ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

夏の楽曲集(Vol.2 1960年代:20曲)

 夏の楽曲を取り上げていく記事を前回から書き始めていて、今回はその1960年代分のものになります。この年間だけで20曲という多めのチョイスをしていることに、なんかこれより前の音楽の世界からグッと夏に対する取り上げ方も歌われ方も表現の仕方も拡大してきてるんだなということが選曲していても書いていても大いに分かるところであります。

 前回、すなわち1950年代までの楽曲についてはこちら。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

この1950年代編では10曲選曲し、全部が洋楽、というかアメリカの楽曲で占められています。今回からはもう幾らか広がって、日本の曲なんかも入ってきます。

 なお、今回取り上げる20曲については上記の記事で取り上げたプレイリストに追加してありますので、そちらも適宜ご参照いただければかなと思います。

 

 

はじめに:時代の傾向

ジャンルの広がりとそれらの横断

 1960年代の音楽のそれまでと決定的に違うところは、様々な新たな音楽が現れてそれぞれジャンルを自然と形成し、なおかつそれらのジャンル間で音楽性の共振みたいなのが起こっていた時代なのかなと思います。

 まあ特にThe Beatles以降のロックバンドが他ジャンルをどんどん取り込もうとしたことが大きいんだろうとは思いますが、そこにはR&Bというジャンルをポップソングに昇華し賞アップしたモータウンがいて、古いポップスよりももっとレトロなイメージを作り上げたPhil Spectorもいて、フォークソングの再評価とポップスとの融合もあって、中南米ではボサノバやレゲエも生まれて来ていて、古参のブルーズ勢もブルーズロック勢からの再評価があったりして、1966年くらいからはサイケデリックというさらに未知の領域に進む道が見つかって、James Brownもどんどんファンクを頑丈に構築して行っていて、ジャズ界隈もJohn ColtraneだのMiles Davisだのといった巨人が活躍して、一方で小器用な連中が売れなかったにせよソフトロックで優しいファンタジーを描いてたりもして、一方でギャンギャンとパンク的な攻撃性を持つガレージロックバンドも現れて、年代末にはカントリーをロックと融合させることで大文字のロック音楽の基本フォーマットが完成したりして、また年代末にはR&Bの側からロック的なテンションを逆に吸収しまくったSly & The Family Stoneみたいなのも出て来たりして、1969年にはプログレとハードロックの原型みたいなもの現れて、と、まあともかく新しいものがバンバン出てくる、どんどん可能性が広がっていく年代だったんだと、後世の眼からは見ることができます。

 そんな中では「夏の曲」というのも実にさまざまな立場から・楽曲的シチュエーションから歌われるようになる訳です。

 

 

ポップスの定型ではない、自分たちの「夏」の歌

サーフ・ロックのベスト・ソング40:太陽の下で波に乗りたくなる名曲達

 これもとても重要なことで、まず何よりも、サーフロックの流行によって「現代の若者である俺たちが、俺たちの好きなサーフィンとかホットロッドとかを歌うぜ」という空気が生まれました。もちろんこれはあっという間に「新たな定型」と化してしまいますが、それでも、ただぼんやりと夏を楽しみにするよりももっとその「楽しみ」の光景が具体的になったことは、文化が横展開していく上で大いに重要だったと思われます。

 その後はThe Beatlesに代表されるブリティッシュ・インベンションからのスィンギン・ロンドンな時代になり、そこでは思いのほか夏の歌はそんなに歌われてなかったのですが、ともかく歌の自由度はどんどん上がっていきます。バンドが自前で曲を書くから、歌詞も自前で書いて、自分の思うところを自由に書くことが出来るようになり、詰まるところ「恋の歌」の単純パターン以外に歌を書けるようになったので、その流れの中で「夏の歌」も様々な歌われ方をし、その中で「夏」という概念の歌の中での意味合いもどんどん移り変わっていきます。

 

 

何かしらの終息感・疲労感漂う1960年代末

 しかしながら、1960年代がハッピーなままはしゃぎ続けるだけの時代かというと別にそうではなく、特にサイケデリック以降については、そのはしゃぎ方もどこか危うげなものに変わっていくし、やがて1960年代末には、1970年代前半的なヘヴィさと陸続きの、疲弊して憔悴した感覚が音楽シーン全体に影を落としている印象があります。原因は様々あるだろうと思いますが、間違いなく大きいのはドラッグの存在だろうなというところ。並行してベトナム戦争の深刻化なんかもあったりで本当に色々ですが。

 そしてそういう、次第に重くなっていくムードを反映して「夏」の取り扱われ方も段々と暗いテンションのものが増えていきます。「幸せな日々への回顧」だけで済めばまだ良い方で、場合によっては「夏=幸せ」を当て馬に凶暴な憎しみを振るってくる歌も今回のリストには入っています。というかそんな楽しくなさそうなのもはや「夏の曲」と世間では呼ぶんだろうか…という疑問は若干出て来ますが。

 そして、そういうダークになっていくことでまた、音楽も、歌の中での「夏」という概念も、より深まっていったんだろうと思います。

 

 

本編

 なお今更ですが、この企画中については1アーティストにつき1曲だけ選ぶ、また同じ曲も1回だけで、バージョン違いだとかで複数回出したりはしない、という掟を一応設けています。

 

 

1. O Barquinho / João Gilberto(1961年)

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 英語もまともに読めないのにポルトガル語なんて全是読めるはずもないけど、曲のタイトルは「小舟」という意味だそう。どうやらこの偉大なるボサノバのオリジネイターについて、全曲の歌詞を和訳しようと努められてるすごい人が世の中に入るらしくて、そこの記載を全面的に参考にさせてもらってます。

 

hiyokomame.com

 

夏の光のなか小舟がゆく 波をすべる

青い海 青い空のあいだ揺れる 僕の心

思わず口ずさむよ小舟の歌を

白い雲 白い砂

 

なんとも喧騒から離れた、もはや幻想じみたようにさえ思える穏やかな光景の描写が美しい。こんな穏やかな夏の海辺の光景なんて、当時のブラジルでさえそんなのあったのかな。別にそんな現実に存在する光景かどうかなんてどうでもよくて、ただずっとこういう雰囲気の中でたゆたうことをしていたいなと。

 そしてこの曲は、そんな「夏の光のなか小舟がゆく」感覚がとても感じられる冒頭のエフェクトに驚かされる。ボサノバの曲、それも1961年の曲でこんな音鳴るんだ、ってびっくりしてしまった。音質さえ現代風ならもうそのまま現在進行形の音楽にだって余裕でなれてしまうだろう、その既に完成され切った音楽性。間奏で奥の方でくぐもった具合に鳴るピアノもまた実に理想的なもの寂しい響き方。歌の感じももうすでに仙人じみていて、このとき3枚目のアルバムで、この人は初めっからもう相当完成されてたんだなあと思った。

 

 

2. Misirlou / Dick Dale & His Del-Tones(1962年)

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 インストで、しかも「Summer」的な語がタイトルに入っていないが、でも別に誰もこれを夏の曲じゃないなんて言わないだろう。このサーフインストの代表曲として知られる名曲を。

 「Misirlou」とはギリシャ語で「エジプト出身」みたいな意味になり、どうやら原曲はオスマントルコがその辺の地域を支配していた19世紀ごろらしい。というか元は歌なのか。よく聴けば中東的なメロディが流れてたんだなあこの曲。その後、ジャズ界隈で歌があったりなかったりのカバーが多々なされ、そしてこの曲のある意味決定版となるDick Daleによるサーフインスト版の登場となった。このタイトルでこのバージョンを浮かべない人は珍しいだろう。

 スプリングリバーブの効きまくったピッチャピチャな音色とフレット間をスライドして細かく反復していくギターサウンドは、しかしこれ、サーフィンの爽やかさとかよりもむしろ激しさの方をよく表している。というか、ロック界隈でも稀に見る非常に破壊的で強力なギターリフだ。バックの演奏の決断的な感じ(スネア2回打ちやパワーコードチックなマイナー調)といい、「サーフロック」という言葉から浮かぶようなメロディアスな雰囲気は実はこの曲には無く、あるのはどこかひたすらスリリングに駆け巡るハードな音の快楽ばかり。

 実際この曲にガレージロック的なものを見出した人が多くいて、Jimi Hendrixも影響を受けたと言っていたらしい。そしてこの曲の「別に夏要素がなくても十分にギラギラした攻撃性があるんじゃね」というところを見出したQuentin Tarantinoによって映画『パルプ・フィクション』の主題歌として取り上げられたことは、もしかしたらこの曲をサーフロックの枠を超えて聴かれる決定打になったのかも。

 

 

3. Summer Means Fun / Bruce & Terry(1964年)

1964 Bruce & Terry - Summer Means Fun - YouTube

 

 1960年代前半のアメリカ音楽業界において、The Beach Boys(以下"BB5")が“発明”したサーフポップは非常に重要な存在だった。アメリカの地形的にサーフィンできる場所なんて本当に限られた場所だけだろうに、サーフポップは瞬く間に全米を席巻し、BB5は1960年代最初の「アメリカの若者の感覚を代弁するバンド」として巨大な存在となり、そしてそこに市場の存在を見出されたことによって、多くのアーティストが「自分もサーフポップで稼ぐ」という、ゴールド・ラッシュならぬ“サーフィン・ラッシュ”が起こった。

 この2人組もそんな連中のうちの1組で、後に片割れのBruce Johnstonは後に本当にBB5のメンバーになってしまうし、もう片方もThe Byrdsのデビューをプロデュースして大売れした後、1980年代のBB5に作曲等でよく関わる存在になったりする。そのようになれたことについては、この曲のあまりにもな模倣っぷりを聴けばなんとなくよく分かる。まあこの曲は別にこの2人の作曲じゃないけど。その辺のことは以下の記事が詳しいので興味ある人は読んでください。粗製濫造*1を本気(ガチ)でやるサーフポップ界隈。

 

songsf4s.exblog.jp

 

マリブに行ってカリフォルニアの陽の下

毎日がサーフィンだ

読書や宿題なんかやってる場合じゃないよ

だって夏は楽しいんだぜ

 

この「若者が学校を放っぽり出してサーフィンに行って女の子と楽しむ」的なフォーマットはサーフポップで死ぬほど繰り返されるタームで、その点この曲はBB5のそういう曲群のポイントを濃縮したような楽曲なため、これ1曲で大いにサーフポップポイントを大量摂取できるお買い得さがある。

 「冴えない男の子もサーフィンに行けば女の子にモテモテ」みたいなヴィジョンを描くには、リードボーカルはむしろイケボ過ぎても良くないところがあって、その点BB5以降のサーフポップはきちんとちょっとファニーでダルでヘロいボーカル*2が1つのポイントとなっている。この曲のこのバージョンもそのフォーマットをしっかり踏襲して、そこに本家引き写しのような美しいファルセットコーラスが寄り添う形は単純にとても完成度高い。程よい塩梅の音域で連続的に刻み続けるいかにもサーフロック式なギターの音も心地良く、粗製濫造のはずなのに、まるで偽物であるが故に本物を凌駕してやろうとする熱情さえほんの少し感じられる。

 

 

4. Under the Boardwalk / The Drifters(1964年)

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 同名の日本のグループは特に関係ない。このドゥーワップグループはしかしメンバーの入れ替わりが非常に激しく、グループ名(“漂流者”)は皮肉にもその混乱っぷりを表しているかのようだ。短い期間あのBen E. Kingが所属していたりもする。この曲はそんな彼も去ってしばらくして、録音直前でメンバーの死去と入れ替えが行われるくらいの混乱した状況ながら、そんなことは音楽からは微塵も感じさせない程の落ち着いたポップさとシックさを兼ね備えた名曲になっている。

 実はこの曲も特に歌詞に“Summer”という語は入っていない。けど、熱い太陽や暑さが強調された歌詞から、やはり「夏の曲の定番」として知られている*3

 

ああ 太陽の照り付きで屋根の上のタールも焦げそう

きみの靴もたいへんに暑くなっていて

疲れた足が暑さに耐えられるよう願ってるね

海沿いのボードウォークの下で

ブランケットの上 彼女と寝そべってよう

 

太陽を避けて ぼくら楽しいことしてよう

上で足音がするけど ここで愛し合おうか

このボードウォークの下で

 

屋外プレイやんけ。この開放感はまあ夏。少なくとも冬にこんなことしないでしょう。

 そんな微妙に下世話な歌だと思わせないくらいには、この曲の演奏は実にシックな仕上がりになっていて、ドラムの音を抑えたリズム周りのセットが優雅さを演出していて、また転げ回るようでありつつどこか上品なギターの音も大変良い。コーラス部のコーラスのファニーな様子はまるで歌詞に合わせてちょっと下品っぽく戯けてるようでさえある。

 「漂流者たち」という名前の、激しいメンバー交代が繰り返されるグループの、その間のちょっとした凪の幸せな瞬間を切り取ってみせたかのような、そんな佇まいがどこか不思議な魅力でもある。こういうふうに持って回って考えてしまうのは良くないことかも知れなくて、ただ単に情景を思い浮かべて妄想の中をプカプカしてればいいのに。

 

 

5. It's as Easy as 1, 2, 3 / Jan & Dean(1964年)

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 サーフポップ粗製濫造グループの代表的存在である彼らの、A面がホット・ロッドの曲ばかり、後半が学校の歌ばかりを集めたアルバムのそのB面に唐突に現れる、サーフィンとかホット・ロッドとかそういうバカっぽい世界とはまるで異なる、卒業を舞台にしたとってもセンチメンタルでロマンチックで繊細な男女デュエットの大名曲。早過ぎたソフトロックとも言われるこの隠れた大名曲についてようやく弊ブログでがっつり取り上げる機会が来た。

 この曲はこのグループの片割れの当時の恋人であったJill Gibsonという人が書いた曲で、ボーカルもこの2人がデュエットで歌っている。聴けば分かるとおり、男性ボーカルはかなり添え物的な存在感で、Jillのボーカルがとても目立っている。実際彼女のみのボーカルのバージョンも世に出ていたらしい(ヒットはしなかったみたいだけど)。

 この曲の魅力はまさに、いい意味で少女趣味の極みとさえ言えそうな、可憐なサウンド・テンポチェンジの混じる不安定で劇的な展開・そして儚げなボーカルと歌詞だ

 

明日が最終日 明日で学校はおしまい

明日が最後の日 あなたと一緒にいることの

だって終わりでしょ

 

わたしを忘れてね

1,2,3って数えるみたいに簡単でしょ

 

(中略)

 

ねえ 行かないでよ 遊んでいたいよ

夏がやってきて わたしも自由になるのに

 

夏が終わって わたしは慰みを持ったままでいる

あなたが戻ってきて 二人はひとつになる ひとつに

まあ見ててね 1,2,3って数えるみたいに簡単でしょ

 

(中略)って書いた部分は男性目線の歌詞だけど、ボーカルが目立つためかどうにも女性目線の歌詞に考えてしまう。この「わたしを忘れてね」と言いつつも恋人が戻ってくることを密かに胸の内で願ってるこの描写は、なんだかとてもいじらしい。

 こんな歌詞で、凛として落ち着いた風のサウンドから、展開部でワルツ調のリズムに変わって、ソフトなまま内なる情念に引き回されるかの如く大回転してみせる曲展開がなんとも「ソフトな激しさ」に満ちていて、しかも最後は元の落ち着いたメロディに帰ってきて、そしてイントロと同じホーンのフレーズで締めなんだから、構成としてとても美しい。

 正直、Jan & Deanの他の楽曲全部を合わせたよりもこの曲が大好きで、彼女がもし自身のアルバム1枚を仕上げることが出来てたらすごいことになっただろうなあと思うけど、実際はそうではないし、時代のことも考えると、たまたまこの1曲が世に出ただけでもとても素晴らしいことだったのか。彼女はこの後The Mamas & Papasが人気絶頂時にメンバー間のゴタゴタがあった際にサポート的に入ったりもありつつ、しかし音楽的貢献はそのくらいで、その後は写真家・画家として人生を送った。2022年8月現在でまだご存命だ。

 

 

6. California Sun / The Rivieras(1964年)

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 サーフポップの時代は1994年がひとつのピークで、この年にBB5もそのサーフィン・ホットロッド路線の集大成と言えそうなアルバム『All Summer Long』をリリースしている。そしてやがてアメリカに上陸したThe Beatlesの『I Wanna Hold Your Hands』のビルボード1位を皮切りに、この年から本格的に所謂“ブリティッシュ・インベンション”が始まっていき、チャートがイギリスのロックバンドに占拠されていくうちに、若者の流行もサーフィンから別のものに変わっていく。

 この曲はそんな時代の徒花にギリギリならずにきっちりとヒットして、このバンドをこの曲だけの一発屋にしてくれた楽曲。実は元々は1960年のR&B歌手のものが初出らしいけど、その当時からサーフポップ感バリバリだったであろう歌詞のこの曲をまさにいい具合にチープなサーフポップとして完成させたのが彼らだ。

 

ああ 西の海辺に向かってるんだよ

カリフォルニアの女の子たちが一番いる場所さ

彼女たちが歩いてて ぼくも歩いて

ツイストして シミーダンスして 飛んでいって

ああ 彼女たちはそこで楽しんでるのさ

あのカリフォルニアの暖かい陽の下でね

 

この曲も「summer」という語は出てこないけど、まあこんな調子の歌詞だから、おそらくみんな夏の曲だとしか思わないだろう。それにしても「カリフォルニアの太陽と女の子」というのがどれだけ当時の大人気ミームだったかがこうやって見ていくと改めてよくわかる。ちなみにこの曲は広いカリフォルニア州の中でもサンフランシスコ側のことを歌った楽曲で、ロサンゼルスよりもかなり北にあるけど、サンタクルーズというマリンレジャーで有名な街がある。後にカリフォルニアに憧れを抱きまくったアイルランドのバンドThe Thrillsも歌にしたのがこの場所。

 楽曲の方としては、そのサーフロック的なリバーブの効き方をした典型的なギターサウンドの切れ味がともかくこの曲は素晴らしい。この曲は当時のサーフポップにしては珍しく全然コーラスワークが無くて、しかしながらそれにも関わらずこのギターサウンドとチープなオルガンだけできっちりと楽しげなドライブ感を演出していて、ストップアンドゴーな感じのヴァースの展開から『Little Honda』気味なコーラスへの展開の爽快感の骨組みだけを抽出したみたいなその曲展開は、コーラスワークだけがサーフポップの魅力ではないことを雄弁に物語っている。

 この、何も考えなくてもひたすら推進力があって軽快にチープにドライブしていく感じ、これこそが“サーフ”って感じは、もしかしたら豪華なコーラス等がないこの曲でこそ一番味わえるかも知れない。いくら一発屋と言われようと、この貴重な一発を撃てたことは彼らにとって大変幸いだっただろう。

 

 

7. Dancing in the Street / Martha & The Vandellas(1965年)

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 1960年代中頃くらいまでのポップソングはともかくみんな楽しく踊れるようなノリで出来ているのが聴いてて楽しい。じっくりと効いてくる感じはまるでないけど、別に常にそういうのばっかり聴いていたいわけでもないし。

 1960年代の「楽しく踊れる」の王道といえばモータウンで、後世に所謂「モータウンサウンド」と呼ばれる楽曲群もJackson 5を除けば基本的に1960年代のものだ。そこにおいては、R&Bのポップな部分を強調して、他の何よりも華やかでポップな商品を目指して楽曲が量産され続けた。このグループもその一角として、『Heat Wave』とこの曲を代表曲として活躍した。この曲は後にMick JaggerDavid Bowieのコラボ曲としても使用された。

 歌詞を見るとまさに「楽しく踊れる」モータウンのテーマそのものだ。

 

世界中にお尋ね 革新的なビートへの準備はOK?

夏が来ていて時期はピッタリでしょ

表通りで踊りましょう

 

みんな踊るよ シカゴでだって

ニューオーリンズからニューヨークまでだって

 

必要なのは音楽だけ スウィートな音楽だけ

そこらじゅうに音楽が溢れていく

スウィング スウィングして レコードが掛かって

そして表通りで踊ってる

 

着てるものなんてどうでもいいよ

ただそこに入ってきてくれればいい

だからおいで 男の子みんな女の子をつかまえて

世界中どこでもね

 

そこにはダンスがある みんな表通りで踊るんだ

 

もはやセンチな恋の話すらなくて、ひたすら楽しく踊ろう、という「楽しい音楽賛歌」と言える歌詞になっている。

 楽曲の方としては、最初なんかえらい全体的に音がくぐもってるように思うけど、それはしばらく後に入ってきて反復される金属質に炸裂するビートを強調するためなのかもしれない。下手したら歌もコーラスもこのビートより後ろのレイヤーにあって、ともかくこのビートを中心としたこの曲の勢いで踊ってくれリスナー諸君、ということしかこの曲では考えられていないのかもしれない。ある意味究極の単純化で、確かにこのえらくビートが強調され過ぎた器楽構造は、1980年代に特徴的なスネアの音でカバーするに相応しい。なるほどMick JaggerDavid Bowieも実に合理的な選曲をする。

 

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8. Summer in the City / Lovin' Spoonful(1966年)

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 The Lovin' Spoonfulって本当に意外と色んなことをしてたりしていて、そのせいで「これ」というジャンルに当てはめにくい、なのでどうにも印象が定まりにくい性質を感じてしまっている。「アメリカの、The Beatles的に色んなことをしてヒットも出したバンドのひとつ」くらいに思っておくといいんだろうか。

 この曲は彼ら唯一の全米No.1ヒットとなり、しかも3週連続1位だった。この曲の面白いのは、確かにしっかり夏の曲だけども、ただ無邪気に夏だ海だサーフィンだ、って歌うのではなくて、夏のうんざり具合をマイナー調の荒々しい感じで歌い、コーラスに入ると一転して、女の子をつかまえに行く楽しい夏の夜をメジャー調で歌う、という、曲調の変化が歌詞の変化に連動する構成になっていることだろう。

 

街角灼けてる 夏の街 首筋が汚れてザラザラしていく

うんざりして 哀れじゃんか 街中は人影さえ見えない

 

辺りの人らみんな 半分死んでるみたい

マッチの頭より熱い歩道を歩かされてさ

 

でも 夜は別世界だね 外に出て女の子を探そう

おいで おいで 夜通し踊ろう 暑さなんて平気さ

ああもう 哀れじゃんか 昼は夜みたいになれないのさ

夏の街中じゃあ 夏の街中じゃあね

 

彼らには珍しくどこか吐き捨てるような激しさを有したままヴァースを侵攻させつつ、しかしコーラスで「But at night it's a different world」と歌われた瞬間に曲調がマイナーからメジャーに切り替わって、Ⅰ→Ⅳの反復というこれ以上なくシンプルにブライトなコード進行の中、とても明快な響きのギターが印象的に響いてくる。でもその後、歌詞が昼間のことを哀れに思う展開になると、コード進行もそれまでの明快さを急に抑えて混濁してくる。

 この歌詞と楽曲との強烈な連動具合がこの曲の大きな魅力だと言えるし、また大体の人が本当は知っている「別に夏は楽しいことばっかりじゃなくて実際は暑くてうんざりしたりする」という認識とそれでも夏にファンタジーを求める感情との揺れ動きそのものを表現したようでもある。そう思うと、この曲がなんで大ヒットしたのか、なんとなく分かる気もする。「夏で海でサーフィンだ」っていうのが時代遅れの幻想になってきてた頃だというのも効いてくるかも。

 そうなんだよな、夏は基本ダルくてうんざりするけど、でもなんか無根拠に希望もありそうな感じがするもんなんだよな。しかしこんな文章を真夜中に書いてるようじゃあそういうのはありつけなさそうだけども。

 

 

9. Summer Sunshine / Skeeter Davis(1966年)

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 Skeeter Davisは1962年の『The End of the World』の大ヒットで知られる歌手。そのオールディーズ感に満ちた曲調のため1950年代の曲だと思ってたけど実は1960年代だった、というのはPhil Spector関係含めて色々あるけど、『The End of the World』もそう。彼女は元々カントリー歌手だったらしいけど、その辺は別にこの記事ではどうでもいい。

 1966年に彼女は夏の曲を集めたアルバム『Singin' in the Summer Sun』をリリースしていて、カバーも含めて夏に関する楽曲で締められたその曲目はある意味圧巻。どうやらWikipediaを見る限りこの企画は成功せず、チャートに入りさえしなかったらしいけども、でも聴いてると確かにちゃんと夏のサウンドトラックだなあって感じがして、これは「夏の名盤」に数えてもいいのかも。そもそもアルバム1枚丸々夏ってのが珍しいんだけども。

 その中でも一際爽やかな存在感があるのがこの曲。ボサノバ的なアコースティックの響きを取り入れた流麗なポップス、という感じで、少なくとも自分がザコな能力で調べた今回のリストの限りでは、こういう「夏は涼しげなアコースティックギター」みたいな楽曲は、正面からポップソングしてる中ではこれが初登場。実際はもっとこういうのこれより前にも沢山あるんだろうけど。でもこの曲はイントロからして実に鮮やかだと思う。

 

夏の日差しを感じていたい 夏の雨音を聴いていたい

暖かで紅いキスのひとつひとつがわたしのもの

今 あなたが戻ってきてくれるから

 

やっと冬が終わってくれて ほっとした

太陽がどこにいるのかは知らないけど

夜に眠ることができる だって 分かるでしょう

総て 総てがまた始まっていくんだから

 

この歌の中での夏は「実際のそういう気候や季節」というよりももう少し象徴的な存在で、「辛い“冬”を通り過ぎて、やっとまた幸福にまみえる時」としての意味が付与されている。どこかソフトロック的な音の作り共々、ここには「暖かくて優しい、ほのかに幸せなもの」としての“夏”が役割を果たすべく頑張っている。

 思うに、「夏だ海だサーフィンだ」と幸せを今から掴みに行こうとしていた1960年代前半が終わって以降、ポップソングにおける「夏」は一気にもっとイマジナリーな「幸せの時間」としての役割に移行していく。それはどこか黄昏れた調子があって、そう思うと、ポップソングにおいて「夏」が「今現在楽しむために掴みにいくもの」として最もギラギラと「夏」めいていた季節は1960年代前半だったのかもしれない。

 

 

10. 想い出の渚 / ザ・ワイルドワンズ(1996年)

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 ようやく日本の楽曲のこのリストでの登場で、割とまだBB5マナーに則った感覚のあるこの曲なわけだけど、コーラスワークもギターのサウンド設定もちゃんとBB5マナーなのに、どうしてこうも一気に歌謡曲めいた雰囲気がするのか。歌い回し方、GSマナーが詰まったギターフレーズ、歌に掛かる歌謡曲的なリバーブ、そしてバックのストリングスの演奏あたりが、和的なものを感じさせる部分だろうか。

 日本のポップソングの歴史は別れの歌の歴史、みたいなところがどうもある気がして、色々と調べていくながでやっぱり圧倒的に別れのシーンやその後を描いた歌が多くて*4、この曲もそういう方向性の歌。まあ「もう帰れない幸せの日々」の象徴としての“夏”は洋の東西問わず人気のテーマだろうけど。

 

君を見つけたこの渚に 一人たたずみ思い出す

小麦色した可愛いほほ 忘れはしないいつまでも

水面走る白い船 長い黒髪 風になびかせ

波に向かって叫んでみても

もう帰らない あの夏の日

 

日本語にはなんか響きのいい「渚」という言葉があるな、と思った。渚ソング特集なんて記事も書けるかもしれない。きちんと「渚」と付く大量の歌謡曲を履修し終われば。

 

 

11. Royal Blue Summer Sunshine Day / The Bystanders(1967年)

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 1960年代も半ばを過ぎて、流石にBB5以来のサーフポップのブームはとっくに終わってた訳だけども、しかしBB5自体は『Pet Sounds』という歴史的大傑作を発表し、特にリアルタイムで大いに評価されたイギリスにおいては人気が急上昇した経緯がある。シングル『Good Viblation』のリリースもあって、1966年末にはThe Beatlesを超えてイギリスの雑誌の読者投票による「最も重要なバンドランキング」の1位になる。

 1966年、というかその前の1965年以降のBB5サウンドの最大の特徴は、シャッフルビートに乗せてポップでドリーミーな音像を展開していくことだと思う。後のアメリカのサンシャインロック勢がBB5を模範とするときには特に、この側面は重要視されている気がする。

 そしてイギリスのこのバンドもまた、BB5のそういった側面から入って、このような「ともかくいい感じの夏っぽくなるように単語詰め込みました」って感じの楽曲をシングルとしてリリースしている。声質がThe Holliesっぽいことなんかもあって、UKサイケ風味もそこそこあるけれど、それとBB5マナーなシャッフルとが心地よい調和を見せている。ブレイクの箇所の少し気が遠くなる感じはまさにサイケの1967年、って感じ。

 しかし、このバンドはどうも相当にマイナーなようで、なんと英語でさえWikipediaに記事が無くて、またネットで検索しても歌詞が出てこなかった。まあ曲タイトルからして間違いなく夏の曲なのでリストに入れることに不安は無いけども。

 そして、そんなマイナーなバンドの紹介記事がなぜか日本語で存在する。時々日本のマニアって凄いんだなあ*5、と思うことがあるけど、今回はまさにそんな感じ。

 

british-rock.salmon-news.com

 

そして、そんなマイナーなバンドの音源がちゃんとサブスクにあるのにも驚く。今回この記事を書こうと頑張って調べたりしなければ、自分もきっと死ぬまでこの人たちのこと知らなかっただろうな。他の曲も爽やかなコーラスワークと演奏が効いた素晴らしいものばかりで、The Zombiesとか好きな人もいいのではないかと思うのでどうでしょうか。

 

 

12. Bummer in the Summer / Love(1967年)

Love - Bummer In Summer - YouTube

 

 このバンドもまた、名盤特集では『Forever Changes』がよく取り上げられるけど、どのくらいちゃんと聴かれてるのかよく分からない感じのあるバンド。まあ筆者がちゃんと聴いてなかったというだけの話だけど。

 ちゃんと聴くと、この名盤はサイケ扱いされることがよくあるけど、フォークロックから派生したサイケなんだなということが分かる。派手なエフェクトで歌の光景がグチョングチョンになるような感じではないから、どこか地味なサイケ具合だけど、でもアシッドフォークという言葉があるとおり、アコースティックギターの響きってどこか果てしなく開けてく感じもあったりして、その感覚はこのアルバムにも深く根付いている。というかこのアルバムこそアコギのそういう可能性を開拓したうちの1枚でもあるんだろうか。

 この曲はそんなアルバムの後ろの方にあって、フォーキーなアルペジオの旋律の上にまるでBob Dylan的なブロークンなボーカルが乗っかっていく。そこからの展開の仕方もなかなかパンキッシュで、なおかつ間奏でジャングルビート風になったかと思えば、かなりカントリーフレーバーのあるギターが聞こえてきたり、なかなかに不思議な楽曲だ。少なくとも「夏の名曲の定番」になりそうにはない変なアグレッシブさだ。そもそも曲タイトルからして韻踏みたかっただけな感じじゃないですかもしかして。

 ちなみに「bummer」という語は歌詞には出てこない。「残念」という意味。ああ、なんて残念な夏の歌だ。

 

夏の真っ只中に配管工の仕事をしていた

秋になるまでただ通り過ぎてしまう

それはあなたで ぼくは一日中固くしていた

ああ ハニー ぼくらは手と手繋いで歩いていたね

あなたが他の男を思ってた時 ぼくはきみを思ってたよ

でもきみがそう望むなら先に進むこともできるんだ

だってきみについての論文なんて持ってなかったもの

 

ああ、やっぱり「残念な夏」だ。まあ最後のパラグラフの自分自身を見つめるところがこの曲では一番大事なのかもしれないけど。サイケ的な意味でも。

 

家がなかった時は ひとり骨身だった

自身のあり方を見つめて どこにいるべきかを知った

痙攣したのでサイケになって なかなか難しいものだ

見えてる総ての人間はただの自身の一部と学ぶのは

でもきみがそう望むなら先に進むこともできるんだ

だって誰もきみについての論文なぞ持ちやしないから

(いや ベイビー そんなのまるで嘘だぜ)

 

うん、なんだこの変な歌は。

 

 

13. 真赤な太陽 / 美空ひばり(1967年)

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 歌謡曲という概念のその中心に、美空ひばりがいるような気がするのは気のせいか。彼女の歩んできた道こそが歌謡曲の王道なんじゃないか。そしてそういう意味においても、この曲ほど「日本の歌謡曲の情念の感じ」が分かりやすくかつライトに理解できる楽曲もないのかも。欧米の人なんかに聴かせるにしても、AメロBメロサビみたいな構成じゃないからまだ聴きやすいだろうし、それでいて歌謡曲的なアクの強さは噴き出さんばかりに詰まっているし。

 この曲の思いのほか軽快にマイナー調をロールしていく演奏はGS的なものを目指して形作られたものらしく、美空ひばり的にもそれまでよりも現代風に垢抜けた感じの楽曲だったらしい。マイナー調もコッテコテに効いていて湿り気はあまり感じさせず、また最後のコードも思いのほか明るい響きがあって、案外爽やかな曲なんだろう。おそらくはバラード曲とかと比べたらもう遥かに爽やか。だからこそ1990年代以降のアーティストが「歌謡曲風」の作風を取り入れる際にこの曲っぽい感じを割とよく見かけるんだろうな。dip『SUPERLOVERS IN THE SUN』とかTMGE『裸の太陽』とか、おそらくタイトルからしてこの曲のオマージュだよな。

 

まっかに燃えた太陽だから 真夏の海は恋の季節なの

渚をはしるふたりの髪に せつなくなびく 甘い潮風よ

はげしい愛に灼けた素肌は

燃えるこころ 恋のときめき 忘れず残すため

まっかに燃えた太陽だから 真夏の海は恋の季節なの

 

一行目の「まっかに燃えた太陽だから」の主語の無い感じが実に日本語。あと、何気に日焼けのことを恋の根性焼きみたいに歌ってるところが実に昭和めいてる。

 

 

14. Summer's Almost Gone / The Doors(1968年)

The Doors Summer's Almost Gone - YouTube

 

 「夏の終わり際」というのも夏の曲では重要なテーマの一つで、むしろ一部ではこれこそ最も夏の歌で意義のあるものだと熱中する人たちもいる。後で出すつもりのBOaTとか。それで、あのThe Doorsも「夏が大体終わった」っていうタイトルの、なんかユラユラした感じの楽曲を出している。

 ブルーズ形式を用いていて繰り返しの多い歌は彼らの得意とするところで、イントロからピアノとオルガンがなんともやるせないしみったれた調子で響いてきて、あっこの残念な感じはドアーズだなあ、なんて思ったり。この曲はJim Morrisonの激しいボーカルは聞かれず、もっと淡々とした調子で、どこか場末のジャズ喫茶*6めいた雰囲気をボーカル共々燻らせ続ける。

 

朝は穏やかに 知覚の欠けたぼくらを見つけた

正午の太陽はぼくらの髪を金色に焦がした

夜にはぼくら 笑いものの海を泳ぐ

夏が過ぎ去ったら ぼくらどこにいるんだろう

 

夏は大体終わった 夏はおおよそ行ってしまった

ぼくらまあまあ楽しんだけど 奴ら行ってしまった

冬が来てしまうな 夏は大概行ってしまったから

 

やっぱポップソングの世界では夏の後には冬がすぐに来るんだろうか。というかこの曲では別に夏が過ぎ去っていくことをそこまで悲しんでいる風でもない。どこかぼんやりぼんやり浮かんできた感覚のかけらを拾い上げるかのような歌詞は流石The Doors。きちんと夏の終わりに何かしら形容しがたいものを見出せている。あなたは夏の終わりに何を見出しますか。

 

 

15. Summer Rain / Johnny Rivers(1968年)

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 1967年は後に「サマー・オブ・ラブ」などと呼ばれることになるけれど、その渦中のアーティストが夏の歌を歌っていたかというと別にあんまりそうでもない。調べた限りは歌ってなさそう。「過ぎ去ってから分かる夏」なんていうのもあるのかもしれない。この曲は割とシックな曲調の中でそんな風に、少しばかり1967年のとある重要作品に言及する。全文翻訳。

 

夏の雨が窓を叩く 西風は甘い夢みたく柔らか

陽の光みたく暖かなぼくの愛

そばに座ってる 彼女はぼくのそばにいる

 

彼女は虹から飛び出した 月光みたいに輝く金髪

魂みたいに柔らかな唇 ああ そばに座ってる

 

夏の間中 ぼくら砂の中で踊っていたね

そしてジュークボックスは流し続けたんだ

『Sgt. Papper's Lonely Hearts Club Band』を*7

 

ぼくら 夕陽に向かって船を漕いだ

湾流に捕まって家まで流されて

明日について考えなどしなかった

明日は明日のまま 明日のままさ

 

彼女はロッキー山脈に住みたがる

そこでこそ平穏が見つかるって言い張る

腰を据えて子供を育てる

それが自分たちを呼び覚ますのにも繋がる

ぼくら 家庭を持つだろう

 

夏の間中 ぼくら砂の中で楽しんでいたね

みんな流し続けていたんだ

『Sgt. Papper's Lonely Hearts Club Band』を

 

雪が窓に流れ着くと 北風が雷鳴みたく吹きつける

ぼくらの愛は炎みたく燃えている

そして彼女はぼくのそばに ぼくのそばにいる

明日は明日のままさ

 

なんとも不思議な歌詞で、「彼女」についてサイケデリックな描写をしつつも、しかしながら結局は「落ち着いて子供を育てる家庭を持とう」みたいなことを言い出す。そして1967年の狂騒を思い出す視点の中に『Sgt. Papper's Lonely Hearts Club Band』という時代を代表する作品が登場する。

 この曲は、そんな狂騒の1967年を過ぎて、もっと堅実に生きていこうとする人間の歌なんだろうか。サイケな歌詞*8と異なり非常に端正に整理されたストリングス等のアレンジを見ても、そこで描かれるロマンは哀愁色に変質しつつあるように思える。1960年代は終わりに向かっている。

 

 

16. People Take Picture of Each Other / The Kinks(1968年)

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 「過ぎ去っていく夏」というものをもっとシニカルに歌にしたのが彼ら。既に夏なのに残念な光景が広がる『Sunny Afternoon』や夏のどうにもならない気怠さを歌った『Lazy Old Sun』など、性根が素晴らしくひん曲がったRay Davis*9は嫌らしい夏の歌ばかり作ってきたけど、この曲の辛辣さはとどめじみたものがある。

 非常に軽やかな、どこかの村のポルカのダンスの集いみたいな装いをしておいて、ボーカルで所々のフックに軽快で珍妙なアクセントを打ちながら、しかしその歌の中の視線はどこまでも、「思い出に縋る」という行為に対する冷徹な視線を投げかける。それはもしかしたら「古き良き町」をテーマにした、ノスタルジックさについて取り扱ったアルバムを、一番最後の楽曲の位置からそのテーマ自体を客観視してしまおうという、地味に壮大な仕掛けだったのかもしれない。

 

写せるわけないだろ 若くて世界が自由だった頃に

きみがぼくから奪った愛なんて

昔どんな感じだったか分かる写真なんて

もうこれ以上見せないでおくれ

 

(中略)

 

人々は夏の写真を撮る 誰かがそれを忘れてしまっても

それは本当にそこにあったんだよって示すために

人々は互いに写真を撮り合う

彼らが誰かの大切な人だったことがあるという

その瞬間が永遠に残っていくように

 

3歳だった頃のぼくの写真

古い樫の樹のそばで親指をしゃぶってる

ああ その頃のことがどれほど愛おしいか

頼むから これ以上見せないでくれ

 

 以下はRay Davisの自伝小説からの一説。

 

写真はノスタルジーを呼ぶだけだ。わたしは人々の姿をそのまま思い出したい。写真はその人が年齢を重ねたことをさらけだす。ところが思い出の中では人は年をとらない。だめだ、カメラは残酷だ。

 

なるほど。ちゃんと本人が話しているのを調べると、捻くれとかではなく、れっきとした新年がそこには横たわってる*10。写真についての歌といえば、昔の姿の輝きっぷりに癪な思いをする『君は天然色』みたいな歌もある。写真は難しい。記録としてのある面での正確さが、結果として何かしら残酷なギャップに気づかせてくれることもあるから。今よりもずっと栄えていたであろう地元の町の写真とかみてると辛いでしょう。みなくてもいいのならそんなの見たくないものかもしれない。

 この曲の歌詞解釈はこちらの記事がより詳しいです。

 

kinkysound.jugem.jp

 

 

17. Summer Wine / Nancy Sinatra & Lee Hazlewood(1968年)

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 なんかびっくりするくらい歌謡曲。いくら英語の歌でも、英語圏の曲構造でも、これだけストリングスで情熱的にアレンジしちゃうと歌謡曲になるんだな。

 

[女]

苺 チェリー そして春に採れた天使のキッス

わたしの夏のワインは本当にこんなので出来てる

銀の拍車を脱いで わたしの暇潰しに付き合って

そしたら貴方にこの夏のワインをあげる

ああ サマーワイン

 

[男]

眼は重たくなって 唇はしゃべれなくなった

起きあがろうにも爪先が見つからない始末

彼女はおれを馴染みのない言葉で安心させて

そしてさらにサマーワインなるものをよこすんだ

ああ サマーワイン

 

エッチな感じの歌かと思わせといて、でも歌詞をちゃんと読むとNancy Sinatraのパートはずっと同じ内容を繰り返し歌ってるだけで、デュエットしてる男のパートの方で歌詞の物語が進展していく仕組みになっている。この「男が一方的に動かない女にのされていく展開」、これはもしかして『Nancy Whiskey』とかと同じ「酒を女性に擬人化して男が酔い潰れていく感じの歌」だろうか。アッ“Nancy” Sinatraこんなんダジャレじゃん…しょうもな…誰やこんなん企画した奴。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 

18. A Rose for Emily / The Zombies(1968年)

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 The Kinksとは別の意味で“夏”の扱い方が辛辣極まりないのがこの曲。冒頭の『Care of Cell 44』が刑務所の歌なのからも分かるとおり、サイケとソフトロックを折衷したような名盤『Odessey and Oracle』は実は案外に辛辣な歌詞も多いアルバムだったりして、2曲目に置かれた、ビートレスで穏やかに紡がれるピアノとコーラスワークで少しサイケめいたポップさを響かせるこの曲はとりわけ辛辣さに満ちている。

 

ついに夏がやってきて でも空はどんよりして

エミリーに薔薇を贈る人なんて誰もいない

 

彼女は自身の花の育つのを見つめてる

恋人たちが来ては去るのを繰り返しつつ

育てた薔薇を互いに与え合うために

でも エミリーに捧げられる薔薇は現れない

 

エミリー 理解できないのかい

(その太陽はどうやってまた輝くの)

きみに出来ることは何もないのかい

至る所に愛はあるのに きみ宛は無いんだね

 

彼女の薔薇はやがて枯れていき

彼女は何とかしてプライドを保つ

それしか痛みに耐えられる術が無いんだ

 

そして月日が流れて 彼女は老いて 死んだ

彼女の庭の薔薇は全て枯れ果てて

一つとして彼女の墓に添えられなかった

エミリーに捧げる薔薇なんて無い

 

…ねえ何でこんな酷い歌詞書いたの?ちゃんと読むととても辛い。若さを取り柄に男を取っ替え引っ替えしてた女性が、やがて歳を取って誰にも見向きもされなくなって、やがて孤独に死ぬ。そんな暗いファンタジーを、どうして彼らはこんなクラシカルな響きのある歌の中で書かないといけなかったのか。

 もしかしたら『Odessey and Oracle』のうちの何曲かは、胸糞悪くなるような内容の歌詞を美しいポップソングで包んでみようという、底意地の悪い試みだったのかもしれない。そういえばバンド名も「The Zombies」という露悪的な連中だったな。まあ、だからこそアルバム中でもとりわけサイケ抜きで現実的に明るく力強くそして歌詞もとても前向きな愛をしてる『This Will Be Our Year』の良さが輝くというのは少なくとも本当だろうけども。

 

 

19. Drug Store Truck Drivin' Man / The Byrds(1969年)

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 The Byrdsというバンドは、キャリア全体を見るとどんどんよく分かんなくなってくるところのありえるバンドのひとつだと思う。一番有名な12弦ギターを駆使したギターポップ的な側面は初期アルバム二枚で早々に終わり、サイケを経て、終盤はカントリーロックバンド化していく様は、一貫性があるようには感じ難い。音楽性が変異しようと圧倒的なコーラスワークがあるThe beach Boysなどと比べても、彼らのキャリア通しての個性が何なのかは分かりにくくなっている。案外それはやっぱり、メインの歌にハーモニーを乗せていくコーラスワークなのかもしれないけども。でもそれはよそもよくやってるからまたややこしい。

 本題であるこの曲。楽曲としては1968年にカントリーロックの重要人物であるGram Parsonsが加入しカントリーロック化し、アルバム1枚出した後にすぐ脱退するけど、その彼が残した楽曲として次作アルバムに収録された楽曲。ワルツ調のリズムでいかにもアメリカンなダラっとしてコーン畑が香ってきそうなカントリー具合は流石。同じメロディを延々と繰り返しつつ、そこにずっとコーラスが追随する様には、実は初期から変わらないこのバンドの歌に対するスタンスみたいなのが見えてくる。

 で、今回は夏に関する楽曲を集めた記事な訳だけども、この曲が一番「なんでこんな夏の歌われ方をしてるんだ…?」と困惑した楽曲だった。どんなだろうか。全文訳。

 

【●】

彼はドラッグストアのトラックドライバー

そしてクー・クラックス・クランのお頭だよ

夏が来るとき 彼は街にいない方が彼もラッキーだろね

 

丘の上の家に住み カントリーのレコードをかけるんだ

こっちがうんざりするまでね

消防士とも知り合いで 夜通しDJをしたりする

でも奴はかけるレコードと自分は違ってると考えてる

 

【●】繰り返し

 

ぼくの知ってる若い世代のことを好きじゃないんだ

ある夜の奴のラジオショーでぼくに言ったんだ

戦争で勝ち取ったメダルがあるんだとか

それは重さ500ポンドもあって 床に転がってるとか

 

【●】繰り返し

 

奴はぼくにとって父親みたいなやつだ

3時以降に聴ける唯一のDJだ

ぼくはロックンロールバンドのミュージシャンで

なんで奴がぼくを嫌いなのか 理解できないでいる

 

【●】繰り返し

 

これは貴方への歌だよ ラルフ

 

この曲の背景として、バンドがGram Parsonsを迎えてカントリーの聖地ナッシュビルで制作した転換作『Sweethearts of the Rodeo』をそのナッシュビルの当時人気DJであったRalph Emeryという人物に中傷され、曲を流すことに抵抗されたため、それを受けて製作された楽曲という経緯がある。最後に出てくる「ラルフ」とはその人のこと。

 それにしても、そんな人物に対して「クー・クラックス・クランのお頭」などと言い放ってしまうのは何気にとても過激だ。公民権運動が巻き起こり、1964年の公民権法成立以後も差別の問題が続いていく中で、その差別の象徴とも言える「クー・クラックス・クラン」という“蔑称”を投げつけることの意義、そこにはカントリーミュージックの発祥や流行と切って離すことのできない存在である「Redneck」に対する非難の色が混じってくる。

 それにしても、カントリーロックというカントリーとロックを融合したものを生み出そうとしていた彼らにとって、この「親でもあり、しかしこちらを否定してくる者」の存在を弾劾する歌を歌うことの、どうにも引き裂かれてしまった様子は痛々しい。そして、「夏が来るとき 彼は街にいない方が彼としてもラッキーだろね」という一節をどう読むか。ここでの「夏」というのはどう考えてもリゾート的な意味での「夏」ではなくて、もっと「何かの盛り」としての比喩的な扱われ方だろう。思うに、「カントリーロックが流行る“夏”が田舎よりも先進的な都会にやって来るから、そんな場所に彼がいない方が彼にとっても身のためだよね」という強烈な自負と皮肉を伴ったものと考えられる。

  つまり、ここでの「夏」はある意味、世代間闘争も含んだ上での非常に攻撃的な形で使われていると言えそう。いかに1960年代において“夏”という概念がただの理想郷的なものとしてだけでなく多様にポップソングの中で扱われるようになってきたかの、重要な一例と言えるだろう。

 

 

20. Hot Fun in the Summertime / Sly & The Family Stone(1969年)

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 このリストの最後は、1960年代の最後に人種間の融和をパワフルなソウルミュージックで盛り立てていた、「まだどうにか健康な頃の」Sly Stone率いるこのバンドが、その「健康な」時代の最後の方にリリースしたうちの1曲であるこの曲で。

 「健康な」時期のSly Stoneは、ある意味モータウンよりも上手にR&Bを白人向けのポップスに昇華することに長けた人物だった。R&B的なエネルギッシュさを保ったままに、しっかりとポップス然としたキャッチーなフックを備え付けさせる。この曲など本当にその上手さの上澄みのような楽曲で、三連符のリズムの中に、Slyのダークなボーカルからまろび出るR&B具合とメロディ自体の慎み深いポップスめいた調子とが絶妙に合わさり、彼らならではの甘味が生まれている。また同じフレーズの繰り返しの合間にメンバーそれぞれがフレーズを入れ込むセクションは、ポップソングに乗せるに程よい分量のファンキーさを持っている。このバランス感覚の絶妙さはSly Stone。

 この曲や次のシングル『Thank You』は結局完成に至らなかったアルバムからの楽曲だけど、もし完成していたらどれだけ「程よくメロウなR&B」として決定的だったろう。まあ史実では、天才Slyの中で何かがバグって終わってしまったことで、奇跡的な退廃感と「エネルギッシュでなしに垂れ流されるソウルフルさ」という概念を生み出してしまった真に革命的な名作『There's a Riot Goin' On』に繋がるので、何とも言えなくなってしまうのだけれど。

 

春が過ぎて そしてあいつがやってくるんだ

ハイハイハイ 夏の日々 夏の日々ってやつさ

 

ぼくの楽しみの殆ど それが帰ってくるんだ

ハイハイハイ 夏の日々 夏の日々ってやつさ

 

望みさえすれば「最高」が手に入る

学校なんて飛び出せや イエーッ

田舎の太陽の下で田舎のお祭りだ

そりゃもう全部真実だぜ ああ イエーッイエーッ

 

あまりに「夏の歌」として記号化され過ぎた単語群に、この後の顛末を知ってるせいか「ちょっとヤケクソすぎませんか」と思わないでもない。若干ダルな曲のテンションと比べて歌詞がハイテンションすぎるのも笑えてくる。でもそんなこと、このいい具合にメロウでダルでロマンチックな楽曲の前では心底どうでもいい。

 音楽こそ全て、音楽が最高ならみんな幸せになれる。そんなことをこの時期の彼はまだ幾らか思ってたりしたんだろうか。皮肉なことに、そういう「幸せ」があるからこそそこから落下した後の『There's a Riot〜』の退廃的な良さもまた無尽蔵に大きくなっていくんだけれども。そう思うと、謎に「夏だ、学校を出ろ、最高だぜ」を踏襲したこの曲はまるで、ポップミュージックが「幸せな夏の時代」を過ごしてた1960年代の終わりに手向けられた花束みたくも思えてくる。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

終わりに

 以上20曲でした。

 別にサムネがそうだからといって、BB5の曲を出す訳ではありませんでした。むしろ前回と今回で、いかにBB5のことを直接書かずに周囲のことを書いて、BB5の存在を浮かび上がらせるか、を狙って書きました。あと1アーティスト1曲のルールなので。彼らは他の年代で出します。近いうちにそこまで書ければいんですけども。

 何というか、1950年代のポップスの遺産を受け継いでチープにバカっぽくでもリアルに夏に幸せを求めて手を伸ばしてたサーフポップの頃が幸せに見えてくるくらいに、時代が下るごとに「夏の曲」の色彩がノスタルジアやエレジーまみれになっていくのが、何だか書いてて居た堪れない感じもしました。特にThe ZombiesとThe Byrdsについては、なかなかな憎しみが「夏」という要素を当て馬的に使用する形で歌に盛り込まれていて、少し驚きがあって*11、「夏の曲」っていうのも色々あるんだな、全部が全部リゾートで流せるような曲じゃないんだな、そりゃそうか、という思いがありました。

 1960年代の音楽って、最初少年だったのが、年代の終わり頃にはもうクタクタの老人になりかかってしまってるようなイメージを書いてて思いました。早急な成長と、それに伴う早急な老成というか。とはいえ、1960年代だけで音楽が終わってしまう訳でもなく、そのクタクタをあるいは抱えたまま、あるいはもっとフレッシュな別の何かを装って、1970年代の音楽が幕を開けていき、その中でまた「夏の歌」も色々と現れてくるところですけどそれは次の回の話。

 というところで、この記事は以上になります。ここまで読んでいただいた方ありがとうございました。それではまた。

 

プレイリスト更新してます

 幸い今回取り上げた20曲は全部サブスク上にあったので、前回のプレイリストに20曲追加しています。もしお時間があれば、興味がある曲だけとかでもいいのでぜひ聴いてみてください。

 

open.spotify.com

*1:そもそもどこかチープな感じこそがウリのサーフポップにおいては粗製濫造さえどこか魅力に感じられるところがマジックだと思う。そういう意味では少々パンクに近い。まあ録音してるメンツがWrecking Crewとかの凄腕セッションミュージシャンだったりするけども。

*2:BB5のMike Loveがまさにその代表者だけど、彼の場合低音コーラスに回ると非常に器楽的な働きを見せることや中期以降は繊細な声も使うようになったこと、そして何より「サーフィンでモテモテ」ロジックを生み出し世界観を広げまくる作詞能力があって、やはり天才なんだと思う。

*3:話は全然変わるけど、「夏の曲」を集めた記事では、歌詞からはっきりと夏と読み取れない、なんなら別の季節の話さえ混じってるような曲も時折「夏の曲」として取り上げられていて、その厳密じゃなさがちょっと意味が分からない。Rolling Stone誌でさえそんなだもんな。この一連の記事のために選曲するにあたって参照しようにもいまひとつできないところがあって困ってしまう。

*4:逆にそうではなくて、『お嫁においで』『君といつまでも』みたいな、これからの2人のことを歌ってヒットさせた加山雄三はちょっと特殊な立ち位置にいるな、と思った。ああ、これらの曲の歌詞にはっきり夏要素入っていれば今回取り上げたのに。

*5:特にソフトロック関連とギターポップ関連だろうか。やたらもの凄く詳しい人が複数人いますよね。

*6:そんなところに行ったことなどついぞ無いんだけども。

*7:ちなみに海外の歌詞考察サイトGeniusでは「サージェント・ペパーズの45インチなんて存在しないから実際はそんな光景ありえない」とかコメント付けてて笑ってしまう。どこにも面倒臭いオタクはいるもんだ。

*8:これも歌詞に「All ummer long」とあるのはBB5だし、「彼女」が虹から飛び出すのもThe Rolling Stonesの『She's a Rainbow』だし、単にヒット作を並べてみたかっただけかもしれない。

*9:むしろ秋について様々な嫌味の中に愛着の混じった『Autumn Almanac』という曲を作ってたりする。

*10:というか、世の中の「捻くれ」とされるものの相当数は、それはその人のこだわりがあるからこそ発言しているものであろう。無下にディスるもんでもないよ。

*11:同じく辛辣なThe Kinksについてはまあいつものことだし特に何も。