ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『YOU』ART-SCHOOL(2014年リリース)

songwhip.com

 

 ART-SCHOOL関係の(ほぼ)全作品全曲レビュー、あとアルバム3枚で完結します*1が、今度のライブまでに全部終わらせたかった気持ちもあり、やや慌てつつも、今回はこの通算7枚目となる11曲入りフルアルバムについてレビューしていきます。現在まで続いているメンバーになって3作目、またソニー所属時代最後そしてメジャーレーベルからのリリースとしても最後の作品になります。次作からは自主レーベルからだったりUKPからだったりします。

 前作のレビューはこちら。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 そして前々作のレビューはこちら。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 本作への印象を一言で述べるならば、同じメジャーレーベルで出した上記2作の、結果的に様々な意味での反動として本作があるような感じがします。

 

 

アルバム概要

喉の手術とレーベルからの圧

 およそ『Anesthesia』(2010年)くらいから木下理樹の声の状態は悪くなってきていて、声が割れて枯れて、実に声を出しづらそうな風に聞こえて、一部ファンの間では“ゲボ声”などと呼ばれるような状況がしばらく続いていました。その状況においては、声にエコーを多くかけたり、ファルセットの使用を封印したり、サウンドをノイジーグランジ調にするなどして、ある意味では”誤魔化していた”というのが本人的にも意識としてあった節があります*2

 しかし、前作製作中に木下理樹声帯ポリープの手術を受けて、声の状態が改善、その結果本作では比較的クリアなボーカルが帰ってました。曲によっては「ボーカルの復調」をアピールせんがごとくなファルセットの使用も見られます。この辺は音楽的な本作の特徴ともある程度関係せざるを得ない部分です。

 もうひとつバンドの歴史としても音楽的な特徴としても関係するトピックとして、作者とレーベルとの間で「売れる曲を作ること」について相当な軋轢があったことです。割とメジャーに行ったバンドでよくある話が本作までこのバンドにそんなに無かったのは興味深いところですが、確かに“キャッチーな方のART-SCHOOL”像をほぼ無視するかのようなラディカルな『BABY ACID BABY』とその余波が色濃い『The Alchemist』*3の2作が続いて、しかもレーベルがソニーという超大手ということもあり、この辺でレーベル側が「もう少し売り上げを…」となるのはメジャーとして仕方がない部分もあります。しかし木下理樹という人物もまた“売れ線”を狙って出すことに長けてる訳でもなければそういうことをしたがる人物でもなく、良くも悪くも不器用な性質なので、レーベルが求める「キャッチーな曲」をなかなか出せず、相当にフラストレーションが溜まっていたのは事実のようです*4。本作リリース当時のインタビューではこれらのやりとりを含む本作の制作時期を「今までで一番最悪な状況」と話していたりもします*5

 しかしながら、結果的に言えば、本作はいくつかいい具合にキャッチーな楽曲も含まれていて、案外作者とレーベルの間の折り合いがついた箇所もあったんではないか、という作品のように感じています。実際売り上げもソニー期では圧倒的に良かったらしく、もう少し作者とレーベルが寄り添うことが出来ていれば、作者側が無理なく出した作品のキャッチーな部分をレーベルが効率的に売り出す関係を築けてたんじゃないか、とも思えるような、でもこれがギリギリでもあるような…。というか、この後の自主レーベルに行って以降の作品の方が楽曲が基本的にキャッチーなような…この辺のもどかしさは実に木下理樹らしさを感じるところでもあります。

 でも割と今でも『Driftwood』辺りは十分にソニー的なキャッチーさがあるだろって思います。一体レーベル側は『Driftwood』の何がダメだったんだ?ソニーお得意のバンドの楽曲をアニソンにするやつにあの曲がなっててもおかしくなかったと思うのに、一体なんでそうならなかったんだろう。

 

 

“これまでの集大成”?元のサウンドへの回帰?

 本作に「今回はこれだ!」と明確に書ける音楽的テーマは無いと思います。上述のとおり、レーベルとの軋轢に疲れながら、出てきたものを素直に形にして並べた、という流れの作品なので、ボーカルの回復も含めて、そのような流れの中で結果として、本作は集大成的な作品となっているとも言えるでしょう。逆に言えば『BABY ACID BABY』以降のバンドの元の体裁を振り切ったようなハードコア的な楽曲は消え失せ、なんならその時期に一旦は否定していた『Anesthesia』およびその前数作のエレクトロ路線さえ少し復活していて、そういうこともあってか、ソニー期の残り2作の続きというよりむしろ『Anesthesia』の次の作品としてこの作品を見た方がもしかしたら自然かもしれません*6

 このバンドにしばしば出てくる「1回限りの新機軸」的な曲として冒頭にラップをフューチャーした『革命家は夢を観る』を置き、しばらく前のバンド内の重要な軸だったBloc Party的な路線の楽曲があり、シャッフルでポップなテンポの曲があり、ここ数作で堅実に裏方的なコーラスをつけていたUCARY & THE VALENTINEがもはやリード楽器的に取り上げられるアルバムタイトル曲があり、上述のとおりめちゃくちゃキャッチーに作り込まれた『Driftwood』があり、楽観的なサーフポップがあり、そして切なげなインストを冒頭に配した大団円な感じの楽曲で締める、といった構成は、何かの軸となる音楽性を押し出す、というよりもむしろ、このバンドがこれまで辿ってきた様々な側面を改めて取り上げていく、といった雰囲気で、この辺からも「集大成」的な空気感が出てくるところなんだろうなと思います。

 

 

本編:全曲レビュー

 

1. 革命家は夢を観る(4:37)

www.youtube.com

 

 環ROYをゲストに迎え、切なげなムードに作り込まれたトラックにラップを絡めたスタイルの楽曲。前作といい、1曲目はなんか自由にやっていいって感覚が作者にあるんだろうかと考えてしまうけども、この曲はPVも作られるくらいにはキャッチーさも備えているように思える*7。きっかけは環ROYの作品にバンドのギタリスト戸高賢文が参加し、その後のイベントでもバンドと共演したりしたことらしい。ソニーレーベルを代表するバンドであろうASIAN KUNG-FU GENERATION後藤正文がプロデュースを務めており、ソニー所属のこの時だからこそ可能となったコラボではある。このバンドでこういう形式の楽曲は最初で最後となっている。

 アルバムの始まり方というのは重要だけども、この曲は実に繊細で儚げなギターのアルペジオから始まる。どちらかと言わなくてもはっきりと荒々しかったソニー期前2作との決定的な違いを、この秋冬の感覚色濃いアルペジオの切なさで示しているとも取れる。本作最終曲のイントロといい、本作は「切なげな情緒の表現を得意とするバンド」としての印象を取り返しに来ているのはあるのかもしれない。その後木下が歌うメインテーマ的なサビの箇所もしっとりとしたフレーズとなっている。「Fall in fall in」というフレーズをキメに使い、この辺は自身の“fall in芸人”っぷりもそのキャッチーさもしたたかに自覚した上でしたためているんだろうなと思われる。

 ただ、その後環ROYのラップが入ってくる箇所については、むしろkilling Boy以降に木下が拘ったバンドのセッション的な側面を重視した演奏になっているのが興味深い。ファンクを意識したと思われるその演奏では、ベースがハードコア的なファンクネスを少し匂わせつつ、ギターは音空間がスカスカになることを意識した細いカッティングを見せていて、時にカッティングの中に少し切なげなフレーズも入れ込むことでサビとの少しばかりの融和を図っているものの、まるでサビと別の、えらくスッカスカで無機的な曲が始まるかのようなこの切り替え方は結構挑戦的なところがある。もっと切なさを継続させる方法もあったろうにあえてこうしたことで、この曲は本作唯一のファンク枠の楽曲とも取れるものになっている。実際、地方のライブでこの曲を演奏する際はこのパートはラップ抜きで演奏されたので、より「ここのセクションはファンクがしたかった」的なところが見えやすかった気がした*8

 ラップ自体の出来がいいのかどうかは筆者には判断がつきかねるけども、環ROYという人は実に生真面目に「等身大の都市生活者の目線」みたいなのを書き出す人なんだなあと、彼個人の作品との連続性を思った。まあこの曲で妙にギャングスタな雰囲気出されても困惑するだろうけどもだけど。

 

繋いだ手を離さぬ様 行き止まりと解っているよ

貴方のその瞳は 光の様に

革命家は夢を観る 子供たちが笑っている

汚された風に揺られ Fall in fall in

 

相変わらず行き止まりでネガティブな現実の中で微かな光を頼りにどうにかやっている、そんな木下節な歌詞がそっと添えられて、なんか吹っ切れまくっていた前2作からの変化というか、何か落ち着いたものも感じさせる。

 

 

2. Promised Land(2:42)

www.youtube.com

 

 本作リリース後のライブで定番の位置に収まることとなった、かつてこのバンドが2007年〜2010年くらいまでやっていたBloc Party的なパキッとしたバンドサウンド路線をシンプルにメリハリのついた展開とキャッチーなサビで再構成した趣の楽曲。マジでえらくライブで演奏されるので地味に驚く*9。このシャキッとシャープに構成されたギターロックの感じも、前2作のもっとハードコア傾倒なサウンドとは一線を画した雰囲気がある。

 静かにせり上がってくるノイズをスネアが打ち消し、それを合図に始まる直線的な4つ打ちの高速ビートとマイナー調の中を鋭くリフを切り込んでくるギターの感覚はまさにBloc Party的な何か。このスタイルのいいところは、ギターを弾く人が絶対楽しいだろうなっていうこと。ザクザクと鋭く切り込んでいくギタープレイはライブにも映えるだろう。何気にベースも大胆な動き方でもうひとつのリフを構成していて、これは特に歌が始まって以降はより印象に残るようになる。

 歌が始まる。メロディというよりも言葉を勢いで投げかける様な雰囲気だが、1行歌い終わるたびにいちいち「you know?」の連呼が入るところがこの曲最大の特徴で、初め聴いた時は「いやyou know you know言いすぎやろ」って思ったけど、この誰もが突っ込みたくなるであろう部分こそがこの曲のキャッチーさだとも言える。一応この連呼はkilling Boy『xu』からの逆輸入だろうけども、あまりにこの曲が連呼しすぎて、かつライブでたくさん演奏されるものだから、「you know」連呼といえばこの曲にすっかりなってしまった。

 この曲の分かりやすいところのひとつが、Aメロからサビに移る際にそのまま繋ぐのではなく、えらく大袈裟そうに別の演奏パートを挟み込むところだ。そこにおいてはそれまでジャキジャキとしていたギターが一変し、急にU2的なエコーを効かせたギターがゴスなフレーズを繰り返し、その間リズム隊が機械的フィルインとストップを繰り返し続ける様は、もう本当に大袈裟にポストパンクって感じ。最後のサビ前はよりエフェクティブな効果が高められ、この辺もkilling BOY以降のインスト志向の名残なのかもしれない。この曲は作曲が木下と戸高の共作となっていて、確かにここのパートの「リフそのものが作曲」という感じはギタリストも作曲者に名を連ねるべきものだろうと思える。

 それまでの直線的だったりテクニカルで大袈裟だったりするところからの、キャッチーに駆け上がるサビへの接続がこの曲の魅力か。Ⅲ→Ⅳ→Ⅴとコードを駆け上がっていくいかにもART-SCHOOLなコード進行だけど、本作ではこのⅤの後にⅥとの間にルート音半音を挟み込むコード進行が何度か出てくる。この半音ずつ段々と上がっていくのはポップス等でのエモいコード感を出す作法のひとつで、木下的には特に、フジファブリック志村正彦が生前最終作『CHRONICLE』でこの進行を多用し、特に木下もよくカバーした『バウムクーヘン』のサビに使われているのを意識したんだろうと思われる。結果としてこの曲の半音上がりは、確かにキャッチーだけど木下曲の中で特別にそうかはよく分からないこの曲のサビに、アクセント的なエモさを演奏で付け加えていると言える。そしてサビでも出てくる「you know」連呼。ここまでされたら笑ってしまうものの、歌のパートにおける勢いの一貫性も出てきて面白い。

 元のリフに戻った上で演奏がサクッと終わるところも含めて、実にエッジの効いた、サクッとした楽曲に纏まっている。展開も2回目のAメロから直で間奏に入り最後のサビとなるため最小限に抑えられ、3分を切る尺に収まっている。その中でライブ映えする大袈裟な展開も入れ込むことが出来ており、やはりこの曲の魅力は構成の巧みさということになるだろう。これだけやって3分行かないんだから、作者としてはしてやったりだろう。木下理樹は確実に、そういう尺のあり方に時折こだわりを見せるタイプの作曲者だと思う。そういう意味でこの曲は、愛すべきひとつの完成形なのかもしれない。

 

 

3. Water(3:55)

 切なげなコード感と曖昧な音響の中を愛嬌たっぷりなシャッフルビートで駆け抜けていくタイプの、本作のポップさに対する丁寧さを感じさせる楽曲。木下曲としてはシャッフルビートの曲はこれまでに『君は天使だった』*10のみだったけど、この曲でより地に足つけた感じのシャッフル曲ができたことで、その後の『In Colors』とか最新作でのシャッフル2連続とかに繋がったんじゃないかと謎に邪推している。このメジャーマイナーが全く曖昧なコード感の中でシャッフルしてみせるのは何気に木下独特の味わいな気がする。

 冒頭から、本当にコード感が曖昧なままシャッフルビートとか細いギターのリードフレーズのみで、なのに何故やら可愛らしい雰囲気が作られていくのには不思議な感覚を覚える。地味にこの感覚こそが本作での新境地だった気さえする。フォーキーなのにサラッとした感じがあまりなく、曲タイトルのとおりに絶妙に潤んでいるのも音作りとして独特かつ的確で、とても興味深い。音作り的には前作『フローズン ガール』の続編という感じもする。The Cureの独自解釈という感じがしてとても好きだ。

 木下のボーカルも、メロディは短めでしかも今度は「Baby」を歌詞でやたら連呼するのがヘンテコだけども、しかし上手にリリカルさを生み出していて、この辺のメロディの点描的な描き方の巧みさは流石。面白いのは、可愛いキーボードも交えてテンポ良くサビへとブリッジしていくBメロから連なるサビが、メロディがもう全然Aメロと同じだということ。なのに演奏の妙やコーラスワークなどによって、しっかりとサビとして成立させてあって、同じメロディでこの様に表現できるのは、バンドの蓄積してきたアレンジセンスの賜物だろう*11

 歌詞においても、思い出の光景としてなんだろうけど、どこか味わい深い恋人の光景が鮮やかに描かれていて、かつての木下理樹の歌詞的な味わいがにわかに蘇っている。

 

Baby 灰色のレインコート 二人包まって この世の果で

夜の公園で 二人は酔った降りをして

朝が来た時に何かを云おうとしていたんだ

 

 「隠れ名曲」と言えるほど隠れてないかもしれないけど、本作だとこの曲が一番好きかなあ。

 

 

4. Perfect Days(3:11)

 本作2曲目の木下と戸高の共作となっている、ヘヴィなギターリフとマイナー調のメロディが展開される、本作のグランジタイプの楽曲その1。本作にはこのタイプの曲が4曲あると思ってるけども、他2曲と比べると、アルペジオをあまり絡めずひたすらリフで押し通すのが特徴か。グランジと言っても、『BABY ACID BABY』の頃の振り切れ切ったそれと比べるとずっと従来のART-SCHOOL的なフォルムをしている。

 いきなりいかにもなハードロック的なギターリフが聴こえてきて、淡い情緒が漲ってた前曲とのギャップがちょっと可笑しい。その後のリズムも大味な頭打ちになっていて、なんで急にこんなハードロックなんだ…?という感じもする。その後出てくるメロディがなぜか過去曲『INSIDE OF YOU』*12からの堂々とした流用なのもちょっと驚くし、Bメロで繋いだ後のサビメロも過去曲『STAY BEAUTIFUL』*13からの流用感があり、なんか聴き覚えのあるメロディをハードロック調にやり直した曲、って印象になってしまう。荒廃感のあるメロディで統一してあるとはいえ、一体どうしたんだろう。なんかスタジオ入ってたら二人してハードロックしたくなったので、作った曲にとりあえず過去メロディのリサイクルを乗っけたのかなあ。サビのドラムの前のめり気味な躍動感にはSmashing Pumpkinsへのオマージュを仄かに覚える。

 

アルコール シスターが逝った 見破られたそのリアクション

子供らが駆け抜けていく 今日はクリスマスだから

そう 僕等は 神様の 祝福を受けて

 

全体的に本作のグランジ曲は『左ききのキキ』〜『14SOULS』までの雰囲気があるけども、歌詞もなんかそんな感じだった。あと、クリスマスが出てくるので、やはり本作は秋冬の季節感が強調されている。前曲でも「11月」って歌ってたし。

 

 

5. YOU(4:06)

www.youtube.com

 アルバムタイトル曲は、UCARY & THE VALENTINEのコーラスワークを盛大にフューチャーした、切なげな同じコード進行の繰り返しの中をポップでファンタジックでドラマチックに展開していく中で過去への未練タラタラな様子をかなり格好悪げに歌うものになっている。それにしても本作はⅣ→Ⅴの絡む王道進行的なものが本当に多いけども、このアレンジによって明るくも暗くもなる王道進行を、この曲では極力明るい方に響かせることに成功している。『Driftwood』共々、Ⅰ始まりのいかにもメジャー調な曲とほとんど同じ様なトーンでこの進行を聴かせることが出来ているのは、伊達にこの進行を使い倒していないな…という気持ち。あと、この曲での活躍っぷりからは意外だけど、本作でUCARY & THE VALENTINEが参加しているのはこの曲のみ。

 いきなりUCARY & THE VALENTINEによる多重コーラスで幕を開ける。まるで天国みたいな様相をして、その後ブリッジミュートのギターの奥でボリューム奏法とエフェクトでファンタジックにトーンを伸ばすギターの音により、幻想的な様子はなお増す。リズム隊と同時に入る歌が現れると、歌の内容的にそんなに幻想的な話かコレは…?とはなるものの、むしろ逆に歌っている言葉以上に情感がファンタジックになるものなのかもしれない。

 この曲は2回目のサビ後に間奏に至るまでは本当に延々とⅣ→Ⅴ→Ⅲ→ⅣとⅣ→Ⅴ→Ⅵのコード進行の繰り返しだけで構成され、その上で同じ伴奏のままAメロ→Bメロと展開させた上で、Bメロからは歌の背後に影の様にUCARY & THE VALENTINEのコーラスが取り憑いてくる。そしてサビになって片方のギターが歪み、Aメロをシャウト気味なボーカルで無理やり拡張したかのような実にシンプルに徹したサビが、淡いエモさを広げていく。アルバムタイトル曲でこのシンプルさは驚くけど、UCARY & THE VALENTINEのコーラスの乗り方が華やかで、ハンドクラップも入り、歌詞のシンプルさが効果的なものになっている。

 最初のサビ後にすぐブレイクしてエフェクトを薄く広げ、2回目のAメロの背後ではリズムをキックと四つ打ちハットだけにしたり、ディレイを効かせたギターカッティングで音を広げるなど、繰り返しの際の変化の付け方も結構ドラマチックに演出されており、同じコードが循環しているだけなことを感じさせない。そして2回目のサビの後、コードの循環を外れて広がっていく演奏の中で歌詞の末尾をシャウトする場面からの流れこそ、この曲の醍醐味の様に思う。そのいい意味で実に情けないシャウトの後に、イントロと同じコーラスが重なるところの美しさは、確かにこれがタイトル曲だなと思わせる幻想的な魅力がある。それに対して、最後のAメロ→Bメロ→サビの流れが、サビの最後のフレーズを歌い終わった後に案外あっけなく終わってしまうところには、ある種の儚さについての矜持を感じさせる。

 歌詞については、昔の恋人に対して「僕のこと覚えてる?」と尋ねては昔の光景を回想する、前作の『フローズン ガール』をさらにシンプルに突き詰めたような形式。なんだか情けない内容ではあるけども、思い出す光景はどこか仄かな輝きを有していて、特にひかりについての表現に、サウンドと合わさった淡い情念が浮かんでくる。

 

ハロー この道を ハロー 歩く度 あの雨の日が そう蘇る

撒かれ始めた 水の粒 光にほら そう反射して

君を濡らす その全ては とても とても 輝いていた

 

 ライブではコーラスがないことも多いので、かなりシンプルな曲になる。それでも同じパートでもセクションごとに結構演奏が変化するから案外聴かせる感じだったと記憶してる。

 

 

6. HeaVen(4:19)

 曲数で見ても真ん中だし、尺で見たらまだ前半って気もするけど、この曲くらいから後半な感じはなんとなくする。ダークで透明な怪しいアルペジオと叩きつけるような獰猛な演奏の対比にこのバンド的な悲痛さみたいなのが浮かぶマイナー調の、今作のグランジタイプの楽曲その2。正直今作のグランジタイプ4曲は他のポップな曲よりも地味目な存在になってしまっている印象もなくはないけど、その中だとこの曲のゴスな雰囲気を感じさせる様は一際ロマンチックだと思う。『SHEILA*14の発展形のような感じか。

 ダークなコードで怪しく煌めくイントロのフレーズ、エロティックで少しラテン風味さえ感じるこれが、一気につんのめった勢いのバンドサウンドの轟音にかき消される様は、まるで破滅に積極的に飛び込んでいくかのような、何か悲劇的な崩壊を思わせる。その後ギターの轟音が掻き消えアルペジオに変わった後には、まるで半分シャウトの様な木下のボーカルが浮かび上がってくる。

 この曲のサビは、イントロと同じ轟音の中をそのようなAメロのフレーズよりもより低い音程を繰り返す様に歌う様がどこか鬱屈した、行き止まりのような情緒を盛り立てていく。むしろサビのメロディを引き継いだギターフレーズの方が華やかに広がっていくので、より歌の情緒に深刻そうな憂鬱が滲む仕組みになっている。

 2回目のサビ後の轟音の中を泳ぐリードギターの悲壮感の後、演奏がブレイクした上で曖昧な音色のアルペジオをバックに最後のサビが始まり、程よく儚げな雰囲気が漂ったところでやはり轟音に還り、終盤、轟音の中をもがくように一度だけ飛び出すAメロのフレーズが印象に残る。

 こういう曲で歌われる内容はやはり喪失のことで、特に喪失したということも忘れてしまうことへの恐れや悲しみのようなものがこの曲では出ている。

 

何て云えるの?失くしたメロディ それさえも思い出せず

何て云えるの?愛しい人よ 僕等には翼があった 翼があった

 

 

7. Driftwood(4:09)

 キビキビとしたドライブ感で進行し、キャッチーなキメのBメロを挟んでヒロイックなサビに展開していく、ART-SCHOOL全楽曲の中でもとりわけマスに届きうる類のキャッチーさを有している感じがある楽曲。そりゃこれだけキャッチーさに寄せた曲を提出してボツられたら「じゃあどうすりゃいいんだよ」って気持ちにもなるだろうなと思うけど、実際はどうなのか。いや本当にこれがダメなら、ソニーは一体このバンドにどういうキャッチーな曲を求めてたんだよって気もする。

 イントロの段階からこの曲は実にキビキビと躍動する。歯切れのいいフィルインから始まり、心地よくドライブする感じで刻むリードギターのフレーズからナチュラルにAメロに入っていく。よく聴くとこのパートはサイクルの最後の箇所以外はⅢ→Ⅳのコードを延々繰り返してるだけで、そこからよくこれだけのメロディを引き出せるな…と改めて作曲者のメロディメーカーとしての才を思い知らされる。

 そこからサビ前で少し『ウィノナライダー アンドロイド』*15を思わせるギターリフをBメロの伴奏として挟み込んだのもキャッチーであれば、そこから接続されるサビのメロディもまた、お得意の上昇していくコードの中できっちりとヒロイックなラインを歌が辿っていき、サビ終わりの頭打ちリズムに切り替わる様も晴れやかな爽快感があり、なんなら「繋いだ手を 離さない様に」という歌詞までヒロイックにキメて、本当に本当に、ソニーはこれになんの文句があったんだよ、このままなんかのアニメの主題歌に持って行きゃもしかしたらもしかしただろ、という気持ちに今でもなるな。一方、2回目のサビ後のお約束のブレイクでは1作に一度くらいある映画のワンシーンのセリフみたいなののコラージュも入り、そこからAメロ、そしてBメロを豪快にシャウトで省略してのサビ接続という爽快感に満ちた展開で、本当にこの曲での木下は彼が出しうるキャッチーさのベストを尽くそうとしたんだと分かる。

 歌詞の方も、まるで出口の見えない世界で、想い人と手を繋ぐことを最後の頼みに何か突破を図らんとする主人公の、ART-SCHOOL式に男の子すぎる感じが実に端的に出た具合で、セカイ系歌手の第一人者のひとりとしての矜持を感じさせる。

 

揺らいでるんだ 世界の終わりで 子宮の中で眠りたい

白いスカート 灰色になった 僕等の愛の様に

 

Say you love me  Say you need そんな幻想 抱いてんの

君に触れたくて 凍えそうだった

何もかもが どうでもいい 色褪せた この世界で

繋いだ手を 離さない様に For you

 

このサビの英語が合ってんだかどうだかな感じも「海外から見た日本のアニメソング」っぽさがあって尚のこと向いてたと思うんだけども…。

 

 

8. Go / On(4:09)

 前作までのハードコア的なヘヴィネスさ、特に前作の『HELPLESS』の残り香を微かに感じさせるヘヴィなリフが特徴の、本作のグランジ枠の楽曲その3。どこか幻覚的なサウンドレイヤーからヘヴィなリフに展開する様は『HELPLESS』を直接的に受け継いでいるところだと思う。流石に、纏めることを放棄したかのように強引かつ放埒に展開していった『HELPLESS』と比べると十分纏まっていて、その分インパクトでは流石に劣ってしまう。

 ヘヴィロック的なパワーコードのリフとリズム隊に、この曲のトレードマークであろうかなりエグめのモジュレーションが掛けられたリードフレーズが乗って、この曲はこういう雰囲気ですよ、というのを示す。木下のボーカルもどこか焦点を外したような浮かび方をして、そこにエコーもたっぷり掛けられ、ファンタジックなものとはまた異なる、もう少しドラッギー寄りな幻覚感を覚えさせる。

 その状態からサビへ向かう際、ヘヴィなリフで進めるのではなく、思ったよりクリーンなリードギターの煌めきと、ファルセットのコーラスとを配置して、妙な浮遊感を出してくるのは、かえって妙な悪酔いのような感じがしてこの曲らしいのかも。そして元のヘヴィな轟音とモジュレーションギターの空間に還っていく。

 2回目のサビ後のブレイクの箇所では、この曲のそれまでの感じからは意外なずっと繊細で感傷的なギターフレーズが現れる。そのフレーズをバックにしたままAメロが再開すると、この情緒からまた混濁のサビに向かうのはまた虚しさの性質が変わるな、と感じる。

 

カモメ達の目を見た この動物園で

彼は飛びたいんだろう だけど無いんだ

 

羽根が無かったんだ 飛べなかったんだ Go / On

 

 ところでこの歌詞の部分、これってBlankey Jet Cityの『皆殺しのトランペット』じゃねえか…?上述のブレイク以降のギターフレーズの感傷的な感じといい、この曲はどこかベンジーリスペクト的な部分がこっそり浮かべられているのかもしれない。

 

 

9. Miss Violence(3:08)

 引っ掛かるようなリフとあっさり突き抜けるようなサビで高速で駆け抜けていき、最後のブレイクした中でのCメロ化したAメロの感傷的なリフレインでハッとさせる構成の、本作のグランジ枠その4。最後のCメロ以降の展開がなければ本当にスッと通り過ぎていくような構成をしていると思う。ただ、このバンドの初期によくやってた「イエー!!」のコーラスが復活した曲でもある。

 冒頭から引っ掛かるような、The Kinks的とさえ言っていいかもしれないリフがボトム低めで躍動するリズム隊と淡々と並走し、メロディもその流れを壊さないほどに潜むようにフレーズを畳み掛ける。さっさとサビに到達し、久々に復活した「イエー!!」のコーラスをバックに、しかしシンプルなフレーズを2回ぐらい叫ぶでもないくらいに歌い上げてサッと元のリフに戻る。えらくミニマルで炸裂感が最小限で、一体何が狙いなんだ…っていう感じの展開をする。

 狙いは2回目のサビが終わってガムシャラに弾き倒すギターソロを経て、演奏がブレイクして以降に現れる。急にそれまでと打って変わって水の中に飛び込んだかのような可憐なアルペジオがAメロから派生してほとんどCメロ化したメロディとともに現れ、これまでこの曲に存在もしていなかったタイプの情緒を急に呼び込んでくる。サビの通り過ぎていくようなフレーズも、今度はじわじわとせり上がってくるような演奏をバックに響かされるとまた聴こえ方が違ってきて、なかなかにエモーショナルになっていく。そしてサビとコーラスのパートが終わると、ソニー期になって以降の2作品でドラマーの藤田勇が見せていたスネアの乱打が始まって、にわかにテンションが爆発寸前までいったところでフッと演奏が終わる。

 歌詞的には、演奏が水っぽいアルペジオに変化する箇所でまさに水について歌い出すところが演奏と同期している感じがある。

 

僕は観た 君を観た 水の中滑り落ちたんだ

僕は観た 君を観た 本物の人形みたいな

僕は観た 君を観た 此処からは逃げ出せないぜ

僕は観た 君を観たんだ

 

 

10. RocknRoll Radio(3:45)

 グランジ系2曲連打の重々しさから一気に空気感が弛緩しまくって、本作で唯一のはっきりとメジャー調をしたコード感で愉快にドライブし、The Beach Boys式と呼ぶには流石にアホっぽすぎるだろってくらいの木下自身の声によるヘロヘロなコーラスワークが追走していく、実に罪のないバカっぽさがチャーミングなパワーポップ。ここまで本作では隠してきたメジャー調でのメロディメイカーの様を、ここでは実にバカっぽい形で披露していて、その空気の緩み方はアルバムラスト手前にして痛快だ。

 タムをドタドタと鳴らしたドラムから始まり、どんな曲か、と思えば、メジャー感丸出しのコードの上をユルい木下の多重コーラスがいい意味で「ビーチボーイズってこんな感じっしょー?」みたいな具合にテキトーに響いてくる。そこには喉が治療により回復したことでファルセットが復活したことを素直に喜びたい気持ちも含まれているかもしれないが、2段階で演奏が厚くなるイントロのはしゃぎっぷりは、これまで本作には決して無かった無邪気さだ。

 そしてこういう伸び伸びとしたコード感で爽快感ある曲を彼は書いてきた。コーラスの掛け合いも楽しくAメロを展開した上で、Ⅰ→Ⅴと展開するメジャー調王道のコードで実に伸び伸びと短いフレーズをサッとキメてくる。メロディの最後をだらしなく揺らして繰り返してみせる余裕さえ見せ、なんか急にアルバムがローファイなインディーロックになった感覚さえ覚えてしまう。2回目のサビ後なんてテキトーすぎるギターフレーズまで登場して、あっでもロックってこんくらいテキトーでもいい音楽だったなあそういえば、なんて思いを新たにしたり。

 そんなこの曲でも、本作的なコード進行は唯一Cメロに現れ、Ⅴ→Ⅵ→Ⅳの順番で、少しばかりこの曲にシリアスな空気を運び入れてくる。でも、その勇敢さがそのまま最後のサビの相変わらずバカっぽい流れに直接繋がるのはまた痛快で、最後のサビなんてお決まりの頭打ちのリズムのやつをやるのでますますバカっぽくて、最高に可笑しいままにこの曲は終わっていく。

 歌詞の方も、急に「ロックンロール」なんて言葉を使い出すのが可笑しいけども、例のCメロの箇所もよく読むと「Fall in芸人」としての矜持がフル回転していて笑ってしまえる。

 

いつか飛べるって 信じ切っていたんだ

彼はもう一度 堕ちて行くだけ

知っていたんでしょう?粉々にされ

僕等もう一度 堕ちて行くだけ

 

もう何回落下してんだよ!っていうそのツッコミ待ちな様さえチャーミング。

 

 

11. Intro 〜 Hate Song(7:27)

 アルバム最終曲は、3分弱ほどある感傷的なループの“Intro”の部分と、淡々と進行しつつもしっとりとして大団円の感じを見せる“Hate Song”の部分とで構成される、大仰ながら堂々たる締めとなっている。尺だけ見ればこのバンドでも最長のトラックでもある*16

 “Intro”の箇所は、もはやエレクトロニカ的なインストとなっていて、儚げなシンセのフレーズとキラキラしたベルっぽい音、ループのリズムにファルセットのコーラスが乗る様は、とても“チル”な感覚を有している。儚くて美しい夏を思わせるような雰囲気で、むしろこれに歌を乗せてたら名曲になったんじゃないかとも考えてしまったり。

 3分を過ぎる前に“Intro”がフェードアウトして始まる本編は、実に空間的なエフェクトを纏った、というかバックにファンタジックなシンセを纏った上で、キラキラしたベルの反復まで入り、感傷的なギターフレーズまで飛び出してくる。Ⅲ→Ⅳ→Ⅴ→Ⅴ♯→Ⅵという本作的な半音進行を交えたコード進行を軸に、しかしこのコード感だと普通出てくるであろうエモーショナルな感覚はしっかりと抑制した上で、じっくりと全体の雰囲気も歌も展開される。Aメロの歌メロなんて、Ⅰ始まりのコード進行だと思ってしまうくらいには落ち着いたメロディをしている。

 本作に割とよく出てくるリフ的・キメ的な形で展開されるBメロを挟んで始まるサビにおいても、メロディの穏やかさはずっと保たれ続ける。まるでAメロのメロディ感覚を少し短くして再構成したみたいなサビのメロディは、感情のエモい発露に逃げずにストイックに歌に付された情感をなぞっていく。徹底的に作り込まれたアレンジは、コーラスとロングトーンのギターが並走し、潤みの内側から遠くを見渡すような音の広がり方をしている。本作で目指したという立体的な音づくりの、ひとつの達成点だろう。

 最後はBメロのリフに回帰して、そこにイントロのギターリフが乗っかる不思議な構成をした上で、アルバムの末尾だからか、余韻たっぷりに終了し、アルバムを静かに閉じていく。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

おわりに

 以上、全11曲、45分30秒のアルバムのレビューでした。

 正直なところ、リアルタイムではこの作品は普通にいいとは思ったけども、本人のインタビューにおいて「『BABY ACID BABY』は喉の状態が悪かったからああするしかなかった」という話を聞いてムッとしてたので、そういう感情的な事情で少し本作への評価が下がってたところがあったかもしれません。今聴いてみると、集大成的な作品であるが故にアルバムとしての突出した作風みたいなのは見出しにくいですが、それでも半音を挟んだコード進行の多用や音作りなどに本作的な特徴もあり、丁寧にじっくりと作り込まれた作品だなあと思いました。本当に勢いと気迫そのものを録音したかのような『BABY ACID BABY』とは様々な部分で対照的*17で、今となってはそこが興味深い気がします。

 “王道のART-SCHOOL”という、そもそもこのバンド自体が王道とは遠い存在な気がするけどもしかしそういうものがあるとすれば、1stアルバムや今年の新譜と同じ程度かその次かくらいには本作を挙げることが出来るのかもしれません。本人が“集大成”と呼ぶのは伊達ではないなと。このバンドに新規ファンがどのくらい付いてきているのか全然見当も付きませんが、もしいるとしたら、この作品はなかなかの入り口なのかもしれません。

 というところで、今回は以上です。次作アルバムも早く手をつけて、9月15日のライブまでに最新作まで間に合うのかどうか。それではまた。

*1:これより後の作品のうち『In Colors』『Just Kids e.p.』はすでにレビュー済み。

*2:もっとも、そんな裏事情めいたものを後からインタビューで出してきて、リリース当時のサウンドへの拘りや新メンバーへの熱中をインタビューで語ってた『BABY ACID BABY』を自ら腐すようなこと言うのは、事実かもしれないけどどうなんだ…って思いもした。

*3:そもそもこのミニアルバムが作者本人の知らないところで枚数限定リリースになっていた時点で、レーベル内でのこのバンドの売り上げに関するポジションはすでに怪しくなっていた感じがあります。

*4:おそらくはこの辺でメジャーレーベルへの嫌気が振り切れて、この後自主レーベル設立に向かって行ったんだというのはよく判る流れ。

*5:これは流石にどこかコマーシャルな香りもしなくもないような気も。曽我部恵一とかもそうだけど、時に製作時の苦痛を述べることは売り上げにつながる部分があるから。

*6:この辺が本当に『BABY ACID BABY』『The Alchemist』の2作の不憫なところのように思います。

*7:「ゲストを迎えヒップホップ要素を加えたバンドの曲」という事実自体がある程度のキャッチーさを担保しうるところはある。売り出す側としてもプレゼンしやすくて楽だろう。

*8:と同時に、ラップの同機もなしにそのままそっけなく演奏する様に驚きと困惑と潔さとを感じた。

*9:歌詞が「you know?」の繰り返しが多くて歌いやすいとかそういう身も蓋もない理由からだろうか。

*10:アルバム『14SOULS』収録

*11:『Chelsea Says』で見せた同じサビメロディを全然違うテンションで使い倒す手法といい、『フローズン ガール』のBメロ終止といい、ソニー期の木下理樹はソングライティングの細かい部分で巧みな手法を見せている箇所が多くあって、「ソニー期以降は進歩がない」みたいな一部ファンの声は的外れだと強く強く思う。

*12:ミニアルバム『ILLMATIC BABY』収録。このメロディはkilling Boy『True Romance』でも流用されていて、もしかして密かにお気に入りなんだろうか。

*13:アルバム『14SOULS』収録。

*14:ミニアルバム『左ききのキキ』収録。

*15:シングル『MISS WORLD』収録。

*16:ボーナストラックとそこまでの無音トラックと一緒になった楽曲などは除く。

*17:たとえば最終曲が、かたやボロボロの中で希望に辿り着くドラマチックな曲で、かたや非常に安定した奥行きの中を淡々と歩んでいく曲となっていることなど。