ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『14SOULS』ART-SCHOOL

14SOULS

14SOULS

 

 今改めて見るとジャケがゴスじゃんこれ!な彼らの5枚目のフルレングスのアルバム。今までのジャケットにあった背景感とかが無くて赤に女性がドーン!と載ってるので妙なインパクトある。

 前作『ILLMATIC BABY』とそれに伴うツアーでドラムの櫻井雄一氏が脱退して、バンドから木下理樹以外のオリジナルメンバーが消滅、その後新しいドラマーとして鈴木浩之氏が加入。その体制をそれまでの“第2期アート”と比較して“第3期アート”と呼称したりします。このブログもここから次作『Anesthesia』までを“第3期”と呼んだりするかもしれません。それにしても第3期、短すぎる。そして作風的にはむしろ『ILLMATIC BABY』も第3期的なんだよな…という微妙な難しさ。

 そんな新体制で臨んだフルアルバム、かなり混沌とした雰囲気で、おそらくそれは半ば狙ってそのようにされたものと思われます。果たして。

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画像の一番右が当時の新メンバー・鈴木浩之氏。この時期のメンバー、全体的に線が細い。

 

 

1. 14souls(3:33)

 逆再生ギターのようなエフェクトのループフェードインから差し込むギターのコードカッティングが絹のように艶やかで明るい。アルバム冒頭にタイトルトラックでかつ、爽やかギターポップ系のナンバーを持ってきた今作。フルレングスのアルバムは結構毎回先頭曲の趣向を色々変えてきていたし今後もその傾向は続くけれど、ここまで真っ直ぐな楽曲が先頭を飾るのも珍しい。…何でそんなものが、アルバム再生してきていきなり登場するのか、こんなとこに追いやられているのか。今作の混沌っぷりの片鱗が伺えるように思うのは穿ち過ぎか。今作がいきなりいい曲で軽快に始まるのでいいけど。

 曲調としてはひたすら真っ直ぐで少しメロウなギターポップ。リズムのキックの位置が不思議に単調で、ハネてそうな感じが妙に感じられない作りになっている。その分、リードギターがすごく活躍していて、沢山の可憐なフレーズリフレインを順番に披露している。サビ的なメロディから流れ着くタイトルコールのバックではアートスクールのこういう曲につきものな、波のようにアーミングでベンドするギタートーンが鳴り、軽く爽やかなシューゲイザーっぽさを出している。

 こういう柔らかなギターポップな楽曲にはノスタルジックな歌詞、という流れをこの曲が決定づけた感じがする。それでも、この時期的な重苦しさや生理的な側面の露出がかすかに見えるのが特徴的。

 

このあいだこの愛は 浴槽にそう沈んでったんだ

曖昧な青春は 現実にそう消えていったんだ

 

愛が水没するのはアートスクールっぽいなーと思いながらも、後段の抽象的な言葉の連続は何とも味気ない現実味が差し込む。

 

いつだって笑って 僕等ただ震えていた

いつだって怖がって 僕等ただ血を流した

 

澄み切ったメロディに乗る繊細さに満ちたノスタルジックさの中で、やはり血を強調してくるのが「14SOULS期」っぽい感じ。 

 ちなみに、後年ライブで、現在のメンバー*1にて久々にこれが披露された時は、Aメロの部分でリズムがつんのめった風なキメを連発していて、結構アレンジが変わってた。

 

 

2. STAY BEAUTIFUL(4:04)

 前曲の爽やかさが嘘のように一気にダークで享楽的な感じのこの曲に展開していく様が実に今作的。またサウンド的にも「ともかくやってないことを色々やる」という今作っぽさが露骨に出た曲のひとつ。

 ギターアレンジ的にはパワーコードの感じにギターのリフに、この曲もやはりBloc Party意識路線の1曲で間違いない。マイナーコードはやや大げさなほどのパワーコードの振り回し方で印象付けられる。執拗な四つ打ちのリズムも、高速になり過ぎないのが程よくダンサブルなヴードゥー感出てる。あと、AメロがSonic Youth『100%』まんまでサビのメロディがBloc Party『Your Visits Are Getting Shorter』まんまだったりで久々に色々とやりまくった感がある。この二つをくっつけようと思うセンスは流石だけど、ついにBloc Partyのアレンジだけじゃなく曲のメロディまで。。

 この曲最大の特徴は2回目のサビ後の展開。バンドサウンドが一旦後退して、遠くの方からホーンの音とシンセのマシンガン的なサウンドが鳴り響き始める。そして次第にバンドサウンドと同調して膨張していく。この感じは本人が明確に「『Xtrmntr』の頃のPrimal Screamっぽいサウンドを目指した」と言っていて、確かにそう思うとこの曲全般のシンセの感じもそれっぽいし、間奏のシンセは『Swastika Eyes』っぽい響き方。つまりこの曲はBloc PartyっぽいアレンジにPrimal Screamを接続し、Sonic YouthBloc Partyのメロディを乗っけた曲」。何だそれは。ただ、前作でニューレイヴに挑戦した上で、延長線上の曲に『Xtrmntr』を重ねるあたりに木下氏のニューレイヴに対する批評眼の一端が垣間見える。

 

硝子のようなビート 僕を刺すのは

朽ちていった水晶 甘く死んだ音

 

歌詞の方はよく読むとなんかヴィジュアル系っぽくなってる感じがする。。そして『Flora』までよりも露骨に出てくるようになった荒廃と死のイメージがメロディに乗せられる。

 

 

3. ローラーコースター(4:19)

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 前曲のダークさから一転して、急にSmashing Pumpkinsみたいなビート感の陽性パワーポップが飛び出す。タイトルはThe Jesus And Marry Chainだけども。1曲目からここまで、このアルバムいよいよ脈絡が無い。ポップでパワフルな楽曲だからかPVが制作され今作のリードトラックとなった。脈絡のなさがウリ的なとこある今作はリードトラック難しいな…。

 ややメタルチックなギターリフがこの曲のメインフレーズ。イントロではツインで流れるから尚のことメタル感あるけど、ひとたびバンド演奏が入るとUSオルタナに一気に様変わりする。全体的にジャリジャリしてるギター、ギタートーンを伸ばす伴奏の感じ、そしてワイルドにハネるドラムなど、色々とスマパンな感じのマッシブさに溢れている。コード的にも長調全開で、特に小節ごとにタメとキメを利かせたBメロは実にスマパン臭がする。このBメロの一人コールアンドレスポンスな掛け合いは新鮮で面白い。Aメロとサビのコード進行が一緒なのは流石の木下節。ブレイクでサーっと印象をフォーキーでノスタルジックにするところも。

 歌詞も曲のパワフルさに合わせてやや力強い逃避行の感が出てる。けども、逃げ出したい状況の閉塞感の方がよく聴くと強いなと。

 

静脈にありったけの 愛を射ちこんで

廃墟になった遊園地 たどり着いたんだ

 

ドラッグやないか。バッドトリップやないか。逃げ方も逃げた先もどうしようもない、それが「14SOULS期」の彼らの歌の基本スタンス。あとサビで「UPSIDE DOWN IN A ROLLER COASTER」と歌われて、曲調はスマパンやけど歌詞はジザメリやん!ってなる。

 

 

4. マイブルーセバスチャン(3:25)

 『Flora』辺りから始まったアートスクールのマイナー調パンク路線の集大成な1曲。この曲でひとまず完成系、という感じがして、というのがこれより後にこういう曲調が全然出てこないからだけども。

 いきなりの瑞々しいマイナーコードの鳴りから一転、メインリフとして挿入されるホーンセクションにはびっくりする。それもサザンオールスターズみたいな感じのブラス隊がThe Smiths的な楽曲に乗っかってくるので、その辺の不思議さが慣れるととても面白い。戸高氏のマイナー調ギターフレーズでもどうにでもなったとは思うけども。

 単純にこの曲のAメロとサビだけなシンプルな構成や、そのそれぞれのメロディ、特にサビのファルセット混じりなラインの強さが好き。サビのリズムの取り方とかダサくなるスレスレだけど、でもメロディが全部救ってるなと思う。The Smithsっぽいアルペジオだけでなく歌メロ裏でカッティング等も活用するギターのオブリのパターンの多さも好き。ギターソロも短い尺ながら存在する。

 歌詞がまた典型的な「どこにも行けない二人」な内容。まあそう歌ってるし。今回は移動手段は前曲みたいな方法ではなさそうな気はするけど。

 

海へ僕等は向かった 猫が彼女に笑った

何となくビールを飲んで 二人はさよならと笑った

 

何となくビールを飲んで」のラインの力が抜けるような感じがこの時期の木下理樹的な、何も気取らないフレーズが突如出てくる感じに仕上がっている。

 この曲結構好きだけど、ホーンセクションがアレンジにがっつり入り込んでるため、ライブで再現できなそう。同機で流せばいいようなタイプのものでもないし、ライブで演奏したことあるのかな…。

 

 

5. HEAVEN'S SIGN(3:59)

 しっかりした歌ものとしてはアートスクールでは『piano』に続き2曲目となる*23拍子のナンバー。ヨーロピアンなアレンジに染まりきって特殊な感じだった『piano』に比べるとこちらは素のバンドの感じが出てる仕上がり。

 楽曲自体はシンプルにAメロとサビで構築された楽曲だけど、3拍子の曲自体がアートスクールに少ないので、その上で普通に「これは木下メロディっぽいなー」というものを出している。サビの後にややシャウト気味に歌うのは、シャウトの場面が相当限られる今作では珍しい場面。

 この曲では特にギターの頑張りが多面的に見られる。木下側と思われる、ずっと同じコードを弾き続けるギターを「浮遊感」として成立しているのは、戸高側のギターが手を替え品を替えこの曲を幻想的に装飾しているからだろう。特にAメロバックでのディレイとコーラス、時にワウ等も活用された音色のチョイスが絶妙な「水中っぽさ」を感じさせる。アルペジオから発展させる間奏のギターソロ、そしてそこから静寂をデコレートするギターワークも魅力的。

 歌詞では、この水中っぽさの正体っぽいものをさらっと明かす。

 

サンシャイン 君を無くした 僕はただ 羊水の中に閉じこもり

サンシャイン 青の傷跡 僕はみた 空っぽになった世界のその中で

 

「羊水の中」は今作に頻出するフレーズ。まあこのフレーズに捕らわれすぎずにギターサウンドを楽しんだ方がいいと思われ。

 

 

6. LOST CONTROL(3:27)

 タイトルはJoy DivisionっぽいけどもむしろBloc Party風味。今作のBloc Party路線の中でも一番キャッチーというか、ダサさ寸前まで攻撃性とシリアスさを突き詰めたような感じになった1曲。そういえばBloc Partyにもマイナー調の攻撃性がダサい方に偏りすぎる曲が特に3枚目のアルバムにちょっとあった*3。なぜか『ロボゲイシャ』なる日本のB旧ムービーの主題歌になり、その映画の映像とコラボしたPVが作られたけど実にシュールだった…。

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 イントロからして短く切ったパワーコードと鋭く怪しいギターフレーズの交差の時点で「あっこういう路線の曲だ」って気づく。こんなどう見てもロック一色な曲でもギターフレーズの裏でシンセが鳴ってるのが実にこのアルバム的。リズムは他のBloc Party路線曲によく見られる四つ打ちではなくストレートな8ビートで、それがこの曲のダサさスレスレな直球具合に繋がっている。ギターは本当に、前曲の繊細さは何だったんだ…と笑えてくるくらいに派手に弾き倒していて、単純にBloc Partyだけでは説明がつかないこのプレイスタイルにLUNA SEASUGIZOの影響を挙げる人もいる。確か戸高氏本人も影響を公言していたと思う。

 曲構成的には、サビに接続するまでのメロディが複数あるのが特徴。特にサビ前の短く伸びるセクションがこの曲の印象を決定づけていると思う。直進的な勢いは、彼らにお決まりの展開であるブレイクの箇所でも衰えず、高速なタム回しの中に埋没させた歌メロディに前作の『ILLMATIC BABY』から連続するデジタルな感じが滲む。最後にタイトル連呼の後にブツ切りのように終わるまで勢いは続く。

 歌詞は、まさに「14SOULS期」の歌詞の特徴を、教会要素以外は全て網羅せんばかりの勢い。「Flora期」の憂鬱でも幾らか晴れやかな世界観の全然逆の世界が延々と広がっていて、ある意味うんざりする(笑)

 

「何錠飲めば飛べるって知ってんの」

アルコール飲んで君はそう笑う

IT'S ALL RIGHT IT'S OK 息をすうたびまるで

IT'S ALL RIGHT IT'S OK 穴の中に落ちていく様さ

 

本当に今作の二人はダメダメだなあ…このブログは薬物や過度の飲酒を推奨しませんし反対します。薬物や飲酒の果てに快楽や恍惚ではなく退廃しか無い感じを表現しているのはでもむしろ道徳的かもしれない(笑)

 

ビニールシーツに包まって眠ろうよ

君は僕の血の跡を舐めた

 

ブレイク後のセクションで小さい音量で歌われるから聞き逃すけど、ビニールシーツはドン引き…木下氏の変態性が覗く。ビニールシーツに包まるのはのちの『Chelsea Says』にも出てくる。

 総じて、「14SOULS期」の露悪性の塊の様な曲。そう思うと、それをこれだけド派手に仕上げたのはある種の誠実さも感じたりする。

 

 

7. tonight is the night(4:37)

 「打ち込みのシーケンサー等とバンドサウンドの同機」がサウンドコンセプトの一つにある今作においてその特徴が1番明確に出ている楽曲。イントロからしてキーボードのフレーズが先導し、シーケンスが延々とループし続けていく。ただこんな曲に限って四つ打ちのリズムは一部を除いて避けられているのが不思議。なので完全にハウス調に寄せた訳ではないのがユニーク。

 ギターもボーカルもスペイシーなエフェクトが掛けられ、夜の灯りのようにキラキラした感じや浮遊感に満ちた仕上がり。特にリードギターはフレーズてんこ盛りの今作において、この曲はエフェクトの広がりに任せたシンプルなプレイに徹しているのが逆に特徴か。その中でスネアドラムが、やや盆踊り的なスンドコ感で鳴るのが不思議。

 サビの同じコードを弾き続けるギターはやはり木下節って感じ。サビメロの突き抜け方と一人コーラス具合はポップに徹してる。特に最後のサビの締め方のスネアの連打やその後の残った楽器の響きが寂しさを演出する。

 歌詞的には曲のキラキラ感にサビはある程度対応しているものの、Aメロの歌詞は今作的なダメダメ具合が広がっている。

 

愛されたいのなんてほざいて 体だけがなんか繋いで

なんかもうね別にいんじゃん?錠剤ちょうだい 何か馬鹿みたい

 

どうしようもなくだらしない。特に言葉遣いの躊躇のない雑さが、その感じを強めている。

 

 

8. wish you were here(3:00)

 前曲でも述べたシーケンサーとバンドの同機」という今作の裏テーマが一番綺麗に成功しているのが、このこじんまりとして一見地味そうな楽曲。今作的な暗さも含めて、見事に内向的な密室根暗ファンクに仕上がっている。そう、この曲そういえば今作のファンク枠でもあるんだった。

 丁度3分、サビの繰り返しは二回だけ、という尺の中で展開される「過剰さの全然ない」ファンクネスは、ある意味では彼らがようやくPrince的な「日常の何気ない生活のリズムがファンク」みたいな領域に踏み込んだ感じもする。もしくは後期Sly & The Family Stone的なダウナーファンク具合とか。殆どシーケンサーがメインのリズムと化してる、半ば宅録じみたトラックの中で、ベースラインはシンプルながらちょっとのアクセントが実に色っぽく、ギターのアルペジオはゴスさをしっとりと楽曲に行き渡らせ、そしてサビでのチョコチョコしたカッティングも曲調の暗さの割に可愛らしささえ感じたりする。

 木下の素朴なソングライティングも、伸び伸びとしたメロディや繰り返し等に彼の根暗さが実に素直な形で表出していて素晴らしい。サビで僅かにディレイで拡げられる声もひたすら「適切さ」みたいなのを感じる。今作で一番静かな楽曲は間違いなくこれだけど、他の曲が色々派手だったりする中で、この曲の地味だけどどっしりした存在感はとても「効いて」いると思う。

 メロディの伸び伸び具合により言葉数が少なくなってしまった歌詞も、今作的な露悪的な情景描写を入れ込む余地が無かったからか、実にシンプルに木下的喪失感を歌い上げている。本当に置ける言葉数が少ない中で、僅かに挟み込んだ以下の1行がしみじみと寂しい。

 

憧れていた普通の生活は 泡のようにはじけた

 

 そういえばこの曲はB面集企画の記事の際にも取り上げてて、これよりもそっちの方がなんか文章が長かったです。

 

 

9. don't i hold you(2:58)

 何曲か前の『LOST CONTROL』と同様の路線。Bloc Party風味のマイナー調で直線的なパワーポップ。イントロの入りはディレイを利かせたギターがよりそれっぽい雰囲気だけど、バンドサウンドになるとどことなく大味な感じになるし、曲構成はAメロもサビもさっくりとした作りで、小綺麗に纏まっていると言えば聞こえはいいけど、今作ではややイージーな出来か。ギターフレーズもややネタ切れ気味。

 しっとりと3分ちょうどの尺となった、過不足無い感じが魅力の前曲に比べると、こっちは3分に強引に収めてる感もある。2回目のサビの後のリズムチェンジからのタイトルコールが山場なんだろうけど、不思議とやや唐突さがある。このセクション後半のフィルターか何かで引き攣った感じのギターサウンドは気を吐いてる感じがある。

 歌詞も、今作的な語彙をコッテコテに詰め込んだ『LOST CONTROL』と比べると、そこからやや離れようとしてる感じはありつつ中途半端なのかなと思った。そもそも歌詞がそんなに多く無い曲だけども。

 

羊水の中で眠る 僕達はキスして

行き過ぎる人混みをいつも笑ってた

 

よく考えたらこの辺のラインとか「どういうことなんだろう」と、兄弟姉妹か何か?とか想像する余地はあるんだけども。

 

透き通った瞳 黒い髪の毛に 触れなかったんだ

 

羊水の中でキスはしたのに髪の毛に触れれない、この辺の関係性をロマンチックと捉えるか、「なんか矛盾してない?」と思ってしまうかどうか。

 

 

10. CATHOLIC BOY(3:48)

 アルバム後半でのメジャー調楽曲としての役割を果たしてる感のあるポップな歌もの曲。イントロの1拍誤魔化しとかをはじめ、色々とアイデアを詰め込んでる様相は初期アート的というよりむしろFlora期っぽい雰囲気。ミドルテンポでじっくりと安定したポップさがあるのもFlora期の名残を感じさせる。

 イントロのまったりしたギターフレーズとコード感の裏で結構分厚いシンセが鳴っているのは今作的。このシンセはなぜか間奏のみ登場して、サウンドの奥行きを演出する。歌が始まると今度はリードギターが尽力していて、同じAメロで2つのフレーズを使い分ける様にオブリガード職人的な感覚がする。

 楽曲的には、ポップながらも歌のテンションが非常に抑制的なのが挙げられる。Aメロはもとより、マイナー調に転化するサビメロでも、繰り返しの多いメロディを淡々となぞり、コーラスワークで変化を付けるアレンジになっているのは彼らには珍しい。ミドルエイトの配置からの間奏への展開も、淡々とした歌い方の裏で次第にファンタジックにテンションを上げていくギターが、間奏に入って解放されたようにストレートにパワーポップなソロを弾く様が朗らかで快い。

 歌詞的にも、本作的なドロドロの世界とは少し趣を異にした感じがある。というかタイトルに象徴される宗教観は本家とかに怒られないかやや不安だけど

 

感じたんだ全身に 感じたんだ神の愛を

馬鹿みたいに触れたくて 猿みたいに恥ずかしくて

 

唐突に「神の愛」って何なの!?と一瞬驚くけど、神=君くらいの感覚もあるので、日本人である我々はある程度のところで流すべきかなと思った。

 そしてこの曲のミドルエイトの歌詞が、今作っぽくないロマンチックさがあってすこぶる良い。初期アート的でもあり、またスピッツ的な感覚が出ている時の木下理樹、って感じでもある。

 

揺らめいて 僕らただ白昼夢の中にいた

足もとに ひび割れた氷のかけらがあった

手を伸ばし 君はそのかけらに触れようとして

美しいものもあるとその瞬間気づいた

 

  

11. KILLING ME SOFTLY(3:32)

 今作の狂乱サイドの楽曲でも最も挑戦的なアレンジの楽曲。今作の曲順ではこういうヒャッハー!的なノリの曲はこの曲が最後となる。タイトルは同名の映画からか。

 ひたすら引っ掻く様な一本のリフを弾き倒し(Blood Red Shoesを意識したものとかどっかで読んだ様な…なるほど)、それをサビの伴奏にしてしまう発想もなかなか強引で強力だし、間奏やAメロでの演奏の展開方法も、Bloc Party方式からやや離れてニューレイヴ的な広がりも感じさせ、ビートも直線的な縛りから解放されて、ベースの動き含めて膨らみがある。ギターのアクションもディレイ利かせまくり、歌メロ裏でカッティングしまくりで生き生きしている。

 この曲最大の特徴が、木下ボーカルが同時に2つのラインを歌い続ける仕掛けだろう。かつてsyrup16gが『バリで死す』で行なった時はゆったりした曲調で2つのラインが交差する感じだったけど、こっちは非常にアグレッシブなビートの中に2つのラインで声が入ってくるので情報量が非常に混濁してる。歌詞も聞き取りにくいけど、その混濁具合こそ狙いなのかなと思う。ボーカル自体にもエコーが掛かっていて、より混濁したイメージを演出する。

 サビでは一転して縦ノリ四つ打ちになり、ボーカルもメインのボーカルラインとコーラス的なラインとに別れて、曲として非常に整然とするのが少し日本的かな、とこの曲の元ネタのBlood Red Shoesを改めて聴いて思った。

 2回目のサビの後に更にリズムチェンジして新たな展開を作るところとか、ともかくこの曲に色んなものを詰め込みたかった感が出てる。ここだけボーカルラインが1本のみになるので、そういう意味でも変化のつけ方の工夫がなされてる。

 歌詞自体は今作的な自虐要素を詰め込んだ様な感じだけども、ともかく2ライン分あるので文量が多い。対比はそこまで厳密に重要視されている感じじゃない。

 

「期限切れね」なんて誰かが言ってた

どうだっていいけど眠たいなぁ

(そう黒い肺の純潔 守りきれなかった幻想)

 

改めて文章として読むと、この辺のニヒルさと天然具合の混合がこの曲でいちばん木下理樹人間性が出てるかなあと思った。

 ともかく色々とはっちゃけまくった、今作的なチャレンジ精神が最もよく出た曲。そもそものツイン木下ボーカルの演奏不可能性のためにライブでの演奏が非常に困難という。当時見たツアーでは演奏してなかったけど、演奏したことあるんかなこの曲。

 

 

12. 君は天使だった(2:44)

 はっちゃけまくった前曲からいい感じに流れをつなぐ、しんみりし過ぎない程度にノスタルジックでフォーキーでそして気の利いた感じの楽曲。アルバム終盤にこういう可愛らしい小曲があるのはアートスクール史上でも新鮮な感じだし、この少しアコースティックな感じは次曲とともに今作では異色な雰囲気。

 何よりも、カントリー調なシャッフルのリズムを木下曲で導入したことインパクトがささやかにある。戸高曲であれば『Mary Barker』が過去にあったけど、この曲は木下曲で、つまり木下理樹メロディがこういう軽快なビートの上にも成立する、それもとてもポップな感じに成立することを示したという意味で重要性が高い。『Flora』での『piano』といい、木下曲におけるリズム感というのは小曲の中でさりげなく拡張されていくところがある。

 マイナー調で寂れた感じに滑走していく楽曲はthe pillows『レッサーハムスターの憂鬱』を思い起こしたりもする。両者に共通するのはチェリーレッド的なネオアコ感。木下のソロ曲に『North Marine Drive』とあるように、確実に彼のルーツのひとつだったのにこの曲までそのような曲調を試してなかったのは意外かも。この曲調に対してリードギターが明快な単音フレーズを弾くわけでなく、少しもやっとしたカッティングのリフで対応しているところが幻想的で好き。

 サビでは少し拍をはしょってメロディ展開させたりも。ここでのタイトルコールも含んだ歌唱は木下の歳を重ねても変わらないイノセントサイドの必死さが覗いていて、リバーブのかかり具合も含めて可憐で印象的。音数少なく鈴のように響くギターも効いてる。

 この曲の儚い印象を更に高めるのが、2回目のサビが終わってから一気にリズムチェンジして、3拍子の少し民謡じみた、もしくはサーカスじみた展開になるところ。少しばかりいかがわしい雰囲気のノスタルジックさがかえってリアリティある感じに響くのもさることながら、この展開のままこの曲が終わってしまう、つまり、そんなに長く無い可憐なAメロ・サビの繰り返しがたった2回であっけなく終わってしまうこと自体が、この曲の寂しげな感じを高めていると思う。

 歌詞。実に直球なタイトルの感じを損なわない程度にノスタルジックなフレーズが描かれる。

 

いつか君が笑った いつかの街の景色

遊んだ鐘がまるで 昔の映画の様に

 

「映画」が「演歌」に聞こえるのはご愛嬌。

 しかし、意外と今作的なフレーズも飛び出すところが一筋縄でいかない。他の曲に比べるとより比喩的な用法とはいえ。

 

いつか指を這わせた 最後の愛の記憶

子宮の中の光と 死産になった言葉

 

 木下曲でこういうビートだとかなり愛らしい感じになるのが分かった楽曲。同じビートを使った曲はしかし長らく出てこなくて、何年か後の『YOU』に収録された『Water』で久々にポップに活用され、そして近年の『In Colors』のタイトル曲で印象的な使われ方をしている。もっとこういう感じのノリの曲を作って欲しい気もしたりして。

 

 

13. Grace note(4:05)

 混沌とした今作の最後を締めるのは『Flora』と同じく戸高氏の作詞・作曲・歌唱による楽曲。しかし「大団円の後のささやかな収束」という感じだった『Flora』のラストと比べるとこちらは「混沌とした作品を前曲のノスタルジックさを引き継いで、楽曲の良さで強引に感傷的に終了させた」感がある。それくらいに優れて構築された楽曲で、戸高曲では手の込み具合等も含めて最高傑作でしょう。そしてアートスクール上で発表された彼の単独曲はこれが2019年現在では最後となる。

 非常に非今作的な、どこかオーガニックな質感のある冒頭からして異色。更に拍子を数えると、拍子足らずというよりもむしろ6/8拍子を8ビート的に解釈したものになっている。イントロから聞こえる精密機械的アルペジオは曲中で一部を除いてずっと鳴り続ける。裏にはうっすらと、隙間風のように鳴るシンセの音がする。サビで8ビートの装いを崩すことで実は3拍子な楽曲であることを明かす。

 そして2分過ぎ、2回目のサビが終わったところでこの曲もまた様子を変える。ブレイクから先は新たなメロディラインが登場し、最後までなんどもリフレインしていく。またドラムのプレイも、それまでの単調さから一気にジャズ的なしなやかさを得て転げ回っていく。今作でドラムが最も生き生きとテクニカルなプレイを見せている場面。そのまま、派手なギターソロやオブリ等も無く、この繊細に構築された楽曲は最後、ギターの寂しげな響きを残してアルバムを終わらせる。それは、ドロッドロしていた本編からすると嘘のように幻想的で儚い幕切れだ。

 歌詞も、戸高氏によるそれはあくまで「いつもの戸高節」というスタンスであり、今作的な木下のドロドロ感と一切関係ない世界観で綴られている。

 

僕らは見守っている 街の灯がいつか

まほろばの風景に変わる様に

いびつでも祈りは日曜日の朝に

ハレルヤ 日毎の糧と

 

教会的な感覚も戸高氏が元々から持っていた感じに見える。『君は天使だった』の木下的なノスタルジックさと比べて読むと色々と面白い。戸高の歌詞世界には血塗られて幻覚剤を求めて絶望的に逃避する二人みたいなのはいなくて、どこか牧歌的な世界の中を慎ましく暮らしている光景ばかりが広がってる。『Flora』ではそれが木下曲のメランコリックだけど少し前向きな作風と方向を幾らか共にしていたけど、今作ではそのギャップが激しいなと思うと、この曲もまた、作品の最初か最後にしか配置できなかったのかもしれないとか勝手に考えてしまったりした。

 

 

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総評

 以上、全13曲で収録時間47分27秒。

 「タイトルの割に14曲無い」というのは発売当時から突っ込まれていて、木下本人曰く「最後の1曲は脱退した櫻井くんの分」などと分かるようでよく考えるとよく分からないようなことを話しています。元々『君はいま光の中に』が前作ミニアルバム『ILLMATIC BABY』の中から再録される予定だったけど結局外れた、という噂もあります。

 各曲で散々述べたとおり、今回のテーマと言えそうなのはともかく「毒々しい混沌」。曲調についての一切の縛りが解かれたかのように色んなタイプの曲が最早節操ない感じに並んでる様は、ART-SCHOOLが幕の内弁当的なアルバムを作った、というよりもむしろ、それによってあえて「支離滅裂感」を出しているのでは、と思ってしまうほど。冒頭に今作で最も爽やかなタイトル曲を持ってくる時点で不思議さが溢れまくるし、終盤に特に山場を設けずに、その代わり最後2曲をノスタルジックな感じで締めたのもなかなかな強引さを感じさせていて、実はこの混沌とした曲順自体が、ある種の整然さを備えていた『Flora』に対する最大の反動なのでは?とさえ思ったり。ダークでニヒリスティックな曲調が多いのも毒々しさを強調する。

 また、ドラマーの変更もこの混沌っぷりに関わっているかもしれない。鈴木浩之氏のプレイは、前任の櫻井雄一氏の重戦車プレイと比べるとパワーは控えめで、しなやかさが信条かと思われる。そのプレイは『Grace note』で自由に花開いている風だけども、しかし他の曲ではそれほどまでに「これが彼の芸風!」という感じが出てきてなくて、それは彼の在籍ラストになる次作『Anesthesia』でも割とそんな感じなので、少し気の毒なところがある。「シーケンサーとの同機に長けている」という側面もあったと思われるけど、スタジオ音源ではそれが分かりにくい。あとBloc Party路線の曲が多くて彼の良さが余計見えにくくなっている側面もある。

 そして木下の歌詞はまさに「14SOULS期」ど真ん中という感じの乱れっぷり。血に濡れてビールと薬をキメ込んで子宮と羊水と海に逃避して、閉塞の中でダンスし続けるような世界観は非常にドロドロしている。言葉の使い回しも目立つけれど、ひたすらグチャグチャになっていく様に、『Flora』で見せた根暗なりの力強さのようなものはなかなか現れてこない。きっとその「救われなさ」こそをこの時期は歌いたかったんだろうと思われて、今作に通底する虚無感を理解する。この「救われなさ」をより行き詰まりの濃度を上げて表現したのが次作『Anesthesia』の基本線となっていく。

 しかしながら、これだけの混沌とした振り幅に対応しきって、いくつものフレーズとエフェクトを使いこなした戸高氏のギターについては、今作では非常に圧倒的なものを感じる。アルバムの締めにおける楽曲の強靭さもあり、今作での彼の活躍っぷりによって彼が本当の本当に「アートスクールになくてはならないギタリスト」になったんだと思います。あと木下氏のソングライティングの幅も、何気に今作である程度完成した感じがします。

 そんな今作をどう聴くべきか。「攻撃的なスタンスを中心にしたまま、他の様々な曲調も織り込んだ、汚れきった万華鏡みたいなアルバム」とひとまず銘打ってみて、ともかく色んな曲調が脈絡なく移り変わっていくそのグルーヴ感に、ひたすらに快楽を見出すのがいいのかなと。「感動的大団円」みたいな感じにさせないように逆に作り込まれている気さえするので、ともかくアルバム自体の軋むようなリズムを楽しんでいきたい、そんな作品だと思いました。

 

www.youtube.com2016年のライブ動画。かなりアレンジが変わってアグレッシブになってる。

 

 フジロックにかまけず頑張って書きました。もとい、決断力の欠如の結果としてフジロックに行けなかったそのフラストレーションを杖にして書き上げました。次のミニアルバムで早くも第3期アートが終わると思うとなんとも…な気持ちになりますがそっちも近日中に公開予定です。

*1:中尾憲太郎藤田勇の加入以降。

*2:インストも入れれば『僕のビビの為に』がそういえばあったけども。

*3:『Halo』な。でもあのダサさ大好きだし、あの曲は日本のbloc Party受容におけるキーになる曲だとも思ったりするけども。