ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

“東京インディー”って知ってる? Volum.2 フェイバリット・アルバム15選(ベスト15→3)

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 前回からの続きです。

ystmokzk.hatenablog.jp

 前説を若干書いた上で、今回の一連の記事の本編となる、東京インディーの「あの感じ」がする頃のアルバム15枚を選んで、簡単に感想していきます。1アーティストにつき1枚ずつ選んでいます。一応順位を付けていて、今回は15位から3位までを追っていきます。1位は正直15枚の中でズバ抜けて好きすぎるけれども、であるがゆえに、果たして近日中に書き上がるんだろうか…単独記事にする予定です。折角なので2位も単独記事にします。時間や自分の気力が許すなら他にも全曲に触れたいアルバムあるけども…。

 

 

まえがき:2015年って何が起こったの?

 前回の記事でも述べたとおり、今回の記事は「2015年以前の世代」に属する(と便宜的に設定した)バンド・アーティストの作品に限ったラインナップとなっております。しかも「2015年以前のアルバム」に限定してやろうと思いますので、それ以降にそれまでよりも完成された傑作を作っている場合も、ひとまずそっちは挙げませんのでご了承ください。

 前回とくに言及していなかったのですが、実はこの「2015年以前の世代」はそれ以降の「2015年以降の世代」と比べるとそんなにシティポップしていないところがありますので、今から紹介していくアルバムのリストが「シティポップ名盤リスト」として扱えるかは微妙です。

 で、そもそもこの区分けに使用している2015年に、一体何があったというのでしょうか。そもそもこの年に焦点を当てることは、サインマグがなんか勝手に提唱してい他ので採用したものです。

thesignmagazine.com

この、完全に言い切ってしまった「東京インディが離散した2015年」という文言をリアルタイムで読んで「なんて無慈悲なことを言うんだ…」と当時イライラしてた気がしましたが、しかしながら今思い返すと、この2015年というピリオドの打ち方には、色々と納得せざるを得ないことに気づきました。一体、どんなことがこの年にあったか。列挙してみます。

 

・昆虫キッズ、活動終了(1月・当時の弊ブログ記事

大森靖子&THEピンクトカレフ、解散(2月・本人は昨年メジャーデビュー済)

・ザ・なつやすみバンド、メジャーデビュー(3月)

・昆虫キッズの冷牟田敬のもうひとつのバンド・Paradise、解散(5月)

・森は生きている、解散(10月)

・うみのて、活動完結(12月)

(・吉田ヨウヘイgroupの活動休止・メンバー脱退(2016年2月)

 

ざっとこんなところですが、凄い…昆虫キッズの解散から堰を切ったように、様々なバンドの解散・活動休止等が現れてくる様には確かに「かつてのシーンの離散」ということを思ってしまう。この辺の事実認識が合っていることが、サインマグの離散認定に尚更イライラしてた原因かもしれない。

 確かに、2014年にはシーンの最高潮の「終わり」を感じさせるアルバムがあったりもして、予感としては当事者たちにもあったのかもしれません。それだけに、文化の爛熟があちこちに感じられる2013年というのは、やはりこのシーンにとって特別な年だったんだと思いました。

 しかしながら、そういう前提意識を持っていざ選んでみると案外、2014年のアルバムの方が多かったりして、というか一番多いのが2012年のアルバムだったりして、色々と不思議な感じになりました。というか2012年という、震災の次の年にこのシーンがこれだけ素晴らしい作品を出してたということが改めて分かりました。

 

本編:東京インディーなフェイバリット・アルバム(15位→3位)

 では、行ってみましょう。

 

15. 『TNB!』ザ・なつやすみバンド(201年6月)

TNB!

TNB!

 

  ギターレスで代わりにMC.sirafuな4人組バンド、ザ・なつやすみバンド。「ザ」が付いてるためにiTunesとかで「な」行を探しても出てこない(笑)*1

 ライブでバンド演奏で聴いたことがあるけど、ピアノとベース・ドラムと歌だけで十分に世界観が成立し、そこにいい感じにトランペットやらフルートやらスティールパンやらのMC.sirafu担当楽器が入り込む、というのが基本スタイル。ピアノ/ボーカル/作詞作曲の中川理沙さんの歌い方も楽曲も、既にこのファーストアルバムで完成しきっています。優しいピアノの鳴り、ちょっと可愛らしさを持たせるバタバタとしっとりとで使い分け自在なリズム隊、MC.sirafuの的確な上物の添付、そしてちょっと子供っぽさを舌っ足らず風な歌い方に残しながらもマイルドで明快なボーカル。童謡めいていてちょっとファンタジックながらしっかりと淀みなく進行するポップソングの数々に、「聴いた人が現実逃避できるようなバンドにしたい」というバンドの思いが、一切の綻び無く収まっています。

 次のアルバム『パラード』では早々にメジャーレーベルからのリリースとなりましたが、それも頷けるこの1st時点での完成されっぷり。むしろ本作より後の変化付けにやや困ってさえいそうなくらい、このアルバムの楽曲の素直でかつ完成された「真っ直ぐさ」は煌めいています。いつでもNHKみんなのうた」に出せるような。この「初めっから完成されたノスタルジックさ」というのが、そもそも全体的にノスタルジックさを志向してる感じがある「2015年以前の東京インディー」のシーンにおいてかえってつるっとしすぎた風に聞こえてしまったり、逆にその清々しさが優しく感じられたりします。

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14. 『Wang』王舟(2014年7月)

Wang

Wang

 

 王舟(おうしゅう、と読みます)氏は上海生まれの、正真正銘の中国人。しかし8歳から日本で暮らしていて、中華料理の店のバイトとして仲間内で有名だったとかいうよく分からないエピソードも。八丁堀のライブスペース「七針」から登場したアーティストのひとり。「七針」出身者はみんなどこか異国めいたのんびりさを持っているけど、この人の場合は本当に異国からの人だ。

 2011年頃にはトクマルシューゴ主催のライブイベントにて大盛況を得るなど、彼の音楽の評判は高まっていたけれど、アルバムは苦節の末、色んな人との協力のもと2014年にようやくリリース。全体的に伸び伸びしたカントリーフレーバーに満ちながら、非常にサラサラした曲や声の感じからは、かえって日常から遊離した雰囲気、下手すれば旅情とかさえ感じそうな愉快さがあって、子供っぽさはそんなに無いけど、これは大人向けのファンタジーみたいだなあ、ということを発売当時思ってた気がします。ともかくあらゆる演奏が小粋で、かつ気取って取り澄ましたような感じもしない不思議な自然さがあります。異国の片田舎の楽団みたいな。王舟のこれより後の作品を聴くと実はこんな感じだけじゃなく、他にも色んな変な引き出しがあるって分かるんですけども。

 今作で、そんなある種平和に満ちた平板さが打ち破られるのが最終曲『Thailand』。これは本当に大名曲で、終盤に豊かさと騒がしさと多幸感が一気に去来するこの感じはとても東京インディーな空気だなって思ったりします。

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13. 『Coup d'État』カメラ=万年筆(2012年2月)

coup d'Dtat

coup d'Dtat

 

 ムーンライダーズの1980年リリースのニューウェーブアバンギャルドなアルバム『カメラ=万年筆』からユニット名を取ったこの、昭和音楽大学出身の佐藤優介と佐藤望の2名から成るユニット。

 この佐藤優介という人が、東京インディーにおいてこのユニットに限らず様々に活動をして、このシーンのブームを支えていたことは特筆したい。キーボードとベースを演奏し、時に歌いもする彼は、スカートのキーボーディストとなり、更にはカーネーション鈴木慶一のソロに録音で参加したりして、澤部渡と共同でカーネーションムーンライダーズのトリビュートアルバムも制作しています。またアイドル等のプロデュースも盛んに行っていて、“東京インディー”というシーンにおけるその立ち位置はさしずめ“渋谷系”における小西康陽的なポジションでしょうか。女性に自作の曲を歌わせることがかなり多いところも同じ。

 今作はカメラ=万年筆で最も収録曲数の多い作品。冒頭曲『School』の音響のオンオフも曲調の変化も自由奔放でかつ上品な雰囲気に、彼らのポップマエストロ感が満ち溢れています。メロディも一方通行で、同じメロディの反復が一切ない。各楽曲の仕掛けは多岐に渡り、シティポップとアバンギャルドとを平気で往復するその様は、映画音楽的なシーンごとの切り替えが鮮やかです。高度すぎてスーッと流れていってしまうこともありますが。

 あと、ボーっと聞いてると、『降り止んだ雨には悪意が混じる』でまさに元ピチカート・ファイヴ野宮真貴氏がボーカルで客演してて驚き、そしてその数曲後には『ホーリーローリーマウンテン』で鈴木慶一のボーカルが現れてギョッとします。鈴木慶一ボーカルの曲のタイトルが『ホーリーローリーマウンテン』って…やりたい放題やん。

 このユニットとしての動きはそれこそ「離散」の2015年よりちょっと後くらいから途絶えてしまった感じで、今は佐藤優介氏のソロ作品などもリリースされています。

www.youtube.comそれにしてもカメラ=万年筆は動画少ないっすね…ちょっと意外。

 

 

12. 『しばたさとこ島』柴田聡子(2012年6月)

しばたさとこ島

しばたさとこ島

 

 東京インディーが誇る不思議ちゃん枠・柴田聡子。こっちは文学少女風味だけども、でも正体はどついたるねんとかとつるんで変な曲作りまくる非常にフリーダムな人なんだよなあ。近年はそんなカオスな不思議ちゃん具合を非常にポップに開花させてて逞しい。発想がいちいち自由でかつ逞しいです。ライブでギターのエフェクターがビッグマフ1個のみとかいう男気エピソードも最近確認されており、割と才能の底が見えない人。

 今作は彼女の初の作品集。アコギを掻き毟る不思議眼鏡少女を、この時は装ってたんだなあ。『カープファンの子』という後々のフリーダムさを予感させる怪曲はあるけども、基本的には自然体でちょっと詩的な雰囲気の弾き語り+簡素な他の楽器やコーラスのダビングで成る。メロディも後年のようにどポップな感じはそこそこに、もう少しささやかな綺麗さで整えてある。最後の『春の小川』とか絶妙に学生っぽい「旅情への憧れ」があって、しみじみしていい。それにしてもこの人、コーラスの録音時に露骨に可愛い声作ってくるよなあ。コーラスの入れ方も天才的に可愛い。『はだかで踊るのは恥ずかしい』のコーラスワークとか最高。

 今作の2年後に『いじわる全集』という、収録時間60分間全て弾き語りという、それ自体いじわるな作りの作品を出してて、今回どっちにするか迷いました。あっちで実はギター演奏が超上手いことが分かり、そして次のセルフタイトルでいよいよはっちゃけるんだよなあ、ということが分かった上で改めて聴くと変な面白さが出るのも、今作の面白いところかもしれません。あと、今のこの人のバンドに元森は生きているの岡田拓郎氏がいるのがめっちゃシュールで面白い。

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11. 『21st CENTURY SOUNDTRACK』うみのて(2015年5月)

21st CENTURY SOUNDTRACK

21st CENTURY SOUNDTRACK

 

 これのみ2015年の作品となりました。「笹口騒音ハーモニカ」名義や「太平洋不知火楽団」名義など、笹口騒音氏の活動の幅は広いですが、一番世間の注目が集まっていたのはこの「うみのて」というバンドの頃だったと思われます。

 うみのての音楽性ははっきり言って殺伐。彼らの出世作である楽曲『もはや平和ではない』ではナンバーガールか!?みたいな鋭角サウンドにてひたすら毒々しくもルサンチマンに満ちた「底辺」な男性の暮らしと「暴発」の予感をメロディをすっ飛ばしたギリギリの歌唱で叫び続ける怪曲で、それが収録された1stアルバム『IN RAINBOW TOKYO』もまさに圧倒的に下世話で底辺な強迫観念にてナンバーガールより先の殺風景を見に行こうとする作品でした*2

 そこから時間を置いて制作された今作では*3、その「ともかく殺傷力ありき」みたいな楽曲やサウンドは後退し、代わりに彼らの持つリリシズムや、マイナーコード時のどうにもうんざりするような雰囲気が強調された作品となりました。何かとRadioheadと自身を比較しようとする笹口氏曰く「日本の『OK Computer』を目指した」とされる今作は、笹口氏的な絶叫に彩られた世界観はそのままに、空間の中に音が反響していく感じを意識したサウンド志向が明らかで、かえってこのバンドの持つ邪悪さが「破壊」という爽快な抜け道を失ってのたうつような、そんなドロリとした闇の感じが、メジャー調のいくつかの優しげな曲と心地よい調和を生んでいます。特に冒頭『恋に至る病』で見せるエネルギーの放出っぷりをしなやかに纏めつつも高まっていくテンションの流れは強烈。合唱パートずりい。

 今作のインタビューで「ギターロックはもうやり尽くした」と笹口氏が話していましたが、だからなのか、今作リリース後のライブを一通り済ませた後にあっさりと解散してしまいました。しかし、どうも今年に入ってからのうみのてのライブ動画がネットにいくつか上がってて、もしや再結成してる…?

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10. 『グッド・ナイト』森は生きている(2014年11月)

グッド・ナイト

グッド・ナイト

 

  上のうみのての強烈さとはまるで真逆のような、非常に穏やかでしかし「滋養に満ちた」サウンドトーンで聴き手を安らかに挑発してくるのがこのバンド。時々そのはっきり言って地味寄りなサウンドのことよりも、フロントマン・岡田拓郎氏のニヒルなキャラクター性の方が目立つな、とか思っちゃうくらいに、サウンドは地味目というか、本当に土の匂い、太陽の光の匂いとか、そういうのを再現しようとしてるのかなあ、とか思ってしまう方向に力を入れまくるバンドでした。そういえばこっちもアルバム2枚で解散したな。。

 で、その解散前のアルバムが本作。サインマグでは「東京インディーを終わらせた1枚」ということになってますが果たして…。The Bandのまったり具合を摘出して培養したのんびりサウンドがひたすら続く1stアルバムと比べると、今作はジャケットのモノクロな虚空のイメージにどこか合うような、どこか行き場のないような空気感が、むしろUKフォークとか、あと意外にもかなりビートルズサウンド等をミックスしながら、怪しく蠢いていきます。2曲目『影の問答』で早々に「らしさ」をかなぐり捨てたファズギターを響かせ、『気まぐれな朝』ではびっくりするほどの後期ビートルズ成分で退屈さに締め付けられるような雰囲気を作り出す。そして、リードトラックとして不適切すぎる17分の組曲『煙夜の夢』では遂に彼らなりの「とても穏やかな」Radioheadプログレに到達しました。ライブ1本をこの曲1曲だけ演奏することさえあったという、彼らの最高傑作。他の楽曲もブリティッシュフォークの曖昧な憂鬱さがうっすらしたサイケデリアと合わさった感覚がどうにも不穏さ・頼りなさの方を向いた郷愁を呼び起こしてきます。

 本作の制作は一旦録音したものを岡田拓郎氏が家で徹底的に弄り回したもの。さらに弄り回した本作のレコード版こそが彼らの最高傑作とのこと。そちらは自分は未聴です。あと、彼らを表す時の「チャンポンミュージック」なる語は、本人たちはそう言われるのをどう思ってたんだろう。変な言葉だよなあ。

www.youtube.com本当に17分の曲をリードトラックにするとかアホ。それほどこの曲に自負があったんだろうなあ。

 

 

9. 『ボイドル』大森靖子と来来来チーム(2013年11月)

ポイドル

ポイドル

 

 東京インディーが誇る不思議ちゃん枠・大森靖子。こっちはスキャンダラスなメンヘラ系キャラ。その炎上体質とかは最近ではデレマスの夢見りあむとかに影響を与えているのかもしれないし違うかもしれない。

 彼女がメジャーデビューするより前は、基本的にはアコギをエキセントリックに弾き語る人だった彼女が、一体どういう経緯があって、ニューウェーブ的なカクカクサウンドで剽軽な曲を演奏することを売りにした来来来チームみたいなバンドと組んで作品を作ることになったのかよく分からない。後で大森靖子本人も「あの人たちは私と組んで人気を得たかっただけでしょ」とか毒々しいこと言ってて、なおのこと不思議。ちなみに時系列的には彼女は同じ年の3月と12月にもソロ名義のアルバムを出していて狂気的なリリースペース。特に『絶対少女』の方はカーネーション直枝政広プロデュースの、ポップさとメンヘラさがギリギリにいいバランスにある名作。あっちでもよかったなあ。

 今作は、上記のとおりの不思議な取り合わせでもって、大森靖子の他のアルバムにも収録された楽曲、それもとっておきにポップ寄りな楽曲の数々が、来来来チームのカクカク鋭角的なサウンドでマシーナリーかつやや中華風味に演奏されます。サウンドのスッカスカな剽軽さによって大森曲のドロドロさが見事に殺されてて笑いますが、全くミスマッチとも思えない瞬間が多々あって、この組み合わせならではの珍妙な勢いが生まれてる『ミッドナイト清純異性交遊』や、曲自体毒々しさの薄い『君と映画』なんかはこれはこれで完成系だなあなんて思ったり。いや『ミッドナイト〜』はやっぱソロバージョンのドギツさが恋しいかな?後ちゃっかり来来来チーム側が自分の曲を1曲入れ込んでる(『桃色化粧惑星』)のが可笑しいけどまた良い。

 おそらく最早今の彼女のメインファン層は“東京インディー”という単語も知らないかもしれないのでは。今の彼女の状況を思うとむしろこの人本当に“東京インディー”界隈の人なのかなあと不安になってきますが、でも来来来チームにカーネーションという経歴は消しようがないし、まあそもそも全然消す必要もないんですけどね。

www.youtube.comしっかし『ミッドナイト清純異性交遊』の歌詞ホントいいなー最高。

アンダーグラウンドから 君のゆびまで

遠くはないのさ iPhoneのあかりをのこして ワンルームファンタジー

なにを食べたとか 街の匂いとか 全部教えて

 

 

8. 『My Lost City』cero(2012年10月)

My Lost City

My Lost City

 

 さあceroだ。「ミスター東京インディー」なグループといえばceroでしょ。こんな順位でごめんなさい。『POLY LIFE MULTI SOUL』ならもっと上行くけど今回のテーマでは外れちゃうんですよ。

 ceroが東京インディーど真ん中な理由、それは彼らが「音楽的偏差値」がとても高いことや、その変幻自在なサウンド、自由自在なポップネス、そして都市の人々の暮らしをそっと真摯に見つめるリリックなど音楽面のことや、2010年より前から東京インディーシーンを片想いと共に盛り上げてたこと、フロントマンの高城晶平氏がその片想いのメンバーと結婚したことなんかも理由としてあるけども、高城晶平氏の両親が始めた阿佐ヶ谷のカフェバー「Roji」が東京インディー界隈のアーティストの社交場のひとつとなったこともとても大きいです*4

 そんな「ミスター東京インディー」なceroですが、そんな彼らが軽快に軽妙なポップソングを連発しているかというと実は意外にもそうではなく、1st『WORLD RECORD』ではお気楽にはしゃぐポップさ全開なのは冒頭の2曲くらいで残りはくすみや淡い旅情に溢れてます。3rd『Obscure Ride』になるとブラックミュージックのダウナーなノリが支配的なとこあるし、4th『POLY LIFE〜』に至っては冷徹で漆黒なムードに突き抜けていってる。

 そんな訳で、多くの人がceroをちゃんと聴かないままに思い浮かべるような「軽快なシティポップ」のイメージが多めにに入っているのがこの2ndになります。これだって単に「君と僕の恋するシティライフ」みたいな無邪気な設定は無くって、むしろ東京を妄想の中で水没させて、そこに浮かぶ船上ではしゃいでる、みたいなややこしい設定が隠されています。そんな背景の上で、『マウンテン・マウンテン』の、ほぼメインフレーズひとつをアレンジでこねくり回してパーティーソング1曲作ってしまう腕力の強さや、ルー・リードをパーティーソングにしてしまう『cloud nine』、本作のテーマどおりの『船上パーティー』からceroでもとりわけフラットにポップでフィッシュマンズの引用も無邪気にやっちゃう『スマイル』等、インテリジェンスのことは置いといて楽しもーよ、って感じの楽曲が結構続いていきます。cero入門をポップに済ませたい人は割と本当に今作が一番いいのでは。クール度は次作以降に劣るとはいえ、最終曲『わたしのすがた』なんかは次作のダウナーな作風を予感させるビターな締めになっているのもニクいというか。

 今作の「東京が水没するモチーフ」というのは、ポスト311のアルバムのテーマとしては実は物凄く重たいことで、実際に、世界の共通語となってしまった「津波」がその恐ろしさをまざまざと見せつけた災害でもあったし、また前作のリードソング『大停電の夜に』は期せずして311後の計画停電な東京を暗示してしまっていました。それでもなお、この着想を押し通して、その中で懸命に渾身にポップな作品を作り上げたこの時のceroって実はとても凄かったのでは、と今更ながら思います。でも大人数コーラスの録音にRojiにお客さんを集めて実施してたりと、やっぱcero〜(いらつき)みたいになるとこもあって、そこがまた可笑しかったり。そう、このギリギリの可笑しさを311の後にやり遂げることが、今作の目的意識だったのかなと。

あの夕方 爽快な航海のあと来た 豪快な崩壊をコンパイルしたんだ

ただ後悔から理解しようなんざ論外さ

欄外に書き込んだグラフィティが本懐さ

                 『わたしのすがた』cero

 

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このクリップ、実は公式じゃなくてファンの制作なんか…今回初めて気づいてびっくりした。

 

 

7. 『スキルアップ』トリプルファイヤー(2014年2月)

スキルアップ

スキルアップ

 

 さて、論点たっぷりのceroの後にトリプルファイヤーのこれはきつい。果たして何を書けばいいんだ…。そもそもトリプルファイヤーを真面目に語るのすげえ負け戦な感じしかしない…。

 ソリッドすぎる機械的バンドサウンドと、ある意味全く無駄しかなくて逆にやっぱりソリッドに過ぎるボーカル・吉田靖直氏の圧倒的個性でユーモラスに稼働する4人組ロックバンド。次作以降からはサウンドによりファンク的な要素が加わってやや(本当に「やや」程度)賑やかになってくるけど、今作の彼らは本当にソリッド。デビュー作『エキサイティングフラッシュ』はまだサウンドに直接的な炸裂感があってパンクじみた瞬間があったけど、今作ではそういう瞬間も丁寧に抜き取られていて、バンドグルーヴが徹底的に「意味がある感じに機能しない」ようにシェイプされています。ひたすらシュールにバグったゲームのようなリフを重ねていくギターが何気に物凄い演奏能力な気がします。そして、そんなミニマルすぎるバンドサウンドに乗ってくる吉田氏の、決して歌であろうとしない、そして世の中の様々な「普通に・定型的に流れていく」フレーズを徹底的に相対化していくリリックと、その鋭さを徹底的に隠し切ってシュールさだけを発出するプレイスタイルが、やっぱり超絶に個性的。しまいには当時自分たちがそのように呼ばれていた「高田馬場ジョイ・ディヴィジョン」というフレーズさえテキトーなユーモアで相対化し切ってしまう様は本当に圧倒的。

 本作のサウンドプロデューサーにはPANICSMILEの吉田肇氏を迎えており、奇しくもダブル吉田な体制で製作された本作。吉田肇氏の、彼らのサウンドを徹底的にソリッドでスカスカでダークさの奥行きが出る余地とかを作らせず徹底的に無意味な虚無みたいに響かせる手腕は見事。今作でソリッドな方向性を極めたからこその、次作以降のちょっとした遊びが増える感じなのかな、とか、そんなことを考えてしまうけどもやっぱり今作のソリッドさと、そして同じくらいにシュールすぎる感じは格別だなあと思いました。全体的に脱力的でダウナーでどこか言い訳がましくて勢いが死んでて、キュウソネコカミやヤバいTシャツ屋さんとかでは決してこうはならんのだよなあ、と。

www.youtube.comやっぱ『スキルアップ』の何かを意味してそうで何も意味できない感じは凄い。

PVも最後のお前かよ!感が見事。

 

 

 

6. 『AFTER HOURS』シャムキャッツ(2014年3月)

AFTER HOURS

AFTER HOURS

 

 東京インディーという枠内でも沢山アーティストがいる中で、シャムキャッツほどその音楽的・詩情的なスタンスが移り変わっていったバンドもいないのでは、と思ったり。初期のうだつの上がらないロック馬鹿、みたいなところからさらりと「そんな頃もあったけどそんな時間は遠ざかっていくな…」みたいな今作を挟んで、そしてグッと大人っぽい生活感を前面に出した世界観に今は移行していて。その辺のとても現実的・等身大的な移り変わりが個人的には癪な風にも思えつつ、しかしその等身大な移り変わりを最も丁寧に、上手にやり遂げたバンドでもあるんだよなあと。

 そんな移り変わりの起点こそが、このタイトルからして感傷じみてる今作だけども、この「パーティーは終わった」という感覚が同時に、東京インディーのシーンのことにも思えてしまって、リアルタイムの時点では尚更このアルバムにイラつきを覚えてた気がします。結果的にはやっぱり「2015年には離散」という前提を踏まえれば、このアルバムに漂う「予感」はやっぱり的中してて、認めたくないけども、やっぱり慧眼だったのかなと。サウンド的にも、この前の作品にはまだあったジャンクバンド・ローファイ的なノリが今作でかなり排除されて、その代わりにディレイの効いたギターの煌めくような・尾を引くような感じがとても現実的に幻惑的で、今作にサイケデリアがあるとすれば、それはやっぱり別世界とかじゃなくって、パーティーが終わって生活が始まっていくような、そんな現実世界のふとしたキラキラやぼんやりなんだよなあ、って感じ。我ながらなんて印象論的でフワフワしたレビューなんだ…。

 楽曲的にもヤンチャなノリがかなり消滅して、しっとりとしたもの・メロウなものが多いです。表題曲の落ち着き払ったメロウさとビートの感じ、ふんわりと無意味に空が広がっていくような感覚は、彼らの、彼らなりのナチュラルさを実に見事に表現しているし、『渚』なんかが象徴していた「無限の自由さ」からさらりと降りてしまうその姿に寂しさがどこからかこみ上げます。ぼんやりと海辺で佇むような『TSUBAME NOTE』の寂しげにのんびりしたサウンドも、日常的な美しさの煌めきを鮮やかに捉えています。

 シャムキャッツは本作から先、本当に、穏やかな現実世界にしっかりと立脚したポップソングを量産し続けていて、その「別世界を目指さない」「問題意識や違和感とか苛立ちとかをあまり表現しない」感じがしなやかすぎて、個人的には体調によって拒否反応出ることなんかもありますが、しかしこういう音楽は、こういう音楽こそ世の中に必要なのかも、とか思ったりして、この現実色に苦くて甘い音楽に、実に妙な愛憎を抱いたり抱かなかったりしています。素直に海辺を車で走ってる時とかに聴けばいいのではと、実行する時を待っています。

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それぞれの場所へ帰って行く つかの間の時を踊っている

朝がくる時はちょっとだけ あったまる胸を冷ましている

騒音が重なって寝息みたい 高速道路の横で息を吐く

君の名前を思い出したり 忘れたりする アフターアワーズ

          『AFTER HOURS』シャムキャッツ

 

 

5. 『Dead Montano』Alfred Beach Sandal(2013年12月)

Dead Montano

Dead Montano

 

 シャムキャッツの上記アルバムの現実感と比べても、こっちのアルバムの非現実さに揺れてる感じは際立ってます。Alfred Beach Sandal=北里彰久氏の音楽は割といつもそんな、異国の地を所在無くフラフラ眺めて歩いてるような感覚がありますけども。彼も「七針」出身者らしく、なるほど…という感じの情緒のあり方をしてるなあと。

 そんな氏の作品でもとりわけその「異国を散歩するサウンドトラック」な性質がポップに花開いているのが本作。幾つかストレートな曲もありつつ、基本的にはどこかユーモラスだったりけだるかったりで、陽の光で色褪せてくすんでしまったような世界をふらつき続けてるよう。北里氏の細く透き通った声質もまた、その線の細いダンディズムが現実に足を着けてる感じを薄くする方向に作用していて、基本3ピースの音数少ない演奏なのに、しっかりとしっとりと別世界に誘ってくれます。ライブで見てもその感じは全然薄れなくて、リズム隊の屈強さもさることながら、その上でクリーントーンをキラキラ弾かせて響かせる北里氏のギタープレイが非常に良いなと思いました。

 特に、5/8拍子でフワフワと進行する『Typhoon Sketch』、しなやかに剽軽に叙情的にサンバしてみせる『Night Bazaar』、「乾いた湿度」みたいなのを召喚して真夏の平板で無意味な日差しのように気だるくボッサする『Coke, Summertime』辺りの楽曲で得られる「現実と別の世界」な感じはとても甘美で、不思議なワクワク感もあって、心地よさと小気味良さが溢れてます。一方で『殺し屋たち』の荒涼とした緊張感は架空のマカロニウエスタン感に満ちてるし、またアルバムの最後を普通に気だるくポップでどこか現実的な夏休み感もある『モノポリー』でチャラーンとあっけらかんに終わらせるユーモアセンスもヘンテコにやるせなくて楽しいです。

 次作『Unknown Moments』までは今作と同じ、簡素にして不足の無い3ピース構成でポップで小粋な作品を作ってた彼らですが、その後はSTUTSと組んだブラックなトラックものや、今年には遂に北里ソロ名義にて、彼の重要なルーツであるボサノバ等に接近した楽曲を量産した作品をリリースしています。今思えば彼の異国情緒は南米への憧れ的なのをインディロックに半ば乱暴に落とし込むことで成立してたのか、と今更気づきつつも、地味に「異国の冒険」感が減少してどこかしっとりしていく流れにあって、俗世と隔絶された地点で飄々としてる風な彼もどんどん大人な感じになっていってることを思って、寂しくなったり頼もしく思ったりを勝手にしてます。

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林檎の匂い微かに香り もうどこへも帰れないのだ

台風はまだか 台風はまだか

          『Typhoon Sketch』Alfred Beach Sandal

 

 

4. 『eye』ミツメ(2012年9月)

eye

eye

 

 東京インディーというシーンにおけるミツメの立ち位置、その安定感というのは、もしかしたら東京インディー勢の中でも最も強靭なそれかもしれません。4人組ロックバンドであるという基本を維持したまま、極端な世界観や視点の変更も無く、かといって音楽的に停滞するような、息切れするような感じもあまり見せず、コンスタントに作品を作り続け、そしてアジア各地も含むフィールドでライブ活動を行なっている。インディーロックバンドのお手本のような存在になってしまいました。今年リリースした『Ghosts』の完成度とポップポテンシャルの高さは、そんな流れが素敵に結実した最高傑作でした。

 そんな『Ghosts』が出るまでは、今作がミツメの最高傑作だと認識していました。スピッツフォローワーと目された淡く儚い声と歌い方、そして初期スピッツをよりインディーでノスタルジックにした楽曲で評判を得た1stアルバムから、この2ndアルバムで彼らの楽曲もサウンドも一気に飛躍を遂げ、「日本のインディーロックを前進させるバンド」としての存在感を一際放っていた時期だったと思います。ミツメ的な「日常の切り取り方」「サウンドの現実からの切り離し方」等のキャラクターが今作で決定づけられたというか。

 今作については既に全曲レビューを弊ブログで行なっていましたので、詳細についてはそちらをご覧ください。あとはミツメ自体がライブで音源と同じアレンジで『煙突』を演奏してくれたら本当に何も言うこと無いのですが。

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オイルにまみれて泥だらけ 君が整備したマシンで

町を行く夜明けに追いつく

白煙をあげる煙突が急に光を遮って

二人しか見えなくなってた

陸橋に差し掛かったときミラーに映ったのは

髪の長かった頃の君だったような

           『煙突』ミツメ

 

 

 

3. 『コロニー』麓健一(2011年12月)

コロニー

コロニー

 

 東京インディーのシーンは様々なプレーヤーが個々で演奏したり、または他のアーティストにバンドメンバーで参加したり、といった横の交流が非常に多く見られたシーンであることは前の記事で少し触れました。あのバンドでドラムやってる人がソロでも活動をしてる、みたいなのが頻繁にあるのも、“東京インディー”というシーンの大きな特徴の一つだったように思いますし、華やかなりし頃のUSインディでもそういうことが多々見られたのを思うと、その辺共振(後追い?)してたのかもしれません。

 麓健一氏もまた、oono yuuki bandや昆虫キッズとの共演でもその名を見かける人だけど、この人の場合はむしろその、シンガーソングライターとしての異質に禍々しい素質こそが際立っていて、その佳作っぷりもあって半ば伝説化してしまってるのではと思います。この2011年のアルバムの後はリリースはなく、しかし活動していない訳でもなく、年に数回散発的に行われるライブでは新曲を披露しているという、そんな状況。本当にここ最近のライブで、新作の制作に入っているっぽいことを漏らしたとか言われてますが果たして…。

 彼がしっかりと「製品」と呼べるようなCDの形で世に出した作品は僅かに2枚。2008年の『美化』は宅録中心で、血が吹き出すようにノスタルジックで残酷で痛ましくやるせなくて行き場の無い詩情が全16曲75分弱という長尺で収録され、その胸焼けどころか目も耳も焼き尽くしそうな、吸い込まれるような狂気の世界が、好きなんだけど手に負えない感じがして少し苦手なところだけど、その点、その3年後にリリースされた本作は、バンド編成を軸とした演奏には現実的ないなたさや微かな温もりを、あの世から召喚したような幽玄さとともに感じたりして、割と安心して聴けてホッとします。尺も11曲で50分弱と、前作からぐっと整理され、それでいて彼特有の「あの世とこの世の境界線上」の質感は、今作ではより優雅に、危うさや空恐ろしさを含みながらも、それらが痛ましさよりも美しさに転化するように仕組まれています。録音・マスタリングはピースミュージックの中村宗一郎。各楽器のリバーブの感じも絶妙で、麓氏の世界を鮮やかに整理しきっており、最高の録音。

 今作において彼の病的で所在無さげなソングライティングは見事に、民謡調の軽さや薄らとポストロック気味な音響等によって、虚空に溶けるギリギリのところでの美しさや懐かしさ、愛おしさをたたえています。スッパマイクロパンチョップ氏によるドラムの、安定感と逸脱とを自在に行き来するプレイが、ともすれば神々しくも辛気臭い雰囲気の向こうに消え入りそうな楽曲をポップフィールドに絶妙にキープし続けます。麓氏自身も『Party』という正真正銘のポップチューン(少なくとも中盤までは)や、すごく涼しくも心地よいメロウナンバー『Do you remember?』*5を書いてたりして、今作のポップさはオーバーグラウンドに届き得るものが確実にありました。『Fight Song(山水と水着)』や『鏡、鏡』はどっぷりとディープな麓健一ワールドで圧巻ですが。

 麓健一氏はリリースや活動がフェードアウトしてしまったせいか、作品がサブスク等にも無く、ネットでダウンロード販売等も無く、作品入手はCD等の現物が必須の状況です。それはとても勿体無い現状で、少なくともよりポップで、だからこそ多くの人の心に揺さぶりをかけることができる今作が、多くの音楽愛好者から見過ごされている状況というのは端的に不幸です。その不幸さが彼のカルト的な存在感を増幅させる面もあるのでしょうけど、そんなことよりも、今作がより多くの人に聴かれて、こんな寂しくも美しいファンタジーが日本にもあるんだってことを、この記事では特に伝えたい。もっとはっきりざっくり雑に言えば、これは日本でも屈指のスロウコアの名盤じゃないでしょうか。和製Sun Kil Moonの最高峰というか。

www.youtube.com麓健一氏の動画もまた少ない。今作からは辛うじてこの曲だけあった。

たたえよ いつかのこと たたえよ あの時のこと

たたえよ 小さなこと たたえよ 辿ってきたこと

たたえよ あなたこと たたえよ 離れていっても

たたえよ もう一度だけ たたえよ 出会えたことを

         『たたえよたたえよ』麓健一

 

 

あとがき

 この一連の記事のひとつの目標は、麓健一『コロニー』を「傑作として」取り上げることだったので、考え方によってはこれが1位でも2位でも良かったのですが、まあ今回はいいや。

 さあ、1位が何ったゆめをとかすようになのか、2位が何なのかは「ひみつ」です。次回は2位のアルバムの全曲レビュー予定です。近日中に投稿できればと願っております。

*1:他にこういうことが起こるのはザ・クロマニョンズとか。まあ読み方の設定変えればいいんだろうけど

*2:東京インディーのシーンでも、ceroやスカートのような現実的でポップでファンタジックな感じもありつつ、実際は毒々しさの中を這いずり回るような攻撃的で破滅的なロックバンドも同時に多数存在していました。冷牟田敬氏が所属していたParadiseも狂気的なサウンドト世界観の作品をリリースしてたし、ソリッドでダーク気味な女性3ピースバンドのHOMMヨ、また壊れたテープレコーダーズというレトロアングラ的な薄暗さを体現しまくったバンドも活動してました。HOMMヨや壊れかけ〜は現在も活動中。

*3:録音・マスタリングはともにピースミュージックの中村宗一郎氏。ゆらゆら帝国やオウガで有名な氏だけど、東京インディー界隈では彼の名前が頻出する。基本的にマスタリングは全部彼、みたいに思える時があります。

*4:こんなアホみたいに完璧な設定があるものだからceroはいつまで経っても「いけ好かねえ」とか言われる。まあそういう連中も『POLY LIFE〜』聴かせれば黙るかもですが。『POLY LIFE〜』は万病に効くしそしてレテの水は飲まない。

*5:この曲のアコギがノスタルジックで儚くて切ない感じ、Red House Paintersの『Over My Head』と似てる感じがする。つまり、“永遠”に連なっていくような切なさが。