ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

“宅録”の時代的変遷、及び“宅録”アルバム30枚

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 音楽作品は作るためには録音をする必要があって、多くの世に出てきた作品は録音するためのスタジオで演奏とかをして録音をするんですが、時折、自分の家などでそういったことを完結させてしまう「宅録」というスタイルで作品を出す人がいます。むしろ現在は機材の発達・普及によってそっちの方が新譜として出る絶対数は多いのかもしれません。

 それで、今回はそういう、宅録・ホームレコーディングによって製作された感じのある作品を30枚ほど集めてみた記事になります。ついでに宅録環境の時代ごとの変遷もちょっと書き足すことになりました。

 なお、弊ブログの特徴として、ロックの延長線上にある歌もの楽曲を取り扱うことが基本としてあるので、今回のチョイスも純粋にトラックメイカーめいたものについてはあまり選んでいません。どっちかというと、宅録によって生ずる「いなたさ」に焦点を当てた選盤なのかもと思います。悪しからず。どうぞよろしくお願いします。

 

 

はじめに

 最近のこのブログの記事は大抵この部分が長いです。

 

なんで宅録をするの?

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 ちゃんとしたスタジオがあるならそっちで録音をしたほうがちゃんとした作品になるんじゃないかと、そう多くの人は考えると思います。でも、宅録をする人たちはそれぞれ様々な理由があったり、たまになかったりしつつ、実際に宅録の形式で作品を残しています。そこで今一度、宅録にどんなメリットがあるのか整理しておきます。

 まず重要なことを言っておくと、宅録は単に演奏等を録音できるだけでなく、演奏をダビングして複数の演奏をひとつの曲にまとめることが、スタジオでなくても可能になる、ということ。マイク1本弾き語りの音源とかも宅録ではありますが、スタジオの録音とある程度同じようにダビングすることができることは、宅録の大前提です。

 

①スタジオ代がかからない

 練習用のスタジオでもそうですが、楽器演奏用のスタジオというのは普通、お金を払って利用します。こと録音の場合は、アーティスト自身が録音機材を全部扱うとかでなければ、スタジオのエンジニア等が録音のための機材の準備から、実際の録音作業、場合によってはその後のミックス等までしてくれる訳です。なので、当然普通はお金がかかります。

 しかし、家で録音するなら、当然ながらスタジオ代やレコーディングのスタッフ等に払うお金も発生しない訳です*1。また、スタジオを使う場合、使用する時間に応じて金額が発生していく訳ですが、家ならいくら作業をしたって金はかからない訳です。

 お金の問題はいつの時代でも重要になってくる問題で、特にメジャーレーベルの求心力が低下し、インディペンデントな活動をするアーティストが増えてきた現在においては、レコーディングにあまりお金を掛けられないから宅録、とか、もしくは録音をスタジオで行ってそれ以降の作業は家に持ち帰って行う、等のやり方が増えているかと思われます。

 

②いつでも好きなようにやれる

 スタジオに行かなくていいので、時間の縛りがありません。朝起きて、仕事に行く前にちょっと作業をする、とか、何か急に思いついたので、そのままその場ですぐ録音作業に入る、といったことが家なら出来ます。勿論、自分以外の誰かの演奏等も録音するならそこは日時の調整が必要になってはきますが、それでも、他人のスケジュールを確認し、スタジオの空き状況を確認し、双方を予約し、といったスタジオ録音の際の手順のうち片方を省略できるのは十分魅力的です。

 特にひとりで延々とレコーディングしていく際は、思いついた突飛なアイディアを試す上で、他の誰も付き合わせる必要がない、というのは心理的ハードルを低くするもので、次の利点に繋がります。

 

③好きなだけ思い切ったことができる

 特にひとりでレコーディングを進めていく際や、そのままできた音源のミックスを進めていく際などは、誰に意見を聞くでもなく、費用も時間も他人の機嫌も気にせず延々とひとり没入できる環境は、製作者自身の思いつくままにドラスティックなことを次々やっていくのに向いた場だと言えます。勿論、その作ってる人がそれだけのアイディアがあれば、というところはありますが。

 基本的にはスタジオでエンジニアをやっている人も、結構そういう実験的なこととかも経験していることが往々にしてあるので、案外尋ねてみればスタジオ録音でも同じようにできるかもしれないし、自分でやるよりもっと上手くしてくれることもあるかと思います。この辺はハイブリッドできる部分で、宅録でアイディアを持っていってスタジオでより精緻にアレンジしていくことも出来ると思います。その辺はスタッフ次第で。

 この側面は特に、近年のラップトップ化が急激に進んだ製作環境だと、様々な“素人考え”が斬新な音像の製作に寄与することが少なからずあるのかな、と思います。Billie Eilishみたいな音が突然宅録から出てきてグラミー賞を獲る、というのは、少しばかり夢のある話かもしれません。

 

④ハンドメイド感・いい意味での“チープさ”の表現

 トラックメイカー的に作り込んでくる人の場合はそうでもありませんが、こと「様々な理由によりやむをえず/手っ取り早く宅録をやっている」アーティストの場合、自然とこの利点が生み出されることがあります。良い方に行くと「より自然で、人が人力で作ってる感じの伝わる、ウォームで優しい音」に、悪い方に行くと「未整理で音像の焦点がボケた、こもった音」になりますが、時に後者もそれはそれで良さに思えてくる作品があります。ローファイの良さは宅録から生まれることもままあります。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 ただ、「おれはローファイだからずっとこれでいいんだ」としてずっとエフェクト類を触らないでいるのも勿体無いので、ローファイ作品を志向するにしても、ある程度EQやコンプといったものに触っておく方がいいと思います。その方がもっと狙った「ローファイ感」を出せるようになるかもですし。

 でも、あえて宅録の作品に手を伸ばしたい気分の時って、割とこの要素を求めてる時が少なくない気がします。親しげな感じというか、どうにもならない感じというか。

 

⑤各エフェクトの仕組みやその効果を手軽に学べる

 これは特にDAWが普及して以降の2000年代くらい以降の話になってきますが、宅録を進めていく中で、EQとかコンプとかリヴァーブといった様々なエフェクトのプラグインを使用していくことになるかと思われます。ここで、それらのエフェクトの効果と、特に「こういう風に操作したらこれはこんな掛かり方をする」というのが分かってくるのは、製作していく上で大きな助けになる場合があります。

 EQひとつ取っても、たとえば声の低域をガッツリ減らすと、電話やラジオめいた「その場にいない」声になったりする、など、そういった様々な体験が、楽曲のアレンジの可能性を広げていくことに繋がるだろうと考えられます。

 

用語や概念の整理

 「宅録」の他にも似たような言葉や概念がいくつかあるので、最初に整理しておきたいと思います。あとで挙げる30枚の定義に関わる話でもあります。

 

宅録=ひとり多重録音?

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 これは必ずしもイコールではない、でもその要素は大きい、と考えてます。

 自分の家でレコーディングすることのメリットとしては上記のとおり様々ありますが、そのうちの結構な部分が、1人で全部進められるからこそメリットが際立つものになっています。つまり、一番金をかけずにしかも好きな時に好き放題やれてしまうのは、演奏を全て自分でやって、ミックス・マスタリングまで全て自分でやってしまうことです

 ただこれは、自分以外に他者の目線がない形で作品を作ることになるので、それでいいのか悪いのか、悪いところがあったら指摘する外部の声があった方がいいのかどうか、という問題が発生します。外部のジャッジによって作品がいい具合に補強されるか、それとも自分だけで突っ走った方がいいかは、正解の出る話ではないと思います。

 それで、別に宅録作品だから一人で作らないといけない、ということはなくて、ゲストを呼んでちょっと弾いてもらったり叩いてもらったり歌ってもらったりしてもいいわけです。なんならインターネット以降は、データのやり取りで他者の協力を得られれば、自宅に呼ぶ必要もないので、予定を合わせる必要さえもなくなって、かなり自由にやれるはずです。なので、このようなちょっとしたコラボはインターネット前よりも格段にやりやすくなっています。

 もしくは、録音は全部一人でやっても、その後のミックスやマスタリングはスタジオのプロの人にやってもらうとか。ミックスって難しいですもんね。

 

家じゃないと宅録じゃないの?ホテルとか滞在先での録音は?

テラス付きの森のコテージ | Tree Picnic Adventure IKEDA(ツリーピクニックアドベンチャー いけだ)

 個人的には“宅録”というのは「どこで録るか」よりも「整備されたスタジオ“以外”で録ること」の方が大事なようにも感じていて、たとえホテルであっても、そこに充実した録音施設があるとか、そういったものを大量に持ち込んでスタジオ化するとかいうのは、流石に宅録の範疇を超えるような気がします。ホテル等の滞在先で録音するなら、最小限のラップトップとオーディオインターフェイスとあとマイクくらいで済ませる方が宅録としてシュッとしてる気がします。それかもうiPadとかのみでやるとか。

 上の画像を貼って思いましたが、コテージとかに籠って宅録とかちょっとやってみたいですね。宅録の「金がかからない」の利点が吹っ飛びますが。ついでに上手いことフィールドレコーディングも合わせてできれば御の字ですね。

 

“ベッドルームポップ”と宅録って同じもの?

「読書の秋に。同じ景色が見えてくる、おすすめの音楽と小説5選」のアイキャッチ画像

 直感的に「必ずしもイコールじゃあねえんじゃねえかな」と思いました。逆にベッドルームポップという概念が、結構様々なニュアンスの含まれるものだと思われます。

 ベッドルームポップの元々の意味としては確かに、寝室で作ったような個人的な感じのする作品、つまり宅録作品、みたいなニュアンスが大きかったんだと思います。しかし、段々とそこに、サイケポップだとかチルだとかインディーR&Bだとか女性SSWだとかそういった、ちょっと意地の悪い言い方をすれば“小洒落た”“どこか清潔感のある”ニュアンスが付加され、むしろそっちの意味合いが主になった感覚があります。中村一義をベッドルームポップと呼ぶのは流石に無理がある*2、みたいな。勿論ベッドルームポップと呼ばれている作品の中にも、えらくドロッドロした作品もたまにあったりしますが。

 感覚的には、“宅録”はあくまで手法であり大枠のジャンルであり、その中の一角がベッドルームポップなのかな、と捉えています。

 

テクノとかトラックメイカーものとかも宅録ですよね?

トラックメイカーと作曲家との違いとは? | Trackmakers

 家で作ってるならそういうのもきっと宅録です。

 なんでこういう項目を作ったかというと、今回の自分の選盤があまりこの辺が入ってないからです。日本にはある程度世界的にも有名なテクノ作家やトラックメイカーが複数名いて、そういう人たちが日本の宅録業界を強力に牽引してきたことは間違いないと思います。なので、そういうのを軒並み入れてない今回のリストは、見る人によっては何も参考にならない気がします。この辺は趣味なので、しょうがないですね。ボーカロイドとかそういうのも同様に、よく分からないです。

 門外漢なので、ホントに下手なこと書きません。

 

宅録ってバンドには関係ない?

吉田肇×中西伸暢(PANICSMILE / 福岡UTERO)- PANICSMILEもUTEROも"それしかできない人たち"の集まりだから、今は‪包丁を研ぎまくってます!  (2020年5月11日) - エキサイトニュース‬

 関係ないことないです。

 まず昔から、レコード会社やバンド内のプレゼン用に宅録でデモを作って提示することはよくありました。弾き語りデモよりも、ドラムやベースやギターが一式入った音源の方が完成形がイメージしやすく、どういう演奏をすればいいかスタッフや他の演奏陣も把握しやすくなります。作り込みすぎると「そのままその演奏をなぞる」みたいなことになったりもしますが。

 または、ベーシックトラックはスタジオで録って、そこへのダビングを宅録でやる、といった方法も、特にそこまで努力した宅録環境じゃなくてもそこそこの音質で録音できるようになってきた近年においては有効な手立てのひとつになります。スタジオ代が浮く!

 近年の話でいえば、コロナ禍によって外出や他者との接触が難しくなった中で、リモートによる合奏や録音といったものが様々試みられ、広まってきています。この場合において、やや周囲への音漏れ対処等が難しそうなドラム以外は、十分家でヘッドフォン付けて対応できるので、これで録音物を作れば、それは宅録の延長線上の何かと言えるかもしれません。もしかしてリモートで一発録りとかって既に可能なのか…?

 そして、日本においては特筆すべき「宅録で作品を作ってしまうバンド」をとりあえず二組挙げることができます。

 1組目は前回の記事でも大概書いたムーンライダーズ。2000年代入って以降、特に自主レーベルから作品を出すようになって以降は、予算を抑える目的もあったかもですが、宅録したデータを共有して作品を制作していく手法を多用し、バンド感のあるこの年代の作品を量産していったことは不思議でもあります。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 その宅録データ共有方式でさらに過激なスタイルの楽曲を量産しているのが、ここ数年のPANICSMILEです。メンバーが東京・名古屋・福岡と各地に散らばっていて集まるのが大変なので、音源データのやり取りだけで作品を作り上げようとして、それで2枚もアルバムを作ってしまったという。どうしてこのバンドみたいなグッチャグチャなアンサンブルがそんな手法で成立してしまえるのか、このバンドに対する不思議さが余計に増えた経験でした。宅録の可能性を地味に凄く広げてる気がないでもない気がします。

www.youtube.com

songwhip.com

 

宅録を始めたいですが何を買えばいいですか?

DTMやボーカル宅録で必要な機材は? 〜特集『ボーカル宅録ガイド』 - サンレコ 〜音楽制作と音響のすべてを届けるメディア

 こんな感じのものを買えばいいみたいです。

 このブログの記事よりも、他にもっといい記事が幾らでもありますのでそちらを当たってください。とりあえずパソコンとオーディオンいたーフェイスとDAWとあと歌を入れるならマイクくらいを揃えてヘッドフォンもあればとりあえず出来ると思います。一応筆者も多少宅録をやってますがこのくらいの機材しか持ってません。最近はiPhoneだけで宅録してる人なんかもいるので、きっとやりようなんだろうと思います。

 

本編

 この先ようやく本編に入りますが、年代ごとに分けて見ていくので、そのついでに各年代の宅録機材等についても簡単に触れていくことにします。昔はそういう感じだったんだなあとぼんやり思っていただければ幸い。筆者も「昔はそうだったんだなあ」とぼんやり思いながら書いています。また、サブスク等ある作品については作品名のリンクはSongwhipというサイトにて作成した各サービスへのリンクをまとめたページに飛ぶようにしています。サブスクがない作品は適宜やってます。

 

 

1960年代〜1970年代

Ο χρήστης 多羅尾案内 στο Twitter: "1976年春頃、福生45スタジオ にあるミキサールームの写真(左)。最近放映された映像では1978年下旬そのミキサールームで作業をする大滝さんの姿を捉えている。この部屋の機材は若干置き場所を変えたりしている。…  "

 この時代くらいまでは“宅録”とは言っても、単にスタジオのプロユースのスタジオ卓をはじめとするゴツい機材を自宅で揃えて、自宅で演奏を録音しミックスする、みたいな感じで、機材を揃えるお金やそもそもそれらを置いてちゃんと音響とかも考慮できる持ち家が必要なこと等を考えると、自宅録音はなかなか敷居の高いことだった感じが強くします。そもそも録音媒体がデカいオープンリール式のアナログテープですし。

 ただ、現代の宅録楽家においても、アナログテープに拘りを持って宅録する人や、この時代に使われていたのと同型のNeveのミキシング・コンソール等のヴィンテージ機材を追い求め使用している人もいたりします。そういうデカいものを置ける家に住めるのがまずいいですよね。

 

 

1. 『Smiley Smile』The Beach Boys(1967年)

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 天才Brian Wilsonがバンドメンバーを超えて多数のミュージシャンを駆使してスタジオに籠って作り上げた大傑作『Pet Sounds』と、同じ体制で更なる先を目指した『Smile』のセッションの失敗を経て生まれたのが、失意のどん底のBrianの曲をなんとか形にしようとして彼の自宅をスタジオに改造し、メンバーのみで短期間で録音したこの、無意識的な唐突さとシュールさを本当にナチュラルに極めたような奇妙な楽曲集が、ロックにおける宅録、というかホームレコーディングの最初期の著名な作品となっている。混乱した状況のはずなのに、なんだかんだで時代を奇妙にリードしてしまうのは皮肉なところ。

 作品は、『Smile』セッション前の『Good Vibration』とセッション中の『Heroes and Villains』のみを例外として、本当にどこかふにゃふにゃしてるような、普通のポップソングになりにはあまりに音が足りてなさ過ぎるような、そんな作りばかりをしている。幾つかの曲は『Smile』セッションから引き継いだ楽曲だけど、ここでは随分と無音感の強い、ダークな奥行きを無意味に持たされたような作りになってる。『Vegetables』の時点で、頭のネジが外れたまま頭が宙に浮かぶような頼りない楽しさが妙な雰囲気の中流れていく。一部の曲ではちょっとだけリゾート音楽の感じもあるテイストが、本作的なスカスカ具合と突拍子もない接続で鳴らされる。そのデッドな具合に、宅録的な雰囲気のはじまりの何かを感じれなくもない。そんな雰囲気でも強烈にThe Beach Boysを感じさせるのが、変幻自在のコーラスワーク。『Smile』セッションで実験の限りを尽くしたそのコーラス隊は、どんなシュールで奇怪なラインも正確無比に奏でてしまうのだけども。

Vegetables (Remastered 2001) - YouTube

 

 

2. 『There's a Riot Goin' on』Sly & the Family Stone(1971年)

Sly & The Family Stone – There's A Riot Goin' On (1971, Vinyl) - Discogs

 この超有名作品を宅録作品にカウントするのは間違っている様な気がしないでもない。ホームレコーディングもいくらか含まれつつ、でも基本的には一応スタジオ録音がメインの様な気もする。ただ本作はその成り立ち、すなわち、ドラッグでヘロヘロになったSly Stoneがリズムボックスに合わせてひたすらダビングを重ねて制作していった、暗い奥行きを持った密室ファンク作品、という部分がどことなく宅録的なものに感じれる。いくらラリって訳分からなくなった状態とはいえ、自動で動くリズムの上に家でひたすらダビング重ねて名作を生み出すって宅録家の夢そのものだもの。

 それにしても、反復と抑制がファンクの要だとすれば、ここでの様々な色々が本当に実に的確で、擬似宅録めいた環境だからこその不健康さがその抑制の中で君悪く蠢き続ける様がずっと不気味で、そして状況の特異さがあるからだろうか、本作の「宅録の檻の中」だからこその禍々しさを同じように表現する他の作品というのも世の中にそんなにない気がしてる。上のThe Beach Boysの作品共々、“宅録”と呼ぶにはドラッグを中心にとても金がかかりすぎていて、また家で強引にやり通してしまったデッドさと音の濁り具合が奇跡的な効果を発揮しているためか。部屋の埃やカビの匂いまで感じられそうなその音質の曇り具合の絶妙さと、どこにも辿り着かないミニマルな曲構成とが、この盤にしか存在しない行き止まりの果て、みたいなものを感じさせる。色んな人がそこに辿り着きたくてしかし辿り着けないでいる。

Sly & The Family Stone - Family Affair (Official Audio) - YouTube

 

 

3. 『Something/Anything?』Todd Rundgren(1972年)

Something / Anything? : Todd Rundgren | HMV&BOOKS online : Online Shopping  & Information Site - VICP-60805/6 [English Site]

 宅録界の大御所となると、Todd Rundgrenの存在は欠かせない。早くからミュージシャンとしてだけでなくエンジニアとしても経験を積み、また複数の楽器を演奏し全てを一人でこなすことが出来てしまう彼は、バンドNazzを脱退した後、早々にソロアルバムを作り始め、そして「自分がなんでもやってしまえば、他の人を日程を抑えてレコーディングを進めるより遥かに早い」ということを利用し楽曲を量産し、早くも1971年の遅くにはスタジオ以外に彼の自宅に8トラックレコーダーを持ち込み、自宅にて楽曲制作を始めた。これにより更に急速に楽曲制作が進み完成したのが、ソロ3作目にして2枚組25曲90分越えの大作であり、優れたメロディとサウンドに満ちた本作だ。色々手探りでやっていたらしいのに、それで2枚組分の楽曲を作り、そしてこれが彼の代表作ともなっている。

 ここに収録の楽曲の多くが、彼のポップセンスが素直に出た、つまりThe Beatlesをはじめとしたサイケなポップさを、特にややサイケ方面のセンス多めに吸収したためにどこか根本的に捩れがあるようなでも基本ポップな、そんなセンスが素直に出たものになっている。楽曲ごとにそれぞれ何をフックにするかを明確に決め、そこに向けて曲構成を作り、それに沿うように自身で各楽器をトライアンドエラーで重ねていく姿は、早くも宅録作家として完成しすぎている。彼以外のメンバーとバンド形式でレコーディングした楽曲は2枚目後半(レコードなら2枚目B面)に固まっていて、なのでそこ以外の楽曲はどんなにバンドサウンドしていても全て彼の多重録音によるもの。そこには演奏だけでなく、左右のパン振り等をはじめ彼のどこか偏執的なスタジオワークも適度に顔を覗かせる。彼の場合「宅録ならでは」という感じよりも「宅録でスピーディーにスタジオ録音と遜色ないものを作る」という部分があって、聴いてて全然宅録特有の要素を感じられないのが面白いとも、又はそうでもないとも言える。

 彼はソロアーティストとしても、またプロデューサーとしても、その器用さを活かして成功しており、ウッドストックの外れに自身のUtopia Sound Studiosを設立し、そこでバンドとの激しい衝突を繰り返したXTC『Skylarking』を制作したことが、彼のプロデュース方面での一番著名な事項だろう。映像制作もしていたり、ちょっと何でも出来てしまいすぎて訳分からなくなる。正直、この人を宅録の代表者としてしまうと様々な基準がおかしくなってしまうような、そんなお方。ここまでしっかりしてると、アウトサイダーアートな感じはまあしないですよね、っていう。

I Saw the Light (2015 Remaster) - YouTube

 

 

4. 『Phonography』R. Stevie Moore(1976年)

Amazon | Phonography | Moore, R. Stevie | 輸入盤 | ミュージック

 そんなTodd Rundgrenがいる裏で、Daniel Johnstonよりもずっと早くから、こんな人がずっと作品を作り続けていた、ということは今回この記事を準備しててはじめて知った。“宅録ゴッドファーザー”としばし称され、1968年にオープンリールのレコーダーを買ってもらって以来ずっと宅録を繰り返し、400枚(!?)ものアルバムを制作してきたという彼の生き方は、誰にも見せることなく孤独に16歳からその死の半年前まで長大にも程がある小説『非現実の王国で』を書き続けた“小説家”Henry Dargerと被る。小説家と違って、彼は作品をちゃんと外にリリースし、他者から評価されてきたけれども。本作はそんな中で、彼がはじめて「ちゃんとしたレーベル」からリリースした作品で、それまでの宅録作品からのベスト盤的な内容になっている。当時のニューヨークのパンク・ニューウェーブ界隈で高い評価を受けている。

 ベスト盤、という性質のため、本作はなんでもありだ。冒頭からシンセが大いに鳴り響くインストになっていて、ギターのフィルターの掛け方といい、1976年時点で何気に凄いものを作っている。まだYMOは存在してない年。かと思うと、サイケ期のThe Beatles以降のヘロヘロなポップさを指向した『Goodbye Piano』のポップさが出てきたり、かと思うとラジオのコールに導かれてジャキジャキのギターサウンドで奏でられるポップさがサイケとパワーポップの間を行く『California Rhythm』があったりと、この人には一体何が見えてたんだろう…と不思議になるような先駆的な楽曲が並ぶ。歌のヘロヘロさはともかくとしても、不穏なコードとメロディで怪しく進行していく『I've Begun To Fall In Love』なんて、早すぎたElliott Smithのようだ。歯切れのいいギターロックに変なシンセが絡み続ける『I Wish I Could Sing』なんて、ローファイポップの完成形みたいなもので、成程後のAriel Pinkが師と仰ぐのも凄く納得できる。Pizzicato Fiveの『カップルズ』(曲の方)のコーラスワークの元ネタが入ったやはり不穏なサイケフォークの『Showing Shadows』に、ブリッジミュートギターで進行していく様がパワーポップしすぎな『She Don't Know What to do with Herself』など、本作はあまりに「この後」の要素に満ち溢れている。1976年というのが信じられない。

 本作で彼を知って、本作を聴き終わった後には膨大すぎる彼のディスコグラフィーが広がっている。サブスク上だけでも、それらを聴き終わるのは気が遠くなる。ベッドルームポップという言葉とは馴染みが良くなさそうなナードさがべっとりあるけども、しかしそれ故にこそ、ローファイ音楽にとっても彼は偉大なゴッドファーザーであり続けるだろう。

 彼のことを知るなら、この本人インタビューがおそらく一番手っ取り早いです。

heapsmag.com

 

www.youtube.com

 

 

5. 『NIAGARA CALENDAR'78』大瀧詠一(1977年)

Amazon Music - 大滝詠一のNIAGARA CALENDAR '78 - Amazon.co.jp

 日本のはっぴいえんどのフロント二人も、解散後は両方ともホームレコーディングを試み、優れた演奏家を集めたいなたいサウンドを自宅を改造したスタジオに迎えて、それぞれ『HOSONO HOUSE』に『NIAGARA MOON』といった傑作をものにする。だけど特に大瀧詠一の方は、レーベル移籍時の過酷な契約内容のせいで、その自宅スタジオで作品を量産しないといけない羽目になった。そんな苦しさの中で、従来のリズムの追求に加え、元々から持っていたポップスへの研究結果も限られた設備と工夫でどうにかやってみようと挑戦したのが本作の、とりわけ「81年リマスター」じゃない方だ。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 詳しくは弊ブログの上記記事で書いたのでそっちを参照いただきたいが、ここにはこの後ソニーの最新鋭のスタジオで『A LONG VACATION』以降の作品の音を作っていく前の、どうしたって満足しようのない自宅の限られた音響環境の中で、それでも理想とするサウンドに向かって必死に手を伸ばす彼の姿が垣間見える。風呂場リバーブを冗談ではなくガチで使用していたことをはじめ、本作の77年当時バージョンは多忙な彼がそれでも最善を尽くして頑張った録音とミックスの成果が詰め込まれている。その後ソニーの最新鋭スタジオで潤沢なエフェクト類を駆使して満足するまでリミックスした「81年リマスター」の方が彼が理想としていた音かもしれないが、でも、宅録ならではのデッドな音響が生み出す良さが確かに「77年当時バージョン」にはある。インディーロック好きな人が好きになるのはもしかしたら77年版の方じゃないかと思ったり。絶対『真夏の昼の夢』は77年版の方がいい。本人は失敗作だって落ち込んだらしいけど。

大滝詠一 真夏の昼の夢 - YouTube

 ただでさえ砂浜が限られる東京湾からさえ遠く離れた福生の米軍払い下げの家に籠って、こんな優雅な海辺の楽曲を夢想する、その想像力のロマンに満ち溢れた具合こそなんか“宅録”って感じがする。まあひとりで黙々演奏した訳ではなく多人数による演奏だけども。

 

 

1980年代

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 1979年にTEAC社から発売された4トラックカセットMTR『TEAC244』によって、自宅に大きなミキシングコンソールやオープンリールを用意しなくても、もっと小規模の設備で自宅録音できる環境が遂に生まれました。流石にこれでスタジオ技術を結集した世の中の大ヒット作品に匹敵するハイファイな音楽を作るのは困難なため、デモ作り用として購入した人も多そうですが、中にはこのようなチープな機材で最後まで作品を作ってリリースし始める人も現れてきます。この辺はローファイというジャンルの萌芽にも繋がってくる話だろうかと思います。

 さらに言えば、1980年代に伝説的なリズムマシンであるTR-808が、もう少し後にそれ単体で様々なサウンドを作り出すことができたシンセサイザーDX7が、そして1985年には100万を超えたりしないそこそこの値段で購入できるサンプラーが販売され、宅録環境でも様々なことができるような環境が段々整ってきます。

 

 

6. 『McCartney Ⅱ』Paul McCartney(1980年)

Everything Flows: McCartney II

 彼こそ、The Beatlesの解散直後に当てつけのようにリリースしたソロ1作目で、自宅録音によるラフな作品をリリースし、「自宅録音とはこういうもの」的な雰囲気をリードした人物。かと思えばまたバンドWingsを立ち上げ、新たな成功を掴んでいく。で、そんな中でも「また自分だけで何でもかんでもやってみたい」と思ったのか、宅録を実施し作品を完成、Wingsが来日公演前での麻薬所持による逮捕で活動休止になった後にリリースした。スコットランドの自宅農園で録音した割にさして牧歌的な内容ではなくむしろ当時のシンセポップ等の潮流を自分でもやってみた風な、いい具合にとっ散らかった作品となっている。

 冒頭『Coming Up』からして、少しディスコサウンドに挑戦した風な、ギターのチョコチョコしたカッティングがずっと鳴り続ける楽曲になっている。声も様々に弄り倒してあって、演奏メンバー全員Paulが演じ分けて合成したPV共々、なるほど宅録…と思わせる出来とそれゆえのポップさがスッと出てる。それ以外の楽曲は不思議なのが多く、彼っぽいフォーキーな曲に無理やりシーケンサーを並走させてみたような『Temporary Secretary』をはじめPaulの「素人なりに色々やってみたかったのさ」的な楽曲が続いていく。また、YMOに影響されたと思しきピコピコしたインスト曲も複数入っており、タイトルが露骨な『Frozen Jap』などYMO的な旋律にもチャレンジしている。中には、彼らしいバラッドがシンプルな演奏で収録された佳曲『Waterfall』だったり、ヒップホップ以降的なビート感を見せる『Darkroom』みたいに、少しばかりベッドルームポップしてるかもしれない楽曲も幾つか含まれている。数打てば当たる。

 本作や『McCartney』の素朴さ・テキトーさを思うと、近年リリースされた『Ⅲ』は全然ちゃんと作った作品だったなあ、と思ったりした。

www.youtube.com

 

 

7. 『True Image』Steve Elliott(1981年)

TRUE IMAGE (LP)/STEVE ELLIOTT |SOUL/BLUES/GOSPEL|ディスクユニオン・オンラインショップ|diskunion.net

 『There's a Riot Goin' On』の制作風景を思うと、宅録ソウルっていうジャンル*3が大いにあっても良さそうな気がして探してたら見つかったのが、このSteve Elliottという人。たまたま見つけられたこの人についての記述を読むと、

 

ロサンゼルスに生まれ育ち、レコ屋通いが趣味だった少年は10歳にしてなんと映画デヴュー、撮影技法や編集技術のみならず録音技術なども身につけました。

 

…と、「そんなことある!?」と思える人生を送っていて、そんな彼が宅録で制作した、チープなリズムマシンやシンセやギターで彩られつつ、しかし拙さやぎこちなさは全然感じさせないスムーズで、少しチルな感じのR&B集となっているのが本作。まさにこういう作品を探していたから、その完成度にビックリした。

 全体的にファンク的な質感は薄く、AORに片足突っ込んだようなスウィートソウルっぷりには「ブラックコンテンポラリー」というワードもちょっと浮かぶけど、プロのスタジオでキレッキレに仕上げられたものではなく、手元の機材だけで一人の青年がこれを作り上げた、ということを思うと、その全然堂々としたトラックの隙間に微かに流れるパーソナルな感じに、かえって引っ掛かりのある親しみやすさを感じられる気がしてくる。808で組んだと思われるハットやクラップの音も心地よく、シンセのとエレピの交差するフワフワした感じには少しドリーミーな風味もあって、成程これは確かに「早すぎたベッドルームポップ」かもしれない、と思ったりする。ボーカル無しの『Exist』とかいよいよ本当にドリームポップって感じだし、本作の最後に不安定なシンセの揺れ方で始まる『Memory』とか、昔のコーラスグループっぽいコーラスワークも含めて最高。

 彼は本作と次作『Completion of a Miracle』の2作を残していて、どちらも良い。孤独を感じさせすぎない作りは、スルッと聴くのにも適してると思う。

Memory - YouTube

 

 

8. 『Hi, How Are You』Daniel Johnston(1983年)

DANIEL JOHNSTON / HI, HOW ARE YOU - THE UNFINISHED ALBUM (TAPE版) - LOS  APSON? Online Shop

 1980年代アンダーグラウンドの伝説として、2019年の逝去以降より評価が高まってる感じがあるこのアーティストの、この有名作は、もはやアルバムタイトルで検索するとこのジャケットイラストを利用したTシャツの方が沢山検索結果に出てくるのが少々困ってしまう。カセットテープでのリリースから、ものすごく出世したクリーチャーだろう。その少しばかりファニーな奇妙さは、精神の病を抱えながらSSWとして、グラフィックデザイナーとして延々と活躍し続けた彼*4を象徴するものがあったのかもしれない。彼の子供っぽい声と歌が、ピアノやギターだけでなく、様々なサウンドコラージュとともに収められ、歌心を志向しながらも世の中に晴れやかに立てる存在ではない、そんな引き裂かれ具合を思わせるアンダーグラウンドなカオスさを持った作品。Tシャツの気軽さと打って変わって、音楽の方はもう少し心の闇を覗くような作品だと思っておいた方がいい。

 語りのような冒頭の曲が終わって2曲は、彼のポップセンスが味わえるような、どことなくThe Velvet Undergroundを思い浮かべるようなプリミティブなリズムでオルガンを叩き続けて歌う楽曲で、特に、彼の高い声が自由に清々しく抜けていく『Walking the Cow』は人気曲だ。でもその後は、チューニングがおかしくなっているギターでの弾き語りだったり、心細くなる奇妙なトラックをバックに歌う楽曲だったりが前半を占める。のちにSonic Youthのメンバーと一時期合流して活動してたのも頷ける不協和音っぷりを放っている。後半では、どこぞのムードジャズのナンバー(の音質が歪み切ったもの)をバックに歌う『Desperate Man Blues』で始まり、ピアノが綺麗な歌もの『Hey Joe』、やっぱり何かの録音物の再生をバックに不安定な歌を載せる『Keep Punching Joe』、不穏な効果音をバックに喚き散らすような『No More Pushing Joe Around』と執拗にジョーを攻め続ける。最後のサウンドコラージュの不安になる感じはカセットテープだからこその嫌な暗さがある。

 

結婚なんてしない 結婚なんてしないんだ

誰も死んだお前にキスしないんだ お前は死んでるし

誰もお前と寝てくれないんだ お前の肉が腐っていくし

             『I'll Never Marry』より

 

 彼の作品をどんな気持ちで聴いていいのか分からない。でも、宅録によって彼が世に作品を出すことができたことは、とても良かったことだったと思える。

Daniel Johnston - Walking The Cow - YouTube

 

 

9. 『The Freed Man』Sebadoh(1989年)

Amazon | Freed Man | Sebadoh | 輸入盤 | ミュージック

 当時まだDinosaur Jr.のベーシストでもあったLou Barlowが、そっちでは発表しづらい自作曲をEric Gaffneyとともに沢山4トラックレコーダーで宅録しまくって作品を出したのがバンド・Sebadohの始まり。やたらとサイドワークの多い彼のキャリアもまたこの作品から始まっていく。本作は、このバンドのローファイさを象徴する、4トラック宅録にて量産した32曲*5もの短い楽曲を、中には曲とも言わなさそうなサウンドの断片みたいなものも含めて収録されていたもの。この時点ではこの後このバンドが叙情的なオルタナサウンドを獲得するとは夢にも思わないかもしれない。

 トラック数としてははっきりととっ散らかっていて、中には短い尺の中でさらに複数の楽曲を強引にくっつけて1つにしてるようなのもあったりで、ともかく何でもやってみよう、どうせチープな宅録なんだから、といった雰囲気が感じられる。ただ、楽曲的にはフォーキーな構造をしたものが多く、その中には1960年代的なフォークロックへの憧れみたいな楽曲構造やサウンド処理が見られる。かと思えば、やけっぱちのガレージロックに「誰!?」って感じの人が歌ってるトラックもあったりする。ちゃんと聴いていくと、当時の4トラックレコーダーでも頑張ればこれだけのことが出来たんだな、ということが見えてきて、このオモチャ箱みたいなアルバムのインディペンデントで輝かしい乱雑さに何かしら敬意を表したくなってくる。この精神が、昨年のLou Barlowのソロアルバムにだってちょっと表れているんだから。

Moldy Bread - YouTube

 

 

1990年代

DTM黎明期の銘器「SC-88Pro」が復活!ローランドが「SOUND Canvas for iOS」を発表 – Digiland(デジランド)-  デジタル楽器情報サイト

 実は、現在スタジオでメインで使われているソフトウェアであるところのPro Toolsは1990年代初頭にはすでに誕生しています。しかしながら、この時代のPro Toolsはまだ高価すぎてプロユース完全限定な時代。それでも、1980年代末にある程度アマチュアでも買える程度のシーケンサーソフトが登場しはじめ、DTMという言葉が生まれたりしています。

 この時期はハード音源という、それ用のキーボードに繋げば様々な楽曲の音を出せるモジュールのようなものが登場します。時代が進むと、パソコンの処理速度やパソコン内のソフト音源の質が上がって、ハード音源はマイナーな存在になりましたが、当時としては画期的な存在で、特にローランドのSC-88Proは名機として知られていたそうです。スーパーのBGMの音色などと揶揄されつつも、しかしかのレイ・ハラカミが生涯使い続けた機材でもあります。

 以下で紹介する作品は、上記の内容は正直あまり関係ないかもしれません。あと、名前的にいかにも1990年代生まれっぽい感じのあるTR-909というリズムマシンは実際は1980年代前半に発売されています。

 

 

10. 『Sewn to the Sky』Smog(1990年)

Amazon | Sewn To The Sky by Smog (1980-01-01) | | ミュージック | ミュージック

 ローファイバンドの中でもとりわけジャンクな類に属していたSmogの最初のアルバムは、Bill Callahanがまだまともにギターも弾けないうちに宅録で録音された、コード進行等も半ば無視したような、ノイジーでフリーキーなギターばかりで占められたグッダグダの作品集となっている。その地点から数十年も経てば渋いフォークロック作品を作ったりもするんだから、人の人生って分からないものだってこれと彼の最新作を比べて聴くと思ってしまうだろう。

 短い、楽曲と言っていいのか分からんようなものも含まれる楽曲が20曲連なっていく。同じような状態で作られたWireの1stがどれだけまともだったか思わされるようなこの、ともかく攻撃的で不穏なギターサウンドさえ響かせられればいい、と焦点を絞り切った楽曲集は、ひたすら酷くノイジーなギターサウンドが鳴り響くインストと、それよりまだマシな歌も乗ったタイプの楽曲とが2:3くらいで収録されている。ボーカルの少なくないトラックはラジオから録音したかのように歪み切っていて、曲によってはどの音も本当に鉄の感じしかしないような破壊的なザラザラ感がある。ちゃっかり割とちゃんと曲してる風な『Kings Tongue』を2曲目に置くところがちょっとキャッチーだけど、それだってどんどん酷い音のリズムと訳の分からないギターに包まれていく。しかし、これらのノイズは完全にアウトになる直前で、ギリギリ法則性をもって反復される。そこにこの音楽がまだ「ローファイ」として生きていけるだけの節度が備わっている。

Kings Tongue - YouTube

 

 

11. 『Either/Or』Elliott Smith(1997年)

Either / Or : Elliott Smith | HMV&BOOKS online - 269

 1990年代の後半くらいから「宅録派」みたいな括りでこの概念が俄に注目を集めるようになった。思うに、1990年代の「宅録派」概念の特徴としては、BeckBadly Drawn Boyのような「サウンドにコラージュ感のある」アーティスト、みたいな属性付けがあったような気がしてる。なので、別にそうではないElliott Smithなんかはどんな扱いをされていたんだろう、と思う。それまで根暗な弾き語りを中心とした作品を出してた彼がもう少しポップで明るい作風を志向した結果、手作り感の溢れる様々な楽器の演奏が増え、彼が元来持っていたオルタナティブロック的な成分が程よいウォームなサウンドで美しくもリリカルに表現された名盤となった。誰かが前に「彼の曲は曲のコード進行とかはもう完全にグランジ以降の人間」だと言ってたのを思い出す。

 メジャーレーベルになって以降の『XO』以降のくっきりしたサウンドもとても素晴らしいものだと思うけれど、ここでの録音からし宅録で手作りな空気感みたいなのはこれより後の作品では失われた、今作ならではの質感だ。アコギの演奏をメインにしつつも、そこに無理なく添えられる他の演奏、特にドラムの響きが、本作をこれより前の作品よりもずっと元気でキャッチーなものにしている。『Ballad of Big Nothing』や『Rose Parade』で見せる彼のポップなバンドサウンドには、何かしらこれを丁度いいと感じさせる絶妙な「いなたさ」が宿ってる。一方で『Alameda』や『Picture of Me』『Cupid's Trick』の彼的なマイナーコードとバンドサウンドの絡み方は、彼の楽曲がもっとクラシカルで悲劇的な様相を見せることのできる可能性を孕んで、次作以降の作風に繋がっていく。しかし、案外アルバムで一番人気がある楽曲は『Between the Bars』『Angeles』『Say Yes』といった弾き語りスタイルの楽曲だったりするのが何だか可笑しいところ。それらだって、宅録的な暖かい手触りのダビングが実は効いてたりするんだけども。

Elliott Smith - Say Yes (from Either/Or) - YouTube

 

 

12. 『金字塔』中村一義(1997年)

中村一義* - 金字塔 | Releases, Reviews, Credits | Discogs

 「97年の世代」とか「98年世代」とか言われるアーティストの中で、中村一義ほど今の地点からどう見ればいいか話がしづらい人もいないかもしれない。宅録がどっちかといえばDAW中心のもっとサイバーなものとして取り扱われる中で、この絶妙に鈍臭いドラムを中心とした手作り感に満ちたバンドサウンドと、そして甲高い声で不思議な節回しとコーラスワークを用いて、1970年代くらいまでのロックに1990年代からオマージュを捧げ切った作品をどう見ればいいのか、どうプレゼンテーションすればいいのか、難しい課題だ。まだ『Era』とかの方が“現代的”かもしれん。

 「引きこもりからの音楽による一点突破」という中村一義個人のバイオから出てくる要素をあえて捨象した*6上で言うなら、これは一人の人間によってなされた1960年代〜1970年代バンドサウンドの“再発見”と“再構築”の様に親しみが持てるかどうか、というところなのかもしれない。もしくは、唐突な問いかけから始まり、ファルセットで入るブリッジのメロディで意表を突く『犬と猫』の楽曲感覚が聴き手にハマるかどうか。どこか幼稚なようでいてしかし孤高を気取るような寂しさもあったりする歌詞の具合は、特殊すぎて間口は狭そうだけどハマると濃いものがあるだろう。そして、そういう「平穏でない平和な光景」の作品集の最後に置かれた『永遠なるもの』における、The BeatlesよりもThe Beatlesであろうとするかのような、不思議な焦燥感に焼かれきった美しさに、彼の、彼だけの、当時の彼だけの不安に満ちた気高さが刻まれている。これをほぼ一人で形作った時点で、彼は何かの「突破」に成功したんだと思う。

 それにしても、少なくない多くの人がこのアルバムの彼のようなドラムを欲しながらも、なかなかこうはできない。「モタる」ことの良さを感じるには、実は本作が一番いい教材かもしれない。割と本当に。

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13. 『Good Morning Spider』Sparklehorse(1998年)

Good Morning Spider: Amazon.co.uk: CDs & Vinyl

 Sparklehorseも“宅録派”的なやつの一人か。“宅録派”に括られたアーティストは個人的な問題ごとが大きくフューチャーされがちな傾向にある気がするけど、そういう意味ではMark Linkousはまさに、自身のうつ病や不運な境遇をこそバネに、地獄のようなリリックをポップなサウンドに包み込んで世に放っていた人の代表格か。本作は彼の2枚目で、1枚目のヒットの後の不安からのアルコールや薬物のオーヴァードーズにより死にかけた経験を経て、その臨死体験も含む経験を経て、神経質さを様々な変幻自在のサウンドに美しく散らし、病んでいるようでありつつも、だからこその優しささえ獲得した名作となっている。下手に解説するとうつ病を賛美するかのような内容になりかねないので、以下慎重にやっていく。

 冒頭の『Pig』の突如現れる激しさはとりあえず置いておいて、2曲目以降は脱力したような、レイドバックしたようなサウンドに「宅録派」的な様々な手法によって効果的に陰影を付加していく。『Sick of Goodbyes』や『Sunshine』においては、打ち込みのリズムの上でキャッチーに駆けたり、しっとりとホッとする空気感を作ったりしていく。『Sunshine』の音響感には少しばかりポストロック的な香りも。交流のあったDaniel Johnston『Hey Joe』のカバーもありつつ、時折ノイジーになったりダウナーになったりを繰り返しながら、アルバムは美しく彩られていく。心細くなるような繊細さを優雅に手を替え品を替え彩っていく様は、「理想的な宅録作品」だと思ったりする。彼の作曲能力とアレンジセンスの賜物だろうけど、でも、こんな「美しく何かを乗り越えた」作品を作っても、結局その10年ちょっと後に自殺してしまうのか、と思うと、無情感がふっと通り過ぎていく。

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14. 『TEENAGE LAST』木下理樹(1999年)

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 ここからサブスクのない作品も混ざります。

 こうやって宅録作品を並べたリストの中に、オルタナティブロック〜ドリームポップ的な音像を持ったいい具合にチープで爽快感と透明感のあるSSW作品として木下理樹のこの作品を並べたかった。詳しいレビューは最近書き直した以下の記事で。レア音源として歴史に埋もれさせるのは勿体ない作品だと思うけども。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 

2000年代

Cubase Sx 1 Megamix 80 et 90 French Willy Deejay (inédite) - YouTube

 この時期あたりからプロユースでない層のパソコンの性能もかなり上がってきて、パソコン内で録音作業を完結させられるだけの処理能力や、EQやエフェクト等をスタジオのハードものとある程度同等まで処理できるプラグインが登場し、オーディオインターフェイスも各社から販売され、いよいよ宅録の現場がMTRからDAWに移行してくる時期です。しかしながら、MTRの側もハードディスク式のMTRはどんどん充実し、根強い人気があります。

 なお、この時期はインターネット環境も急速に普及してきた時期で、これによって宅録で使用する機材をインターネットで購入できるようになってきたのも、大きな変化の背景にあると言えるでしょう。さらに、2003年にはiTunes Storeが、2000年代中頃にはMySpaceが、そして2007年にはBandcampやSoundcloudが登場し、段々とネットのみでリリースが完結できる環境が生まれてきます。物理的なリリースをせずとも世に作品を出せるとなると、全ての作業が個人のパソコンの中で完結することとなり、時代は制作環境・リリース環境の両面で、一気にそれを可能にしました。2000年代後半は宅録に限ってならば一番、根本的に大きな変化のあった年間と言えそうです。

 

 

15. 『Segundo』Juana Molina(2000年)

Juana Molina – Segundo (2000, CD) - Discogs

 「アルゼンチン音響派」なる、この人のために作った用語では…?と思ってしまうような言葉さえ添えられた、そしてそういう用語を作りたくなる気持ちもよく分かる、どこか西洋と異なる世界の果てで奏でられる未来の民謡みたいな雰囲気の、エレクトロ感覚とアコースティックさが可憐に融合したちょっとエキゾチックで不思議なポップソング集

 ボサノヴァを上手いことエレクトロ化した風でもあるし、その全体的に漂う心地良い浮遊感みたいなのには、まるでシンセ等が使われたこの作品の音の方がアコギ弾き語りよりももっと風景にナチュラルになじみそうな気配も感じさせる。夢の中を漂っているようでもあり、知らない国の童話の中に迷い込んでしまったようでもある。エレクトロな様々なサウンドの仕掛けは、彼女の不思議な節回しの歌とともに、出所不明のノスタルジアの果てに聴き手の意識を誘い込んでいく。彼女の歌い方の、気だるさ、というよりも、普段の生活と何ら変わらない温度で声を発してるだけ、みたいな佇まいもまた、どこか現実的な装いのまま現実を遥かに超越してしまうような不思議な感覚がある。ひたすら無限に意識がぼんやりしていく日常の光の中に、延々と覚醒を続けていくような、見るもの全ての輪郭がぼやけつつも輝いていくかのような。ポップでキャッチーな『Que Ilueva!』とかを聴いてると、そんなことを思ってしまう。いったいこの歌たちは何のことについて歌ってるんだろう。それが分からないままこの不思議な音楽の森の中を彷徨い続けてしまうことを、どこかで欲望してしまっている。

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16. 『ヘヴンリィ・パンク・アダージョ七尾旅人(2002年)

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 このブログで何回も取り上げてる気がするこの2枚組の超大作にして大傑作。情報量の爆発的増大に塗れたパラノイアのポップな昇華として炸裂した1stフルに続いて、その情報量を脱ぎ捨てて、2002年的な気の遠くなるようなメランコリックな音響を宅録にて獲得し、その想像力と“ノスタルジックなうた”でどこまでも魂を追い求める様を記録した、静かに壮絶極まった作品。本作的なフラジャイルでナイーヴな歌心こそ、麓健一土井玄臣といった後進や、更には長谷川白紙や君島大空といった近年の若手アーティストにまで直接的な影響を与えてる感じがあり、まさか彼のこの作品がそんな位置になるのは予想してなかった。でもそれだけ、本作に含まれる“ファンタジー”の純度が時代を経ても変わらないということなのかも。というか「これが宅録です」って言われて心折れる宅録志望の人の方が沢山いると思う。

 本作で繰り広げられるノスタルジックさとロマンチックさが境目なく混ざり合った、輝かしい混濁とうらぶれた覚醒とを繰り返し続ける楽曲群の様々な良さを書き出すにはこのスペースは流石に狭すぎる。いつかちゃんと1曲ずつ見ていくべき、それだけの価値があるアルバムだと思う。強いて一言ここに添えておくならば、様々なサウンドはポストロックを経た音響感に溢れていて、轟音サウンドも打ち込みのリズムも電子音も数々使っていながらも、でも総体としては圧倒的にアコースティックでオーガニックな質感が不思議にあるということ。別にアコギ弾き語りの曲が定期的に出てくるからではあるまいし。そしてそんな音響感覚と、ひたすら勇敢さだけにフォーカスし続けるようでもある歌詞の描き出す世界観には、それこそここに、世界の大事なもの全て入っているかのような、その中でずっと戯れていたくなるようなところがある。彼が本作に置き去りにした“男の子”のことについて、いつかちゃんと時間を使って考えたい。サブスクにずっと無いのは重篤な機会損失。

耳うちせずにいられないことが 七尾旅人 - YouTube

 

 

17. 『Donuts』J Dilla(2006年)

J Dilla/Donuts

 サンプラーで音楽を作る、というヒップホップ以降の手法はそれそのものが殆ど宅録的なものであり、ヒップホップは大いに宅録的な要素が大きい音楽ジャンルだと思ってるけども、その極北がこの、死に至る病床にてサンプラーとレコードプレーヤーのみを楽器として製作された、既存の楽曲の一部分を絶妙にズラして切り取って反復させ、そのズレも込みで全然別の楽曲・別のリズムとして成立させてしまった短い“楽曲”が連なっていく作品だ。病院で宅録?院録?ここで彼が行った行為は編曲なのか、それともここまで来たら最早作曲ではないのか、と、その辺のことがどんどん曖昧になって分からなくなっていく。

 31トラックある「何かの楽曲の断片の繰り返し」で作られる断片たちの連なりは、しかしその切り取られ方により結局、編者のメロウさの感覚を表現する形式に逐一作り替えられる。そこではトラック間はほぼ連続して繋がっていき、曲単位でのループによる小さな「ドーナツ」と、それらが連なって終わりのイントロから始まりのイントロに連なっていく不思議な大きな「ドーナツ」の構造に、彼のどういう祈りが込められているのか、そんなことは別に考えたくはない。彼がひたすらに快楽のセンスとメロウさのセンスとで組み立てていったこの循環に、時にはずっと閉じ込められているのも結構気持ちがいい。ループを繋ぐときの、微妙にジャストから外すことによって生まれる感覚、それこそ“人間性”そのものなのかもしれない。

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18. 『Exit』トクマルシューゴ(2007年)

ExitShugo.jpg

 日本よりも海外で大いに評価された作品。何しろ日本語では存在しないwikipediaの個別ページが英語では存在するくらい。日本でも人気ある作品だとは思うけども。アコギやベルやピアニカなどの様々な楽器とともにフォークや灰皿やゼンマイといった「普通楽器に使わないもの」も沢山サウンドに取り入れて、録音・ミックスまで全て自身のPro Toolsにて完結して作られた、未知の無邪気な世界が果てしなく眼前に広がっていくかのような音楽が沢山詰まった名作。上記のJuana Molinaの作品とも似た、どこの国なのかも分からないような解き放たれた雰囲気の世界で鳴ってる音楽だ。宅録という手法によって何よりも自由な音楽を作ってるような、そんな時代の移り変わりが感じられる作品でもある。

 冒頭を飾る名曲『Parachute』のキラキラとしながら、童心が身体を離れて勝手に冒険に駆け出していくような、不思議な心地良さと寂しさがいきなり素晴らしい。まったく日本の土着の音楽では無いのに、まるで昔からNHKあたりで流れてたような気がする感じの不思議なノスタルジックさが宿ってる。その後の曲もまた、変拍子があったり、不思議なインストがあったりと、自在に奔放に楽曲を展開させつつも、でもトータルの「不思議な音の国」に迷い込んだ感覚はアルバム通じて続いていくのが、しっかりと世界観に浸れて良い。そうしているといつの間にか、アルバム後半で必殺の切なげなメロディを持っている名曲『Hidamari』の暖かなメロディにたどり着いている。これらの試みはまるで、世間の軋轢とか屈託とかからどこまで自由に解き放たれることができるか、という挑戦のようにも思えてくる。こんな音楽のような日常のある世界、現実にはどこにもおそらく存在してないもの。せめてこれを聴いてるこの時ばかりは…と思わずにはいられない。

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19. 『美化』麓健一(2008年)

美化 : 麓健一 | HMV&BOOKS online - KITI-1

 上のJoana Molinaやトクマルシューゴの無限に屈託から解き放たれたかのような世界観*7に対して、この麓健一の、ひたすらに何かに呪われ続けているかのような空気感は何なんだろう。“ネガティブ”というよりもこれは“呪われている”“囚われている”と言った方が正確な気がするような、そんな情緒が単調に反復するコードや打ち込みのリズムやシンセに乗って行き場無く彷徨い続ける、そんな楽曲ばかりが集まる75分弱の作品。別に声質自体が特殊だとか、使ってるコードが特殊だとかは無い気がするけど、でもどうして彼が歌うと、こんなことになってしまうんだろう。これが彼の最初のフルアルバムだったとのことで、リアルタイムだと盛り上がればいいのかそうでも無いのかも不思議そうな作品。

 ここで鳴る郷愁はどこかとても痛ましい。それは1曲目『自治』でサイレンのように鳴るシンセのフレーズだけでも十分分かると思う。弾き語りの楽曲とリズムマシンの楽曲とがおよそ交互に出てくるような構成の中で、弾き語りサイドの曲はコードの明暗に関わらず、無音の存在が不思議に心寂しく響く。時に囁くように、時に取り憑かれたように歌う彼の歌もまた、超然的な者が纏う類の寂しさを帯びてしまっている。リズムマシンのトラックはひたすら彼の神経質でパラノイアックな側面が優雅に舞っていき、繰り返されるシンセやキーボードの反復は、虚無の闇に向かってひたすら呼びかけ続けているかのような怖さがある。ある意味どちらのサイドの曲も金太郎飴的な部分があるけども、アコギと打ち込みどちらにしても、こんな恐ろしく空気が引き攣り切った金太郎飴も無いもので、ホッと落ち着く地点もロクに無いまま75分をやり通していく。漆黒のロマンチシズムが時間を支配していく。*8

 もしかしたら今回のリストの中で最も入手や視聴が難しいのはこれかもしれない。当然サブスクも無いし、本人の活動の無さ的にサブスク解禁や再販もかなり難しそう。でも間違いなく、ここには唯一無二の闇が広がってる。次作『コロニー』がとてもポップでキャッチーな作品なように勘違いしてしまえるほど、本作の持つ影は深く濃い。

麓健一 - 十字 - YouTube

 

 

20. 『Let the Blind Lead Those Who Can See but Cannot Feel』Atlas Sound(2008年)

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 Deerhunterが『Microcastle』で大ブレイクしたのと同じ年のうちに、フロントマンであるBradford CoxのソロプロジェクトであるAtlas Soundの方でリリースしたこのタイトルがやたら長い作品は、十分に危ういサイケデリアの渦巻いていた『Microcastle』でさえポップなレコードとして作られたんだな…と思えるくらいに、サウンドコラージュやエレクトロな音色や様々に溢れかえるノイズ等の中に時折現れる甘いメロディがとても不健康に響いてくる、まるで彼のプライベートな混沌を覗き込んでしまったかのような感覚になれる作品集

 『Microcastle』からバンドサウンドの爽快感をごっそり抜いて、代わりに変幻自在の取り止めのなさをどっさり注ぎ込んだかのような。これをベッドルームポップと呼ぶのはちょっと悪戯心ありすぎでは…?「こんな悪夢に苛まれ続けるベッドルーム嫌なんですけど」っていう。ただの不穏なサウンドコラージュの方がむしろマシで、所々にしっかりと甘くポップなメロディが潜んでいるのが、本作をとてもタチの悪い作品に引き上げていると思う。彼もまた“呪われた”詩情を有する作家で、そんな彼の甘く爛れたメロディがあちこちで誘う様は、まるでシロップ液に漬け込んだSyd Barrettみたいだ。時折その不健康な甘さがやたらとロマンチックに響くこともあり、また、時折打ち込みリズムが涼しいややチル気味な楽曲なんかもあったりして、そのキャッチーさが怖い。アルバム終盤はいよいよ、ノイズ垂れ流し掛け合わせの上でハミングするだけ、みたいなインストの率も上がり、いよいよ彼の苛まれた精神そのものにダイヴするような感覚が得られるかもしれない。

Atlas Sound Recent Bedroom - YouTube

 

 

2010年代〜2020年代

iPhone用GarageBandでトラックを結合する - Apple サポート (日本)

 DTMの普及は一気に進み、いよいよちょっと要領よくやれば誰でもすぐに音楽を作れてしまう、しかもスタジオ録音と遜色ない作品を作れてしまう時代が到来しました。ミックスさえ、すぐに自動で合理的なコンプやEQ処理を行うプラグインがあったりして、プロとアマチュアの境界がどんどん曖昧になってきています。ラップトップPCの性能も宅録をするのに十分すぎるほどに向上し、更にはiPhoneGaragebandで制作を完結させてしまう猛者も世の中に何人も現れてくる状況。“ベッドルームポップ”という概念が大きな広がりを見せ、特にそれまで以上に女性SSWが注目されやすい環境が現れたように感じられます。作品の発表形態も、サブスクという制度によって、そしてそれが最もメジャーな音楽の聴き方になってしまったことで、より一層インターネットで世界が完結してしまうようになりました。

 一方で、世界的に昔よりも音楽制作にお金をかけられないようになった部分もあり、それまでスタジオで作品を作っていたアーティストが宅録を主戦場に移すなどの、ちょっと悲しくなるような状況もあったりして、そういう部分からも宅録はさらなる広がりを見せています。なんでもできるが故に、アーティスト側がどういう切り口で自身の宅録作品を音楽的にアピールするかが重要になってきた感じもあります。

 さらには2020年以降はコロナ禍というまた違った角度からの困難もあり、人との接触を減らしながらも音楽を制作する手段としても、リモート録音の環境整備など、宅録はより重要度を増していると言える状況にあります。

 今後、音楽制作は一体どうなっていくんでしょうか。宅録はどこまで進化していくんでしょうか。スタジオ録音の文化が残っていかないのも良くないと思うので、本当にどうなっていくのか。

 それにしても、今回のリスト30枚のうち1/3の10枚がこのディケイドなのは、ちょっと多すぎたかもしれない…近い年の方が記憶がまだ残ってるものだからつい…。

 

 

21. 『OTRL』奥田民生(2010年)

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 奥田民生もシングルのカップリングやカバー等で地味に宅録での楽曲をリリースし続けていたけど、全国のライブハウスで宅録を実演し曲を作り上げてすぐ配信リリースする、という企画の楽曲をライブ順に集めて+1曲でできた本作を境に、次作アルバムも宅録、その後自主レーベルを設立して以降は宅録系YouTuber的な活動も行うなど、何気にここが活動方法のターニングポイントになっている気がする。正直、奥田民生ほどの人が「どうせサブスクで金が入りにくくなったからYouTuberやって少しでも見て聴いてもらわないと」と言っているのは結構世知辛い感じもある。視聴する側からすれば贅沢な話だけど。

 各地のライブで1曲ずつ作った関係上、どこかのライブ会場で「捨て曲」を披露する訳にもいかないためか、各曲とも佳曲が揃っていて、楽曲の幅もそれなりにあって、まあ確かに「配信シングル×10+1」のアルバムではあるから、そういう質の高さと裏腹のどこかのっぺりした感じも持つ。冒頭のハードロック調の『最強のこれから』でメロトロンが出てくる展開など、そういった変化もつけつつ、でも楽曲としては地元広島で披露した『えんえんととんでいく』がもしかしたら頭ひとつ抜けてるかもしれない。奥田民生クラシックに加えても遜色のない、朗らかでやや壮大なポップさの中に少し寂しさの入り混じった名曲。そこからカントリータッチの『RL』に繋がる流れは案外曲順もなかなか良かったり。ルーズなジャムセッション調の『たびゆけばあたる』とかでさえも全て宅録一人録音と考えると、その奇妙な逆説が可笑しくも哀しくも思えるけども。あと寒そうな透明感のあるエモロックな『かたちごっこ』を札幌で録音してるのも、札幌羨ましいな…ってなる。最後、一番飄々としてかつ彼の時々出す別世界の感じが覗く『暗黒の闇』でパチっと締めるのも上手い。隙が無さすぎて、構成上仕方がないけども、隙が欲しくなる作品。どこかのインタビューで若手に向けて「良くない曲も書け」と言った当の本人だし。

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22. 『エス・オー・エス』スカート(2010年)

エス・オー・エス : スカート | HMV&BOOKS online - KCZK001

 東京インディーの生き残り組として今でもメジャーレーベルで活動を続ける澤部渡のユニットの、その最初のフルアルバム的作品。その後基本的にずっと貫かれていく「ギター1本とキーボード1人のバンド体制」と異なり、当時の彼が様々な楽器を用いて様々な形式の楽曲を自身の独特のポップセンスで試してみた感じの、いい意味で“習作感”が楽しげな作品集となっている。自主レーベルからの簡単な包装でのリリースで、サブスク等にはこの時期の作品は存在しない。一部楽曲が近年再録アルバム『アナザーストーリー』にて今のバンド編成で再録された。

 冒頭のエレキギター弾き語りに少しだけ室内楽的に弦が入る『ハル』で見せる繊細さが、本作の佇まいをどこか象徴している。その後は様々で、山下達郎的なポップさが段々カオスになっていく『花をもって』や、ガレージロック的演奏だけどもテンポチェンジをやたら繰り返す『スウィッチ』など、この時期だからこその手探り感が楽しく、また下北系ギターロック的な疾走感を見せる『3と33』まである。後のスカートでは見せないそういった点は「こっちの方面に伸びたらどうなってたんだろう」を想起させてくれて面白い。しかし、本作の特に素晴らしいのは『S.F.』からの終盤4曲で、うち3曲が後にリメイクされるのも納得。特に彼の宅録バンドサウンドの決定版と言えそうな『ポップソング』『ゴウスツ』の2連発は強力で、この時点で既にスカート流の勇敢なファンタジーを背負ったバンドサウンドのポップソングの原型がはっきりと見て取れる。特に『ゴウスツ』のロマンチックなメロディ展開は後の『シリウス』等に直接繋がる何かを持っている。

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 ちなみに、版ごとにジャケットのイラストが異なる、という手作りならではの特徴があるけど、自分は上の画像のやつが一番好き。

 

 

23. 『2』Mac DeMarco(2012年)

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 「ベッドルームポップの時代」をチルウェイブ勢とともに作ってしまった、ユルい空気感のクリーンでエアリーなギターの戯れとともに綴られるユルいリズムの歌と空気がふんだんに詰められた作品集。一時期、USインディーを標榜するバンドのギターの音が優雅でエアリーでコーラスなクリーントーンばかりになった原因を作った*9、ここから数年のインディーミュージックの中心となったのが、こんなユルい空気感の宅録のアルバムだったというのが、なんか興味深い。

 アルバム前半はひたすら、そういうギターの音と、その背後をこっそり塗るシンセに16ビート気味のゆったりしたリズム、そしてそんな空気感に溶けそうな彼の声で構成される。どこかサバービア具合とリゾート感の中間にあるようなその雰囲気は、絶妙に軽みのあるサイケ感とチル具合とで、仄かに感傷的な香りも忍ばせながら通り過ぎていく。それは派手な感動も絶望も無い、薄らとウォームな虚無感を漂わせる。少しばかりオルタナなジャンクさを見せる『Robson Girl』を聴いて「これはこの時代のPavement的存在だったんだな」と思い至る。アルバム後半はもう少し雰囲気が変わって、エレピのメロディ等にはっきりと切なさが感じられる名曲『My Kind of Woman』を皮切りに、それまでのサウンドをアコースティックなものに切り替えていく。彼の歌心の本当のところは案外、最後の『Still Together』みたいなところにあったりするのかな、と思った。真っ当に悲哀の効いた美しいファルセットにハッとする。実は単純にめっちゃ曲と歌がいい人なのかも。

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24. 『the CITY』サニーデイ・サービス(2018年)

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 今回の記事においてはちょっと位置付けが特殊なアルバム。曽我部恵一ソロの方がもっとシンプルに宅録な作品が多数あるけど、彼が楽曲を制作する機巧としてのバンドに困難を覚えた際に、バンドの録音物に一気に宅録的要素を持ち込み、そこから2016年の『Dance To You』以降の「解散前以上の最盛期」を駆け抜けていったことは記憶に新しい。すぐに出た次の2枚組『Popcorn Ballads』にも宅録の感じはありありと感じられたが、その流れの極限にして終点のように思える本作は、『Dance To You』製作時のボツトラックさえ動員し、宅録で弄り回し、当時最新のプリズマイザーやらトラップやらのトラックと平然と併置して、もはや整合性も半ば気にしないままにこの時期出せるものを出し切った、製作者の業さえ感じさせる怪作だ。

 本作の前半に2曲、後半に2曲唐突に登場する野暮ったいバンドサウンドものは明らかに『Dance To You』以降のモードと違ってるように感じられ、おそらくそれは『Dance To You』セッションの際に出た大量の「“いつものサニーデイ”っぽい」トラックの再利用なんだろうと思う。特に前半の2曲は一部やたら妙な加工がなされ、本作のカオスさを微妙に促進している。そして、明らかに“流行りに乗っかる”という軽薄な勢いと狂気的な勢いだけで作ったと思われる冒頭2曲の訳の分からなさに打ちのめされる。当時の状況からしても*10最早バンドとして機能しようがない状態で無理やりアクセルを踏み込む曽我部恵一の、何に突き動かされてるのかさえ不明な鬱屈した勢いに圧倒される。そして、終盤に収録されベスト盤にも入った美しいメロディをプリズマイザーで歌いきる『完全な夜の作り方』、これももしかして、『Dance To You』ボツトラックを弄り倒したものなんだろうか。この曲と冒頭2曲との落差が、この時期の製作者の内面の痛ましさを感じられて、そこにずっと息を飲み続ける思いがしてる。

www.youtube.comそれにしてもこの曲のPVといい『セツナ』といい、狂った感じの女の子がやたら可愛い。

 

 

25. 『針のない画鋲』土井玄臣(2018年)

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 生楽器も電子音もどっちも駆使していて、かつどっちにしてもしっかりと“歌”がその中心にある、というところとその歌の内容とで、土井玄臣はもしかして日本で一番素晴らしい男性SSWではないかと常々思うところ。本作は、電子音ではなくもっと生な楽器を多用したため手作り感がよりありつつ、その分電子音多めの時のファンタジックな煌びやかさが剥がれ落ちて、リズムさえ殆ど剥ぎ取った結果、彼の作品に通底するぼんやりとした憂鬱そのものを味わうような音像でその情緒の様をしみじみと味わえる名作。実写ジャケットの現実的なモヤっとした憂鬱具合も、どことなくそんな作風に沿っているように感じられる。

 冒頭のピアノとアコギとささやかなシンセ、そして声で綴られる『みえないひかり』の時点でその、まるで部屋の隅に無限の闇を見るようなテイストがしっとりと広がっていく。エレクトロなリズムに乗らない彼の基本ファルセットなボーカルは、現実世界を彷徨う亡霊のようにどこか行き場の無さを強く感じさせる。その後のトラックも、優しいメロディとリズムを欠いた楽器のフワフワした鳴りは、「ドラマチックな旅」ではなしに何か妙に現実色した追憶やら何やらを彷徨い続け、彼の活動最初期の楽曲のリメイクである『終点はあの娘の家』の深い沈潜、最もぼんやりした地点に辿り着く。海水の中に陽の光が反射するようなその音の様を抜けて、しみじみしたアコギとピアノの『そこにてる』を経て、東日本大震災の前に作られていた、ふんわりとささやかに幸せそうな光景を綴った『マリーゴールド』にて唯一ドラムが入ってきた時の、「しっかりと像を結べるような幸福は、最早過去にしかない」のかと思わされるような存在感に、どうにも胸を引き裂かれる思いをしながら同時に覚醒するような、何とも言えない気持ちになる。でもそんな、「歌の中で起こるようなドラマチックな物語」が何も起こらないままぼんやりと、憂鬱さについての想像力を広げていくこの作品の“誠実さ”じみた執念のような何かには、虚しいからこそ救われるような何かがあるような気がする。日本のベッドルームポップの、ひとつの極北だと思う。

Mienai Hikari - YouTube

 『みえないひかり』の歌詞はいつ聴いても読んでもすごい。

 

みえないひかりが胸を通り抜けて

隠した声もみつけてしまうから

ひどい言葉さえ抱きしめて生きてゆく

これは呪いじゃない 呪いなんかない

答えはない 夢も 抱きしめるものも

看取る顔も 隣に並ぶあなたも

どこまでもつづく あたしの荒野

やさしい嘘をつき それがひかりに変わる

 

こんな具合の歌詞がひたすら続く、歌詞の方においてもひたすらに青ざめた恋しさと悲しさ、やるせなさに満ちた、本当に素晴らしい作品。

 


26. 『Slide』George Clanton(2018年)

George Clanton - Slide | リリース、レビュー、クレジット | Discogs

 エレクトロやヴェイパーウェーブの文脈から出てきたNYのトラックメーカーによるこの作品は、まあエレクトロニカとかヴェイパーウェーブとかそもそも宅録ありきのジャンルだけども、このアルバムはまるでどこかマッドチェスターやらシューゲイザーやらの1990年前後の英国のサイケ感を宅録で再現するためにエレクトロの手法を用いたかのような、不思議なポップさの混濁具合とクリアさとを併せ持った作品になっている。

 どことなく思ったのは、ボーカルの感じやメロディがどことなくRideっぽさがある気がした。メロディのあり方が楽曲の芯というよりも外皮のように感じられる具合というかそういう。シューゲ御三家ではSlowdiveMy Bloody Valentineの方がエレクトロ適性がありそうなところだけど、参照先がRideっぽいところが、本作のどこかインディーロック的な質感を高めてるんじゃないかと思う。『Make It Forever』のメロディ展開やどことなく夏っぽいサイケデリアの感じはそれこそ、この前年のRideの再結成後初の新作にインスパイアされたように自分には聞こえる。その上で、要所要所で出てくるシンセらしい太い光のようなさっぱりした音圧が、チルウェイブ以降のチルなサウンド感覚の方もきっちりロック化して鳴らされる。この、エレクトロな要素でシューゲイザーを再現する感覚はゼロ年代以降の宅録でシューゲフォロー勢らしい感覚だ。タイトル曲はむしろ『Screamadelica』の頃のPrimal Screamっぽい感じだけども。

 このアルバムのRideっぽさにちゃんとこのリリース年のうちに気付いていれば、この年の自分の年間ベストに入れていただろうな。いつもこういう後悔ばっかりだ。でも今気づけて良かったかも。同じ年の上の土井玄臣の作品とはどこか好対照を成す。

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27. 『HOCHONO HOUSE』細野晴臣(2019年)

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 すでに上の大瀧詠一の項で書いたとおり、細野晴臣の最初のソロアルバムもまた、日本におけるホームレコーディングの先駆けたる『HOSONO “HOUSE”』だった訳だけども、それを彼ひとりの宅録によってリメイクした本作は、音楽家デビュー50周年の記念イベントとしての性質を遥かに超えて、彼のひたすらミーハーにサウンドを追い求める性質と彼の最もソングオリエンテッドな楽曲群が幸福に交差した、彼の作品でもとりわけポップさとサウンドの複雑さとが両立された作品のひとつとなった。これも弊ブログでの年間ベストの順位がちょっと低すぎたかもな。

 2000年代以降のアコースティック寄りな自作も全てミックス等を自身で担当し、プラグイン等を多用した現代的な手法により“レトロな”音響感を目指していたと思われる彼だけど、本作では一転して、もっとモロに宅録的なドライさで、かつ当時流行が続いていたアンビエントR&Bの潮流を少し自身に手繰り寄せた音響感覚を鳴らしている。発売時からのリアルタイムな付き合いをしてきたリズムマシンの名機TR-808を駆動させ形作る硬質なリズムに、彼の最もポップな部類の楽曲群が乗っかっていく様は不思議で、でも原曲と大きく趣を異にする『薔薇と野獣』の密室ファンクな具合には、これが先行リリースされたのも頷けるくらいの密かにギラギラした何かが蠢いている。そしてそれに続く、不思議にリフレインしていく音響で彩られた彼最大の名曲『恋は桃色』のリメイクに静かに圧倒される。1970年代に綴られたはずの歌詞が俄に現代感を帯びていく。彼らしい踏み込まない剽軽さで描かれる内面描写の感覚は、この音響により「細野晴臣でしか描けない類の軽みのあるアンビエントR&B」にしっかりなっている。その後の『住所不定無職低収入』の室内オーケストラ感も楽しいし、アルバム終盤で3連のリズムに組み直され、まるでカントリーからソウルに生まれ変わったような『僕は一寸・夏編』の渋みは00年代以降に彼が築いてきた類のアーシーさが慎ましく煌めいている。

 何よりも「1970年代からずっと活動を続ける細野晴臣が、最新のプラグイン等と格闘してガッツリ作り込んだ宅録作品」という重みが効いてくる。YMOや1980年代のエレポップソロ作とも異なる、“2019年の細野晴臣”の存在感が濃厚に感じられる。彼なりの「生涯現役」のスタンスのあり方の真摯さが伝わってくる。

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 そういえば現状、細野さんのソロは最初と最後が“宅録”作品になってるのか、ちょっと面白いな、ということを思いました。彼のキャリアについては以下の弊ブログの記事も参照できます。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 

28. 『Apollo XXI』Steve Lacy(2019年)

Steve Lacy - Apollo XXI | スティーヴ・レイシー | ele-king

 宅録のソウル・R&Bだって絶対世界に沢山あるはずなのにうまく調べられないでいたら、どうにかこの凄い作品を見つけられた。R&BバンドThe Internetのギタリストとして世に出つつも、20歳前後にして錚々たるメンツのプロデュースを行うなどしていた彼がiPhoneiPadを中心に宅録した(!)というこのデビューアルバムは、1970年代ソウルみたいなワウギターでもなく、Prince的なファンクギターでもなく、普段そんなにこういった音楽の中心にならないギターの、それもインディーロック的な鳴り方をするギターサウンドを大いにフューチャーした、インディーロックとインディーR&Bの交差する地点に生まれた名作だと言えそう。まさにこういうのを探してたので、最初に聴いた時はびっくりした。

 冒頭2曲はそんなにギターが前に出ないので、普通の「今どきのR&B」感がある。それらも十分に良い出来で特に2曲目は3部構成で9分の大曲だけど、でも途中からギターの出番が段々増えてくるところはある。問題は3曲目『Playground』からで、早速「これオーディオインターフェイス直刺しのエレキギターの音じゃないか?」というチャキチャキのクリーンなギターサウンドをメインの伴奏にファンク気味なR&Bを聴かせてくれる。ここから先は一気に伴奏の主役がギターになっていく。スカスカでドスドス効かせたドラムとベースにチャキチャキしたギターとボーカルとコーラスだけで今作でも随一のソリッドなポップさを見せる『Guide』はR&Bニューウェーブの合いの子のようだし、ハネた3連のリズムのソウルバラッドな『Lay Me down』も伴奏のメインはエグいコーラスの効いたギターのコードカッティングやアルペジオだ。楽曲やボーカル、リズム隊はしっかりソウルマナーなのに、その上に乗るのがインディーロックなギターなだけでこんなに感じ方が変わるものなのか。『Hate CD』なんてただのキラキラとメロウしたインディーギターロックでしょう。素晴らしい。Marvin Gayeをギターロックで演奏してるみたいな『In Lust We Trust』も最高だ。

 彼は2020年に昔作ったデモを多数収録した『The Lo-Fis』もリリースしていて、こっちはもっとインディーロックそのものな曲さえ収録されている。ギターという楽器の鳴り方に他の楽器よりも思い入れが強い自分みたいなのは、彼の今後の作品に大いに期待してしまえると思う。

www.youtube.comこのPVがまた、ひとり多重録音のお約束的なのを踏まえたいいPV。

 

 

29. 『songs』Adrianne Lenker(2020年)

Songs And Instrumentals : Adrianne Lenker | HMV&BOOKS online - 4AD0302CD

 宅録作品としては番外的になるかもしれないけど、これも拾っておきたい。2019年の2枚のアルバムでインディーロックの最重要バンドの一角となったBig Thiefのツアーがコロナ禍によりキャンセルとなり、その中心人物である彼女がマサチューセッツ州の森の中のキャビンで休養している際に、その環境を気に入ってアナログテープの8トラックレコーダーを持ち込み、宅録とフィールドレコーディングの中間のような形で録音した本作は、まるで森の光景と空気をそのまま、時間や天気によって移り変わるそれらをそのまま音と声と曲にしたかのような楽曲が続いていく作品になっている。

 そもそもBig Thiefの2019年の2枚からして森的な感じは結構あったけど、まさに森の中そのもので録音したこの作品は、非常にそれらしいアンビエンスをどの曲も備えている。必ずしもギターと環境音を同時に録った訳でもないのかもだけど、でも楽曲の中で時折聞こえる楽器と声以外の音は、いかにも挿入されたっぽい感覚がとても希薄で、森から自然に湧き出したかのような楽曲や演奏と分かち難く馴染んでいる。楽曲についても、これまでソロ作品の楽曲をバンドで再録することがあった彼女だけど、本作と今年リリース予定のBig Thiefの2枚組新作のトラックリストとで楽曲名の被りが無いので、やはり本作の“雰囲気”のために生み出されたような感触がある。楽曲名にはドラゴンだとかゾンビだとかも並ぶけど、どれも楽曲中のテンションの振れ幅が少ない、淡々と光景と空気を繊細に描き出しているかのようなフォルムをしている。人の温もりとか、そういう要素から離れた、魂で森の中を彷徨うかのような歌とギターの鳴りに、ひたすら何かの果てみたいな世界に引き込まれていく感覚がする。一番普通のポップソング的な人懐っこくキャッチーな節回しが見れる曲のタイトルが『zombie girl』なのは可笑しいような皮肉なような。

 本当にアンビエント/フィールドレコーディング的な『instrumentals』共々、バンドのデモ的なものではなく、独特の世界観をはっきりと有した作品と言える。それにしても本作といいBig Thiefの新譜に収録予定の新曲群といい、大概やり尽くされたと思われていたこういう音楽も、楽曲のフォルムや録音・ミックスの方法等、まだ出来ることは沢山あるんだな、ということに気付かされる。

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30. 『昼に睡る人』uami(2021年)

uami/昼に睡る人

 ついこの前書いたばかりの2021年年間ベストに関して早速の「どうしてこれを入れてなかったのか」暫定1位の作品。iPhoneのGarage Bandのみ(!)で制作した楽曲を大量にリリースしている福岡在住の宅録楽家である彼女の、フィジカル作品としては最初となる作品で、エクスペリメンタルなシーンとの関係性が深い彼女だけど、本作はそんなエクスペリメンタルな要素をあくまで背景として、幽玄なポップさを自在に展開させて彼女のメロディと声の“強さ”をとても良く印象付ける「歌もの」楽曲集となっている。同世代で括られる長谷川白紙や君島大空などと共通する繊細なメロウネスが、多少のエクスペリメンタルさを見せつつも実に真正面から響いてくる。

 冒頭の『mukashi』は導入的な無調っぽいインスト作品、かと思うと、途中から現れるレイヤー化された“声”の柔らかなシャワーのような感じに、強く導かれる。続く実質1曲目的な『弾けて』の、所々でノイジーな処理が現れつつも、メインはピアノの薄ら湿ったマイナー感が先導するオフビートな空気の中で繊細な息遣いをする“うた”だとはっきり分かる。この曲や『きにしない』のウィスパー気味でダウナーなボーカルの感じからは、相対性理論から続く何か系譜めいたものを感じもする。つまり、それくらいポップでキャッチーなボーカルを有しつつ、様々なノイジーな加工や仕掛けも自在に挿入するセンスと、それをiPhone内で完結させてしまう偏執的なスタンスに、とても惹かれるものがある。一方で、『はるのめざめ』『湿室』の、不可思議な音響の中をフワフワ漂う様はテニスコーツ方面の「うたもの」感もあるような気がするし、歪み切ったキーボードの上で歌う『灰の在処』にはうらぶれたような歌い方を見せる。声が少ししか出てこない不穏なインスト曲もある。そんな様々な歌い方・サウンドがありつつ、でも一貫しているのは、賑やかな場所から出てきた音楽ではない、もっと虚数的な世界からやってきた音響のように鳴り続けるところ。

 エクスペリメンタルな音楽はそんなに聴かないので、彼女のそっち方面にはそこまで強く惹かれないけども、でもその歌の、どこか根本的にリリカルな具合にはすごく好きな感じがある。今年ももう新曲を出していて、これはかなり実験的な感じだったけど、自由にやってもらった上で、たまにまた“いい歌”を聴きたいなって身勝手に思う。

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終わりに

 以上30枚、年代順に見てきました。半分くらいスタジオ録音かな?っていう作品もあったり、フィールドレコーディング?って思える作品もあったりしましたが、でも個人的に思う“宅録の感じ”みたいなのはなんとなく出てる30枚になったと思っています。

 音楽が「多重録音」という技術を得て以降、宅録という手段は技術的問題はともかく常に可能性として存在し続けていて、それが1970年代くらいまでは、資金力のあるミュージシャン以外はなかなか難しかったであろう環境だったのが、1980年代にカセットレコーダーが登場して以降、段々間口が広がり、DTMが普及してからは格段に広まっていきました。おそらく現代では、スタジオで作られた作品よりも遥かに多くの有象無象の宅録作品が、毎日世界のあちこちで生まれては世に出て行ってるんだと思います。それらの全てを知ることは到底無理で、そもそもBandcampやSoundcloudで熱心に音源を追う訳でもない自分は、素晴らしい宅録作品をおそらく無限に見落としてるし、これからも見落とし続けるんだろうな、という諦念があります。

 でも、何でもかんでも、そんなにお金をかけずに、情熱が続く限り個人で制作できて世にも出せる環境というのは、可能性がずっと担保され続ける、という意味では、作り手からしたら昔と比べて遥かに自由な環境になったと言えるでしょう。その自由が無限に生み出し続ける飽和の中で、たまに煌めく作品を見つけて、これからも楽しめたならいいなと思います。スタジオ作品も大事だけども。

 ちなみに、宅録作品を集めたリストとしてはこういう本も出ているみたいです。おそらくこの記事よりも大概充実してると思いますので、ぜひ手に取ってみてください。

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 今回の拙いリストが誰かの制作の触発とかになって、それで名作が生まれたりしたらなって夢想を胸に抱いてこの記事を終わります。読んでいただいた方ありがとうございました。それではまた。

*1:まあ、賃貸に住んでいれば住んでる分の家賃はかかりますけども。

*2:この場合、彼が宅録していた部屋が大概散らかっててベッドルーム然としてなかった、というオマケが付きます。

*3:Princeも自宅スタジオ「Paisley Park」ができてからはそうかもしれないけど、でも流石に色々と何か違う気がして今回は見送りました。

*4:そういう意味では、上で出したHenry DargerのたとえはむしろDaniel Johnstonの方がふさわしいのかもしれない。

*5:後の再発盤では50曲に増量。

*6:これを捨象していいはずがないことは分かっていつつも。

*7:こっちの2組の世界観だって、何か“振り切ってはいけないもの”を振り切っていった果ての“自由な世界”みたいな怖さもあるけども。

*8:どうでもいいのでこうやって注釈で書くけど、聴き返していて思ったのは、そのコード進行やアルペジオの様に、意外なくらいにART-SCHOOL的な方面のロックの感じがあること。盟友の昆虫キッズといい、その辺からの影響を案外しっかりと受けていたのかもしれない。

*9:この辺はCaptured Tracks系バンドの影響も多々あるとは思うけども。

*10:リリースが3月で、バンドのドラマー丸山晴茂氏が亡くなったのが5月。