BLANKEY JET CITY(以下“BJC”)のシングルやベスト盤含む公式リリース作品ほぼ全作品*1が2024年7月28日にサブスク解禁され、この、1990年代に活躍し広範な影響を与えた日本のバンドに触れることがグッと容易になりました。
一方で、世の中これだけ様々な音楽が溢れている中で、あえてこのバンドの作品を聴きに行くとしたらどんな理由だろうか、いやまあ基礎的体力が圧倒的なバンドなので、歴史上の数々の作品に埋もれない存在感は基本的にはあると思うものの、かなり音楽的なレンジを実は広く持った存在でもあるので、その辺は聴く人で様々だろうなとは思います。ある人は彼らに「エッジの効いた不良」要素を求めるかもだし、ある人は「3人の凄腕演奏者がぶつかり合うスリリングさ」を魅力に思うかもだし、まあ色々。
BJC以降(むしろBJC活動中でさえ)も、特に浅井健一という表現者は作品を大量に世に放っており、このブログの筆者はむしろSHERBETSの作品*2の方が好きな部分が多々ありますが、しかし同じ人が曲を書いて歌ってるわけなので、サブスク解禁された今、改めて30曲選んでみて、それらについてレビューすることで、きっと自然とこの伝説のバンドのうちの自分の偏愛する部分が浮かび上がってくるだろうという、そういう試みの記事です。バンドの活動時期はかなり昔、浅井健一の息子がモデルとして世に出てるくらいの、今更すぎることなのかもしれないけども。
なお、もう結構前になりましたが、浅井健一作品についてこんなのも書いてました。5枚とは随分少ないな…と今となっては思いますが、基本方針はこの頃と全然変わってないなあ…と思います。BJC時代の作品をもっと増やすとしたらまずは『BANG!』やろなあ。
書いてて思いの外長くなることが分かったので、10曲ごとに三分割します。それぞれにちょっとしたコラムを付します。
バンドの概要の紹介?はもう書かなくてもいいでしょ。全くこのバンドがなんなのか知らん人はこの記事読もうとしないでしょ。「前期」「後期」という単語をよく使いますが、これはレコード会社がそれぞれ東芝EMI、ポリドールの時期を指します。2000年に出たベスト盤の区分(それぞれ1991-1995*3、1997-2000)と一緒。
例によって、3分割することとなった記事の、その最後の記事の終わりの方にSpotifyで組んだプレイリストを貼ります。貼る予定です。
1〜10
1. SALINGER(2000年『HARLEM JETS』)
ロカビリー色の強いスタイルで始まったこのバンドの歴史がひたすら平坦な8ビートで進行し続けるシングル曲『SATURDAY NIGHT』で終わったことは、このバンドの音楽性の変遷を良くも悪くも象徴しているところがあるけども、そんな後期の直線的になりがちな楽曲の中にもこの曲はその直進性がとてもよく活きた曲。直進的なリズムの上に引っ掛かるようなギターリフとダウナー気味に言葉を多く連ねていく歌唱スタイルによる、直線的なビートの上だからこそのリズム感が魅力的な後期の名曲のひとつ。まあ同時期にすでにバンドとして活動してたSHERBETSの方でそのままリリースされても気づかないくらいには境目のない部分だけども。
ジャズやらロカビリーやらとロックンロールを組み合わせることは一般的にはいいことのように言われることが多い。けども、時にはそういう装飾が余計に思えて、シンプルにストンと来るロックンロールがいいなあと思う。この曲なんかはまさにそういうもので、ギリ3分未満の尺の中を、後期の彼らがしばしば取り組んだヴァース-コーラス形式のミニマムな曲構成の極みのようなフォルムで、メロディもそこそこにしつつも程よくラフで意味不明な雰囲気と、そしてそれをいい具合に突き抜けるサビ部のエッジなギターとシャウトの効かせ方が印象的。というか、イントロのこの、ギターとは引っ掻く楽器なんだなと思わせる刺々しいギターリフ。これが世に出ただけでもラストアルバムは実に偉大*4*5で、その後の活動でもしばしば演奏される。
タイトルからして『ライ麦畑でつかまえて』のJ.D. Salingerのことである曲タイトルだけども、それは不良性と少年性を揺れ動き続けたこのバンドの、少年性側の象徴のような言葉だろう。とはいえこの曲の歌詞は混沌としていて、自分がSHERBETSの方ですでに運営してた自主レーベルの名前さえ出すのは自由すぎて、リアルタイムで追ってた人からしたらシュールだったろうな。
二人で脱獄 シロップは真冬の午後のエンジェル
混沌とした中にもサラッとこういうフレーズを投げ込めるのは流石のロマンチスト。ある種のロマンチストは「意味不明だけどなんか綺麗」みたいなのを予想もつかない形で言葉の羅列から浮かび上がらせるけども、浅井健一はまさにその名手のひとり。
2. 綺麗な首飾り(1993年『Metal Moon』)
彼らのキャリアで唯一のミニアルバム『Metal Moon』には、浅井健一という作曲家のポップソングメイカーとしての才能が一気に吹き出したこの名曲が収録されている。それまでの彼のメジャーコード曲よりもずっと晴れやかで軽やかで開放的で、この後そういう方向のこのバンドの曲はしばしば出されるけども、その原点にこの曲があるとは、割と客観的にみてもそんな感じがするし、まあ、言ってもいいだろう。いわば、このバンドと作曲者のポップポテンシャルをアンロックした、高い演奏能力とリリカルなセンスが実に煌びやかでギターポップ的な形で結実した最初の名曲。
このバンドのリズム隊の二人は、ドラムはひたすら手数が多くて、ベースは実にメロディアスなフレージングを得意としていて、この曲の冒頭はまさにそんな二人の演奏のみで展開される。タムを大量に注ぎ込むリズムに非常に流麗でポップなベースが乗り、これだけですでにこの曲のポップさは約束された上で、一気に光景を切り開くかのように入ってくるブライトでクランチなギターの煌めき。この瞬間に全てが決している・約束されてると言っても過言じゃない。約束通りにポップに開けていく浅井健一の歌。ヴァース-ブリッジ形式な曲構成はむしろ、この曲にある種のエヴァーグリーン性をもたらしてすらいるかも。ファルセットが突き抜けていく様は、浅井健一の通常の歌唱と同様に、慣れるまではクセが強い感じがするかもだけど、慣れると実に透き通った風に思えてくる。少し陰ったようなミドルエイト部からの展開もまた天翔るよう。
それにしても、間奏以降くらいからの実にキラッキラとしたギターの重ね方には、1980年代のそういう音楽の積み重ねから得た何かを感じさせる。BJCというバンドは思いの外ニューウェーブからの影響が大きいけども、彼らが青春を過ごしたであろう時期を思うと、そりゃそうもなるわと。世界が眩しく加速していくあの感じ。
歌詞もどこか視線が一個人からではなく天からじみたものがあって不思議。少年の心の美しさと切なさを無条件に無限に称揚するサイドの浅井健一Wordsという感じの、ひとつの典型を見れるだろう。なので、突如出てくる以下のヤケクソなフレーズの違和感が曲の中で面白く広がる。どんなにヤケクソめいていても、少年少女の心というものは決して汚れてはいないものだ、という祈りじみた思いとともに。
どうにでもなればいい こんな世界なんて
無茶苦茶にしてしまえ すべてを焼き尽くしてしまえ
無邪気な顔して眠る子供の夢は 恐ろしい物語
でも 決して汚れてはいない
ライブでの演奏模様。さすがにギター1本では厳しい感じがありつつも必要な部分はしっかりカバーしてる。にしてもよくこんなの弾きながら歌えるな…それはこのバンドに限らず浅井健一のライブでの楽曲の多くに言えることだけども。
3. クリスマスと黒いブーツ(1992年『BANG!』)
自分の好みを横に置いて、このバンドから「日本のロック名盤」に名を連ねる作品を1枚選ばないといけなくなったら、『BANG!』を選ぶべきなんだろうな、とは思う*6。ダークでありつつも鋭利に割れたガラス片じみた強烈に刺さってくる音楽、という意味では、間違いなくこの作品がバンド中で最強であり、プロデューサーの土屋昌巳によって程よく整理された演奏の具合もエッジを削いでいない*7。改めて聴き返すと、個人的に苦手な『C.B.Jim』ほど不良めいてオラついてもいない、むしろ美意識とノスタルジーと神経質さでボロボロに塗り固められた世界観が、今においても独特な孤高さを湛え続けている。
そんなアルバムのノスタルジーサイドを代表するのがこの曲だ。リリカルな詩情と、この時期特有のどこか冷たく、しなやかなのに角のある演奏とが独特のセンチメンタルな尖りを生んだ楽曲。ノスタルジックな内容を狂ったように叫ぶところが、このバンドがジャケットから感じられるただの不良ではないことをしっかりと証明する。
イントロのギターフレーズからして実に感傷的で、的確に並走する音が追加されたその情緒を打ち破ってソリッドで寒々しいアンサンブルが始まる、この対比の時点で、鑑賞に浸りつづけてはいけない、でもそうしていたい、的なアンビバレンツ式の緊張感を匂わせる。アルバムでは割と直線的なビートを持ちつつも、そのカクカクさだからこその浅井健一の感情的な歌の映えがあるとも思うし、ブリッジ等でカクカクさに耐えきれないかのようにしなやかに躍動するリズムは前期的。特に、凛々しく安定した8ビートを刻むサビ部が終盤にシャウトと共に頭打ちの形で崩れるところは、それ自体がこのバンド的なリリシズムの発露だという感じ。曲の終わりが実にソリッドなのも、ウェットさを断ち切ろうとするその意思自体により生じるウェットさを思わせる。
自分の周りが世間的・反ファンタジー的に移り変わっていくことに耐えきれない、といった視点から描かれる歌詞は浅井健一という作家のある側面の代表作めいている。特に以下のシーケンスの、思い出と先への不安とが結びついてしまう様子は彼式に鮮烈で壮絶だ。
氷の張った水溜まりを 足で割りながら歩いた時から
思ってたんだ いつか来るだろう 今の事を こんな気持ちになる事を
すべては変わり過ぎていくけど 僕はずっと変わりはしない
4. 嫌われ者(1997年 シングル『ガソリンの揺れかた』)
今回のサブスク解禁はシングルも一挙にリストに上ったので、カップリング曲からも存分に選曲できるのが興味深い。B面集を作るほど多くはないけど、シングルカップリングでしか聴けない曲は彼らにもそれなりにあり、なぜか後期に多い。そういう位置だからこその渋みの効いたものがチラホラ。尺長めの曲も幾つかあり、実験場的な扱いでもあったのか。
これなんかまさに。いい具合にくたびれた、グランジ以降のブルーズ的な趣をこのバンドならではのアレンジの小技を効かせて4分に届かない程度の手頃な尺でコンパクトにまとめた良曲。アルバム『LOVE FLASH FEVER』の強力な並びに収録するには大人しすぎたのかもしれないそのアレンジの抑制具合*8は、むしろ意外と他に見当たらないタイプのうらぶれ感覚を密かに的確に拾い上げる。
イントロから聴こえてくるギターの大雑把な4つのコード繰り返しのリフ。この軸のシンプルさは後期ならではだけども、このリフをひたすら繰り返した上で楽曲をサビ含めて構成する様は、この手の力技だからこその魅力が大いにある。所々で絶妙に歌ってみせるベースラインの流麗さは、むしろこの曲の鬱屈を際立たせるかのようであるし、間奏でのラテン経由な雰囲気のある寂れたバーチックなギターソロは浅井健一の世界観がグッと大人びた形で響く。ムード作りのために我慢し続けた風なドラムは終盤になってシンバルを鳴らしまくって、この曲を渋く地味に終わらす事を強引かつ痛快に拒絶する。何よりも、この曲のスカスカした演奏は「本当の」3ピースバンドの演奏、という雰囲気がある*9。
うらぶれた曲調だけあって、この曲の歌詞は少年じみた部分はなく、都会の隅を通り過ぎる虚しさじみた情緒の感じがする。
嫌われ者の気持ちは 嫌われ者にしか 分からない
藍色のシャツと スペードのボタン以外 誰も彼を知らない
嫌われ者の気持ちは 嫌われ者にしか 分からない
藍色のシャツと スペードのボタンだけが 友達だから
最初のサビではシャツとボタンのことしか他の人に知られてないのか、と思ったら、2回目のサビでシャツもボタンも“友達”扱いされてて、その二つしかその人自体を知らない、という意味だったのか、となる。人じゃないものが人扱いされるのは浅井健一の歌で良くあるけども、この曲の転倒具合は密かに巧みで、そして歌の光景をより虚しくする。
5. Don't kiss my tail(1997年 シングル『左ききのBaby』)
あっその帽子そのマークはアカン…というのがビッチ然とした女性のイラスト以上に緊張感のあるジャケットのシングル『左ききのBaby』は、後期のバンドのソリッドな魅力をコンパクトに極めた3曲がスッと収まった、トリプルA面めいた作品で、実際、表題曲ではなくカップリングの『ロミオ』が代表曲然として扱われアルバムタイトルにも組み込まれたりして、ベスト盤にも3曲とも収録されたりしてる。
ゴツゴツしたリフで進行する強面な他2曲に対して、この曲はロードムービーという浅井健一が大事にしているモチーフを、そのものである映画『イージー・ライダー』への憧れを述べながら、非常に可愛らしくキャッチーなベースリフを先頭に、一際シュールな歌い回しも含めつつ巧みなポップソングにまとめ上げた作品。
照井利幸という人はそのタフなルックスからは意外なくらい(失礼)、可愛らしいベースラインをこのバンドで多く生み出してきた人だけど、この曲の開始0秒から聴こえてくるベースラインはその最上級のものだろう。間違いなくこの曲といえばこの花のようなベースラインで、これを先頭に、引っ掻き回すようなギターのコードカッティングもドタバタしたドラムもどこか可愛らしく牧歌的な雰囲気に包まれる。しかし、曲のテーマが『イージー・ライダー』ということもあり、サビ的な箇所での急に湧き出す疾走感みたいなものにはハッとするような寂しさが爽やかに香る。浅井健一の歌は、特に女性視点で歌ってる箇所のクセの強さは、初見で引いちゃうことも多そうだな案件でああるものの、慣れるとお茶目な歌い方だなとしか思わなくなる。
それにしても、尺がコンパクトにまとまっている割には細かいコードチェンジや展開の切り替えが多い曲で、そんなこの曲だけ東芝EMI時代のかつてのプロデューサーの土屋昌巳を再招集して仕上げたというのは少し興味深い話。プロデューサーとしての土屋昌巳は音色に楽器に口を出し更にはレコーディングで演奏も一部していたとも噂され、東芝EMI期末期にはバンドから疎まれたというけども、話は単純じゃないな、と思わされる。
歌詞はモロに『イージー・ライダー』について言及してるだけあって、非常にこう、バタくさいというか、そんな世界観をしている。
以前 君はヒッピーに憧れ 旅立ったくせに
たぶん彼らの最終形は自殺 だなんて言うし
実に身も蓋もない言い回しがヒドい。けど、そういったものの狭間にこの曲で繰り返し歌われる「コバルトブルーの心」があるんだよなと。それはまさに浅井健一が称揚する少年性そのもので、それはこの歌によって破滅型のロードムービーと結び付けられる。彼のジュブナイルな内容の歌が匂わす寂しさはつまりはそういうことなんだろうな。
6. 螺旋階段(1994年『幸せの鐘が鳴り響き僕はただ悲しいふりをする』)
プロデューサー土屋昌巳のオーバープロデュースと言及されることもある、えらく長いタイトルを持つ4枚目のアルバムはしかし、ロック以外の様々な音楽性を実践する、バンドにとってのショック療法的な局面であり、『ライラック』『綺麗な首飾り』で脈が放たれたポップセンスはより広げられ、そしてスピーディーなロックンロール以外の様々なミドルテンポの手法が、またはそのような曲調に合った、より客観的で冷酷な物語や情景の描写といったものがあのアルバムで試された。浅井健一の長い作家人生において、本作で得られたものは少なくないだろう。地味っちゃあ地味で、主観でブッ飛ばすロックンロールとしてのBJCはまるで見えない作品だけども。
この曲はそんな実験場な中での一幕。元々そういう素養はあったけども、このバンドが思いっきり徹底的にムーディーにジャズを仕上げたらどうなるのか、そんな音の中で浅井健一の歌はどういう科学変化を見せるのか(見せないのか)の実験と実践、という楽曲。ここまで徹底的にジャズることはもうないだろうとプロデューサーもバンドも思ったのか知らないが、ギターをリード楽器としたジャズとして徹底的に練られている。サビのコードバッキングが土屋昌巳の演奏とかどうでもいいぜそんな事柄。
いかにもそれっぽいギターの入りはしかし、浅井健一の歌が入った瞬間に「なんかジャズっぽい伴奏をした浅井健一の歌」に塗り替えられる。彼の歌はとてもとてもクセがあるから。それでもこの曲のジャズ要素はそんな圧倒的存在感の歌に拮抗しようと奮闘を続ける。アンティーク感あるハーモニクス音とかそういう小道具にこの曲は、というかあのアルバム自体そうかもだけど、命を懸けている。声やメインのギターのエッジの鋭さの裏で、ハイの落ちたギターが怪しくジャズしてたり、野生的なドラマーのようでいながらこの曲ではフィルイン以外は完璧にジャジーな躍動感を作り出すドラムだったり、言わずもがなのベースの活躍だったり。3人+プロデューサーの演奏者としてのスキルの高さ、そういう方面でも十分以上にやっていけるやん、っていう懐の深さをこの曲は確実にバンドにもたらした。別に似たような曲が後で出てくるわけでもないけども、この曲により広げられたレンジは大切なものに思える。
アルバム自体そうだけど、この曲でも不思議な光景が意図的に描かれている。普段と残酷さの意味合いが違うのも意図的だろう。
95番目の出口で ハイウェイ降りれば
町の名前はスペード おもな産業 人身売買
メタリックの花が咲きみだれ タータンチェックの鳥が横切る
プラスチックな僕達は夜どおし 野生の鉄を着こなすのさ
“タータンチェックの鳥”とかいう意味不明な言葉よく思いつくなと思うし、それを鉄を着こなす人間と対比するとかいう、いい感じの奥行き。奥ゆかしい邪悪さ。
7. ★★★★★★★(1992年『BANG!』)
アルバム『BANG!』のいいところは“不良”なんて単語じゃまるで抑えられないくらいにナーバスブレイクダウンな情緒が満ち溢れているところだけども、この曲は攻撃性においてその極地。★で隠された本当のタイトルは『人殺しの気持ち』。タイトルの如くにアルバム中最も鋭敏なナイフじみた疾走感で凄惨に駆け抜け、ボーカルも終始神経がおかしくなってしまったかのように喚き散らす、エッジそのものな楽曲。聴いてるこっちまで血走ってきそうな曲だ。
冒頭のギターのギラついたストロークの時点で不穏さしかなく、それがシャウトを合図に獰猛な疾走アンサンブルに切り替わる段階で「やっぱり」という気持ちになる。アコギ共々触れれば切れるような鋭さを表現するギターに、第2のリード楽器とばかりにうねり倒し続けるベース、隙あらばフィルを叩き込むドラムと、三者三様にアグレッシブに緊張し倒したこの曲は、聴く側の体調によってはもしかしたら血管に良くないのかもしれない。ボーカルも、歌うというよりも、炸裂し続ける、と言ったほうがまだしっくり来るような、そんなレッドゲージ振り切り倒したテンションでずっと進行し、その歌われる内容共々に狂気のシリアルキラーめいた様相をしている。
3作目『C.B.Jim』では物語長の歌詞を書くのに苦労したと浅井健一が述べているが、その前作収録のこの曲の怖いところは、物語の中の殺人鬼ではなく、本当に自身の精神の中から本心として「殺人鬼を召喚」してるようなところがあること。
足の震えが止まらない こんな夜には
口じゃとても無理さ 今を説明するなんて
だから★★★やるのさ 美しく
冷たく光るKnifeをくれてやるぜ
腐った奴を正しい奴が 引き裂いてやるのはいい事なんだろう
神様だってそうするはずさ 神様だってそうするはずさ
演奏の凄みもあり「これは歌詞や演技に留まる話じゃないんじゃないか」と少しでも思わせる。その後の様々な事実に、さすがに人殺しはしないものの、でもやっぱり気持ちとしてはそうなんじゃないか…と嫌な答え合わせが待っているかのようで、楽曲としての凄さを素直に受け止めていいのか戸惑う。そのくらいにこの曲が尖り切ってる証拠でもあるんだろうけども。
8. Dynamite Pussy Cats(1995年『SKUNK』)
『BANG!』は確かに『★★★★★★★』『ディズニーランドへ』といった作者の正気を心配する楽曲が含まれている。けども、精神の異様さということでいくと『SKUNK』の方がいよいよ自由自在に支離滅裂し、どこまでがジョークで演技でどこからが闇でどこからが病みかもはや判別不可能なほど混乱している。この混乱状態こそがその後の浅井健一作品のある種のニュートラルだということには畏怖とウンザリとを感じられもするけども、それにしても『SKUNK』冒頭3曲の強烈な混乱の振り回し方には、まさにこの3曲の並びこそBJCの真髄!と思わせるものがある気がしてる。プロデューサーを振り切ってバンドの自壊さえ覚悟して向かっていっただけのことはある。このバンドの形容詞で「3人がぶつかり合う強烈なバンドサウンド」とよく言うけど、本当の意味でそれができたのは『SKUNK』『LOVE FLASH FEVER』の2枚だけでは、とか思う*10。
冒頭3曲の2曲目であるこの曲。当然気が狂っている。重く這い回るようなベースを軸に、サバトじみて暴れ倒すバンドサウンドと歌のストーリー共々明後日の方向にブッ飛び続けるボーカルがひたすら破滅的な混沌の狂騒を膨らませ続ける名演・名曲。しかし、音楽とは何も鳴らさなければ無音なのだから、なのでここでの彼らは「どうすれば混沌がもっと混沌するか」を理知的にも実践的にも探り当てた上で録音している。やっぱり狂ってない。正気のラインがどうかしてしまってるだけだ。
この曲のポイントはやはり、太いロープじみたベースだろう。これとロック的にとぐろを巻くドラムがこの曲の強靭なボトムとしてあり、この曲のダーティーなグルーヴ感のジェネレーターとなっている。ただ、このリズム隊だけだとある意味安定した存在なので、そこに支離滅裂な狂騒感をスプレーするのはやはり、浅井健一の歌とギターの役割ということになる。ある時はベースと並走し、ある時は奇怪な響きを神経質に放つギターもまた名演。到底弾き語りからは生まれ得ない、リズムと上物の相互作用の暴発が崩壊寸前で纏まったかのようなこの曲には、真にメンバー3人のぶつかり合いから生まれた楽曲だという感触が確かにある。
それにしても浅井健一、凄いギターを弾きながら凄い声で絶叫してみせる。ブルーズハープのダビングが効いてる部分も確かにあるけども、この曲の真のサビとも言えるミドルセクションにおいては、ずっと絶叫しながら、曲中で一番どうかしてる内容を歌いながら、ギターフレーズも残酷極まりないエッジを響かせる。この辺のセクションはバンド全楽曲で最もテンションの高い瞬間のひとつじゃないかとさえ思う。猥雑なライブ会場の狂騒をテーマにした歌詞においても、このセクションでの”設定”を突き抜けたヤケクソ極まる“突きつけ”感は強烈だ。
とっても退廃した感じのする今日この頃
分厚いメロンの皮を張り付けたあんたのハート
言いたい事なんてこれっぽっちもありゃしない
知ってるさ皆ただの さみしがりや
(言いたいことない言うた後のそれ、めっちゃ言いたいことやん…とは昔から思う。)
狂気じみたライブの現場を狂気じみて歌った曲であることから、当然ライブでもハイライトを生み出す楽曲の一角。縦ノリの曲が多い中で、典型的な横ノリのこの曲はそういう意味でも一味違う存在だっただろう。
9. プラネタリウム(1997年『LOVE FLASH FEVER』)
解散寸前まで衝突して生み出された混沌の塊『SKUNK』から2年、3人ともソロ活動をし、レーベル移籍を経てリリースされたアルバム『LOVE FLASH FEVER』もまた、より荒々しく荒んだ混沌で占められた、ヘヴィで趣深い作品だ。完全セルフプロデュースとなり、よりグランジ的なものに傾倒した感じのあるサウンドは、幾つかのより暴力的な楽曲を生んだ。「刺す」から「擦り潰す」に変質したようなところはあるけども、あのアルバムの「擦り潰し力」は相当なものだと思う。ジャケットのチープでダサい感じが訳分からない以外は完璧なアルバムだと思ってて、やっぱBJCで個人的に一番はこれになる。
その冒頭に置かれたこの曲はまさに、粗暴に擦り潰す、って具合のギターとリズムの暴虐が、ギターソロさえ放棄して、意味不明に高いテンションによって歌メロとかそういう次元ではないところで叩きつけられ続ける楽曲。ソロ等でも演奏され続けている楽曲のひとつで、しかしこんな粗暴な曲に「プラネタリウム」という題が付くところが実に浅井健一。
冒頭のギターのブラッシングだけで20秒近く引っ張る、あまりに荒々しすぎるイントロだけど、そのプリミティブな勢いと僅かなリズムの変わり方だけで、その後に来るに決まっている「何か重たいもの」を十分に予感させ、引き込む。果たしてダウナーな歌が入り、やがて中村達也然としたナチュラルに手数多めなドラムが入り、決断的なブレイク直後の最初のサビでようやくアンサンブルが完成する。
浅井健一のハイトーンなボーカルは高いキーで歌うだけでシャウトじみた性質が乗る。なのでヴァースをテンション低く歌えば、それだけで強烈なメリハリになる。BJC式グランジの発見。マジにギターソロもバックのフレーズもないこの曲は、その事実のみで押し切ってしまう、前期の彼らからしたらシンプルすぎるとも言える演奏で、それについて不満に思うそうがあることも分からないでもない。でもだって、それでもこんな楽曲が成立してしまうんだもの。この曲の間奏にはこの血走ったリフとリズムの掛け合いだけあればOKで、ここにテクニカルなギターソロはかえって粋じゃない感じさえある。2回目サビ後のゴリ押しじみた間奏の後の、どうかしてるくらいのハイトーンから始まるサビと、最後のトドメのようなリフのゴリ押し。これ以上も以下も要らない、そんなこの曲はもしかしたら粗暴さの果てに生まれた“禅”なのかもしれない。つまり演奏しやすいからソロとかでも演奏するのかな…?
歌い始めからプラネタリウムで退廃かますこの歌、より「言いたい事なんかこれっぽっちもありゃしない」感が進行しているようにも思えるけども、炸裂と愛と放浪という浅井健一の3大テーマが、ラストのサビの歌詞には終結してると言えなくもない。
ビリビリに破いたウォーターベッドのチラシ
爪先で歩く猫に何かしら愛を感じた
冷えたチキンスープ 人間だらけ でも旅は続く
…そして、少なくともこのスタジオ録音については、いつ聴いても1997年の浅井健一から、除雪を勧められ続けてる…いつ聴いても、そうとしか聴こえない。むしろこれは明確に意思を持ってそう歌ってるんじゃないかとさえ*11。
それがどうかしたのかと尋ねられたらオレはそいつに
除雪自殺を勧める以外手がなくなる
だからそんな悲しい事言わないで
プラネタリウムという概念に対して冒涜かます歌詞を合唱するオーディエンスの図。
1999年のバンド唯一のリリースとなったシングルの表題曲『ペピン』は、その翌年のラストアルバムにも*12、そしてベスト盤にさえも収録されなかったという、謎な扱いを受けた曲で、一方でBJC解散直後に浅井健一が主導したバンドAJICOにおいてはUAボーカルのこの曲が大きくフューチャーされたりして、なんなのか。
楽曲としては、アルバム『ロメオの心臓』で試した打ち込みリズム導入がこの曲でひとつのキャッチーな曲に結実したと言える。リズムループの中をグランジ的なギターを響かせつつも、しなやかなベースが蠢き、どこか浅井健一なりのソウルフルさが込められた風なボーカルで情念を浮かび上がらせる、その気になればグランジR&Bとでも呼べたのかもしれないテイストの楽曲。浅井健一がソウル的な歌を作ることは非常に珍しく、自分が思いつくのはSHERBETSの『これ以上言ってはいけない』とか。
荒く歪んだギターのリフと明確に打ち込み感を有したリズム。荒々しい野獣のようなバンドだったBJCもここまで洗練された、というひとつの達成と悲しみ。まあそれでも打ち込みのしなやかなリズムに重ねるギターとしては荒すぎるし、肝心の打ち込みのリズムもやたらキックの手数が多くてこれはこれでバタバタ感がある。むしろ途中からベースが入ると、音像がそれまでのザラザラ感から一気に洗練されたものに変わっていく。このベーシスト実に器用だ。サビではファンクカッティングめいてくるギターの下でメロディのフックさえ形成して見せる。というかもはや繰り返しフレーズの歌さえサウンドの一部で、ベースこそが主役なのでは、とさえ。
それでも、浅井健一の歌はやはり“バックのサウンド”になりきらない異物的存在感がある。この曲ではとりわけ哀愁を漂わせた歌い回しをし、そして打ち込みのループのリズムであるから派手なフィルインなどという曲構成を明確にする装置もない*13中で、歌は明確な解決を見せないまま巡り続ける。ヒップホップ的なビート感*14でありつつも、その歌の、行き場もないままに何か情念を印象的に吐き出そうとする様は、彼なりのソウルミュージックの表現なんだろう。
この曲は実は結構な挑戦だったのかもしれない。作詞・作曲がバンド名義で、曲の閉じ方もこのバンドで他に類を見ない類の衝撃がある。1999年は再びソロ活動期間となり、浅井健一はSHERBETSで本格的に“本気な”楽曲を並べたフルアルバムをリリースするなど、いよいよ終幕が見えてきつつあったバンドの、奇妙な協働の結果なのか。歌詞まで共作というのは不思議*15だけど、『ダンデライオン』と同様のタイアップによる制約とかあったのかもだけど、不思議な色彩感覚の漂う一節に浅井健一の顔は覗く。
でも今は 水色の夕焼けが目に染みる
コラム1:BJCにおけるベスト盤
バンドやアーティストによっては、ベスト盤を出すのを嫌がる例があります。スピッツとか有名ですね。サブスクがこれだけ広まった今だとベスト盤ってどれくらいCDとして出すことに旨みがあるのかよく分かりませんけど。
どう見たって意固地な集団に思えるBJCも嫌がりそうなものですが、そこは意外にも結構ベスト盤を出しています。解散後に4枚くらい出てるのはともかく、東芝EMI在籍中に1枚、移籍後に1枚出してます。離籍後の東芝EMI発のベスト盤『国境線上の蟻』はそれイラストにすんのかよ…という自由すぎるジャケットとともに、移籍後のレーベルからリリースされたはずの『ガソリンの揺れかた』が収録されていて、これもまた不思議な感じ。
レーベル在籍中に出て積極的に1stアルバムの再録音曲も収録した『THE SIX』は確実にメンバーが関わっていて、『国境線上の蟻』も選曲浅井健一と公表されてますが、面白いのは、彼らのベスト盤はどれも未発表曲を収録し、既発曲を全部持ってる人でも入手する意味のある作品になってたこと。まあ解散からかなり経ってから出たシングル集のは本当におまけめいた存在ですが、解散直後に出た前期と後期のベスト盤には合計で3曲もの完全未発表曲が含まれ、そのどれもがいい曲なのでちょっと驚きます。えっこんなんなんかの方法で世に出せば良かったやん…となるそれらのうち、前期ベスト収録の『ハイヒール』『フレッシュ』はどちらもポップ寄りな浅井健一の作曲センスが覗く楽曲で、制作時期が気になります。『ハイヒール』はゴリゴリしたイントロや混沌とした音色からして『SKUNK』の時期かなと思うけど、『フレッシュ』はどの時期?ポップなシングルを要請されて出したっぽい『Girl/自由』とかその辺の時期?
BJCの白黒の両ベスト盤は、カップリング曲を拾うこともあったりで、選曲に不思議なところがあります。黒の方は3曲もカップリングから拾い、白の方は前期のそれまでのベスト盤含めて唯一アルバム未収録だった『いちご水』を拾うなど、なかなかニクいチョイス。
ただ、白盤の『幸せの鐘が〜』『SKUNK』からの選曲が謎なところは変な感じ。『SKUNK』からベスト盤で選曲すべきはそこじゃねえだろ、って曲ばっかり選んで一体何がしたいのか。『国境線上の蟻』と選曲が被るのを避けたのか。なんで?黒の方も、『ダンデライオン』をしっかり拾ったのは偉いと思うけど、『古い灯台』をバージョン違いで2回収録するよりも『ペピン』を入れるべきだろ…と思えたり、色々と不思議です。
⚫︎BJCベスト盤、それぞれの“ここでしか聴けない曲”まとめ
①『THE SIX』*16
・ガードレールに座りながら(NEW VERSION)
・胸がこわれそう (NEW VERSON)
・Rude Boy [“不良少年のうた”から改題] (NEW VERSION)
・僕の心を取り戻すために (NEW VERSION)
②国境線上の蟻*17
・水色(SHERBET『水』のBJCバージョン)
③Blankey Jet City 1991-1995
・ハイヒール
・フレッシュ
④Blankey Jet City 1997-2000
・黒い宇宙
⑤COMPLETE SINGLE COLLECTION『SINGLES』
・My Way(Frank Sinatraのカバー、というかSid Viciousのカバーのカバー?)
・・・・・・・・・・・・・・・
ここまでで1万4千字*19を超え、このまま30曲書き連ねたら流石に長すぎるなという感じなのでここで一度切ります。アルバム解説じみた文章が入り込んでるから長くなってしまってるのでは…?とはいえそんなに間を置かずに最後まで書き終えたいところ。とりあえずはそれではまた。
(2024年8月12日追記)次の10曲分の記事です。
*1:アナログ盤『HARLEM JETS』限定曲『JET LAG』等、ほんの少し公式リリースされたけど取りこぼされたレア曲がある模様。『JET LAG』はそもそも2009年のコンピ『RARE TRACKS』からなぜ漏れたのか…。
*2:それにしてもSHERBETSの方は相変わらずサブスク解禁状況がカオスなままだな…。
*3:どうでもいいけど、このような名前をしているくせにそのベスト盤に1991年のリリース物である1stアルバムからの楽曲が1つも含まれていないのはちょっと面白い。実質1992-1995。
*4:この曲と『不良の森』があのアルバムの価値を大きく支えている、というのは多くの人が思うことだろうけども。
*5:というかこのラストアルバムのジャケット、しばしば「アルバムのストーリーを表してる」と言われるけど、このアルバム外の内容がえらく多くないか…ロンドン・ズーのハクトウワシは『皆殺しのトランペット』(『LOVE FLASH FEVER』収録)だし、しれっと書いてある『ジョーンジェットの犬』に至ってはSHERBETSじゃないか…。でもジャケ真ん中近くの怪しくヘルい女性はなんかいいね。
*6:好みでいけば『SKUNK』『LOVE FLASH FEVER』の一騎打ちだけども。
*7:サブスクで聴くとえらくドラムの音の抜けがいい、というかスネアの音がえらいデカいのか?
*8:この曲をもっと神経質に炸裂させたのがアルバム収録曲の『感情』だと思うと、これが外されるのもやむを得ない気もしてくる。
*9:実際は間奏ギターソロのバックで密かにリズムギターが聴こえる。けども、本当にかなりひっそりしてる。
*10:『BANG!』は、確かに3人とも強烈な演奏をしてるけど、向いてる方向が奇妙にも一緒で、ぶつかり合ってはいない印象がある。本当にただの印象だけど。
*11:SHERBETS以降ならマジにそんな歌詞があってもおかしくない気もするし、ずっと曲を書き続けて歌い続けてきた彼には、むしろ自殺よりも除雪の方が似合ってたりして。村上春樹が言うところの「文化的雪かき」というものもあることだし。
*12:まあ、ラフな楽曲ばかりの『HARLEM JETS』の中には、ミックス含めきっちり作り込まれたこの曲の居場所はなさげなのでこれは仕方がない…。
*13:この曲では小説終わり等での小規模なフィルインは配置されているものの、中村達也の豪快なフィルインと比べたら遥かに小規模で地味な存在だ。
*14:普段ならギターソロとかありそうな間奏でピアノロール的な配置のピアノまで聴こえてきて、よりそんな感じ。
*15:その「作詞:BLANKEY JET CITY」名義は本当にメンバーだけなのかな、タイアップ先のプロデューサーとかも混じってないかな…くらいは勘繰ってしまう。
*16:4曲の1stアルバム曲再録音を含むけど、そういえば浅井健一、全く同じことをSHERBETSのベスト盤でもやってたなと。何なんだ…。
*17:ベスト盤の始まりと終わりに未発表曲を置くのは割と暴挙だとは思う。
*18:なんでベスト盤によりにもよってインスト曲の同じ曲をバージョン違いとはいえ2回も収録するのか…これも大概暴挙。1曲削って『ペピン』とか入れようよ…。
*19:8/8に色々加筆したんで今はもう少し増えてる。