ART-SCHOOL新譜リリースを記念しての弊ブログの木下理樹関連作品レビュー再開、その第2弾として、killing Boyの2枚出した作品の2枚目の方である本作を取り上げます。ART-SCHOOLの新譜『luminous』はもうリリースされてしまいましたが。
キーボードが多く入って密室的な雰囲気も多かった前作と比較して、本作は基本ギター二人体制で、よりノイジーでメタリックなポストパンクサウンドが軸になっている作風です。前作から1曲減って8曲ですが、全体の尺はむしろ30分から35分に伸びています。やはりミニアルバムと呼ぶには長すぎて、実質的にフルアルバムみたいなものでしょう。
前作のレビューは以下のとおり。
なお、この一連のレビューでKARENについては書く予定がありません。すいません。よって本作の次にレビューする作品はART-SCHOOL『BABY ACID BABY』になる予定です。
概要
そのサウンド:セッション作曲、事故的なポストパンク
前作の時点からこのバンドにおいてはセッションを軸に作曲をしていると語っていましたが、前作は元々木下理樹がソロ作品を作ろうとしたところから始まっており、実際「これはソロ作用の楽曲だったんだろうなあ」というのが散見され、しかしそういったソロ向けの繊細な楽曲がこのドリームバンド的メンバーによってバキバキにされていくのを楽しむ向きがあった作品でした。
対して本作は、「確かにこれはセッションで作っているっぽい」と感じられる楽曲が多数を占めています。本作では木下もキーボードではなくギターを担ぎ、2本のギターとリズム隊がガチャガチャと響き合う様を録音した、そんなロウなサウンド具合が作品の空気を占めています。ギターやベースの弦にしてもハイハットにしても、金属だもんなあ、って感じが本作からは立ち上ってきます。ドラムの前作における、パーカッションのダビング込みのトライバルで軽快な機動具合も本作では見られず、もっと一発一発の金属感・衝撃感を重視した演奏。その分歌の比重も変わって、歌を演奏が取り囲む感じが前作はまだそこそこあったけど、今作は楽器と一緒に歌が聞こえてくる、みたいな部分が強い気がします。歌メロで聴かせる感じではない曲が多いというか。
最も明確に前作との違いを感じられる点はギターのフレージングでしょう。神経質でありつつも優雅なラインを多く描いていた前作と異なり、今作でギターは頻繁にラジオの混戦したかのような、無線が痙攣したかのような、そんなノイジーなフレーズを連発していきます。その徹底っぷりは興味深く、まともにメロディアスなフレーズを弾いてる箇所の方がずっと少なくなっています。これは本作の印象に大きな影響を与えていて、前作以上にささくれ立ったリズム隊共々、本作の殺伐とした印象を高めています。まるで前作がずっとメロディアスでロマンチックな作品だったように思えてしまうくらいには、本作はゴツゴツして剣呑な雰囲気が(例外2曲を別として)立ち込めています。
ただ、このようにピリピリと張り詰めた音ではありつつも、高音が耳を劈いたりするような痛々しいサウンドにはなっておらず、そのゴツゴツっぷりを聴くのに身体に無理ががかるようなサウンドにはならないようミックス等に配慮がされているようです。この辺りはインタビュー等で本人が特に力説しているところ。
本編
1. Talking About Angels(3:37)
本作的な殺伐さを冒頭で提示するに十分な、バッキバキなリズムと幾何学的なリードギターが乱舞する楽曲。本作はロマンチックなメロディとかあんまないよ、演奏の掛け合いとかそういうのを楽しんでくださいね、ってのが結構明快に示されている。
冒頭のハットとキックとベースの入りから無骨で粗野で重たい。前作であれだけドラマチックなフレーズを奏でていたギターもここでは不穏さを煽るアラームめいた短いフレーズを断続的に鳴らすばかり。ベースは特にこの殺伐としたスカスカさの中をダーティーに動き、金属的な躍動感で演奏をリードする。確かにこういう演奏に後から歌を載せるのはコードを弾きながら歌を乗せて作曲するのとは全然事情が異なり、本作の歌が全体的にポップさ・リリカルさに欠けるのも仕方がない、そもそもそんなもん出しづらいし出す気もなかっただろう、という感じがする。ギターは次第に幾何学的な、ワイヤーアクションめいた軌道を描き出して反復していき、そこにもやはりロマン的な感覚は見せず、本作はメカニカルな感覚で行く、という意思が感じられる。
そういうノリはサビに切り替わっても変わらない。よりワイルドに、横暴な感じに展開する様には、本作全体に横たわる、『14SOULS』くらいから出てきた“邪悪な”ノリの延長のものを感じる。
歌詞において「死の灰」だとか「ベルリンの壁」だとかいったこれまで出てこなかった単語が出てくるのは、東日本大震災の際の福島原発事故の影響だったり、その後木下理樹がベルリンの知り合いを訪ねたり、といったことが出ている模様。前作は2011年の3月9日リリースで、本当にあの震災の直前に出ていて、本作との間にはあの誰しもが拭がたい事件があって、もしかしたらそれによって本作の作風がこんな荒廃の感じがあるようになった部分もあるかもしれない。
2. You and Me, Pills(4:00)
本作の作風から完全に離れた、普通にポップで爽快感あるギターロックで、まるでこの別働隊バンドでART-SCHOOLっぽい楽曲をあえて何かの記念で演奏してみた、みたいな趣の曲。あろうことか、そんな楽曲がリード曲になっているため、リード曲が作品の作風を全然リードしていない(ミスリードしてる?)事態になっているけどもご愛嬌。
この曲はなぜか、過去から未来にかけてのART-SCHOOLの幾つかの楽曲の要素が詰まっている。イントロのブリッジミュート刻みのギターのパワーコードは、そのブリッジミュートという要素まで含めて『イノセント』(『LOVE / HATE』収録)そのまんま*1で、リアルタイムで聴いた時にちょっとびっくりした*2。ここぞとばかりにベースもこのバンド的なバキバキのプレイではなく、昔のバンドでやってたようなシンプルなルート弾きをメインで通していく。ギターもポップな楽曲にあったメロディアスなフレーズで、エコー成分も結構あってどことなく軽くシューゲイザーな雰囲気で、つまりは、演奏の大体の要素がまんまART-SCHOOLで構成されている。歌メロもリアルタイム時点でAメロ・サビともに既聴感バリバリだったけど、サビのシンプルに突き抜けていく感じのメロディは後にもう少しメロディを追加した上で2枚先の『The Alchemist』収録の『フローズンガール』にリサイクルされている。ついでに言えば本作と同じ年にリリースされた『BABY ACID BABY』収録の『Chicago, Pills, Memories』と単語の並べ方や“Pills”という単語が被っている。
2回目のAメロにおいてはパターンを変えて、ベースが複雑なフレージングで雰囲気を作り元バンドと差別化を図ってるけども、サビに入って一気に大味な感じになるのはなんだか面白い。間奏後のブレイクとか本当にART-SCHOOL以外の何者でもなくて、まあでもこういう曲構成を切り開いた当人がやってるんだし、こういう展開に抗い難い魅力を感じてしまうし、まあいいか。
別に悪い曲じゃないし、むしろこういう爽快感は木下理樹らしさがよく出ていて、単体で見ればなかなかな曲な気もするけども、しかしながらこのキラキラした感じは殺伐とした本作の中でもう明らかに浮いてる。よりにもよってPVまでえらくキラキラした調子で、アルバムのノワールな雰囲気とまるで違うのが、ここまで来るともう可笑しい。
3. in the corony(4:19)
本作的な無機質で殺伐とした演奏の滑らかな進行と木下理樹の従来からのメロディセンスが絶妙に合致した、本作きっての名曲。本作的な演奏の妙味と歌メロの爽快感とを両方とも味わえるお得な楽曲。また本作的な退廃感にメロウさを見出すにしても最も適した楽曲で、この曲ならではのロマンチックさがある、という点で木下理樹のキャリア全体を見ても特異な楽曲になれていると思う。
冒頭のベースの音からして、フレーズ的なものを拒否し、ひたすら無骨な音を断続的に鳴らし続けるのはまるでバグった機械じみている。やはりこの曲もまたそういう荒廃した音世界の路線だけど、この曲の演奏模様は特に、あらゆるものがバグってしまったような混沌とした音模様を呈している。まるで電波が行き場をなくして気色悪いノイズを紡ぎ続けているかのようなリードギターのラインはとりわけずっと壮絶で、ドラムも変則的なリズムパターンを反復していくが、これらによって生まれる音環境は不思議と漂流しているかのような感覚があり、そして、それぞれの音はひたすら奇妙で不気味なはずなのに、どこかリリカルに感じさせるグルーヴが生まれている。本作他の曲のようなアジる感じではなくもっと頼りなさげに囁くようなボーカルもまた、その情緒の中にある。むしろ、震災後の光景も相俟って「コロニーを失って放浪せざるを得なくなった人々」をこそ、この曲の情緒は思わせるかもしれない。
そしてそんな不安げな演奏模様から、本作でもとりわけヒロイックでエモーショナルなサビに切り替わることで、この曲は大いに推進力を獲得していく。メロディ自体、絶妙な切迫感を載せた理想的な木下節のそれだけど、それがこの引き続きノイジーな演奏に乗った時の壮絶な雰囲気は格別のものがある。メロディに呼応するかのように急にテクニカルかつ勢いを爆発させるベースも非常にエモく、まるでギターのディストーションの代わりにこっちで勢いを稼がんとばかりに、楽曲を劇的に駆動させていく。ギターもロングトーンと混線フレーズの使い分けが華麗で、どこか本作と前作のギター手法の折衷的なところがある。
そこからは、エグいフェイザーエフェクトの効いたベースが間を繋いだ上で、たとえ元のAメロに戻ろうと一度展開した激しさは完全に戻らず、ベースはテクニカルな躍動を続け、ギターもエコーを効かせたカッティング中心となり、浮遊感を持たせた上で2度目のサビに勢いのままに雪崩れ込んでいく。ブレイク後の間奏もノイズじみたギターフレーズを延々とバグったように反復し続けていく中で次第に勢いが充満していくような流れで、特にドラムのタム連打は前作っぽい駆動の仕方。最後のサビ後のアウトロはサビのコード進行が続いたままで、終盤にドラムパターンが8ビート寄りに変化するところなどもまた格好いい。
「コロニーにて」というタイトルの響きに沿ってか、歌詞にもどこか普段の木下節な生活感とは異なる、どこかディストピアめいた光景が少し浮かんでくる。最初のAメロはこう。
ああ、生活の果てに ああ、真っ黒な滲み
ああ、太陽を見つめ そう、体温をなくし
ああ 行列に並べ ああ、順番は来ない
ああ、睡眠薬のせい? そう、抱いたって苦しい
最後の1行で一気に木下理樹的な世界観になってる気もする。
もしかしたら、ART-SCHOOLのある時から挑戦し続けてきた“ポストパンク”的サウンド思考が持ち前のロマンチックさに見事に結びついた、この路線の最終進化系的なところがこの曲にはあるかもしれない。言い過ぎか。
4. No Loves Lost(7:51)
基本ニューウェーブ的なダークさを有したミニマルなサイクルを延々と展開させてみせ、様々な曲展開の変化も経て最終的にはアンニュイなインストに落ち着く、木下理樹関係の楽曲でも最長の尺を有する楽曲。本作が前作よりも曲数が少ないのに全体の尺が前作よりも長いのにはこの曲の存在が大きく影響している。
冒頭のアルペジオパターンはこの曲の基調となるもので、ここに各演奏が場面場面に応じて多少の変化をつけながら乗る。この展開とサビを交互に繰り返すのがこの曲の基調。サビの歌詞なしにウォーと連呼するのはやや肩透かしで、演奏もサビの間はどこか安定したところはあるけども、それ以外の箇所は様々な不安定な仕掛けが施され、退廃的なムードが丁寧に形作られる。久々にPrince的なギターカッティングも聞こえてきて、アルペジオと対比される。ベースは特に場面によって様々な演奏パターンを試していて、間奏後に普通の8分ルート弾きさえ引っ張り出してくるのは面白い。2度目のサビ後等に出てくる第3のパートはより不穏なコードの響きになり、ここでは特にドロドロにコーラスの効いたギターがここぞとばかりに毒々しさを振りまいていく。
3回目のサビの後にスカスカ気味な演奏セクションを挟み、冒頭と同じアルペジオの折り重なりに戻ってくるけど、ここでギターが逆再生エフェクトに変わり、そのモヤのようなのを抜けると、まるで全然違う楽曲が始まったようなインストセクションに移行する。それまでのニューウェーブ的な無機質さから打って変わって、どこかダブな感覚のオフビートな演奏になっていて、やはりベースラインが同じフレーズを繰り返して先導しつつ、ドラムもリム主体の静かなアレンジになっている。そこにゲストとしてタブゾンビ(from SOIL&"PIMP"SESSIONS)のトランペットと、様々な空間的エフェクトを駆使したギター、そして何かの映画からと思われる、女性のフランス語っぽい囁きが挿入される。
5. Are You Kidding Me?(3:14)
本作的な露悪的で殺伐とした演奏が全面的に展開される、本作でも最もメタリックな印象を受ける、というかブレイクの具合などもあってZAZEN BOYZとかに片足突っ込んでる感じがする楽曲。『HIMITSU GIRL'S TOP SECRET』とかの感じが特に近いか。
前曲の静かな終わり方を最大限に利用してか、イントロの短いキメ連発はインパクトがあり、雰囲気が大きく切り替わる。ブレイクの連発ということで、各楽器の余韻がヒリヒリと響いてくる。歌が始まってからも、特にベースのエッジの効いた休符が印象的なスカスカな演奏は本作的な緊張感の典型で、感電してるかのようなエフェクトの掛かったギターの置き方がまた演奏の奥の“無音”を無骨に浮かび上がらせる。微妙に拍が足りず変則的な拍子になっていて、それに沿ってギクシャクとした歌*3とギターが響き渡るそのメカメカしさにZAZEN BOYSっぽさを見出せる。
サビでは元の緊張感は解除され拍子も普通になり、代わりにどこか挑発的な4つ打ちのぶち壊れたディスコ風味が敷衍される。特にギターの押し潰されたかのようなノイジーさが故障したアンドロイドのようで風情ある。また、こちらもAメロに戻る際にメロディを省略するなどしてその切り替わり方のぎこちなさをかえって強調して、楽曲全体のギクシャクした感じに繋げている。
3回目のサビの後、冒頭と同じ決め連発を挟んだ後の、タイトルコールをヤケクソのように繰り返しつつ変拍子になる終盤のセクションはこの曲の仕上げ。バキバキに躍動するベースに金属的に響き返すギターにと、本作でも最も自由にかつ徹底的にぶっ壊れて見せて、あっけなく1音で演奏が終わってもギターノイズが余韻として残る具合に乱暴なパワーを感じれる。
6. True Romance(3:01)
本作的な殺伐とした演奏を速めのテンポで展開させていく、どこかTalking Heads的なスリリングさ・神経質さを見せてくる楽曲。
ドラムのみの演奏から始まり、速めのテンポの割に細かくハットを刻んでいることが性急さを掻き立てる。ベースとギターが入ると、特にギターのカミソリめいた軌道が支配的な雰囲気を作り、リフが慌ただしくけたたましいのに全体的に冷たく無音の目立つ質感は維持される、ユーモラスなようでユーモラスでなくむしろシリアスな、やはりポストパンク的なムードの作り方が一貫されていく。おそらくベースにも若干のコーラスが掛かっていて、これがまたこの曲のスカスカな音響を微妙にコントロールする。なお、Aメロにおける歌メロはART-SCHOOLの『Inside of you』のAメロをそのまま流用。
あまりテンションの変わらないままサビも駆け抜けていく。なのでAメロとサビの行き来でも勢いは変わらず、間奏のブレイクまで継続していく。メロディの抑揚を抑えて冷め切ったリフレイン具合はやはりART-SCHOOL以来のニューウェーブ仕草の完成形みたいな具合。地味だけども。ここでの刺々しくも煌びやかなメロディの昇降を有したギターフレーズにはこのギタリストの出自であるスパルタローカルズの感じが特に感じられる気がする。というかそう思うとAメロのギターアクションもスパルタローカルズ的なものだったようにも感じられる。
ブレイク後のサビは高い音に転調して、ギターももっとがむしゃらにかき鳴らされ、サビメロが終わった後の演奏も意外と長さがあるのでこの鉄な質感とエコーの合わさった音響具合を堪能できる。
7. Funkkk(3:03)
普通にバリっとした演奏にゲストによるサックス演奏が変なエフェクト共々絡んでいく、どこかユーモラスな感じもあるインスト曲。前曲よりも尺が若干長く、曲の変化もセッションで楽しそうな具合で、意外と本作のサウンドコンセプトに縛られすぎずに、結構ガッツリと自由にインストしてる。続く本作最終曲が本作サウンドの例外的なソフトな音の曲だから、この曲がつなぎ的な役割を果たしているのか。この曲もタフゾンビがトランペットで参加。
シンバル以外で最初に聴こえてくるベースラインがゴリッとしつつもニューウェーブ的無機質さから外れていることからも分かるとおり、存外にこの曲は本作のサウンドコンセプトを気にせずのびのびと作られている節がある。まあ曲名からしてふざけてる感じだし…。遠くでライトの明滅のように響くトランペットの後に、楽器隊で唯一まだまともにニューウェーブな感覚を発揮しているギターが入ってくるけども、もう片方のギターはワウでヘニョヘニョとしたギャグみたいな音をアヒルの鳴き声みたいに付け加えてくる始末。まあリードギターの方も冒頭の方で変なエフェクトを撒き散らしているけども。サビ的なキッチリ全員演奏を合わせてくるセクションとそれ以外の自由さの繰り返し。確かにART-SCHOOLではこういう曲は出てこないだろうなあ、と思える。
8. Love, Breed, Love(5:56)
本作の中で例外的に、前作のような陰りあるポップセンスや優雅なギターフレーズを有する、ソフトで浮遊感と雄大さのある楽曲。2曲目と同じく本作での例外的な楽曲だけど、前曲の繋ぎがあるからか、2曲目ほど唐突にも浮いてるようにも感じない。最後の曲というのも効いてる。それにしても意外と尺が長い。
ちょっとしたエフェクトからすぐに演奏が展開される。前作的なエフェクトめいたキーボードもこの曲では俄かに復活している。この曲ではギターは基本的にトレモロがふわりとした具合に掛かっていて、イントロやサビ裏などの感傷的なフレーズの数々をよりメロウにする効果を発揮している。アンサンブルが始まった時から、上空に放り出されたみたいな感覚になるけども、実にソフトで軽やかな4つ打ちのドラムやベースの働きもあるかもだけど、一番貢献しているのはこのギターに他ならない。前作の楽曲と比較してもこの曲のギターが最もメロウだとさえ言え、本作のメインのベクトルと真逆ながら、巧みな繊細さでこの曲の素地を作り出す。サビやアウトロのディレイの効いたカッティングはどこかU2的なものも感じさせる。
歌のメロディの方も、本作の基本路線だった太々しい具合と打って変わって感傷的なものに徹している。サビのコールは野暮ったいけれども、叫んではいないけども叫ぶかのように訴えかけるメロディの飛翔の仕方は彼ならでは*4。全体的に尺を気にせず余裕を持った展開になっており、Aメロの繰り返しの際にも間奏が入ったり、コーダの部分の繰り返しが多かったりと、ゆったりとした曲調の流れを楽曲自体を無理に圧縮して阻害したりすることの無いよう展開が組まれているように思える。
2回目のサビ終了直後のブレイク展開は木下理樹の伝家の宝刀にして王道展開だけども、この箇所はこのバンドならではのこういうブレイクにおける演奏の妙が感じられる。キックとギターが残り、このか弱いギターの魅力が最も切なげに表出する。ここの切ないセクションが挟まるからこそ、最後のサビの後の飛翔していくようなフレーズも大いに活きてくる。
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終わりに
以上8曲35分程度のアルバムレビューでした。
ある時期くらいまではART-SCHOOLは作品ごとの作風の違いが結構あるバンドだったけども、それは木下理樹のサイドプロジェクトだったこのバンドでもそうで、前作と今作では結構興味深いくらいに様々な部分が全然異なっているなと思わされます。どちらも間違いなくポストパンクとかニューウェーブとかそういうものをファンクを隠し味にしながら目指したものと思われるのに、こうも楽曲や演奏が違うものかと。
本隊であるART-SCHOOLの方としても、打ち込みとの連動=アレンジがダビング前提だった『14SOULS』『Anesthesia』から、バンドによるセッションから形作るのがメインの『BABY ACID BABY』に変化していくけども、こっちのバンドの前作と本作の違いもある程度、本体の流れとリンクしてた部分があったのかなと思います。前作では元々ソロ作品制作予定だったところもあってダビングで大量のパーカッションを入れたりしてたのが、本作では極力バンドの音のみでサウンドを構成し、それによるスカスカでささくれ立った具合が、前作からの大きな違いとなっています。
そして、楽曲レビューでも書いたけども、ART-SCHOOL『ILLMATIC BABY』くらいから始まった木下理樹のポストパンク・ニューウェーブ路線のひとまずの完結編としても本作を捉えることができます。木下理樹の次の作品が一気にオルタナ回帰する『BABY ACID BABY』で、それより後も本作ほどにポストパンク志向な作品集も見当たらず、そういう意味では、そこそこに“やり切った”感じのある本作は彼のキャリアの中でも幾らか独特のポジションにあると言えるかもしれません。
…しかしながら、ソングライターとしての木下理樹の魅力は本作では限定した箇所でしか堪能しづらくなっているかとも思います。セッションでやっていくと決めたバンドがそのとおり実行していった結果なんだから、それはある程度仕方がないことだと思います。しかしだからこそ、セッション前提の中で上手いこと劇的なメロディを展開できた『in the corony』は格別の価値を有しているようにも感じます。
以上です。次はようやくART-SCHOOLに戻って、当時の新メンバー、そして今年の新作でも継続しているメンバーによって作られたどオルタナ作品『BABY ACID BABY』のレビューの予定です。それではまた。