ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『SWAN SONG』ART-SCHOOL(2003年7月)【リマスター記事】

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 ART-SCHOOLの全作品レビューのとりあえず『LOVE / HATE』まで書き直しを目指すレビュー記事の、これで9個目になります。すでに崩壊が約束されつつも何故か楽曲はやたら沢山生まれ出して、しかも見事な諦観の美を獲得してしまう、彼らの危うい魅力がもしかしたら一番奇跡的に素晴らしく表現されているかもしれない作品群です。

 6曲入りのDISK1と3曲入りのDISK2でリリースされ、重複を除くと7曲の(当時の)新曲がこの2枚に含まれていました。現在は廃盤。後のアルバム『LOVE / HATE』にはここから1曲のみ収録され、その後ベスト盤『Ghosts & Angels』に表題曲が、さらにかなり経って、ファン投票を軸としたB面曲コンピ『Cemetery Gates』には最多の4曲が収録されています*1

 前作となる、シングル『EVIL』についてのレビューは以下の記事になります。このシングルから後のアルバムまでに至る、いわゆる“LOVE / HATE期”とでも呼べそうな、一貫性のある時期になっています。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

前書き

CD概要

 本作はレコード会社側からの仕掛け*2で「DISK1」と「DISK2」の2パターンに分かれて、1万枚限定生産の形でリリースされました。「DISK1」は6曲入りで、実質ミニアルバムな状態ですが一応シングル扱いのようです。「DISK2」は「DISK1」のうちの表題曲含む2曲とあともう1曲の3曲入り。

 DISK1の方のジャケットは抽象的なものになっていて、少なくともブックレットからは、これまでの作品でイラストを描いていた大山純の関与は確認できません。この辺はよくわかりません。メンバーの写真等も無くて、そういう寂しい具合からもこの作品の虚無的な雰囲気がどことなく表現されているような気がします。

 これらの楽曲から、唯一『SKIRT』のみ後のアルバム『LOVE / HATE』に収録されます*3。バンドが後にレコード会社を移籍したこともあり、2000年代後期には早速プレミアが付く作品となり、楽曲が優れていること、そして独特の暗さによりこの時期の楽曲のコアなファンが多くできたことにより、長いこと再販が願われてきましたが、これは上記にもあるように、ベスト盤とB面集に本作からの曲が5曲収録されたことで、幾らかはマシになった状況です。現在、DISK1の方を入手しないと聴けないのは『DRY』『OUT OF THE BLUE』の2曲のみ。とはいえ、この2曲もかなりいい曲なので、やっぱり結局ファンは何らかの方法で入手したほうがいい作品だと思います。現在CDを入手しないと原則聴けない音源の中では一番買い。DISK2の方の収録曲は全てベスト盤とコンピで回収可能。

 

 

バンドの状況、及び日向秀和というメンバーのこと

 この作品をレコーディングする頃にはもうすでに、バンドは壊滅的な状況だったようです。MARQUEE誌の木下理樹全曲インタビューを引用すると、

 

このレコーディングしてるときは「あ、もうこの先はないな」と思ってたから(中略)(レコーディングがどんな感じだったか聞かれて)スタジオ来て黙々とやって帰る…みたいな。会話がないんです。時々ベースの奴と俺が話すぐらいで。キツかったですよね。

 

コミュニケーションが殆ど無い…。ただ、当時の破綻済みの状況でも、木下理樹日向秀和の2名がギリギリ話をして、アレンジの方向性等について言葉を交わしてたおかげで、こんな状態でも沢山の名曲が生まれ出たんだろうな、キッチリと、美しくアレンジされて世に出ることができたんだろうな、とも思います。勿論、当時の木下の創作能力が絶頂期にあったこともあるし、ずっと録音をトリプルサウンドスタジオで続けてきたことによるエンジニア側の連携等も大きいと思われますけども。この二人の関係性は、後にミニアルバム2枚出したバンドユニットKilling Boyの際のインタビュー記事なんかも、幾らか参考になる気がします。

 

natalie.mu

特に、どちらかといえばR&Bやヒップホップしか聴いてこなかったという日向が、木下と出会ってWeezerNirvana等でロックを知って、その流れからここにおいて日本随一のオルタナ/エモ/(ちょっとばかり)スロウコアな音像作りに携わっているというのは、なんだか不思議な流れを感じます。

 なお、この作品がリリースされた2003年7月に、日向は初めて、当時2人編成だったストレイテナーと最初に音合わせをしていたそうです。彼の活動の代表的なバンドはやっぱりストレイテナーということになるでしょうけど、その活動はこの時期から。

hina-matsuri.com

どうやらこの頃には既にZAZEN BOYSのベースとしての活動も始まっており、2003年8月には最初のZAZEN BOYSのライブが行われています。そして、確かこの時期かそのもっと前には、日向秀和大山純ART-SCHOOLの脱退の予定が決まっていたんだったような気がします。激動の感じ。

 

 

楽曲の特徴・傾向

 全体的な曲調としては、前作『EVIL』で見せた直球のグランジ観は一部楽曲の要素のみに留まり、ここではむしろ、ニューウェーブ直系の透明感あるサウンドオルタナティブロックにどう落とし込むかについて、非常に優れたトライアルが散見されます。具体的な名前を挙げるなら、The Cureは直接的な引用も含め影響大だと思われますが、仮にそのThe Cureサウンドを、どうやってオルタナティブロック以降の骨太のリズム隊に融合させるか、という取り組みがひとつの結実を見たのが今作だ、とも言える気がします。言い方を変えるならば、下北沢ギターロック界隈が生み出したSunny Day Real Estate『The Rising Tide』みたいな作品、というか。これは後のアルバムの方が相応しいかもしれませんが。

 荒涼感の演出として、パッドシンセか何かによるドローン的なSEの手法と、ギターだけならワンコードな中をベースの動きでコード進行を形作る手法が今作では多用されます。この二つはこの後もART-SCHOOLサウンドの重要な要素ですが、とりわけ際立っているのはこの作品かもしれません。

 木下理樹の詩情は『EVIL』の頃よりもずっとネガティブに寄り、むしろもしかしたら今作こそがART-SCHOOLで一番暗い作品では、と思えるほど、虚無感が渦巻いています。それは当時の苦しい状況から出てきた言葉でもあるんでしょうけど、その苦しい状況をどう詩的な表現に昇華するかについて、ノスタルジーと混同さることをはじめとして、様々な手管がここで尽くされています。その分情景描写や人間関係の描写はカットされ、カットアップも殆どなくなり、ひたすら木下個人の当時抱いていたんであろう「ぼんやりした虚無」が全体を貫いていきます

 そしてメロディも、1stアルバム『Requiem For Innocence』の頃のメジャーとマイナーの割とはっきりした感じから進んで、明るいんだか暗いんだか分からないような、感情ごと宙吊りになるような曖昧なコード感が透徹されています。この時期の楽曲を耳コピした人のタブ譜を見ると、そんなシンプルな抑え方でこのコードの感じを出しているのか、という、その発想の面白さに色々感心します。そういう、暗くも明るくもない、ただひたすら虚しいコード感の曲が続くからこそ、(DISK1の方の)最後の最後ではっきりとメジャー調な表題曲の輝きが増すんだな、と思います。

 上記MARQUEE誌のインタビューにおいて、木下理樹本人は「自分が今まで作った中で一番好きな作品かも」と評しています。

 

 

本編

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(DISK1)

1. LILY(4:24)

www.youtube.com

 虚無感そのものを音にしたような、疲れ切ったような、崩れ去ってしまいそうな、そんな情緒の中で辛うじてグランジしてみせるミドルテンポの楽曲。今作特有のダークさを象徴する、空虚さを叫ぶタイプの楽曲。その叫びも、直接的な炸裂感よりももっと内向的な、吐き捨てるような感触なのが特徴。

 まず、“LOVE / HATE期”によって密かにバンドのシグネイチャーサウンドになった感じのあるパッド系シンセか何かのドローン的挿入がある。この、薄く広がる光のようなサウンドを背景にしてこの時期の彼らの楽曲はしばしば展開される。これがあるのと無いのとでは、どの曲もかなり印象が変わるだろう。不思議なことに、こういう音が入ったほうが入らない時よりも、アンサンブルの隙間の「無音」がより広がりを持つような感じがする

 サビのグランジ展開以外の演奏はまさに「死に体をどうにか引き摺ってる」風なサウンドに仕上がっている。一番“死に体”の空気を放っているのはギターで、コード感についてはSwirliesというマサチューセッツのインディロックバンドの『Vigilant Always』という曲からの影響が指摘されつつも、そこでThe Cure的な単音リフを展開させ、サイクル終わりのアルペジオ共々、無力感に苛まれるようなやるせなさを的確に表現してみせる。“死に体”を引き摺る一番力強い動きはベースで、この消極的な空気が広がっていく演奏にミスマッチなくらい太く力強い音をしていて、でもそのミスマッチさが、この曲をサビまで半ば無理矢理にドライブさせていく。ボトムの動きで静寂さを形作るドラムも、冷たいアタック感を醸し出すアコギも的確にデザインされ、見事な“死に体”のグルーヴがここに生まれている。木下理樹の歌も吹けば飛びそうな、溜息の代わりの言葉のように響く。いつものように強調されたブレスが、とりわけ溜息めいて聞こえる。

 サビのグランジ的展開も、パワーコードをいちいちミュートする演奏スタイルが、やはり演奏の奥の“無音”を強調する仕組みになっていて、“死に体”セクションの雰囲気を打ち破るには至らないようきっちりと調整されている。その上で、左右のチャンネルに、ザラザラさよりも弾力感を重視した音色の歪んだギターが展開されるのは、破壊力よりもむしろ歌詞にあるような這いつくばるような重力感を覚える。木下理樹のボーカルは吐き捨てるようなシャウトじみて、終わりのない内省をそのまま叫びに仮託しているかのよう。

 この曲の一番美しく壮絶なのは、2回目以降のサビの後の“死に体”パートのギター演奏がエッジィなものに変化して、そこに木下のファルセットが重なっていくところだろう。この時期の木下のファルセットは本当に、空虚さの淵の色気みたいなものに満ちていて、「Yeah wo-wo」みたいな珍妙なはずのフレーズも実に、それしかあり得ないような情緒でサウンドに溶けて消えていく。

 最後にAメロに戻ってポロッと終わってみせるのも、そんな美しい壮絶さの中で終わらせるのではなく、もっとどうしようもない、やるせない形で曲を終わらせようとする意思が感じられる。この時期の木下理樹は虚無の美を表現することにいちいち的確な曲構成を繰り出してくる。何に突き動かされていたんだろう。

 歌詞の方も、もう太宰や中也や映画的情景のカットアップに戯れる余裕は無いようで、ひたすら虚無的な、だけど完全に虚無にもなれないような、苦しい心情が歌われていく。

 

声にもならない 悲しくも無い

ただこの穴から抜け出せず

いっそ目を閉じて 何も見ずに

はいつくばって ただ願うんです

 

グッバイ・ラバーズ 永遠に置き去りにしたのさ

グッバイ・ラバーズ いつまでも不思議だと思った

グッバイ・ラバーズ 指さえも触れもしなかった

グッバイ・ラバーズ 生まれてこない方が良かったなんて言って

 

生まれてこない方が良かった」というのは強すぎる言葉で、なかなかファッションで使うべきでない言葉だと思うけれど、この時期の彼はこう歌わないとやってられないくらいには追い詰められていたんだろうな、と感じさせる。

 自分はリアルタイムでは無く、もっと後の時期に本格的にART-SCHOOLを聴き始めた人間で、なのでこの時期の楽曲も「こんなこと言いながらもその後もバンドが続いていく」ことをはじめから分かった上で聴いてたけど、リアルタイムで聴いてた人は一体どんな気持ちでこの曲とかを聴いてたのかな、とふと思った。

 

 

2. DRY(4:13)

 今のところこの音源でしか聴けない楽曲のうちのひとつ。変則的なドラムパターンと透明感を出すための割り切ったギター演奏の感じから、どこかポストロック的な雰囲気をたたえつつ、それとART-SCHOOL的なエモ疾走感とを交差させてみせる楽曲。バンド内の関係性が崩壊してるはずなのに、どうしてこういう以前よりも複雑な演奏の組み方ができるのか不思議になる。

 いきなりアンサンブルが始まって、まず気付くのはドラムの変則的なパターンだろうか。グランジという音楽ジャンルは意外とヌメっとしたところがあって、ドラムは特にそういう側面を強く補完する要素だけど、ここでは逆に、ポストパンク〜ポストロック的な冷えた渇き方をした、まるで機械の部品をバラして配置し直したかのようなトリッキーなプレイを反復している。この辺はこのバンドにおいてはむしろメンバーチェンジ後の第二期ART-SCHOOLにおいて『LOST IN THE AIR』を筆頭に確立されていく作風だけども、ここではそれを先取りしているような部分がある。この曲の推進役は間違いなくこのドラムである。そのドラムプレイのエッジの部分を強調するかのようにベースが少ない音を当て、そしてそんなリズム模様とは無関係のように超然的に、ギターが“LOVE / HATE期”の象徴のひとつである3音のアルペジオを弱々しく弾いては止んでを繰り返し続ける。木下の歌は上の曲よりかは幾らか元気を取り戻した風で、それでも、頭が真っ白なまま声を張り上げてるような感触はある。メロディは『ミーン ストリート』のAメロの流用で、その元ネタはThe Posies『Flavor Of The Mouth』

 サビでの“動”への爆発は、8ビート気味なリズムに回帰しつつも、ひたすらシンコペーションを効かせて前へ前へとグイグイ生き急ぐようなリズム感覚を見せる。特に、3回目のサイクルで入るブレイクのスネア5連フィルがアクセントとして強い。木下のボーカルは「Oh, oh, oh-」とスタッカートが効いたような珍妙な掛け声みたいなのの後に言葉を紡ぐ形になっている。

 この曲の演奏のキモもやっぱり2回目のサビ以降の、サビの演奏サイクルをもっと大胆なギターカッティングで広げていくところで、そしてそこにはやはり木下のファルセットが付随してくる。この展開はこの時期の鉄板だと言える。概念的にはどの曲も同じことをしてる、ある意味芸のないアレンジだと頭では分かっていても、それぞれのフレーズもその前後もリズムも違うので、どれも好きになってしまう。

 あと、この曲は2回目サビ後の間奏を終えたその直後のブレイクの箇所が面白い。普段のART-SCHOOLの演奏ならシンプルに幾つかの楽器が残って演奏し続けるだけ、みたいなところ*4だけど、この曲の場合そこから新しい演奏パターンに繋がっていくのが彼らの中では独特。間奏の勢いを途切れさせず抑制的ながら疾走感が継続していくのは珍しく、ドラムの細かいプレイや遠くでレイヤー的に響くギター、そこに最後のAメロの歌が被さって、後半には8分音符で全演奏陣が叩き込み続けるエモーショナルな演奏*5から、ドラムのスネア連打を合図に最後のサビに雪崩れ込んでいく。前半のテクニカルさは後に彼らが『刺青』で演奏するものに先駆けたアレンジになっている。

 演奏の最後は何故か前作の『モザイク』と同じく、Superchunk『Animated Airplanes Over Germany』のアウトロを引用して締める。なんで使い回したんだろう。

 歌詞の方は今作ではとりわけシンプルな方で、自身の感覚の乖離について歌われる。

 

なあ 俺はどうして泣くんだ? 哀しくもさみしくも無いのに

そう愛されたら ただ空しくなる

そう愛されたら 何故空しくなるんだ?

 

ねえいつか誰かを愛す 真剣に自然な感情で

この雨は止む事は無いさ 永遠に少しずつ死んでいく

 

苦しく悲しい感情と、そこから切り離されてしまった視点とがすれ違うような情緒の様は、何気にとても自己言及的で、痛ましい。終盤Aメロの、1行目の切なる願いと2行目の諦観の具合との拮抗が、感情が引き裂かれることによって生じる類のエモさを生み出していく。

 この曲と次の曲は、この音源における疾走感・ドライブ感の側面を担う楽曲で、確かに『LOVERS』以降の後半3曲の方が重要な気もするけれども、やはり一定以上のファンになった人はぜひ聴いておいてほしいものだと思う。『Requiem For Innocence』で見せたぶっきらぼうで案外エネルギッシュな疾走感は、このように複雑化・透明化して、そして次のシングル表題曲『UNDER MY SKIN』に繋がるんだという、その過程としても重要なもの。

 

 

3. OUT OF THE BLUE(3:23)

 この音源でしか聴けないもうひとつの曲にして、ART-SCHOOL史上最も虚しいことを歌ってる疾走曲だと思う。気分や体調によっては、この曲がこの音源で一番好きな時がある。

 疾走曲だから、ということもあってか、曲構成はそんなに複雑ではない。この時期らしい光のようなパッド音が入った後、透明感のある静のパートとバーストしながら駆け上がる動のパートを繰り返す構成。静のパートでは、この時期的な3音アルペジオが入り、そのアルペジオと太いベースの音だけで楽曲のコード感を作り出している*6。クローズリム打ちのドラムはART-SCHOOLの静と動の楽曲では定番のパターンのひとつ。木下の声は他の曲と比べるとそれなりに溌剌としてる気がする。

 静のパートのベースの弾いてた音をそのままパワーコードにしたような動のパートのサビのギターの歪み方は、ザラザラしたいい歯応えの爽快感のある感じではなくて、もっと機械的に押し潰すような、そんな無感動チックな音色に思える。それはどこか、必要以上のカタルシスをカットする意思が働いているような気がする。それはメロディにも言えることで、それまでだったら一気に高いメロディから始まりそうなところを、低いラインから這い上がっていくように旋律が作られている。メロディが上がっていく箇所でバンドのリズムも8ビートを解いて叩きつけるのが爽快ではあるけれど、そこに“Requiem期”のようなバンド全体のキメみたいなのは入らない。ギター等が重く垂れ流される様に、機械的な無情さを覚える。よく聴くとピアノが4分音符で入っていて*7、密かなアクセントめいている。

 この曲もまた、2回目のサビ以降にさらに展開が挟まっていくパターン。Aメロと同じメロディを、サビと同じ疾走する演奏のままに声を張り上げて歌うのはエモーショナルで、そしてその疾走が途切れるところのブレイクの仕方の格好良さが、この楽曲のテンションのピークだろう。1回目はギターのパワーコードが途切れてアルペジオが残る箇所で空虚さを味わい、2回目はその箇所に最後の歌詞を叫ぶところが被さる。そしてバンド演奏が一気にミュートして最初のパッド音だけが残る。ここの寂寥感の、スケールを感じさせる感じがとても好きだ。まるでUSインディーみたいな、広大で不毛な景色が見えてくるような気がする。

 そして、全体的にみっともない歌詞が多い今作でも、この曲がとりわけ深刻な気がする。そんなみっともない歌詞で疾走している事実が、この曲独特の苦い爽快感を生む。

 

いつか穴が開いて いつから穴が開いたまま

何でそれをうめる気すらない

夏になればきっと 僕は思い出すのさ

からかいあって子供みたいだった事

 

死んだ方がましなんて

すがって、ただすがって

開いた口がふさがらない

さらけ出して、さらけ出したって

 

ノスタルジックな描写から一気に「死んだ方がましなんて」と繋がる様に、ひたすらみっともない爽快感がある。虚しさの中で子供の頃を思い浮かべる感覚、ノスタルジックな光景に縋ろうとする感覚は何とも苦いリアルさがあって、“LOVE / HATE期”の歌詞の特徴でもある*8

 

恵みの雨を待って 恵みの雨を待っていた

何でそれが空しいんだろうな*9

 

君のほくろの場所や匂い すがって、ただすがって

それが何で取れやしない そうもがいて ただもがいて

 

身体を重ねた際の記憶さえ縋りたいノスタルジーになってしまうのは、どちらかと言えば」第二期ART-SCHOOL以降に頻出する特徴ではあるけど、ここや『SKIRT』において先駆的に出てくる。ほくろってエロい。かと思えば「それが何で取れやしない」と、忘れたがっているのか、覚えていることが苦しいのか、この辺の混乱した具合がまた、この歌の切実さの現れでもある。

 この時期の無情さと虚無の具合を爽快な疾走感に乗せた曲としては次のシングル表題曲の『UNDER MY SKIN』が白眉何だろうけど、ある意味とても洗練された彼方に対して、この曲の、歌詞にもあるとおりの「そうもがいて ただもがいて」な状態のまま疾走して舞い上がるのは、これはこれでとても美しく鮮やかなものがある。ART-SCHOOLの数々の楽曲でも、この曲でしか味わえない感覚が確実にあって、それを味わえるのが、ちゃんと『SWAN SONG(DISK1)』を入手してとりわけ嬉しい部分だ。この曲の残り香のようなエフェクトから次の曲のドラムのイントロに繋がるところの無情な感じもとてもいい。

 

 

4. LOVERS(4:35)

 名曲*10今作で一番シューゲイザー的な感覚が漂い、しかもそれが「世界の果てに置いていかれる感覚」として鳴らされる、虚しくも美しい無機的で穏やかなバラッド。かつての『1965』等に連なる系統の楽曲で、同種のぼんやりした感覚は、より深刻な方向に研ぎ澄まされている。今作でもとりわけ、この曲の静かな諦観が一番暗く虚しいトーンを放っていると思う。

 上でも書いたとおり、ぶっきらぼうな、ただのミドルテンポのドラムの8ビートで曲は幕を開け、Pavement『Major Leagues』*11からの引用っぽいadd9のアルペジオ*12がここから延々と流れ続ける。もう一方のギターは同じ音のブリッジミュートを続けていくけど、この曲の静パートのコード感もやはりベースが形作っていく。この曲のベースは歪ませてあるのか、長音でもえらくザラザラした質感が、ルート音として以上にまるでリード楽器的に広い音響感で響き、この曲のムードを決定づけている。ベースは歪ませると音の芯がぼやけて、特に低音の感じが失われることがあって、もしかしたらそのことも、この曲に宿る不思議な浮遊館に一役買っているのかもしれない。この空間の中で歌う木下の声は、音数の少なさがいい空白感を生んでいて、絶妙なたどたどしさ、捨て鉢具合が感じられる。捨て鉢とはいえ、そのメロディは十分に甘美なものだ。同じ系統の楽曲と思われる『1965』と比べると、一気に疲れ果てたような感じの情緒が漂う。2年でここまで疲弊したんだ。

 単調なドラムの単調なスネア連打フィルインから始まるサビに入る。1回目のサビは透明感のあるギターコードの響きが目立つが、2回目以降になると、いよいよ歪みを効かせたシューゲイザー的なギターサウンドが顔を表す。この際にはバックコーラスも入って、元からあるクリーンカッティングの響きをアクセントに、心地よく陶酔的な轟音の感じが醸し出される。歌われるメロディーは木下ソロ『RASPBERRY』のBメロの変形でさらに元ネタを辿ればBelinda Carlisle『Heaven is a Place on Earth』のBメロだけども、元々のつなぎのメロディっぽさは抜けて、甘く虚ろに通り抜けていく。2回目のサビであればその歌メロの後に、アルペジオのフレーズをそのまま歪ませてギターソロにしたものが、最後のサビであれば、この曲の陰鬱さを決定づける最後のメロディラインが連なっていく。

 そんな、眩しいんだか心地よいんだか虚しいんだか分からないような轟音が、突如ふっと途切れて元の淡々とした演奏に戻り、あっけなく演奏が止んでしまう様は、まるで轟音の麻酔が切れてしまったかのように、何とも素っ気ない地点に連れ戻されたような、そんな寂しさを感じさせる。また、次曲への繋がりとしてもとてもいい終わり方のように思う。

 この曲の魅力は、そんなシューゲイザー気味な恍惚の轟音の中に、今作でもとりわけ強い諦観が静かに渦巻いているところだろう。

 

生きてる意味も死ぬ理由も

何処にも無いから生きてきた

もうどうでもいいけど、こんな日は

全てが夢のような気がして

 

生死に連なるような大きな感情の動きも起こらず、意識がずっとぼんやりしていくだけの心境がここでは綴られ、それが淡々と進行する楽曲の様に実によく合う。そしてその虚しさの最果てのような最後のサビが素晴らしい。

 

名前が無いこの惑星で名前が無い恋人と

白日にさらされてハッピーエンドを夢見てた

何一つかなわずに 何一つかなわずに

何一つかなわずに 何一つかなわずに

 

この、ぼんやりとしたまま、ぼんやりとした夢想が浮かび、でもぼんやりしていて何が出来るわけでもないから、消極的に諦めに辿り着く様は、とても嫌なリアリティがあって、ある意味一番ファンの共感を呼ぶようなフレーズになっている。

 後のB面集に収録された際には、あれには木下理樹本人による各曲紹介のライナーも付いているけど、そこで「この曲は当時も、今でも異様な人気の高さがありますね」と書かれている。ネガティブさというのは多くの場合、何かしらの激しさとして出力されるもので、それは彼らだって例外ではないけど、この曲の、ただ淡々と、ぼんやりしたまま全てが遠くに消えていってしまうような感覚は、ある意味ではより一般的な“憂鬱で展望の見えないライフスタイル”に寄り添えるものなんだと思う。この曲を聴いてるとそういうぼんやりと終わりなく続く憂鬱な暮らしの中に、何か煌めくようなものがあるような気持ちにさえなるかもしれない。上記のライナーでは「シングルにすれば良かったよ!(笑)」と書かれていて、流石にそれは根暗すぎて笑っちゃうだろ(笑)とも思うけども、バンドも生活も色々とギリギリの状態で、その状況や情緒をそのままにこのような美しい曲に昇華してくれたことは、本当に素晴らしいことだと思う。

 

 

5. SKIRT(4:03)

 この曲のみ後のアルバム『LOVE / HATE』に収録される*13。『LOVERS』と似たようなミドルテンポでありながら、淡々と無機質な透明感で進行していく前曲と異なり、どこか泥臭いノスタルジーの彷徨とイノセンスの爆発が伴う、この時期の彼らだからこそのエモーショナルさが大いに響き渡る名曲

 これまでの楽曲がどこか閉じた世界で鳴っているような感触があったのに対し、この曲はなんだか現実の世界に開かれているような音の響き方をしている気がする。それはおそらく、冒頭から鳴らされるアコギの響きが大きいんだと思う。相変わらず重たいリズム隊が並走しつつも、ここで左右に鳴るアコギの爽やかな現実感は、ここで今作の世界観が急に開けるような感覚になる。それは、あっさり途切れた全曲の余韻を打ち破るように一気にこの曲のアンサンブルが始まることもあるのかもしれない。いい具合に土っぽくも透明的でもあるコード感を示す左のアコギと、アタック感を差し込んでくる右のアコギの配置具合は、これまでのこのバンドのどの楽曲にも存在しない類の爽やかな“開けっぷり”があると思う

 そう思うと、そんな爽やかさとは対照的な、木下理樹の、この時期でもとりわけヤケクソめいた歌い方が聞こえてくる。流石に貴方でももっと上手く歌えるでしょ、と言えるくらいのこの、気だるさ全振りの歌い方の不健康さ・焦点の定まらなさは、しかしながらサビでの凛々しい激しさと美しいコントラストを描く。ノスタルジーまみれの歌詞に対してもその気だるすぎる歌い方が過去への執着の胡乱さを表現するのに繋がっていて、これは適切な歌い方だったんだと思う。

 サビでは一気にディストーションギターが入り、歌のメロディも実にキャッチーな立ち上がり方をする。メインのパワーコードギターの影に隠れつつも、左右のアコギもなり続けていて、左のアコギの3音アルペジオや右のエレキのリードフレーズ*14がまた、この曲のサウンドをUSインディ的な開けた荒涼感のあるものにしている。ここのメロディは特に「分かっているよ〜」のリフレインのキャッチーさが物凄く、最初はファルセットでさりげなく終わらせるも、2回目以降はオンな演奏のまま、相変わらずの気だるげで曖昧げな状態のままシャウトすることで、こここそが抑圧された感情の爆発するポイントなんだと大いに示すこととなる。ただ、それは決してピークではない。

 2度目のサビが終わると、一気に演奏がブレイクして静寂が訪れる。最初はアコギとベースだけで演奏が続けられ、アコギのアルペジオとボリューム奏法のギターでゆったりとスケールが広げられ、エレキのアルペジオが入る頃には沸々と演奏のテンションは高まり、溜息のような木下のボーカルは、やがて雄大サウンドの伴奏をバックに、抑圧された感情の放出そのもののような、あられもないシャウトとなって爆発する。言葉ではない、掛け声ですらない、ただただ込み上げてきたままにどうしようもなく叫ぶようなこのシャウトは、惨めで情けなくて、幼いまま引き裂かれるかのようで、だけどそれがとても美しくて、虚しく開けた世界に対するせめてもの反逆のようでもあって、ART-SCHOOL全曲でも最高峰に大好きなシャウトだ。

 そして最後のサビ、それまでよりもテンションが弾けたボーカルに圧倒されたまま、頭打ちのリズムの展開の中、エモーショナルな歌詞を叫び、そして先ほど以上に身を内臓ごと振り絞るかのような、シャウトの神に取り憑かれてしまったようなシャウトを繰り返して、この楽曲は壮絶に終わる。その割に最後の1音がやたらど穏やかなのが、なんだか皮肉な感じもしつつ、この曲のノスタルジックな爽やかさの残り香となる。

 歌詞もまた、諦めの極地だった『LOVERS』の世界観から一変して、記憶と妄想が曖昧になってしまったかのようなノスタルジックさから、そんなものに縋る自身のみっともなさを絶叫するのに繋がっていく、彼らでもとりわけイノセントな爆発を見せる内容になっている。

 

誰かを愛し愛される 子供の頃の世界で

貴方はそう言い笑った 僕には聞こえやしなかった

彼女の匂いや指が 激しさ スカートの色が

どうして取れやしない どうして忘れられない

 

やや『OUT OF THE BLUE』とも共通する、ノスタルジーの中のフェティシズム的なエロスの様は、こっちはより遠い過去の、本当に幼かった頃の情景のような感じがする。ここの歌い方の乱暴さは、そんな遠い昔のことが鮮明に思い出されるはずがないけど、でも印象だけ鮮烈に残ってしまってるような、そんな妙な苦しさの情緒を示せている。

 

My sunshine 哀しい歌が My sunshine 好きだと言った

My sunshine こんな話は誰にだってよくあると

分かっているよ それぐらい 分かっているさ それぐらい*15

分かっているよ それぐらい 分かっているさ それぐらいは

 

サビの歌詞はまるで、ノスタルジーに囚われる自身のみっともなさのことを自嘲するようなフレーズで、そこにシャウトが入ってくることが、この曲独特のエモーショナルさに繋がっているんだと思う。実際は「Oh, my sunshine」と歌われるフレーズもアメリカの古くからあるポピュラーソング『You Are My Sunshine』を彷彿とさせ、尚更ノスタルジックさを感じさせる。

 もしかしたらこの曲こそ、ART-SCHOOL全楽曲でも最もイノセンスさが鮮やかに爆発している楽曲なんじゃないかと思う。アコギのサウンドによる開けたイメージも、歌詞のノスタルジックさと自嘲の感じも、気だるすぎるところから壮絶なシャウトに至るまでの流れも、どれもどこか、少年的な凛とした情緒が感じられる。

 この曲もずっと人気のある曲で、別にアルバムに収録されているというのに、例のB面集にも収録されることとなった*16。ライブではバンドセット以上にアコギ弾き語り形式で登場することが多く、3枚目のアルバム『PARADISE LOST』時のツアー映像を封入したDVD『sleep flowers』にはこの曲の木下・戸高によるアコースティック演奏が収録されている。

www.youtube.com

 

 

6. SWAN SONG(3:35)

 虚無さを極めた本作の最後に現れる、本作でもぶっちぎりで明るくポップに炸裂していく表題曲。本作的な虚無さは引き継いだまま、それでもギリギリのところで現実的な折り合いをつけて踏ん張ろうとする姿は、この一連の6曲の締めとして美しい。逆に、この曲をどう『LOVE / HATE』の中に配置しても本作のこの位置ほど輝くことは無いだろうことも分かるので、アルバムに収録されなかったことも実は理解はできる。それでも十分名曲だけど。ベスト盤には収録されたので2008年くらいには普通に手に入るCDで聴けるようになった*17

 すっかり本作のトレードマークとなった不思議エフェクト導入から少し経ってから、『LOVERS』の淡々さとは異なる、フロアタムの響きに肉感的なものがあるドラムから演奏が始まり、そして薄くコーラスの掛かったクリーン気味なギターサウンドが空間を埋めていく。明快なメジャー調のコード進行は本作ではこの曲が唯一で、なので、最後の最後で突き抜けたような明るさが感じられ、しかしサウンドニューウェーブ的な淡々としてファニーなヘナヘナ感があるのがユニークなところ。リードギターが延々弾き続けることになるギターフレーズはThe Cureの代表曲のひとつ『Just Like Heaven』のギターフレーズの一部を切り取ってループ的に変形させたもので、木下理樹の数々の引用の中でもなかなかの大ネタ使用。なんならこの曲のコード進行もサウンドの感じもここからの影響を大いに意識している。思えば、みっともなさの中で這いまわる様も含めて、この曲はまるでThe Cureのトリビュート曲みたいな感じがする。その様子の後ろ暗そうな感じが一切なく、虚しい歌詞の世界観に反してとても晴れやかな様が、なんだか眩しくなる。

 そんな陽性のコード感のままぬるっと雪崩こむ*18Aメロだけど、歌のメロディは基本的に這うようなラインで進行する。そこは精神が死んだ状態な歌詞の感じに上手いこと合わせてある。バックトラックは晴れやかなのにメロディが這い回るような感じなのも、光の影の対比感があって面白く、それでも節回しの切り方にはどこか可愛らしいキャッチーさが潜む。そんな中でサビに繋がる、少し言葉も力強くなるラインだけ声を張り上げる様が、「辛うじて感情が持ち上がる瞬間」みたいなのを上手く表現している。

 それまでのクリーントーンから一転歪んだギターに切り替わるサビの、そのコード進行やメロディの一部は、バンドが結局スタジオ音源を残さなかったバンド最初期の楽曲『Outsider』のサビメロディの流用となっている。ひたすら突っ走るタイプの流用元の曲と比べて、この曲のミドルテンポの中においてはそのメロディは生気の死にかけた精神が俄かにパワフルさを取り戻したかのような勢いを発していて、そのメロディの抜けていき方も、ファルセットも織り交ぜたそのスタイルや珍しくですます調の歌詞も含め、端正で爽やかでキャッチーだ。歪んだギターがドライブする裏で、イントロからずっと続くギターリフが鳴り続けているのはちょっとファニーな感じもする。かつての『foolish』とかにも通じるこのファニーさは、“LOVE / HATE期”の楽曲の中でも珍しいタイプの伴奏だと思う。延々と同じフレーズ弾かされるギタリストはたまったもんじゃないかもだけども。

 間奏でも鳴り続けた件のギターリフが止むのは、ファルセットも重なる間奏が終わった直後のブレイクの箇所。スッと各楽器が止んで冒頭からのエフェクトとアコギのカッティングだけのまま最後のAメロが展開され、その爽やかなスカスカさにぼんやりしていると、這ってたメロディが持ち上がるところでバンドアンサンブルがさりげなく戻ってくる。それはどこか、安心するような感じがする。

 歌詞について。今作で唯一の溌剌としたメロディな分、歌詞においてはとりわけ直接的にネガティブめいただらしなさを示す言葉がひたすらリズミカルに並ぶ。

 

腐り切った感情で 僕は今日も生きている

どうでもいい、でも一度

心の底から笑ってみたいんです

 

虫の様に這い回る 機械のように呼吸をする

どうでもいい、でも一度

死ぬ程誰かに焦がれてみたいんです

 

「恋人」たる存在が歌詞からいなくなると、木下理樹の歌詞は一気に“疲弊したイノセンス”の度合いが高まるのかもしれない。そしてサビのみっともなさを自覚する様は前曲と共通しつつも、一筋のイノセントな願望が、希望のように垂らされる。

 

いつだって偽って 生きている様で死んでいる

はいつくばって、みっともないな、

でも今日はそんな風に思うんです

焦がれていたいんだ

 

本作は「生きている様で死んでいる」ことをコンセプトとした作品集だったのかもしれないなと、この端的に今作の雰囲気を言い表した一節を見て気づく。そして、そんな消極的な堕落の中でも、何らかの欲求こそがギリギリ自分を引き上げる手段になりうるんだ、という提示は、この時点で木下が出すことの出来た、一番晴れやかな回答だろう。

 第一期ART-SCHOOLの中でも飛び抜けて陽性のポップさを持つ楽曲の一角で、罪のない感じのする楽曲にたっぷり行き止まりのダウナーさを振りかけたその構成は、このぼんやりすることについて純度の高すぎる作品の“出口”として、とても相応しい1曲になっている。やっぱりDISK1はミニアルバムだ。6曲のまとまりが良すぎる。一方で、「白鳥の歌」という言葉には「人が亡くなる直前に人生で最高の作品を残すこと、またその作品」という意味があって、この時点でこう言うタイトルの曲を出すってのはつまりバンドがここで終わってもおかしくなかった、っていう感じなのかなと思われる。実際はまあ一度終わるけど、そこまでにもっと大容量のフルアルバムまで作り上げる訳だけども。

 

●PVについて

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 この曲はPVも素晴らしく、バンドの破滅的な雰囲気ではなく「音楽好きのカルチャーの感じ」を前面に押し出した映像は、第一期ではずば抜けて明るく、またカジュアルで微笑ましい。双子の女優が演じる少女たちのちょっとパンクな振る舞いも、少し不安に思える具合*19も込みで見てて楽しい。

 そして同時に、このPVにはおそらく木下理樹の、彼の敬愛する音楽作品の数々へのオマージュも直接的に含まれていて、見ていて楽しくなる。

 冒頭の短いカットをはじめ、間奏等でも出てくる、暗い部屋の中でライトを振り回すアクションはThe Jesus and Mary Chainの『Just Like Honey』PVのオマージュ。

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また主人公二人の部屋に飾られた4枚のレコードはそのジザメリの『Phychocandy』に、The La'sのセルフタイトルアルバム、Sonic Youthの『Goo』、Teenage Fanclub『Bandwagonesque』の4枚。床に散らばってるのはよく見えないしよく分からないけども。

 主役二人や木下理樹が着てるTシャツはBlack Sabbathやその後のソロ活動で知られるメタル界のヒーローOzzy OsbourneのTシャツで、調べたら2001年に出たものらしい。木下理樹オルタナティブロックに開眼する前はメタル少年だったらしい。また、木下理樹が弾くギターのフライングVにも様々なバンドのステッカーが貼られていたりして*20、彼らのPVでも稀に見るほどの、様々な音楽への愛が全開になった内容になっている。多分ここに書かれていないものも色々と込められている。

 ART-SCHOOLは、独特の世界観を有した刹那的で破滅的な雰囲気を持つバンドではあるけれど、それと同時に、様々な過去や現代の音楽を愛し、貪欲に摂取していくバンドでもあって、多くの場面では前者が強調されがちだけど、後者の部分が珍しく強く出たこのPVは、年が経つにつれ後者の部分も大いに再評価されつつある彼らにおいて、リリース当時以上に輝きを増している気がしないでもない。

 

 

(DISK2)

1. SWAN SONG

2. LILY

同上

 

3. MEMENTO MORI(4:07)

 DISK2の方のみに収録された唯一の楽曲で、長らくこの廃盤3曲入りシングルでしか聴けなかった、かなり幻度の高かった楽曲。シングル『DIVA』における『TEENAGE LAST』や次のシングル『UNDER MY SKIN』における『LUCY』などと同様の、宅録感のある、バンドの通常のサウンド範囲から外れたかつ簡素なサウンドをした、メロウで静謐なトラックの上に、本作でも最も悲痛なコンプレックス具合が歌われる楽曲。木下曰く、歌のレコーディング中に泣いてしまった唯一の楽曲*21

 コードバッキングのギターの代わりに讃美歌的なシンセの音が入っているのがサウンドの最大の特徴。それを中心に、太いけどエッジが丸目なベースと、スライドフレーズも入った指弾き感のあるギターアルペジオが絡む。静謐な雰囲気の中、割と明るめなコード感があるのに、それでもどこか翳った感じがするのは、この曲の密室的な雰囲気からなのか。木下の歌もキーがこの時期にしては低めで、囁くような呟くような、内に籠ったような歌唱になっている。静謐さの中でブレス音がいつも以上に繊細に目立つ中で、それは特に最初のサビの低さで強く印象付けられる。

 最初のサビが終わるとようやく本格的にリズムが入って、これは打ち込みのドラムだろうか、そんな機械仕掛けの野暮ったさが、この曲の宅録っぽさを増していく。そして、ここから先のサビでは、ボーカルのキーを1オクターブ上げて、ファルセットとシャウトのようなボーカルを響かせて、感情の情けなくも激しい発露の感じが炸裂していく。アルペジオを弾き続けるギターの音も一気に歪み、静かな音響のまま、感覚の激しくて歪んでしまう印象をそのまま音にしているような雰囲気がそこにはある。

 歌詞は、“愛されない自分自身”をひたすら憐れみ蔑む内容。全く情景描写の廃された内容には、DISK1の方で所々覗いたノスタルジーの入り込む余地もなく、ひたすら現在の状況の息苦しさを吐露する。

 

狂わせて 狂わせてくれ今日は

誰のため 鐘は鳴り続けるのだろう

完璧で 誰からも愛し愛されて

次は違う 人に生まれ変われるんだ

 

too late もう遅すぎる too late 笑われてもいい

too late 味わってみたい too late ただ愛される気持ちを

 

今改めて読み直すと、この曲の歌詞が一番、この後のアルバム『LOVE / HATE』で主題となるテーマに近い内容を歌っている。ここで歌われている「完璧で、誰からも愛される人間に生まれ変わりたい」というテーマが、『LOVE / HATE』や『SONNET』といった楽曲の歌詞に引き継がれている。それは結局、当時の壊滅的なバンド内の状況の中で木下理樹が最も苛まれ、直面したテーマなんだろう。そしてそれは、多くの“愛の欠乏”に苛まれるリスナーの大いなる共感を呼ぶこととなる。同じ“鬱ロック”なる単語で括られるsyrup16gはもっと視点がひねくれてバグってる感じがあるので、この時期の木下の歌詞の案外素直な暗い感じは、人々の素朴で、他人から“幼稚”と蔑まれかねないようなナイーブさにスッと寄り添うことになる。

 本当に長らく“幻の曲”扱いがされていた曲で、生産限定シングルのそれも入手できるトラックが少ない方の“おまけ”的な立ち位置のため、中古の流通もレンタル等でも見かけることは本当に稀だった。だけど、B面集の投票の際にはこの、投票時点で相当マニアックな存在だったこの曲に「凄い投票数」が集まったらしいことがライナーで明かされている。そのためこの、当時の木下理樹の最も繊細で卑屈で哀しい部分の出た楽曲は現在、B面集コンピレーションの中でしっかりと聴くことができる。願わくば、早くB面集が『Requiem For Innocence』等と同時にサブスクで解禁されますように。

 

 

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終わりに

 以上、2枚で実質7曲の作品でした。7曲トータルの演奏時間は28分20秒。コンピかき集めても2曲漏れてるので、もう7曲入りの形態で再販してほしいです。

 限定販売になったことはバンド側の意思ではなかった感じですが、そのこともあって、この廃盤の作品はこのバンドの東芝EMI時代の廃盤作品の中でも別格の、伝説的な作品にさえ一時期なっていたように思います。そこに上記の木下理樹の「自分が今まで作った中で一番好き」発言などもあり、尚のこと価値が上がってしまいました。

 でも、今作を一番と言いたくなる気持ちもなんだか分かるんです。胡乱なことを書くと、このバンドの作品で精神性が一番『Pet Sounds』に近いのは本作だと思いますThe Beach Boysのあの歴史的なアルバムは、音楽的価値も大いにありつつも、しかしその音響的な効果が、ある一定の、純度の高いイノセンス的な意志の発露と密接に結びついたことこそが、あれが響いた個人個人がかけがえのない何かを得るところに、世間的な批評とは全然別次元での尊さがあるんだと思います。今回取り上げたこの作品もまた、この意味での純度がものすごく高い作品だと思うのです。それはある意味では、この後リリースされる大傑作アルバム『LOVE / HATE』よりも、純度に関しては上だと思われるほど*22です。

 なぜ本作は純度が高いのか。色々と理由が考えられますが、音楽的には、ある意味ワンパターンさを極めた楽曲展開やアレンジが、効果的に雰囲気を作り上げているところがあります。2回目のサビ以降の盛り上がりを重視した楽曲構成や、背景的で曖昧な雰囲気のエフェクト音の多用、バンドのグルーヴからのポジティブなエネルギッシュさの徹底的な排除等々が徹底されていて、楽曲の雰囲気はとりわけDISK1の冒頭から4曲目までずっと、やたらと冷ややかでかつ観念的な荒涼感が響いてきます。そこから5曲目・6曲目で一気に現実の世界の空気に引き戻されるような感覚も見事だし、テーマを引き継ぎつつのギリギリのポジティブさを見せる表題曲は、本作の純度に干渉しない範囲で本当に見事な結論を示して見せて、作品としての後味の良さもしっかり配慮されています。どうしてこんな的確なサウンドや曲の並びを、話に聞くほどに壊滅的な状況のバンドが出力することができたのか、いくら木下・日向の2名のコントロールがあったとはいえ、不思議で仕方ありません。

 そして、歌の世界観的には、現実的な人間関係とか肉体関係とかの描写が少なくなって、個人のぼんやりした自嘲や諦観ばかりがクローズアップされる詩作になっていることもまた、薄ぼんやりとした“不安”についての純度を高める結果に繋がったんだと思います。書き直し前の本作の記事で書いていたことを引用すると、「“荒んだ青春”と“なにもない青春”は別のものだと思う。木下理樹は露骨に荒んだ青春マン、といった感じだが、この作品はどこまでも“なにもない青春”に優しい作品だと思う。なにもない虚しい気持ちのまま、それゆえに景色のいちいちが美しく見えてくるような、そんな気持ちをくれる。それだけで生きていけるんじゃないかって、そんな開き直りのような事さえ考えてしまったりした。“何一つ叶わない”という恍惚の中をずっと漂っていたい、と言いかけた辺りで胸を突く何かもあり、それらどっちも大切にしたいと思った。」ということです*23

 それにしても、『Requiem For Innnocence』の最後の曲『乾いた花』で「生き残っていたいよ今日は」と歌ってからそんなに時間も経っていない中、これほどにそのフレーズから遠ざかった言葉ばかり並ぶ作品を作ることになるなんて、書いた本人さえ思わなかっただろうなって思いました。本作で最もポジティブな『SWAN SONG』の歌詞にただの1行も「生きていたいんです」と書かれていないことに、興味深いものを覚えます。無理矢理ポジティブな言葉を探しても「生きていたい」とは書けなかったんだなっていう。

 こんなどん詰まりの作品を出して、普通はバンドの解散秒読みの段階だと思うんですけど、彼らはその秒読みの間に、あとシングル1枚とフルアルバム1枚、合計で13曲もの新曲を世に放ちます。それらがまた、解散秒読みのバンドが出すようなクオリティではない、しかしながらそういう状況だからこその緊張感と真に迫る感覚が見事に封入された名曲ばかりなので、信じられないけれども、とても大切な作品群です。近いうちにどうにかして『LOVE / HATE』のレビューまで辿り着きたいので、どうぞ引き続きよろしくお願いします。

 

 

追記:次の作品、シングル『UNDER MY SKIN』の記事が出来ました。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

*1:とはいえ、サブスクに限った話をすれば、よりによって『Cemetery Gates』が未解禁状態なので、この音源で聴ける曲は僅か2曲に激減します。

*2:仕掛けたのは当時の東芝EMIのディレクターの加茂啓太郎氏のアイディアらしい。インタビューでは、木下含むバンド側は「よく分からない」と思ってたとか。

*3:まあ、表題曲と『LILY』についても、エンハンスドCDの仕様で両曲のPVが見れるようになっていて、収録されている、と見做せなくも無いですけども。少なくともアルバム本編に収録されたのは『SKIRT』のみ。

*4:このシンプルさでいい寂寥感が出るから、大好きな手法ではある。

*5:こういう演奏って何か専門用語無いのかな。ご存知な方いたら教えてください。

*6:こういうのを聴くと、木下理樹はもしかして本当にベースラインからメロディを作ってたんだろうか、と思ってしまう。

*7:『ロリータ キルズ  ミー』以来の仕掛けだけど、あの頃の無邪気な感じとは随分情緒が異なっていて面白い。

*8:Requiem For Innocenceしたのに、そのイノセンスに縋りついてる感じの描写、として捉えるとまた、このみっともなさの味わいが深まる。

*9:この辺の歌詞は『ミーン ストリート』のサビの歌詞の焼き直しではある。『DRY』といい、やたらと『ミーン ストリート』の要素は使い回しされる。

*10:この音源には基本的に名曲しか入っていない、という認識だけども、その中でも飛び抜けている、というか、何か象徴的なものがある、という意味での“名曲”。

*11:サビの箇所。

*12:をもっとミニマルにしたもの。この辺の、引用したものをさらにバッサリ切り取って延々とループさせ効果的に聴かせるのが木下理樹はとても上手い。サンプリングの名手と言ってもいいと思う。

*13:ART-SCHOOLは先行リリースのシングルやミニアルバムの表題曲ではなくそれ以外をアルバムに収録することが多くある、変わったバンドだ。

*14:こうやって怪しくも悩ましいスライドフレーズを弾くのがART-SCHOOL時代の大山純のギターの大きな特徴だった。

*15:歌詞カードでは2回目と4回目の繰り返しは「分かっていろよ」と書かれている。ここでは実際に歌われているフレーズの方を引用した。

*16:『LOVE / HATE』のは曲間がクロスフェード処理されて、この曲トラック単体だと変な切れ方をするので、そうではないシングル版そのままの再録はそれはそれで意義があることなんだけども。

*17:その代わりれっきとしたシングル表題曲のはずの『EVIL』が収録から漏れたりした。

*18:クラッシュシンバル等のメリハリの付く楽器が鳴ってないからこうなる。このぬるっとメリハリなく歌が始まる感じがこの曲には合っている。

*19:万引きとか、部屋にポテトチップスやポップコーンをばら撒いたりとか。最後の突如百合的にキスしようとしはじめるのはまた別のベクトルだ。

*20:ひとまず間奏直後のブレイク部分で、Ashのステッカーが目立つシーンがある。

*21:本人のこのコメントがこの曲のレアトラックとしての価値を爆上げさせた感じがする。

*22:単純に曲数の違いもあるし、『LOVE / HATE』の方がもっと情景描写の多い楽曲が含まれたりで、雑多なイメージの中での翻弄される精神を描いているところがあるので、純度の違いによって単純な優劣がつくものではありません。

*23:逆に言うと、ここでこれだけ個人の観念的な虚無や不安をテーマにしたので、この後のアルバム『LOVE / HATE』ではそういったものをテーマの中心に引き続き据えつつも、もう少しバラエティのある視点に移行したのかな、とも思います。