ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『青い車』スピッツ

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 スピッツ史に留まらず、邦楽史上でも有数の大名曲にして後世への影響力も甚大な楽曲として、この1994年リリースのシングル曲『青い車』を見ていきます。以下の『空の飛び方』のレビューではこの曲のみ後回しにしていたので、その補完になります。こんなに書くのに間が空いてしまって申し訳ない限りですが…。

ystmokzk.hatenablog.jp

 なお、以降はシングルバージョンを前提として取り扱います。また、あくまで『青い車』単曲でのレビューなので、シングルのカップリング曲『猫になりたい』には触れませんので悪しからず。そのうち『花鳥風月』まで行けば書きます。それにしても『青い車』と『猫になりたい』のシングルなんて凄い…スピッツの最強シングル候補*1、というかこれが最強かもしれません。

 それでは、以下の目次の通りに書き進めていきます。

 

この曲までの経緯・この曲に到るまでのスピッツ

 経緯と言うと大げさかもしれないけれども、個人的にはこの曲には“初期スピッツからの流れの集大成にして最果て”のようなものも感じていて、そういう意味ではこのトピックについて考えることも無駄じゃないのかなあと思う。

 初期スピッツについては以下のとおりまとめを書いてました(沢山PVついて嬉しかったです)

ystmokzk.hatenablog.jp

 後で歌詞に触れる際の前フリになるけど、この記事のテーマに『青い車』を当てはめるならば、「死」「移動」については確実に該当するし、「セックス」「倒錯」「倦怠・疲労」にも該当してきそうなフレーズが含まれるし、さらに楽曲的には爽やかギターポップのスタイルではありながらも、その視界が光の具合で淡くぼやけるような様相には「白昼夢・シューゲイザー」的な要素も含まれる。このチェックシート形式な当てはめ方をするとこの曲は実に初期スピッツしてると言える。

 当然、この曲のリリース時期というのは『Crispy!』でヒット曲志向に転化した後、さらに歌詞はともかく楽曲としては中期スピッツ的な「春の日差しポップ」を完全に発現させた『空も飛べるはず』の後のシングルとしてリリースされた。なので時期的には“初期スピッツ”とは言い難い時期だけども、しかしながら上記の通り初期スピッツ的な特徴を色濃く示している(そのためなのかは分からないけど、人によっては『空の飛び方』までを初期と呼ぶ人もいるように思う)。

 初期ではないのに初期っぽい、しかし初期ではないからこその何らかの初期ではあり得ないような飛躍的なものもある、そんな微妙な立ち位置の上に、この曲は存在している気がする。

 抽象的な話になりすぎたので、具体的に楽曲の内容を見ていきたい。

 

音楽的考察

 この曲のサウンドを無理を承知で一言で言い表すならシューゲイザーを通過したギターポップになるのかなと思う。この曲に至るまでに他にもスピッツのそういうタイプの曲は多々あった気がするけれども、この曲はその完成版でかつマスにも切り込んでいける余地さえ感じられるほどの仕上がりになっている。

 多くの音楽には聴いてて何らかの景色や映像が喚起されるような性質があるけれど、この曲は特にその印象が、イントロの逆再生サウンドからバンドの合奏に入る瞬間から鮮やかに、かつ少し淡い具合で入ってくる。まるで曲タイトルのように車でトンネルを越えて晴れた空の下の少し寂しい海沿いの道が視界に入ったみたいな。

 ソフトな疾走感のある8ビートに沿って楽曲は進行していく。そんなにBPMは速くないけど疾走する感じが出ているのはリズム隊の少しハネたリズムの取り方や、局所局所でフレーズを効果的にうねらせまた詰まらせる、歌うようなベースラインや、ギターカッティングのドライブ感からか。イントロの柔らかなギターアルペジオとギターカッティングの並走していく感覚は爽やかで、この世のものじゃないみたいな、少し非現実的な質感さえするような爽やかさ。よく聞くと右チャンネルいっぱいにもう1ライン、音の壁のように掻き鳴らされ続けるギターが録音されていて、この辺シューゲイザー的な手法が滲み出ているとともに、この曲のほのかにドリーミーな感じを底上げしてるのかも。ギターのカッティングの感じも柔らかくて、The Cureのポップな曲(『In Between Days』とか)なんかとも通じるような柔らかな突き抜け方をしてる。このさざ波のような、風のような、流れていく景色のようなカッティングの響きがもう、いきなり最高に心地よいし快い。シンセとかピアノとかが無くて、あくまでギターサウンド

 歌に入ると、Aメロではその風景の鮮烈さが少し引いて、音的にはエレキギターのカッティングが止んで、代わりにアコースティックギターのカッティングが前に出る。イントロのままの柔らかいアルペジオと、そして右チャンネルでささやかに重ねられたエレキギターは少しトレモロがかってぼんやりしている。リズムの感じは変わらないのに、不思議と水の中のようなぼんやりした感じを、どことなく味わう。そのぼんやりの中で歌メロ自体も言葉数を詰め込み過ぎず、流れに任せるような感覚の中で少しとぼけながらも、サビに向かってシンプルに突き進む。

 この曲の良さの一つにこの曲がAメロからいきなりサビに展開することが挙げられると思う。3文字分Aメロの終わりに食い込んで始まるサビメロではAメロの感じをそこまで大きく変えていないのに、よりドラマチックで、突き抜けていくような感覚を獲得している。ギターサウンドもイントロに連なるような柔らかなドライブ感が一気にせり上がり、詳しくは後述する歌詞のイメージと劇的に交わり、この曲でしか得られないようなイメージ・物語性が広がっていく。ここはAメロのぼんやり感が一気に切り替わることによる気持ち良さが非常に大きい。Bメロを交えて段々と盛り上げて、ではなく、あっさりとサビに突入するこの感覚がまさに『青い車』って感じがする。そんなシンプルな構成がイントロ・Aメロ・サビ・間奏と、割と同じようなリズムによって、芳醇な平板さの中で連なっていくところに、この曲ならではの感覚がある。

 その芳醇な平板さが唯一失われるのが、2度目のサビの直後に訪れるミドルエイトの部分。リズムブレイクして突入するこのセクションの存在がまた、この曲の平板さをより尊いものにしている気がする。フェイザーが掛かったサウンドは吸い込まれるようなサイケ感があって、この曲に薄らとした危うい幻惑の雰囲気をもたらしている。そんなにコード的に暗いとか歌詞的に恐ろしいとかいうセクションでもないのに、ずっと続いてきてたリズムが途切れることが、この曲の永遠のような風景に穴が空いてしまったような感覚になる。その穴が、かえって永遠をより永遠にするみたいな。

 ミドルエイト後のバンド演奏再開からの間奏のギターソロも淡い。ハードロック気味な音色だけどもハードロックになり過ぎないラインをサーフしていく様は、楽曲に程良い新たな想像の余地とドライブ感を付け足して、最後のサビに楽曲を綺麗に繋げる。最後のサビのメロディも、ああ、そこを繰り返すのか、という構成が、楽曲の鮮やかさを一切濁らせずに進行していく感じがして、とても自然に感じる。

 サビ後のアウトロの長さが、シングル版とアルバム版で異なっている。アルバム版はシングル盤の半分に短く編集されている。でもここは、シングル盤くらいの長さがあった方が、より永遠感があって、演奏が終わった後の余韻の感じがより強く寂しく感じられる気がする。

 

歌詞的考察

 この曲がカルト的な人気があるのはきっと、上記のような淡く儚い疾走感とともに、このなんともファンタジックで比喩に富んで、そして破滅の雰囲気がどうしようもなく滲んだ歌詞を、草野マサムネのとても澄んだ声で歌うことに理由があるんだと思う。永遠に走っていくようなサウンドと、何らかの不穏さすらたたえた終わりの雰囲気との、美しいミスマッチ具合。

 歌い出しからして実に不穏。

冷えた僕の手が君の首すじに 咬みついてはじけた朝

どうしてこんな言い回しが思いつくのかも全然分からないけれど、初期スピッツ的には「氷」に類するものはネガティブ・ダークさの象徴、もっと言えば「死」に繋がるイメージで用いられてきていた。ここでの「僕の手」もまた、死が纏わり付いているような感じ。このヘビみたいな手が首筋に噛み付く、という、そこにはどうしても「絞殺」みたいなイメージが浮かんでしまうし、ついでになんかはじけてしまうし。

 でも、Aメロだけだとそんなダークさがつきまとうフレーズが多いのに対して、サビでは根底に同じダークさがあっても、どこか突き抜けたようなフレーズになっていて、これは曲展開とも非常に合致していて、この曲の総合的な完成度を思ってしまう。

 

君の青い車で海へ行こう

おいてきた何かを見に行こう

もう何も恐れないよ

そして輪廻の果てへ飛び降りよう

終わりなき夢に落ちて行こう

今 変わっていくよ

 

移動手段がやっぱり「君の車」であるところが初期スピッツ的でありながらも、しかしここで「車」という現実的で具体的な手段が出てくるあたりは、初期から変わってきているような感じもする。何にせよ「君と僕のドライブ」というロマンチックそうなシチュエーションの向かう先が「輪廻の果てへ飛び降りよう」「終わりなき夢に落ちて行こう」と、まるでガードレールを振り切って崖沿いの道から海へ飛び込んでいく展開なのは、破滅のイメージとしてとても鮮やかで眩しすぎる。心中のようでもあるけれど、1番の歌詞を見ると絞殺した後のようにも思えて、そうなるとこの歌詞の主人公の精神状態はどんなだろうか、と恐ろしくもあるような。ただ、その結果が「今変わっていく」というのもまた、今から死ぬのに変わっていくとは?という不思議さがあって、この歌詞の結論を「君と僕の死」と断定することをうまくぼやかしている。

 思うに、歌詞というのはそのストーリー自体を重視する向きもあるとは思うけれど、一方で「このメロディにこの語感でこの意味の単語がこういう繋がりで乗っかるのが楽しい・美しい」みたいな、その良さを理屈で説明しづらいような類の良さも確かにあって、個人的にはこの歌詞の意味を「心中」とかそういうのに断定したくない感じがある。この曲の歌詞を読んでいってこういうストーリーで…みたいなことを考えるより、この爽快感あふれるサウンドと高揚するメロディの中で「飛び降りよう」とか「落ちて行こう」といった言葉が流れていくその不思議さ・おかしさ・逆説的な雰囲気に、言いようのない清々しさを覚えることについて語りたい。ある種のネガティブさがあるからこそ得られるタイプの清々しさというか。

 上記スタンスのためこの曲の歌詞全てについて言及していくことはしないけれども、全編にわたるその言葉選び、音の響き具合と意味の込め具合・ぼかし具合の見事さはスピッツの長い歴史の中でも最上級のものがある。個人的には2番のサビの後半のフレーズの、気だるさ・どうにもならなさに愛しさを感じようとするところの意味としての美しさに強く惹かれる。

 

つまらない 宝物を眺めよう

偽物のかけらにキスしよう

今 変わっていくよ

  

スピッツ史における立ち位置

 変なテーマですけど。

 この曲のリアルタイムでの初出はシングル『空も飛べるはず』の次のシングルとして。一方で空を飛んでるのにその次の曲では飛び降りて落ちていく曲、というのがなんだか可笑しい。けれども、どっちかといえば浮遊することの方が多い(『ロビンソン』とか)スピッツのシングルにおいて、これだけ明確に落ちていく歌詞の曲はそれはそれで珍しい。スピッツにおける「浮遊」は、「心地よくなるための妄想」「二人の幸せの形態」「その後落ちること前提の幸せ」みたいなイメージが散見されるけれど、その点この曲の、はじめから落ちていくことを目的とした歌詞の構成は、妄想にしてもかなりドライな感じがあって、そこがかえってこの曲独特の爽やかさを生んでるのかと思う。

 『空の飛び方』期のシングルはどれも「移動」がテーマになってる部分があるけど、空を飛ぶ想像だったり、「君を奪って逃げる」だったりとどこかファンタジックな『空も飛べるはず』『スパイダー』と比べても、この曲の歌詞の情景・情感はとても冷めてる。その上で「今変わっていくよ」と高揚するのはやっぱりかなり気がおかしい状況で、この曲の独特の雰囲気を感じさせる。その冷めっぷりは初期スピッツ的だけど、でも曲がりなりにも「君と僕のドライブ」であるというのはとてもロマンチックな光景で、初期スピッツにはない情景に感じる。この曲に似たシチュエーションのスピッツの曲というのもそれほど見当たらない*2し、ひょっとするとスピッツの歴史の中でもかなり異物的な存在なのかもしれない、と思ったりする。だからかけがえがないんだけれど。

 なお、リアルタイムリリース時はオリコン27位と、前作『空も飛べるはず』の28位を僅かに更新し、スピッツのブレイクへの予兆をより明らかなものにした。

 

関連を感じたりする作品

 最後にこの項では『青い車』と関係がある、またはなんか似た雰囲気を感じたりするような作品を挙げ連ねてみます。あくまで筆者の主観に基づいてますので。

 

www.youtube.com 「海への寂しいドライブ」みたいな感覚をポップソングの世界で可憐に描き出したネオアコの名作がBen Wattのこの曲(や、この曲が入った同盟のアルバム)。こっちは涼しいか寒いかって具合の「北の海」で、スピッツの方は別に寒くはなさそうな海だけど、海をどことなく非現実的でファンタジックな別離の象徴のように描くこの曲の歌や演奏から来る情景を思うと、『青い車』のそれはこの曲のかなりねじくれた変奏のようにも思えたり。

 

www.youtube.com 上で書いたとおり、ギターカッティングのドライブ感はこの曲のようなThe Cureのポップな曲の雰囲気に似たものを感じる。もともとスピッツ自体The Cureからも大きな影響を受けているバンドで、「性と死」のテーマについても、The Cureも頻繁にそのような雰囲気が漂っている。海辺での死、というテーマであれば、彼らの最大級のヒットソング『Just Like Heaven』がまさにそんな歌だったり。こんなへんてこで悲しい歌、やっぱりThe Cureは偉大な先駆者。

 

www.youtube.com  海沿いをデッドエンド気味にサーフする楽曲の先人であるところの有名曲のひとつ。スピッツはまたPixiesからの影響も確実にあるバンドなので、この曲が『青い車』に与えた影響は小さくない気がしてる。サーフなドライブ感のあるギター、くぐもった陽性のコード感、そして歌詞。「Drive my car into the ocean」とあり、こっちは自分の車で海に飛び込むんだ…とか思った。そのあとのラインで「You think I'm dead, but I sail away」(君は僕が死んだと思ったけど、あれは船出なんだ)というラインの発想を発展させたのが「今 変わっていくよ」の歌詞なのかなあとか今回はじめて思い当たった。

 

 

www.youtube.com RIDEはシューゲイザーをギターロック・パワーポップと接続することにその当初から成功していたという点でギターロック史に永遠に残るバンドだと思うけども、スピッツもまた初期の頃は「和製ライド」「ライド歌謡」と自称するくらいにRIDEのサウンドを志向していたところがある。シューゲイズ的な音の壁を滑らかにサーフするサウンドに直接取り入れるというのは発明だったんだと思う。『青い車』リリース時点ではRIDEはシューゲイザーから距離が離れていたけども。スピッツは『青い車』にてシューゲイズ要素の日本のメジャーシーンとの接続の仕方(ライド歌謡としてのあり方)を完全に掌握した感じがある。

 

 

青い車 (CUE COMICS)

青い車 (CUE COMICS)

 

 この曲から一番直球な影響を受けた作品はこの漫画になるのかと。正直この人の漫画はいまだにこの本しか持ってない。

 今読み返すと、曲の『青い車』のドライさを抜き出して、小沢健二のドライさと接続したような情緒があるのかも。実際にこの漫画に出てくる車が青いのかは白黒のページでよくわからないけども。でも海は出てくる。海辺って鮮やかさと呆気なさが美しく両立する地点だなって、この曲とかこの漫画とかからそう思うようになったのかも。

 

 

www.youtube.com スピッツのカバーアルバムではゲントウキというバンドにカバーされていた。カフェミュージック的なカバーで、原曲のライド歌謡な感じとは大きく趣を異にする。このアレンジで聴かすには歌詞のイマジナリーな幼さと危うさが釣り合っていない感じがするけども仕方がない。でもミドルエイトの部分はこのアレンジが妙にしっくり来る。オシャレ音楽が幻想的な雰囲気と合わさって行こうって時期はこの頃とか確かにあった気がする。このバンドまだやってるのかなと調べたらまだやってて、最新作は2016年作のアルバム『誕生日』とのこと。

 

 

 ART-SCHOOLは日本のバンドでもとりわけスピッツの「性と死」の部分に影響を受けたバンドで、かつスピッツの「シューゲイザーを通過したギターポップ」の技法についても積極的に挑戦しているところがある。この曲はその中でもとりわけ『青い車』の成分を多めに感じる。淡いドライブ感、海の出てくる寂しげな情景。たまたまなのかこっちの歌詞にも「冷えた手」という単語が出てきたりする。

 

 

 「淡いサーフ間のあるギターポップ」としての性質を素晴らしいレベルで引き継いでいるのがミツメのこの曲だと思う。ミツメ自体スピッツのフォローワー的側面があるけど、この曲はよりギターロック・オルタナに寄った『青い車』みたいな情緒があって、別に歌詞に海の要素はないのだけれど、不思議と海辺の情緒が漂ってる気がする。ジャケットが浜辺だしそれでかな。現実的な海が少し非現実味を帯びる、くらいの感覚があると『青い車』っぽさが出てくるような気がする。

 

 

  ここで取り上げること自体に少々のネタバレ感はあるけども、ある意味ではこの漫画も「親しい人の死にまつわる海に行く話」ということで『青い車』と共通する雰囲気がある。移動手段は車ではなかったけれども。『青い車』の情景がよく似合う感じの海ってこの漫画に出てくるような感じの海だよね…!っていうのは強く思った。別に優しくもないのに無意味に優しいような感じがするものな海って。

 

 

おわりに

 ようやくこの曲について書けました。2回くらい書き直して、ようやく、って感じです。この曲が自分の中ですごく意味がある曲になってたんだなあと思いました。私ごとをいくつか言えば、この曲のタイトルが「青い車」であることによって自分の色の好みが左右されたところは確実にあるだろうなって思ってて、実際車を買うときも青色以外は考えられなかったし、それで買った青い車で海にふらっと行くときにこの曲を流すと、まあ、いいなってなるわけです。寂しいところの海がよく合います。郊外や田舎に行きましょう。その地の名産のものとかよりもコンビニで雑にご飯を買ったりした方が雰囲気出ます(笑)

 また、筆者のハンドルネームはずっと前に岡崎京子よしもとよしともでパパッと決めたものだったんですが*3、上記のとおりよしもとよしとも氏の漫画は『青い車』しか持ってない訳で、そういう意味でもこの曲の存在は自分のアイデンティティの一部になってしまったんだなあと、変な考え方をしてしまいます。

 

 スピッツの大名曲『青い車』についてでした。やっぱりこの曲はスピッツの数ある名曲の中でも格別な存在だと思いました。情緒的なあり方とかも含めて、孤高というか、孤立しているというか、少しキャリアの中で浮いてさえいるかもというか。歌詞的にはむしろ沈んでいく曲なのに。

 ようやくこれが書けたので、スピッツの全曲レビューをぼちぼち再開していきます。次は彼ら最大のヒット作『ハチミツ』なので、また色々と書くのが大変そうですけど、拙いながらも頑張ってみます。

 あと、ブログ更新休んでる間にこのブログ20万PVに到達してました。こんなどうしようも無いのを見に来ていただいてる皆様本当にありがとうございます。この春に福岡市の海にほど近い具合のいい場所に引っ越したので、今後も海辺のドライブとか適当にしながらもほどほどに頑張ってまいります。コロナウイルスとかで世の中途方もなく大変ですが、これを読んでる人も読んでない人も、せめて健やかに過ごせればと祈っておりますし自分も健やかに過ごせるよう気をつけてまいります。

*1:前にも書きましたが、他は『日なたの窓に憧れて』(カップリング:『コスモス』)及び『楓/スピカ』です

*2:『死神の岬へ』は車での君と僕の移動というテーマが共通している。ただ、あっちを心中の歌と断定するのは『青い車』をそう言い切るの以上に難しい気もするしむしろあの歌については心中じゃないってした方が曲のファンタジックさがかえって増していい感じだと思うんです。

*3:今思うと少し恥ずかしいので変えたい気もするけどもう今更な感じがします