ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『Requiem For Innocence』ART-SCHOOL(2002年11月)【リマスター記事】

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 ART-SCHOOL関連作品のリマスター記事という形式でのレビュー書き直し、7つ目にして大きな山場となります、彼らの1stフルアルバムについて今回取り組みます。

 このバンドを端的に象徴する1枚であり、なおかつその特化し切った楽曲のフォーマット等により後進への最も直接的な影響を与えたであろう作品で、下北沢ギターロック文化遺産としての価値すらあるんじゃなかろうかと思う作品ですが、何故かサブスク未解禁。それでアルバムの価値が損なわれることは無いとは思うけど、でもサブスクに無いせいでこの作品が風化が進んで行ってしまうのも何か悲しいので、自分含むファンから一番にどうにかしてほしいと願われている作品です。

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 前作、このアルバムの先行シングル『DIVA』のレビューは以下のとおり。このシングルから2曲が今回のアルバムに収録されました。

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前書き

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 『シャーロット.e.p』以降の快進撃のひとまずの終着点として、その決定打として、このアルバムは存在します。洋楽や映画、小説等からのサウンド・言葉・意匠等の引用を多用し、鋭く疾走し、重く炸裂し、悲痛に叫び散らし、ファルセットで虚無を彩る、そんな邦楽史上でも慣れに見る美学に特化しすぎた、明らかにバランスが崩壊したままに疾走するバンドとして次第に支持を広げていたART-SCHOOLが、このアルバムによって遂に当時の日本に、自分たちの理想の”オルタナティブロック”を叩きつけた、ということになります。木下理樹曰く「3分間のポップソング集というイメージで作った作品」とのこと。

 アルバムとしての特徴として、ともかくバンドの疾走感を印象付けたかったのか、冒頭から4曲連続で疾走曲を並べる、という思い切りの良すぎる曲順がまず挙げられられます。この曲順が、ある向きからは「ワンパターン過ぎ」という批判を招いていたことは事実で、でもそんなこと彼らだって事前に分かってただろうから、そんな批判に晒されることも意に介さず、決断的にこの曲順にしたんだろうな、と思います。この4曲は全てメジャー調の、明るい響きのままに疾走していくことが重要で、その爽やかさと鮮烈さでもって全て吹き飛ばしてしまいたい、という願いが、この曲順を決めた人(木下理樹?)にあったのかもしれません。

 アルバムの流れ的には、その冒頭4曲が終わった後から、彼らのよりダークで重厚な曲調やサウンドが顔を表すようになっています。アルバム中盤は、疾走する曲も交えつつも、もっとミドルテンポな曲調の中で、どうしようもなくグチャグチャした感覚をブチ撒いているような、絶望的な情緒を綴った楽曲が主軸となります。そして終盤、『シャーロット.e.p』からの見事な2曲を収録した後に、少しばかりの予定調和感も躊躇わずに『乾いた花』というほんの少し希望を見出した楽曲でもってアルバムが終わる、という、流れをしっかり意識した風に誂えられた曲順になっています。それらの細かく見たら案外丁寧な流れを、ドンシャリ気味のドシャメシャな録音で、やたらボーカルの音量が大きいまま、物凄く強引にブン回して駆け抜けていく40分弱、という作品。その極端なエッジの利かせ方はある意味では、パンクというものの本質を突き詰めたひとつの方法論であったのかもしれません。

 そして、そんな疾走感→絶望感→僅かな希望の流れの中で、徹底して歌われるのが、美しいものへの憧れ、愚かな自分たちへの失望と後悔、そこから導き出される「破滅のファンタジー」の数々になります。ある種の”中二病”などと呼ばれて蔑まれるような感覚をひたすら突き詰めていった先の、その映画的な光景の数々には、しかしどこか、人々が現実で抱える苦悩やら劣等感やらを少しばかり掬い上げる機能も含まれています。それは、次第に現実の状況に追い詰められて、幻想だけで歌詞が書けなくなってきつつあった木下理樹の中の”綻び”が結果としてもたらした要素かもしれません*1

 ブックレットにはかなりの数のイラストが掲載されていて、全てどこかゴシックな風味が感じられるそれらは、激しい筆致で描かれた英語共々、Smashing Pumpkinsのアルバム『Siamese Dream』のブックレットのオマージュが感じられる。イラストは全てバンドのギタリスト大山純によるもの。何気にギターの録音と同じくらい相当大変だったのでは…と思わされます。

 そしてジャケットはもう構図も背景も、Neil Young『After the Goldrush』のあからさまなオマージュ。これはむしろ意思表示だということ。「俺も、あの名盤が時代を経ても放ち続ける類の、苦悩を、痛みを、背負って歌うんだ」という。漲った気合と気概の表れでしょうか。ジャケットで交差して、ブックレット中でも木下に肩を抱かれてる、『DIVA』のジャケにも出てきてた女優さんは後の『EVIL』『UNDER MY SKIN』のPVに出てくる人と同じ人でしょうか。

 ライナーノーツは坂本真理子。これまでに無い非常に長い長文で、かなりポエトリーな内容も織り交ぜつつ木下理樹の世界観について綴るそれは、”中二病”という単語がよぎりつつも、でも内容はまあ、そうだよな、と思います。

 

 

本編

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1. BOY MEETS GIRL(2:26)

 気合の入っていたであろうアルバム冒頭を務める、僅か2分半足らずの尺をひたすら鮮烈さだけで駆け抜けていこうとする、バンドの美的感覚を端的に放り出してくるナンバー。”オープニング”としての役割を意識しつつ、単体でもひたすらスカッとするような感覚だけを詰め込んだようなこの曲は、その歌詞も相まって、奇怪にして凄惨なバンドの世界観へ、ロックンロールの内向的な部分を探して手に取ったリスナーに朗らかに手招きしてみせる。

 何を置いても冒頭の、衝動だけで弾いてるかのようなギターコード。Aメロは木下側のギターはほぼこのコードと少しの動きだけで済ませて、コード感の調整にはベースやリードギターに完全に任せている。この衝動一発な感じが、歌の最小限で突き抜けていく感じを助長する。そんな投げやりさをしっかりフォローして余りある太いベースラインや、やはりフロアタムを効かせて重量感のあるドラムの躍動によって、この本当にシンプルな冒頭の疾走感は無垢でかつタフな質感を得る。ギターダビングの強引さなどからかと思われる団子状の録音もまた、この曲の塊のような疾走感に役立っている。

 そして、その塊がパワーコードの上昇に合わせてカクカクとシンコペーションしまくるサビの、でもいきなり絶叫するでもなくさらりと流れていく様は、この曲のコンセプトに対するブレのなさ、圧倒的な強度への信頼が見て取れる。サビの後半では頭打ちのリズムになっていきなり激しく盛り上がってみせて、バックコーラスのシャウト共々、衝動だけで突き抜けていくことの信念を激烈に指し示す。末尾のキメもざっくりと差し込んでくる。

 2回目のサビの後の、このバンドお約束のブレイクの箇所も、ブレイクしきれずにドラムがずっとフロアタムを連打し続ける中、すぐにギターの轟音が帰ってきて、この曲一番のシャウトの炸裂とともに最後のサビに雪崩れ込んで、そしてキメを入れてサクッと終わる。この息付かぬ展開が尺を短くすること、衝動の突き抜け具合を示すこと、そして疾走感を次の曲に引き継ぐことに繋がっていて、実に効果的な構成になっている。

 歌詞においては、まさに作品世界への”手招き”そのものなフレーズから始まる。

 

ねえ 今から 美しい物を見ないか?

冷たい程 乾いた時*2 すぐに二人で

裸足のリス 何故だろう 少しだけ悲しい

僕等はただ 失っていくから

 

「美しいものを二人で見に行く」これが第一期ART-SCHOOLの世界観における至上命題であって、この曲は冒頭でそれを身も蓋もないほどはっきりと宣言して誘う。それがたとえ破滅への手招きであろうと。絶望的な光景も含めて、その「醜くも美しい世界」と、その中で沸き起こる様々な感慨と感傷、それこそが第一期ART-SCHOOLの本質だった。このテーマ自体は度合いや色合いは変わりながらも現在の木下の楽曲まで一貫して感じられる。

 

TINY 忘れないで そう云って

TINY 何もかもが 灰になってさ 灰になってさ

 

シャボン玉が鋪道に落ち 砕けた瞬間

この刹那を この刹那を信じた

 

そしてこの、何もかもが終わっていく世界で、一瞬の美しい光景を信じること、それを忘れないでいてもらうこと、それだけが叫ぶに値するものだと言わんばかりの、この思い詰めた情緒の有りようは、はっきり言って極端で、後先の考えてなさ甚だしいことではあるけれど、でもこの時はもう、美しいものにしか向かわない、という強い信念が深くバンドに根を張っていたんだろうと思う。

 シンプルで衝動に満ちた楽曲なので、ライブでもよく演奏されていた曲。木下のギターが先導する楽曲は意外と多くないが、これはまさにその最たるものだ。楽曲タイトルは彼が敬愛する映画監督レオス・カラックスの処女作のタイトルで、彼の今作に懸ける思いの程が窺える。

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2. リグレット(2:57)

 前曲の勢いを殆どそのまま引き継いで、先程よりもややフォーキーに疾走していき、サビではややヘヴィなところも見せる楽曲。2曲連続で3分を切ってみせる曲順に、曲順を決めた人間の、あえて愚直に突進していくかのような流れの潔さへの信頼が透けて見える。それは殆ど確信のようでもあり、どこか願掛けめいてもいる。

 ややシューゲイザー気味にワンコードで揺れるギターと柔らかなアルペジオの交差、そしてやたらとタンバリンを連打しまくるドラムによってイントロの疾走感が描かれていく。先程の曲と同じようで微妙に異なる光景。そのままの勢いでAメロに入って、木下のメロディは先ほどよりも空白を活かした譜割りになっていて、少しゆったりとしたコード感に空気を入れるかのような感触がある。

 そしてAメロの繰り返しの最後、激しさを増したバンド演奏が一点でブレイクした上に木下のシャウトが乗って、そこからサビへ突入していく。サビにおいてもリードギター側が疾走感あるプレイを続けていて、ブレイクを挟んでも疾走感は落ち着くところのないような雰囲気を見せる。サビのメロディはThe Posies『When Mute Tongues Can Speak』のサビからの大胆な借用。サビ終わりのブレイクと共に囁くように歌われる「for Dream」はアルバムタイトルの元ネタとなった絶望的な映画『Requiem For Dream』へのオマージュ。本作の楽曲の中では『MEAN STREET』の頃に典型的な様々な引用に塗れた感じがとりわけ感じられる局面。

 今作の隠れた聴きどころは、ブレイクのポイントにピタッと収まるようにタムを多用したフィルインを挿入してくるドラムだろう。グチャグチャ気味の第一期のこの時期の楽曲でもピタッとしたキメがよく入るのは、ドラマー櫻井雄一とベース日向秀和の強力なリズム隊のエッジの効いたプレイに依るところが大きい。特に最後のサビ直前のねっとりとパワーコードのリフが響く箇所では、どっしりしたリズムの無骨さとそこからフィルインで高めてピタッと止むところで最後のサビへの入りのテンションを高めることに大いに貢献している。

 歌詞は、喪失感を強く訴えかける、責めるような口調が特徴的。

 

君の眼は子供の様だった 雨の中 二人で逃げ出した

変わらないって 君は笑った 永遠に変わるはず無いって

笑った

 

君はあの時なんて云った? 僕には聞こえなかったんだ

硝子の向こう 手を伸ばした だけど触れもしなかった

しなかった

 

その様は、喪失が悲しくも美しく描かれる映画の一幕のようでもある。もしくは、歴史を辿れば1966年のThe Beach Boysの名盤『Pet Sounds』の最後にBrian Wilsonが歌う「変わってしまった」ことを嘆くところから始まった、喪失を描くロックの系譜を、映画を見過ぎた人間がやってみたらこうなるんだろうか。

 

 

3. DIVA(3:04)

 先行シングルの表題曲はここに配置された。

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 先に触れたとおり、まるで別々の、ミドルテンポの楽曲と疾走する楽曲とを繋げたようなこの曲をここに置くことで「疾走曲続きから流れ変わったな」→「やっぱり疾走するんじゃねーか」というリスナーの反応を引き出していく木下理樹は時々妙なギャグセンスを持ち出してくることがあるけれどまさか…。

 この曲が疾走感のピークだろう、と思わせておいて、さらに続くんだ。

 

4. 車輪の下(2:55)

 冒頭からの疾走感の終点がこの、かつてシングル『MISS WORLD』のボーナストラックとして収録された曲の再録になっている。

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ライブで演奏し続けたであろうことから、ここではボートラの時とは見違えるほどの獰猛な演奏に大きく様変わりして、疾走曲続きの冒頭の締めに相応しい、強靭なベースラインを軸にひたすら前のめりに、真っ直ぐに勢い任せに駆け抜けて、ポップで自棄っぱちに炸裂していく楽曲となっている。3曲連続疾走曲が続いて、4曲連続は流石に無いだろう…と思った人は、この曲のイントロのゴリゴリと疾走するベースラインを前にして崩れ落ちるだろう。

 その、無骨さ剥き出しのベースラインにひたすら導かれて楽曲は進行していく。アメリカのインディーバンドGuided By Voicesの『Game Of Pricks』を参照したような具合の、小節を短く切り上げていく楽曲構成で、ひたすらこのベースラインを繰り返して*3そこにアルペジオが乗ったり、轟音ギターとサビが乗ったり、というところでこの楽曲は構成される。バカなのか…と初見思われそうなくらいに単純なこの構成は、しかしだからこそ、本作の疾走曲でも格別の、その繰り返しの遠心力から放たれる破滅的なポップさに満ち満ちている。

 1サイクルでループしていくコーラスがかったアルペジオ、それをバックに歌われる木下のメロディはやたらとテンポよく言葉を吐き出していき、そしてサビ前になったらディストーションギターをかき鳴らしてそのままの勢いでシャウトするサビに突入していく。ベースラインという軸が共通するからこそ、それ以外がサビとそれ以外でどう動くかが、この曲では実にはっきりとしていて、その思い切りの良さ・機能的にサッパリしたところからポップさが湧き上がってくる。そう、曲構成は時にポップさに直結する、ポップさ自体を生み出しさえすると信じてるけど、この曲のシンプルすぎる曲構成とアレンジは、その典型例だと言える。

 サビの、グチャグチャなパワーコードギターと、身も蓋もない歌唱と、そのバックでよりエグいコーラスがかかった状態で同じアルペジオを繰り返し続けるギターは、まさに今作の混沌を清々しく象徴する光景。

 

アイソレーション*4 Hello, my name is monster

いつも置き去りなんだ

 

この身も蓋もない情けない歌詞!これを絶叫することの素っ頓狂さと、その歌いっぷりの情けなさと、それなのに、それだからこそ湧き上がってくる、何も恐れるものが無いような、万能感じみた勢い。みっともなさがポップに転換する、とても愛すべき瞬間がここにある。

 間奏の箇所を聴くと、ベースラインはここだけ少しマイナー調のサイクルに変化して、ここだけはしっかりと変化を付けてくる。そこに歌と様々な演奏が順番に入ってきて、特に4つ打ちでハットを入れてくるドラムの意外さがユニークさに満ちている。

 最後のサビの勢い任せのグチャグチャさは非常に楽しく、変なメロディ下降のフェイクを入れる木下のボーカルといい、気持ち悪いコーラスがかかったまま勢い任せにフリーキー寸前なプレイをかますリードギターといい、この混沌こそがオルタナティブロック!という具合に仕上がって、そしてキメらしいキメも無しに、堂々と演奏を叩きつけて楽曲が終わる。その、一才の小細工なしに突っ走って、グダグダなまま炸裂し続けてやりっ放しな感じの開放感が、この曲の幸福さの象徴だ。

 歌詞の方は、この曲が『MISS WORLD』の頃にすでにあったこともあり、今作でも例外的に、カットアップだらけになった”かつての手法”で言葉やイメージが紡がれていく。これもまた、病的な「破滅のファンタジー」一本槍になりがちな本作、とりわけこの次の曲から一気に曲調が重たくなっていく中において、少し違うテイストをここで振りまいて、少しホッとするような空気が生まれていると思う。

 

偽った 苦しくて偽った 車輪の下

誰一人信じれず生きてきた 笑えばいい*5

初めての注射器とモンマルトル 広場のリス

昔からそうやって生きてきたんだ

 

偽った 苦しくて偽った 車輪の下

うんざりさ ヘドが出る*6 囁いて 大丈夫と

海岸線 天使が行く 含羞に 頬染めて*7

美しい物もある そんな気がした

 

元ネタの小説を通じて戯画化された劣等感と、カラフルに切り替わる光景の描写が絶妙で、それが上記のみっともないシャウトに回収されていくというのも実に変な話で、ひたすら愉快な気持ちになってくる。

 ライブでは定番も定番な楽曲。ベースラインだけでこの曲だと分かるため、ファンの「来た…!」という心理を容易に誘発する。そして何だかんだで、サビの情けないフレーズで盛り上がる。下手をすれば合唱なんか起こったりする。皆で「アイソレーション」って歌って、全然アイソレーションしてないやないか!というバカなことも含めて、ART-SCHOOLだからこそなバカで幸福な光景を呼び起こしてくれる、木下が作った最高の部類のパワーポップ

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5. メルトダウン(4:10)

 前曲までの空騒ぎをピタッと止めてしまう役割を担う、シングル『DIVA』からの楽曲。「グランジバンドって触れ込みだけど全然グランジしてないやん」という向きをここで対応する意味合いもある。

 マイナー調の感じが強いこの曲からアルバムの世界観がずっとダークなものになっていく。悲痛で、絶望的な方のART-SCHOOLの始まり。終盤の木下の細身を破壊せんばかりのシャウトの連発はリスナーにそんな感覚を生じさせて、そしてその緊張感を次の、今作の”顔”とも言える楽曲に繋ぐ。

 

 

6. サッドマシーン(3:21)

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 虚しさに満ちたまま、救いを求めてみっともなく泣き喚いたままに派手にブチ上がってみせる、ネガティブな方向にひたすらハイテンションに炸裂する楽曲。ダークなグランジバンドとして宣伝された者としての本分を、ここにおいて誰も真似しようのない謎なテンションで叩きつけてくる。今作で初出の楽曲の中でも最もダークで破滅的で、なおかつどうしようもなくポップという、矛盾したような性質をそのまま叩き込んでくる名曲。PVが作られたことも頷ける*8

 冒頭の深刻そうなフレーズのアルペジオと、そこから叩き込むように入ってくるドラムのタフさが、この曲の不穏な空気感を高めていく。この辺はSunny Day Real Estateの1stアルバム収録曲のゴスでエモな雰囲気を参照した節がありつつも、少しバウンド気味なドラムのグルーヴと低く力ないボーカルが醸し出す不穏に弛緩した空気は、その後の破綻したサビの到来の前フリとして十全に機能を果たす。

 そしてサビの、圧倒的に縦ノリな頭打ちのビートの中、ディストーションギターが左右を埋め潰し、そしてひたすら壊れたようにタイトルを連呼し、ファルセットで離脱するボーカルの、そのほぼ崩壊したような勢いが強烈に作用する。この壊れたようなリフレインがしかし強烈にポップにも響くところに、彼の類稀なセンスが現れる。今作のボーカルだけ浮き出して他の楽器が団子気味になったミックスがその特異なポップさをむしろ押し出す。

 ほぼ半分ほど尺を残した段階で2度目のサビも終わり、ここのブレイクの箇所の溜め方こそ、この曲の本作で飛び抜けたヒステリックさを喚び出すポイントとなる。重くタムを叩きつけ続けるドラム、ギラギラとアルペジオをずっと機械的に続けるギター、ファルセットで優美なラインと「助けて」を連呼し続けるボーカル。この、一触即発な要素の渦巻く状況は、遂に5回目の繰り返しで進展し、6回目にて木下ボーカルの、身を滅ぼしそうなほどの「助けて」の絶叫*9に苛まれたまま、最後の狂ったようなサビに突入していく。

 3度目のサビを一通りやった後の最後のブレイクの後は、ひたすら縦ノリの中、コーラスがかかったままヒステリックに歪み切ったギターの絶叫と、壊れてしまったようにタイトルを連呼する木下の姿が、バンドが殆ど崩壊してしまったかのような混沌を思わせつつ、最後とてもざっくりと演奏を終了させる。ここの混沌っぷりは『車輪の下』の終盤の賑やかな混沌と好対象を成す、本作の傷ましさの象徴のような崩壊っぷりで、投げやりになり切ってしまうギリギリのところで実に音楽的なのは、このバンドの当時の状況とポテンシャルとが本当にギリギリのところで折り合った結果だろうか。

 曲タイトルはSmashing Pumpkins『Here is No Why』のサビの一節「And in your sad machines / You'll forever stay」から取られたものか。元ネタの時期のスマパンもまた振り切れたような絶叫を歌にもサウンドにも求めてた頃で、そこからのインスパイアが楽曲の根底にあるのかなと思う。そして、そんなタイトルに導かれた歌詞の痛々しさは、木下本人曰く、バンドの崩壊しつつある状況を受けての苦しさがそのまま出たようなもの、とのこと。

 

君は夢の終わり 君は俺の宗教そのもの

去っていった女は 少し胸を焦がして

 

Sad machine You're sad machine

跪くさ

Sad machine You're sad machine

灰になる前に 助けて 助けてよ

 

ここでの木下はもう「破滅のファンタジー」を美しく彩る余裕がなく、ひたすら「助けて」とヒステリックに叫ぶしかできなくなっている。そんな破綻した状況の叫びが、こんな邪悪にポップに曲として成立できたのは、幸福なのか不幸なのか。

 ダークサイドのバンドの楽曲の中でも1、2を争うくらい盛り上がる曲で、ライブでは頻出な方の楽曲。なので、後のベスト盤『Ghosts & Angels』においては『車輪の下』とともに本作から収録されることとなった。この曲と『車輪の下』という、ネガティブさのあり方について真逆な感じのする楽曲がともに選ばれたことは、なんだか可笑しい感じもする。

 

7. 欲望の翼(3:27)

 絶望的に放り投げるように終わった前曲の余韻を受けて、やはり破滅的に刺々しい、ハイを強調したギターリフが壮大に響き渡る、このリフのパートを中心にしたミドルテンポの楽曲。『シャーロット.e.p』の『FADE TO BLACK』や『I hate myself』等と同様、冒頭の爆発的なリフとそれ以外の”オフ”のパートで構成された楽曲の作りをしていて、『I hate myself』をもっと今作的なドロドロした風味に整理し直したような楽曲。

 イントロの衝撃がかなり強烈で、いきなり轟音が噴出する。特に左側のギターは出だし耳に痛いくらいの響き方をしてくる。件のリフを弾くリードギターにはここでもコーラスが深くかかっていて、コーラスなギターサウンドはバンドのエグい方面の楽曲におけるトレードマーク的なところになっていく。木下曰く、この曲のような今作のハイだけを効かせまくったエグいギターの音については、Manic Street Preachersの1stアルバムの音を参考にしたためだという。

 メインリフ以外の”オフ”の箇所では、今作でもとりわけオフな感じの演奏で、キラキラしたアルペジオは弾かれず、這いつくばるようなリズム隊と同じく低いところを這うようにリズミカルに単語を吐き散らすナルシスティックなボーカルだけになる。歌詞的にも這いつくばるような内容なので、この曲は、徹底的に這いつくばった”オフ”と、轟音を纏って飛翔する”オン”の繰り返しで成立した楽曲、ということができそうだ。グランジ的な切り替えを”飛翔”の手段にするところはこのバンドの時々用いる手法。その、爆発的なオンのパートで「笑って」と乞い願う木下のボーカルの切実さこそが、この曲の売りだろう。個人的には、2回目以降のサビでその後出てくるファルセットの、少しユーモラスに高い旋律を描くところが面白くて好き。

 3度目の”オン”の後には、今作では珍しく、エレキギターのコードカッティングが少しだけ登場して、この曲にそれまで存在しなかったフォーキーでノスタルジックな雰囲気を少しばかり呼び込んでくる。そして、最後の4回目の”オン”に向けて飛翔していく。最後のサビの後に追加される英語のフレーズの歌唱はシャウトで、グチャグチャで、みっともない感じになっているけども、そのどうにもならない感じがかえって胸を打ち、そして最後の変なファルセットを壮大ながら面白おかしいものにしてくれる。

 歌詞の方は、この歌詞の掲載されたページが今作ブックレットで一番エグい絵が書いてあることもあり、一番惨めな状況が主人公に用意されている感じになっている。そこから、「君」の笑顔を願うことだけが希望となり、翼となる、という感じの筋立てで、今作でもとりわけ共依存的なメンタルのありようをしているかもしれない。

 

偽った 偽った 君の翼を汚した

売春婦 レプタイル*10 11月の祈り

囁いて 舐め合った 傷は癒えないままで

でも今日は ねえ今日は どうかそんな風に

 

笑って ただそれだけで 笑って ねえ 今日だけは

 

 曲のタイトルは1990年の同名の香港映画から。西洋の映画だけでなく、そういうのも押さえてるんだな、というのが分かったりする。この曲についてはこのタイトルが歌詞にも強く結びついていて、なるほど、と感心する。木下理樹のタイトル引用は時に、曲の内容とあまり関係ない…?と思ってしまうこともあるから。

 

 

8. アイリス(2:37)

 今作で唯一の、マイナー調気味なコード感で激しく疾走していく楽曲。数あるこのバンドの疾走曲の中でもかなりシンプルなメロディ構成で、ひたすら勢い任せに直線的に猪突猛進していく様はバンドの自棄っぱちじみたテンションの高さを感じさせる。

 イントロの掻きむしるギターは今作冒頭の楽曲と似た勢いがあるけども、『BOY MEETS GIRL』が明るかったのと比べると、その響きは暗い。
 やたらと短いAメロからサビに繋がるという曲構造をしているが、一度目の繰り返しは「一回目のサビは押さえて二回目以降でドラマティックに演奏する」パターンによって唐突さを隠している。そこまで抑えていた演奏が、一度目のサビが終わった瞬間から一気に吹き出していくところにカタルシスがあル。特にコーラスのきついギターが神経質な音を出していて、完全にこのアルバム中盤のトレードマークとなっている。

 楽曲は木下のサビで「バイバイ スウィート アイリス」と全く歌えてない歌唱*11の時点でナチュラルに何かがおかしいけれど、2回目Aメロの途中に突然放り込まれる「ヘッヘーイ!」のコーラスがひたすらユーモラスで奇妙なフックになっている。よく聴くとサビのコードもそれでよくサビメロ書けるな…というくらい強引なコード進行で、勢いでサビにしているような腕力を感じさせる。そしてサビ最後の「ババスワレー!」としか聴こえようのないボーカル。歌唱自体は必死さが出まくった歌唱なので、冗談なのか本気なのか分からなくなってくる感じを気にしてると、透明感のあるブレイク等も超えてあっという間に曲が通り過ぎていく。

 サビの強引すぎるフレーズに気を取られがちになるが、歌詞は逃避行のロマンを回想して、鮮烈な別れとして歌い上げている。

 

夢から覚めて 逃げ出そうと言ったのさ*12

痛みの雨が 降り注ぐこの場所を

ミネアポリスで 子供達が愛を射つ

この肌の下 僕らは溶けあったけ

 

バイバイ スウィート アイリス いつも

バイバイ スウィート アイリス 笑い合ってさ

 

 

9. フラジャイル(3:18)

 お得意の切なげな調性でもって青白く寒々しい切迫感のようなサウンドを目指したミドルテンポの楽曲。何気にバンドのこれまでのレパートリーに類例が存在していない感じの曲で、かつこれより後もそんなに似た感じの曲がある気もしない、そんな具合にアルバムのこの場所で埋もれてる感じのある楽曲。おそらく、冬の冷たい感じをサウンドと曲で表現したかったんだろうなと思われる。

 演奏で最も特徴的なのは、基本的なエイトビートから外れた機械的でやや術祖的なリズムだろうか。機械的なくせにドスドスとパワーが効いた鳴り方をするこれは、むしろ第二期において活躍するタイプの躍動感。ベースの動きとワンコードに近いコードカッティングの冷ややかな響きとのギャップなど、どことなくUSエモやポストロック的な属性を持たせられている感じがする。柔らかなアルペジオ共々、寒そうなサウンドの雰囲気が表現されていく。そこに乗る木下のメロディはやはりどこかリズミカルで、追憶めいた歌詞には、比喩的な要素だけでなくどこか生活感のある言葉も含まれたりで、物語の語り手、というよりももっと取り止めもない話をしている感じが出てる。

 曖昧調のAメロからサビで一気にパワーコード主体のどっしりしたオルタナティブロックに変化して、張り裂けそうな木下のボーカルが炸裂していくのは、やはりエグいコーラスを纏ってうねるリードギター共々、実にこの時期のART-SCHOOLパワーコードがずっと同じコードを弾き続けてサビメロが伸びて、歌唱がファルセットに変化していく様もまた、この時期の木下らしい美意識の感じが渦巻く。

 この曲の歌詞の終盤の「今朝僕は自分の叫び声で目覚めた」は半分実体験らしい。そんなこともあってか、「破滅のストーリー」の導き手としての歌詞から最も遠い、個人的な回想じみた歌詞に仕上がってる印象をこの曲からは受ける。”君”が死んでないし、笑って欲しいと願いもしない。手を伸ばしたりはするけども。

 

君は僕の太陽を奪い去った 鮮やかに

思い出すのは もうきっと戻る事の無い様な

冬になると よく着てた古いセーターの模様や

誰も居ない 公園で 君が吐いた白い息

 

How I See You Again? How I Touch You Again?

触れようとして この手伸ばしたって いつも いつも

 

 ナイーヴな自意識についての歌はこれより後の作品でより追求されていく。この曲はその呼び水になったのかもしれない。

 

 

10. foolish(3:38)

 ここから2曲連続で、『シャーロット.e.p』収録曲が再度ここに収められる。

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曲順もミニアルバムと一緒だけど、ここに入ってる方が両曲とも自然な感じがするのは、ミニアルバムより先にこのアルバムから聴いてたからなのか。

 この曲についていえば、5曲目以降のダークで重苦しい流れをここで一旦リセットする役割を、持ち前のファニーさと重厚さを持ち合わせたメジャー調のドライブ感で果たしてくれる。テンポも軽快で、小気味よい疾走感でもって、一旦聴き手の情緒をフラットに戻しておく。すると、アルバムのラスト前の位置に生まれ変わった次の曲の深みg活きてくる、ということ。『フラジャイル』から直接『シャーロット』は重すぎただろうから、いい判断だと思う。曲順が本当にミニアルバムからまんまだけど。

 

11. シャーロット(4:42)

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 このアルバムのクライマックスを務めることになった、ミニアルバム表題曲。このアルバムのこれまでの流れとはまた違った具合なこの曲独特の深く遠くまで染み渡っていくダークさは実に魅力的で、これまでヒステリックに炸裂してきたりしたバンドサウンドの落とし所として最も理想的な、安らかな闇をこの位置で展開している。不穏でありながらも大らかで雄大なこの曲の闇の感じは、序盤の空騒ぎも、中盤の混乱と失望と感傷も、全てを受け入れてしまう。

 この曲はこの曲で死と破滅の感覚が深く、諦観に溢れた奥行きのあるサウンドや、サビの荒れ狂う海のような光景に、破滅的なロマンを抱く人は沢山いただろう。ただ、ミニアルバムの時点ではこの魅力的な”破滅の入り口”に対する落とし所が付けられていなかった感じがした*13のが、今作では次曲という”僅かに灯りを見出す出口”が用意され、これをもってようやくこの曲の”宵闇”が明けるような感じがする。だから、やっぱりミニアルバムよりもこの位置にあった方が、この曲はなんか安心する。

 

12. 乾いた花(3:02)  

 タイトルどおり乾いた質感のギターの難いアルペジオで始まる、この狂乱のアルバムの”出口”としてしっかりと力強く存在する、ギリギリの逞しさを感じさせるパワーポップ。混沌とダークネスでやりっぱなしにせず、こうやって、幾分予定調和的であっても、何か前向きなオチを付けないと気が済まなかったんだろうか、と思うと、木下理樹という人がとても真面目な人の様に思えてくる。冒頭バランス無視で疾走曲4連続とかやってた人と同じ人なのか、とか失礼ながら思ったりする。

 ポジション的には『SUNDY DRIVER』や『ダウナー』と同種のエンドロール的な楽曲だけども、それらのような気楽さはレクイエム期的な切実さに取って代わられている。乾いたアルペジオからAメロが始まり、一気にバンドサウンドが叩きつけられるサビに入って、その「破滅のファンタジー」から覚醒したような佇まいには、現実に生きる者としての切実な”踏ん張り”の思いが滲む。ルーズにバウンドするサビのドラムのリズムの大らかさが実に優しく、ビリビリと響くギターサウンドとの対比が、それこそアートワークで参照してた『Siamese Dream』の頃のSmashing Pumpkinsみたいで面白い。それにしてもサビ、大山側のギターの音えらく小さくない?

 終盤のサビを延長して、それまでよりも高い音程で叫ぶように歌うところがやはり切実で、聞きどころ。そこからバンド全体のキメを入れて、最後ピアノの音だけ残るこのアルバムの終わらせ方に、やや演出しすぎの感じもあるけども、でもこの外し方はなんだかとぼけてて、憎めないものがある。

 今作中で最も究極的に死と性に接近した前曲から、「ギリギリでの生への決意」に漂着するこの曲の歌詞は、予定調和的な感じを差し引いたとしても、全然感動的な流れだと今回聴き直して思った。この曲を最後に添えたい、と思った木下理樹の素朴な優しさは、やっぱりいいものだって思った。

 

アリゾナで枯れ果てた花びら その匂い その指

獣より美しく犯して おかしいか?殺せよ

 

How many touches to feel?

How many touches to feel you?

そうさ 今日は 生き残っていたい

生き残っていたいよ 此処で Feel me

 

殺せよ」とか言ったり「生きていきたい」ではなく「生き残っていたい」だったりと、どっちなんだよ、何なんだよ…という面白さもあるけども、でも、こういう気のぐれ方の中での、微妙だけども前向きなテイストはなんだか真実味があって、何より親近感が持てる。そりゃ「獣より美しく犯して」とか意味不明でおかしいよ。でも殺さないよ、是非とも生き残ってくれ。その拗れすぎた素朴さこそが、一番美しいんだから。

 

 

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後書き

 以上12曲、合計時間39分37秒でした。最後はなんかリアルタイムの祈りみたいになってしまった。

 こうして改めてアルバムを曲順で見ていくと、本当にはっきりとセクションが別れた構成になっていたんだなと気付きました。普通なら、もっとメジャー調の楽曲とマイナー調の楽曲を混ぜるし、明るい疾走曲を頭4曲に固めたりしません。そしてむしろ、5曲目〜9曲目のアルバム中盤に暗く重い曲が固まっている事の方が、より思い切った曲順だったのかもしれないな、と思いました。特に『メルトダウン』『サッドマシーン』『欲望の翼』と続くところが最もしんどいところか。ART-SCHOOL全作品の中でも、この辺の曲の並びが最もヒステリックな音と歌になっている気がします。その分、何か共感できてしまった人はズブズブ行くだろうな、という感じもします。当時ズブズブ行った人は今、元気にしてますでしょうか。ぼくは未だに『シャーロット』のダークネスが大好きだってまた気付かされました。

 思うのは、彼らがここで量産した楽曲群は、ある意味ではどれもバカで、救いようの無い楽曲だらけで、だからこそ、なんかいいな、こういうのこそいいよな、と思えるところがあるんだな、ということです。楽曲は大体二つのセクションだけで構成されてワンパターンで、やたら衝動任せに突っ走って喚いてて、音はひたすら高音のギラギラと低音のドスドスばかりが効いてて時々耳に痛くて、どの歌もナルシスティックな自意識と妄想ばっかりで、それぞれのパーツで見ていくとなんかバカっぽく思えるようなそれらが、ことこうやって彼らによって演奏され、何より木下理樹によって歌われることで、どうしてこうも”洗練されたひとつの理想的なフォーマット”として完成するんだろう、と、ずっと不思議な気持ちでいます。それは今回も分からなかったし、別に解りたいと思っているわけでも無いのです。なんか不思議だけど良い、そういう言葉にしようがない部分があるからこそ、ART-SCHOOLを未だに好きでいれてるんだと思います。

 ともかく、このアルバムを作ったことで木下理樹は「こういう美しさ」みたいなものを一度、見事に吐き出しきったのだと思います。そういう意味では、この作品は間違いなく彼の代表作だし、ライブでも頻繁に演奏されるでしょう。彼らがこのアルバムより後にどんな音楽的冒険・音楽的混迷・人間的混迷に陥ろうとも、最初に目指していた「美しさ」の目標の原点としてこのアルバムが消えることはなく、いつでもここに立ち帰っていくことができる。それは彼だけの特権だろうと思いました。

 

 以上です。

 このアルバムが影響を与えた範囲のことも書こうと思ったのですが、いまひとつイメージが纏まりません。自分の興味の範囲内で言うならば「THE NOVEMBERSから昆虫キッズまで」みたいな全然広くない幅に収まってしまいそうで、もっともっとあるはずなので、それは他の誰かが書いてくれないかな、と思っています。

 このアルバムが出た2002年の音楽についてのことは前にこのブログで書きました。この2002年という年は、日本のロック界隈、と言っても所謂”Rockin' On”界隈ということになってしまうでしょうけど、その界隈にとって非常に大事な年だったんじゃないかと思います。ART-SCHOOLをはじめ幾つもの重要バンドがデビューした年だし、その前のくるりNumber GirlSupercarの世代も傑作をモノにした年だし。日本だけに的を絞って纏めてみるのもいいのかもしれません。

 あと、冒頭にも書いたとおり、このアルバム”だけ”がサブスクでピンポイントで聴けないのはやっぱりおかしい、Bloc Partyの1stがサブスクで聴けないのと同じくらいおかしいってずっと思うので、そこがどうにかなることを願っています。そのためにはまず、木下理樹さんの健康が回復することが大事なのかな、と思うので、ひたすらそれを、回復を祈っています。

 

 ART-SCHOOL関連作品のリマスター記事は、一旦ここでストップして、次は他の記事を書きます。遠くないうちに『LOVE / HATE』までは書きますので、もし万が一楽しみにしている人がいらっしゃったら、しばらくお待ちください。正直、思い入れは今作よりもその先〜『LOVE / HATE』の方がすごくあるので。お楽しみに。

 

追記:次の作品、シングル『EVIL』のレビューを書きました。

ystmokzk.hatenablog.jp

*1:でも、苦悩や劣等感を拾い上げることについてはこの次のアルバム『LOVE / HATE』の方が物凄いとも思ったりする。

*2:dipのメジャーデビュー曲『冷たいくらいに乾いたら』のオマージュだろうか。当時の彼にとって日本のオルタナティブロックの偉大な先人。後に木下理樹dipのトリビュートアルバムに参加する。

*3:ひたすら同じベースラインの繰り返しで楽曲を引っ張っていく楽曲としては、このバンドではこれと『UNDER MY SKIN』の2強だろう。

*4:この単語で高々にシャウトするのは、John LennonJoy DivisionIan Curtis、そして木下理樹、といったところか。もしかしたらJoy Divisionを意識していたかもしれない。

*5:この二行はまさに、曲タイトルの元ネタなヘルマン・ヘッセの小説の主人公が喋っているかのような内容になっていて、痛々しさもどこかユニークさに変わるような面白さがある。

*6:こんなリズミカルに悪態をメロディに乗せるか?という楽しさに満ちてる。

*7:ここの一行、元ネタは分からないけど綺麗だよなあ。

*8:ダークな映像のはずなのに、終盤のすげえギターの担ぎ方をして歌う木下の姿が笑える。ギターは大事に扱いましょう。バイクのメットをかぶってるのはもしかしてBlankey Jet City『LOVE FLASH FEVER』のジャケットのオマージュなのか。

*9:若干音割れした具合がまた壮絶さを感じさせる。

*10:Nine Inch Nailsの同名の曲からの引用か。意味は「爬虫類」

*11:そもそも歌詞の言葉数に対してメロディの音数がまるで足りてない。

*12:夢から覚めてから逃げ出す、というのが不思議な感じもある。ディストピア世界からの逃亡みたいな感じにも思える。なんとなくこの曲からだけはSF的な世界観が浮かんでくるのは、そんな理由なのか。

*13:母親が亡くなった悲しみを捧げるミニアルバムだろうから、そんな落とし所を作る必要など当時は感じていなかっただろうし。