ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

【追悼】岡田徹の23曲

 ムーンライダーズのメンバーで、プレイステーションのCMのサウンドロゴをはじめ様々な場面でも活躍した作曲家・編曲家の岡田徹がこの世を去った。信じられない。

 故人を偲ぶ、などという気分になるはずもないくらい悲しい。

 予定を色々と変更して、彼が作ってきた名曲・怪曲を見ていきます。全てムーンライダーズから、合計23曲。サブスクだと色々抜けがあって揃わないからプレイリストは無し。

 

 

 

1970年代

1. あの娘のラブレター(from『火の玉ボーイ』1976年)

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 「鈴木慶一ムーンライダース」という名義の、いかにもSSWとバックバンドみたいな名前から出てきてる作品なのになんで1曲目から他人が書いた曲なのか。不思議だけどもともかく、作曲家・岡田徹の登場はそんなよく分からない場所から始まっている。

 どこかアメリカンの懐かしげに小洒落た雰囲気をピアノで奏でつつも、楽曲のリズム感的にはThe Band以降の泥臭さ。ミドルエイト的に挿入されるサーカスの呼び込みみたいなところも含めて、ショーが始まったかのようなこの曲でムーンライダーズの歴史が始まり、同じ作曲家が書いたショーの終わりを告げる『蒸気でできたプレイグランド劇場で』によってバンドが一旦終わる、というのは、とってつけたにしても出来過ぎな結末だったろう。まあ実質再結成新作に収録された新曲でそんな感動的で儚い整合性を自身で破壊するのだけども。

 

 

2. マスカット・ココナッツ・バナナ・メロン(from『MOONRIDERS』1977年)

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 もう殆どコミックソングみたいなこの曲は、アグネス・チャンのバックバンドという、泥臭いにしても微妙に芸能界の感じもある、妙な立ち位置の彼ら的な泥臭さが端的に出てる場面かもしれない。馬鹿っぽいエロさが出た歌だけど、似たようなことをサザンオールスターズがやればもう少しガチっぽい男の性めいたものが出てきたかもなところ、ムーンライダーズにかかると妙にスッキリしてツルッとしたものが出てきてしまうのは面白い。歌詞の節々にあるアホな仄めかしを無視すれば、これはフルーツのCMの曲ですけど何か?と取り澄ましてみせることも可能かもしれない。

 そういう部分が注目されてか、岡田徹はこれよりCM制作等に何かと関わっていく。彼の作曲でとりわけよく感じられる「ツルッとしてスッキリした感覚」というのは、案外こういうところにも出てきていたのかもしれない。

 

 

3. さよならは夜明けの夢に(from『Istanbul Mambo』1977年)

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 「ムーンライダーズのメンバーでもメロディの才能が頭一つ抜けた存在」としての彼の立ち位置はなんとなくこの曲あたりから始まっている気がする。歌謡曲の磁場の中の泣きメロディだとも感じるけども、しかし一般的なそれよりももっと当時のアメリカのピアノ主体のSSW的なムードを感じなくもない。ピアノ主体でリズムが薄いアレンジがそう思わせるのか。明確なサビパートが無いからか。作詞:鈴木博文・作曲:岡田徹のコンビがバンドをリードしていく時期の幕開けでもある。

 

 

4. いとこ同士(from『NOUVELLES VAGUES』1978年)

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 鈴木博文岡田徹コンビの楽曲でもこの曲の存在は不思議だ。オリジナルアルバムでは演奏は打ち込みと細野晴臣によるスティールパンのみという、プレテクノ的存在だというし、それが一転ライブでのバンドサウンドになるとギターの刻み方がハードなマイナー調のがっちりした曲に変貌する。個人的には特に上記動画のような2000年代以降の、まるでオルタナバンドにキーボードとバイオリニストが混じり混んでしまったみたいなライブ演奏のもっさり感が好き。バイオリンを弾きながら平然とコーラスをこなすこのオルタナバンドにしてはチートなメンバーは一体…!

 よく聴くと原曲の段階からサビの箇所のメロディの掛け合いはなかなか珍妙で面白く、かつ2023年の現在でも「いとこ同士」で検索すると「いとこ同士で結婚ってどうなのか」という話がトップに出てくるあたり、何かしら時代を超えて普遍的にドキッとするようなテーマをうまく掴んでいるのかもしれない。

 

 

5. モダーン・ラヴァーズ(from『MODERN MUSIC』1979年)

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 バンドがニューウェーブ時代に入ってくると鈴木・岡田コンビの出番は減少していくけども、その中でこのような曲も生み出している。歌謡曲を感じさせるメロディと歌謡曲的な“シティの感じ”を思わせつつ、しかし演奏の主体はニューウェーブ的なエッジの効き方をしたギターという不思議な取り合わせ。そして不思議に停滞するリズムと怪しく躍動するベース。過渡期のアルバムに封じ込められた、実に過渡期なギクシャク具合が色々と面白い。作曲と編曲の緊張感。この意味においては完全にニューウェーブ寄りな『ヴィデオ・ボーイ』よりも彼らが捉えていたニューウェーブ要素とはどういうものかということを見出しやすいかもしれない。サビのギターのシーケンサーじみたフレーズはかなり奇妙で面白い。Televisonとかのイメージなんだろうか。

 2022年のライブの時に聴けたのはビックリした。全体的に異様な選曲のライブだった。

 

 

1980年代

6. 沈黙(from『カメラ=万年筆』1980年)

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 『カメラ=万年筆』はムーンライダーズの歴史の中でもとりわけバンドメンバーそれぞれの作曲スタイルが同じ方向性に統一か統制かされていた時期なので、この曲も他の時期よりも明確な岡田色は感じられないような気もする。それにしても、ドラムにフェイザーを掛けてぐるぐるさせるのは実に変なアレンジだ。この時期は本当に実験に全振りって感じだ。

 

 

7. Kのトランク(from『マニア・マニエラ』1982年)

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 ニューウェーブ色がより先鋭化していく中で生まれた、不思議な直進性の中にそこはかとない寂しげな疾走感と、そしてサビの静かに滾るかのような感覚の交差っぷりがドラマチックな曲。この曲のサビメロを聴くと、後の“エヴァーグリーン”なメロディ書きとしての才能の片鱗が既に現れているような気がする。そんなサビのラインと、イントロに代表されるサイレンめいたシンセのリフレインとが不思議な対比をなしている。

 この時期は打ち込みシーケンサーを国内でもいち早く導入し、その操作の中心を彼が行っていたことも重要で、いわば打ち込み制作スタイルのパイオニア的な存在だった。

 

 

8. アケガラス(from『青空百景』1982年)

 先鋭的になりすぎた『マニア・マニエラ』の反省としてのポップな『青空百景』という通説はしかし「えっこれポップなつもりなの…?」という幾つもの複雑な屈折が何かと面白くておかしい。この曲も実に変な声とエフェクトの重ね方、シンセの均一な反復のペースが異様さを醸し出しているが、メロディだけを取り出してみると案外ポップだったり、サビの箇所のトランペットやバイオリンが雄大だったり、分析をしてみてようやくポップさが伝わってくるような有り様で、とても変なバランスだ。

 その案外ポップな楽曲メロディはやはり、『9月の海はクラゲの海』で完成される岡田徹エヴァーグリーンさへ向かう途上の感覚を見出すことができそうだ。

 

 

9. M.I.J.(from『AMATEUR ACADEMY』1984年)

ムーンライダーズ MIJ - YouTube

 

 何なんだこれは…?という感じの、ムーンライダーズ式ファンクと言えばいいのか、ブラックコンテンポラリーを変な解釈でサイボーグ化した音楽と言えばいいのか、何とも不思議である意味バブル期の日本的にも感じれる趣のある音楽だけども、これの作曲者が岡田徹だというのは、彼が優れたメロディを書くだけでなく、時折やたら変な作曲やサウンドを生み出すことに、特に1980年代は貢献していたことを如実に示している。そしてこの曲はシングルカットされ、当時のムーンライダーズでは最大のヒットを果たしたという。実に妙な話だけども彼ららしい。後にPizzicato Fiveで大活躍する野宮真貴を抜擢しているところも面白い。

 

 

10. 夢が見れる機械が欲しい(from『ANIMAL INDEX』1985年)

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 上の曲でも書いた1980年代ムーンライダーズの奇妙な音楽への岡田徹の後見において、この曲こそがその極北だろう。鈴木慶一が書いたすごく奇妙な内容の歌詞に対してたまたま岡田徹が作っていたこの曲が合致した、というエピソードにその奇妙さが如実に現れている。どうしてこんな変な、悪夢を見ながら闇夜の中でのたうち回るような曲を“たまたま作っていた”りしたのか。1980年代ムーンライダーズは他にも色々と変な曲はあるものの、一番どこにも行きようのない、発散しようのない狂気が渦巻いているのはこの曲ではなかろうか、と思う。

 普通狂気的な作品は作詞・作曲とも同じ人間から生まれ出しそうなものだけど、作詞も作曲も別の人間で、そして両方とも常軌を逸していた、というパターンはかなり珍しいんじゃ無いかとも思う。作ってる方は相当大変だっただろうな。尊敬しかない。

 

 

11. 9月の海はクラゲの海(from『DON'T TRUST OVER THIRTY』1986年)

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 上の2曲からの流れでこの、“岡田徹エヴァーグリーンメロディの決定版”たるこの曲が出てくるのは、全然流れから導き出てくるものではなくて、唐突で理不尽だけども、出てきてしまったんだから仕方がない。この曲が収録されたアルバムの他の曲では相変わらず実験と疲労と退廃の様がメロディやアレンジ等から感じられる中、この曲の実に澄み切ったメロディの様は見事で、サエキけんぞう氏のシンプルにして対比が鮮烈な歌詞も相まって、実にロマンチックで、ポップソングの中にしかその命を宿せないような類の脆弱で理不尽なイノセントさが輝いている。1980年代のバンドの様々な死屍累々の実験の果てに出てくるのがこの“メロディの暴力”みたいな名曲だということが、妙に皮肉めいてておかしくて仕方なくもあるけども。売れないことを気にするんなら、この曲で当時からシングルを切れよ本当に。

 この曲においては、メロディがあまりに素晴らしい故に、今の耳から聞くと色々と不自然なサウンドが逆にすごく新鮮で尖ったもののようにも感じられて、そしてこの曲を通じてこういった異質すぎるサウンドに親しみを持てるようになれば同時期のムーンライダーズの他の楽曲にものめり込めるようになっていく、という、入り口としての役割もとても大きい。

 そして、スタジオアルバムでは当代式のメカメカしたサウンドだったものを、時を経てバンドサウンドで組み立て直すことによって、このバンド、及び岡田徹という作曲家におけるThe Beatlesの受容の仕方のようなものが見えてくる。特に活動休止直前のルーフトップギグはそのコンセプトからしThe beatlesのオマージュだけに、よりはっきりとそのリスペクト具合が伺えて、そして何より、いつ聴いても本当に最高のアレンジだ。

 

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1990年代

12. 涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない(from『最後の晩餐』1991年)

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 『9月の海はクラゲの海』で完全に何かを掴んだと思われ、最初の活動休止からの再開後の最初の作品でいきなりこのような威風堂々と現代版The Beatles様式のミドルバラッドを繰り出してくるのは屈強だ。

 こうやって聴いてると、岡田式エヴァーグリーンなメロディは、1990年代から出てくるJ-POP的なメロディと親和性があるようで微妙に違うようにも感じる。J-POP的なものよりももっとクラシカルな感じがあるというのか何なのか。こうなってくるとアレンジとしても正統派なものが特に1990年代以降は選択されるようになり、そうなるとホーンとバイオリンを兼ねるという日本でも稀有なプレーヤーであろう武川雅寛の存在が際立ってくる。こんなバロックポップなナンバーもオリジナルメンバーだけでライブで再現できるバンド普通いないよ。

 

 

13. ダイナマイトとクールガイ(from『A.O.R』1992年)

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 1990年代のムーンライダーズで一番キャッチーでロマンチックなこの曲も岡田徹作曲ということで、実に屈強。この曲はちゃんとシングルも切られたしその上でさほど大ヒットはしなかったからまあそういう星の元のバンドなんだろうかやっぱり。彼はこの曲の入ったアルバムでは白井良明と共同プロデューサーとして全面的にプロデュースし、えらくツルッとした質感のサウンドを全面に展開している。

 当時隆盛したニュージャックスウィングの方法論で制作された楽曲だけど、ファンクネスはあくまでメロディの飛翔の呼び水的な存在感なのが興味深いところ。そのメロディの伸び方が鈴木慶一という奇妙な歌い回しを隠さない歌い手によって歌われることで、メロディに実に特徴的なフックがつくのが面白い。そしてこの曲の鈴木慶一はまた、タイトル的なハードボイルドさからはまたズレた、不思議に幻想的な世界観の歌詞を生み出していてこちらも面白い。続編としてしばらく後に同じコンビで『Cool Dynamo, Right on』が書かれることになる。

 

 

14. ぼくはタンポポを愛す(fromシングル『HAPPY/BLUE '95』1995年)

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 ここまで各アルバムから1曲選択してきたところだけど、それだけだとこの「隠れた名曲」然とした存在感の名曲を逃してしまうので、自分のルールを少し曲げてここに投じる。イントロから響く強烈にポップなメロディを頼りに、それ以外の箇所では中々に崩れまくったメロディやロックめいたアレンジを効かせ、サビとのギャップを稼ぐ手法が面白い。これによってサビのメロディの強烈さはより突き抜けていくような勢いを得て飛翔する。それにしても本当、この人の書くこういうタイプのサビメロはどうしてこうも祈りのような神聖さを帯びてくるのか。

 

 

15. 黒いシェパード(from『ムーンライダーズの夜』1995年)

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 1995年という暗い年の重みを可能な限り投じたような長く重いアルバムの流れの実質最後なポジションにて、それまでの重みや暗さや殺意など諸々を成仏させるかのように機能する、もはや神懸かったかのようなナンバー。西洋ポップソング的なところを少し離れて、もっと雄大な大地と精霊の音楽に接近したようなアプローチは、だからこそ当時の“現代”の混迷によって齎された様々な混沌を癒すような感覚を得られたのかもしれない。このメロディのアプローチ方法は岡田徹の歴史を見渡しても結構珍しいもののように思えるけど、様になるどころではない素晴らしい完成度を誇る。

 そしてそんな雄大なメロディに対し、完璧にスピリッツに満ちてかつ祈りと、そして絞り出されたような一筋の怒りの訴えが込められた鈴木慶一の歌詞。それはある種の創作論ではあるけども、いやしかし災害や凶悪事件によって創作活動そのものが動揺させられる時期にこれを歌ったその決死の感覚は、改めて本当に素晴らしい。

 

 

16. ニットキャップマン外伝(from『Bizarre Music For You』1996年)

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 20周年イベントでの糸井重里とのコラボ曲はコンペの結果岡田徹作曲の『ニットキャップマン』になった訳だけど、その外伝と称した、えらく荒れた郊外のどん詰まりみたいな光景を描写したこの曲の方が、前作アルバム的な重みの残り香みたいなのが感じられて興味深い。作曲は白井良明との共作になっていて、おそらく白井色の方が強いんだろうとは思うけども、もしかしたらサビの部分は岡田作って感じなのか。よくわからない。

 

 

17. 幸せの場所(from『月面賛歌』1998年)

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 バンド以外の他者に全面リミックス丸投げという手法で制作された『月面賛歌』において岡田徹はこの1曲のみの提供に収まっている。アレンジによってより寂しげな幻想性を足されたその楽曲は、やはりテンポよくリリカルなメロディをキメていく。面白いのが、彼のエヴァーグリーン曲の方程式だとサビのメロディはキーのコードから始まることが多いけど、この曲はⅣのコードから始まる哀愁を利かせたものになっていて、彼がこのコード始まりのサビを書くとこういう風になるんだな、というものに仕上がっている。実に切なさのツボを押さえている。

 というか、楽曲単位で抜き出してこうして聴くと、『月面賛歌』もなかなか悪くない作品なんだなやっぱり。

 

 

2000年代

18. イエローサブマリンがやってくるヤア!ヤア!ヤア!(from『Dire Morons TRIBUNE』2001年)

 まるで同じ年の911に呼応してしまったかの如く鬱々としたエネルギーが随所で吹き上がったりさらりとブラックジョークじみて通り過ぎたりする中で、しかし岡田徹は共作の『天罰の雨』を除けばそういうムードの曲を出さず、アルバムのムードの“外側”めいた、何か21世紀だもんな〜って感じのサイバーさがあるようなないようなそんな楽曲を2つ制作している。そしてこの曲はアルバムの最後において、前曲で鈴木博文がこのアルバム的な鬱々したものを曲タイトルどおり「棺の中」に閉じ込めてしまった後に、それまでの流れを無視するかのようにギラギラしたダンスポップめいて現れる。

 もとより混沌としたアルバムだからか、唐突さはさほど目立たず、しかし『黒いシェパード』の時のような成仏効果があるわけでもなく、「一体なんだったんだ…」って感じに通り過ぎていくのがなかなかシュールで訳分からなくて、その訳の分からなさがこのアルバムっぽいと思う。

 

 

19. スペースエイジのバラッド(from『P.W Babies Paperback』2005年)

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 『ANIMAL INDEX』以来に各メンバーが2曲ずつ提供したこのアルバムにて、岡田徹が提出した2曲は彼の名曲群の中でもひとつの最高峰ではないかと密かに思っている。どちらも威風堂々とした「大名曲」という感じではないけど、代わりに世界観というか、何かの物語やら風景やらを切り取ったようなその曲世界は、彼がソロ活動の中で「架空映画音楽集」を名乗る感覚ととりわけリンクするように思えてくる。

 『Bitter Rose』については別の記事で書いたけども、もう一方のこの曲では、玩具箱めいたようなポップさを的確にアレンジし再現している。そもそも「玩具箱」というの自体がどこか昭和じみた発想に感じられ、そしてアルバムは「戦後の昭和」をテーマにしてるから、そのアレンジはテーマと合致している。

 そしてさらに興味深いのは、この曲におけるそういう時代への童心返りにおいては、当時アメリカと競争関係にあったロシア・ソビエト連邦のイメージが入り込んでくるところ。2023年現在では戦争によって相当に語りにくくなってしまったけども、アメリカ的ビンテージ感やヨーロッパ的流麗さに対するカウンターとして、ロシアの庶民的な雰囲気というのは間違いなく重要な要素だった。この曲はその辺の感覚、戦後日本が見た「奇妙な舶来品」めいたロシアの楽しげな部分だけををうまく掬い取って歌にしている。スプートニクバラライカな感じの楽しさなのだ。スプートニクって、何であんな慎ましくもどこか宗教的にさえ感じられるフォルムをしているんだろう。よりによって宗教否定派のソ連のものなのに。

 

 

20. Cool Dynamo, Right on(from『MOON OVER the ROSEBUD』2006年)

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 鈴木慶一岡田徹コンビが送る『ダイナマイトとクールガイ』の正統続編にして、岡田徹エヴァーグリーンさを正面切ったバンドサウンドと、鈴木慶一の感動を狙ってしかし鈴木慶一本人にしかちゃんと理解できなさそうな感動の琴線を狙った歌詞によって彩られた、2000年代のバンドの代表曲にして名曲。この曲の入ってるアルバムもまた作曲者ごとの個性はあまり鮮烈には出てこない作品のように思うけども、でもこの曲だけはもう格別に岡田徹している。威風堂々としたメロディを彼が真剣に書けばそれはもう完全に彼の作風のフォルムそのものになる。彼のキャリアがそれを支える。

 奇妙に荒涼とした演奏と、歌が入って以降のウォームで情熱的な雰囲気とのギャップがまた絶妙に効いていて、この曲は実に抜かりない。バンド30周年を背負うに相応しい気概と気合の漲りを全うした果ての名曲という感じで、終盤のリフレインに至るまで実に感動的だ。まあ「フリーウェイでJamboree」とかの歌詞の意味はやっぱりよく分からんけども。鈴木慶一の世界って感じだ。でも所々、彼だから達した、現実の物質的世界を超越した記憶の果ての光景が広がる。それは何か、あらかじめ感動的で感傷的な光景だったかもしれない。

 

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君に預けた僕のハッピー 冷凍にして持ってておくれ

そうすればいつでも あの頃が戻るだろう Right on

僕がもらった君の時間 一秒ずつ口に含んで

そうすれば今すぐ 口吻けたくなるだろう

 

 

21. 6つの来し方行く末(from『Tokyo7』2009年)

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 『Tokyo7』というアルバムはこれまで以上により若作りしたサウンドのアルバムって感じがあって、同時代の若手バンドに負けじとフレッシュさを求め奮闘するバンドの気概を感じる一方で年齢相応の重みみたいなのは薄い作品だけど、最後にこの曲を置くことによってそのようなものを軽くさらりと添加している。これまでありそうでなかったメンバー6人歌い継ぐ形式は、今、今日の視点から見ると、この歌ってる6人のうち2人はもう、この世にいないんだ、ということになってしまう。そういうことを振り切ってこの曲をもっとナチュラルに聴けるようになるまでは少し時間が必要だなと思う。

 

 

2010年代〜2020年代

22. ハロー マーニャ小母さん(from『Ciao!』2011年)

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 実質的に解散だった2011年末の活動休止、この際にリリースされた『Ciao!』もやはり実質解散アルバムのようなものであり、メンバーの楽曲の歌詞にも所々そのような哀愁なり何なりが込められている。三度各メンバー2曲ずつ提供のスタイルが採られた中で、岡田徹の2曲のうち1曲は上述のとおりバンドの歴史の始まりと終わりをシアトリカルに演出する『蒸気でできたプレイグランド劇場で』だけども、もう1曲であるこの曲はそのようなさよならの風情とは趣を異にしていて、こちらはこの年に起きてしまった歴史的な事象、すなわち東日本大震災の結果起きてしまった福島原発事故を受けての内容になっている。

 そのような屈折があるためなのか、楽曲的には岡田式エヴァーグリーンの方法論に則ったポップな曲であるにもかかわらず、ボーカルにはずっとボコーダーがかかり、そして鈴木慶一の歌詞は科学者の名前を散らしてかつ分かるような分からないような寓話に仕立て上げてあり、原発事故のことは露骨には分からないようにしてある。逆に露骨に「露骨には分からないようにしてある」ことによって浮かび上がるものもあるだろうけども。そのような加工によって、エヴァーグリーンな楽曲に妙にSF的なサウンド属性が付いているところがこの曲の面白いところかもしれない。威風堂々としたサウンドに付された仄かなディストピア風味というか。そういう取り合わせの味付けを見かけることはそんなに多くはないだろうし。

 

 

23. 岸辺のダンス(from『It's the moooonriders』2022年)

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 バンドの始まりと終わりを岡田徹のシアトリカルな楽曲で彩ったのは一体何だったのか。最後だと思ったからそのような予定調和をしてしまったけど、本来このバンドはそういう予定調和を裏切ってこそ、と考える存在であることから、実質再結成盤であるこの曲の入ったアルバムを作るにあたってはまさに、そのような予定調和をぶっ壊すいい機会だったんだろうと思う。

 それにしても岡田徹からこんな変な曲が出てくるとは思いもしなかったよ。いったいどこの国の悲劇の物語の舞踊からの引用ですか?という、ダークなコード感でしかし妙に情熱的に躍動するメロディとリズム。そして労協の哀愁の苦みを直接ポエトリーリーディングで挿入してくる荒技で、「こ…こんなことがあのグッドメロディに定評のある岡田曲で展開されるのかっ?」っていうおかしみに溢れている。というかこれがしたかったからこのアルバム作ったんじゃなかろうな、くらいまで少し疑ってる。

 同作の他の岡田曲がこれまでから想定されるのと同じ感じのメロディアスな曲なだけに、わざわざこの曲をアルバムの実質1曲目的なポジションに置く、そのガキじみた投げやりで挑発的な姿勢そのものに本当に痺れた。またバンドが動き出して、これからルール無用の訳分からん作品を作っていくんだろうなって思ってたところだった。本当にそう信じていた。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

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 以上です。

 ここまで書いた段階で、やはりそういう趣旨の記事ってことになるだろうから、記事タイトルに【追悼】という言葉を入れたけども、いまだに信じられない、実感が湧かない、もうこの世にこの音楽家が存在していないということが理解できないでいる。悲しい、とかとも何か違うような、「悲しい」と言ってしまうことで何か別のニュアンスが抜け落ちてしまいそうな、本当に何をどう書けばいいのか分からないので、とりあえず曲の感想を書き連ねてみて、それで実際、何にもならなかったような気がする。

 けども、彼の残した楽曲の素晴らしさは、失礼ながら彼の死で色褪せたりすることはないだろうと信じれる。それを確認できただけでも、大急ぎでここまで書いてみた価値はあったような気がする。

 

 それではまた。物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、眼をつぶれ