今年2020年はGeorge Harrisonの1stアルバム『All Things Must Pass』がリリースされて50周年の年とのことで、曲の方の『All Things Must Pass』の2020年mixがリリースされています。
www.youtube.com傘なんか持ってたっけ?色々と差し替えられがちなジャケットだ。名盤なのに。
それとは別に、フォークロック〜カントリーロック経由のオルタナティブロック/インディーロックを考えていく時に、George Harrisonの楽曲はどこか避けて通れない部分があるというか、そもそもインディーロックをやってる人は大体George Harrisonが好きだし、これはどういうことだろう…とずっと思ってました。
そこで今回は、George Harrisonという一人のシンガーソングライターについて、彼がSSWとしてリリースした10枚のアルバムについてそれぞれレビューして、色々とその特徴とか強いクセとかを改めて考えてみたりしつつ、あと自分で作った20曲のプレイリストに沿って各曲をレビューしてみる、という感じの記事です。
はじめに:「ジョージのソロ」ではなく1人のSSWとして
あえて序文では「The Beatles」という語を一言も出しませんでした。
おそらく彼は、一人のSSWとしてよりもThe Beatlesのギタリストとしての方が、世界的にもこの日本という国においても有名なんだろうと思います。だってあのビートルズですよ、それは仕方がない…。
George Harrisonはソロになる前も楽曲を書いていて、The Beatlesの3番目のソングライターであったことは間違いないです。ただ、John LennonとPaul McCartneyという二人の大いに主張の強いソングライターに比べるとかなりその活躍の場が狭い状況であったのは間違いなく、1枚のアルバムでもGeorge曲は2曲まで、みたいな暗黙の了解があっていたような感じです。
それでも楽曲を発表し続け、次第にJohnとPaulのどちらとも違う「George曲ならではの特徴」が現れ始めます。それは時に変なメロディとして、時に妙なアレンジとして、時にインドな楽曲として、他の二人と確実に「何かが違う」作風が存在する、そういう状況を徐々にだけど増やしていました。特にThe Beatles後期には自信を付けた彼はいよいよThe Beatlesの「アルバム1枚につき2曲」の枠には到底収まらないほどの楽曲を書き溜め、その中からThe Beatlesの実質ラストアルバム『Abbey Road』用に提出された2曲『Something』と『Here Comes The Sun』は後期The Beatlesの代表曲に数えられるほどの傑作となり、ここで遂に彼はJohnやPaulと肩を並べるソングライターになりました*1。
そんな中で1970年にThe Beatlesが解散、そういったやむを得ない状況の中でメンバー各自の「ソロ活動」が始まっていく訳ですが、ここで(事前にソロ作の準備を済ませていたPaulを除いて)いの一番にもの凄い超大作を同じ年のうちにリリースしたのが、あのThe Beatlesで発表できなかったストックを死ぬほど沢山持っていた男…という具合に、George Harrisonというシンガーソングライターが誕生する、という歴史的経緯です。
George Harrison好きにはある程度系統があると思います。The Beatlesの中で曲を書いたりギターを弾いたりインドしたりする彼が好きな系統と、「ソロ」以降の彼の作品こそが好きな系統と。別にどっちも好きって人もたくさんいるとは思いますが、でも前者だけ好きで「ソロ」以降はあまり聴かない、という人も少なくはないんじゃないかなあとか思ったりすることがあります。後者だけ好きで前者は全然、という人は少ないかもしれない…。
ただ、「The Beatlesのジョージ」を意識した上で「George Harrisonソロ」としての作品をいくつか聴いてると、段々不思議な疑問が持ち上がってきます。「この人、本当にギタリストだったの…?」とか、「なんか曲がナチュラルにキモい…」とか、「この音楽、本当にThe Beatlesにいた人が作ってるの…?」とか。
でも、そういう疑問はGeorge Harrisonが一人のそういうシンガーソングライターなんだと思えば、案外腑に落ちるところかもしれません。そして、そう思えるようになれば、The Beatles時代に残した僅か20数曲よりも遥かに多い、アルバム10枚+αという量の、一人のSSWとしてなかなか豊かなディスコグラフィが現出するのです。
今回はそういう目標の下、たとえばBob DylanとかNeil YoungとかJames TaylerとかNick Drakeとか、そういう往年のSSWと同列にGeorge Harrisonというユニークで深遠なるシンガーソングライターのヘンテコさに満ちた魅力について、できる限り考えてみたい、という記事です。
各アルバムレビュー
「最近さあ、このブログ本題に入る前の能書きがウダウダ長すぎねえ…?」って自分でもふと思ったので、今回はいきなり、George Harrisonというもはや一人のSSWとなった人物が、その独特のSSW性を次々に発揮していく各アルバムをレビューしていきます。年代順です。なお各ジャケットは該当アルバムへのSpotifyリンクになってます。
1. All Things Must Pass(1970年)
彼のSSWとしてのデビュー作…というよりか、The Beatles時代に書き溜めまくったけどバンド内パワーバランスの関係で発表できなかった楽曲を一斉に放出し、そして演奏をスワンプロック風に、プロダクションをPhil Spectorによるウォール・オブ・サウンド式に仕上げた作品。スワンプロックとPhil Spectorという2つの語が並ぶのはきっとこの作品くらいだろう。
書き溜められたストックから今作で放出された楽曲は実に16曲!更にカバー2曲を加えたLP2枚分に加えてさらに録音メンバーによるジャムセッションを収録した1枚を足したLP3枚組という、ソロアーティストで普通にリリースされるサイズとしてありえない物量でリリースされた。それでもヒットシングルの効果などもあって、本国イギリスでもアメリカでもチャート1位になるなど、彼のSSWキャリアで最大の成功作となった。
レコーディングメンバーも豪華で、元同僚のRingo Starrから、Georgeの親友でもあるEric Claptonを中心としたDerek & the DominosやらThe Beatles晩年に彼が引き入れてから後年まで関係が続いていくBilly Prestonやら何やらといった多彩なゲストが参加している。書き溜めたとっておきの楽曲をそんなメンバーによる演奏によって録音しそれをPhil Spectorがミキシング等する、という、最早お祭り状態のようにも思えるゴージャスさ。このゴージャスさがその分今作のSSWっぽさをやや下げてる感じはする。
楽曲の水準は非常に高いけど、これらはいくつかのタイプに分けられると思う。まず、①The Beatlesでも余裕で発表できそうな堂々たるポップな楽曲、②ゴージャスなバンドにより演奏を盛り倒した楽曲。この辺は今作ならではと言った雰囲気か。そして、③カントリーロック調の楽曲、④AOR感のある楽曲。この2つの系統は①②にクラベルト地味だけど、しかしこの後彼がSSWとして進んでいく際の重要な方向性になっていく。
ということで、てんこ盛りのアルバムなので、ひとつの作品としては「ひたすら充実しまくってる」以外の感想が湧きにくい感じも覚えるところ。たとえば③と④のタイプの楽曲だけを抜き出して聴いてみると、とても理想的なSSW作品が誕生する。その際に不思議になるのが、とても「らしい」具合のアーシーな演奏なのに、音全体が薄い膜が張ったようなリバーブの中にあること。これはPhil Spectorプロデュースによる効果に違いなく、これによる通常のカントリーロックから異化された雰囲気は、かなり長い間今作特有のものだったに違いない。当然彼の他の作品でも味わえない。
楽曲としては、No.1ヒットシングル『My Sweet Load』の落ち着いたキャッチーさ、『What Is Life』の運動会かよ?みたいな楽器陣のはしゃぎ倒した演奏とポップさ、何故か今の所最新のベスト盤のタイトルになったファンタジックなポップさの『Ballad of Sir Frankie Crisp (Let It Roll)』、素晴らしいバラード『Isn't It A Pity』『All Things Must Pass』辺りを先頭に実に高水準で、単純な楽曲の質なら今作がトップかもしれない。Bob Dylanのカバー『If Not For You』等で特に感じられる、通常のカントリーロックではあり得なさそうな類の透明感はPhil Spectorの存在を強く感じ、独特の美しさがある*2。
ボリュームのことから、彼のソロを聴き始めるのにこれが向いてるかはよく分からない気もするけど、でも結局は、ここに収録された多数の素晴らしい楽曲を無視して彼の作品を聴いていくことなんかできないから、早い段階で聴いても良いものだと思う。次作以降どんどん濃くなっていく「…なんかこいつ変だぞ!」な感じが割と薄いので、そういう部分も聴きやすいかもしれない。
2. Living In The Material World(1973年)
この辺から「The Beatlesの続き」ではなく「SSWとしてのGeorge Harrison」という空気がいよいよ色濃くなってくる気がするソロ2nd。今回のこの記事のために各作品を聴いてて「もしかしたらこれが1番好きかもしれん…」とか思い始めた。
元々は本作もPhil Spectorにプロデュースを頼むつもりだったのが、おそらくPhil本人がお薬とかでダメになっていきつつあったからか何かで、結局セルフプロデュースすることになった。こんな経緯によって、ここでようやくお祭り騒ぎじゃない、ジョージ作品的なバンドサウンドの感じが大きく定まった。演奏陣も前作よりずっと少なく、特に、後年までずっと共演していくドラマーJim Keltnerとの初のスタジオ音源での共演や、またギター関係を全部George本人が担当してることが非常に大きい。今作から後の作品では多くの、作品によっては殆どのギターを彼自身が録音するようになり、これが彼の作品のSSWっぽさを地味にあげてる要因かもしれない。特に自身でトレードマークに位置付けたスライドギターは今作以降の音数が落ち着いた作品でよく映える。
そんな体制でもって、前作からバングラデシュコンサートを挟んでの2年越しの作品ということで、プロダクションはシンプルでも楽曲は充実していて、より彼の作曲のクセが表出した出来となっている。このアルバムこそGeorge作品の標準、と言いたくなるようなプレーンなメロディや、奇妙なフックのマイナー調や、謎な抑揚を見せるバラードといった楽曲が揃い、それらの向こうにGeorge特有の「神」に対する信仰がより色濃く垣間見える*3、といった作品。冒頭に収められたNo.1ヒットシングルにも導かれて、本作もビルボード等で1位を記録した。こんな変なアルバムなのに…!
特にバラードの、バラードの雰囲気はあるんだけどよく聞くとメロディ構成が変すぎる…メロディのヌケ方がおかしい…みたいな事態が発生し始めるのが今作から。『The Light That Has Lighted The World』にしても『Who Can See It』にしても『That Is All』にしても、1970年代的なしっとりバラードなアレンジだけどもメロディの置き方は不思議な間合いがあって、実にGeorge Harrison。さらに『Be Here Now』に至ってはバックの持続音のインド要素によっていよいよ宗教的な静謐さをたたえていて、The Beatlesからのインド音楽を遂に西洋的な音楽に直結しだした具合。インド要素はタイトル曲にも溢れ出してて、こっちは一番スワンプなルーズな狂騒感でインドなセクションをサンドイッチした構成なのが最早笑えるし極端なアクセントで効果的でもある。マイナー調2曲もアルバム内で良いアクセントになっていて、曲順も良い。このアルバムが実は一番素晴らしいのでは。
3. Dark Horse(1974年)
ジャケットの時点で「うわキツ…」ってアルバム。ここまで宗教色全開となると普通に引いちゃう。こんな作品に自分の作ったレーベルの名前を冠して*4、よりなんというか、独壇場というか、不思議な磁場の中にいるというか。
ただその反面、そのレーベル立ち上げのことや人生で1回のみとなった全米ツアー、更に『My Sweet Load』に対する盗作問題*5や親友と思ってたEric Claptonと当時の妻との間の不倫問題など、様々な問題によって音楽以外のことで多忙になり、今作のレコーディングも予定より遅れ、ツアーが始まり、そして酷い声の状態で録音に臨まないといけない状況になったりと散々な状況でどうにか完成・リリースまで漕ぎ着けた、難儀な作品でもある。
録音自体はツアーバンド含む多くのメンバーで行われており、冒頭にはツアーで〜す!って感じのインストの楽曲も収録されている。しかしその後は当時のしんどさを反映した楽曲が続いたり、シングルとして出された『Ding Dong, Ding Dong』が家のドアのチャイムに影響受けて作られてたりとネタ切れ感もあり、中々にしんどい状況を感じさせる。カントリー&ウエスタン風味と不思議な浮遊感が合わさった佳曲のタイトル曲は一番声が酷い状態で、実に勿体なく感じる。しかし、歌謡曲的なコブシの効き方をした『Simply Shady』やRon Woodとの共作でソウル・AORテイストが濃く出た『Far East Man』など、アダルティックな志向の楽曲については今作から本格的に進行していくように思える。また自身の悲しみを変な構成や拍子の数え方でポップソングに昇華した『So Sad』辺りは彼の奇妙さと隣り合わせのポップセンスが不思議な形で出てる。
正直、色々と聴いてて苦しくなってくるアルバムではある。状態の悪い声を誤魔化すためのダビングやエフェクトも多く、またミックスも他の作品に比べてローファイで荒い感じがする。楽曲の方向性もあまり定まってる風でなく、というかそんな余裕が無かったんだろうと本当に思う。でも、今作の特にAORな要素は次作に引き継がれて、より深められていくところ。惜しいところもいろいろあるアルバムだと思う。
4. Extra Texture(1975年)
彼のアルバムでも特にそっけないジャケットのアルバム。そして、英語で「号外!号外!」と言うのを「Extra! Extra!」と言うことから取られた、と言われるけどもむしろ「ほら、残りの素材だよ」って感じの素っ気なさを感じさせる。前作で契約の関係で離れられなかったアップルレコーズからの最後のリリース、という状況、特にレコード面に「芯だけ残った林檎」が描かれたことなどからも、レーベルとの確執に起因してそうな類の素っ気なさを感じたりもする。そして邦題が『ジョージ・ハリスン帝国』という謎タイトルにされ、各楽曲タイトルも変なノリの邦題が付けられた*6、謎なアルバム。
やはり当時の彼を取り巻く状況はしんどくて、前作の重苦しい部分を今作も引き継いでいる*7。というか、前作でしんどさを感じれた要素を深めたのが今作、と言って良さそうなほど、大人っぽい苦渋の感じと、そしてより歌謡曲感の増したアレンジとがふんだんに詰め込まれた、AOR色の強い作品。その歌謡曲性を音楽的に言うならば、おそらくストリングス等やキーボード類の多用と、スローなテンポの楽曲が多いことが合わさった結果かと思う。特に、当時そこまで有名でなかったDavid Fosterを招き、キーボードやストリングスアレンジを委ねたことは大きい。その後多数の大物歌手のプロデュースで成功する彼のセンスは、今作以降Georgeが彼を多用したことで鍛えられた部分も大きいのかもしれない。しれないけど、その分今作の辛気臭めな楽曲をとっても辛気臭い歌謡曲サウンドに仕上げてもいる*8。
だけど、慣れてくるとその過剰に歌謡曲めいたアダルティックな楽曲の数々も、これはこれで悪くない感じに聞こえてくる。前作と違い、作品のトーンはこの方向性でしっかりと調整されており、宗教的要素も見当たらず、楽曲も渋みに溢れたものが多数配置されている。逆にヒットソングになりそうな軽快な曲を出すのにGeorgeが苦労し、過去に録音してたトラックを引っ張り出して『You』を作ったりしてて、その辺は痛々しい。『Ooh Baby』は彼が敬愛するSmokey Robinsonの感じをイメージした楽曲で、メロウなソウルテイストが色濃い、実にAORな雰囲気の楽曲。揺らぐエレピやさざ波のようなホーンなど、この時点でいかにもな雰囲気が完成してるのは注目できる。また、『World Of Stone』の実に歌謡曲的なノリから苦味汁出まくりなバンドサウンドと遠くのコーラスが出てくるパートに変化する辺りは不思議な取り合わせを感じる。後半の『Can't Stop Thinking About You』も実に正統派バラードで、このクサさ自体が魅力に思えてくる。とはいえ、この後2曲はそれまでよりもかなりひねくれていて、そここそ今作の聴きどころだと思ってしまったりもする。
この、日本人の自分が「うわっ歌謡曲くっせー!」って思ってしまうこの感じを、欧米の人はどんな具合に捉えるんだろう。しかし、歌謡曲をレアグルーヴ目線で見る潮流とか昨今のAORも大アリなシティポップ再評価ブームを思うと、今一番再評価ののりしろが大きいのは、もしかしたらこのアルバムなのかもしれない。
5. Thirty-Three & 1/3(1976年)
何気に『Living In The Material World』からここまで毎年アルバムをリリースし続けてた当時のGeorge Harrisonって、この感ずっとしんどい問題を抱え続けてきてるのにタフだなあ…と思う。で、そのタフさが遂にブレイクスルーを迎えるのが今作。ようやくアップルレコーズとの契約が切れて、晴れて自分のダークホースレーベルから自作をリリースできるようになって、その1発目ということで、とりわけ力が入ってるようにも感じられる作品。ジャケットが何を意図してるかは全然分からんけど。アルバムタイトルはレコードの1分間の回転数と、当時の彼が33歳と3分の1程度の年齢だったことを引っ掛けたもの。
作品としては、今できることをなんでもやってしまえモードで様々な楽曲が書かれ、かつ元来の賞金なポップセンスやユーモアも帰ってきてる、エネルギッシュで、まさに暗くて重苦しかった前2作からのブレイクスルー感に満ち溢れた快作。訴訟まで発展した盗作問題も自分の敗訴という形とはいえケリを付け、後に新たな妻となる女性との関係も良好で、そして自分のレーベルからようやく自分のレコード出せるようになったこと*9で全能感が溢れ出まくったのか、「僕の人生はバラ色に変わったー!」状態なのか、今作のGeorgeは総じてテンションが高い。もしかしたら彼の作品で1番躁状態なのはこれかもしれない。
冒頭の『Woman Don't You Cry For Me』から非常にテンション高くベースをゴリゴリいわすファンクチューンで、元はThe Beatlesの頃からあった曲というのが嘘のようなこの時期ならではの躍動感を放っている。その後ソフト目な楽曲が2つ続くけど、この辺のソフトさの加減も実にGeorge Harrison的な不思議さに満ちてる。1970年代式ソフトロックとして『Dear One』は素晴らしい。盗作問題をネタにした『This Song』は最早このこんがらがった問題でどうはしゃぎ倒してやろうか、というぶっ壊れたユーモアセンスで突っ走る怪曲。そこから3曲、明るい曲調とGeorge節のプレーンなポップさが響いていって、この辺の曲調がやっぱり彼の作風の基礎部分かなあとか思ったりする。AOR要素もしっかり回収しつつ、シングルとしてもある程度ヒットした『Crackerbox Palace』はまさにそういう基礎部分を伸び伸びとリゾート心地に調理したポップでリラックスした名曲。
曲調は色々あるけど不思議と「間違いなくこれはThe Beatlesの残響ではなく、一人のSSW・George Harrisonの作品」という具合に感じれる。これは彼のソロキャリアが深まって熟成したことと、何よりも1970年代半ばのリッチなプロダクションを十全に「彼らしいサウンド」に落とし込めてることが大きい。彼のアルバムでも5本の指に全然入るタイプの名盤。
なお、2004年の再発時にはボーナストラックとして、何故か後述の『Somewhere In England』で差し替えられてボツになった曲『Tears Of The World』が、全然時期の違うこの作品に収録された。曲調的にも場違いだし、マジで意味がわからん…。
6. George Harrison(1979年)
なぜか1970年代っぽさを強く感じるジャケット。ソフト系SSWのジャケット〜って感じがする。果たして、セルフタイトルとなった今作自体がまさに、彼の数ある作品でも随一のソフトさを誇る、AOR経由のソフトロックの彼なりの到達地点と言えそうな作品に仕上がっている。むしろ所謂ロック的な音楽性から一番遠いアルバムかもしれない。でもそんな作品に彼は自身の名前を付した。あと邦題の『慈愛の輝き』はまた邦題の邦題たる感じが出てるようにも思えるけど、これは日本ではかつて『All Things Must Pass』を『ジョージ・ハリスン』という邦題で流通させてたため、別タイトルにする必要に迫られてのことらしい。でもこの邦題は作品に合ってて悪くないと思う。少なくとも『ジョージ・ハリスン帝国』よりかは。
この時期は1976年という難局をハイテンションで駆け抜けて、新たな奥さんとの楽しい暮らしが始まり、また趣味となったカーレース鑑賞や副業で始めた映画製作に没頭した結果、彼は一時的に音楽の世界から離れていた。しかし友人のレーサーに諭されてアルバム製作に向かい、出来上がったのが今作。
そういった私生活の充実を反映してか、上記のような特徴を示す楽曲でほぼ占められている。サウンドの淡さゆえにマイナーコードもかなり暗さのぼやけた響きで用いられ、爽やかな抜けとは異なる、柔らかくも奥深い森のような雰囲気がある。冒頭の『Love Comes to Everyone』からして、繊細に敷き詰められたギターとGeorge的な奥行きを見せるコード進行で、彼独自のAOR的な耽美の世界観を作り上げている。The Beatlesのホワイトアルバム期の楽曲『Not Guilty』*10もここでは実にウェットでジャジーなAORに生まれ変わっている。タイトルからして『Here Comes the Sun』との関連が考えられる『Here Comes the Moon』もまた実に今作の作風を代表するアダルティックに陰った上品なAORポップで、彼特有のディミニッシュコードも出てくる。彼の新しい妻について歌った『Dark Sweet Lady』はよりジャジーなトーンで統一された優しい楽曲で、ここまで来るとボサノバ的要素が強く感じられてくる。一方『Soft Touch』ではトロピカルな感覚も顔を見せる。
上記のようなAORな雰囲気が繰り広げられる中で、彼の作風の基本たる爽やかに駆け抜けていくポップソングもいくつか含まれていて、AORと掛け合わされた展開をする『Blow Away』や、アルバム最後にまさにこの方面の典型を示す爽やかで晴れやかな『If You Believe』が収録されている。作中一番アップテンポな『Faster』は彼のカーレース好きによって生まれた楽曲で、1stの『What Is Life』とも繋がるポップさを示している。
時代はパンクやポストパンク、又はディスコ等の音楽が流行する時代にあって、本作の佇まいはリアルタイムで広く受け入れられたとは言い難いけれど、しかし当時として本人も確実に今作に自信を持っていて、後年の評価も高い。「こういうトーンで今回はやり切るんだ」という意思が強く感じられるところが、その力強い背景だと思われる。そしてしっかりとやりきった、セルフタイトルに相応しい、セルフタイトルのアルバムの傑作のひとつとして、この作品は存在し続ける。
7. Somewhere In England(1981年)
イングランドと融合してしまったGeorgeの真面目そうな顔が何ともシュールなジャケだけども、リリース当時はこのジャケットじゃなかった。解説が面倒臭いアルバムが来てしまった。
1980年、彼はアルバムを制作していた。完成した。そしたらレーベルから「地味。もっとポップな曲を入れてまた持ってきて」とリリースを拒絶され、結果元の収録曲4曲もボツにして新しい「よりポップな曲4曲」を入れて曲順も全然変わってしまった、というグチャグチャな経緯を持つアルバム。ジャケットもどこまで本気なのか訳分からん上のジャケットから以下の地味なジャケットに変更されてしまった。こんなその辺で撮ったみたいな写真よりも絶対上の方が良かったやろ…。
このアルバムの評価が実に難しいのは、差替で消えてしまった4曲がどれも優れていて、でも差替で追加された4曲も優れててかつきちんと「よりポップでキャッチー」であること。この差替によって音楽業界でやっていくやる気を大きく削がれ彼の80年代の音楽活動が大きく後退してしまったのは非常にマイナスだけど、でもこの当時のワーナー社長直々と言われる差替指示がなければあれら4曲は出てこなかったかもしれないのか…と思うと複雑な気持ちになる。
差替後の曲の中でも『All Those Years Ago』は、上記の屈辱の差し替え曲レコーディング中にあろうことか、あのJohn Lennon殺人事件が起こってしまい、その失意の中で元々Ringo Starrに提供予定だった楽曲を歌詞等書き直して追悼曲としたもの。また差替後冒頭の『Blood From A Clone』はスカのリズム、今で言う4つ打ちのリズムを取り上げた、不思議とニューウェーブみも感じられる楽曲。曲構成がソリッドだからなのか。間奏等でのリズムの崩し方も面白い。『That Which I Have Lost』も彼のカントリーテイストとトロピカル趣味とが融合した不思議な雰囲気のポップな楽曲。『Teardrops』は流石にポップにしようとしすぎて恥ずかしい感じになってる気はする特にイントロ。
差替後の楽曲と比べれば確かに地味な差替前の4曲は、この後シングルのカップリングや本の付録といった形で再利用された。うち3曲が、フォーキーで中庸的な典型的George Harrisonな曲であったことは、今作の印象を大きく変えることとなったと思う。とりわけ『Lay His Head』は実にこじんまりとしたポップさのささやか具合が本当にGeorge Harrison大本命!って感じの隠れすぎた名曲。Spotifyで聴けん…。
差替前後両方で収録された楽曲のうち2曲はHoagy Carmichaelのカバー。この2曲とボツ曲の『Tears of The World』はマイナー調がドギツい日本の歌謡曲みたいな感じになってる。正直この2曲を外してボツ4曲のうちせめて2曲を入れて欲しかった…。しかし他の曲は佳曲揃いで、特に後述する『Life Itself』と前作の続編のようなトロピカルでジェントルなAORさにインド楽器も絡まる『Writing's On The Wall』は名曲。また差替の前でも後でも最終曲の『Save The World』がまた歌詞のメッセージ性の割にスカだったりレゲエだったりのリズムの要素も入った楽しげな曲。
今作は本当に評価が難しいアルバムで、急な差替によってアルバムの流れが破壊された、と熱心なファンの方々が評しているのをよく見かけるけど、自分は差替後もこれはこれで別に曲順のぎこちなさを感じないから、それはただ自分が無神経なだけじゃなかろうか…などと不安の種になったりもする。その上で言うなら、楽曲の方向性がいろんな方向向いてる、という点で言えば「少しテンションの落ち着いた『Thirty-Three & 1/3』」みたいな印象を覚える。差替前を通しで聴くと「変な歌謡曲も混じったよりフォーキーな『George Harrison』」という印象で、甲乙付け難い。
余談として、歴史的経緯を無視すれば個人的には、差替の前後合わせてこんな選曲だったら他の彼の傑作にも負けない名作になったのでは…などと思ったりする。
1. All Those Years Ago
2. Sat Singing
3. Lay His Head
4. Unconsciousness Rules
5. Writing's on the Wall
6. Blood From A Clone
7. Life Itself
9. Flying Hour
10. Save the World
8. Gone Troppo(1982年)
「非道な音楽業界にスネてリゾートに勤しむGeorge Harrison」って感じのポップさや退屈さの詰まったアルバム。このジャケットは本当にアルバムの雰囲気が出てて、この全然ふやけきったトロピカルさがまさに音楽もそんな感じ!といった具合。
彼は当時のコンテンポラリーな音楽に対する興味を殆ど持っておらず、むしろ嫌悪してる節すらある状態で、その上で上記アルバムにおける苦々しい差替事件、そして更におぞましいJohn Lennon殺害の件などもあって、音楽に対してまた消極的になってしまう。今作リリースの後は音楽から離れ、趣味や子育てに没頭する日々をしばらく過ごすこととなる。そんな状況の割に今作のリリースは前作からそんなに間が空いてないけども。
冒頭の意外ときちんと80年代ポップスしてる『Wake Up My Love』や最後に置かれたThe Beatles時代のアウトトラックをAOR的なアレンジでシックに復刻した『Circles』を除くと、今作のトーンは実にリゾート感のあるポップソングで統一されていて、楽曲のメロディもアレンジもそんな雰囲気作りに向かって構成されている。そして、そのような方向に対してしっかりと作曲もアレンジも行われており、決して無気力で適当な楽曲が収録されているわけではないのがポイント。特に、George Harrison的な少しフワフワしたフォーキーさやアーシーさのあるソングライティングやトレードマークのスライドギターはリゾート音楽と非常に相性が良く、George式の中庸なポップソングが今作は実に充実している。
2曲目『That's the Way It Goes』からまさにGeorgeポップスの基本形のような雰囲気が充満している。他の曲にも言えるけど、なんだかんだで少し使用される1980年代式のシンセがアレンジの中でいいアクセントになってる。カバーの『I Really Love You』はなぜか急にThe Beach Boysのパロディみたいなアレンジで、不思議と同じようなことを大瀧詠一がする際のアレンジと似たユーモラスさがある。ほぼインスト的な『Greece』のゆだるような雰囲気とシンセの冷やりとした使い方はちょっとチルい感じもする。タイトル曲のタイトルコールする部分はまさにリゾートミュージック、って感じで、それっぽいパーカッション類共々これはこれで楽しい。今作式なマイルドさを纏ったバラードの『Baby Don't Run Away』も、シンセやコーラスワークの使用の仕方が不思議な奥行きを出していて面白い。『Dream Away』のハワイ感あるのにちょっと情熱的で寂しげな感じもあるメロディもいい。
確かに歴史的な位置付けを思うと評価が難しくなるアルバムだけど、そんなもの放り出して純粋に「Georgeらしさの出たGeorge印のポップソングが沢山収録された作品」としてこの作品を楽しんでいきたい。
9. Cloud Nine(1987年)
1980年代的なダサさがモロに出てしまったジャケット。これだけは流石にどうかと思う…けど作品としては彼の1980年代の代表作となるんであろう充実作。セールス的にも彼の3曲だけのNo.1ヒットのひとつを含み、アルバムも彼自身含む積極的なプロモーションが行われ、来日ツアーにまで繋がるほど、彼に音楽におけるアクティブさを取り戻させることのできた作品。
今作が生まれた重要な経緯として元ELOのJeff Lynneの存在が非常に大きい。George自身が制作総指揮を務め自身の映画レーベルからリリースした映画・上海サプライズ(大抵の場合クソ映画とされている)において共演したJeffと意気投合し、The BeatlesマニアでもあったJeffとの共同制作にて制作された今作は、George的な良さや渋さをJeffとのコラボで見つめ直しつつ、1980年代サウンドも使いこなして制作されたアクティブな作品となっている。The Beatlesオマージュな曲やポップなロックンロールも含みつつ、ややAOR風味なところで纏められているのは時代的なところも感じさせる。
冒頭の『Cloud 9』はムーディーなブルーズ楽曲。1980年代的なリッチさを感じさせつつも、冒頭に作中1番重く渋い曲が来るのは意外な展開。シンセが分厚くギターやドラムの音も1980年代的な『That's What It Takes』はより1980年代ポップス然としたツルッとした音作りやコーラスのくっつき方が、しかし意外とここまでコテコテに1980年代風味な彼の曲もないので興味深い。George的なポップさがストレートに表現された『This is Love』は後にシングルカットされる。アルバム後半はよりポップでロックンロールな面がよく出てきて、『Devil's Radio』や『Wreck Of The Hesperus』はこれまでもあった彼のソロのロックンロールな側面を程良く整理してストレートに楽しく響く。バラードもピアノ系・AOR系・オリエンタルと揃っていて、そしてアルバム最後はエンタテイメント性を尽くした名カバーにしてNo.1ヒット曲『Got My Mind Set On You』のひたすら楽しげでゴージャスでキャッチーなで雰囲気で華やかに締める。
曲の幅の広さは彼の作品でも随一。彼の作品でも突出した1980年代臭の強いプロダクションのことや彼特有に捻くれた節回しにやや乏しいきらいはあるけれど、それでも各楽曲の充実具合やアレンジの細やかさは、充実策と呼ぶに相応しい水準だと言える。
10. Brainwashed(2002年)
前作からのブランクは最長の15年。その長い期間の間にBob Dylanら大物ミュージシャン達と組んだ覆面バンドTraveling Wilburysでの活動やThe Beatles Anthologyの参加とThe Beatlesとしての「新曲」の発表、Georgeが刺殺されそうになる事件、そしてGeorge自身の死などを挟みつつも、前作以降の付き合いなJeff Lynneや優れた音楽家に成長した息子Dhani Harrison等とのリラックスした制作環境等もあってか、George節の素晴らしい部分が最もさっぱりと表出した楽曲ばかりが並ぶ、彼の最終章にして最高傑作と言える作品に仕上がっている。遺作と思えない、タイトル曲由来の風刺が刺々しいジャケットからしてキレッキレ。
全編通じて奏でられるのは1990年代以降的なアナログ的なサウンド。フォーキーでアーシーなアコースティックギターやビート、程良くいなたいエレキギターの歪み、過剰になりすぎないよう抑制されながら楽曲を華やかに彩るオーケストレーション、多用されるマラカス・シェイカー等のパーカッション類、1990年代以降特に彼が愛着を覚えていたウクレレの多用等々、全体的に非常にジャングリーな仕上がりになっている。ピアノ等キーボード類の使用が少ないこともあってか、今作のサウンドは彼の作品でもとりわけインディーロック的な風情が強く感じられる。これが彼の最後の作品であることによるインディーロックへの影響について考えてしまう。
楽しげでジャングリーな冒頭曲から圧倒的な最終曲まで、ひたすら素晴らしい楽曲が続いていく。ブルーズ風味な2曲目の『P2 Vatican Blues』も非常にフニャフニャしたアレンジ及びボーカルラインで、George節が実に極まっている感じがする。彼のスタンダードな中庸的フォーキーポップ系統では『Looking For My Life』『Run So Far』の2曲が実に晴れやかで素晴らしく、また渋みサイドについても『Pisces Fish』『Stuck Inside A Cloud』で実に現代的なアーシーさで活用されている。トロピカルでリゾートな側面も、グラミー賞を受賞したインスト『Marwa Blues』やリラックスの極みな『Rocking Chair In Hawaii』で伸び伸びと表出され、今作ではやや薄い彼のAOR面も『Never Get Over You』にてしっとりと回収されている。唯一のカバー曲『Between The Devil And The Deep Blue Sea』もウクレレ弾き語りを軸にした実に楽しげなトラックに仕上がっている。
George自身が今作のリリースを待たずに旅立ってしまったことは悲しいし、その後の作業によって完成したこのアルバムがどこまで純粋にgeorge Harrisonのアルバムと言えるのか問題もあるかもしれない。けどそんなもの全部どうでもいい。彼の死だって、この彼の素晴らしさを最大限に引き出したこの作品が存在できていることほどには重要じゃない。本当に、有無を言わせない圧倒的な完成度にて駆け抜けていく48分程度の最終章。そのある意味衝撃的なアウトロまで含めて、是非聴いてほしい大傑作です。
SSWとしてのジョージ〜その華麗なるクセだらけの音楽性〜
お笑い番組に出てご満悦のジョージ氏。「Pirate Song」で検索すれば出る有名なやつです。
上記のとおり駆け足で各アルバムを見ていきましたが、ここから先はそんな彼が具体的に、どんなシンガーソングライターだったのか、様々なポイントについて検討してみたいと思います。それはあるいはThe Beatles時代からヘンな作品を何気に作ってきていた彼が、一人のSSWとして再デビューして以降、どのようにその活動の中で、自分の音楽性を自由に伸び伸びと、そしてナチュラルにヘンな具合に発展させていったか、ということでもあります。
The Beatlesと比べても遥かにクセが強い、ナチュラルに何かヘンな感じのする彼の音楽性の、そのペースがじっくり味わえるようになってくると、逆になんでこんなユニークな人がThe Beatlesにいたんだろう…とか、The Beatles最大の功績はGeorge Harrisonという素晴らしいSSWを産んだこと、といった考えが頭をよぎります。何がそんなにそう思わせるのか。8つの要素を見ていきます。
①ジャングリー・ポップとしてのGeorge Harrison
多分この点が、後世に1番大きな影響を与えた点なのではと思ったりする。つまり、彼がアコギをメインに用いた場合の、適度にアーシーで、フォーキーで、しかしサッパリとしててポップである様。その飄々としたキャッチーさが、The Beatles時代からソロまで通じて彼の楽曲には散見される。
The Beatles時代のこの路線の代表曲といえば『Here Comes the Sun』だろう。今やサブスクで1番再生数の多いThe Beatlesの曲はこれで、最後の方で出てきたこの曲がいつの間にかThe Beatlesの代表曲となってしまった感がある。その美しく優しいメロディやソフトに流れていくフォーキーさ、ブライトな自然の感じは、その後のSSW時代の基本路線のひとつに確実になっている。むしろ、この方向でどれだけより「クセ」を強くしていくことができるかがSSW時代に深められていく。
彼の最大のヒット曲『My Sweet Lord』もこの路線の曲と言えるだろう。後述のスライドギターに夜印象的なラインも重なり、緩やかな空気のまま進行していく。その後の彼のアルバムの多くに、こんな路線の楽曲が収録されていく。この路線の曲から最も遠ざかっていたのはアルバム『Extra Texture』の頃だろうか。楽曲の差替によって結果的にこの路線の曲が消えてしまった『Somewhere In England』のようなアルバムもある*11。『Brainwashed』はまさにこの路線の楽曲のテイストを極めたようなアルバム。
この「George Harrison式の落ち葉を踏みしめていくかのようなフォーキースタイル」は、彼のThe Bandやスワンプロックが好きな性質*12とよく接続する。The Band以降のアメリカンロック勢もGeorgeのこうした性質に影響を受けた面があったりもして、彼のジャングリーな性質はもはやアメリカンロックの土っぽさの一部となってしまっているのかもしれない。
②ジェントルなAORとしてのGeorge Harrison
彼のもう一つ重要な楽曲の系統は『Something』以降に発現した、しっとりとしたバラードの路線だろう。それはいきなり1stアルバム冒頭の『I'd Have You Anytime』でスモーキーな形に昇華される。彼のバラードは後述する「神」に向けたものにもなったりするので時折変な方向にも行くけど、この路線がソウルテイストと結びついてムーディーな方向に向かうと、いよいよそれはAOR的なものになっていく。このAOR化はとりわけ『Dark Horse』で萌芽して、『Extra Texture』で熟成され、『Thirty-Three & 1/3』の『Pure Smokey』でひとつの完成を見せる。
また、アルバム『George Harrison』では、ソウルとはまた違う、ボサノバ・ソフトロック経由みたいな具合のAORさも見せる。ここより後のAOR路線はむしろこちらの方向性で続いていくようで、アコースティックな手触りは上記のジャングリー路線との折り合いも良く、また1980年代的なサウンドにもしっくりくる形で演奏されている。リゾート風味が滲む辺りはブリーズな雰囲気もあって、シティポップ的に響く場面も結構ある気がする。
③スライドギターの存在感
The Beatlesの終盤で彼が身につけたスライドギターは、SSWとなって以降ではむしろこれが登場しない楽曲を探す方が難しいくらいに頻出する。完全に「自分のサウンドのトレードマーク」として扱っていたように感じられる。逆にスライドギター以外のギターソロ等は彼の楽曲では滅多に登場しないくらい。スライド以外のギターが出てくるとそれはEric Claptonとかそういうゲストプレイヤーが弾いてたりする。彼は正統派ギタリストとしての栄達なんて全然望んでいなかったんだと思う。自分の楽曲らしさを演出するためにともかくスライドギターを多用しまくる。
彼のスライドギターの典型的な特徴は、失礼を承知で言えば「呑気で飄々としてる」こと。たとえばNeil Young作品でBen Keithが聴かせるようなメロウなスライドはあまり出てこない。スワンプ的な泥臭いスライドが時々出てきて、またはハワイとかのリゾート地を思わせるような明朗で呑気なスライドも多く、また時にはウネウネした曲調と相まってインドの高原地帯か何かみたいな宗教チックな雰囲気を作り出すことにも役立っている。ユーモラスな雰囲気作りにもアダルティックなムード演出にも使われる。
彼の作品を聴いてるとスライドギターってこんなに万能な演奏方法なのか…と思わされてしまう。それは彼が様々な曲調・様々なアレンジでスライドギターを使うからであって、テクニック云々とは全く異なるそういう次元において、彼は間違いなくスライドギターの名手だと言える。
④奇妙なコードワーク、特にディミニッシュの多用
この辺からよりSSW以降の彼の楽曲の「ヘン」な要素になってくる。
The Beatles時代にはJohn Lennonは無理やりなコード進行を多用したり、Paul McCartneyが複雑なコード進行を度々用いたりという状況だったけれど、The Beatles以降の活動におけるGeorge Harrisonの楽曲のコード進行も結構よくおかしなことになってしまっている。これはある点においてはとても意識的なことだと思われるけれど、それ以上は非常に感覚的な部分で、彼のセンスかもしくは交友関係から生まれたものかもしれない。
彼の作曲の特徴としてディミニッシュコードの多用がある。メジャーともマイナーとも異なるこのコードは、程よい不協和音的な音の重なりによる不穏な感じ・不気味な感じを演出するコードで、ホラー映画の恐怖を煽る音楽などでよく用いられる。手元の楽器で弾いてみるとやっぱり、はっきりと明るくも暗くもなく、少々気味の悪い音が感じられる。この君の悪いコードは主に、コードが上昇していくときの経過音的に用いられることと、あとはセブンスの代わりに用いられることが多い。
彼は実にこれの特に後者のものをよく用いる。バラードの中にしれっと入れて空間が歪むような感覚を演出したり、あるいは明るいトーンの楽曲にも平然とこれをぶち込んできて一瞬モヤっとした雰囲気を生み出したりしている。彼の楽曲に気味の悪さを感じてコードを調べてみるとディミニッシュだった、というのは時々起こるだろうと思われる。
しかし、気味の悪さを感じてもディミニッシュじゃないことも結構ある。その場合それはダイアトニックコードから外れた、強引なコードの接続によって怒っていることが多い。こういう強引なコードのつなぎ方による気色悪さの発生はThe Beatles時代のJohn Lennonが特に得意とするところだったけれど、SSWとなって以降のGeorgeも結構こういうエグいコード進行をよく用いていて、どこまで理詰めでやってるのか、結構感覚的にコードを組んで作曲してるのか、不思議な感じがしてくる。しかしこれが、彼の楽曲が時々放つ超然的な雰囲気だったり、曖昧で倦怠感ある雰囲気だったりの醸成に確実に機能している。
この辺のGeorge的なコード感への理解は、特に複雑なコード進行によるシックなポップスを思考する人においては色々参考になる部分もあるんだろうと思う。彼のそういう気色悪いコード進行の曲も、ただ曲を聞いてる限りではしっかりとポップスとして聴かせる場面が殆どだから。
⑤超然的で煮え切らない曲構成・メロディ
きっとソロ以降の彼の作品に『Something』や『Here Comes the Sun』を求めて聴き始める人がつまずく1番のポイントはこの辺じゃなかろうかと思う。The Beatlesの頃からJohnやPaulの書く王道的なラインを差別化のためにあえて外してメロディを書いてる節はあったものの、その傾向はSSWとなって以降はより「悪化」していく。そもそも彼の1番のヒット曲『My Sweet Lord』をThe Beatlesを一通り聴いた後に聴いて「えっメロディ展開これだけ…?」とか思ったりしたことはないだろうか。
特に1970年台中盤くらいまでの作品においては、ピアノを多用することもあって、結構ゆったりしたバラード調の楽曲が多いけれど、どんなに演奏が歌謡曲っぽくなっても、歌のメロディにひたすら妙な座りの悪さを覚えたりしないだろうか。これはもしかしたら後述の「神」に関係して、このような超越的なメロディ展開になるのかもしれないし、思慮深さからくるはにかみなのかもしれないし、単に天然かもしれない。少なくとも、普通のポップスとしては「えっ盛り上がる箇所は今のとこなの?」「いや普通そういうメロディの抜け方はしないよ?」みたいなぎこちなさを最初は感じるかもしれない。
でも、そういうぎこちなさが味わいに変わってくると、こういう回りくどいようでメロディ自体で空間を作ってるようにも感じられる歌が、彼以外の作品ではなかなか触れられないように感じてくるかもしれない。真似しようとしてもなかなか染まり切るまでは難しいように思われる彼の時に独特すぎるメロディセンスは、彼の強烈な個性であり、彼がSSWとして非常に個性的であることを担保する大きな要素のひとつだ。なお、1970年代後半以降の作品はこの辺がいくらかスッキリしていくような感じがする。それでも彼のボーカルと相まってユニークなメロディは多々あるけど。
⑥「その拍子何なの?拍子余り何なの?」みたいな曲構成
⑤と同じく特に1970年代中盤場でに特によく見られる彼の個性。こちらは既にThe Beatles時代から『here Comes the Sun』の間奏部分などに現れていたけど、曲中の基本テンポを奇妙に変えてくる場面が、特に『All Things Must Pass』〜『Extra Texture』までの期間において様々な曲で散見される。なにせソロ第1作品の1曲目からして静かな曲調の割になかなかにすごいテンポチェンジをかましてくる。
これもThe beatles時代はJohn Lennonの曲に散見された特徴だけど、ソロ以降のJohn Lennonではそんなに多くは見られない特徴になってしまってる。④といい、SSWとなって以降のGeorge作品はJohnのソロよりもThe Beatles時代のJohn要素を多く引き継いでいるのかもしれない。
この辺の要素も、『Thirty-Three & 1/3』辺りからかなり薄くなる。あのアルバムは何気に彼の作風の大きな転機だったように思える。
⑦豊富な人脈・ゲストプレイヤー
Eric Claptonとのツーショット。妻を取られたりしても関係が続くのは不思議な関係性。
彼の音楽性において彼の交友関係の広さは非常に大きな影響を与えている。それはThe Beatlesの頃からそうで、彼がレコーディングにEric ClaptonやBilly Prestonを連れてきたことでレコーディングが上手く纏まったりもしてる。12限ギターやシタール・シンセのThe Beatlesへの導入も彼が果たした功績だし、またThe Bandにイギリスのアーティストでいち早く注目したり、1969年にはDelaney & Bonnieのライブに参加したりもあって、アーシーな人脈にどんどん突っ込んで行くところはSSW以降の彼のキャリアを大きく決定した。彼は他者との関係性の中で音楽性を充実させていくことができた。
SSWとなって以降も彼の交友関係の広さは様々な場面で見受けられる。『All Things Must Pass』のゲストの多さはまさにこれによるものだし、翌年のバングラデシュコンサートもBob DylanやLeon Russellをゲストに華やかに実施されている。
Georgeの作品中での共演は同じ人物が何度か登場することがままある。1980年代には残りの人生ずっと協力関係にあったJeff Lynneと出会っている。Ringo Starrが割とよくドラムで作品に参加し続けていたのも実にいい話だ。また交友関係が発展して大物だらけの覆面バンドTraveling Wilburysの結成にも至る。
⑧インド音楽について、及び「神」について
彼の音楽を聴いて「何かヘンだな…凄くクセが強いな…」と思う要素は、もしかしたらすべてこの点に由来している要素なのかもしれないと思ったりする。つまり、The Beatlesでシタールを導入して以降のインド文化、特にヒンズー教に対する入れ込み具合のこと。多くのアーティストがインド要素を「音楽的スタイル」として取り入れたのに対し、彼は根本的なライフスタイル、もしくは哲学としてその心体を大いに捧げた。
彼がSSWとなってからのこのような神秘主義的な精神の音楽面での表出は様々な面で見られる。The Beatles時代は「この曲はインドの曲」みたいになっていたけど、SSWとなって以降は普通の楽曲にシタール等が使われたり、西洋的な楽曲とインド音楽的なパートが1曲の中で接続したりしている。もっと根本的に、メロディ運びやスライドギターのフレーズに東洋的な超越的な雰囲気が大いに現れることや、さらには歌詞自体が「神」を賛美する内容になっていたりなどする。
特に『All Things Must Pass』『Living In The Material World』は歌の中身において神秘主義的要素が大きい。『Dark Horse』のジャケットのそれっぽさも凄まじい。その後しばらくの時期はこういったものから歌詞の内容的には離れるが、しかし『Somewhere In England』ではまた神秘主義的なテーマを根底に持つ楽曲が増えてくる。ラストの『Brainwashed』はそのような超越的な目線で世界を見つめ時に絶望したりするような側面がある。また、シタールの師であるRavi Shankarとの付き合いは彼が死ぬまでずっと続いた。
20曲レビュー(自前のプレイリストより)
この記事の最後に、各アルバムから選曲した以下のSpotifyプレイリストに掲げた20曲について1曲ずつ見ていきたいと思います。ヒット曲とか有名曲とかではなく個人的な好みで選曲したリストですが、上記の各アルバムレビューを補完する内容でもあります。プレイリストは以下のとおりです。
1. Any Road
(from『Brainwashed』)
最後にして大傑作の冒頭を飾るこの素晴らしい曲でプレイリストを始めたかった。軽やかにしてGeorge流の苦味も感じさせる、彼の呑気さと「神」に関する思想とが実にあっけないほどシンプルにかつ不可分に接続した名曲。どうでもいいけど曲名はThe Beatlesの実質最後のアルバム『Abbey Road』を思わせる。この曲を作ったのは相当前の時期だけども、そんな曲名の曲が彼の最後のアルバムの先頭を飾るというのは何か、できすぎているような感じもする。
楽曲自体は1990年代中にとっくに出来上がっていたようで、生前の彼が弾き語りで演奏する映像もネットに残っている。その上でスタジオ音源ではしっかりとバンドサウンドにて演奏。特にリズムの取り方が独特で、4拍目にスネアを入れるリズムは、アコギとウクレレが絡むフォーキーさ共々、ロック的な世界観とは異なる世界の音楽の感じがあって、この曲のテーマである「旅」の感じがこの仕組みだけで漂ってくる。
スーパーのBGM的な朗らかさを持ったスライドギターは呑気さの溢れまくった音色だけど、それとメロディ後半のコード進行共々苦味を感じさせる歌の抜け方の対比が優れてる。ミドルエイトで一度より人生の苦難っぽさを感じさせるマイナー調のメロディに移行して、そこからまた明るいメロディに戻る箇所は絶妙の手際。
人生を「旅」になぞらえるテーマにして、そんな様々な人生もいずれ「同じ道」に辿り着く、という、彼の神秘主義も入り混じった人生哲学の感じが、この歌の歌詞ではナチュラルに爽やかに歌われる。それは厳しさというよりも、様々な感情を置き去りにした後の優しさの様相をしてる。
貴方は知らないかもしれない
どこから来たのかも 自分が誰かも
疑問にすら思ってないのかも
どうやってこんな遠くまで来たかも
ぼくは運任せで旅をしてきた 命からがら 紙一重で
吹曝しの最果てを旅する
顔が陽に焼ける氷や雪の中
でも これはゲーム 時には賢く 時には不完全に
それはどこかにあって
きみがどこに向かってるか知らなくても
どんな道も そこに辿り着くんだろう
www.youtube.com1997年の彼の最後のテレビ出演でもこの曲が演奏された。素晴らしいテイク。
2. I Live For You
(from『All Things Must Pass』ボーナストラック)
アルバム『All Things Must Pass』には全然The Beatlesのアルバムに入れても問題ないレベルの見事なポップソングもたくさん入っていたけれど、一方で、これはGeorge Harrisonのソロの曲にしておきたい、と思うような、彼の個人的な雰囲気があるささやかなメロディやアレンジが活きた楽曲も多数収録されている。この曲はリリース当時はお蔵入りになってしまったけど、そういう意味では1番いい曲のように思う。どうしてこんな素敵な、アレンジも完成された楽曲がお蔵入りになり続けたのか…シングルのカップリングとかで発表しようとか思わなかったのか。
印象的なのは、彼のキャリアでもとりわけ「いい意味で」弱々しく頼りなくメロウに響くスライドギター。スワンプ風味も感じさせつつ幻想的な風情もあって、この曲のこれは割とBen Keithが弾くようなのに近い。しみじみとしたカントリーロックの演奏を、Phil Spector的なリバーブが薄っすらとウェットに包み込んで、そこにメロディアスだけど非常に構成がシンプルなGeorgeの歌うメロディが紡がれる。この、実にしみじみとしてささやかな感じが、風に吹き飛ばされそうな佇まいで立ってるみたいな風情が、実に切ない感じがして素晴らしいと思う。
あと、どことなく、この曲の音響の感じは1990年代以降的な、Jim O'Rourkeとかっぽいような感じがする。
3. Don't Let Me Wait Too Long
(from『Living In The Material World』)
「プレーンでジャングリーなGeorge Harrison」の側面を端的に示すタイプの楽曲。アコギのささやかでフォーキーな響きとそれに寄り添う繊細でささやかなメロディとが涼しげに示される。いきなりファルセットで入るメロディや、ブリッジ部の言葉数の多く少し奇妙なメロディ運びに、それでもGeorge Harrison的なメロディの記名性をしっかりと感じさせる。
この曲の素晴らしいのは、平坦な基本のリズムをそれこそPhil Spector的な様々なパーカッションで絶妙に彩るところ。カスタネットの連打によるラテン風味の足し方や、ティンパニの挿入、又はピアノの同じコードの連打等による奥行きの出し方は、ウォール・オブ・サウンドの重要なキャラクターだけど、それを巧みにこのフォークソングに接続していて、不思議なドリーミーさをこの曲にもたらしている。
シンプルな単語選びで反復の多い歌詞は、純粋にパートナーへの愛を囁く歌のようにも取れるし、もしくは収録アルバムのテーマ的に「神の救済がこの地に降り立つこと」を切望しているようにも読める。その辺の同とでも取れる具合がまた、この曲にキャッチーさと神秘さの両方を上手く与えている。『Give Me Love』の次のシングルとして計画されたことがあるのも納得できるところ。
4. Māya Love
(from『Dark Horse』)
タイトルの「Māya」はインド哲学に出てくるワードで、「神による幻力」のような意味。「神の愛」なるタイトルで、インド宗教っぽさが強すぎるジャケットの割に当時のボロボロな夫婦関係の歌が多いアルバムの中では、きちんと宗教してる感じの歌。きちんと宗教してるって何だ…。
面白いのは、そんな宗教的な歌がどうしてこんなにラフでテイキットイージーなブギーになるのか、ということ。間の抜けた感じのスライドギターも間奏のピアノのアクセントのつけ方も、ひたすら平坦にかつユーモラスに進行していく。この意外にタフなグルーヴ感とある意味ひたすらのんびりして明るい曲調は、荒れたアルバムの中心でいい具合に呑気な空気を放っている。とりわけスライドギターの、徹底的に計算された「調子外れ」っぽさはすごい。神の愛を様々にたとえて歌うGeorgeの縋り付くような感じも、このゆったりしたグルーヴの上ではシュールな具合に響く。本当にどうしてこんな取り合わせになったんだ…?これもGeorge流のユーモアなのか。
で、そんなこの曲ののんびりしたグルーヴは、かなり後の2009年にアメリカのバンドWilcoが『Sonny Feeling』のヴァースにてかなりそのまんまオマージュしてる。特にスライドギターがかなり元ネタに近づけようと奮闘してる感じがする。この曲の収録されているアルバム『Wilco(The Album)』はかねてよりGeorge Harrisonの影響が大きいWilcoでもとりわけGeorgeっぽさが強いアルバムで、こうやって元ネタがあったことに気づいてしまうと笑えてくる。
5. Grey Cloud Lies
(from『Extra Texture』)
「そうはならんやろ…」「なっとるやろがい!」な幾つかのGeorgeの変てこなバラードの中でも極北の存在。何でこんなに理不尽な拍子の取り方とメロディの置き方をしたバラードが生まれたんだ…クスリでもキメてたのか…と思う*13くらいに、ともかく様々なことがナチュラルにおかしいのに、ぼーっと聴いてたら「なんかよく分からんバラードだったなあ」くらいに聞こえるのがともかく可笑しい、奇妙なバラードの決定版。
イントロの雄大な演奏に導かれて、と思ったのに突如間の抜けたシンセの音が入って、ワウギターのふにゃふにゃした音とピアノが合いの手を打つ。この辺りからこの曲の可笑しさがすでに醸し出される。歌が始まって、メロディはどこか超越的な浮かび方をするもメロディはそんなに長くなくて、曲の重厚な雰囲気に何となく圧倒されてると、例の間の抜けたシンセが流れて、この変に付け足された小節で1サイクル終了。また同じメロディが繰り返し、という曲構成。えっこんな荘厳な雰囲気でメロディ展開これだけ…?というシュールさが、この曲の良さがしっくりきだすと実にたまらない。収録アルバムの他のバラードも何か変なとこはあるけど、この曲ほどじゃない。
ちなみにクレジットを見ると、この曲のシンセ類は全部George自身による演奏。やっぱこの人ヘンですよ…。歌詞は当時のしんどい状況を反映して重たいのに。もしかして重たい歌を少しでも紛らわせるための計らいだとしたら、それはちょっと感動的だけども。
今 ぼくはただ
眼に涙を溜めずに済む暮らしがしたい
でも現状 そんなチャンスはありはしない
透き通った青い空なんてありやしない
灰色の雲が横たわってる
6. Beautiful Girl
(from『Thirty-Three & 1/3』)
実はThe Beatles時代から存在してて『All Things Must Pass』の際にレコーディングも試みられていたとされている楽曲のひとつ。彼はSSW後のキャリアで時折そういった経緯の曲をリリースしている。アルバム『Thirty-Three & 1/3』ではこの曲と『Woman Don't You Cry for Me』『See Yourself』が該当する。
メロディメイカーとしての彼の素晴らしさが伸び伸びと出ている楽曲で、ヴァースにおいてはサブドミナントマイナーを用いたコード進行がかなりコーラスの効いたギターとともに印象に残る。でもコーラスのメロディは王道的かと思ったら突如ヘンなリズムの崩し方をして、やっぱりGeorge Harrisonだ…って思わせる仕組みがある。コーラスからヴァースに戻る際のつなぎ部分の不思議さも特徴的で、この辺は上の『Grey Cloud Lies』とも似通ってる部分かも。
ヴァースから間奏に入るところ等で聴かせるGeorgeのフェイクの取り方が「ウーウウゥーウー」なのが何故だか妙にしっくりくる。「ベイベー!」とか「ダーリン!」とかじゃなくてこの唸る感じ、実にGeorgeっぽさを感じる。
元々は前妻のPattie Boydをテーマにした歌詞だったけど、1976年に歌詞が完成する頃にはこの歌はその後妻となり最期まで添い遂げるOlivia Trinidad Ariasについての歌になっていた。そういう形で昔の曲が完成することもあるんだな、と思った。
7. Soft Touch
(from『George Harrison』)
全編ソフトな感じのするアルバム『George Harrison』の中でも、まさにそのまんまな感じのタイトル。アルバムの音楽性を象徴しすぎていて、これがアルバムタイトルでも良かったのでは…とか考えてしまう。
そして、そのタイトルのとおり、少しトロピカルな風味を交えつつも、実に優しげでポップなメロディを紡いでいく美しい楽曲。チャキチャキと細やかに入ってくるギターやハイハット、ポコポコと鳴り続けて雰囲気を作るコンガなど、演奏は穏やかなリゾートを冒険するように展開していく。それらで描かれる光景の穏やかに暮れていく感じは、実に収録アルバムの雰囲気に沿っている。ディミニッシュ等の複雑なコードもなくただひたすら甘く呆けてる感じが、逆に大人のリゾートっぽく感じられたりもして。そういえばリゾートなんてあまりしたことないな…と気付かされるけども。
8. All Those Years Ago
(from『Somewhere In England』)
上のアルバムでも書いたとおり、レーベルからの楽曲の差替支持に屈辱的に従ってる際にJohn Lennonの殺害事件が起こり、急遽すでにRingo Starrに提供しようとしてボツになってたトラックに歌詞を書き直して追悼曲としたもの。
そういう経緯が何となくよく分かるのは、この曲が基本的にはThe Beatles時代の『Old Brown Shoe』と同系統のブギーだということ。こんな楽しげなブギーが追悼曲なのぉ…?という可笑しさと、しかし丁寧なアレンジやメロディ、そして歌詞の素晴らしさによって、この急ごしらえのはずの楽曲はしっかりと名曲になっている。全米2位のヒット曲になったのは話題性だけじゃないと思えるほどに。
イントロはエレピに導かれてダークそうだけど、すぐに明るくリラックスしたブギースタイルになる。シャッフルのリズムはRingo Starrが演奏。言葉の畳み掛け方が独特な感じはやっぱり『Old Brown Shoe』にも繋がるけど、この曲ではエレピでブギーをしてるところが面白い。そしてコーラスワークはPaul McCartney & Wingsが全面参加。この結果的にJohn Lennonの追悼曲となった曲で擬似的なThe Beatles再結成を遂げたことは、追悼としての重みもあるけど、それよりもこの楽しさのことを思えば、『When We Was Fab』と並んで1990年代以降の「お祭り」の前哨戦的な楽しさもある。
そして、この曲の歌詞は胸打たれる。『All You Need Is Love』『Imagine』といったJohn Lennonの曲名を交えたもの。若干George的な「神」の主張が入ってることも含めて、少し可笑しくて、でも全ては昔のことになったんだ、という歌。
いちばん暗い夜の奥で きみに祈りを捧げる
今 ぼくらが嫌う嘘やその他から魂が自由でいれる
そんな光の世界の中で
みんな神様のことを何もかも忘れてしまってる
神様こそぼくらの存在する唯一の理由なのに
でもきみはただ一人「それはキモいぜ」って言った
何でも昔のことだけど
9. Mystical One
(from『Gone Troppo』)
リゾート感に満ちた『Gone Troppo』の中で最も普段のプレーンでジャングリーなポップさを持ったポップソングとして秀逸な楽曲。SSW以降でよく表出するメロディの変な感じも抑えめで、それこそ『Here Comes The Sun』とかと似たような具合に実にスムーズに、爽やかにささやかなメロディが運ばれていく様は、メロディメイカーとしての彼の王道をひた走る疾走感に満ちている。これ本当に「隠れた名曲」な感じが強くする。
豊かに旋回するスライドギター、秋風のようなアコギの響き、途中から入ってくる豊かなマンドリンのトリル、明朗にポップなラインを描くメロディ。本当にここには「Georgeのそういうポップな名曲」の構成要素しか存在しないかのような感じがする。最初スロウめのテンポだったのが途中から軽やかになるのは実に彼的な軽やかなポップセンスが出てる。強いて言うならボコーダーでこっそりメロディを追跡するコーラスが時代のアクセントを優しく添えている。
この曲の歌詞はEric Claptonとの友情を歌ってるとも言われている。奥さん取られたのに親友を続けていったことはとても不思議だけど、そういうこともあるんだろう。
10. When We Was Fab
(from『Cloud Nine』)
これこそ真に「1990年代のAnthology以降のThe Beatles祭りの前哨戦」に相応しい、まさかの「サイケ時代」のThe beatlesのセルフオマージュナンバー。The BeatlesマニアのJeff Lynneが元メンバー本人を得て全力を注いだ「気の利きすぎた悪ふざけ」なのかもしれないけど、映像も含めて、この曲がのちのAnthologyに繋がった面は間違いなくあるだろう。
それにしてもなぜ、Johnが書いた『I Am The Walras』をベースにしたんだろう。Johnの追悼曲はもうやったでしょ!って思ってしまうけど、これは最もインパクトがあってサウンド的にも分かりやすいデザイン性のあるものを選んだということか。単純にGeorgeとJeffの趣味か。なので、不穏なストリングスやハイなコーラスがどんどん挿入される。流石に楽曲自体は原曲ほどカオスではなく、しっかりとヴァースとコーラスとさらにミドルエイトを備え、ヴァース・コーラスのつなぎに特に印象的なピアノの連打を入れ、ミドルエイトではメジャー調の明るさも差し込み、ポップソングとしての楽曲のドラマチックさを絶妙にキープしている。そしてオチでインドに持っていくユーモアなのか本気なのか分からん仕掛けまで…この時期のGeorgeは本当にハイでエンターテイナーしてたんだなあと思う。ドラムはRingo Starr。所々で往年風なバタバタしたフィルインも見せる。
この曲はPVも実に素晴らしい。様々な「The Beatlesにまつわるもの」をコラージュ的に挿入していく映像はまさにのちのAnthologyで発表されたThe Beatlesの「新曲」2曲のPVでも援用されたアイディアだし、楽器を様々なファンタジックでサイケでシュールなイメージで写すのも面白いし、何よりもノリノリで演技するRingo Starrが素晴らしい。最後のオチまで含めて、何もかも遊び心にしてしまおうという、本当に作り込まれた映像だ。
11. Rising Sun
(from『Brainwashed』)
2曲目からここまでをアルバム順に1曲ずつ選んでみた。この曲は『Brainwashed』において最も雄大な雰囲気をまとった楽曲。Georgeの数々の楽曲でもここまで悠然として雄大な感じは他に無いかもしれない。
ルートとサブドミナントマイナーの繰り返しによるコード進行の焦燥感あるメロディを、ストリングスとスライドギターが都度襲いかかる。その後のメロディの展開の、まさにゆっくりと穏やかに拓けていくような感覚は、作曲と編曲の妙ということになる。じっくりと太陽が昇っていくような感覚になるメロディ運びを、派手になりすぎないストリングスとこっそりと鳴ってるウクレレが前後から支えてる。スライドギターのふにゃりとした音もいい具合に陽の中でふやけた感覚を表現しきっている。
歌詞では現代社会の複雑な機巧の中で消耗する日々と、朝日の中で再生するような感覚とを対比させて歌っている。この辺は同アルバム最終曲とも共通する感覚がにじんでいる。書いてあることは比喩が多くて分かりにくいけど、ここでは救いの方法としての陽の明るさよりもむしろ、様々な比喩を凝らして現代社会へのうんざりを表明する態度がより興味深く感じる。
12. Give Me Love(Give Me Peace On Earth)
(from『Living In The Material World』)
George harrisonがSSW以降のキャリアにて3回獲得したNo.1ヒット曲のうちの1曲。こんな地味なメロディとアレンジの曲が?と思うけれども、しかしメロディの繰り返しや楽曲のフォーキーさ、ピアノのブライドさが麗しい名曲で、これはヒットするかもしれん…という気持ちもする。また大ヒット3曲の中では1番プレーンでジャングリーな作品路線に近い楽曲。
ただ、この曲が他のジャングリー系統の楽曲とも、もしくは他2曲のNo.1ヒットとも決定的に異なる点がある。それはこの曲が8ビートではなく16ビートであること。アコギやピアノのこの曲ならではの柔らかさは、まさにこの16ビートの上で成立していて、16ビートだからこその甘美なフレーバーを放っている。視点を変えれば、すごくざっくりとした理解として1960年代のロックは8ビート、1970年代のロックは16ビートという見立てが建てられる*14けれど、この曲なんかまさに、ずっと8ビートで曲を書いてたGeorge Harrisonが、ここで1970年代式にギアチェンジして、それに見合うだけの曲を書くことができた、というのが成功の大きな理由のひとつなのかもしれない。16ビートに乗った可憐なコード進行捌き*15と繰り返しのメロディの希求力とが、この曲を名曲に押し上げている。すごくソフトでしなやかなピアノはNicky Hopkinsによるもの。彼も1960年代から1970年代にそのピアノプレイをビートに合わせて変化させた人物だった。
そして、この曲で歌われる「Love」は、歌詞の中で「Lord」という語が出てくるのでやはり「神への愛」ということになる。『My Sweet Lord』といい、ここまで神のことを、それも欧米の多くの人が信仰するのとは違う神様のことを歌った歌が大ヒットするのは、なんか不思議なことだ。
13. Soft-Hearted Hana
(from『George Harrison』)
George Harrisonは時々すごく埃臭くなるようなどん詰まりのブルーズ小品を書くことがある。The Beatles時代の『For You Blue』とか、SSW以降でも『Deep Blue』とか、そういう具合の小品。時を経て、ソフトでメロディアスな楽曲が集まったセルフタイトルのアルバムでも、なぜかこの系統の曲を忍ばせたくなったらしく、この曲が生まれている。ハワイの女の子をテーマにした曲なのに、どうしてこんな街角の吹き溜まりみたいな曲調になってしまうんだ…という可笑しさが楽しい楽曲。
まさに雑踏のようなサウンドコラージュを脇に抱えたまま、このどっこいしょな感じの冴えないブルーズ曲は始まる。ジャグバンド的に崩され倒したサウンドのあちこちに彼の遊び心が潜んでいて、特にアコギのスライドギターの入念さは普段の彼ではなかなか聞けないほどのすっとこどっこいっぷり。の割にコーラスワークは実に整然と決めてみたり、色々とあえてチグハグにしてる感じの自由さが、ソフトに纏まりすぎそうになるアルバムの雰囲気をいくらか解くのに役立っているし、曲単独でみても、このトホホ…な感じ、最後フェードアウトで段々強引にキーを上げられるまでに至るこのグズグズな様が楽しい。
14. Life Itself
(from『Somewhere In England』)
久々にインド色の強いアルバム『Somewhere In England』におけるインド風味の最も強い、3/4拍子の雄大なバラード曲。インドのリシュケシュの高原地帯、ケシの花が揺れる景色の中で奏でられる音楽、みたいなのをその風景を全然知らないなりにイメージして聴くと、なんとなく「なるほどな…」という深みを得られる気がする。
それにしてもこの、音的には結構ウェットな音なのに、感覚として独特の乾き方をしてるのはどういうことか。カントリーとかの乾きに似てるようで全然違う、インドの高原風と言いたくなるような感覚的に壮大な乾き方。これはやはり、インド音楽を哲学レベルで摂取した彼だからこそのレシピがあるということなのか、と考えてしまう。西洋的3連バラッドとは確実に何かが違う。繰り返される「You are the one」のフレーズに、意味もわからないのにぼんやり覚醒した気持ちになる。
ちなみに意味がわかるように歌詞を読んだらこんなことが書いてあった。
彼らは貴方をこう呼ぶ
「キリスト」「ヴィシュヌ」「仏陀」「エホバ」「我らが主」
貴方は「ゴーヴィンダ」「ア●ー」「全ての創造主」
貴方は唯一
何があろうと 私が持ちうる真実の愛
私の友達であり 私の生が終わるときは
死そのものの光となります
ええ まさに 貴方は唯一
なるほど。彼は確かにインド神話や哲学に深く傾倒しているけれど、でも彼の歌に出てくる「Lord」は必ずしもインドの神様だけを意味しない、ということらしい。この辺をより深く調べたらもっと意義あることが分かるんだろうけれど、今回はここまで。
15. The Day The World Gets 'Round
(from『Living In The Material World』)
また神様が歌詞に登場する歌。3分足らずの尺の中で雄大な展開をしつつも独特のメロディの切れ方・抜け方を見せる、彼の「どうしてそうなるんだ」系のバラッドのひとつ。
いきなりハーモニクスと歌で始まるのに驚くけど、この仕掛けはこの曲でメロディ展開のサイクルを回し終わる度に出てきて、非常に有効に機能している。スロウなテンポで進行し、荘厳なストリングスをバックに隙間の多い超越的なメロディを歌い上げていく。1度だけブリッジ→コーラスへと展開し、そのコーラス部の訴えかけるような力強さは、そのメロディの色々くっついてきた上で元のハーモニクス等に戻る様まで含めてかなり印象的。そして最後のハーモニクスであっけなく終わる。間奏らしい間奏もないままに展開し続けたからこその3分弱の尺なんだと判る。
歌詞を読むとこの「世界が一周する日」というタイトルの曲は、信仰の観点から世界平和を願う類の曲だったのかと気づく。
世界が一周する日
それがどこに行ってしまったか理解するため
陸地を大いに失って 互いに手を結んだまま殺し合う
人間のそういった愚かさよ
私は彼らの計画など望まないさ
貴方は破滅をその手にしたお方
今 私は日に日に働いている
貴方のようになりたくないゆえに
純真なる愛 始まりを経た人たち
しかし 主よ
貴方を前に静かにお辞儀をし祈る人は
もはや少ししかいない
彼ら どうやって世界が一周する日を祈るのか
どこか悲観的な雰囲気もある辺り、彼の宗教観が垣間見える。このどこか無力さを痛感してる風な感覚は最後のアルバムの歌詞とも関連する要素に思える。
16. Fish On The Sand
(from『Cloud Nine』)
プレイリストも終盤になってきたので、この辺でタフなロックンロールを。彼のロックンロールな曲はもっとルーズなブギー調が多いけど、この曲はむしろThe Rolling Stones的なタイトさでもって展開していく、彼においてはかなり珍しいタイプの曲。こういった真っ直ぐな8ビートで、ギターをブリッジミュートで刻んで直線的に進行するのはアルバム『Cloud Nine』とその後のいくつかのシングルの時期のみの特徴。時代の音に寄り添った感じもあるけど、ソリッドなGeorge Harrisonもたまにはいい。
イントロのまさにストーンズ的な雰囲気のリフで意外さが実に感じれる。その後は1980年代感のあるプチプチしたデジタルサウンドを薄ら纏いながら、デジタルなフォーキーさを振りまきながら真っ直ぐに進行していく。リフを絡めながらのコーラス部の歌の感じはやはり珍しさがある。Jeff Lynneプロデュースによって引き出された要素だろうか。コーラスワークなんかを聞くとThe Beatles的な感じもあったりで、この曲はその辺の1960年代初期のロックンロールの感じを1980年代サウンドでやり直したような、そのリッチすぎるサウンドで全然別のもになってる感じがなんか愛おしい。
17. Pure Smokey
(from『Thirty-Three & 1/3』)
George Harrison渾身のAORソウル、日本のシティポップにも間違いなくなんらかの影響を与えたであろうし現在進行形で参考になる点が山ほどありそうな、素晴らしくスウィートなナンバー。『Extra Texture』収録の『Ooh Baby』と同じく彼のSmokey Robinsonに対する敬愛の精神が産んだ名曲で、サウンドの落ち着き払った配置の妙はやはり後発のこちらが優れている。
この曲にはもう、日本のシティポップが欲しがりそうなあらゆる要素が詰まっている。ムーディーさに満ちたエレピの音色に、小気味好くスムーズで涼しげに連なっていくギターカッティング、タメを効かせつつも音色として柔らかなドラム、落ち着き払って空気に溶けるかのようなジャジーなホーン隊、情熱的でありつつも汗っぽさをまるで感じさせないメロディの紡ぎ方と歌唱、ささやかな風のように通り過ぎるコーラスワーク…。今回の企画のために彼のアルバムを聴き返してる時に、この曲のところで思わずそのあまりのBreezeな感覚に驚いてしまった。あまりにシティポップの理想形すぎるこの曲を、日本や世界のシティポップ愛好家はやっぱ当座のものとして日々色々漁ってるんだろうか。
18. Flying Hour
(from『Somewhere In England』アウトトラック)
『Somewhere In England』の差替騒動によって駆逐されてしまった3曲の「プレーンでジャングリーなGeorge Harrison」な曲のうちの1曲。この曲は配信以降の同アルバムにかろうじてボーナストラックとして収録されていて、このように回収することができた。楽曲としては、1980年代的な分厚いシンセを効かせつつも、Georgeのジャングリーな曲調ならではのささやかなメロディの良さに満ちた、爽やかな佳曲。本当に、なぜボツになったのか…カップリングで復活とかさせないのか…させられなかったのか…。
メインフレーズをスライドギターではなくシンセでやってしまうのは地味に珍しい感じがする。キーボード類が色々入っててフワフワした雰囲気があるけれど、軸はちゃんとアコギのフォーキーさがあるので安心する。途中のティンパニが入るところといい、『Don't Let Me Wait Too Long』とちょっと共通するところがあるかもしれない。なんか、今回こうやってプレイリスト作ったけど、それとは別にこういうフォーキーでジャングリーな曲だけ集めてプレイリストにして聴きたいかもしれない。
歌詞がまた、ちょっと珍しい類の切なさがある。
何だったっけ?何だったろう
ここにはない ぼんやりしてる
ただ一つ言えるのはそれが
ぼくが感じれる 真実だと思えるもの
えっと えーっと
それはきみが思い出せないことを
思い出そうと考えあぐねてるようなのと
何も変わりはしないんだ
何だったっけ?何だったろう
過去は行ってしまう
未来なんてあるか判らない
この今は飛行時間を良くしてくれる
この歌における「Flying Hour」ってどういう意味なんだろう。何にせよ、思い出せなくなったものに想いを馳せるのはどんな世界でも甘く切ない。 そんなことを歌うこの曲がそんな風にならずに済んで良かったって思った。
19. Isn't It A Pity
(from『All Things Must Pass』)
SSWとしてのGeorge Harrisonを強調したいプレイリストにしようとすると、名曲ばっかりだけど「The Beatlesの続き」みたいな雰囲気が無い訳でもない1stアルバムからの選曲がどうにも少なくなってしまった。だけど、この曲だけは入れないといけないと思って真っ先に枠を確保してた。The Beatles全曲とメンバー全員のソロ曲全部を集めた中で、この曲ほど雄大で崇高でかつどこか虚しげな感じのするバラードもないだろう、とずっと思ってる。
この曲については以前このブログの別の記事で取り上げたことがある。
これの1曲目に取り上げたのだけど、でもここで書いた「延々と同じコードに同じメロディを繰り返していく」については実は間違っていたようで、コード進行は相当微妙に変化している。何だこの変化の仕方は…と思うくらい微妙でしかしエグい変化を、Gのコードで始まる3つのコードの繰り返しの、特に2つ目のコードで行なって繰り返していく、という構成。この2つ目のコードこそがキーとなって、繰り返しの中でピースフルな雰囲気が急にガクッと不穏になる。それはEm6ともCm7♭5/Gだったりの捉えどころのないコード*16だったり、A7だったり、そしてルート音をディミニッシュ化したコードだったり。一番ムードの落ち込みが激しいのはやはりディミニッシュで、ストリングス含めて一瞬で病んだ雰囲気を表出する様は、George Harrisonのコード進行の深淵という感じがする。
この曲の悠然とした進行、同じ節回しをひたすら情緒を微妙に変えながら歌い続けていく具合を思うと、同じく長尺の繰り返しのThe Beatles『Hey Jude』がかなりコミカルでカラフルなもののように思えてくる。どうしてこんなシンプルなコード進行で延々と進行して長い1曲を書こうと決心してしまったのか。だけど、断固たる意思と的確な演奏・アレンジにて彼はこれを世紀の名曲と言いたくなるレベルに作り上げた。ストリングスもコーラスワークも、この曲の慎ましさを丁寧に扱いながら盛り立てる。もしかしてPhil Spectorプロデュースの最高傑作なのではないか…。
歌詞も、繰り返しの多いものではあるけれど、扱っているテーマは「他者との不和を嘆く」ことを極限まで普遍的な話にして歌い上げている。
悲しいことじゃないのかな
今 情けない気がしないかな
どんなにぼくら 互いの心を傷つけ合うのか
お互いに苦痛を与え合う
どんなにぼくら 互いの愛を奪い合うのか
何も考えることなく 与え返すのも忘れて
ねえ 悲しいことじゃないのかな
この、心のすれ違いを嘆く歌がこのような壮大なスケールで真摯に歌われていることに、とてもエモい感じを覚える。他者との平和な関係、それはもしかしたら「手が届かないからこそ美しい」類のものなのかもしれない、とか考えたりしてしまう。
20. Brainwashed
(from『Brainwashed』)
この長い記事もこの曲で終わりです。彼のキャリアの最後になるこの曲*17のように。彼の生涯のディスコグラフィーの最後に位置する、彼の思想も皮肉も悲観も、すべて屈強なロックサウンドと祈りめいたインドサウンドの連続の中に解き放った、最後にして痛切な楽曲。「ジョージからリスナーへの最後の愛のメッセージ」みたいなのを完膚なきまでに打ち砕く、諧謔と諦観の果て。テーマ的にも曲構成的にも曲の方の『Living In The Material World』の続編と言えそうなのだけど、こちらの方がより淡々として、切実として、そして何か虚しい。
最後のアルバムの中でも最も無骨なギターリフに導かれて始まる楽曲は、音はナチュラルであるにも関わらず妙にひねくれ帰ったコード進行の上を、ひたすら彼がまくし立てまくる。ありとあらゆる「洗脳」の構造を、晩年の彼の引き攣ったような声の調子で、ひたすらに喚き立てる。歌い始めからそれはもう、ここまでヒステリックな場面があったかというくらいの。
子供の頃から洗脳されてる
学校で洗脳されてる
先生によって洗脳されてる
そんな彼らのルールに洗脳されてる
我らが指導者に洗脳されてる
王様や 女王様に
公然と そして暗然と 洗脳されている
よく考えればこのようなテーマを決めての大喜利スタイルはThe beatlesにおける彼の『Taxman』と同じ歌詞構造になっている。2番の歌詞には日経さえ出てくる。だけどそれをこの、どこかあえて「気の触れた老人」風にヒステリックに捲し立てるのは、どこまでがコメディでどこからが本気なのか。彼はそれについて一切を話さないうちに他界したため、真意は判らない。バックのサウンドはアルバムの他の曲と同じ程度には穏やかなので、尚のこと彼のヒステリックさが浮き出す構図になっている。イントロと同じリフをバックに、神に高々と願いを乞うことも、どこまでが自己パロディで、どこからが本当の嘆きなのか。「God, God, God」のコーラスはキャッチーでありつつも、何気にもの凄い。
この曲に出てくるインドのパートは2つ。ひとつは2回ヴァース→コーラスをやった後に現れ、こちらはまだ西洋音楽的なファンタジックさを纏っている。彼の息子Dhani Harrisonが、宗教に関するGeorgeの視線の一部を、本の引用として読み上げる。そして読み終わった途端に、また平穏でかつ辛辣なバンドサウンドと歌が帰ってくる。
奴らはぼくの大叔父を洗脳したし
いとこのボブを洗脳したし
大衆のために尽くしていたぼくの祖母も洗脳した
きみが眠っている間でも 渋滞してる間でも 洗脳
きみが泣いている間でも 乳母車の中にいる頃でも
洗脳する
神よ! ああ 神よ!
我らをこの混沌から導いてください
このコンクリートの大地から
無知より酷いことは無い 私は敗北など認めない
神よ! ああ 神よ!
私は何か忘れてしまっていたのだろう
クソッタレの通りを下っていく
せめて腐り行くのを止められたら
ああ 神よ!
もういっそ貴方が我々を洗脳していただけたら
破れかぶれの宗教かぶれが辿り着いたオチの、とってもブラックジョークな具合を経て、最後の彼によるインド音楽の演奏が始まる。こちらは本格的なインド式ドローン音楽で、そして今度は彼自身の声でマントラを唱え始める。2分以上に渡るこのセクションは、どうしたって彼の魂が天に昇っていくように聞こえてしまうけど、そんなものを彼自身はどういうつもりでレコーディングしたんだろう。
彼のその死によって終わってしまうキャリアの、最後の最後がこのユーモアと毒気と絶望に満ちた楽曲で終わるというのが、本当に、彼の死をウェットに悲しむ気にさせないし、聴いてて困惑するし、そしてこのともすれば「人生の最後に見つけた平穏な楽曲集」になりかねなかったアルバムを壮絶にひっくり返し、George Harrisonの思想の静かな強烈さを最後に音楽的にしっかりと示してみせた。
こんな素晴らしい最後を用意されて、遺書に世間に対する愚痴がずっと書いてあるみたいな状況を見せられて、ぼくはすっかりこのアルバムを「遺作」として聴く気が無くなってしまった。『Any Road』で始まり『Brainwashed』で終わるこの最後の作品集は、もはや呪霊か何かになってしまった彼の魂が時に優雅に時にヒステリックに漂う、虚無から差し出されたかのような不思議な、だけど際限なく、彼の最高傑作だとつくづく思う。
・・・・・・・・・・・・・・・
終わりに
以上、今回の相当長くなってしまった記事でした。
この記事ではGeorge Harrisonの思想とかそんなのを伝えようとして書いてるつもりは全くなかったのですが、結果として最後の曲が最後の曲だったためにそんな色が出てしまったなあ…と思いました。
ただ、彼の思想の強さ、そしてそれがあまりに普通の西洋の生活様式から離れていることによる、彼の精神の揺るがなさ・ある種の頑固さこそが、彼の音楽をどんどんヘンテコでユニークで、しかしとても優しい、彼らしい優しさに満ちたものにしているんだと思うと、彼の思想と音楽とはなかなか切り離すことができないなと思います。「神様を信じるからこそ、この曲ではこういう風にスライドギターを弾く」みたいなことをマジでやってそうな人なので。
思想については後世のフォローワーたちに受け継がれたかは分かりませんが、その思想から出てきたかもしれない彼の様々な音楽性は、確実に様々な時代の沢山の世界中の人たちに受け継がれています。聴いてると『Pure Smokey』で「これ完全にシティポップじゃーん!」って驚いたりするような体験があったりします。様々なユニークさが誰かに発見されるのを待っているのかもしれません。ぜひ、ユニークでウェットに富んで様々なアレンジとメロディに長けたSSWとしての彼を、様々に楽しんでいただければと思います。この記事が万が一それに役立つ部分が欠片でもあったならば、とてもありがたいです。
*1:これは『Abbey Road』のJohn曲もPaul曲も比較的弱いということも、余計にこの印象を強くするところ。
*2:それにしてもPhil Spectorもよくこんな自分の守備範囲外のいなたいサウンドもちゃんとプロデュースしたな…汚い話、相当な額を積まれたんだろうか。
*3:ブックレット内のイラストが特に強烈。ちょっと引いちゃう。
*4:このアルバム自体はそれまでのレーベルとの契約が残っていたため、自作までアップルレコーズからリリースした、というエピソードが有名。
*5:The Chiffons『He's So Fine』とメロディやコード進行が似ているために発生したもの。特徴としては、元ネタ的な楽曲の作曲者が1963年に死亡していて、最終的に訴訟に発展する際の原告は版権を当時有していた楽曲管理会社だったということ。むしろ同時並行して作曲者の親族と管理会社とで別の訴訟があっていたりと、この問題は色々と判断の難しい事案となっている。
*6:『哀しみのミッドナイト・ブルー』とかのもしかしたら現代なら一周してシティポップ的お洒落みを感じれるかもしれないものから、『主人公レックス』とかの何をキメて書いたんだ…っていうものまで、やりたい放題の邦題たち。いちいちおっさん臭くて笑ってしまうことも。
*7:ついでにこの時期は録音に参加したメンバーの話だととりわけコカインが蔓延したレコーディング状況だったらしい。1970年代ロックの闇の部分がここでも表出してる。
*8:というかむしろ逆で、ここでの演奏みたいな雰囲気を歌謡曲側が取り入れていった部分も大きいと思う。
*9:ただ、自主レーベルの配給元から「お前のレーベル売れない作品ばっか出しやがって!」と訴訟を受けていて、それで配給元がA&Mからワーナーに変わっていたりといったことも起きてる。
*10:The Beatles時代においては、100を超えるテイクを録音しながらボツとなったという、彼にとってトラウマになりそうな経験をした楽曲でもある。でもそのボツになったThe Beatles版の方が正直好き。
*11:差替後の『That Which I Have Lost』がややこの路線の曲ではある。けど16ビートなので「普段の感じ」とはまた違うテイストになってる。
*12:彼がThe Bandの1stをアメリカでたくさん買い込んでイギリスの知人に配ってたエピソードは笑える。マジで“布教活動”してたという。
*13:アルバム『Extra Texture』レコーディング時はコカインが蔓延してた、という証言もあるから、本当にキメて描いた結果なのかもしれない。
*14:1970年代後半にはパンク以降の流れがあってまた8ビートに戻るけれども。
*15:メジャー→メジャーセブンスの移行とかサブドミナントマイナーとか、こっちも調べてみると色々興味深い。
*16:共通するのは5弦4フレットを抑えること。この静かに不穏な感じが凄い。よくこんなコード見つけてくるな…と思った。
*17:正確には彼が生前最後に録音した曲は別の曲