ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『シャーロット.e.p』ART-SCHOOL(2002年4月)【リマスター記事】

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 ART-SCHOOL関連作品のリマスター記事、という名の単なるレビュー書き直し、今回で5つ目です。インディー時代最後の作品にして、また後のアルバム『Requiem For Innocence』の先行シングル的な要素も併せ持つ作品。6曲入り。

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 前作『MISS WORLD』のレビューはこちら。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

前書き

 ジャケットの、色合いといいイラストといい、前作までよりも格段に病んだ感じがするのは気のせいか。ジャケットの元ネタはグラスゴーのインディーポップバンドThe Starletsの1stアルバム『Surely Tomorrow You'll Feel Blue』(下の写真)から。比較すると、優しげな元ネタに対して、かなり病んだ風な脚色がされてる気が。イラストは相変わらずギターの大山純によるもの。ブックレット中にもくちづけをする男女のイラストが掲載されている。ブックレット裏はメンバーの写真。

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 ジャケットの病み行く配色とイラストが示すとおり、その内容もまた、前作ミニアルバム『MEAN STREET』の頃に顕著だった「沢山の引用の洪水に戯れながら映画的な荒涼としつつも美しい光景を描く」スタンスは後退し、『MISS WORLD』に見られたような、切羽詰まった苦しい状況を「君」に依存することで救われようとする、殺伐として病んだ世界観が展開されていきます。『MEAN STREET』までが牧歌的に見えてくるような作風ですが、今作が『MEAN STREET』からちょうど1年後くらいのリリースだというのは、急激に状況が変化してきたことの表れなのかなと思います。

 どうしてこういうことになったか。ひとつはそのように重く苦しいグランジ曲である『MISS WORLD』がキャッチーなものとして迎えられ、バンドが手応えを掴んだことがあると思いますが、いまひとつとしては、フロントマンである木下理樹の母親がレコーディング直前に亡くなったという事情も大きく関係してくるようです。彼は父親とはどこか折り合いが悪かったらしく、母親の方を頼って東京へ移住する前も、移住した後も暮らしてきたところがありました。その母親が亡くなって失意の中で、彼の中でイメージとしての”死”と”母胎回帰”とが歌詞の中の「君」に向けられることが、ここでの世界観の大きな転換につながっているものと考えられます。それにしても、母親に捧げる作品の最後が『IT'S A MOTHERFUCKER』カバーというのも、すごい。

 という訳でいよいよ一番パンブリックイメージに近い程度に暗くなっていく楽曲群ですが、楽曲の充実度は非常に高いです。冒頭2曲がそのまま後のアルバムに収録され、1曲はライブで演奏しないことないんじゃないか、というくらいのバンドの代表曲・定番曲と化し、他2曲も充実作、更にART-SCHOOLの作品で唯一カバーが収録されたものでもあると、この時期の創作力の迸りが感じられます。曲の平均なら後の同じ年のうちに出たアルバムより高いかもしれません。

 そして、音の質感がその同じ年の後ろに出たアルバムとほぼ変わらない、という特徴もあります。なにせ、これが4月、メジャーデビュー後初のシングル『DIVA』が10月、そしてアルバム『Requiem For Innocence』が11月、というリリースペースになっていて、録音したスタジオやスタッフも共通していること*1、楽曲の傾向*2など、この時期の楽曲は連続性が高い。なんならこの一連の時期で一番深みのある楽曲は今作に含まれていることから、むしろこの作品で確立した作風でもってメジャー1stフルまで突っ走っていった、という方が正しいのかもしれません。

 ブックレットのライナーノーツは今作は黒田隆憲氏が担当。彼はシューゲイザー、とりわけMy Bloody Valentineのインタビュー等で著名で、後にシューゲイザーバンドとしての側面を評価され始めたART-SCHOOLは、彼が製作した『シューゲイザー・ディスク・ガイド』に木下理樹が帯文を提供するなどの別の側面からの関係性が生まれています。そういえば、ART-SCHOOLシューゲイザー要素はこの作品が初出*3なので、シューゲイザー関わりとしてちょっと奇遇な感じ。

 

本編

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1. foolish(3:39)

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 本作で唯一明瞭にメジャー調の、つまり明るい響きのまま、程よくドライブしたテンポで爽快にオルタナティブロックしてくれる楽曲ART-SCHOOLの作品を順番に聴いていくと今作で一気に曲調的にも歌詞的にも暗くなることが判るけれど、その中でこの曲の幾分か爽やかな調子にはホッとするものがある。ART-SCHOOL的なキャッチーさの塊のような楽曲であることからか、本作の表題曲を差し置いて上記のPVも作られている。当時の木下理樹の美青年っぷりと背後のメチャクチャな破壊*4の対比が印象的な仕上がり。

 全体的に、『MISS WORLD』で身につけた明瞭なサウンドのオン・オフの感覚をメジャー調のパワーポップで実践した、というような仕上がり。特に、オンとなるサビ等の轟音パートの分厚さと、その対比となるオフのパートでの軽薄でジャンクな感覚を醸し出すギターのアーミングとの対比*5が、ユーモラスさの混じった”病み”の感じがしてこの曲特有のスリリングさを生み出している。

 ”オフ”のパートと言いつつも、こっちの側で響くのはフロアタムの重みの効いたドラムと、音が少ない分はっきりとそのゴリゴリした質感を響かせる太いベースと、そして件のアーミングギターで、これはこれで十分に重量感がある。なのでこの曲の展開としては、スカスカな分低音のより効いた”オフ”のパートから、ディストーションギターが噴出し聴覚が埋め尽くされる”オン”のパートへの変化、と言う方がいいのかもしれない。どっちのパートもこれまで以上に重量感があって、それを豪快に疾走させるバンドのエネルギッシュさが何より耳を引く。サビのどんどん降下していくパワーコードもなんだかジェットコースター的で、そこからのUSエモ的に停滞してみせるリズムへの変化も、まるでバンドが崩壊する音みたいでダイナミックだ*6。要所要所で入る短いブレイクなどのキレも良く、ラストの演奏の終わらせ方までくっきりときっちりとやりきっている。

 そして、そんな楽曲のテンションに木下理樹の線の細いボーカルが実に合う。Aメロでは軽薄で重厚なサウンドの中で気だるいまま挑発的なフレーズを口にして、サビでは情けなく泣きじゃくるかのような情緒を少しばかり滲ませて叫ぶ。それにしても、今作から一気にボーカルの音量が上がってる気がする。サビメロのオチとなるフレーズ「I don't have the light」のフレーズはThe Posies『Throughaway』のサビ「I don't have it now」のフレーズをもじりメロディを拝借している。

 歌詞の方は、様々な引用が添えられた洒落て文化的にカラフルな感じは後退して、崩壊と死の感じをファニーに漂わせたものに仕上がっている。

 

今日は何て美しい一日だ

此処へ来て、僕に麻酔を打ってくれ

今日は何て美しい気分だろう

ごらん夢は今目の前で崩れて行く

 

I'm falli'n falli'n faalli'n 君は救ってくれるのかな?

君は救ってくれるんだろうか

 

残酷そうな光景を匂わせながらも、言ってることは初期〜中期のスピッツと共通するような「君が僕を救ってくれよ」というフレーズなのが可笑しくもなんか悲しい。この曲は後のサビでは「君は笑ってばかりだな」と、どっちもまともな状態じゃなさそうなのがまた病んだ悲喜劇めいてる。また、やけに「落ちる」という単語を使いたがる彼の作詞の特徴がよく出た1曲でもある。

 楽曲タイトルはSuperchunkのアルバム『foolish』からの借用か。名作です。

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 ライブでかなり盛り上がりそうな曲だけど、演奏される確率はそこそこ。今作にはいつの間にか鉄板中の鉄板になってた『FADE TO BLACK』があるし、それにメジャー調の疾走曲だと『ロリータ キルズ ミー』や『車輪の下』がより鉄板だもんな。後のベスト盤からも収録が外れたりと、微妙に可哀想な感じの曲。でも同じ年の1stフルアルバムに収録されるし、そんな可哀想でもないか。

 

2. シャーロット(4:42)

 これまでのART-SCHOOLのどこを探しても出てこなさそうな、突然変異的にいきなり深淵を極めたような、耽美で幻想的な奥行きと静かで壮大なエモーショナルさを孕んだ、第一期ART-SCHOOLきっての大名曲木下理樹全キャリアでもこの曲に並ぶレベルの曲はそんなに多くないだろう。正直これが2曲目というのはいきなり過ぎる感じがありすぎて、後の1stフルアルバムでのラスト前の配置の方が遥かにしっくりくる。この作品、2曲目でいきなり深淵すぎるんだよ…。

 静かに、虚無への誘いか何かのように鳴る冒頭のギターサウンドからして異様なものがある。よく聞くとギターはずっと同じコードを弾き、ベースが動くことで奥行きのあるコードになっている*7。そこからトライバルなタム回しのドラムと木下のファルセットのコーラスが入ってきて、一気に世界観が闇の中めいていく。The Cure的な、透明感の向こうに何か取り返しのつかない闇が覗くような世界観というか。AメロはBelinda Carlisle『Heaven is a Place on Earth』の引用だけど、この元のメロディもこんな薄暗いサウンドの中で歌われるなんて思っても見なかっただろう*8

 この曲も最初のサビはAメロから伴奏を変化させずに淡々と通過して行くことでその後のサビでの覚醒感を印象付ける楽曲構成を取っている。スケール感の演出としてのこの構成方法は『ステート オブ グレース』で有効な形で登場したが、この曲では抑圧した内に渦巻く感情がドロドロと表出するような効果が出てくる。2度目のAメロで8ビートに変化する演奏はなんら安心を与えず、その空虚さをそのまま抱いたまま、ディストーションギターが嵐のように吹き荒れるサビに進んでいく。荒れ狂う海の光景のようなそれの中で、サビの後のハミングと、叫びとファルセットが渾然一体となったその歌唱はあまりに心細くて、この曲の残酷な美しさを決定づける。

 一度ブレイクした後に3度目の繰り返しをして、同じ荒れ狂う海のような演奏の中、終盤はドラムが頭打ちのリズムとなり、そこに木下のファルセットも被る、熱いんだか病んでるんだか何だか解らないような、他の何にも代え難いような”エモさ”が訪れる。ゴシックで不健康な質感に満ちているのに、とても爽快感のあるそれは、音楽というフォーマットだからこその、矛盾に満ちたまま感慨を残す機能の素晴らしさに満ちている

 そんな終盤の興奮が終わって、叩きつけられた残響が消えた後に、遠く離れたような小さな音でギターがこの曲のコードをつま弾いているのが聞こえる。それはどこか宗教的で、もしかしたら、作曲者が亡くなった母親に捧げるべくして取り付けたパートなのかもしれない。最後に到達するメジャー調のトニックコードの響き、その仄かな灯りのような響きが、どこまでも厳かで、優しくも虚しい。

 歌詞の方も、直接的に”死”について歌われたラインは無いものの、むしろそれが故に、全体に”死”の予感・雰囲気がどうしようもなく漂うような、そんな方面の幻想性が渦巻いている。

 

君の胸にある小さな傷をずっと見ていた

美しい秋の木々を見に行こう、正気なうちに

悲しい夢を見た、誰かが待ってる そんな気がして

悲しいふりをした、狂気そのもの・真実の愛

 

廃人になる直前のようなこの歌の主人公の描写は、しかし虚ろでありながら「美しさ」だけは信じようとしている節があって、それを「君」との関係性に見出して、二人で沈んでいくかのような情景が、共依存のまま堕ちていく映画を観てるような気持ちにさせてくれる。

 

シャーロット、僕を焦がして シャーロット、それが全てで

シャーロット、空っぽなだけ シャーロット、僕達は皆

 

 一部の芸術作品のみが辿り着くような、現実の生活から遠く離れた美しい愛とメランコリーの世界を、ここで遂に彼は描き出すことに成功したんだな、と思う。今作の表題曲にする必然性に満ちた、あまりに完全な世界観。ここまで突き抜けた世界観は木下理樹作品でもほぼ存在せず、後の1stフルでも、もしかして浮いてるんじゃないか、と思いさえするほど急に深淵が現れる様に、この曲の存在感の凄まじさを感じる。きっと、この曲の闇にずっと飲まれていたいと思ったファンは、当時も今も多かろう。どうお過ごしだろうか。

 ART-SCHOOLを最も象徴する楽曲と言っても過言では無いだろう。後のベスト盤にも無事収録され、疾走曲の多い第一期の楽曲群の中で異彩を強く放つ。そのThe Cureともエモともシューゲイザーともつかないサウンドと世界観は、多くの後進のアーティストに大いに影響を与えた*9もので、変わったところだと、ゲームのシナリオライター・作曲家等で知られる麻枝准が大きく関わったアニメ『Charlotte』は、この曲から採られている。

 

3. プール(3:54)

 耽美系の大名曲の後も、同じ系統の耽美な楽曲が続く。珍しくクランチのギターコードカッティングがキラキラと響く、透明感に満ちた奥行きがシューゲイザーチックな、というかシューゲイザーの大名曲Ride『Vapour Trail』に大いにインスパイアされた楽曲。数ある木下理樹の大胆な引用の中でも、この曲はやらかし度が特に高い。でも、原曲には無い類の切迫感もちゃんとあったりで、決して借り物では終わっていない。

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 元ネタを知ってる人が聞いたら笑ってしまうかもしれないイントロから、ずっと原曲譲りの儚いコード感が連なっていく。大きく異なるのは、ドラムがやけに重く響くのと、伴奏のメインが歪んだギターだということ、そして木下のボーカルだろう。原曲譲りのコード感から、儚さ以上に重苦しさが感じられるとすれば、これらの要素、特にドスドス響くドラムの存在が大きい。Rideの儚さにSmashing Pumpkins的なヘヴィさが張り付いたような感じとでも言うか。

 特にサビの箇所の、ドミナントのコードから始まるコード進行は、メロディの流れにいい具合の宙吊りの感覚を与え、シーケンス的に刺々しく反復するリードギターの音共々、不安と焦燥を煽るような響きが全体から感じられる。

 2回目のAメロでいきなりブレイクするのはドキッとする。この強力な重力変化から段々と演奏のテンションが上がっていき、サビでシャウトが追加されたり、原曲譲りのドラムの3連が入ったりと、彼らならではの炸裂の仕方をして行く。一番強烈なのは、最後のサビのリフレインの最後、木下が自分の声が枯れるほどの絶唱を見せる箇所か。この、シューゲイザー的陶酔感を割ってまで露出してくる、その身を破壊せんばかりの痛々しいスタイルは、ART-SCHOOLが前作までとはまるで違うステージに来ていたことが如実に現れてる。

 歌詞の方でも、プールを「美しい幻想が反射する優しい場所」「透明感を保ったまま死に向かっていく方法」と両義的なものとして捉えている感じで、その不健康な陶酔感に浸りまくった雰囲気に、木下理樹の美意識の推移が透けて見える。

 

サンディ この水の中でいつまで夢を見ているの?

サンディ どうしてそんな寂しい目をしているの?

サンディ 教会近くのプールで傷跡を舐めた*10

サンディ 「生まれない方がマシねって」彼女は笑った

 

 大胆でヤンチャすぎる引用がありつつも独特の壮絶さを有したこの曲もまたファン人気が高く、特にシューゲイザーバンドとしてのART-SCHOOLが注目されるようになって以降はよりその傾向が高まったかもしれない。ファン投票B面集『Cemetery Gates』に収録されることとなった。

 

4. FADE TO BLACK(2:52)

 前曲の轟音から引き続きこの曲の冒頭の轟音に繋がっていく様の、その壮絶さはやはり今作以降の雰囲気、という感じ。タイトルはアメリカの同名の映画から、とされているけど、メタリカの同名曲の方が検索では出てくる。こっちの線もあるんじゃないかなあ。

 楽曲としては、爆発的なリフを炸裂させるエモなオンと、冷ややかなアルペジオで駆け抜けていくオフの2パートをひたすら繰り返していく、ART-SCHOOL的な楽曲構成を極限まで突き詰めたかのようなシンプルな構造の曲。だからなのか、それともイントロがやはりインパクトがあるからか、ライブでは定番中の定番曲となっている。後年、バンドの写真集のタイトルにも使用されたりして、いつの間にか彼ら随一の代表曲になってしまっている感じさえある。

 何よりもやはり、いきなり炸裂するオンなサウンドの爆発的な具合だ。刺々しくハイの効いたリードギターのフレーズと、押し潰すようなリズムギター・ドラム・ベースの圧、それがサイクルの終盤で一体となってブレイク込みのキメを入れる、このバンド全体がリフになったような躍動感を直接叩きつける展開こそ、この曲の醍醐味であり、本体だろう。サビではこのリフに木下の歌が乗るが、それも勢いを重視したフレーズになっていて、ライブでは最早ハードコア的な勢いに任せて発音が変形してしまってる*11。それでも、カタルシスが炸裂する様はエネルギッシュさに溢れる。

 対するオフのパートについては、静寂を強調すべく、ダークなコード感の中をベースとドラム中心に駆け抜けていき、リードギターはそこに静寂さを壊さない程度の繊細なアルペジオを挿入する。これはインタビューによると、Sunny Day Real Estateが時々演奏する綺麗なアルペジオの感じを想定していたらしい。フレーズ的に近いものがあるのは以下の1stアルバム『Diary』収録の曲か。

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上の元ネタっぽいものだと優しげに響くそれが、高速のビートでベースの低く鉄っぽいゴリゴリ音が響く中ではどこか水々しくも冷たげな、あの世じみた質感に感じられる*12。特に2度目の爆発の後のブレイク時に鳴るこのアルペジオは、”抑鬱”としてのこの曲のオフのパートの意義が明確に示される。

 イントロの轟音サウンドがそのままサビの伴奏になるスタイルの楽曲はこのバンドは他に幾つかある*13けど、この曲が一番シンプルにオンオフが強烈で、そこがライブでの大活躍に繋がっているんだろうか。終盤でオンのサウンドのまま疾走に切り替わるのはとても強い。そして縦ノリで叩きつけて終わるから、ライブの最後に演奏したら映える映える。

 歌詞の方は、シンプルに駆け抜けていく楽曲でサビも掛け声のようなものなので、単純に内容が少ない。その中で、何らかの喪失感に関わる象徴的なものとしての”死”を歌う。

 

去って行ったあの女の眼は あの女の眼は僕を焦がした

太陽の下乾き切って 彼女は死んだ、死んで行った

 

水曜日に天使は去った 天使は去った 僕を残して

太陽の下契り合って 僕等は死んだ、死んで行った

 

 この曲は、タナトス的な負のエネルギーでもって疾走し炸裂する、という、ART-SCHOOLらしさに満ちた楽曲だと言える。その突き詰められ過ぎた構成や言葉には、体験として機能的過ぎて作品としてはやや物足りなさを覚えはするものの、でもライブでこれが演奏されるのはなんだかんだ言って楽しい。こんな暗い曲で”楽しい”ってなってしまう、変な、後ろめたい気持ちもありつつでも沸く感じは、なんだかんだでこのバンドに必要なものなんだろうなと思ってる。

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5. I hate myself(3:15)

 前曲と同じく、爆発的な演奏のオンと、静寂さに虚無を漂わせたオフの2つのパートのシンプルな繰り返しによって構成された、より重たさにフォーカスした趣きの楽曲。この2曲連続の感じはなかなかにワンパターンだけども、こっちのテンポをグッと抑えたことで荒涼感が出て、どちらかといえば水っぽい感じの前曲と差別化されている。差別化されているか?

 やはり、刺々しいリードギターのリフ+押し潰すようなリズムギター+リズム隊の構図でメインリフが形作られる。キメが入る場所まで前曲と同じだけども、でもどっしりしたリズムと、より乾いたささくれ感のあるまるで錆びた釘を連打するようなギターリフによって、不思議とどこかの荒野のような情緒になっているから不思議なものだ。パワーコードのハードに粘ついた質感から、今作で一番グランジ的な情緒がするのもこの曲だろう。タイトルがNirvanaの『I Hate Myself and Wanna Die』から採られているっぽいことや、歌詞の中に「子宮の中(In Utero)」というフレーズがあったり、今作でもとりわけNirvanaじみた要素があると言えるかも。

 対するオフのパートは、やはり水っぽく冷たく弱々しく響くアルペジオと、タフなリズム隊という構成。ただ、テンポが遅めなこともあって、ここでのリズムの躍動感はより粗暴で、生々しい感じがある。アルペジオも、やたらと輪郭が曖昧な音作りになっていて、水というよりも空気のような感じがあるのが、荒涼感に繋がってるのかもしれない。

 木下の歌唱は、Aメロの気だるくナーバスそうにメロディアスな様に対して、サビではひたすら泣きじゃくるように高音で喚き散らす形になっている。英語の発音のグダグダさが、むしろもどかしいまま感情を炸裂させた風に響くのは役得感ある。タフなサウンドに対抗するにはあまりに細く高い彼のシャウトは、歌詞と相まって強い孤独感・疎外感を感じさせる。

 その歌詞については、この曲も確かに”死”に触れてもいるが、それよりもむしろ疎外感が強く出た、まるでThe Smithsか何かの歌詞みたいな具合なのが今作では特殊。

 

君もあんな美しい人の仲間かい?

この僕はその中に入れるだろうか?

照らさないで 醜い顔をしてるさ*14 照らさないでくれ

 

今作のこれまでの曲では共依存的だった「君」について、この曲で初めて主人公はそこに疑念を挟む。

 

ハツカネズミ 死骸は君に似ていて

この世界でそれだけが綺麗だった

連れていって、その温い子宮の中へ連れて行ってくれ

 

そして、グロテスクで倒錯した価値観から別のグロテスクな願望に飛翔する様に、今作でこれまで甘く怪しく「君」を美しい破滅に導いていた主人公の、より厭らしい内実が明かされる形となっている。こういう歌詞からの、サビのまるで言葉になっていないような言葉の感じは、混乱して切れ切れになった感情の現れのように感じられて、今作で一番痛々しく感じられる。

  この曲は、USエモ〜スロウコアまで射程に入れた荒涼感のあるサウンドといい、疎外感・劣等感を表現した歌といい、どちらかというと『Requiem For Innocence』的なものよりもむしろその次の年に出るアルバム『LOVE / HATE』的な属性を備えている。あの、破綻と荒廃の末の虚無に満ちた作品集の空気を先取りするこの曲は、何かの予兆だったんだろうか。その凄惨な様が実はコアなファンに人気があったのか、この曲もまたB面集『Cemetery Gates』に収録された。

 

6. IT'S A MOTHERFUCKER(1:48)

 今作の最後はEelsの楽曲のアルペジオ弾き語り形式の、静謐なカバーとなっている。今作は木下理樹の母親の死に動揺し、捧げられた楽曲たちであるけれど、その最後がこのタイトルの曲というのはいかにも木下理樹的。元のEelsがまさに、家族を多く喪ったその呪われた運命と悲しみとを音楽にしていったバンドだから、そこに憧れ、というよりも、縋りたいような気持ちだったのかもしれない。

 元々はピアノで演奏されるこの曲のアルペジオを、エレキギターのそれで再現している。そこには途中から素朴なグロッケンが足され、原曲の荘厳さとはまた違った、寂しくも慎ましやかな風情を湛えている。そして、あえてキーを低くしたまま、低い声で呟くように歌う木下の様は、濃く掛けられたリバーブのこともあって、かなり独特な情緒が出ている。それは、繊細な声の震えをも拾って、亡き母に捧げたかった気持ちの表れなのか。

 

マザーファ●カーな気分さ きみなしでここにいる

良かった頃を想う 悪かった時も想う

そして ぼくはあの頃のままではもういれないんだ

 

マザーファ●カーな気分だ 日曜日を壁と話して乗り切る

もう一度ぼくに話しかけて

でも ぼくはあの頃のままではもういれないんだ

 

マザーファ●カーさ 果たしてどの程度ぼくは判るかな

きみの手を引く誰かをきみが欲してた その感情を

そして  きみはあの頃のままではもういれないんだ

 

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・・・・・・・・・・・・・・・

後書き

 以上6曲、合計20分10秒でした。

 最後の曲が尺の短いカバー曲なので、実質5曲なイメージが本作にはあります。で、そのうち4曲はどれもバンドの代表曲と言ってもバチは当たらない程度の人気曲で充実曲で、しかもうち1曲はもしかしたらバンド最大の大名曲だという、そんな作品。今作は制作時点ですでにメジャーデビューが決まっていた、という話もどこかで読んだけど、その状況下でここまで立て続けにそれぞれインパクトある名曲を連発する作品を出せるというのは、当時の彼らの、関係性の崩壊とは裏腹の絶好調っぷりが出たものと思われます。

 どことなく、各楽器のプレイ内容的にも録音・ミックス的にも、メンバーそれぞれの最大の持ち味が何かを冷静に見定めて、それを強調するような作品作りがなされている節があるような気がしました。ベースはより太く露骨にゴリゴリ鳴り、ドラムはより露骨に粗暴な響きになるようプレイが為され、ギターは楽曲に見合うだけのヒステリックさを必死に引き出しています。そして「下北沢ギターロック界隈きっての文学青年で美青年」な状態の木下理樹が、死ねるくらいメランコリックなメロディを呟き、そしてサビで痛ましくなるほど叫ぶという、その何か非常に”分かりやすい”スタイルの確立によって、彼らは一気に日本のロック界隈で有力な新人候補の一角として上り詰めたという訳です。彼らは「全力を挙げて破滅のファンタジーを歌い奏でるバンド」になったのですグランジシューゲイザーニューウェーブ等よりくっきりとしたジャンル感と、よりくっきりした悲しみ、感傷の感じ、痛み、喪失、性的欲望。

 今作以降の作風に移行するにあたって、『MISS WORLD』までに見られた、数々の引用を散りばめながらお洒落で感傷的な映画を自主制作している、みたいなどこか微笑ましいバンドの姿はほぼ消滅してしまって、殺伐さのぶつけ合いで激しくバーストしていくバンドに転換したんだと思います。『FADE TO BLACK』の、シンプルさを突き詰め切ったような楽曲構成に、その殺伐具合がもしかしたら一番表れているのかもしれません。このバンドをその歴史ごと愛好する者としては、そんな変化に色々な寂しさを覚えつつも、でも有無を言わさぬ名曲の連発に、久々に聴き返した今回でさえも感傷を脇に置いて息を呑んでしまった、そんな作品だと思いました。

 それにしても、ベスト盤に『シャーロット』『FADE TO BLACK』が収録され、またその後B面集に『プール』『I hate myself』が収録されて、カバーを除けば1曲だけ残る『foolish』のどこか不憫な感じが地味に光ります。まあPV貰ってるし、1stフルに収録されるし、別にいいか。

 

 以上です。

 ここから『Requiem For Innocence』に至るまでの一連の時期は一気に書いてしまいたいなと思います。それが、ひたすら愛と破滅の疾走感に殉じた当時の彼らへのせめてものリスペクトにならないかなあと願うところです。

 

追記:次の作品、メジャーデビュー後初のシングル『DIVA』の書き直しレビューです。

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*1:岩田純也氏が録音・ミックス担当、GOK Studioを中心に録音、といった体制。まあ『MEAN STREET』から同じ体制ではあるけども。

*2:この時期の曲はリフ重視だったり、バンド全体でのキメが多かったりといった特徴がある。

*3:『プール』のこと。良い形かは知らんけど。

*4:乱入からの破壊の流れはおそらくFiona Apple『Across the Universe』PVのオマージュ。

*5:木下理樹はこういうアーミングでギターの音を揺らすのが好きみたいで、後の他の曲でも同様のプレイをしている。感覚一発な感じが性に合うんだろうか。

*6:この時期、当時2人体制のストレイテナーとのスプリットツアーを行ったりしているが、その時に木下とそれ以外で別の車に乗るくらいに既にバンド内の関係性が壊れつつあったらしい。木下はストレイテナー側の車に同乗。そういえば、当時のストレイテナーとのスプリットシングルでART-SCHOOL側の楽曲はこの曲だった。

*7:木下理樹は今作でこの「ワンコードのギターカッティングにベースで変化を付ける」アンサンブル手法を極め、この後の活動でも多用していくライブでもパワーコード以外を弾くときは同じコードをずっと弾いていることが多く、簡単そうなのに実に効果的な音響を生み出す様は、やっぱセンスいいなあって思う。

*8:元ネタの曲は木下理樹が何度も何度もメロディを引用してくる楽曲だけど、最初にこの曲を元ネタにした木下ソロ『RASPBERRY』の純朴さを思うと、この曲の有様は実に遠くに来てしまったような感じがする。

*9:なんとなくだけど、特に初期のきのこ帝国やTHE NOVEMBERSとかは大いにこの曲のフォロワーって感じがする。この曲の光景と同じような光景を見ようとしてた感じ、というか。

*10:インタビューでこの光景が実体験か聞かれて「全然そんなキレイな経験はないよ」と言い放つ木下理樹の様子は実も蓋も無さ過ぎて笑える。

*11:I don't know how」って歌うとこの「how」がどうやっても「cow」に聞こえるバグ。

*12:というか、単純に音量が小さすぎるだけかもしれない。

*13:早速次の曲がそうだ。

*14:当時の美青年全盛期の木下が歌うのがまた厭らしい。