ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

“バンドの再結成”をめぐる取り留めない何やら

 以下の文章は、「Number Girlの再結成が、結局ライブを1回も観ないまま終わってしまった」「最近Pavementサニーデイ・サービスのライブのチケットを買った」の2つの内容で言い切れるものを、よりこねくり回して出てきた文章なので、実に主観的で、別に何か客観的に示そうとしてたりとかそういうものではない、ただの日記帳的なものでしかありませんのであしからず。

 一応、結果的に2個目のチャプターに多少のカタログ要素ができました。

 

 

#1 なんかNumber Girlの再結成に乗れないまま再解散した

 本当に何でなんだろう。2019年より再結成して、そこそこライブをやって、観に行こうと思えば観に行けたはずのNumber Girlを結局一度も観に行かないまま、2022年末頃の再解散を迎えてしまった。スタジオアルバム3枚はどれも大好きだし、ライブ盤も解散後にベスト盤とかと一緒に出た記憶シリーズ含めてよく聴いてたし、「これ実際にライブで観たらどんな具合になるんだろうな」ってずっと思ってたような気がしたのに。

 …などと書いておきながら、幾つか思いつく結論をもういきなり正直に書いてしまえば「なんか疲れそう」「新作を出す感じじゃなさそう」「“現役”時のキワキワ感を再現されてもなんかそんなにスリリングでもなさそう」「一部メンバーのネット右翼的な色々で物言いがついてしまったのが残念」「一部Twitterアカウントの云々…」くらいのものが理由として挙げられそう。いや、結局観なかった理由のより正直なところは「なんとなく」なんだけども、その背景を客観的なふりをして探ってみれば、ざっとこんなところだろうか、というのがもっと正確か。

 なんだか書いてて興醒めしてきた。まるで「こういう理由があったから観に行かなかったんだよ」とバンド側を責めるような部分が上記の文章には含まれてしまっているんじゃないか。別に責める気なんてないのに。再結成の際に向井秀徳が「稼ぎてえ」とも言っていたし、それはとても爽やかな再結成の理由だとも思えたし、そこに抵抗は感じなかったと思う。ネット右翼とかTwitterとかは(特に後者は完全に)事故みたいなもんで、まあ前者が妙なしこりになった感じはあるけども、でも思想は自由だもんな。そんなのに左右されるリスナーはナイーヴか。いやでもそこは結構ナイーヴになってやむなしな部分でもあると思いますよ。このバンドだけに限らず、特に2016年くらいから、本当に色んな「政治とバンド」のことがあった。コロナウイルスについても然り。

 しかし、自分勝手に、別に責めるつもりもないのに責めてるように読まれそうなことをあえて恐れずに書くなら、やっぱり「それで新しい何か展開とかが生まれてくる訳でもなさそう」というのが、自分の中でやや大きかったのかもしれないと思った。というか、ZAZEN BOYSの方も結局新作出てないし、何をしてるんだろう、とは、別に他意なく、純粋に思う。向井秀徳、どうやって食っていってるんだろう。結構ライブで十分に稼げてるもんなのか。むしろスタジオ作品のリリースは儲からない、人間関係を荒立ててあえて一度終わったバンドの新作に挑戦する必要もそこまでない。そんな具合なのか。唯一の新曲『排水管』の哀愁具合、それは多分に「あっ、Nmuber GirlがNumber Girlっぽい新曲をやってる」感が結構あるとこも含めてかもしれないけど、そういったもの纏めて全部がなんかほのかに切ない。

 

NUMBER GIRL 「排水管」 - YouTube

 

永遠に飛んでいたい 着地点は見つからない

永遠に飛んでいたい 着地なんてしたくない

 

 

#2 バンドの再結成に新作は必要か?

 こんなテーマを真面目に考え出したら果てが無いだろうし、そもそも誰目線で”必要”とか言っちゃってんの?っていう問題。そんなのケースによるだろうとしか言いようがないし、本人たちが必要だって思ってやってんならそれがどれだけ駄作だろうとファンから求められていなかろうと必要だろうよって話だし。

 【再結成後の作品で名盤】リストならまあそれなりに作成可能だろう。試しに10枚、やってみようか。本当に名盤かは個人差があることは言うまでもなし。

 

 

【再結成後の作品で名盤】リスト(10枚)

 年代順です。

 

1. 『Discipline』King Crimson(1981年)

 最初の解散までのKing Crimsonが壮絶な炸裂と崩壊を基調とする、ある種グランジ的とさえ言えるサウンドを持っていたプログレバンドだったのに対して、この再結成作はもっと複雑かつ奇妙なサウンドをどこかファンク的に反復して躍動させる機巧であり、どこかエスニックさも感じさせるそれは案外Talking Headsとかと親和性があるのかもしれない。ディストーションめいてないギターサウンドもまた1980年代的。その執拗な反復の様を「規律」と呼称するのは的確な自己認識のなせる技。商業的理由がなければバンド名もクリムゾンではなくアルバムと同名で通そうとしていたくらい、このコンセプトはしっかり自覚され、最初にして集大成であったこの再結成作にきっちりと収められている。タイトル曲のひたすらストイックで幾何学的な模様を思わせるような駆動のストイックさと洗練され切ったストレンジさ。こんな複雑で繊細なリズムをどうやって拍子を取ってるんだろう。

 

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2. 『Urban Hymns』The Verve(1997年)

 世界的に見てもとりわけ成功した「再結成」アルバムで、再結成直後にキャリアハイを迎えるということもあるんだなと。1995年に解散して1997年に再結成なので、期間的なことを思うと「これはただの活動休止では…?」と後世からは見えてしまうかもだけども。解散と活動休止の差というのも場合によってはそんなに無いこともあるし。

 初期のサイケデリックバンドとしてのサウンドは控えめになり、代わりに”歌もの”としての強度の高さが前面に出ていく。盟友のOasisと比べるともっとどこか内向的でブルーズ的にも感じられるRichard Ashcroftのソングライティングが冒頭『Bitter Sweet Symphony』やら『Sonnet』やら『The Drugs Don't Work』やらの歌の強いナンバーがアルバムを牽引し、それらの合間に現れる従来からの延長的なサイケデリックナンバーも1997年というリリース年のこともあり、Radiohead『OK Computer』等との共鳴を感じさせる世紀末感があるのは役得なところ。

 彼らがこのアルバムの後しばらくしてまた解散し、今度は結構時間を隔てた2007年に再結成し”再々結成”アルバムを1枚残し、2009年にまた解散するのはまた別の話。何気に再結成のたびにアルバムを出してるのは律儀なのか、それとも活動を続けられないのがダメなのか、意見の分かれるかもしれないところ。

 

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3. 『The Rising Tide』Sunny Day Real Estate(2000年)

 こちらも1995年に一度解散し、1997年に再結成。最初の再結成より前はエモの始祖のひとつと呼ばれるほどの影響力を有したが、最初の再結成中にリリースされた2枚のアルバムはどこか宗教的にさえ感じられる荒涼とした緊張感とヒストリックさが響き渡る、元々のエモとは結構趣の異なった方向に激烈に炸裂する名盤で、特にこの最終作はサウンドの暴虐的な様に宗教観が絡んできてより破滅的な光景が示唆される。

 静と動の対比。静の時の、光り輝く大海や悠久の時を経た大理石のような光沢を感じさせるサウンドの眩さと、動の時の、神経痛に無理やりディストーションを掛けたかのような痛々しくも物悲しい激烈さ。もはやこれは典型的なエモからはずっと離れた光景かもしれないが、しかしその激烈さは全体的に神々しく、そしてエモーショナルでもある。そのポップス文脈から離れた彷徨っぷりやファルセットの多用など、Radioheadと多く比較されるけども、それであればこのバンドのこのアルバムの方がエモではあるだろう。

 このバンドはこのアルバムの後2001年に再解散し、2009年に再々結成、2014年に再々解散、そして2022年に再々々結成している。再結成のたびに音源リリースが望まれるも、なかなか実現していない。このアルバムを正統に超える作品など早々作れるはずもなさそうなのでむべなるかな。

 

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4. 『新人』筋肉少女帯(2007年)

 ぶっちゃけそこまでこれを名盤とは思っては無いけども、でも、他ならぬ筋肉少女帯という、というか大槻ケンヂという、歌詞において一切のタブーのない、メタなことも幾らでも書き連ねてしまう人物が“再結成”というものをネタにしないはずもなく、本作の価値もまたそういうメタな部分に感じられてしまう。いや、音楽的にもいいところ色々あるとは思うけど、でも過去の名曲のリメイクがやたら入ってるのもまた再結成ならではとはいえ、ちょっと引いちゃうとこあるけども。いやいいリメイクなんだけども。というか『イワンのバカ』や『Guru』といった歴代の名曲を再結成アルバムで早々にセルフカバーするのはこれ「新曲なんか聴きたくない/昔の曲をやってくれ」という最後の曲の歌詞に親切に対応してるっていうネタなのか…?そういうある種残念そうなところまで巡り巡って良さに変わる可能性があるのはズルい。

 それでも、ディストピア小説を下敷きにした清々しいまでに”中二病”全開な『トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く』とか、再結成以降ちょくちょく参加する三柴理ケレン味の効いたピアノが上手く響く『交渉人とロザリオ』辺りの楽曲は、筋肉少女帯だからこそな「あれっあんなに芸人めいたメタなことやってたのに、なんかマジじゃん。ちょっとハズいのも振り切って、マジじゃん」って感じがして、こういうのは他ではなかなか味わいにくい気がする。特撮のハードコアな感じとも違うし、やっぱ筋肉少女帯ならではのイズムがある。

 これよりも後の再結成後作品をあまりちゃんと聴けていないのがアレだけど、これを機に少し聴いてみたら全然かっけえなあ。この人たちも思いの外再結成後ずっと活動し続けていて、色々とあるのだろうけども、かつての名曲も演奏され続けられるわけだし、偉いと思いますよ。

 

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5. 『To Be Kind』Swans(2014年)

 むしろ近年の作品の”とんでもない強度”に触れたレビューを色々と読んで聴いて驚いたりした人間なので、このバンドが1980年代から活動していたとか一度解散したバンドだとかはかなり後になって知った気がする。1997年に解散して2010年に再結成、というけど、共通する部分はあるんだろうけども殆ど転生みたいなもんじゃなかろうか。ベルセルクでいうところのグリフィスみたいな。

 弊ブログの2枚組アルバムの記事でも取り扱ったけど、相当な尺を相当なヘヴィさと神殿めいた異様な反復と不穏さ・邪教さで覆い尽くしていく。ギターという楽器はこんなに削り落とし、押し潰し、怪しく眩く光り、そして崩壊していくような音を出せる楽器なんだなあと、聴いててまるで「ギターの再発見」をしてしまうような気持ち。

 そして、10分を超える楽曲が半数というやたら重厚長大なトラックばかりある状況によって、普通なら十分超尺なはずの7分や8分超えの楽曲、具体的には『A Little God in My Hands』や『Oxygen』あたりのトラックにポップさすら感じられてしまう。なんという相対性。異様な環境の中では、何をポップに感じるかという聴き手の感覚さえ歪められてしまうのか。歪められてしまうのかもしれない。

 

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6. 『The Magic Whip』Blur(2015年)

 再結成をしてから新譜がなかなか出ない、別に出す気もないのかもしれない、という感じの再結成も多々ある。別に再結成したからといって新しい楽曲を制作・リリースする法的・道義的義務がある訳でもない。なので、Blurのこのアルバムはそういう意味ではなんか意外と新譜がリリースされた例として、ラッキーな方の事例だったのかもしれない。しかもそれが中々良いのだから、儲けもんなのかも。

 実質解散前最後のアルバム『Think Tank』が実にシリアスで、というか大人っぽく枯れ切った風情で研ぎ澄まされた作品だっただけに、この再結成作で往年の「茶目っ気のあるバンド象」が滞在地香港のノリを妙にいかがわしく取り入れた上で表現されたのは、ある程度はファンへの妥協もあったかもしれないが、かなり嬉しいポップさだったと思う。そしてそういう曲とDamon Albarnの陰気で感傷的で地味にダークな楽曲群が隣り合う、このアルバムのそんな雰囲気が案外にちょうどいいように感じられるのもまた面白い。Damonのそういう曲でもう一人の看板Graham Coxonのギターが十分に生かされているかどうかは、案外この際どうでもよくて、再結成によってこういう曲タイプのブレンドのアルバムが出てることが、実は重要なんじゃないかと思ってる。曲目の賑やかさは、ある種のバンドにとって望ましいように思える。香港で制作、という謎のテンションが、本作でそれを可能にさせたのかもしれない。

 

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7. 『Dance To You』サニーデイ・サービス(2016年)

 こういうアルバム複数枚並べた記事を書くと大体少なくとも1枚は「これ単体記事で書いておきたいなあ」というアルバムが入ってくるけど、今回はこれが特にそう。

 再結成後にキャリアハイな作品が出てくる場合、「再結成前のスタイルからかなり変わりましたね…」という状況で立ち現れてくることがままあるけど、これはまさにその典型で、こんなに凄絶な世界観を背後に感じさせるアルバムはここまでの彼らの作品にはなかった*1ダンスミュージックへの軽薄な接近を本人は強調するも、それだけでは到底この作品に潜むダークでドロドロな何かを説明できない。本作でもとりわけダンスフィールをポップに昇華した『桜 super love』まではまだ分かるけども、でも本作のもう一つの目玉であろう『セツナ』については、その獰猛なライブバージョンを聴くに、そこにはダンスがどうこうでオシャレに気を引こうなんて感じは微塵もなくて、沸々と発散されずに内側で毒々しく蠢く暗い衝動の迸りばかりが表に浮かび上がる。スタジオバージョンはその名状しがたき情念を必死に抑制しているかのようなトラックの作りになっているけども。そしてその名状しがたき何か本人さえコントロールを放棄しかねない情動、それこそをロックと呼びうるのではないかという問題。そして、それを本作で宿したからこそ、前作までの「思い出を慈しむ」路線をかなぐり捨てて、サニーデイ・サービスという形態こそが曽我部恵一の荒れ狂う表現欲求を叩きつける最前線になっていく。そういう意味では、本作はバンドの”再誕”を告げる産声でもあるのだけれど、その何と痛々しく壮絶なことか。

 そろそろこのアルバムについてもちゃんと書いておきたい。過去何度か挑戦して頓挫してるけども。

 

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8. 『Weather Diaries』Ride(2017年)

 今回こうやって書いてて思うのは、1990年代UK組が再結成後も良く活動している率の高さで、何でなのか多くのバンドがライブにアルバムにと積極的に活動を継続している。一種の1990年代リバイバルな風潮の後押しもあるんだろうか。中でもオリジナル・シューゲイザー勢の現役復帰っぷりはやたら高く、My Bloody ValentineSlowdiveにそしてRideといったいわゆる”御三家”に始まり、SwervedriverやらアメリカのMedicineやらも活動を再開し、2000年代以降のシューゲイザー再評価の流れも相まって、「若手から大御所まで活躍するシューゲイザーのシーン」としてインディーロック界隈において存在感あるジャンルになることに一定の効果を果たしていると言えそう。

 Rideも2014年に再結成を果たし、そして2017年以降、本作とあともう1枚のアルバムをリリースできている。何気にシューゲイザー御三家では再結成後最もアルバムを数多く出せている。リミックス等の数増しはともかく。 

 で、このアルバム。「シューゲイザーバンドのカムバックアルバム」という意味では、おそらくこのすぐ後に出てくる同じ年のSlowdiveのセルフタイトルの方が出来が良いと思う。ただ、そもそもの話だけどRideっていうほどシューゲイザーバンドか?というのがあって、初期の代表曲『Like a Daydream』の時点でせいぜい「ノイジーな勢いのあるロックバンド」くらいのサウンドで、おまけに3rdアルバム以降はもう明らかにシューゲイザー的なギターサウンドを切って、もっと一般的なギターロックバンド、より2000年代以降的な言い回しをすれば”インディーロックバンド”って感じの音楽になっている。なので、この復活作もまた、そこまでシューゲイザーに捕らわれすぎてないし、なんなら当代風なCaptured Tracks的ギターサウンドを見せたり、リード曲の『Charm Assault』では「うわっだっせえ…」って思いさえしそうなサッカーチャントみたいなコーラスをCaptured Tracksなギターサウンドに接続してくる。ケバケバしいギターサウンドのリフ反復で進行するオルタナティブロック曲もある。Rideのいいところは結局このように、いい意味でサウンドに執着がない、なんでも面白そうならやってみよう、いい機材なら使ってみよう、って感じの軽薄さで、そしてそれはロックンロールというものが発達して進化して生き残ってきた今日に至るまで持ち続けてきた美点だ。要は曲と音がなんとなく良ければ、シューゲイザーかどうかなんてどうでもいいんだと思う。ついでにこのバンドのフロントマン二人が声を重ねて歌えばそれだけでRideっぽくなることも手伝って、そういう身も蓋もない良さが『Cali』辺りのあっけらかんとしたポップソングに出てる。この絶妙にRideっぽくなさそうな軽薄さと、しかし二声コーラスだけでRideっぽく聴こえてしまうお得さ、そして延々と繰り返す後奏の、明るいのに不思議に湧き出してくる心地よい虚しさ。ナイーヴなくせに妙にダイナミックでロックンロールな彼らの真骨頂だろう。

 

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9. 『SlowdiveSlowdive(2017年)

 ニューゲイザーという潮流が2000年代に浮かび上がってきた時、最もそのサウンドとリンクした部分を有していたオリジネイターのバンドはSlowdiveだった。ディストーションの轟音としてよりももっと空間系エフェクトによる音響作成という感覚や、打ち込みリズムとの積極的な混合、シンセの使用など、それらはあえてその原点を辿るならば、このバンドが比較的近いものだった。ニューゲイザー勢が本当にSlowdiveから拝借する意識があったかは知らないけども。

 そしてそんなSlowdiveも2014年に再結成し、そして新譜、それもセルフタイトルの付いた新譜を世に投げかけた。サウンド的には、彼らのシューゲイザーサウンドが一旦完成した2nd『Souvlaki』が近いといえば近いか。リズムは打ち込みではなく人力のドラムで、反響するギターサウンドとシンセが彩る楽曲が、時に静謐に音を響かせ、時に壮大に煌めきを拡散していく。元々『Souvlaki』にBrian Enoとのコラボが入っていたりと、叩きつけるようなダイナミズムではなくもっと繊細な部分で聴かせるバンドではあっただろうけども、本作ではそのようなサウンドの手管が、現代インディーロック然としたどこかすっきりとしたリズムと楽曲からのびのびと立ち上がっていくような感覚がある。特に冒頭3曲くらいの連なりはまさに「『Souvlaki』の先」的な心地よさと淡い爽快感を纏った素晴らしい勢いがある。そこから『Sugar for the Pill』での静寂を効果的に聴かせるアンビエントな要素を経て、次第にアルバムはマイルドで奥深い音響感に包まれ、るかと思ったら『Everyone Knows』でまたえらく爽快感に満ちた疾走感を見せるし、最終曲『Falling Ashes』はミニマルなピアノを軸に静かに展開される現代音楽的な装いでアルバムに新味を1滴垂らすことも忘れない。

 シューゲイザーにおいては、高揚感と鎮静感、全能感と虚無感、宇宙と廃墟とが隣り合うような混じり合うような、そんなアンビバレンツさが時折宿るけども、そういうことにおいてこのアルバムは実に優れた実践になっていて、そして何よりもそれが間違いなくバンドという人力な機巧から出力されたものであることが何より嬉しい。

 

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10. 『Sweep It Into Space』Dinosaur Jr.(2021年)

 USインディーには幾らでももっと良い再結成アルバムがある気がしたけど、でもアメリカのバンドで再結成ということならDinosaur Jr.は外せない気がなんとなくした。再結成しても別にバンドメンバーが仲良くなかったり、はっきりと輝くような精力的な活動をしている訳でもないけど、どこか惰性的なものも感じさせつつ、しかしながら活動が途切れずにコンスタントに作品もリリースされるという、「いい作品を作る」とかどうとかよりもまず前に「暮らしていくために生きていく」みたいなことがバンドの目的になることもあるよなあ、という、バンドという機巧のロマンが剥がれ落ちた後の哀愁を感じさせつつもしかし飄々としているようでもある、特別良くもないがヤバいくらい悪くもない、実にいい具合に不機嫌気味な平常さが、再結成後のこのバンドにはある。”惰性”という言葉には悪いイメージばかりが纏わり付いてるけども、本当に悪いだけなのかな。

 どのアルバムが特別いい、とかも彼らにとってそんなに無い気がするけど、でもこの今の所の最新作には、バンドのもう一人のソングライターLou Barlowの好調によるいい具合に味わいの違う2曲と、あと珍しくどこかノスタルジックでファニーなピアノを軸に楽曲を作ってみせた『Take it Back』がいいアクセントになっている。彼らとて、徹底的に惰性だけでやっていくのは難しいだろうから、こういう時折入ってくる気の利かせ方は単純な良さ以上に、何かしらの”リアルさ”めいたものを感じてしまう。

 

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でも新譜のない再結成だって幾らでもある(むしろこっちの方が多い?)

 もう表題で言い終わってるけど、再結成したバンドが全て新作を出せているわけでは全然ない。そもそもそれが目的ではなく、旧交を温めつつライブ活動をして往年の名曲をファンと共有することを重要視する再結成バンドの方がずっと多いんじゃないかとも思う。場合によっては再結成後のライブ盤が出るパターンなんかもあるか。場合によっては、往年の名曲を演奏するライブの傍で新作に挑み、微妙な作品しか残せなかったり、新作の制作中に空中分解してしまったりということも。作品を作るって大変だもんな。特にそれが複数人の共同作業であるバンドなら尚のこと。

 バンドが解散して、別のバンドを組み直すことっていうのは、有名な範囲で見るとそんなに多くない*2。どちらかというと、バンドの元中心人物、もしくは複数人がソロ活動をしていくことが多い感じがある*3。考え方によっては、クリエイティブな活動はそのソロの方で行って、再結成バンドの方ではファンとの記憶の共有(と稼ぎ)を行う、という形態か。多分このパターンの方が目立つ範囲では多そうで、それこそ今度ライブ行くことにしたPavementなんかはこのパターンなのかな、と思う。バンドでの新作が出ないのは多少寂しいような気もしつつ、でも別に無理をして妙な作品を出して欲しい気もしないし、何よりライブを観にいく立場としては、バンドを知ったときにはとっくに解散していたのでライブでどうなってるか全然観れたことのない往年の名曲を観れる、というだけで十分に何かざわめくものはある。

 きっと本来、再結成ってそれこそが目的なんだと思う。新作が出ればラッキーくらいの感じで、まさかの再結成後の創作活動が旺盛になるなんてのはファン的には驚きな場合が多いんじゃないかと思う。いや、でも、そんな新作もファンが大いに受け入れていけるような環境っていうのはとても理想的な感じにも聞こえたりするけども。

 

 

活動休止と解散の違いって何なのか?

 別にそんなにない気はする。活動休止の方が、何かアーカイブ作品とかをリリースとかするときに集合しやすい?世の中には「活動休止の休止」なんていう詭弁を弄して活動再開(実質再結成)してみせる大御所バンドもあることだし。

 活動休止だってアナウンスされるものとされないものがあるし、そもそもあるバンドからなにもアナウンスのないまま活動が停滞し続けると、それが活動休止なのか解散なのか判別するのは外部からは難しいだろうし、判別する必要性もかなり薄いだろう。ただ、解散と言われないことで希望を薄ら抱くファンが出ることは考えられて、それで活動再開する可能性が比較的高いかなんて判りもしないのに、解散から再結成するよりも可能性が比較的高そうに思えたりもするんだから、あまり救えない話。

 解散も活動休止も、活動を再開するときにかかる手間というか一種のエネルギー自体はそんなに変わらない気がする。連絡を取り合うのを再開して、段取りを話し合って、バンド練習して、発表して、実際に活動して。あとはメジャーレーベルとかだと契約の関係とかがバンドが残っているか否かで変わってきたりもするんだろうか。インディーだとあまり関係なさそう。

 

 

#3 (再結成含む)バンド活動”不能”ーメンバーの死去ー

 そしてバンドというものは人間の集合体であることから、これによる活動の不可能化というのが起こり得る。このチャプターはその停止理由ゆえにどうにも陰鬱な内容にならざるを得ないけども、大きく分けて二つのタイプの活動停止があると思う。

 

 

1. フロントマン等重要メンバーの死

 ある突出した存在感を持つメンバーが死んだ場合、そのバンドは基本的に活動が不可能になるだろう。そしてそういう場合、再結成の可能性というのはほとんど絶望的になってしまう。一番典型的には、その死んだメンバーが全ての曲を書き、歌い、アイコン的存在にさえなっている場合で、これはもうNirvanaがまさにど真ん中を行く。誰もKurt Cobainの後釜なんて勤められるはずがない。そもそもが3人編成のバンドなのに。

 逆に言うと、間違いなく重要メンバーであったであろうFreddie Mercuryが死去した後も別のボーカルを連れてきて再結成してしまったQueenは特殊な存在で、そんな無茶なことをするのは経済的な要請の大きさなんかも絡んだりした結果なのかもしれない。

 日本でもbloodthirsty butchersみたいに死去によって活動が全く止まってしまう場合が普通で、Fishmansみたいに様々なゲストボーカルを招いて再結成ライブみたいなのが行われることは稀だろう。同種の”再結成”だと初恋の嵐なんかもそうか。意外と無いことはない。

 それであっても、やっぱり有力なフロントマンが死んでしまうというのはとても悲しいことで、いくらか無様なことがあっても生き続けて、活動し続けてくれた方がよっぽどいいとは思う。The LibertinesのPeter Dohertyは2000年代いつ死んでもおかしくなかった気がしてたけど、その体格をもうすっかりオジさんな具合に膨張させつつも現在まで生き延び、その歌い方にはどうしようもなくPeter Dohertyが宿っている。

 

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 Peter Dohertyにせよ木下理樹にせよ、死なずに生き続けて、そして音楽をし続けていてくれているのはなんだか嬉しいことのように感じる。

 

 

2. 大御所バンドのメンバー死去による再活動不可

 人間誰しも死ぬんだから、どのバンドもいつかはこうなって、再結成・再活動したくても物理的にできなくなる。

 高橋幸宏が亡くなって、彼の活動は多岐に渡るけども、一番思ったのは「もう普通のライブの形式でYMOが演奏することは無いんだな」ということだった。彼の様々な活動を十分に見知ってないからこう思うのかもしれないけども、でもそれは、2000年代後期にいよいよこの活動形態を本格的に復帰させ、2010年前後は特に思いの外よくライブしているニュースを聞いてた身からすると、意外というか、実感が湧かないというか、すごく不思議な感覚になってしまう。別にその頃からもう10年くらい経っているんだから不思議なこともないのに。

 同じようなことを、高橋幸宏と近い時期に逝去したDavid CrosbyのいるCSN&Yについて思った。4人のアーティストの集合体であるCSN&Yはバンドという感じでは無いけども、YであるところのNeil Youngの精力的な活動の合間に時折復活して活動したりしており、なんだかずっとそんな感じが続くもんだと、どこかすっかりそう思い込んでいたところがある。Neil Youngにしても細野晴臣にしても活動や露出が現役アーティスト的にあり続けているからか、その人が属していたユニットもまた永続するような感覚になっていたけども、しかしやはり人はいつか死ぬ。構成メンバー1人1人がより重要なユニットであれば、それによって永遠に機能停止する。そんなの1+1=2くらいには当たり前のことなのに。

 もちろん世の中にはこういうものに抵抗し続ける集団もある。The Beach Boysは一応は解散したことがないまま続いているけども、主要メンバー2人を1980年代と1990年代に喪くし、最重要メンバーのはずのBrian Wilsonさえ2010年代の一時期を除きもう一人の主要メンバー共々バンドから離れているにもかかわらず、バンド内のアジテーター的ポジションであるMike Loveは、様々なサポートメンバーを集め、何なら一番重要なボーカルパートさえサポートに任せつつもバンド活動を継続させている。彼の神経は世界中のアーティストの中でもとりわけ図太いんだろうなとも思うけども、でも無理矢理にでも継続させていることの意義が本当に全く無いとも言えないものがある。

 The Rolling Stonesもまた、デビュー時からずっとドラマーを務め続けていたCharlie Wattsを2021年に喪くし、サポートのドラムを入れてツアーを続けているけども、でもこんなバンドは例外中の例外的な存在にも思える。The Beach Boysもそうだけど、彼らくらい巨大になると、メンバーの死や脱退程度で動きを止めることはもはやできないのかもしれない。

 とにかく、基本的にメンバーの高齢による死去は緩やかな再結成の機会さえ見失わせる。逆に言うと、そういった絶対的な諦観が訪れるよりも前に、幾ら現役感が失われていようと再結成バンドがライブをしそれを観る機会がある、というのは意義があることのように思える。

 

 

#4 バンドの再結成を観る価値はあるか

 これもまた極論みたいな問いの立て方で、そんなのそれぞれのバンドの状況によりけりだし、一般論としては「ある」に決まっているわけだけど、少しばかり考えたい。

 Rideの再結成で、上述のアルバムリリース後のライブを大阪で観れて、とても良かったけど、その後彼らの使っていたエフェクターを確認して、興味深いことが分かった。Strymonという割と高価だけど高品質のエフェクターを作るブランドが2010年代以降から活躍しているけども、Rideのフロントマン2人の足元にはこのブランドのエフェクターが多数置かれていた。元々1990年代組で、バンドが再結成していなければそれらの機材でバンドの楽曲を演奏することなんて無かっただろうけども、このようにそれらのエフェクターを踏まえた上で再結成しライブし新しい楽曲なんかも制作し、そうやった彼らのライブを観ていると「再結成バンドである彼らと、現役のバンドと、何の差があるだろう」ということを思った。下手すると全員Kemperのスピッツとかよりもずっと現役感がありそうだと思ってしまった*4

 

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 このように機材も現代風にブラッシュアップされて新作も出したRideの例なんかに強く影響を受け過ぎてしまうと、「再結成したバンドもやっぱり何かの進歩を達成すべき」みたいな考え方に傾いてしまいそうになる。思うに、作品を出すごとにどんどんと”進化”じみた変貌をみせたRadioheadやら、日本だとくるりやらスーパーカーやらNumber Girlやらそういうのを取り巻く雰囲気(報道を含む)に強く充てられた経験があるほど、この「作品を出すたびに進化していかなければならない」論理を無意識のうちに抱えてしまうことがあるように感じる。もしかして向井秀徳がなかなかZAZEN BOYSの新作を制作できなかったりNumber Girlで新作に挑戦しなかったのもこの辺の感覚によって苦しんでる部分があったりするんだろうか。

 別に、バンドだろうとソロアーティストだろうと、作品ごとに進化しないといけないなんて法は無い。同じような作風でも微妙に曲調の方向性が違うとか使用する楽器やエフェクトが違うとか何とかで作品は十分に差別化できるし、そもそも本当に作品ごと・楽曲ごとの差別化というものは必要なのか、という問いの立て方もあり得るだろう。むしろ人間、同じことをずっとやっていると飽きる部分もあるだろうから、たとえば新しい音源を出すことなく再結成でライブ活動だけを続けていくバンドがいるとして、彼らはその”飽き”に耐え続けているかその問題をどうにかして解決できてしまっている訳だから、それはそれで立派な達成と言えるものなのかもしれない。

 

 …色々と何かを書いてみたけども、結局のところ、今度Pavementのライブを観にいくので、別に新譜を出してるわけでもなく何か新鮮な感じがあるのかも分からんけどもでも、ただただ楽しみだなあ、という気持ちを一言書くのに、ここまで延々とそれについての屈託を書き連ねただけのことではある。大阪の公演を観に行きます。ライブ音源やら動画やらでしか触れたことのない彼らのライブが、実際のところどんな感じなのか、楽しんでいきたい。昨年驚愕の曲順でリイシューされた『Terror Twilight』収録曲がどうなるかも気になるところ。

 

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 あと、サニーデイ・サービスの福岡公演も予約できてるので観れるだろう。こっちはバリバリ新譜を出し続けている方なので、今の編成と方向性のこともあり、1990年代の様子とはまるで別バンドで、あまり”再結成バンド”を観にいく、という感覚では無いけども。

 

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あとがき

 以上です。

 再結成というテーマでもっと突き詰めてガチガチにカテゴライズして何か書くこともできたのかもしれませんが、そうはならずにこんな文章になりました。これでも元々は1日でパッとエッセイめいた具合に書き上げようとしたのに、色々と邪念が入ったりしたのか、なんか中途半端な感じはします。

 ともかく、ライブを二つ見にいく予定があるというのが、普通に月並みに楽しみだなあと、それだけを書けばいいものを他の色々な感傷やら屈託やらも取り付けて書きました。何だったんだろう。

 それではまた。

*1:曽我部恵一ソロなら2013年辺りからこういう狂気寄りな方向に進んできてた。

*2:アンダーグラウンドな領域では幾らでもあるだろうと思われるけども。

*3:メンバー4人ともが別バンドを組んだNumber Girlって珍しいパターンだな。

*4:スピッツも理由があってKemperを使っているわけで、こんなことでディスっても仕方がないことであって、ディスる意図はないつもりだけども。