ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『Anesthesia』ART-SCHOOL

Anesthesia

Anesthesia

 

 ART-SCHOOLのミニアルバム10枚目にして、バンドキャリア10周年の年にリリースされた作品にして、前作から始まった第3期アートの、結果的に最終作。短すぎるだろ第3期アート…

  「Anesthesia(アネスシージャ)」は「麻酔」「無感覚」といった意味。ドラッギーだった前作『14SOULS』までの流れを引き継ぎながら、中世〜近世の西洋画風なゴシックめいた雰囲気のイラストのジャケットは仄暗く、そして作品もまた、アートスクールの諸作でもとりわけ暗いもののひとつとなっています。「バンド10周年になったらものすごく暗い作品を作りたい」と過去に木下理樹本人が語っていたり、『14SOULS』リリース後に「次の作品はスマパンの『Adore』みたいな作品を作りたい」と語っていたりするけれども果たして。普段のミニアルバムよりも1曲多い全7曲を見ていきます。

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アーティスト写真も暗い。

 

 

1. ecole(4:14)

www.youtube.comジャケットの世界観を再現する子役の起用等で金かかってそうなPV。ガスマスクも印象的。

 フランス映画『エコール』(原題は『Innocence』)から題が取られたと思われる、今作でもポップでキャッチー寄りな楽曲。今作で一番明るく聞こえるのがこの曲。この曲もメジャーコードが全開になる瞬間は無いし、サビはマイナーコード中心だし、今作がどれほど暗いかの一端が伺える。

 冒頭小さい音で入ってくるファンタジックな演奏がサクッとバンド演奏で消えるところに今作的な荒涼感の始まりがある。四つ打ちを基調としたリズムの上にお得意のコード感とギターアルペジオが重なるけど、それ以上にシンセのチープな音色がリードを取っていることが印象的。Aメロが始まってもシンセやエレピ、グロッケン等の音色はあちこちで顔を覗かせ、今作がバンドサウンド中心「ではない」ことを密やかに示す。リードギターのプレイも前作での八面六臂な感じを「封印」されている、といった具合。それでもサビでは歪んだパワーコードを響かせるし、サビとAメロのつなぎでは印象的なラインを披露するけれども。

 発売当初は歌い出しで、今作の木下の声が荒れていることが、悪い意味でよく話題になった。だけどもその後の歴史を知ってるからか、最近はそこまで声が酷いように感じなくなった(笑)Bメロでつなぎ、サビではマイナーコードの進行の上でメロディと声をキャッチーに張り上げる。

 この曲のポイントは間奏。バンド演奏がフェードアウトして、イントロですぐにかき消えたファンタジックなインストがここでせり上がってくる。少しシガーロス的な幻想的な風味が夢見心地に流れ、そしてバンド演奏とフェイザー的な効果で淡く交差して、Bメロに再び接続される。ここの寂しい感じが、本作の方向性を示している。曲の終わりもグロッケンが寂しい余韻を発していて、同じグロッケン終わりの『フリージア』の安らかさと比べると、随分な寂しさを醸し出している。

 歌詞については、『左ききのキキ』辺りから登場していたキリスト教のモチーフが展開されていく。しかしそれらのモチーフはすべからく「実際は救いが無いこと」の裏返しとして登場する。

 

真実の愛は滅びない いつか観た聖書に書いていた

でもそれは本当のことじゃない 人間が生んだグロテスク

 

キリスト教徒の怒りを買わないか少し不安になるフレーズ。

 

絶望も道で買える程 何もかも安く見えるだろう

痩せこけた顔の天使たち 粉々にされた純粋さ

 

妄想やファンタジーの世界も色褪せていく。今作にはそんな身も蓋もない惨めさが大きく横たわる。

 そしてサビの末尾は、今作を象徴するフレーズ。

 

ecole 行こうなんて ecole そう今夜

ecole でも僕ら ecole 何処へ向かえばいいんだ

 

かくして、デッドエンド的な破滅しか見えないようなロードムービー、しかもその登場人物自体がそれを自覚してるようなロードムービーじみた今作が始まっていく。

 

 

2. Anesthesia(3:23)

 今作のタイトルトラックとしては存在感的に地味目な、今作のBloc Party枠な楽曲。というかこれ系のシリーズはもうこれで打ち止めか。何しろ2009年にそもそものBloc Party自体が活動を休止してしまった。活動再開の後の彼らから「現役のロックバンド」な感覚は失われてしまった感があって、オリジナルメンバーも散逸した。寂しい。話が逸れてしまった。

 打ち込みとはっきり分かる鳴りのキックを伴った四つ打ちのリズムから始まる、シーケンスとバンド演奏の同機を主軸とした演奏。やはり3枚目の頃のBloc Partyっぽさが濃厚にある。Bloc Partyパワーコードの感じが本当に好きだったんだろうなあ。Aメロ後ろのリードギターが音数少なく怪しく揺らいでるのが今作的な抑制具合。

 サビでは幾らかバンド感を取り戻し、激しい四つ打ちのドラムに、久々に登場する「Yeah」と叫ぶコーラスが流れていく。ギターもニヒルなプレイを見せるも、ミックスで音量を抑えられてる感がある。

 そして2回目のサビの後、ベタな8ビートにリズムチェンジして、バンドサウンドが膨張する間奏になって、そこからダークにファンクなインプロに移行し、そしてサビに戻ってあっけなく終わる。間奏セクションでのリズムチェンジは前作『14SOULS』でも数曲あったように、第3期で頻出する展開。この曲でのこの辺の展開はダンサブルではあるけども、ダークさが先立つ感じはある。

 歌詞も今作的に暗い。「麻酔」と言うタイトルだけに、「14SOULS期」的な混濁感も色濃く出ている。

 

いつもの雨が此処に降っていた 君と僕の二人になった

傷つくことはもう無いんだよ 逃げ出す場所はもう無いんだよ

 

今作の二人は、常に行き場を失っている。行き止まりの中で共依存と別離を繰り返していくのが今作の光景。

 

heavenly 何て言った? 声にならないさ

腐った羽根を抱いて 何処に飛べばいいんだ

 

 

3. into the void(3:04)

 今作で最も新鮮なサウンドを手にすることができた楽曲。過去にこのブログでやったB面集企画でも取り上げた。B面集収録は叶わなかったけれど…。

 ゼロ年代終盤に、元来ロックバンドがプレイしていた「シューゲイザー」的な音楽をエレクトロアクトの側から再評価・演奏する流れがあって“ニューゲイザー”と呼ばれたけれど、この曲はそのニューゲイザー的なサウンドを目指し、彼らの楽曲としてしっかりと昇華しきっている。その分バンド感はかなり薄まってしまったけれど…。

 この曲のリズムは相当にインダストリアルな反復になっており、特にキックの連打具合と重さが印象的。そしてギターのサウンドは非常にシンセチックに伸び上がり、それらを音の壁のように配置して、ギター的なアタック感は皆無。このマシーナリーな演奏が曲の始まりから終わりまで延々と続く。曲構成的にもブレイク等を廃し、演奏は延々とコピペ的な繰り返しで、変化といえばBメロでちょっとアルペジオが入るのと、サビメロでわずかにコード感とオブリのラインが切り替わるくらい。そこから生まれる、音響的には奥行きが深く、展開的には相当に平板な感じはこの曲最大の個性で、ディストピアSFチックな荒廃感と果てしなさを感じさせる。

 そしてそんな果てしなさの中で歌いあげる木下のメロディの、少し必死な具合が、マシーナリーなサウンドの中で実に人間臭い。短いシンセのイントロの後いきなり歌が入ってきて、エコー等の処理も最小限に仕上げ、Bメロチックな箇所で伸ばしたメロディをサビでシンプルかつキャッチーに纏め上げリフレインさせる。この曲での声の浮遊感はアートスクールの数ある楽曲の中でもまた独特の質感がある。

 そんな独特なサウンドの中で歌われる歌詞は、やはり今作的な「どこにも行き場が無い」系の歌だけど、この最果て感漂うサウンドの中だと聴こえ方が違うなと思ったり。

 

「この雨が病んだら」不眠症の神父 仕込まれた猿

失った記憶と 干涸びちまった天使らの声

 

ジャケットやブックレットのイラストのような光景が歌詞の中で続いていく感じ。「雨が病む」とは…?と思うけど何となく分かる。そしてキリスト教的なモチーフのボロボロになりっぷり。

 

いま揺れてるんだ こうやって ただ揺れてるんだ 彷徨って

完全になんてなれなくて それ以外何も無いなんて

 

行き場のないやるせなさに、Smashing Pumpkinsの『Ave Adore』の歌詞のような自意識過剰さが忍び込む。共依存の冒険の中での、矛盾するような感覚の混線が痛ましさを滲ませる。

 

 

4. Waiting for the light(3:29)

 バンド感が希薄だった前曲からの巻き返しなのか、今度はえらくシンプルにバンド演奏で纏め上げた楽曲。ミドルテンポで、つんのめるようなパワーコードのリフが主体になっているという点では『BLACK SUNSHINE』の続編のようなサウンドというか。

 イントロの重いベースから立ち上がっていくサウンドは純オルタナって感じ。薄らとシンセがバックで鳴るけれどもこの曲ではそれがメインという感じではない。普段のアートサウンド的なそれとは異なるもっとデジタルな感じのギターの歪みが、今作的な不思議にのっぺりした質感を生んでいる。

 曲構成的にはAメロ→サビ繰り返しの「普段のアートスクール」って感じ。なぜかAメロ終わりとサビのメロディが交錯するように連続する。間奏のブレイクもまさに典型的にアートスクール。今作的なサウンド要素が薄らシンセ以外に特に見られなくて、逆に不思議になる。

 歌詞的には、この曲では「二人の行き場のない逃避行」ではなく「君」を待ち望む「一人の僕」の歌になっている。歌詞的にはスピッツの『胸に咲いた黄色い花』みたいな、ある意味妄想ソングじみた部分がある。

 

いつもの場所に立っていた 一人 砂漠に咲いた柔らかな花

ねえ僕らは愛し合っていたのに その手や髪や唇や憎しみさえ

 

タイトルと合わせると「光=君」という構図がとても分かりやすい。木下の歌詞は時々「君」がそういうことになる。共依存とはちょっと異なる感じの歌。

 

 

5. Lost again(2:39)

 タイトルからして「また失うのか…」とアートスクールの歌世界のループ構造説を疑ってしまうけど、この曲もまた今作的な、エレクトロ方面のニューゲイザー要素を取り入れた楽曲。

 イントロからして明確に打ち込みで神経質に反復するリズムの上を、柔らかい絹のようなアルペジオに太く輪郭のやや曖昧なベースが入った瞬間に、この曲の頼りない心地よさが決まる。木下のボーカルも低音を利かせてしっとりとした響き方をする。

 1回目のサビの後、歪んだギターの空間的にわななくサウンドがとてもシューゲイザーしていて、そこから生ドラムが入って展開していく様がとても冷んやりした悲壮感がある。前半の繊細さの打ち破られ方が非常に鮮やか。サビの歌の繰り返しも増えて、この曲的な痛ましさが実に高まったところでイントロのようなリズムとシューゲギターだけになってあっさり終わる。3回しではなく2回しで終わることで、2分半ちょっという曲の短さを実現し、そしてそれに過不足を感じない辺りに、この曲の曲構成とアレンジとが絶妙にマッチした感じが現れている。

 そして歌詞。木下の普段使いの言葉が並んでいるだけのような気もするのに、この曲で出てくる二人の光景は実に痛々しい。1番と2番のAメロの対比は鮮やかだ。

 

冬の朝、いつも通り 彼と彼女は手を繋ぐ

身を寄せて歩道を歩く 美しい世界へと

 

冬の朝、いつも通り 彼と彼女はすれ違う

沈黙が部屋を覆って 世界は醜く歪んで

 

そして2回目のサビの、以下のフレーズの、実に身も蓋もない表現が実に切実で素晴らしい。

 

完璧で 完璧で いられるよって言ったんだ

クソみたいなこの気持ちは 無力感は何なんだ?

 

「14SOULS期」の混迷を締めくくるべき歌詞の『Loved』に先駆けて、この曲のこの部分の叫ぶようなフレーズは、アートスクールに通底する叫びがそっと現れてしまったような、どこか根源的なもののように感じられる。それにしてもこんな綺麗で透き通った歌に「クソ」っていうどうしようもない単語が混じることの、皮肉めいた面白さ。

 

 

6. Siva(3:16)

 シューゲイズの曖昧さと虚しさに満ちた前曲の雰囲気を打ち破るべくスネアの連打で始まる、タイトルどおりに初期Smashing Pumpkins感全開なパワーポップナンバー。今作的なエレクトロな仕掛けが一切ない、勢い一発なこの曲がこの位置にあるお陰で生まれる、通して聴いた際の爽快感が実にいい感じ。

 ドラムのワイルドなスウィング感はまさにスマパン。オープンハイハット全開なプレイは今作でも本当に例外的に生命力と爽快感に溢れまくっている。リードギターの細いフレーズをクルクル旋回させるプレイもスマパン的な力みが実に明確に現れている。

 しかしながら、この曲もどっちかと言えばマイナー調の曲のはずなのに、イントロ・Aメロ・サビ等で見せる木下側と思われるディストーションギターのワンコードなドローン感が、マッシブなリズム隊との対比が実に効いてて、この曲の不思議に爽快な雰囲気を盛り立てる。相変わらずアタック感に乏しいデジタルな歪みで、しかしそれがこの曲において本当に効果的に思える。ギターの音的にはむしろスマパンでも『Machina』的な感じ。木下のボーカルもAメロで声を張り上げ、サビで沈み込むという普段と逆のラインで、この曲のスマパン的な妖しさを理想的に模倣していて素晴らしい。

 そして2回目のサビの後、この第3期アートで頻発していたリズムチェンジからの間奏がまた登場する。このメンバーのこういうのはこれで最後になる。もっと長くやってもいいのに…と思いながらも、ここで直線的なビートになってひたすらグチャグチャに疾走していくのは気持ちよく、そこから強引にサビに戻るのもまた今作になかなか感じられないバカっぽさがあって可笑しくも格好いい。

  歌詞も今作で唯一、典型的に「14SOULS期」的なドラッギーでアッパーで破滅的な愛の光景を描く。このバカっぽくも救いがたい二人の光景に爽快なバンドサウンドが寄り添うのがやっぱり可笑しくて悲しい。

 

あてもなく彷徨ってるんだ

until the die これで何錠いった?*1

君の肺に咲く澄んだ花に ゆっくり水が染み込む様に

 

肺に睡蓮の花が咲くのはボリス・ヴィアン『うたかたの日々』。あの悲しい設定をエロっぽく楽しんでる様が何とも軽薄で破滅的な感じ。

 

感情が無い僕のガールフレンド「笑ったことが一度も無いの」

青いカーペットの上で 跨る君は最高なんだ

 

メンヘラセックス感バリバリ。木下さんが楽しそうで何より。カーペットでヤる光景は後に『フローズンガール』でも登場する。

 

 

7. Loved(3:46)

 今作の締めであるとともに、「14SOULS期」の混沌と放浪の果てと言っても過言では無い、そんな最果ての静寂を感じさせる楽曲。タイプ的には『PARADISE LOST』収録の『君が僕だったら』とかなり似たものだけども、こちらの方がアレンジ・歌詞の世界観ともに深刻化しているように感じる。『14SOULS』のツアーですでに演奏され、同機メインの演奏に「?」となったけど、この曲はこういうしんみりした流れで聴くのが相応しい。

 冒頭から、古いカセットテープから流れてきたかのようなレトロな音声が響いて、それは『ecole』とも近いけど、その後のバンド演奏が、まるで覇気の無い、ひたすら虚無的な演奏に徹している辺りにこの曲の寂寥感に満ちた奥行きがある。少しスロウコア的というか。メロトロンっぽいシンセのメロディが実に物寂しい。ずっと変わらず刻み続けるリズムは殆ど打ち込みに近いプレイに徹している。スネアの響きは極力殺され、休符でこそ存在感が増すような具合。ギターのアルペジオもシンプルに徹し、まるでグロッケンのように響く。

 木下がこの曲に書いたメロディはまさに、息も絶え絶えといった風情で、しかし非常に可憐で美しい。『君が僕だったら』の焼き直しっぽくもあるけれども、特にサビのメロディの切実さは、伴奏の寂しさと歌詞の内容とも相まって、アートスクールの楽曲でもここまで物悲しいのは無いかもしれないくらい。

 特に、2度目のサビが終わって、シンセとベースだけになるセクションが来て、そこが一瞬休符になった後に最後のサビに帰着する場面は、本当に今作の世界観が張り裂けるかのような美しさに満ちている。終盤に入ってくるピアノ、歌メロ最後の木下の囁くような歌い終わり方、何もかも、物悲しいエンディングのような感覚に満ちている。

 歌詞。「諦観」という言葉に「美しい」という語を繋げるのは倫理的によくないことかもしれないけど、この曲ばかりは「美しくて狂おしい諦観」と言い切ってしまわないといけない。木下の悶え苦しむ系の歌詞でも極北、実に身も蓋もなく、苦しくて、そして愛しい。

 

君に憧れていた 犬の様に這いながら

意味を探そうとして 何の意味も無いと知る

 

「君を想うこと」の虚無に行き着いたこのフレーズの侘しさが痛々しい。

 2つあるサビの歌詞はどちらも、アートスクールの「悲しい結論」といった具合に素晴らしく身も蓋もなく暗い。

 

いったい此処は何処なんだ 狂いそうなほど僕は

嘘をついてつきすぎて分からなくなった

いったい君は誰なんだ 肌を重ね合う度に

嘘をついてつきすぎて分からなくなってしまったんだ

 

いったい此処は何処なんだ 悲しいくらい満たされて

朝がきたらまた僕ら 空っぽになる

いったい君は誰なんだ 悲しい位 抱き合って

朝がきたらまた僕ら 一人になってしまったんだ

 

村上春樹の小説の主人公の「救われなさ」とは要するにこういうことなんじゃないかと思ってしまった。木下理樹の「困惑・救われなさ」が端的に無駄なく描かれた、どうしようもなく胸が締め付けられるフレーズ。

 最早木下ソロという感じの音楽だけど、だからこその非常に孤独で、頼りなくて、惨めで、だからこそ気高くて美しい世界が広がっている。問答無用に今作のベストトラック。なぜかB面集制作に向けたファン人気投票ではシングル曲やタイトルトラック等と同等の「投票不可」の措置を受けていて、この曲こそ今作の裏のリードトラックだったのかな…とか思った。

 

 

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総評

 以上全7曲、収録時間は23分49秒。7曲の割に短いかも。

 サウンド的には、『ecloe』『Loved』がバンド演奏と関係のないインストで始まることが象徴するように、宅録的・エレクトロ的なサウンドが多用された作品となっている。それは時に「バンドサウンドとエレクトロサウンドの共存」という域を超えてむしろその「エレクトロ」の部分ありき、という域にまで達しているものも幾つかある。エレクトロの部分を聴かせるためにバンドサウンドを抑制している場面さえ散見される。

 また、ニューゲイザーのサウンドを取り入れるべく、ギターサウンドについても非常にデジタルっぽい質感が多く見られる。特に木下側のディストーションギターは相当にアタック感が殺された歪み方をしていて、ある意味モダンな感じに仕上がっている。次作『BABY ACID BABY』ではアンプ直のようなジャリジャリの歪みが多用されることもあり、今作と『BABY ACID BABY』のギターの音作りのベクトルはほぼ真逆と言っていい

 そして、はっきりとメジャーコードメインな快活な楽曲が一切登場しない。ずっとジャケットのような薄暗い世界を彷徨い続ける楽曲が並ぶ中で、終盤に『Siva』が置かれていることは、“最後の息継ぎポイント”みたいに感じられる。『Lost again』から『Loved』に直接繋がってたら相当に陰惨だっただろう。この辺は良し悪しかもだけど、自分は『Siva』のエネルギッシュさや「青いカーペット」に代表されるユーモアセンスがあの位置にあるのがすごく好き。

 歌については、1曲ごとに見ていったとおり、全ての曲の主人公たちが行き場を失っている。『Flora』の『光と身体』で見えた清々しく荒涼とした地平線の感じは遙か遠くなり、また同じく暗かった「Love / Hate期」のあのジャケットのような乾いた地平線の感じとも異なり、このジャケットにあるように今作の複数の曲で雨が降り、二人は愛と快楽のロードムービーの果てにひたすら嘘と虚無しかないことを悟ってしまう。今作はそんな歌しか入っていない。

 今作までを筆者は「14SOULS期」と呼んだ。アルバム『14SOULS』に典型的な「混濁」「閉塞感前提の逃避行」「理想の失墜の象徴としての宗教」といった色々なモチーフは今作で完結し、『14SOULS』にはまだ幾らかあった「ドラッギーなアッパーさ」は全く失われた。『Loved』の演奏が終わった後の「二人」に見えるのは「嘘と虚無しかない世界」なんだと思うと、「セカイ系な二人」の舞台はアートスクール史上最も救いようのない事態に陥っている。そう思うと、第3期メンバーではじめ制作が始まった『BABY ACID BABY』の最終曲として収録された『We're So Beautiful』のギリギリのポジティビティーの位置が、この『Loved』の最果ての地点からなんとか這い出した、的なものだと分かる。

 重ね重ねになるけど、今作の暗さは相当なもの。特に第2期アートで『PARADISE LOST』『Flora』と順番にポジティビティーを得てきた地点からの、このキャリア最底辺な暗がりまで落ち込んだ辺りが、本当に深刻な感じがする。バンド10周年の年だというのにこんな作品なんて…という気持ちも。しかし、ここまで暗さに徹するとかえって清々しさすら感じるのは何故だろう。サウンドも、バンド感を押さえ込んでまでこの暗さに寄り添う作りとなっていて、今作は正しく「木下理樹の“暗さ”の表現をバンドの枠を超えて、その果てに辿り着こうと挑戦した作品」だと思う。もちろん“暗さ”は人間・木下理樹の魅力の一側面でしかないけれども、でも、それのためにここまで色々とできる“音楽”という概念の懐の深ささえ、この作品を聴いて思ってしまうのは妄想のしすぎなのかもしれません。

www.youtube.com

 

 以上で、第3期アートスクールまでの作品レビューは終了になります。

 正直、リリース当時は筆者は今作が苦手で、『14SOULS』で得たポップさやギターの多様さを封印してどうしてこんな暗くて地味な作品作ったんだろう、と思ってました。しかしながら、いつの間にかこの作品の“暗さ”のために全てを尽くすようなスタンス自体がなんかすごく魅力的に思えて、今では彼らのミニアルバムでも『SWAN SONG』の次にこれが好きかもしれません。『SWAN SONG』もまた暗くて虚無が広がってるので、単にそういうものが好きなだけかも。

 そういえば、自分は結構昔「放蕩息子の迷走」というブログをやっていて、そっちでもアートスクールの全曲レビューを書いていたのですが、そっちは多分『14SOULS』をリアルタイムに書いたのが最後で、それより後の作品は全曲レビューを書いたことが(『In Colors』を除いて)無かったので、今回こうしてその大昔のブログで未踏だった地点を更新することができて、なんかホッとしてます。

 アートスクールのレビューですが、第4期の前に木下の別ユニットKilling Boyの2作も取り上げたい感じがあるので、まだまだ色々あるな…と思います。ここまで一気に書きましたが、次はちょっと間を空けます。楽しみにされてる方はすいません。

 

 

(2023年7月追記)

 相当間が空きましたが、こんなに開くとは思ってもいなくて申し訳ありませんでしたが、続きを書いております。

 木下理樹というアーティスト単位で見ると次作はkilling Boyの1st。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 また、ART-SCHOOLの次作としてはメンバーが変わって最初の作品となる、このバンドの6枚目のフルアルバムとなる『BABY ACID BABY』。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 この調子で最後、2023年の最新作まで行けたらなあと思ってはいます。

*1:本来の歌詞では“何条”となってるけど記載ミス?