ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

ウイスキーをめぐる楽曲風景(30曲)

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バランタインの17年はまだ飲んだことありません。

 2020年4月頃からのコロナ関係による緊急事態宣言以降、職場でもそれ以外でも飲み会というものの数が激減し、それによって自由になった飲み会分の費用と時間によって、遂に家でウイスキーを飲む文化を手に入れました。よかったのか悪かったのか…。

 それで、今回はウイスキーにまつわる楽曲を集めたプレイリストを以下のとおり作ったので、このリストの楽曲それぞれについて色々書くことに終始する記事です。リスト作成には相当難儀しましたが、その分なかなか妙な範囲の広さが出た気がするので、結構面白いリストかもしれません。

  

●Caution!

 お酒は20歳になってからです。未成年の飲酒は法令とか条例とかそういうので禁止されています。

 また、アルコールは付き合い方や飲む量によってはあなたの暮らしを破壊してしまう恐れもあります。今回のリストにもアルコール中毒みたいな楽曲が時々出てきますが、それらが決してアルコール依存症を推進する意図で書かれている訳ではないことは言うまでもありません。

 なんというか、用法・要領?を守って、いい具合にお酒と付き合っていきましょう。

 

今回のざっくりしたお品書き。

 

前書き1:楽曲の探し方

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うちのウイスキーの現在(1/18撮影時点)のストック。全然飲みが進んでないのも…。

 いきなり読み飛ばして頂いて構わない項目。今回のリストを作るのはここ数ヶ月のプレイリスト作成でもとりわけ苦労したので、その苦労を少し書いておきたかっただけの項目です。

 

・「ウイスキー」「Whisky」「Whiskey」で音楽アプリ内検索

 タイトルにこれらの単語が含まれる楽曲であればこれで見つかります。見つかりますけど手元のiTunesでは手持ちの音源が少なく、サブスクでは逆に無限に出てきたりするけども…。あと、微妙な表記の揺れ。「ウ“ィ“スキー」とか。どうでもいいけど今回選曲やってみて、楽曲タイトルに入ってくる多くは「Whisk“e“y」の方がなんか多いな…ということに気づきました。

 タイトルにウイスキーが入らない、歌詞にしか出てこない系の曲を探すために、これより下の苦労が発生した訳です。

 

Googleで「whiskey song」「ウイスキー 歌」で検索

 これで簡単に片付くと思ったけど正直そこまで思ってたより楽曲を拾えなかった…。英語だとなんかもうアメリカのバーボン感と誇り溢れる楽曲が散見されて、そういうのは趣味じゃ無いなと思って外しました。バーボン系も飲むのそんなに好きじゃないし、ぼくはスコッチ派です。。あと日本語だと約1曲ばかりがヒットする検索結果に…。

 ただ、海外のフォーラムか何かで、以下のサイトは非常に参考になりました。多分他にもこういうフォーラムとかで語られてる楽曲が沢山あってそれをきっと物凄い数見逃してるんだろうと思います。

ask.metafilter.com

 

・「whiskey」でサブスクでプレイリスト検索

 この方法も、やはりアメリカという国の強大さを思い知ることになりました…。やっぱいかにもなアメリカンロックやポップスばかり出てくる。もっとインディロック方面で集めたいのに…と苦々しく思いながらでも数曲はこの方法で集めました。

 

・「アーティスト名 whiskey」とかで検索

 今回のリストの1/3くらいは結局この方法で見つけました。とても大変でした…。意外とアルコール感全開なロックンロールバンドがウイスキーについて歌ってなさそうだったり、中にはまさかね…と思って試してみたら意外に特定の曲名がヒットしたり。

 

前書き2:楽曲におけるウイスキーの役割

 様々な楽曲の中に様々な形で登場するウイスキー。まあ今回やってみて、正直ワインとかの方がよっぽど登場回数が多いと感じましたけども…。

 それで、ワインだったらこう、洒落たものだったり、恋の象徴だったり、気の利いた感じだったり、もしくは宗教的な感じとかで使われてるイメージですが、ウイスキーだとどんな役割を背負って楽曲に登場してくるのか。ちょっと類型化してみました。

 

①日常的なもの、生活の一部としての描写

 これはなんというか、ウイスキーをお茶とかコーヒーに替えてもギリギリ歌詞の意味が通じるくらいの感じというか。ウイスキーを飲んで救われるわけでもテンションが上がるわけでもなく、ただ単に生活様式として嗜んでる、みたいな。

 この類型の場合、歌詞の中にバーに通う光景が見られる傾向にあります。仕事が終わって、バーに行って食事と飲酒をして家に帰る、みたいなの。日本の居酒屋ももっとウイスキーを色々置いてくれたら…とかも思ったりするけども、でもそれとは別に、ライトに洋風な食事をしてウイスキー飲んで家に帰るスタイルは憧れます。

 ただ、この類型はそんなウイスキーのある日常の周辺で何か異様なことや不穏なことが起こってるパターンもあって、他の類型と重複してるように感じられることもままあります。

 

②身を滅ぼすものとしての存在

 ことお酒の種類がワインからウイスキーに変わるだけで、この側面が強く出てくるように思います。これはきっと西洋圏におけるワインとウイスキーの、それぞれの歴史の違い、それによる扱いの違いなんかが根底にあるんだろうけど、根底の部分なんかよく勉強してるわけでもなし見えやしないので、ちょっとこのことについて小手先で考えてみます。これ多分真面目にやったらこの項目ひとつで1記事書けるやつだなあ。

 ウイスキーの他のお酒と比較しての長所を考えます。1つはアルコール度数が比較的高いことで、ビールやワインを沢山飲むよりも少ない量で同じくらいの酔いに到達できるはずです。また、そのように酔いに達するまでの飲む量が少ないので、ビールやワインよりもひと瓶開くのが遅くなり、結果的に経済的になることも考えられます。そしてウイスキーは、安いものであればここ日本でも750mℓの瓶1本が1,000円程度で買えて、そしてそれがそこそこ美味しい、かつ銘柄による差もそこそこある、というありがたい部分があります。

 このようなウイスキーの利点が生活習慣にこびりつきすぎてしまうことで、ウイスキー依存症が発生します。特にアメリカやイギリス等ウイスキーの消費が大きい国においては依存症に陥った人の数は日本よりもずっと多いんだろうなと推察されます。

 なぜ依存症になるほどにのめり込むのか。それはやはり、酔いの作用で不安や憂鬱を紛らわせることを続けてしまう習性の結果なんでしょうか。このパターンも①と同じくウイスキーを飲んで楽しいとか悲しいとかは無い、ある意味日常な感じがしますけど、でも破滅へ向かってる感覚は露骨にあって、その辺がとても哀れなものに感じられます。薬物中毒とどっちが辛いのか。どっちも半端なく辛いんだろうけど。

 

③悲しみの象徴としての効果

 アルコールの作用によって不幸になる上のパターンと違って、こちらは「悲しみを酒で紛らわす」という要素が強く出るパターン。鎮痛剤的な役割というか。

 確かにウイスキーで感じられる類の苦味は、ワインとかビールとかでは軽く感じれる系統の悲痛さとか苦々しさとかをどうにか受容するための表現をするのに向いてるのかもしれません。まあこれが続いて上のやつになる、みたいな人が多いのかもしれませんけど。

 

④テンションを上げるものとしての描写

 「ウイスキー飲んでテンションアゲアゲ〜」みたいなのってあまりピンとこない、そういうのはビールの役割かなって思ったりするんですけど、でも意外とこの手の使い方が楽曲の中では散見されます。ビールとかよりもアルコール度数がより高いからより魂がオーバードライブするぜ!みたいな感じなのか…?

 

⑤何かお祝い的な、物事の進展の成果みたいな登場の仕方

 今回の各類型で一番晴れやかなウイスキーの機能はこのパターンでしょう。正直この役割はワインとかでも代替可能なものだとは思うけど、でもそこでウイスキーを出すことによる微妙なニュアンスの変わり方はあると思います。良いことがあった日に酔いウイスキーを飲む、そういう幸せのスタイル率直に言って憧れます。この類型で出てくるウイスキーはちょっとお高そうだ。。

 

⑥祈りの対象

 もはやウイスキーを飲むことが教義なのでは…みたいな類型。不安を紛らわす②の効用と悲痛さを受容する③の効用とがあってこそなのか、それとももっと超越的な何かに突き動かされてなのかは分かりませんが、ともかくウイスキーという存在に対する、依存を通り越した、もはや帰依と言いたくなるような高みにこの類型の曲はあるのかもしれません。それはまあ「そのくらい自分は酒で訳分からなくなってるよ」という自虐的な部分もあるのかもしれませんけども。

 

⑦その他・謎な立ち位置

 上6つのどれにも当てはまらないパターンです。ウイスキーという概念は消費するだけのものじゃないんや、っていうよく考えたら当たり前のことも分かったりします。

 

本編

 では始まります。リストは年代順です。いくつか所謂スタンダードナンバー的なものも混じってますがこれらは別に全然初出に拘ってない(拘れるほどの知識や検索能力が無い or Spotify上に存在しない)スタイルです。

 

 どうでしょうか。ここから先は各曲について、それぞれのウイスキーについて歌っている箇所周辺の歌詞を挙げて、各曲の特徴とかを見ていきます。掲載する歌詞は基本は一部の引用・抄訳ですが、4つくらいの曲については歌詞全部を翻訳してみました。

 

〜1960年代

1. If The Sea Was Whiskey / Willie Dixon(1947年)

 類型:①

もし海がウイスキーで 俺が飛び込むカモメなら

もし海がウイスキーで 俺が飛び込むカモメなら

底の方まで潜っていって

帰ってくるかも分かりゃしない

 

 典型的な「バーで流れてそうな、うだつの上がらない雰囲気がかえって洒落たものに感じられる」タイプのブルーズナンバー。タイトルからして「もしも海がウイスキーだったら」という発想がもう酔っ払いの戯言感があって強い。また何気に、女性と別れて悲しくて酒浸り、という典型的なパターンではなくもっとたわいのないレベルの歌詞になってるのが、実にスッキリしたグダグダさが感じられて快い。

 Willie Dixonはプロボクサーから作曲家に転身するという不思議な経歴の持ち主。シカゴブルーズという一大潮流の成立に貢献した。そういう経歴とは関係ないけど、古いピアノブルーズ等で聞こえてくる荒く尖ったようなピアノの音ってなんか格好いいなって思う。確実にローファイな録音なのに、ピアノの鍵盤に残った埃の感じまで伝わってきそうというか。

 

2. Nancy Whiskey / Joni Mitchell(1963年録音)

 類型:⑦

グラスゴーに行ったらば

ナンシー・ウイスキーちゃんの匂いに取り憑かれて

中に入って隣に座れば 7年間も激愛しちゃってる

(中略)

機織りの連中 カルトンの機織りども

どこにいようが機織りみんな

ウイスキーに気をつけな ナンシー・ウイスキー

奴は台無しにするぜ おれにやったみたいに

 

 19世紀ごろに綿工業で大いに発展したグラスゴーを舞台とした、飲んだくれ者たちの民謡というか、スタンダードナンバーみたいなもののひとつ。グラスゴーに行ったら町中の人が飲んだくれながらこういうのを歌ってたりするんだろうか。でもその割に、スコットランド出身者よりも他所の人たちによるカバーの方が有名になってる気がする。アイルランド勢とか。

 今回取り上げたのも、カナダ出身であるJoni Mitchellのカバーバージョン。鷹揚で豊かな他のカバーに比べて、彼女のこのアコギ弾き語りは実にいい具合のフォーキーさがあり、また彼女の声のこともあって、ほぼアコギのコードカッティングと声だけのこのバージョンが1番素朴でかつそれっぽい雰囲気に感じれた。終盤にブレイクしてゆっくりアカペラ気味に歌うのも実にそれっぽい。

 それにしてもこの曲の歌詞は、もはや伝統文化だと言われるグラスゴーの飲酒習慣の昔からの雰囲気を実にそのまま今に伝える。ウイスキーを女性に見立てて歌うことの下世話さは、最後結局何もかもダメになっちゃった、というオチによって惨めな喜劇みたいになってまとめられる。最後の警句の呼びかけの必死さが笑える。そしてこんな警句の歌を肴に、グラスゴーの人たちは今日も明日もウイスキーを飲み続けるのだろうな。もちろん飲むのはスコッチウイスキーなんだろうな。

 

3. One Bourbon, One Scotch, One Beer / John Lee Hooker(1966年)

 類型:①③

そう マイガールが出て行ってもう二晩

一昨日の夜からもう会えてないんだ

忘我ってくまで飲み続けてえ

バーボン1杯 スコッチ1杯 あとビール1杯

 

そしておれはそこに座って

ハイになって キマって 打ちのめされて

壁に掛かった古い時計を見れば

2時になるまであと15分

酒はもうラストオーダー

「おい バーテンダー!」って言う

「ああ 何をご所望ですかね」

 

 典型的すぎるハートブレイクなアルコールブルーズ。これでしかも演奏してるのがJohn Lee Hookerという、コテコテ要素が寄り集まった最高に素敵なグダグダブギーが出来上がってる。ちなみに作曲者も初出も彼ではなく、最初にこの曲をリリースしたのは1953年のAmos Milburn。その際はタイトルは『One Scotch, One Bourbon, and One Beer』とスコッチが先に来ていたらしい。

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 しかしながら、John Leeのバージョンでは彼はのうのうと謎テンションで呟きまくる語りパートを挿入していて、この辺の存在がこのバージョンをカバーと思わせないようになっている。そして何気に録音が1960年代ということもあり、かなりリッチなバンドサウンド共々、彼らしさしかないグダグダなブギー具合の反復がとても心地よい。

 歌詞は、一応女性と別れたために飲み続けるストーリーだけども、でも特に語りパートの挿入によって、雑に酔っ払い倒して閉店時間間際まで粘りバーテンダーに迷惑かけてる姿が浮かんでくる、よりグダグダな風景に書き換えられている。あと、語りパートで何回か繰り返す「By the time!」の語りがどうにも「バランタイン」って歌ってるように聞こえて、最初はそんなにバランタイン推しなのJohn Leeさん?って思った。バランタインのファイネストは安くて美味しくて重宝してます。そしていつかは買って飲みたい17年。

 

4. Whiskey Man / The Who(1966年)

 類型:①②

ウイスキーマンはぼくの友達 いつだって一緒だよ

酒飲んでるといつも出てきて 楽しく過ごすのさ

誰も彼を見たこと無くて ぼくだけ見えるんだ

一見ぼくが狂ってるようかもだけど

狂うのって楽しいよ 無事に済みさえすりゃあね

 

医者連中は彼をこう言う

ぼくの終わってる脳が生んだ妄想に過ぎない と

ぼくのウイスキーマンが見えないとしたら

奴らもう失明しつつあるんじゃなかろうか

  

 イギリスのロックバンドThe Whoロックオペラ化する前のたわいないポップソングを連発していた時期の楽曲の一つ。メインソングライターのPete Townshentではなく、ベーシストのJohn Entwistleによる楽曲でボーカルも彼が執る。寡黙ながらもステージ上での淡々ともの凄いベースを弾く姿と共に、彼は変なユーモアセンスに満ちた楽曲で定評がある。この曲が収録されたアルバムに他に収録された『Boris The Spider』のシュールさはえも言えない。

 悪趣味さではこの曲もなかなかのもの。「アル中が進んで誰にも見えない”友達”が見えてしまってる人の歌」という奇怪かつ苦しみに満ちたテーマでこのようなポップソングをさらりと出してくるその底意地の悪さが、やはり彼の楽曲の歌詞なんだなあと思わせる。上記の冒頭の歌詞の後、この歌の主人公は更生施設か何かに入れられ、”友達”と会うことができなくなってしまう、というストーリーになっていて、そこには悲しさの中に宿るいびつな可笑しさがこぼれている。

 この曲、中盤以降のホルンとかコーダの鐘のようなギターとか色々アレンジが面白いけど、特に面白いのがステレオのボーカルの扱いで、基本は左右2つのボーカルがユニゾンで配置されて進行するけど、歌詞の中で更生施設に送られるくだりだけボーカルが片方のチャンネルだけになる。ウイスキーマンが消えてしまうことをボーカルアレンジで表したのだとすれば、なかなかにキツめのウィットが効いたアレンジ回しだと思った。

 

5. Alabama Song(Whisky Bar) / The Doors(1967年)

 類型:⑦

ああ 次なるウイスキーバーを教えたまえ

理由など聞いてはいけない 聞いてはいけない

ああ 次なるウイスキーバーを教えたまえ

理由など聞いてはいけない 聞いてはいけない

もし次なるウイスキーバーが見つからなければ

教えよう 我々は死ぬ他ない 死ぬ他ない

もし次なるウイスキーバーが見つからなければ

教えよう 我々は死ぬ他ない 死ぬ他ない

 

ああ アラバマの月よ さよならを告げる時だ

我等 古き良きママを失ってしまった

ウイスキーが必要だ 何故かはお解りだろう

 

 The Doorsの特に初期にあったヘンテコな不思議さを表現しきった曲だなあと長年思ってたけど、でもこの曲がカバーだったことを今回のこの企画で調べ直したことで初めて知った。あまりにThe Doorsっぽい曲だと思ってたので、びっくりした。原曲はドイツ出身の劇作家Bertolt Brechtのオペラ『マハゴニー市の興亡』における劇中歌として出てくるものらしく、そちらではこれから金を持ってる人を誘い込んで搾り取ろうと目論む娼婦たちの元締めによって歌われる。

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原曲の方がこの不思議な歌詞は、金を稼ぐために何が何でも客を呼び込もうとしている娼婦たちの姿が浮かんできて分かりやすい。メロディが変化する箇所もより劇的に変化して如何にも昔の映画のようなシンフォニーを描く。

 しかし、The Doorsがカバー下バージョンは当然元のオペラやそのストーリーからは切り離され、あのダークなジャケットのダークな彼らの1stアルバムのうちの1曲として存在する。そうなると急にこれらの言葉は、当時のJim Morrisonが紡いでいた他の言葉と同じような属性に変質し、実に不思議な世界の不思議な出来事のように思えてくる。ウイスキーバーに行けないと皆死んでしまう、だなんて、なんて初期The Doorsっぽい理不尽さ・シュールさなんだろう。

 リズムも変化の劇的さを抜いて野暮ったさのみを残し、そしてキーボードアレンジのみでまとめ切ったその楽曲のフォルム込みで、ここにはそれこそBrechtが提唱した異化効果が見事にありありと現れている。もしこのように異化効果を指摘されること込みでBrechtから楽曲を引用したのであれば、当時の彼らは大概鼻持ちならない連中だなあ、と今回思った。

 

6. Susannah's Still Alive / Dave Davies or The Kinks(1967年)

 類型:②

あっ スザンナが取り乱してる

でも首のロケットは付いてる

テーブルに写真 若くて有能な男が写ってる

 

ああ スザンナ泣きそう スザンナまだ生きてる

ウイスキーかジン これでバッチリさ

夜 ベッドに何も無いとカバーを下にして寝るんだ

誰かが入ってくるのを期待してるんだね

彼女が何しようが関係ない

彼女は勝てやしないし それも知ってるんだ

ああ スザンナ泣きそうだ

 

 後に飲酒に関する楽曲でも指折りの名曲『Alcohol』をモノにする、イギリスの中のイギリスのバンドであるところのThe Kinksの、そのうちリードギタリストとして知られるDave Daviesはバンドの顔役であるRay Daviesの弟であるけど、1967年ごろには彼がソロミュージシャンとしても活躍しようとしていた時期だった。結局はデビューアルバムリリースまでは行き着かず、シングルとしていくつかの楽曲をリリースするに留まったけど、それらの楽曲は全てThe Kinksがバックの演奏を務めていて、そしていくつかは何故か実に普通にThe Kinksのアルバムにリアルタイムで収録された。リアルタイムでは収録されなかった楽曲も、今回のこの曲を含め全てThe Kinksのアルバム『Something Eles』のボーナストラックに収録された。なんか、それでいいのか…?とか考えてしまうけど、元祖兄弟喧嘩バンドと言われつつも意外と仲がいいんだろうな。

 そんな弟のこの時期の楽曲は、やっぱり兄と共通した雰囲気が割とあるなあ、となってしまう。The Kinksのアルバムに収録しても浮いたりは全然しない。そしてこの曲については、歌詞に描かれた女性の悲しいストーリーっぷりについてもやっぱり兄譲りな哀しさを感じさせる。少しとぼけたピアノリフ主体の中にBob Dylan風のハーモニカの伴奏が挿入される作りのトラックはファニーな印象だけど、歌の中では戦争に大切な人おそらく恋人を奪われた女性の哀しい生活の様子を綴っている。そんな様子に対して無邪気そうに「ウイスキーかジンでオッケーでしょ」って歌うのはなかなかに邪悪。

 それにしても、ウイスキーとジンが並ぶ様はなんともブリテン、なんともロンドンな風情がある感じがする。ジンは、今のところウイスキーほどにははまってないなあ個人的には。ジントニックを家で作るとなんか甘くなりすぎたのがややトラウマになってるのかも。

 

7. Whiskey in the Jar / The Dubliners(1968年)

 類型:①

魚釣りが好きな奴もいれば鳥狩りが好きな奴もいる

大砲が駆動し鳴り響くのが好きな奴もいる

おれ?おれは寝ることが好き 特にモリーの寝室でな

でも今や刑務所の中 しかも足枷まで着いてるぜ

 

なあおっさん ああおっさん

ウイスキーならビンに入ってるぜ

 

 ここでついに飲酒ソング大国アイルランドの登場。この曲は古くから歌い継がれてきたかの国の呑んだくれフォークロアの中でも最も有名なもの。アイルランドのミュージシャンは勿論、それ以外の様々な世界中のアーティストからカバーされ続けている。有名なものだと、アイルランドのハードロックバンドThin Lizzyが1973年にマイナー調ハードロック風味にカバーし、さらにそれを基調としてかのへヴィメタルバンドMetallicaが1998年にカバー、あろうことかそれでグラミー賞を獲っている。それでいいのかグラミー賞

 しかしながら、アイルランドは伝統的なケルト音楽を現代になっても続ける、有力ケルティックバンドを抱える地らしい。今回リストに入れたこのThe Dublinersはその名前から分かるとおりアイルランドの首都ダブリンの人たちであることを前面に押し出した名前と非常にそれっぽく野暮ったいケルト音楽の演奏を数十年続けてきた人たちで、この曲の最も伝統的で典型的な姿は彼らが1968年にリリースしたこのバージョンなんじゃないかと聴き比べて思った。まあ今回の企画で調べるまで彼らのことは知らなかったけども。それにしても、バーで騒ぎ倒す風になまりきった歌い方はどことなくThe Kinksっぽい雰囲気もあり、これは彼らがThe Kinksを真似たのではなく、むしろThe Kinksがこういうバーでグダ巻いてる人々っぽい雰囲気をうまく自身の作風として取り入れた結果だろうと思う。Ray Daviesの天才的庶民っぽさの表現も全くのゼロから出てきたというものでは無いんだなあと当たり前のことを今更ながら痛感させられた。

 それにしても歌としてはよく分からない。飲むのが大好きな男がイキって軍人から金を奪って女のところにしけこみに行ったら騙されて、色々あって軍人を撃ち殺したら牢屋に入れられた、という物語。なんと大雑把としてかつ剣呑なフォークロアだろうか。しかもこれらの物語とはまるで関係無いように、タイトルコールも含まれるコーラス部が何度も挿入される。それはまさに、バーで酔っ払いが騒ぎ立てる武勇伝を肴にみんなで飲んで笑い倒す、みたいな、そんな光景に最適化されてるのかもしれない。

 

1970年代〜1980年代

8. Whiskey River / Willie Nelson(1973年)

 類型:②③

ウイスキーの川がぼくの心を飲み込む

あの娘の記憶よ ぼくを拷問しないで

ウイスキーの川は渇きそうにない

ぼくを気遣ってくれるのはきみだけなんだ

 

ぼくはウイスキーの川で溺れてる

その魂の湿った部分に思い知った心を浸す

琥珀色の流動体が心から流れ出すのを感じ

きみが置き去ったこの心はとても冷たいまま

 

 アメリカカントリー界の大物であるWillie Nelsonは、カントリーミュージック≠カントリーロックと明確に線を引かれていた1960年代以降のアメリカ音楽業界においてJonny Cashとともに「カントリー側からの」領海侵犯によってアメリカのカントリー音楽を前進させた、所謂「アウトロー・カントリー」というラベリングをされたアーティスト。そういう事柄はもはや歴史の勉強的な意味に留まり、たとえばこの曲はカントリーロックとされてる音楽との違いなんてまるで感じられないし、むしろ典型的なカントリーロックそのものだと感じる。カントリーロックの名曲であり、かつウイスキー音楽の名曲でもあるんだなあ。

 歌の内容としてはまさに典型的なハートブレイクソングで、同じウイスキーを液状の地形にたとえた歌でも『If The Sea Was Whiskey』の呑気さとは趣が異なっている。「乾くことの無いウイスキーの川に心から溺れている」という状況はよりアルコールに依存して破滅に向かいつつある過程でもあり、そんなボロボロになりつつある自分をそうした原因でもある「きみ」に世話してほしいと訴える姿は少し逆恨みめいてもいて、ちょっと可愛らしさもある。

 ところで、カントリーとウイスキー、特にバーボンはそれこそ相性がとても良く、それこそカントリーの聖地であるナッシュビルのあるテネシー州が同時にコーンウイスキーの代表格であるジャック・ダニエルの産地でもあることから、それこそ日本ではマイナーなタイプのカントリーで地元のウイスキーを誇りに思うタイプの楽曲がたくさん存在しそうな感じを受けた。大半は、やっぱりそのどこか無限に誇り高そうな感じが受け付けなく思えたけども。

 

9. ウイスキーの唄 / 高田渡&ヒルトップ・ストリングス・バンド(1977年)

 類型:①⑥

腹が減れば ウイスキー

泳ぎたくなりゃ ウイスキー

ウイスキー ウイスキー 殺しておくれ

死ななきゃ死ぬまで生きてやる

 

熱いノドを抜けると そこは極楽さ

うれしかろうが 淋しかろうが

ウイスキー ウイスキー そらいくぞ

ウイスキーがオイラをほっておくもんか

 

 ようやく日本のウイスキーの曲を取り上げる。日本におけるウイスキーの歴史はサントリーなりニッカなりのHPで見ていただければ鳥井信治郎竹鶴政孝の二人の歴史が訥々と語られている。しかし同時に日本において当初ウイスキーは贅沢品として日本の法制度的に高額な税金がかけられ、かつ特級・1級・2級といった等級によって税制が変わる、といったスタイルが1980年代まで続いた。この辺の等級付けは漫画『呪術廻戦』において呪術師の設定として取り入れられた。

 なかなか話が高田渡に辿り着かないけど、そんな等級制度の中で庶民に多く飲まれたのはやはり税金が比較的安い2級とかの酒で、とりわけトリス等の、本場英米ウイスキーの法律から見るとウイスキーか疑わしくもなるような酒がその消費の中心だったのかなあと思われる。つまり何が言いたいかというと、失礼ながら裕福ではなさそうな高田渡がこの歌に歌われるようにそれこそ溺れるように飲んでたのも、そういう等級の低いウイスキーだったのかなあ、という話。

 ようやく高田渡の話。「フォークソング=貧乏臭い」という日本におけるイメージをある意味では一番体現した存在である彼がしみじみと歌うこの曲の、「どうしてそこまで…」と思わずにはいれないウイスキーの扱い方は極端さの極致で、その理不尽なまでの思い切りの良さが、実に不思議な雰囲気を醸し出している。全ての歌詞がウイスキーについてのみ語っている曲は今回のリストでもこの曲くらいのもの。上で引用した箇所の「腹が減れば/泳ぎたくなりゃ ウイスキーさ 殺しておくれ」と歌う箇所はその最たる場面であって、おそらくかなり質の悪い安酒であろうそれにそこまで魂を捧げ切るその、やけっぱちのようでも信仰のようでもある精神のあり方の極端さには、しかし何か清々しいものがあって、特にこの曲がハートブレイクソングでは無いことが、尚のことそのある意味では崇高なまでのウイスキー讃歌としてのこの曲の価値を高めている。

 この、論理を遥かに超えたウイスキーに対する没入っぷりは、家で悲しいわけでも楽しいわけでもなくウイスキーを飲んでるぼくにおいても、なんだか憧れるような気持ちになったりするなって今回の企画でこの曲を知ってからずっと思ってる。

 

10. Streams of Whiskey / The Pogues(1984年)

 類型:①

嗚呼 彼の言葉は最上に懸命な哲学のようだ

涙とか呼ばれる湿っぽいものから得られるもの

そんなもの存在したことがない

世界が暗すぎるとき 私は自身の内に光を求める

そしてバーに向かい 15パイントのビールを飲むだろう

 

我 向かう 我 向かう どんなに風が吹こうとも

我 向かう 我 向かう ウイスキーの奔流が現れる地に

 

 ウイスキー大好き大国アイルランドから、ケルト音楽とパンクを組み合わせた結果アホっぽい雰囲気になったバンドThe Poguesの音楽性は、その特に初期におけるお酒大好き・バーでの喧騒をそのまま持ち込みました、みたいな雰囲気から、パブパンクとでも呼んでいい類のものなのかなあと思う。

 彼らにはウイスキーについて歌った曲が複数あり、上で取り上げた『Whiskey in the Jar』もやはりカバーしている。そんな中でとりわけこの曲は、ケルト音楽のメロディも演奏もそのままに勢いだけパンクにしてみた、と言わんばかりのバカっぽい勢いが清々しく、歌詞ではわざと何かしら小難しいことを言い散らしながらも、結局はウイスキーを飲みたいだけだよね…というのが透けて見える構図となっていて、かえっておバカな感じになっている。よく読むと上記の部分のように「ビールを飲みに行ってるじゃねえか!飲めればなんでもいいのかよ!」という箇所があったりで、本当におバカで罪のない曲だなあとつくづく思う。

 

11. Here Comes a Regular / The Replacements(1985年)

 類型:③⑤

ああ 人ってのは惨めな餓え渇きを蓄えてしまう

まるで無意味でやつれ果てる日の後には

夏は過ぎ去って 雑草を刈るには遅すぎる

何にせよ 秋に雑草を刈り集めるのは向いてない

時々 おしゃべりな気分にまるでなれずにいる

きみは 全然食べ物が入らない冷蔵庫に貼った写真

ぼくは昔は家で安らぎの中にいた

今はただの家にいる

 

そして 誰もがこの場所で特別になりたがってる

彼らは大声で明確に お前の名をコールしていく

 

常連さん おいでなさい

あなたの名前を呼んで

常連さん おいでなさい

今日ここにいるのはぼくだけなのか

 

他の町に向かってる呑んだくれの相棒

前に警察がきみを追い払ったりしたね

そして たとえきみが今

誰かの恋人の腕の中だとしても

何にせよきみに大きな素敵なウイスキーをあげる

 

そして 誰もがここに誰かいてほしいと願ってる

きっと現れるよ 怖がることなんてない

 

常連さん おいでなさい

あなたの名前を呼んで

常連さん おいでなさい

恥ずかしがってるのはぼくだけなのか

 

悲しい眼の老人と一緒に跪く 彼は言う

ノックの機会があっても ドアはバタンと閉まる

ぼくに判るのは 金で買える全てが嫌になること

自身の人生を台無しにするお馬鹿さん

神よ彼の内臓に安らぎを与え給え

最初に灯り 次に襟が上がり そして風が吹始める

きみに掛け直した最後の電話に背を向ける

最初に芝生 次に葉が続き そして雪がやってくる

何にせよ 秋に雑草を刈り集めるのは向いてない

 

 この曲は歌詞を全部翻訳してみました。

 アメリカのアンダーグラウンドシーンから登場したThe Replacementsは初期はハードコアを演奏していながら、次第にメロディアスでアコースティックでカントリーな音楽性に変化していった。日本でも有名な作品となったメジャー3枚目のアルバム『Don't Tell a Soul』では最早ハードコア出自の要素は相当に限定されてしまうけれど、初のメジャー供給となったアルバム『Tim』ではまだ青筋立ったハードコアの息遣いが随所に感じられて、中心人物Paul Westerbergのソロがいよいよカントリーロック音楽となることを思うと、この時期はまだ変化の過渡期の中だというのが如実に感じられる。ハードコア出自とメロディアスさが程よく絡んだ代表曲『Bastards of Young』もあのアルバムに収録されている。

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 そしてそんなアルバムの最後に置かれた、シンプルなアコースティックギターの弾き語りを中心に展開していくこの曲は、最早The Replacementsの音楽性を遥かに通り過ぎて、のちのソロの作風を先取りするような落ち着き払った、枯れ方が美しいメロディで貫かれた名曲になった。延々と3コードで展開する中に滲ませた哀愁は、ハードコアの音楽性に自然に疲弊したような様子の歌詞共々、その疲れ方こそに誇りと美しさを見出したような、なんともな情緒が漂う。弾き語りの裏でひっそり鳴る低音シンセや、間奏のささやかなピアノの響きが音響的で、雰囲気を高めてる。

 この曲の歌詞の、疲弊の果てに若くして(当時26歳くらいか)既に人生を悟りきってしまったかのような様子は、いちいち切なさが流れてる。疲弊をごまかすための鎮痛作用として酒をあおりつつも、同じく酒飲みの相棒の幸福には、おそらく素敵なウイスキーを捧げてあげるという、静かな心意気。ここには、アメリカという広大な国でツアー生活ともっと日常的な暮らしとを往復する人間の日々の悲哀も苦味もふとした喜びも、時には多義的な形で詰め込まれている。それはなんだか、格好いい話だなと思う。

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1990年代

12. Whiskey Bottle / Uncle Tupelo(1990年)

 類型:①

汚れと嫌悪感の間に

息を吸える空気と信じれるものとがあるはずだ

「酒と銃」という看板は本当に平易に書かれてる

どういうわけか 人生はとても狂った場所で続いてく

 

幸せからずっと歩んできて

3時間ほど離れた町で

ウイスキーボトルは神の頭上を超えていく

永遠ではない 今のとこは

永遠じゃないんだ 今のとこ

 

 イントロで「なんだ、ただのカントリーロックじゃないか…」と思っていたらコーラスの重いディストーションギターでズドン!となる、オルタナ・カントリーという音楽ジャンルを端的に表現したこの曲は、オルタナ・カントリーバンドの代表格であるイリノイ州出身のバンドUncle Tupeloの、その代表曲でもある。後のSon VoltのJay FarrarとWilcoのJeff Tweedyの二人がフロントマンを張っていた、伝説のバンドでもある。日本でいうならFlippers Guitarみたいな立ち位置なのかな。アルバムの枚数的にも似てる。

 この曲は彼らの1stアルバムに収録されていて、作曲・ボーカルはJay Farrar。既にメロディも歌詞も実に渋みがかっていて、正直Jayという人間のメロディや言葉のセンスは既にこの段階でほぼ完成していたんだな…と思わせるに十分な名曲になっている。近年邦訳も出たJeff Tweedyの自伝本には(この後の数行を書くために手元の本を数十分読んで使える箇所を探した。大体の内容はすごく大雑把に覚えてるけど、正確性が欲しいからこうするんだ)、やはりこういう認識を裏付けてくれるJeffの記述があり(数十分も読んだのにたったこれだけしか記述を追加できなかった…)、Jayという人物が予め自身の出すべき全てを持っていて、それを愚直に深め続けていくタイプのアーティストだったと改めて気づかされる。どんどん音楽性が変わっていくJeffとはひたすら対照的。

 そして、この曲。正直Uncle Tupeloの楽曲の多くは「まんまカントリーロック」な曲と「同時期のオルタナバンドと同じくらいにパンクロックしてる曲」の2タイプで、本当にカントリーロックとオルタナティブロックが交差してる曲って数える程度なのではないか…?と意地悪く思うことがあるけど、そんな思いに対してこの曲は完璧な「じゃあこれはカントリーとオルタナの融合じゃないって言えるか?」を突きつけてくる。屈託にまみれながらも諦めの向こうにかすかなブレイクスルーを探す歌詞の苦々しさ、そしてコーラスのディストーションギターとともに、神と永遠といった言葉の横で”ウイスキーボトル”という単語で最も高くエモーショナルなメロディを構成するこの曲の、この完璧な「アメリカのカントリーのオルタナ化」の様に、”早熟”などという言葉でごまかすのも躊躇われるほどの、既に彼が有していた”確信”の強さを思う。

 

13. ウイスキーが、お好きでしょ / 石川さゆり(1990年)

 類型:①

ウイスキーがお好きでしょ この店が似合うでしょ

あなたは忘れたでしょ 愛し合った事も

ウイスキーがお好きでしょ からかっているんでしょ

それとも酔ってるでしょ それは私かしら

 

 シングルとしてリリースされたのは1991年だけど、それに先駆けてSAYURI名義でサントリーウイスキーのCMにおいて1990年のうちからオンエアされていたらしいのでここでは1990年の曲とした。こんなのどうでもいいことかもだけども。

 一説ではその後の日本のバブル景気〜崩壊〜失われた20年の起点となったとされるプラザ合意の1985年から4年後の1989年に、イギリス等の圧力により日本のウイスキーの等級制度が関税障壁になっているとのことで廃止された。これが良かったのか悪かったのかの学術的判断はよく知らないけど、これによって現代日本で外国のウイスキーが安く飲めてることには個人的に感謝しかない。サッチャーが日本にもたらした最も良い成果じゃなかろうか。それによってよりウイスキーを売っていくぞとなったかどうか知らないけどサントリーが販促としてこの曲の制作をリードしたことは想像に難くない。当時はそこまでヒットしなかったそうだけど、2000年代のハイボールブーム以降にやはりサントリーの策略でともかくひたすらカバーされ続けるようになって、最近ではクラムボンまでカバーしている。仕方がないとはいえこの曲がサブスクでのクラムボンの再生回数上位に入ってくるのはどこか腹立たしい。シンプルにぼくはサントリーのこういう宣伝が上手すぎる感じがどこか嫌いなんだ。

 この項目は一体ずっと何の話をしてるんだ…?流石にいい加減石川さゆりのこの曲の話をしようよ…。あの『天城越え』の、演歌の石川さゆりがこういう曲を歌うとは…という衝撃が当時はあったのかな。でも原曲はそれでも十分に歌謡曲的な湿っぽさが充満していて、特に上記の引用箇所にある、明らかに性的な関係とその後の別離と名残惜しさの感じはThis is Japanese KAYOU-KYOKU!って感じがとてもする。別にウイスキーを日本酒や焼酎に変えても成立しそうだものこの曲に限っては。しかし、古き良き歌謡曲スタイルであることの良さもこの曲には大いにあって、特にAメロからすぐにサビに移行するスタイルはこの曲の情緒を派手にしすぎず、そのことがかえってこの曲の「場末のバーでの二人の秘密の恋」のうらぶれた感じを際立てている。そして石川さゆりの歌唱力の表現力については最早何も言うことがない。ウイスキーをしっぽり飲んで身体を重ねて寝た後に天城越えしに行きそうな凄みがある。飲酒運転は絶対にしてはいけないですよ、という不安のことのみ思った。そう思うとやはりこの曲のこの歌詞は石川さゆりに最適化されてると感じる。果たして竹内まりあや原田郁子ウイスキー飲んで寝た後に天城越えしに行くか?という話。

 

14. Whiskey Can Can / Beck(1994年)

 類型:⑦

さあおいでパンにバター

最良の母親なぞ誰も知らねえ

彼女は空を殺す野郎だ 立ち去ると夜を焼尽くす

彼女は下水道のボート 肥料を抱えたおじいさん

ドラムみたいに一晩中震えて 元来たとこに帰ってく

缶入りのウイスキー

 

 「ローファイから1曲リストに入れたい」というぼくの気持ちをPavementは無下にしてくれた(必死に探したけどウイスキーについて歌ってる曲が見つからなかった)。代わりにBeckがちゃんと、実にローファイでぼんやりした形でこの曲で歌ってくれていた。これは見つけて聴いた時「完璧だ!」って思った。想像しうるローファイなウイスキーソングの最上のものを、彼は既に1994年、『Looser』を先頭に収録したローファイなアルバム『Mellow Gold』で一躍有名になったのと同じ年にリリースしていた。

 多くの人が彼の2ndアルバムを『Odeley』だと思っている。ぼくも今回の企画で調べるまでそう勘違いしてた。彼は実は『Mellow Gold』の前後にもアルバムをリリースしていて、1994年は実に3枚ものアルバムを出している。そのうちの『Mellow Gold』より後に出たアルバム『One Foot in the Grave』は彼がその後『Mutations』『Sea Change』等で明らかにする古典的なSSW方面の歌心のセンスを既に様々に発揮させたアルバムになっている。この段階で古い時代のブルーズまで遡った作曲やアレンジを彼が行なっていることは注目に値し、つまり如何にも90年代風なローファイさは「わざと」出してるものなんだな、初めから意外なまでに器用なアーティストなんだなと思わされる。

 そして、それにしてもこの曲の見事なヘロヘロさ具合は素晴らしくて笑ってしまう。チャチな煌めきでもって鳴らされるギターサウンド、打ち込みのはずなのにヨレまくる(リアルタイム打ち込みなのかな)リズム、気合いというものをどこか遠くに置き去ってしまったようなフラフラのボーカルはしかし案外にポップなラインを描き、そして紡がれる言葉は正直何かの意味を映し出すことを放棄したように並ぶ。そもそも「ウイスキーのカンカン」って何?そんなものがアメリカでは売ってるの?日本でもハイボールの缶のやつは見るけど、そういう具合に飲めるよう薄めてるものなんだろうか。まさかストレートじゃあるまいな。そんなもの開けて飲んでたらすぐにヘロヘロになってしまいそうで、そう思うとこの曲の徹底したヘロヘロさにも不思議に納得してしまう。

 

15. Me and the Major / Belle and Sebastian(1996年)

 類型:⑤

彼は理解もしないし試みもしない

何か足りないのも それがきみやぼくってのも知ってて

ぼくらは若い世代ですぐに成長して

ぼくら以外みんなドラッグをやった

彼らはぼくらに八つ当たりする

八つ当たり 八つ当たりをするんだ

 

ぼくは踊りたいしウイスキーが飲みたい

あんな大佐なんか忘れて街に出かけるんだ

踊りたいしウイスキーが飲みたいよ

あんな大佐なんか忘れて街に出かけようよ

だって雪が降ってるんだ

ああ 雪が降ってるんだよ

 

 今回のリストにスコットランド勢が少ないのが不満で、スコットランドといえばスコッチウイスキーの生産地でありそれだけでもう国全体が聖地であり、スコットランド民はみんなウイスキーが大好きな酔っ払いでろくでなしで、だからこそどうしようもなく人間的なんだろうな…みたいな偏りまくった理想の世界を思い浮かべてる自分のような人間からしたら、スコットランドのバンドが思いの外ウイスキーについて歌っていないのは残念な思いがする。だけど、一体ぼくは何をそんなに勝手に傲慢に残念がってるんだろう。

 Belle & Sebastianのこの曲を見つけるのも多少苦労した。バンド名とウイスキーで検索するとこの曲より先に彼らがカバーした『Whiskey in the Jar』がヒットする。それはアイルランドの曲でしょうが。せめてスコットランド舞台の『Nancy Whiskey』にしましょうよ…などと変で理不尽な落胆をしたことを覚えてる。

www.youtube.com流石ベルセバこんな曲でもひたすら洒落てる。。というかめっちゃ弄ってる。

 彼らの出世作にしてこれを”ネオアコ”扱いしたばっかりに1980年代の本当のネオアコ勢との間のギャップで誤解を招きまくったであろう名盤『If You're Feeling Sinister』の軽やかさは、そのアコースティック感で貫徹されたバンドサウンドもさることながら、中心人物Stuart Murdochの、絶妙に抜けが悪くかつ単語の並べ方や歌い方が非常に流麗でソフトな歌い方が非常に大きいと思う。この、絶妙な「Oasisみたいには歌えないし歌う気もないだろうけど、町の片隅で気の利いた音楽を長年に渡ってさりげなく演奏し歌ってそうな感じ」は、デビュー当時から彼の、彼らならではの特質だった。

 アルバム3曲目、ややパンキッシュなギターカッティングで軽やかに疾走していくこの曲は、その少し苦い感じが香る鮮やかな疾走感の裏で、「日々の生活空間を少しだけ共有する主人公と少佐との、世代の違いによるすれ違い」をなんとも言えない、ドラマチックな解決も劇的な破綻も無く、なんともよく分からない落とし所で話が終わってしまうストーリーが描かれる。一人孤独に暮らし、かつて彼が見てきたヒッピーやパンクスや”1972年のロキシー・ミュージック”のことを思う少佐に多少の同情を抱きつつも、でも結局分かり合えずに上記の引用箇所のとおり「少佐のことなんか忘れて街でウイスキー飲んで踊りたい」という結末になってしまうこのバツの悪い感じは、全く現実的な興ざめの光景でもある。そんな決まりの悪さをでも、最後の最後に「だって雪が降ってるんだよ」で綺麗に彩ってごまかしてしまう手腕は、流石ベルセバ、まるで詐欺師か何かみたいだ、と感嘆した。

 

16. Moonshiner / Cat Power(1998年)

 類型:①⑥

ぼくは密造酒造りを営んでる もう17年にもなる

収入は全部ウイスキーやビールに費やした

どこかの洞窟に行き 自身の神聖な静寂に腰掛ける

もしウイスキーがぼくを殺さないのなら

じゃあ何がぼくを殺すのか分かりもしない

 

 『The Moonshiner』もまたウイスキーにまつわるトラディショナルソングで、本当にお酒関係のトラディショナルソングって沢山あるなあ、と思わされる。タイトルはこの単語で「密造酒業者」という意味になるらしい。となると、スカートというバンドの楽曲『月光密造の夜』というタイトルはまさにこの「月の光=密造酒業者」という単語から着想を得たものだったんだなあ、と、今更ながら気付かされた。ちなみに日本の酒税法でも一定以上のアルコール度数の酒を家で作ったら酒の密造となり違法ですのでご注意を。

 楽曲の『The Moonshiner』はBob DylanやUncle Tupeloもカバーしている楽曲。マイナー調のフォークソングのようだけど、とりわけCat Powerのこのバージョンの暗さは異様で、彼女はスロウコアのアーティストに分類されることがあるけど、このトラックを聴くとなんだか納得してしまう。

 歌詞は、密造酒業者の主人公が自身も酒を飲むことに人生を捧げ、その人生を別に後悔するわけでも無く、むしろある種の宗教的な悟りさえ開いてしまっているような具合の内容。これを、Cat Power的な重たさ・ダークネスでもってゆっくりとしっとりと、非常に乾き切ったバンドサウンドで演奏するのは、うらぶれ方がオーバーフローして、逆にとってもゴージャスな時間のように感じられる。バーの隅に溜まった埃から、バーを出て家まで帰る道の荒涼とした光景に至るまで、様々にイメージを及ぼすことのできる、苦くも無意味な、そして豊かな暗黒が楽曲に充満している。ウイスキーを飲んでいないときでも肝臓が苦味に冒されてγ-GTPの数値が上がっていきそうな錯覚を覚えるこの曲は、それこそ”聴くウイスキー”みたいな存在かもしれない。

 

17. Miss Misery / Elliott Smith(1998年)

 類型:②③

日々を騙し騙しやり過ごしてくのです

ジョニーウォーカーの赤に助けてもらったりで

毒の雨が降っては排水溝に溜まり

ぼくの頭は悪い考えで淀んでいく

www.youtube.com

 このブログで何回この曲を取り上げたか分からないけど、今回の企画を考える際にも真っ先にこの曲が出てくるくらいには、本当にこの曲のことが好きだ。こんなしっとりと優雅で美しい楽曲の中で、どうしてこんな情けないことをひたすら詩的な言葉さえ尽くして表現してるんだろうと、その構図の可笑しさが本当にいつまでも愛しい。

 改めて紹介しよう。アメリカはポートランドのSSWである彼が映画『グッド・ウィル・ハンティング』に提供した主題歌にして、アカデミー賞にノミネートされた楽曲。PVと同じ白スーツでグラミー賞のステージで演奏するステージは本人的にもシュールだったらしく「こんな世界に僕は住みたいとは思わない。でも1日だけなら月の上を歩いてみるのも悪くなかったよ」というコメントをしている。

 彼がこの曲でジョニー・ウォーカーの赤を取り上げたことは、果たしてジョニー・ウォーカー側はプラスなんだろうか。それともこの曲での惨めな使われ方や、その後の彼の人生の末路のことを考えたらダーティーなイメージになってしまうだろうか。リアルにアルコール中毒で苦しんだ人生を送った彼だけど、この曲で歌われるジョニ赤はそれでもぼくにはとても鮮やかで洗練されて美しいもののように思えてしまう。間違いなくこの曲がとても鮮やかで洗練されて美しいからだと思うけども。実際のジョニ赤は結構ピートの感じが強くて、そんなに好んで飲まないのが個人的な今のところだけども。

 

2000年代

18. It's Cool, We Can Still Be Friends / Bright Eyes(2000年)

 類型:③

ああ きみはまだぼくにキスをくれる でも頰にだけ

ああ きみはまだぼくにキスをくれる でも頰にだけ

ああ 時々ぼくにまだキスをくれる でも頰にだけ

きみはとてもあっさりと唇を剥がす

 

ああ ぼくはまだきみに電話する でも留守電だ

ああ ぼくはまだきみに電話する でも留守電だ

運が良ければきみのルームメイトに繋がると思う

でもきみはバーかもしくはジーンにいる

 

二人で夕食に行く でもきみは手を握らないだろう

同じテーブルで でも互いの足を絡ませたりしない

ああ ぼくらまだ時々一緒に夕食に行く

でも ウェイターがよそを向いてる時に

こっそりとキスすることはしなくなった

 

まだ一緒に映画を見る でも同じソファに座らない

まだ一緒に映画を借りる でも同じソファにいない

ああ ぼくらまだ時々一緒に映画を見る

でもきみはぼくの膝に身体を預けない

プロットがタルくて昼寝をしてしまう

 

きみはうちに泊まりさえする でも服は着たまま

うちに泊まりさえするのに 二人は服を着たまま

ああ きみは時々うちに泊まりさえする

でも二人とも服は脱がない

ぼくはただそこにいるからきみ一人ではないよ

 

そしてきみは言う

ぼくが祈りめいた声できみを傷つけてると

ああ ぼくがきみを傷つけてると言う

そんなきみの声も祈りめいている

ああ まあ 多分時々ぼくはきみを傷つけてる

比べあいをしよう

シャツを持ち上げてよ 傷なんてありはしない

 

きみの真実はきみの嘘の亡霊に過ぎないと思う

きみのいう真実の類はきみの嘘の亡霊だって思う

ダーリン きみの真実は きみの嘘の亡霊なんだ

ぼくはいつだってそれを見抜いてしまう

 

だから ウイスキーを注いで 酔い潰れていくよ

ウイスキーを注ぎ 本当にクソみたいに酔うよ

まさに今 ウイスキーを注ぐよ 強く酔い倒すよ

気を失って きみの顔を忘れるんだ

次に目を覚ますまでに

www.youtube.com

 この曲も歌詞を全部訳しました。そしてSpotify上にはBright Eyes本人のバージョンがなかったので、他の人たちがカバーしたバージョンをリストに入れました。よくこんなレア曲をカバーしようと思ったな…という気持ちと、でもこの曲はちょっと凄いよねカバーしたくなるよ…という気持ちと。ぼくも今回の調べ物で初めて知った曲だけど。

 この曲はBright Eyesが2000年に参加したコンピレーションアルバム『Transmission One: Tea at the Palaz of Hoon』に寄せた楽曲。2006年にリリースされたレアトラック集『Noise Floor』においてはLP及び日本盤CDのみのボーナストラックとして収録されていた。その辺の事情からか、サブスク上には『Noise Floor』はあってもこの曲は収録されていない。

 上に挙げた「このサイトは役に立った」というフォーラムの中でこの曲を挙げてる人がいて、その人が言うには「ウイスキーを飲むことについての最も痛ましい楽曲」と言われてた。それで上記の歌詞を読んで、なるほど…となった。話の大筋は、ウイスキーの歌にままあるハートブレイクソングなんだけれども、この曲の歌詞は、同じメロディで延々と展開されていくその光景の生々しさが、ひたすらに聴き手を痛ましい気持ちにさせる。アコギ弾き語りのほかは僅かにグロッケンが入る程度のシンプルなアレンジで、延々とシチュエーションを変えて、最早不可逆的な段階に達した二人のすれ違いの様を見せつけられて、終盤に、主人公の側が声を荒げて「きみの真実はきみの嘘の亡霊なんだと思う」と喚き散らす様は、ひたすらにどうしようもなくて、目を背けてしまいたくなるほど惨めだ。そして、最強の鎮痛剤と記憶忘却装置として乱暴にウイスキーに手を伸ばす様は、どこにでもあって、どこまでも悲しいこのような事態のオチとして実に破滅的で、本当にどうしようも無い。

 終盤の歌の展開はまた、アメリカーナ的に達観するにはまだ青春すぎていた初期のConor Oberstの情緒の爆発が、シンプルすぎるメロディ展開と伴奏によってとりわけ際立つ場面でもある。痛ましいほどに尖っていた頃の彼の残した、シンプルながら非常に殺傷力的なトラックと言える。この辺はSpotifyに上がっていたカバーバージョンでも踏襲されている。あろうことか、男女ボーカルによるデュエットのカバーというのがなんともな代物。カバーしたアーティストのNehalemなる人たちのことはよく知らないけど、もしカップルであるのであれば、この歌のような関係にはなってほしくないものではある。

 

19. Whiskey in Your Shoes / Frank Black & The Catholics(2002年)

 類型:③

ぼくの友達は失語している

なので彼にワインをくれないか

ドラッグレースで彼の息子が亡くなったんだ

ねえおい教えてよ バーテンダー

こいつに何ができるよ

きみの水分でもって泣いてみせて

その分その靴にウイスキーを注ぎなよ

 

そんなの何にもならんよ

はじめ握りしめ 次に持ち上げ そして注ぐのさ

 

 この辺リストではずっとUSインディが続く。今回のリストの目的はウイスキーの歌というのをマッチョなカントリーシンガーだけのものではないと示したかった辺りなので、この辺頑張って探し続けた結果として、意外とインディーロックもウイスキーのことを色々と歌ってるんだなあと思ってもらえたら幸い。

 Pixiesで知られるボストンのミュージシャンFrank BlackはPixies解散後ソロ活動を続けていたが、1997年に自身のバンドFrank Black & The Catholicsを結成し、その後2003年までに6枚のアルバムを残している。彼のソロキャリアは相当リリースペースが速くて、全然作品を聴けていないけども、後期Pixiesのパワフルに意味不明なことを喚き散らすスタイルをずっとやってるのかなとか勝手に思い込んでいて、いつか時間を取ってちゃんと聴かないとなあ…と思ってはいる。

 この曲はそんな彼の2つ目のバンドの5枚目のアルバムに収録されている。「お前の靴の中のウイスキー」というタイトルの時点で流石、彼らしい訳の分からない感じが沸き立ってきている。楽曲も、マイナー調でややシャッフル気味な疾走感の元、絶妙に抜けの悪いメロディの反復(これは拍数が定型より少ないことも大きそう)とひたすら妙なテンションで喚き散らす彼の姿で、うん、実にFrank Blackの曲!っていう気持ち。歌詞の方はでも、一応のストーリー性が感じられて、最初は主人公の友達の悲しみに、途中からは主人公自身の離婚だとか経済的困窮だとかに向けてウイスキーを注いでくれ、という話になっている。まあそれでも、バーテンダーウイスキーを注いでくれと頼む際はグラスではなくて靴に、という話だけど。思うにこれは、靴にウイスキーを注いで飲みたくなるくらい惨めな心境なんだよこいつや俺はよ、っていう話なのかもしれない。もしくは単に彼的な吹っ飛んだユーモアセンスによる言葉遊びかもしれないけども。

 

20. Some Sweet Day / Sparklehorse(2006年)

 類型:⑤

ぼくらならすぐに家に帰れる

冷たい古い海も超えて

あの娘の恋人は下弦の月にいて

ああ こぶめいた彼女の膝にキスをする

水の中で彼女は笑ってるって知ってる

彼女のもっていた痛みも消えていく

ぼくら 父親たちみたいにウイスキーを飲んだ

粘土に戻っていくよう生まれて

きみへの愛は決してすり減ったりしない

 

 これは歌詞が希望をたたえているがゆえに現実とのギャップでひたすら悲しくなってしまうパターンの曲。バージニア州出身のインディロックアーティストSparklehorseの中心人物Mark Linkousは2010年に自殺し、それによって必然的に活動が終了した。USインディーを”自身の根暗さと屈折具合とを武器に戦い競っていく場所”などという酷い捉え方をすれば、彼はElliott Smithと並ばせてもいいくらいに惨めでしかし素晴らしいアーティストで、そしてその末路が悲惨だった、ということ。生前ドラッグとアルコールの問題で悩み続けてきたのも共通する。

 バンドでの成功の夢の挫折の1st、オーバードーズによる入院の地獄の苦しみの2nd、他者との共同作業のフラストレーションはありつつ比較的リラックスした3rd、また鬱がぶり返した4th、というアルバムごとの変遷が割と分かり易い彼のキャリアの、その4thアルバムに収録された今回の曲は、”きみ”への愛を様々な比喩や表現を用いて高らかに歌い上げるラブソングのように見える。最初のヴァースに「ぼくはきみを最も愛した人物だったけど でもお化けを抱きしめることは出来ない」「きみは今どこにいる?たくさんの雫でできた海の一部になった?それとも単に止まっただけ?」という死を思わせるフレーズさえ無ければ、本当にこの曲は純粋なラブソングになっていたのかもしれない。

 それにしても、この曲は同時に非常にジェントルなアレンジが敷き詰められた優しいポップソングでもあり、ストリングス類のアレンジの大人しくも優雅な様や、陽の光の下に浮かび上がるような暖かなメロディ展開、そして様々な比喩のイメージの豊かさで、上記のネガティブな一節を含んでいたとしても、それでもとても甘美でソフトな名曲だった。「父親たちみたいにウイスキーを飲んだ」という一節はそれこそ、紆余曲折がありながらもぼくたち二人も親たちみたいな多少は立派な大人になれたんだ、みたいな、ある種の達成をお祝いするような内容に読めるのだけど、この解釈で合ってるんだろうか。。

 上記の死を思わせるフレーズを読むと、この歌の中で死んだのは”ぼく”なのか”きみ”なのかよく分からなくなる。現実には、死んでしまったのは、自分で自分を止めてしまったのは少なくとも彼ということになってしまう。せめて安らかに眠っててくれ。

 

21. Ballantines / Aimee Mann(2008年)

 類型:⑦

もう大開きしないドアのベルが鳴るのは難しいね

ドアのすぐ内側でする声を聞き取るのも難しいね

 

そしてコートをかけることもできないあの男は

かつてあらゆる解毒剤に手を出してた

だからお仲間のご満悦を見てるのもしんどそうね

バランタイン

 

 アメリカの女性SSWでも安定感に満ちたキャリアを持つAimee Mannのあるアルバムの最後に収められた、軽快にスウィングしていくリズムで、しかもゲストの男性ボーカルとデュエット形式で進行していくこの曲のタイトルがバランタインなのに気付けて良かった。2分半にも満たない短い可愛らしい楽曲だけれど、だからこその派手すぎないいい具合に小粋なメロディや、ピアノにホーンにとアメリカの片田舎の楽団が奏でる音楽のような気の利いた野暮ったさのアレンジとが絶妙に折り重なっていて、素敵な楽曲だった。

 歌詞においては、苦味を効かせた人間観察の様を、最後に唐突にバランタインと歌い上げて締める構成。辛辣そうな指摘を皮肉ではなく人生の哀しみのケーススタディと捉えてしまうのは、彼女に対して甘いだろうか。終盤ではケンタッキー州レキシントンのバーという舞台設定が出てきて、ケンタッキー州といえばバーボンの生産地だけど、にも関わらずこの曲のタイトルはスコッチウイスキーの代表格であるバランタインなんだよな、というところに不思議さがある。まあでも、この曲の軽やかな感じは雄々しさを感じさせるバーボンよりも妖精の国生まれのスコッチの方が向いてるのかもしれない。そしてこの曲の優雅さを思うと、ここで歌われるバランタインは1,000円前後で買えるファイネストではなくてきちんとした17年ものとかなのかもしれない。これだけこの記事でバランタインバランタインと書いているのに、未だ飲んだことがない17年。きっと美味しいんだろうな。

 

22. ベンガルトラとウィスキー / andymori(2009年)

 類型:②④

安いウィスキーウィスキーウィスキーで全部

丸一日全部無駄にしてしまうようなそんな

ライフイズパーティー ライフイズショータイム

なんて またおどけた顔で言いたいわけじゃない

 

安いウィスキーウィスキーウィスキーで全部

丸一日全部無駄にしてしまったってまた

テイクイットイージー テイクイットイージー

またおんなじ声で繰り返してくれるんだろう

 

 日本語で歌われるウイスキーの歌でこの曲ほどカラッとしたものは他に無いかもしれない。少なくともこのリストには無い。2010年代前半を駆け抜けていった3ピースバンドandymoriの、デビューミニアルバムのタイトル曲的な立ち位置のやつでもある。なお、この曲においては全てウ”ィ”スキー表記となっている。

 彼らの代表曲のひとつで、今更何をいうことがあるだろうというくらいの曲。初期の彼らに宿っていた、意味が不明瞭だけどもともかく何かの意図がほとばしりまくっていることが言葉数からも単語からも演奏からも伝わりまくってくる。和製The Libertinesとも言われてたけれど、4人バンドのThe Libertinesよりも少ない3人という編成の中で、やはりドラムの後藤大輝の爆発力とリード性に溢れた手数過多のドラムプレイが非常によく効いてる。楽曲自体もメロディの繰り返しと盛り上げ方のミニマムさ、そしてサビでの一気に吹き上がるような言葉と歌のテンションが実に実に鮮烈で、特に最後の他より繰り返しの多いAメロからサビの転調に繋がるくだりは、さりげなくもとても上手い。この乱暴なブチ上げ方だからこそ、ウィスキーウィスキーと連呼するテンションが一気に突破力を増すわけだ。

 よく読むと起こってることはただ単に安いウィスキーで1日をダメにしてしまってるだけなのに。。開き直りに適切な勢いが備わるとこんな素敵なことになるものか。若さと言われればそれまでなのかもしれないが、いやそうではないここには確かに”技術”がはっきりあると、今回は言い切ってしまうことにしよう。

 

2010年代〜2020年

23. mix juice / aiko(2011年)

 類型:④

3つ数えりゃ 夢の中だし

ついでに唇もすべらせて

言えなかった言葉さえさえも

弾けるよ 赤い赤い赤い赤い

 

不思議な 不思議な 不思議なmix juice

甘くて辛いわ なんでだろ? 魔法のjuice

そこの角曲がったら気をつけて ヘイ!ウイスキー

 

 曲が目標数になかなか達しなくてもう1度めぼしいアーティストで検索し直そうとしてた時に、iTunesの1番上の方に出てきたaikoウイスキーで「まさかね…」と思って検索したらこの曲が出てきた時が、今回の記事の準備の中である意味1番驚いたかもしれない。わけがわからんもんですね。

 この曲はどうやら長いことaikoのライブでのみ演奏されるパーティーソングだったらしく、2011年に2枚同時発売のベスト盤が出た際にスタジオ録音版がようやく収録された。果たして、この曲はまさにライブ向けって感じの、そしてまさかの、ブリッジ部以外はブルーズ進行でモロに進行する、aiko式のロックンロールナンバー。ツアーメンバーたちと一緒に楽しく自由に録音してみました、という感じがありありの、まあでも確かにオリジナルアルバムには中々入れられないだろうなっていう、aiko史上でも一番雑なソングライティングの曲じゃなかろうか。まあ、ライブの盛り上げ曲だから、aiko的なテクニカルさを発揮する場面ではないのは間違い無いけれども。

 どうしても「aikoのスタジオ録音の楽曲」なので歌と演奏の音量バランスとかにも疑問があるし、きっとこの曲はライブで聴くのが1番なんだろうなとは思うけれど、しかしながらこれほどに「酒の力で正直なこと言っちゃいなよ〜」ってテンションをブチ上げる彼女の姿はかなり珍しいもの。ビールやワインではなくウイスキーやブランデーなのは、度数の強いやつをクッと飲んで言えないこと吐いちゃいなよ、といういたずら心を感じさせる。こういう用法はまあ身体を痛めない程度に。

 

24. Whisky Time / Mogwai(2013年)

 類型:⑦

インストゥルメンタル

 

 歌詞が無く、曲自体も映画のサントラのアルバムの1曲で短く展開もしない、割と今回のリストの中でもつまらない方かもしれないこの曲をそれでもリストに入れたのには幾つか理由があって、ひとつはウイスキーの名産地であるスコットランドのアーティストがあまり集まらなかったので、スコットランド拠点のインストバンドである彼らを入れとこうと思ったこと。ひとつはあえてインストのみの曲があった方がリストが面白いだろうと思ったこと。

 そして最後のひとつの理由は、彼らがこの曲の入ったアルバムを出したちょっと後の時期に、自分たちのバンド名を冠したウイスキーを出していたこと。

mogwaiwhisky.com

アルバム『Rave Tapes』リリース記念で誕生したウイスキーとのことで、スコッチウイスキーの名産地のひとつスペイサイドのグレンアラヒー蒸溜所の、9年ものの原酒をシングルカスクでボトリングしたものらしい。現在はもう売っていないしわざわざ探して買わなくても、味だけなら多分グレンアラヒー蒸溜所の他のウイスキーを買えば味わえると思う。このエピソードは彼らの音楽には出てきづらい彼らのかなりユーモラスな人物像の一端がうかがえる話である。

 なお、アーティストが自分のプロデュースしたウイスキーを出すことはたまにあるらしい。有名なのはカナダのラッパーDrakeがプロデュースしたバーボンウイスキー。その味をThe Weekndが激賞し、その激賞をネタにした曲をアップしたとかいう謎なエピソードも付いてくる。その曲がきちんとサブスクとかにリリースされてたらこのリストに入れてたのになあ。

 

25. Always Alright / Alabama Shakes(2013年)

 類型:①④

さあ ウイスキーを頂戴 ジンを頂戴

飲み物が残ってるんなら何でも頂戴よ

ええ それが朝7時だって構わない

神の再臨が起ころうが知ったことじゃない

ええ あなたはもう耐えられないって言ってる

あなたはこんな風に生きられない

それって本当に大きな問題

ええ でも気にしない 気をつけるなんてできない

あなたの思うとこにケチつける気なんて全然ないよ

www.youtube.com 

 アラバマ州のロックバンドAlabama Shakesもこのように大酒飲みの歌をリリースしていた。2枚のアルバムの間にリリースされたシングルということで、今回のこの企画で初めてこの曲の存在を知ったけど、なんとも愉快にエンターテイメントしてくれる、かつ音響がしっかり現代式なロックンロールナンバーで、映画『世界にひとつのプレイブック』の劇中歌の1つとしても取り上げられている。上記の動画はそっちのバージョンでアウトロが短く、正式なスタジオバージョンの方が終盤のタメからのパーティー感がより高いものになっている。

 それにしても、この歌詞に出てくる主人公の女性の豪快そうな感じはなんとも凄い。これはそのままバンドの中心人物Brittany Howard自身のことということでいいんだろうか。「ウイスキーやジンや残ってる酒ならなんでもいいから頂戴朝まで飲むわ」なんて酒強いどころでは無い強靭さ。その強靭さの欠片が、まさに唾でも飛んできそうな豪快な歌い回しからも伝わってくる。ギターサウンドの絶妙にオールド感とモダンさとを取り持つ空間的な響き方は名作『Sound & Color』ほどでないにしても実に生き生きとしている。2コードを反復し続けるだけのシンプルにして大らかなコード進行の中で各楽器が楽しく躍動し続けていく様は、ひたすらに爽快で楽しげで良い。今回の企画で遅まきながら存在に気づけて良かった。。

 

26. Higher / Rihanna(2016年)

 類型:④

このウイスキーではしゃいじゃうから

失礼なことしちゃっても許してね

きみのこと クソみたいに本当に必要なの

この前の夜のことはごめんね

わたし もっとクリエイティブになるはずだし

もっと詩的なラインが書けるはずなの

でも わたしがもっとセレブになっても

きみを愛してる

それだけがわたしの胸の内にあるの

 

 この辺リストではずっと女性シンガーが続いてて、aikoから続けさせるためだけにMogwai外すかどうか悩んだりしました。こっちは本当に偶然でこういう並びになりました。不思議なものです。

 今やようやく過去のものになりつつあるトランプ大統領が誕生してしまった2016年は同時にR&Bにおける大当たりの年で、トラップのリズムの流行が始まったり、Frank Oceanの『Blonde』やBeyonceの『Lemoneade』辺りを先頭に様々な”新しい時代の”R&Bの名作がリリースされていた。Rihannaの『Anti』もまた、この鮮烈で先鋭的なR&B群のうちの1枚としてこの年の顔的なアルバムの1枚となった。短いトラックに極端な音使いのサウンドを音数少なく詰め込んだスタイルははっきりと"2016年"なサウンドで、彼女のこれ以前のキャリアのことをよく知らなくても、このスカスカのトラックの中を漂う鋭い潔さこそが時代の音だったんだなあとこのアルバムを楽しむことは全然可能だろう。中にはアコギの響きを主軸にしたフォーキーな曲まで含まれている。

 そんな中で、アルバム終盤に置かれたこの曲の潔さはまた一段と極端に思える。素晴らしくレイドバックしたソウルバラッドの、一番盛り上がる部分だけをまるでJ Dilla式のサンプリングで切り取って見せたかのような、ずっと絶頂のテンションを繰り返したままあっさりと通り過ぎていってしまう2分ちょっとの時間は、その佇まいそのものが壮絶に刹那的で感傷的という点でやはり『Donut』的な要素を感じる。そんな”ハイテンションのみ”を切り出した情熱的なシークエンスには、ウイスキーで高まってはじける直前のさらりとした告白のみが綴られる。アルバムのエンディング間際に置かれたこの束の間の興奮は、クロージングトラックの実に大人しい存在感で見事に搔き消える。その掻き消え方そのものに美しさを感じさせるこのトラックの配置のされ方は、曲名ほどハイヤーではなくてむしろどこまでもクレバーだ。それは、アルバム全体に様々に現れていたクレバーさの最も高まるところなのかもしれない。

 

27. Paul / Big Thief(2016年)

 類型:⑦

ああ 最後にポールに会った時

わたしは恐慌状態のまま殆ど彼を招き入れた

でもわたしはやめて 壁にもたれた

わたしの口はすっかり乾いてしまって

できたのは彼とドライブに行くことだけ

 

ええ わたしの車に二人飛び乗って

貨物列車のヤードの周りをぐるりと回った

それで彼は車のヘッドライトを消して

そしてボトルを引っ張り出してきて

愛とは何かをわたしに示して見せた

 

わたしは貴方の

「おはようからおやすみまで影マシン」になるの

わたしの意図を解ってくれるなら

貴方のレコードプレイヤーにだってなるの

ウイスキー臭い息まみれの凄く硬いクッキーになる

殺人鬼にも 恐怖の種にも 二人の死の理由にもなる

 

月々の花に囲まれて

思いとともに走り抜けるのがいいと確信した

だからわたしは全部飲み込んだ そして気づいた

誰もわたしの虚栄心をキスで消すなんてできないと

 

(コーラス繰り返し)

 

ポール わたしが行ったり来たりしたどんなとこにも

連れていってくれるって貴方が言ったのを知ってる

でも わたしは貴方を頭から追放してしまうでしょう

ええ 貴方は優しいよ もうそこにはいられない

貴方に痛みを強いるだけだもの

 

わたしは貴方の夢見るような恋人だった

貴方が見つめていた人だった

貴方のハリケーンライダーで

貴方が名前を呼んでくれる女性だった

二人はただの 息の切れた密造酒屋さんだった

そして貴方のもとを去ってからずっと

貴方のおかげで わたしは焼け落ち続けてるの

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 この曲も歌詞を全部訳してみました。正確性は知らん。

 こういうテーマ系のお題のプレイリストで、ひとまずBig Thiefの楽曲で探してみて、欲しい感じの曲が見つかる率の高さは何なんだろう。このブルックリン発のインディロックバンドは、あまりにぼくの好みに色々と合いすぎる。2019年にようやくその存在を知ったのは遅すぎたことだったんだなあと、2016年の1stアルバム『Masterpiece』の時点で既にとても素晴らしいことを知って思い知らされる。

 アルバムの真ん中あたりに置かれたこの曲は、かつて恋人だった人との思い出と、自身の不安により別れた後も何らかの悲しみが身を焼き続ける女性の歌。コーラスパートでは後のNeil Young式の名曲『Not』でも見せた様々なイメージを乱れ打つスタイルを既にこの段階で披露している。「ウイスキー臭い息まみれの凄く硬いクッキーになる」とか言われてもなんかよく分からない気もするけど、冷静に考えるとこれは「貴方に食べられるわたし」と「食べても食べにくくて美味しくないわたし」という、性的なことについて自信の無い女性の心理模様のようにも思えなくもない。

 それにしても、実に的確にエモーショナルさを一定のラインにまで押さえ込んだ素晴らしい楽曲だと思った。コーラスパートではサウンドをとりわけエフェクト漬けにして夢想の感じを演出し、間奏ではリバーブ漬けのファズギターが煙のように溢れ出しては舞う。歌詞においては夜のドライブという、無味乾燥さとロマンとが拮抗する場面を描き出して、自身の混乱をずっと引っ張り続ける。この楽曲の切ない感じを甘ったるいと断じる向きもあるんだろうとは思うけど、個人的には「こんな引き出しもあったんだ」と、彼女たちに対する信頼がより膨れ上がる具合になった。来日公演が消えてしまったのは、状況が悪すぎるから仕方がないとはいえ、とても残念なこと。

 

28. 悪夢を夢見るチーズ / KIRINJI(2018年)

 類型:④

正露丸みたいな匂いのウイスキー奢る

黒ミサ始めよう

魔法をかけてあげる 俺こそSON OF A WITCH

WHIP THE HIP! お仕置きだ

 

 この曲の何ともいえないテンション。兄弟デュオ時代のキリンジの頃からアルバムに1曲程度あった「お兄ちゃんのお遊び悪ふざけ曲」の系統に間違いなく位置する1曲。チャチで平坦なリズムにビチビチしたベースラインが絡む、ファンクというかブラコン的な雰囲気も感じれる楽曲。エレピやシンセの乗り方はAOR的で、しかし優雅と呼ぶには程遠い変なメロディ展開で、やっぱり堀込兄の「あえて変なものを変なまま出す」スタンスが、何とも奇妙に抜けの悪い雰囲気のまま最後まで進行する。最後の自己言及的なラインとか本当に「何だったんだこれ…」みたいな気持ちになるので、おそらくそういう狙いは貫徹され成功してるんだろう。

 上記の歌詞の箇所に出てくる「正露丸みたいな匂いのウイスキー」が一時期ファンの間で話題になったらしい。これはラフロイグというスコッチウイスキーのことをほぼ間違いなく指していて、これはアイラ島産のウイスキー特有のピートの効いた苦味と潮の感じの強烈さが何故か正露丸の匂いとして表出することで有名なウイスキーシングルモルトウイスキーの中でも世界的な売り上げは上位に入り、イギリス王室のチャールズ皇太子のお気に入りということで皇室御用達の勅許状も与えられた、その筋ではとても有名な酒。まだこの系統の味には慣れないな…と個人的には思うけど、でも確かにロックで飲んだ時に、氷が溶けて薄まってくると不思議な甘みがあったような覚え。いつかちゃんと1本買って、美味しい美味しいと飲んでる日が来るかもしれない。

 

29. Whiskey Whiskey / Joshua Burnside(2020年)

 類型:①⑥

ウイスキー ウイスキー

ぼくのに氷は入れないでほしいね

飛行機はよろめく

ぼくの腹はひっくり返り

注意サインを出すだろうキャビンクルーを見た

でも 彼らはそれを思ったほどは出さなかった

 

ぼくはアルスター在住 くそリベラル 理性ある男

ああ 我々が自身に言い聞かせるべきことを多少

少しくらい意味を取り戻すべきそんなこと

それは 神様はしばらくは死んだままということ

 

なので 我々の魂の行先が存在しないとしても

そんなことでぼくは酔いから醒めたくはない

 

ウイスキー ウイスキー

氷は入れないでほしいものだ

 

それを解決するのに特殊な才能は要らんだろう

ねじ曲がった金属や壊れたグラスと会話する

そんな公平な役割をぼくは担っている

もし雷が二回もぼくに飛んでこようとするなら

今回はちゃんと真面目にやってみせるよ

 

ウイスキー ウイスキー

氷は入れないようにしたまえ

 

ウイスキー ウイスキー

氷は入れないでほしいものだ

しらふで死にたくなんかないものな

 

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 今回この企画をしようと考えた原因の曲。なので歌詞全部翻訳。

 昨年の年間ベスト記事では2位に挙げさせてもらった、北アイルランドのSSWである彼の去年のアルバム『Into the Depths of Hell』は本当に素晴らしい作品で、伝統的なケルト感のあるフォーク音楽が現代的な音響やシニカルなリリックで引き裂かれまくる、という音楽スタイルは、それこそまるでアイルランドフォークソングをJim O'Rourkeが弄り倒したかのような、それこそアイルランド発の『Yankee Hotel Foxtrot』とでも言いたくなるような、本当にぼくにとって最高の作品だった。同年のBlake Millsの作品とも似ているところがあるけど、こちらの方がより土着的で、かつ詩情やサウンドの”加工”が荒々しくヒステリックなところがとても好みだった。

 この曲はそんな中で4曲目に現れる、派手なエフェクトが現れた、と思ったらそれが引いた後に静かでビターな暗がりから弾き語りが現れるような楽曲。前の曲がかなりアブストラクトな作りだから、その後にこの曲が出てくる曲順は、最初のエフェクトも込みで実に気が利いてて素晴らしい。そして、アイルランドの土着文化としてウイスキーをどう扱うかと思うと、上記のとおりの非常に現代的な屈託に満ちたセンテンスの間にウイスキーを嗜むような、なかなかに陰気で素敵な嗜み方。ウイスキーに氷も水も入れずストレートで飲むのはアイルランドではスタンダードな飲み方らしい。彼が”北”アイルランド、つまりユナイテッドキングダム側の国の人間というのは年間ベストの時に至るまで見落としていたけど、その辺の文化のことは多分あの島の中でも共通だろう。

 神が死んでしまっていることによる神の不存在と、そんな状況で真面目にしらふで生きていくなど馬鹿馬鹿しい酔って何かを誤魔化して生きていくんだ、という捻くれつつも強固な信念とが、不思議なねじれの時空の中で鳴るこのささやかなフォークソングをビターに染め上げる。最後のフェードアウトは次の曲と繋がるような作りのため、この曲単体で聴くとフェードアウトの仕方がやや不自然なこと以外は、実にささやかに纏まったこの佇まいが、とてもとても感じがいい。まあそれでも、ぼくはウイスキーには最低でも氷を入れて飲んでいたいけれども。

 

30. Roll On Babe / Yo La Tengo(2020年)

 類型:③⑥

ええ ぼくはジンを飲んでいたよ

ウイスキーもいくらか飲んだね

ええ ぼくは溺れてたね

ああ 貴方はどうなるの?

 

転がっていてよ ベイブ

そんなゆっくり転がらないでよ

車輪が回らなくなったら

もう転がることもないんだね

 

 最後の曲にしようと思っていた前の曲が、単体だと実にキレの悪いフェードアウトで終わってしまうために、もう1曲2020年のウイスキーの曲を入れないといけない羽目になって、それでYo La Tengoのこのトラックが割とすぐに見つかったのは幸運だった。昨年彼らがリリースしたEP『Sleepless Night』は1曲を除いてカバーという企画の作品だったけれど、その中の最もYo La Tengo的な、優しい夜のフォークソング、とでも言いたくなるようなサウンドと歌のこの曲が、誰かの曲のカバーだなんて最初は全然思わなかった。

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 原曲はRonnie Lane & Slim Chanceの1973年の1stアルバムのうちの1曲。Ronnie LaneはSmall Faces〜Facesにおいてベースを務めながらも、スターダムへの欲望をあからさまにするメンバーにうんざりしてバンドを辞め、以降はソロで活動を続けてきたアーティスト。1980年代ごろから難病を抱え活動困難となり、その病気の治療費を稼ぐ目的で有志によって開かれたチャリティーコンサートもその収益を親しかった人物に持ち逃げされるなど、不幸な人生を送ったとされることの多い人物。ソロになって以降の彼の楽曲はアメリカの田舎っぽい野暮ったさを追いかける英国カントリー、といった趣で、声やメロディの感じも込みでかなりGeorge Harrisonのソロと共通する部分がある。

 『Roll on Babe』は、実はさらに原曲があって、本当の原曲は1967年のDerroll Adamsという人物による作曲で、ひとまずネット上では以下のバンジョー高速弾き語りのバージョンが見つかる。

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この曲の歌詞の、おそらく母親か誰かを亡くした悲しみを綴ったのであろう歌詞が誰のものか特定をしたかったけど、おそらくこのバンジョーを弾いてる人なんだろう。それにしても、このバカテクカントリーな原曲をRonnie Laneは見事にメロウなフォークソングに落とし込み、そしてそれをYo La Tengoが大いに参照し、あのようなYo La Tengo感100%のジェントルな夜のフォークソングになったんだと思うと、彼らのバージョンとこの動画のバンジョー全開のものとが結びつかないことを考えても、Ronnie Laneが原曲、というYo La Tengo公式のアナウンスは何も間違っていないと思った。

 それにしても、この曲のウイスキーやジンという強いお酒を飲む理由の痛ましさがまた、実にRonnie LaneやYo La Tengoに自然に馴染んでしまう。別に人生こんなもんさと言いたいわけではないけれども、このような誰にでも訪れることがある物語の悲痛さを、我々はどういう風に受け止めるのが正解なんだろう。割とお遊びやファッションでウイスキーを飲んでる節のあるぼくには、こういうウイスキーの飲み方は本当は理解できないかもしれない。まあでも、このどこまでも優しいYo La Tengoのバージョンをバックにウイスキーを飲むこと自体は、気持ち良さそうで具合が良さそうだ。それは別に、ちゃんとした年齢でかつ適量・適切であれば、別に止めないといけないものでもないはずだ。

 ウイスキーで人生を語るなんて、流石にちょっと恥ずかしい。だけど、ウイスキーのある人生の風景模様をムードにして飲んでちょっと感じを得ることは、このコロナウイルスで外出等がなかなか自由にしづらい昨今においても、コロナ前と変わらず、もっと言えばスマホとかパソコンとか無い時代、遡って19世紀末くらいから、醍醐味の大筋はそんなに変わらないはずだ。ウイスキーを通じて時を超えてるような錯覚を覚えるのは、それは流石にバカな行為なのかもだけど。

 

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あとがき

 以上30曲でした。

 1月の大半を費やして曲探しをしたり書くことを探したりした記事がどうにか書き終わってひとまずホッとしました。

 ウイスキーの飲み方なんて当然自由なので、こんな記事に囚われてほしいだなんてことは塵ほども思いませんし、そもそもこんな記事が一体何になるんだろう…という思いも書き終わった今となってはありますが、でもこうしてウイスキーの曲を30曲、しかも自分の趣味に合わせて並べることのできた喜びは単純にあるなあと思いました。

 あとは、様々な今後一生使うことのなさそうな蘊蓄やら思い込みやらが蓄えられました。アイルランドウイスキーのトラディショナルソング多すぎなこと(今回リストに入れなかった曲も幾つかあります)とか、ウイスキーとジンって並べてみるとイングランド感が出てくるなとか、意外とスコットランドのバンドがウイスキーについてあまり歌ってない感じがするとか(多分ものすごくたくさん見落としてる曲があると思います…)、ウイスキー酒場から天城越えまで到達できるのはやっぱ石川さゆりだけだよなあとか、そんなどうでもいい色々が、どうでもいい具合に奇特にも読んでいただいた方の人生のほんの隅っこを悪くない風に彩ることになれば、この記事を書いた意味があったんだろうなと思います。

 最後に。ウイスキーは度数が高いからガブガブ飲んだりはしづらいお酒ですが、度数が高い分沢山飲んだらより危ないお酒になります。特にハイボールを濃いめに作ると結構ガブガブ飲めてしまうので、そういうので身体を悪くしたり、アルコール依存症になったりしないよう、節度ある飲み方をされてください

 

 最後に、ぼくが好きな安いウイスキー5本を挙げてこの記事を終わります。ありがとうございました。

 

5位:フェイマスグラウス

 ぼくの残念な舌はこれとマッカランとの違いを上手く識別できない…ピートは弱めでスッキリした味わい。その分スペイサイド系のピートが弱いから体調によってキンキン感が強く出るなあ、と思ったところまでマッカランと同じに感じてしまった…。

 

4位:ロングジョン

 最近はこれを飲んでる。程よくピート感があってスペイサイド的なツルッとしてキンキンした感じとの折り合いがいい。飲みやすい。

 

3位:カティサーク

 そのままロックとかで飲もうとは個人的にはあんまり思わない(なんかキンキンして苦手)けど、これはハイボールにすると物凄く化けて、下手な清涼飲料水よりも清涼な酸味のジュースみたいになる。普通の晩飯に合わせて食中酒にするならこれが一番いいかもしれない。

 

2位:ブラックニッカディープブレンド

 度数が他より高い43度で、そしていい具合にピートが効いてる。苦くて飲めないほどではなく、そしてロックで飲むと苦味が後退した後にどこからともなく甘みがせり上がってくる。これは味覚の中の相対的な動きなのか。ブラックニッカはスペシャルも美味しい。

 

1位:バランタインファイネスト

 今のウイスキーを日常的に飲む生活になったのは最初にこれを飲んだからかもしれない。いい具合にピートもあって、飲みやすさもあって、なんかもう別にこれだけ飲んでりゃいいのかなあとか思ってしまうことも。

 

 今度こそ終わりです。ありがとうございました。