ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『ひみつ』スカート(“東京インディー”って知ってる? Volum.3 フェイバリット・アルバム 2位)

ひみつ [KCZK-005]

ひみつ [KCZK-005]

 

 そうか、この作品も澤部渡のインディーレーベル、カチュカ・サウンズからの完全インディー流通だからサブスクも無いのか…次作『サイダーの庭』までサブスクには無い(2019年8月時点)。

 

 外様の人間が“東京インディー”なる概念を振り返り回顧しそして大好きなアルバムを取り上げていく企画、その第3回目は、ベスト15枚のうちの第2位。スカートの2013年作のこのフルアルバム。これは大傑作ですよ。ジャケットがそれまでのもう少し現代的に可愛い系のイラストから一気に渋い感じに変わりましたが*1、楽曲の可愛らしさはスカート史上でも最高級でしょ。

www.youtube.comこの最高に曲の雰囲気にマッチしたアニメーションPVが公式じゃなくてファン制作なのが凄い…この時期のスカートは本当に、マンガ方面に広いチャンネルを持っていたなあ。

 

 

まえがき:スカートってどんなバンド?バンド…?

f:id:ystmokzk:20190824170229j:plain

 スカート(Skirt)は、ミュージシャン・澤部渡(さわべ わたる、1987年12月6日 - )によるソロプロジェクト。

           Wikipedia「スカート(バンド)」より

ということで、スカートは一応、そういうことになっています。しかしながら、彼が純粋にソロプロジェクトとして制作した作品(CD-R等は除きます)は1stの『エス・オー・エス』のみで、それ以降はパーマネントなバンド編成を中心に作品制作・ライブ活動等を行なっています。バンド編成の際のサポートメンバーは、特にドラムに佐久間裕太(昆虫キッズ他)、キーボードに佐藤優介(カメラ=万年筆他)が当初より参加し続けており、さらには他の東京インディー系のバンドでもしばしば参加を見かけるシマダボーイ(パーカッション)も2014年以降に編成に入っています*2

 逆に、澤部氏もまた他アーティストのサポートメンバー等で参加することがしばしばあり、昆虫キッズの録音やライブに参加してたり、また川本真琴氏のバンドでドラム、あと漫画家やデザイナーをメンバーに含むバンド、トーベヤンソン・ニューヨークでもドラムで参加しています。スピッツ『みなと』では口笛で参加し、テレビ出演も果たしたことで一躍「あの口笛の人は誰だ?」という具合に話題になりました。また、音楽オタクとしても名高く、特にムーンライダーズカーネーションについてはそれぞれのメンバーとも親交があり、更には佐藤優介と共にトリビュート・アルバムを制作・リリースすることまでしています。

 また、東京インディーの広告塔としての役割なども時に積極的に担っており、代表的なのは彼がメインで企画していたライブイベント「月光密造の夜」シリーズでしょう。初期では昆虫キッズやカメラ=万年筆と、後期ではミツメやトリプルファイヤーと共演を繰り返すこのイベントは東京インディーの界隈感を示す代表的な例のひとつ。特にミツメの川辺素氏とトリプルファイヤーの吉田靖直氏と共に「東京インディー三銃士」を名乗っているところなんかはそういう積極性が典型的に出ているところ。

 澤部氏の人脈関係でもうひとつ特筆すべきが、彼がマンガ愛好家でもあり、積極的にその業界の人たちと接点を持とうとしていること。特にコミティアについては昔はよく参加し、自作のCD-Rを出品したり、その際や全国流通盤(初期の)にコミティアで知り合ったと思われる作家のイラストをジャケットにしたりしています。漫画家の中でも『サイダーの庭』のジャケットを描いた西村ツチカ氏とは上記のトーベヤンソン・ニューヨークで活動を共にするなど、色々とつながりがあるところ。スカートの作品のジャケットでは町田洋*3などもイラストを描いたことがあり、またジャケット等での共作歴はないものの『はるみねーしょん』の大沖氏がよくスカートを話題に出したりなどもします。そういえばスカートのバンド編成メンバー揃って『けいおん!』の登場人物の苗字に採用されたこともありました。

 

 上記のとおり、その人脈関係を書き出すだけで膨大な内容となり、ある意味では「2015年以前の東京インディー」の煌びやかで賑やかな多彩さ・関連する範囲の幅広さの結構な部分を彼が担っていたところがあります。彼はメジャーに行った今もココナッツディスクでしばしばインストアライブ等行なっており、やはり界隈のキャッチーな部分を演出すしていました。そういう意味では「東京インディーの始祖」というサインマグの指摘も分からなくはない*4*5

thesignmagazine.com

 その上で、今回取り上げます今作は、彼のバンド編成で活動を始めてから2枚目の作品になります。録音はこれまた東京インディーの聖地のひとつ、南池袋オルグというライブスペース(現在は閉店)にて、東京インディー関係の作品でよくエンジニアを務める馬場友美氏による録音。まさに界隈ど真ん中!馬場さんもまた東京インディー界隈の重要人物なので、詳細は以下のインタビュー記事を。

tokyoloco-mug.com

 そんな意味からも、また代表曲が複数収録され、それ以外の曲も小気味良い充実っぷりを示した、歌詞もドリーミーでちょっと惨めさが漂う今作は、東京インディーの界隈感とポップサイドの両方で頂点を結ぶようなアルバムです。個人的にも、今作のちょっとだけパンクでアングラで、でも楽曲自体は非常に気が利いててそして妄想に満ちた今作は大好きです。

 スカートはそのソングライティングにおいては独特のボイシングによりコード進行等を作っており、それは澤部氏自身が時折作っていたコードブックを読めば分かるのですが、その独特の複雑なコード感が彼のポップセンスの記名性を支えているのですが、筆者がコードブックも持ってないしコードのアナライズもできないので、その辺まで解説することができないことを最初にお詫びしながらも、大概前書きが長くなりましたが、この充実しまくった本作を各楽曲ごとに見ていきます。

 

本編:『ひみつ』全曲レビュー

1. おばけのピアノ(3:33)

 このアルバムはいきなりこのスカートの歴史に残る大名曲から始まるのがまず強い。本人的にも「この曲だけあまりに“名曲然”としすぎてて、アルバムの冒頭くらいにしか置くところがなかった」みたいなコメントを残してる。威風堂々としたミドルテンポに、この時期のスカート特有の少しささくれ立ったロマンチックなエモーショナルさが乗っかった名曲。

 ギターストロークの、sus4コードを交えた非常にベタで取って付けたようなイントロから始まるこの曲の、歌が始まってからの一気にグッとくる感じは不思議。変で複雑なコード進行やボイシングを用いることが多いスカートの楽曲で、珍しくかなり王道なコード進行に落ち着いていること、そしてかなりエモーショナルに上昇するメロディが、この曲の“名曲感”を演出しているのかも。Aメロ→Bメロ→サビという曲構成も。特にAメロのメロディの強引で力強い上昇は澤部ボーカルのくぐもりながら少しざらついた感じと合わさってドラマチックで、そしてサビのメロディは程よい高音のスリリングさと優雅さと、そして殆どシャウトじみた突き抜ける感じがある。

 演奏的には、曲名どおりのピアノの味付けは今作ではこれでも比較的濃い目。またドラムが局所局所で非常に効果的なフィルインを入れてることがこの曲のエモーショナルさを確実に増している。特に3連のフィルがとても感動的。ギターも、Bメロでフェイザーのエフェクトを掛けて、インディー期のスカートの曲に典型的な「ちょっとの宇宙っぽさ」をよく演出している。

 2回目のサビの後から始まる所謂ミドルエイトな箇所は、本来のスカートらしいひねくれたポップさが顔を出す。ギタープレイはファンク的なカッティングに変化し、ボーカルにはコーラスが追随するようになっていく。そして楽曲はそのまま、サビと同じコードで間奏に入り、ピアノがサビメロをアレンジしたソロを執り、そして演奏がブレイクしてAメロに戻り、それでそのまま楽曲があっさり終わる。普通だったらもう一回サビに展開したくなりそうなところをソリッドに削ぎ落としてしまう辺りに、スカート的な作曲法の傾向が現れているし、また例のAメロの強引な上昇メロディを経てあっさり終わる様はいい具合の寂しい余韻も生み出している。その余韻はこの曲の感じに絶妙に合うし、この壮大な曲の尺を3分半にさっぱりと纏め上げることにも繋がっている。

 そして、不思議さが現れた曲タイトルの雰囲気が素晴らしく展開された歌詞。インディー期スカートの歌詞のファンタジックさを象徴するような。

錆びたギターもならなくなるとさみしい チケットはもうない

錆びた時間も油を注したくらいでは 帰ってこないわ

ここからは じゃあね わたしの出番

古いカーディガン羽織って 暗い森も照らしてあげる

インディー期スカートの歌詞に通底する「ちょっとだけ非現実的なファンタジックさ」と「日々のうだつの上がらない憂鬱な感覚」との交錯の様子が、この曲でも貫かれている。そのポジティブ・ネガティブの二項対立と距離を取った、何というか「可憐さ至上主義」みたいな雰囲気が、たまらなく好きだ。

 

2. セブンスター(2:54)

 この曲も代表曲。ライブの定番曲でもあるけど、スカートの数ある楽曲でも最も華やかな疾走感を感じさせる楽曲なので、そりゃ定番になるわ、という感じの曲。

 再生直後から一斉に滑り込んでくる演奏は疾走感に溢れていて、ギターのコードカッティングとドラムの畳み掛けるようなフィルインがその勢いを、ピアノが華やかさとスリリングさをそれぞれ担っている。後年に比べればやや悪い録音環境が、かえって分離がはっきりしすぎないことでこの曲の「音の塊が突っ走っていく」みたいな印象に繋がっているのがとても今作的。

 この曲に添えられたメロディも素晴らしい。同じメロディの繰り返しをどんどん伍長が強くなる感じに重ねていくのも絶妙だし、Bメロの這うようなメロディ→サビのコーラスを交えた突き抜けるような勢い*6、という流れはスカート的なナイーヴさを保ったままにパンクな勢いに直結してる。特にサビではドラムのフィルインがひたすらとんでもないことになっていて、手数の多いフィルインパターンを一体いくつ思いつくんだこの佐久間裕太という人は…とひたすら素晴らしすぎて爆笑してしまう。昆虫キッズで見せるドラミングとはまた違うタイプながら、その中でも最高傑作の部類。そんなフィルインに合わせて掻き鳴らされまくるギターカッティングも爽快感に満ちてる。

 地味なところでは、2回あるBメロのうち2回目は大幅に尺をカットされていることが、曲構造的に逆に大きなアクセントになっていて、鮮やかなソングライティングだと思う。

 そんな軽快な疾走感でブッ飛ばす楽曲に乗る歌詞がまた見事に文系な感じなのが、やはりスカートらしさ。

図書館のような箱に閉じ込められたままで君はいいのかい

思うほど遠くなる

鬱陶しいな だなんて悪かった

切手と封筒、便箋で 君が今、なにしてるか知りたい

外は大変な雨降りだよ

この微妙なナイーブさ。澤部渡はマンガ好きとしても知られるけれど、『神戸在住』とか『イエスタデイをうたって』とかそういうナイーブさと日常具合を持った漫画を好む彼の趣向*7が、特にインディー期のスカートの歌詞にはよく出てると思う。

 このアルバムはまずここまでの冒頭2曲で強烈に持って行く感じが強い。そしてここから先、スカートらしい小ぶりで小気味良いポップソングが連なっていく。

 

3. 夜のめじるし(2:19)

 軽快にスウィングしたリズムで進行する、ジェントルで気の利いたシティポップな感じのナンバー*8。こういう小品が勢いある前2曲の流れからサラッと出てくるのがこのアルバムの強みのひとつ。

 まず、テンポの速い曲でもないしイントロもきっちりあるのにこの尺!スカート流ソングライティングが炸裂している。曲構成的にはAメロ→Bメロ→間奏→Cメロ→Aメロという構成で、BとCは1回しか出てこない。こういうソングライティングをスカートは時折用いてきて、その場合曲の尺はぐっと抑えられる傾向にある。この曲もよく考えれば間奏もきっちりあるのにこの尺か。

 この曲のアレンジについて言えば、ピアノが圧倒的な存在感を発揮している。けれどもギターも、やや歪んだ音で少しジャズ風味な洒落たカッティングを見せて、要所要所で小気味良いアタック感を響かせて拮抗してる。ドラムのリズムもオールディーズなジャズっぽさがあって(その上で手数多いのは流石だけど)、そして所々のキメがとても「それっぽく」入るところが気持ちいい。Cメロのキメ連発具合とか。

 この曲において澤部ボーカルはダブルトラックで録音されている。スカートの歌は基本的に澤部ボーカルのナイーブさや熱っぽさを生々しく響かせるのを優先してか、シングルでエフェクトも少なめに録音されることが殆どだけど、数少ない例外の一つになっている。声の前に出る感じが抑えられて、よりこの曲の洒落た雰囲気が前面に出るようになっている。前2曲からの変化という意味でも、効果的な方法だと思った。

 この曲の歌詞は思いについての言葉が多くて情景描写は少なめだけど、でも以下の描写なんかは今作的な文系っぽさが出てる。

近づかないように していたけど 手紙の海で溺れているんだ

2013年にもなって「手紙」というアナログさを愛するインディーロッカーのひとり・澤部渡。それは電子メールやLINEの「何も思わなさ」に比べると確かにはるかにロマンチックな手法かもしれない。

 

4. S.F.(2:35)

 スカートの最初の全国流通盤『エス・オー・エス』に収録された弾き語りベースの曲を、今作のバンドメンバーにて再録したもの*9。しっとりした曲だったのが一変して、今作でもとりわけドラマチックな緊張感と疾走感・爽快感に満ちた楽曲に変貌していて、再録は大成功だと言えそう。

  イントロのフランジャーがかかったギターサウンドがとても印象的。エフェクターをアレンジに組み込むことを滅多にしないスカートにおいては、『おばけのピアノ』のBメロと同様にかなり珍しい。このフレーズのセクションが間奏やアウトロにも出てくることで、この曲のタイトルから連想されるような「ちょっとの宇宙っぽさ」が巧く表現されている。この曲ではキーボードはエレピを担当し、雰囲気を添える程度の働きになっている。ギターの方がメインという感じ。

 曲構成が非常にシンプルなのも特徴。Aメロ→サビ→サビであっさりと終わってしまうことで2分半という短い尺に収まっている。これでなぜか楽曲として不足・物足りなさを感じさせないのが不思議。リズム的にも溜めが効いたAメロから、勇敢さと熱情がメロディに現れたサビにサッと繋がって、特に2回目のサビはファルセットも混ざってより切実さが増していくのがとてもエモい。

 歌詞の感じも、短いセンテンスの中にやや緊張感のある仕上がりか。

あの星のそばまで行けたら ごらん 月に消えて 忘れられもしないさ

河を渡る いくつもの声 君を待つ方へ 熱を放つだろう

 アルバム冒頭からこの曲に至るまでの勢いや曲調の変化具合は絶妙の出来だと思う。この4曲の流れだけで今作がすでに、とても素晴らしいように感じられる。

 

5. 誤字と脱字のバラッド(3:12)

 タイトルで言うほどバラッドしているわけではない、ミドルテンポのポップソング。クレジットにもあるとおり、曲自体は澤部氏がトーベヤンソン・ニューヨークに提供した楽曲『YOUNG SONG』を、歌詞を自身で書き直して録音したもの。しかしトーベヤンソン・ニューヨークの方の音源はなかなかリリースされず、ようやく2015年の1stアルバム『サムワン・ライク・ユー』に『Young Song』として収録され、「あっ確かにこの曲自体は聴いたことある…!」って感じになった。

 楽曲的には、スタッカートのリズムに扇動された陽性なメロディのAメロと、よりメロウで陰りとエモーショナルさのあるBメロの繰り返しで成り立つナンバー。サウンドで特徴的なのが、間奏等を除いてキーボードが出てこないので、この曲の大半の部分がスリーピースバンドな演奏になっていること。しかし、上記のスタッカートのリズムや細かいカッティング等のギタープレイで、澤部ボーカルも存在感があって、音的に不足を感じさせない仕上がりになっている。

 歌詞。トーベヤンソン・ニューヨークではオノマトペ大臣による作詞だったけど、新たに澤部渡が書き下ろした歌詞は、やはり少しファンタジックで少しノスタルジック。

噛み切った爪のような三日月が照らし出す センチメンタルのくず

あの頃と同じように振る舞えたらいいのに 季節は過ぎてゆくけども

 

6. 百万年のピクニック(2:03)

 どっちかと言えば前の曲よりこっちの方がバラッドチックかなあ、という感じの、ここまでの流れでもとりわけまったりした情緒がある曲。そのくせにこの尺なのか…という、狐につままれたかのようなスカートのソングライティングのマジックが本当に炸裂しまくっている。

 この曲もまた、ピアノ(エレピ)は中盤くらいからの登場で、そこまではスリーピースバンド+アコギのダビングにてあっさりとアレンジしている。アコギのちょっとしたアルペジオ等がアレンジとしてよく利いてて、短い楽曲にいい塩梅の切なさを添えている。そしてこの曲でもボーカルをダブルトラックにして、そして少し不思議なぼやけ方をさせることでこの曲ならではの存在感が出ている*10。AメロとBメロの繰り返しも、切り替わるタイミングの微妙なズラしやブレイク等で実にしっとりとした質感を匂わせる。

 歌詞については、タイトル自体ちょっとスピッツっぽい不思議な感じがあるけども、歌詞の中身としても若干そんな非現実的なぼんやりとした感じに仕上がっている。

頰の向こうに 船が過ぎる 問いかけのような 空が消える

風下に立って 袖が膨らんで 防波堤の先 窓が見える

伸びていく影 元に戻せる手段はもうない

 

7. 月光密造の夜(3:29)

 代表曲のひとつ。何と言ってもスカートの自主ライブ企画にそのタイトルを流用していることが重要で、同名の企画は初期は昆虫キッズやカメラ=万年筆と、中期以降はミツメやトリプルファイヤーと対バンを繰り返し、またライブのフライヤーにも澤部氏の知り合いのイラストレーターのイラストが毎回採用され、「東京インディー」という実態があるかどうか非常に怪しい概念についての、中核のひとつになるイベントだった。

 そんな、ライブイベントのタイトルとしての方が重要かもしれないこの楽曲自体は、非常に爽やかに疾走していく、しっとりとして牧歌的な具合とロマンチックさとが上手く折り合ったポップソング。澤部渡のポップセンスが伸び伸びと発揮された名曲。

 伸び伸びしてるのは、長音が多いメロディもそうだけどもそれ以上に、楽曲に比較的十分な尺がありながらも、Bメロが一回しか出てこないこととか。つまり、何回か繰り返すAメロだけでうまい具合にメロディが完成されていて、そこからの展開がたった1回だけでも、過不足を特に感じさせないところに、スカート流ポップソングの極みのようなものがある。

 曲の始まりから一斉に各楽器がサラっと伸びやかに始まっていくのが気持ちいい。コードとしては長調全開だけど、でも不思議と昼間な感じはしなくて、少ししっとりした雰囲気が保たれている。特にエレピの潤いとメロウさに満ちたトーンが効いてる。アコギもダビングされた演奏はフォーキーで、むしろアコギのアタック感がスウィングするドラムやベースと一緒に、所々で「ポップでベタなキメ」を入れながら演奏を先導していく。一回しか出てこないBメロではエレキギターのカッティングが小気味よく配置され、歯切れの良さとちょっとばかりの大人っぽさが挿入される。けれど基本的にはちょっと子供っぽいロマンチズムが伸び伸びと広がっていく。

 間奏のエレピのソロも、弾き倒すよりも、曲のフォーキーな雰囲気をメロウに縁どるような動きをする。そしてブレイクしてまたAメロ、キメからまた演奏が再開する感じに、演奏の自在な感じが漲っている。最後は1分近く、コード感が昇降を繰り返すカッティングをテーマにじゃれるようなはしゃぐようなセッションにもつれ込んで、特にドラムのフィルインとリズムの崩し方が全能感に溢れていて、とても朗らかな世界が広がっていく。

 歌詞、の前にまずこの曲タイトルの時点で、そのちょっと幻想的でいたずらっぽさもある可愛らしいイメージは完成していて、あとはそれに沿った、それに相応しいフレーズで音節を埋めていく。この時期のスカート的な「別に何か具体的なことを言おうとしてるわけじゃなさそうだけど、でもその雰囲気のいい感じなのは分かる!」みたいな歌詞。

夜に舟を出そう 手ですくえば水面は騒ぐよ

足りない空にかかげて 変わっていくのが 怖くてさみしい

この、何をしようとしてるのか全然分からないけど、ふわっと景色が感覚と連なって広がっていくような感覚が気持ちいい。極端すぎることを言えば、この曲からイメージされる景色の、牧歌的なのにどこか寂しくて少しノスタルジックな具合が、そのまま「2015年以前の東京インディー」という筆者が勝手に作った括りから感じられる原風景に接続しているんだなあ、と思って、本当に本当に極論すれば、この曲こそ「2015年以前の東京インディー」ド真ん中なのかなあ、と思った。いつまでもいつまでも演奏し続けてもらいたい、とか言っちゃうとノスタルジックに過ぎるのかな。

 

8. ざくろの街(4:06)

 今作の中でもとりわけどっしりしたテンポ・メロディを持つ、ロックバラード、と言うと大袈裟だろうけど、そんな性質を持ってるナンバー。この曲がもっと発展すると『シリウス』になるのかな、とか思う。

 この曲については完全にスリーピースバンドの演奏のみで録音されていて、この曲からロックをとりわけ感じるとすればそんな無骨さもあってのことかも。ゆったりしたテンポなので、ギターカッティングの素っ気なさとその中の気の利かせ方が歌以外では唯一のウワモノになるし、その分細かいフィルをいろいろ挿入するドラム、そしてそれよりさらに細かいフレージングで今作でもとりわけメロディアスに動き倒すベースが味わえる。キーボードが全くない分、華やかさにはいささか欠けるけれども、その分スカートというバンドの「無骨さ」の側面を渋く味わうことができる。

 曲構成的にはAメロ→Bメロ→サビと丁寧に積み上げる、と思わせて2回目の繰り返しではBメロを間奏的にすっ飛ばしてそのままサビに繋がるなどの工夫が見える。この辺やはりいちいち素直にいかないのがスカート流ソングライティング。サビのメロディは今作でもトップクラスにねっとりとエモーショナルにメロディが跳ね上がり、澤部ボーカルのこの時期的な熱量の高さが存分に味わえる。

 歌詞の繊細さは、「僕の憂鬱を君が解決してくれって願ってる」度合いは、今作ではこの曲が一番。そのまま歌ってるもの。

ああ 君が 憂鬱の手を引いてくれるのなら

誰の声も届かなくなってしまうんじゃないか

ああ 僕らの目の前 灯りは星くずのようにも見えるけど

もう手も届かない

 

スピッツの歌みたいに「君」に依存したいような、でも生活の実感とか、あとポスト2011年であることとかがそこまでを許さないような、そんな微妙な立ち位置と心境とを抱えたこの時期のナイーブな若者、みたいなことについて、今作のスカートの歌に出てくる主人公たちは、頼りなくも、何らかの豊かさと、何らかの欠損とを抱えて、やや不器用そうに言葉を重ねていく。それは少なくとも(後追いで本作を聴いた)筆者のような人間にも、何らかの親近感が湧く感じがした。

 

9. 花百景(2:14)

 ザ☆小気味良いポップソング!というややハイテンポでコンパクトに纏まった、アルバムの終盤に突入することをさらりと思わせるような、すこぶるポップでちょっとノスタルジックな良曲。

 まず再生した瞬間に、今作でもとりわけ録音状態が悪そうな感じというか、所謂ローファイで団子な音像が、かえってこの曲順だと耳にとても優しい。大味でロマンチックなコード進行と歌には、ひたすらパンクで軽やかにフィルインを連発しまくるドラムが寄り添っていく。本当に歌うようなドラムプレイでとても楽しい。シンプルにコードカッティングするギターの程よいクリーンなトーンもインディー的な気持ち良さに満ちてる。Aメロ・Bメロの繰り返しなシンプルな曲だけど、Bメロ前半では頭打ちのリズムで非常に分かりやすくポップだし、そこが解けてメロディが展開していく様も、ノスタルジックさと小気味良さが絶妙に合わさったような質感が通り抜けていく。

 特に、間奏のくぐもっててクラシカルなピアノソロからBメロに入って、そのBメロ終わりからすぐに最後のAメロに入っていく様の、とても清々しい前のめり感はとても痛快で鮮やか。

 やはり曲タイトルからしていい具合のインディーさが香ってくるこの楽曲、歌詞もそれに寄り添うような仕上がり。

悪い夢を見てたんだ ミントをかじったら いろいろあふれてくるけれど

手の中で数えたどんなことばより 近づいていくよ きみのそばへ

 この可愛らしさで、この愛すべきローファイな音質で、そしてこの愛すべき2分半足らずという尺。名曲級というわけではないけれど、それとは全然違う次元で、このアルバムでもとりわけ特別な輝きを持ってる曲だと思う。

 

10. 返信(4:40)

 前作『ストーリー』に収録された楽曲の再録で、今作でもとりわけ「ファンクなカッティング」に焦点を当てた曲。それでも、次作以降で始まるより大人っぽいAORファンク路線に比べれば遥かに可愛らしさが勝つもので、今作での再録で追加されたホーンセクションも、大人っぽくはあれどどこか無邪気な全能感を感じさせる仕上がりだと思ってしまったりする。

 イントロからギターのファンクなカッティングで始まり、そこにシックにバンド演奏、そしてホーンセクションが入ってくる。ギターのカッティングの譜割りがかなり細かくなるけれども、それは大人っぽいスムーズさよりもむしろ神経が過敏になってるような質感を思わせて、ちょっとニューウェーブ的かも。エレピの質感がやはりアダルティだけど、どこか「大人になりすぎない」感じが漂ってて、「2015年以前の東京インディー」的なパーティー感というか、そんな雰囲気に溢れている気がするけども流石に筆者の幻想かもしれん。こう、片想いとかと共通するようなインディーな落ち着き具合というか。

 Aメロ→Bメロ→サビ的なカッチリした展開の中で澤部ボーカルはやはり若気の香る情熱的なボーカルを見せていて、Bメロでは唾が飛ぶ様を幻視しそうなシャウト気味の歌い回しを見せ、特にサビのフレーズでのファルセットを多用しながらも突き抜けるような歌い方には彼の、彼特有のパンクな必死さと裏返しの全能感が、自由自在に羽根を広げている。

 歌詞は、よく読むと「君」という単語が直接には出てこなくて、何とも青臭い葛藤に繋がれている。その辺がこの曲が大人っぽくなりすぎない理由だったのかもしれない。

少し知りたくなって 薄くちぎれてゆく

邪推をなだめる夜 この先は夢オチのまえぶれ

「夢オチ」という語がスカートで出てくるのはちょっと意外な感じ。だけども今作までのスカートは妄想の感じが強いからまだ分かる感じもする。メジャー以降では出てきづらそうな単語。

また ひとつずつ こぼれ落ちてく 心も 言葉も 置き去りのままで

傷だって遠く描き出していく 答えが 続きが 見たいよ

 「心」に並べられる語が「身体」じゃなくて「言葉」なのが何とも文系男子的。まあスカートの歌で性愛全開になるのは今ひとつ想像つかないけれども。

 ライブの定番曲であろうことから、これも代表曲か。以下のライブ動画だとベースのスラップが派手に響いてて、とてもライブ映えしそう。

www.youtube.com

 

11. ともす灯 やどす灯(3:02)

 狂騒の感じのする前曲から打って変わって、今作でもとりわけ剽軽で、かつロマンチックな繊細さを覗かせる楽曲へ。上の方で貼ったファン制作のPVにしても、よくぞこの曲を選んでくれました…!と言いたくなるような、当時のスカートが持ってたファンタジックでノスタルジックなロマンが詰まった名曲。

 柔らかなギターコードのアルペジオに連なって始まるシャッフルのテンポには、今作でも随一の可愛らしさと、しかしながら楽曲の複雑なコード展開による切なさとが拮抗していて、不思議な気品を生み出している。スタッカートの利いた演奏とそこを崩していく展開との行き来が、絶妙にこの曲の小さな世界を強調したり滲ませたりする。同様の感覚をElliott Smith『Baby Britain』とかにも感じたことがあるけど、シャッフルのリズムというのには時々こういう、ハッピーさと切なさとを優雅に転がしてみせる機能が備わっている。澤部渡の歌もまた、どこか童話じみた質感がありながらも、ノスタルジックさの向こうに言い知れないメランコリックさを忍ばせている。

 この曲の曲構成がまた、スカート的な変則的な曲構成の典型例で、『月光密造の夜』と並んでもう一つの極みと言っていいと思う。Aメロ→Bメロを2回繰り返した後に満を辞して出てくるサビは、その1回こっきりで、そのメロディがブリッジ的にすぐ最後のAメロに繋がり、あとはAメロのコードを主軸にした演奏が展開していって、セッション的なプレイでは元のコード進行の切なさが大変に感じられ、しまいには3拍子に優雅に変貌して、そしてあっけなく終わってしまう。曲の尺の終盤を大胆に歌に使わずにインプロにした点は『月光密造の夜』以上に自在な感じで、楽曲の持つ儚さを最大限に引き出すことに成功している。エレピがメインメロディを執り、その横で一心不乱にアコギでカッティングを続けるギタープレイからは、今作でもとりわけ静謐で鮮烈なエモさを感じさせる。

 歌詞。こういう切なくも儚い感じの中で歌われる「君」というのは、単純に普通の人間の恋人なのかどうか怪しくなってしまう。この曲もそう。切ないファンタジーばっかりを、ぼくたちは好きになってしまうなと。

夜風はどうしてこんなにも寂しい 君が言うから 影を捕まえても

外では雨 雨は手のひらにいっぱい 君が歌うから もうはぐれないように

指の隙間からこぼれ出すあの日の音

 

12. ひみつ(3:43)

 アルバムラストにタイトル曲。前曲の終わりを引き継いだ3拍子のアコギ弾き語り、と思わせて、そのままドラムとベースが入ってくる、ロマンチックに夜空を描くような楽曲。しかしながらちょっと地味。

 アコギをかき鳴らす繊細な響きと歌で進行、していくかと思ったらドラムとベースが入ってくるこの展開。間奏ではベースやドラムのフィルで間を持たせ、やはり1回きりのサビでは澤部ボーカルの飛翔の裏で怒涛のフィルイン、そしてうっすらと鳴らされるエレピ…エレピ鳴ってたのか!今回聴きかえして初めて気づいた…なぜ間奏とかで鳴ってないんだ…?最後のAメロの後の1分以上の繰り返しは、ひたすらドラムとベースとアコギだけでセッションを展開していく。ドラムがひたすら手を尽くしていく様が圧倒的で、そして最後にアコギだけが残されて、寂しさと名残惜しさを感じさせながら、アルバムは終わる。

 歌詞。やっぱり「星」が出てきて、そういう宇宙的なロマンチックさを、インディー期のスカートは追い求めてる節があるなと思う。次のフルアルバムの最終曲も『シリウス』であることだし。

あとひとつ 星が砕ければ さみしさの隙間から やがて手が伸びて

もしかして 君の声ならば 変われそうだなんて ひみつがまた増えた

「変われそうで変われないもどかしさ」というのはある種のインディーさを信条とする音楽にとって大事なテーマであるけれども、スカートの今作が持つエモーショナルさというのもそういう部分があって、それはたとえば今作の地点から見れば「変われた」ようにも思えるメジャー以降の詩作と比べると、この時期ならではのもどかしさを鮮やかに切り取った今作のある種の尊さは、その後誠実に「変わった」ことによって裏付けされているなあとか思った。「変われそうで変われない…」ってずっと歌い続けるのは、特にある程度成功してくると「それは詐欺では?」となりかねないから、そういう意味ではスカートは誠実なところがある気がする。

 でも、そんな誠実さはよそにして、今作の美しいもどかしさこそを、筆者みたいなのはずっと愛し続けてしまうな、それはダメなことかもしれないな、と、なんだか書いててちょっと不安になってしまっちゃった。

 

・・・・・・・・・・

総評

 以上12曲。収録時間は37分41秒。素晴らしいサイズ感!

 前書きで書いたとおり、今作はスカートの全国流通盤としては3枚目、スカートがバンド編成になってからでカウントすれば、前作『ストーリー』(2011年リリース)から続く2作目となります。実際はこのころのスカートはコミティアやライブ会場限定のCD-Rなどでも新曲を発表していますけれども。

 『ストーリー』は7曲入りですが、そこから一気に12曲入りのフルアルバムということで、まず楽曲の幅が一気に広がっています。最初のリリースである『エス・オー・エス』も楽曲の幅は広いけれども、それは宅録であるために色んな手法を使えたところが大きくて、今作ではパーマネントなバンド演奏にも慣れ、充実した楽曲・充実したアレンジが重なっていって自然と実を成したような、そんな幸福そうな感じがあります*11澤部渡の充実していくソングライティングの中で、各メンバーが自分にどんなことができるかを果敢に試しまくってるような、そんな朗らかな世界が見えてくるような気がしています(実際はどうか知らないけども)。

 その上で、『ストーリー』に漂っていた「コンボなバンド編成としての、塊としての突進感」は今作にも満ち溢れていて、それは録音環境なども多少影響してるのかもだけど、単純にソングライティングの方向性がそっち寄りなのかな、と言う感じも。『セブンスター』『S.F.』『月光密造の夜』『花百景』とかで見せる勢いは、この時期のスカートならではなの爽やかさに満ち溢れています。

 一方で「ザラザラに青春!」って感じが漂う『ストーリー』からはやや変わってきてる部分も。『夜のめじるし』などで見せるさらっとしたシティポップ感や、ホーンが追加された『返信』のかっちりした感じがそれかも。しかしながら、次作『サイダーの庭』に収録の『都市の呪文』とかから見られるようになるAOR・ファンクな感じは今作にはほとんど見られなくて、可愛らしくもファンタジックでノスタルジックなノリが十分に全体に行き渡っています。

 今作にしかないファンタジックさも。『ともす灯 やどす灯』が特にそれで、この愛しい寂しさや儚さがどんどん広がっていくようなあの感触は、このアルバムを聴こうと思う時の大きな理由のひとつに個人的になっています。

 澤部渡さんの歌い方がカーネーションっぽいとか、ムーンライダーズっぽいとか、そういうことが割と当時から言われてたように思いますけど、個人的にはそうなのかな?と思っていて、彼の声には彼独自のねっとり感や熱があって、そして彼の曲には彼独自のメロディが跳ね上がる箇所があるように感じてて、そしてそんな彼の歌のクセみたいな、彼独自の切実さみたいなものを一番感じるのも、なんとなく今作かなーって気がしています。単に曲とかに対する思い入れが他より大きいだけかもですけど。

 長々と書いて今ひとつまとめ方を見失ってるけども、ともかくいい曲が12曲サラッと並んでて、屈託なくサラッと聴き通せる、そういう力もあるアルバムなので、単純にサラッとしたポップソングが好きな人は、今作はとてもいい買い物になると思います。今の所(2019年8月現在)サブスクにも無いことですし、実際に買わないとこの手作り感に満ちたインナースリーブも分からないことだし*12、いかがでしょうか。

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あとがき

 東京インディー特集の記事もあと1回で終わりの予定です。正直だんだんよく分からなくなってきたところですが、次回は東京インディー関係フェイバリットアルバム・ベスト15のうちの1位の全曲レビューになりますけど、それこそそんなに「東京インディー」だから好き、とかそういう次元では全然無い(元からそういうつもりはないつもりではあるけども)ので、シンプルに全曲レビューする感じになればと思います。

*1:漫画家の森雅之によるもの。構図が少し『火の玉ボーイ』鈴木慶一ムーンライダースに似てますね偶然でしょうけど。

*2:ベースが清水瑶志郎氏(マンタ・レイ・バレエ)から2018年に別の人に変わってたのを今回初めて知りました。

*3:惑星9の休日』『夜とコンクリート』などで知られる作家。どっちも大名作。

*4:少なくとも「東京インディー」とされる界隈を可視化し、メディアが取り上げ、上下の世代間を繋ぎ、CD-R等のグッズをサブカルなファンが買い求めるような環境を作ったことについての澤部氏の貢献は非常に大きかったものと思います。

*5:下のサインマグの記事を見ると、確かに「シティポップブームの先駆け」として「2015年以前の東京インディー」を眺めることも可能なのかもしれない。ただ正直、それをすることになんの価値があるのか、シティポップブームにそれだけの価値があったのかは個人的に疑問ですが。少なくとも、筆者の思う“東京インディー”というフィールドは「シティポップ」なんて枠組みに到底収まらない程に幅広く、自由で、視野が広く、頼りなく、そしてだからこそ救われるようなところがあったように思います。シティポップだとか、お茶の間のシーンとか、ポップフィールドとか、そういう言葉で“東京インディー”界隈の有する世界観を狭いものに押し込もうとしないでほしい。それこそ「メジャーこそ正義・ポップこそ正義」みたいな、多様性を欠いた価値観だと思う。生活の影の先に広い世界や雑多な思念が広がっているような、そういうナチュラルで飛躍的な自由さを、ポップフィールドなんて枠で削ぎ落とさないでくれ。

*6:ライブでは基本ずっと澤部渡ピンボーカルで、この曲も全部彼一人で歌ってる気がする。この曲ぐらい他メンバーのコーラスがあってもいい気がする。。

*7:彼が本屋でバイトをしていたことなんかも、こういう雰囲気がより醸し出されることに繋がっていたのかも。

*8:余談だけど、ダンスチューンばっかりがシティポップじゃないんだということを、シティポップ のブームは見えにくくしてしまった感じがある気がする。

*9:スカートは前の作品の収録曲を再録することがしばしばある。『ハル』とか『わるふざけ』とか『返信』とか『回想』とか。中には『魔女』みたいにCD-Rとかでリリースしてた曲が長きを経て再録されることも。

*10:今回クレジットを読み直して気づいたけど多分澤部渡の付き合ってる人がコーラスで参加してる。よく聴くと、すごく地味ーに被せてあるなあ。。

*11:逆に言うと、次作『サイダーの庭』ではすでに若干の「自己模倣」な感じがしてしまってる気がして、ちょっとんー、と思った覚えが。その後の『シリウス』『CALL』で見事にその領域から脱して次のステップに行った気がしますが。

*12:『ひみつ』までのスカートのCDは全部、硬紙の3面の歌詞カードに直接CDをはめるスポンジがついていて、CDをしまうとそのページの歌詞が読めない、という仕様になっていて、初めて見たとき「CDの入れ物ってこんなことできるんだ!」と、何気に音楽以上に驚いたかもしれない。。