ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

“東京インディー”って知ってる? Volum.1 概念考察

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 “東京インディー”なる概念がそのものすごく一般的っぽい「東京でやってるインディーバンドたち」みたいな意味を離れて、ある特定のバンド・アーティストたちを指して使われるようになって他のは一体いつからだったんだろう。恥ずかしながら、九州から外に居住地を移したことのない、東京周辺に住んだことのない筆者にとって、そんなムーブメントがあると知ったのは、メディアが「東京インディーは離散した」と言われ始める時期の直前くらいでした。

 ムーブメント。そうだ、“東京インディー”は音楽のムーブメントのひとつだった。そしてそれはかつてのロキノン文化が取り上げた「1997年の世代」だとか「下北系ギターロック」とかみたいな“結果的に周囲からそう言われた”と似た雰囲気がありながらも、もうちょっと当事者たちの自覚が感じられ、緩やかな連帯感と相乗効果が確実にあり、そして本当にインディペンデントで、音楽的な実り豊かな季節でした。なんかノスタルジックを糧に説教するおじさんみたいになりそうだ。

 今回は、そんな“東京インディー”なる、確実に日本の音楽史に残るべき概念として存在しながら、少々分かりにくくもなっているこの概念について、まずは色々と考えてみようと思います。考えて、ある程度区分けして、そして次回更新時とかで、筆者が大好きなベスト15枚のアルバムを粗雑に紹介することで、せめて何かしら像を結ばないか、と願って更新していきたいと思います。

 

前編:“東京インディー”ってつまり何なの?

 この率直な問いに正確に答えられる人なんていないと思います。そう思う理由は、この言葉がブームの途中からリアルタイムでバンド・アーティストを売り出す文句として盛んに使われ始めたから。“東京インディー”で検索して出てくる二つの記事「東京インディが離散した2015年」という記事と「Yogee New Waves×WONK対談 東京インディーは今、さらに面白い」という2017年の記事とが出てくる時点で何かがおかしい。この2つはそれぞれ別のメディアの記事であり、つまりメディアによって“東京インディー”なる語が指すバンドの範囲が違ってしまっているのです。そりゃあ正解なんてあるわけがないです。

 ただ、一つだけ筆者がここである程度言えそうなのは、「2010年前後の活動開始からの色々が結果的に“東京インディー”というラベリングを受けることになったバンド・アーティストたち」「“東京インディー”という概念がある程度出来上がった後に生まれて、商業的理由等から“東京インディー”とラベリングされたバンド・アーティストたち」とがあるのかな、ということ。この二つは決定的に分けれそうな気がして、そうすれば「2015年に離散した」のはどっちかと言えば前者の概念だし、2017年に「さらに面白い」と言われたのはどっちかと言えば後者の方かなあと思えます。

 そしてこの記事的に重要なので言いますが、この記事で取り扱うのはどっちかと言えば前者の方のバンド・アーティストの作品です。後者の方の記事を期待されてる人がもしいたら、そっちにはあまり触れません。

 それで、次の章ではこの2つのグループの性質とか、どんなアーティストがそれに入るか(そう筆者が思っているか)を書こうと思うのですが、上記の文言および「前者or後者」では分かりにくいような気がします。それで、サインマガジンの「2015年に離散した東京インディー」という認識は(とても悲しいけど)ある程度妥当性があるように思えますので、ここでは便宜的に「2015年以前の世代」「2015年以降の世代」に分けて、次の章で少々考察をして、そして「2015年以前の世代」から15枚を紹介していきます。どうして「2015年以前の世代」からだけなのかはまた後ほど言います。

 

中編:2つの世代の特徴やメンツについて

2015年以前の世代

 まずはもう色々言わずに、バンド名・アーティスト名を列挙していきましょう。その方がきっと分かりやすい。きっと完全網羅はできないのでその辺割引いて見ていただけると…。以下は貧弱な筆者のiTunesによる、A→Z、あいうえお順です。

Alfred Beach Sandal

ayU tokiO

möscow çlub

oono yuuki band

ROTH BART BARON

あだち麗三郎

うみのて

王舟

大森靖子

思い出野郎Aチーム

片想い

カメラ=万年筆

昆虫キッズ

ザ・なつやすみバンド

柴田聡子

シャムキャッツ

スカート

トクマルシューゴ

どついたるねん

トリプルファイヤー

蓮沼執太フィル

麓健一

マンタ・レイ・バレエ

ミツメ

森は生きている

吉田ヨウヘイGroup

来来来チーム

 ざっと挙げましたが*1、ざっと眺めた感じからしても、音楽性は雑多、というかそりゃこんだけ面子集めりゃ共通する音楽性なんて出てこんでしょ…という。アルファベットよりも日本語表記のアーティストが多いですね。そして寂しいことに、もう解散してしまっていなくなってしまったバンドや、リリースが途切れてる人などもいくつか含まれています。メジャーレーベルに移行して「インディー」さが薄まった人たちも。

 ただ、そうは言ってもいくつか特徴を抽出できないこともないので、厳しい部分もあるかもですが、やっていきます。

 

1. インディーレーベル中心の活動・レコードも含めた流通

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 これについては2015年以降の世代もさして変わらないですが、これらのアーティストの作品の非常に多くが自主レーベル、もしくはP-VINE等のインディーレーベルからのリリースになっています。中にはメジャーレーベルに移行したアーティストもちらほらいますが、そういった動きもまた2015年を境に出てきた動きだったように記憶しています。少なくとも、名前が売れる前からメジャーレーベルでリリースしてたアーティストはいません。そりゃ“東京インディー”だもの。

 それで、インディー中心のリリースとなると、作品を全国流通させるのが大変だったりしますが、ここでこういったアーティストたちを強力にバックアップしたのが、大都市圏にあるセレクトショップ的なCD・レコード販売店ディスクユニオンとかそれくらいのクラスよりもむしろ、JET SETと、そしてココナッツディスクが果たした役割が大きいと思われます。特にココナッツディスク吉祥寺店はインストアライブなども頻繁に行われ、「東京インディーの聖地」などと呼ばれたりしています。こういう実店舗中心に盛り上がる感じになるとやっぱそういうところに住んでおきたかったなあ…という感じのことを思ってしまう。

 

2. 各アーティスト間の客演・リスペクト関係等

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 これが何気にこの辺の東京インディーのアーティスト群を“東京インディー”という括りで捕らえやすくなるポイントだと思います。

 たとえばMC.sirafuという人がいて、彼はトランペットとスティールパンの演奏で有名な人ですが、彼は片想いの中心メンバーであり、またザ・なつやすみバンドのメンバーでもあります。そしてceroやoono yuuki band、昆虫キッズといった他バンドでの客演も含めると、相当幅広く活躍していて、「彼が参加した音楽こそ東京インディーだ」とか言いたくなりそうなほど。

 他にもスカートの澤部渡やカメラ=万年筆の佐藤優介など、様々な他アーティストとコラボする人物がいて、その分だけ界隈が広がっていくような感じになっています。この二人に関して言えば両者とも大のムーンライダーズカーネーションのファンであって、彼ら主導で両大御所アーティストのトリビュートアルバムが作られ、東京インディー関係のアーティストが多く参加しているのがとても印象的です。

 また、豊田道倫(パラダイス・ガラージ)も東京インディーのアーティストの多くからリスペクト・再評価を受けた人物で、彼については昆虫キッズと共同名義でアルバムすらリリースしており、特に冷牟田敬においては後に豊田道倫bandのメンバーになってしまうほどの関係となります。

ABCD

ABCD

 

 あと、冒頭にサムネ画像で挙げた「月光密造の夜」シリーズのように、この辺りのバンド・アーティストが共演するライブ企画が色々とあったことも、シーンの感じが演出されることに一役買っています。最近でも、ミツメとシャムキャッツが2マンでツアーをするなど、その感じの名残は残っています。

 

3. どことなく漂う学生っぽさ・ナチュラルさ

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 上記のようにアーティスト間の客演やら、ライブイベントの共催やらから感じられる雰囲気、そもそものインディペンデントな活動方法、そして彼らの作品の多くから感じられる、どこか手作り感のある作風の数々や、「ロック・スター」然としたスケール感とか恋愛観とかから距離を置いた素朴な詩情などなど、色々な要素から感じてしまうのが、「学生の延長」という雰囲気、親密感と裏腹のやや貧乏くさい感じが漂う、その雰囲気

 それこそ「東京インディーの離散」という言葉が言われだした時期に頻繁にメディアで言われたのが「(特定の作品を指して)もはや東京インディーの枠に捕らわれないスケール感を獲得して〜」みたいな言葉。そのレッテルは半ばお前らメディアが好き好んで使ってたんだろうが、と正直この手の言い回しはいちいちイライラしてたものですが、確かに「東京インディー」的な空気感・雰囲気というのはなんとなくだけど、でも確かにあるような気がして、それはそれでとても大切なものだったと思うんです。

 たとえるならコーネリアスが「渋谷系」の枠を超えて活躍しだした時のような、そういう発展性を意識して上記のような言い回しがなされるんだと分かっていますが、しかしながらコーネリアスが「渋谷系」でなくなった作品に感じるのと同じように、そういう「東京インディー卒業」系の作品に感じる寂しさというものもあったり。

 

 「東京インディーの学生っぽさ」について、いくつか具体的に歌詞を引っ張ってきて紹介したいと思います。こういうのをガキっぽい、ノスタルジックさにしがみついてて幼稚、などと言う声もあるかとは思うんですけども、でもこれはこれで、とても尊い世界観だと思ってしまうのですけれども。

 

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探してる答えはここにはない ハグしてる支えはただの期待

読みかけの本のページはない 産みかけのアイデアのゲージは倍

向かう 移動 集う きっとそれは光る希望なのかもしれないよ

ふとした理由がわからない ちょっとした理由がわからない

意図した理由がわからない ここにいる理由がわからない

               『踊る理由』片想い

東京インディー界の屋台骨と言えそうな大所帯バンド・片想いの、アンセム的なナンバー。そもそも「踊る理由」なんてそんなこといちいち考えないでしょ。『今夜はブギーバッグ』だって軽薄にダンスパーティーでナンパする曲だし*2。しかし彼らは考えてしまう。ユーモラスでハッピーな歌の中にさらりと早口で挿入されるこのセンテンスが、ナチュラルなままにとても真摯に思いを巡らせていて、それは学生的な「考えることに没入する感じ」がとても美しい形で発露したものだって思う。

 

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ストーリー いくつもの迷路へ 伝わらない言葉 抗ってまた探す

ストーリー 振り向かないよに また今度って言いたい

また今度って言いたい

                『わるふざけ』スカート

メジャーに行く前までのスカート=澤部渡の歌詞世界はまさに、ちょっと鬱屈しててマンガとかに憧れる学生のようなファンタジックさに溢れている。憂鬱を悲劇的に増幅して撒き散らすわけでもなく、「君」に対する想いを偏執的に描くわけでもなく、その「等身大のちょっと先」くらいのロマンチックさがとても好きだった。そんなロマンチックをメロディアスでウィットに富んだメロディに乗せ、ドラムス佐久間裕太の超絶ロックンロールビートに載せてブッ飛ばす、その爽快さも。

 

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波は交わって万華鏡のよう

砂の気持ちになったよ ああ渚、これからどこへ行こうか

待ってたよ 甘い気持ちで言うんだよ

ああ渚、これから何をしようが勝手だよ

             『渚』シャムキャッツ

一番青春じみてた頃のシャムキャッツの輝き具合。彼らはむしろ「青春が終わっていくこと」に対する向き合い方において自身の作風を深めていくことに成功して、評価も高まっていった印象があるけども、しかしこの初期からの代表曲の、何を言おうとしてるのかよく分からないけどもとても開放的に煌めく感じはとても尊くて眩しい。

 

 

4. “ポスト震災”としての側面

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大停電の夜に 君は手紙書く手を止め

窓を開けて目を閉じ 街のざわざわに聞き入る

         『大停電の夜にcero

  先述の「学生っぽさ」に強く関連することだと勝手に思っているのがこの点。この「2015年以前の世代」のブームとしてのピークは2013年だと個人的に思っていて、それは2011年3月11日という、どうしようとしたって日本の歴史から消し去ることのできない決定的なあの事象と、その後の不安と混乱に満ちた日々とを経た時期にあります。上記のceroの歌詞が含まれる彼らの1stアルバムは2011年1月リリースで、ギリギリ直前だけども、この地震とその後の計画停電等の混乱の中で「半ば偶然に」東京で不安を抱えて暮らす若者たちのアンセムのひとつになってしまった。

 震災は、日本のあらゆる文化の流れも変えてしまった。地震以上に、それが原発に直撃してしまったことによる、現在まで恐ろしい爪痕を残す事態に対して、音楽家たちはいずれかの政治的スタンスを取らないといけなくなってしまったり、そもそも活動が滞ってしまったり、下手をすれば「楽しいくてハッピーな音楽」も「クールでかっこいい音楽」もそもそもそんな「生活に必要がないもの」を楽しんでていいのか、みたいな根源的な“呪い”さえ各自の胸に降りかかってしまった時期だと思います。

 そんな中で、色々な夢も不安も経験も抱えた、フラットな生活ベースからの、隣人との繋がりからの「音楽」の、ある種の“祈り”のような感覚を半ば無自覚的に表現することができたのが、東京インディーという音楽だったと、少なくともそんな風に思えるような何らかの「豊かさ」があのシーンにはあったと思います。「隣人と手を取り合って、文化的な楽しみを享受し合って、ささやかな生活を取り返していく」、そんなメッセージを、彼らの音楽は全然意図しないままに背負ってしまっていたかもしれません。それは、インディーミュージックという概念にこの時期望まれていた、最も切実な感覚だったのかもしれない。

  

2015年以降の世代

 今回からの一連の記事が「2015年以前の世代」に的を絞って考察していくことを思うと、「2015年以降の世代」については「それ以外」という感覚がどうしても合ってしまってて、自分はあまり誠実に語れる気がしません。

 便宜上こちらに属してしまうことになるアーティストを挙げていくと、どうしてもそれは「シティポップ」という概念と近似していってしまう感じがあります。先ほどよりも網羅的でなくゆるーく挙げていきますが、いかがでしょうか。

Awesome City Club

D.A.N

DYGL

HAPPY

LUCKY TAPES

never young beach

Shiggy Jr.

Special Favorite Music

Taiko Super Kicks

Yogee New Waves

阿佐ヶ谷ロマンティクス

失敗しない生き方

入江陽

ぶっちゃけこのリスト、2015年以前に名の売れたやつも、シティポップっぽくないやつも全然混じってて、やっぱり一貫性が無いのですが、でもメンツをさらっと読んでて思う音楽の感じは、学生感の薄い、都市のスウィートさや、若者の楽しさとかを、より屈託無く歌う感じというか…やっぱりこれ以上語るのはやめときます。これらをどうこう評することが今回の目的ではないので*3。あとSuchmosまでいくと最早東京インディーと言われなくなってた気がします。

www.youtube.comヨギーのこれとか2014年だったんですね…「2015年以降世代」というネーミングの妥当性…。

www.youtube.comTaiko Super Kicksは音楽性的にはむしろ2015年以前世代っぽさがあります。ミツメっぽいというか。

 

後編(次回への繋ぎ):なぜ「2015年以前の世代」だけ語るのか

 冒頭で述べたとおり、次回は今回で区分けしたうちの「2015年以前の世代」について、それもおそらく2011年〜2014年くらいの間の作品のみで、15枚の「筆者のフェイバリットなアルバム」について述べていきますが、そもそもどうしてこの時期のみなのか、ということについて、今回の最後の項として述べます。

 単刀直入に言うと「2015年以前の世代」についてはもう終わった歴史として語ることができるからです。勿論、こっちの世代に区分けしたアーティストのうちの多くが、今もまだ全然活躍しています。むしろ近年になって最高傑作を更新しているアーティストだっています*4

 しかし、「東京インディー」としての空気感が充満して、傑作が日常のように乱発されていた「あの頃のシーン」の感じはもう、大体作品としては2014年ごろに出し切った感があり、サインマグの言うところの「2015年の東京インディー離散」というのは、当時もの凄く否定したかったし今でもしたいくらいなのに、しかし否定できない部分が確かにあります。このように書くのは正直なんかとても寂しい。「パーティーは終わってしまった」のかななんて、あまり考えたくないこと。

 でも、終わったパーティーについて「あれはこういう感じが良かったね」って考えることは、果たしてノスタルジーで終わってしまうような話でしょうか。パーティーは離散して、当時のそんな「幸せそうに見えた」シーンのことなんか忘れられて、個々の傑作やアーティスト名だけが後世に残っていくのでしょうか。いや、でも、「シーン」というものに対して、音楽をやっている、またはやっていた人たちは、憧れたりしませんか?どんなシーンからどんな音楽が生まれてたのか、それはこんな雰囲気だったのかな、そんな空気の中で彼らはああやって遠くを見て、こういう作品を作ってたんだな、って振り返ることは、決して無価値ではないと僕は、筆者はそう思います。

 そもそもが、ノスタルジーまみれでもいいから「あの頃の東京インディーシーンはよかった!名盤10選」みたいなのがとっくにできてないといけないと思う。それとも2020年代になってようやくメディアとかは取り上げる気だったのかな。そんなの待ってられん、誰かしてくださいよ、いやまず言い出しっぺがやれよ、ということで、今回、全然シーンの外側にいた、かなり後追いに等しい、こんな寂しい文章力しか無い筆者が、やってみようと思います。いつもの「〜10選」ではなく15選の予定で、これはそもそも選びきれなかったのと、あと色々と漏れないように書いていくには15枚は欲しいと思ったからです。

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 という訳で次回「「“東京インディー”って知ってる?」Volum.2 フェイバリットアルバム15選(ベスト15→2)」予定*5。頑張ります…!

*1:「ざっと」と書いたけど、このリスト書くためにiTunesと1時間近くにらめっこしてたんですけども。

*2:でも小沢健二はそれこそ「踊る理由」とかそういうのをマジで考えてそうなので、その辺は不思議な連続性がある感じがします。

*3:この中にも勿論好きなのはいくつもあります。ただ、佇まいはやっぱ2015年前世代と違うのかなって思ったりはしてしまいます。

*4:cero『POLY LIFE MULTI SOUL』やミツメ『Ghosts』、柴田聡子『頑張れ!メロディー』なんかはホント素晴らしいです。

*5:ベスト1は一体「何ったゆめをとかすように」なんだ…?