このバンドの前作にあたる『BABY ACID BABY』から約7ヶ月という短いスパンでリリースされた本作を、その高速さをリスペクトしたペースで前作のレビューを書き終えた勢いで一気にやっていきます。6曲収録のミニアルバムです。
前作のレビューは以下のとおり。
アルバム概要
絶好調のバンド状況を受けての高速リリース
一時期バンド解散の危機を迎えながらも、何故かそこから強靭なリズム隊を得るという状況の中で勢い溢れるアルバム『BABY ACID BABY』が生まれ、そのリリースツアーを続ける中で演奏にどんどん手応えを感じたバンドが、すぐに制作しリリースされたのが今回扱うこのミニアルバムになります。
このリリースの高速さは、今見れば「単純にバンドが本当に好調だったんだなあ」という感じがしますが、リアルタイムだと「こんなに強力で個性の強い、かつ他の活動も精力的なメンバーが二人もいたら、いつまでこのメンバーが続くかも怪しい…」と常に思えてたので、そういったネガティブな意味からも「今のこのメンバーでやれるうちに少しでも多く曲を作って出しておこう」みたいな気持ちがあったのかなあ、と邪推していました。まさかこのメンバーで2023年現在も活動継続しているとは…当時はそんなこと全然想像できませんでした。
紙ジャケの装丁で歌詞カードも各曲ごとに本当に“カード”になっていて、そこにどこかの外国の寒々しい光景(ちょっとスロウコア的)が写ってたりと、えらく凝ってますがしかし、5,000枚限定リリースとなっていて、何よりも木下理樹本人がそれをどうもネットニュースで初めて知ったらしいところに、ソニーレーベル内での立場に早くも危うさが見え隠れするような感じもあります。
サウンドの特徴:アプローチをもっとソフトな音響に
しかし、作風としてはそんなことどこ吹く風、売れる売れないなど気にせず、前作に引き続き荒々しい曲を複数持ち寄り、また、前作では録音を避けたネオアコ的・シャングリーなギターポップ的作品が、今回のプロデューサーのこともあって採用・収録されています。
今回のエンジニア・プロデュースは彼らの4枚目のアルバム『Flora』にも携わった益子樹が務めています。空間的な処理に定評のあるエンジニアとして知られていますが、ただ『Flora』といえば彼らでも最もハイファイな音をした作品のひとつでもあり、かなりローファイ寄りなアンビエンスだった前作から『Flora』の音になるのは流石に極端すぎます。なので、本作ではこのエンジニア特有のクリアなアンビエント感覚を見せつつも、サウンドとしては前作のロウさをどこか継承する、という、結構器用な調整が施されているように思います。具体的には、楽器を重ねすぎず極力2本のギターとリズム隊のみでサウンドを構築し、空間系のエフェクト処理で少ない音数を立体的に響かせることに本作は気を使っている気がします。勿論冒頭曲はそのパターンに全然収まらない例外ですが。それにしても、前作あれだけ暴れ回っていたベースが本作からは割といつものART-SCHOOL的なベースに回帰していくのは静かに不思議…。
全体の作風、とかそういうのはおそらく本人たちも音に関して以外はそんなに考えてないと思います。バンドの勢いとライブの手応えから新たに6曲作って録音した、くらいの感覚なのかなと思われます。なお、声の状況は前作に引き続きかなり枯れた状態で、これは次作製作中に手術を受けて改善されるため、本作は『Anesthesia』くらいから始まりkilling Boyから特に目立つ枯れた声*1のまま録音された最後の作品になります。枯れた声にも独特の味わいがないわけでもないけど、でも楽曲の幅を狭めていることは確実にあるし、このせいもあってか本作まで声に掛かってるエコーが深めになっていて、これは“本作の作風”の一端と言えるかもしれません*2。
ちなみに、本作はやたらとミニアルバムという形式でのリリースが多かったこのバンドにおいて、2023年現在で最後にリリースしたミニアルバムになります。
当時のインタビューのいくつか貼っておきます。
おまけ:ART-SCHOOL各ミニアルバム短評(全11枚・2023年時点)
本作が2023年現在でこのバンドの最後のミニアルバムということなので、本作まで含めて11作品もあるこのバンドのミニアルバムをこの辺りでちょっと見返してみようと思います(上記画像では1枚スペースが余ったのでバンド開始前の木下ソロのジャケットを入れてみました。以下では触れません。)。
1. 『SONIC DEAD KIDS』(2000年)
最初期Pavementのようなチープなローファイさを狙ってやったのか意図せずしてそうなったのかな音質がトレードマークながら、楽曲自体はすでに“木下節”が十分に完成している、このバンドの最初に位置付けられる作品。木下自身は「この音質を狙って制作した」と言うけども果たして。
高音のザラザラ感が丸ごと抜け落ちたかのような音質は言うほどPavementでもないように思われて*3、激しくギターを鳴らそうとしている楽曲でもギターに圧やエッジの効きが全然ないのが特徴。ライブ盤の方が全然いいなと思える楽曲がある一方で、この音質だからこその『MÄRCHEN』の閉じたドリーミーさは興味深く、ローファイというものの奥深さを感じれる。『斜陽』のどこか健気なポップさはこんな音でも十分に鮮やかだ。また、デッドな音だからこそそのスカスカさに遠大なものを感じさせる大作『汚れた血』もある。こういう途中で演奏が思いっきり切り替わってジャム的にバーストしていく楽曲はこのバンドの長い歴史でも珍しく、類似する曲は『We're So Beautiful』が出るまで無かったんじゃないか。
そして木下のボーカルがソロの頃を引き摺っているのか、全体的に高い。むしろこれより後の作品がもっと低く響くことを意識して歌われているのかもしれない。
音質が全然違うことはもとより、音量レベル自体も他作品と比べてずっと低いので、プレイリストを作る際にはこの作品からの選曲はボリューム差的に躊躇われる。それでもベスト盤で『斜陽』が拾われていてボリューム的なところは解消されている。
弊ブログでのレビューはこちら。
2. 『MEAN STREET』(2001年)
サウンド面的にも楽曲的にも初期ART-SCHOOLの世界観が完成し、なおかつ様々な作品からの引用を全作品中でも最も奔放に行い、結果様々な場面のコラージュめいたカラフルさにどこか乾いた質感を覚えることもできる、最初期の傑作。この作品の充実っぷりがあるからこそこの後のバンドが続くことができたんじゃないかと思う。
全曲何かしら見所があるけども、特にライブで演奏しないことがほぼないくらいに思われる定番中の定番にしてこのバンドのⅣ中心コード進行の最初のマスターピースである『ロリータ キルズ ミー』の存在感は大きい。何気にピアノも演奏に重ねられ、「そういう味付けも全然するバンド」としての自己定義がなされている。また続く『ニーナの為に』もまた人気の高い曲で、あえてドシャメシャな録音で楽器を響かせることのエモさが詰まった楽曲。初期Pavement狙いはこの曲こそ相応しい。また、この時点ではバンドのメインな音楽性にならなかった『ミーン ストリート』のヒップホップ的な曲構成やビート配置には、これより後に出てくる各種ファンク曲やら何やらの根っこの部分を見出すことも出来るだろう。声の高さが抜けないままダウナーに低く囁くように歌う木下の様子には独特の良さも備わっている。
ベスト盤では『ロリータ キルズ ミー』が、B面集には『ニーナの為に』が収録されている。けど、この6曲の流れで聴いた方が、この時期のバンドの風通しの良さそうな雰囲気も含めて楽しめるだろう。
弊ブログレビューは以下のとおり。
3. 『シャーロット e.p.』(2002年)
刺々しくも冷め切ったような、何もかもを冷徹で悲観的な美意識とナルシシズムで強行突破してしまう、後の1stアルバム『Requiem For Innocence』の世界観が早くも完成してしまっている、あのアルバムの核となる楽曲とそれに劣らぬ楽曲を含んだ名作。曲のアベレージならアルバムよりも高く、そりゃメジャーデビューするでしょ、という完成度を誇る。特にそれまでの自由奔放さを削ぎ落としたが故の世界観の研がれ方が壮絶。歌詞世界が急にギスギスし、別にそんなつもりはなかったろうが、バンド内の関係性も並行して険悪になりつつあった。
そのままの曲順でアルバムに収録された冒頭2曲『foolish』『シャーロット』からして非常に強力。『foolish』はメジャー調でヘラヘラとグランジしてみせる不敵さとギターサウンドのドライブ感が快いポップな曲で、そして『シャーロット』はこのバンドの最高傑作かもしれないくらいの遠大なスケール感を有した、The Cure的なダークさを完全に木下理樹の世界観として血肉化しきった名曲中の名曲。この2曲からしておかしいのに、絶望的な宙吊り感がRideのオマージュを突き破って訴えかける『プール』、シンプルに徹したが故に曲展開のギアチェンジがそのままライブでの爆発力に繋がった、いつの間にか彼らの代表曲のようになった『FADE TO BLACK』、この時期でも最も痛々しい自己嫌悪をまさにそのものなギターリフとともにヘヴィな楽曲に仕上げた『I hate myself』と、全部突き詰められている。最後のEelsのカバーも虚しさばかりが伝わってきて、本作の一貫性の高さには「思い詰めすぎだろ…」と心配になりつつも非常に蠱惑的なところがある。
ベスト盤には『シャーロット』そして『FADE TO BLACK』が収録され、またB面集において『プール』『I hate myself』が回収された。1stフルに収録された『foolish』含めて、6曲中5曲が他作品に収録されているというのは彼らの作品でもこれだけだ。あと、2023年7月現在では1stアルバムがサブスクにないので、代わりにこれを聴きましょう。気に入ったら1stアルバムも買いましょう。
弊ブログでのレビューはこちら。
4. 『SWAN SONG』(disk1)(2003年)
公式にはシングル扱いされてますが、6曲も入ってシングルもないでしょう。そして、11枚あるミニアルバムの中でも最もレアで、かつ大変に素晴らしい。枚数限定販売なのは間違いだったと思われる。
「無垢な虚しさ」の塊のような音と歌をした作品集。次のミニアルバム以降の生活感とセックスに塗れていく情緒とこの作品のそれとは好みが分かれるだろうけども、ともかく無垢な劣等感やら敗北感やら何やらが実にシンプルな構造の楽曲それぞれに過不足なく詰め込まれていて、この作品で完成しこの後このバンドのサウンドの常連となった透明感あるドローンエフェクトも有効に使われた結果、どこまでも視界が広がっていくような全能感とそれらが全て反転したかのような虚しさとが隣り合う、静かにとてつもなく凄まじい作品。この作品も含む流れから出てくる2ndアルバム『LOVE/HATE』は大傑作だけど、何かの純度で言えばこちらの方が上だと言い切れる。
収録曲のうち、このバンドでも最大のリリシズムの咆哮が聴ける『SKIRT』はアルバムに収録され、またベスト盤にタイトル曲、B面集に『LILY』『LOVERS』(あと『SKIRT』とdisk2の『MEMENTO MORI』)が収録されたけど、それでも未だにあと2曲はこのオークションでも高値が付く作品でしか聴けない。しかし、この6曲の並びだからこその静かな強烈さというのが確かにあるので、是非ともどうにかして手に取って欲しい作品。
いちいち曲解説し始めたらこの文章が全く先に進まなくなってしまうので、詳細は以下の弊ブログ記事にて。ミニアルバムながら、バンドの最高傑作候補かもしれない。ボロボロのバンド状況だったはずなのに何故…。
5. 『スカーレット』(2004年)
活動休止後初かつメンバーチェンジ後初の作品ということで、いつもより1曲多い7曲を収録した、またインディーズとなる自主レーベルから枚数限定でリリースされた作品。『LOVE/HATE』期の残り香と新機軸(クランチ疾走ギターロック、スピッツばりのギターポップ、ギターロック式ファンク)がない混ぜになった、過渡期の色が非常によく出た作品。なおこの作品から加入した戸高賢文は2023年7月現在でもバンドに在籍し続けている、今や欠かせないメンバーとなっている。
タイトル曲のクランチ音色なギターでのカッティングはより直感的な格好良さがあり、案外この辺が一番フォロワーが多い部分かもしれない。しかしそれ以上に『クロエ』の「ギターロックバンドが作るファンク」というジャンルの偉大なるマイルストーンになっているかもしれない存在感と、そして歌詞のしょうもないくらいにセックスセックスした虚しさの様が印象的。また『1995』の眩しさに溢れたポップなギターサウンドもこれより後のこのバンドにとても重要なものだったように思える。全体的には泥臭い感じもする作品。
しかしながら、おそらくこの作品と次の作品はそれぞれ単体ではなく、コンピレーション盤『Missing』で併せて聴いた人の方が多いかもしれない。それがあるからなのかこの作品と次作はB面集でも選曲されていない。3rdアルバムに『クロエ』が、ベスト盤にはタイトル曲が収録された。
弊ブログでのレビューは以下にて。なお、この辺から記事の書き直しをしていないため、今回の11枚の中ではこれが一番古いレビューになります。これと次作までの記事は、今のこのブログの前のブログ(確かFC2ブログ)からインポートした記事なのでレイアウトが崩れたりとかで色々見づらいですがご容赦を。
6. 『LOST IN THE AIR』(2005年)
ポストロック的な美意識を取り入れ始めてサウンドや世界観が広がり、一方でどこかどん詰まりのような歌詞世界には他の時期には見られないくらいの身も蓋もない言葉が並んだりもする作品。これも自主レーベル・枚数限定。そして『Missing』に全編収録済み。
冒頭のタイトル曲からしてこれまでと全然異なるテイストが見られ、それはでもキャリア全体を見渡しても特殊な楽曲だったと分かっている。ピアノのリフ、優雅なギターフレーズと機械的な複雑な躍動感のリズム、ブレイクを挟んで一気に変わる曲調など、この曲の異端さと、しかし切実な表現としての美しさは本当に独特のものがある。他にも似たようなリズムを組みつつディレイを巧みに用いて水中っぽさを絶妙に表現した『刺青』は出色の出来で、後のアルバムに再録されるのも頷ける。他にもポップな楽曲あり、疾走を通り越して墜落みたいな曲あり、やはりピアノ軸の壮大なクローザーありと、様々なことに挑戦していて、やはり前作共々泥臭さがあるけども、ここでのトライアルが3rdアルバム『PARADISE LOST』に繋がっていることは疑いようがない。
弊ブログ(の前のブログ)でのレビューはこちら。
7. 『あと10秒で』(2005年)
メジャーレーベルに復帰して最初の作品。いわゆる”第二期アート”は開始早々ミニアルバム3連発という事態になっていてこの次の作品が3rdアルバムと、この頃も創作ペースがかなりのもの。
アルバムで見られるようなファンタジックな幻想性まではいかない、どこか身近さのある繊細さやら柔らかい音やらメロディやらが目立つ楽曲が多く収録された作品集。前作までの泥臭さやゴツゴツした具合は薄れて、この作品ではもっとシューゲイザーだったりニューウェーブだったりな音作りになっている。タイトル曲もシューゲイザー的なところを狙ったサウンド作りで、アッパーなダンスフィールと身も蓋もなさすぎるサビの歌詞もあってライブの定番曲。その後は繊細なギターフレーズが印象的な『汚されたい』『LITTLE HELL IN BOY』、柔らかで寂しげな高揚感が魅力的な『カノン』といった楽曲が収録され、この3曲は後の3rdアルバム収録曲と意外とタイプの異なる楽曲でもあるため、アルバム前の先行シングル的な作品でもあるはずなのに、全然別物として聴けてしまう面白さがある。レコーディングがアルバムと全然別だったからだろうか。
ベスト盤にタイトル曲が、B面集には『LITTLE HELL IN BOY』『カノン』が収録。
弊ブログのレビューはこちら。この作品のレビューの頃にはもう弊ブログが今のブログだったのか…なので弄りやすかったので、レイアウト等を今のスタイルに微調整。それにしても文章量が少ない…今の弊ブログは文章量が膨張しすぎてる。
8. 『左ききのキキ』(2007年)
なんやその妙なタイトルは〜って感じもあるけども、4thアルバム『Flora』と同じ年のうちに出されたミニアルバム。『Flora』の時期はミニアルバムのリリースがなかったのでミニアルバムとしては間が空く。“グランジ回帰”を掲げつつも、しかしシューゲイザーをよりゴスくした曲があったり、所謂“Bloc Party路線”な楽曲が初登場したりと、ミニアルバムの中でも屈指の過渡期感に満ちた作品。肝心の“グランジ回帰”も、本当に初期アートっぽい楽曲はタイトル曲のみという。地味にカオス度の高い作品。
冒頭『SHEILA』からして“グランジ回帰…?”という感じの、もしかしたらLUNA SEAとかが近いのかもと思える重戦車的なゴスさを有した楽曲。タイトル曲はまさに初期アート復刻の感がある楽曲だけど、でもこのタイプの曲はマジでこれが2023年7月現在では最後。『MISS WORLD』を洗練させたようなその手際は的確かつ見事。でもその次の『Ghost of a beautiful view』は『Flora』で得たシューゲイズの感覚をよりゴスな具合に落とし込んだ楽曲だし、戸高曲の『Candles』はなんかまんま『Smells Like Teen Spirit』だし、『real love / slow down』はタイトルはSmashing Pumpkinsなのにサウンドは実にBloc Partyだし、しかもこの曲が最もアクティブでかつ快楽主義的な爽快感があって出来がいいし。最終曲『雨の日の為に』はなかなかに取って付けたような存在感。
本当に次の手に困ってたんだろうな。結局『real love / slow down』的な快楽主義路線が次作及び次のアルバムまでの主軸になる。
ベスト盤には本作から収録されず、B面集には『Ghost of a beautifl view』が収録。
弊ブログのレビューはこちら。
9. 『ILLMATIC BABY』(2008年)
突如ニューレイヴがどうのと言い出し、しかしそういうのはタイトル曲のみで、あとはBloc Party路線大躍進と、唐突に大団円なバラッドとか、あと打ち込みと同期したエレポップだとか、Bloc Partyを通り越してもっとポストパンクにのめり込んだ曲だとかが収録された、こちらもなかなかにカオスな作品。ベクトルは様々でありつつも、ギリギリ“ニューウェーブ”の一言の元に纏りがあると言えなくもない。この時期からポストパンクバンドと急に自称し始めた気がする。ますます前作のグランジ回帰とは何だったのか。そして櫻井雄一がドラムを務めた最後の作品でもある。
その櫻井氏が脱退するきっかけになったタイトル曲はまさにこの次に来る5thアルバム『14SOULS』の主軸でもある快楽主義路線真っ只中の楽曲。ニューレイヴというジャンル位自体がそんな感じだからむべなるかな。しかし、快楽主義路線の曲はもうこれで打ち止めで、Bloc Party路線の2曲はもっとシリアスなトーン。特に『夜の子供たち』のギターの躍動感はこのバンドのBloc Party路線の中央値的なところを感じる。本当に唐突に大団円的な高揚感あるサビが現れる『君はいま光の中に』は、まあ、こういういい曲が出来たから収録したんだろうなあ、という感じ。『14SOULS』への収録も考えられたが見送られて、結果『14SOULS』が13曲入りになったというオチまで付く。何気に重要かなと思うのが『エミール』における打ち込みとの同機で、これは2枚先の次のミニアルバムにおいては中心的なテーマになる。あとはヤケクソなまでにポストパンク的な機械感で打ち込む『INSIDE OF YOU』。
弊ブログでのレビューはこちら。コリラジャケはこのバンドの歴史でも異端も異端。なんでゴリラだったんだろう…。
10. 『Anesthesia』(2010年)
「どこに行ったらいいか分からない」という茫然とした感覚をテーマに、打ち込みサウンドとの同機やシンセを積極的に利用しながら、どこか機械的な質感のサウンドで薄暗い世界観を作り上げた、彼らのミニアルバムでも特にコンセプチュアルな作品。木下ソロ的な感覚で作ったともされていて、かつ鈴木浩之がドラムを担当した2作目にして最後の作品。最後にドラムを担当した作品がこんなに機械的で静かな作品とは。普段より1曲多い7曲で構成される。タイトルは「麻酔」の意。
冒頭の『ecole』からしてバンド以外のサウンドが様々に入ってくる。この曲も別に明るくはないけど、でも本作で一番明るいのがこの曲な時点で、本作の暗さは決定づけられてしまっている。Bloc Party路線なタイトル曲の存在感はそんなにないが、続く『into the void』はニューゲイザー的な方法論に挑んだ意欲作で、レイヤー的に引き伸ばされたギターサウンドなど様々に興味深い。『Lost again』もシーケンサーの打ち込みリズムと同期し、特に生ドラムが入ってくるところの躍動感に説得力がある楽曲。終盤に収録された『Siva』は本作らしからぬ、Smashing pumpkins魂がタイトルにもサウンドにも爆発したワイルドなオルタナロックで、鈴木浩之がこのバンドで叩いたドラムでも最もワイルドなものだろう。そして最終曲『Loved』のひたすら虚しく美しい、幻想的なのにまるで救いようのないサウンドが本作のコンセプチュアルさにとどめを刺す。バンド結成10周年の記念の年の作品の最後が「いったい此処は何処なんだ」という歌詞の曲で締められるのはそれこそいったいどういうことなんだ。
ポニーキャニオンに所属していた頃のこのバンドの作品の中で何故か本作のみサブスクにない。というか何処かの時点でサブスクから消えた。いったい何故…?『14SOULS』はあるのにこれがないから、本当に全然分からん。
弊ブログレビューは以下のとおり。
11. 『The Alchemist』(2013年)
そしてようやくこの記事でメインに取り扱う「本作」の登場となる。
本編:全曲レビュー
今回本当にこっちが本編なのかあ?
なお、前作『BABY ACID BABY』みたいに全部英語タイトルではなく日本語やカタカナが帰ってきてリアルタイムで何か少しホッとした覚えがあります。
1. Helpless(5:38)
イントロが聴こえてきた時点で前作以上に「あれっこれ誰の作品だ…?」という感覚に陥る。Primal Screamを参考にした(『Xtrmntr』辺りか)とされるゴリゴリのロックサウンドにダブが混じった感覚の中で、歌ではなく演奏のうねりやエフェクトの過剰さからじっくりとサイケデリア・覚醒感を引き出そうと試みる、サックスまで入ってまるでジャムセッションじみた楽曲。この時期の彼らは平気で問題作を1曲目に投げ込んでくる。
イントロからして、重々しいドラムとギターのディレイか何かによるまるで羽音のようなエフェクトが聴こえてきて、ベースも不穏で攻撃的なリフを反復し、とりあえずこの時点でこの曲が普通にポップな曲ではないなと分かる程度に厳つい。歌が始まってもどこか投げやりなような、短くラフなフレーズを連発し続ける。この曲はサビ的な箇所の終始のフレーズ以外は歌は延々とこのラインを繰り返し続け、ブルース進行じみてキーごと上昇したり、サビ的な箇所では同じメロディのまま背後のコードが変化していったりという展開の仕方をする。展開の仕方や非メロディなつくり、ART-SCHOOL流ブルース侵攻的な側面を思うに、意外と前作の『INA-TAI(BREATHLESS)』との共通点が多く、あれの発展系かもしれない。セッション的な作りでもあるし。
2回目のサビ的な箇所を越えるとサックスの音も入ってきて、楽曲は混沌の感じを次第に増していく。この時点で3分半に近いところまで来ているが、あとはひたすら同じコード、同じベースループの上を楽曲の最後まで延々と繰り返し続ける。この箇所こそこの曲で目指したかった「混沌から生じる覚醒感」を体現した箇所だろう。木下の歌うタイトルコールはさまざまなエフェクトや重ね方をされてサイケデリックに曲中を巡り続ける。この辺の、どこにも行かずに延々と螺旋状に上昇か下降かその両方かを繰り返し続けるかのような有様はむしろRadiohead『The National Anthem』っぽくもあるかもしれない。本作では例外的にかなりダビング込みでスタジオで音を弄り倒されていて、次第にエコーの残響は過激さを増していき、カオスの頂点を極めてから割とすぐに呆気なく演奏が終わってしまう。やはりこういう混沌とした曲はバッサリと呆気なく終わらせた方が自棄っぱちさが強調されて格好いい。
この曲に歌詞の良さを求めるのは流石に違ってて、この曲において言葉は音の響きと、ドラッギーさとセックスの感じがいい具合に巡るようにのみ用いられている。
本作のツアーで演奏された際、地方公演では流石にサックスを帯同できなくて、4人メンバーで演奏したものを観たと思う。終盤のエフェクト処理はどうしていたか。とはいえ次作冒頭曲の地方公演時の“ラップ抜きバージョン”ほどの変貌っぷりはなかった気がする。
2. フローズン ガール(4:46)
1曲目の狂乱っぷりは何だったんだ…?と思うくらいに一気にムードが切り替わる。軽快でフォーキーな割に、やたら低めなボーカルや徹底的にコーラスが効いた冷涼なギターサウンドなどによって、いい具合にファニーな屈託を宿したポップソング。特に、楽曲自体のポップさに対して歌が妙にボソボソしているところに独特の面白みがあって、メロディが跳ね上がるサビにさえそのような箇所が含まれるからこれは狙ったものだろう。『SWAN SONG』以降のこのバンドのポップセンスを改めて整理し結晶化したようでもある。リードトラックとなるのも納得。
有志の解析によると、この曲の元ネタ、コード感やベースの動きなんかはThe Pains Of Being Pure At Heart『My Terrible Friend』だとされている。確かに、オーソドックスなコード進行ながらそのコードの感覚やシンコペーション等のタイミングが一致する。
一方で、ギターの音色を徹底的にコーラス漬けにして、明るい響きのコード感なのにえらく冷たい質感のギターサウンドにしたのはこのバンドらしい手腕で、本当にThe Cure大好きなんだなあ大好きすぎて本歌取りさえしちゃってるなあ、という印象*4。この冷たい質感でこの曲タイトルだから、しっかり一貫したものがある。イントロからして、シンプルなアルペジオフレーズとコーラスによって独特のキンキンした響きになったカッティングだけで、実に雰囲気を作れている。
歌が始まっても、えらく隙間を多く取った、しかも音程もずいぶん低いAメロの旋律には、大変ポップでポジティブなコード進行からしたらウソみたいな消極性・虚しさみたいなのが妙にファニーな形で立ち上ってくる。このいい具合のネガティブさに対してはこの時期特有の枯れた声すらむしろいい方に作用してるんじゃないかとさえ思う。その歌に合わせて僅かなノイジーさのみ残して引っ込むギターや、そこからまた段々と煌めきを追加していく手際は職人技と言っていい。イントロやAメロに限らず、この曲のシンプルを極めつつ色付けも的確なバッキングは何気にこのバンドのポップアレンジの中でもひとつの完成形かもしれない。
同じフレーズを繰り返し甘い焦燥感を滲ませるBメロを挟んでサビだけど、メロディ自体はkilling Boy『You and Me, Pills』からの流用っぽい、高い音を平坦に並べたメロディだけど、こちらは発展形だからか、その高いメロディに対してすぐに元のAメロみたいなボソボソしたメロディが入ってくるのが面白い。まるで高い声を出してヤケクソ気味に元気っぽくしようとしてもすぐに地の根暗さが出てしまった、みたいなこのサビは木下理樹という人間のキャラクター性のデフォルメのようでもある。なお、サビのオブリガードで入ってくるギターもイントロから微妙に変化をつけた冷涼な爽快感のあるフレーズで、そこからイントロのフレーズに戻るところの自然さも含め、さりげなくも実に理想的な伴奏。
最後のサビが終わってキラキラした間奏のままスッと終わるかと思うと、最後にもう一度Bメロを繰り返して終わる。この展開の程よい裏切り方と、その歌詞も相まった切なげな余韻は技巧的でもあって面白い。
歌詞の方は、これより後でより明確に歌詞の軸のひとつになっていく「過ぎ去った日々の思い出に縋り付く」路線の曲で、別にそういうのはこれより前にもいくらでもあったけど、この曲から始まるそのようなノスタルジック路線はより具体的でより“おじさんの独りよがり”的な情けなさ・露悪要素が入ってくる。とはいえこの曲ではサビの締めのフレーズが「カーペットで僕に跨がった」と露骨にセックスなのが、綺麗な楽曲の中でアホみたいなアクセントになってる。
瓶の底で微かに光った 光に触ろうとして伸ばした
指先は何も触れなかった 野良猫がそんな二人を笑った
この辺の歌詞は初期の「触れなかった」な世界観に通じるファンタジックさがあるようでいて、でもどこかどうにもならない停滞感のある暮らしも思わせるようなところも兼ね備えている。さすが長年光に関しての歌を色々と作り続けてきただけのことはある。
3. The night is young(2:50)
ダークなコード感を保ちつつも割と静か目で上品なトーンのまま、優雅さと神経質さが程よく絡んだ形でしなやかに躍動し疾走する様がこのバンドの歴史上でも何気にかなり例外的な存在である楽曲。おそらく「地味な曲」と多くの人に思われてると思うけど、これこそまさに「隠れた名曲」と呼びたくなるタイプの曲だと思う。尺が3分に満たないことも「隠れた名曲」っぽさの演出になっている。
イントロから聴こえてくるメインフレーズの、シャープな音色をしたギターの光のようなメインリフがこの曲全体のムードを決定付けている。歪んだギターのコード等で濁らせることなく、透き通ったトーンが無音の闇を貫くような響き方はこのバンドの全楽曲の中でも独特なものがある。有志の指摘によるとWild Nothings『Golden Haze』との類似が挙げられているけども、ドリーミーでノスタルジックな響きの元ネタと比べるとこちらはもう少し現実的な醒め方があって、Aメロでのドラムの機械的な高速駆動も踏まえると、前作で一時的に消滅した“Bloc Party路線”的な雰囲気が少し滲む*5。
Aメロに入って目立つのは、静かで繊細な弦楽器の動きと対照的な、段々と慌ただしい機動の仕方を繰り出していくドラム。イントロではシンプルに大味に疾走感を引き出していたものが、Aメロに入って次第に、まるで脈拍が乱れて暴れ始めるかのような躍動の仕方はどこか落ち着いたメロディの存在以上に歌っているようなところがある。冒頭からずっと鳴り続けているシェイカーも相まって、このパートの静けさの割にリズムの乱れ飛ぶ様は対比的で面白い。
サビに入るとシェイカーの振りはそのままにリズムがそれに並走した8ビートに移り、そしてUCARY & THE VALENTINEのコーラスを伴ったボーカルのシンプルなラインが優雅に滑っていく。ギターのラインもボーカルに並走しボーカルの延長線上でラインを結ぶような華麗さを見せ、無音の闇が広がる中で怪しく明滅してみせる。ちなみにこの曲のサビメロディはその歌詞ごと後に『Ghost Town Music』で流用される。
2回目のサビが終わると早速最終パートに入り、新しいギターの反復フレーズが煌びやかに鳴る中で、さっきまでのサビフレーズをより高音で歌い上げていて、シンプルなフレーズに対して思いの外曲構成が凝ってる。と同時に、間奏もなしに直接この最終パートに繋いだことで曲の尺が短くなることにも貢献している。シンプルなフレーズをコード進行や伴奏を大きく変えて印象を変えてくるのは前作『Chelsea Says』から続く手法。
サビがワンフレーズなため歌詞は少ない。2回分のAメロしか歌詞のある箇所が無いから仕方がない。「自分の心臓を飲み込んでくれ」と複数回歌われるけど、どういうイメージなんだろう。こういう歌詞はこの時期しばしば見られる。そして、少なくない人に地味と思われるであろうこの曲の歌詞として本作のタイトル「アルケミスト達」はひっそりと登場する。このバンド全作品の中でも作品タイトルの曲中での登場の仕方がかなり地味*6。
ところでタイトルは「夜はまだこれから」みたいな割とアッパー気味な意味になるけれども、歌詞では「夜は短くって とても怖いから」と、割と逆のニュアンスを感じさせる。タイトルと歌詞の関係性がふわっとしてることとか、別に今に始まったことでもないけども。
4. Dead 1970(3:04)
Killing Boy『Confusion』くらいから始まったハードコア路線の一つの到達点とでも言うべき、ただひたすら脇目も振らず突進するような直線的な勢いとヤケクソなテンションで駆け抜けて叩きつけていく楽曲。冒頭曲の横ノリの感覚と真逆の、愚直なまでの直進性を持つ。
冒頭からバンド一丸となって突進。歪んだギターのパワーコード、地を這うベース、性急なペースでシンバルを連打するドラムなど、トリッキーさの欠片もなしに突撃していく。抜けの悪いコード進行もまた無理矢理に押し通す感じが出ている。喚き倒すように歌うボーカルはメロディ性はかなり薄いけど、しかしこういう曲だと逆に声の状態の悪さがかえって有効に働き、枯れた声がこの曲のヤケクソ感に一役買っている。
Bメロ的な箇所で断続的にブレイクしながら元のメロディを繰り返し続けるも、サビでしっかりとメランコリックなメロディをシャウト気味とはいえ付けるところはなんだかんだでART-SCHOOL。演奏のノリ的にはサビがとりわけヤケクソ感が強く、特にドラムが頭打ちになる際はいかにもハードコア的な雰囲気が俄かに立ち込める。
最初のサビが終わって以降は変化を付けてきて、AメロでもBメロと同じ断続的なブレイクを挟み込み、このパートが終わると早々にいつもの全体ブレイクをしてしまう。怪しげなアルペジオのフレーズもまたこのバンドの普段の感じが滲むけれど、すぐにまたハードコアモードにBメロから突入し、2回目にして最後のサビにそのまま雪崩れ込む。最終的には実にヤケクソ気味に激しい頭打ちビートの中で元のAメロを絶唱し始める。最後のシャウトの、悪い状態の喉を無理矢理絞り出したシャウトは彼なりのハードコア表現の頂点だろうか。
獰猛な勢いの曲だけど、最も激しくも絶望的なテンションのサビで歌われる内容がイノセントの喪失についてなのはやはりこのバンドらしさ。
5. 光の無い部屋(3:38)
『Flora』の頃のマイナー調の可憐なメロディをもう一度取り上げて、より少ない音数とメリハリを効かせた曲構成でサクッと纏めた感のある楽曲。割と大曲っぽい雰囲気があるのに4分以内に収まるどころか3分半程度で終わるところに楽曲構成力の高さが感じられる。この尺でありながら唐突な始まり方も終わり方もせず、展開が不足していて物足りないという感じもしない。代わりにか、ダビング少なそうな本作の中でも割とダビングが多い曲でもある。
イントロのコーラスの効いたギターのコードカッティングと可憐なフレーズ、という組み合わせは『フローズン ガール』と変わらないけど、これがマイナー調になると途端に『Flora』の時期っぽい、少し湿っぽいようなダークさがすぐに湧き出てくる。リズムギターはおそらくまたワンコードを延々と弾き、リードギターのフレーズはかなりシンプルで最小限という感じがする。そんなシンプルさにベースでコードを付ける、つまり実にいつものART-SCHOOL的なコード感の作り方だけど、薄らアコギも入りつつ、メインの4つの楽器のみでダビング感なく音響を作ろうとしているのは本作的。Aメロが入ってもリズムギターはこのシンプルなフレーズを反復させ続ける。
この曲のメロディはまさに『Flora』の時期と共通する、どこか冷たげなマイナー調のそれをしている。声の状態が良くないのが惜しまれるけども、そのメロディ自体には独特の艶やかさがある。サビ的な箇所のメロディはどこか盛り上がり方に中途半端さがあると感じられるかもしれないが、それは終盤の伏線になっている。
2分も経たないうちに2回目のサビ的な箇所を通過し、この曲はここからが本番となる。新しいメロディが現れ、Ⅲ→Ⅳ→Ⅴ→Ⅵとジリジリ上昇するコードに合わせて沸々とした情念を滲ませるそれは、小節の尺を使い切る前に次の小節・次のサイクルに突入していく。この短いサイクルの繰り返しで、ボロボロの声を振り絞って、虚しげな歌詞を高らかに歌う姿は、その焦燥の積もり方が実にART-SCHOOL然としている。歌は元のサビ的なものに戻らず、そのまま歌い終わるとギターが高い音を機械的に反復させ続け、そこにはどこか儚げな激しさが疾走する宙吊り状態が生じている。
タイトルからも察されるとおり、この曲の歌詞は閉塞感について、もうどうにもなりようのないかつての何らかの願いについての歌になっている。終盤の繰り返しの切実さがこの歌詞をより切迫感をもって響かせている。
カナリア達は 今も叫び続ける それは 悲鳴の様な 祈り
聴こえているかい? 今も 飛びたかったと いつも
小さなカゴの中で 飛びたかったと いつも
飛びたかったと 飛びたかったと 飛びたかったと
6. Heart Beat(3:57)
本作の音数を絞った上で立体的に見せようとするサウンド構成が特に感じられる、ディレイを効かせたギターをあくまでも主軸にして展開される、程よい緊張感と破綻感が封入された楽曲。まさにディレイありき、という、ここまでエフェクトありきで演奏されるこのバンドの楽曲も他になさそう。むしろソングライティングのレベルからディレイありきだったのでは、というかセッションで作ったのでは、とさえ思ったり。
イントロから、カッティングをすぐにミュートしてディレイエコーを飛ばすギタープレイが聴こえてくる。これこそこの曲の演奏の主軸で、この曲はサビ以外基本このサウンドにリズム隊が盛り上がりにコントラストを付けることによって展開を作っている感じがある。冒頭は抑制された形で展開され、ボーカルもそこに入ってくる。ボーカルもまたエコーが深く、この曲が音の反響する感じを楽しむ曲なんだと伝えてくる。2回目のAメロではU2よろしくな付点ディレイも効かせてくる辺り、本当にこの曲はエコーに全振りな勝負の掛け方をしている。
サビにおいてはギターのパターンが変わり、コード弾きではなく細いワイヤーじみたラインを細かくディレイで神経質に反響させるようになる。ハットの連打の中に少しずつスネアやタムのフィルを入れ込んでいくドラムがじわじわと盛り上がりをつけつつも、メロディも抜けきらないラインを描いていく。この曲はサビの最後の叫ぶ様なフレーズこそを抜けとしている。そのシャウトがまた、声の状態の悪さを逆手に取ったかの様な、汚く情けない潰れ方をした叫びで、とりわけエコーによって強調されるため非常に目立つ。危うさの中にこの時期特有のボロボロな退廃感も宿っている。
2回目および最後のサビ後に展開されるパートこそがこの曲の盛り上がりの頂点で、そこでは例のボロボロなシャウトとギターのコードカッティングのエコーが響く中をドラムがともかくバタバタと様々なフィルを入れ込んでくる光景で、ギターもアタックを連発していく中、ベースだけが冷静に楽曲の手綱を握り続ける。ディレイの発振も含まれるであろうノイズさえ飛び交い、この曲のディレイ尽くしに止めを刺す。
歌詞は相変わらずの焦燥感に満ちた世界観だけど、サビのオチである「Clash & Burn」のフレーズにはデッドエンドな結末の映画のラストシーンじみた、破滅的な感覚が見られる。これより後の作品ではこういう破滅的な場面は相当に限定されるので、そういう意味ではこの曲はこのバンドの何かそういう部分の、ひっそりと最終章じみたところがあったかもしれない。
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おわりに
以上、全6曲で約24分のミニアルバムのレビューでした。全体の4割近くが各ミニアルバム短評のような気もしますが。
正直、いつもの声に戻った『YOU』より前の本作と前作は、その声の悪さやらART-SCHOOLの王道的な部分から外れた作風やらで、ファンの間であまり評価されてない、なんなら結構無視されてたり下手すると黒歴史扱いさえ受けていないかと心配になるところがあります。
個人的には本作で「ボロボロなボーカルのフォロー」と「音数少なく隙間の多いサウンド」を両立するために奮闘したギターサウンドについては、そのシンプルさゆえに地味な存在になるのは分かるけども、でも相当に味わい深いものだと思います。積極的にカッティングやらをガチャガチャやってた前作とはまるで正反対のようでもあるけども、しかしどちらも戸高賢文というギタリストの両輪のような部分なので、それらがアグレッシブなリズム隊と出会ったサウンドの妙は、間違いなく本作にもあります。また木下理樹のソングライティング的にも、Bメロで曲を終わらせたり、同じメロディを別のコード進行に乗せて大サビ的に派生させたり、終盤に切迫あかん溢れる新メロディの大サビを配置したりなど、様々な試行錯誤が見られ、そしてこれらの工夫はどれも成功していると言っていいと思います。
まあ作品として「これ」とはっきり言える路線は見えづらいし、上述の優れた仕掛けも地味と言われればまあそうだし、このバンドの輝かしいキャリアの中で特別目立つ作品ではないことは否定できないかもしれません。でも決してつまらない作品ではないということは主張したいところで、特に「『The night is young』とか地味すぎて何が良いか分からん」ってことをいう人には反論のひとつやふたつもしたくなるところ。なんなら今年の新譜『luminous』にはこういうタイプのダークでシャープな楽曲こそをもう1曲くらい欲しかった気さえします。
前作共々、このブヨブヨに膨張し切った文章が万に一つ本作収録曲がより多く聴かれることに役立ったりすることがあれば本当に幸いです。
それではまた。
*1:当時のネット上では“ゲボ声”と呼ばれてた。
*2:声の状態によって引き続き声にも深いエコーをかける必要がある→だったらそれも計算に入れた上で作曲・ミックスしよう、という流れで今回のエンジニアに至ったのではないか、という気もしたり。よく言えば状態の悪さを逆手に取ってるというか。
*3:案外『Slanted and Enchant』の音は鋭さがある。
*4:この曲に関してはPVにおいても木下がRobert Smithの描いてあるシャツを着てることから、The Cureっぽいのは完全に故意犯。
*5:なおこの路線は次作で割と復活し、『Promised Land』というライブでよく演奏される楽曲に結実する。
*6:まあ中には作品タイトルが曲タイトルや曲中に全然出てこない作品も結構あるけども。