東京インディーきってのロマンチック・ロックンロールバンド昆虫キッズの音源を順番に取り上げてきていますが、今回は2011年にリリースされた2枚のシングルを取り上げます。各2曲ずつで合計4曲。ジャケットはイラストレーターの100%ORANGEによるもの。これはこの2枚に続くアルバム『こおったゆめをとかすように』及びその後の『みなしごep』まで続きます。『みなしごep』は『こおったゆめを〜』のアウトテイク集的なものになるので、アルバム『こおったゆめを〜』周辺の昆虫キッズは関連シングルも多い、なんか一昔前の邦楽バンドみたいなリリース状況です。
なお、この2枚のうち『ASTRA/クレイマー、クレイマー』については実際の音源を所有していませんが、ややミックス等変更した程度でアルバム『こおったゆめをとかすように』に2曲とも収録されていますので、そちらをもとに書きます。逆に言えば、こっちのシングルは今やファンアイテムかなあと思います。
一方で『裸足の兵隊』の方については2曲目『王国のテーマ』はアルバム未収録であり、また表題曲『裸足の兵隊』もアルバムでは録音し直されており完全な別バージョンとなっています。まあ表題曲の方はPVがあるので、そこでシングル版の音源を聴けますけども。
また、この4曲を全て収録したレコード盤もあるようです。これ専用のジャケット書き下ろしもあって力入ってる。
個人的に昆虫キッズ最高傑作にして東京インディーを代表する、いや、日本のロックを代表する一枚だと信じている『こおったゆめをとかすように』へ向かっていくその足取りとなる4曲。その充実の程を見ていきたいと思います。
『裸足の兵隊』
なお、この2曲のミックスはスカートの澤部渡氏によって行われています。昆虫キッズのサポートメンバーとしてもよく参加していたという話で、彼らの交流が東京インディー界隈の大きな軸のひとつでした。
1. 裸足の兵隊(5:11)
www.youtube.comPV。真夜中から始まって朝の海に向かっていく映像はロマンチックさに満ちてる。
昆虫キッズを代表する大名曲。高橋翔本人がこの曲こそ昆虫キッズだとコメントするほどで、解散ライブではダブルアンコールの際に、本当に一番最後に演奏された。解散後も高橋ソロのライブで冷牟田敬とジョイントで演奏されていたりと、彼にとって本当に大事な曲なんだと思わせるエピソードが本当に多い。
くぐもったマイナーコードのギターが掻き鳴らされ、その質感からしてこれまでと違う複雑なトーンをしている。おそらく、ピッチシフターでやや不協和音気味なトーンを付け加えることによってこの「クリアでない」音色を得ているんだと思う。この曇り切った、でもダークな感じともまた違う曖昧で憂鬱なトーンが、この曲の雰囲気を象徴している。それにしても、このシンプルで曇ったコード進行に対して高橋翔は実に飛躍したメロディを付けていて改めてちょっと驚く。
他メンバーの演奏が入ったところで、この曲の不思議な「空中分解しかけ」感が姿を現す。リズムギターのコードとほぼ関係ないリフを弾き続けるベースが、ここで非常に大きな存在になっている。ギターのコードに比べて終止がはっきりしたこのベースラインがこの曲に与えているポジティブさは大きく、そこを中心にしながら、ドラムは変則的なリズムとフィルインを機械的に繰り返すし、リードギターは冷ややかなトーンをそっと添える。
Bメロでは演奏がブレイクし、のもとボーカルが心細くなりそうな果てから語りかけてくる。言葉は不明瞭な感じにぼかされ、曇り空の緊張感と儚さが、この先のサビの高橋翔の力強いボーカルをより印象付ける。この曲のサビは本当に、空中分解ギリギリのところで曲として美しく纏まっている。相変わらずの暗いコードから声張り上げんばかりの流麗なメロディを拾い上げて、音程の細かいブレも恐れずに高々に歌い上げる高橋翔の力強さ。ベースは縦横無尽に動き回り、ボーカル以外のパートは冷たく感じるこの曲で一番アグレッシブで熱のあるアクションをしている。このベースがこの曲の、ギリッギリのポジティビティの象徴なんだと思う。1回目サビ終わりのブレイクでもベースが楽曲をリードしていき、憂鬱であることの優雅さを体現するギターソロに繋いでいく。
この曲のギリッギリに感動的な具合が完成するのが2回目のサビ後の「海に行こう 見に行こう 何か大きなものを見に行こう」と繰り返し歌われるくだり。こんな憂鬱そうなコードの曲をテクニカルに稼働させて、半ば無理やりにでもメロディを引っ張り上げて、そして到達するのがこの、「“キッズ”の気持ちの根源」を拾い上げたようなフレーズであることに、この薄暗い世界で、一気に視界が広がっていくような鮮烈で眩しい印象を受け、胸が痛くなる。
最終的に「海に行こう〜」に辿り着くまでの歌詞はまさに、その視野が開けていく感じに至るまでのショートストーリー的な趣がある。そしてその物語は、光だけでは生きていけない、そんなにピュアでも無罪でもない「僕達」に対するギリギリの優しさに満ちている。
誰にも会えないだろう その服じゃさ その髪じゃさ
ほら見ろ 太陽さんは あなたの影を作ってくれる
誰にも会えないだろう その靴じゃさ その顔じゃさ
ほら見ろ 太陽さんは 僕らの陰を作ってくれました
この、皮肉とも諦めとも取れそうな歌詞の中に隠された、昆虫キッズが真剣に歌うことのできるポジティビティの、まるでマイナスを集めてプラスになれば、という祈りのような気持ちが、そしてついに最後「海に行こう〜」の誘いに繋がっていく。PVにあるような朝の閑散として寒々とした海に辿り着いて、何か具体的に救われるわけでもないけれど、でも、言い知れない広がりとか、淡い鮮やかさとかが胸に広がってくるような、そんな感じがしてこないだろうか。チャラい言葉遣いを許してもらうなら、それこそまさに「エモい」ということなんだろう。
なお、上にも書いたようにこのシングル版とアルバムの再録版は結構別物で、テンポも最初のコードカッティングの長さも一部の歌詞も違うし、アルバムバージョンではギターのダビング等も行われている。筆者はアルバム版がより好きだし、バンドはアルバムリリース以降アルバムバージョンで演奏している。だけどPVで流れる音源はシングルバージョンなので、こっちのバージョンもあの素晴らしいPVとともに今後も聴かれていくことだろうと思う。聴かれていってくれ。
2. 王国のテーマ(4:39)
気合も入りまくっていたであろう大名曲のカップリングなこの曲は、そんな緊張感から全然変わって、ヘンテコサイドの昆虫キッズ。前作『text』のレコーディングドキュメント映像(この動画の最後の方)の中で冷牟田敬が弾いていた変なリフの歌が元になっていると思われる、というかこうやってリリースする形になるとは。
作曲・冷牟田敬、作詞:高橋翔というこの曲。曲自体は冷牟田氏がこのバンド以外でこんな曲作るだろうか…的なとってもユーモラスで牧場チックというかサンバというかな感じの例のフレーズに印象が集約される。ただ、歌のパートになると突進するようなメロディの畳み掛けに、流石にこのバンド的な勢いを感じる。歌は冷牟田敬(およびのもとなつよコーラス)、かと思わせて最後にちょっとだけ高橋翔も歌ったりして。
しかし歌のパートは1分24秒くらいで早々に終わり、そこから先はひたすらインスト。THEE MICHELLE GUN ELEPHANT『ジェニー』を思わすようなウエスタン要素(誰かの遠吠えなど)を見せながらも延々とジャムり倒していく様、特に延々とギターがグチャグチャにフリーキーでオルタナティブなプレイをし続けるのがめっちゃ暴走感あって、そこに変幻自在のリズム隊が絡むのがファニーで破壊的で面白い。一度フェードアウトして、またせり上がってくるという謎のしつこさとやりたい放題感がひたすらバカでパワフルで格好いい。ちゃんと演奏終わらせるあたりが律儀でおもろい。
この曲のタイトルの意味するところは正直不明だけども、歌詞についてはやっぱ高橋翔的な「自分がダメなのは分かってるけどでも突っ走るよ」的な清々しさが覗いている。
駆け抜けろ 追いかけろ ハリボテの果て
ペガサスの真似事と言われてもいい
僕は行く 一人行く 見飽きた荒野
故郷の花の名を君にあげよう
全文引用になっちゃったけど、彼の屈託と勢いとややこしい感じの優しさとがコンパクトに収まった、何気にかなり良い歌詞だと思う。
『ASTRA/クレイマー、クレイマー』
楽曲自体とはあまり関係ないけど、ここの販売サイトの短評に書いてある「なにがなんだか誰もわからなかった2011年にヘッドスライディング!!!」という言葉は今見てもなんか重たい。この辺のことについては総評・および『こおったゆめをとかすように』の際にちゃんと触れます。
録音の際のエンジニアはトリプルタイムスタジオ岩田純也氏。
1. ASTRA(2:49)
www.youtube.comカオスなPV。映像の切り替え方がエグくもセンス感じる。高橋翔による制作。ハムスターの楽団可愛いしブラッドフォード・コックスのコスプレみたいになるのオモロい。ボーイッシュな髪型ののもとさんも可愛い。
暴走ロックバンド・昆虫キッズを更新する、『太陽さん』以上にクレイジーでキャッチーな狂騒のグルーヴを持ったアブストラクトな名曲。もう本当に、この曲のやりたい放題な感じを文章にしてなんの意味があるんだ?文章にするにしてもどっから触れりゃいいんだ?という困惑ばかり。
もう、冒頭の逆再生で入ってくるのもとさんの声からして壮絶さを予感させる。果たして、その後は完全に「ロックというものをhackした」昆虫キッズのやりたい放題。その根底には物凄い勢いと手数で地獄のサンバのような演奏を続けまくるドラマー・佐久間裕太の強靭さが間違いなくある。感電したような両サイドのギター共々荒れ狂い、イントロ等の「ガツガツガツガツ!」となるフィルインがもう、この曲の非人間的でかつ圧倒的にフィジカルな混沌を象徴してる。
スタジオ音源ではゲストミュージシャンとしてMC sirafu氏がトランペット・スティールパンで客演していて、『text』までの狂騒の感じを微かに楽曲に残している。スカートの澤部渡もボンゴを演奏してるけど、こっちは激しすぎる演奏の中で殆どかき消えてしまっててちょっと気の毒…。
いやでも、そんなことよりも、ブレイクしたBメロでのもとボーカルの裏で刺々しく四つ打ちのシンバルを入れるドラムとか、高橋翔の「端正な歌」というよりもむしろ「混沌と狂乱へのアジテーション」と化したフリーきーなボーカルが本当に印象に残る。かつてNUMNBER GIRLが『NUM-AMI-DABTZU』で到達したヒリヒリした混沌と狂乱の感じに、この曲は一番近づいていて、そしてあれよりもずっと享楽的だ。どっちもドラムが超絶機動なのが共通してる。ブレイクのタイミング、演奏再開のタイミング、全てが極端に配置されながら、この曲の大笑いのような狂気っぷりはひたすら突き抜けてる。最後にのもとコーラスが演奏とともに途切れた時、物凄いエネルギーが過ぎ去っていったことを時間差で感じて、へへへ…と笑いが出てしまった初聴時のことを思い出す。
歌詞。ひたすらな混沌の中にいて、「キッズ」さを決して手放さない高橋翔のスタンスとセンスがともかく格好いい。
それからのことなんか思い出せないよ
世界中に散っていた花びらのようさ
砂浜に埋められたいつかの君のヒーロー
こんどは僕が迎えにいく番だ
2011年という年において冒頭の1行は非常に重たくも聞こえるけれど、その後の、ノスタルジーの先にいるどうしようもなかった「君や僕」に手を伸ばそうとする歌の優しさにやっぱり胸が痛くなる。
千の千のライター 照らせらせ あの子を
千の千のライター つくれつくれ 光を
暴走しながら暗闇に手を伸ばす、昆虫キッズらしさだけを詰め込んだような必殺のナンバー。当然ライブ定番曲であり、トランペットやスティールパンがないのに、かえってコントロール不能な勢いで突っ走っていくこの曲の演奏光景が今だに物凄く強く印象に残っている。
2. クレイマー、クレイマー(5:31)
暴走の限りを尽くした前曲に対して、こちらはセンチメンタルサイドの昆虫キッズの当時の最新モードを示した、非常にしっとりとした曲。同名のアメリカ映画に感銘を受けて作られたのかもだけど、歌詞はそこまで直接的に関係はしない。
3拍子のバラッドだけど、一番驚くのはこの曲の前半がずっと英語詞になっていること。ピアノの響きが感傷的に響く静寂の中を、落ち葉を踏みしめるように歌う高橋翔の英語の、英文としての文法は?だけど、歌い方は案外USインディチックな雰囲気がしっかりとありハマっている。ちょっとArcade Fireっぽい感じがするのかも。英語の方が歌が上手いかも…?
実にしっとりした演奏は、昆虫キッズがこれまで表現してこなかった類の感傷や力強さの感じがする。間奏で優しく添えられるMC sirafuの客演トランペットがとても勇敢な感じがして沁みる。高橋翔も、ナルシスティックな感じになることを恐れずに、高々と、彼らしい丁寧さで、ファルセット等も用いて大切に歌い上げる。こんなに真っ直ぐに、自嘲の感じとかも無く歌い上げるのは昆虫キッズでも初で、バンドが『裸足の兵隊』『ASTRA』共々新しいステージに立っていることがまざまざと示されている。
歌詞。英詞の方は文法よりも「感じろ…!」というな単語の並べ方をしているように見えるけれども、この曲の感傷と優しさの間を揺れ動く感じは出てる。そして、より歌がねっとりして聞こえる日本語詞において、それまでの「キッズ」な面持ちとは異なる詞の世界がさりげなく展開されていく。
秋の葉 踏みしめ 飾れない時間よ 飾りだす偶然に 大袈裟につきあう
これから何処へ行く 年を重ね 歩けなくなっても
この、急に素面になったような詩情と、優秀なカメラとしての目線とが交錯した感じ。高橋翔の歌詞がここで大きく幅を広げていて、来るべき大名盤『こおったゆめをとかすように』の到来を予告する。昆虫キッズだからこその成長と優しさが薫る。
それが愛か闇か 今はわからない
今も君はわからないだろう?
・・・・・・・・・・
2枚まとめて総評
以上4曲を取り上げました。
『text』レコーディングからの延長である『王国のテーマ』を除いた他3曲に言えることは、ここで昆虫キッズが遂に大きなスケールを手にした、それも昆虫キッズのままで手にした、ということだと思います。
ここのインタビューでちょっと触れられてますが、実は『text』の後にシングルを出す計画があり、4曲を録音しようとしたけど頓挫したことが語られています。この時期は高橋翔がスランプだったと告白しており、その時期を越え、そして20011年3月11日という決定的に不可逆な歴史的大災害があって、様々な鬱憤と抑圧と憂鬱と悲しみと混乱とに塗れまくった中で、なんとかするっと出てきたのが『裸足の兵隊』『ASTRA』といった楽曲だったと。
完全に根拠のない推測ですが、この時期の高橋翔さんのスランプというのは『text』までと同じようなノリの曲を作ってもしょうがない、みたいなものがあったのかなあと。であれば、『text』からの飛躍が曲自体に備わってる『裸足の兵隊』『ASTRA』がするっと出てきて彼の中でOKが出たのは、彼的には確かな手応えでもあり、また「これらと肩を並べられる曲を作らないと」というプレッシャーでもあったはず。実際、上のインタビューではやや自嘲気味に話しているけれど、『こおったゆめをとかすように』に収録された他の曲は、バンドの力みを若干感じながらも、しかし「これらと肩を並べられる曲」が確かに多数収録されていて、はっきり言って物凄い大名盤です。
成長痛の後の美しくも激しい飛躍、という感じの2枚のシングル。リアルタイムで昆虫キッズにハマって、そしてこれらをリアルタイムに聴いてたら、どれほど打ちのめされただろうな、と想像してちょっとため息が出たりするけど、でも筆者は後追いとはいえ、これらの素晴らしい作品に辿り着けて、きっと幸せなんだと思います。
…それにしても、次に書くべき『こおったゆめをとかすように』は、いよいよ好きすぎて、サラッと書ける気が全然しないな(笑)ここで昆虫キッズ全曲レビューの更新ペースがグッと落ちてしまうことを予告しますが、確実にいつか書き上げますので、私のレビューを期待されている奇特な方におかれましては、少々気長な気持ちでお待ちください。『Yankee Hotel Foxtrot』の時ほどに時間がかかったりややこしい投稿形式になったりはしない予定です。