長い日々も 終わるとは 頭のどこか 知りながら
『取り憑かれて』ミツメより一部引用
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ミツメは2024年9月30日をもって活動を休止しました。
— ミツメ (@mitsumeband) 2024年10月1日
今後は各メンバーがそれぞれソロやサポート等での活動をしていきます。
引き続き応援のほど、よろしくお願いいたします。https://t.co/p9Dm7G1pUe
ミツメが2024年10月の最初の日に、その活動の休止を発表しました。まるで解散みたいな文章が続きつつもあくまで“休止”とするその含みを持たせたような曖昧さにらしさを覚えつつも、まあ少なくともコンスタントなリリースやライブはしなくなるんだなと思うと、寂しさも覚えます。
ただ、その寂しさの性質がどうにもぼんやりしていて、そしてこの性質の寂しさは、なんかこのバンドが活動してる時にも似たようなものを感じてたような気がして、なんだか不思議だな、とどこかで気づきました。ミツメが持ってた、ミツメだけが持ってたのかもしれない、そのぼんやりとした、だからこそ現実味のある寂しさ、今回はその辺にフォーカスして14曲を、彼らの数々のスタジオ音源から拾ってきて、思い返してみるって感じの楽曲です。もっと絞った方がいいような、いっそ20曲くらいにしてもいいような気もしないでもないけど、まあいいや。
2024.10.13 色々追記しました。
いつもの序文形式でミツメの音楽性とか世界観とかを幾らか分析的に書くこともできるだろうけど、今回はそういうのは各楽曲を見ていく際に述べます。まさかこの記事をミツメ入門的に読む人もいないだろうけど、いたとすれば「かつてあった“東京インディー”なる文化圏の一角として登場した、インディーロックバンド」くらいのことが分かってればとりあえずはいいんじゃないかと。
ttps://x.com/mitsumeband/status/1841070557875335571
ひとつ断っておくと、今回選曲した14曲はあくまで「ぼんやりとしつつポップ」なところに焦点を当てたものになっていて、彼らの飄々としつつも案外オルタナな側面*1だとか、もしくは実に冒険的で技巧的なアンサンブルの構築性だとかにはそんなに触れれないところかと思われますので、ひとつそういうものとしてご覧ください。
ちなみに各曲の出展は、先行シングルとかで出てたとしても、その後のアルバムに収録されてればそっちを記しておきます。その方が実物でもサブスクでも探しやすいだろうから。
A
1. ブルーハワイ(2015.10 シングル『ブルーハワイ』)
ミツメの特徴を最も体現した曲として無理やり1曲選ぶならこれかなあと前からなんとなく思ってる。淡いトーンで彩られた同じパターンのギターカッティングを延々繰り返しつつも、コーラス含めた他の演奏との組み合わせで少しだけ情景が移り変わっていく、その箱庭の中の涼しげな夏のような情景とも感覚ともつかない何かが淡々と通り過ぎていく楽曲。
まあミツメの楽曲のうち結構な数のものに同じようなことが言えそうだけども、この曲は延々とストイックにスネアを使わずに4分のキックやハットを効かせていくドラムが尚のこと、“イメージの水槽に閉じ込めた夏”みたいに思わせるんだろうか。退屈なくらい弛緩した光景のふとした瞬間に浮かぶ眩しげな光の反射の音楽、そんなミツメの一側面をここまではっきりと出力した曲もそうない*2。まるでずっと曲名にあるような爽やかに青い水膜の中にいるかのような。
演奏手法としては、とてもソフトなファンクというか、ファンク的な手法をギターポップに溶かし尽くしてしまったかのような。ドリームポップとファンク的なものの何気ない融合、みたいなのはこの時期くらい以降の彼らの基本形のひとつでもあるかも。“ドリームファンク”と称されたこともあるとかなんとか。『cider cider』あたりから始まった試みの、ひとつの完成系だろうか。というかこの“ドリームファンク”なる系統のプレイリストもミツメ単体だけでかなりのサイズのものが作れそうだ。
同じリフのままにメロディとコーラスで作り上げられるサビの、朗らかでポップながらどこか切なげに思わせる技能は、まさにミツメそのものといった趣。彼らはコーラスワークも非常に効果的に用いるバンドだったけど、これはその最たるもののひとつじゃないかな。延々と反復するリフが一度だけ途切れるセクションもコーラスワークで繋ぎ、愛らしさと切なさがほんのり高まる。
言葉数少なげに編まれた歌詞の、おそらく故意に文章として繋がり方が変に仕上げられているところが、イメージを膨らませる。タイトルは夏を思わせつつ、歌詞の中では冷やすイメージが用いられる、その具合。作品の中でしか現れることないような、涼しげでベタつかない切なさだけの夏。そんなもの存在しないから、だからこういうぼんやりした音の合間に浮かぶものなんだろう。
ずっと誰にも会わないで 焦る心を冷やせたらって思うの
なんて思うの 悩めるの もうやめてよ
なんでこんな素晴らしい曲をアルバム『A Long Day』に収録しなかったのかは不思議で、代わりにカップリングの『忘れる』を収録し、その路線の楽曲がアルバムを占めてる様を見るに、アルバムがポップになりすぎることを嫌ったのかな、と思える。個人的には、ポップになり過ぎればよかったのに、とあのアルバムについては思う。
2. 取り憑かれて(2015.5 シングル『めまい』)
この記事冒頭に歌詞を引用させてもらったとおり、ぼんやりと感じられる「永遠に続くものなんてないんだ」という感覚の割に、周りの光景はどこまでもゆるくぼんやりと平坦に連なっていく、その不思議な感じを曖昧な音色のギターカッティングで編まれたのんびりしすぎた雰囲気に見事に落とし込んだ楽曲。
いきなり歌い出す唐突ささえもまた、「日々の平坦さというものにイントロみたいな“演出”は存在しない」という形でこの曲の感じを補強する。朗らかなメジャー調の楽曲には影が差し込むような展開も特になく、延々とぼんやりした明るさが引き延ばされていくようなメロディの組み方と、しかしちゃんとメロディは展開する、その辺の折り合いが絶妙すぎて、そしてそこに川辺素の、一人称としての主張がほとんど削がれた、雰囲気に溶けてしまいそうな人格をさえ思わせるボーカルがふわっと乗っかることで、この曲は「心地よい退屈さが延々と続く」イメージを得る。モジュレーションで輪郭を徹底的にふやかしたリズムギターのカッティングと歌が、この淡々とした光景をリードする。背後でトライアングルが延々と反復してたり、一瞬だけ雰囲気の違うパートが間奏に挟まれて意識がめまいじみて遠のく感じがするのもいい塩梅。
冒頭にも挙げたとおり、そんな延々と続くような曲のイメージの割に、永遠なんてないと直感的に歌われる歌詞が組み合わさるのは面白いところ。延々とぼーっとしていながら、All Things Must Passだよなあという類のことをふと思ったりするようなことは結構誰にでもあることだろう。そんな心に湧いた思いを「取り憑かれてしまったのなら どうするの?」と、何に取り憑かれるのかも曖昧なままに締めて見せるその曖昧な手際は実にミツメ的。
ずっとこれが続くとは とてもじゃないが 思えなくて
日差しに 溶けそうな 声で尋ねた
そういえば、ミツメの歌って“日差し”が割とよく出てくるかなあ。晴れた光景の中に別に意味もなくいる、って認識した時のあの感覚。そういうのを突き詰めようとしたバンドだったんだろうな。
3. fly me to the mars(2012.9 アルバム『eye』)
ミツメといえばのほほんとした雰囲気の裏でクレバーなくらい抑制を効かせた楽曲やアンサンブルの職人的イメージがいつからかあるけども、初期の頃は割と素朴なインディーロック的冒険主義者な側面があった。当時流行してたドリームポップやチルウェイブからの影響を、バンドスタイルに拘らずに大胆にシンセと打ち込みの絶妙にチープな音色とコーラスワーク、そして実にロマンチックなメロディと歌詞とで表現してみせた、ノスタルジックさと明るいスペイシーさとが華麗に合わさった楽曲。これと『煙突』の2曲でシングルを出した時の衝撃は、それを体感した人たちの中では凄かったんじゃないか。7インチとカセットしかない、というのも伝説的。
冒頭の奔流めいたシンセの段階から、この曲がバンドサウンドとは離れたところにあることを予感させ、しかし本格的な演奏の始まる前に川辺素のボーカルが入ってきた段階で、それでもこれはやっぱりミツメの曲なんだなと思わせる説得力が満ちる。ギターも入ってないし、ベースもシンセっぽいしで、演奏としては本当にバンド的な要素は見当たらないけど、それぞれの楽器の絶妙な手作り感、そして次第に現れるコーラスワークなどで、「バンドメンバーが作ったドリームポップのトラック」という感触が確かに立ち上ってくるから不思議だ。
それにしてもこの曲のメロディは実にロマンチックに伸びていく。ヴァースとブリッジの構成で、まずヴァースの中でメロディもコードもどんどん進行していくところが、これよりも後のミニマルさに傾倒していくの*3と結構違うところ。そしてそれらが、空想的な願望とほんの少しの過去へのノスタルジックな感傷とで彩られた言葉と合わさる時の、非現実な次元で射程が無限に伸びていくような感覚。
子供のままで すぐ時が過ぎて
忘れた頃に また旅に出るの
次に住むなら 火星の近くが良いわ
ここじゃなんだか 夏が暑すぎるもの
照り付ける日は 帰り着くあなたを目にして
パラソルの影から手を振るよ
アルバム『eye』の頃までのファンタジーな路線は、それより後の、現実世界の中でのふとした瞬間の目眩じみた広がりを捉えたような世界観とは趣を異にしてるのかも。シューゲイザー・ドリームポップに片足突っ込んでる感じの作品でもあるし。こっちで続けてたらどうだったろうな。そうならなかったことによってバンドがここまで続いてこれた感じもするけども。
4. ゴーストダンス(2019.4 アルバム『Ghosts』)
3rdアルバム以降の成熟した演奏をもとに、普段よりも割増でポップポテンシャルを放出したアルバムが『Ghosts』という作品だった。『エスパー』『セダン』といった先行シングルの段階からそうだったし、アルバム初出の曲でもこの曲や『ディレイ』『タイム』みたいなキャッチーなものが入ってて、個人的には『eye』と並んでとりわけ好きな作品。この曲はAOR化したThe Smithsみたいな流麗なギターフレーズに導かれて、朗らかながらどこか儚げなメロディが淡々と進行していく様そのものにどこかぼんやりとした心地よさと寂しさを覚えられる楽曲。
絶妙にコーラスの効いた蕩けて眩く煌めくようなギター2本による、ゆったりとしたテンポの上でのフレーズの反復が早々に始まり、朗らかなメジャー調の上を伸びやかに広がりながらも、確実に陰りも持ったコード進行と歌と、ハットやキックに僅かに16分のフィールを注ぐリズムとが合わさり、初期のような無邪気さとは異質の、どこか大人めいた芝生の匂いが立ち上る。ベースの動きもしなやかで、この辺は彼らの音楽のベースが2010年前後のインディーロックから、もう少しブラジル方面などのより広い射程に変化していったことの表れでもあるのか。間奏やブリッジでその存在がよく分かる密やかに鳴るエレピの奥行きがこの切なげな雰囲気を裏打ちし、それは最後に他の楽器がフェードアウトしても残ることでその印象にとどめを指す。
歌詞共々、この曲では「ノスタルジーにただ溺れることへのちょっとした躊躇い」そのものに溺れるような構図があるように感じる。まあ後半のミツメがそもそもそういうのばっかりという気もしなくもないけども。
眩しい日々の亡骸をいくつ数えて
誰にも言わずに眠ろう そのまま
記憶は薄れていく あれほど焦がれていた
ふんわりした雰囲気に”亡骸”なんていうちょっと剣呑な単語がサラッと入ってくるところには、後期であろうとも彼らもやっぱりスピッツから連なるツリーの中に立つ者なんだなあと思わせる。そして、この歌詞にあるような「いつかの熱狂からすっかり遠ざかった地点」がいつからか、ミツメの歌世界の常識となっていた。それは結構、作詞者自身のキャリア自体を思い切り制約する行為でもあると思うけども、歌い方共々それを成し遂げ続けたからこそ、川辺素の歌と歌詞を軸にした、後期ミツメの乾いたドリーミーさがあったんだろうと思う。
5. きまぐれ女(2013.7 シングル『うつろ』)
一気にサウンド的可能性を広げたアルバム『eye』の後にどうするのか、という意味で、その次のリリースとなったシングル『うつろ』は何気に重要な地点だったと思う。彼らはシンセを横に置きとりあえずギターを握り直した。リードトラックはまだフニャフニャとしたギターでとぼけて見せるが、『会話』とこの曲は、その後のミツメの方向性をある程度規定したと思える。すなわち、ギター2本とリズム隊によるファンク的なミニマルな反復の中でどれだけドリーミーな想像力を落とし込めるかというトライアルの、その試金石的な楽曲として、変なエフェクトも含め少しユーモラスなところに落とし込んだ曲がこれだと言えるだろう。『会話』はもう少しガチに後期ゆら帝とか坂本慎太郎とかそういう世界だもんな。
メロディというよりもアタックそのものの断続的な反響を聞かせるギターにベース、そしてシェイカーの連なる光景は、『eye』の頃のシンセで埋める雰囲気と随分趣を異にし、スプリングリバーブがThe Ventures的に効いたもう一本のギター共々、「無音を取り囲む楽器間の間合いで聴かせる」気概にバンドが移行したことを知らせる。このような形式の楽曲だと、歌はどっちかというと「演奏の隙間をどうにか見つけて差し込むもの」という感じがして、朗々と歌ってた『fly me to the mars』みたいなのとはかなり方向性の違う異になってくる。そして、これ以降のミツメの楽曲の多くは、こっち側のスタイルを貫いていくことになる。勿論、歌が主か演奏が主か、というところを自身の特性と実力でぼんやりさせていくのもミツメの素晴らしいところではあったけども、でもこの曲の時点では明らかに演奏主で、歌はいい意味で“添え物”だけども。
それでも、この曲においては「かどわかされそうで」というフレーズのコーラスが繰り返し差し込まれてくるのが一定のキャッチーさを確保している。また、このコーラスが最初に出てきた後に演奏が一旦ブレイクし、代わりに玩具箱を脳内麻薬のプールにぶちまけたような様々なエフェクトの乱れ飛ぶ展開は、この時期だからこその過渡期っぽい眩しさを感じさせる。もしくは、この辺も含めたトロピカルでオリエンタルなファンク加減は、細野晴臣の一定の時期も参照元としてあるんだろうか。
歌を演奏に差し込むスタイルの作曲になると、往々にして歌詞としておける言葉数は減る。この曲もそんなパターンなので、書き出すと全部書いてしまいかねない。ただ、タイトルの「気まぐれ女」という、少しミツメっぽくない言い回しにはほんのりと可笑しみがある。あんまりパートナーの特徴を言葉にしないイメージがある作詞家だけど、これは本当に例外的な場面じゃないかな。
6. メビウス(2023.5 シングル?『ドライブEP』)
結局、デジタルリリースしたシングル3曲を含んで2023年にリリースされた4曲入りの『ドライブEP』が彼らの最後のリリースになった。「今の所の」と付けたい欲求に駆られる。その中だと一番ポップなメロディを持つこの曲は上述したような、演奏の間合いで聴かせる方向性と歌をしっかり聴かせる方向性とをしっかり折り合いつけた、つまり彼ら流のトロピカリスモの方法論とスピッツから受け継いだ歌心との折衷の、その休止段階での最終地点とでも言うべき楽曲と呼べるだろう。
冒頭から聴こえてくるリズムの、何気になんと複雑なことか。ハットの微妙な強弱により流れを作り、アクセントとしてのスネアはロック的なオーソドックスな入り方を全く拒絶する。いつかThom Yorkeが言ってたとされる「自分の完璧な世界では、スネアは2拍4拍に鳴らないんだ」というのを思い出させる。非ロックンロール的な複雑性を求めてきた彼らのアプローチも極まったところながら、その上に演奏されるギターフレーズが案外に直接的にキャッチーなところがユーモラスなミスマッチを起こしている。えっそんなエフェクト使うの…?と思わされるチープなピッチシフトエフェクトの挿入もまたユーモラスで、つまりここでの彼らは、トロピカリスモ志向とインディーロック的な部分を、案外に強引に折り合いつけようとしている。
ひたすら複雑に反復し続けるリズムの上で滑らかに歌が進行していくのは不思議な感じがする。歌だけ取り出せばこの曲は『Ⅵ』以降で最もスピッツ的テイストの大きい、もっとシンプルに演奏した上で売り出せばちょっとしたヒットも狙えそうなポテンシャルを感じさせるロマンチックさがある。間違いなく、演奏に歌を差し込むスタイルではなく、歌とコードを元に作られた曲と言える。歌詞の進行の締めが「愛に溺れて」となっているところとか実にスピッツな感じじゃないかこれ。
密かにウッドベースが鳴っていることは、ブレイクの箇所で特に印象的に響いてくる。2回目のヴァースの後に置かれたこのブレイクの吸引力は素晴らしく、初期スピッツ的な奥行きと、ウッドベースであることとそのフレージングからLou Reed『Walk on the Wild Side』を思わせるところもあって、大切なアクセントとして機能する。
それにしてもロマンチックさに思い切ったのはメロディだけでなく歌詞もで、おそらくこれは悲恋の歌だろう。1stアルバムの頃に多かったこのテーマを、成熟したこの時期に改めて取り組むとこうなるのか、という面白がり方もあるかもしれない。
通り抜けたはずの街の中 立ちつくして見つけたメビウス
離れて見失う心 告げることもない愛に溺れて
より直接的で無邪気で可愛らしい1stの頃と比べると、こちらの屈託の滲んだ様は、成長するってこういうことなんかな、と思わせる距離と時間の感じを覚える。
7. Paradise(2014.2 アルバム『ささやき』)
筆者は3rdアルバム『ささやき』からリアルタイムで彼らの作品を聴くようになったけども、このアルバムの『eye』から一気にロマンチックでドリーミーな部分が削れた様には最初面食らった。好きだった部分が一気に失くなった感じがした。でもその変化が必要だったことは今だといくらか分かる。先行曲だった『停滞夜』と同じくこの曲もファンクさを前面に押し出した曲で、より無音の間合いを大切にして、楽器の反響やボーカルの心細くなるような存在感を強調した音構成にして、慎重なファンクの間に浮かぶ無音の中にぼんやりとした含みを多く持たせた楽曲。
この曲ほど夜的なダークな無音の感じを強調されたミツメの曲もない。テンポもかなりじっくりに、音数を絞ったリズムから入り、ベースとディレイの効いたギターの、間合いを慎重に図るような控えめな演奏が、楽曲に無音を大きく呼び込む。ここまで暗いスカスカさを呼び込むことをこれより後の彼らはしなかったから、この曲は結果的にバンドで最もそういうことになってる曲になった。同じコード回しながら、サビではエレピもコーラスワークも入るのに、シェイカーやトライアングルなども入ってくるのに、しかしその無音は維持され続ける。ベースもここぞとばかりにダビーな音色を効かせたりして、結構この曲しかやってなさげなことがあるのがこの曲のいいところだと思う。あと同時期の同じタイプの曲『停滞夜』『ESC』より曲展開が分かりやすいのも好き。
そしてだからこそ、3分17秒くらいからそれまでの静寂を打ち破らんと出てくる、中々にマッシブに歪んだギターソロの存在感は大きい。楽曲終盤はこのギターの独壇場で、時折かなりノイジーなザラリ感を放ちつつも、しかしエモーショナルにはなりすぎず、無音も殺しすぎない加減は、こういう曲でも半ば無理矢理にオルタナを通そうとした際のトライアルとして相当興味深い。
この曲も演奏に歌を差し込むタイプの典型例のひとつなので、歌詞は少ない。少ないながらも、いい感じの間合いと奥行きを作らんとしている。
誰一人戻らない それはいつも聞いていたんで
歌い出し、何気に剣呑な話だけども、なんのことを言ってるのかはちっとも分からない。そこに想像の余地がある、というのは彼らの常道。そう思うと、『エスパー』や上述の『メビウス』辺りの歌詞ってまだちゃんと状況を説明してる感じがあるなと思う。
(今にして思うと、ジャケットからして「ミニマルをやるぞ〜」って気合いが入ってたのかも)
Interlude
ラストライブの話
筆者は福岡市在住だし、これがラストになるというのも10月になってから分かったことなので当然行ってないけど、まあ休止前ツアーとかして欲しかったけど、でもそうせずにこうやってさらっと終わるのも彼ららしい気はするところ。
セットリストを見ると、あんまりこの記事のリストと被ってないなあと気づいて、少し面白い。メンバー、どんな気持ちとルールでこれを選曲したんだろうな。1stから順番に披露された楽曲群は、これが実は実質解散ライブめいたものだったという伏線的説得力に満ちたもの。何気に3rdから5曲と最多の選曲になっていて、特に思い入れがあるのかな。冒頭『タイムマシン』とか3曲目で『煙突』とか、キャリア順だから仕方ないにしても登場が早すぎてなんか笑える。
メンバーの気が向いたらライブだけでもいいのでまた活動してほしいですね。
過去に書いてた記事
弊ブログが今のはてなブログになる前の、もうどこのブログサービスだったか忘れたけど、その時の記事をインポートしたものを貼っておきます。インポートだからかレイアウトが崩れて見づらい。
読み返しもしないけど、これらを書いた時期は、特に『eye』には新しいインディーロックの潮流みたいなのを感じて、すごくテンションが上がってた気がします。ドリームポップ路線にさらに傾倒してたらどうなってたんだろうな。バンドの寿命縮まってたかな。何もわかりません。
どうして(解散に近そうなニュアンスの)休止したのか
そんなの知りません。ただ、彼らのインタビュー等を読むと、彼らも色々と挑戦的で実験好きなスタンスがあるから、ゆらゆら帝国みたく、『ドライブEP』より先に彼らが集まって作るだけの挑戦の余地が見出せなくなってしまったのかも、とは思いました*4。
またいつか、彼らが集まって何かこういうのやりたいな、と思える時間が来るといいなと思います。彼らはかつての東京インディー勢の中でもとりわけ楽曲を分析しがいのある、とてもロジカルにチャレンジングなバンドでした。
B
8. 天気予報(2016.6 アルバム『A Long Day』)
わざわざ『めまい』や『ブルーハワイ』といったキャッチーな曲を収録せずに作った4thアルバム『A Long Day』は、それでも前半はキャッチーな曲が結構多いけど、後半はメンバーの趣味まっしぐらな激渋路線で、別に悪くはないけど勿体無い感じがしたりもした。まあその不満は『Ghosts』で解消されたのでもういいけども。この曲はそんなキャッチーな前半を特に象徴する曲で、コーラスが効いてて変な音ではあるけどもメリハリの効いたこれはこれで乾いたトーンのギターのドライブ感を軸に、ポップポテンシャルを淡々と3分弱という小ぶりなサイズに収めた手腕が鮮やかな、この時期の彼らが可能な範囲でのインディーロックを体現したような楽曲。
ポーンと雑に投げられたギターの音とドラムのイントロの時点で、この曲の気楽な感じはこの時期の彼らとして例外的なものがある。割と高音を弾くベースと、ミツメ名物なデッドさ極まった音質のドラムの上で、明確にリズムとリードの分かれたツインギターが、コーラス塗れで変な音色ではありつつも、メジャー調の上で整然と演奏を繰り広げる様は、実にベタにロックバンド的で、自分のようなロック者には大変分かりやすくて助かる。楽曲の方の『ささやき』で発見したトーンを、より朗らかにポップに転用したその趣は、実験精神と向上心に満ちたこのバンドとしては安易という批判から、そうだよこういうのでいいんだよって安易に思う自分のようなのまであるだろう。いや、このグジュッとしたギターの音でここまでカラッとポップな曲を演奏する、その可笑しみは大いに評価されるべきもんだと思うけども。
ミツメはかつて、スカートとトリプルファイヤーとで、「東京インディー三銃士」なる冗談めいたアピールを自他共にしてたけど、その中での貴重なスタジオ録音の成果物であるお互いの楽曲をカバーした『密造盤』*5の中で、スカートの『どうしてこんなに晴れているのに』をカバーした音源があるけども、上述のグジュっとしたギターを効かせて3分ポップを演奏する内容はとても良く、そういうのをミツメの曲として聴きたいな、と思ってたところにこの曲が出てきて、とても嬉しかったことを思い出す。間奏で俄かに熱を上げていき、らしくないくらいハットをふくよかに叩くドラムが盛り上がる。そんな展開を含んだ上で、楽曲全体としてはメロディの程よい抑制加減によって、どこかぼんやりしたイメージは維持されるところに、ミツメというコンセプトの強さを思う。
こんなポップ目な曲でも、歌詞においてはさりげなく、喪失の類の話が描かれる。ほんとコンセプト。
風が時おり知らせる 手に入らぬものなら
一つ二つくらいある 次第に増えていく
何気に「手に入らぬもの」がたった一つ二つしかない、というのは不敵だけども。その辺は歌詞の詰め込める量とあとはフィーリングの問題か。
9. 睡魔(2021.3 アルバム『Ⅵ』)
コロナ禍の到来により完全リモートで制作された楽曲も含んだアルバム『Ⅵ』が最後のフルレングスになるとは、製作時の彼らも思ってもなかったかもしれないしどうか分からない。インタビューを読むと、今回選曲した2曲はどっちもリモートではなく普通に集まって作ってたみたいだけども。独自の作業場と固定エンジニアを有し、チームで制作を続けてきたこともこのバンドの強みだったけども、それはことさらにこの曲のレビューで書くことでもなかったか。この曲としては、架空のリゾートを夢想するチルウェイブ・ヴェイパーウェイブ以降の流れをトリピカリスモ的演奏で現実世界に着地させる後期ミツメの手法の極北といった趣の、メロディアスながら徹底して熱のない涼しげなままに、限りなく完璧に近く構築されたリゾートホテルめいた楽曲。
ポーンと鳴るハーモニクス音を合図に、実にミツメ的なミニマルなブリッジミュートのフレーズが聴こえてくる。リズムはハットの強弱で流れを作る『メビウス』などと同様のスタイルで、この質感はさらっとしつつも実に複雑な演奏はバンド終盤の須田洋次郎ならではの技能で、かつての手数を最小限にスカスカな演奏で空間を作るやり方と大きく趣を異にする。この曲のリゾートホテル的洗練は、このスムーズなリズムの存在が大きいように思える。メジャー調ながらどこか視線のぼんやりした感じの歌のメロディは、特に余韻の残し方にそれこそトロピカル期の細野晴臣的な異国情緒テイストを含みつつ、ブリッジでのメロディの飛翔のさせ方はスピッツ譲りの大らかさがある。
2分を過ぎた辺りの間奏での霧が出てきたかのようなディレイの用い方や、3分18秒以降のブレイクして以降の発振の音も交えた、少し目眩で気を失うみたいな展開など、小技を的確に効かせつつ、楽曲はしかし澱みなく進行し続けていく。よく考えたらブレイク以降は5分近くの尺の残り全てがインスト部であり、歌うベースライン、そしてやがてノイジーでオルタナなギターソロが遠くに現れる様など、徹底した造り込みで、最後のもの寂しい余韻までを駆け抜けていく。その様はもはや職人芸の域にあったかもしれない。何の職人なのか。
歌の終盤に「溶けそうな 眠りに誘われて」で締められる歌詞は、ムードで押し切ることも出来ただろうに、まるでノルマかカルマかのように、ぼんやりとした後悔めいた言葉が混じる。
許せずに絡まる思い出は なぞるほど鋭く突き刺さる
よくできた言葉をいくつも並べて 走るのに
メロディの組み方の都合によりどうしても少なくなってしまう言葉数に対してこのような悩ましいフレーズを的確に入れ込む、その手腕は流石。
10. サマースノウ(2011.8 アルバム『mitsume』)
普通のロックバンドがミツメ的なオブスキュアーさを模倣しようと挑むなら、1stアルバムの楽曲から入るのが何だかんだで近道なんだろう。ミツメがスピッツのフォロワーと2010年前後のオブスキュアー化するUSインディーの間に生まれた子として始まったということを、あの1stアルバムは分かりやすく示している。このリストには最初『三角定規』を入れてたけど、やっぱあれは爽やか過ぎてぼんやりさに少し欠けると思われたので、この「1stの中では割とこれより後のミツメっぽい」シュールなオブスキュアーさが屈折した旅情に混じり込んでいる、1stにしては情熱に欠け、ブリッジミュートのリフ共々その分3rd以降の雰囲気と共通するものが結果的にある楽曲を選び直した。
作った当時はどこまで本気だっただろう。音処理としてはともかく、歌としてはどこかエモーショナルな要素を見出しうるところもある『クラゲ』『三角定規』『タイムマシン』などに比べると、この曲はかなり捻くれてる。イントロからして、あのアルバムの割にストレートな性質からすると異質な、ふざけてるかのような単音ブリッジミュートのリフで始まる。まさか数年後にはこういうギター演奏の方がメインになるなんて、当時の彼らも思いもしなかったんじゃないか。歌の気だるさも大概で、変なところでファルセットになったり、メロディをだるそうにしゃくりあげて歌ったりと、そのスタイルを3rd以降の“ミツメ定型”に留めるには早すぎる時期だからこその自由さが、今となっては可愛らしくも愛おしい。その自由さは川辺素という歌い手が自身の歌い方のスタイルを模索する上で捨ててきたものも混じってるだろう。
ちゃんとヴァース→ブリッジ→サビの流れがあるのがこの時期のミツメだけど、それはこの曲にも当てはまり、ブリッジの箇所ではこの曲で一番この時期らしいメロウな展開を見せる。しかしながら、それに対してサビの展開は雑というか、ギターの大味なリフの上に少し言葉を乗せただけみたいな素っ気なさが、これがまたもう数年後以降の彼らと半ば偶然に似てしまってるのは面白いところ。もっと露骨に気だるさを出してはいるけども、でもサビの最後はより感傷的なメロディに発展させ、そこからブレイク→次第に演奏がクレッシェンドしていき、ある地点で一気にファズ解放、という初期だからこその大暴れを見せて果てる。その果て方の前のめりで荒削りでオルタナな感じは、ある意味ではこのバンドが最も無邪気な時期の墓標めいてもいる。
「夏の雪」と題されているとおり、結構夏をデフォルトの季節にしてるところのあるミツメにおいてこの曲は珍しく冬の要素が入り込んできてる。演奏にもそのつもりのものがあったろうし、歌詞にも唐突に“津軽”が出てくる*6*7。
何度も翳りゆくのを目にしてて
情けない気分を ずっと前から抱えてたんです
汽車が揺れる 夜を乗せて 君はどこか もう居ないみたい
直接「情けない気分」と素直に書くあたりが若さだけど、それでもこの歌詞でも十分どこか老成してるようなところはある。1stのミツメは別に単に実際若くて青春じみてるところが残ってるだけで、これはこれで十分に完成している。1stの世界こそを好んでる人も結構いることだろう。そこに彼ら自身が戻ってくることがまずない、ということ自体があの作品をより甘く美しくしていくんだろう。
11. セダン(2019.4 アルバム『Ghosts』)
いつ頃からか以降のミツメは「いつかの熱がもう失われて見つからない」というある意味ではおっさんじみた月並なことを手を替え品を替え延々と歌い続けてる印象さえあるけど、でもそれをこの曲くらい瑞々しく鮮やかに表現されたら、それはそれで本当に見事なものだと思う。ユルユルのテンポで奏でられるずっこけサーフポップを、丁寧な音の響きと展開に合わせた案外大味なアレンジで、ユーモラスながらキラっとしつつセンチメンタルな要素も入った、“ミツメのシングル曲”だなあって感じのする晴れやかな曲。あまりにも理想的なミツメのポップスすぎて最初は自己模倣したのかと最初疑ったけども、案外ここまでストレートなのはやってなかったね。スピッツ『青い車』のミツメ版と思うと、とてもとてもしっくりくる。夏!海!なのにこの爽やかなグッタリ感!実にミツメだ。
イントロのギターの動きからしてさりげなく必殺。ゆるく煌めき、予め退屈さも適量含んだようなこのポップなフレーズを出せる時点で、この曲の性質は説明が済んでしまったようなものでさえある。間抜け気味にスネアを2回叩くドラムの決まりきった楽しさ。いつものコーラスとリバーブを効かせつつもノリノリでコードをポップス的タメ方で短く鳴らすリズムギター、言葉数少ないながらもしっかりとポップなラインを紡ぎ出すボーカル。何もかもが、この曲の「ちょっと間抜けで冴えない、なんか寂しくてそれが爽やかな夏」に向かっていく。しっかりとメロディを展開させ、楽曲の展開にしっかりとオチを付けていく。『エスパー』制作の苦労*8を突破したことで、ポップソング制作の覚悟を得ることが出来たのか、彼らがここまで自身の演奏能力をポップさに注ぎ込むのも珍しいことだ。サビのコーラスワークなんて実にポップスを生で行ってる。『fly me to the mars』で半ば余技めいて披露したポップさをしっかりとバンドに落とし込んだ感じでもあるのかも。
ずっと弛緩したポップスとして終わっても全然いい曲だと思うけども、この曲はさらに“ミドルエイトで焦れてみせる”というこれまたポップソング王道の展開を盛り込み、そしてそこにこそバンドのオルタナなファズ要素をブチ込んでみせる。歌はのんびりを保ちつつ、音量的には派手ではないものの、しかし確かに嵐めいたギターの音が渦巻いていて、そしてそれはミドルエイト終了後にサビに戻った際も、まるで漣の音のように背景に残り続ける。何というオルタナ的手法のロマンチックな昇華方法だろう。そして、サビのメロディを中途半端なところで終わらせて、演奏で展開のオチを一旦付けてからの、再度演奏が始まっていく様の、人懐っこい名残惜しさ。ミツメのポップソングとして100点中120点の出力だろう。
歌詞も、ふんわりしたゆるい曲調の中でこれでもかとぶち込まれた「ままならない」な感じがサビの鮮やかな海の光景に拾われる、そのストーリーテリングの卓越。歌い初めから飛ばしてるもの。
行きたいところとか どこも無いくせに
会いたい人とか 誰もいないのに
夜明けに君の格好悪い車で海を目指してる
ゆらめく灯り 遠くになら 綺麗なだけで見れるのに
歌い手の主観的には割と虚しさが切羽詰まってる気がするけども、それを何回も見た海で心がざわつくことで、曲展開も相まってなんかさも解決したような形に落とし込む、まるで詐欺みたいな飛躍、これぞポップソングに許されたなんかまあいいんじゃね形式のビターエンド。これ、「君」が歌詞に書いてなかったら、かなり虚しいだけの歌じゃないかなとさえ思うけど、「君」の車になるだけでこんなにドラマチックな余地が生まれるんだなあとも思う。
12. 3年(2014.2 アルバム『ささやき』)
アルバム『ささやき』の後半はかなり実験場的なテイストがあって、地味な感じの割にとっ散らかってる。最後の『number』がミツメ的な雰囲気を横に置いてえらく格好いいのも含め、とっ散らかってる。その中でこの曲は密かに初期から受け継がれる「静謐な中で曖昧に美しいまま通り過ぎる」タイプの楽曲として、派手な展開も見せず、最後にそうなりそうな予感だけを残して終わってしまう。そのアルバム中の存在の時点で儚げなぼんやり加減をしている。
何気にリズムだけを取り出すと『Be My Baby』形式のドラムになっている。だけどそこに華やかに展開するメロディや楽器は乗らず、代わりに、夢見心地のまま力なく漂うような頼りない歌と、そんな歌をかき消さないよう眩いアルペジオで包み込むギターや優しいタッチで動くベースラインが延々と鳴り続ける。メロディは確かに展開するものの、ギターソロは存在はするものの、それらは決して不可視の膜を突き破ることなく、眠ってる人の僅かなみじろぎ程度の動きにしか感じられない。
終盤になってビートが8ビートになり、そして8分で打ちつけるようになって、ギターの動きも何かあるか、と思わせて、クリーンな音のまま少しだけ掻き鳴らして、呆気なく終わり。ぼんやりした夢の中ならオチなんてそんなもんだろうか。色々とポップになりそうな要素を抱えつつ非常に大人しいまま終わってしまうこの曲は、この時期くらいからのミツメの「大きくポップをすることへのためらい」そのもののようにさえ思えるかもしれない。そんなことを、無意識的に『セダン』と並べてしまったばっかりに考えてしまった。でもそのためらう具合の結果できたぼんやりと小さくポップな様もまた、これはこれで愛しいものだと思う。
歌詞は文章として繋がらないものが中途半端な形で書き連ねられている感じがするけども、そんなゆるく混濁した中で、やっぱりどこか自己嫌悪じみたものを垣間見せてくる。
きっとこのままじゃ居られない事を
最初諦めたのは僕の方だったよね
13. 煙突(2012.9 アルバム『eye』)
自由に空想をファンタジックに羽ばたかせていくソングライティングと、シンセも活用してのシューゲイザー/ドリームポップ的なサウンド実践とか結びついた地点に生まれた、吹けば飛ぶような心細さが次第に光となって視界を覆い尽くすような曲展開をする、彼らの現実を超越するタイプのロマンチックさの最果てを形作る大名曲。3rd以降のバンドに制約をかけるより前の時期だからこそ実現した類のものであり、なので仕方ないだろうけども、これよりもロマンチックさにブッ飛んだ楽曲は遂に現れなかったな。だから多くの人から名曲と扱われ、バンドもスタジオ音源ほどのブッ飛びは抑制しつつも演奏し続けることとなった。
えらくエコーの効いたキックが雑に等間隔に鳴らされる、そんな雑な始まり方をこの曲はする。早々に歌も入り、ベースもギターのコードも短いアタックだけしか置かれてないからとても心細いまま、しかしメロディは流麗にメランコリックなラインを描いていく。ブリッジで最後の音を低く外しながらもきっちりとオチを付ける、素晴らしいメロディメイクを思うと、これより後のバンドがどうして『エスパー』制作で凄い苦労する羽目になったのかよく分からなくなる。間奏でリードギターが描くラインも心細くて切なく、この曲は本当に可憐なものに満ちてるなと思う。
2回目のヴァースから、ヘンテコなアルぺジエイターの効いたシンセが入ってくる。この辺りからこの曲の不思議さは次第に増していく。メロディがブリッジに移らず、代わりにファズがよく効いた太いギターがざっくりと楽曲を彩り、そのザラザラした質感と引っ掻き回してロングトーンを鳴らしてるかのようなスタイルは、この楽曲で2番目にエモーショナルな存在だろう。淡々とした歌よりもずっと雄弁に、歌に込められた情念を代弁してる感じすらある。
そして、そんなギターソロの後に現れる、全てを薄く淡く塗りつぶすようなドローンシンセのレイヤーが、この曲の最もエモーショナルな部分を担うことになる。このシンセと歌だけが残り、心細さがノイズに変換されて辺りを埋め尽くしたかのような、後継のネガポジが裏返ってしまったかのような仕掛けは、ミツメ全曲でも随一の大胆な仕掛けで、このブレイクは初期スピッツの間奏で時折あるのと同じような効果を狙ったんだろうけども、スピッツよりも歌の狂気度が低いが故に、よりこの反転は非現実的で、超越的で、そしてだからこそどこまでもぼーっとして、殆ど漠然として、そして心細く感じられる。ヴァースが終わりブリッジに入るところでベースが入ってきたところで、不思議な安心感を覚えてしまうだろう。そして歌が終わると、やっとドラムが入って、そしてシンセとファズギターが感情の如く吹き荒れる、ミツメ史上最もエモーショナルな時間が少しばかり始まって、そして終わる。その寂寥感は、映画ひとつ見終わったような感じさえすることもあるかもしれない。
この曲も同じシングルに収められた『fly me to the mars』と同じく、そもそもの設定がどこかファンタジーめいていて、だからこそのメランコリーが渦巻く、ちょっとしたドラマ仕立てになっている。歌詞だけなら本当にその一場面だけしか写してないけど、歌詞の外側に広がる物語を大いに想起させること、それがこの曲の偉大さだろう*9。
オイルにまみれて泥だらけ 君が整備したマシンで
町を行く 夜明けに追いつく
白煙をあげる煙突が 急に光を遮って
二人しか見えなくなってた
陸橋に差し掛かったとき ミラーに映ったのは
髪の長かった頃の君だったような
大人気曲であり、ライブでも作者の弾き語りなどでも頻繁に登場してきた曲だけど、「大人しい歌と曲でも、演奏によって感情を爆発させることができる」という要素はスタジオ版のみの特権だったりする。そしてこの曲の存在こそが、このバンドがもし3rd以降の抑制されたバンドサウンドに行かずに轟音をシンセとギターで鳴らしまくる方に行ってたらどうなっただろうか、と可能性を想起させてくる元凶だ。そんな可能性の妄想なんてしても益は少ないかもだけど、少なくとも言えるのは、今聴き返してもこの曲には感情がいくらでも吹き飛ばされるなということ。
14. トニック・ラブ(2021.3 アルバム『Ⅵ』)
最初聴いた時思わず「えっ何すかこれ…(笑)」みたいになったのを思い出す。シンセに入っていた音程のある打楽器の音をメインサウンドとし、その少し間の抜けた反復を軸に淡々と進行しつつも、キャッチーなサビと以降の少し熱を帯びる演奏とで、時空がちょっと捩れたようなポップさを醸し出す、変なんだけどシングルとして出す意味はよく分かる、不思議な曲。成熟した上で『fly me to the mars』的な方法論の曲をひとつ作ってみた、といった趣なのか。実にぼんやりととぼけきってみせる。
インタビューによると、ヤマハDX-100に収録された鰐口、スティールパン、ティンパニの音がこの曲には入っているらしい。“鰐口”って何…!?実機ではなくシンセで再現した音だからますます何の音なのか分からない感じになり、そんなチープで薄っぺらい音が、冒頭から一定のループで鳴り続ける。案外シンプルな8ビートを刻むドラムとボソボソと鳴るベースの上でこのループが鳴る光景は実にシュールで、また何のコードかもまるで分からない。そんな中も平然と歌が始まり、どこかで何となくコードが変わった感じもしつつ、でもメロディ的には盛り上がることもない。
しかしこの曲はサビで急にちゃんとサビになる(笑)シンセ打楽器のパターンも変化し、ちゃんとコードの移り変わりを歌とベースとともに感じさせてくれる。そして、そんなに高低差はないけどもしっかりとロマンチックなメロディを描いてみせるソングライティングは、こんなヘンテコな曲でも、いやむしろこんな曲だからこそ、より優雅で華やかに感じれるのかもしれない。ポイントで入ってくるクラップの音のチープさがとてもらしくて気持ちいい。ライブでも鳴らされるこのような音は、ドラマーがドラムパッドも合わせて演奏され、それによるサウンドの幅の広がりを典型的に体現してたバンドのひとつだったなと思う。
そして、2分半ほどで歌も終わってしまい、あと2分は延々とインストが続いていく。気持ちいいタイミングで鳴るクラップの音が嬉しく、実にシュールでゆるい雰囲気がダラダラと連なっていく様は、こんな飛躍をミツメもするんだな、というシュールな驚きに満ち、そして、一度フェードアウトしたものがまたフェードインして、エレクトロ的なノイズも交えつつ、なんか演奏としてしっかり完結させるところがまた可笑しく、そしてそのやりきった感で、なんでかこっちまで嬉しくなる。
歌詞は本当に映画かドラマのワンシーンを切り取ったような光景をしてる。
グラスを傾けて 言葉も飲み干した
二人には触れない 凍らせたいくつもの
「いくつもの」とその後のサビの「夜が止まりそうになった瞬間」の間が行が開けられて、文章としても繋がりが悪いことから、「いくつもの」の行は本当にこれで文章が途切れてるらしい。こういう日本語の崩し方をミツメは最後までよくしてた。それで十分に伝わるしその先を言う必要も確かにないことが、この書き手の文章圧縮能力の高さを思わせる。
夜がいつも通り過ぎてゆくのは それも悪くないから
そしてこの曲では、宙吊りの関係性を消極的ながら肯定さえしてみせる。この辺の微妙なニュアンスの出し方は、確かに書き手の成熟がなせる業だろう*10。初期も後期もどっちもいつまでも楽しんでいたいもんだ。
ちなみに、このような特殊なサウンドで作られた曲なためライブでどうやって演奏するんだよ…とこの度の活動休止後にこの曲を知った人は思うかもしれないけども、ちゃんと公式がライブ動画を残していて、こうなります。コーラス利きまくりのえらくひんやりした感覚のニューウェーブポップで、これはこれでかなりいい。終盤の展開など、スタジオ版のあっけらかんとした感じと全然違ってくるのはライブならではか。
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おわり
以上14曲でした。この後にSpotifyのプレイリストもあります。
今回は、ミツメのベスト盤的な選曲にした記事にする案もあったけども、でも活動休止と聞いた時に真っ先に浮かんだ曲が『取り憑かれて』だったので、それに合わせて選曲のコンセプトも“ぼんやり”というよく分からないものにしました。絶対、ここに上がってる曲よりももっとぼんやりした曲あるんだけども、筆者はポップなものが好きなので、このような14曲になりました。
ぼんやりしてなくてポップなものに触れられなかったのは少し心残り*11だけど、その辺はまたどこかで何か書く機会もあるかもしれない。そうやってぼんやり日々を過ごしてたら、ミツメ本人たちがまたなんか集まってライブとかひょっとしたら新曲とかもやってくれるかもしれない。そういうことに淡い期待を抱きつつ、たまにこのプレイリストでも聴いてぼーっとしながら、ぼーっとすることの良さも少し噛み締めながら、日々を過ごそうと思います。
ここまで読んでいただき大変ありがとうございました。それではまた。
2024.10.13追記
久々にそこそこ読まれて反応があって嬉しかったので、それに気を良くして色々と加筆してたらその流れで「“ドリームファンク”と一部で呼ばれる系統のミツメの楽曲」だけを集めたプレイリストが作れそうだなあと思い、パッと作ったので、こちらも貼っておきます。自分が普段好んで聴かなかったタイプの曲が集まった気もしますが、こうして並べた上で“ドリームファンク”なる語を添えて聴いてると、なんかこれはこれで分かるような感じにもなるかもなって思いました。
*1:特に4人以上の楽器演奏が不可能なライブだと、スタジオ音源と比べての音数不足を補うためか、リードギターの大竹雅生がファズい太いリードを弾き倒す場面がより強調されて、スタジオとはまた違った潔さみたいなのがあって、いいロックバンドだなあと思ったことが多々あったことを思い出す。
*2:というか順序が逆で、この曲があるからミツメにそういうイメージを抱くのか。
*3:まあこれより後でも『エスパー』みたいにロマンチックに展開していく曲は結構あるけども。
*4:そういう意味では、ceroとか本当頑張り続けてるんだなあとは思ったり。あっちもあっちで次何するんだろう…という極地にいる気はするけども。
*5:この中でミツメは他にトリプルファイヤー『次やったら殴る』のアーバンなシンセポップカバーも披露し、確かnakayaanによるクールぶったボーカルが歌詞とのギャップがすごい異になってるおバカなカバー。あの頃は本当楽しそうだったな。
*6:「死ぬまでに津軽に行ってみたい」と歌った作品の次の作品で「次に住むなら火星の近くがいいわ」と歌う羽目になるとは思わなかったろう。
*7:どうでもいいけど筆者は津軽の方に行ったことがある。レンタカーで東北を仙台から始まって丸3日かけてぐるっと回った際に、金木の斜陽館(太宰治の実家が記念館みたいになってるやつ)と竜飛岬に行った。竜飛岬はとても遠かった。。
*8:川辺素がインタビューで「あのときは本当に身を削っているような感じだった」とさえ話すレベル。確かに『A Long Day』から『エスパー』への飛距離はかなりあるけどもそこまでか。
*9:なんなら収録アルバム『eye』のジャケットもこの曲の歌詞に引っ張られてる感じがある。
*10:むしろこの曲では普段のミツメの基準から離れて「バーで苦味も滲ませて飲んでるタフガイ」みたいなキャラでさえある。
*11:具体的にはたとえば『三角定規』とか『cider cider』とか『Disco』とか『うつろ』とか『クラーク』とか『ささやき』とか『number』とか『真夜中』とか『霧の中』とか『ディレイ』とか『エスパー』とか『タイム』とかというか『Ghosts』全体とか『変身』とか『メッセージ』とか『システム』とか。