一年近く前に書き始めて、夏が終わってしまったので中断した企画の続きを今回は書きます。ちなみに上記の画像はクロアチアのスプリトという街で、アドリア海の奥の方で多くの海岸線を持つクロアチアは結構こういう観光のウェイトが大きいそうです。全然今回の企画と関係ありません*1。
前回まで10年間で20曲とかでやってたのが、急に数が増えていますが、それだけ色々見つけられたということなので、減らすのも辛いしそのままの数です。
選曲の条件は曲タイトルか歌詞に「夏」「summer」といった語が出てくるかどうかです。夏っぽい光景を歌っていても上記が入ってなければ排除。まあ、「7月」とかは入ってれば夏扱いでいいかなとか、サーフィンのこと歌ってるし流石にそれは夏だろ…とか例外はあります。
前回までの記事は以下のとおり。なお、一連の企画の楽曲を入れたプレイリストがあったんですが、今回取り上げた楽曲もサブスクが解禁されている限りで追加した上でこの記事の最後に掲載しようとしたけどうまく反映できなかったので、新しいプレイリストを作ってそれを貼ってます。
夏の楽曲集(Vol.3 1970年代:19曲+1曲?) - ブンゲイブ・ケイオンガクブ
夏の楽曲集(Vol.2 1960年代:20曲) - ブンゲイブ・ケイオンガクブ
夏の楽曲集(Vol.1 〜1950年代:10曲) - ブンゲイブ・ケイオンガクブ
- 前書き(愚痴なのか、考察なのか)
- 本編
- 1. Summertime / Galaxie 500(1990年)
- 2. 自転車泥棒 / UNICORN(1990年)
- 3. Summertime / DJ Jazzy Jeff & the Fresh Prince(1991年)
- 4. ドルフィン・ソング / Flipper's Guitar(1991年)※
- 5. Damaged / Primal Scream(1991年)
- 6. 夏の魔物 / スピッツ(1991年)
- 7. Summerside / Adorable(1992年)※
- 8. The End of Summer / カーネーション(1992年)
- 9. Saint / The Breeders(1993年)
- 10. Summer's Gone / Chapterhouse(1993年)
- 11. Summerhead / Cocteau Twins(1993年)
- 12. Smilin' Days, Summer Holiday / フィッシュマンズ(1993年)
- 13. 40 Days / Slowdive(1993年)
- 14. Blowin' Cool / Swervedriver(1993年)
- 15. 月 / 桑田佳祐(1994年)
- 16. Gold Soundz / Pavement(1994年)
- 17. Weird Summer / Velvet Crush(1994年)
- 18. Surf Wax America / Weezer(1994年)
- 19. 15才 / Blankey Jet City(1995年)※
- 20. Summer King / Electric Glass Balloon(1995年)※
- 21. Summer Dress / Red House Painters(1995年)
- 22. Summer Blowin' Town / Ron Sexsmith(1995年)
- 23. 7月/July / bloodthirsty butchers(1996年)※
- 24. Island People / The High Llamas(1996年)
- 25. Sex in the Summer / Prince(1996年)
- 26. 猫夏 / 電気グルーヴ(1997年)
- 27. タイムマシーン / 川本真琴(1997年)
- 28. Summer / Mogwai(1997年)
- 29. Ain't That Enough / Teenage Fanclub(1997年)
- 30. A Summer Wasting / Belle and Sebastian(1998年)
- 31. Let's Pretend It's Summer / The Brian Jonestown Massacre(1998年)
- 32. Lights are Changing / Mary Lou Lord(1998年)
- 33. キラー・ビーチ / thee michelle gun elephant(1998年)
- 34. 八月 / 七尾旅人(1998年)
- 35. The Summer Ends / American Football(1999年)
- 36. Electric Music and the Summer People / Beck(1999年)
- 37. Buggin' / The Flaming Lips(1999年)
- 38. July / The Innocence Mission(1999年)
- 39. 透明少女 / Number Girl(1999年)
- 40. 八月の息子 / サニーデイ・サービス(1999年)
- あとがき
前書き(愚痴なのか、考察なのか)
飛ばして読んだ方がいいかもしれません。飛ばす人は上の目次で「本編」をクリックしてください。
やっぱヒップホップはわかんないや
1990年代といえばなんか、一気にヒップホップがメジャー文化になった年代となっているようです。英語で「1990s summer songs」とかで検索するともうそういうのかそういうのの延長のR&Bっぽいのばっかり出てきます。このブログはロック方面ばかりで残念ながらそっち方面弱いので、全然選曲できてません。結構挑戦したけど、歌詞読んでも“summer”の1語を見つけることがなかなか出来なくて、心折れたので1曲しか選んでません。
色々と苦手なりに調べて思ったんですが、「ヒップホップ=チルな夏」みたいなイメージって1990年代のヒップホップには少なくとも見出し辛いもので、っていうかそれって日本人がそういうの好きでカテゴリー化してるだけじゃない?みたいな気持ちになりました。ローファイヒップホップとかと同じく、本場の西洋圏ではそんなにメインストリームなものではないのでは?まあ1990年代はまだまだギャングスタ東西戦争とかやってて、シリアスな時代だったこともあるし。
そして、筆者にこういうチル的な適性が全然ないこともまた、選曲の偏りに影響している気がします。サウナの「ととのう」とかもなんか無理だった。
夏って今も楽しめるものなのか?
気候変動というやつのせいなのか何なのか、ともかくここ数年の気候は世界的にどんどん極端になり、ものすごい大雨や干魃などの極端な現象が多発し、日本においても今年の夏が観測史上最も暑くなる可能性を気象庁が発表しています。
筆者が毎年夏にろくに外も出ずに家に篭ってばかりなのは前からのことですが、しかし最近は世間などでもそういったことを責められるでもなく、むしろ「ずっと外にいたら危ないから下手に外出しない方がいい」みたいなことまで聞こえてくるくらいで、やはり世界はヤバいのか…という、何か根源的なところからの恐怖が湧いてきます。
多分、昔の方が夏は涼しかった。そういう気持ちを持って一昔前の夏の曲に向き合ってみると、ノスタルジックなチル(???)を得られていいのかもしれません。
1990年代からの日本音楽での「夏」の扱いの変わりよう
1989年に昭和から平成になって以降様々なものが垢抜けていくというか、現在と連続性のある感じに変わっていったように思いますが*2、それは夏の曲においてもそうだと思いました。
何が一番変わったか、と考えるにこれは「夏休み」が強調されるようになったことだろうなあと。夏休みは以下の二つの内容を含みます。
①大人の夏休み:サマー“リゾート”な感覚の減少
これはまだ1980年代でも結構あって、むしろシティポップ的には1980年代のサマーリゾートな感覚こそが源泉となっているところですが、1990年代のそれは1980年代的な「海まで車で行っていいホテルに恋人と泊まろう」的な雰囲気は段々薄れていってる感じがします。もっと単純に「海行ってはしゃごう」みたいな感じだったり、中にはリッチなリゾートの要素が殆ど削げ落ちて「束の間の休みを田舎で静かに過ごそう」くらいになっているものも出てきます。もっと言えば「夏休みの“ノスタルジー”化」みたいなものが見られるような。
景気が悪くなったせい?それに伴って皆が皆「ホテルでリゾート」みたいな意地を張る必要がなくなってもっとナチュラルな楽しみ方に移行したから?インディペンデントな活動がよりしやすくなって、リッチじゃない層も音源を発表できるようになってきたから?次に述べる要素に引き摺られてる感もあるかも。
②子どもの夏休みが積極的に歌われるようになった
上の写真はミツメの1stのジャケですが、つまりはこういう光景みたいなイメージの、つまり子ども目線・もしくは当時子どもだった時の目線からの「夏」が広く歌われるようになったのは、1990年代からなんじゃないかと思いました。
いや、絶対1980年代からそういう歌はあったはずだと思いますが、正確に言うならば、こういった歌がNHKのみんなのうたとか童謡とかそういう範疇じゃなく、商業的にヒット曲になったり、広く多くのアーティストが取り上げるようになったりしたのは、1990年代からじゃないかと思いました。
これによって生じる効果は幅広く、濁りなき純真さの表現から甘酸っぱい青春の描写や大人になった後との対比、そして1990年代以降的なモラトリアム感の創出に関わるところまで様々。「1990年代以降的なモラトリアム感」ってまた、何なんだそれはって言い回しをしてしまった。
なんでそうなったのか包括的に理解することは放棄してますが、可能性のひとつとしてポンキッキやウゴウゴルーガといった子ども向け番組でどんどん当時の先進的なアーティストを参加させたフジテレビの功績はあると思われます。
多分しばらくしたらまた動画消されそうだけど、こういうもはや歴史的な価値さえ感じられる映像の数々はテレビ局が公式に無料公開してくれるといいのに。
どんどんインディー化するロック音楽と夏の歌の目線の変化
ロックがロックスターや芸能界のものではなく、その辺のテキトーな格好をしたお兄さんお姉さんの音楽にかなり全面的に変わっていったのが1990年代の音楽全般の特徴だと言えるでしょう。ステージに立つのに特別な衣装や化粧などはどんどん必要なくなっていき、むしろいつの間にかみんな普段着、みたいなことになっていきます。芸能界の売れっ子な人たちであっても普段着を着て「芸能人ではない、普通の人」っぽく振る舞うことも増えていったように思われます。1980年代までと1990年代以降のジャニーズ所属アーティストの服装とかでも比較できるかもしれません。
こうなることで楽曲もまた、実際が本当に普通かどうかはともかく「普通の人」から歌われるようになる訳で、であれば歌詞の中でも「普通の人」目線が必要となり、夏の歌もまた、スター目線の楽曲は減少していくことになったように思います。普段着の格好で「夏の海に女はべらせてドラッグパーティー」みたいなこと歌われても困ります。
要するに、どんどん夏の歌の内容が素朴になっていくのは世界的なことでもあったんだろうなということ。
それにしても「夏を楽しむ」感じの薄い以下の選曲
去年この一連の記事を書き始めた時、最初の記事は8月14日投稿とかなり遅かったために描いてる途中で夏が終わってしまった訳ですが、どうしてこんな遅くだったのか考えるに「夏の最中は暑くて不快でつらくてやってられないし、夏について美しい想いなんて抱けないから」だったのかもしれない、と思い至りました。
今回の楽曲の選曲中はまさにそのような夏のどん底みたいな環境*3の中で選んだからなのか、今回の選曲全体的に「ハッピーで楽しい夏」みたいな曲がなかなか出てきません。そもそもそういうノリについていけないから、そういうノリの曲があっても見えてない、ということはありそうです。
代わりに、夏にファンタジックな幻想を見まくってるような曲や、どこか逃避的なノスタルジックさを追求してる曲が多いかもしれません。この関係からか、シューゲイザー系の楽曲が今回結構多いかもしれません。夏シューゲ部に参加できるかな…。詰まるところ「夏的なサイケ」みたいなのが、自分は好きなのかも。
そんな感じのプレイリストにいきなりゴリゴリのギャングスタラップが入ってきても困惑しそうなので、そういうこともあってヒップホップを頑張って探せてないのかなと思いました。
今回の「探したけど“summer”の語が見つけきれなかった」枠
自分の費やした時間に対する供養のコーナー。見つけきれなかっただけな気もするけども。それにしてもちくしょう…。思いつく順番で書いてるので順不同。
・U2(真面目か!)
・Blur(『The Great Escape』はジャケットのくせに何なんだよ…。)
・Ride(夏シューゲ探しに躍起になったけど見つからなかった…。)
・My Bloody Valentine(同上…。)
・Pale Saints(同上…。)
・Happy Mondays(「セカンドサマーオブラブ」とか言うけども無いのか…。)
・A Tribe Called Quest(検索した中に曲が出てくるけど”summer”の語見つからず。)
・Elliott Smith(やっぱ無いか…。)
・Radiohead(同上…。)
・The Smashing Pumpkins(意外と無いものか…。)
・Aphex Twin(テクノは基本歌詞がないから曲名に“summer”がなければ無いもんな…。)
・Carl Craig(同上)
・Aimee Mann(なんとなく無い気はしてたよ…。)
・Sunny Day Real Estate(同上…別のサニーデイは沢山あるのに…。)
・Maxwell(こういう普段聴かないアーティストを探して見つからんのはしんどい…。)
・Codeine(むしろ秋冬って感じのスロウコアに何を期待したのか…)
・Duster(同上…。ちなみにどうせないと思ってLowは初めから調べもしませんでした。)
おれの夏を返してくれよォ…。
本編
ようやく。それにしても40曲は多いなあ。前回の倍じゃないか。
なお、リリース年の後ろに※と書かれたものは2023年7月現在サブスク上に*4なく、解禁されていない模様。今回幾つかそういう曲があるので、末尾のプレイリストにも全曲追加は出来ませんでした。ご了承ください。
1. Summertime / Galaxie 500(1990年)
Galaxie 500 - Summertime - YouTube
朝はとっても完璧 でも昼間はウンザリさせられる
今 公園を歩いてる きみがクビになってとても嬉しい
映画を観に行く 太陽から逃れるシェルターを見つけた
逃避行中のカップルのおぞましい物語を観る
今回のリストの1曲目からして、夏の暑さによって頭がクラクラしている状態をそのまま音にしたようなサウンドのこの曲で面目ない。しかし暑さの表現としてこのアメリカ東海岸のインディーバンドの、The Velvet Undergroundをさらに単純化して開き直ったかのような煌めきエフェクトのギターでダラダラと演奏するスタイルは相性が良すぎる。心地よい目眩の中にいるみたいだ。
実際は目眩は危険な兆候だから、すぐに適切な水分補給等を。ということは、この曲を聴くにも適切な水分補給が大事だったりするんだろうか。少なくとも、死ねるくらい暑い太陽の下で聴くには向いてないかなと。本当に死んでしまうかもしれない。室内で十分に涼しくして聴いてほしい。全体的にそんな曲ばっかりだが。むしろ暑い暑い太陽の日差しの中で聴くことが推奨される曲ってなんだ…?
2. 自転車泥棒 / UNICORN(1990年)
髪を切りすぎた君は 僕に八つ当たり
今は思い出の中で しかめつらしてるよ
膝をすりむいて泣いた 振りをして逃げた
とても暑過ぎた夏の 君は自転車泥棒
白い帽子 陽炎の中で揺れてる
いつのまにか 彼女は大人になってた
この曲もまた、夏の「意識が朦朧としてくる感じ」にサイケ要素を見出した。そしてそれをノスタルジックな光景に結びつけて、さらに現在の時間軸も加えることで程よく爽やかな苦味を加えている。また延々と下降するフレーズや、えらくエグいコーラスによって輪郭がおかしくなったギターのトーンが、空間がねじ曲がるような暑さをしかも幻想的に表現しきっている。演奏で本当に夏のいやらしい暑さを再現されても時に困ってしまうものだけども。ボーカルは奥田民生だけど作詞も作曲も手島おさむによるもので、彼の他の楽曲と比べても出色のポップな出来*5。
UNICORNはそれなりにまだ芸能界的な時代感から出てきたバンドなのでなのか、当時シングルになっていた訳でもないのにこの曲は結構有名で、テレビの夏の名曲特集なんかでも出てくることがある。インド風味で実はマニアックな音の割に、歌詞は本当に見事に日本人の生態と情緒にフィットしているんだと思う。
3. Summertime / DJ Jazzy Jeff & the Fresh Prince(1991年)
少しだけグルーヴを弄って 常識からちょっと離れる
ハードコアダンスが皆陥った単調さを打破る一手間
ちょっとした制御不能さが踊るにはクールなんだ
しかし ロマンスを震わせるなだらかなグルーブとは?
学校は休みで なんだか騒がしかった
でもあの時は それが何なのかまるで分からなかったさ
今なら分かるよ 夏の狂気への人々の反応 その様式について
夏ってまるで天然の媚薬みたいだな
ペンとメモでこのライムを作ってるんだ
きみをヒップにして そして夏への準備ができるようにね
英語で「1990s summer songs」とかで検索して出てくる各サイトのリストに大体全部載ってる楽曲にして、どちらかと言わずとも完全に映画俳優としてのキャリアの方がはるかに有名であろうWill Smithがライムを担当するヒップホップグループのヒット曲のひとつ。あのWill Smithがライムを書き刻んでいたというのを恥ずかしくも今回初めて知ったけども、どうも当時からヒップホップとはいえ親しみやすいスタイルだったんだなあ〜というのは上記の一部翻訳した内容からも推察される。
楽曲にしても、ギャングスタラップはもうN. W. A.『Straight Outta Compton』が1988年に大ヒット済みでこちらへの流れが出来てきている頃にも関わらず、この時代のヒップホップとしてはかなりホップでファンシーな仕上がりと言っていい。下手したらポンキッキとかで流れてたかもなってぐらい。ラップの内容にしろ、冒頭のビートに関する話はいきなり何?って思わされつつも真摯だし、その後の歌詞にもドラッグもセックスも全然出てこない。このグループに対して「軟弱」との誹りが飛んでくることもあったらしいけども、相対的にはまあそう思われることもあるか。
でもこの、夏への無邪気さの追求に対してのみ真摯なスタンスのおかげで、この曲は血塗られた伝説もなしに無邪気に夏の曲ランキングのトップとかに放り込まれるのかも。大ネタであるKool & The Gang『Summer Madness』のサンプリングにしても、楽曲中で曲名を何度かライムするくらいには丁寧なやり方。本当に優等生。
4. ドルフィン・ソング / Flipper's Guitar(1991年)※
Flipper's Guitar - ドルフィン・ソング - YouTube
ほんとのことが知りたくて 嘘っぱちの中旅に出る
イルカが手を振ってるよ さよなら
真珠と眠りと向こう見ずを 逆さに進むエピローグへ
君がわかってくれたらいいのに いつか
遠くまで行く 海を見に行く 出鱈目に見える 挑戦は続く
回るテープから 君の枕へと 叫び声の中 胸張って進む
諸刃の剣か ただの煙幕か La La La La…La La La La…
ほんとのこと知りたいだけなのに 夏休みはもう終わり
Flipper's Guitarは2人の音楽マニアによって日本に同時代的な音楽のエッセンスがこれでもかと鮮烈に注入され“渋谷系”なる文脈を作り上げたパイオニアであると同時に、小山田圭吾と小沢健二という2人のタイプの異なる才人のモラトリアムの時間でもあったように感じられるところがあるが、そう感じられる理由の3割くらいはこの曲のせいなんじゃなかろうか。音楽も歌詞も、見事に不思議なモラトリアムの中に閉じ込まれている。不思議すぎて、2023年の現代においてもサブスク解禁はおろか再販さえ絶望的だ、主に音楽面の理由により*6。
次々と飛び出してくる過去の素晴らしい音楽たちのオマージュというかサンプリングというか…いきなりThe Beach Boys『God Only Knows』を引っ張ってくる、まさに神に唾吐くかのような行為。しかし、それらのコラージュの総体としての楽曲は大変に美しく、そしてソフトで繊細で儚げで、モラトリアム的な曖昧な心地よさが溢れかえっている。そこに載る上記のような童心とインテリと冒険心と不安の入り混じった歌詞がまたモラトリアム的で、そしてそれについて書き手が自覚的であるからこそ、最後の1行がとどめのように柔らかく突き刺さる。
ここで、夏休みを終わらせないまま『Fantasma』や『Point』を作り上げた小山田と、夏休みを終わらせて『Life』や『Eclectic』を作り上げた小沢、という対比をしてみるのも面白そうだけどもこれ以上はこの記事に関係の無いことだ。ただそれでも、この曲の「モラトリアムの中で彷徨い続ける」感覚は、いまだに多くの人を焼き尽くしているんだろうか。
5. Damaged / Primal Scream(1991年)
甘く美しい夏の日々 とても心地が良かったんだ
きみとぼくだけ ああ 美しい時間 幸せだったんだ
疑念や痛みを乗り越え 感じた愛総て 無駄にはならない
傷んだ ぼくは傷んだ ぼくは傷んだ きみに溺れてたんだ
上の読み飛ばし推奨セクションでも少し書いたけど、セカンドサマーオブラブなどと呼ばれるムーブメントがあって、イギリスで若者たちがレイヴとかでドラッグをキメまくってヒャッハーって感じになってはしゃいでいた。中心となるアーティストが幾つかいたけども、別に彼らが夏のことを歌ってたからこういうムーブメント名になった訳じゃないことは、“ファースト”サマーオブラブと事情は一緒かもしれない。
ということで、そのセカンドサマーオブラブの終わり頃に後始末めいて出てきたこの、ブームの本場マンチェスター等からすれば片田舎であったかもしれないスコットランド出身のバンドが出したセカンドサマーオブラブ的アシッド感を有した“歴史的”名盤の、その終盤に置かれたこの曲は、まるでブームの後の薬物中毒的なタイトルを持ち、しかも「美しい日々」的な意味での“夏の日々”という歌詞も持ち、そのヘロヘロさもあって、ブームの終わりの楽曲として非常に相応しい。漂うAfter Hoursな感覚、ある意味、これぞ“チル”ではないか。
The Rolling Stonesフリークの彼ら、しかし彼らが似たようにこういうソウルなバラッドをやっても全然ストーンズ的なタフさが得られず、このようにふにゃっとした感じになってしまう。この“訛り方”こそが、Bobby Gillespieという人の才能なんだと思う。さりげなく「薬とかですっかりダメになった」ではなくちょっといい話に仕立ててるところが可愛げだ。
6. 夏の魔物 / スピッツ(1991年)
Spitz - Natsu No Mamono - YouTube
古いアパートのベランダに立ち 僕を見おろして少し笑った
なまぬるい風にたなびく白いシーツ
魚もいないドブ川越えて 幾つも越えて行く二人乗りで
折れそうな手でヨロヨロしてさ 終われるように
幼いだけの密かな 掟の上で君と見た
夏の魔物に会いたかった
スピッツの夏の曲選曲はとても迷って、最終的にはこの曲と『プール』のどっちかにするか迷ってこっちにした。この曲も『プール』も、普通な形で夏が出てこないので、やっぱり初期スピッツは異様だなあと改めて思う。「夏蜘蛛」って何だよ、というのと、あっ、そういうこと…となるあの感じと。
この曲も、どこか薄寒い具合のメジャー調が多い最初のアルバムの中で、この曲だけ明確に切なさを疾走させるマイナー調混じりのコード進行で、メロディのロマンチックさやサビで一気に叩きつけるようなリズムチェンジがあるのもあり、やっぱあのアルバムで一番いい曲はこれになってしまうのか。一般受けは間違いなくこれだろうな。
それにしたって、歌詞は上記のとおりで、「夏の魔物」というのが一体何を意味しているのかによって、歌詞のストーリーが全然変わってしまう。ご承知の方も多いとおり、これは流産した子どものことではないか、とする説が強いけども、そう思うと、最初のAメロのどこか青春めいた光景の数々から急にセックスと死の世界観が浮かび上がって、その落差にクラクラするようになる。「夏の」というのもまた、夏蜘蛛と同じく、モラトリアムと退廃感がないまぜになった、独特の蠱惑的な雰囲気を醸し出してくる。夏って、エロい季節なんだな。
なおスピッツは夏の曲が結構たくさんあって、それらを集めてなんか書けばそれだけでひとつの結構立派な記事になるだろうなと思う。やらないけど。
(2023年8月4日追記)
やらないと書いた舌の根も乾かぬうちに書いてしまいました…。この記事よりもよっぽど読まれてるあたりにスピッツという存在自体のキャッチーさが伺われます。。
7. Summerside / Adorable(1992年)※
Adorable - Summerside - YouTube
彼女は夏の間ずっと窓辺に寝そべり 恋人を静かに待つ
「お星様に触れたの」と言い それを証する傷があった
彼の眼に嫌気が差しているのに彼女は気づかない
彼女はやがて失うだろう
また 互いの愛を剥ぎ取る暑い夏になるね
せめて落ち葉が舞い落ちるまで ゆっくり抱きしめて
夏シューゲ部1曲目。シューゲイザー扱いされるとキレていた、しかし特に初期シングルのサウンドはまあシューゲイザーでしょって感じの煌めきがある、そしてクリエイションレーベルのプッシュの割に売れずに早々に崩壊した不遇のバンドの、その初期のシングルのカップリング曲。こんなのベスト盤に収録されてなかったら存在自体に気付かんかったぞ…。そのベスト盤はサブスクにないけども。
コーラスのよく効いた透き通ったギターのトーンと残響(および途中からベース)のみで構築されたサウンド、その揺らぎと微睡みの空間はCocteau Twins系譜のシューゲイザー的な幽玄な世界観。終盤で一瞬増えるギターがアクセントにはなるけども、最後までビートは出てこない。メロディもどこかぼんやりとした物悲しさを感じさせる展開の仕方を見せ、静かに吸い込まれそうな美しさがある。歌詞も「お星様に触れた」とか言い出す、夏の間じゅう窓辺に寝そべる女性という病み病みな雰囲気で、なるほどこれがsyrup16gの五十嵐隆をはじめそういったメンツが敬愛するバンドの楽曲の歌詞かあ、という気持ちになった。
それにしてもバンドが解散してから結構時間が経った2008年に、こういうマイナーな存在感の楽曲も拾ったベスト盤を企画した人のセンス。えらい。
8. The End of Summer / カーネーション(1992年)
カーネーション The End of Summer 【LIVE.1997】 - YouTube
夏のおわりのどろどろアイスクリーム
まあるい目をしてきみはあきれてる いかれた朝に
はやく夢からさめて ぼくをにらみつけてよ
最低な青空がぼくらを呼んでるよ I Need You
日本のひねくれロックバンドの大御所のひとつカーネーションがまだ若かりし頃の名盤『天国と地獄』にて密かにものにした、卑屈さやうだつの上がらなさが反転していつの間にか終盤の輝かしい永遠のリフレインに帰結する隠れたアンセム。唐突に取ってつけたように引用される『アルプス一万尺』のフレーズのチープさ・間抜けさが嘘のように、いつしかメロディが雄大なものに変化していく様には構成力の勝利を感じられる。
それにしても、終盤の「夏のHey Jude」的な雰囲気もいいけども、上記の冒頭の歌詞のその1行目のフレーズの良さもまた別ベクトルで素晴らしい。アイスクリームがドロドロになる様の、涼しく甘く美味しいものが一気に触りたくもないダメなものになってしまう無情さ、そんなことを容易に起こしてしまう夏という季節への嫌悪感、そして何かがどうしようもなくグダグダになってることの比喩的な表現など、様々な意味をシンプルなフレーズに見出すことが出来る、カーネーションの歌詞の真骨頂みたいなところがある。
9. Saint / The Breeders(1993年)
人々それぞれみんな好きで あらゆるフェアも好き
人混みの中で私もそこにいること請け合い
歩き回って どこにも行かない
フェアでソーイと聖人たちを見かける
貴方がいるなら 夏はもうバッチリ
貴方がいるなら 夏はもうバッチリ
夏についての歌のはずなのにPV雪の中での撮影やんけ…これもThe Breeders流の自由気ままさの表れなのか。彼女たちの音楽において、必然性とか法則性みたいなのは極力無視され、言葉遊びめいた想像力とオルタナ世代の特権かのような乱暴な歪みギターを自由奔放に振り回すばかり。それだけで完結すれば自由の名の下にグダグダするカルトな人気のみのバンドだったかもだけど、Kim Dealはそこに爽快感のあるフックを添えることに長けていて、それは『Canonnball』でもこの曲でも同じこと*7。
“聖人たち”と題されながらも、聖人めいた博愛精神をどこか胡乱な形に解釈してラフな歌詞にして、そして楽曲はもっとラフな、っていうかそこにギター入るのか、そこで消えるのか…みたいな予測不能なギターアクションはまさにこのバンドらしさ。一方、まさに歌詞に夏が出てくる箇所ではコーラスまで費やされ、それまでの展開が嘘のようにそこだけ爽やかさが駆け抜けていく。このチグハグさこそ自由。オルタナなんてこれでいいのだ、と思いつつ、でもこれをここまでキャッチーに聴かせるのは至難のワザのようでもあり。
10. Summer's Gone / Chapterhouse(1993年)
Chapterhouse - Summer's Gone - YouTube
夏は過ぎ去り みんな自由になれる時間が幾ばくか必要
貴方を愛する感覚が全てに回り込み
ぼくはぼくである必要がある
夏はいまや過ぎ去った 夏は過ぎ去った
夏シューゲ部2曲目。『Loveless』と同じ年にファーストをリリースしたバンドが、次なるアルバムではこのように夏の終わりを歌って打ち込みサウンドでシューゲする様はどうしたことか。そして「夏は過ぎ去った」という、何かの花盛りの季節が終わりを迎えたことを、このように冷たいビート感で表現するのは何様だ…という思いと、しかし楽曲としてはなかなかに美しくも儚げで、サビのコーラスの感覚にどこかThe Beach Boys的なものも見え隠れして好感が持てるところも。
ちなみに同じようにSlowdiveが打ち込みでシューゲイザーする最終作を出すのはもう数年後。マイブラも『Loveless』は多くのリズムが打ち込みだったりと、シューゲイザーバンドは打ち込みを用いると解散してしまう鉄則でもあるのか…と思えるけども、彼らはこの最終アルバムの3年後に解散した。ちなみに同アルバムの中には『Summer Chill』という曲もある。こちらはドラムレスで音のうねりの中を漂う楽曲で、チルと言えばまあそうかも。
11. Summerhead / Cocteau Twins(1993年)
Cocteau Twins - Summerhead - YouTube
わたしの夢は貴方と一緒になって拡がり
涙も消え失せてしまった
わたしたちのゴールは崩壊した 孤独なゴールの情熱は
押したり離れたりするかもだけど感じれはしない
恥は不愉快さに連なり 恥は彼女の顔を覆う
星の理由はその場で輝くこと
ようやくの平穏 わたしの思考が整っていくのがわかる
平穏 そっち側に落ちていった
わたしはただわたしでありたい
夏シューゲ部3曲目。言うほどこの曲シューゲか…?と思わなくはないけども頭数揃えるためにシューゲだということにしとこう。歌詞の中に「summer」は出てこないけども、曲タイトルの単語は「日傘」のスラング?この単語で検索してもこの曲ばっかり出てくるけども。造語?
4ADと契約解除した後、子供ができたりなどの事情もありその分それまでよりも柔らかくなった感のあるこのバンドだけど、この曲については音的にもそれまでの拗れたようなギターサウンドが維持されているし、楽曲自体にも攻撃的なシリアスさがあり、なだらかな突破感・疾走感がある。サビのメロディの持ち上げ方の、大きな飛翔ではなく重力を感じさせるような、懸命に空を見上げるかのような連なり方はそれまでになく泥臭い感じさえ思わせる。
その泥臭さの印象は歌詞に目を向ければ尚更強まるだろう。同じアルバムの他の楽曲ではパートナーとの間に生まれた子供に愛を向けながら、この曲では明らかにパートナーとの関係性の破綻の苦しみを思わせる。ボーカルとギターの二人の夫婦はやがて別れることになる。そのような苦しみに対して、日傘をさして耐え忍ぶ曲なんだろうかこれは。
Cocteau Twinsについては去年突如ハマって色々書いたのでこちらもぜひ。
12. Smilin' Days, Summer Holiday / フィッシュマンズ(1993年)
Smilin' Days Summer Horiday - YouTube
Smilin' Days, Summer Horiday この世のいいこと
Smilin' Days, Summer Horiday みんな集めて
君にもあげる その手の中 頭を休めて
ただそれだけを ただただ 楽しもうぜ
アルバム名『Neo Yankee's Holiday』という時点でどこかモラトリアムの香りが漂ってくるけども、フィッシュマンズというバンドの歴史自体が、フニャフニャして楽しんでた日本の若者のバンドがどんどんモラトリアムの奥の袋小路に迷い込んで、その奥の宇宙を幻視したまま消えていったような感じがする。断層は明らかに1996年の『ナイトクルージング』に引かれていて、なのでこの頃はまだもっと自然体で健康的に、ダブの感覚をナイトパーティー的に用いるセンスのいいバンド、って具合だ。
歌詞を読めば、後期との違いは歴然。どこまでも自由でありつつ「自由」と「頼りなさ」「虚無」が裏表の緊張感に晒され続ける後期の彼らと比べると、ここでの彼らはダビーな音はしつつもどこかクラブめいた洒落たテイストに身を置き、ループの感覚にももっとライトな快楽の感覚が漂う。まだ全然日常に帰っていける程度のポップなクールさ。この時点での彼ら、というか佐藤伸治は、この数年後にまるで日常に戻れないところまで行ってしまうことを考えることなどあっただろうか。
フィッシュマンズの前期と後期の違いは、音楽は楽しむべきものなのかもっとのめり込むべきものなのか、という、とてもとても難しい命題のことを思わせられる。
13. 40 Days / Slowdive(1993年)
40日間 貴方と会えなくて寂しい
大いにハイになって 正気を失ってきてる
夏に思い巡らせてる 40日間 打ちのめされる
何か新しいものを見ても そんな心配しないと思う
何か新しいものを見て そんな気にしないと思うよ
夏シューゲ部4曲目にして一番名曲はこれか。My Bloody Valentineが『Loveless』を1991年に早々に作り上げてシューゲイザーというジャンルの頂点を極めたように見えたこの界隈も、実は頂点はひとつだけではなかったようで、『Loveless』と同じ年に最初のアルバムを出した彼らは、ここで『Souvlaki』という、また異なった陶酔感の渦巻く大名作を作り上げる。
この曲は典型的なSouvlaki印の、沈み込むような轟音が印象的なシューゲイザーナンバー。サビで少しメロディが持ち上がるところに作者のメロディセンスのロマンチックさが覗く。しばらく会えない辛さの中で夏を想う、という、甘美なるものとしての夏の用法をどストレートに、かつノスタルジックではなく現在形での活用方法となる。
ところで、この曲から「summer」の語を見つけ出せたのは嬉しかったな。クールそうな音の感じの割に案外夏してんじゃんSlowdive。マイブラはともかく、Rideにも夏が出てくる曲絶対あるだろって思ったのになあ。
14. Blowin' Cool / Swervedriver(1993年)
Swervedriver - Blowin' Cool - YouTube
白く暑い朝 眩い昼間の光が支配する
裸足の欠伸でぼくの眼から夜が失せる ゆっくりな夜明け
この夏の町はメリーゴーランドで 賭け金は日々上昇する
様々な面で 支払うべきものはいくらでもある
こういう変化を探してる訳じゃない 毎日ただ過ぎるだけ
全ては再配置の必要があり そして維持をするのはお前だ
夏シューゲ部5曲目。これもこのバンドの2nd以降はむしろオルタナバンドとしての側面の方が目立つし、イントロからのバキッとしたベースからして最早シューゲではない気しかしないけども、まあ轟音は鳴ってるからシューゲでいいや。
そもそもからしてこのバンドは一般的なシューゲイザーバンドよりもワイルドな感じが基本としてあり、この曲もそのような叩きつけるようなテンションが特に強調されている。しかしギターの音は案外オルタナ的な歪みというよりまだまだシューゲのそれだし、ボーカルラインに至っては不思議とRideとかとも共通するような引き伸ばし方を用いて、本場USオルタナ的なささくれ方とはかなり異なった様式をしている。様々な面で、このバンドはやはりシューゲイザーとオルタナの間をオルタナよりで揺れ動く存在なんだろう。
15. 月 / 桑田佳祐(1994年)
夏の空に流れる星は さわぐ胸をかすめて消えた
波の音に哀しみを知り 白い砂に涙がにじむ
罪深き風が肌を萌やす季節(とき)
酔いながら人は抱かれてみたい
君と寝ました 月夜の蚊帳で 濡れていました 嗚呼…
揺れて見えます 今宵の月は 泣けてきました 嗚呼…
ある時期までの日本において(今もまだそうか?)、夏といえばサザン、と言えるくらいには桑田佳祐率いるあのバンドは夏の歌を作り続けてきた。ポップなものも破廉恥なものも業が深いものも様々あるけども、このブログは多少ひねくれてるから、サザンからは選ばず代わりにソロの大名曲のこれを持ってくる。今までなんでサザンから選んでなかったのか…多分忘れてただけ。
1990年代以降、というか平成になって以降はクリアな音でオールドロック的な質感が表現できるようになり、それによって桑田佳祐の一部の楽曲はむしろ彼が活躍した昭和の泥臭かったり邪悪だったりな情念を濃厚に強烈に叩きつける名手となった感じがある。同じくソロの『東京』なんかもまさにそうだろう。昭和とは「ドロドロしていて、田舎めいていて、そして壮絶なもの」、みたいなイメージが、彼の一部の楽曲から強烈に発されている。この曲もまさにそうで、故郷の海沿いの小さな町での、昭和的な情欲に満ちた情事、といった光景を美しい自然と月の描写と対置させる。この、自然豊かさとしがらみに満ちた情欲の感じが不可分なところに「昭和的な嫌らしさ」を強烈に感じられる。まるでそういう映画のワンシーンみたいだ。
それにしても、演奏はハーモニカまで含めても明らかにNeil Youngなスタイルなのに、楽曲として聴くとウエスタンなど思い浮かばずやっぱり強烈に日本の片田舎を思わせる。このソングライティングと歌によって換骨奪胎しきった手腕は、何気に物凄いことをしてるんじゃないか。
16. Gold Soundz / Pavement(1994年)
8月の太陽の下酔っ払って きみみたいな女の子は好きさ
何せきみもおれも空っぽだろ 過去って切り離せないもんだ
あの12月を覚えてる?出発できみが要らなくなった
どこかに行っても 滞在なんてしないよ
だって随分長いことここに座ってるんだ
随分長いことここにこうしていて もうグダグダで
最後の言葉を唱えてる 最後の言葉が来ちゃった
全部きみには無駄かもな
Pavementについては最初は『Summer Babe(Winter Version)』をリストに入れていて、そのナンセンスな中に何かゾッとするものが覗く様について何か書こうと思ってたけど、でもことPavementで夏の曲、となると、やっぱりこっちの方がずっといい曲でかついい夏の光景なんだよな、って思わされる。まあ割と最近すでに以下の記事で書いたから「またか」って感じが否めないけども。
いやでもしかし、この曲の最終ヴァースの歌詞もまた、彼らが有していたモラトリアム的な魅力が最高に輝いている瞬間じゃないか。曲の冒頭では音楽シーン評論やら過去崇拝者に皮肉を投げかけるやらをしておきながら、段々と「きみ」を擁護するような、身勝手な願いを投げかけるような、単に口説いてるだけのようでもあるけども、ともかくそんな様子というのは、まるで大学生の理想の青春模様みたいな感じがして、だからこの曲はもうずっと甘酸っぱい。どうして痛烈な皮肉が冒頭に飛び交う曲が最終的に「甘酸っぱい」ことになってるのか訳が分からないけど、これがソングライティングの魔法なんだろう。
17. Weird Summer / Velvet Crush(1994年)
Velvet Crush, "Weird Summer" - YouTube
彼女は黄金みたく輝いて とっても変に見える
輝き 消えていく 夏の間ずっと 波の動きが残ったまま
彼女が行ってしまうと 彼女は半日になってしまう
変な夏だ ぼくは自分がわからない
変な夏だ また寝て過ごしちゃったよ
ああ 思い出させて欲しい
陽の光の中を駆け抜ける そんな子の感覚を
上記の翻訳した歌詞を打ちながら、ああ、なんとナードな歌詞だろう、ナードな夏だろう、そして他人事のように思えないな、と感じた。ギターポップな煌めきの中を、割と情けない方面の声質で、なんという内容のことを歌ってるんだろう。ボストンの近くにあるロードアイランド州出身のこのパワーポップバンドは、しかし色々あったのちにイギリスのクリエイションレコードと契約し、もはやUSなのかUKなのかよく分からないギターポップの名作『Teenage Symphonies to God』を世に残す。
アルバムタイトルからも分かるけど、この曲の歌詞の中にも「All Summer Long」という一節があり、The Beach Boys及びBrian Wilsonへの敬愛は明らか。一方で、ギターのアルペジオパターンにどことなく『And Your Bird Can Sing』を、またメロディの一部に『In My Life』を潜ませて、アマチュアな音楽オタクっぷりが様々な場所から湧き出してきて、その上でこの情けない歌詞なんだから、とても愛らしい。そうだ、敬愛するThe Beach Boysの歌と違って*8、それらのマニア達はインドアで好きな音楽同士をリンクさせて何か生み出すのに躍起で、外に出て遊ぶ暇なんてないんだろう。そのことを割と正直に書き出し、おそらく季節や時間に「she」を充て、そしてこのグッドメロディに乗せて歌うこの曲の煌めきには、何か永遠への祈りみたいなものさえ感じる。
18. Surf Wax America / Weezer(1994年)
Weezer - Surf Wax America - YouTube
ボトルに入ったビールみたいに泡立つ海さ
波が迫ってきても全然怖くないのさ
ワックスを塗って もう早く行きたいのさ
ワックスを塗って 楽しみでたまらないのさ
きみの顔なんて見たくないからサーフィンに行くのさ
堂々巡りのラットレースなんて嫌いだから飛び出すのさ
サーフィンだ サーフィンに行くのさ
きみは車を駆って仕事に ぼくはボードを乗せて
きみが燃料切れになる頃にはぼくはまだ波の上
逆流は頭からもうずっと強くなっていくばかり
こんなとこまで来るなんて考えもしなかった
もう家に帰れやしないよ
この曲で興奮できなくなる日がいつか来るのかもと思うと怖くなるけど、今聴いたらまだ今日はその日じゃないみたいだった。今日において「サーフィン」という語にノスタルジーを突き破るくらいの謎の疾走感とか鮮烈さとかを感じれる理由のひとつにこの曲はなってるんじゃないか。本家The Beach Boysでも、ここまでのガムシャラで向こう見ずな疾走感はなかっただろう。ちなみにもうひとつサーフィンというイメージへの影響が大きそうなのはCornelius『Star Fruits Surf Rider』とか。
冒頭のアルペジオが早々に辛抱堪らんとばかりに大味なストロークに変わり、ボーカルのボルテージも曲の勢いに任せてどんどん高まっていく。まるでバンドがドライブ感そのものに変貌したかのような楽曲だけども、歌詞を見るとなかなか狡猾に、「楽しい夏」のモラトリアムさと、単調でつまらない日常の仕事とを対比させてくる。3回目のヴァースで「仲間たちやその彼女も連れてくぜ」とイキがるけど、この偉大なるパワーポップ中興の祖のバンドの1stのジャケを見ると、これがマジに正真正銘に虚勢だってことがよく分かる。一方で、その去勢のまま突き進んだ結果並みに流されて家に帰れないよ〜ってなるオチまで付けてしまう。案外、この曲はモラトリアム全肯定ではない部分がある。
でも、別にモラトリアム全肯定じゃないからテンション爆発できないって話でもないでしょ、ということを、この曲は初めから訴えかけてるようにも思える。いいんだ、もう30年近くも前の曲にいい歳して興奮したって。こういう「夏」を前にしたら、年齢とかに関係なしに誰しも大なり小なり湧き上がるものだと思いたい。まあこの曲の歌詞には「summer」の語は入ってないんだけども。
19. 15才 / Blankey Jet City(1995年)※
Blankey jet city - 15才 - YouTube
夏の光りはきれい 彼女はその中で遊びたがる
妖精の話を聞くのがとても好きで
やがて太陽が沈み 沈黙が訪れ
赤いリンゴを二人でかじってる
ソーダ水の粒のように 楽しそうな日々は流れる
Blankey Jet Cityのサブスク解禁はもう無理なんだろうか。日本の一時代を代表するロックバンドと言って間違いないだろうに、後世への影響力は日に日に衰えている感じがする。今だと多分Number Girlとかの方が若い世代への影響力ありそう。まあ影響力云々で彼らが動くようにも思えないけども。
ネオヤンキーではなく本当に不良だった彼らだけど、一方で浅井健一にはファンタジックな童心至上主義的な部分もあり、荒々しさがそれまでで最大に極まった5枚目のアルバム『SKUNK』においては、童心サイドの曲もまた躍進があり、後のSHERBETSに直接繋がる曲もありつつ、しかしこの曲はまた独特な童心の現れ方をしてる。ロマンチックなワルツ調のリズムながら、オンとオフがかなり極端なドラムを中心に演奏は実にメリハリが効いて、ベースラインもよく歌い、かつギターのトーンも煌めきを失わない鮮やかさを保っている。そして、歌も歌う内容も浅井健一の独壇場という具合の、何か不思議な放浪の物語めいた内容で、彼の純真至上主義っぷりがある意味とても激しく主張されている。
その純真さの最たる象徴のひとつとして「夏の光り」が持ち出され、これは他の日本の夏の曲に出てくるモラトリアム感ある夏のイメージとはまた趣が違うように感じられる。もっと非現実的というか、こういう童話みたいな世界観の描写には作者の人生経験は全然反映されてないのかもしれないな、と思える。まるで本当にどこかの童話を引っ張ってきて歌を付けているかのような。浅井健一の本当に凄いところはこういう、演奏技法にしても歌詞の感じにしても、出どころがやたらと不明なところかもしれない。
20. Summer King / Electric Glass Balloon(1995年)※
キスをしてラブとか言って
連れてきたよ さあ、目を開けて
キスをしてラブとか言って 世界に愛の夏が届くのさ
夏を駆け抜けるサマーキング
典型的な渋谷系ギターロックバンドの一角としてElectric Glass balloonがある。後にハウス・エレクトロニカ方面で活躍するSUGIURUMNこと杉浦英治はこのバンドの中心人物として曲を書きギターを弾いて歌っていた。渋谷系、というとおしゃれなイメージがまず先行するけども、そこの先には一部を除いて、声を中心にどこか線が細くヘロッヘロな部分があることが多く、その意味でこのギターポップ/ギターロックの一般水準以上に飛び抜けておしゃれと思えないバンドは、「線の細い音楽家集団」としての渋谷系の典型のひとつとなりうる。本当どうしてここからディープハウスに移行したんだ。
渋谷系においては、その祖であろう小沢健二や小西康陽の歌詞はそんなに顧みられなかった気がする。渋谷系文化の中心がFlipper's Guitarの音楽の側である小山田のレーベル(トラットリア)だったからなのか*9。なぜだか、「きみとぼく」の範囲の恋の話を突然世界中だとか宇宙だとかに接続してしまう。最初期サニーデイ・サービスもそんな感じだったか。そこに根拠はなければ文脈もないけど、当時は本当になんかそういうもんだったんだろう。それはもう無邪気さの結晶みたいなもので、ニヒルさの欠片もなく、このひたむきな軽薄さはむしろ様々なことを気にして歌詞を書かないとな雰囲気ばかりがあるように思える今日からすると眩しい。
21. Summer Dress / Red House Painters(1995年)
Red House Painters - Summer Dress - YouTube
夏のドレスは貴方を他の人よりもより美しくしてくれる
ぼくの知る最も愛しく最も麗しい女の子
彼女は内気な人生を過ごし 自信を恵まれない存在と考える
夏のドレスは貴方を他の人と区別させてくれる
彼女は人生で最も気楽な日々を過ごした
彼女は愛されてるのやら 惜しまれてるのやら
彼女は霧にキスされながら祈りを捧げる
砂上に身を置いて 夢を見る
歌詞が多くないので上記で全訳。こういうことを歌っていたのか。
スロウコアは秋冬とかの枯れた季節の方がイメージされやすいところだけど、この曲が入っているこのバンドのアルバム『Ocean Beach』はそのタイトルからも分かるとおり、夏のイメージが作中に充満している。実際、他の曲でも「summer」の語を見かけることがあった。アルバム後半はビーチというより水中っぽい感じの曲が多い作品だけども、このアコギ弾き語りに次第に優雅なストリングスが取り憑く曲については、インストの1曲目に続く実質先頭曲として、砂浜の上の感じがする。
冒頭の陰鬱な弾き語りの感じが、いつの間にかストリングスも連れて美麗に響いていく曲展開。これは案外歌詞にリンクしていて、語り手の知る「最も愛しく麗しい」女性のしかし幸の薄そうな具合を前半で描写し鬱々と歌い、そんな彼女が浜辺にいた光景のどこか夢見心地な美しさの様を歌う際にメロディは少し明るくなって、優雅なストリングスもどこからか現れる。あっさりと終わってしまう様はまるで、本当にちょっとした間そういう女性の記憶が脳裏に甦り、すぐに消え行ってしまうかのよう。美しい感傷。とはいえこの歌の場合語り手自身の心が痛むような内容は別に無い。でもなんだろう、美しい人がその割に幸が薄いことに心痛まるんだろうか。むしろ幸が薄いから美しくもあるんだろうか。もうよく分からないな。夏のドレスが砂浜で傷まないか不安だ。
22. Summer Blowin' Town / Ron Sexsmith(1995年)
不治の傷などひとつもつけず 辛い感覚もなく
曝すような傷跡だってありはしない
ぼくらが観覧車に乗って回るみたいに
心に浮かぶのは許しについてさ
夏の風吹く町で
このカナダの割と地味目なSSWのデビュー作に収められたこの曲は、アルバム中でも2番目に短い2分20秒という時間を、大きな破綻も悲哀もなしに、どこかもっさりとした演奏に囲まれながら過ぎていく。シンプルに積み上げられた穏やかな演奏、ゆったりと流れていくメロディがブリッジの箇所でわずかに不安そうなコードとキーボードに彩られるけれども、バタバタと元の調子に戻っていく。この何も激しいことの起こらない穏やかなポップソングっぷりが彼らしい。
この曲における「夏の風」に特段の意味があるようには別に感じない。なんなら演奏の感じはどことなく秋めいている気さえする。でも、生きてれば悲しいことのひとつやふたつやもっと沢山もあるだろうに「不治の傷も苦痛も傷跡もない」と、最初のアルバム3曲目にしてさらりと朗らかに歌ってしまうところには「穏やかで普通に程よく眩しい夏の光景」みたいなのが見えないでもない。海がなくとも、夏は来る。当たり前のことが、こうやって楽曲を集めていると分からなくなってしまいかねないことがある。
23. 7月/July / bloodthirsty butchers(1996年)※
照りつける陽の下で 流れる水につかり
君をわすれ 暑さをしのんでいる
かげろうがじゃまする ぼくの視界をじゃまする
去年は君と泳いでいたのに 暑い夏の陽よ どうしてのりきれば
このままではすべて流れて行きそうで
ぼくを呼んだ様な気がして セミの声はひびく
今回取り上げる40曲の中で尺が最も長いのはこれ(スタジオ音源で9分越え)だけど、大変に尺に必然性があり、今回のリストで最も聴いててどうしようもない情念が溢れることになるのもこの曲だろう。それは別に、この曲の作者がもうこの世にいないから、とかではない。純粋に、この曲に詰め込まれた情感のとんでもなさ。記録物のはずなのに、内側から現実的な質量を超えて膨張して、全てを7月色に染めてしまうかのような。ライブで演奏の光景とともに壮絶な熱が発されるのはともかく、スタジオ音源という形でもこの曲の発するポテンシャルを鮮烈に刻みつけたバンドには感謝しかない。
それこそ夏の光のように、あらゆる角度から降り注ぐし照り返りもしてくるギターサウンドの煌めきと、それが時に激情の歪んだ圧に変わる時の熱さ。その裏で、ベースがまるで空間を縁取るような、どこかダビーにも聴こえる高音で奥行きを絶妙に作り出していく。ドラムは曲展開に沿って機動を細かく切り替え、特に中盤以降のシンバルを強く連打しながら進行していく様はエモーショナル。スタジオ音源であればダビングによって、終盤この曲の中以外の行き場をなくしてひたすら彷徨するギターの他にも何か感情ごとうねらせるようなコーラスの効いたギターのラインも入っている。これらが描き出す光景の壮大さと、一旦収まったかと思って…の展開の大きさには、いつ聴いても持っていかれてしまう。現在と過去が混ざり合ってしまっているかのような歌詞の混濁もボーカルのずっと上ずるかのような一本調子も、この曲においては必然性をもって響く。愚直でこそ、一切の作為性がないからこそ、この透明感に埋没していくような轟音は生まれうるんじゃなかろうか。
『8月』も大好きなので少し迷ったけど、今回の更新タイミングだとこっちしかありえないだろうから。これが間に合っただけでも、早めに選曲しててよかった。
24. Island People / The High Llamas(1996年)
HIGH LLAMAS - ISLAND PEOPLE #Pangaea's People - YouTube
踊りながらうちのドアに突っ込んでくんな
もう何も譲れないよ 田舎のいとこどもよ
夜通し口論でも喧嘩でもギャンブルでもしてやがれ
お金はもうすっからかん 移動しどきだね
借用書も証書も脅迫状も全部放っとけ あああ
島は採石場の連中の気まぐれを待ってる
あいつらダラダラしまくってるんだ
ご贔屓の恐怖とやらはいくらか犯罪を引き起こさせる
充実してた夏のこととかを話してなさい
噂が本当なら 日帰り旅行はもう終わり
残りの連中と一緒に帰れ 誰もお前らを心配しねえ ああ
The High Llamasのことを長いこと「Pavementの最終アルバムでドラムの人が何曲か叩いたバンド。The beach boysっぽいらしい」程度の理解で留めてしまっていた自分だけど今回ようやく聴く機会を得た。この曲が入っている『Hawaii』というアルバムはその名からも分かるとおり、彼らのThe Beach Boysフリークっぷりが実によく伝わってくる作品集で、特に『Pet Sounds』以降のエキゾチックな奥行きを持ったサウンドを志向してるところが興味深い。むしろ一昔前のアメリカ的郷愁を誘うサウンド的にはVan Dyke Parksなのかも。
ところで、穏やかな三連シャッフルのリズムで展開される曖昧な音世界と演劇性のあるストリングスで彩られたこの曲の歌詞を見ると、まあ、観光客に迷惑してる現地住民の怒りの声で笑ってしまう。ああだから曲名「島の人々」なのか。この捻くれた歌詞の状況、音楽オタクはやっぱ捻くれがちになってしまうものだよなと妙な納得。
25. Sex in the Summer / Prince(1996年)
夏のセックスを始めよう
電話番号を教えて 一晩中パーティーしようね
ビキニにチェックイン 砂の上に寝転がって
ランプの精みたいに擦って できるだけ粘って
7月某所の街の午後
警察の活動 ええ 黒人男性の高さを下げましょう
ママはショートドレスを着て風に吹かれ
パパはただお尻を突き抜けるような突風を待ってるばかり
1980年代に「summer」の語の入った曲を見つけきれずにいたPrinceだけど、こっちの年代ではああ…なんかあんまりな曲名のものが見つかってしまった。1990年代前半の彼は所属レーベルのワーナーと対立関係にあり、どうも「沢山曲ができるのにリリースをやたら絞ってくる」というのがフラストレーションだったらしく、ワーナーを離れ最初にリリースされたアルバムは3枚組36曲3時間というアホみたいなボリュームの『Emancipation』で、今回その2枚目の先頭曲であるこの曲を聴くにあたって全編聴いてみたら、正直思ってたよりもずっとずっと良かった。1980年代の抜き身の感じは後退し、代わりに1990年代的なトリートメントがよく効き、楽曲自体は色々とPrince印で、ミニマルな密室ファンクありバラードありまさかのハウスあり、といった壮大な内容。ただ、3時間付き合わされる方の身にもなってほしいとも思ったけども…。
2枚目の内容はバラードやソフトな曲が中心で、中には「えっこれPrinceなんか」ってくらい静かにソフトにジェントルにやり切る楽曲も幾つか。なのに、そんな1枚の先頭で「夏のセックス!」とか言い出すのは、これは逆に高度な照れ隠しでは…?とも考えたり。この人のセクシャルアピールは全体的にどっかブッ飛んでて奇妙で「えっこれを本気でエロいと思ってやってんのか…」ってのが割と普通なので、この曲も案外通常営業だ。サマーソングということで、フィルインの入れ方にどこかレゲエめいたテイストを入れてみたり、シンセベースがブラコン的だったり、結構丁寧に作られてはいるけども、それで歌ってる内容はまあ、上記のような有様なので。この頃は結婚して幸せで躁状態だけど、その分下品になり過ぎないよう表現もアレンジも抑えてる感じはする。だからこそ普通に爽やかなサマーナンバーとして聴ける…といいのに、やっぱタイトルが邪魔だよなあ。
26. 猫夏 / 電気グルーヴ(1997年)
テクノ関係では唯一これだけ「夏」と付いた曲を見つけることができた。テクノは全般的に歌詞が無いのでタイトルに入ってなければ今回のルールだといかに曲が夏っぽくてもどうしようもない。まあ電気グルーヴはテクノの中でも例外的に歌詞が多い方だと思われるけども。特にこの曲の入ったアルバム『A』は『Shangri-La』とかも入ってるし尚更。
テクノの音の感じについて論評するのもまた難しい。この曲の音がどういう感じで夏を感じさせ、かつ「猫夏」って感じを思わせるようになっているか語ろうとしても、精神論かこじつけにしかならないだろう。むしろ、このトラックに『猫夏』という名前を与えたことによってどのように聴こえ方が変わってくるのか。たとえばこの曲のタイトルが『犬冬』だったらどうだろう。反復されるフレーズに雪の舞い散るものを感じる、とか平気で書いてしまうかもしれない。もちろんこれは『猫夏』だから、同じフレーズが太陽の光が水とか金魚鉢とか何とかに跳ね返る感じがする、とあえて書くならそんなことを思ったわけだけど。ミニマルな反復の感じに微妙な変化を刻む、その変化の付け方がポップで優しい気はする。さすが売れたアルバムだあ。まあアルバムだとこの曲の余韻は次の曲のピエール瀧のタイトルコールでぶち壊されるけども。
27. タイムマシーン / 川本真琴(1997年)
渋滞の八号線がずっとで ちょっとよかったなって思ってる
このあとあの子のとこに返さない理由もないし
だけど そんなふうにイライラして 喋らないでタバコふかされたら
あたしも上手に帰って 友達になれる努力をしよう
ねぇ いつまでも終わらないようなな 夏休みみたいな夕立だね
同じ格好でうずくまって聴いてるの ただ
窓をつたう雨の粒みたいに 線香花火の雫みたいに
ひとつになったらおっこちちゃうの?
ひとりぼっちでいなくちゃダメなの?
眠れないのは ほっとくだけ ほっとくだけ
改めてこの曲を聴き返すと、まるで岡村靖幸の楽曲みたいな粘っこいソウルフィーリングに満ちていてびっくりした。作詞作曲とも間違いなく川本真琴とあるので、彼女のデビュー曲『愛の才能』を書いてもらった際に岡村靖幸のことを素晴らしく習得したんだろう。元の粘りっ子さを適度にガーリーさに変換しつつ十全に表現できてしまう歌唱力とセンスも凄い。また演奏も、シューゲイザー的な音響感のあるギターサウンドがソウルマナーなエレピのサウンドに被さる様は異種格闘技戦めいたマッチングで面白い。誰がこういうアレンジの采配を?本人…?歌詞の雨の感じともこのザラザラしたギターサウンドは合っていて、また歌とともに情緒の爆発的なものの表現にもなっている。
それにしてもこの曲の歌詞はどういうことなの。彼女の最初のアルバムにおいては、歌い手は概ね女子高生くらいの年齢を想定されてる節があるけど、その上で、なんでこの娘は車の中でタバコを吸うような男と一緒にいるのか。「このあとあの子に返」すということは、三角関係なのか。「夏休みみたいな夕立」という、モラトリアムの永遠性を逆手に取ったような時間の表現力の半端なさ。「線香花火の“雫”」という確かに納得しかない不思議な言い回し。そして「ひとつになったらおっこちちゃうの?」という、インモラルさと病んだ共依存の感覚と切なさとがないまぜになった必殺のフレーズ。この人、当時の自分の立場を分かった上でこの歌詞書いてるんだろうから、残酷なくらい天才だったんだな。ここまで来るとその才能の壮絶な炸裂模様に痛々しさすら覚える。
28. Summer / Mogwai(1997年)
Mogwai - Summer (Priority Version) - (High Quality) - YouTube
Mogwaiはスコットランドのバンドで、スコットランドというのはグレートブリテン島の北部に位置していて、彼らの拠点グラスゴーは海に面していない。なので、この曲が入っている1st当時の彼らは下手すると海で遊んだことさえないかもしれない。でも音楽を作る上では、経験のなさは想像力とか、あと爆音とか爆音とかでカバーできる。実際の夏経験がどうなのかはともあれ、彼らもこの曲で、オルガンとセヴンスな響きのあるベースラインで少し気だるい夏の感じを出しつつ、まあある程度来たら轟音でギャアアアーってやって見せる。
おそらくこの曲が『Winter』などと題されていても、何の違和感もなく聴いていただろうな。グロッケンシュピールの音とか、むしろ冬の感じばかりが積もる気がする。しかし、3分以降の次第にスピードを上げて収束して爆散していく展開には、言われてみれば夏属性の爆発力と捉えられるかもしれない。いやいやどうかな…。
29. Ain't That Enough / Teenage Fanclub(1997年)
時間というものは欲求を募らせることしかできなくて
砂粒っぽいので埋め尽くされる 愛のベクトルを変えるんだ
ハイライトが輝く 静けさに耳寄せる
きみがそこにいた日々のこと きみが受け止めた抱擁
ほら 日の出だよ 十分じゃないのかい?
本当に澄んだ空 十分じゃないのかい?
おもちゃの町の感覚が残ってしまうね
都市の夏たち やるべきことをやっていこう
またもやスコットランド勢からの刺客ということで、Teenage Fanclub。この曲の入った5枚目のアルバム『Songs from Northern Britain』は、その1枚前の『Grand Prix』の充実したポップさ・キュートさに比べると地味で落ち着いた感じがする、と洋楽を聴き始めた頃には思ってたけど、今聴くと落ち着いたこっちの方がそこはかとなくスコットランド的な郷愁を覚えていいかもな、と思った。
全編ハーモニーで歌われ、まさサビへの構成がかなりしっかりと組まれた上で、しかし全体としては泰然としてどこか見晴らしのいい感じがする、あのアルバムのリードナンバーとして申し分ない貫禄がある。そして歌詞の方も、人生に関するちょっとした達観と、陽の光や空の青さの素晴らしさだけで人生いいじゃないか、みたいなのが歌われていて、いやそりゃそれで満足できるならそうしたいさ…という思いにもなる。でもこういう雄大さを理想的な形態で見せるのがこのアルバムの趣旨だったのかも。この曲においては「都市の夏」というのも割と唐突に出てくるけど、この「夏」ってのも人生のある一定の時期のことを指すんだろうな。それもきっと、何歳から何歳まで、って感じじゃなくてもっと周期があるような。
30. A Summer Wasting / Belle and Sebastian(1998年)
Belle and Sebastian - A Summer Wasting - YouTube
冬に夏っぽいとき 春に冬っぽいとき
鳥の鳴き声が聞こえて 何もかも良くなるってさ
ぼくは夏を台無しにしちゃった
時間がいともたやすく流れてった
でも 夏が無駄になったんなら
どうしてこんな自由を感じれてるんだろう
夏を無駄遣いした 空は比類なく青かった
ぼくが7年に渡る川の散歩道や 7週間の徹夜暮らしへ
示せるものは自分の写真だけさ
禁断のスコットランド勢三度打ち。ただ年順とA to Z方式で並べただけなのに偶然こうなってしまったのは何かの導きか。スコットランド行ってみてえなあ。。バグパイプ吹いてウイスキー飲んでみてえなあ。ハギスはまあ。
邦題『何もしなかった夏』ということで、素晴らしい。基本シニカルなベルセバの歌詞だけども、そのシニカルさでもって「夏は浪費しちゃったけど、それが悪いかっていうと話が別じゃあねえの」と開き直ってみせる様がなかなかにシュール。スコットランドのThe Kinksかな。ボタッとしたシャッフルのリズムでささやかなパーティーみたいに爽やかに華やかな音楽の中、なかなかしょうもないことを滑らかに生真面目に歌う。ああ、ベルセバだなあ。
実際、「夏休みだ、予定を入れなきゃ」と謎の何かにせかされるよりも、それ以外の時の方がかえって息苦しくなく過ごせる、ということはあると思う。さすが人生の達人めいた方々。達見だろう。7週間の徹夜がどうのこうのというのは…お疲れ様です。
31. Let's Pretend It's Summer / The Brian Jonestown Massacre(1998年)
Let's Pretend It's Summer - YouTube
夏のよく晴れた日だってことにしちゃおうぜ
雲もどっか消えたし 気分がハッピーじゃねぇの
湾岸に向かって海沿いを駆けて行って
水の上を見てみると 自分の声が聞こえるぜ
笑って楽しもう 笑って逃避しよう
しばらくは自由な感じで笑顔で過ごそうな
アメリカのカルト宗教家が作った町の名前*10と不審な死で有名なBrian Jonesを引っ掛けて最後に丁寧に「人殺し」の語も付けた物騒な名前のサンフランシスコのサイケバンドである彼ら。まるで1960年代の音楽をそのまま演奏しているかのような時代錯誤さがウリだけども、この曲もまた、The Kinksのうだつの上がらないマイナー調をそのまま引っ張って現代にゾンビ化させたような佇まい。というかまたThe Kinksか。
The Kinksを引いてくるくらいだからだろう、曲名からして「夏ってことにしちゃおう」という、これまた残念な開き直りが感じられる雰囲気。そもそも歌詞の内容とは裏腹に、実にカビ臭いマイナー調でこの辺は歌われ奏でられるので、こりゃもう皮肉以外の何者でもなかろう、と思うのだけど。しかし、サイケバンドというだけあって、どこに芯があるかまるで分からないフワフワした感じには、前曲のBelle and Sebastianがとても生真面目な存在に思えてくる(実際に生真面目だろうけど)。この、サイケにしてもなんだかぼんやりしてだらっとした感じ、活動地がサンフランシスコということもあり、ガチにヒッピーな雰囲気を狙ってるやつなのか。この曲が入ってるアルバムのジャケットは昔の映画風なスタイリッシュなやつだけども。
32. Lights are Changing / Mary Lou Lord(1998年)
Mary Lou Lord - Lights Are Changing - YouTube
こーんな虚な目をして見通してる 雄大な未知の世界を
毎秒ごとに大きくなり 毎ストーンごとに強固になる
ねえ きみは盗んだ量によって自身の自由度を測るけど
それで少しでもより自由になるものなの?
もう少し多くパクってみたら?
あの夏の間ずっときみの視線を巡っていた
加速していく螺旋の中 アシンメトリーな空の下で
きみは遅くなる 遅くなる ぼくらの光は変わってく
きみは遅くなる 遅くなる ぼくらの光は変わってく
高く飛び 速く動いて 過去から目を瞑って逃げるんだね
きみは遅くなる 遅くなる 緑の信号は変わってく
おそらく「Elliott Smithが『I Figured You out』を提供した*11女性SSW」くらいの認識で終わってる人がとても多いであろうアメリカのSSW。ロンドンやボストンの地下鉄構内などで演奏していて見出された、というキャリアの持ち主。SSWなので自分でも曲を書くんだけども、この曲はどうも他者からの提供曲。Spotifyの再生回数上位がだいたい他者から貰った曲のようなので、その辺の自作曲への高いプライドとかはあまりないみたいに思える。聴いた感じ、自作曲も全然いいけども。
楽曲としては堅実なポップさと程よく爽やかなギターのコードトーンが良好な楽曲で、突き抜けてくるわけではないけどしみじみと良い。SSWというものが元来からそういう性質のものだけど、何度も言うけどこれ提供曲だもんな。妙なところが特殊。曲としてのクセのない良さは、たとえばボーカルをPhoebe Bridgersとかと入れ替えても筆者は気づかないかもな。それだけこの曲のメロディや演奏技法がエヴァーグリーンなものだってことでもある。2回目のサビ後の短いミドルエイトを経てブレイクする展開の心地よさ。意外と長いアウトロも演奏陣の矜持みたいなものと、空が広く開けてく感じがあって、最後の中途半端なコードによる終止含めて良い。
歌詞を見てると、明るい曲調の割にどこか薄らとした諦念の感が滲んでいる。「きみ」が「slow down」して「光が変わっていく」というのは、悪いことばかりではないにせよ、何らかの衰えが進行していくことを感じさせる。そうなると、初めはやや取ってつけたように感じられた「summertime」の語が入ったブリッジの歌詞がなんだか趣深く感じられる。人生の花盛りの季節においても、それは進行していくんだろうなっていうか。えっ、本当にこれそういう淡く苦いネガティブさの混じった曲なのか…?筆者の体感とか体調とかを反映した訳や解釈になっていないか…?
33. キラー・ビーチ / thee michelle gun elephant(1998年)
真夏の太陽に くいちぎられた空
残された影は 200Wのライト
垂れ落ちるアイスクリーム
「ナイフで貫いた おいらの心臓くらえよベイビー」
この日本のガレージロックンロールバンドが小文字表記から多文字表記に変わるその狭間で生まれたアルバム『ギア・ブルーズ』は、彼らがワイルドで強面で殺伐とした方面に傾倒する契機にはなっているけども、しかし案外に過渡期的な部分があり、それまでにあったようなB級映画的なユーモアやらジョークめいた投げやりさやらが割とポップなメロディで歌われる側面もある程度入っている。この曲はまさにそんな感じで、まだガラガラに潰していない、いい調子に乗ってるような声で剽軽に、微妙にイヤーな感じに非現実的なビーチの光景を描き出していく。
こういうメジャー調でどこかゲラゲラ笑うようなテンションの曲は次作アルバムの『GT400』『リボルバー・ジャンキーズ』あたりで終わってしまうけども、こういうポップさこそを好きだった人もそれなりにいたはずで、この曲みたいなその気になればオールディーズポップス的な味付けも可能なメロディを雑っぽい声とバンドサウンドと妙な殺伐具合の歌詞とで歌う存在なんて他にそんなに聞いたこともない。案外丁寧にBメロまで挟んでサビに進行してみせるこの曲のような彼らの結構独特なポップセンス・ユーモアセンスが好きだったなあと思い出す。
34. 八月 / 七尾旅人(1998年)
呼吸を取り戻した僕の 2度目の夏休み
もう一度 まわれば君の街 帰れるかも しれない
アルコールで巻き返す ギリギリのバネが弾けるまでまわす
際限なく積み上げられる 唄の底
僕はいまだ もがいてるよ ねえ 見えないだろう Pretty win
君の名を知った 君と笑った
もうどうしようもない位に恋していた
僕を ふり切った様な気分になった
もう僕は何処にも 帰れないよね
ねえ もう僕は自分を誇れないよね そんなふうにふと思う
弾き語りの形式というのは、構成する音が少ないからこそ、アコギなりピアノなりの音と歌い手の声、そして言葉が相対的に存在感を増すことになる。この点においてこの当時若干19歳の高知出身のSSWのデビューシングル『OMOIDE OVER DRIVE』の4曲、特に、クラシックやジャズなどの要素が曲構造的にもほぼ現れず、正面切ったバラードをほぼ声だけで“異化”させたこの曲と『戦闘機』の威風堂々とした異様さは際立っている。
より曲展開も歌い方も特殊なドスの効いた『戦闘機』と比べると、この曲は曲のコード進行やメロディ自体だけを取り出して考えるならば、
それにしてもドラマティックで現実味のない夏の光景だな、とは思う。でも正直、現実の夏の現実的に不快指数高過ぎるところが嫌いだから、こういう夏のことを羨ましくも思ってしまうよ。
35. The Summer Ends / American Football(1999年)
American Football - The Summer Ends - YouTube
考えている 離れていくことについて
そしてさよならをどのように言うべきかについて
握手で?抱擁で?頬にキスで?あるいは3つ全てか
多分僕は間違ってて、意図してることは的外れなんだ
でも正直 ぼくだけじゃない 二人ともとても不幸だったんだ
だから確かめよう 夏の終わりに何が起こるかを
1990年代に登場したポストロックは、その代表者のひとつであるTortoiseがシカゴのバンドだったり、イギリスの方のMogwaiもスコットランドだったりと、どこか寒々しい地域から生まれてる部分があり、イメージ的には冬っぽいところがある。American Footballもまたイリノイ州出身のバンドだけども、彼らはまたマスロックの属性もあり、不思議な変拍子を違和感なく抒情的に響かせることに長けていた。この辺の趣向は間違いなく次の記事で取り上げることになるBOaTの名盤に多大な影響を与えてるだろうけどもそれは別の話。
この曲もまた、イントロの切なげなアルペジオの時点で拍子は実は変で、変なのにそう思わせずにセンチメンタルさを放ってくるのは手腕。遠くから響いてくるようなトランペットの音もノスタルジックなものを感じさせつつ、歌の実に頼りなさげな、言葉数少なく(上記で全ての歌詞である)伸びていく感じには得意げな濁りは一切なく、まるでこの世には純粋な屈託しか存在しないかのような雰囲気を音と共に形作る。ドラムが入っても演奏は極端に激しくなりすぎず、演奏の静かな透明感は最後まで保たれ続ける。そしてそのことは「透き通って切ない夏」のイメージをポストロックの角度から拡大してみせた。案外、この曲によって開拓が始まった夏音楽ジャンルがあるような気がしてならない、けどそういうのは誰かこっちのジャンルに詳しい人が書いてくれないかな…。
36. Electric Music and the Summer People / Beck(1999年)
Electric Music And The Summer People - YouTube
ハイウェイ降りて 自分のやり方でやって行こうな
お金を手にして ハエがハエ蜜を作る
ジグザグな患者たち 古代人をバイブさせる
ビーチは豊富にあり 堤防には豚ちゃんたち
他の誰かみたいに絶対ならないようにしようぜ
旅のお部屋と半分こなお家で
デカいクロいドラムが夜をぶっ叩くんだ
逃げること 好きなんだよね
前曲の透明感がまるでウソのような、おちゃらけて軽薄で「夏ってこんな感じだろうぜ」ってどこかシニカルにやり通してしまうこの曲。その小器用さはBECKらしい。見てくれこの歌詞、絶対メロディに合わせてテキトーに韻の合う単語を並べただけってやつだろう。この曲はアルバムに収録されず、シングルのカップリングとして登場するけども、それもまあなんとなく分からんでもない。曲名にしか夏要素ないけど、それも歌詞と合わさるとどこか皮肉っぽいものを感じさせてくる気がする。
小器用さによってか、なぜか2種類のアレンジが残されていて、ナチュラル志向でおそらくThe Beach Boysの系譜に横目を向けたアレンジの方も中々いいけど、個人的なおすすめはもう片方の、荒いファズギターの音をガスバーナーみたくだらしなく引っ張り続けてチープな打ち込みリズムが進行する方。オルタナ世代的な横暴なアレンジ感とチープさの融合を余裕のポップなメロディで結びつける感じは実にBeck的な要素の集約感があると思う。歌が終わってからのダラダラと引き伸ばす感じも実にテキトーそうな感じがあり、特に最後、ギターノイズさえ消えた後にデタラメ撃ちされるリズムだけかなり長い時間残るのは相当にイヤがらせ感があり、結構な悪意に満ちた遊び心に1990年代のやりすぎユーモアの徒花を感じさせる。
37. Buggin' / The Flaming Lips(1999年)
Buggin' (Mokran Mix) (Alternate 2017 Remaster) - YouTube
あの虫たちはきみの頭の周りをブンブンと飛び回り
ああ 髪をかくと空中に飛んでいくのさ
そして夏の間というのは蚊に噛まれて痒くなってしまうもの
愛の羽音っていうのは忙しなくきみをイライラさせる
ああ 髪をかいても空中に飛び去ってくんだ そして
車のフロントガラスやヘッドライトに散らばっちまう
ああ 奴らは噛むね イェー 奴らは噛む
でも 奴らがいることを教えてくれるくらい出来るだろ
冒頭の『Race for the Prize』の完璧なイントロのファンタジックさと切なさが印象的すぎて他の収録曲の存在感がやや薄くなってる印象がないこともないこの、元々もっとヘロヘロオルタナギターロックだったUSインディーのバンドの大転換作『The Soft Bulletin』だけども、どの曲も作り込まれたファンタジックなトラックになっているし、そして歌詞を読むとどの曲も妙な光景が広がっている。この曲は上記のように夏の光景が歌い込まれているけども、それは「虫がうざったく飛び回り、蚊に噛まれて痒くなる季節」としての夏だ。なんで夏の嫌な部分をこんなファンタジックなトラックでわざわざ歌うの…。
歌詞を読まなければこの曲は本当に、コーラスワークとメロディ運びが軽やかなポップな曲、って純粋に受け止めれるだろうけど、歌詞を知ってしまうと、冒頭の謎のブーンと鳴る音も、あっこれ虫の羽音か…と気付いてしまって、この普通に美しいトラックに、どんな気持ちで向き合っていけばいいんだ…という気持ちになる。車の車体に死体がへばりつく光景に至ってはマジで最悪やん…ある意味では、本当にとても的確にドライな視点で捉えた内容を、どこまでもファンタジックで伸びやかなメロディと演奏でやってみせる。なんだこの…ねじくれかえった方向性が謎すぎる、それゆえの爽やかさは…。
38. July / The Innocence Mission(1999年)
きみにはまず分からない 本当に分からないよ
そして きみが人々に分かってもらうことも決して
誰か友達が入って来た どこからともなく 灯とともに
彼女は両手に持った花火をわたしに向けて 何とか乗り切った
妬みや黒い感情 そして夜の世界にわたしが逃げだしたとき
最高に輝かしいものを見れた 否定し難いほどの大きな光
7月 7月 愛する人とわたし 一緒に頭をあげよう
7月 7月 最高に輝かしいものを見た 否定し得ない大きな光
ペンシルヴァニア州で結成された元々バンドだったけどもいつからかユニットみたいな感じのあるこのソフトな音楽集団。この曲の入ったアルバムには他に『Snow』という曲もあり、そのギターの切なげなアルペジオ+歌の基本スタイルはどっちかというと寒々しいイメージの方が大きく、この曲も7月という曲の割にはコーラスみたいなエフェクトの効いたギターアルペジオと歌だけで形作られて、夏の暑苦しさみたいなものはまるで感じられない。間奏以降のくっきりした存在感のアコギが入って以降は涼しさを感じさせるけども、歌詞と合わせて読むと、あっこれは夏の夜にちょっとばかり現れることのある涼しい風めいてるかもなって思える。
夏の夜、手持ちの花火、の切なげな光景は、別に日本に限ったもんじゃないんだなあとこの曲からは思わされる。ところで、日本ではそういう花火はパッケージがどこか子供っぽさを感じさせる仕様になっているけど、海外ではどんな包装で売られているのか。それともいうほど日本の包装も子供っぽくなかったりするか。実際に見せてみに行こうという気持ちは湧かないくらい今日も外は暑い…。せめて音楽の中でくらい、こういう暗く切ないけど時折涼しい、みたいな夏の光景を味わいたい。
39. 透明少女 / Number Girl(1999年)
赤いキセツ 到来告げて 今 俺の前にある
軋轢は加速して風景 記憶・妄想に変わる
気づいたら俺は何となく夏だった
赫い髪の少女は早足の男に手を引かれ
うそっぽく笑った 路上に風が震え
彼女は「すずしい」と笑いながら夏だった
透きとおって見えるのだ 狂ったまちかどきらきら…
気づいたら俺は夏だった風景 街の中へきえてゆく
なんか「サブカルロックの王道」にこの曲がなりすぎてしまったような感じがして入れるかどうか少し迷ったけど、でもこの日本のオルタナバンドの曲で一番無意味に無邪気に晴れやかに夏しちゃってる曲も無いようにも思ったので、入れることにした。王道から逃げてばっかじゃ良くないもんな。踏みとどまらないと、頑張らないとな。
2回目の解散ライブで3回も演奏されるほどの代表曲の中の代表曲に今更何を言うことがあるのか。実際、シンプルすぎるくらいひたすらにかき鳴らしっぱなしなギターやベースの演奏については、間違いなくこれらが清々しさの大切な一部なんだけども、語る分にはどうにも話を膨らませにくい。やはり、どんどんテンションが上がってフィルインをデタラメな勢いで挿入しまくるドラムと、演奏に埋もれそうなボリュームでしかし勢いと意外なポップさのあるメロディと歌詞の歌の存在が、この曲を大きく青春めいたものにしている。いや言うほどこの歌詞青春してるか…?とも思うけども、いやでもこの、よく読むと別に自分は周りを見てるだけで何もしていないこの歌の主人公の叫ぶ「気付いたら俺は夏だった風景」の、でもなんか成し遂げたような感覚、これは、無力で空虚な大学生とかにとって、まさに青春そのものだろう。
そういえばこのバンドも夏の曲結構多いな。
40. 八月の息子 / サニーデイ・サービス(1999年)
かげろうがゆらり手を振った 白い水平線
蜃気楼がじりじりと忍び寄ってくる
悪いのはあの季節 燃えるようなこの心
過ぎるうちに近づくんだと そう八月の息子は思う
見つかった?見つからない 何がある 何もない 夏の日々
見つかった?見つからない 何がある 何もない 夏の終わりに
1990年代の夏ソング最終章は、これまた夏の楽曲が多い多すぎる曽我部恵一率いる抒情派バンドの、とりわけ1枚通して枯れた夏仕様な名盤『MUGEN』からの選曲。なぜか後年の本人からの評価がちょっと低いのが疑問なくらいに、完成され切った閉じ切った世界観が魅力的な作品。しかし意外と明確に「夏」という語の入った楽曲が思ったよりなくて、この位置の曲は『江ノ島』『スロウライダー』と移り変わった後、どっちも明確に「夏」と入っていないことに気づいて、結局この曲にした。こういう縛りがなければ、個人的なサニーデイ最強の夏曲はやっぱ『江ノ島』だと思うな。小さく閉じるからこそ美しいものってあって、その極みみたいな曲。
しかしこの曲も全然素晴らしい曲で、アルバムを通底する「レトロな音像」にこの曲もしっかりかかっていて、そのどこかジリジリした音質は、夏は夏なんだけど、ハワイ的なとろけるようなリゾートの感じでもなく、AOR的なBREEZEな夏の夜の感じでもなく、なんかどこか実に日本的な、夏休みにどこかの海沿いの田舎町に里帰りしたか出かけたかの記憶の、その感触がする音になっていると思う。その不思議なワクワク感、ワクワクしてたような気がする感、みたいなものを、この曲はとてもよく捉えてると思う。観念的すぎる形容の仕方だ。
そして、この記事の締め曲としてこの曲の最後のフレーズはもしかして最高じゃないか。「何がある 何もない 夏の日々」って、誰しもどこかで分かってはいても、でも何かを夏に期待してしまってる、その感覚がこの曲の美しさだろうし、そしてこの記事含むこのシリーズを必死こいて書いてる筆者の感覚ダイレクトかもしれんな。何もない、何もない、いやでも、何かあるかもしれませんよ、という。この諦めきれてない気持ちに中で燻ってたモラトリアムがちょっと揺さぶられる、そんな夏が今年もまた、って感じなのかどうなのか。
・・・・・・・・・・・・・・・
あとがき
40曲はしんどすぎるなと思いました。なぜ前回から倍に増やしたのか。それでもまあどうにか最後まで行けたので安堵してます。
書いてて何度も“モラトリアム”という単語を出してしまってワンパターンだな…と思いつつも、でも以前の年代と比べても、今回の選曲からはずっとモラトリアムの感じがすると思いました。筆者がそういう方向の曲ばっか集めてるとかそういう色眼鏡で見てるとかそういうとこは確実にあるかもしれませんが、でも実際、1990年代以降のサマーソングって、それまでよりもずっとモラトリアム要素を大切にするようになったんじゃないかって思います。「夏だ、車で女の子でサーフィンだ」みたいなのもある意味モラトリアム的なものかもしれないが、もっとこう、貧弱でセンチメンタルな方向に向かってるというか。
「夏だ、車で女の子でサーフィンだ」というイメージを確立させたのは1960年代のThe Beach Boysで間違いないと思うけども、しかしこの1990年代に増加したもっと弱々しいモラトリアムの感じもまた、どこかBrian Wilsonの『Pet Sounds』的な要素から出て来てるっぽい感触もあって、やっぱサマーソングにおけるThe Beach Boysの存在感は様々な次元で計り知れないものがあるな、とも今回思いました。ギラついた感じのないイノセントな音像、というか。
最後に今回の40曲のうちサブスク上にあるものを追加した本シリーズ通算のプレイリストを貼って終わりますが、次回は2000年代のサマーソング記事。この一連のシリーズの発端となった楽曲もこの年代に属しているので、次回こそめっちゃ気合いが入るところ。現実の夏をまるで無視したような状態で、なるべく早く完成させたいなって思います。書くのが今回以上に大変なのは薄々分かってはいつつも。
それではまた。
*1:むしろ1990年代当時はユーゴスラヴィアからの独立の関係で内戦とかやってたし…。
*2:これは筆者が勝手にそう思ってるだけで、平成一桁の光景とかを昭和と同じくらい“歴史”として見る世代もあるだろうなあ、とは思う。
*3:自業自得とは言え出不精になって交友関係が激減したことなんかもあるかも(笑)
*4:というかSpotifyでしか調べてないからSpotify上に。
*5:彼のこのバンドでの他の曲はなんかヤバい感じの曲が多い。『幸福』とか怖え。
*6:歌詞が理由でサブスク解禁が難しいとかってことあるんだろうか。
*7:全編爽快感に満ちた『Divine Hummmer』みたいな曲も幾つもあるけども。
*8:とはいえBrian Wilsonもまた伝説級のインドア派だけども。
*9:まあこのバンドはトラットリアではなくミディ所属だったけど。なので、同じレーベルのサニーデイ・サービスと関係性が色々深くなるのか。
*10:ここではそのカルト宗教の信者丸ごと集団自殺(大量殺人と解する向きもあり)する、という非常に痛ましい事件が起こっており、その死者数はアメリカ同時多発テロが起こるまでアメリカ内で最大の死者数を記録した事件だったという。正直、この陰惨極まる事件の起きた町の名前をグループ名に引用するのは、悪趣味の領域を超えてる気がしないでもない。マンソンファミリー以上にネタにしてはいけないおぞましさが人民寺院にはある。