ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『Surfin' Safari』The Beach Boys

ビーチボーイズの1stアルバム。これ以前の音源集(『Lost & Found』とか)までは手を伸ばしてません…。どうでもいいけどこのアルバムタイトルタイプしてるとfが二回出てくるのでなんかきもちいい。

Surfin Safari / Surfin UsaSurfin Safari / Surfin Usa
(2001/02/17)
The Beach Boys

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ジャケット。当時どうだったか知らないけど、オシャレに見える。空の部分が大きい辺りこういう感じの写真好きな人のツボついてくる。

このアルバムに限らずですが、ビーチボーイズのアルバムは連続する二枚のアルバムが1枚で売ってる(いわゆる2in1)やつがアマゾンなどで買える。単品売りしている日本盤や、最近では最新リマスター(ステレオ化などが目玉だけどそれは該当するCDにて触れる)の単品など出てるけど、とりあえず2枚を一枚で聴けてしかも安いこの2in1シリーズで、ぼくはアルバムを集めました。レコードとかCDとかでプレイヤーで聴くとなると、やっぱり一枚で終わった方が完結感あっていいのかもだけど。



01. Surfin' Safari
 ビーチボーイズの、記念すべきアルバム1曲目から、まさに彼らのパブリックイメージドンピシャな永遠のレパートリーとなるポップなロックンロール。実際は当時はシングル盤中心の時代なのでさほどアルバムの先頭が何かが重要じゃないようにも思うけれど、この曲はまさにシングルリリースされスマッシュヒットを記録している(むしろ当時はアルバムのA面とB面それぞれの先頭にヒットシングルを持ってくるのがビジネス的にも重要視されてた時代だけど)。
 とぼけたようなマイク・ラブのボーカルや、このアルバムのような超初期ビーチボーイズ特有ののんきで気が抜けたようなポップさ(この感覚は近年ならそれこそThe Drums『Let's Go Surfing』なんかに近い感じさえしてくる)など流石ヒットソング光る点は多々あるが、とりわけ重要なのはキメのメロディ部分のバックのリズムだと思う(ダンッ、ダンッ、ダッダッダッダッスッタカタッタカスッタカタッタカのパターンのやつ)。当時ビーチボーイズのデビューと同時期もしくはその後くらいには、似たようなサーフィン&ホッドロッドサウンドを量産するバンド(や、バンドに見せかけたユニット)がたくさん出て来たが、それらのバンドの曲でやたらと出てくるリズムが、このパターンだ。よりヒットして代表曲の風格がある『Surfin' USA』ではなく、この曲のドライブ感なのだ。一体このリズムの何がジャン&ディーンや、ブルースジョンストン、テリーメルチャー、ゲイリー・アッシャー等「サーフィン&ホッドロッドブームの仕事人」たちにやたら好まれたのかよく分からないが、その結果以下のことが言える。
Q:サーフィン&ホッドロッドって、具体的にどういうサウンドなの?
 A:大体この曲みたいな感じですよ。

サーフィン&ホッドロッドの文法があるとすれば、『Surfin' USA』より先にこの曲なのかもしれない。そう思うと、フニャフニャしてて情けない感じさえしないでもないこの曲が、とんでもない金字塔のようにすら思えてくる。

02. County Fair
 軽くテケテケと下降するギターに導かれて始まる、軽快でやっぱのんきな曲。曲名といい、あくまで田舎、ニューヨークやらモータウンやらみたいな「都会のヒップな感じ」がホントに微塵もしないところがこの時期のビーチボーイズの特徴。バンドメンバー自身による演奏(当たり前のように思えるが段々そうでなくなってくる辺りがこのバンドの複雑なところ)はのんびりとヨレていて、特にリズムはハイハットを叩く時の強めで均一な感じがアマチュア感に溢れている(しかし、こういう感じのドラムは特にゼロ年代半ば以降のUSインディーではかなりよく聴かれる感じもする。影響を与えたのか、単に大正義バンドだから模倣されるのかはよく分からないところ)
 歌以外の部分、オルガンが変にかすれた音でソロを取りながらの、いかにもなおっさん声(これは当時のプロデューサーニック・ベネットその人らしい)といかにもな適当にエロそうな女の声による呼び込みの掛け合いが楽しい。次作以降のどんどん洗練されていく楽曲から考えると、随分自由な感じもして、その自由さのあくまで田舎チックな無邪気さが結構清々しい。
 ちなみに、後にブライアンはこの曲のメロディを下敷きにしっかり哀愁のサビを取り付けた『I Do』という曲を作り他のシンガーに楽曲提供&セルフカバーしている。

03. Ten Little Indians
 英語圏で広く親しまれている童謡『テン・リトル・インディアンズ』を下敷きに作られた所謂ノベルティ・ソング的な色合いの強い曲。サーフィンブームがすぐ終わると思ったプロデューサーがブライアンに作らせた曲らしい。
 前曲と殆ど変わらないテンポで、イントロの「インディアンの話し方」をモチーフにしたと思われるふざけきったコーラスが飛び出し、まさにこの時期の自由なビーチボーイズを開始数秒にして体感できる。メロディ自体はオリジナルというよりも民謡の替え歌色が強いが、マイクのやる気が感じられないボーカルが妙にハマっていて楽しい。長くもないいかにもな音色のギターソロを越えて最後のワンコーラスを歌って終わると1分半足らずという、いい具合に投げやりな小気味よさだけがさっと駆け抜けていく曲だ。何気に、既にリードボーカルの裏で全然違うメロディのコーラスでオブリを入れる手法(ビーチボーイズ最大の武器)がかなりのレベルで完成していたりもする。

04. Chug-A-Lug
 このアルバムはホントにテンポが変わらない。この勢い一発な感じがこのアルバムのテキトーで気楽な雰囲気を作っているのかもしれない。
 サビ部でマイクの低音ボーカルが、高音コーラスと対位的な方法で用いられていて、この曲ではまだユニークさの表現的な色が強いが、これも後々ビーチボーイズが数あるコーラスグループとも異なる個性的なコーラスワークにおける重要な武器となる。あと、そのサビでまた『Surfin' Safari』メソッドのリズムが聴ける。

05. Little Girl (You're My Miss America)
 テンポは今までと変わらないが、ここに来てオールディーズポップスのような甘いメロディがやっと登場する。それもそのはず実際にそういう時代の曲のカバー。ここではドラム担当でウイルソン3兄弟の次男デニス・ウイルソンがボーカルを取っていく。彼は後々ビーチボーイズメンバーで唯一の破滅型ロックンローラー的な人生を地でいく人物で、次第に枯れまくっていく声と優れた自作曲で独自の魅力を有するミュージシャンに変貌していくが、この頃はまだバタバタしたドラムがチャーミングなバンド1のイケメン的なポジション。そして声もビックリするくらい甘い。3兄弟は3人ともめっちゃ美声という、凄い連中だ。
 低音コーラスで曲にハリをつけるマイクの声が印象的な他は、カバーということもありとりたてて言うべきことは多くないが、今回のレビューで大いに参考にしている『THE BEACH BOYS COMPLETE』において「デニスのシンガー人生はは結局「青目の女の子」の歌で始まり「青目の女性」の歌で終わった」という記述には目から鱗が落ちた。

06. 409
 初期ビーチボーイズの音楽性“サーフィン&ホッドロッド”の“ホッドロッド”の代表曲のひとつにして先駆け。そもそもサーフィン&ホッドロッドとは、当時のアメリカの若者の間で流行っていたサーフィンやホッドロッド
(詳しくは分からないけど要するにイカすクルマのこと)について歌うジャンルのことをそう呼ぶようになった訳で、このビーチボーイズの最初のアルバムにはしっかりどっちも入っていて、当時のヤングカルチャーの興隆に一役買ったんだろうなあ、と認識はしてるけどよく分かんない。この曲の歌詞は要するに「あのイカすクルマほしいぜ!」
 曲自体は、ブライアンと上でも挙げたゲイリー・アッシャーの共作。彼は初期ブライアンの重要な作曲パートナーのひとりでもある。車のSEなんかは分かりやすい装飾だけど、だが、その後に続く直線的でいい感じにスッカスカなビート・ギター等のアタック感がいきなりホッドロッドソングの典型みたいなサウンドになっている。少しけだるげに低いトーンで歌うマイクのリードと他メンバーのコーラスの追いかけっこは「当時最大限に軽薄化したロックンロール」という感じの快さがあり、単純に楽しい。未だにビーチボーイズのライブで演奏され続けている大事なレパートリーのひとつでもある。

07. Surfin'
 別にはじめっからサーフィンバンドだったわけでもない、そもそも当初はペンデルトーンズという名前のバンドだった彼らを、結果的にビーチボーイズという名前に変えてしまった、彼らの最初のサーフィンソングにして最初のヒット曲。『Surfin' Safari』よりも更に垢抜けない、より「田舎のあんちゃんがなんかサーフィンについてヘラヘラ歌ってる」って感じの気楽で罪のない曲だ。
 何を置いてもこの曲で一番のフックとなる、マイクの低音コーラスフレーズの能天気でテキトーな感じがインパクト強い。間違いなくこのフレーズが曲自体をしっかりとリードし、ヘナヘナな演奏をドライブさせている。今作中でリリースが最も早いからか、録音は最も荒く、ボーカルが特にキンキンしていて、あまりエッジはきつくないボーカルだと思ってたマイクの声がザラザラに聴こえて意外な感じがする。演奏もかなり軽い感じで、エレキギターのテケテケした音も聴こえない、その分より手作り感もあるサウンド。

08. Heads You Win-Tails I Lose
 上記の“例のリズム”を伴った所々のブレイクが印象的な、やはりアップテンポな曲。やたらハイハットの主張が強く、クラッシュ等も一切無しにずっと刻み続けるのは意外とストイックでかっこいい。アルバム全体にもいえるが、自然と強めのエコーがドラム含めてかかっているこの時代の録音は独特の良さある。
 曲としては、ペナペナ高音と低いささやきを使い分けるマイクのボーカルが他のコーラスを上手くリードしている。ギターのミュート気味のアタック感といい、アルバム中でもとりわけ垢抜けた感じに聴こえる。

09. Summertime Blues
 エディ・コクランの歴史に残るあの名曲をビーチボーイズもカバーしていた!と言えば聞こえだけは良さそうなトラック。今作におけるビーチボーイズの演奏面で弱さがとりわけショボい方向に出てしまった感じあって、タイトでキレのいいカッティングのリズム感が重要なこの曲において、なかなかにグダグダな演奏を見せている。特にドラムは、前曲のタイトなプレイがウソのようにフラフラもたつくようなプレイでかなり不安定。ギターソロもないアレンジで、コーラスワークも活躍の場が相当限定されていて、結果「自分で演奏するバンド」としてのビーチボーイズのいちばん脆い部分が出たトラックとなった。
 そのショボさから逆に「ローファイガレージロックの先駆け」と評されてるのを見た時はビックリした。ちなみに、ウイルソン3兄弟末っ子のカール・ウイルソンと、そして最初期ビーチボーイズにて少しだけバンドに在籍していたデヴィット・マークスによるボーカルらしい。カールにおいては後の素晴らし過ぎるボーカリストとしての姿はまだ見えてこない。

10. Cuckoo Clock
 今作でもとりわけ今後の所謂「初期ビーチボーイズ」な曲調、サウンドなのはこの曲なのでは、と思っている。歌自体はサビでカッコー時計のマネをするボーカルが入るノベルティ風味の曲ではあるが、そんな曲に似つかわしくないメインメロディの哀愁っぷりに、メロディーメイカーとしてのブライアンの才能の片鱗が現れていて、相変わらずの性急なテンポながらサビののんきさとの対比で引き締まった作曲になっている。再びなかなかにタイトなリズムを聴かせるドラム(フィルインもかなりかっこいい)といい、時計の針のチクタクをもじりながらも厚めに被さるコーラスといい、この曲は他の初期ビーチボーイズのアルバムに収録されても特に違和感なく聴けそうな気がする。バンドのポテンシャルが上手く現れた一曲。

11. Moon Dawg
 The Gamblersが1960年に発表した、世界初のサーフインストとも言われる楽曲のカバー。サーフィン・ミュージックの先人に対するリスペクトのように思えなくもないが、実際のところ原曲のプロデューサー(ニック・ベネット)が当時のビーチボーイズをプロデュースしていたことが選曲の理由らしい。なんとギターも原曲と同じ人間が弾いているらしく、当時のバンドの立場や、サーフィンミュージックを売り出したいレコード会社の都合等が透けて見える。
 ここで聴けるビーチボーイズの演奏は、ギター奏者が同じということもありかなり原曲どおり。ただ、原曲であったピアノをギターの刻みに置き換えてるので、よりDick Dale(サーフ・インスト界の元祖とも称される偉人)譲りのテケテケリバーブギターサウンドが展開されている。コーラスも入るが、これは割と原曲通り。所々に入る犬の鳴きまねに至ってはやってる人が原曲と一緒(ニック・ベネット。今作でも実質サウンドプロデュースはブライアンだったらしく、この人一体何やってんだ感ある)。

12. The Shift
 相変わらずのファストなテンポで2分弱を駆け抜けていくポップソング。この曲も今作より後の初期ビーチボーイズに近い曲調・コーラスワークで先駆的、というか後のアルバムの「シングルにはなってないファストテンポ曲」のスタイルは殆ど出来上がっている。ちょっと不穏なギターのイントロから一気に始まり、フィルインもギターソロもバッチリ決まっておりなかなかかっこいいだけに、終盤コーラスの掛け合いが続いていく中で早々にフェードアウトしていくのはちょっと勿体無い感じも。

Bonus Track1. Cindy, Oh Cindy
 今作と同じセッションにて録音された曲のひとつ。この時期にしてはしっかりとメロディがポップスしている、と思ったらカバーだった。ファルセットを連発するブライアンだが、まだ後々の爽やかさや美しさよりも楽しみやおかしみが勝ってる印象。テンポはしっかりアルバムと同じ色に染まっている。ややギターのアタック感が抑え気味なのは今作より後の作品寄りかも。

Bonus Track2. Land Ahoy
 今作のアウトテイクとなってしまった曲(『Surfin'』が収録されることが決まり代わりにボツになったらしい。仮にも最初のヒット曲であるトラックをアルバムに入れない案もあったのか…)。どこまでいっても今作のテンポは安定してファストであることを証明する、軽快な楽曲。特にサビのタイトルコール的なフレーズはかなりの脱力具合で、テンポの速さを感じさせず、マイクボーカルのヘンテコな魅力を感じさせる。アンタ全然クールじゃねえよ変だよ…しかしそこがいい。バッキングのトローンとしたカッティングのギターものんびり風味。そして1分半ちょっとであっさりと終わってしまう。

 The Beach Boysの最初のアルバム。オリジナルアルバムは25分程度しかないけれど、彼らにとっては割と普通の長さである(実はかの有名な『Pet Sounds』はあれで彼らのオリジナルアルバムでも収録時間が長いほうである)。
 今まで色々書いてはきたが、正直な話、ビーチボーイズの最初のアルバムだから聴かれている作品という度合いは小さくない。演奏、コーラスワーク、楽曲どれもまだ始まったばかりという感じの、それも自分たちがすごい原石だということさえ気づいていないかのようなのんきなムードがアルバム全体を覆っている。まだ「カリフォルニア州ホーソーンなる郊外の若者たちによる楽しい音楽」といった具合で、彼らがアメリカを代表するロックバンドになるのは先の話(とは言ってもこの作品の直後に『Surfin' USA』の大ヒットが控えている訳だけど)。
 しかしどうだろう。今は2015年ではあるが、このアルバムを凄い昔の作品だとあまり思わない感じがしてしまうのは、ゼロ年代中盤以降のUSインディー、いわゆるピッチフォーク系の線の細い感じのバンドと、スピード感とかメロディーの感覚とかで共通するところが感じられるからだろうか。つまり、初期ビーチボーイズは近年のUSインディーバンドに何度目かの“再発見”をされたが、そのインディーバンドたちの直線的で性急なビートに、今作におけるデニス・ウイルソンのドラムのフィーリングを感じることは出来ないだろうか。もしそのインディーバンドたちがホントに物好きだったとしたら、USインディーのある時期ある界隈においては、デニス・ウイルソンこそが最新のビートだったのではないか(流石に言い過ぎて故人から天罰が下りそうな気がしてきたぞ)。
 何にせよ、意外と波乱と混乱と失意に満ちまくったビーチボーイズの歴史において、今作にこそ一番平和でお気楽なムードが漂っていることは間違いなさそう。そのムードは、もしかしてホントに今作にしかない貴重なものではないだろうか。ブライアンまだ20歳。後にアメリカのロックもポップスもサイケも背負いぶっ倒れておじいちゃんになる男の、まだ嵐の前の時代(当時まだフィル・スペクタービートルズもいなかった)を切り取った、無邪気で自然体な青春の一枚(歌詞はサーフミュージック売り出しのために色々考えられているだろうが、それも含めて)。美しくて胸が痛くなるようなロマンチックな瞬間がまるでなくて、かわりにしょーもないユーモアばかりがあることも含めて、本当にリアルな青春がここにはあるのかもしれない。

 あと、収録曲12曲中9曲がオリジナル曲というのは、当時のバンドのデビューアルバムとしては異様だということも付け加わる。ビートルズで8曲/14曲、ストーンズ3曲/12曲、65年デビューのザ・フーで9曲/12曲であることを考えると、何気に凄いオリジナル指向だ。しかも今作のリリースされたのはビートルズがやっと『Love Me Do』でデビューした頃。
 ただ、こういった歴史的考証をもって「この作品はすごい!」と言ったところで、実際の音が変わる訳でもないし、これからのレビューは、極力こういった「歴史のお勉強」的な話は脇に置く程度にしようと思います。

「BLUE GHOST TOUR FINAL 元気にさよなら」昆虫キッズ

 行ってきました東京は渋谷、クアトロ。はじめて入りました。
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感想書くの遅れに遅れて、ご本人の方からこんな記事まで投稿されてますが…。DVD、出るのか…!

あえていつもの書き方で書いてみよう。
※あくまで『BLUE GHOST』ツアーから観始めたファンの感想です。
以下、敬称略。

1. Alain Delon
 今回の昆虫キッズのツアーの出囃子はBruce Springsteen『Born To Run』だったらしく、自分が行った京都や福岡でのライブでも聴いたあの力強くもキラキラした演奏が会場の暗転の後に鳴り響き、昆虫キッズのワンマンライブが始まった。ドラム・佐久間裕太だけが登場し、ドラムに座り試し打ちも早々に、強烈な乱打、昆虫キッズ特有の爆発的なジャングルビート。会場にいた人の少なくない数が「あ、これが1曲目かあ」と膝を打ったかもしれない。
 怒濤のドラムソロの繰り返しの中他メンバー、ベース・のもとなつよ、ギター・冷牟田敬が登場、そして少し遅れて、高橋翔。サングラスをかけている。そういえばこの前広島で観たシャムキャッツの時夏目知幸もかけてたなあ。みんなしてロックンロール背負うぜ!って感じ?違うか。むしろDeerhunterのフラッドフォード・コックスのここ数年のロックンロール指向をブラッドフォード大好き芸人である高橋翔がマネしての前のきのこヘアーからの転身、という可能性ががが…。
 高橋翔がギターをかき鳴らし、いよいよ曲が始まる。歌いだしの歌詞。
さよならの言葉に手をかけ震えだす心は
 忘れずあの箱に閉まってそしたら溢れ出す宿命

開演前に前説で現れたスカート澤部渡が言った「今日はただのワンマンライブですから、最高にかっこいいバンドが最高にかっこいいライブをするんです」という感じのことを考える。喉の調子が最悪な状況だという高橋さんのライブ前数日のツイートを心配していたけれど、聞こえてきた声はちゃんとしっかりと相変わらずの高橋節。
 ワン・コード押しの上ものにベースで変化をつける手法を、彼らもよく使用する。その上でこの曲の基調となるコードの響きは曖昧で、そこにくっきりと輪郭をつけるベースラインと彩りを与えるピアノの響きが素晴らしい。一気に駆け抜けていく。バンド史上最高クラスの長丁場となっただろうライブが始まった。

2. Metropolis
 アルバム『BLUE GHOST』のメンバーによる解説動画にて「非常に二曲目っぽい感じ」というコメントがあったこの曲はアルバムにおいて実に「一曲目がしっかりした曲のアルバムの場合の二曲目っぽさ」を発揮しており、そして幾つかの公演のセットリストを観る限り、おそらく今回のアルバムツアーで常に2曲目に演奏されているだろう曲でもある。つまり二曲目としての貫禄がどっしりと乗っかった、堂々とした二曲目。歌詞の通り爽やかに(しかし完全に明るいキラキラ感とも違う)進行しながらも、唯一ぐっと加熱するCメロで魅せるバンドの勢い。とてもスムーズだ。
 この曲を始める前になにかMCをしていた気がする(「今年もよろしく」などと言っていた。このテキトーさ!)。サングラスはもう外していた。早過ぎて意味が分からない。単純に邪魔だったんかな。

3. ブルーブル
 スピード感ある曲の繋ぎ。彼らが時にナンバガフォローワーと見なされ、本人もその敬意を隠さない程の勢い。今回のツアーからしか昆虫キッズのライブを観たことのない自分にはこの彼らの1stアルバムからの曲の経歴というか、ライブでどう進化していったかとかそういうのがよく分からないところはあるけれども、それでもこの曲の勢いが尋常じゃないことは分かる。性急にかつ独特の詰まり方をするAメロから、サビで下から一気にしゃくりあげるような高橋翔のボーカル、それに追随していくのもと・冷牟田のコーラス。おいおいここにはナンバーガールスーパーカーもいるぜ。どっちも興味を持つ頃には解散していて(スーパーカーはギリ間に合わなかった)ライブ観たことなんてないけど。

4. ASTRA
 この曲のイントロが鳴った瞬間の観客の、特に男ども歓声がとても印象深い(自分もその中のひとりなのだけど)。スタジオ音源ではトランペットが鳴るところの代わりに鳴らされる高橋翔のカッティングを皮切りに、まさに暴力的で爆発的で、イービルでカオティックな演奏が放たれる。猛々しくも刺々しいギター、鉄の塊を振り回すようなベース、そしてThis is 昆虫キッズのドラム!って感じのリズムキープバッチリに殆ど崩壊しきったドラムプレイ。一気にフロアの前の方で暴れだす奴らが増加し、ぼくも自衛のために揺らす身体を固くして、なんかぶつかってくるクソ野郎をはじき返す。クソ野郎は笑っている。クソみたいな笑顔をしている。それは横目で見ていても清々しい感じがした。
メリーゴーランド回らない この惑星で踊ってく
 哀しみ時代のネオディスコ

機能不全、なぜだ、その原因を究明して修正して“正しい暮らし”を目指すことこそこの社会に生きるひとりひとりがすることじゃないのか。うるせえボケ。ただただ狂騒すること、その甘味の程を知るや。

5. 主人公
 『ASTRA』の後はこの曲のシーケンスが鳴り響く、というのがアルバム『こおったゆめをとかすように』でもライブにおいても鉄板の流れである。『ASTRA』の狂騒はそのままシーケンスを通じてバトンタッチされ、そして叩き付けるリズムそのもののような演奏と歌が始まる。『ASTRA』が派手に破片を飛び散らせるような爆発なら、この曲は内部破裂を繰り返した後にサビで変な熱を発するような曲で、その微妙なグラデーションの違いがまた楽しい。
 確か高橋翔はこの曲のメロディの高音部がかすれてしまった。彼の喉の完全復活という奇跡は遂に起こらなかったことが判明していくが、バンドは一切ギアを緩めない。むしろより摩訶不思議なサウンドに飛び込んでいく。

6. 変だ、変だ、変だ
 この曲を最初に聴いた時のことを思い出してみる。「なんだこれは」。打ち込みのビートが反復して「エレポップ系の曲か」と思ったら、上モノはエコーがかったギターのニューウェービーでクネクネした音ばかり。そして歌もなんかクネクネしていて、それら合わせてみて、夜っぽい、けどメロウでスウィートな感じとも違う、なんだこの感覚は、っていう。
 その感覚は、ドラムパッドを併用してきちんとアルバム収録バージョン準拠で行われるライブにおいては、より増幅される。それは、この曲のキモである二本のメタリックなギターの絡みがより視覚的に理解されるからか、それともどう考えてもスタジオ音源よりも極端なディレイの掛け方によるものなのか。機械的なようで有機的、無感動的なようでエネルギッシュなそのせめぎ合いは、特に辛うじて一回目のサビっぽくなった箇所の直後からの、アルバム『BLUE GHOST』で数少ないのもとコーラスパートにおけるコズミックな展開で全開となる。その演奏は、どこまでも眩しく、かつ亡霊的。晩年のバンドが得た、妖艶さとこどもパンクSFっぽさが合わさった独特のフォルムが、ぶわーっと噴出されてともかく気持ちいい。

7. Night Blow
 確か前曲から続けてこの曲へ。タイトルに「夜」と入ってるだけあって、そもそも全体的に夜っぽい『BLUE〜』においてとりわけ夜なこの曲でこのライブは更に新しい輪郭を獲得する。ファンクともR&Bともつかぬ不思議なソリッドさに、やはり二本のギターの、エフェクトを的確に利かせたサウンドがうねる。特に高橋翔のギターは、シンセのような不思議な残響を伴って鳴る。少ない弦の鳴りで、どこまでも夜の雰囲気、SFの雰囲気。

8. 冥王星
 『変だ〜』からのギターのエコー等で繋げた流れの終着点。夜の黒さをそのまま宇宙の黒さに直結させてしまう、子供じみた妄想力で本当に宇宙の果てを描こうとするこの曲こそ、SFロマンの昆虫キッズの極北だ。いよいよ高まっていく二本のギターのエコーは、遂にこの曲の中心部で眩しいばかりの星空を描く。その想像力は囁きを繰り返す。
天文台からずっと見てたよ
かつて人工衛星になって一切の優しさとむなしさを見つめる歌をゆらゆら帝国が歌った。この曲も、似たようなものだけれど、立ち位置は違う。地球のどこかでも他の星からでも、そこには地面がある。人間は重力に魂を引かれてしまってるものだから妄想をするのじゃないか。そしてそれで、どこまでもを見通すことが出来たら。

9. 楽しい時間
 前曲までの壮大なスペースオペラごっこから、この曲で急に引き戻される世界、それこそが現実、日常だ。ギミックを極力排して単調に努める演奏と歌唱は、妄想やロマンを剥がしきった現実、日常の交差していく様をまじまじと見つめる。それは、もはやキッズではない目線だ、グロテスクな程に。

10. サマータイマー
 この曲でまたロマンチックモードの昆虫キッズ。二本のギターサウンドの妙にしても、先ほどの夜〜宇宙モードとは趣を異にする、より水中っぽさのあるサウンドが清涼感というか、スピッツと初期ナンバーガールを繋ぐような不思議な雰囲気がする。そこに、ドヤ顔と投げやりさが交錯する天丼歌詞がリズミカルに乗って、そしてかなり爽やかなこの曲に「そして僕のゲロとレター/置き去りのまま」というきったねえフレーズがサラリとベチャリと貼付けられる。
 この曲のライブでの醍醐味は二回目のAメロ。音源では全部高橋翔が歌い上げるところをのもと・冷牟田コーラスが追いかける形になり、とてもバンドっぽさが出ていて美しい。このツアー以降の特色なのかそれ以前からなのかよく分からないがとにかくディレイ過剰気味な冷牟田ギターも曲のキラキラさを際立たせていた。

11. COMA
 前曲に続いて夏シリーズ。爽やかさそのものな前曲と打って変わって随分翳りを帯びた雰囲気に、リリース時期の違いというものを感じる。景色が広がるような、不思議で曖昧な調性は共通。
 この曲のメロディの優雅さに、バンドのソングライティングの変遷を強く感じる。記憶とかノスタルジーとかを大事にするバンドの、最も穏やかで鮮やかな映像の広がるこの曲は、ライブで淡々と演奏され特に盛り上がる訳でもないが、観ていて気持ちがスーッとなってとても好きだ。

12. わいわいワールド
 イントロの寂れたリゾート地っぽさが特徴的なこの曲のサビで、遂に高橋翔の歌が出なくなった。所々で顔をマイクから背ける表情に、このライブのそもそもの条件とはまた別ごとの壮絶さが現れ始める。それでも演奏は力強く、『My Final Fantasy』収録時からの積み重ねを感じさせた。ぼくはライブでこの曲を聴くのがはじめてで、ライブ終わって音源聴いた時のギャップを覚えている(音源には音源の良さがあるけど)。
 曲が終わって、高橋翔が突如ひとりでギターを弾きながらこの曲のサビを歌いだす。どうしたんだろう、と思ったら「さっきは歌えてなくて、この曲のこの部分を楽しみに来てる人もいると思ったから」という。彼の時に複雑で時にストレートな誠実さがあった。本当は歌えなかった曲全部歌い直したかったんだろうか。

13. アメリ
 えらくハードロック的な重い音で鳴らされたこの曲のイントロで、このバンドのライブにおける遊び心をまた垣間見る。この曲もライブでは初見で、音源の途中国家の挿入のとこどうするんだろう、と思ってたら、ブレイクしたあとすぐ華麗に再スタートした。なるほど。『Text』の曲はピアノの曲が多い。
 この曲もサビのメロディが高く、高橋翔はかなり苦戦していた。「歌えないくせにやたらキーが高い」という本人による自己分析。しかしそこのえぐり出すようなギリギリさこそが間違いなく昆虫キッズの魅力のひとつ。

14. Miss Heart
 前曲に引き続きピアノの入る曲。だけどしかし曲の表情は前曲とまるで違う。攻撃性は一気に立ち消え、最新ミニアルバムの冒頭を飾るこの曲には昆虫キッズの“やさしさ”(≒寂しさ)がパッと花開いている。片手をポケットにつっこんだままもう片手でだけピアノを弾く冷牟田。この曲のピアノそんなにシンプルだったのか。シンプルなのにとても優雅なラインを描くピアノと、アウトロののもとコーラスで、“今”の昆虫キッズだからこその“どこまでも行ける”感じが鮮やかに現れていた。

15. 象の街
 最新作からの曲が続く。「初披露時イントロのあまりの暗さで客席から笑いが起こった」というエピソードさえ持つこの曲、ホントに謎の辛気臭さがあって、その出所がまるで不明な感じが不思議。深いギターエコーの森の中、高橋翔のボーカルだけが怪しくも鋭い。そしてやがてそのエコーが他の演奏とともにどんどんと膨らんでいくクライマックスは、音源よりも遥かに長く続き、ノイズをギュルギュルいわせるのとも異なる、不思議な轟音を作り上げていく。そのギターのエコーは、他の楽器が演奏を終えてからも鳴り続け、そのまま次の曲へと繋がっていく。

16. 27歳
 前曲とこの曲の辺りが完全にこのライブの最深部だったろう。前曲のズブズブと沈んでいくようなエコーの底から、この曲の最初のギターがつま弾かれる。ライブにおけるこの曲の、アルバム音源とかけ離れたダブで幻想的なアレンジ(かなり前からこのスタイルだったっぽいけど、いつからなんだろう)。高橋翔の呻くようなボーカリゼーション、虚無の闇に反響して消えていくギターディレイ、柔らかな緊張感の中飛び交うシュールな歌詞。
心に張り付くタニシ それを見つめてる女の子の子
ダブな音空間の中を、どこまでも沈んで溶解していくような演奏。サビのメンバーごとのシャウトともつかない歌唱が、大して意味もないはずなのに聴いててとても寂しくなっていく。バンドは、この曲によって最も深くへ潜り、そしてここから、一気に駆け上がっていく。

17. WIDE
 本編終盤戦の始まりにして、このライブで最も4人のエネルギーが詰まりに詰まっては爆発した演奏となった。元々、活動終了を決めてから作るようなタイプの曲とは思えない、殆どバンドの掛け合いのみによって成立するようなこの曲。しかしこのライブでの熱量はそれを遥かに凌駕する。
 何を置いてもギター。もの凄い音量、もの凄いエコーの掛け方で鳴らされるそれは、ギタリストとしての冷牟田敬のベストプレイではないか。テレキャスターをほぼ垂直に構えて、全身で弦を振動させるその姿は、何かに取り憑かれてるようでさえあった。その音の眩しさが忘れられない。
 途中、二人のギタリストが微妙に異なるフレーズで掛け合うところのエネルギーをどこまでもチャージしていく感じから、そしてビートがストレートになってからの、最早フレーズとは言えない、何もかもを纏って突進していくようなギタープレイ。「氷を溶かせ」と連呼しまくる高橋翔。
 クアトロのステージは、無数のライトに囲まれた形になっている。それらに照らされるバンドの姿はどこでもとても美しかったけれど、この曲においてはもはやそのライトさえ置いてけぼりで、バンドそのものが発光していたとしか思えなかった。ヒューズが幾らでも弾け飛びそうなほどの熱量を、とても鮮やかに表出できるバンド・昆虫キッズの神髄の、最新形の最終形。

18. いつだって
 勢いは続く。ピアノを伴ってやはり鮮やかでかつナンバガ的なザラザラジャキジャキ感も伴って始まるこの曲は、しかしライブでは唐突なテンポチェンジで謎停滞感をバラ撒いて、そしてまた元の疾走テンポに戻る。この、少しじらしてからの疾走感も快いところ。
 スタジオ音源では「レレレレモンの」と歌うところをライブでは「ラリルレモンの」と歌う。こういう微妙に気が利いているようなそうでもないところも面白い。
 最後のサビ(?)の箇所で曲は終わらず、そのまま『まちのひかり』に雪崩れ込む。彼らのライブ特有の鉄板の流れ。

19. まちのひかり
 いまだに彼らの一番の代表曲と言えばこれになるのだろうか。音源では入っていたフルートがライブではなく、かといってピアノが代わりにフレーズを弾くようなこともないため、ライブでのこの曲の演奏は非常にアタック感が強調された形となる。しかしそれでも、全然グイグイくるのは、単純にソングライティングの良さと、あと演奏の勢いによるものか。
 前曲からのダイレクト接続によって前曲のザラザラ感からパッとこの曲の少し洒落た雰囲気になる流れが素晴らしい。そして音源よりも遥かに音程と魅せ方が洗練されたボーカル。“今”のエモーションみたいなのが入った節回しはライブならではの臨場感がある。間奏、フルートがないからホントにアタック感だけのシンプルな間奏、そこに入る一拍のブレイクのスカッとした爽やかさ。そして最後の「ひかり」連呼の朴訥さ。
 昔からのファンにおいては、この曲に積もった思いの程は相当なものだろう。ぼくも新参だけども、この曲の不思議で複雑な爽やかさと勢いがとても好きで、そして、それをこのように観れる最後の時間なんだってことを思った。

20. 街は水飴
 音源ではかなりオーソドックスなバンド演奏以外の比重が高いこの曲も、ライブでは冷牟田ギターが加わり(しかしながら同時にピアノも鳴っていた。サポートでカメラ=万年筆の佐藤優介が弾いていた?ステージ袖で弾いてたらしく、ライブ中は見えなかった…)、轟音ポップナンバーとなる。この曲の場合、轟音の核は佐久間ドラムである。ともかくシンバルを叩きまくり、キックを入れまくるサビは、『27歳』ほどではないにせよ別曲のような趣がある。
 しかしそれでも、変わらないのはこの曲のメロディ。どこか民謡みたいな感じがするのは、のもとコーラス部の「カモメや 囲えや」の箇所のせいかもしれない。ディレイ過剰なギターがまた、曲の世界観を強引かつ懸命に広げていく。

21. BLUE ME
 今回のライブはあくまでアルバム『BLUE GHOST』のレコ発ツアー最終日、ということになる。そこでこの、アルバムの核とも言えそうな、SFで静謐で宗教的なこの曲の登場となる。ツアー各地でのライブであまり演奏されてないような気もして、調べてみたらリリース直後のレコ発では演奏されていた。
 高橋翔がギターを置き、ハンドマイクで歌いだす。冷牟田ギターにはやはり深いエコーがかかっているが、この曲はその響きの長さが、ベースとともにより広く深い静寂を作り出す。
 高橋翔のボーカルが、喉が、ともかく壮絶だった。アルバム中でもとりわけ高いメロディが続くこの曲で、彼は何度もマイクの前でうなだれ、食いしばり、そして歌えた場面、歌えなかった場面。音源ではなかった(多分)のもとコーラスが重なるときの安心感を突き抜けて、瀕死の絶唱をする。
青の向こう側/青の向こう側/変な街の中で怯えていた
 Blooming/咲いている/Blooming/咲いている/哀しみの行き先を

高橋翔は業の深い男だと思った。ロックンロールが時折背負わせてきたタイプのやつだ。ひとときも目を離すことができなかった。ぼくたちは、ロックスターの痛ましい姿を観に来たのだ。そして、こんな過小だったからこそ、聴いて受けた感傷の深さもまたとんでもなくなってしまった。音楽を、ロック音楽をするとはどういうことなのか。あの姿をずっと忘れない。

22. FULL COLOR
 前曲の“忘却の彼方”感をギターノイズごと継承してこの曲が始まる。おそらく、ツアーすべての公演で本編ラストをつとめたこの曲。『BLUE GHOST』以降の“2人のスペーシーなギターの絡み”路線に『変だ〜』と共に先鞭を付けた曲。
 Deerhunterを咀嚼しまくった結果ニューウェーブみたいになってしまったかのような、冷たく澄んだ2本のギターの音が、水滴を垂らすように響く。夜空のような、宇宙のような、どこでもないような…そんなアルバムの世界観を、もしかしたらアルバム外から支えていたのかもしれない。
 そして展開。無数のライトが照射するような輝き。それは所謂“太陽さん”が作り出すものとはまったく性質を異にする眩しさ。その眩しさの中で、高橋翔はふりしぼる。
街は変わるけど/いつもフルカラーで/僕も変わるけど/手を振るからで
 最後、イントロに戻って曲が終わり、終わらない。エコーしたギターノイズが、どこまでも広がって、続いていく。楽器を置き、順番にステージ袖に消えていくメンバーたち。そして、ひとりその場にうずくまり、エフェクターを弄りノイズを操ろうとする高橋翔。そのノイズの響く時間は長く、無限に続くかのように思えた。しばらくして、彼はボリュームをゆっくりと下げはじめ、そして最後はまるで自分の胸にそれを収めるかのように見えた。立ち上がり、客席に礼をして立ち去る。本編は、終わってしまった。

en1. BIRD
 アンコールが始まる。
「昆虫キッズのライブはアンコールからが本番だよね」的なMC。最後のアンコール、という寂しさを、どうにかして紛らわさずにはいられない。ベースがメロディをなぞる。昆虫キッズ最後のライブ告知として使用されたこの曲、のイントロ。
 ぼくはこの曲が本当に好きだ。フォーキーでかつ持続音の多いコードバッキングは優しく、そこに寄り添うリードギターのリフは陽光が降り注ぐようだ。その陽光には、ディレイがたっぷり掛けられてより眩しい。この曲のサビも、高橋翔の歌唱は苦しそうだった(アンコールまでの間に喉が回復する、といった奇跡は起こらなかった)けれど、それでもこの曲は曲名の通り、スコーンと飛んでいく。

en2. シンデレラ
 この曲のギターコードが鳴った瞬間の歓声。初期からの重要なレパートリーのひとつにして、冷牟田敬完全ギターボーカルの一曲。彼の高橋翔とも異なるけだるげなボーカルが、しかし意外とドラマチックなこの曲のメロディを歌う時、特にサビでメロディにアドリブ的に変化を付けるときの情感が好きだ。それは、このライブでもしっかり発揮された。
 この曲中間部、のもとボーカルと他の男連中の掛け合いの箇所がある。ここで自然発生的に起こったコールアンドレスポンスの、楽しいこと。本人が「この曲でこんなコールアンドレスポンスが起こるのはじめて」と後に話していた通り、この、元々はコールアンドレスポンスのパロディ的なギミックとして曲に含まれていた感のあるセクションは、このライブの終盤を楽しく盛り上げる、素敵な役割を遂げた。

en3. GOOD LUCK
 アルバム冒頭の曲が、こんなクライマックスに来るとは思ってなかった。この曲の、どこまでもしっかりと王道感のある感傷的なサウンドが好きだ。高橋翔も、この曲で唯一音が高いサビの一部分を根性で歌う。アウトロのコーラスが、ずっとずっと続けばいいのにと思った。

en4. 恋人たち
「最後に『恋人たち』という曲をやって終わります。ダイブとかするかもなので、そのまま渋谷駅まで送ってってください」
 アンコールの最後に『まちのひかり』と並ぶ初期の代表曲を。この曲も、ピアノを伴った爽やかさと、ちょっとしたパーティー感が魅力な曲だけど、4人でストイックに演奏すると、どこまでもパワフルに響く。特に佐久間ドラム、キックのリキの入り方が違う。最後の最後に、戦車で押し潰すかのようなグルーヴ。もの凄い体力だ。
 曲の終盤で、やりきったとばかりに高橋翔が客席にダイブ。そのまま観客の上を流れていく。笑う高橋翔、やはり笑う観客たち、そしてステージで演奏を続けながらも笑う他メンバーたち。元気にさよなら、なんて言っていいのか分からないけど、あの光景は多少なりとも、そういうことだったのかもしれない。


en1. 裸足の兵隊
 客電が点く。しかし終わらないのは分かっていた。だってまだ演ってほしい曲がたくさんある。たくさんあるけれども、少なくとも1曲だけ、演らない訳がない曲がある、そう思って、それでも必死に手を叩く。
 3たび現れた昆虫キッズ。最後に演奏されたこの曲の、バッキバキのプレイ。すべての音が、本当にバッキバキだった。のもとベースのこの曲サビでのバキっと駆け上がるフレーズはエッジが利いていて、佐久間ドラムはあい変わらず高機動でバツバツンなプレイ、そしてソロでそれらをすべて聴こえなくする程の大音量の冷牟田ギターの、殆ど絶叫のようなソロプレイ。
 高橋翔。出ない声さえどこからか出す。そして最後に4回繰り返す。
海に行こう/見に行こう/なにか大きなものを見に行こう
そうだ。分かるようで分からない、ピンからキリまでの言葉の羅列や連なりも、基本破滅的なトーンを有しながらも広がりと温もりも有したサウンドも、どこまでもクールに死にもの狂いなスタンスも、すべては「なにか大きなものを見に」行くためにあったような。それは絶望でも、希望でも、なんでもないものでもある。最後、曲終わりの轟音を何度も何度もキメを入れながら繰り返す様は、バンドを惜しむ気持ちも、楽しむ気持ちも、誇らしげな気持ちも、憔悴しきった気持ちも、何もかも入っているし、何も入っていない。最後のギターノイズ等の残響が消えたとき、昆虫キッズとかいうバンドは活動を終了した。

 何度も何度も礼をして、ステージ袖に引っ込む。しかし客席からのアンコール希望の手打ちはやまない。遂に4たびステージに現れたメンバーたち。更に何度も何度も礼をしたり、かと思えば写真を撮るよう要求したり、「こんな変なバンド他にいないよ!」というコメントが出たりして、そして観客の不思議な祝福ムード。ある意味で「元気にさよなら」というテーマを客にもバンドにも強いた、このバンド最後の長時間のワンマンライブは、しかしその目的を、達成したのではないか。27曲、3時間をゆうに越える超長時間のライブの果てに、疲れきっていながらも笑顔の高橋翔がいた。その場に広がる不思議な多幸感と、「販売予定だったパーカーは間に合わなかったので後日ホームページにて販売します」のアナウンスなどのせいか、ひとつのバンドが終わったような空気がまるでなかった。人生初の解散ライブだったからその雰囲気を感じ取れなかっただけかもしれないけれど、でも、これを書いている今でさえ、なんだろう、活動終了という実感が湧かないのは、とても不思議な気分だ。とても不思議な気分のまま、1月を過ごして、これを書いている。

 あれを演ってない、これを演ってほしかった、という気持ちが全くない訳ではない(『太陽さん』は結局ライブで観れなかった)。だけど、それはもっと早くからこのバンドに興味を持てなかった自分のアレさのせいだ。それでも、なんとか、この素敵なライブに間に合った。そのことがとても嬉しくて、誇らしい気さえしてくる。
 昆虫キッズというビッグなロマンは消え去ったらしいが、その構成員は消えていった訳ではない。別バンドがある3人はその活動を当然継続する。そしてそういうのが無い高橋翔が、上記のnoteにおけるインタビューにてソロの活動を既に表明している(「これから、"ELMER"って名前でなんかはじめます。」とのこと。これででも実際始まったら全然別の名前だったりするかもしれないからこっちも適当に待っていよう)。それに今回の解散が致命的に袂を分かつ必要性からきた仲違いではなさそうなことも(とりあえず表向きはそうは見えない)、「もしかしたら…」を期待してしまうところ。
 ともかく、最高にエキサイティングで、ロマンチックで、壮絶で、支離滅裂で、かっこいいロックバンドだ。これからもずっと聴いていくでしょう。本当にありがとう昆虫キッズ。今年も、そして今後もよろしくお願いします。DVD待ってます。kontyukids.jpg

2014年の個人的フェイバリット・モア10ソングス+α

 2015年になりました。今年もよろしくお願いします。

 2014年の音楽の個人的なまとめ、最後は前述の30枚から漏れてるけど、欠かすことが出来ないと感じたモア10曲のレビュー+αです。曲の方は殆ど邦楽で、今年全然洋楽チェックしてないのすぐ分かるラインナップ。

 曲名に試聴用リンク貼ってます。1曲だけ見つからなくて別の曲貼ったけど。番号は構成の都合で並べてるだけなので優劣は無いです。



1. 彼氏になって優しくなって/岡村靖幸
 プリンスの新作が素晴らしいんだって言うけど、頭の中で爆音で岡村ちゃんが鳴ってるから聞こえねえよ!って言いたくなる曲が、つまり決定打が、遂に年の終わり頃にリリースされた。本人作詞作曲編曲あと自撮りとかまで、どこを切っても岡村汁100%、岡村靖幸のジェントルさも滲み出るいかがわしさも詰め込んだ、キメッキメのどファンクチューン。
彼氏になって/優しくなって/しなやかなキッスしたい
 魂がそっと/震えるような/恋は瞬発筋でスマイルしちゃうんだぜ Baby

出だしからバッキバキの粘りっこい岡村節で歌われる靖幸ちゃん語。今年出た他のシングルが悪いという訳ではないけれど、この言葉が意味を越えて身体に来る感じはまさに本人作詞の、しかも絶好調なやつ!そう、愛も恋も、流星も通り抜けて、このヒクいところにボディブローカマされるような音と歌唱とフェイクでよろめくように踊れ「ただし 絶対常識の 範囲以内でね」なんてキュートかつ「本当…?実はキメてない…?」な怪しい文句を携えて。あっ今更過ぎるけど今回の活動再開後リリースされた『エチケット』ってそういう…このままアルバムまでバッキバキでお願いします!

2. I Love You Only When You're Cute/Juvenile Juvenile
 関西インディーシーンが何故か多数抱える英語詞ギターポップバンドのひとつ、Juvenile Juvenileの今年リリースされた1stアルバムの2曲目にて、まさにキラーチューン然としたキャッチーさを有した名曲。
 開始0.01秒で「あ…これはいいな」って思えるポップでキャッチーなギターの澄み切ったフレーズ、そしてそのフレーズの勢いのままに爽やかに疾走・展開していく曲のスムーズさ、サビの男女混成ボーカルになり素晴らしくキラキラしたサウンド、間奏の蒼く凛々しいギターソロ、バタバタ具合に80年代ネオアコっぽさが滲むドラムetc…どれを取っても最高のギターポップサウンド。思わず口ずさんでしまうタイトルからも感じられる歌詞の、繊細だけど結構身勝手な男の子具合も含めて、彼らの少年性がスパーっと表現された1曲。
 メンバーのうち二人はWallflowerというバンドもやっており、こちらの方がよりネオアコ感のあるサウンドを展開している。POST MODERN TEAMがNINGENCLUBのメンバーのソロだったり、この辺の人たちは芸達者だと思う。

3. You Couldn't Do So Much Better/Hearsays
 こちらは福岡の音楽シーンが、そしてDead Fuuny Recordsが誇る女の子ボーカルのギターポップバンド、Hearsays。この曲の収録されたCD『In Our Time』は2014年リリースだが、その収録曲は1曲を除いて2013年リリースのカセット『A Little Bird Told Me』収録曲の再リリースで、この曲もそのうちの1曲なので“今年リリースの曲”と言えるか微妙ではあるけれど…。
 女の子ボーカルのギターポップと言えば、今はHomecomingsの名前が真っ先に挙げられるだろう(彼女らよりHearsaysのカセットの方がリリース早いからパクりじゃないですよ)。似たところはあるが、Hearsaysのサウンドの特徴はそのルーツがよりオルタナ寄り、PixiesやThe Breeders等の90sUSインディーなところ(実際にライブでカバーを演奏している)。その感じが最も分かりやすいこの曲は、「作るときスマパンを思い浮かべた」と本人から正直なところを聞いたけど、そのどっしりサウンドが可憐なボーカルとドラマチックなコード進行でマッチした曲で、終盤少しの間だけエモくなるギターも含めてとりわけグッとくる曲。
 ちなみに、レーベルのお膝元で活動するバンドだからか、やたら凄いメンツと対バンしていることも特徴。同じ福岡シーンの重鎮folk enoughや今作の録音・ミックス等を担当したKensei Ogataは当然として、他の名だたるところを挙げれば、Someone Still Loves You Boris Yeltsin、ROTH BART BARON、Juvenile Juvenile、王舟、そしてDeerfoof。同じ福岡なので、ぼくもしょっちゅう観てます。多分今年一番観た回数が多いバンド。

4. Greens And Blues/Pixies
 上記バンドもお手本にしているその本家本元Pixiesの、再結成後何年も経った2014年遂に新作アルバムがリリースされた。再結成後のバンドを追ったドキュメンタリーのあまりハッピーではなさそうな緊張感ある雰囲気や、実際に再結成後二度に渡ってベーシストが交代してしまったことなどから、バンドが決して“ハッピーなヴァイヴに満ちてる”的なモードじゃないのは明らかだった。それに、誰もが今の彼らに「シーンを牽引するような新しいサウンド」を求めるのが酷なことを分かっていた。果たして、リリースされた新アルバムも彼らの現役時代と比較しようの無い(プロダクションのレベルで当時と全然違うから無理もない。再結成バンドが抱える共通の問題)作品となった。
 そんな中、この曲だけは、やたら目立っていた。ふくよかでちょっとエモいグッドメロディと、アメリカンロック的などっしりした演奏がある、普通にとてもいい曲。ただし現役時代にここまであからさまにポップソングの構造をした曲は無かったし、そこにはどことなく「再結成記念で懐メロっぽい曲を捏造した」ような雰囲気すら漂っているような気がする。Ben Wattが純粋に自分の前作をアップデートさせた感があるのに対して、この曲はどこから湧いてきたのか分からない感じがある。
 しかし、純粋にいい曲だ。この曲に足りないものは何も無い。むしろ再結成Pixiesの哀愁が、リスナーの屈託が、サビのメロディで一気に舞い上がるような感じは、Pixies的ではない、らしくないタイプのロマンチックさがあるんじゃなかろうか。この大きさは、サマーソニックでのライブ時も高らかに響き渡り、他の曲の興奮とは違った、不思議な感動で幕張メッセの一角が包まれていた。たとえば優しさとは、こういうものじゃないかしら、とか思ったりした。

5. 闇をひとつまみ/HiGE
 日本屈指のオルタナティブロックバンド、HiGEの10周年は、ハッピーさよりも、通年の痛みを引き摺ったまま辿り着いたような、少しシリアスなトーンの下訪れた。2014年はじめにオリジナルメンバーだったドラマー・フィリポが脱退して、4人+サポートという体勢になったHiGEの10周年ライブを観たが、お祝いムードよりもむしろ「色々あった結果、今の髭はこういうモードなんです!」というのが色濃く表出されたライブで、具体的には、メロディアスな新曲はどこまでもジェントルでメロウ、そうでない曲は徹底してリズムオリエンテッドクラウドロック的なミニマルさにバンドの個性の鮮烈なところを溶かし込んでいったような印象だった(ベース宮川氏がベースを置いてシンセを繰る曲があった。今のHiGEはそこまでするのか…!と思った)。
 その経緯や傾向は、10周年記念でリリースされた3曲入りファンブック『素敵な闇』において文字でも音でも語られているが、そのメロウさと彼らの幻肢痛のような痛みの様は、この曲にまさに込められている。10周年の間に背負ったもの、失ったもの、それらを辛うじて「闇をひとつまみ」というファンタジーさに注ぎ、息も絶え絶えで闇の広がる眼前を見つめようとする詩情は、詩人としての須藤寿の、かつて無いレベルの作品となった。「みんなの想像の中で育っていく後期ビートルズ」的サウンドは優雅さを極め、ずっと同じメロディを繰り返すだけの曲にも関わらず、どこまでも優しさと強く結びついた寂しさを感じさせる。
数を数えた/確かなものの/数を数えた/夜の窓辺で
 誰にも通じない/こんな気持ちは/底に沈めた/闇をひとつまみ

 終盤に転調して以降は、歌い上げているのに彼のどのシャウトよりも壮絶さ・激しさを感じさえする。これは何かのエンドロールだろうか。違う。HiGEの次のアルバムはかつて無く鬼気迫ったものになる。そのためには、こんなにも美しくてもの悲しい地点から始めないといけないものなのか。楽しげでハッピーなロックバンドだったこともあったはずのHiGEは、もの凄い転機を静かに迎えている。

6. TELE○POTION/七尾旅人
 昔の天才宅録青年然とした姿はどこへやら、近年は弾き語り界の怪人として猛威を振るっていた七尾旅人が、しかしどうしたことか、初期のメロディアスさを持った曲を今年シングルリリースした。本人曰く「こういうタイプの曲も実はいつもちょっとだけ作っていて、出す機会が無かったけど今回たまたま機会があったので(この曲は映画の主題歌になっている)」とのこと。「この曲出してこういう需要があるのも分かったから、今後もこういう曲をたまに出せたらいいな」とも話していたはず。
 福岡晃子チャットモンチー)、石橋英子(ex PAANICSMILE)、あとネット上でみつけた平成生まれのギタリスト(!)+旅人(歌とアコギ)というメンツで録音されたこの曲は、思わずThe Cure『Boys Don't Cry』を思い浮かべそうな、軽快で勇敢な疾走ギターロック。『サーカスナイト』をはじめずっと大人っぽい歌うようになった最近の彼を知る人間の一人として、そのどストレートさに凄くビックリした。しかし、初期の彼の『雨に撃たえば』等の作品のようなカオスさもここにはなく、その代わり、どこまでも見晴らしのいいような雰囲気がある。それはまるで、歌の中の「絶望的にもどかしい距離感」と反比例するかのようだ。
逢いたい気持ちにはBABY/特効薬なんてないみたいで
 この街をつつむひかりの/どこが本当か/考えたりもして
 忘れがちな僕らはMAYBE/100年経ったら/思い出すの
 同じ夢をみたいのにBABY/東京は踊ってる

「とどかない」を連呼するCメロの痛々しさは、遠い国の大事件をきっかけに作られた一大カタストロフ絵巻『911 Fantasia』以降急速に社会と通じ合い、震災により更に多くの哀しみと声を受け止めものを語るようになり、朝日新聞の取材を受ける程になった今の彼としての社会的な視点もあるのだと思う。しかしそれと同時に、彼がデビューの頃からずっと持ってた、「あの娘を悲しみごと抱きしめてあげたい」という男の子的な気持ちも強く感じる。「君に会いにゆく」を連呼する曲の最終盤、それは、今の彼が持つ人々に訴えかけたい気持ち、彼はそれを“うた”と呼んでいるのではないか、それの深くこもった、決意のようなものだろうか。

7. 旅立つ彼女と古い背表紙/花澤香菜
 This is 沖井礼二!まさかのCymbalsの新曲がまた届けられた(違う)。
 普段声優のアルバムを聴く習慣が無い自分にとって、彼女の2枚組アルバム『25』という物量はなかなか集中して聴き通すことが出来ないものだけれど、垂れ流してる中でこの曲が流れた時は「あっこのイントロが終わって早々サビで加速してく、そしてやたらドラムが頭打ちを連発するやつはもしかして…」と思って、クレジットを調べたらやっぱり作曲:沖井礼二!そう思うとああ、あれもこれもCymbals!初期Cymbalsのシングル曲をプロダクション豪華にした感じの曲は、そりゃあいいに決まってる。
 どこまでも甘くってスカッとした沖井節全開声優ポップスとしては、竹達彩奈『Sinfonia! Sinfonia!!!』に続く作品となる(のか?)他にもさくら学院バトン部 Twinklestars『Dear Mr.Socrates』など、ちょくちょく初期Cymbals直球な曲をリリースする彼。この人のこういうタイプの曲で描く、濁りとがエグみとかが一切ないしきついハイの部分も全くカットって感じのメロディーのセンスは独特のものがあって、たとえばピチカートやそれ以降の小西康陽メロディーともかなり違う。「結局オレの曲聴く奴らはこういうのが一番好きだろ」的な開き直りも感じられるが個人的にまさにそうなのでぐうの音も出ない。素晴らしいのは、その澄み切ってガンガン畳み掛けるポップさがどこまでも幼可愛い女の子の声にフィットすることだ(逆に言えば、この路線でずっとやろうとするとずっと子供っぽい声と歌い方を維持しないといけないがバンドでそれをするのは半ば自殺行為的になってしまう、というところに後期Cymbalsの作風の変化や、その後の土岐麻子氏の歌の方向性が関係してくるのだろう。そういう意味では、彼の最もポップな部分の素質を活かすには、今のように若い娘のバックになるやり方が一番適しているのかもしれない)
 …沖井礼二の話しか殆どしていない。ちなみに花澤さんの歌で一番好きなのは未だに『恋愛サーキュレーション』老害です。こうやって聴くと当時の衝撃やらネットでの反響やら思い出します。物語シリーズのアニメ途中から観てないからいつかちゃんと観よう。

8. ブラッドピット/トリプルファイヤー
(動画が見当たらなかったので代わりに『スキルアップ』のPVです)
 トリプルファイヤーほど真面目に語る姿がどこまでもかっこ悪くなってしまうバンドもそういないだろう。だってあなたギャグを解説しますか?「ここでこういう普通とズレた返しがあって、そこに面白みが」なんてことを真面目な顔して言いますか?そう考えるとお笑いの分析・レビューって音楽とかマンガとかのレビューよりよっぽど大変そうだな、したくない…。
 「バンドがツアーでご当地名叫んで盛り上がることに対してのニヒリスティックな嘲笑と、相対主義の果ての悪平等に対する問題提起にならない程度のつぶやき」という感じの言葉にこの曲を押し込めるか。そんな野暮なことしたくない、したくないので、この曲の最後の歌詞の部分でちょくちょく自分がtwitterでやった大喜利を以下に貼付けます。

 曲自体はソリッド極まりなくていいですね。特に最後の「父さんもな〜」の繰り返し2回目でベースが入る辺りはそこしかない、って感じの良さある。

9. AFTER HOURS/シャムキャッツ
 シャムキャッツを30枚に入れるかどうかは最後まで迷った。多くの場所で「今年の東京インディーを代表する一作」と称されたアルバム『AFTER HOURS』は、確かに全体的に落ち着いた音像と曲で緩みがありながらも完成度に弛みは無く、そしてバンドの音も覚悟も、格別の成長が見られた作品となっている。
 引っかかったことの最たるものは、この曲の完成度の高さだった。アルバムに漂う「普通の生活に寄り添う歌」という要素の要が詰まったこの曲、淡々としたビートに抑制の利いたベースラインと、夢幻のように反響するギターサウンドが乗るこの曲のメロウさは、タイトルの通り、楽しさが過ぎ去った後の寂しさに捧げられている。
 単純に、日々のことを歌っただけの曲なのだと頭では分かってる。しかし、この曲を聴くとどうしても、それだけじゃないような気がして不安になる。それは、この曲が実は東京インディーの幕を引くような曲なのではないか、というものだ。実際にそう括られる本人達はきっとそんなことは思わない、そんな括り自体に苛ついているはずだから考えもしないだろう。だからこれは、シーンの外側にいる、東京インディーという風に見える界隈がすごく楽しそうなお祭りのようにさえ見えた人間の、大雑把な理解による誤解なのだ。けれど考えてしまう。正直シャムキャッツは東京インディー系のバンドでも最も元気にハチャメチャやってたイメージのバンド、というイメージだった(音楽自体はユルいと思うけど)。それが突然改まって、こんなチルアウト感に満ちた曲を発表して、その素晴らしさに聴き惚れながらも、どうしたんだ、解散なのか、とさえ思った。思ってたら、それは昆虫キッズの方だった。
 いやしかし、東京インディーの歴史を背負いまくったバンドの解散と、この曲の存在とで、ぼくのおせっかい過ぎる気持ちは余計に困惑している。ミュージックマガジンのベストアルバム評で、誰かが総評において「来年は東京インディー勢の更なる発展に期待」などと書いていて、ちょっと腹が立った。去年と今年の東京インディー勢のもの凄さを知っていれば、傍観者然とした無責任な言い方は控えるもののように思えた(いや、リスナーとしてはより素晴らしい作品、素晴らしいシーンを期待するのは正統な権利のようにも思えるけれど)。岡村詩野さんだけ「今のインディー界隈は本当にスゴい」と現状を伝える言葉を使われて、そこにより当事者的な感覚を見た。シャムキャッツはなくならない(来年ミニアルバムを出す予定らしい)。しかしこの記事を書いている数日後に昆虫キッズはなくなる。単純に、素晴らしいバンドは継続して頑張ってほしいしいい作品を出してほしい。
 ちなみにもうひとつ引っかかったのは先行リリース曲『MODEL』の歌詞の一節。
タモリがはしゃぎ下らなく午後が始まる頃
なんでや、いいともとMステのタモリそんなはしゃいでないやろ!いい加減にしてください!(「いいとも」が下らないと読めそうな気もしてそこも引っかかりそうだけど、よく読むと“下らない”のは登場人物の午後のことか、と思い直したのでこれは取り下げる。どっちにしろこの曲リリースの直後にいいとも終わっちゃって気の毒ではある)

10. 新世界交響楽/さよならポニーテール
 最強。
 2014年は、アニメは咲とあいまいみーと、そしてキルラキルしか観ませんでした。キルラキルは2013年10月からだけど、そのキルラキルの後期エンディングとしてこの曲のイントロが流れた瞬間はビビった。ガイナックス/トリガーは『トップをねらえ2』とか『パンティ&ストッキング』とか、時折ツルッツルに洗練されたポップソングを採用することがあるなその一曲か、と思って誰の歌かと思ったらさよポニ!満艦飾マコをフューチャーした映像もとことんファンタジックな可愛さを追求していて、本編とのギャップすげえなと思いながらも、物語のヒキや余韻を程々にイコライズする素晴らしいEDに、『廻るピングドラム』のCOTDを思い出したりもした。
 なんたってタイトルからして『新世界交響楽』。このこれまでのキャリアを経てババーン!と打ち出して浮き出していくような感じ、なんか『ワールズエンド・スーパーノヴァ』とかと同じノリを感じてそれだけで清々しい。
そうさ飛び立つ時だ/ふたりで立ち向かい
 抱えきれない臆病に/突っ張ったって笑っていたい
 ひとりきりずつが合わさって/大きなチカラになるよ/今ね、感じた

サビの歌詞にあるとおり、この曲は心ない人に言わせれば“アニメ的なセカイ系、優しいばっかりの甘ったれた歌”となってしまうかもしれない。そんなの好きに言わせとけばいい。このアニメだからこそ、ファンタジーだからこそのドラマチックでロマンチックで勇敢な感じを、枠にはめて貶す批評で「俺理知的でしょ」する材料くらいにしか考えられないお前と話すことなんか何も無い。
 しかしこの曲、フルで聴くと更に凄い。最後のサビ終わりからさらに飛翔していくメロディで彼女らはこう歌う。
きみと行くよこの世界の果てへ/そばにいるよなにがおきても
 空の向こうに眩しい予感がしたから/もう迷わない/心のまま駆け抜けて

PVではこの直前にキルラキル式フォントでタイトルコールが。不覚にもぼくは少し泣いてしまったよ。ポップソングにおける「世界の果て」というのは「思いの果て」「ロマンチックの果て」みたいな意味を持つと思うけれど、そこに向かおうとする気持ちというのは決まって蒼い気持ちがある。幼いままでどこまでも遠くまで行く、幼いからこそどこまでも遠くに行こうと思える、というフィーリングを一番ソリッドに形に出来ることこそ、ポップソングの最大の効用じゃないか、と常々考えている。そしてそれを実現するために、その手段を得るため高めるために、ある種の表現者は子供のまま大人になっていくThe Beach Boysも、Rideも、The Libertinesも、ART-SCHOOLも、昆虫キッズもスカートも、BOYISHやFor Tracy Hydeも、つまるところそこなんじゃないか、という思いが、強くある。この曲はそれを“純情可憐な夢見る乙女”というフォーマットで見事にやり遂げた一曲。ストリングス、4つ打ち、エレピにディレイギター、すべて世界の果てを目指すための手段だ。
 こんな風に思える人がお前の隣にいるか?だからお前は駄目なんだ。いや違う、これはファンタジーだからこそ出来るんだ、所詮ファンタジーでしか出来ない、だからこそ素晴らしい……そんな屈託を抱えながらも、2015年もきっとこういう勇敢さを求めていくんだと思う。



以下おまけ

2014年ライブ。こうして見るとあちこち行ってる。
1. 昆虫キッズ@福岡(11月23日(日))(『TOPIA』全曲披露+打上げ楽しかったです)
2. HiGE@福岡(12月5日(金))(代表曲以外多め+新曲の凄さ。サインもいただきました)
3. dip@京都(5月10日(土))(中盤「ここまではチューニングDGDGDG」で衝撃)
4. 森高千里with tofubeats(8月17日(日))(最高のJ-POP感。アルバムで聴きたい)
5. スカート@京都(9月21日(日))(ミツメ・トリプルファイヤー3マン豪華!ロック感増量)
6. ミツメ・Alfred Beach Sandal@岡山(3月21日(金))(豪華。ミツメのセトリ良)
7. Robert Glasper Experiment(8月17日)(圧倒された。最早人力Aphexだった)
8. ART-SCHOOL@神戸(5月9日(金))(福岡でも観たけどこの日の方がセトリ好み。音荒め)
9. 柴田聡子@岡山(11月16日(日))(素敵なカフェの地下で息を顰めるような演奏。染みた)
10. noid@金沢(9月20日(土))(金沢インディーロックの代表格。6人編成で圧巻のサウンド)

2014年マンガ。分母相当少ない。ネカフェで読んだものも含む。
1. ニッケルオデオン(2014年1月初頭に道満晴明とスカートを知ったのが重要トピックでした)
2. 宝石の国(絵柄で読まず嫌いしてましたが短編集から読んで驚愕&後悔致しました。儚い…)
3. ワールドトリガー(侵攻編最終盤のお互い残量ゼロのギリギリの展開熱かった…!)
4. レストー夫人(絵も話の不思議さも凄く好き。作者にお会いするためにコミティア行きたい)
5. 蟹に誘われて(ふわわーっとしとる風景+こじんまりと乾ききった価値観。素晴らしい)
6. ジョジョリオン(クワガタ編面白かった。ちょっと4部テイストだけど心理戦は今の荒木先生節)
7. 咲有珠山高校の同人誌にも手を出したくなる。来年中には準決勝流石に終わるかな…)
8. +チック姉さん(面白かった。ギャグマンガは書きようない。手元にコミックスないから尚更)
9. CANDY POP NIGHTMARE(シリアスとギャグの混濁という今のへっきーの作風慣れました)
10. ブラックギャラクシー6(ちーちゃんの方は怖くて読めない程度のビビリなので好きでした)

2014年本
(読んでない)

2014年映画
(観てない)

総括
 2014年いい年でした。色々新しいところに踏み出した感がありました。東京インディーというジャンルがあるのを遅まきながら知って一気に視界が開けました。何年も買わずにネカフェだけで済ませていたマンガの単行本をまた買うようになりました。ブログの更新頻度が低調だったので2015年はもっと頑張りたいところ。
 拙文を読んでいただいている皆様にとって2015年が良い年でありますように。

                                  11曲目</span>">11曲目

2014年の個人的フェイバリットアルバム30選(2/2)

後編。15位→1位です。

なお、こちらで一度ベスト10を書かせてもらっていますが、今回はまた文章書き直し、順番も見直しております。今の気分(少なくとも12月29日には全アルバム30枚選び終わってた)はこれだ、ということで。



15. ART OFFICIAL AGE/Prince
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1. ART OFFICIAL CAGE 2. CLOUDS 3. BREAKDOWN 4. THE GOLD STANDARD
5. U KNOW 6. BREAKFAST CAN WAIT 7. THIS COULD BE US 8. WHAT IT FEELS LIKE
9. affirmation I & II 10. WAY BACK HOME 11. FUNKNROLL 12. TIME 13. affirmation III

 説明不要のファンク界の巨匠であられる殿下の、古巣ワーナーに電撃復帰しての2作同時リリースのうちの一作。その辺の経緯は日本盤ライナーにおいてNona Reeves西寺郷太氏による饒舌かつ愛と拘りに満ちた文章である程度しっかりと語られている(氏の文章に接するのは今作がはじめてだったけど、この人もまたすごく流麗かつ情熱的に文章を綴ることが出来る人だと分かって憧れる)。
 今作の殿下は80年代プリンスが帰ってきたかのよう、往年の得意技の大盤振る舞いだ、という評判をよく耳にする。それによって傑作だと言う人、挑戦しない殿下はちょっと寂しいと言う人様々ではある。プリンスの熱心なリスナーでないぼくは90年代以降の作品で聴いていないものが多く、作品ごとの差異について語る能は無いのだけれど、でもEDMながらに小刻みなギターカッティングが反復し怪しいヴォイスが響く1曲目から、「あ、やっぱり殿下の作品だ」と思い、そこからは「わあ、殿下はおバカな方向にキレッキレだなあ」とか「殿下はメランコリーな感じのトラックも染みる」とか「ああこの後ろでチロチロ鳴ってる変なシンセみたいなのムチャクチャいいしこれぞプリンスって感じするー」とか、そんな感じに一人で騒ぎながらゆるゆる身体(主に頭)を揺らして楽しんでいた。全然レビューになってないけれども、少なくともアートスクールもミツメもこういう感じのファンクをパクってる訳だし、そりゃ楽しいからパクるわな、とか思ったりした。それにしてもやっぱこの人歳取らないな。

14. In Fear Of LoveBorn To Be Breathtaken/For Tracy Hyde
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1. First Regrets 2. 笑い話 3. さらばアトランティス鉄道 4. SnoWish; Lemonade
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1. Her Sarah Records Collection 2. Outcider 3. ビー玉は星の味 4. After
 渋谷系ギターポップシューゲイザーを扱うバンドFor Tracy Hyde、今年ラブリーサマーちゃんが加入してからリリースされたep2枚。出した時期がそれほど遠くないので個人的には姉妹盤だと思っていて、だからここでも2枚同時に挙げてみる。
 こちらこちらで全曲レビュー書いてます。これらに10月頃出た『Shady Lane Sherbet』のシングルを合わせると10曲、ラブリーサマーちゃん加入後の音源として世の中に存在している。アルバム一枚分にはなる。が、彼らにはできれば、さらに多くの曲を録音して残してほしい、というのがリスナーとしての身勝手な願いではある。今の彼らにはギターポップシューゲイザーのあまりに理想的過ぎるフォルムとポテンシャルがある。

13. Storytone/Neil Young
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1. Plastic Flowers 2. Who’s Gonna Stand Up? 3. I Want To Drive My Car
4. Glimmer 5. Say Hello To Chicago 6. Tumbleweed 7. Like You Used To Do
8. I’m Glad I Found You 9. When I Watch You Sleeping10. All Those Dreams

 ニール御大のアルバムが今何枚目かなんて数えるのは意味が無い。彼が今何歳か考えるのと同じくらい意味無い。若手アーティスト並かそれ以上のリリースペースで普通に作品出すジジイ。環境問題の話(にかこつけた自分のエコカーの自慢)とmp3叩き(ついでに謎の音楽プレーヤーPonoの開発)ばっかやってるクソジジイ。最近長年連れ添った妻と離婚されたそうでそんな心境が作風に反映されていて古くからのファンとしては平静な気持ちで聴けない、とかお気の毒の様子ですが、基本そんなのどうでもいい。ココ日本だからね。
 2010年にエレキギター弾き語りノイズ付きのアルバム出してからというもの、御大の創作意欲とクオリティーの上昇傾向は素晴らしい。オリジナル曲のアルバムとしては前作のバンドサウンド2枚組9曲入り(!)『Psychedelic Pill』で聴かせるクレイジーホースサウンドは最高だった。そこから一転、今作はなんと、オーケストラをバックに従えての作品。なんじゃそりゃ、またジジイのヘンな思いつきか。買って聴く。これが素晴らしい。ニールヤングの寂しい系の曲をオーケストラでやるとなんかファンタジーもののサントラみたいになるんだな。『Tumbleweed』とかなんか荘厳で可愛らしいぞ、ジブリかよ。オケの厚みに負けそうで意外と負けないニールヤングの細い声。決して上手くないと称される歌でよろよろとたどるメロディの優雅さ、胸に来るような具合を思うとどう考えてもうたムチャクチャ上手いだろこのジジイ。
 しかし、この豊かな作品には致命的な欠点がある(最後に持って回ったようにこう言いだす時って、大概更に褒める内容しか来ませんよね)。それはオーケストラ録音前に準備された、同じ曲をソロで録音した同封のCDの方がより曲が持つメロウさが際立っていて素晴らしいことだ。彼の完全ソロ・アコースティック作品は意外にも珍しいし、曲がすべて翳りのある方向性というのも珍しい。購入はぜひデラックスエディションか日本盤を。年の最後に、ホント素晴らしい贈り物だった。

12. フェイクワールドワンダーランド/きのこ帝国
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1. 東京 2. クロノスタシス 3. ヴァージン・スーサイド 4. You outside my window
5. Unknown Planet 6. あるゆえ 7. 24 8. フェイクワールドワンダーランド
9. ラストデイ 10. 疾走 11. Telepathy/Overdrive

 東京のシューゲイザーバンドきのこ帝国、という紹介が出来なくなった感じがあるくらい方向転換をがっつりやった今作。端的にかつ誤解覚悟で言えば「可愛い女の子がギターを弾いて歌うギターロックバンド」に大きくシフトチェンジした。曲調においても、歌詞においても。
 『eureka』までの情念渦巻き路線が昨年のミニアルバム『ロンググッドバイ』でかなりすっきりした詩情・サウンドになり、次がどうなるのだろう、というところで先行シングルとして登場した『東京』の、これまでになく地に足着いてポップな歌を歌おうとしている感じ。さながら厚い雲を突っ切って見晴らしのいいところまで上がったので、そこから地表に降り立って歩き始めているような。その後アルバム直前に先行公開された『クロノスタシス』ではっきりしたことは、佐藤氏は自分の生活にまつわる幸せごとみたいなのを歌にすることが出来るようになったということ。そういうのを歌にするのに、シューゲイザー的な沈み込む音は不要で、もっと単純に“良い曲”を書く必要性が出てきて、それをしている(シューゲ系統の曲が全滅した訳ではないけれど)。本人的にはその挑戦は手探り的・過渡的なところのようだが、完成度は高く、サウンドも歌もノリに乗っている。
 左右から佐藤の声が反響する、幾らかダークさを残した4と、佐藤ソロのライブも見てみたくなる素朴な良さが光る8、今作の突き抜け具合を曲も歌詞も全力で表現しきったART-SCHOOLばりのロマンチック逃避行疾走チューン11が特にどツボだった。かっこ良くて可愛い女の子いい。

11. neue welt/dip
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1. Iciclemen 2. Neue 3. Neurotic Mole 4. Fire Walks With Me 5. HAL 6. Purge
7. Melmo8. Blinking Sun 9. Final Song 10. Morph 11. It's Late 12. Hasty 13. You Are

 20年以上、前身の時代も含めれば25年以上活動するバンドであるdipは、そのキャリアの殆どをギターミュージックの研鑽に費やしてきたと言って過言ではないはずだ。多くのバンドが、ある種の全盛期を過ぎてくると、自分のバンドのキャラとは違ったジャンルの音楽性を求めて冒険したり、又はつまみ食い的に色んなジャンルの曲が入った幕の内弁当的なアルバムを作るようになるところだが、dipの場合ひたすらギターサウンドとバンドのグルーヴの“ロック”的なバリエーションだけで作品を作ってきた。その様子はさながらSonic Youthのようであった。
 そんなバンドが去年の2作同時リリースから1年もかからないうちに新作をリリースして、しかもそれが素晴らしい内容というのは、バンドの状態もインスピレーションもすこぶる良かったのだと思われる。今作冒頭4曲がどれも6分越えとなっているが、まさにこの4曲に今年の彼らの絶好調ぶりが現れている。「弾き語りでも素晴らしいと思える曲こそ名曲」という一般論から外れに外れまくった、バンドのグルーヴそのものを曲にしたような4曲。ライブのMCを聞いた限りでは4曲とも変則チューニングという。そういうところも含めて、積み上げてきたキャリアと磨き上げてきたセンス、そして何故か舞い込んだ閃きがぐっと噛み合った、バンド史上最も奇形でクールなオルタナティブサウンドだと思う。

10. 路上/小島麻由美
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1. モビー・ディック 2. テキサスの黄色い花 3. 白い猫 4. 水曜日の朝
5. 素敵なロックンロール 6. あなたはミー ・私はユー 7. メリーさんの羊
8. 泡になった恋 9. あなたの船 10. モダン・ラヴァーズ

 小島麻由美の、前作から5年近くぶりとなるという今作。公式アナウンスの紹介文にはすっかり母親となった彼女の日々のことが書かれていて、ああ、そんな人に漆黒のスウィング歌謡時代の尖りまくった姿なんか求めるべくもないな、などと、大してジャズ聴かないくせに思ったりもした。『ブルーロンド』の時点で相当ポップだったしね。
 その『ブルーロンド』に『大きな地図』という曲があって、これがゆったりとポップなコード進行にゆるいビートと開けた歌が乗って、どこか大人のロードムービーみたいな感じで凄くいいんだよな。で、今作は嬉しいことに、その延長の作風!となった。「砂っぽい」というテーマで作成され、アルバムタイトルからしてロードムービー!って感じの今作においては、リズム隊に前作以上にロック文脈の人間(ベース:カジヒデキ!)を入れたことで、非スウィング、普通の8ビートの楽しさを発見しました、とは本人の言。そんな“普通のビート”にこれも最近良さがより分かってきたという“普通にいいコード進行”の曲が被さり、そして彼女のポップサイドに開けた歌。今作はピアノも出てくる場面が相当限られ、すごくいい具合にいなたいギターミュージックとなっている。そこに彼女が元々持つ小イジワルで可愛らしいポップセンスが合わさる。つまり、すごい雰囲気のいいポップミュージックだ。
 母親になり牙を失った彼女(失わざるをえんだろ)、子供に読み聞かせるようなファンタジーに向かうことを利用して、素晴らしいターンを見せてくれたのではないか。また何年か楽しみに待ちます(もっと早くても全然いいんですよ〜)。

9. いじわる全集/柴田聡子
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1. 部屋を買おう 2. おまつりの夜 3. ベンツの歌 4. しんけんなひとり 5. はやいスピード
6. 緊張のあいだ 7. (わたしが)ほんとうになったら 8. いきすぎた友達 9. ふしぎね
10. とさだより 11. 三つの屋根 12. 責めるな! 13. 会いに行きたい 14. お別れの夜
15. いじわる全集 16. ストレートな糸

 柴田聡子は正直近年のギター1本でする系女性SSWの中ではずば抜けているように思う。大体のギター弾き語りSSWというのは“自然体な感じ”をそのスタイルの基本としていると言えるだろうが、彼女はその“自然体な感じ”の位置が何か完全におかしい気がする。「日常のふとした瞬間を切り取る」という言葉にすれば月並みそうな形式で、彼女はファンタジー世界のような不思議さと不安定さをさらりと表現する。それは歌詞内での話の飛躍っぷりだったり、クラシックギター的な技巧と質感を持つギターの鳴りの静けさ・トーンの強弱の感じだったりによるものだろうか。
 今作はそんな彼女の世界感をより研ぎすませようとしたのか、かつてなくダビングの少ない、本当にギター1本とコーラス等のない歌だけで仕上げられた曲の多い作品となっている。その静けさの音楽の中では、息遣いも弦を指がこする音も楽器となる訳だけど、今作での彼女の緊張感は格別のものがあり、これはドラムとかベースとかが入ってはいけない、弾き語り“じゃないと成立しない”曲たちなのかも、と思った。機会があって岡山のとあるカフェの地下で見た彼女の単独ライブはとても素晴らしいもので、この作品の替えの効かない感じの心細さと美しさを見事に体感することが出来た。また観たいです。

8. まぶしい/曽我部恵一
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1. 東京はひとりで歩く 2. 汚染水 3. ちりぬるを 4. 純情 5. ママの住む町 6. 碧落 -へきらく-
7. とんかつ定食たべたい 8. だいじょうぶ、じゅんくん 9. それはぼくぢゃないよ
10. 工場街のシュウちゃん 11. ホームバウンド、ホームバウンド 12. あぁ!マリア 13. ボサノバ
14. 悲しい歌 15. ハッピー 16. 心の穴 17. 夕暮れダンスミュージック 18. 一年間
19. 夢の列車(第二部) 20. 高まってる 21. パレード 22. 坂道 23. まぶしい

 去年のフルアルバム『超越的漫画』を皮切りに、この人のリリースペースは完全におかしいことになっている。ランデブーバンドとソカバン、そして再結成サニーデイサービスを立て続けにしていたときと同等かそれ以上のワーカホリックぶり。今作に『四月EP』『氷穴EP』『bluest blue』『My Friend Keiichi』そしてサニーデイ新譜『Sunny』。正直弾き語り系の作品が多過ぎる感じもするが、そんな中今作は最も弾き語り濃度の薄い作品になっている、というかカオスである。
 今作は『超越的漫画』から僅か4ヶ月後のリリースで、全23曲67分。アホである。1曲目からプレーヤーの故障を疑ってしまうようなノイズが響き、先行シングル2以降、曽我部の内にあるあらゆる歌のアイディアが、時にはコンセプトも尺もそこそこ纏まった状態で、時には断片のような形で、そしてあらゆるスタイルで乱れ打ちされる。その支離滅裂さ、纏まりの無さ(これは元々纏める気が無かったというよりむしろ纏まらないことを目的としてるようにさえ思える)から「曽我部がひとりでホワイトアルバムをでっちあげた」ような作品と言える(今作での作業の大部分が曽我部ひとりによるもののようで、短期間で制作できた理由も多少は分かる)。その一晩でゴミ屋敷を作り上げるかのようなパワーにビビってしまうが、しかしよく聴くと、歌モノには歌ものの、思いつきのようなトラックにはそのトラックなりの、それぞれのコンセプトは明確で、そして適当に乱れ打ちしてる割にはクオリティは高い。
 今作、そして今年の乱発モードな彼自身のスタンスそのものをズバリ語りと歌にした23で語られるのは、彼の改めての“闘争宣言”に他ならない。そこには、呑気に「これからに期待」と言えないようなヒリヒリした決意が伺われる。「素晴らしいけど、この人自身は大丈夫なんだろうか」と心配してしまうような彼の壮絶さ。田中宗一郎がジュリアンカサブランカスの例のレビューにて今作と『超越的漫画』を「どうしようもない無関心にさらされた」と嘆いていることには本当に同感するが、それでも曽我部は歌を作るのを止めない。

7. Black Messiah/D'Angelo & The Vanguard
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1. Ain't That Easy 2. 1000 Deaths 3. The Charade 4. Sugah Daddy 5. Really Love
6. Back to the Future (Part I) 7. Till It's Done (Tutu) 8. Prayer 9. Betray My Heart
10. The Door 11. Back to the Future (Part II) 12. Another Life

 言わずと知れた、ブラックミュージック界最大の天才とも称される、ディアンジェロの『Voodoo』以来実に14年ぶりの、遂に、という新作。12月の電撃的なリリースの発表からリスナーが戸惑ってるうちにすぐにあっさりと配信でリリースされる辺りも、実感が後からじわじわやってくる感じ。去年のマイブラの新作といい、超長いインターバル置いたらさりげなくリリースするのが流行ってるのか、と思ってしまう。
 さあ、ここからはこの、現代の音楽の最先端とも称されるこのアルバムがこんな順位であることの言い訳に終始するぞ。
 単純に、守備範囲外のジャンルである。それでもここにこうやって挙げてるのは、有名だからだろ。この傑作をそんな理由でとりあえずこの辺の順位で入れとこう、みたいな思惑が見え見えだし、そんな浅いことするくらいなら元から入れない方が失礼じゃないだろ。この、知ったか野郎(お前去年もカニエで同じことしたよな)。
 そんな内なる声の攻撃により屈託たっぷりではあるけれども、それでもここに入れたのは、単純に好きな感じの音だったからだ。一部の評論野郎が「ディアンジェロの新作に、本来のブラックミュージックファン以上にロックファンが騒いでる。何も知らんくせに見苦しいからやめろ死ね」みたいなことを仰っていたが、いやしかし、今作の音、bmrのサイトに翻訳が掲載された本人かく語りきな記事によると、各種ブラックミュージックを繋ぐのはブルースだ、という発想からギターを大いにフューチャーしたサウンドは、前作に充満したスモーキーな雰囲気が分かんないよねなクソ童貞ロック野郎に対しても、なんか優しい気がする。ロック人間的な浅いことを言えば、これはスライの『暴動』『フレッシュ』とかを聴くときと同じくらい、馴染むところがある。ほら、渋谷系の触手がいくらか伸びる程度にはロックファンもその方面聴いたりしますし…駄目かしら。
 いいブルース感、唐突なラテンフィーリングの心地よさ、シックなジャズみたいな感じ、ヘンなインドっぽい楽器の音、その程度の言葉で堂々と語るなんて恐れ多くてできないけれど、その程度の脳みそでも全然楽しめる、アホみたいに懐の深いアルバムだと思って聴いています。正座なんかしねえよ、鉄面皮で言ってやれ「へえこの、ディアンジェロ、っていうの?いいじゃん」
6. YOU/ART-SCHOOL
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1. 革命家は夢を観る 2. Promised Land 3. Water 4. Perfect Days 5. YOU 6. HeaVen
7. Driftwood 8. Go / On 9. Miss Violence 10. RocknRoll Radio 11. Intro〜Hate Songs

 この記事を書いているまさに最中に活動休止の発表をした彼ら。事前に木下理樹twitterで「大事なお知らせがあります」とか書いてあるから、一番最悪なケースは何か、を冗談まじりながらも真剣に考えていたスクーラー(アートスクールファンの局地的な呼び方。ネタ扱いと大喜利を得意とする)諸兄にとっては、まあ本人も「必ず戻ってきます」って言ってるし、とりあえずは最悪じゃないな、と安堵しているところかと思われます(おれもそうさ)。
 という訳で、活動休止前最後の作品となった本作。2010年くらいから荒れていた声の調子が戻ったということもあり、多くの人が「ここ数年のアートで最高の作品」だと述べていて、個人的には前アルバム『BABY ACID BABY』の方が好きだなあとは思うものの、そんな声が多いのも頷ける、充実の作品だと言える。レーベルに“売れる”曲を書くよう言われて葛藤したと木下本人は話しているが、それ(と、最終的にそれを投げ出したこと)を経た故のニュートラルな“木下節”が、ソングライティングやサウンドに反映されている。少なくないファンが、「1stの頃みたいな感覚が戻ってきた」と言うのにはそういったところが関係するのでは。また“売れる曲”作りに試行錯誤した結果なのか、『YOU』や『Driftwood』におけるポップさは、これまでとまたひと味違ったものを感じもする。
 一番嬉しかった誤算は、発売前に曲名を見て「は…何言ってんの?」とか思い不安になった『RocknRoll Radio』が、アート史上でも最高のパワーポップナンバーだったこと。当初これを最後の最後でアルバムから外そうかという声があったらしいのが信じられない、ホント収録されて良かった。木下理樹は、アートスクールはまだ全然、どこまでも行けないままどこまでも行ける!戻ってきたらまた、いい曲をお願いします。休止前最後のライブのチケット抽選当たるといいな。

5. Hendra/Ben Watt
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1. Hendra 2. Forget 3. Spring 4. Golden Ratio 5. Matthew Arnold’s Field 6. The Gun
7. Nathaniel 8. The Levels 9. Young Man’s Game 10. The Heart Is A Mirror

 Ben Wattが今年アルバムを出します、という話を聞いた時は、ああ、最近はそういう名前のシンガーソングライターがいるんだっけ、どっかで聞いたことが、と思ったとこで2度見。ブラウザに表示されたリンクを踏むと、「実に31年ぶりにソロアルバム」の文字を見て「マジかよ…!」と思いました。ネオアコ界伝説のアルバムにして、あの木下理樹がやたら執着して自分の世界観の拠り所のひとつにしてる『North Marine Drive』の作者にしてEverything But the Girlの片割れ(もう一方のTracey Thornとは結婚してたってこれ書いてる今知った!)。あのアルバム以外にソロ出してなかったんだ…。
 そんな最早歴史上の人物くらいに思ってた人から届けられた今作は、31年前の繊細で幻想的な雰囲気がそれごと年月を重ねたような、透明感・冷えきり感がゆったりと渦巻く曲も数々収録され、アコギの響きに加えて、溶けるようなエレピの音と、色っぽいエレキギターの響きが加えられ、大人っぽいけどAORとはまた違うような寂しさが感じられる。
 しかし、それ以上にビックリしたのが、少なくない曲でドラムの音が響き、バンド形式で収録されていること。やっちまったかー!多くのネオアコバンドが「Ben Wattのソロをバンド化するとよさそうよね」と思ってすることを本人がやっちまったかー!はっきり言ってこれがムチャクチャいい。翳りがあって熱を抑えたマイナー調で優雅だが力強く進行するバンドサウンドは、あんたこれ20年くらい前にやってたら完全にネオアコの歴史変わってたよクラスの逸品。今回全面的にエレキギターを弾いているバーナード・バトラー(exスウェード)も時に荒々しくも優美なギターを響かせて絶好調のプレイ。Ben Wattに対する認識が全然変わってしまうかもしれないし、世に溢れる程はいないだろうインディーネオアコバンドの新しい指針のひとつにさえなるかもしれない、素晴らしい“大御所”インディーロック。ひとまず上のリンクから『Nathaniel』をぜひ。

4. Everything Will Be Alright In The End/Weezer
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1. Ain't Got Nobody 2. Back to the Shack 3. Eulogy for a Rock Band 4. Lonely Girl
5. I've Had It Up to Here 6. The British Are Coming 7. Da Vinci 8. Go Away 9. Cleopatra
10. Foolish Father 11. I. The Waste Land 12. II. Anonymous 13. III. Return to Ithaka

 Mr.パワーポップバンド、ウィーザーが帰ってきた。一時期アルバム乱発してたよね、あれから4年も経ったの?まだあの頃のアルバムちゃんと聴いてないんだけど(笑)まあ試聴してみるかなんだこりゃあああ!?となった、恐るべき今作。ジャケットとタイトルの方向性のあさって感が「?」って感じだけど一通り聴くとなんとなく「…なるほど!」って思うくらい、説得力がある。
 何の説得力があるのか。曲である。リリースの度にポップに書き込まれる「原点回帰」「初期に戻ったようなサウンド」という類の文字、その形容はオアシスかウィーザーか、くらいのものがあったが、今作に関しては少し間違っている。「下手すると初期ウィーザーよりもいい」と書いてもいいくらい、個人的に好きだ。青、ピンカートン辺りの初期ウィーザーのメロディセンスを、自ら相当研究したのだろう。そして自分たちの後進の数多のパワーポップバンド、その中には日本のバンドも含まれているようだが、その良さの技巧(たとえばCメロとか)も考慮して、作られた楽曲のメロディの良さ・各曲でのバリエーションはキャリアでも最上位クラスだ。ある意味それは初期と比べれば“養殖のウィーザー”とも言えるかもしれないが、それだけに味付けのセンスも自在という感じで、適度にバカっぽさだけ残したメタルライクなギターが快く響く。
 クイーン的なサビの盛り上がりがドラマチックな3からざっくりと凛々しい4への流れの最高さを含め、アルバムとしての緩急も気持ちがいい。殿様は殿様だからすごいのではない、すごいからすごいのだ、とガキみたいなことを言いふらしたくなる、そんなアルバム。青より好きだ。

3. Sketch For 8000 Days of Moratorium/Boyish
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1. ライラック 2. 秘密の岬よ永遠に 3. 窓際の少女 4. ハートウォームギター 5. スケッチブック
6. 降り止まない夕立 7. 青い風船 8. 8000日のモラトリアム 9. 陽気な女の子の歌 10. 1990

 東京のインディーギターポップシーン(≠東京インディーなところがミソ)の前景化が、今年の個人的なトピックのひとつだった。それは、前述のFor Tracy Hydeと、それと少なくないメンバーを共有するこのバンドのリリースによるところが大きい(事情に詳しい方からお話を聞いたのもあるけれど)。
 このインディーギターポップシーンの特色としては、チルウェイブ以降の欧米インディーロックバンドからの影響に加え、アニメ的なカルチャーを進んで取り入れる姿勢である。フォトハイにもボーイッシュにも、歌詞の舞台に学校がナチュラルに出てくる。それは『PORTAL』で日本のインディーギターポップに大きな影響を与えることになったGalileo Galileiが用いていたことと、アニメ的、アニメだからこそな、純粋さを突き詰めたような世界観が自然に馴染んでいることによるものと思われる。フォトハイはそれを渋谷系ギターポップを援用しながら爽やかに追求し、そしてボーイッシュは今作においてそれまでの英語詞を日本語にした歌詞と、分厚いのにどこまでも澄み切っている轟音とで見事に表現した。
 こちらでレビューを書かせてもらっています。お気に入りの上位にいくに従って、文章が理性的じゃなくなっていくのは、メンタリティを共有(って書くとなんか甘ったるくて違うんだけどなあ、他が浮かばない…)できるからこそ、ということで。

2. Candy for the Clowns/Nine Black Alps
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1. Novokaine 2. Blackout 3. Supermarket Clothes 4. Patti 5. Something Else
6. Morning After 7. Come Back Around 8. Not In My Name 9. Destroy Me
10. Take Me Underground 11. Clown

 Julian CasablancasやCloud Nothingsのとこでゴミゴミと連呼したけど、一番ゴミなのはこいつらだ。イギリスのバンドなのにオルタナ・グランジ。ピッチフォークのpの字すら見当たらないような、どこまで行ってもNirvana、Dinasour Jr、Sonic YouthSmashing Pumpkinsとかその辺の感じしか無い、イギリスがもっと誇らないといけないクズックズのゴミカスオルタナバンドことNine Black Alpsの今年の作品は、そのゴミさがより極まった作品。
 彼らのアルバムはこれで5作目。ソリッドでハードな1st、ポップな2nd、ハードさを極めた3rd、ニュートラルな4thときて今作は、不思議なグズグズさが際立つ作りとなった。ディストーションギターはよく鳴ってるしシャウトもそこそこあるけれど、キレッキレバッキバキのグランジ!感は皆無。ハードな曲もそのハードさを研鑽するとかは全然なく、ただただロックな曲に伴奏付けたらハードなリフがついた、くらいの質感が、今作は徹底されている。つまり、何も考えてないのだ、バカなんだ。ダラダラグランジ風味の曲を垂れ流してる感じ、しかしGrungeという単語の元の意味を考えると、そのだらしのなさこそが本来のグランジではないのか?静動くっきりしたグランジなんてジャップにやらせとけ!評論家受けするハードコアなんてIceageにさせとけ!(未聴だけど凄い良さげで聴いてないの恥ずかし…)唯一無二のグダグダグランジサウンドとあえて言いたい。
 Neil Young『Hey Hey, My My』みたいなリフに乗って連呼される2曲目のサビの歌詞は「Here come, the blackout baby」だ。バカ丸出しだ。そこから今作最も爽やかなDinosaur Jr直系のポップナンバー3曲目に繋がるところの、ノリだけでやってる感じ。意外とCメロを丁寧に作ってたりとかもあるけれど、そのノリこそ、ロックンロールそのものじゃないか。名曲風の穏やかなイントロを持つ10曲目でさえサビをグランジっぽく処理してしまう癖。Elliott Smith?誰だそんなアル中ヤク中でヤバい死に方しそうな奴なんか知らねえぞ。とりあえずみんな死んじまえばいい。
 ただただ、今作が今年最高のロックンロールアルバムだったと言いたいだけだ。

1. BLUE GHOST/昆虫キッズ
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1. GOOD LUCK 2. Metropolis 3. 変だ、変だ、変だ 4. そして踊る 5. COMA
6. 冥王星 7. Night Blow 8. THE METAL 9. ともだちが泣いている 10. Alain Delon
11. BLUE ME 12. 鳩の色

 東京インディーなる当人達が嫌がるジャンルの歴史はすなわちceroと、そして昆虫キッズの歴史が軸だと考える人は少なくないと思う。特に、今作で4枚目のアルバムリリースとなる昆虫キッズの歴史は、他の名だたる東京インディー系のバンド(今のところアルバムは2〜3枚程度のとこが多いみたい)よりも単純に経歴が長いことを意味する側面もある。今年8月に活動終了が発表された後、多くの人が「昆虫キッズから東京インディー系の色んな音楽を知ることが出来た」と発言し、感慨に耽っている(たとえばこの方とか)。
 ぼくが今作のレビューを某所で書いたのは、上記のようなことを言いたかったからではない。まだ活動終了が発表される前、ぼくは本当に、なんでこのバンドをよく知るようになったのが今年からだったんだろう、と深く後悔した。彼らにはぼくがロック音楽に求めるもの、今も積極的に活動を追いかけているバンドとかそういうのに求めているものと同種のそれがあった、しかもフレッシュでかつ野ざらしのような、この上なく素敵な状態で。そういった話は活動終了のアナウンス時の記事で書いた。ついでにラスト音源となるミニアルバム『TOPIA』のレビューも書いた。
 しかし、書き足らない。全然書き足りていない。今のぼくは彼らの作品についていくらでも書ける。それがシンパシーのためと言ってしまえば、なんだか生温くなってしまうだろ。しかし理性的に分析・解剖するという気にもまるでならない。昆虫キッズの素晴らしさは、その音楽の中に宿る、適当さ、あっけなさ、勢いだけ具合、ゴミっぽさ、ヤケクソさ、白痴っぽさ、投げやりな狂気、男の子のロマンティシズムの向こう側にパンパンに詰まって埋まっている。それは勿論バンドメンバー4人によるものではあるのだけれど、プロデュースを他人に任せることでかえって曲に自身を反映させることが出来たであろう今作を聴くと、その奥に見えるのは、高橋翔という男の子、自由で適当で傲慢で屈託まみれでシャイで背の高い、彼の姿だ。
 全然レビューにならない。頭が冷えた頃に、もっとちゃんと書くつもり。あくまで個人的なお気に入りランキングの中で、今年は、これが1位しかあり得ない。



以上、アルバム30選でした。
あと、この30枚から漏れたモア・ソングス10曲くらいのレビューを書く予定で、2014年総評はそちらで書こうと思います。

2014年最後ギリギリの更新ですが、このような拙いサイトを見ていただいた皆様には本当に頭が上がりません。何卒、よいお年を。来年もよろしくお願いします。

2014年の個人的フェイバリットアルバム30選(1/2)

今年は30枚選びました。全部コメント書くと長いので2分割。
前半は30位→16位まで。

アルバムタイトルにはアマゾンのリンクを、曲目のうち試聴できるやつにはやはりリンクを貼っています。太字は個人的ベストトラック。太字とリンクの青色が重なると分かりにくい…。

タイトルにもある通り、個人的に気に入ったものを適当に並べて、適当にコメントつけました。中にはそんな適当に扱って他の人から怒られないか、と思うのもありますが、ご容赦ください。



30. INFORMED CONSENT/PANICSMILE
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1. WESTERN DEVELOPMENT 2 2. OUT OF FOCUS, EVERYBODY ELSE
3. INFORMED CONSENT 4. ANTENNA TEAM 5. THE SONG ABOUT BLACK TOWERS
6. DOUBLE FUTURE 7. DEVIL'S MONEY FLOW 8. NUCLEAR POWER DAYS
9. CRY FOR THE MOON(An Impossible thing is searched for.) 10. CIDER GIRL

 日本が誇るポストパンク?オルタナティブ?ジャンク?バンド・PANICSMILE。最近ではトリプルファイアーのサウンドプロデュースをしていたりもする吉田肇氏のバンドの、2010年に10年間も続いていたメンバーが一度解散して、新体制になってから初のアルバムが今作。
 変拍子と言うのも憚られるような、行き当たりばったり感たっぷりなリズムは今作でも健在。ソリッドなサウンドで時にとてもシュールに時にシャープに突き進むギターとビートの妙は、新メンバーになり微妙なパワーバランスの変化が見られ興味深い(特に吉田ギターの前景化とか)。ぶっきらぼうに叫んでるボーカル(今作は前作や前々作で見せた歌もの要素は意図的にオミットされてる)も、その緩急やリズム感にポップなものが滲み出ていて、このバンドはやっぱり意外と、奇妙極まるサウンドを歌が纏めあげてはじめて完成するのかもしれない、と思ったり。最後の曲のオチの付け方も含めて、キンキンに捻くれまくったベテランの新しい攻めモードな快作。

29. Songs of Innocence/U2
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1. The Miracle (of Joey Ramone) 2. Every Breaking Wave
3. California (There is no End to Love) 4. Song for Someone 5. Iris (Hold Me Close)
6. Volcano 7. Raised By Wolves 8. Cedarwood Road 9. Sleep Like a Baby Tonight
10. This is Where You Can Reach Me Now 11. The Troubles

 「あなたのiTunesにもう入ってます」と言う触れ込みでAppleとタッグを組んで賛否両論のリリース展開がなされたベテランバンドU2の最新作。っていうかおれのiTunesには入ってなかったからわざわざダウンロードしたんですけど(金出してないのにずうずうしい)。
 これでアルバムの出来がよくなけりゃざまあ見ろ叩かれやがれ金持道楽野郎!とも言えたけれども、残念ながらこれがかなり良かった。一曲目の意外なシャッフルビートからして従来の“スタジアムバンドの王者U2”なイメージを回避しようと、様々な工夫が見られる。インディーロックシーンに目配せした様々な要素の“つまみ食い”は、結果としてソングライティング方面でも派手なU2節を侘び寂びの効いたものにしているかもしれない。侘び寂びと緊張感の効いたときのU2なんてデスキャブみたいなもんで、雄大なスケールでロマンチックの鉈を振るうただの最強バンドじゃないか、という具合に良い作品。

28. Alias/The Magic Numbers
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1. Wake Up 2. You K(no)w 3. Out On The Streets 4. Shot In the Dark
5. Roy Orbison 6. Thought I Wasn't Ready 7. E.N.D. 8. Accidental song
9. Better Than Him 10. Enough 11. Black Rose

 ママス&パパスの再来とも言われた爽やかほっこり系男女混成バンドとしてデビューした彼らも、作品を出す度にどんどんシリアスな音楽性になり、4枚目にしてこのジャケット、いかにも神経質そう(ちなみに2枚目のアルバムは大傑作だと思います)。
 そんな今作、冒頭からRadiohead以降感のある退廃的な残響感のサウンドで、彼らにそれを求めている人がどれくらいいるか分からないがしかし音の感じは非常にいい。元々音作りもソングライティングも相当センスある人たちで、シリアスモードも全然かっこいい。むしろ攻撃的で不穏な音に向かったことで、かなりアダルティな方面だった前作よりもざっくりした作風になっている感じも。そして闇い中盤までを越えて出てくる『Accidental Song』、2枚目くらいのときのポップで勢いあるギターロックをより多幸感あってスケール大きくしたこの曲で一気にアルバムに日が射す感じが素晴らしい。この曲は彼らの曲でも最高クラスに素晴らしい。上記のリンクはアコースティックバージョンだけど、収録はしっかりバンドサウンド。
 個人的に、学生の頃リアルタイムだった00年代UKデビュー組のバンドでも、一番元からレイドバック感あってその気になれば長く続けられそうなこのバンドが真逆の方向に向かってるという事実に、安心以上のグッとくる感じがあって嬉しい。

27. Monuments to An Elegy/Smashing Pumpkins
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1. Tiberius 2. Being Beige 3. Anaise! 4. One and All 5. Run2me
6. Drum + Fife 7. Monuments 8. Dorian 9. Anti - Hero

 9曲32分といういつになく短い尺で展開されるスマパンの新譜。ビリーどうした!?いっつも60分越えが当たり前みたいなアルバムばっかり作ってたのに、もう飽きたの?多方面からのストレスでいやになった?
 正直ジャケットも今回地味で、装丁もやや安っぽくて最初どうかなと思ったけど、聴いてみるとこれが実にいい。ヘヴィ目なナンバーからだせえシンセ使用のダーク曲、打ち込み使用曲まで手広くやってて、個々の完成度もかなり高い。前作がネバネバしたビッグマフの音+どっしり手数多いドラム=サイアミーズ・ドリームサウンドへの回帰としたら、今作は遂にメロンコリーへの回帰か…などと思ってしまう。代表曲的なシングル山盛りのメロンコリーに比べるとスターの数では見劣りこそするが、しかし今作には再結成後きってのロマンチックさを持つ『Being Beige』がある。この曲は再結成前のスマパンで出してもシングル余裕だろう。
 ビンテージシンセの多用も時にメロウに時にシュールに響いていい感じ。欲を言えば曲順がちょっと盛り上がりに欠けるというか、山場な曲を5分くらいの尺でいいので置いてほしかったなとか(今作は5分いく曲ないんです!)。ビリーは来年発表予定の次作『Day For Night』でスマパンは終了する、と言っているらしいが、果たして…何はともあれ、次作は更にモアベターでお願いします。

26. Hurt/Syrup16g
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1. Share the light 2. イカれた HOLIDAYS 3. Stop brain 4. ゆびきりをしたのは
5. (You will) never dance tonight 6. 哀しき Shoegaze 7. メビウスゲート
8. 生きているよりマシさ 9. 理想的なスピードで 10. 宇宙遊泳 11. 旅立ちの歌

 シロップの再結成!五十嵐がシロップメンバー引き連れて「生還」ライブしたときから思ったよりも早く、しかも全曲書き下ろしの新作リリースという形で戻ってきたのは“鬱ロックバンド”シロップに似つかわしく無さすぎるくらい嬉しいニュースだった。
 そんな感じで出た今作、改めて3ピースバンドとしての自分たちのバンドとしての機構を再確認しながらも、やっぱり所々五十嵐的な天然でヘンな要素が入ってきて、今作は再結成ということもありそのヘンな部分を心置きなく楽しむことが出来る作品になっている。普通にやったら絶対そうならんだろ!って拍子が素敵な『Stop brain』のキャッチーさ、ベースの訳分からなさからやってしまってる感たっぷり。『イカれた HOLIDAYS』も曲自体真面目だけどタイトルのセンスはアウト寸前でしょ。『哀しき Shoegaze』は今作一シューゲ要素の無い変な曲だし、ラス前曲らしからぬハイテンション疾走を見せる『宇宙遊泳』といい、存在自体ギャグめいてる『旅立ちの歌』といい、そのヘンテコメンヘラ芸とさえ言えそうな素敵な曲の数々が素晴らしい。こうなってくると解散後の陰鬱な期間のポートレイトといった内容の『生きているよりマシさ』の内容すらあまりに“らしさ”たっぷり過ぎてすごく楽しく聞こえてくる。そう、ここにはひとまずトンネルを越えたときふと沸き上がる可笑しさが満ちている。それをある種の祝福と読み替えることに、抵抗は無い。

25. Wang/王舟
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1. tatebue 2. 瞬間 3. dixi 4. boat 5. uguisu 6. ill communication
7. New Song 8. My first ragtime 9. windy 10. とうもろこし畑 11. Thailand

 東京インディーシーンきっての「もう何年も経つけど、本当にアルバム出るの…?」芸人だったという彼も遂に今年アルバムをリリース。時間をかけただけあってか、非常に賑やかで豊かな楽団風カントリーミュージックが展開されているが、練りに練りまくったような複雑さがなくサラリとしているのは大きな特徴か。
 レビューをこちらで書かせていただいたので、作品にまつわる考察ごとはこちらで。色々言ってはいるけれど、結局のところこんだけいい曲といい歌があっていいプレーヤーが揃えば豊かな音楽になるわな、というのが正直なところ。まさかの福岡までバンド編成でライブ来てくれたので観ましたけどすげえ良かった…。

24. You're Dead! /Flying Lotus
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1. Theme 2. Tesla 3. Cold Dead 4. Fkn Dead 5. Never Catch Me 6. Dead Man's Tetris
7. Turkey Dog Coma 8. Stirring 9. Coronus, the Terminator 10. Siren Song 11. Turtles
12. Ready err Not 13. Eyes Above 14. Moment of Hesitation 15. Descent Into Madness
16. The Boys Who Died in Their Sleep 17. Obligatory Cadence
18. Your Potential//The Beyond 19. The Protest

 個人的に“The 不得意ジャンル”なジャズとハウス・エレクトロな方面。その両方の側面を持つ今作についてぼくが何か語るのは難しい、けれどサマソニで観たロバート・グラスパーと同様に、「今のジャズってここまでエイフェックス・ツインみたいなことになってんの…?」という驚きと不思議体験にこの身を泳がせていたのも確か。つまり単純に、なんかすげーとこに連れてかれる感じだなと(どこかの評論家のレビューでは「今作の方向性もサウンドも想定内(ではあるが完成度は高い)」みたいなことが書いてあったので、ジャズの世界ではこういうの普通、なのか…?)思った。
 スリリングなサウンドは、サイケと言えばそうだけど眠くなる要素はあまり感じず、むしろ積極的にオルタナティブな要素が取り上げられたサウンドは頻繁に唐突にビックリしたり。メタリックな質感もジャズなラッパのサウンドもエレピの幻惑的な音も、尺の短い楽曲も、次々と整然と連なってパズルのピースのごとく光景を描いていく。そのヘンな浮遊感の中タイトルを思い出して、「あ、そっか、おれ死ぬのか」的なことを思って、可笑しくなって。社用車運転中にこれ流したときの不思議で投げやりな感覚が忘れられない。

23. Tyranny/Julian Casablancas + The Voidz
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1. Take Me In Your Army 2. Crunch Punch 3. M.utally A.ssured D.estruction
4. Human Sadness 5. Where No Eagles Fly 6. Father Electricity 7. Johan Von Bronx
8. Business Dog 9. Xerox 10. Dare I Care 11. Nintendo Blood 12. Off to War…

 まさに怪作!これをストロークスのリーダーたる自分がやるんだということも含めて、本人的にすごくしてやったりなのではないかということ尽くめな今作は、ありとあらゆる人工的で暴力的なサウンドやリズムや歌唱が飛び交い、情報量がオーバーフローすることそのものを目的とした挑戦的な〜というレトリックを散々用いたくなるアルバム。それもこれも田中宗一郎こんな文章を読まされたせいではあるけれど(この文章、彼の文章の中でもトップクラスに好きだ)。
 この文章にある通り、論理化してしまえば「なるほど」と単純に思ってしまうけれど、実際に作品を聴いて「おお…そんなことまでしちゃうのか…」と愕然とする感じは、並大抵のことをやっても仕方がない、やるなら徹底的にやろう、と決意した当人の凄さが現れている。そして通して聴いていると、意外とストロークスの現状最新作『Comedown Machine』で見事に開花した彼のロボットチック・フューチャリスティック(?)なメロディセンスが随所に散りばめられている。音もメロディも非常にメタリックで即物的な質感を帯びた今作は、ナチュラルなフィーリングをより極めて超然的な作品となった森は生きている『グッド・ナイト』と好対照を成すのではないか、と個人的に考えている。

22. V For Vaselines/The Vaselines
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1. High Tide Low Tide 2. The Lonely L.P. 3. Inky Lies 4. Crazy Lady
5. Single Spies 6. One Lost Year 7. Earth Is Speeding 8. False Heaven
9. Number One Crush 10. Last Half Hour

 ジュリアンが計算の天才ならこっちは天然の天才、と言うと言いすぎなきもする、近年活動を再開したグラスゴー/アノラックポップ文化のレジェンドたる彼ら。まさかこんなに早く新作が出ると思わなかった…「えっもう出しちゃうの?」って感じだった。
 そんな早いペースで出された今作…ってモロにパワーポップじゃねえか!キラキラギターポップ感はどこいった…と思ったけど元々そんなキラキラでもないし、クランチだったギターをもっと歪ませただけかもだけど。そんな風に歪ませたギターをペターっとしたリズムと一緒にドライブさせやや投げやり気味にポップなメロディをポンポンと吐き出す様は、はっきり言って殆どthe pillowsのサウンドじゃんか!何でだよ、おい!(2曲目のイントロはそういう意味で必聴)。
 そんな大いに気になる点をうっちゃって聴くと、今作も実にいいポップソング集になっている。ユージンの低いのにやる気の見えない声とフランシスの可愛いわけでもないけど女の情念みたいなのも皆無な声の掛け合いは、やっぱ他には代えがたいものがある。よく聴くと色々やってるギター、いいところに入ってくるリフやフィルイン等々、素晴らしく理想的なギターロックっぷりは去年のBest Coastの作品とも共通するのかもと思った(ヴァセリンズの方がより単調単純かもだけど)。

21. Here And Nowhere Else/Cloud Nothings
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1. Now Hear In 2. Quieter Today 3. Psychic Trauma 4. Just See Fear
5. Giving Into Seeing 6. No Thoughts 7. Pattern Walks 8. I'm Not Part of Me

 すっかりエコー重視なドリーミーなサウンドが蔓延してああこれはピッチフォーク病もいよいよですねという感じだったUSインディにガレージ・オルタナの復権掲げた訳でもないだろうがそんな感じで現れたCloud Nothingsアルビニプロデュースで話題になった前作から、アルビニとついでにリードギターも抜けた状態で作られた今作。8曲30分、全部疾走曲という潔さが凄くて、思わず勢いで騙されてしまうだけのものがある。
 いやいや騙されないぞ、こいつら一枚目もそんなんだったじゃないか、と思い直して聴くと、しかし録音環境が全然違うこともあるだろうが、前作のサウンドの鈍重さを引き継いだ上で、上手く曲の勢いと結びつけている。特にドラムの頑張りが相当効いてる。オープンシンバルの場面とフロアタムの場面とのくっきりした使い分けはシンプルに曲の構成の妙をサポートし、緩急をがっしりコントロールしている。
 ギターの音は相変わらずゴミのような歪み方。上で取り上げたジュリアンカサブランカスの作品がゴミを集めまくって爆弾を作ったような作品なら、Cloud Nothingsはゴミのようなサウンドとシャウトなによりスピリットだけでどこまで格好よさ・ロマンチックさを作れるかという挑戦のようだ。単体だとゴミみたいに思える要素が合わさり、見事に反転して、爽快さになって駆け抜けていく、ディラン・バルディが持つのはそういう才能だと思う。それはクソみたいな男の子たちのロマンそのものだ。

20. Post Modern Team/POST MODERN TEAM
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1. Never Let You Down 2. Someday 3. Heartbreak 4. Nite Life Lounge
5. Fade Away 6. She Does Something To Me 7. In The City 8. By The Sea
9. Forget Me Not 10. Betterdays

 最近東京インディーと並べる言葉として、関西インディーなる単語をちらほら聞くようになった。挙がってくるバンドの名前を見てると、英詩で歌うギターポップバンドが多いことに気づく。なんでやろ?その程度の理解で大阪某所で手にした今作は、非常に“当たり”だった。
 「あっこれはいいイントロや!」って思う1曲目から3曲目までの連続するような流れで一気に引き込まれる。この手のバンドにしてはアルペジオや繊細な単音フレーズではなくカッティング気味で大味なギタープレイで引っ張っていくのがかっこいい。4曲目はモロスミスだ〜けど声の重ね具合とかにやはり00年代後半のUSインディーを通過したぼかした処理が効いていてこれは現代の作品だって思う。5曲目は中期TFCみたいだ〜6曲目は…といった具合に、いろんなところからエッセンスを頂戴しているんだろうけれど、それに不思議と統一感があって、透明感とクールさがあってすごくいい。まだ聴けてないけど、関西じゃないけどHotel MexicoやMoscow Clubもこんな感じに素敵なんだろうか。
 あと、一曲リフが自分のと被りそうな事案が…やっぱみんな思いつくのかあれ。

19. 遠泳/渚にて
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1. 遠泳 2. まだ夜 3. 残像 4. ことりのゆめ 5. そっくりモグラ 6. 水草 7. フジオ
8. 遠雷 9. けものみち 10. 海にゆく 11. あいのほとり 12. 暗く青い星 13. ひかる ふたつ

 前作『よすが』から実に6年ぶりとなる渚にての新作は、本人がHPで散々自画自賛していた通り(柴山さんすごい自分を褒めまくる人ではあるけど)、70年代ロック的ないなたい質感を完全に我がものとしたサウンドが展開される。ギターの響きのクリアさ、スネアのデッドな鳴りとハットの硬質な響き。相当リハーサルを積んだとのことだけど、こんなサウンドでほわーんとした曲を演奏できたら気持ちいいだろうなあ。
 そんなゴキゲンなサウンドを活かして伸び伸びやっているのは柴山(男性ボーカル)曲。こんな王道日本語ロックな感じだったっけ?というどっしりとした曲を量産している。隠し味のノイズ等も要所要所に忍び込ませてあり楽しめる。一方、渚にてもう一方の魅力である竹田氏(女性ボーカル)曲の方はいつものトロトロ溶け出してしまいそうなスロー白痴ポップスを展開。こっちサイドは『予感』『よすが』という強烈なのがあった前作の方がいいかも。いつになく軽快なサウンドに竹田ボーカルが乗る6曲目は新鮮。
 遠泳、ということで、アルバムを通して、飄々とした土っぽさとサラサラとした水っぽさのない交ぜになった不思議な浮遊感と覚醒感が続く。本人が相当曲や音に満足したためか又はリリースのスパンが開いたためか、13曲70分の大作、聴く方も遠泳。

18. Nancy/浅井健一
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1. Sky Diving Baby 2. Stinger 3. Parmesan Cheese 4. 紙飛行機 5. Johnny Love
6. Papyrus 7. 桜 8. 僕は何だろう 9. 君をさがす 10. ラビット帽 11. ハラピニオ

 近年は一年に一作ペースで作品のリリースをしている浅井健一の今年の作品は去年に引き続きソロ。ベンジー印のロックンロールとSHERBETS的メランコリーナンバーが半々くらいだった前作を経て、今作は曲もサウンドも殆どSHERBETSじゃないか(SHERBETSのキーボード福士さんが全面的に参加しているのも大きいが)…というシックでメランコリックな具合、ではあるがソロということで浅井個人のコントロール権が大きいためか、どの曲も聴きやすいサイズ・ポップな工夫が効いている。
 そんなどちらかと言えば静かめな楽曲の中で浅井の世界観はよりダークな方向に展開している。マイナー調な楽曲に乗る歌詞は破滅の予感、又はSF的な破滅そのものを匂わせる要素が増え、アルバム最後に収録された唯一メジャー調な『ハラピニオ』においては遂に滅亡後のかすかな希望と、それがすぐにでも潰えそうな絶望的な世界観が描かれる。詩人浅井健一の世界観はSHERBETSの『FREE』以降どんどん悲しみや寂しさを追求していっていると感じるが、今作はその側面が全面的に展開される、キャリアでも最も哀しい作品ではなかろうか。
 といった内容のことを某所でレビュー書いたけれども、サイト移転の際に消滅したままになっている。あとソロじゃなくてSHERBETS名義でのリリースだったら、たとえトラックが全く同一でももっと順位上にしたかもしんない…。

17. Paraiso/yogee new waves
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1. Megumi no Amen 2. Summer 3. Climax Night 4. Good Bye
5. Hello Ethiopia 6. Earth 7. Listen 8. Dreamin’ Boy 9. Camp

 今年のインディーシーンの新人王的存在として多くの注目を集めている東京の4人組な彼ら。1stアルバムとは思えない手慣れたサウンド・グルーヴの完成度の高さ、ソングライティングの水準の高さとメロウな視線の統一性など、初っぱなからすごい完成度だと思う。あと歌がビックリするくらい踊ってばかりの国に似てる(実際踊ってばかりの国からプッシュを受けていたりするが)。
 繊細さとファンクネスを有したギターサウンドのチクチクしそうでしないしなやかな音がリードするサウンドは現実の苦味を反映した最新型のシティポップとして広く宣伝されている。先行リリースの『Climax Night』で見せた哀愁と憧憬が交差する夜の光景は、フィッシュマンズ『ナイトクルージング』をより現代的・現実的なポップスに寄せたような気分がする。足取りは軽快に、サウンドはメロウに、歌はとぼけながらも哀しげに、ノスタルジーとファンタジーは現在を淡く濡らす程度に垂らす。美しい涎のような音楽。

16. シリウス/スカート
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side A 1. シリウス 2. どうしてこんなに晴れているのに
side B 1. タタノアドラ 2. 回想

 東京インディーの4番打者こと、当代随一のポップス研究家・澤部渡率いるバンドの、夏に出たミニアルバム(ミニとフルの中間くらいの分量?)の余韻覚めやらぬうちに、今年の終わるまでに間に合うようにリリースされた今作。レコード限定でのリリースという思い切った仕様にはマンガ家・町田洋によるあまりにも素晴らし過ぎるジャケットイラストを最も素晴らしい形でしか世に出したくなかったのでは、と思うところ。
 某所にてこのようにレビューを投稿した。今作がレコードのみのリリースだったためにターンテーブルを購入する羽目になり、そしていよいよレコードを買うようになって来年の出費が怖くなってきた、悪魔のささやきめいた一枚。

後編(2/2)に続きます。。。

『BOYS DON'T CRY』ART-SCHOOL

 アートスクールの第一期最後のリリースとなったライブ盤。公式で単体として発売されているものとしては現在唯一のライブ盤CD。収録曲は第一期メンバー最後の活動となったアルバム『LOVE/HATE』のリリースツアーにおけるベストテイクを集めたもの。多分あまり知らない人が聴いたら「えっこれベストテイクなん!?」とか言うこともあるかもしれない。
 ジャケットは、この色合いとステージ上の機材感で、NUMBER GIRLの解散ライブ盤『サッポロ OMOIDE IN MY HEAD 状態』に影響されていません、と言い張るのは無理だろう、といった具合。ただ、どっちも当時の東芝EMIのディレクターが加茂啓太郎氏という共通点はあるので、そこつながりのデザインかもしれない。

BOYS DON’T CRYBOYS DON’T CRY
(2004/03/17)
ART-SCHOOL

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※ライブ盤なので、全曲レビューは以下の一曲を除いて割愛します。

19. Outsider
 この曲のみCDで収録されているのはこのライブ盤のみ。元々はインディー時代の楽曲のひとつで、スタジオバージョンはART-SCHOOL結成後(木下ソロから正式にバンドへ移行後)すぐくらいの時期におそらく自主制作・販売していたデモテープの、3つあるうちの最初のものに収録されている(? 現物を持ってないし聴いたことも無いので憶測。入手はおそらく困難を極めると思われ)。
 最初期デモテープのバージョン未聴のためこのライブ盤のバージョンにて判断するところによると、『Fiona〜』や『MISS WORLD』あたりに通じるマイナー気味のコード感で疾走する楽曲。ライブだからというのもあるが、ともかく勢い任せに疾走する様は無鉄砲という感じがして、Aメロのメロディーもやや垂れ流し気味でメロディアスではない具合が逆にハードコアっぽく感じられないことも無い。
 それでもこの曲がまだポップに聞こえるのは、サビでキャッチーなリズム感を持ったメロディーを引っ張って来れてることが大きい。このメロディをそのまま明るいコード進行で発展させたものが『SWAN SONG』のサビメロである。
 この曲は雰囲気よりも、ともかくその勢いを楽しむところだろうか。特にドラムの派手で長めなフィルインが特に目立ち、こういったプレイはずーっと後になってドラムが櫻井氏以外の人に変わってから時々聞くようになった気がする。
 作った本人も直球過ぎると語っている歌詞は、その分最初期からこんな世界観なんだなーといった印象も。
おおOutsider/感情を切った/何も感じないように/本当はもう誰も信じたくない


 ライブ盤。決して演奏が上手いわけではない、という評判と、アートスクールはライブバンドである、という評判は両方ともあって、そしてそれはそこまで矛盾したものでもないように思う。少なくともリズムセクションは、アート脱退後ストレイテナーZAZEN BOYSでの活動を経て日本屈指のベーシストとなっていく日向がいることなどもあって、十二分に上手い。ただ、ともかくスピードが原曲よりも速くなる。それはプレイヤーがどうこうでなく、バンドがそういう性格だから、と言えるし又は、アートスクール=木下理樹だから、その木下がハシるからバンドもそうなる、といったものだろうか。
 今ではこのライブ盤までの時期を“初期アート”と呼称することがままあるが、この時期の曲は今でもライブで演奏されることが多く、半分以上、酷い時は3分の2以上が初期曲ということが今でもある。初期曲の魅力といえば、それ以降の段々複雑化(演奏面、曲構成面等色々)していく楽曲よりも直球な演奏や歌唱が響く曲が多く、ライブ時のテンションの高さがより楽曲に反映されやすいことだろう(それゆえ近年の曲を押しのけてライブのセットリストを占拠してしまいがちだが…)。
 このライブ盤においては、その初期アートの数々の曲から代表的な部分を引っ張ってきた、所謂ベスト盤チックな選曲になっている。特に、シングル『MISS WORLD』以前の作品は録音がかなりローファイ気味かつライブよりもずっと遅いテンポで演奏されている(逆にライブが速過ぎるのだろうけど)ため、このライブ盤、もしくは実際にライブで聴くと最早違う曲のようになっていたりする。『MISS WORLD』『ウィノナ ライダー アンドロイド』辺りはこのライブ盤の演奏こそが基本と呼べそう。
 当時のバンド内パワーバランスの影響か、木下の声はともかくギターの音も大きいのが特徴(ただし、ちゃんと左右に各人のギターの音が振られているので聞き分けは容易)。戸高氏がアートに加入してサウンド上で存在感を増すにつれサビ以外でギターを全然弾かなくなっていく木下が、初期アートのライブではどの曲でも最低限ブリッジミュートしていたりするのは、自分がなんとかバンドを引っ張らないといけないという自負が強かっただろう、この時期までの特徴と言えそう。あと、歌自体は世間一般の技術的に上手と言えない部分もあるが、歌声の調子もこの時期はかなり良く、裏声の使用がスムーズだ。これは特に、ミドルテンポの楽曲で映える。
 演奏自体は、後年のライブの方が楽曲の幅が広がった分多彩な演奏があったり、轟音の密度が上がったりと面白みが増している気がするが、しかしこの時期このメンバーだからこその勢いがあるのも事実だと思う。木下はまだ25歳くらいで、この後ねっとりとダークなsyrup16g的世界観に近づいていく前の、キラキラポップな感じとギラギラ重い感じとがストレートに交わる楽曲の数々は、やや一本調子気味だがその分潔さもある。

 初回盤のみ付属のDVDには、このツアーラストライブの楽曲が収録されている。貴重な映像であるとともに、「どうしてこの曲もCDに入れなかった…?」的な(収録時間の関係でより多くの楽曲を収めたかったんだろう)『プールサイド』『ニーナの為に』も収められている。特に『プールサイド』のライブ映像は貴重。

 収録曲的には、あとこれに『汚れた血』が収録されていれば…というのが、少なくないファンの思うところか。それでも、十分に魅力的な楽曲の並びだし、また合間合間に挟まれるMCは、後年のよりフレンドリーでかつ木下のポンコツっぷりが強調される(笑)MCと違い、緊張感のある、またはセンチメンタルなものになっている。ドキュメンタリーとして、過去のアートスクールというバンドのより生々しい記録として、そして単純に勢いがあってキラキラして時にロマンチックで時に悲痛な音楽がたくさん詰まったアルバムとして、流す度にいろんな気持ちになるアルバムだと思う。

 最近ファンになった人がライブの予習用に借りるとすると…昔と今の声のギャップに戸惑うかもしれない(苦笑)しかしアート好きになったらぜひライブは見てほしい。木下理樹ほど不器用にも何かを絞り出そうとして必死で、そしてそれが凄く様になる人はそういないし、それをがっつりギターロックとして強烈にアンプリファイできるのはアートスクールというバンドしかない、ということは、いつも強く思う。

ゼロ年代前半東芝EMIの10曲(後編)

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「コピーコントロールとか嫌なことは色々あったけどでも当時の東芝EMI作品っていいの多いよな〜」と言って今更あえて語る必要性も見つからない大名曲について言いたいことを言うだけの企画、後編です。残り5曲。



6. NUM-AMI-DABUTZ(NUMBER GIRL)
 当時の東芝EMIがロックをプッシュする姿勢を表明したのがACIDMANなら、東芝EMIにROCKなフィーリングを強く刻み付けたのがNUMBER GIRLではないかとも考えられる。ぎゃんぎゃん鳴る割に意外と歪みが少なくて耳に痛くなる寸前まで尖った感じのギター、ドガドガダダダンパァンジャジャジャジャっとともかく鳴りまくるドラム、上手い下手いを完全に無視したところで炸裂する歌など、いろんな物が激しいままバンドとして纏まってる感じは、少なくとも当時の日本のメジャー音楽シーンにおいて鮮烈で、よく東芝EMIもこれをメジャーに引っ張ってきたな…という凄みがある。いわゆる“97年世代”という単語でもって当時の革新性に関して括られるアーティストのひとつ。
 たとえばかつてのフリッパーズギターに、その新しさと凄みを見いだして強力にプッシュしたプロデューサー(牧村憲一氏)がいたように、ナンバガにも彼らをメジャーに導き、日本の新しいオルタナロックとして定着させるに至った、当時の東芝の(そして今でも)名プロデューサー・加茂啓太郎氏がいた。両プロデューサーとも、ここまで後世にも存在感を発揮できるバンドをフックアップしたこと、フックアップしたらどんどん凄い方向に変わり切っていったことなど、どのように思われただろう。
 (余談だがこの2バンド、他にも意外と共通項があるように思う。洋楽指向、アルバム3枚で解散(ナンバガはインディ入れれば4枚だけど)、主催者の挑発的なキャラクター等々)
 そんな具合で急速に変化していったナンバガの音楽性の、とりあえずの終着点が最後のアルバム『NUM-HEAVYMETALLIC』であるし、そのリードトラックにして不穏で奇妙極まりない楽曲がこの曲。当時の音楽ファンがこぞって「なんかナンバーガールが大変なことになっている!」と思ったとかどうだとか。その際や、その後ナンバーガール解散後の向井のバンド・ZAZEN BOYSの作品がリリースされた際にこの曲は語り尽くされた感じもあるが、今一度見ていく。
 当然一番目につくのは、全編をほぼラップとも語りともつかぬ口調でやり通してしまう向井のボーカルスタイル。これはその後ZAZEN BOYSでこのスタイルが散々繰り返されていることで幾らか印象が薄らいではいるが、それでもここに収められたボーカルは、後年の“This is 向井秀徳”なスタイルが確立されていないこともあってか、ザゼンのとはまた違った緊張感・ざらつきが感じられる。
 この曲にザゼンと異なる緊張感・ざらつきを感じる最たるものは、その演奏。ストイックに統率されたザゼンのバンドサウンドに比べ、この曲でのナンバーガールのサウンドは逆に崩壊寸前のような炸裂の仕方をしている。イントロの統率が切れた瞬間暴れ回るギターとドラム。特にありとあらゆるパターンを引っ張りだしてくるドラムの、リズムボックスとしての体を成してなさは半端ない。
 ヒップホップというスタイルは、どっちかというと抑制的なトラックの上で展開されるものだと思われるが、ここでナンバガが敢行したのは、抑制とは真逆のような、暴発寸前、いや暴発最中といったサウンドとラップとの強烈なコントラスト芸だ。この曲より以前にラップを導入した『TOKYO FREEZE』などの曲は、もっと抑制的な演奏になっている。そういった実験を経て、バンドの激しさをそのままにラップするスタイルに到達したのだろうか。この無軌道な激しさとよく分からないエネルギッシュさは、これ以前のナンバガにもこれ以降のザゼンにも見つからない、何か不思議な物を感じてやまない。
 あと、曲終盤の田淵ひさ子のギタープレイ。こんなフリーキーな演奏をキャッチーに聴かせるのも凄いし、メジャーの録音物として流通させるレコード会社も凄い。あとナンバガはリリースが2002年まで(後年の編集盤等は除く)なので、2003年頃から増えだすCCCDには関わらずに済んでいる。
NUM-HEAVYMETALLIC 15th Anniversary EditionNUM-HEAVYMETALLIC 15th Anniversary Edition
(2014/06/18)
ナンバーガール

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7. 地獄のロッカー(bloodthirsty butchers)
 NUMBER GIRLの解散ライブは『サッポロ OMOIDE IN MY HEAD 状態』としてリリースされ、そこではMCも極力カットせず収録された。そのMCの中で向井が札幌発の先人バンドに対するリスペクトと、そして何故かそれらのバンドの現状報告をする場面がある。その中でブッチャーズの名前が出た際に、「bloodthirsty butchersは今度ニューアルバムを出します」等の話が出た。そのアルバムが今作『荒野ニオケルbloodthirsty butchers』であり、この曲はその最後に収録されているもの。
 ブッチャーズは、名作『kocorono』で轟音サウンドとポップでどっしりとした歌心を融合させたスタイル(それはまさに日本のニールヤングとも言うべきな)を手にして以降、その強靭なバンドサウンドの研鑽にずっと努めて来た。ギター一本一発撮りでより有機的なサウンドと歌を求めた『未完成』、その叙情性とサウンドの奥行きに更なる拘りを見いだした『yamane』と来て、『荒野〜』において彼らが求めたのは、楽曲のダウンサイジング化とより飄々としたポップさだった、と見なすことができる。また、次作『birdy』以降正式にメンバーとして“元”ナンバーガールの田淵ひさ子が加入するが、今作で既に随所で演奏に参加しており、“プレ4人体制”のアルバムとして受け取ることも可能だろう。
 本来なら、明確にポップな名曲『サラバ世界君主』を取り上げた方がこのアルバムの作風を端的に表せる気もするが、個人的にこのアルバムで一番好きなこの曲を取り上げることにしたい。
 曲の入りのサウンドの素晴らしさだけで、この曲は既に名曲している。荒野を砂鉄が舞うような、静かで不思議な眩しさすら感じさせるソフトにノイジーなギターサウンド。思うに、ノイジーなギタープレイというのは、ひとつにファズやディストーションで歪ませた重厚なサウンドや、それに伴うフィードバック音などがあるが、もうひとつに、普通のアルペジオ的な滑らかさの無い、和音的にザラザラした音を並べる方法もある。例えばSonic Youthなんかは、どっちかというと後者の意味でノイズを追求しているように感じる時もあるし、またthe pillows『カーニバル』の伴奏のプレイはこのスタイルをポップに活用した優れた一例だと思う。
 翻って、この曲のイントロの、荒野で崩れ落ちんばかりの情緒は何だ。ブッチャーズのバンドサウンド特有のどっしりもっさり感(特に射守矢さんの浮遊感のあるベースが相当個性的。ブッチャーズのサイケ感はギターによるものだけじゃ決してない)はまるで日本の新しいカントリーミュージック(オルタナカントリー?)のようだとさえ感じることがあるが、この曲ではさしずめオルタナカントリーのカウボーイが帰るところも無く頼りもなくて放心したような感覚がある(ロッカー=カウボーイという見立てはどうだろう)。それでも、サビ的な箇所で鈍く歪むギターとともに力強いリフレインがあり、荒涼とした叙情性に溺れすぎないバンドの姿勢は頼もしい。
 おそらく前作『yamane』のサウンドを引き継ぎ発展させたのであろうこのサウンドの、いつまでも浸っていたいクリアで寂寥感の募るサウンドに、吉村秀樹の、頼りないが故にどこまでもタフで頼りがいのある詩情が強く感じられる。筆者は、この人こそ日本のニールヤングになるんだと思って疑ってなかった。
 ちなみにリリース当時はCCCDだった。東芝在籍期間のリリースは『yamane』と今作。今作はリリースのタイミングが悪かったんだろうと思うが、当時のブッチャーズファンからしたらどんな気持ちだったんだろう。

荒野ニオケルbloodthirsty butchers荒野ニオケルbloodthirsty butchers
(2013/09/25)
bloodthirsty butchers

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8. セブンスター(中村一義)
 某ライターが中村一義本人に対して自分の雑誌上で「僕はあなたにプレステをしてほしくなかった」とかいう妄言ことを言ったけど大名作なアルバム『ERA』から(シングルで言えば『ジュビリー』より後)、その後自身のバンド100sを結成して制作されたアルバム『100s』およびアーティスト名義も100sになってからのファーストアルバム『OZ』までが彼の東芝時代のリリースとなる。
 某ライターの嘆きではないが、東芝時代とそれ以前(マーキュリー。現在はEMIと同じくユニバーサルに吸収)では確かに、彼の作風は大きく異なる。某ライターがプレステと言ってるのはおそらく、中村が打ち込みを利用し始めてからの、リズム感がジャストなものになったサウンドを指している。
 中村一義といえば元々、全ての楽器を自分で演奏し、60s〜70sのロックのいなたさを現代のポップソングとして甦らせたことで高い評価を得た人物だったが、そのサウンドの最大の特徴は、彼本人が叩くドラムだ。あの、打ち込みのバキバキなリズムからは何光年も離れたバタバタしていなたくて変なタイミングでフィルインの入るプレイは、オーソドックスに見えて実際バリバリ個性的で、初期の彼の作品でしか味わえない重要な要素だ。
 そんな根本的なところを封印し、『ジュビリー』以降打ち込みに走ったことで、確かに某ライターの指摘も少しは頷ける程度に、彼の楽曲も根本的に変わった。雑に言えば、初期の彼特有の飄々さ・ゆるみ・土っぽさが消え、より彼のリリカルな感性が曲に直接反映されるようになった、つまり良くも悪くも、他のアーティストと同じ土俵で勝負をするようになった。その変化は、打込みから本人以外のドラマーへとリズムが変化した100s以降も、もっと言えば再び本人がドラムを叩いた最新作『対音楽』でさえ、“プレステ以降”の質感を感じる。
 しかし、筆者が某ライターのようにそこを嘆くかというと、全くそうではない。ジャストなリズムでシリアスになった中村一義も、実にいい作品を作っている。上記の通り、剽軽な雰囲気を取り払ったことにより、彼のリリスズムがより直接楽曲に現れるようになると、彼が持っていたヒステリックな世界観の輝きが楽曲に散見されるようになる。この曲はその最良の部類の一曲だ。
 プレステ以降をかんじさせ感じさせるデジタルでサイケで少しノスタルジックなSEに導かれて鳴り始めるギターの、クランチな歪みのまま平温のまま延々とドライブしていくリフの響きが素晴らしい。リフそのものが曲の骨格となりコード感にも直結するそのスタイルはSmashing Pumpkins『1979』のパクリだと言われることもあるが、たとえばSilversun Pickupsが『Lazy Eye』でもやってる様に、「『1979』をある程度の起源とするギターリフの系統」という風にジャンル化できるものだと思う。この曲では特にリフ後半の音のギター弦がよくしなってそうな感じが好き。
 そのサビでさえギターリフで鳴らし続けるところに乗るメロディもとても澄み渡ったそれで、デジタル化以降の音響処理と相まって、遠く果ての方まで響くような、またそんな果てを欲するような素直さが感じられる。淡々としたリズムとリフで進行する“非ドラマチック系統”の曲だからこそ出せる魅力や奥行きがこの曲にはある。
 ちなみに、上記で「その最良の部類」などと書きましたが、他に想定している曲は『いつだってそうさ』『Honeycom.ware』等です。あと中村一義も、リリース間隔が比較的長いのと出したタイミングによって、CCCDを完全に回避している。

100s100s
(2002/09/19)
中村一義

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9. Promise To You Girl(Paul McCartney)
 当時CCCDは日本のアーティストやレコード会社に限ったことではなかった。海外各地でもCCCDが発売され、その度に、この国でのリリースは普通のCDだからこの国で買うといい、といった情報がリスナー間で交換される様になった。日本においてはゼロ年代前半はインターネットが急速に世の中に普及し、ブログや2ちゃんねる等のネット文化が確立・普及していく頃だったし、またAmazonの登場によって、異なる国のバージョンのCDを購入できる環境が整っていた。
 CCCDでリリースがあった海外のアーティストも多々あるが、その特徴として、大御所のリリースにもCCCDがついて回ったことが挙げられると思う。日本では、特に所謂ナイアガラ系の大御所がこぞってCCCDに反対していたりなどして、CCCDでのリリースが見送られることが多かったが、洋楽では超大御所級のリリースが平然とCCCDで断行された。Queenのベスト盤がCCCDでリリースされることをファンの電話で知ってブライアン・メイが激怒した話はwikipediaにも記述がある程度に有名だ。
 ここで、当時の音楽ファンの間でとりわけ大きな騒ぎになったCCCDはこれらだろう、と断言できる3枚がある。1枚はRadioheadの『Hail To The Thief』。タイトル含めて資本主義批判の色が濃いこのアルバムが資本主義の原理の賜物であるCCCDでリリースされたことは皮肉としか言いようがなく、後の『In Rainbows』の当時画期的だったリリース形態に繋がっていく。1枚はThe Beatles『Let It Be …Naked』。詳しい事情は割愛するが、元々の作品の出来に不満を持っていたポールマッカートニー執念の“リメイク”作品となるようだったアルバムがCCCD化されたことで、元々五月蝿そうなマニアオヤジが多そうなビートルズファンの少なくない数を激怒させたことは、CCCDの寿命を縮めることに結構影響があったかもしれない。
 そして、最期の1枚が『Chaos And Creation In The Backyard』だ。ざっくり言えば、ソロアーティストPaul McCartneyの、最高傑作だ。ナイジェル・ゴドリッチをプロデューサーに迎えて、すべての楽器をポール一人で演奏して制作されたアルバムである今作には、ポール持ち前の英国的な哀愁を感じさせるメロディやサウンドに満ちており、何処を切っても紅茶や煙草の香りがするような、濃厚な作品だ。
 ただ、これが最高傑作というところに、ポールの才能の本質的な悲しさがあるようにも思える。この雰囲気を出すのに、ポールが彼以外のバンドメンバーを必要としない、むしろ彼一人でなければここまでできないだろう、と思わせる辺りに、ポールの才能の悲しさの本領が垣間見える。ビートルズ時代からバンドで孤立しがちだった彼の孤高の天才っぷりの、その老境に差し掛かった哀愁も含めた総決算がこのアルバムだと言ってほぼ差し支えない。ポールの持つ哀愁がすべて作品に美しく反映されているような具合には、制作方法を提案したナイジェルは鬼か、とさえ思ってしまう。
 そのアルバムの厳かなタイトルコールから始まるこの楽曲は、彼の素朴でジャストな演奏と、今作で最も緻密に構築された楽曲とが綿密に絡んだ、真骨頂中の真骨頂と言いたい一曲。アルバム『Abbey Road』B面のようなメドレー的に幾つもの展開を用意し、そしてそれを3分ちょっとに違和感無く収めてしまうポールのソングライティングは最早神懸かり的ですらある。この長くない間に、コーラスワーク、ビートルズライクなギターソロ、リコーダーなど様々な演出が込められ、最後再びタイトルコールをタイトに決めてバッサリ終わる様は“ひとりビートルズ”にして“ポップソングの鬼”ポールマッカートニーその人の才能の、最高の結晶だ。
 もうおじいちゃんなのに『Helter Skelter』をライブでパワフルに歌ってのけるポールももの凄いが、その老いも含めて作品に昇華できた今作は、彼の人生を語る上で絶対に外せない作品だ。そんなものをCCCDにしたEMIは、流石に「地獄に堕ちろ」とか言われても仕方がない。そういった部分も含めてもの凄い哀愁を背負ってるくせに、相変わらずおどけた具合に、彼は今後も死ぬまでコンサートしたりするんだろう。

ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード~裏庭の混沌と創造ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード~裏庭の混沌と創造
(2011/08/17)
ポール・マッカートニー

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10. A Wolf At The Door(Radiohead)
 『Hail To The Thief』が海外組でCCCDでのリリースが大変話題となった3枚のうちの1枚であることは上記の通り。その他色々も上で書いたので、早々にレビューを。どうでもいいけど9と10は東芝っていうよりEMIだなあ。
 アルバムとしては、彼らの作品の中で決して評価の高い方ではない。「全体的なテーマが定まってなくて散漫だ」「いや、バンドサウンド回帰して勢いでアルバム一枚作るのがテーマだから散漫気味なのも含めて狙い通りだ」「There ThereのPVのトムの演技草生える」等々賛否両論が飛び交うこのアルバム。しかし作中のバンドサウンドの所々で見せる露悪的にさえ感じるエグさと、アブストラクトな曲の美意識を感じさせるアブストラクトっぷりとのギャップの大きさはこのアルバム最大の特徴であり、アルバム通して聴く時は「あっまた変なギア入った」「ああまたよく分からん感じになった」等の変化を楽しんでいる。
 そんなアルバムの最後に収められたこの曲は、上記の二面性をどっちも兼ね備えた曲である(というか、そういう結論になる様に強引にアルバムの作風を二分化した)。それはバンドサウンドも歌唱の面でも濃厚に現れている。ヒップホップを通過した、とかいちいち言うのもアホらしいトラッシュな吐き捨てつぶやきスタイルから、サビ的な箇所でボーカルが重ねられた上で歌われるメロディの抑制されたヒステリックさとにじみ出る退廃的な美しさ、そして間奏の絶望的なハミングからより強烈なトラッシュスピーキングまで、この曲の陰鬱に抑圧された雰囲気の中を自在に変化していくボーカリゼーションは素晴らしい。また、間奏後に入ってくるドラムのグチャグチャ寸前なフィルインの激しさが、この曲の憂鬱さに暴力的な花を添えていて気持ちがいい。
 それにしても、この曲のコード感や歌の感じの陰鬱さからは、童謡からオペラまでを貫くヨーロッパ的な悲劇性(ちゃんと勉強したわけじゃないから適当に言ってるだけだけど)や哀愁みたいなものを感じさせる。そして何故か、この曲を聴いてるとElliott Smithが思い浮かぶ。彼の歌声も、メロディ自体は美しいけれどその美しさを引いたらひたすら退廃的で陰鬱な観念だけが残りそうな質感がある。丁度『Hail to〜』がリリースされたのと同じ年に彼は帰らぬ人となった。別にだからというわけでもないが、両アーティストとも、名状しがたい不思議な陰鬱さを根本に持ち、それをそれぞれの方法でほぐしてポップなものにするという点で、共通するものを(半ば強引に)見いだすことが出来る様に思う。
 ところで、この曲は普通に聴く以上に、上記曲名のリンクからも飛べる、アニメーション付き動画で聴くとより印象が深まる。Radioheadのファンが作ったとされるこの映像は、エドワード・ゴーリー的な絵柄を下敷きにこの曲の世界観を幻想的に、残酷に、そしてとても敬虔に膨らませている。筆者はRadioheadの他のどのPVよりもこの映像が好きだ。結局こういう破滅的なメロウさこそをRadioheadに求めているにすぎない自分のような輩はあまりいいファンではないのかもしれないけど、それにしてもこの曲とこの映像とが描き出す世界はあまりに感傷的で、胸の内を焼き尽くされたような清々しさが堪らず、時々思い出しては見入ってしまっている。

Hail to the ThiefHail to the Thief
(2006/05/26)
Radiohead

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おまけ:UNDER MY SKIN(ART-SCHOOL)
 次回の投稿は彼らの東芝EMI時代最後の作品、ライブ盤『BOYS DON'T CRY』の予定です。彼らも加茂啓太郎チルドレンの一組。どうせならナンバガとレーベルメイトがいいといって一度決まりかけた他のメジャーレーベルを蹴った話は笑える程偉そうだし(しかも東芝EMIからデビュー後すぐナンバガが解散するオチまでつく)、そして結局CCCDでのリリースが一度もなかった彼らは、キャリアではACIDMANとそんなに変わらないはずなのに、どうしてここまで自由にやれたのか、これもちょっと不思議です。

LOVE/HATE(初回)LOVE/HATE(初回)
(2003/11/12)
ART-SCHOOL

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ゼロ年代前半東芝EMIの10曲(前編)

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 10年くらい前の話を誰が気にするんだろうと思いつつも、書きます。

 10年前の音楽界の話題といえばなんと言ってもコピーコントロールCD!21世紀に入って次第に流行り始めた(今では当たり前となっているような)「パソコンにCDの曲をインポートして、それをiPodなどのポータブルプレーヤーで聴く」というスタイルに真っ向から反抗するこのCCCDなる規格は、当時のリスナーの方々の間で大変な問題として取り上げられ、嫌悪され、罵られまくっていた。
 いつの間にかなくなってしまっていたCCCDだが、特にこれを推進していたレコード会社といえば、エイベックスに、ソニーに(ソニーは微妙に規格の違うCDだったからこれがまた色々面倒だった思い出…)、そして東芝EMI

 そんな東芝EMI。当時好きだったミュージシャンの新譜がCCCDでリリースされハラワタ煮えくり返った人はそこそこ多いはず。「あああ…作品自体は素晴らしいのに…作品自体はかなりいいのに…」

 かなりいいどころではない。この時期の東芝EMIは最高である。
 今回は、当時の東芝EMIからリリースされた10曲を(偏りを承知の上で)取り上げつつ、この時期の作品の素晴らしさを懐古する(といっても筆者はリアルタイムでこの辺りの作品を聴いたわけでは全くないけれど)、ついでにCCCDというすっかり過去の物となった負の遺産に思いを馳せるという、生産性が怪しい企画です。

 長くなりそうなので2回に分けます。


(曲名に貼ったリンクは、本人のPV等がない場合、適当なカバー等を貼っています)

1. 造花が笑う(ACIDMAN)
 この時期の東芝EMIの「やっぱロックだぜ!」的なテンションを最も象徴することといえば、ACIDMANのデビュー周辺の出来事だろう。プレデビューと銘打った3連続300円シングルにてバンドのしなやかさとパワフルさとキャッチーさと詩的さを連発でリスナーに叩き込み、そして満を持して1stフルアルバム『創』をリリースするに至る勢いというのは、ACIDMANが特別好きなわけでもなく、リアルタイムに横目に見てたわけでも全くない筆者にでも、容易に想像できる。今聴き返しても、メロコア的なパワフルさに、ジャズ方面の素養も感じさせる柔軟さと歌詞の「なんかよく分からんけどすげえ」感が、絶妙に硬派なバランスでキャッチーで、そりゃバンドサークルなんかでコピーをたくさん見ることになるな、と思ったり。
 一方、当時の時勢に翻弄されたという意味でも、ACIDMANは当時の東芝EMIを代表するに相応しい。それは、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いでリリースにこぎ着けた1stアルバムがCCCDになったことだ。個人的に、数あるアーティストの中でもACIDMANは特にCCCDのイメージが強い。それは、リアルタイムのファンの多くに強い印象を残した、「リリースの度に凄くなっていく」という感じで今でも名作とされる『創』『Loop』『equal』という初期三枚のアルバムがすべてCCCDでリリースされたことに起因している。どんどん音響に拘りを見せるバンドのスタンスからすれば、当時から音質の劣化が指摘されていたCCCDでのリリースを、それもアルバム3枚も容認したのは、とても不思議に思える。リリースに関しては文句は一切認めないとか、そういう相当厳しい契約だったのかもしれない。当時彼らより後発の新人バンドで、公式サイト等で公然とCCCDについて意見を発し、普通のCDでの1stアルバムリリースにこぎ着けたASIAN KUNG-FU GENERATIONのことなんかは、彼らからはどう見えてたんだろうと思ってしまう。CCCDの登場して廃れるまでの時期のこともあり、CCCDで3枚もアルバムをリリースすることになったアーティストがそんなに多くなさそうなことを思うと、彼らはこの規格による被害者でも最も有力な部類かなと思う。
 そんなちょっと時代の影的な感じもありつつも、楽曲は今聴いても本当にパワフルだと思う。実質メジャーデビュー曲となったこの曲の勢い、ソリッドで暗いコードから次第にせり上がるように曲の響きに光が射し、サビで高々と煌めくといった曲構造の妙はどうだ。3ピースバンドでできる派手な見せ方を絶妙に取り入れ、歌詞の晦渋さを青臭いままの勢いでしかし洗練された風に聴かせるセンス。バンドを巡る当時の状況の勢いをそのままアンプに通したような、見事な楽曲。

創
(2008/04/16)
ACIDMAN

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2. 宗教(椎名林檎)
 この企画をしようと思った理由のひとつに、東芝EMIがかなり昔になくなってしまったこと、そして最近知ったけど、EMIミュージック・ジャパンという東芝EMIの残滓もいつの間にかなくなっていた、つまり東芝EMIという会社がほぼなくなってしまったことの衝撃がある。
 世紀の変わり目の前後、東芝EMIという会社は絶好調だったはずである。それは、人気絶頂でかつ本人の実力も強大な、二人の女性アーティストがいたから。一人は、もう今の日本の音楽商売を巡る状況では越えることはまず不可能となった『First Love』売り上げ記録を誇る宇多田ヒカル(彼女の活動休止は、確実に当時のEMIの懐事情にダメージになっただろう)。そしてもう一人が、大きな売り上げと同時に、サブカル世界の(そしてメンヘラの)入り口のひとつとして当時から今に至るまで君臨しているであろう、雰囲気アングラ界(誤解を恐れずに言えば)の女王・椎名林檎である。今でも適当な大学の学祭に石を投げれば『丸の内サディスティック』にぶつかるのは、尋常ではない(最近ご本人もテレビで演奏してましたね)。
 椎名林檎はまた、PVなどで扇情的なアピールを繰り返した。そのスタイルがまた、唯のエロというよりももうちょっと何かしらの文脈に則った、意味ありげなものだったことが、そのインパクトをよりシャープにしていた。しかしその圧倒的な“演技力”はどんどん“サブカルヘンテコ激情女としての椎名林檎”の再生産に繋がり、彼女の最も売れたアルバム『勝訴ストリップ』は色んなものがパツンパツンな印象を受ける。
 そんな彼女だが、結婚→妊娠の流れからの活動休止が功を奏したのか(離婚というオチは気の毒だけど)、それともプロデューサーが変わったからなのか、相変わらずキツメのゴスさはつきまとうもの、今聴くと相当ポップでアイディアも豊富で楽しいカバーアルバム『唄ひ手冥利〜其ノ壱〜』くらいから(まあ活動休止前のシングルもしなやかだけど)、『勝訴』の頃のぱっつんぱっつん感は薄れ、もっと自由にかつアブストラクトに、音楽を作るようになった。そして自意識過剰サブカル感高まる先行シングル等を経てリリースされたのが、かの有名な『加爾基 精液 栗ノ花』。どうしてこんなタイトルになった
 筆者は、椎名林檎の作品ではこれが一番好きだ。自分にまとわりついたアングラなイメージを開き直ったかのように利用し、そこにRadiohead以降的な情報量が増加していってかえって情感は虚無的になっていくような時に暴力的・時に冷徹なサウンドと、自身のルーツでもあっただろうクラシカルなオーケストレーションとを、サブカルこじらせきった旧仮名遣いの唄でもって強引に繋ぎあわせた、サブカル演者椎名林檎最大のフリークショー。膨大なアイディアを込めた色合いのドギついテクスチャー。
 その冒頭に立つこの曲の、まさにRadioheadがオーケストラをバックに演奏するようなシュールさと重たさ、謎の高揚感と沈み感を併せ持ったサウンドは本当にすごいと思う。ひしゃげたバンドサウンドのむき出し感と、そこから過剰に盛り上がっていくオーケストレーションの殆ど力技な接続は、この時期の椎名林檎の想像力と、イメージコントロールの過剰な巧みさがビリビリと感じられる。グランジも、クラシックも、あと終盤取って付けたように挿入され虚無感醸し出すエレクトロ要素も、椎名林檎というアングラ風劇場の上で混沌と整頓の俎上に上げられる。その過剰な破綻と構築のアンバランスなバランスが、しかし天然というよりも彼女の演技センスによって練られている感じが、本当に真骨頂という感じがして最高だ。
 当時の東芝EMIの方針によりCCCDとなってしまった今作も、音響的にかなり拘ってそうなのに、不思議な感じがする。当時割を食った感は相当だと思う。

加爾基 精液 栗ノ花加爾基 精液 栗ノ花
(2008/07/02)
椎名林檎

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3. 俺の道(エレファントカシマシ)
 ↓エレカシのレコード会社遍歴(ご承知のこととは思いますけれども)
・80年代後半(デビュー)〜90年代半ば…エピック(ソニー
・90年代後半(お茶の間にブレイク)…ポニーキャニオン
・プレ世紀末〜00年代中盤…東芝EMI←今回ココ
・00年代後半以降…ユニバーサル
 東芝時代のエレカシは最悪だった。売れなかったことで有名なエピック時代よりも売れなかったという。それも、売れる売れないを気にしないが故の自由奔放で硬派な作風のエピック時代、その後ポップな方面に大成しお茶の間レベルのヒットを飛ばしたポニーキャニオン時代と比べると、東芝時代のエレカシは混迷の度合いも状況のシリアスさも相当に切実なものだった。
 東芝時代一発目のシングル『ガストロンジャー』で見せた“新たな攻撃フェイズのエレファントカシマシ”は旧来のファン等から絶大な支持を受けたが、しかしこの段階では宮本はソロ的な手法で楽曲制作を行い、結果『good morning』『ライフ』という前期東芝時代の2枚のアルバムは実質宮本ソロ的な作品になった。不幸なのは、ソロ的作品になったにもかかわらず、宮本が自己の問題意識をアルバムに十分に注ぎ込むことができなかったことだった。
 作品における自己表現が上手くいかず、かといって芸能人にもなれない彼の人生は停滞、下降に向かった。その苦しみの中で彼が芯を取り戻そうと拠り所にできそうな最後の場所が、バンド・エレファントカシマシだった。ここから後期東芝EMI時代という、バンド史上最も苦難・苦闘が連続する時期が始まる。ミニアルバム『DEAD OR ALIVE』でバンドサウンドにとりあえず回帰した後、彼らは武者修行のごとく、当時人気が出始めていた若手バンド(シロップやバックホーン、ハスキングビー等)との対バン企画『BATTLE ON FRIDAY』を敢行、バンドが軋む程に自分たちの奮起を促し、未完成の曲をライブで演奏する程の性急さ・形振り構わなさを見せ、若手バンドに“連戦連敗”(本人の認識)する日々を繰り返した。このとき彼ら既に30半ば越え
 そんな苦しみの末、ようやく完成したアルバムが『俺の道』。そしてそのリードトラックのひとつが、この曲。まさに上記対バン企画で初っぱなから未完成のまま演奏され、毎回ライブの一曲目を務めた楽曲であり、当時の宮本の捨て鉢ギリギリの熱くも必死な決意表明の曲だ。ともかくサビの熱量、未完成の頃から歌詞がなくスキャットだった部分をそのまま採用した辺りの、焦燥感と爆発力をそのまま音にしたような歌唱に圧倒される。幾ら克己の念を言葉にして並べても魂無ければ意味無しだと思うが、ここではその魂そのものを鳴らしている。そういうことができるボーカリストというのは、本当に希少だと思う。宮本浩次の本骨頂中の本骨頂。
 何気にこの曲の穏やかパートも、使われてるコードの不穏さやコード無視してリフ的に活用されるベースラインなど、オーソドックスなところから外れた、ややオルタナ指向なアンサンブルになっている。
 このアルバム辺り以降の後期東芝時代のエレカシのバンドサウンドは本当に素晴らしい。派手さはなくても、アイディアと集中力とで適度な緊張感とリラックス感のバランスが保たれた演奏が連発されていく。本人達的にも売り上げ的にも、東芝後期時代概ね地獄の季節かもだが、この時期のエレカシこそサウンドも歌詞も歌唱も、目を見張るような表現が多々含まれているように思う。
 そんな快作アルバムも、発売時期が悪くCCCDに。エレカシは『DEAD OR ALIVE』とこの作品がCCCDになった。次作『扉』以降は普通のCD(orCDエクストラという、動画のおまけ等を付けることで容量的にCCCDにできなくなる手法。CCCD時代には回避手段としてこのような手法も取られていた)でリリースされた。どこかでファンから「CCCDはやめてほしい」というメッセージを宮本が見てやめることとなった、みたいな話をどこかで聞いたけど実際どうなんだろ。

俺の道俺の道
(2013/09/11)
エレファントカシマシ

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4. 愛のCoda(キリンジ)
 キリンジ東芝に在籍していたなんて、この企画するまで知らなかった…。何しろ在籍期間が短い。シングルを3枚(そのうち2枚は発売時期が東芝からコロムビアへ移籍する直前だったためにアルバムに収録されず宙ぶらりんになった)とアルバム『For Beautiful Human Life』、あとライブ盤を一枚、これが東芝からのリリースの全て(同時期ベスト盤も出ているがこれは東芝移籍前在籍していたワーナーが販売元なので除外)。それまでとその後がずっと同じ会社に在籍していることから、この東芝時代の短さは際立ってる。どこかで移籍の理由が語られているのかもだけどよく知らない。
 ただ、そのアルバム『For Beautiful Human Life』も、キリンジの歴史全体の中でも、一際孤立した感じの雰囲気がある。それは、AOR/ソウル/ジャズそれにプログレといった大人シティポップ要素をキャリア中でも最も突き詰めたアルバムにこの作品がなっているからかと思う。もの凄く大雑把に言えば、ワーナー時代がカラフルなシティポップで、コロムビア時代はデジポップ風味→次第に牧歌的な方向に向かう、といった感じがする。その流れの中で、東芝時代の作品に感じるのは、他の時期以上に突出したアダルティな感じ、黒っぽい、夜っぽい雰囲気。特に『スウィートソウルep』→『For Beautiful〜』の流れはジャケットも黒く夜っぽいからよりそんな雰囲気がある。
 実際この二作の曲はアダルティなポップスすぎて、ただでさえこういう方面の視野が狭く知識も無い筆者では、他の時期のキリンジも語るのが難しいのに、ますます困難…。ただ、そんな自分でも曲の凄さは多少なりとも分かるわけで、特にこの曲のシティポップスとしての極北な完成度は、ただただ「すげえ…」と溜息が出る。メロディの、各セクションの流麗さとその接続の巧みさ・しなやかなロマンチックさ、言葉の映像美・ストーリー感・日本語でここまで出来るのか…実はスペイン語なんじゃないのか、とさえ思うほど滑らかなリズム、コーラスも含めてビターで適度にウェットでエロ味のある演奏等々々…。
 サビ箇所のリフレインするメロディが、最後ふわっと持ち上がるところはこの路線のキリンジの最も極まった場面ではないか。その瞬間、汗も血も香水のように香るようにさえ思える。
 日本の音楽界が積み上げてきたアダルティな歌謡曲文化の積み重ねを経て、またスティーリーダンだとかもあって、ソウルもジャズもあって、そしてこの曲があるのだろう。Lamp等後続のアーティストは勿論のこと、個人的にはYUKIの『うれしくって抱きあうよ』(曲の方)辺りとも共通するこの質感、そしてしかし、キリンジじゃないとここまでの静かで優雅でかつちょい倒錯した凄みは出ないのでは、と思ってしまう。
 で、アルバム『For Beautiful〜』、なんかCCCDだったような気がしたけど、今回改めて調べたらCDエクストラ規格でCCCD回避をしていたとのこと。そんなとこまでスマートだったのか…この時期の堀込兄弟イケメンすぎる…。どうやらキリンジの作品にCCCDは存在しないらしい。

For Beautiful Human LifeFor Beautiful Human Life
(2013/09/25)
キリンジ

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5. 麝香(小沢健二)
 小沢健二がソロ以降ずっとEMI所属であるということはちょっと意外だった。ポリスターでもポリドールでもコロムビアでもなくEMIフリッパーズギターからソロに移行する段階で、お茶の間まで届くポップスを指向していたがゆえの会社の選択だったりするんだろうか。
 ソロ開始後しばらくして、彼は本当に紅白歌合戦にまで出場してしまう“お茶の間レベル”の歌手になってしまう。君のお母さんも知ってるだろうレベルの。彼は頭も良く器用だから、そのキャラクターについても上述のエレカシ宮本以上に上手に使いこなしていた(らしい。なにせリアルタイムで観ていないから本当にどうだったのか分からんの辛い…)。ずっとそういう“芸能人”として振る舞うことも出来たはずだ。
 しかし、その後の日本の音楽業界からの“離脱”っぷりもまた極端だった。97年の何か決定的な雰囲気のある『ある光』と、老後を夢想する若隠居な『春にして君を想う』をリリースした後、彼はぱたっと全ての(世間が目に出来るレベルの)活動を休止してしまった。
 その後何年かして、マーヴィン・ゲイのトリビュートへの参加を挟んで、本人からのコメント等も希少のまま突如リリースされた『Eclectic』は、そんな“消えてしまった人”からの久々の便りとしては、あまりに変容が大きくまた深過ぎた。王子様的なキラキラポップさは全く影を潜め、終始R&B/ソウル/AORを煮詰めた、ダークでエロティックなシティポップが展開される様は、殆どの彼を好きだった人が予想も期待もしていないことだった。小沢健二の伝説化とともにアーカイブ化が進んだ現在なら、活動休止直前の彼の80年代趣味からの接続をやや強引に見ることも出来なくはないが、それにしてもまだ全然飛距離がありすぎる。『今夜はブギーバック』のリメイクと比較的ポップなこの曲が入ってなければ、彼の帰還を待ってた当時のファンでさえこの作品の掴みようが無かったのではないか。
 比較的ポップ、とは言うものの、この「じゃこう」と読む曲もアルバムの他の曲と同様に、深夜の大都市のホテルのある一室で展開されているようなダークでエロな雰囲気は変わらない。この曲がポップなのは、比較的言葉数が多く歌のリズムが軽やかであること、ダンスチューンとして聞ける程よいテンポを有していること、割と歌メロがパリッと立っていること、そしてぐっと奥行きのあるCメロが用意されていること、辺りだろうか。しかし、“小沢健二”のイメージをひとまず置いてこの曲を聴くとき、これらの要素は確実にポップなスウィートネスを醸し出していて、聴いてて心地よい。ポップ職人としての小沢健二の手腕は、大きく形を変えながらも、ここでは十二分に発揮されている。あまりR&Bを聴かない人でも“あら、R&Bもなかなかいいものねえ”くらいに思えそうな、ギリギリのキャッチーさと、それで捕まった後の不思議な奥深さ(どこか本物の黒人のソウルとは異なる、無機質っぽい感じが個性になっていると思う)。
 と同時に、この曲のメロディや節回しからも、汗や血が香水のように香るような質感がする(…というか、このフレーズはこの曲の曲名から発想したのだけど)。手法や指向に大きな違いはあるかもだが、筆者にとってこの曲は上記のキリンジの曲と同様に“日本人のアダルト・シティポップの名曲”としてカテゴライズされてる。シティポップの文脈でいけばこの作品も、後続に影響を与えた作品ではないかもしれないが、同じ雰囲気を目指した作品群のひとつとして扱うことは可能なはず。いわば“アーバンブルースへの貢献”というか。
 時期的に、東芝CCCDを始める前だったからか、CCCDを回避している。しかし後に出た『刹那』が当たり前のように普通のCDでリリースされたことを考えると、もし時期が違っていてもCCCDは回避していたのだろう。
 ちなみに、後に彼が日本でライブ活動を復活させた時のこの曲は本当に素晴らしい。演奏も歌唱もより地に足着いた感じになっているのがポイント。もし彼がこの作品の後R&Bシンガーとして精力的に活動してたら…なんてことを、少しだけ考えてしまう。

EclecticEclectic
(2002/02/27)
小沢健二

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こうして見ると、この時期の東芝EMI作品のジャケットは黒いのが多かったみたいです(恣意的にそういうのを集めて並べた感もなくはないが)。

『COMITIA109』スカート

本当に素晴らしい町田洋氏書き下ろしのジャケット!のこれは今度発売されるスカートの新譜12インチ『シリウス』。
今回は、その下敷きとなったであろう、コミティア109やライブハウス等で販売されたCD-R作品『COMITIA109』(スカートはこういうリリースが多いのも大きな特徴ですよね)をレビュー。収録曲4曲中3曲が『シリウス』にバンド編成にて再録されますが、今回のCD-Rは澤部渡氏のほぼエレキギター弾き語りの宅録作品。しかしそれでも全然香り立つ楽曲の良さ。
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そして今度の『シリウス』ではお預けとなった『ワルツがきこえる』の名曲感。


1. シリウス(仮)
 イントロのコード感やカッティングのリズム感から自然と立ち上がってくる浮遊する感じ、ロマンチックな感じが、曲が展開していくごとに大きくなっていく。スカートのソウルっぽい部分もメロウな部分も独特のコードの爽やかさも併せ持った曲で、バンドサウンドで録音されれば歴代スカートの楽曲でも最も壮大なものになると思われる。
 落ち着いたAメロから情熱的なコードチェンジをしていくBメロを経て、サビ。このサビも2段構成のように思えて、前半の落ち着いたパートと後半の一気にメロディを駆け上がり降りていく箇所、そこを取り繋ぐ歌唱のダイナミズムに、あっさり風味の弾き語りながら澤部渡のボーカルセンスが際立っている。そしてサビ後のコードカッティングの、情熱が宇宙遊泳していくような感じ。この曲のタイトルにも今度発売される『シリウス』のジャケットの絵にも繋がっていくようなスケール感が、透き通っていながら情熱的なスカートの世界を更にリフトアップしていく。息を呑むような静けさと遥か彼方を目指すような勇敢さ。
 『シリウス』発売に寄せた本人のコメント(上記ナタリーのページにも記載されています)で、「自分の中で転機になり得る曲」ということで、「曲が出来上がって「これはなんとかしなければならない!」という衝動に突き動かされたのは2011年発表の“ストーリー”以来のこと」ということで、本人にとってもとても大事な曲であることが伺われる。『ひみつ』のマイナーチェンジ、という感じもあった『サイダーの庭』を経て、スカートがよりビッグなスケールのバンドになりそうな予感を、このデモから十分に感じられます。
見えない続きが知りたくて鍵をさしこめば/君に逢えるような気がするんです
 冷たいその指に触れたら/いくつもの帰り道を照らす道標になるのに

2. どうしてこんなに晴れているのに
 『シリウス』発売に寄せた本人のコメントにおいて「憎めないショートポップ」と紹介された曲。その自己認識に違わず、『花百景』『ラジオのように』などの系統の、スカートお得意の手乗りサイズのキュートなポップス感が弾き語りながら味わえる一曲。
 フォークチックで温もりのあるAメロからカッティングが光るぐっと締まったBメロ、そして切ないメロディの裏でJPOPの良質なドラマチックさを引っ張ってきたようなコード展開を見せるサビへの展開はポップスのお手本のよう。また、Aメロ→Bメロ→サビ→間奏→サビという展開で曲の尺を節約し、Aメロの末尾を変えて切なくも晴れやかに終わる構造も、奥田民生とかにも繋がりそうなドラスティックな曲構成のセンスをナチュラルに聴かせている。歌い方もかなりソフトで、バンドならもっとバリッとした歌に仕上りそうなところを、寝起きに歌うような弾き語りデモチックな仕上がりになっていて、優しい感じがする。
諦めも/さよならも/いつも僕のすぐそばで寂しそうなふりをするんだ
 あと少し/あと少しだけ見つめて

3. タタノアドラ
 イントロの響きを聴いた瞬間に、「えっ、これスカートの曲?」と一瞬たじろぐような、そんなダークさで終始する、スカートとしては異色、と言い切っていいだろうダークポップ。「今までのスカートとはまた違ったシリアスさをのぞかせる」という本人のコメントに嘘はない。完全な新機軸。
 かなり深めのリバーブがかかったギターが奏でるコードが実に不穏。歌メロのサビっぽい部分はそれでも細やかなカッティングなどスカート的なコード感もあるが、メインとなるのは不穏さ。これまで夜っぽい曲はスカートにもあったが、そっちではなくもっと邪悪で虚無的な感じのダークさ。コードカッティングに添えられたもう一本のギターもゆらめきのようなフレーズで不穏さに浮遊感を加味してくる。
 歌い方もコードと同じ方向を向く。普段のソウルフルさや溌剌さは影を潜めて、囁くような、吐き捨てるような歌唱で、いつになく輪郭の曖昧な呪詛のようなメロディを放っている。特に最後のサビ部分後は、比較的溌剌としたサビ部から、一気に途切れ途切れで幽霊のような歌い方になり、危うい情念すら感じさせる。
躊躇う指でブザーを鳴らせば/戻れないなんて/分かっている
 閉じ込めたいのか/満たされたいのか/影が伸びて夜が夜になる
 欠陥があるなら/ゼロのどこかだ/強いライトが俺を刺す

歌詞もかなり鬱屈したものに見える(ちなみに澤部渡氏のブログに今作の歌詞が全て掲載されている)。性的にも取れる数々の表現はこの曲がまるでスカートじゃなくて他のもっと陰鬱さを表立たせたバンドのように感じさせる。
 『シリウス』ではバンドサウンド、それもベーシックの四人にゲストを迎えての演奏ということで、この曲のカオスなムードがどのように表現されるのか、ちょっとドキドキする。

4. ワルツがきこえる
 この曲だけ『シリウス』に再録されないこととなった。しかし上記サウンドクラウドで試聴できる通り、スカートのメロウサイドを極めたような楽曲で、実際にライブでも演奏されているし、遅かれ早かれバンドにて録音がなされ、何かしらの全国流通盤に収録されるものと思われる。
 息を呑むようなメロディを、これまでもスカートは幾つも作ってきた。しかしこの曲のメロディのジェントルさは何だろう。スタンダードナンバーのようなコードの響きの上で、持ち味の甘くてソウルフルな歌唱が奏でるラインはどこまでも可憐で物悲しくも優しい。
 とりわけ美しいのは、この曲で唯一別のメロディへ展開する部分、一気にメロディが持ち上がり、ワルツという単語が醸し出す優雅さそのままのメロディを奏でて、そしてそこから元のメロディに着地しながらも、それがどんどん発展して、歌唱のメロディが元のコード進行に溶けていくところ。声質のあどけなさと歌唱力の大人っぽさのアンバランスな魅力がこの箇所では、歌詞(下記抜き出しの通り)も含めて、本当に息を呑むようなロマンチックさと優しさで発揮されている。デモ音源にこんなことを言うのも本人に失礼かもしれないけど、スカートのベスト歌唱ではないかとさえ思ってしまう。
それでも二人には居場所がないんだ/ああ/花を飾りたい
 手探りでもいいと抱き寄せてみるけど/冬は長くて
 いつか痛みも慣れてしまうのだろうか/懐かしいあのワルツがきこえる

 余談。『シリウス』のジャケットは町田洋の書き下ろしとなったが、その町田洋の代表作『惑星9の休日』(この作品も、SFのガジェットを使用して、ロマンチックで感傷的な幾つもの瞬間を書き出した、素晴らしいマンガだ)の中に「衛星の夜」という短編がある。ネタバレを避けて言えば、この作品の中で“ワルツ”という単語がとても印象的に使われている。翻って、スカートが町田洋ジャケットの作品を作る際に、この『ワルツがきこえる』という曲をその作品に収録してしまうと、ジャケットのイメージが俄にその「衛星の夜」に引っ張られてしまうのではないか…という懸念があって、この曲の『シリウス』への収録が見送られたのではないか、というのが筆者の考えた思い込みのストーリーである。


 以上4曲。
 正直、かつてない意欲作なのではと思ってしまう。新機軸が2曲(スケールの大きさという意味で「シリウス(仮)」、これまでにない曲調ということで「タタノアドラ」)、そして純度があまりに高過ぎる「ワルツがきこえる」。ここには『ひみつ』→『サイダーの庭』の時よりもより大きく“変わっていこう”とする澤部氏の思惑が感じられる。むしろその思惑から来る焦燥が、ミニアルバムやアルバムではなく、4曲収録というシングルサイズの『シリウス』制作という性急さに向かったのではないか、とさえ思う。
 強調したいのは、スカートがいよいよその持ち前のロマンチックさをより大きく羽ばたかせようとしていることだ。元々から、唯の良質インディーポップバンドに留まるはずのない実力も鮮烈さも情念もスカートは持ち合わせていたと思う。それが次作『シリウス』では遂に大爆発するのではないか、これまで以上に甘い夢のようでかつ傷だらけのようなロマンチックさを携えて、澤部渡のリリシズムが殺人的なレベルに変容するのではないか…そんな予感をこの『COMITIA109』に感じて、今回精読ならぬ精聴した(し、普段からとても魅力的な4曲で愛聴してる。っていうか既に十分殺人的だと思います)。『シリウス』予告編として、あまりに強力過ぎるCD-R作品。

 最早半分『シリウス』のレビューを書いているような気持ちでここまで書いたところ。個人的にはターンテーブルを持っていないのでレコードは聴けないけれども、それでも曲は凄く欲しいし、またジャケットの誘惑も強烈。すごく悩める…。

『LOVE/HATE』ART-SCHOOL

 ART-SCHOOLの2ndフルアルバム。重くて暗くて救いようが無いが、一部で最高傑作とも言われる。ついでにバンドの内情も最悪で、この後ライブ盤一枚出してベース日向とギター大山が脱退する(この二人が後にストレイテナーに加入することは、最早そっちの方が有名か)。故に、所謂“第一期アートスクール”において最後のスタジオ録音となる。収録曲数15曲(初回盤のみ)はベスト盤・ライブ盤以外では最大。
 荒野のようなジャケットは実はブックレットではなく六面折り曲げ型。広げると荒野というよりも畑みたいになってる。第一期メンバーの四人が並んで立っている(一人しんどいのかしゃがんでいる)姿が印象的。
 CDエクストラ仕様(そんなのあったなあ…)で、今作に未収録となった『SWAN SONG』『LILY』のPVも収録。これはお得仕様である以上に、当時東芝EMIも含め業界で猛威を振るっていたコピーコントロールCDを回避するためとも言われていた。当時から木下はCCCDはおかしい、といった発言をしていた(はず)。今となってはすっかり昔のことのようにも感じられる。

LOVE/HATE(初回)LOVE/HATE(初回)
(2003/11/12)
ART-SCHOOL

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1. 水の中のナイフ
 パワーコード四つ!重い!シャウト&ディストーション!といった、グランジバンドとしてのアートスクールを先行シングルの次曲とともに強烈にアピールするグランジ曲。前アルバムでの衝動一直線で爽やかさすらあった幕開けとは明らかに違う、キリキリさと鈍重さが交錯するアルバム冒頭となっている。
 メインのリフはモロNirvanaグランジ色全開。ディストーションでブッ潰れきった音色と音圧。そのコードと同じコード進行を持つAメロの部分は、その無骨な進行から絶妙にポップで緊張感のあるメロディを取り出して、もはやLOVE/HATE期の象徴3音のアルペジオとベタ弾きのギターでコード感を曖昧にした上でキラキラ加減と殺伐さを演出している。
 サビの絶叫のようなフレーズは、言葉も相まってグランジ特有の虫ケラ感全開。グチャグチャで不全な感情を吐き捨てるように歌う。バリバリのパワーコードの鳴りの横でよく聴くとリードギターも別のラインを弾いているのが聴こえる。当時のバンド内のパワーバランスを少し感じる。
 サビの後のメインリフには更にとどめのようなフレーズ。途中から入ってくる短いブレイクとシャウトの、とても投げやりなエモーションを絞り出すような演出。ブレイクの度にバンドがたわむような感覚がするのは、ドラムを中心にこのアルバム的な重量感をとりわけ雄弁に表現している。
 歌詞。Aメロ部では荒涼感をささくれた情景描写で展開している。
いつだって雨が、ただ此処に降り注ぐ/むき出しの傷跡に/ひび割れた硝子のびんに
そこからのサビのフレーズは、まさに身も蓋もないような、身を切るような言葉が選ばれている。特に2回目サビのフレーズは、こじらせた系男子には堪える名調子。
そうさ/いつも光の中/君は淡く揺れていた
 そうさ/いつも影の中で/身動きさえも取れやしないんだ

そしてとどめのリフレイン。自らを抉り出す感覚。
I wanna be twisted/Just wanna be twisted
 LOVE/HATE期の曲では『UNDER MY SKIN』に次いでライブでも頻出で、そのせいかシングル曲である次曲を差し置いてベスト盤に収録されている。このアルバムは曲間がないように作られているが、このアルバムのトラックをそのままベスト盤に収録しているのでそっちで聴くと終わり方が唐突に感じる。

2. EVIL
 2012年にグランジ復活!的なノリで『BABY ACID BABY』がリリースされた後でも、グランジ的な濃度はアート全楽曲中トップではないかと思えるこの楽曲。前曲の重さの部分を特に良く引き継ぎ、アルバムの重さが強調される。先行リリース済みなのでレビューはこちら。このアルバム、曲間なしで繋がってるから、このトラック単体で聴くと始まり方がぎこちないので単体で聴く場合やっぱシングル必要か。

3. モザイク
 前アルバムが冒頭から疾走曲の連打だったことを思うと、今作は先頭からこの曲まで連続してグランジナンバーが続くのか…。前曲のカラカラ乾き気味グランジと比べるとこっちはより湿度と空気感が多め。シャウトのヤケクソ加減ではアルバム中最高か。これも先行リリース曲でレビューはこちら

4. BUTTERFLY KISS
 前曲までのグランジ連発の殆ど捨て鉢のような勢いを見事に受け止める、柔らかくて優しいサウンドの楽曲。LOVE/HATE期の象徴のひとつである他の楽器より先に入ってくる終始鳴りっぱなしのSEの柔らかな音と、やはり柔らかいアコギや、サビや間奏のシューゲイズ風味なギターの重なりがとても奇麗。これまでのいかつさと打って変わって滑らかなプレイのドラムなども軽快で心地よい。明るくポップなメロディにもたゆたうような感覚が反映され、その淀みない流れがサビ後の「Tonight」とファルセットで連呼するのに収斂する様はとてもキャッチーでかつ甘くて切ない。
 サビで吹き出してくる多重録音と思われるギターの音の揺れ方は絶品で、ノイズポップ/シューゲイザーの要素がアートの楽曲中でも最上級にキラキラしてフワフワしてファンタジックで、かつサビの歌詞と相まって、ノスタルジーと虚しさがないまぜになったような感覚がある。四つ打ちのドラムもダンスフィールというよりも、夢見心地の轟音サウンドが浮き上がるのを目的としていて、その効果を存分に発揮している。
 歌詞も、曲のキラキラ感を冷たくも暖かい光景で着色する。
氷を砕いて歩こう/何にも話さなくていい
 何より/澄んでいるから/冷たく乾いた朝に

また「彼女は死んだ」という木下歌詞で頻出のフレーズが「美しい人に(人に限った話だろうか)、本当の意味では触れる事ができない」ことの比喩だと明かすような内容の歌詞でもある。
光の中へ君は/触ろうと手を伸ばしたのさ
 僕は思い出すんだ/永遠に触れなかった事を
 Tonight

本作のポップでメロウな部分を担う、穏やかだがとても強力な一曲。

5. イノセント
 今作でもパワーポップ度合いは『ジェニファー'88』と並んで比較的高めな曲だが、よりストレートにポップな『ジェニファー』に比べてより翳り・悲壮さを感じさせる。
 曲間繋ぎも兼ねるエフェクト音をバックにブリッジミュート・揺れの両ギターとせり上がるリズム隊ではち切れんばかりの静パートと、絶叫のようにも感じられるがポップな勢いもあるメロディの飛翔と、このアルバム的に酷く歪みきったディストーションギター、無骨そのものなドラムが印象的なサビの動パートとのコントラストは、全編陽性なコード進行にも関わらずかなりグランジチックに感じるし、Smashing Pumpkins的なロマンチシズムもあるように思える。
 二度目のサビ以降にリフレインする旋回するギターフレーズが特に印象的だが、これはThe Cars『Just What I Needed』のシンセフレーズからの借用。元ネタ曲の最終盤に登場するこのリフを、特にこの曲のアウトロではアートの曲では本当に珍しいフェードアウトの中トコトン使い倒す。元ネタ曲を知らずに映画『Boys Don't Cry』を(おそらくはアートのライブアルバムのタイトル元ということで)観て、エンディングで元ネタ曲が流れた際に「あっこのフレーズ…!?」となる人もそこそこいるのではないか。次曲と続けて、そっくりそのまま借用したフレーズを使い倒す流れ。
 歌詞は、タイトルの通り、イノセンスの喪失について。比較的前作アルバムチックか。サビは、フォーリンダウン芸人的な木下節。
I'll fall down with you/ただ灰になったんだ
 I'll fall down with you/痛みも感じずに

そんな中でも、LOVE/HATE期特有のドラッギーな陶酔感が垣間見える。
街路樹の下/二人は重なって/愛されたいと初めて思うんだ
 静脈管に愛を射つだけ/哀しみさえも透き通って

 なお、この曲のサビのメロディは後にアルバム『Flora』収録の『LUNA』に、またヴァースのブリッジミュートギターのコード感は更に後にKilling Boyの『You And Me,Pills』に、それぞれ流用されている感じがある。

6. アパシーズ・ラスト・ナイト
 Smashing Pumpkinsのレア曲『Apathy's Last Kiss』をシングル『UNDER MY SKIN』収録の『JUNKY'S LAST KISS』と分け合った感じのタイトルの曲で、そしてある種典型的とも言える素晴らしい木下節のサビを持つミドルテンポで重ための楽曲。
 延々とリフレインするアルペジオフレーズと休符を効かせたベースの醸し出す重たい雰囲気が陰気でかつ耽美。アルペジオのフレーズはHouse Of Love『Shine On』の借用で、終始延々鳴り続けてるので、本当に借用したものをとことん使い倒している。それがちょっと可笑しいけれど、フレーズ自体は元ネタ曲とまた違った趣で陰惨に響くところにセンスが出ていると思う。
 サビのメロディの飛翔の仕方。これぞ木下節!と言いたくなる切実なメロディの飛翔、細い声の張り裂け具合がヒリヒリとした美しさを醸し出し、そして歌詞の通り沈んで、間奏の嵐のような轟音の中にファルセットで溶け込んでいく。この一連の流れの、ダウナーなまま浮かび沈むような痛ましさ・虚しさがこの曲最大の魅力。『ウィノナライダー・アンドロイド』や『水の中のナイフ』等のサビと同じコード進行だが、この曲のメロディは出色の出来だと思う。
 グランジニューウェーブの間の子のような轟音も、痛ましければ痛ましい程悲痛な輝きを増すメロディを最大限に活かしている。というか間奏相当ギター重ねてあるな…混沌としたサウンドと、その中を彷徨うようなファルセットの対比も素晴らしい(というか轟音に重ねられる木下のファルセットは、第1期アート最大の魅力のひとつであるとさえ思う)。
 ダウナーで混沌としたサウンドの中を漂う歌詞は、相変わらず逃避をモチーフにしながらも、内容はかなりエロさと惨めさ増している。最後のヴァースのカットアップ的な部分がその痛々しさを得に象徴している。
射精、夢、アパシーズ/噴水、愛、傷跡/二人だけの国で失ってばかりね
エロ要素は、特に第2期以降より露悪的に表現されるが、そこへの過渡期なためか、ロマンチックさとエロとそしてLOVE/HATE期特有の救われなさが絶妙に共存している。
光にさらされ/二人は溶け合って/光を失くして/何処へも飛べずに
 光にさらされ/このまま沈めて/沈めて

 次曲とともに今作の最も虚無的なゾーンをサウンド・歌詞両面から形成する。壊滅的なダークさの印象でもって、次曲の圧倒的な荒廃感を際立たせもする名曲であり、素晴らしい曲順。

7. LOVE/HATE
 今作のタイトル曲。アートスクールの楽曲で最も虚しくも凄惨な、又は虚無に飲み込まれたグランジバンドの辛うじて演奏された最期の一曲、といった風情の(そういう意味で、個人的に設定した「LOVE/HATE期虚無グランジ三部作」の最後にして最悪の楽曲と捉えている)、今作のジャケットの光景が浮かぶような、圧倒的にどうしようもなく荒廃しきった光景を表現しようとバンドがのたうつ曲。
 フィードバックノイズのようなSEが延々と鳴り、目眩を引き起こす光の類みたいな印象がある。これに導かれて入ってくる演奏の、恐ろしい程の覇気のなさ。無骨過ぎるドラム、けだるく下降していくベースラインと、最早演奏者の魂が抜けてしまったような単調なアルペジオ、そして言葉のリズム感も歌い方も息絶え絶えな、まさに這いつくばった歌メロディ。それらが重なって出来るのが、美しさより虚しさばかり感じられる、覚醒できない混濁した意識で見る光景のような、淡く歪んだ響き。
 サビの部分も、ピアノの高音が先のSEと合わさり、意識が溶けていくような雰囲気。ドラムのオープンハイハットばかりが音圧を稼ぎ、飛翔できないしグランジ的に炸裂もしないメロディは諦めに満ちている。そして「もういい」と囁く中やっと登場するグランジ要素、これがまた二本のギターの休符を強く意識したプレイで、曲のささやかな潤いすら断ち切るような、捨て鉢のエモといった鳴り方をする。そして二曲連続となる、演奏の轟音と木下の意識が希薄になっていくようなファルセットの交錯に辿り着く。前曲に比べると演奏も声もより薄く単調になっているが、実にLOVE/HATE期的な3音アルペジオと、同じ音をかき鳴らし続ける方との二本のギタープレイがそれがかえってこの曲の荒涼感をどこまでも引き延ばしていく。
 歌詞。見事に凄絶なダメさ・無力感が描かれる。そこには、アートスクール的世界観といった耽美な痛々しさではなく、当時の年齢の記されたフレーズ(「25歳で花が枯れた」)もある通り、この時期の木下個人が陥った(=結果的に辿り着いた)切実に荒廃した状態が覗かれる。
千の天使が俺の中で/羽根を焼かれた今、眼の前で
かつて『ダウナー』(『MEAN STREET』収録)で現れた中原中也からの借用は、よりずっとダウナーなこの曲において遂に焼かれる憂き目に遭う。
どんな時も/完璧で/誰からも/愛されて
 一度だけ/味あわせて/その気持ちを/それだけでもういい/もういいよ

LOVE/HATE期に散々繰り返された、劣等感や逃避願望に基づく「もっと他の人生を生きたい」という切望の、この時期の最終地点だろう。妄想的・ノスタルジー的なトーンを極力排して、ただ一度一瞬だけでも完璧な実感を受けたいという願望(それもまた妄想なのだけど)。“完璧であること”への願望はSmashing Pumpkinsの歌詞でもよく出てくるのでその影響もあるかもしれない。また、今作より後の作品でもこのテーマは形を変えて登場し、木下の憂鬱な世界観のひとつのバックボーンとなっている。
 サウンド・歌詞ともに当時の木下個人のコアな部分を最も出し切った感じのある楽曲。本人は、ライブ中に歌ってて泣いたのはこの曲だけだ、と話している(MARQUEE vol.56)。大事な曲だからか、今でもライブで時々演奏されることがあり、このスタジオ録音とはまた趣の違った超轟音ナンバーとして演奏される(『汚れた血』とかと同系統の演奏が展開される。こちらも素晴らしい)。

8. ジェニファー’88
 前曲でアルバム中で最も憂鬱になったところから、勢いのあるこの曲で仕切り直し、といったポジション。既発曲だけど、このアルバム中で最もカラッと明るくポップしている(歌詞はともかく)ので、この後も沈み系の曲が続く中でいい息継ぎになっている。レビューはこちら。なんでシングル4曲中3曲もアルバムに入れたのやら…どれもアルバムによくハマってるとは思うけど。

9. BELLS
 前曲の爽やかな勢いから一転、また陰鬱な混迷を感じさせる砂嵐的・フランジャーライクなノイズを延々とバックに流しながら進行するメロウでかつ緊張感と浮遊感が両立した楽曲。
 件のノイズはインタビューによるとJ.Mascisのソロアルバムの最後の曲(『Leaving on a Jet Plane』?)での「ぐぉぉぉぉ」みたいな音を出したくて木下と日向が頑張った末の音だとか(当時はこの二人が音楽的にバンドを牽引していたらしい。今作は日向が弾いたギターもかなり録音されているのかも)(MARQUEE vol.56より)。そのノイズの上で、やはり3音のアルペジオ(今回はフレーズが微妙に変化する)を中心に何本かギターが重ねられ、今作では珍しいピアノのダビングも行われて、この曲ではその轟音が鳴り響いたり適度なタイミングでブレイクしたりといったプレイが曲調を作っている。特に間奏や最終盤のブレイクはどこか『 OUT OF THE BLUE』にも似たざっくりさと寂寥感がある。一番の聴きどころは間奏最後のフィルインが途切れてピアノの音だけ「ピン!」って入るとこ。ドラムも延々と叩き付けるようなつんのめったプレイをしており、これも曲調の行き詰まった浮遊感の演出に効果を果たしている。
 歌メロは淡々としたAメロと辛うじてシャウト気味に歌唱しているサビの繰り返しで、やはり全体的に憂鬱さが目立つ仕上がり。というかAメロは『TEENAGE LAST』の流用っぽく聴こえる。
 歌詞。やはりサビのRunnaway連呼が、当時の逃避願望を直接的に表している。
Runnaway 俺の目には/Runnaway 映るだろうか
 Runnaway 穴があいた/どれだけ誓い交わしたって

あと、歌詞の中で想っている女性の描写の微妙にフェティッシュな感じ。これは次曲にも共通するところだ。
そばかす/レインコート/柔らかい耳の形
 本当は知ってたんだ君が云おうとした事

 ある意味、この曲のアルバム中での最大の効果は、この曲の轟音が薄れた直後に次曲の爽やかなアコギのイントロが入ることかもしれない。

10. SKIRT
 個人的にはこの辺りから『しとやかな獣』までがこのアルバム最大の山場だと思っている。この曲のみっともない呻き、シャウトはこのアルバムでこそ映えると思う。間奏のブレイク以降の展開はこのアルバムの荒涼とした地平を俯瞰し、そのどうしようもなさを歌詞も無しに叫ぶような感じがして最高だ。既発なのでレビューはこちら

11. UNDER MY SKIN
 既発曲を並べただけなのに、前曲からのつながりが最高に良い。前曲の終盤の勢いをそのまま受け継ぐためにこそあったようにさえ思えるフィードバックノイズ、そして例のベースのフレーズからの速いテンポは、開放感と、この曲ならではの空がどこまでも開けてるゆえの閉塞感(?)とが合わさってもの凄くぐっとくる。レビューはこちら

12. プールサイド
 前曲の勢いを一旦ぶった切るように柔らかな3音アルペジオが鳴り響く。このタイトル通りの水中っぽさの中を演奏がオンオフする轟音ナンバーで、個人的には『シャーロット』『IN THE BLUE』等と同じ扱い(つまりアート的な轟音の名曲)。
 アルバム後半の曲の中でも特に静と動の落差が大きい曲、だがその振幅はモロにグランジ的なものではなく、オルタナ/シューゲイザーを通過した故の感覚、つまり上記の他のアートの楽曲にも共通するような「奥行きを感じさせるAパート」と「轟音に沈み込むようなサビパート」の対比とそのある種の感覚の連続性、といったものが、この曲でもよく現れている。
 Aパートの演奏。要素で見るとそれほど多い訳ではない音が、とても有機的に水中っぽさを表現している。3音アルペジオ、同音反復のギターカッティング、曲の下部をふち取るようなタメの効いたベース、内にこもっていくようなSE。そこに潜む木下のボーカルもまた、沈みすぎず浮きすぎず、絶妙な抑揚でメロディを形成する。
 ドラムの相変わらずのスネアフィルから、一気に沸き出すように始まるサビパート。重厚に重ねられたギターノイズの水中をたゆたう感覚と、その中を推進力として強力にかつ機械的に駆動するドラム(第二期以降のアートにも繋がる感覚か)で構成される轟音の心地よさ。この曲ではその叩き付けるような轟音が、全く直線的になったベースの働きもあってか、少し疾走感・焦燥感も帯びているのが特徴か。木下の歌もまさにこの時期の轟音ファルセットボーカル、その最上のものであり、トーゥールル…といったコーラスが轟音に溶け込んでいく様は、本当にこの暗い水槽の中のような轟音を、水槽の中のまま世界のどこまでもいけるんじゃないかと思わせてくれる。
 歌詞。曲順的にそう思うだけかもだが、もはやLOVE/HATE期の、いや第一期アートの総決算のような感じさえしてくる。
影の中/光を壊せば/君はちょっと/嬉しそうだった
 ヘロインと愛/あるいは感情で/抜け出そうと/そう誘ったんだ

曖昧で繊細で可愛らしい表現と、逃避願望と薬物の混濁が平然と並べられたこの最初のヴァースからして、理想・空想と現実的な手段との乖離、その痛々しさが見てとれる。
プールサイド/ただ君に見せたかった場所があるんだ
 プールサイド/水の中で感情を失くして泳ぐ/二人で

子供のように純粋な感情の上部と現実的に虚しさを背負ってばかりの下部で、やはりサビも対比的になっている。かつて『Requiem For Innocence』と謳ってみたところでしかし何も変わらないこのアホみたいな純真さがずっと消えないことが、木下作品の音楽や情緒の底に強くあるんだと思う。
 かつて『プール』という曲を作っていたために同タイトルを避けるべく『プールサイド』というタイトルなのかと穿って見てしまう。その『プール』『レモン』と並べて「第一期アート水の中三部作」(他にも水中の歌詞の曲あったかもだけど)の大トリとも言えるし、『シャーロット』で一旦到達した「得体の知れない感じ」に再び入り込んでいる感じもある(し、全く違うようにも思える)。何はともあれ、第一期アートの中でも最もイマジネーションに富んだ楽曲のひとつだと思う。

13. しとやかな獣
 前曲最後の水中をたゆたうようなSEから、唐突にこの曲の“開けた”音に遭う。今作も最終局面、これまでのキリキリしてどうしようもない世界観の“落としどころ”としての役割を見事に完遂する、陽性コードでジャケットのような荒涼とした光景に夕日が射すような、息も絶え絶えなポップさを発揮する楽曲。
 揺れるギターとアルペジオの対比されたイントロ。ほんの少しR&Bテイストなタイトなリズムが、今作でこれまでになく開けた地平をイメージさせる。コーラスがかかったギターの響き方が、少ないカッティングで澄んだ奥行きを作っているのがいい。木下のメロディも、浮つきを排し地面を確かめるような落ち着きがあり、そこから今作でも最も自然に、飛翔するサビメロディへと連続していく。
 サビの演奏はRadiohead『Black Star』を下敷きにしている(というか、全体的にこの曲の影響下か。イントロの終わり方とか。あと三回目サビ前のギターのミュートカッティングも絶対レディへ意識してる)。下降していくギターリフのリズムがバンド全体ごと揺さぶるようなアンサンブルで、特にドラムがいいバタバタ感を出している。
 サビの回数を重ねる度に、サビメロが長くなっていく。それに合わせギターの重力感・オクターブ弾きなどの装飾も大きく、壮大になっていく。最後のサビの後ララー調でコーラスが入ってくるところはまさに今作の混沌をくぐり抜けて、歌詞の通り地面に足をつけるようなしとやかさがあり、感動的。
 歌詞。他の曲で時折見られたイノセントでファンタジーな要素は皆無で、こちらも今作のあらゆるネガティブさを受け止めるような痛々しさと、そこからのギリギリのポジティブさがある。
うたかた/あえぎ声/注射針/行き着く果てには何も
 死ぬまでギリギリと分かっていた/生まれたことに意味は無いから
 明日も生きれるよ/腐ったアジサイの赤の色
 美しい、しとやかな獣よ/貴方は空っぽのままでいい

真に美しさを持っているなら、空虚で醜くなっていくことこそを肯定する、このもはや居直ったようなギリギリのポジティブさが、この時期の木下の限界のポジティブさであるし、またそれはアートスクールの世界観において唯一追求することができるポジティブさなのかもしれない。
 おそらくはこの曲がアルバムのネガティブを一手に受け止めるために、同じくポジティブなテーマを扱った『SWAN SONG』は収録されなかったのではないか。「裸足で歩きたいんだ」と歌われるラストは中村一義『ERA』のようでもある。裸足で歩いた結果が第二期以降のアートのドロドロの世界観かよ、っていうツッコミも今の地点からなら思わなくもないが、まさにこの時期のバンドの死力を尽くした末にどうにかひねり出せた“おとしまえ”だと思う。

14. SONNET
 アルバムのストーリー的に完結した前曲が終わってその余韻も冷めないうちに、そのままこのネオアコチックな最終曲に流れ込む。エンドロール的な位置づけか。全然形式がソネットじゃないのはご愛嬌。
 ドラムレスで、アコギ弾き語り(風)をベースに、エレキギターやピアノで淡く夢想的な音処理の演奏が加味されている。インタビューにてアコギの演奏は日向によるものであることが明かされていて、もしかしてこの時期のギターのダビングも実はひなっちなんじゃ…と、当時の大山の窮状の極みっぷりを思うと考えてしまうきっかけとなっている。
 曲の基本的な立ち位置は『MEMENTO MORI』や『LUCY』に近い。しかしそれらと違うのが、この曲が徹底的に無感動チックな演奏になっていることだ。延々と同じ3つのコードを繰り返す曲構成や、やはりエンドレスリピート気味なバックのギターフレーズ、そして存在感があるどこかの洋画から引っ張ってきた風の女の子のおしゃべりSEも、徹底して起伏無く繰り返す。サビで申し訳程度にアルペジオを弾くピアノも本当にささやかな程度で、つまりこの曲においてサビとそれ以外を分ける要素は木下の歌しかない。これが、この曲がアルバム最後にして最も孤独感が際立つ理由として大きいのではないか。アートの楽曲中でも特別下手な訳でもない(むしろ上手い方)木下の歌が、かつてなく頼りなく響く。そして今作の象徴のひとつでもあるファルセットはとりわけ長く伸び、消え入るような虚しさを匂わせる。
これさえも出来ないの?/そう云われ育った/感情を切るたびに/あふれる物は
LOVE/HATE期的な劣等感の描写の中でもとりわけ直接的なフレーズ。不全。
人はただ失うから/太陽や指輪、匂い
 僕もまた失うだろう/雪どけにくちづけした気持ちを

第一期アートのイノセントな想像力と喪失感を突き詰めたようなサビの一節。
 演奏が終わって、最後にバックのおしゃべりのパターンが切り替わって「Girls Back Teen!!Girls Back Teen!!」としゃべりだす。曲間をほぼ隙間無く繋げてきたアルバムの最後の音がこれ。前曲で虚無的ながらギリギリの立ち上がりを見せていたところから、もやもやした音のこの曲の最後の最後で、何処までも虚しさに引き込まれる。

15. SEAGULL
 初回盤のみのボーナストラック。前曲と同じトラックにて数分の間を置いた後再生される。LOVE/HATE期の楽曲でもとりわけ力強いドラムに導かれて始まる、カラッとしたミディアムテンポのパワーポップナンバー。ともかく元気でパワフルで、ダウナーなアルバム中で浮くことを考慮されて隔離されたのも分からなくもない。
 『Today』とかの系統のSmashing Pumpkinsの楽曲に近いようなサウンド指向。ゆったりテンポの中で水を得たようにタメを効かせたドラムが、ともかく元気がいい。ここまでパワフルで快活に叩いているのは珍しいのでは。ギターもシンプルなプレイでベタなオルタナロックしていて楽しい。メロディも皮肉っぽくダウナーなAメロから、サビの短いフレーズ連呼で楽しそうな感じ。
 この曲で一番緊張感があるのは二度目サビの後のCメロ的な箇所で、ここで以下のような今作的な憂鬱を開き直ったかのようにシャウトする様はしかしやっぱりパワフル。
一度だけでいいさ/いつか/羽が欲しい/飛べるような
 そんな資格などは無いさ/言い訳がましく/笑われたって
 LIKE A SEAGULL

 テンポがゆったりで明るい、というのがそもそも珍しい。同系統の曲はずっと後になって『ローラーコースター』くらいしかないのでは。アルバム中どころか、第一期アートの楽曲中でも浮いているようにさえ感じる、不思議な曲。ある意味第一期アートでも一番シンプルで直球な曲なのに。


 以上14曲。初回盤は15曲。
 重い。それは、疾走曲が実に7曲も収録されていた前アルバムと比べて、ということもあるが、そもそもの音作りが、かなりヘヴィに作り込まれている。LOVE/HATE期に入りよりクリアな録音が出来るようになったことで、ギターのダビングはより分厚くなった。今作は特に間奏で幾重も嵐のようなノイズを重ねた演奏が散見され、そのサウンドの攻撃性と虚無っぽさの両立が、そのまま今作の個性と言って差し支えないような印象がある。木下パートのパワーコードギターも、キャリアで最もブッ潰れた音を晒していて、自棄なテンションをボーカル共々感じさせる。
 一方で、柔らかい音はより柔らかくなっている。今作で頻発される3音アルペジオはその最たるもので、曲によって多少の音色の違いはありながらも、今作のメロウな感じ・たゆたう感じを要所要所で演出している。ニューウェーブ/シューゲイザー的な音処理も多く見られ、メロウさの幅はぐっと広がった。
 ボーカルにも同じことが言える。自棄っぱちなシャウトは何処までも無理矢理引き出され(そういう曲はしかし意外と既発曲の方に多いけども)、そしてファルセットは木下のキャリアでも最も澄んでいてフレーズもどれもリリカルだ。特にファルセットはライブではあまり顧みられないので、今作はそれをどこまでも楽しむことが出来る。
 一番嬉しいことが、今作以前に大量にリリースがあり、そして今作が既発5曲抜きでも10曲も新曲があるというのに、曲の質が非常に高水準であること。繰り返しを基本とするシンプルな曲構成が多いが、それがかえって余計な小器用さを削ぎ、不器用で不全で乾いた質感を生み出している。
 歌詞も、LOVE/HATE期を通じてこれまでも頻発された自嘲・劣等感・逃避願望が、より幅を広げて各所に詰め込まれた。今作の特徴としては、『Requiem For Innocence』以前に見られたイノセントでファンタジーな、ちょっと可愛らしいセンテンスも、幾らか復活していることで、これが先述の凄惨な詩情および今作で増殖した露悪的・退廃的な表現と壮絶なコントラストを形成し、歌と合わさって非常に痛々しい世界観となっている。
 総合して、重く、やるせなく、どうしようもないアルバムで、だからこそ突き詰めた良さがあちこちにあると思う。本当によくここまでこんな世界観をこのボリュームで結晶化できたものだと、本当に感嘆する。

 当時のバンドの状況の悪さは後のインタビューなどでも度々紹介があるが、一番リアリティがあるのが、当時のギタリスト・大山純twitterでの一連のつぶやきだろう。

ギタリスト・大山純氏の独白。

最近出されたストレイテナーの各メンバーヒストリーについての本にも記載があるが、当時のバンドの行き詰まり方は、メジャーデビューして注目された新人バンドとしてはあまりに痛々しい。そんなところまで本国アメリカオルタナの先人みたいな感じなのか、最早天然なのか、業界的な病理か、とさえ思ってしまうが、そんな笑えない状況下で、スタジオでまともに会話もできないような状態で、どうやってここまで作り込まれた作品を作れたのかは不思議でならない。奇跡的、という言葉もしらじらしく感じられて、最近では日向がかなりの部分で音作りや実際の演奏をしているのではないか、とさえ思うようになった。
 ただ、ポテンシャル的には、木下もバンドも上り調子だったのは確かだろう。特に木下は、キャリアの最初の絶頂とも言える期間を最悪の環境で過ごしたらしく、その人生を思うと幾らかいたたまれない気もするが、しかし作品上ではその能力を最大限に発することが出来ているように思える。しかもその最悪の状況を上手く捉えた上で、アウトプットさせることに成功している。「アーティストは人生が失敗している時こそ傑作を作りうる」という俗説は、しかし人生に失敗し過ぎて作品が完成に至らなければ、その過程で出来た曲がどんなに素晴らしくても、限りなく実りのない事態にしかならない。ここでバンドは、崩壊しながらもシングルを連発し、そしてこの充実した傑作アルバムまでリリースした。それは人生として不幸な時間でも、作り手としては幸いなことだ。無責任なことを言えば、リスナーとしてはもっと。

 個人的に、人生で今のところ一番大切なアルバム。何遍聴いたか。感謝しかない。