ART-SCHOOLの作品の、かつて書いた記事のリマスター(書き直し)、これで8つ目の記事になります。メジャーデビュー後すぐ『Requiem For Innocence』という鮮烈なアルバムを放った後の、次のモードに突入する4曲入りシングルにして、同じ年の暮れに最初の大きなメンバー脱退と実質活動停止に突入する、それまでの間に非常に沢山の、しかもどれも高品質で世界観がもの悲しい、第一期ART-SCHOOLの終わりにして壮絶な2003年の最初の音源です。
現在は廃盤。とはいえ、4曲中実に3曲が後のアルバムに収録されたため、このシングルを買わないと未だに聴けない(配信販売もサブスクにも無い)楽曲は1曲のみ。優しいんだか辛いんだか。
前回の記事はこちらになります。
前書き
冒頭で書いた内容で大体言い切ってるところですが、もう少しだけ。
このシングルから、次のミニアルバム『SWAN SONG』、シングル『UNDER MY SKIN』、そして2ndフルアルバム『LOVE / HATE』までは、やはり音質的にも楽曲的にも連続性があり、ひとつの纏まった時期、と捉えられると思います。弊ブログではかねてより“LOVE / HATE期”などと呼んでいます。
この時期は上でも述べたとおり、既にアルバム『Requiem For Innocence』録音時に崩壊していたバンド内の人間関係が、何も修復されず壊れたまま、何故か録音とライブが続いていく時期になっています。
ずっと不思議なのは、そんな状態であるのに、そんな死に体のはずのバンドからたくさんの楽曲がリリースされ、そしてどれもが非常に高い品質を誇っているところ。インタビュー等を読む限りだと、特にリードギターの大山純はかなり精神的に追い込まれた状態にあったようで、後に自身のこの時期のギタープレイを卑下するようなことを言っていたりしますが、正直全然そんなことないな、と思います。心神喪失しながらも、なんとか食らいつこうと尽力していたんだろうと思います。
木下理樹のソングライティングがここからこれまで以上に研ぎ澄まされてきて、ひとつのピークを迎えていたことは、本当に大量の楽曲が書かれて世に出てファンから支持されているのもあり、間違いないところかと思います。ただ、こと音質的・アレンジ的な充実については、彼のみでなく、ベースの日向秀和がかなりのプロデュース能力を発揮したんじゃないかと考えています。この関係性の崩壊を超えてゾンビ状態で機動する音楽集団を辛うじて引っ張っていたのが、バンドの楽曲面・精神面を一手に引き受ける木下と、音楽的・技術的な部分を日向だったらしいことは木下理樹のインタビューからも読み取れて、ベージストとしての役割を超えて楽曲のアレンジ等にも長けていく彼のセンスは、とりわけこの時期に飛躍的に伸びたのかもしれないと最近は思います。
そしてこのシングルは、散々1stアルバムの宣伝文句に使われてたであろうけれど実際の音楽的にはそこまで本腰って感じでもなかった、“グランジバンド”としての属性を改めて大いに強調した楽曲が2曲含まれていることが大きな特徴でしょう。それによって、爽快であれ陰鬱であれ騒がしい感じのする『Requiem For Innocence』の楽曲群の空気感とは大きく異なった、もっと破滅的というか、死んでしまっている感じというか、キラキラした要素が失われた、空虚な感じが作品内に生まれています。残り2曲はメジャーコード感のある楽曲にも関わらず、4曲という尺もそこまで長くない中に、圧倒的に重くシリアスで深刻で空虚な雰囲気が漂っていて、まさに“LOVE / HATE期”の作品ならではの空気感だなあ、と、強く思います*1。
ただ、ちょっと面白いのが、USグランジの感じ一色という訳でもないところ。グランジと同じくらい大事だったであろうThe Cureをはじめとするニューウェーブのサウンド感覚と、エモやらポストロックやらからの感覚、あと特に木下のファルセットに顕著なファンクの感覚が、オルタナ・グランジのサウンドの中にとても魅力的に混じり合う、それがこの時期のこのバンド作品の素晴らしさです。
音質的にも、“Requiem For Innocence期”の高音とボーカルを強く強調したミックスからかなりモードチェンジし、ミックスのバランスはかなりフラットになったように思われます。それにより、USオルタナ的なサウンドを表現する各楽器、特にベースとドラムの鳴りが強化され、何より、前作までは何よりも前に来すぎていた木下理樹のボーカルが、轟音に呑まれる方向に少しばかり引っ込んでいます。歌のあるセクションでも歌とその横の轟音が対等に近づく方向に進んでいる、というか。
それでも、彼の特にシャウトは非常に圧倒的な存在で、4曲とも何らかの形でシャウトが入るし、ここにはとりわけ彼の作品の中でも壮絶なシャウトを含む楽曲が含まれています。というか、2003年の木下理樹は、2001年の浅井健一、2002年の五十嵐隆などと同じく、シャウトの神様に愛されているとしか思えない、内臓ごと引き摺り出すかのような壮絶なシャウトを幾つかの曲で披露しています。悪く荒んだ状況の中で、その状況の壮絶さそのものを音楽に昇華することのできた当時の彼は、本当に凄いと思います。
ジャケットやブックレットのイラストはこれまでと同様大山純によるもの。ここから段々絵が抽象的になっていくのが、彼の精神の擦り減り具合の進行を見せつけられてるようでもあり。表題曲の無情感といい具合にミスマッチした、淡い青が印象的なイラストです。CD裏面はバンドメンバーのセッション風景。写真の割と中央に映る、真面目な大学生みたいな格好の日向の姿が印象的。
なお、結果的にアルバムに3曲が収録されたものの、いきなりアルバム用のセッションだった訳ではなく、シングルを作るためのレコーディングだったらしいです。
本編
1. EVIL(3:16)
www.youtube.comなぜかこの曲だけPVが上がってない…。代わりにこの動画でも途中から流れるので…。
ART-SCHOOL史上でもかなり珍しい、あからさまにNirvana以来の静と動のグランジスタイルを用いた、グランジ直球の殺伐とした楽曲。散々”日本の新進グランジバンド”と宣伝されたことを必ずしも快く思ってなかった木下理樹が、まるで開き直ったかのように実演してみせるこのグランジは、Nirvana以来のスタイルの要点だけを取り出したかのような、素っ気なく、かつ暴力的で壮絶なナンバーに仕上がっている。後にグランジ・オルタナ回帰なアルバム『BABY ACID BABY』が出たりした今になっても、この曲ほどグランジ色の強い木下曲は無い。
再生直後の、重いフロアタムの効いたドラムの冷ややかな演奏の時点で、この曲の剣呑さが匂わされている。そこから、Soundgarden『Room a Thousand Years Wide』から借用したリフを、Nirvana『Rape Me』のような乾いたカッティングで反復し続けるギターが入ってくる。リフはがっつり借用ながら、元々はドロドロと重たいリフ*2を非常にシャープにアレンジする様は、Blur『Song2』*3などと同じく、グランジの最も端的な部分を切り取ったようなセンスだと思う。木下の声も殺伐としていて、声の細さがここではいい具合に緊張感に作用している。
張り詰めた緊張感が変化するのはまずベースが入る箇所。ギターと同じリフをなぞるけども、その音の重くブルータルな存在感に、プレイヤーとしての日向秀和の大きさを思う。これは弾き方もさることながら、音作りの良さも大きい。
そして、シャウトから一気にサビに突入する際の重量感。グランジ形式のダークで破滅的な快感を的確に示す下降するディストーションギターと、そこから悲痛に這い出してくる木下のシャウトのコントラストの強烈さ、特に少年声な木下が破滅的に声を歪ませるその様が、このバンドらしい、全く頼り無いグランジ感を醸し出していて素晴らしい。そこには時にNirvanaにさえ感じてしまうマッチョさのようなものが入り込む余地がまるで無い。彼の声だからこそ成立する類のグランジがここに存在している*4。
このまま静と動を壮絶に繰り返しているだけでも十分名曲だったろうに、2回目のサビ以降はさらにそこからメロディが発展して、彼らのトレードマークとなっていたコーラスエフェクトの効きまくった神経のバグった音でグチャグチャに書き鳴らすギターサウンドと頭打ちのリズムとでサウンドのテンションが爆発的になる中、低いところから高いシャウトまでをひたすら機械的に往復し続ける木下のボーカルは、まさにのたうち回るような感じがして、この曲の悲壮感にとどめを刺している。
このパートの後の最後のサビまでの間の、メインリフトブレイクを連打する展開はもう、虚無感のダメ押しのような感じ。ベースが先導してひとつの鉄の塊のようにリフを放っては止まるバンドの中で、ミュートせずに響くシンバルの余韻がひたすら殺伐として格好いい。そして、タムとブレスの後に最後のサビ〜発展メロディからの、最後の最後にリフを叩きつけてミュートし殺伐極まりない余韻を残す様は、この曲の徹底したサウンドキャラクターの透徹具合を思わせる。
歌詞は、前作までにあった様々な映画のカットアップのような情景描写はほぼ排されて、虚無と狂おしさの2点だけをひたすら往復するような内容になっている。
気にすんな 心失くした
気にすんなって 何も感じないさ
見えるかい?光の中で僕等
信じれるかい?いつまでも血を流すだけさ
ねぇ 焦がして そう 焦がして そう 焦がして それだけで
その匂いで その匂いで その匂いで 哀しみで
見失って 見失って 見失って 僕等皆
灰になって 灰になって 灰になって 床に降るさ
特に、短いフレーズをひたすら反復するパートの、熱狂と絶望の交差する感じの身も蓋もないどうしようもなさは、木下理樹の歌詞の素晴らしい要素のひとつだと思う。同様の手法を後に『LOST IN THE AIR』等の楽曲でも披露している。
インタビューでの木下理樹曰く「何か攻撃的な気持ちだった」という姿勢が直球で出た、グランジ文化を直球で翻訳したかのような名曲。これを前にすると、ヒロイックさの強い『MISS WORLD』がヌルく感じられてしまうほど*5。その割に、後のこの曲の扱いはそれほど良くはなく、ベスト盤の収録から漏れたり、ライブではそんなに演奏されなかったりもしてはいる。けどそんなことでこの曲の価値が損なわれる訳でもない。当時のバンドの荒廃具合さえ音に味方したかのような、素晴らしいグランジだと心から思う。
2. WISH(2:12)
前曲から打って変わって、シューゲイザー的なギターサウンドの荒れ狂い方で疾走していく、バンドのギターロック方面の魅力を前進させる1曲。そして、このシングル4曲の中で後のアルバム『LOVE / HATE』に収録されなかった唯一の楽曲。廃盤のためある程度プレミアのついたこのシングルを、この曲のために買うかどうか悩ませる楽曲でもある。
冒頭のワウ全開で吹き出すギターから、一気にバンドサウンドが叩きつけるように始まっていく。Ⅰ→Ⅳのコード進行の反復で進んでいく様といいリズムの叩きつけ方といい、彼らの最初の作品『SONIC DEAD KIDS』収録の『NEGATIVE』をよりシャープにかつシューゲイザー寄りにアレンジしたような感じでもある。ギターサウンドについては木下がインタビューで明確に「Swervedriverのギターサウンドを出したいって話をしていた」と発言していて、なるほど…と思う。つい最近サブスクに戻ってきた彼らの1stアルバムを聴けば、その意味も何となく判ると思う*6。この曲とか、ドラムのリズムも共通してる*7。
そんな轟音の中をAメロが始まって、どうサビを付けるのかと思うと、急に演奏がブレイクして、メロディが高く舞い上がる。この曲は、普通なら静のパートのAメロから動のパートのサビ、と繋がりがちな楽曲展開というものを逆にしているのが面白いところ。静のパートのサビにおいては、この後“LOVE / HATE期”の象徴となるadd9の3音アルペジオが導く優しい雰囲気の中、何故か『DIVA』等でも聞かれる「イェーー!」のバックコーラスが流れていて、静かにさせたいのかそうでないのかよく分からないような感じもしつつ、これがAメロの勢いをいい具合に引き継ぐ役割を果たして、そしてサビ終わりの絶叫に上手く繋がっていく。
この曲の最高なところはその、サビからAメロ戻りのシャウトの後に、ファルセットで「トゥルットゥー」と入るコーラスだろう。ある程度の時期までの木下理樹は、オルタナティブロックのアーティストとしては珍しいくらいファルセットを効果的に使う作家で、彼のPrince好きから由来するものなのかなと思うけれども、この曲のこれも非常にキャッチーで、サウンドの爽快感を飛躍的に高めている。特に2回目のサビ後はギターフレーズも第一期ART-SCHOOLらしい攻撃性とゴスさの出たフレーズに変化し、その中でシャウトとファルセットを交互に繰り返すのは突き抜けてる。その狂騒が2分ちょっとであっさり終わってしまうのも含めて、作品集の中の1曲として実に気の利いたフォルムをしている。
歌詞は、『EVIL』に引き続き“感覚の喪失”を歌っている。”LOVE / HATE期”自体そういう曲ばっかりで、それは、破綻した関係性のままなぜか続いていくバンドの中での木下理樹の実感の中心がそれだったんだろうな、と思わせる。
フィルムがゆっくり終わりに近付いて
見つめているだけ 感情がないから ずっと
静寂 その中で 二人は血を流す
静寂 その中へ 二人は誓って堕ちて行く
I wanna feel me, 焦がして 閉ざしきったこの場所で
I wanna taste me, 味わって 哀しみが消えぬ様に
I wanna feel me, 触って ただそれが繋ぐだけ
I wanna taste me, 味わって 哀しみが消えぬ様に
フィルムのくだりは映画愛好家の木下理樹の側面を思わせる。それにしても、こんな爽快に“終わってしまった感情”を歌えてしまうのは本当に才能だなって思う。syrup16gではこうはいかないから、こういった爽快感でもって憂鬱さを甘美なものにしてしまうのは木下理樹の罪深い魅力だなあと改めて思う。
3. モザイク(4:19)
このシングルで最も重く虚しい、空虚さが染み込んでくる様な荒涼とした静寂と、内に向かって行く破滅的な攻撃性に満ちた動のパートのはっきりした、実にこの時期のこのバンド的なミドルテンポの曲。パッド系シンセの効いた静寂とグランジ的な躍動感はそのまま後のアルバム『LOVE / HATE』のサウンドキャラクターの軸になるので、そういう意味でこの曲は結果的に、最も端的に『LOVE / HATE』のサウンドの両極を体現した存在になっている。
前曲の余韻から連続して、この曲の象徴である、薄らとして不穏な膜のようなパッド系シンセの音がフェードインしてくる。かつて『ステート オブ グレース』で始まり前作でも『メルトダウン』等で用いられたバックのSEの手法だけど、この曲で聴けるような抽象的で静謐なパッド系シンセの使い方は、『LOVE / HATE』より後の作品においても用いられ、この手のシンセは今後のこのバンドの重要な要素となっていく。
そこから入ってくるドラムの、音数を絞って、尚且つサイクル終わりのキックのタイミングが少しR&B的な、16ビートなスウィートさで入ってくる具合がまた、この曲の特殊さ。そしてベースが、ただのルート弾きでなくもっとR&Bとダブの感じのするフレーズを弾いてることで、この曲の静パートの空間に非常に広がりが出ている。ライブではここで第二期ART-SCHOOLに先駆けて木下がファンクなカッティングギターを弾くことからも判るとおり、この曲の静パートは明らかにR&B・ファンクの要素が混入している。リズム感はそういったものでありつつ、パッドシンセや冷たいディレイの効き方をしたギターのフレーズ等によりポストロック的な雰囲気もあって、この曲は何気に、当時のバンドの音楽性の拡張が集積した楽曲になっている。木下のボーカルも荒涼としたメロディの中でファルセットを多用していて、Prince的な要素を自身の退廃的なリリシズムに上手く落とし込んでいる。
そんな静謐なパートから、ひたすら粘っこく歪んだギターサウンドとリズム駆動がSmashing Pumpkinsを感じさせる動パートへの変化は非常に衝撃的で、このパート間のギャップはむしろ『EVIL』よりも大きい。殆ど吐き捨てるようにシャウトするように歌う木下理樹の声と、それと対等なくらい強烈に響くギターのリフが、ひたすら傷ましさややるせなさを叩きつける。サイクルの最後に入るギターリフのキメの重たい具合は、鮮やかでサクサクした“Requiem For Innnocence期”のそれとははっきり趣を異にしている。
この曲もまた、2回目のサビ以降さらに展開し、片側のギターが空を引っ掻くようなギターリフに変化しつつ、木下のシャウトがひたすら壮絶になっていく。特に、中盤と、追加メロディが過ぎた後の終盤それぞれの最後のシャウトはまさに、全身を絞り出して投げ捨てるかのような絶望的なシャウトで、ここまで壮絶に叫ぶことができるのは才能だとも思う反面、当時の彼を取り巻く状況の終わり切った感覚が窺われてゾッとしつつ、そこを突き抜けてくるその「本人も制御不能な果敢さ」みたいなものがひたすら胸を打つ。彼のキャリアでも1、2を争うほどの壮絶なシャウト。
そんな壮絶さの最後は何故か急に、バンドの緊張感を試すかのような、ブレイクの掛け合いをして演奏を終える。Superchunk『Animated Airplanes Over Germany』の演奏の終わらせ方を引用してきていて、別に必要性も無さそうなのに半ば無理矢理に入れ込んでくるところが、“LOVE / HATE期”でもとりわけしんどさの強烈なこの曲に少しばかりの可愛らしさを呼び込んできてる気もする。
少し興味深いのが、この曲の2度目のサビ終わり以降のブレイク部で聞こえてくる、おそらくはエレキギターの生音をアコギ的に録音したフォーキーなコードカッティングの存在。“LOVE / HATE期”の楽曲は、その重厚そうなサウンドの所々に、意外にもアコギやこの曲みたいなエレキギター生音のフォーキーなカッティングが入ってくる。これらは時にパーカッシブな響きを添え、時に世界の果てでギターを寂しく弾いてるかのような情緒を醸し出す。この曲では後者の感じが典型的に出ている。
歌詞はやはり、何か既に終わってしまったものを眺める虚しさに満ちている。
終わりを見ているの 二人は立ち尽くしたまま
愛しい人 さぁ舐めて 永遠に君は他人だから
How does it feel? 何も感じないさ
How does it feel? 何も感じないさ
How does it feel? そんな眼で見んな
How does it feel? そんな眼で見んな
諦観に溢れたAメロに対し、自己憐憫が醜く露出したサビの「そんな眼で見んな」がとりわけ痛々しい。MARQUE誌の全曲インタビューでは木下本人さえ痛々しさを痛感していた一節。
アルバムでは『EVIL』の次に置かれ、やはり前曲の余韻を少しだけ残して演奏が始まる。なぜだ。痛々しくも陶酔的で虚無的なグランジ曲はこの曲の後も“LOVE / HATE期”に度々制作され、登場するたびに様々な虚しい詩情を吐き出していく。
4. ジェニファー'88(2:44)
今作で最も伸び伸びとした、荒涼も緊張もしていないギターロックサウンドが聴ける可愛らしい疾走をしていく楽曲。“LOVE / HATE期”においてはズバ抜けて明るいフィールを保有したままの楽曲で、映画的なロマンチックな逃避行の感じも少し有しているところがまた、この時期にしてはテイストが違っていて、それが良いアクセントになっている。
イントロのⅠ→Ⅳのコードをどっしりしたビート感と轟音ギターで演奏する感じは、これはMy Bloody Valentine『Drive it All Over Me』のようでもあり、又はLemonheads『Kitchen』のようでもある。イントロの後テンポが加速する点はLemonheadsの方が近いか。でもギターサウンド的にはマイブラ的なシューゲイザー感も確実に存在する。
Aメロの疾走感の可愛らしさは、瑞々しいクランチギターのカッティングの響きもさることながら、アコギのパーカッシブな響きが左右両方から聞こえてくることも大きいかもしれない。メロディのちょっと悪戯っぽく囁くような低い感じもいい具合のミステリアスさで、そこからサビで、木下ソロの『GLORIA』のメロディをリサイクルしてシャウトするのに繋がって行くのは溌剌さに満ちている。木下のボーカルも突き抜け切るだけでなく少し低いフェイクを差し込んでくるのが、程よいダルさも持たせてあって良い。2回目以降のサビなんて、前作までにあった“サクサクしたキメ”が鮮やかに連打されて、ひたすらギターロックを演奏することの爽快感に満ち溢れている。
この曲の意外に面白いのは、2回目のサビのキメの後の間奏で、珍しくギターソロが現れるところ。シンプルでぎこちなさげながらドライブ感をいい具合に付加するこのギターソロは木下による演奏らしく、ソロ終盤のギターをグチャグチャーって勢いだけで弾いてるんだろうなって感じも含めて、この曲全体に流れる微笑ましさ、罪の無さを象徴しているようでもある。
歌詞も、逃避行のロマンチックさと危うさの両方を、そんなに多くないフレーズで鮮やかに描き切ったもので、やはり本作の他3曲とテイストが大きく異なる。
ねぇ ジェニファー ヘロインと地下水路
そう ジェニファー 僕の雨が聴こえるかい
ねぇ ジェニファー そのままの君でいい
そう ジェニファー 羽根なんて無いから
SMILE ME ジェニファー 溶かして ジェニファー
何気に、“LOVE / HATE期”で時折出てくる「ヘロイン」という危険なワードがさらりと出てくるけども、でも上記の箇所の「そのままの君でいい / 羽根なんて無いから」というフレーズもまた、アルバムの結論的存在として出てくる『しとやかな獣』の思想に先駆けた内容と言えるのかも。
総じてカレッジロック的な朗らかさ・エネルギッシュさに満ちていて、木下自身もそのことを自覚し、今作で一番のお気に入り、こういう曲だけ演奏していたい、などと発言している。その明るさが買われて、後のアルバムにも収録されることになったのかもしれない。アルバムの一番重たくなった場面の後に出てくるもんな。
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後書き
以上4曲で12分30秒の作品でした。
流石に、日本の音楽で1、2を争うほど好きなアルバムの前哨戦の一部ということで、書いてる側も非常に緊張しつつ興奮した状況で書けました。書きそびれたことはないか不安で仕方ないですけど。
『DIVA』の時も思ったけど、それ以上にこの4曲の並びはとてもいいなと思います。緊張感と破滅の1曲目、爽快で少しシニカルさも滲む疾走感の2曲目、荒涼として重く空虚で痛々しさに満ちた3曲目、そして最後謎にハッピーな爽快感を残していく4曲目という並びは、さらりと4者4様にバンドの更なる勢いを上手に表現していて、何よりも楽曲が4曲ともとても良くて、本当に素晴らしいです。このシングルにリアルタイムで接していたら、バンドが絶好調すぎるとしか思わなかっただろうなと思います。
でも、やっぱりこれが、このバンドの最初の破滅の入り口なんだ、という感じも、そう思って聴くと色々見当たるもので、レコーディング中の本人がそんなことを予知して作ったわけじゃないでしょうけど、でもある程度予期するものはあったのかな、とも思ったりしました。だって、『モザイク』でもう歌ってしまってるもの。
終わりを見ているの 二人は立ち尽くしたまま
既に詩情が「終わることへの恐怖・不安」ではなく「終わってしまったものをぼんやり眺める」視点にシフトしていて、それは当時のバンドの状況に完全に合致してたんだなということが、今では様々な資料から分かっています。「破滅の美を求めるあまり本当に破滅してしまうバンドART-SCHOOL」と考えると可笑しいような悲しいような。でも、本当にこの時期の彼らの放つ“破滅の美学”は凄まじいと思います。今回聴いててもやっぱり、強烈に憧れてしまう。憧れてはいけない、現実に体験したら絶対にイヤすぎる情景の数々なのに、どうしてこんなに狂おしいくらい愛らしいのか。不思議なものだなって思います。
以上です。次は、今作で出てきた「終わってしまった後のぼんやり」が6曲(+1曲)連続で出てくるような恐ろしいミニアルバム『SWAN SONG』になります。販売形態もややこしい作品ですが、間違いなくバンドの作品でも上位の完成度を誇る、これもまた壮絶さに満ちた作品です。それではまた。
追記:『SWAN SONG』のレビュー書き直しました。7曲に2万字以上を費やした、自分で言うのも何ですが力作です。よろしくお願いします。
*1:まあそのまま4曲中3曲がアルバムに収録されるのだから、同じ空気感にもなるのかもだけど。
*2:実はオリジナル世代のグランジバンドの多くは、シャープな静と動の展開よりも、もっとドロドロとディストーションギターを鳴らし続けるスタイルがメインだったりする。Nirvanaだって1st『Bleach』の頃はまだそっち寄りだし、この国も含むアメリカ以外の国で広く理解されているグランジのスタイルは、案外当時主流だった訳でも無いんだ、という思いがする。個人的なことを言うと、ドロドロギターリフのグランジは苦手…。
*3:というか、無機質なドラムのイントロという共通点もあり、むしろこの曲は『Song2』に近い感じもある。
*4:似たものにSHERBETS『HIGH SCHOOL』がある。こちらも声の高い浅井健一がソリッドなグランジを演奏する名曲。個人的な話をすれば、先にSHERBETSを好きになって、『HIGH SCHOOL』みたいな曲を探して『EVIL』に辿り着いたのが、ぼくがART-SCHOOLをはじめて聴いた時だった。この曲は、ぼくが最初に好きになったART-SCHOOLの曲だ。
*5:そのヒロイックな物語性こそが『MISS WORLD』の良さでもあるけれど。
*6:もっとも、この『WISH』の方を聴く手段が限られる訳だけども。
*7:もっとも、冒頭のリズムから変化する原曲に対して、イントロのリズムを借用して延々それで回していく引用の仕方の潔さというか、ヒップホップ的にさえ思えるサンプリング感覚は木下的だなって思う。