ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『DOKI DOKI』サニーデイ・サービス(2022年11月リリース)

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 サニーデイ・サービスの新作アルバムがいつの間にか出ていて、なので全曲レビューもついた感想文を書いておこうと思います。それにしても今回もリリース告知の三日後くらいにもうリリースという唐突さ。突然リリースされた『Popcorn Ballads』で完全に何かの味を占めた模様。

 ちなみに、個人的なアルバムの感想を先に一言置いておくならば、「前作『いいね!』ほどの前のめりなバンドの躍動は薄れ、もう少し自然体なポップさと歌詞の情感に寄った、サラッとした作品」と言えそうです。

 

 前作アルバム『いいね!』のレビューもそういえば書いています。

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(2022年12月22日追記)

 曽我部恵一の本作に関するインタビュー記事が公開されて、色々と内情だとか作品への解説とかが追加されたので、その辺を追記しました。当該インタビュー記事は以下の3つの記事に分割されるくらい長かった模様。

 

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前書き

 

前作から今作までのサニーデイ・サービス(2020〜2022)

 2018年にオリジナルメンバーであったドラマーの丸山晴茂が亡くなって、その後の2020年に大工原幹雄が正式なドラマーとして加入、『Dance To You』から始まるトラックメーカー色の強い三部作からの転換となる、勢いづいたバンドサウンドが中心の作品『いいね!』を2020年にリリースしていましたが、そこから今回のアルバムまでの間にバンドはいくつかのシングルをリリースしています。そして、それらは今回のアルバムに全て未収録となっています*1。順番に見ていきます。

 まず『Dance To You』から続いている公式リミックス盤シリーズとして『いいね!』の楽曲のリミックスが収録された『もっといいね!』が2020年11月にリリース。しれっとカバーも複数入っていて、『春の風』は3バージョンも含まれている。結局アルバムに収録されなかった『雨が降りそう』のリミックスも複数収録されているのが少し興味深い。

 ただ、そもそも曽我部恵一サニーデイと並行してソロ活動も盛んに行っており、同じ年の12月には『いいね!』に収録されなかった楽曲も含んでいるとされる80分超えの大ボリュームのソロアルバム『Loveless Love』をリリース。『Dance To You』以降三部作に顕著なトラック指向の楽曲や、『いいね!』の勢いある作風にそぐわないと判断されたのかもしれない落ち着いた曲調の楽曲等が数多く収録されている。

 

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 2021年10月には配信シングル『TOKYO SUNSET』をリリース。『いいね!』の余熱を感じさせる情熱の高まりを感じさせるバンドサウンドのややもっさり気味の疾走感。とても穿った見方をすれば『春の風2』とも呼べそうな。

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 同じく2021年、ソロの方ではエレクトロなトラック『Emotional』『Summer '71-2021 Revisited』をリリースしている。バンドっぽくないものをソロに回していく方針なのかなと。

 

 2022年、まずソロの方ではやたらと劇伴音楽のサントラを連発していて、今回改めて調べてみてびっくりした。インストものが多いが、中にはドラマ劇中歌や未発表曲を収録した歌もの弾き語りアルバムみたいになっている『プリンは泣かない』といった作品もある。また、ウクライナにロシアが進行した2月24日の翌日には早速それに関する内容を盛り込んだ『Beginners』をリリース。「遠くの国の戦争に対する他人事」の感じを皮肉っぽく歌い上げている?*2ようなエレクトロトラック。また10月にはRAM RIDERをプロデュースに招いた『まぶしい世界』をリリース。かなり力の入った歌ものエレクトロで、まさかこんな曲を出した数週間後にサニーデイのフルアルバムが出るなんて思えない。

 バンドでもコンスタントにリリースをしていて、2022年の曽我部恵一の楽曲生産量は何気にちょっとおかしい。もしかしてキャリア1では?1月には日本テレビの番組の主題歌として提供した『おみやげを持って』をリリース。軽やかなカントリーフィーリングを持ったユルいナンバーで、『いいね!』以来のバンド全開モードからの変化を感じられて「おっ?」と思った。というかこの曲はサニーデイの『東京』的な側面をポンと出してみた風情か。ですます調の歌詞といい。以下のPVの後半、ただの旅番組みたいなのは笑う。

 

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 7月には『ライラック・タイム』をリリース。フォーキーで落ち着いたバンドサウンドにそこそこにメロウな進行が流れていく様に、典型的な「サニーデイの夏の歌」っぽさが見えてくる。

 

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 さらに同じ7月中に『冷やし中華 EP』をリリース。なんで『ライラック・タイム』とリリースを分けたんだ…?もっと落ち着いたポップさ・メロウさが流れていくタイトル曲は7分弱あり、ファンク的な展開も見せる凝った作り。夏にフォーカスしたシングルとしてカバー含む4曲が収録。こんなの出されたらまさか同じ年のうちにフルアルバム出すとか思わないやないですか。

 

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 …以上、今回のアルバムまでに至るリリースを纏めたけども、ともかく2022年が何気に物凄いリリース量で圧倒される。2022年の作品は全体的に曽我部ソロの2014年くらいから漂ってた毒気めいたものはかなり抜けていて、かなりフラットで落ち着いた風情のものが多いのかなと思える。

 

 

今作の特徴

・ある種のフラットさ・リラックス具合

 上述のとおりのリリースラッシュの中での今回のアルバムな訳だけど…この状況は同じく怒涛のリリースラッシュ(主に曽我部ソロ)の中届けられたサニーデイのアルバムだった2014年の『Sunny』と似ている。少なくとも「この一枚に凝縮した全てを注ぎ込む」といった気迫が漲っていた『Dance To You』や同じ感覚のあった『いいね!』あたりの作品とは異なる空気感・緊張感の度合いが『DOKI DOKI』にも『Sunny』にもあると言える。

 「緊張感のない作品」と言い切ってしまうつもりは無いが、そもそも「緊張感が無い」というのは往々にして作品の出来が散漫な際に用いられるタームだけど、果たして「緊張感が無い」ことは必ず悪いことだけなんだろうか、という疑問はある。人間、常に緊張感漲るスリリングな作品ばかり聴いていたい訳でもない。そういう人もいると思うけども、そういうのばかりでは疲れてしまうし、もっとリラックスした気分の時にはリラックスした作品が聴きたい、と思う向きは多いと思う。

 そもそも、一枚一枚コンセプトに拘ってた節のある90年代作品や入魂系の作品みたいなコンセプト漲る感覚は本作では薄い。これはもっと自然な、初期衝動的な前のめりな季節が過ぎた後のバンドから出力されたものをササッと10曲ばかり集めた作品、というくらいのフラットさが出てると思う。

 

(以下2022年12月2日追記)

 実際、インタビューによると本作は、そんなに迷いもなく、キリキリした思いもせずにスムーズに制作できたらしい。

 

(曽我部)

 ジャケットも気に入ってるし、丁寧に作ったから達成感、満足感はあるかもしれない。今までは一作ごとに死ぬんじゃないかって自分を追い込んで作ってたけど、今回は冷静に落ち着いて、メンバーとケンカをしたり仲が悪くなったりもせず(笑)。

 

 なお、インタビューの最後の方で、『生きている』という未発表楽曲にも触れられている。結局収録はされなかったけどきちんと完成していて、そしてすごくいい曲だからいつか聴かせたい、とのこと。

 

 

・ハード過ぎも、ソフト過ぎも、メロウ過ぎもせず、そしてどこかJ-POP的

 リラックスした雰囲気がどういう風にサウンドに出るかとなると、ある種の中庸さとして自然に表出される。ドラッギーさやハードさは本作において殆ど姿を見せず、また極度な繊細さ・ソフトさやアダルティックなメロウさも本作では相当に制限されている。代わりに中心にあるのは、日本語の歌の様式、特にJ-POP的とさえ言えそうなおおらかさだろう。

 おそらくは、先行リリースされていた『ライラック・タイム』や『冷やし中華』を収録していれば、作風はもっとメロウ寄りに偏っていたように思う。それをあえて避けてこの10曲したことに何かの意思を見るべきか、単に未発表の楽曲10曲でアルバムを組もうとして結果的にこうなったのか、その辺のことはよく分からない。

 全体的にどこかJ-POP的なものを感じるのは、Aメロ-Bメロ-サビの形式の楽曲が本作に多いことからだろうか。それもあるけど、大きいのはアルバム冒頭がとりわけくっりきとポップな『風船讃歌』でそしてラスト前に同じくらいポップな『こわれそう』があるところだろうか。サブスクの人気の曲でもこの2つが頭抜けている。実際この2曲ともサビの「一回聴いたら覚えてしまう度」はとても高く、好きか嫌いかに関わらずすごいスピードで頭に残る。

 一方で、ある種のファンが望んでいるであろう「メロウでサイケでフォーキーな、どこか幻想的な楽曲」としては2曲目『幻の光』と、そして最終曲『家を出ることの難しさ』が収録されている。特に最終曲については、サニーデイのアートロック的側面が近年でも非常によく出た名曲である一方、あまりにも他の収録曲とギャップがあるようにも感じられる。でもこの曲を世に出さないというのも勿体なさすぎる話だし、収録されて良かった。

 

・1990年代ライクで伸び伸びとしたバンドサウンド・コード感

 前作『いいね!』の血気盛んなバンドサウンドと比べると、本作の同じバンドサウンドが、元気がある時においてももっとナチュラルな駆動の仕方をしていると気づく。ささくれ立った攻撃性やある種の必死さをあまり帯びておらず、もっともっさりとした性質の衝動で動いてる感じ。あるいは上述の中庸さはこの「野暮ったいバンドサウンドとも呼べるものから湧き出しているのかもしれない。特に作品後半に顕著。

 逆に言うと、『Dance To You』以降から濃厚になり前作『いいね!』でも少し取り入れられていたR&B・ヒップホップ方面の楽曲やサウンド、そしてリズムアプローチが、今作には一切見られないということが、逆説的に本作の特徴だということもできるかもしれない。これがもたらすのは、アダルティック・エロティックなテイストが本作から一掃され、より純真無垢なおっさんロックの風味が強くなっているということ。もしかしたらこれは意図的なことかもしれない。R&Bな曲が少しでもあれば『DOKI DOKI』などというアルバムタイトルは果たして付けられただろうか。これはまた、メロウさも限定されることから、曽我部恵一のボーカルのスタイルにも影響を与えていると思う。彼くらいの幅広く歌えるボーカリストになると、ボーカルスタイルを限定すること自体がアルバムの作風を左右するところがあるなと今回聴いてて思った。

 また、所々に1990年代のロック様式のオマージュとも取れるアレンジ等が見受けられる。端的なのは『風船讃歌』におけるやたらめったらワウギターが跳ね回るところとか、『Goo』の露骨にPixiesしてるところとか、『ロンリー・プラネット・フォーエバー』の堂々たるOasis歌謡っぷりとか。そもそもそういったオマージュ先のバンドと同じ時代をサニーデイも過ごしてきた訳で、ある種の素朴な“レイドバック”とも呼べるのかも。

 あと、なんか全体的にメジャー調の曲が多いこと、サビの最初のコードがトニックから始まるものが多く、それが牧歌的な明るさをより醸し出していること、あと特にⅠ→Ⅲのコード進行がやたら多いことなどが挙げられる。最後までこのコード進行が出てくるのには笑った。曽我部さんのマイブームだったのか。

 

(2022年12月2日追記)

 インタビューでもやはり、シンプルにロックバンドの魅力を語っていて、そういったライブ活動の実戦の、その延長戦で本作が出来た、という印象が読んでいくたびに深まる。

 

(曽我部)

 バンドにドラムがいるって当たり前なんだけど、3人でどこでもいつでもライブができますっていうのが、今のサニーデイ・サービスの仕事の在り方で。それが初めて確立できたのは大きい。前は、サポートがいないとできなかったから。今は、3人いればどこでもライブができる。

(中略)

 昔は考え方が違ったんだと思う。アルバムが創作の一個の完成形で、ライブはそれを再現する場だと思ってた。より拡張した状態で再現するというか。だからキーボードもパーカッションも必要だった。
 今は、ライブはその日の歌を生まれさせて羽ばたかせるものだと思ってる。その日の歌が、そのステージにあればいい。一人でどんなところでも歌うって日々からそういう哲学が生まれた。だから、3人いれば何でもできるって、今はそういう考え方に変化した。

 

まあそれでも「当初は『ノー・ペンギン』が1曲目のアルバムを作る予定だった」という何気に衝撃的な事実も明かされていて、今ひとつ本当のところがよく分からない。本人もよく分からないしそんなに「本作の作風とは〜」みたいに考え込んだりもしていないみたいな。

 あと、The Clashへの憧れを強く言及しているのもかなり印象的で、その感じが本作の割とストレートに8ビートさせた楽曲の幾つかに幾らか現れて…は別にいない気もする(笑)もっと精神的な部分か。

 

(曽我部)

 うん、クラッシュは大きいかもね。その曲を聴く前とあとで、人生が変わる。世界が変わる。ものの見方が変わる。そういうことなんだと思う。クラッシュとジャムとラモーンズは、そうなんじゃない。パッと出てきて演奏して、そして世界をすっかり変えてしまう。そういうの、いいなあ。俺も本当は、一切(ライブで)しゃべったりしたくないんだ(笑)。

 

 また、『いいね!』以降のレギュラーメンバーである大工原幹雄がテンポの速い8ビートを得意としているらしく、そのが楽曲のスタイルを引っ張ってきている部分も大いにあるみたいだ。

 

(曽我部)

 ある日、ダイクくんと久々に再会して、レコーディングに来てもらって、一番最初にやったのが「春の風」なんだけど、ばっちりだったのよ。わー、いいなー!って思った。だから、「春の風」ぐらいのテンポの曲がいいって、どっかで思ってるのかな。

 

・意外と年相応の歌詞

 今作は上記のようなマニアックなこだわりの少ないストレートなバンドサウンドや歌い方で、どこか曽我部恵一バンド初期の感じに似てるようにも思えた。でも、そこと決定的に違うなと思えるのは歌詞で、歌やサウンドの茶目っ気や腕白さと比べると、意外にも年季を感じさせる哀愁がそこかしこに滲んでいることに気付かされる。

 流石に一時期のドラッギーさはかなり失せたが代わりに、仮に歌自体がポジティブな意思を見せていても、その前提条件や舞台設定が妙に悲観的・末期的だったり、登場人物が少々年老いていたり。いつまでも若者みたいな恋模様を歌ってられる訳ないから、これは確かにそうなるべきところだけども、この「ロックバンドの歌う歌詞の内容がどういう風に歳を取っていくべきか」の問題はなかなか正解が分からないところ、このバンドはかつてそれをドラッギーな方向に突き抜けたりなどしてたように思うけど、そこからすると今作はグッとなんだか、等身大なスタイルになっている気がする。超越的な吟遊詩人になる訳でもなく、説教臭いメッセージを放つ訳でもなく、しかし、日常の隙間にある少しだけ「エモい」感じになる要素をどう取り出すか、今作は健闘している。

 もっとも、最終曲『家を出ることの難しさ』だけは例外的に“超越的な吟遊詩人”っぽさがあるけども。おそらくはこの方向性でずっとキャリアを築いていくこともソロ最初の時点では可能だったんだろうけど、それで全然収まらなかったところがこの人やこのバンドの面白さになっているとは大いに思う。

 

 

全曲レビュー

 

1. 風船讃歌(4:14)

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 アルバム冒頭からいきなりサビで歌が始まるのに「ええ…?」っとなる、エグいくらいサニーデイ式の“ちょっと懐かしい”感じのポップさを全開にした楽曲。キーボード類もガッツリ入って、もう少しバンドサウンドの鋭角さを狙ってた前作アルバム冒頭と比べてもよりポップ志向が強いと思われるけど、歌詞を読むと別に空元気だけでもない感じでもある。

 キーボードがピアノとオルガンの2種もガッツリ入って、1990年代渋谷系の後みたいな感じの均等なリズムで跳ねまくるワウギターも延々と入ることから、こんなのスリーピース編成で演奏できないだろ…と冒頭から思わせられて、本作の「前作ほどストイックにバンドサウンドに拘っていない」感じが伝わってくる。というかワウギター連打のちょっと恥ずかしな感じもするアレンジは、そういえばこのバンドではまだしたことないことだったかもしれなくて*3、こんなところにサウンドの新機軸が…と思うと笑ってしまう。

 それ以上に、いきなり始まるサビの、そのべったり日本語な感じが気に入るか入らないかに関わらず強烈にキャッチーな具合には地味に驚かされる。2022年中に曽我部恵一が書いたメロディの中でも最も「一度聴いたら覚えてしまう」レベルのもので、それをアルバムの冒頭、それも最初の音からぶち込んでくること自体に、タフなメロディメイカーとしての自負と実力をまざまざと見せつけられる。ボーカルも正面切った声色で進行し、Bメロの箇所など少し気恥ずかしくなるくらいの歌いっぷりは「今回はオシャレとか攻撃性とか無しにストレートに行くんだな」という予告になっている。

 それにしてもこんな、NHKの朝ドラの主題歌とかでもいけそうな歌なのに、歌詞にはどこか悲観的な世界観が覗いていて、『Dance To You』以降の不可逆的な変化の影響を少しばかり感じる。サビからしてこうだもの。

 

あなたのそばに行き 歌をうたってあげたいな

世界が終わる日も潮風に乗って

きみの方へぼくは飛ぼう

 

そしてAメロ〜Bメロ、曲調は春めいた爽やかなものがあるのに、このラインの悲しみの滲み方はどうだ。

 

赤い風船飛んでいく だれかが手を離したみたい

今のきみはなんだか 歳をとってしまったみたい

青い海のような悲しみに ああ、何が言えるだろう?

 

「青い海のような悲しみ」=「何かをどうかしたくらいではどうにもならない、誰しもが抱えることになるけども他の誰かが癒せるようなものではない」悲しみ、と思うと、そういう“どうやったって救われようのない”状況の人にできる、それももしかしたら喜ばれるかもしれないようなことって、そばに行って歌うことくらいだよなあ…という、とても真っ直ぐな思いやりを見せつけられる。この真っ直ぐさは、ドラッギーさで満ち満ちていた『Dance To You』以降しばらくからすると考えられないくらい、月並みかもしれないがしかしだからこそストレートだ。

 

(2022年12月2日追記)

 インタビューにおいても強力なリードトラックであるこの曲については少し文量を多めに割いて触れてある。この曲の歌詞の、ポジティブさの中に不思議にナチュラルにどこか悲観的な感じも同居してる感覚も結構丁寧に触れられている。

 

(曽我部)

 最初に思ったのは、旅の歌を作ろうっていうこと。ただ、「もし核が使われたら第三次世界大戦で人類滅亡だ」って、そんなことを子どもたちが口にする世界なわけじゃん。だから、そんな世界の中での旅でもあるかもね。
 チューリップの「心の旅」に影響を受けて書いた曲なんだけど、「心の旅」は二人の逃避行というか、ちょっと’70年代のアメリカンニューシネマの世界じゃん。
「心の旅」からインスパイアはされたけど、「風船讃歌」はあの世界じゃないかもしれないね。もっと孤独で、ひょっとしたら旅の目的地はすでに失くなってるかもしれない。

 

「ひょっとしたら旅の目的地はすでに失くなってるかもしれない。」という感覚には、やはり『Dance To You』で一気に荒廃した光景が差し込んだ詩情それ自体の根っこは、案外本作でも変わりないのかも、と思わされる。同じ“旅”を扱っていても、アルバムの『サニーデイ・サービス』(1997年)の頃にそんな死の感じはあまり見受けられなかったと思う。

 

 

2. 幻の光(4:58)

 前曲の勢いから打って変わってグッとしっとりとしてメロウになる、本作でも最終曲の次くらいにメロウサイドに寄った、タイトルからして幻想的な感触の楽曲

 そこそこに空間的な響き方をしたギターサウンドと、そしてやはりエコーの効いた歌がこの曲の幻想性を醸し出す。ドラムも慎重に抑えられ、最初のサビからようやく入ってくるところに、ベタながら感動的なものがある。コーラスワークもいいタイミングで入ってきて、曲の透明感を程よく厚くする。なんとなく、『いいね!』のセッションの際に当初一旦完成させていて没になったという、もっとNeil Young的などっしりしたロックのアルバムに入ってそうな1曲のようにも感じられる。曽我部恵一という人はなんでも出来てしまうから何が彼の中のニュートラルな音楽性なのか分かりにくい人だけど、バンド音楽についてはこの辺の感じこそがそれなんじゃないか、とも思ったり。

 そしてサビの、Ⅰ→Ⅲのコード進行。この情熱的なコードの動きに対して、本作で一番正直にメロディを当てているのはこの曲かなと思う。ここの歌メロディのエモい上昇の仕方には、彼の歌い方の数ある“必殺”のうちのひとつを見る気がする。

 “幻の光”というふわっとしたタイトルだけど、歌詞を見るとこれは案外、幻想の世界の話ではなくて現実的な、どこか寂しさと美しさが隣り合い混じり合う光景をベースにしているように感じられる。Aメロのどこか抽象的で願望めいたフレーズから、サビで現実の情景描写にグッと落とし込むところにこの曲のリリシズムがある。

 

遠くから来た車が 夜を明かすため停まってる

ライト消して 息をころして 静けさのなかで

 

 

3. ノー・ペンギン(3:08)

 冒頭のチープなリズムボックスの上でジャズ的なコード感で、しっとり路線が続くなあ…と思わせといてしかしすぐ勢いあるバンドサウンドの疾走感が帰ってくる、という構成になった楽曲。歌詞共々本作でもとりわけシュールなものがあり、その性急なテンポといい、本作の中では比較的前作的なものを感じれるかもしれない。

 やはり冒頭のこの、フェイクな展開に引っ掻き回される。「2曲目でしっとり聴かせて、3曲目でこんな洒落たのを出してきて、今回節操ないな…」と思わせといての、突然のバンドサウンドの張り切り具合に「バカかよ」って笑ってしまう。作中でも最終曲除けば唯一ウィスパー気味ボーカルが出てくる箇所なのに、そんなのをブチ破って、勢いのいいボーカルを聞かせるところ、遂には「Fuck Off」とサラッと吐いてみせるところが、実にバカっぽくて清々しい。

 そのくせ、曲のコード進行自体は本作でもオシャレ目なのも面白い。もしかしたらこの曲は、骨格として本来オシャレに作られているものを失踪するバンドサウンドで無茶苦茶にしてしまうことそれ自体に快感を覚えてしまえ、という趣向の曲なのか。丁寧に作ればいくらでも洒落た佳曲になりそうなものをこうやってブン投げるのは、確かにこういうのでしか味わえない爽快感があるっちゃある。Bメロなど無しに強引に突っ切る曲構成もソリッドで良い。

 歌詞の妄想じみた適当さは本作でも随一。そもそも最初のセンテンスの延々と語った幻想的な寓話に「(そんな)都市伝説はない」でケリをつけてしまうのがヒドい。しかしながら、曲のコード感やメロディがややメロウ寄りだからなのか、それでも少しばかりメロウな光景が出てくるところも面白い。

 

海!コドクはいつか アザラシにくれてやろうね

壊れかけた車だって 愛しさあるだろう?

 

 そういえば本作はあまり“東京”な感じやシティライフな感じがしない。“車”というワードが結構よく出てくるからなんだろうか。

 

(2022年12月2日追記)

 インタビュー記事でとりわけ静かに驚かされたのが、このアルバムの楽曲は最初にこれが出来て、最初はこれを冒頭においたアルバムにするつもりだった、と語られた部分だった。

 

(曽我部)

 「ノー・ペンギン」って曲ができたのが、去年かな? エレキコミックの舞台のオープニング曲として作ったのね。それが最初で、その頃は「ノー・ペンギン」が1曲目のアルバムを作ろうと思ってた。「ノー・ペンギン」が1曲目のアルバムっていいなあと思ってた。

(かなり中略)

 3人の写真があがってきて、こんないいバンド写真はもう撮れないかもしれないなって思ったんだよね。それで、みんなにこれがジャケットでもいいんじゃないって聞いたら、いいっすねって賛成してくれた。で、3人の写真をジャケットに使うんだったら『ペンギン・ホテル』(当初のアルバムタイトル!)はないなって思って、何かいいタイトルはないかなって考えてたら降りてきた。DOKI DOKI。シンプルだし、いいかなって。

 

実質アルバムタイトル曲にさえなりかけてたのか…この結構シュールな感じのある曲に、一体何がそこまで…。

 

 

4. Goo(3:41)

 タイトルはSonic YouthのくせにサウンドPixiesの『Debaser』じゃねーか、という具合の、しかしいい具合に開き直った小気味よいオルタナ風味が感じられる楽曲。そういえばサニーデイ・サービスも元々は1990年代のロックバンドだったもんな、と1曲目とは別の角度からよく感じられる。

 冒頭の、ルート弾き直球のベースラインの段階でおそらく気付く人は「おいおいこれは…」となって、アンサンブルが入ってもうすぐに「やっぱ『Debaser』じゃねーか」となること請け合い。これはもう隠す気などサラサラなく、むしろ見せつけている。「オレたちが今からPixiesごっこするところ見せつけてやる!」と当人たちの楽しそうな光景が浮かぶ。ただ、歌が始まる段になるとスッと勢いを落として、しれっと曽我部節の歌メロディが始まるところに、こんなことで終始勢いに満ち溢れた原曲とのギャップが付けれるなんてズルい!とうっかり思ってしまった。

 じっくりジリジリしてみせたBメロからのサビがまたアホアホに楽しい。歌詞カードを見て「お前絶対そんなふうに歌ってないやろが、“I got a rocker!”ってしか歌ってねーだろが!」という、逆空耳めいたバカさを見せつけられる。何気にここのコード進行はThe Rolling Stones『Get Off My Cloud』やThe Roosters『Sitting on the Fence』等と同じⅠ→Ⅲ→Ⅳ→Ⅴのどんどん上昇していく進行で、こんなのをこんな勢いでぶん回してこんなアホな歌詞で歌って、本当に本当に楽しそうだ。本作で貴重なシャウトする場面なんだけども、そんななので悲壮感は全くない。

 しかし、2回目サビ以降のCメロ展開は意外にもかなり凝っていて、なんと2段階変化する。しかもその2段階目の、突然サイケな音像になる箇所の「あれっ別の曲に飛んだっけ?」な感じと、そこから転調して最後のサビに行くところはただのバカなPixiesでは終わらせない、妙な意地とひねくれを感じさせる。最後も何故か取って付けたように6/8拍子になってみせるし。おバカな曲のようで案外手が掛かっている。

 歌詞についてはもう語るのもアホらしいくらい、前曲共々テキトーな妄想加減が続いている。しかしこの辺の1行ごとに意味をつなげることさえ放棄した感覚は案外、本作では貴重なドラッギーさを感じさせなくもない。それにしたってサビのアホな逆空耳に尽きてしまうけども。

 

愛があったのか? ベイビーどう??

愛があったはず! ベイビーGoo!

 

絶対こんな風に歌ってない!この取って付けたような“愛”云々!それでいてその歌いっぷりは爽快なんだからタチが悪いや。ライブで是非聴いてみたい。

 

 

5. メキシコの花嫁(4:45)

 唐突にベタベタにマカロニウエスタンじみた黄昏の感じを前面に出してくる楽曲。なんかメキシコ旅行に行ったんか…コロナ禍の状況では行けそうにないから妄想か…とその辺が曖昧になる感じが少しファンタジック。アルバム前半、思ったよりも幻想的かもしれん、妙な方向だけど。

 ボーカルの質感はエコーの効き方もあってか何気に結構メロウ気味なんだけども、しかしこの昭和の歌謡曲めいてさえいるズンドコしたビートとコードがそういうセンチメンタルさを微塵も感じさせない。Ⅰ→Ⅳの情熱的なコード進行に合わせてパッション溢れる音の伸ばし方をするボーカルは不思議な大袈裟さがあって、泥臭い旅情があるといえばある。

 本作でも珍しくBメロが無いタイプの曲で、かと言ってサビ的な箇所がサビっぽいかというとそうでもなく、なかなかにドン詰まりな投げやりな哀愁を見せてくれる。この辺も昔の歌謡曲じみた大味さがある。ダビングも派手ではなく*4、なのでドラムのズンドコの隙間でウォーキングするベースがよく聴こえる。

 歌詞は割と本当にメキシコ旅行を思い出してる・または妄想してる感じの内容で、しかしメキシコ的な死生観も交えたエスニック効かせた洒落た具合かと思うと「ルチャ・リブレへ行こう」とおそらく連れ人とメキシコのプロレスを見に行こうとするところはおしゃれではなく男らしく泥臭い。

 

メキシコのお祭りでは町中の人が

色のついたドクロをたくさん飾って

お祝いするんだ いいだろ

 

なんかそんなのを昔シャーマンキングか何かで読んだことあるから知ってる!って思った。“死者の日”という祝日のことらしいです。

 

 

6. ロンリー・プラネット・フォーエバー(6:07)

 後半の始まりを気合い漲る形で切り出していく、『サマー・ソルジャー』ばりに必殺の威風堂々とした"Oasis歌謡"を見せつけてくる、そして歌詞に相応の年月を重ねたメロウとファンタジーを託した楽曲。尺的にも大曲然とした存在感があるし、おそらくそのうちPVが投稿されるんじゃなかろうか。

 1990年代中頃〜終盤くらいに日本のバンドにおいても多々見られた“Oasis歌謡”とは突き詰めれば、ギターロックバンド編成+ピアノやストリングス等で堂々として壮大に朗々と歌い上げるミドルテンポのバラッドの、それっぽいやつらを指す(んだろう、スラング的なものだし)。この際"歌謡"の部分はあまり気にしなくていい。なんとなく、『Whatever』系、『Don't Look Back in Anger』系、『Wonderwall』系の3種類に分けられる気がしてる。それぞれ代表的な“Oasis歌謡”を1こずつ挙げとこう。本当に日本で一時代を築いたんだよなOasisってのは。今の日本の音楽状況からは想像つかないくらいには。

 

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そして、サニーデイ・サービスの名曲として知られる『サマー・ソルジャー』もまた、『Don't Look Back in Anger』系の“Oasis歌謡”だと言える。

 

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このように「ピアノといなたいギターフレーズ」で「壮大に歌い上げる」感じが実にそれっぽいわけだけど、『ロンリー・プラネット・フォーエバー』はそのテイストの焼き直しというよりも、視点や角度を変えた再チャレンジ、という感じもする。

 イントロ、アンサンブルが始まった瞬間のこのグルーヴ感、まともに分析し出すと面倒だけどまさにこの感じこそ、人生のどこかでOasisに魂焼かれた人がやってしまう類のアンサンブルなのだ。ギターのいなたく野暮ったいリードフレーズがトレードマークだ。この開放感に満ちた威風堂々さ。これぞ1990年代式の呼吸法。Aメロで「サリー」なんていう『Don't Look Back in Anger』の歌詞に出てくる名前を出してる時点で、これはもう故意犯だ。Bメロのマイナー帳への転じ方には、1990年代サニーデイ式の哀愁感が思われる。

 サビ前の最高に勿体ぶったドラムフィルが実に“Oasis歌謡”しつつ、サビも高らかに歌われる訳だけど、“Oasis歌謡”と思って聴くと、言葉数が結構多く詰め込まれていて、思ったほど派手な壮大さが無い。でもこれは、サビ途中でまたマイナー帳に転じてメロディをさらに飛翔させる、という構成になっているからなような気がする。ここの一連の流れ、「壮大→緊張→解放」の具合のドラマチックさこそが“Oasis歌謡”部分よりも大事なもののように思う。

 そして、こういうガッツリ構築した曲なんだからと当然のように出てくるCメロ。その少しサイケな質感を超えて雄大なギターソロ付き間奏、そして最後のサビ、これで終わり…と思わせておいて、そこからさらに展開することで、この曲は予想を超えて展開してみせる。ここの、ギターの歪んだサウンドが少し武装解除して代わりに切なさが滲む感覚は、意外性のこともあってとても巧い。このコーダ部がこの曲を“今日日Oasis歌謡なのか”というところからもう一歩踏み込む感じになっている。『Goo』もそうだけど、1990年代的なものの単なるオマージュだけで終わらせない根性が密かに覗く。

 こんなに開放感あるフォーマットを利用した楽曲にも関わらず、この曲は歌詞についてはひょっとしたら本作でも一番暗いというか、“過ぎ去っていくことについてのメロウ”を真正面から捉えたものになっている。

 

きみは短い夏に死んで それから雨が降って

白い花が咲く朝に ひっそりとよみがえるんだ

 

なんだかART-SCHOOLみたいなこと歌ってやがる。いやでももうちょっと現実的に嫌な感じがあるか。

 

愛想のない暗い夏に あのコと一緒にいたんだっけ

大事なことはなにひとつぼくら 喋らなかったね

 

「思い出の夏があまりいい夏じゃなかった」というのは珍しいパターン。そして2番のサビの歌詞にとりわけ、年齢相応の哀愁が満ち溢れている気がする。

 

365日ずっと雨が降る おかしな星では

老いた恋人たちはもう飛び立つことも

できずに耐えてる

天国からのサイドカーに乗って

乾いた情熱をきみと探した

 

こっちは豊田道倫じみたメロウさがあるかも。それにしても前提となる世界観の時点で「365日ずっと雨が降るおかしな星」ということで、やはり『Dance To You』以降の曽我部恵一の作るファンタジーはどこか暗いものが浮かぶ。それは人生の陰影のようなものなのかも。

 

 

7. サイダー・ウォー(3:47)

 "War"とつくタイトルの割には、本作でも一番軽快なバンドサウンドで進行していく、不思議にソフトでポップな楽曲。前曲の壮大さから打って変わって、とても軽いタッチで進行していく。

 この曲の軽快さは、軽めのクランチギターのコードカッティングとそしてモータウンビートのリズムで形作られる。コード進行もサビの後半や間奏を除いて同じものを繰り返していく作りで、シンプルに纏まっている。基本はシンプルな3ピースバンドサウンドにコーラスワークで、プラスちょっとしたギターのダビングだけで進行する。その歌い回しには、微かにだけど本作で封印気味なR&B的なテイストが感じられなくもない。

 しかし、何も無しに朗らかなままこの曲を終わらせたくはなかったようで、2度目のサビ後の間奏においては不穏なコード進行への変化・不穏なノイズの膨張を挿入して、危うさを注入してくる。この辺もしかしてライブだと何か仕掛けるんだろうか。

 この辺から歌詞が特にのんきになる。

 

生まれ変わる場所へ行き そこでまたギターを弾く

風が吹いてんだってねぇ だれかは叫びだれかは歌う

甘い缶コーヒー飲みたくなった

 

でもこの辺の歌詞は「バンドとしてあちこちでライブをして回る光景」をサラッとかつどこか微妙に曽我部恵一的なセンスが見え隠れする感じで歌っていて、なんかいい感じがする。

 

 

8. 海辺のレストラン(3:56)

 どこか昭和めいたキャラ付けのエレキの感じが被せられた、「そういう雰囲気」から出てくる初期衝動みたいなもので駆動し情熱的に疾走していく楽曲。『渚の○○』みたいなタイトルで昭和のアップテンポな歌謡曲にありそうな感じで、どこまでがパロディでどこからがパッションなのかこの辺分かりづらいが、別に全部ネタってわけでもないんだろう。

 イントロのアコーディオンの音で「何が始まるんだろ?」と思わせといて、始まるのは夏の浜辺でエレキが弾ける☆みたいな感じのロックチューンでズッコケる。実にノリノリのギターリフがとても“いなせな”感じがする。歌が始まって以降の、ジャーンとかき鳴らしっぱなしのギターが楽しげ。

 この曲もコード進行の軸にⅠ→Ⅲがあり、しかもAメロもサビも両方ともこの進行が入る。特にサビのメロディの具合は本当に、一定以上の世代になんともな懐かしさを抱かせるに十分なメロディ展開とギターサウンドの“いなせさ”を有している。あと、サビのコーラスワーク、特に「レストランでぇ〜」とメロディが上がるところはなぜかゆずっぽさを感じさせる。

 そんな具合で3分くらいやって見せて、最後はイントロのアコーディオンが帰ってきて、ギターもメジャーセブンスな感じになって、妙にメロウに終わらせる。な、なんか騙されたような感じがするぜ…。

 歌詞ののんきさ具合はとりわけ高く、もはや青春の思い出を楽しげに語ってるかのような風情もある。

 

最後は海で騒ぐ 今日のたぶん結末

だったらあれ持ってく? 昔くれたミックステープ

ピストルズとかも入ってて ビートルズだとかも入ってて

海はまだ冷たいだろうが 波の音はいつだって

都会の子守唄さ

 

ただ、この部分の歌詞に出てくる“ミックステープ”という言葉の使い方については、曽我部さんあんたあれだけヒップホップに入れ込んでたんだから、“ミックステープ”というヒップホップ的な語をそんな「思い出のテープ」みたいな感じに使わないことは知ってるはずやん、と思わされる。アルバム全体のサウンドはもちろんのこと、ここでのこの単語の使い方にも「今の曽我部恵一はヒップホップから距離を取ってるんだなあ」と思わされる感じがある。

  

 

9.こわれそう(3:56)

 冒頭のシンセの効いたイントロで「おっ?」と思うけども結局はハキハキとしたバンドサウンドとバリバリにポップなサビに帰結していく楽曲。この曲のサビもうまく言えないが1990年代っぽさがすげえする。アニメ主題歌っぽさか?

 イントロで本当に急にこれまでのバンドサウンドよりもずっとハイファイなシンセサウンドがグルグルし始めるため「アルバム終盤まで来てエレクトロ方面の楽曲か?ちょっと違うテイスト入れてみる感じか?」と初見で身構えたけど、なんのことはなくバンドサウンドに着地して笑ってしまう。Aメロの直線的なベースとドラムと歌だけで進行する様から、Bメロでリズムを散らしてコードもややメロウになって焦らす感じを経て、そして必殺めいたサビの合唱メロディに行き着く様はポップソングとしてスムーズ。

 Aメロで時折妙にディスコード気味な音を鳴らすベースがひねくれているが、サビのメロディの合唱しそうな王道加減や、所々でベタな合いの手みたいにギューンと鳴るギターなど、この曲は本作でも『風船讃歌』以上にJ-POP的なベタさを正面切って実践し、ある意味では本作で一番ポップさがエグい。だからこそサブスクの再生数でも本作で一番多かったりするのかも。

 歌詞については、一番「退屈な日常」してるAメロ・Bメロの歌詞から急にJ-POPっぽく切なくなってみせるサビの振り幅がワイルド。

 

反抗的な態度のPUNK BOY 今や額縁の中で歌う

愛のためにしたことしなかったことを天秤にかけ

朝が爆発する

「コーヒーのおかわりは?」と少女が微笑む

平和な時代だね

 

ナチュラルにこの辺は、懐古的なことと後悔と謎の爆発とどう考えても平和ではない2022年において皮肉っぽく「平和な時代だね」と言ってみせるところとが合わさってややカオスがはみ出してきてる気はする。

 

 

10. 家を出ることの難しさ(4:19)

 本作でも最も「メロウでサイケデリックでノスタルジックな」サニーデイ・サービスのイメージに合致する、その意味では間違いなく本作でも別格な名曲。しかしアルバム全体の中ではあまりに別世界の曲みたいな感じで孤立しまくってて、それをこうやってアルバムの最後に置くことや、ファンタジックでアルバム『サニーデイ・サービス』に連なる旅情さえ感じさせるこの曲にあえてこういうタイトルを付すところに、どこかメタ的な意識を感じなくもない。

 これまでと異なり、アコギのシンプルなストロークから始まり、繊細に呟くように歌われるこの曲は、もうその時点で全く本作の他の曲と異質なものになっている。完全にこれは『baby blue』とか『時計をとめて夜待てば』とか、ソロ1枚目とか、近年のサニーデイだったらそれこそ『One Day』くらいまで遡らないと出てこない系譜のメロウさが効いた楽曲で、少なくないファンが「これを待ってた…!」と思ったことだろう。

 この曲のポイントは途中から入ってくるドラムで、ここでは実に野暮ったくチューニングされバタバタと鳴るバスドラムに、派手にドタドタするフィルイン、そしてどこか幻想的なエコーが歌共々掛けられている。ボーカルが言葉もなしに唸り続けて引っ張るBメロ的な箇所ではLed Zeppelin『Kashimir』辺りのパロディ的なフィル回しも見せるが、それよりも重要なことは、このドタドタした音質・フィルインのドラムスタイルは完全にオリジナルメンバー・丸山晴茂のオマージュだということ。これは割と本当に『baby blue』を真剣に焼き直してみた成果物なのかもしれない。

 2回目の唸りのBメロの後にこの曲の1回きりのサビと言えそうなものが現れて、ここでⅠ→Ⅲのコードをバックにメロウな歌が紡がれるとき、そういえば『baby blue』もそんなコード進行で始まるんだったな、ということを思い出す。そう思ったのも束の間、楽曲は次第にパッドシンセ等を纏ったファンタジックなサイケデリアを醸し出し、そしてその中を「1990年代のあの頃」となんら変わりのない、情熱的に高まっていくギターソロが自在に泳いでいく。本作で最もアートロック的なエモさが表現された箇所で、その後のあっさりした終わり方といい、不思議な余韻を付け加えて本作を閉じてみせる。「えっ、そんなファンタジックでメロウな作品集だったっけこのアルバム?」という疑問も、この素晴らしく美しいアウトロの前ではどうでもいい。

 歌詞の方もまるで『baby blue』的な“文学的な”世界観をそのまま引き継いできたかのような風情に満ちている。

 

夜に燃える木々の色 街の暴動も終わる頃

古いラジオは伝えている 家を出ることの難しさ

 

「暴動」というワードと、コロナ以降を思わせる「家を出ることの難しさ」という語が現代的なものを感じさせるが、それにしてもワードチョイスがいちいち『baby blue』的な方向で的確すぎる。本気を出すとここまで当時に“寄せる”ことができるのか、ということと、そしてそれだけでは面白くないと言わんばかりのアウトロのイマジナリーでエモーショナルな展開の方法。この曲は立派に、その身に降りかかり続けていたであろう『baby blue』的な呪いを超克したと個人的には思う。

 

 

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あとがき

 以上10曲、42分程度のアルバムでした。

 「キャリアを十分に積んだバンドが、こともなげにサラッと10曲入りのアルバムを出したりするのって、なんかいいよねぇ」ということにこそ本作の良さはあるのかもしれません。そのくらい軽快で、気負いなく、かつ十二分にポップな作品で、そしてうるさ方のファンにも伝家の宝刀を最後に忍ばせるという、ポンっと出してきた風な割には色々と抜かりもない作品だと思いました。

 何よりも「健全なバンド活動」がこの作品から見えるところがとてもいい気が今回はしました。『Dance To You』以降の三部作は確かに鬼気迫るものがあって物凄いのですが、その反面、明らかにバンドとして破綻しているのも見えてきていて、むしろ本人もそこも含めてのエグい表現としていた感じがあり、スリリングである反面ずっと不安を覚えるところではありました。「曽我部恵一、この人次の作品までに死ぬんじゃないか」と毎回思うような。

 そこから新ドラム加入でバンド再開!という作品だった『いいね!』も「バンド頑張るぞ〜」以上の鬼気迫る何かが感じられて、そのロックを楽しむ姿勢は明るくとも、何か切迫感を己に課している感じはありました。

 本作、もう「バンドなんだからバンドでバンドらしく演奏する」以外のルールを己に課していない感じ*5がします。聴いててハラハラすることがない、というのは、緊張感に欠ける作品だとしてよくないように受け取られる場合があるかもですが、代わりにこの作品には程よい小気味良さが色々と詰まっています。最後には唐突に、息を呑むような美しい光景が現前します。そして、“いい大人”が必死こいてバンドをやっている、しかも渋くなくてはしゃぐような感じでやっているその姿に、何か励まされる感じを受けるところも。そういう人が特に今回は結構いるんじゃないかと勝手に思ったりします。

 とりあえず、ライブでどういう編成でこれらの楽曲を演奏するのか気になります。リード曲からしてキーボード二人とギター二人必要な気がするんですが…まさか無理矢理3ピースで演奏したりも…?何にせよ、ライブは今度こそ観に行きたいところ*6

 

(2022年11月2日追記)

 インタビュー読んだ感じ、これは3人で演奏しますね。入ってもサポートギターくらいか。でもそんな「サウンド総合の完成度の再現」みたいなのとは全然違う部分で奮闘しているバンドの勢いは、確かにかなりエキサイティングなものになりそうにも思う。

 

 それではまた。

*1:これはアルバムのトータル性を考えて云々というよりも、サクッと新曲10曲収めたフレッシュなアルバムとして世に出したかったのかなあと思料。

*2:個人的にはこれは流石に軽薄すぎる気がする。

*3:『若者たち』より前の渋谷系してた時期の楽曲でもやってないっぽい。

*4:しかし背景でエフェクティブなギターが鳴っているのが意外と効いている。

*5:2022年のソロ活動等もみていくとマジで何でも出来てしまっているので、逆に、1つの作品を作ろうと思ったら「バンドで、バンドっぽい曲を演奏する」という縛りがテーマとして大いに有効に働いたんだろうと推測します。

*6:前作のライブはなんかチケットを買っていたのにライブ自体を忘れてて遠くに行ってて観れなかった、というアホなことをしてしまっていました