぼけたボーカルやホーンセクションのアホっぽい華やかさに騙されかけるけど、よく聴くと非常にグルーヴィーに動き回るベース、ファンク色の強いギターと、やはりスピッツ的に珍しいブラックミュージック的なものを感じさせる。そして間奏で「ネタばらし!」と言わんばかりに行われるジミ・ヘンドリクス『Crosstown Traffic』のパロディー。何を隠そう、この曲の仮タイトルは『ジミヘン』だったという。ブルース進行が使われた理由も納得があるし、そう思うとサビ終わりのブレイク時に見せるギターのベンドしたトーンもジミヘン由来っぽい。

 それにしても、そんなジミヘン要素を吹き飛ばしてしまうほどのこの曲のサビのポップさは凄い。頭打ちのリズムでテンションが高い。サビ以外の部分となかなかギャップがあるけど、接続は結構自然に感じさせる。このサビでもボーカルは大々的にファルセットを活用してて、ややブラックテイストだしやはり珍しい。この曲のこのセクションについてはホーンもめっちゃ合ってる気がする。Aメロに戻って意外と余韻あっさりで終わるのもちょっとクール。

 歌詞も、このアルバム的なファニーさではあるけど、結構奇妙な中身に仕上がっている。いきなり「イルカの君は僕に冷たい」だもの。ホントにイルカに恋してんのかよ!っていう。そして、」二回あるサビの歌詞がどっちも急にロマンチックになるのが笑えるけど素敵。

朝もやに溶け出す 三日月追いかける(1番)

群れから離れたら 化石を集めよう(2番)

傷痕も気にせずにさ 自由に泳げたらいいな(共通)

 ポップさとユニークさとスピッツ的な捻れたセンスが奇妙に合致した佳曲。今作の「実験的」なアレンジの曲では最も成功してるのはこれかも。何よりも楽しい。

 

6. 夢じゃない(4:29)

www.youtube.com※この動画は1997年リリースのシングルバージョンです。

 メジャーともマイナーとも言えないしっとりコードでさらっとメロウに歌われる、後のスピッツ王道路線の一つとも言えそうな一群の最初の作品がこれ。この曲の後に『愛のことば』『楓』『流れ星』*8『遥か』『水色の街』等々に繋がるメロディ、というか。そしてブレイク後の1997年に4年の時を超えてシングルカットされた不思議な曲でもある。個人的には、その後のスピッツの流れがわかってるからこう思うんだろうけど、「初めからこれをリードシングルにしてればすぐ売れたんじゃないか?」と思ったり。

 イントロのメインフレーズがシンセなのはやはりこの時期的*9。よく聴くとAメロ裏のリードギターの動きはかなり変化に富んでて、凝ってて面白い。間奏もチェレスタに前半取られるのがやや可哀想。また、最後のAメロはブレイクする感傷的なパターンだけども、その際のメロトロンの導入は非常に適切でグッとくる。ボーカルもサビではコーラスが重ねられて、非常にブレイク後っぽい雰囲気がある。

 Aメロの涼しげな夜のような感傷的な雰囲気から、サビでパッとメロディが舞い上がる具合は実に「スピッツ流の」J-POPって具合の良さがある。『君が思い出になる前に』と比べるとこっちの方がずっとスピッツ的に感じる。なぜなのか説明ができないけど。

 歌詞の方も、翳り具合とその解決方法が実にスピッツ的な作り。確かにブレイク後に過去のアルバムからシングル切るならこれだよな、という感じがすごくする。

 Aメロの歌詞は「君を見つめてい」る地点が変わるのが巧みで、最初は「暖かい場所を探し泳いでた最後の離島」でこっちは「氷の部屋」的な要素があり、次は「同じリズムで揺れてたブランコ」という一気に日常な光景に移る。この対比は鮮やか。

 そしてサビも、J-POP的な力強さの前半はともかく、後半はなんともスピッツなちょっとした邪悪さを混入させている。1番は「いびつな力で守りたい いつまでも」だし、2番は「汚れない獣には戻れない世界でも」となっている。

 

7. 君だけを(5:27)

 メンバー(三輪テツヤ氏)が「メタルのバラード」と称する、大袈裟さと背中合わせな壮大さを感じさせるロッカバラード。この曲も『夢じゃない』のシングルカットの際にそのカップリングとして再リリースされたため、このアルバムは収録曲数10曲のうち実に半数*10がシングルカットされたこととなった。

 抑制されたAメロ→メロディが上昇するBメロ→壮大なサビ、という歌謡曲的J-POPのど真ん中の構成をしており、そこに荘厳なストリングスが入ったりする。サビのコードは所謂「王道進行」*11。サビでここぞとばかりに重いギターが入ってくるあたり確かに「メタルのバラード」っぽさがある。ギターソロも、音色がファズっぽい鈍さであるとはいえ実にそれっぽい。ここまでコテコテに「メタルのバラード」をやってる曲がまた他のスピッツに無いので、今作ではこの曲だけ「音楽的コスプレ」の感もあるかもしれない。

 歌詞は、そこそこの尺はある曲ながらスローバラードであるため、文量が多くない。

街は夜に包まれ行きかう人魂の中

大人になった哀しみを見失いそうで怖い

ベタな歌詞っぽい文面なのに微妙に意味がずらされてることに注意したい。「行きかう人魂の中」ってどういうこうとなん、とか。そしてサビで高々に「君だけを描いてる woo…ずっと」などと、「woo…」という表現さえ使って歌うけれども、後の歌詞で「いつか出会える woo…時まで」で実は「君」に出会えてすらいないことが分かるあたり妙なことになってる。片思いか妄想かよ、っていうのはこの曲に仕組まれた密かな笑いどころか。

 

8. タイムトラベラー(4:07)

 前作の『アパート』に続く、端正なギターポップ第2弾。この曲は今作的な「売れ線に寄せる実験」等が全然感じられない「すっぴんのスピッツ」っぽさが漂っている。ややシンセが濃く入ってるけれども、でも基本はギターポップである。この曲は昔から大好きだった。

 『アパート』と比べると、ギターのアルペジオパターンがこっちの方がバチッと構築された感があって、歌メロも完全にAメロとサビといった組み方がなされており、よりポップになった感じはある。逆にこの曲に『アパート』ほどの鋭さすら感じるあっさり具合は無い気がするけど、そういうマイルドさがとても好き。Aメロやサビのバックでも流れるこのギターアルペジオのパターンはThe Smiths的というよよりはもっとThe Cure的な、それでもここまではっきり分かりやすいラインを伴っていたか、という感じもする。後に日本のロックバンド・ART-SCHOOLが『ウィノナライダーアンドロイド』という曲で見せるアルペジオはこの曲のアルペジオの影響を感じさせる。あと、ハネの無い平坦な8ビートながら、何気にベースが非常に自由に動き回っていて、曲を密かにグイグイと引っ張っている。

 また歌詞についても、『アパート』のような端的な寂しさではなく、タイトルどおりの内容ながらもスピッツ的な奇妙なが巧みに混入された、スピッツ的に歪んだユーモラスさが見え隠れする。

時代の隙間へとつながるたそがれに

鳥居を抜ければ そこはまぶしい過去の国 涙をこらえてよ

タイムスリップの方法に鳥居を使った…!鳥居もスピッツにとっては移動手段になるらしい。

さあ 僕が生まれる前の さあ 君と似ていたママに

答えをきくために 変わって行くために

ここがまさにスピッツ節なねじれ方。そっちかよ!何の答えだよ!という、実にスピッツ的な妙な気持ち悪さがある。ここにスピッツ的な捻れた性を感じることもできるし、何にしてもこんな変な歌詞を爽やかギターポップのサビとして歌ってるのが地味にパラノイアックで笑えるし流石だなあと思う。アフタヌーンで連載中の漫画『大蜘蛛ちゃんフラッシュ・バック』は主人公の母親の若い頃と今のと行き来で展開するラブコメだけど、この歌詞の場合「君」の方のママなので、これがどういう意味なのか、エロい意味以外にも何かあるんだろうかと、不思議さばかり浮かんでくる。

 

9. 多摩川(3:31)

 ワルツ調のマイナーコードのギターアルペジオを中心に進行する、半ば弾き語りのような楽曲。昔の刑事ドラマのエンディングか何かみたいなしみじみとした渋い地味さがあり、逆にアルバムから浮いてる感すらある(笑)スピッツはアルバム終盤に弾き語りっぽい曲を入れてくることが時折ある*12

 ギターアルペジオはそれこそ刑事ドラマのエンディングみたいなエフェクト(?)がかかってる。ロータリースピーカーに通した系のエフェクターと思われる。そこに掛け合わされたシンセの音も実に渋い。草野マサムネのボーカルには深めのリバーブがかけられ、しかしながら超越的な世界観には全然感じられない。きっと歌の世界観がしみじみとしてるからだろう。後半はベース・ドラムも入ってきて、しみじみとしたバンドサウンドになる。これまた渋い。

 歌詞はかなり少ない。いつものように取り上げすぎると全文引用になりかねないので(笑)、サビの歌詞だけ言及する。そこまでブッ飛んだ妄想になっていないのは「多摩川」というモチーフが具体的すぎるからか。

風の旅人に憧れた心よ 水面の妖精は遠い日々の幻

いくらか詩的な飛躍はあるけれども、いつものスピッツとは随分違う硬質な文面。多摩川のへりで水面か空を眺めてぼーっとしてる光景が浮かんでくる。

 

10. 黒い翼(5:20)

 今作ラストはストリングスを伴った力強い長調のバラード。いきなり演奏と同時に歌、それもサビメロから始まる、スピッツでも割と珍しい始まり方でインパクトがある。「地味目な後半を最後に盛り上げて終わろう」みたいな。っていうかこのアルバム、「スピッツ史上でも珍しい」みたいなパターン多すぎるな。

 重々しくも力強い重力感を感じさせるサビメロのインパクトと、それ以外のパートの停滞するようなメロディとの対比がこの曲の特徴。全体的にストリングスが目立つアレンジながら、派手すぎないシックな具合に纏まっているのは、曲がやや地味目だからか。Aメロ(?)では再びシタールが、よりシタールっぽいフレーズで用いられていて、その部分はベースの動き共々賑やかに感じる。途中からサイケに旋回するシーケンスも挿入されてくる。

 ねっとりとストリングスとギターがソロを取った後の展開こそ、このアルバムの最終局面。メンバー及びコーラスのユニゾンによる、ゴスペル的な合唱でサビを、情けないフレーズのサビを力強く歌い上げ、そしてフェードアウトしていく。

黒い翼でもっと気高く 無限の空へ落ちてゆけ

最後の最後で、スピッツの矜持を少ない字数で纏めたようなテーマが、なんども繰り返し歌われる。希望も絶望も、肯定も否定も、天も地も、上も下も、色々が混乱をしながらも、気高く、自身の意思で、どうあれ進め、と。これは、打ちひしがれた状態の者が、ポリシーの花を一輪持って、進め、というテーマだ。『裸のままで』等で繰り返されてきたテーマを、最後に正面切って歌い上げる。これがこの時点でスピッツが冗談っぽくせずに歌うことのできる、ギリギリのポジティビティーだったのかなと思った。

嵐の午後にゴミ捨て場で目覚めたら

焦げた市街地をさまよう僕にさよなら

重いドアを無理やり開けたなら

 「開けたなら」という可能性の話で終止したAメロのとおり、この段階で「僕」はまだ重いドアの向こう側に行けていない、つまり「氷の部屋」にまだいる状態だ。そんな状態の上で、サビのテーマを執拗に繰り返すこの曲は、スピッツがどんな無茶を侵しても脱皮しようとしてもがく姿そのままだ。それはスピッツ的な苦しみに共感を持ってくれる人たちに対しても向けられた祈りだろうけど、同時にそんな苦しみのある自分に対する祈りだ。祈りと脱皮、その両方のために大いなるアクションを起こせた、というのが、スピッツの歴史におけるこのアルバムの最大の価値なのかもしれない。

 思えば前作の『飛べ、ローランダー』も似たような、地に這いつくばる者たちへのエールだった。はっきり言って似たようなことをまた歌ってるだけとも取れるけれども、似たようなことをまた歌う必要があるほど、この祈りは遠くて、そして本当に欲しかったものなのだろうと勝手に考えてる。

 

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総評

 以上、10曲で45分。フルアルバムで10曲というのはスピッツでは最小の曲数。それでも1曲のサイズがそこそこあるから『名前をつけてやる』とかよりも収録時間は長い。

 ここまで読めば、このアルバムでスピッツが行なった試みの数々をさわりだけでも確認していただけると思う。その試みについて。「売れたい」という切迫感からのプロデューサー導入によるオーバープロデュース、という指摘を何年も、それまでのファンからも、それよりもはるかに多いであろう後追いのファンからも受け続けてきたアルバムである。「痛々しい試みだった」という指摘は多く、一部本人さえ認めているものもある。メンバーは「今作が(あの『オーロラになれなかった人のために』以上に)一番草野ソロっぽい感じだった」ともコメントしている。

 ここで2つ言いたいのは、ひとつは「何でもかんでも本当にプロデューサーの仕業なのか」ということ。確かに「この曲そんなにシンセいる?」って思う曲があるのは否定しないけれども、それは楽曲やアレンジの本質ではない。そしてはるかに大事なのが「このアルバム、カジュアルな試みや遊びがたくさんありましたよね」ということ。特に古いロックンロール関係の引用は気づいてちょっとびっくりしたりして、また本作以外ではスピッツにそんなに感じたことのないブラックミュージック的な要素も、今作には若干だけど含まれている。筆者の適当な見立てをようやく申し上げれば、おもちゃ箱的な今作はスピッツで最も「渋谷系」なアルバムだ、というもの。脚注でも言ったけど、リリースは実はコーネリアスの1stよりもこっちのが早い。

 そもそもが、ユニコーンという怪物バンドの全盛期の何もかも試す姿勢をプロデュースしてきたのが笹路正徳というプロデューサーだ。アレンジのことは、少なくともユニコーンで試した限りのことは本当に何でも知っている方だ。一方でポップスにも強く、そんな人間と、カジュアルな方に活路を見出した草野マサムネの嗜好が共犯関係となって、やれるだけやり倒したアルバムだと、改めて何度も聴き返してそう思った。

 そして、その急激な変化についての綻びが所々歌詞から感じられて、その痛々しさを指摘されることがあるけれども、その綻びにこそ魅力を感じたりしないだろうか。「氷の部屋」を飛び出したようで飛び出せていない、けれども「無限の空へ落ちていけ」と激しく希求するその心の不安定さは当時のバンドのドキュメンタリーでもあり、そして、何らかの理由で明るい場所に出て行こうとするけども影を引きずられ続ける、そんな魂たちへの、ファニーさの中にギリギリの祈りがこもったスケッチでもあんだと。

 

 なんか結局演説みたいな感じになってしまった…。この記事のために何度も聴いて、すっかり情が湧いてしまったのか。まあいいや。「王道なスピッツもいいけど、初期のダークなスピッツもいいけど、ちょっと色々普段と違ったヘンなことしてるスピッツを聴いてみたいな」と思ったなら、このアルバムは彼らの、場合によってはあなたの知らなかったアナザーサイドを、ユーモラスさと不安そうな顔を浮かべて差し出してくれるだろう。

 あとやっぱり個人的にはもうこのアルバムは初期スピッツじゃないっすね。

 

 最後に恒例の、いつも参考にさせてもらってますブログ記事の掲載と、参考になりそうな音源のサブスク貼って終わります。

blueprint.hatenadiary.com

 

ロックンロールの古典のひとつエディ・コクラン。「キャッチーなリフとはこう弾くのだ」と言わんばかりの感じを頭の片隅に置いて、あとは何も考えずに最高になればいいタイプの音楽。

 

『ドルフィン・ラブ』がもう少しホーン控えめジミヘン感出しまくりだったらどうだったんだろう、というのを考えた。でもスピッツだったらこのアレンジくらいがかえっていいのかもと思ったり。ジミヘンになり切らなくてもすでに草野マサムネなんだし。

 

一番ふざけまわってた頃のフィッシュマンズのアルバム。1992年作。聴いてると可笑しさや時々の繊細さの間に、都市でのグルーヴィーな生活(?)の影が見え隠れする。『Crispy!』でスピッツが求めたカジュアルさはそんな方向のものがいくらかあったような。

 

ところで、『THE FIRST QUESTION AWARD』がSpotifyになかった…『FANTASMAからしかなかったけどこれは…?

*1:『スーベニア』だけちょっとオーバープロデュース気味かなあ。

*2:全体的にライト気味な選盤かなあと思った。オシャレさを重視した感じがざっと見て感じられた。ザラザラしたロックっぽさが避けてあるのかなと。

*3:ギターのプレイ的にはむしろThe Whoとかっぽくもあるけども。

*4:なんでも、草野マサムネ氏がsとpが続く英単語(Specialとか)が好きだったらしく、それでスピッツやクリスピーが候補に上がったらしい。後の歌に出てくる「ミカンズ」はまた別の話。

*5:コーネリアスの『THE FIRST QUESTION AWARD』も今聴くと実に「90年代前半までのあの感じ」が色濃く出てるなあ。

*6:この時の順位は33位だったらしく、これにより今作の目標だった「売れること」を一応ある程度達成したこととなった。ちなみにアルバム自体はやはりチャートインしていなかった。

*7:笹路正徳氏はユニコーンのプロデューサーとして高名であり、その際のシタール利用などでノウハウがあったのがここでの鮮やかな活用につながっているのかもしれない。

*8:曲自体は初期からあったものだけど、シングルリリース時のバージョンはこの曲の後続って感じもする。

*9:1997年にリリースされたシングルではどうもこの部分はシンセからギターに置き換わってるっぽい。

*10:『裸のままで』『君が思い出になる前に』『夏が終わる』『夢じゃない』『君だけを』の5曲

*11:コードが「Ⅳ→Ⅴ→Ⅲ→Ⅵ」で動くやつ。日本の多くのヒット曲で採用されてきたある種伝統芸能的なコード進行。

*12:『うめぼし』とか『ジュテーム?』とかこれとか。そんなに多く無いな…。