ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

1990年代のPrinceにインディーロック的なものを見出そうとするプレイリスト【30曲】

 最近なぜか急にPrinceをよく聴くようになって*1、これまでの人生でもここまでPrinceばっかり聴いてることもなかったので、今回のはその勢いで書くもののひとつです。

 Prince、ジャンルはファンクとかR&Bとかだと見なす人が大半だろうと思われますが、多くのアルバムでそうですが、「これ1枚ファンク尽くし」みたいなアルバムはおそらくなくて*2、じゃあバラードとファンクだけで出来てるかというとそうとも言えない、もっと普通にポップスみたいなのとかロックみたいなのとか様々あって、「あれっ言うほどファンクかこれ…?」みたいな不思議な感覚になると思います*3

 今回はそんなジャンルレス気味なアーティストであるPrinceの、1990年代の作品に絞って、なおかつ自分が特に興味のある「ギターを使うR&B」という側面で選曲していったプレイリストを見ていくに、これはもはやPrinceはインディーロックなんじゃないかと思えてくるような、そんなチェリーピッキングの結果を披露するものです。

 

 

 

はじめに:Princeのキャリア・特徴概観

 特徴は何を今更…と思わないでもないけども、それも込みで、先に簡単に1990年代も含めたキャリア概観を非常に簡単にした上で見ていきます。2016年に亡くなってしまったので、キャリアも完全に概観できるようになってしまった…。

 

 

キャリア①:デビュー〜『Controversy』くらいまで

 1978年のデビュー作『For You』の時点ですでに1990年代中頃くらいまで在籍し続けることになるWarner Bros.に所属し、そして弱冠20歳程度ながらすでにほぼ全部の楽器を自分で演奏し、プロデュースも自分で行うという長年の彼の特徴が既に実現されています*4

 最初のアルバムから既にハードロック的なものまで含めて色んなことをしまくってますがセールスが振るわなかったのでなのか、そこから謎に(悪趣味な方向に)セクシャルなルックスを引っ提げて、段々とファンクにメインの焦点を合わせて行きます。そのスタイルが完成した1980年の『Dirty Mind』は1980年代的な機械的なリズムやシンセを軸に実にスカスカなファンクを聴かせ、ここに彼の作風の重要な基準が築かれました。この作品には彼のキャリアに通底するある(この記事的にも)大事なサウンドの特徴もありますがそれは後述します。

 

 

キャリア②:絶頂期(『1999』〜『Lovesexy』)

 こうしてジャケット並べただけで壮観だなあと思うくらいには名盤連発、彼の名が広く世に知られるようになった時期でもあり、ファンが一番多いのもまあこの時期になるでしょうしそれは仕方がない。

 『1999』のリードトラック『Little Red Corvette』で遂に彼はR&Bチャートの枠を超えてアメリカのマスに届きました。楽曲を聴いてもドラマチックなコード感と開放的なサビを持つ、古き良き1980年代ポップスの一角としての風格を備えています。同じ頃には自らのバンドThe Revolutionを結成しますが、しかしライブはともかく実際の録音はひたすら自身で全部演奏が基本で、この時期はそれが異様に加速していきます。もはやリリースの方が追いつかないくらいに楽曲が量産されていることは、彼の死後にリリースされた『Purple Rain』『1999』『Sign O' the Times』のデラックスエディションに収録された“完全に完成品な”未発表曲群の膨大さからだけでも全然理解できてしまうでしょう。

 『Purple Rain』は彼の名をMicheal Jacksonと並び立てるほどにビッグなものにしましたが、そんなのに構ってられるかと言わんばかりに楽曲をともかく量産。ミネソタ州の地元に自前のスタジオ“Paisley Park”を構えてからはペースは更に加速。完全に唯我独尊で、しかしながら驚異的な作品を連発していく彼の勢いは、何枚ものアルバムを高速でボツにした末に完成した2枚組『Sign O' the Times』で頂点に達します。この辺はまた別の記事で書ければなと。その後もまたアルバム枚をボツにしながらとんでもねえジャケットの『Lovesexy』まで、彼の超然とした存在感は続きました。そのサウンドの、1980年代ということを差し引いても何かがおかしい異様さ・尖り具合は、どことなく日本のムーンライダーズとどこか立ち位置的な部分が似てる感じがします。1990年代に入って使う音色がもっとウェルメイドなものになって個性が薄まるところまで含めて似てる…。

 

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 なお、Princeには1980年代はもう一枚1989年の『Batman』もあるけど*5、むしろこの辺から彼の1990年代が始まってる感じもちょっとします。

 

 

キャリア③:1990年代(『Graffiti Bridge』〜『Rave Un2 the Joy Fantastic』)

 1990年代が今回の主題なので後述します。とても一言で言えない、ある意味全盛期の1980年代以上に混沌とした歴史です。もはや宿敵となったWarner Bros.との闘いなど。

 

 

キャリア④:2000年代〜2016年まで

 2000年代以降の作品はまだ聴き込めてないところもありますが、Warnerを離れてインターネットに主軸を移したことで様々なニッチなことを一時期そこで沢山放出して、それである程度して落ち着いたのか、2004年の『Musicology』以降は往年のPrinceらしさ的なものをそれなりに抑えた作品を、リリース方法はともかくとして何年かに一度出す存在となりました。リリースペースも更には1990年代まで爆速だった創作ペースも落ち着いたところですが、活動の軸をライブに移してきていたこともあったようです。もはや彼のギター関係で一番有名すぎるものとなったGeorge Harrison追悼ライブでの『While My Guitar Gently Weeps』でのアホみたいにかっけえ超尺ギターソロはこの時期。

 

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 2014年には何故かあんだけ喧嘩別れしたはずの古巣Warner Bros.に復帰しアルバム『Art Official Age』をリリース。そこからジャケットをイラストでコピペしたアルバムなんかもリリースし始めてまたなんか訳分からんことを…と世界中のファンが思ってたところに、2016年の彼の訃報。自身のスタジオ内での、鎮痛剤の過剰摂取により、57歳でこの世を去りました。死後にもスタジオの金庫に眠ると言われる膨大な未発表曲群は、2010年頃の録音と言われる“新作”アルバム『Welcome 2 America』がリリースされるなど尽きる気がしないほどですが、しかし彼が新たな音楽を生み出すことは、2016年以来失くなってしまったということ*6

 ちなみに彼が死んだのは2016年の4月。同年の歴史的名作Frank Oceanの『Blonde』は8月なので間に合っていません。もし生きてたら、それ以降のどんどんジャンルを超えて多様になっていく黒人ミュージシャンたちの活躍をどう見てどう考えてどう動いてたんだろうな…とは少し思います。それこそSteve Lacyとか。

 

 

Princeの音楽的特徴

Paisley Park。彼の創作意欲が特にとめどなかった1990年代のその舞台。現在は一般公開されている。

 

 彼の音楽的特徴というのもまた今更な、語り尽くされた話かもしれませんが、このブログ的に強調したい部分などもあるので、試みてみましょう。なんとなくですが、彼の特異な性質の色々には、彼自身の“相当にシャイなくせに極度に目立ちたがり屋”な性格が結構影響してる感じがします。凄く人間臭い人、そして音楽だと思います。

 スタジオ録音のもの基準の話です。ライブはまたちょっと違うかなあ。

 

①ファルセット、そして奇声

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「真面目に歌わんかい(笑)」となるこのカバー。めっちゃギター弾きたかったんやな…。

 

 4オクターブ半と言われるその声域を用いたファルセットは彼の歌唱を特徴づける大事な要素で、初期の作品ではファルセットしかしていないことすらあります。大体のアルバムには彼の自己陶酔しまくったファルセットバラードが収録されていて、そういうのは割とR&B王道な雰囲気を踏襲しようとしてるものも多いけども、どこかで王道からはみ出てしまう、Princeにしかなんねえなこれって感じる部分があります。また、彼は多重録音の名手であることから、ファルセットで作り上げたハーモニーや、地声とファルセットのミックスなどもアンサンブルの妙のひとつとして様々な作品で活用されます。

 そういった場合の大きな原因、そして彼のボーカルのもうひとつ大きな特徴として、“奇声”と呼んで然るべきだろうシャウトの多用があります。これこそがむしろ、彼の歌を彼だけのものにし続ける重要な要素かもしれません。そう、彼はシックなR&Bに留まり続けることなどできず、感極まったりかましたりしようとすると、この奇声が飛び出してくることになります。

 彼はファンクの祖であるJames Brownの大ファンであり、おそらくシャウトもそこをインスピレーションのひとつにしているとは思います。しかし、少し爬虫類的なところのある彼の声質や、彼がロックにも大いに影響を受けたことなども相まってか、または時折彼が書くあまりにヘンテコな歌詞のせいもあってか、彼のシャウトはあまりにも他の誰でもない、“Prince”その人でしかない存在感があります。壮絶さを訴えるとかよりはむしろ、もっとアジテートとか、もしくは突拍子もないフックとかになります。

 中にはファルセットのままシャウトするなんていうのもあります。過去にやった人がいないわけでもない手法ですが、彼がやると奇妙さがより際立つ感じがします。

 

②ギターを弾きかつ歌うこと自体、およびその音色

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 R&Bの大家においてはキーボードを弾く人は多いです。Sly StoneにStevie WonderDonny Hathawayなんかはキーボード奏者のイメージ。または、Marvin GeyeやGeorge Clintonのように楽器を弾かず歌に集中するケースもあるかと思います。まあ楽器を何でも弾いてしまう人も少なくありません。

 Princeも大概何でも楽器を弾いてしまう人*7ですが、それでも彼のメイン楽器は“ギター”だと言えるでしょう。それはやたらとソロを弾きたがるライブにおいてもそうだし、また、スタジオ音源においてもシンセなどの裏で、時には表に出てきたりもするギターカッティングにおいて、彼の特色が強く漂い、特にカッティングに関しては彼は音楽史にスタイルを残した人物と言えるでしょう。Rolling Stone誌のいつぞやの「史上最も過小評価されているギタリスト」では名誉ある(?)1位を獲得しました。

 彼の特にスタジオ音源でのカッティングの特徴として、あまりにもクリーンそのままな非常にラフで無防備なトーンを平気で、実に素晴らしいタイミングに挿入してくる、ということが挙げられます。彼のカッティングと比べると、Nile Rodgersのギターが凄くメイクアップした*8ものに、JBの音源のカッティングが歪んでるもののように聴こえてきます。そのくらいには、Princeのそれはまるでアンプのクリーンチャンネルそのままなんじゃないかってくらいに全然歪んでない、場合によっては別にハイも尖らせてなくてなんか実にチャチな具合の音色を平気でカッティングに持ち込みます。案外その音色だけでウワモノを占めることは少なく、シンセやホーンの裏で、またはそれらと渾然一体となってリズミカルかつメカニカルに鳴るそれはしかし非常に格好良く、彼の音楽のトレードマークにしてシグネイチャーな要素と言えます。また、シンセ等なしで鳴らすときのその素っ気ない存在感もむしろクールに聞こえるから不思議。この点でSteve Lacyの2019年のデビュアルバムはかなりその後継者めいた音作りです。

 なお、歪ませるときは徹底的に歪ませるのが彼の流儀らしく、歪みサイドの彼の音色はかなり金太郎飴感があります。サムネの写真にもちょっと映ってるとおり、エフェクターはBOSSの汎用品をずっと使用しているらしく、自己顕示欲の塊のようなソロを弾く割には、歪みの音色の特異さでブチ抜いてやる!みたいな気持ちはそんなにないのかなって思われます。音ではなくプレイに自己顕示欲を滾らせるタイプ。

 

広く世に知られている2012年のライブ時のボード。左からBOSS VB-2,BF-2,DD-3,OC-2,DS-2,BD-2,マイクスタンド挟んでボリュームペダルにワーミーにそしてLINE6のモジュレーションマルチ。歪みはBOSSで完結!メインの歪みがDS-2だとすると、Kurt Cobaineに加えてPrinceも常用した名機で間違い無いなあDS-2は。まあPrinceの場合、ライブだとギターを持たずにダンスする場面などもあるし、メインのオブリガード担当ギターは別にいたりするだろうし、そもそもギター以外にもキーボードやホーンを伴って演奏するだろうけども。

 

 ちなみに、こと作曲においてメイン楽器がギターかキーボードかというところは根本的に関わってくるところのように思われます。もっとも、彼の場合シンセも沢山使うんですけども。

 

③シンセの時に安っぽくオモチャめいた、時に重厚な、時に神聖な使用

 特に彼の1980年代の作品には実にその時代的なチープなシンセのリフがよく見られますが、むしろ彼“も”そういう、プリセットそのままの音色を多用したことで、そういう音が“1980年代っぽい音”と呼ばれるようになっているところもあると思います。卵が先か鶏が先か。キーボード奏者としてのイメージはギターほどにはありませんが、代わりにキャッチーなリフからヘンテコなジングル・SEめいたものまで、様々なものを楽曲に詰め込んでくるのは彼の楽曲の大きな特徴で、この辺は日本の岡村靖幸などが大きく影響を受けているところのひとつです。

 Princeのシンセといえばチープさやヘンテコさが先に立ちますが、しかし時には非常に絶妙な音色を用いてくることも。1990年代以降の作品ではより洗練されたゴージャスで煌びやかな音色を要所で用い、また、機材のトラブルさえ利用した再現不可能気味な素晴らしく澱んだトーンが広がる『The Ballad of Dorothy Parker』みたいな凄まじい曲も存在します。場合によっては2010年前後以降のドリームポップと強引に結びつけられなくも無いサウンドも結構見つけられます。「実はドリームポップなPrince」というテーマのプレイリストも作れそうな気がします。

 あと、他に書けそうなところも見当たらないのでここに書きますが、シタールなんかも結構好きみたいで、アルバムに1曲あるかないかくらいの頻度だと思いますが、使われると中々印象的な、優雅なエスニックさを挿入してきます。アレンジが上手い。

 

④ファンクやR&Bに収まり切れないどころではない楽曲の幅広さ

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 これはもう、紆余曲折の果ての果てじみた2枚組『Sign O' the Times』をひととおり聴けば誰でも理解できるところでしょう。ファンクという枠組みにおいても「なんだこれは…?」となるような尖ったものが沢山あり、またポップスに関しても得意としており、ジャズについてもロックについても自在に行い、ともかく何でもありです。どことなく『1999』はニューウェーブ的な質感も強く感じますし、『Around the World in a Day』では急にThe beatlesみたいなことさえしてみせるし、1990年代以降はグランジを意識したのかしてないのかみたいな重厚に歪んだギターを弾き倒す場面が増えたり、中にはテクノみたいなことさえ躊躇なくやったり。

 Paisley Parkでの息を吸うように音楽を作る環境になって以降は特に、「興味のあることをやってみる」と実験との境がなくなり、本当に何でもありなんだなあという感じ。なので、1990年代はより本格的に「何でもあり」となり、プレイリストを選曲する人のセンスによって「実はPrinceってこうなんだ!」というものが様々に出てきそうな気配がします。「これはもはやオルタナギターロックのアルバムなのでは…?」というものさえ存在します。大好きな作品なので後述します。

 

⑤いつまでも溢れ出る“キワモノ”“ニセモノ(“本物”になれない)”感

 上記のことを総合して、あと歌詞とか、中々に無軌道な1990年代の振る舞いとかもあったりして、結局のところPrinceに“本格的にディープなファンク”“香り立つようなスモーキーなR&B”を全面的に感じるファンはそんなにいないんじゃないかと思います。そういう曲があったとしても次の曲あたりで「なんやそれ(笑)」て具合の変なトラックが紛れ込んできたりするのがPrince作品の通常運転。『What's Going On』だとか『There's a Riot Goin' On』だとか『Voodoo』だとか『Blonde』だとかそういう一貫した“本物の名作”然とした作品はPrinceにはないんじゃないでしょうか。

 そのような“本物”としての一貫性自体をPrinceが求めてなかったような気もします*9。デビュー当初からR&Bだけでなくポップスもロックも志向していた彼にとっては、「全部やる」以外の発想なんてなかったんじゃないかなという気がします。彼にはずっと“全能感のある少年”みたいなところがあります。そもそも演奏を全部自分でやってしまうのも、ある種のインディペンデントさが露骨に出てくるところだし。ある意味では世界最強の“宅録アーティスト”でさえあります。

 

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 「変なトラックの中で奇声をあげるキワモノ」「えらくペラッペラで異形のファンクを量産するニセモノ」いい意味でPrinceにはそんな印象があり、そしてそれを30年以上もやり続けてきた*10その偉大な“キワモノ”“ニセモノ”の歴史を前に、何をどう思うかはもう完全にリスナーに託されてると思います。「“成長しない”って約束じゃん」というある彼のフォロワーの歌詞の一節なんかも思い出しつつ、しかしホンモノじゃないから拘ることに縛られなくていいことにより、時にオモチャ箱の融合体めいて形作られる想像力あふれる楽曲群…そうした彼の好き勝手に作り出しては世界に対して放り投げ続けた全てのこと、およびその才能の割にずっと孤独で小心者で不安に怯え続けた彼のリリカルな歌詞の色々にひとまずのリスペクト4Everをしながら、問題の1990年代を見ていきましょう。ここまでが前フリ。長すぎる…。

 

 

1990年代のPrinceの特徴

 ここからがようやく本編かなあ。

 激動の1980年代を終え、次第に周囲の音楽の音色が1980年代的なものから1990年代的なものに変わりつつあるのに気付いてか、そっちのサウンドに寄せていく中で、楽曲は自分の家でいくらでも作れるようになったこともあって膨大な量を常人には決して想像もつかないフル回転っぷりで量産し、様々なコンセプトのもと作品を送り出したい彼に、「音楽を売ってお金を稼がなければならない」存在である音楽レーベル、すなわち彼がデビュー時から所属するWarner Bros.が立ちはだか*11ります。

「1年に何枚もアルバムを出してファンが全部買ってくれますか?1枚を味わい尽くす前に新作を出されても困りませんか?おかしいと思いませんか?」

それはそう。ですが天才でありその膨大なストック以上かもしれない自己顕示欲がありかつシャイで調整苦手な彼は、レーベルと激しく衝突します。この出来事を軸に、1990年代の彼の“カオスで無秩序な”リリースが積み重なっていきます。

 

 

コントと狂気の境界が曖昧な1990年代のリリース作品たち

本当はこれらに加えて未発表曲集『The Vault: Old Friends 4 Sale』もあるけどやはり枚数の都合で…。

 

 1990年代のPrinceのアルバムの、それぞれの概要を極端に強調して書くといかのとおりとなります。

 

『Graffiti Bridge』(1990年)

 前回の自分で作った映画の失敗に懲りずにもう一度映画及びそのサウンドトラックを作ったら大ゴケ。ジャケットもなんかカオス。楽曲は未発表曲のリサイクル多め。そういうところも「1990年代というよりも1980年代的なアルバム」っぽく感じる要員か。映画サントラという都合なのかゲストメインボーカルの曲も結構多く、過渡期的でカオスな部分も結構あるけども、時折妙に実験的でいい感じの曲が入ってる。ちなみに映画の方は日本では上映どころかビデオ化すらしてないレベルだとか。

 

『Diamonds and Pearls』(1991年)

 前作があんま売れなかったんで、ちょっと売れ線のAORに乗っかってきっちりとシックに作ってみたら売れたけどファンや評論家から結構叩かれる。日本での録音曲が複数あり。1990年代の彼の作品では一番売れたらしい。一貫性はそこそこあるけどもそのラグジュアリーに偏った方向性があまり面白くないと言えばまあそう。でも見る人が見ればシティポップ的なゴージャスさは価値あるかも。近年の何かがもっとアレだったらシティポップのブームにも乗れたかもしれないけど、でも1990年代の作品ってそんなにブームに含まれてる感じがしない。

 売れたからなのか、彼の死後に1990年代の作品では初めて大量の蔵出し含むスーパーデラックスエディションのリリースがあった。

 

『(Love Symbol)』(1992年)

 「これからは自身の男性性と女性性の両方をもっと渾然一体にしたパワフルにしてフェミニンな作品でいきたいな…せや、これや!」と思ったどうか知らないが、♂と♀を合わせたマークをタイトルにしてリリース、とかいう訳の分からない経緯のアルバム。こんな名状しがたいものを売らないといけないワーナーの方々が気の毒になるけどそれでも頑張ったのか100万枚は売れてる。このシンボルマークに掛ける気合の程なのか、CD時代ということもあり限界ギチギチの75分も収録。2つある幕間のトラックが少々邪魔だけど、当初のバージョンではこういうトラックがもっと沢山あったらしい。

 

『Come』(1994年)

 「なんやワーナーのクソな奴らのせいでリリース自由にならんな…せや!本作でもうプリンスちゃんは死んで終わりや!次からは例のマークに生まれ変わるんや!」というどうかしてるコンセプトでマジで一貫させてしまった、ヒップホップ的手法と「死と性」のテーマで纏めた作品。「プリンス、逝く」という日本盤キャッチが笑える。誰が上手いこと言えと。Prince自身ヒップホップ経由のファンクやR&Bの制作に慣れたのかループ・サンプリングを多用した楽曲が多く収録され、実は作品としての一貫性は全キャリアでも1、2を争う気がする。冒頭から11分の延々ループし続けるタイトルトラックだもんな。全体的にソリッドでシックでクールだけどもジャケットのとおりに暗い。しかし、ただ暗いだけじゃなくどこかロマンチックさがあるところがとてもいい。あと最後の曲はもはや曲ではなくて一種の胡乱なテロリズム。コンセプトは分からんでもないが中々にブチ壊し気味。

 …というか、そもそもはこの後の2枚も合わせた3枚組でリリースしようとしていたらしい。仮タイトルは『The Dawn』。3枚組で無くなった後も『Come』を当て馬に、例のマークに名義を変えて生まれ変わった『Gold Experience』を売ろうとしていた模様。その割には『The Dawn』派生3枚の中で一番トータリティが高いのは謎。

 

(『Black Album』(1994年))

 1987年にリリース直前でやめちゃったアルバムを、ワーナーとの契約をさっさと消化するために唐突にリリース!作品自体はPrince流ファンクを極めた、そのままリリースされていれば歴史が色々変わってたかもしれない一作だけど、元々アーティスト名もアルバムタイトルも何もなしのコンセプトで出そうとしていたという事実に、1990年代の彼の振る舞いとの奇妙な共通点が浮かび上がる。あとマスタリングのせいか音がショボい。リリース経緯のせいなのかなぜかサブスクにない。

 今回のリストでは“1990年代のPrince作品”の定義にあまり入らないと思われるこれは入れないしあまり詳細を書かないけど、1987年当時お蔵入りになったのは、歌詞が下品だったり露骨に攻撃的な表現を用いたりする、そんな曲が妙に集まっちゃったところなのかも、ということが、今回いろんな曲の歌詞を読んでて、より実感として思えたところ。

 

『The Gold Experience』(1995年)

 マジでここからPrinceではなく例のシンボルマーク名義の作品になる。流石に普通にPrinceで検索かけりゃ出てくるが。2000年までPrinceという名前を一応封印してた。

 自信作の3枚組をバラしたうちの1番力の入った感じの作品をよりにもよってワーナーではなく自主レーベルから出す、という、エネルギッシュさとワーナーへの嫌がらせのバランスが良い(?)作品*12。心機一転の第二のファーストアルバム的な気概から、充実してそうなことは何でもかんでもやってる分一貫性は一連の3枚の中では相対的に薄くなり、結構数が多い幕間のトラックも邪魔だけど、絶好調さ・快活さは1990年代作品でも随一で伝わってくる。逆にこんな明るい作品がダークな前作とネガティブな次作と元は同一作品だったってのも変に思えるけども。

 ジョルノ・ジョバァーナのスタンド名でも有名なアレの元ネタ。なんであのスタンドだけ効果がフラフラ変わるんやろね。

 

『Chaos and Disorder』(1996年7月

 自信作だった3枚組のうち最もレーベルへの怒りと雑な勢いを感じさせる曲を集めた、たった二日間で録音されたとかいう噂さえ立つほどロックなエッジに振り切れたアルバム*13。ワーナーに「これでもう仕舞いや!」と突きつけ、自身もワーナーもろくにプロモーションしなかったのであんまり売れなかった薄幸気味な作品。そして、こんなにロックとしてエッジの立ったPrince作品も他になく、また意外と硬軟使い分けたり『Come』の残り香のあるトラックもあったりで地味に充実していて、何よりもPrinceって実はマジでインディーロックなんじゃねえかなと思わせてくれる奇跡の1枚*14。もう大好き。最早ジャンルがファンクやR&Bと言えるかはかなり疑問だけども。ジャンル名は“Prince”だから…。

 

『Emancipation』(1996年11月

 前作までの自分を“Slave(奴隷)”と称した上で、そこからの解放を高らかに歌う脱ワーナー後最初のアルバムにして3枚組36曲180分の超大作。クオリティは平均で見ても十分高いとは思うけどとてもじゃないが全編を集中して通しで聴くのが困難すぎる作品。常人の能力って限られたものなんスよ…。前作からのリリース感覚は僅か4ヶ月という3枚組作品*15。「これを作るために生まれてきた」とか本人のたまい、前作と対照的に積極的にプロモーション活動をする。この辺はマジで事実がギャグでかつ狂気*16

 基本的には『Gold Experience』のモードをさらに発展させたようなポジティブで優しさあふれるトーンが主軸。1990年代式にラグジュアリーな音が多く、終いにはテクノやハウスみたいなのまで出てくる。ちょっと彼にしては綺麗すぎると感じるところも色々とあるけども、ちゃんと聴くといい曲が実にひしめいていることに気づく。だけども、それに気づくの自体にちょっと苦労するところは否めない。凡人の集中力というものには限界がある。リアルタイムの人たちはこのリリースペースにどこまで追い縋れたもんだろう。

 

『Crystal Ball』(1998年)

 自主レーベルからのリリースにも関わらず、ワーナー時代を中心とした膨大な未発表曲の中からCD3枚分を抜き出してきて自主制作でリリースしたコンピレーション。版権どうやったんだ。更にはアコースティックな新曲を集めたアルバム『The Truth』とインスト集『Kamasutra』を合わせた脅威と狂気の5枚組。タイトルが『Sign O' the Times』期のボツアルバム名なだけあり、その時期の素晴らしい未発表曲群の一部が9曲収録されていて、9曲全部いい曲すぎて意味が分からなくなる。1990年代も幾つかいい曲ある。そして『The Truth』はマジ異色作ながら、普段避けてる感のある“渋み”をここぞとばかりに出しブルーズを本格的に演奏するなど非常に興味深い作品集で、様々な掘り出し物が見つかる。普通に単品で出しゃいいのに…*17

 一番狂ってるのは、彼の死後のデラックスエディション等における大量のボートラ未発表曲によって、このCD3枚組でさえ彼の未発表名曲・怪曲群の本当に僅かしか出せてなかったと分かってしまったことかもしれない。

 

(『The Vault : Old Friends 4 Sale』(1999年))

 Princeが去った後のワーナー側から契約枚数消化のためにリリースされた、合計40分弱の未発表曲集。上記のprince側の未発表曲集とボリュームが違いすぎる…。なぜかジャズっぽい曲ばかり収録されていて、小粒なものが多いけど一貫性は案外ある。金管楽器が録音されてるものが大半で、外部ミュージシャンを呼ぶ分だけお金かかりそうなそれらを平然とボツの山にしてたんか…という事実が明るみになる。

 

『Rave Un2 the Joy Fantastic』(1999年)

 また売り上げを気にしたのか、様々な外部ゲストを招集して作ったかなりポップ色が強く奇妙な感じが薄いアルバム。そこそこ売れたけどファンや評論家筋の評判がアレなのが『Diamonds and Pearls』の再来って感じ。マジでPrince的なアクや素っ頓狂さがかなり少ない、そもそもR&Bやファンクをやってる感じの曲自体が少ないけど、その分意外な掘り出し物もある印象。ちなみにこのアルバムまでPrinceではなく例のシンボルマーク名義でのリリース。しかしプロデューサーは“Prince”名義。もはやギャグでやってんのかと思うけどジャケットの彼は妙にキメ顔だ。

 結構謎なのが、これが出てから2年後の2001年に自分で本作をリミックスした微妙にアルバムタイトルが異なるもののジャケットもほぼ同じなややこしい作品を出していること。曲自体が差し替えられたものがあったり、逆に何も弄らずにそのまま再収録されたものもあったり、なかなかに謎。

 

 

 以上。各アルバムの内容についてはプレイリスト楽曲レビューの方でも触れるのでこの程度で。

 一言でこの流れを概観するならば、勢いと行き当たりばったりに満ちすぎてる、となるでしょう。ちなみに上記はあくまで正規のアルバムに限った話で、さらに限定販売やらネット配信やらのより実験的だったりな作品やらリミックスやらが様々にアルバム間を乱れ飛ぶ、実に“カオスで無秩序な”リリース状況となっています。

 でも、それでも、Princeが自分の意思で明確に制作に臨みリリースした9作については、様々な特徴はありつつも、一定のクオリティはちゃんと保たれていると思います。というか『Come』からの元3枚組予定の3部作は普通に3者3様に全部名作かと。3枚組として出せなかったPrinceは悔しかったかもだけど、3枚に別れたこともあってそれぞれの特徴がクッキリしてるところもあるのではと思われて、ワーナーのおかげで結果的にクオリティ上がってる面もあるのではと思うと、この辺の問題はとても難しい。

 

 

1990年代のPrinceの音楽的特徴

 1980年代以上に多様な音楽性が爆発し正直収集ついてないくらいな1990年代の彼の作品群ですが、それでも幾らかの音楽的特徴が、無理矢理気味だけど見いだせなくも無い気がします。逆に言うと、制作はまだ1980年代だったであろう『Graffiti Bridge』についてはあまり当てはまらないかもしれません。

 

①1990年代以降的な“ドライな”音響

 「そりゃ1990年代に録音してるんやから当たり前やん」と思われるかもしれませんがでも結構重要なところだと思います。1980年代、全盛期の彼の作品は、でも音はやっぱり1980年代的なリヴァーブ感だったりドラムのエコー感だったりがやはりあります。

 1990年代のある程度以降の作品においては、それまでのエコー感が取り払われた、声もドラムの音もドライな聞こえ方をする楽曲が増えていきます。まあ1980年代から1990年代にかけて活動してればみんなそうではあるんですが、このノンエコー気味の彼の声や、より素っ気ない残響でシャープに響く音だから実現できたタイプの楽曲は沢山あります。特にボーカルは、優しく囁くにしろ、怒りをぶち撒けるにしろ、彼の特徴的すぎるスタイルがより直接的に響く様になり、それは彼の人間臭さがより前面に出てくることにも繋がった様に感じます。優しい歌い方はどこまで寄り添うように優しく、叫び散らす時のエキセントリックさもまたより「なんだこいつ!?」って感じに。

 

②よりヒップホップ的な手法に接近したトラック

 1980年代の頃から彼の作品でドラムマシンの利用は多かったところですが、1990年代においてはよりヒップホップ的なドラムループやサンプリングが活用されるようになります。ギター演奏もまた自前でサンプリングの素材になったり。またラップにしても、やはり1980年代に『Housequake』などでPrince式のフリーキーさで取り入れてはいましたが、1990年代になるとある程度標準装備的に入ってきます。彼自身のラップが上手いのかどうかは分かりませんが*18、ゲストがラップするのも結構あります。

 これらの要素は確実に彼のファンク曲の性質を1990年代的なものに変質させていて、しっかりと自身のファンクを時代に合わせてアップデートさせています。この点では特に『Come』が成功しています。1980年代の天衣無縫なスタイルから変化する必要などなかった、と思うファンもいるかもですが、自分は1990年代式の少しダウナーなムードのPrinceもこれはこれでとてもいいなと思います。

 注目したいのは、楽曲のテンポまではそこまでヒップヒップ的なスローさに合わせなかったこと。もとよりミニマルな音楽であるファンクにアイデンティティを持つ彼が、ファンクのテンポ感のままに幾らかヒップホップ化する様は、当時は中途半端に映ったかもですが、現代的に観測すれば折衷主義的にも見えるでしょう。サンプリングのセンスはヒップホップ勢的な“センスの良い引用”的な感じではなく、自身の演奏をループさせるという、元々のファンクのミニマルなループ感をより当代風にアップデートしたような使用感がメインで、時には相変わらずSE的でユーモラスで時折悪趣味で、実にPrinceだし。

 あとドラムループの多用は、その分生ドラムだった時の躍動感とのギャップも楽しめます。生ドラムの際も、1980年代的なのっぺりした叩き方ではなく、もっと生演奏的に細かいキメやら何やらを入れてくる躍動感があり、それがPrince流ファンク等に乗るのはまた趣があります。

 

③やたら派手なギターが出てくることが増えてないか?

 まあこの例のシンボルマーク型のギターはいかがなものか…とは思いますが、1990年代の彼の作品ではハードなギターをひたすら弾き倒す場面が増えているように感じます。大味な歪みでストレートにテクニカルなことをするので、オルタナティブロック的な面白みはそんなにありませんが、そもそもそうやってギターを弾き倒せば弾き倒すほど、その楽曲は“ロック”に寄っていくことになるので、つまり、1990年代の彼の楽曲はロック寄りのものが結構増えたんじゃないかという気もします。ギターの暴発に合わせるかのように延々と展開し続けていく曲さえあって、そういう時はいつも彼のバカっぽくて愛らしい側面がより強調されます。

 一方、クリーントーンについては、相変わらず1980年以来のなかなかにラフな音色のカッティングを絶妙なタイミングで挟み込んできて、それが1990年代的なループに合わさる場面なんかはやはり1980年代作品では味わえない類のもの。今回、そういう目線も込みで選曲しています。

 

 

1990年代のPrinceにインディーロック的なものを見出そうとする30曲

 ここから、この記事標題どおりに筆者が選曲した楽曲30曲分のレビューをしていきます。全曲に共通することとして「どこかしらギターが入っている」ものとなっています。やっぱインディーロックするのにギターはほしいかなって。なので各曲のギターの効き方などについていちいち言及します。もしかしたら「あのインディーバンドのあの曲のギターはPrinceだったのか!」とかそういうのも見出せてくるかもしれません。ちなみにアコギはギターに入ります。

 いささか特定のアルバムに選曲が偏ってるかもしれません。まあ選曲のコンセプト的に仕方ないね。また、未発表曲集『Crystal Ball』からは1990年代の未発表曲のみから選んでいます。『Sign O' the Times』期の未発表曲群についてはまた別の機会に。

 30曲全部で約2時間10分程度。10曲ずつで44分程度と、LP3枚組程度のサイズになったかと思います*19。書きながらもどんどん曲目を変えていったので、ひとまず今日はこんな感じです。ちょいちょい歌詞翻訳も載っけます。

 

 

#1

1. Chaos and Disorder(from 1996『Chaos and Disorder』)

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 ワーナーへの絶縁状めいたアルバムの冒頭に置かれたタイトル曲にして、ジミヘン・ミーツ・オルタナ的な、叩きつけるようなディストーションギターとオルガン、ドラムそしてボーカルの勢いが実に爽快なロック楽曲。彼の数ある楽曲の中でもとりわけソリッドに吹っ切れたロックバンド然とした部類の曲。それにしてもディストーションギターにオルガンってチョイスもまた1990年代っぽい。

 変なノイズを経て吹き荒れる歪んだギターの引き摺るようなサウンドからして、普段のどこかギャグめいたところのあるPrinceとは少し趣の異なる、もう少し血が滾ってる感覚が漂う。もっとギターの音上げて欲しかったな。。そこから1990年代的な乾いたドラムのシャープなフィルでいよいよ楽曲が展開し始め、その勢いのままに言葉を叩きつけていくボーカルの様はかなりジミヘンしてる。こんなにストレートにロックしてるのに、ヴァースで歌詞に合わせたり特に合わせなかったりしながら変なエフェクトを捻じ込まないと気が済まないシュールさはPrince流。

 所々にケレン味の効いたブレイクも挟み、沸々と迫っては弾ける“ロック”の感じを、別にエミュレートしてるでもなく、感覚の赴くままに振り回しては吐き出す。ギターソロの感じも珍しく手数よりも音色で押し切るスタイル。ミドルエイト的に活用されたブレイクでのドラムソロも実にキレが良く、彼がその気になると、ここまでアグレッシブかつ叩き込むようなロックもできるんだという証拠。やっぱりインディーロックでは。最後に取ってつけたかのようにゴスペルシンガーみたいな声が入るのは謎だけど。

 歌詞のどことなくイラついてる感じに、当時のワーナーとの揉め具合がにじむ。

 

おれはただの無名のレポーター

話すことなどなきゃよかったのに

新品カメラを覗き込み 映す価値ある犯罪探しに努め

迫撃されちゃうんで どこ行ってものらりくらり

今日 おれの世界は混沌と無秩序で台無しさ

 

 オールドエイジの音楽と世間から看做されつつも本人の創作意欲はそんなこと気にせず好き放題に暴れ回る、そんな混沌として無秩序な彼の1990年代の激動さを一言で言い表してしまったタイトルがなんとも皮肉。

 

 

2. Race(from 1994『Come』)

 アルバム『Come』収録曲はいちいちコンセプトめいた波打ち際のSEが入ってくる。いい具合に情緒的で嫌いじゃない。ヒップホップ色の強いアルバムにおいて、とりわけスムーズにヒップホップ的なサンプリングを多用し“整然とした雑食性”をポップかつ程よい軽快さでオシャレに表現した楽曲。「ちょっとその気になりゃこのくらい造作もねーんだよアホが。歯ァ磨けよ」というPrinceの言ってないセリフが聞こえてきそうになる。

 波音のエフェクトの割に、その後は実に乾いたドラムループと音数を絞ったシャープな音の重ね方で、所々にいかにもなヒップホップ的効果音を妙に可愛らしく配置し、ホーンやギターさえサンプリングによるメインテーマと効果音的な使用をして、シンプルなグルーヴにテンポの良い言葉の重ね方。元々スカスカなトラックで唯一無二のファンクを形作るのが得意だった彼だが、この曲のヒップホップより幾らかテンポの速くスカスカな様は、1990年代Prince流のトラックメイキングの、本当にその上澄みだろう。ラップだって、声を重ねたりエフェクト掛けたりなどで、ラップというより妙なサウンド的に処理をする。サビの様々な楽器やゴスペルなボーカルが順々に切り替わっていくのは実にクールでかつオモチャ箱的なとこもあって楽しい。

 曲タイトルは“人種”で、この曲は人種差別に、いやもっとこう、人種の違いによって出来てしまう壁というか蟠りというかそういうものに対して、ちょっとした一石を投じる内容の歌だ。

 

“人種”ね 宇宙にいたら“人類”にチェック入れるじゃん

“人種” 音楽に向き合いな ぼくらみんな死んだら骨さ

“人種” 宇宙にいたら“人類”にマルを書くじゃん

ぼくを切って きみを切って ほらどっちも赤い血さ ヘッ

 

時折出てくるこういうマイルドかつちょっとロマンチックな切り口からの主張に、彼の心根の優しいところが見え隠れする。いつかの『Pop Life』の歌詞然り、後年の「アルバムって覚えてる?」のスピーチ然り。まあ自分とのコラボのオファーとか自分の曲のカバーとかにすっげえ冷たい反応することなんかもあるけど。まあ人間だもの。

 

 

3. 319(from 1995『The Gold Experience』)

 『Kiss』を代表とするPrinceのソリッドを超えて異様にスカスカまファルセットファンクの系統の、1990年代らしくディストーションなギターをサンプリング式に用いたトラック構成がいかにもなこの時代らしさのテイストのあるファンクナンバー。やっぱ言うてPrinceはファンクの人では間違いなくあるけども、ことそこにおけるギターの用い方について様々に研究と応用を繰り返した彼の、ひとつの突き詰め系。映画に使われたりもしてるけども。

 冒頭のタイトルコールから早々に、そのえらくインダストリアルに歪んだギターはどこか詰まった感じのリズムとともに現れる。ホーンが出てきて少し抜けが良くなるけども、しかしこのミニマルかついい具合に雑に敷き詰められた歪みギターのリフは、彼のこういうファンク特有のベースレスな構成もあり、ファンクとして見てもなかなかに異物的な具合に響く。でもそれこそが彼のファンクの最もキャッチーな部分だったりもするから実に独特。実際、基本ファルセットボーカルで、曲構成は案外ブルーズマナーで、コーラスの量と合わせて曲展開の盛り上げをコントロールする構成はまさにかの全米チャート1位の『Kiss』と共通するところ。それにしても汚ねえ歪み方のギターは凄く特徴的だけども。ファズかなこれ?

 面白いのが、こんなブチブチのギターをかましつつ、間奏ではクリーントーンのギターカッティングが入ってくる、その音の塩梅。ギターソロパートで無茶なくらいのクリーントーンのカッティングを格好良く決めることに関しては彼はそのトップランカーと呼んでも過言ではない。かと思えば同じ間奏で平然と歪んだギターソロも挿入されたりで、この辺のサウンド切り替えの自由さが、バンド的な音に拘りを持ちつつも制作自体はバンド演奏より1人で完結させてしまいがちな彼の、特質的な部分だと思う。バンド演奏さえオーソドックスに組まない彼の編曲には、何かの可能性を見出しうるかも。

 こういう、まあ形式はファンクなんだけども、ファンクの王道みたいなのからはズレまくった、異物感たっぷりのオモチャみたいな楽曲は殆どPrinceの専売特許と言っていい世界だろう。

 

 

4. Money Don't Matter 2 Night(from 1991『Diamonds and Pearls』)

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 Prince流AORなアルバムの中でも一際シックな輝きを宿している、抑制したメロディと演奏の隙間にBreezeな感覚が舞い降りた名曲。シティポップの世界とも共通するテイストがあると思うし、むしろこの曲を起点にPrinceもシティポップってことになんねえかななんねえか。日本語の歌詞にしたら山下達郎が歌っててもおかしくないトラックしてると思う。あれっ順番的には達郎よりもこっちがずっと後か。

 この曲は曲展開が本当に抑制されていて、本当にPrinceの曲かってくらいしっかりと抑制され、退屈を感じないギリギリの微妙な変化のみで延々と同じメロディを回し、奇声もファルセットも封印し囁くように歌い、と極力Princeな臭みを抜いた、えらくプロフェッショナルな仕事をしている*20。だからやればできるんだよファンや評論家があんまそっちに期待してないだけで、ということなのか。ムーディーなシンセの裏で淡々とアクセントを付け続けるギターの立ち位置が実にシティポップ的。特に小節終わりごとに出てくるスムーズなカッティングはオーソドックスながら大変に効果的。

 日本のスタジオで録音されたうちの1曲でもある。やっぱシティポップじゃん。歌詞はアダルトな賭け事を通じた人生の話に始まり、湾岸戦争後の時勢を受けてなのか子供を戦争に送ることについての反感と不安にまで広がっていく。

 

ああ なあ 子どもを戦場に送るいい口実が見つかりそうだ

じゃあ何だ?石油全てをわれらが掌握するとして

それが子どもたちが死に往くことと釣り合うってのかい

長生きのために生きようってなら 長生きもできるだろうさ

ガスにやられた子どもの写真に比べたら何だってマシさ

それできみは感情的になるんだ

 

今夜は金など問題じゃないさ 昨日だってどうでもよかった

身の程を超えて入ったって思うとすぐにみんな消えちまう

んで まあそれで良かったんだって思うさ 魂の平静を得て

だって昨日は金は問題じゃなかったろ 今夜だってそうさ

 

ん?サビのフレーズってそういう意味だったっけ?この歌の語り手は前半そんな社会派な心配をするキャラだったっけ?もっとギャンブル絡みのダンディーなろくでなし感出してなかったっけ?となるなど。でも前半と後半とでサビの歌詞の意味が変わってくるのは面白い仕掛け。

 

 

5. Peace(from 1993『The Hits/The B-Sides』)

 ディストーションギターを平板に並べて淡々と進行していかにもな風にキメた低い声でロックンロールを歌う、という、やってることが殆どThe Jesus and Mary Chainなことになってる珍曲。ベスト盤でしれっと初出とはいえ、いよいよマジにファンクどころかそれまでのPrinceの音楽とも無関係すぎて、かつ僅かなPrince要素として添加されたのが喘ぎ声サンプリングも含む女性コーラスというのがアホの極みすぎて笑ってしまう。ファンクの第一人者であるはずの彼がずっと抱えるロックスター願望が最もアホな形で噴出した曲かもしれない。これはこれで格好いいけども。

 この曲の趣向はもう始まってすぐにお分かりいただけると思う。極端に歪んだギターと生ドラムのいかにもなロックバンドスタイルで、一応構成こそ古典的なブルーズ進行を軸にしたスタイルながら、そのあまりに平板化したスタイルと、Iggy Popとかその辺のいかにもなボーカルスタイルの模倣っぷり。彼はこの曲でただただロックンロールしたかった、本当にそれだけなんだなっていう雰囲気で最後まで雑にロールしていく。黒人音楽的な要素をこの曲に求めてもまるで無駄。むしろインディロック畑からR&Bを齧るようになり時には気取るようになり、でもやっぱりロックンロールよなあ…などと心のどこかで思ってしまうような輩に効くかも。なんてニッチ。ギターソロの弾きすぎない結構ノイジーな大味具合は中々にオルタナ的で良き。

 そしてそんなスノッブな輩にいい具合に嫌がらせとして効くであろう無駄にちょっとエッチな喘ぎ声のサンプリング*21を含む女性コーラスでこの曲のアホさは極まる。コーラスだけならとてもキャッチーなのに、なんで喘ぎ声まで入れてしまうのか…。一時期交際していた女性の声のサンプリングらしく、今のご時世だとどうなのか…となるものなのかもしれない。

 タイトルはまあ、歌詞の中でやたらとホットパンツが強調されてることからも、何の比喩なのか言うまでもない。ただ、面白いのは、曲調的にそんな“いい女”を手に入れるぜ、手に入れたぜ、的なワイルドな歌なのかな、と思わせといて、歌詞の中では結構情けない感じなところ。格好いいギターソロを決めた後の最終センテンス。

 

彼女にキスしたら死んじゃうだろうな

でも挑んだところで 彼女のリストの末席なんだな

彼女はめっちゃクール でぼくはめっちゃキモ面

あの娘がぼくを愛してくれるって妄想すんのもアホやな

ああいう娘たちって いつも届かないとこにいるんだ

ホント桃だね

 

ミスターPrince Rogers Nelson、貴方世界有数の大スターですよね…?どこまでマジか知らんけども、結構ずっとこういう劣等感に苛まれ続けるのも彼の歌の面白いところ。

 シングルで出したら全米7位というなかなかなところまで行ってたりする。本当にこの人ファンクの人なのか…?当然ライブでは盛り上がる曲だったようで、テンション上がってすぐに低い歌い方をやめてシャウトしちゃうのがなんか可愛らしい。

 

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6. The Same December(from 1996『Chaos and Disorder』)

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なぜかPVある…案外プロモーションしてんじゃん…。

 

 ロックする時の彼によくあるバカっぽさが全開な、ポップがしたいのかロックがしたいのかプログレがしたのかパンクがしたいのか訳分からない、整理しろよ!って思うけどあれ…これむしろ強引にだけど整理されてる…?って感じの曲。ともかく曲の変化が行き当たりばったりすぎて、ここまでバカだともう突き抜けてて一種の爽快感。この展開が変化しまくる演奏に付き合わされた人がいるんだったらお疲れ様としか。

 開幕一発、チェンバロやら何やらといきなり始まるポップで可愛らしいメロディとでハッと目が覚める感じがして、このまま丁寧に作れば『Starfish and Coffee』の再来くらいのポップソングになりそうなポテンシャルを感じれる…けどもその十数秒後に自らディストーションギターとロック的に粘っこいリズムとで粉砕!バカ!アホ!プリンス!ともかく極端に展開を付けたがり、楽曲はさながらケレン味オンリーのアマルガムじみている。最初の間奏から歌に戻ってくるタイミングがかなり前のめりなのなどもう落ち着きがなくて勢いが止められないというばかりの感覚に満ちていて、謎のエネルギッシュさに圧倒される。ギターをワイルドに弾き倒し、コーラスワークはQueenみたいに厚く被せて抜けてくる。

 終盤の展開は特に迷走極まっていて、スローテンポに切り替わった演奏から続くミドルエイト的な箇所ではよりQueen味が増した分厚いコーラスを見せ、かと思えば速いテンポに戻ってどことなくThe Beach Boys的なファニーさを見せてタイトルフレーズに突入し、そして最後はヤケクソじみた疾走感でもってパンク的に突進して果てる。最後の1分ちょっとだけでこの変わりよう。そのR&Bから離れすぎた、ロックとしても綺麗にまとめる気サラサラ皆無なとっ散らかりっぷりもここまで来たら見事。こんだけやりたい放題散らかしといて、尺は3分半を切るんだからちょっとすごい。

 歌詞は、これもやっぱワーナーとの揉め事関連か。自身のスターダームの話をしているようでもある。

 

かつてカチグミ一直線なキラッキラのアイドルだったさ

無論それで彼らは罪の意識など少しも感じやしなかった

なにせまさにその翌朝 クソな世界中みんな同じだった

そのアイドルは今も輝いてるけど 心中こう言うのさ

「このゲームに勝者なんていやしない」

 

きみらは知ってることしか知らないものさ

心の中で見たいと思ってるものしか見えやしないのさ

魂が思い出す時だけしか好きじゃないのさ

ぼくら皆 同じ12月から来て 結局行き先もそこなんだ

まあ行こうか

 

 

7. Get Yo Groove on(from 1996『Emancipation』)

 アルバム『Emancipation』のモードを象徴するような、洗練された音像とアレンジの小洒落たノリで進行していく軽やかでポップなPrince流ファンク曲。そのあまりに軽妙なトラックの作りは1980年代的な異物感とは隔絶したものがあるけども、しかし案外ギターをカッティング中心に弾きまくってる曲でもあったので今回リストに入れた。

 イントロの時点から、臭み少なめのスムースなファルセットとともに、いい具合にクリーンなギターカッティングの軽妙さと、そしてピチカートでポップなラインを描くストリングスのアンサンブルが鮮やかに入る。この曲、それこそPizzicato Fiveとか寄りの音像・トラック感覚かもしれない。安定したリズムトラックの反復の上で様々な音が小気味よく出入りしていくのは割とそんな感じ。ボーカルも基本ずっとファルセットで通し続ける。『Dirty Mind』の頃なら同じ曲でももっとスカスカになっていただろうものが、安定した各楽器の音色とミックスにより、実にコンテンポラリーな安定感を醸し出している。それをつまらなく感じる向きも、興味深く見る向きもあるだろう。そんなこと考えなくても普通に楽しい、と思えるくらいの一般性があるとも思う。

 そんなトラックの中で、メインテーマ部分で実に軽快に入ってくるギターカッティングがとてもいい。3分手前のブレイクの箇所からの間奏部分ではさらにカッティングのパターンが増えてこれは実質ギターソロみたいなもので、様々な楽器とカッティングの掛け合いは普通のギターロックバンドでは滅多に見られないだろうし、まだファンクバンドでもこれだけフラットなハウス的なリズムでやることもそうそうないだろうし、様々なものを執着なく掛け合わせられるPrinceの独壇場とも言える。問題は、ここからの展開が延々と続いてえらく長いことだけど…アルバムの特性としてディスク1枚を60分ピッタリにする、その尺稼ぎの一端になってる。その分様々に変化し続けるワウの効いたソロフレーズと他楽器の掛け合わせが楽しめる、とも言えるけどもそれにしても長い。

 歌詞はライトに「みんな楽しもう!」的なノリだけど、少し興味深いのが、この曲の収録アルバムの前年にデビューしたD'Angeloの名前が歌詞に出てくること。

 

蜂蜜とペパーミントティーが手元にあるんだ

ぼくの飲物はこれで十分さ

きみといれるなら夜には終わってほしくないなあ

夜通しパーティーでもしてようね

プレイヤーを持ってきてよ CDはぼくが持ってくるよ

でも 何事もチンタラやっちゃうのもダメだよ

ディアンジェロの新譜とか N.P.G.*22とかね

んで 誰が服を着たままで居れるか賭け事しよっか

 

「何事もチンタラ〜」の行は翻訳に自信がない…まさかD’Angeloのリリースペースの遅さをディスってるわけじゃあるまい…まだ1996年でそんなこと分かるわけもないし。

 

 

8. Tangerine(from 1999『Rave Un2 the Joy Fantastic』)

 僅か1分半の尺の中で静かに優しく花開く、リズムレスでオーガニックなソフトさのみを差し出したポップソング。こんなに繊細でささやかに演奏されるPrinceの曲も珍しいのではと思う。キャリアを通じての振り幅が本当に広い。もはやソフトロックの領域かも。

 冒頭のメカめいたSEからは何が始まるんだろう、と思わされるけど、実際に始まるのは、エフェクトはよく効いているけどもそれによってより透き通った風な音色となったアコギの爪弾きを軸に形作られる柔らかな質感のトラックと、そこに寄り添うように囁くようなファルセットで歌うPrinceのソフトなメロディだ。間奏部分の切なげなコードに入ってくるアコギとエレピのユニゾンのささやかな美しさに、一体今誰の曲を聴いてるのかまるで分からなくなる。次第に音は増えていくけども、決して楽曲の雰囲気が壊されることはなく、実にさらりと曲の終わりを迎えてしまう。こんなソングライティングもするんだなと、この人の摩訶不思議な守備範囲を思う。

 

タンジェリンを想う日もあるし ブルーな気分の日もある

ただ気を失ってたい日もある すべてきみを感じてのこと

 

どこにいってもきみの写真を撮ってるのに

それをコースターに使って 溢れ出るものを飲み干すんだ

 

歌詞も別れをさらりと比喩も用いて表現する、爽やかな苦味の質感。こんなんも書くんだなあという。

 ちなみに2001年の“リミックス”版はむしろロングバージョンという感じで30秒ほど尺が長く、後ろにファンタスティックなギターソロが追加される。曲の雰囲気を壊さずいい具合に発展させていて、このバージョンも良い。

 

 

9. Elephants & Flowers(from 1990『Graffiti Bridge』)

 1980年代と1990年代の狭間の音をした、マシン的ながら妙にザラザラした感覚が演奏にも歌にも現れた、絶妙に他のPrinceの曲に無い形で成立した不思議ファンク。この色々と弄り倒した結果既存のものともこれより後に主流となるものとも全然違う、何とも形容し難いフォルムを生み出してしまうのは過渡期な収録アルバムの魅力であり、また全てを自分で演奏するPrinceのインディペンデントさ加減の良質な現れでもある。

 この曲はファンクであるから、基本的には同じ展開のミニマルなループで形作られていく。16を感じさせるミドルテンポだけど、しかし機械による1980年代的なドスドスしたキックとスネアが極端に強調されたリズムは、生ドラムの16ビートの場合のしなやかさからは程遠い無骨な質感を残し続ける。それに便乗するかのように、ギターのメインフレーズについてもコーラスが極端に効いた、ナチュラルさ皆無の奇妙な音色で、カッティングとも取れない形で連なっていく。そして、ボーカルさえ普段ならファルセットでこなしそうなところをあえて地声で、絞り出すように歌い上げていく。叫ぶのともまた違っていて、まるで声にディストーションをかけているような歌い方を試みている*23ディストーションの効いたギターの挿入にしても、ファルセットコーラスの挿入箇所についても、およそ普通のポップとは異なる奇妙さに満ちた手触りに、「何もかも本気の手探り」なPrinceを感じて、実に面白い。

 こんな変な曲でも、ミドルエイト的な展開を中盤に挿入して、楽曲としての構成も少しばかり気にして見せるのがPrinceの人間臭く、面白いところ。この辺りを境にして、コーラスワークとの掛け合いもどこかゴスペルじみたものになっていくが、あくまで何もかも機械仕掛けな中でのゴスペル風味は奇妙さに満ちた取り合わせで、ひょっとしたらこの曲はPrinceの中でも特筆すべき“オルタナティブ・ソウル”とでも呼ぶべき、そんなオーパーツ的なものなのかもしれない。

 歌詞もまたこれ、何の話だろう…。中盤以降“神”が出てくるのは、コーラスがゴスペルかするのと関係があるんだろうか*24

 

灼熱の夏の夜に少年はひとりぼっちで 探している

何かアクションを 戦いを 愚者まみれの街の救世主を

もしかしたらただいい話をくれる人を求めてるだけかもね

話さないかい ベイビー

 

脱ごう 脱ごうよ 今夜は恋に落ちちゃうよ 象さんとお花

 

(中略)

 

愛そのものである方を愛せ 我らにパワーを授ける方

総てをお創りになった方を(な…なんだあっ)

象に花(彼は何をしていただけるのか)

他の全員が話を聞かない時に唯一聞いでくださる方

髪を深く愛するものには平穏が訪れるでしょう

 

 

10. One of Us(from 1996『Emancipation』)

 あのJoan Osborneのダークに乾いたポップさのある名曲を、オルタナ的なギター演奏で全面的にカバーした、そしてサビでは「いやもっと真面目に歌えよ…」と思ってしまうだろうところがご愛嬌の癖強カバー。上で何かの例に挙げた『Creep』といい、この人時折カバーで自分のナルシスティックに拗れた感情を妙な形で爆発させるの好きだよな。

 イントロの不思議SEで神聖さみたいなのを出した上で、淡々としたリズムから入り、やがて抑制された歪みの刻みギターが入って歌が始まる。全体的にリヴァーブが強く、抑えたヴァースからブリッジでギターが遂に吹き上がり始め、サビへの期待を否応なくする。なのに、原曲の歌メロはバックのシンセに任せて、思うがままのメロディを渾身のボーカルで叩きつけるPrinceさん。真面目にやってください、と思うけどむしろこれがマジもマジなんだろうな。いやこのサビアメリカンポップス史に刻まれた素晴らしいもののひとつなんすよ、オルタナティブロックの精神性がポップスに昇華されたマイルストーンなんすよ…などと誰かが製作時に説明したところで聞かないだろうな。広い声域を思うと出ないキーじゃないと思うので、やっぱやりたいようにしてるんだと思われる。

 歌はともかく、この曲の実にオルタナ仕草なギターはいいなと思う。特にギターソロの音色のなかなかな鋭さと、テクニカルさ一辺倒ではなくしっかりとドラマチックな流れを形作っていくところがいい。同時代のオルタナティブロックをそれなりに理解してたんだなあと思うに十分な演奏が、この曲では聴ける。そう思うと、最後のサビの執拗に繰り返される追加歌詞の部分もエモーショナルで、これはいい改変かも。

 基本的に歌詞は原曲譲りながら、終盤の歌詞追加と、あとサビの“slob(薄汚い人)”が自身の状況に託けた“slave”に替わってたりする。神について歌ったこの曲のその部分を自身の立場である(と彼が思ってる)“slave”に置き換えてるってのは、神への同情か。それもまた自意識の過剰さ半端ないことだけども。しかし実にこの時期のPrince的な世界観になってるなカバーなのに。だから元のメロディ無視して思い入れたっぷりに叫んじゃうのかな。流石にサビのメロディは大事なんだから守りましょうよ…と思いつつ。

 

もしや神様ってぼくらのうちのひとりじゃないか?

ぼくらみたく ただの奴隷なんじゃないか?

バスに乗って家に帰らんとするただの訪問者じゃないか?

 

 

#2

11. Pink Cashmere(from 1993 Single『Pink Cashmere』)

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 えらく落ち着いたスローテンポに透き通ったアコギの響き、次第にリッチに変遷していくバックのトラック、そしてファルセットを駆使した真っ当にアダルティックでソウルフルなR&Bで、当代のR&Bのメインストリームの感覚に彼なりに寄り添った雰囲気のあるシングル曲。やろうと思えばこういうのもできる人なんです。こんなに時代に寄り添える感じ*25のクールな作品なのに全米チャート最高位が『Peach』よりもずっと下なのは居た堪れないけども、曲は普通に素晴らしい。

 1音目からウォームなタイム感のリズムと優しいさざなみのようなアコギの響きが聞こえてきて、この曲の雰囲気がどういうものかを静かに主張する。興奮や失望などの激しさとは無縁の、リラックスした空間。時折のブレイクにちょっとドキッとしても、ボーカルはあくまでファルセットで通し、そのブレイクの質感はどこまでもスウィートたろうとする。所々に掛けられたフェイザーのうねりが隠し味的に効いてるけどもこれ何に対して掛かってるんだ?ハイハット

 曲が展開してくると、アコギのささやかな音はストリングスとコーラスに置き換えられる。ボーカルもコーラスも次第に熱が入ってくるけども、ちょっとばかり暴発しつつも一定のラインは超えない程度に高まり続けていく。それが収まった4分前ごろになるとアコギがまた帰ってきて、ストリングスと掛け合いのようなソロの時間に入る。そして、4分半を過ぎてから、満を辞して現れる歪んだエレキギターの音。結局それ出すんかい!とも思いつつ、しかし曲の雰囲気を壊すほど弾き倒すこともない。ストリングスの圧もどんどん増して、バトルっぽくもなるものの、最後はしおらしい。

 恋人に「ピンクのカシミア製のコートを作ってあげる」と言う男の歌。愛の形が妙に具体的なのは、本人の実体験から来てるらしい。

 

ああ ああ

こうしてぼくはまた恋に落ちてしまうんだ 何度も

その円環に終わりなんて無い

きみはただ その身を焦がさないよう祈ることだね

 

ぼくのなかのこの炎 誰も気付きやしないさ

ああでも きみがぼくにとって何なのか

きみは知っとかなきゃなんないよ

 

きみにピンクのカシミアのコートを作ってあげる

どんなにきみを思ってるか 知っとかなきゃなんないよ

ぼくがどんなに いつもきみにそばにいてほしいかって

 

妙な具体性の中に潜む、Princeという人のすぐいじける寂しがりやで不器用な性根そして優しさ。弱いくせに重い愛。人間性

 

 

12. Sexy M.F.(from 1992『(Love Symbol)』)

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1分40秒くらいまで寸劇パート。いや長いよ。。

 

 怪しげなファンクネスを籠ったようなギターカッティングとラップ気味のボーカルとそして生ドラムとで燻らせ派手なホーンで炸裂させる、1990年代のPrinceだからこそなタイトなバンド感が効いたファンク曲。タイトルの“M.F.”は普通に“Moterf●cker”のことなので、規制の関係でこういうタイトルなのかなと思うけども歌の方では、普通に歌っとるな…。

 これはもう、冒頭のスネア1発のあとにすぐ聴こえはじめる、いい具合にくぐもったギターのワンコードカッティングの格好良さに尽きる。テンションの効いたコードを延々怪しく鳴らし続ける、こういうストレートなクールさは案外彼には珍しいかもしれない。生ドラムによるしなやかでかつ怪しげに抑制されたリズムも効き、どこかスモーキーな雰囲気、スパイ映画のサントラみたいな雰囲気さえしてくる。低いボーカルで囁くように歌うのもこの雰囲気を邪魔せず、展開部でブレイクの際にのみ地声で、それも囁くようにフレーズを歌うのみの様がクールに決めている。キスみたいな音はご愛嬌。というか曲展開が、ジャズやファンクを経由したブルーズ展開になってる。Princeは結構この展開を使用する。

 このミニマルなトラックに、派手なショウめいたホーンセクションがサンプリング的にところどころでキメッキメに挿入されるのもまた1990年代的な雰囲気。間奏にオルガンソロがあるところなんかも。そこからのギターソロのジャジーな渋さがまた良い。こういうのも難無く嫌味なくやれるのは強い。終盤はいよいよゲストのラップ的なものも多重に重なり、ちょっとしたカオスを作り上げ、タイトル連呼の展開でしばらく引っ張ったのちに、実に呆気ないスネア一発で曲を閉じる。この終わらせ方もPrinceにおいては結構珍しいかも。とことんまで当代風のクールネスに寄り添ってみた結果なのか。

 ちなみにタイトルの過激な単語は、その前に“sexy”が付くことからも察されるとおり、むしろ称賛的な形で使われる方の意味合いらしい。そして歌詞をよく読むと、身体目当ての話じゃなくて心でこそきみと繋がりたいんだ、という、ワイルドなスタイルとは裏腹の相変わらず誠実純真なPrince Rogers Nelsonその人の感じだった。

 

分かってよ これは性愛についてなんかじゃないんだ

要するに この人生に責任を負うことについて ついでに来世も

なんでこんな途方もない話をしてるかって?

ただきみに ぼくなんかよりずっと賢くなってほしいんだ

ぼくらがともに歩み出すときにはね

 

さあおいで セクシー・マ●ーフ●ッカー

 

ああ、絶対この人ギャングスタラップとか無理な人だ。実際、ギャングスタラップが大ヒットしていくのをどんな思いで見てたんだろう。

 

 

13. Dreamln' about U(from 1996『Emancipation』)

 White Album期のJohn Lennonめいたミニマルなアルペジオを空気感たっぷりに演奏するのを軸とした、少しエキゾチックさを含んだ妖艶なドリーミー感が空間を満たしていく楽曲。こういうのもやるんだ、というシリーズのひとつで、しかしこの曲においてはどことなくR&Bの雰囲気も感じられて、John Lennon的なああいうアルペジオってR&Bに転用できるもんだったのか、という意外性がこの曲の価値を高めていると思う。ドリームポップ的なR&Bとして見てもなかなかない完成度で、薄く効いたAOR風味といい、今日的に見てちょっとすごい曲かもしれないこれは。

 件のJohn Lennonアルペジオについては曲が始まってすぐに、厚いリヴァーブのベールの向こうで怪しく繰り返され始める。抑制されたリズムとトライアングルの定期的な響き、そしてバックで薄らと膨らむパッドシンセによって徹底的に輪郭をぼかされたこのアルペジオは、この曲の妖艶さの秘密であるかのようにアレンジによって時に秘匿される。そのアルペジオによって導かれるコード感こそこの曲の雰囲気を決定づけていて、ボーカルもその枠の中をどこか存在感が不確かなようなエコーを浴びてファルセット気味に歌い、呟き、または喘ぐ。囁き方のどこか催眠術じみた響き方。曲構成のサイクルの終わりに毎回現れるブレイクで秘匿が解けて聞こえてくる、ギターのハーモニクスの響きにハッとする。途中からはボーカルとともにサックスもこの夢遊空間を漂うようになる。

 2分40秒くらいからのアコギのソロは薄くラテンのフレーバーを効かせ、この曲がドリームポップ化したボサノヴァなのかもとも思わせてくる。終盤は呟きとボーカルが並走し、そして曲のサイクルに従ったブレイクとハーモニクスによって、実にあっけなく、まるで眠ってる時に見た濃厚な夢を起きてすっかり忘れるかのように曲は立ち消えてしまう。その儚さも込みで、この曲は美しいんだろう。彼が“夢”という曖昧な概念に本気で挑んだ結果として、素晴らしい幻想の閉じ方として完璧な終わり方だ。

 

発語される言葉の周りを巡っていく 太陽と星々みたく

きみがほしい きみの舌は素晴らしく傅かせてしまう

ああ ぼくはきみに買われてしまった

部屋にひとりでいるときはただ薔薇を眺め きみを夢見る

 

部屋にひとりでいると きみを夢見ずにいられない

部屋にひとりでいると きみを夢見ずにいられない

しなきゃいけないことをするときもいつだって

きみを夢見ずにいられない

 

普通のポップソングに乗ってれば可愛らしく思えるこんな歌詞も、妖艶さの底がどこまでも微睡んでいくこの曲だと、なんだか危うささえ感じさせる。それはどこまでもロマンチックな危うさだ

 

 

14. Circle of Amour(from 1998『The Truth』)

 アコースティックな作風で統一した、それこそ本当にアコギ弾き語り形式の楽曲も散見される『The Truth』からの1曲。優しい弾き語りで始まりつつも、次第に演奏やコーラスが重なっていき、怪しげな展開を終盤に挟みつつも終始しみじみと穏やかで優しいムードが広がっていく楽曲。この曲もフォーキーでドリーミーなポップスのようでありながらもどこかR&B的な質感がうっすらとあり、こういう方法論のR&Bもあるのか、という感じがする。『Emancipation』の続きっぽい雰囲気かも。個人的には上の曲との繋ぎがとても良く感じてる。

 いきなりソフトなアコギのコード弾きとともに歌が始まる。上の曲と対照的に、こちらはまるで目の前でPrinceが座ってアコギを抱えて歌い掛けくるかのようなアンビエンスが備わっている。次第にコーラスは重なってはくるものの、この“素の”Princeの優しげなボーカル自体がとても美しく、展開部でのファルセットの美しい緊張と弛緩の仕草といい、弾き語りオンリーでも余裕で成立するだろう素晴らしい表現力。それでも、彼はこの曲に伴奏とコーラスを付けることを選択し、そしてそれは、弾き語り形式よりもこの曲をより柔らかく可憐なものにした。エレピやチェンバロ、ピチカートのストリングスなどの可愛らしい音色のものを徹底的に選択した、手作りのウォームさを感じさせる、的確なアレンジ。

 間奏のクリーントーンのギターソロも渋みとキュートさの絶妙な塩梅は本当にクリーントーンの名手だと思わせる。この辺りから楽曲に可愛らしさだけでなく、どことなくエロティックな響きも添加された感じがする。ミドルエイトの展開は静かなアレンジながら歌詞共々怪しさが急に忍びこみ、そして3分半くらいに一旦曲が静かに終わってから、急にそれまでになかったコード進行でアコギとファルセットが並走する煌びやかな展開は幻想的で、そこからそれまでよりも静かにアレンジされた最後のサビに着地して静かに終わっていく。

 歌詞は4人の女性名が登場する、ある意味物語調というやつなのか。可愛らしい楽曲に見合う学生の彼女らの暮らしぶりを描写しているのか、と思わせといて、自体は次第に怪しい方に向かう。

 

想像力の窓を開く 9月の寒い日のこと

落葉は茶色づく 情熱が響いてくる

記憶がはぐれてくことなんてそんなにない

Vコネクトのある場所で4つの手 4人のギャングだち

成熟への過酷な競争の最中の セックスの環

みんな恍惚として気を失いそう 淑女らの首筋を伝う汗

このサークルゲームに敗者はいない

だって思い出にはそれ以上のかちがあるから

マリー クレア デニス ベル 愛(情事)の環

 

しれっと「思い出は何よりも尊い」みたいなフレーズを付け足してるけど、なんかエロ漫画みたいな光景が広がってる…。こんな可愛らしい曲で何やってんだこの人…。

  

 

15. Dinner with Delores(from 1996『Chaos and Disorder』)

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シングルとはいえみなしごのような作品にしたはずなのに小洒落たPVを作る、彼の作品に対して非情になりきれなさ。

 

 3分足らずのサクッとした尺で淡々とかつ瑞々しく進行していく、大人しく纏まりつつもだからこそのキュートな可愛らしさが詰まったポップなシングル曲。彼が頻繁にリスペクト先に名前を挙げるJoni Mitchellの影響が出た曲と言われるけどもそうかな…そうかも…?それにしても、こんな曲を大荒れのロックアルバム『Chaos and Disorder』にそっと忍ばせるバランス感覚は素晴らしい。

 イントロから聞こえてくる、おそらくフェイザーによって少し溶けそうな音色になった水のようなアルペジオがいきなり麗しい。ファンクやロックの感じもほぼなしに小綺麗に整った楽曲自体の雰囲気もあって、どこかヨーロピアンな情緒が漂う。メロディ構成も淡々と進むヴァースとちょっとキュートにシンコペーションするリズムのブリッジでシンプルに構成され、特にブリッジのメロディのプリティさは、ホームドラマ的な下世話さに落ちないギリギリのところで気品を保ってる。子供っぽい感じではなく、化粧品めいたキュートさというか。ボーカルもひたすらソフトに徹し、コーラスもまるでささやくように入ってくる。このような、実にPrinceらしからぬシックな性質のムードは、ひょっとしたら他に似たような系統の楽曲がないかもしれない。

 尺が短くて良質なポップソングにしばしばあることとして、安定した展開の繰り返しの中にちょっとした不安を滲ませるセクションを挟む手法というのがある。この曲の彼もまた、少しメロディを崩したヴァースの後に、ブリッジのメロディをより不安なコードに置き換えて歌うパートを挿入し、短いこの曲にささやかなドラマチックさを演出する。そして次のヴァースの後に入るギターソロも、まるで弓で引くかのような優雅さから終盤少しだけ暴れまわりつつ、最後のブリッジ、そして呆気なく終わるヴァースへと安定して繋がり、この曲の小ぶりなポップソング特有の寂しさに彩りを加える。

 歌詞も、何かしら現実的な皮肉の渋みを効かせつつも「ある日の物語」みたいな形でちょっと不思議にかつ綺麗にまとめられている。この曲好きなので全文訳してみよう。

 

デロレスとの晩餐 何か罪めいても仕方ない

ブロントサウルスみたく 彼女は詰め込んだ 最初の晩

次の機会までには この娘は先端以外は全部食べ尽くした

 

で 夜12時近くに 彼女はもう少し欲しがってた

ある種の売春婦みたく汚らわしい映画を観てた

でも 彼女は時間をすっかり無駄に費やすこととなった

だってぼくが彼女のドアをノックしにいく筋がなかったから

 

デロレスとの晩餐 何かしらの罪だろうね

彼女のベルはただただ壊れてしまってる 1984年以来ずっと

ディスコの薄汚れたフロアで 白人の少女みたいに踊ってる

畜生 デロレス 頼むから他の話題を選んでおくれ

きみの膝下よりもっと別のところカーペットを広げてくれ

 

真実の告白のように 貴方ほど立派な人もいないだろう

推察しうるものなど残っちゃいないが お気の毒にね

 

ぼくはきみを友達と呼ぶけど それも罪なんだろうね

もう向けれる頬もないね

 

デロレスとの晩餐 話はもう残ってない これで終わりさ

 

表現が日本人の感覚的にしっくりこない部分が多くて真意は理解し難いけど、こんなヘボ訳でもどことなくしみったれた逢瀬だったことは察せられるでしょう。「話題を変えてくれ」と懇願するところとかいたたまれない。1984年は彼が大スターになったきっかけの『Purple Rain』が出た年。過去の思い出話や栄光にうんざりして今この時をどうこうしたい、という彼の心情がそっと忍ばせてあるのかな。それにしても、比喩にブロントサウルスとか言い出す人初めて見た…。

 密かなお気に入りだったのか、彼の死の直前のピアノ弾き語りツアー“Piano and Microphone”でもこの曲が取り上げられるなどしていた。個人的にも、こういう類の繊細なPrinceもあるんだということは静かに驚かされて、とても好きになった1曲。

 

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16. It's about That Walk(from 1999『The Vault: Old Friends 4 Sale』)

 実にテンポよくビッグバンド風のノリでホーンやキーボードをバックにギターもパッキパキにカッティングをかましつつファルセットでキメまくる軽快な楽曲。この曲もまたPrinceの音楽的な守備範囲の広さを感じさせつつ、それがそれほどメイン軸として求められてないし本人もバリエーションのひとつくらいな感覚してる雰囲気が収録アルバムが蔵出しの編集盤であることから察せられもする。

 そんな蔵出し音源にも関わらず、演奏は実に溌剌としていて、えらくハキハキとした録音のドラムに導かれて、ジャズバンドの楽団の一員としてホーン等の演奏の隙間にイキイキと細かいギターカッティングをキメまくるPrinceの姿が浮かんでくる*26。クレジットを見るに流石にこれは1人録音ではなく、ダビングこそあるかもだけども合奏を録音したものではあるだろう。1人録音の際の密室感・緊張感は当然ここにはないものの、しかしバンド内のひとりのプレーヤーとしても一流の腕を持つことを証明し、何よりもとても伸び伸びとしてる感じがする。ブリッジでのギターカッティングとかもうホーン隊に勝つ気満々でカッティングをキメまくってるのが目に浮かぶ。そういう感覚は終始ファルセットで通しながらも爽快感に満ちたボーカルにも言える。終わりそうで終わらずに引っ張る終盤の演奏もまた楽しい。

 1993年の録音ということで、たしかにこんなに健全に元気あるもの『Come』にも『Chaos and Disorder』にも居場所がないし、『The Gold Experience』に入れるノリの曲でもない。こんなにバッキバキで完成度高いのに*27。だけど、結局ワーナーの最後っ屁とはいえちゃんとリリースされたんだから良かった良かった。 

 

 

17. Cream(from 1991『Diamonds and Pearls』)

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しかしえらく金の掛かってそうなゴージャスなPVだ。まるでMicheal Jacksonみたい。

 

 実に淡々としたリズムとメロディ展開で色々とシュールなギターアクション等をバックに、ユーモラスだけど不思議にキャッチーな雰囲気を形作っていく、考えようによってはPrince流グラムロックとも呼べそうな大ヒットブギーナンバー。歌詞でブギーって言ってるからブギーなんだろう。なんせ全米No.1ヒットナンバー。世間的には1990年代の彼の代表曲はこれになるんだろう。それにしてはファンクともR&Bともロックともつかない、ブギーにしてもヘンテコで不思議な雰囲気で、それがそんなに売れたのが不思議だけどなんだか可笑しい。まあ『When Doves Cry』といい『Kiss』といい、PrinceのNo.1ヒットした曲は結構どれも様子のおかしいところがあるけども。

 どこか寝起きの意識がはっきりしないうめきじみた冒頭からしてこの曲は脱力に満ちている。この曲、その後の歌も演奏も、ソウルな気合いが感じられるゲストボーカル以外はすべて「フニャフニャに弛緩したものにすること」を目的に演奏されている感がある。この曲でよく出てくるとぼけきったワウギターの間抜けな響きはその典型と言っていい。間延びしたリズム、起伏はないこともないがダラーっと通過していく感じの曲展開など、まるで気迫の感じられないだらっとした、しかし不潔な感じはせずラグジュアリーな感じ、という絶妙なラインをこの曲で狙ったのかもしれない。同じスッカスカの演奏でも、奇妙な緊張感の漂う『Kiss』とは大いに違って、こちらは曖昧にダラけてるからこそ生じる無限の“余裕”みたいなのを感じる。そこに“Cream”という題を付けるセンスは実に的確で何気に凄まじい。

 最初基本ワウで間抜けなオブリを入れるギターは、次第にピッチシフターか何かでさらに変な音になっていく。何気にこの曲は、Princeがとりわけ様々なギターエフェクトを活用したヒット曲でもある。その結果、特に終盤の演奏で出てくるギターの音はともかくヘンテコに加工されまくって、徹底してふざけきってる、人をナメるのも大概にしろ、って感じの音を出してる。これがNO.1ヒットだ。世の中全然分からない。

 歌詞は典型的な「相手を讃え、エロい感じに持ち込もうとする」雰囲気の曲。だけど露骨じゃない、タイトルもどうとでも捉えられる感じがヒットの要因のひとつか。ただ、相手への思いやりにはPrinceの人柄がやっぱり滲み出す。

 

きみはサイコー 誰もかないやしないね

だからね 決して字面通りにやっちゃわない方がいいね

めっちゃクールで やること何でも大成功さ

だからもう ルールを作って そしてみんな破っちゃえ

だってサイコーなんだもん きみはもう

 

 どうとでもなるスッカスカな曲構成が功を奏して、ライブではさまざまなアレンジが繰り広げられてきたとのこと。特に弾き語りでの愛嬌たっぷりな様を観てると、なんでこれが大ヒットしたのか、その理由の隅っこだけでもちょっと分かってしまうかも。

 

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18. Papa(from 1994『Come』)

 アルバム『Come』の暗いムードを決定づける役割の、メジャーコードの楽曲のくせにやたらとダークに荒れた雰囲気と生々しい「子供を虐待する父親」の歌詞がストレートに悍ましく、終盤の展開共々カオスな楽曲。同作のヒップホップ系トラックのダークさとも趣を異にする、妙に開放感だけはある音のムードの中に広がる薄気味悪くヒステリックな感じが、嫌らしい存在感を放っている。そもそもファンクかも怪しく、やはり彼の楽曲の中でもかなりオルタナティブな位置付けになってしまうであろうタイプ。

 イントロから聞こえてくるギターのフレーズからして、ピッチがフラフラと揺らされていて実に不気味な感覚が漂う。何もしなければセブンスの効いた単調で少し間の抜けたメジャー調のアルペジオの類だろうに、アンビエンスの具合共々、一手間でここまで不穏さを煽るものになる。謎の爆発音めいたものに導かれて入ってくるリズムの方もまたファニーなハネ方をしたもので、スネアの代わりのクラップ音といい、えらく低い音程のベースといい、的確に奇妙なテイストを築き上げる。

 そんな奇妙さのままループしていくバックトラックの上で、語りベースで始まったボーカルは、1分を超えたあたりから急にヒステリックに叫び始める。そして、まさにこの曲の歌詞のテーマであろう、子供に対して暴力を振るう瞬間を、ヒステリックなシャウトとスネアによって直接的にアタック感として表現する。よく聴くとバックで同時にこれまたファニーな調子のワウギターが重ねられて、醜悪さが地味に増してる気がする。

 2分15秒くらいで唐突にそれまでのループが止み、スネアの連打を経て、ワウ込みでグチャグチャに歪んだギターとPrinceのシャウトがヘヴィなビートの上を暴れ回る光景に楽曲は一気に変貌する。特にドラムのフィルインは彼の音楽全体で見てもえらく細かく乱打される。そして、実にぶつ切りな感じで楽曲は終わる。余韻の無音部分も殆どなく、否応なしに次の曲に接続されてしまうくらいの余韻のなさ。終盤のこの30秒くらいの展開は、まあ歌詞の訴えから意味は分かるけど、しかしどういう効果を狙ってこんな唐突にロックで激しい演奏を…?

 この曲の歌詞は子供の虐待をテーマにしているだけでなく、最初の“殴打”のセンテンスで幼児を痛めつけた後、次のセンテンスでは先ほどまで“殴打”していた父親が、何かしらの自身のパートナーとの愛情の行き違いに苦しんだ後、ショットガンで自死するところまでを含んでいる*28。そのような誰も救われない光景を経て、最後の唐突にロックするセンテンスでPrinceは訴えかける。

 

子供たちを虐待するな さもなければ私のようになるぞ

狂気を幾らか持つのはフェアに見て 奥底で我々は同じだ

我々それぞれひとり みな何らかの痛みを知っている

そんな狂気全体の只中で しかしある真実は依然として残る

誰かを愛していれば 人生は無駄には終わらない ということ

そして 雨が降った後にはいつだって 虹が架かるものなのだ

 

あまりに直接的で、かつ結論が甘々なところもあるけども、サウンドも含めると間違いなく、彼は真剣にこのメッセージを届けたがっている。

 

 

19. Dolphin(from 1995『Gold Experience』)

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 エフェクティブで繊細な導入からどんどんバンドサウンドが進行していき、力強かったりポップだったり勇敢さだったりとどんどん曲調が変化していくドラマチックな楽曲。同じ曲調が変遷していく曲でもヤケクソ気味な『Same December』と比べるとよりもっと真面目にストーリーを描いている感じがある。ちなみに先に歌詞について言っておくと「イルカに生まれ変わって生前拒絶された“きみ”に会いにいく歌」。ラリってんのかこの人…と思うけども、曲と合わさってめっちゃ純真…。そして、ここまでガッツリとバンド形式でギターメインで、さまざまなエフェクターを切り替えながら楽曲を作られるとやっぱりもはやPrinceはインディーギターバンドじゃないか…となる

 のっけからいきなりトレモロの掛かった陶酔的なギターコードをバックに歌が始まって、その静かさがとても繊細で幻想的で、別にこの水中のような雰囲気のまま楽曲が終わってもそれはそれでドリーミーな佳曲として纏まるだろうな、と思わせる。収録アルバムが『Come』ならそんな曲に仕上がってたかもしれないが実際はやりたい放題なエネルギッシュさあふれる『Gold Experience』で、この曲はここから様々な展開を見せていく。

 ベースとドラムが静かに入り、いかにもなギタースクラッチが静寂を破って、サビ的なセクションから本格的にバンドサウンドに移行していく。スクラッチの派手さの割に爆発的なサウンドではなく、またメロディもこの段階ではそこまで抜けていくわけではないけどポップで、一気に視界が広がるような感覚は間違いなくある。アコギの清涼感と、歪みつつもリバーブを効かせてバックでドライブ感あるフレーズを流すエレキによる推進力のコントロール。この清涼感が、サビ後半部の頭打ちのリズムとともにより盛り上がるメロディで高まるところがこの曲のサビセクションの構成となる。

 2回目のヴァースからはより劇的に楽曲が彩られていく。最初と同じメロディなのに明らかにバックのコードがより劇的なものに差し替えられていて、最初の心細い感じからするとえらく勇敢な風に変化している。2回目のサビを超えた後にはミドルエイトが始まり、こちらもまた壮大さと心細さを感じさせつつ、少し戯けた調子を経て、この曲で最も派手に勇敢そうなギターソロに繋がっていく。凛々しいコード進行をバックに、様々な他の音も挿入されつつもどこまでもヒロイックに伸びていくギターフレーズの数々は、自身を物語の主人公と信じて疑わないような、ピュアなエゴを感じさせる。

 最後のサビのシャウト気味なボーカルも混じって大変に盛り上がった後にも、リズムチェンジした上でそのまま終わらずに少し不穏なトレモロギターのコードを響かせて、一筋縄で行かない終わらせ方をする。ハッピーな終わり方では満足しなかったのか、ともかく変化の多い物語チックなこの曲に少し不穏な影を忍ばせて幕を下ろす。

 歌詞冒頭のフレーズがとても澄み切ってて美しい。その割に全体で見ると、疎外感の表出と、そしてどことなくワーナーへの恨み節になっているのが何とも言えないが。

 

須く人心を得る前には 言葉たちはどれほど美しくないとなのか

ぼくが始めるのをきみが止めてくるなら

ぼくが正しいキーで歌ってるかなど どんなにして知れるものか

 

もしぼくがイルカの姿で戻ってきたら 話を聞いてくれるかい

友達になってくれるかい 仲間に入れてくれるかい

きみはぼくのヒレを全て切れるけど

でも君のやり口にぼくが折れることはない

きみに泳ぎ方を習う前にぼくは死ぬだろう

でも また戻ってくるのさ イルカになって

  

  

20. Wherever U Go, Whatever U Do(from 1999『Rave Un2 the Joy Fantastic』)

 Prince版『Every Breath You Take』か、みたいな落ち着いたポップさと、どことなくそのギターの雄大な使い方にU2的な要素なんかも感じられる、実に優しげな楽曲。バラードでなく淡々と進行するタイプの曲でここまでウォームな方向に優しく形作られた曲も彼において珍しく、収録アルバムの末尾を一旦綺麗に締めるべく丁寧に作られたものと思われる*29。Princeらしからぬ名曲数あれど(このリストはそんなんばっかか)、ここまで優しいロック仕様なのも珍しい。

 淡々と太く刻まれるエイトビートの後に聞こえてくるのは、優しげな響きのアルペジオと穏やかに整えられたブリッジミュートの刻み、そしてゆったりと優雅に鳴らされるリードフレーズ。この曲は終始このペースを維持し続け、その単調な安定感の中だからこそのホッとする感覚をとても大事にしている。コーラスの効いたギターのダビングと定期的にループするトライアングルのちょっとした響きがアクセント。ファルセットのボーカルや所々のスラップベースはあるものの、おそらく作者本人を含め誰もこの曲をR&Bとはカウントしないだろう。ボーカルも実に端正で、少しソウル由来の粘り気を見せるものの、そのファルセットを軸とした歌は濁り気なく透き通っている。ボーカルの重ね方もファンタジックで優しく美しく、感動的。

 歌のサイクルの終わりに入るブレイクも、緊張感というよりもむしろ優しさにより共に生じる寂しさみたいなものを感じる。2サイクル目以降には伴奏として、U2でおなじみの付点8分ディレイのギターも聴こえ始める。Princeがこの技法を使うのは珍しく、割と本当にこの曲だけじゃなかろうか*30。この技法ならではの雄大な感じの反響とボーカルのハーモニーとの相性は絶妙。同じメロディの繰り返しながら終盤の曲展開を転調によって形作るところもあり、この曲の少し地上から浮遊してるような感覚は、彼の他の曲にはそんなに見られない、この曲だけの趣がとてもよく出ている。終わり方の呆気なさまで含めて潔く快い。

 そういえばどことなく曲タイトルもU2っぽい気がしてくる。歌詞は、他者を無限に励まし寄り添う、彼の中の優しさを精一杯絞り出さんとしたかのような内容。収録アルバム制作前に、最愛の人との間の子供を亡くすという悲痛なことがあったのを受けてのところもあったんだろうか。どこか霊的なところがまた悲しくも美しい。全文訳。

 

きみがどこへ行っても何をしても 思い出してほしいんだ

ぼくはいつもきみのためにそこにいるって

電話も発語も要らない ただぼくを想えば その路に行くさ

心配はしてないんだ きっと君は大丈夫だから

だってきみが幸せなら その幸せはぼくのものでもあるんだ

きみがどこへ行っても何をしても 思い出して

ぼくはいつもきみのためにそこにいるって

 

きみがどこにいたって 夢を想い続けていて

覚えていて 人生はいつも眼で見たとおりじゃないんだ

きみの旅路に雨が降る日ごとに 太陽も輝るから 大丈夫さ

笑顔を絶やさないでいて 少年少女たちみんな

思い出して 子供の頃 おもちゃを持ってたろ

きみがどこにいたって 夢を想うのを絶やさないで

覚えていて 夢がそのままきみが辿る人生になっていくんだ

 

きみが何をしたって 負けてもオーケーなんだ

選んだゲームたちから時折きみが学んでいく限り

確かなことひとつありさえすれば いつだって耐えていける

やることなすこと全部ベストを尽くそうとするのなら

意図することを言って 言うことを意図するんだ

心砕かれたその代償は 支払えないし そんな価値もないよ

きみが挑む必要がないんならね

賭け金が高くなればなるほど 空もまた高くなるんだ

きみがどこへ行っても何をしても 思い出してほしい

ぼくはいつもきみのためにそこにいるって

 

やはり、自分で自分に言い聞かそうとして言葉を絞り出そうとしている感じがするかも。

 

 

#3

21. Can't Stop This Feeling I Got(from 1990『Graffiti Bridge』)

 前回のコーラス記事後編でも取り上げた、ファニーでポップなPrinceをひたすら遂行するハネたリズムのコミカルでロマンチックな楽曲。要素要素が実に岡村ちゃん。このプレイリストで改めて聴き返してて、あれっこれギターに掛かってるエフェクト本当にコーラスか?フェイザーじゃないか…?と不安になり始めた。

 元々は1982年リリースの『1999』の頃のアウトテイク*31。だからなのか、メロディの感じもビートのノリもエフェクトの混ぜ込み方も1980年代っぽさの方が強い。でもアホみたいに楽しい。小気味よくカッティングされアルペジオされるギターと、ミネアポリスサウンドって感じのいい具合に安っぽいシンセ。ブレイクの箇所はちょっとロマンチックにもなったりして、展開のさせ方が普通に手練れてる。

 タイトルのとおり、高まる気持ちがともかく抑えられない!って感じの歌。

 

この感じ止めらんねえ 夜も眠れんわね

止めらんねえ ねえ いっぱい好きだよ

永遠の光について話してるんだよ

気持ち止めらんねえ 靴履いたままブルっちゃうね

気持ち止めらんねえ 医者も施しようがないってさ

 

 

22. Da Bang(from 1998『Crystal Ball』)

 エフェクティブなギターをルーズに弾いて歌ったダルなノリの楽曲、と思わせといて唐突にサウンドを切り替えて意味不明に急加速する、という流れを繰り返し続ける、なかなかに支離滅裂な曲。1995年頃に気晴らしとして録音され放置され、『Crystal Ball』にて拾われたもの。まあそりゃこんな雑で変な曲『Emancipation』に入れるのは無理かなあと思わせるくらいには雑で変だけど、そのゴミっぽい様がクセになる。“Princeのギター演奏”の側面で見てもこの曲の特殊さはちょっと外せない。

 いきなり歌とギターが目立つ抑制されたバンドサウンドで始まる。ギターには結構なリヴァーブとディレイが掛かっていて、それをラフにコード弾きするのを繰り返す様子はPrinceの楽曲として珍しい光景。リズムが少しシャッフル気味なこともあり、エフェクティブなリフを軸にしたブルーズ、というスタイルになっていて、このままいけば幾分退屈さはあるけどもラフでエフェクティブなオルタナブルーズ、くらいの楽曲に落ち着くだろう。

 しかし、ブルーズ形式の展開部でよりダラっとしたメロディが歌われた後、楽曲は急加速しまるでパンクじみたビートで疾走し始める。同時にギターも実に安っぽくインダストリアルな歪み方をし、それまでの渋みや余裕さは一瞬で消え去る。初見で「は?」ってなるだろう。何気にPrince全楽曲で最もBPMが速いのではないか。だから何だ、と思うくらいにスカムな展開だけども。こういう歪ませ方を彼が使うのもレア。それもだから何だ。何気にベースが変な音色でのスラップなのもバカバカしさが増す。

 そして何もなかったかのように元のダルな展開に戻り、また加速、という形に楽曲は展開される。微妙にファニーなコーラスが追加されたりするのは本人が自分自身でこの曲に飽きないようにするための工夫か。加速パートは2回目以降展開が追加され、ベースがよりベッチベチとスラップを無駄に叩き込みまくる。最後の加速パートではついにPrinceもアホなシャウトを連発し始めて、もう完全に収拾などつける気もないまま楽曲は唐突に終わる。

 

で 話は次のとおり

きみのためにここにいる 退屈もせず クールさもなく

きみが誤魔化そうとして乗り切りたいのならね

(何の話してるか分かるだろ)

 

糸繰り人形みたく 踊りましょう歌いましょう

きみが約束してくれるのなら あーバンバンバン

 

この曲もそこはかとなくワーナーに対する皮肉や嫌味を言ってるのかなと。

 

 

23. Shy(from 1995『The Gold Experience』)

 微妙にファンキーでブルージーなポップさを持ったメロディの繰り返しを、いなたいギターの荒いコードカッティングに始まり次第に不思議な広がりを持ったサウンドに展開させて繰り返していく、何とも言えない楽曲。明確にキャッチーなサビ的なものも、逆に雰囲気で聴かせてしまうような緊張感もないけども、しかし不思議にやたらとくつろいだ風の開放感があって、明るくも暗くもなく仄かにウォームな感覚のファンクネスが質感として残る。どこまでが計算された抑制なのか結果的な中途半端さなのか分からないけども、この曲独特の雰囲気を確かに持つ。

 雑踏のSE、救急車か何かのサイレンの音の中にリズムとブルージーなトーンのギターが混じり、やがて歌ともラップともつかないボーカルが入り、そして荒いクランチトーンのギターがかき鳴らされて楽曲は始まる。こういうコード弾きの延長のギターリフをバックに歌うPrinceの曲は珍しいので、この曲はそういう趣向かあ、と一旦は思う。このまま最後まで進行してもなかなかにブルージーな佳曲だったろう。

 しかし、ブルーズ進行の展開部でシンセが入ってフワッとしたムードが入って以降、クランチのギターカッティングは消えてしまう。代わりに細かいアコギのフレーズ等を積み重ねた形で音が作られ、元の荒々しさが急にやたら緻密な音作りに取って代わられる。なんで…?しかもそのくせ、ボーカルのトーキングな調子は引き続き同じ調子なので、アレンジだけが完全に移り変わった形になる。ファルセットのコーラスも重ねられて、どことなく明るく開けたような雰囲気はするものの、しかし歌のメロディはやはりブルーズ的な要素があり続けるため、決して楽観的なポップさの方には解消しない。この、サウンドと歌との不思議に乖離した並走具合、はっきりとポップにもならず、しっかりとブルーズな音にもならない不思議さがこの曲の最大の特色だろう。まず普通のブルーズ演奏者は絶対こんな音でブルーズを演奏しない…と思ったけど、そういえば3枚目のアルバムのLed Zeppelinは少しこういう要素があるか…。

 それにしても、ギターにしてもシンセにしても様々なフレーズがどんどん登場してサウンドはカラフルなところがあるのに、歌のブルーズ具合が実にアレンジの華やかさを解放させない。間奏ではいなたいクリーントーンのソロも格好いいけども、そういえばこの曲はリズムもはっきりとドラムが入らずにキックとタンバリンで引っ張り続ける。様々な要素が“典型的にこういう感じの曲”となることを拒否していて、この曲は地味に本当にカテゴライズ不能な不思議ブルーズになっている。終盤はどこかエキゾチックな雰囲気も醸し出しながら、最後の最後でようやくキーのコードに静かに到着して終わる様は、延々と安らかさに到達することを5分も引っ張り続けた末の、ささやかなご褒美のよう。

 Prince自身が実にシャイな人間だということはあるけども、別にこの曲はそのことを素直に歌うような曲ではない。というかこれ何の歌なんだ…?

 

言葉より遥かに雄弁な表情の後に 彼女は言った

通過儀礼が終わったの ある私の友人が殺されて

 その報復にその男の子を撃った 頭に2回ね

 後悔も悲しさも無い 明日彼が死んでるのを確認しに戻る

 だってそうしないと臆病者呼ばわりされるから

 でも 呼んでくれてもいいよ」

 

シャイ 熱い純白さにクールな褐色肌

唇はしないと言っても 身体はもしかしたら…と言う

どうやら今夜は家まで相当遠回りすることになりそうだ

 

彼の歌には珍しい、ちょっとばかりギャングスタラップ的な世界観が展開される。でも別のセンテンスでは彼女の発言をブラフだと呼ぶ場面もあり、よく分からない。スリリングで刺激的な一夜、みたいな雰囲気を表現したいだけなのか…?

 

 

24. I Like It There(from 1996『Chaos and Disorder』)

 Princeの楽曲だということを考える余地が殆どないくらいにスッキリと抜けてくる、ただただ爽快なパワーポップ。やっぱりPrinceはインディーロックなんじゃ…と大いに思わせてくれる。少なくともこれが2曲目に来る収録作『Chaos and Disorder』はどう考えてもインディーロック。当時のThe Smashing Pumpkinsあたりが演奏しててもおかしくないくらいの。

 冒頭から荒々しいブリッジミュートのギターと歌でスタート。R&B?ファンク?何それ食えるの?ってくらいにモロにロックなその始まり方は、最初のヴァースが終わってバンド演奏が始まるといよいよロックそのものといった風情。何気にスリーピース編成分の楽器しか入っておらず、つまりリズム隊以外の楽器は多くの場面でギター1本だけで、この曲もまた基本一発録りだろうな、って感じ。その乱暴さがそのままこの曲の魅力でもある。歌も実に伸び伸びと明朗に粘っこく歌う。

 ブリッジの部分の頭打ちのビートとコーラスワークで、絶妙に煮え切らないまま元のメロディに戻るところもいい具合にUSオルタナティブロック的。そして、この辺でこの曲を構成するセクションが全て出揃うのというのも実に早い。40秒経ってない。このシンプルさがまたいい具合に雑で、好きな感じのオルタナだなあ。あとは語りが入ったり、マジでスリーピース編成の楽器数のままバッキングスッカスカのギターソロに突入したり、そのソロも弾きまくるのではなくダルげなロングトーンを多用していたりと、これはもうPrinceさん確信犯でそういうことをしてるなと。終盤になって自由自在にシャウトするボーカルの勢いがまた楽しい。そして最後は謎の銅鑼エンド。この曲バカの作った曲です。この必要性皆無な銅鑼だけをもってもPrince全楽曲でもバカ度合いは上位に入るだろうなあ。

 歌詞もなんか勢い任せで書いてそう。やたら“digging you”連呼するし、セックスソングか。

 

毎日毎日 きみを悦ばせてる

シェイクスピアが言ってないことをオレ言えるかな

“胚芽”みたいなね ベイビー

このきみが必死に求めてくる感じを中絶しないでね

オレの感情的な全て床に射精するぜ

そしてさらにさらに きみの天国めいたボディ

誓おう 誓おうそれが大好き イエー

 

良くも悪くもテキトーに作ったアルバムだと『Chaos and Disorder』は言われるけど、ここまでドライブ感オンリーで作られたらむしろ爽快かなっていう。

 

 

25. The Holy River(from 1996『Emancipation』)

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 曲名にも表れているとおり、清らかさをとりわけ求めて制作されたと思われる、神聖にしてきめ細やかなフォーキーさが異色にして実に丁寧な、しかし終盤でちょっとコミカルで大仰な展開も盛り込んでしまう、ポップな名曲。PrinceのSSW趣味が最も色濃く表現された誠実で美しい曲で、正直終盤のファニーでスペクタクルな展開は蛇足では…と思わんくもない。そして、歌詞で当時の自身の結婚のことについて真摯にかつロマンチックに触れてしまったために、その後の不幸による離婚もあって、本人にとって辛いものとなってしまった楽曲でもある。

 イントロもそこそこに、すぐにこの曲の本題であるサビの歌が始まる。多重に重ねられたアコギの清涼感ある響きに乗せて、こちらも複数重ねられたファルセットのボーカルラインにはポップさがあり、そして何より清らかであろうとする作り手の意思が冒頭からいきなり響いてくる。この曲は最後の数十秒以外はひたすら、メロディが変わるブリッジ部含めてこの基本軸の雰囲気を大切に貫き通していく進行となっている。ヴァースはサビと同じメロディを地声で歌う。ブリッジでそこそこドラマチックに動くとはいえ、基本キー周辺の安定した穏やかなコード感で進行していくのは、この曲が様々な苦難を経て到達した“約束の地”として確固たる意思で築かれているためか。その清らかなメロディラインには彼がずっと敬愛を表しているJoni Mitchelの影響も珍しく割と分かりやすく表出している。

 その同じテンションの繰り返しで、少なくともエレキギターが現れて楽曲の様子が変わってくる5分前くらいまでは延々と繰り返していく。それが退屈かというと全然そうではなくて、Princeお得意の言葉の畳み掛けで同じメロディでもどんどん感覚を変えていくところがこの曲では遺憾無く発揮され、所々で感情を少し爆発させて進むヴァースがブリッジによってキャンセルされて連なっていくことで変化を付け、また、所々に設置された切なげなブレイクのセクションもまた、この「永遠に揺るがない」かに思える安住の地の感覚にちょっとした不安を投げかけてくる。それらはまるで、この曲のテーマ部の揺るがない牧歌的な神聖さを試すかのように設置され、そして主題の安定感は決して揺るがないことで、この曲に込められた“神聖さ”を逆説的に高めていく。

 5分前後の、ブレイクして主題を連呼する箇所の直後に、遂に太く歪んだエレキギターが現れ、この曲の様子を少し変えていく。しかしこれもまた、情緒の流れを思わせるような雄大ロングトーンを中心としたもので、決して楽曲を超えて弾き倒しすぎることはない。主題を交えながら感情の溢れる様を表現したこのギターは彼のオルタナ的表現でも特に真摯さに満ちた緊張感がある。まあ、6分半くらいからはついに冒頭から続いたコード感を変化させて、妙にファニーな展開を続けては、ちょっと勿体ぶった曲の終わらせ方を選んでしまうけども。

 歌詞については、彼はこの曲で当時の最愛の人と結婚し子を成し、それによって生まれ変わることを本当に成そうとした、その、シンボルに改称したくらいからの流れのゴールとしての想いが、彼なりの信仰心とともに刻まれている。だからこそ、その子供の急死とそれを原因とする二人の破局が事実として残った後に読むのはどうしても悲しくなってしまう。全文訳。

 

神聖なる川へ行こう ぼくらそこで溺れ そして救済されるだろう

 

壁にまだ絵が架かってるのが見えるね

片眼はまるで何も見つめず

もう片眼はきみが流す涙総てを捉えようとする

いくらでも試せるけども隠し得ることはない

自分自身 及びその内にあるものから逃げ去ることなど出来ない

一番怖い問いの答えを探していかないといけないんだ

 

だから自分の魂に何度も問いかけてみるんだ

何故にこんなに冷たい世界に生まれ落ちたのかと

内なる声は告げる 今夜 真実が告げられると

 

あらゆる捻じ曲がった表情にばかりきみは囲まれていたね

あらゆる捻じ曲がった場所で時間を取られてしまったね

泣いてしまうしかないようなことに信仰を預けてたね

人々はきみを助けたい気分の時はきみを愛してると言う

でも きみが自身を救えもしない折に 彼らに何が出来ようか

彼らがきみへの親愛を言えば言うほど きみは死にたくなる

だからここでまた 自己分析へ向かっていこう

もう一杯ポートワインを頂き…いや よそう

今夜クラブで演奏してるバンドがグルーヴを生み出してる

 

そこできみは 自分はハイな気分だって考えてみる

嘘しか話せないから自身に問いかけることも出来ない

それに挑むたびに1ドル得られるならいいのにね

 

皆がきみに立ち直るよう言うものだから 誰も呼べずにいる

彼らを本当は憎みながらも 来ては性愛を交わしてしまう

身体だけの関係性なんてもう終わりだ 終わり 終わりさ

それよりも 喜びを分かち合うんだ

ただ一人 ただ一人の ただ一人の人間と

 

そしてそれはきみにまるで壁を殴るような衝撃を与える

全く何も無いところから誰がきみに人生を授けられたろう

誰が太陽に毎日昇ってもいいと赦しを与えたろう

ぼくに言わせておくれ

神に永く愛されることを求めるなら

きみの日々の呼吸はより力強くなっていくだろう

幸福は連なり 彼の名を呼ぶのを誇りに思うだろう ジーザス

 

そして自分の魂に何度も問いかけてみるんだ

何故にこんなに冷たい世界に生まれ落ちたのかと

内なる声は告げる 今夜 真実が告げられると

 

そしてその時 ぼくは聞いていた 聞いておくれ

 

神聖なる川へ行こう ぼくらそこで溺れ そして救済されるだろう

さもなくば 光は永遠にぼくらを訪ねないだろう

もし挑む前に死ぬなら 舞い戻って光と対峙しないといけない

それを信じられれば 涙するに足る理由を遂に得られるだろう

 

そしてぼくは神聖なる川へやってきた

彼女を呼んで 差し上げたいものがあると告げたんだ

ぼくら結婚しようと言い 彼女は頷き ぼくは泣いたんだ

 

その夜は彼女とぼくの涙に溺れていた

悲しみのワイングラスに溺れるのと違ってね

振り返ってみても 時間以外の何も惜しく無い

 

そしてぼくが壁のあの絵を見つめた時 片眼は何も見ていない

ぼくはピントを合わせようとしたけど まるで違う涙があった

ああ そうだ まるで違う

 

神聖なる川へ行こう 神聖なる川へ…

 

あらゆる俗世の痛苦を思い、そこから必死に救われる奇跡のような方法として、ここで彼は彼女と結婚する。神聖なる川に“溺れる”ことでそれを成そうとするのが彼流のロマンチックさで、それは痛々しさと裏返しの本気の信仰なんだと思う。思いの外キリスト教に救いを求めてる部分は日本人である自分には少し理解しにくい部分があるけども、でも曲の穏やかさの陰で、彼がどれだけ必死に言葉を選び並べたかは、ある程度は十分に伝わった気がしてる。

 

 

26. 2morrow(from 1998『Crystal Ball』)

 未発表曲集『Crystal Ball』本編の中では最も新しい1996年に録音されたというこの曲は、当時出てきたネオソウル、特に1995年にデビュー作をリリースしたD'Angeloなどが表現するジャズとヒップホップの入り混じったようなスモーキーな雰囲気にかなり接近した感のある、当代のニュースタンダードなR&Bスタイルをきっちりと自身にアジャストさせたトラック。だからこそ、とてもいい出来なのにこんな雑な扱いなのかもしれない。「オレもあいつらと同じことできるな」と満足して封印したのかも*32。彼が本格的にそういう方向の楽曲や作品を出すのは2001年のアルバム『The Rainbow Children』以降のこと。なんかあったんかね*33

 ある種の北米のアフロミュージックに共通する”スモーキーな”感覚というものは、たとえばMiles Davisをはじめとするジャズや、Sly & the Family StoneなどのR&Bにおいて流れているムードで、Princeも一部の楽曲でそのようなものを取り上げてはいた*34。しかし、そのようなものを統括してスタイルとして極めた上で作品を成したこと、それが1995年のD'Angeloの登場の衝撃であり、そしてその究極のダメ押しとしての2000年の『Voodoo』の凄みの一角だろう。それはPrinceのなんでも手広くやっていく姿勢とは真逆の、ひとつのムードを深く極めていく形で、同じムードはPrinceも齧ってはいたけども、深めたことはなかった。少なくともそう言う想いが彼にあったからこそ、こういう曲で試し、そして『The Rainbow Children』で実行したのではないか。

 そういう嫉妬とも、自分に無かったものに挑む気持ちとも取れる雰囲気がこの曲にはのっけから感じられる。即ち、ヒップホップ的な気だるさとジャズ的なスモーキーさの融合に、この曲はその始まりから十分に成功している。煙のように怪しげに浮かぶフロウに、詰まった調子がエロティックなトランペット、ダークでダンディなラインを低い場所で描くベース。囁くようなボーカルの調子。どれも、Princeがこれまで培ってきたものというよりも、D'Angeloに中てられて出てきたもの、という感じがする。十分にスムーズでいい曲なのに、この曲をデッドストック集にあえて埋もれさせた意図が見えてくる気がする。あまりにも色々とD'Angeloっぽすぎる。

 彼が意地を見せるのはサビの箇所で爪弾くギターカッティングの挿入の仕方だろうか。これも普段の彼の手法ではなくジャズからの手法の借用だけども、それでもこういう雰囲気の曲にギターを挿入することについては、流石に彼は長年の経験がある。間違いなくここでのギターの少し硬い響きはこの曲にアクセント以上の何かを齎している。あと、Prince印なチープなシンセの挿入も、雰囲気にうまく馴染ませている。

 音楽のエロティックなムードの割に、歌詞の方はどこか直接的でなく非ワイルドな形で一歩引くところがPrince流。実際はライブの度にメイクラブがあったというけど、歌の上ではいつもこういうとこある。

 

おそらく気づいてるね ぼくが決してきみの眼を見つめないこと

きみへの愛で死んでしまわないかただ恐れてるのさ

きみとキスしたい でもねベイビー 試す勇気なんてない

でもそれでぼくの夢はきっと叶うのさ だからね

 

ぼくの手を握らないで ぼくの方がするからさ

ああ 確かにわかって欲しい そして殺してくれよ

きみを欲する他のバンドの連中をさ 明日 明日ね

 

 

27. Dig U Better Dead(from 1996『Chaos and Disorder』)

 「きみ死んだほうがいいよ」というタイトルをして、実に素っ気ないビートループとサンプリングとそして感情を込める価値もないと言わんばかりに載せられたボーカルやコーラスが冷ややかな質感を産む、露骨にワーナーをディスる。一体何に時間と手管を費やしてるんだ…?と思われるけども、この曲の素っ気ないまでのソリッドさは彼の1990年代のヒップホップ的ファンク曲の中でもとりわけスカスカで、『Dirty Mind』の頃のスカスカさに全く別の手法で回帰したようなところさえある。

 なんの前振りもなしにいきなりリズムループがそっけなく投げ込まれる時点で、この曲の殺風景な投げやりさが見て取れる。この曲で使われるギターはいよいよノイジーなフレーズをサンプリングして効果音的に定期的に出てくるのみで、ベースもベースマシンなので、いよいよ生の感じがボーカルくらいにしか無い。合いの手的な女性コーラスも書き割のようなソウルフルさを見せ、それはこの曲の生々しさの欠如を緩和するのに役立つまでには至らない。そして肝心のPrinceのボーカルも、リズミカルに言葉は投げかけるものの、まるで無感情的に基本同じリズムでフレーズを歌い、重ねられたコーラスも実に冷たい質感のみを持つ。唯一、サビ的な箇所で出てくる少し強調されたタイトルコールの箇所だけ、よりによって悪意剥き出しで吐き捨てるような形で、忌々しそうに投げかけられるところが徹底している。

 こんな雑に作った風な楽曲でも、2分半過ぎの展開でベースを抜いたり、3分過ぎにブレイクしたりと、展開に変化を付けて最低限飽きさせない作りにしてるのは作者の優しさか。ぶっきらぼうな変化付けだけど、でも実際これだけのことで十分変化がついて聴きやすくなるから面白い。最後は、ビートを終わらせることも面倒とばかりにフェードアウトしていくのがまたアレンジとして熱がなく冷たい。でもそれがこの曲のいいところだ。

 歌詞もサッと作ったのか意味が取りづらい部分や繰り返しが多いけども、少なくとも内容はこれもまたワーナーへの恨み節だなあ…と感じさせることには成功している。それさえ伝われば本人的にもむしろオッケーなのかも。

 

そして恐るべき力で彼らは襲いかかってきた

当初はお金を提示して その最中 最中に襲いかかってきた

チップの1枚や2枚 何だっていうんだ

1分ほどきみは熱くなる 真実 本当は別にそうでもない

それはきみみたいなガチョウに掛けられた縄なんだね

 

誰かが言った「人生は山あり谷ありだね」

で 迷っても奴らは道案内なんてしてくれやしない

同じ誰かさんが言った「きみ死んだ方がええよ」ってのと同じ

でもぼくはむしろ見たいね

きみの神さまがきみが言ってたのと同じもんなのか

 

きみ死んだほうがええよ 死んだほうがええ

きみ死んだほうがええよ 死んだほうがええ

きみ死んだほうがええよ 死んだほうがええ

きみ死んだほうがええよ 死んだほうがええ

 

ある意味、エネルギッシュにロックしてる他の『Chaos and Disorder』収録曲よりもよっぽどこのそっけなさの方が攻撃的かもしれない。

 

 

28. Joy in Repetition(from 1990『Graffiti Bridge』)

 怪しげなエキゾチックさが混入した静かなR&Bバラードのように思わせて、次第にひたすら弾き倒されるギターソロがまるで森を焼き払うかのようなノイジーな轟音に発展していく、彼のオルタナティブロック的な側面をもつ楽曲でも極北の位置にあるように感じる名曲。これを見つけられたのは個人的に嬉しかった。まさに、Princeという立ち位置が実に中途半端な人間だからこそ達することのできる境地、という感じ。こんなノイジーに展開していくR&Bも珍しいだろう。

 実はこの曲は1986年に録音され、『Crystal Ball』収録曲として一度リストアップされ、その後イントロのSE以外は殆ど手を加えられずそのまま『Graffiti Bridge』に収録されたという曲で、なのでやや1990年代の楽曲と言っていいのか怪しいところもあるけど、アルバム自体がそういう曲ばっかりなのであまり気にしない。アルバムの流れで前曲『We Can Funk』*35の流れを受けてなのか、別にそんなに連続性もないのに何故かおしゃべりのSEが挿入される。

 そのおしゃべりの中で密やかに始まり、おしゃべりがフェードアウトした頃にこの曲特有の雰囲気が遂に現れる。あるいはこの曲も、Sly Stoneなどに連なる“スモーキーな”雰囲気を持ち得ているというか、そのような怪しさを燻らせている。どこか本場アフリカ的な呪詛感あるリズムと、怪しげなギターのダウナーなフレーズをバックに、SEが完全に引っ込む前に強引に歌は始まり、そのブロークンな語りめいた、しかしどこかメロディアスにも思える感覚はPrince流の、少しラテンが効きつつも出処不明なようにミックスされたスモーキーさの表現となっている。メインボーカルの所在も妙なエコー処理により、ゲストボーカルの明瞭さと比べて実に変にぼかされる。それにしても前半部のギターも実にムーディーな気だるさがある。とても強引に妙にポップなコーラスが入り込む箇所もあり、製作時期ならではのカオスさが色んなところで顔を覗かせる。1分半頃にようやくスネアが入ると少し安定を見せるか。

 この曲は延々と同じコード進行を繰り返す構成となっている。曲タイトルからして「繰り返しの中の恍惚」だから。静かに展開してるような展開していないような雰囲気の中、タイトルを含むフレーズが繰り返されるあたりから少し様子が変わり、リズムがブレイクした後、何かを待つようなタメの後に、遂にそれは現れる。少し遠くで、歪んだギターが唸りを上げて旋回をし始める。ヘッドホンなどで聴くと分かりやすいけども、このギターソロは情熱的ながらまるでどこにも辿り着きが無いかのようなフレーズを延々と繰り返し、そしてパンが左右にゆっくりと振られて定位そのものが放浪を始めてしまう。その無軌道なギターソロは楽曲のスモーキーさを燃料に燃え上がるかのようで、最早ノイズとして扱っても構わないかもしれない類の、意味不明に膨れ上がっていくプレイだ。そして散々炎上し暴れ回ったそれがリズムが終わった後に所在なさげに消えていく様は虚無的で、そして楽曲自体の途切れ方も唐突で、そのソリッドさはprince流のオルタナティブロックと呼べそうな殺伐さが見出しうると思う。

 「繰り返しの中の恍惚」はまさに彼をはじめ多くの人間がファンクやR&Bにおいて求め続けてきたものであり、それをわざわざ題に掲げたこの曲で彼は「荒くれ者の集うバーで二つの語を延々と繰り返し歌い続ける女性に惹かれる男性」という物語を描いていく*36。物語式なので一部を抜き出してもあまりよく分からんかもだけども。

 

詩人どもやパートタイムシンガーどもが店内にたむろしていた

バンドがライブ演奏してる曲の名前は『Soulpsychodelicide』で

曲の演奏時間は1年 彼がその場に来た時点で4ヶ月が経過してた

誰もそれを気にもせず 殆どが「これだね」って顔を内に秘めてた

何度も何度も二つの単語を繰り返しマイクに歌い掛ける

その女性 彼は以前まではまるでそのことに気付きもしなかったが

彼女の発語の中に存する明瞭なところに彼は我を失った

その2語 少しビートに遅れたそれらは

思うに トリップに足るものだった

 

 どうしてこんな根源的なサイケデリアをさえ感じさせる楽曲を一旦ボツにしたか分からないけども、この曲には確実に彼の全楽曲でも特筆すべき蠱惑的な要素があり、そして彼自身でもコントロールできないほどの何かが渦巻いている。スモーキーさをスモーキーさだけで終わらせられなかった彼だからこその、何かはみ出てしまったが故に辿り着いた名曲のひとつだろう。

 

 

29. Letitgo(from 1994『Come』)

 1990年代初めに大きな影響力を持ったニュージャックスウィングの、その哀愁漂う部分を抽出して、スローテンポに希釈した自身のファンクネスに掛け合わせたかのような、ラフでダルな感覚とメロウさが程よく合わさったシングル曲。Princeらしからぬ爽やかな夜のような哀愁を漂わせて、暗いトーンのアルバム『Come』の終盤を少し華やかに彩るべく作られた*37。その甲斐あってアルバムでも一際キャッチーな“1990年代”な雰囲気を放っている。

 『Come』共通の波打ち際でのセグエを短く挟んで、硬いビートに導かれて、この曲の主題とも言えるラインがシンセとホーンによって流麗に語られる。ギターはその主題の裏でループの所々にアクセントを付け加える形で、まるでループの中の部品めいた形でサンプリングされている。この曲はギターソロがある訳でもなく、別に全然インディーロック的でも何でもないと分かっちゃいるけど、格好良かったからリストに入れたくなったので許して欲しい。

 Princeの歌が始まり、そのどこかジャンクでルーズな崩し方が、それがむしろジャストみたいなダルな雰囲気。低い声も重ねてあり、うまくワイルドにぼかされたその声の調子は非Prince的なクールさを持つ。遠くでオーケストラヒッツ的なものが聴こえるブリッジ部を経て、主題のメロディがサビで歌と重なる部分は、彼が当代式の“キャッチーさ”というものをしっかり研究し消化しきっていたことを示す。まあベタかもだけども、しかし哀愁に満ちて格好良いこのメロディライン、およびそのサビが終わった後の乱暴なテンションの下げ方には争い難い魅力がある。間奏のデタラメなようで実にクールに纏まったオルガンソロも、その後にリズムが抜けて逆再生エフェクトが代わりに刻まれる展開も実に的確に格好良く、トラックメイカーとしてもオレはちょっとしたもんだぞと主張したい作者の意思が十全に発揮されている。ワーナーと揉めてなかったらちゃんとプロモートして、結構売れてたんじゃないかなこの曲。

 まあ歌詞からすると、ワーナーと揉めたからこそこの曲が出来た感じは否めない。要するに「これからは自分は死んだことにして、あとは好きにさせてもらいますわ」ということを、ここまでヒロイックに歌って見せるのもおかしい。折角なので全文訳。

 

生まれてこの方ずっと自身の感情は内に隠してきた

誰かに知らせる理由なんてずっとどこにもなかった

「ここの恋人 あそこの恋人」

誰か泣いた?誰か気にしてた?バカバカしいプライド

「この男のショウには何処にもいい席なんて無かった」

 

(♂ブリッジ)

今に至るまでぼくがしたかったのは結局

ぼくがしてることをすること すること すること

んでドラマーをバン バン バン とどつくこと

そしてあれこれの愛

 

(♀サビ)

でも今 ぼくは手放さないといけない

レイドバックして ヴァイブをただ垂れ流そう

ぼくはただ手放したいのさ

レイドバックして 自分の気持ちを表に出して

リアルの準備は出来てる 感じれるなんかをくれよ

 

生まれてこの方ずっと この心には鍵がかけられていた

カーテンは引かれていて 家には誰もいやしなかった

こっちで引き金 あっちで引き金 ぼく以外皆ハイになってさ

ひとりになれないんなら死んだ方がマシさ

 

(♂ブリッジ)

(♀サビ)

 

14年もの月日と涙 ずっと自分の曲を歌いたかったんだ

でも お馬さんはぼくを乗せるべく尻を引くことも叶わなかった

でも今や ぼくは軍隊を有し 300万人ものパワーとなってる

ぼくらが消えてもこの曲はきみの耳に響くだろうよ

 

(♂ブリッジ)

(♀サビ)

 

リアルの準備は出来てるさ 少し近づいておくれ

自由にしてくれ レイドバックしてヴァイブをただ垂れ流そう

 

 PVがあったっぽいけども見つからず。公式が復刻してくれるのは、『The Dawn』が公式リリースされる時とかを待たないとなのかな。今更そんなことされるのかなとアルバム『Come』リリース20周年の今このときに思う。

 

 

30. My Computer(from 1996『Emancipation』)

 今回作った30曲のプレイリストの最後に置くのは、1990年代半ば当時におけるパソコンとインターネットという、素敵な可能性が広がっていたものへの希望をもとにポジティブにしかし不安げに歌われる、楽曲としてはシタールさえ引っ張り出しつつ、アナログな手法でコンピューターっぽさを表現した様子がなんともファンタジックな名曲。のちにインターネットに蔓延する違法コピー等に憤慨して一時期アルバム制作を停止したりもする彼だけど、この頃はインターネットの可能性に純真に心輝かせていたであろうこと*38が、この不思議な美しさを持った楽曲に結実した。

 ヴォコーダーの響きをそのままリズムにしたような中に聞こえてくる「Welcome, you got a mail」の響き。1990年代中頃の、離れた人とも電話でなくメールでやりとりが出来るということの素朴な驚きがここには託されているんだろう。ポロポロとプログラムの塵のように紡がれるエレピが儚くも可愛らしい。あっという間に終わってしまう最初のヴァース(ブリッジ?)を経て、シンプルなコーラスをつけつつも素の声がよく響く素直なメロディアスさに舞うサビのメロディにおいては、なぜかシタールまで持ち出されて、まるでこの遊戯がどこかの国の出来事に限定されない、どこか多国籍な風に聴こえるよう祈ってるかのようだ。バックコーラスにKate Bushがいるらしいけど、そこまで目立たない。

 可愛らしいメロディラインの構成ながら、その中で時折張り裂ける寸前まで声を跳ね上げる作者の様子には、R&B巧者としてのテクの話ではなく、もっとエモーショナルな事情がどこかに垣間見えてくる。間奏のシンセといい、実にファンタジックでキュートなのに、ボーカルは、何かの不安を抱えたまま震え続ける。その不思議なミスマッチさに、この曲の密かなキャッチーさ、シャイの向こうの人懐っこさがあるのではないか。

 最後のサビでブレイクを伴って切ない雰囲気に少し包まれた後、この曲のなかで密かに息づいていた不安は、サビ終わりの「better life」のフレーズを壊れたラジオのように繰り返し始めるところで花開く。そこで出てくるのが、長年彼の歌に寄り添い続けた、ラフな音色のギターカッティングだというのが何気に少しエモい。それまでのサウンドの仕掛けが次々にサンプリング的に飛び交いつつも、不安げなワンコードのカッティングと壊れたラジオな繰り返しの果てに…「Goodbye…」。

 それにしても、当時の彼は確実にインターネットが齎す「無限の供給」に夢を見ていて、また距離や時間の制約を超えたインターネット上のコミュニケーションに可能性を見出していたはずなのに、なのにこの歌の中での「そういった可能性に縋るように不安げな様子」は何なんだろう。同作の他の曲も含めこうして見ていくと、幸せの絶頂の中で作られたとされるアルバム『Emancipation』も、そう簡単な話でもないんだな、と思わされる。全文訳。

 

(♂ブリッジ)

日曜の夜 いつもやってることの代わりに…

 

(♀サビ)

パソコンでサイトを探してる 話が合う人 面白くて明るい人

パソコンでサイトを探してる

より良い世界 より良い人生になるって信じて

 

これまでに観たことないものなんてTVの中にはもうない

ニュースではまた別の殺人事件 もう耐えられないよ

邪悪な組織が 爆弾をそして人々を爆発させる

ぼくには子供がいるけど ああ 沢山説明しないといけない

手紙は書けるけど いったい誰にそれを送れるだろう

 

(♂ブリッジ)

(♀サビ)

 

ついこの前 とある古い知り合いに電話したんだ

おめでとうとか敬意とかも抜きだ

彼女はひたすら “あの噂”は本当なのかと不思議がってた

ぼくは言った

「いやいや ぼくはまだ死んでないよ でも…きみはどうだ」

ぼくの友達の数はピースサインで数えられる ひとり ふたり

 

(♂ブリッジ)

(♀サビ)

 

メールが届いてないよ ぼくのコンピューター

言ったんだ 自身も孤独じゃない医者になんか会いたくないって

 

(♂ブリッジ)

(♀サビ)

 

ワーナーとのもつれの結果自分で「Princeは死んだ…もういない」とか言ったのに友人に聞かれて「いや生きてるし…!」とか言い出すのが可愛いけども、それにしてもこの歌の主人公はなかなかに孤独だ。ピースサインで友達を数えられる下りは気の毒で仕方がないけど、シャイで仕事人間で引きこもりだった彼は、もしかして生涯そんなものだったんだろうか。そして最後に「より良い人生を」と壊れたように繰り返す様には、どうしてこんな天才的な人物が、ここまで惨めな感じのままでい続けてるんだろう、と思わせる。でも、そんなものかもしれない。

 これを書くために見たとあるサイトでこの曲を、彼の晩年の結果的に最重要な曲となってしまった『Way Back Home』(『Art Official Age』収録)と結びつけている人がいて、なるほど、と思った。最強クラスのクリエイターとして、また世界屈指のエンターテイナーとして君臨した彼の、しかし魂は結局のところ、どこにも“Home”を持てないまま彷徨い続けるしかなかったのかもしれない。それはインターネットという当時の夢の舞台にあっても、結局は同じなのかもしれない、そうだろう、という不安が、この曲を特別にリリカルなものにしているのかもしれない。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

おわりに(投稿日が4月21日になってしまったことについて)

www.youtube.com

別に今回の記事に関係ない曲だけども…。

 

 以上30曲、2時間10分に渡る楽曲のレビューでした。

 長い…。流石にprinceともなると日本においても詳しい方々の情報が沢山ネット上にあって、それらを読むだけでも相当時間がかかった上に、自分の解釈らしき何かも混ぜ込みながら文章にするとここまで膨大になってしまうとは…。Princeというアーティストの巨大さに慄き続けた結果なのかもしれません。

 でも、だけど、この記事で言いたかったのは、R&B界隈の人間で、Princeほどギターを弾き続けて楽曲を量産しまくった人間はいないし、また歌の内容にしても、まるで自分で曲を作ってギターを弾いて歌う人たちと同じように、なんか余裕がなくて、不安げで、だからこそのリリシストっぷりを持つんだなということ、ということはやっぱり、Princeはインディーロックなんじゃないかという錯覚も、幾らかは有効なんじゃないかということ。今まで筆者は様々なインディーロックの中にPrince的要素を見出そうとしたりしてきたけど、何のこともない、そもそもPrinceがインディーロックなんだもの。

 つくづく、Nile RodgersとPrinceは真逆の存在だなって気がしました。方や裏方的で自我を出さないことでプロフェッショナルな仕事をする職人、方やまあ同じく職人的ではあるけども、自身のエゴや不安や倫理観や祈りを歌にしないと気が済まないし、やりたいようにやり散らかしまくる結果としてのすげえグチャグチャで人間臭い職人。や、何でもかんでもこなせるからすげえプロなだけで、そのやりたい放題加減はやっぱりインディーアーティスト的だなあとつくづく思わされて、もしかして史上最強のインディペンデントなアーティストなんだろうかこの人は、と訳がわからなくなってきつつあります。こんな調子なのにあと2つのディケイドを書くべくプレイリストを準備したものの、書き終わるのはいつになることか…。

 いまひとつこの幾らでも延々と続いてしまいそうな文章に上手いケリをつけられる自信はないけども、ダラダラと書き進んだ結果、彼の命日であるこの4月21日にこの記事を投稿することになったことは、偶然とはいえ、それについて何も思わない訳にはいかないところ。「本当に…本当にありがとう…それしか言う言葉がみつからない」という、あるPrince大好きな作家の漫画*39に出てくるセリフでもって、ひとまず文章を閉じ、そして捧げたいと思います。

 ここまで読んでいただいた方々、本当に長い文章をありがとうございました。それではまた。

 

 

プレイリスト(Spotify

open.spotify.com

 

*1:一応、これの前に書いたコーラスの記事でPrinceの該当する曲を探して色々聴いてた流れからきてる。

*2:一番それっぽい『Black Album』でさえ1曲スウィートなのがある。

*3:もっとも、そういうのはStevie Wonderにしろ、『The Love Below』の頃のAndre 3000にしろ、時折あるようで、むしろR&Bを超えて表現しようと目論む近年の黒人アーティストたちはそういった感覚の方が普通なのかも。

*4:Stevie Wonderが1970年に苦労して獲得したこの“権利”をPrinceがどうして初めから得ることができたのか。レーベルの誰かが彼にStevie Wonderの陰を見たのか。

*5:これ1枚を抜くとジャケットコラージュの枚数的にもちょうど良くなってしまったので抜いてしまった…。

*6:AIとかで新曲、なんてのはありえない、とは思うけど、でも生きてれば自らそういうことしそうな人ではある。すぐやめるだろうけど。

*7:彼の場合、管楽器はダメだったらしい。

*8:多分それは実際にすごく絶妙に音色も調整してあるんだと思われる。

*9:この点で、ちゃんとリリースされていたらPrince随一の一貫性ある作品になっていたであろう『Black Album』が当時リリース差し止めになったことは、逆にあまりに出来すぎてて可笑しくなります。

*10:なので『Art Official Age』とかになると「“ニセモノ”の本物」みたいな妙な貫禄さえ感じられる。

*11:るように彼には感じられたであろう。

*12:とはいえ、『Come』リリース時点でこちらも完成していて、同時リリースを希望したがワーナーから出し渋られて、1年も経ってから自主レーベルからようやく、という流れがあるので、ただの“嫌がらせ”とも言いづらいけども。

*13:一方で、元は3枚組だった作品の『Come』でも『Gold Experience』でもない部分が本作になったのでは?というのも踏まえると、なんか成立の経緯が食い違う感じもする。まさか、余ったマテリアルを2日間で再録し直したとでも…?あり得ん話じゃないのがこの人。

*14:実際、クレジットを見るに本作は打ち込みのトラック以外はリズム隊を別の人に任せてる。割と本当に一発録りで結構な部分を作っているのかも。

*15:『Come』以降の3作品は基本それ以前に制作が終わっていたものから基本出していたようなので、本作には『Come』の時期より後に書き溜められていた楽曲が収録されたものと思われる。それにしたって驚異的な物量だけども。

*16:ただ、この辺には彼の結婚と初めての子どもの授かりという彼の人生でもとりわけ私生活が充実した安らぎの期間があり、そしてその子どもが急逝したという、幸せの絶頂から一気に転げ落ちるという痛ましい事情も後に待ち構えている。

*17:真相としては「単品で『Emancipation』に続く作品として出そうとしたらレーベルが閉鎖したので、『Crystal Ball』を出す際に抱き合わせで出した」ということのよう。他のレーベルで出すとかそういうのがもうまどろっこしかったんだろうなあ。

*18:元々ファンクというジャンルもメロディを歌うよりも言葉を撃ち込んでいくようなスタイルだし、1990年代以降の彼の歌はファンクとヒップホップ両方のスタイルに引き裂かれ続ける形となります。その天衣無縫に見えて案外苦心してそうな部分での最終形態が『Art Official Age』で見せた”歌”と”語り”の境がほとんど融解してしまった、実にスムーズでかつリリカルなスタイルなんだと思いますが今回の記事とは別の話。

*19:これでも3枚組36曲の『Emancipation』よりも1時間近く短い…。

*20:強いて言うなら、コーラスの重ね方に少々Prince的なストレンジさを感じないでもない。

*21:この手の仕掛けは彼の曲に時折あり、『Lady Cab Driver』では延々と淫らな声が連なるのをバックにしかしえらく熱い語りを挿入するPrinceというシュールな絵が展開され、そしてアルバム『Come』最終曲の『Orgasm』に至っては、表現したいことはわかるけども集合住宅でスピーカーから流すのもちょっと危険なレベルの代物。

*22:Princeの1990年代のインディー的活動フォーム。バックバンド名でもあるけれども、Prince自身の活動との境界線はかなり曖昧。

*23:ある本の記述によると、この歌い方になったのは彼が扁桃炎にかかったにも関わらずレコーディングを続行した結果生まれたものとのこと。めっちゃ格好いいのに…。

*24:ちなみに彼が本格的に宗教関係の歌を増やしてくるのは、彼がエホバの証人に入信した2000年代のこと。2010年代に入って以降のどこかで脱会?

*25:実は1988年に録音されたものの蔵出しだったらしい。実際に1988年にリリースされた『Lovesexy』と比べても音のミックスの仕方からしてかなり違う気がするけど、1993年にリリースするにあたってミックスをかなりいじったのか。

*26:まあクレジット見ると別のギタリストが参加してるのでその人のプレイかもしれないが。

*27:明るいジャズテイストが数曲入った『(Love Symbol)』に間に合っていれば…。

*28:1994年でショットガン自殺となるとKurt Cobaineのことが想起されるけども、この楽曲の制作時期を思うに無関係だろう。

*29:実際は空白トラックを経てボートラ的な楽曲が現れるけども。あと、リミックス盤の方ではこの曲はそのまま収録された。変える余地がなかったのか。。

*30:ちなみに彼はかつて1987年のグラミー賞で賞をU2に持って行かれた際に「ぼくは彼らの曲を演奏できるけど、彼らに『Housequake』は演奏できないね」と捨て台詞を吐いた。その曲はU2どころか誰もできねえよ。その年のPrinceは『Sign O' the Times』、U2は『Joshua Tree』。この曲はそれから10数年後。

*31:あの頃はノリもサイズも軽快な楽曲を作っては片っぱしからボツにしてたっぽいことが作者死後の大量のボートラ付属のデラックスエディションで公式に明らかになった。こちらも何でこれをボツに…?の山。

*32:似たような話として彼の死後に語られた「Micheal Jacksonから『Bad』のデュエットを持ちかけられて断った後、高速でPrince自身の歌と演奏で再現した『Bad』を制作し、同僚に聴かせて満足して即消した」というイベントが発生している。

*33:2000年にD'Angelo『Voodoo』がリリースされてる。全く関係ないとは流石に思えない。あとエホバ入信とか。

*34:『The Ballad of Dorothy Parker』『If I Was Your Girlfriend』そして『Sign O' the Times』などがその典型。似たような雰囲気は『Dream Factory』などにも感じられる。なんか、そういうのは『Sign O' the Times』の時期に集中してる気もしてる。

*35:この曲も元は1983年に一旦録音されていた『We Can Fuck』。

*36:そういえば『Dorothy Parker』『If I Was Your Girlfriend』も物語調の曲で、『Sign O' the Times』もどこか1人称的でない部分があって、もしかしてPrinceはこういうスモーキーな曲調では1人称を使わなかった、使えなかったところがあるのかなって思い付いたけどこれを検証し出すといくら時間があっても足りないからここではよそう。

*37:当初の3枚組『The Dawn』の計画の頃には存在していなかったらしい。『The Dawn』をバラしてアルバムを作ることになった際、Princeはワーナーに対して「古い曲しか出さない(新曲はお前らに渡さない)」と声明したけど、実際はこの曲を新たに追加して作品のバランスを整えたりしていたらしい。

*38:特に作品のリリース関係でワーナーに対して大いにフラストレーションを抱えていた制作当時の彼にとってみれば、インターネットは自身の楽曲を自由にかつ無限にリリースできると思えた点で魅力的だったんだろう。実際これより後には、自身のサイトでインスト作品を無料DLリリースするなど、一時期活動の中心とするなどした。

*39:ジョジョ7部。