ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『After The Gold Rush』Neil Young

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かの有名なジャケットのフォトセッションに実はGraham Nashも同行してたとかいう話の証拠となる写真。

 

 突如このブログで始まったNeil Young祭りですが、今回は先のベスト20アルバム記事で第2位となったこのアルバムについて全曲レビューを試みるものです。

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 そういえば今年はリリース50周年に当たるので、50周年盤のリリースも控えているとのこと。先行して当時のアウトテイクから『Wonderin'』が公開されています。 この曲元々はこの時期の曲だったんだ…*1*2

After The Gold Rush (50th Anniversary)

After The Gold Rush (50th Anniversary)

  • 発売日: 2020/11/27
  • メディア: MP3 ダウンロード
 

 

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 なお、全曲レビューする前段として歴史的な状況の概観とアルバムの特徴の考察も挟むため、本編はしばらく後になります。

 

 

はじめに:アルバムをめぐるヒストリー及び製作陣

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画像はCSN&Yの面々。左からNeil Young、Graham Nash、David Crosby、Stephen Stills。

 

 別に読み飛ばしてもらっても構わないところです。

 

 このアルバムはまごうことなきNeil Youngのソロ作品であるにも関わらず、その制作背景について触れようとするとどうしても直接は関係のないCrosby, Stills, Nash & Young(以下CSN&Y)のことについても触れざるを得なくなる。それだけこの時代が様々な状況が並走して関連しあっていた時代というか。

 カントリーロック黎明期のバンドBuffalo Springfieldがその中心人物だったStephen StillsとNeil Youngの仲違い等で解散した後、同じ頃に同時代的なサイケな音楽をしたい側と保守的なバンドとの対立でそれぞれThe ByrdsとThe Holliesを脱退していたDavid CrosbyとGraham Nash、そしてStephen Stillsの3人で組まれたCrosby, Stills & Nashは、The Beatlesの不仲やらThe Beach Boysの低迷*3やら何やらで1960年代的なバンド音楽の行き詰まりが表面化する中で、有力なアーティストがバンドという枠組みに囚われずゆるく連帯して活動する「スーパーグループ」の先駆けとして注目された。

 しかし、そこに元々Stephen Stiillsと反目してたはずのNeil Youngが参加依頼を受けて加入し、Crosby, Stills, Nash & Young(以下CSN&Y)になってから、このグループは残りの寿命を一気に燃やし尽くすように、ウッドストックでのライブやウエストコーストロックの名盤『Déjà Vu』などにより世間の注目を集め、そしてすぐまた仲違いして昨日停止した。各メンバーはそれぞれのソロ活動に戻っていった*4

 そんなCSN&Yの活動の中心はアルバムリリースもあった1970年になるが、そんな中で現代では『Déjà Vu』よりも名盤とされてる気がするNeil Youngソロ作の今作『ATGR』も同年にリリースされている。CSN&Yで時代の寵児として持て囃されながら同時にソロでこの傑作をものにしたために、この時期、もしくはこの時期からより大ヒットした次作『Harvest』までの時期こそが彼の最盛期だと見なす人は現代でも少なくないと思われる*5

 しかし、CSN&Yから離れてNeil Young個人で見ると、1970年の忙しなさの中で、大きな喪失の影も迫ってきていた。1年前の1969年に彼は自身のバックバンドとして見出した3人をCrazy Horseと名付け、『Everybody Knows This Is Nowhere』を共作し、新たなバンド音楽を制作しようと意気込んでいて、今作も彼らと共作する予定だった。しかし今作制作のセッションの途中に、メンバーの一人であるギタリストのDanny Whittenがドラッグ(ヘロイン)の過剰使用により満足にプレイできない状態に陥る。結局その後彼は薬物の過剰摂取により1972年の暮れに死去。

 死の直前の時期、Neil Youngは彼を『Harvest』後のツアーメンバーとして再抜擢しようとしたが、あまりにも酷い状態のためクビにして、そしたらその直後に死亡の報が入ってきたという。この出来事は、その翌年のCSN&YのローディーだったBruce Berryのやはりドラッグ過剰摂取による死去とともにNeil Youngの人生に大きく暗い影を落とし、のちに彼自身が「ドブ板3部作(Ditch Trilogy)」と呼称する、アルバム『Time Fades Away』『Tonight's the Night』『On The Beach』で構成される、彼の人生でとりわけしんどい時期に大きな影響を与えた*6

 上記のような経緯のために、今作はCrazy Horseのみによる制作を完遂できなかったため、その後他の様々なミュージシャンが参加することとなり、それが結果的に、この作品の方向性を決定づけ、場合によっては価値を高めることにも繋がってしまった。彼にとっては皮肉なことなのかもしれない。特に貢献が大きいのはギターやピアノ、コーラスで参加したNils Lofgrenで、彼はその後一時的にCrazy Horseに参加したり、ソロ作品でも成功したり、そしてBruce Springsteenのバックバンド、E Street Bandで大成功を収めるといった活躍をしていく。ずっと先の近年、Frank Sampedroが引退した後のCrazy Horseのギタリストとして復帰し、またNeil Youngと密接に関わることとなったりしている。他にはBuffalo Springfieldの『Again』にてNeil Young曲のサウンドアレンジを担当し、次作『Harvest』でストリングス関係を担当するJack Nitzcheや、CSN&Yで活動をともにしたベーシストのGreg Reeves、更にはコーラスでStephen Stillsまで招集していたりする。

 ついでに言えば、今作のリリースと同時期にCSN&Yのライブ活動が展開されたために、今作収録の楽曲のいくつかはCSN&Yのライブでも演奏されている。CSN&Y全盛期の終了間際にリリースされたライブ盤『4 Way Street』には『Don't Let It Bring You Down』が弾き語りで、『Sourthen Man』がバンドセットで収録されている。他にも『Tell Me Why』もCSN&Yのライブで演奏されることがあった。

 

今作のアルバムとしての特徴

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 『After The Gold Rush』は確かに大名盤だと思うけれども、これ1作だけでNeil Youngの魅力が全て分かる、とまでは決して言えません*7。名作とされる作品が沢山ある彼なので、他の作品と比較して、この作品はこのような部分に特化した作品になっている、という部分が多々あります。

 ここでは、その辺の要素をあらかじめ書き出しておいて、この次にいよいよ書き始める各曲のレビューにある程度のアウトラインを用意しておこうと思います。すごく大雑把に言って、今作の大きな特徴は以下の3つだと思います。

 

①ともかく曲が良い・緻密な作曲

 今作を絶賛する向きにおいてはこの認識は間違いなく共通認識かと思われる。彼の出す類のリリシズムが今作の楽曲では特に典型的に表現されていて、「こういう独特の雰囲気こそがNeil Youngだなあ」みたいなのを初めて手に取るに丁度いい具合となっている。彼の音楽の入り口として今作が好まれるのはこのことが大きい。

 そんな即効性のある情緒の伝わり方になるのは、今作の楽曲が単純に質が高い、ということが理由として考えられる。概ね2〜3分で納められた今作の楽曲群は、幾つかの「お遊び曲」を除いて総じてメロディアスで、センチメンタルで、そしてキャッチーだ。聴きやすさ、という点においては、彼のもうひとつの「歴史的名盤」な『Harvest』よりもずっととっつき易い。

 上記にも書いたとおり、当時の彼はCSN&Yと並行してソロをやっており、CSN&Yで彼の代表曲にもなる『Helpless』をリリースしながらなおこれだけの水準で楽曲を量産する当時の彼の作曲能力は、確かにひとつのピークに達していたかもしれない*8

 ただ、今作は「Neil Youngがざっくりとした曲・雑な曲を書いて歌うときのラフな情緒」については薄い。今作の楽曲はともかく緻密に、丁寧に作られてる印象がある。同じメロディだけで進行とかそういうのがとても少なく、幾つかの曲はむしろヴァース→ブリッジ→コーラスという厚い展開の仕方をさえする。この辺もまた、Neil Young聴き初めに今作が向く理由のひとつかもしれない。しかし、ざっくりした楽曲でこそ計り知れないリリシズムを発揮することが彼には時折あるので、そういう曲については『Harvest』なり『On The Beach』なり、他をあたった方がいいように思われる。

 

②素朴な演奏による滋養や荒涼感

 ①と並んで「Neil Youngってこういう雰囲気の音楽なんだなあ」というのが聴き初めにわかりやすいのがこの点。丁寧な楽曲作りのこともあってかあまりガチャガチャしたバンドサウンドを入れず、また彼特有の「典型的なカントリーサウンド」との距離感のこともあり、今作はスカスカな音作りがなされていて、バンドサウンドものでも、ベースドラムがあった上であとはアコギとピアノとあとささやかなエレキギター、くらいの編成の楽曲が今作には多い。

 ①に記載したように、ざっくりした楽曲特有の乱暴なダイナミズムは今作には乏しいが、その分丁寧に作られた楽曲をスカスカなサウンドで鳴らすことによるハンドメイド感・荒涼感が今作からは豊かに感じられる。その少しボロボロな雰囲気のサウンドは実に彼のイメージに合うので、「今作こそNeil Youngサウンドの真髄、他のアルバムはもっと真面目にやれ」という視点が出てきてしまうきらいはある。今作のこの整い具合は彼のキャリアの中でも、実はかなり限定的な状況かもしれないけども

 

③ピアノの多用

 サウンド的な特徴をもう少し考えるなら、今作においてピアノがよく出てくることも注目できる。このピアノの多用がまた、ピアノ主体のSSWが多い1970年代的な雰囲気もあって、今作が彼の作品でもとりわけ「男性SSW屈指の名作」みたいに取り上げられやすい原因かもしれない。

 なんで今作にピアノが多いのかはよく分からない。バンドサウンド全開だった前作からの反動があったりしたのか、緻密で繊細な感じの曲が多いからラフなギターサウンドよりピアノの音が合うと判断したのか、もしくは状況の変化の結果による「たまたま」なのか。今作はピアノ弾き語り形式の曲も2曲含まれており、アコギ弾き語りならまだしもこのような作品は彼の長いキャリアでもレア。バンドサウンドにピアノが入る曲も多数ある。むしろピアノが全く入ってない曲の方が少ない。

 今作ではピアノはNils Lofgren、Jack Nitzche、そしてNeil Young本人の3人がクレジットされている。どの曲のピアノを誰が弾いたのかよく分からない。ライブ盤のピアノ弾き語りを聴くとNeil本人もピアノは結構上手い。

 

④コーラスワークの存在感

 ②に書いたように、今作の楽曲の演奏は素朴なものが多い。曲によってはろくに伴奏中のオブリガードもなく、ひたすらコードを弾いてるだけ、くらいの伴奏のものもある。それでも演奏が単調に感じられないとすれば、ひとつは曲の良さだろうけど、いまひとつは今作特有の充実したコーラスワークがオブリガードになってるから、というのが大きいと思う。

 他のアルバムと比較して考えると判明するけど、今作はともかくコーラスを重ねる場面が多い。分厚いコーラスのあるセクションは孤独の感じは薄れ、少しホッとするような感じになる。このことが、細い彼の声だけで歌われるセクションとのコントラストを生み、それが今作のリリシズムの表現における大きな効果を生み出していると、今回思い至った。

 コーラスワークの充実については、今作がCrazy HorseとCSN&Yメンバーとが入り混じった制作体制であることが大きく影響しているかもしれない。ただ、Stephen Stillsが参加しているとはいえ、明確にここが彼のコーラスだ、と分かることは特にない。そもそも、Crazy Horseもその荒々しいサウンドに反してコーラスワークは上手い。特に、今作制作途中でリタイアしたDanny Whittenが思いのほか多くの楽曲にコーラスでも参加してることは忘れないようにしたい。

 具体的な例示は本編に譲るとして、このことに気づけたのは、今回こうやってこれを描き始めた甲斐があったと思った。

 

本編:全曲レビュー

 ようやく記事の前段が終わり、ここからがこの記事の本編になります。

 

1. Tell Me Why(2:59) 

 このアルバムの素朴な音楽性を象徴する、アコギ弾き語り+αとコーラスワークのみで成立する楽曲。冒頭のアコギの3音の後の不思議と寂寞としたコード感に彼の「若くして枯れ切った」歌声が聞こえただけで、このアルバムはこういう作品なんだ、ということが明確に示されるような、そんな心細さがしみじみと感じられる。

 しかしそんなラフそうな装いとは裏腹に、何気にこの曲はヴァースがあってタイトルコールのブリッジを挟んでコーラス、という丁寧な曲構成をしている。なので、そういう構造の楽曲が多い邦楽を聴き慣れた人がこのアルバムを聴く時には、この曲の質素な音の割にこのように丁寧な曲構造は聴きやすく感じるのかも。洋楽の入り口のひとつとなり得るアルバムであるのはこの辺も関係するのかなと思う。

 ブリッジ以降のバックコーラスが並走する箇所においては、彼が在籍したCSN&Yの時代的な、ゆるい連帯の感触がいくらか感じられる。アコギも複数録音されてて、ざっくりしたフォーキーさと緻密で流麗なプレイとが併走する様もやはりCSN&Y的なところ。けど、それでもより寂しさを覚えるのは、Neil Youngというアーティストの雰囲気が強く感じられるからか。いくらコーラスワークを伴ってもアットホームにも幸せそうにも感じられない声のムードが、少なくともしばらくの時期までの彼の音楽には付き纏う。

 歌詞も、そんな印象を裏付ける便りなさげなフレーズが飛び交う。

 

ぶっ壊れた波止場から心の船は漕ぎ出す

夜半 波に乗って

 

特に、コーラス部の歌詞は「永遠に青臭い」ような感覚のフレーズで、昔から彼のそういうところに惹かれる人が多いんだと思う。

 

平静を保ってるなんて無理じゃないかな

報いるに足るほど年老いて

でも売り捌くに足るほど若い時分じゃあね*9

 

2. After The Gold Rush(3:47)

 今作に漂う寂寥感を最も不思議な雰囲気で体現した、ピアノ弾き語りによるアルバムタイトル曲。「素朴なピアノ」と称されることもあるけども、この曲のピアノは結構テクニカルだし、そして妙にスケールの大きいというか、実体の掴めないような存在感があって、今作で最もタイムレスな存在かもしれない。そこを反響の少ない彼の声が渇き切ってひび割れそうな具合に響く。幻想的というか夢の世界をぼんやり描いた歌詞や、間奏のホルンのまろやかな具合も、ひどく黄昏きった具合に響く。ノスタルジックと呼ぶにはあまりにぼんやりと寂しすぎるような。

 この曲が取り止めもないように感じるのは、上記のようなぼんやりした感覚の演奏や歌詞に加えて、曲構成のこともあると思う。今作では例外的に、ヴァースとコーラスの境が判然としない形式のメロディは、どこか民謡・フォークロアから派生してきたようにも思えるし、もしくは夢の中で鳴ってたメロディをそのまま歌ってるようにも感じられる。少なくとも、ポップス以降やロックンロール以降の音楽産業から自然に出てくる感じの音楽じゃないように感じれて、そこがこの曲の不思議な超然具合を決定づけているように感じる*10

 この、出所不明のフォークロアから発される、ある意味霊的にさえ感じられる情緒は、この後の彼のキャリアにおいても時折発出される類の感覚だと思う。この、大地に根付いていながらも同時に根無し草のような感覚、ぼんやり歴史と空気と大地に情感が溶けていくような感覚は、彼のかけがえのない美点のひとつだ。

 歌詞も、ぼんやりした夢の光景をそのまま言葉にしたような、実に取り止めのない言葉が並んでいて、しかし読み方によってはいくらでも比喩的に感じられるような内容で、「ゴールドラッシュの過ぎ去った後の荒野」という感じが滲む。

 

焼け落ちた地下室 ぼくは身を横たえて

その眼には満月が浮かんでた

陽の光が空を覆ったら全て元どおり

ってならないかなと思ってた

頭の中では楽団の演奏が響く ハイになるみたいな感じ

友達が言ってたことを思い出した 嘘ならいいのに、と思った

友達が言ってたこと 嘘ならいいのにね

 

ぼんやりした光景の中に少し覗く彼の現実における孤立無援な感じと静かに痛切な感じ、この辺の鮮烈さは時代がどうなっても変わらないかもとは思ったりする。 

 

3. Only Love Can Break Your Heart(3:10)

 3曲目にしてようやくベースとドラムが入った楽曲が登場する。でもそれが3/4拍子で展開していくあたり、やっぱりNeil Young全体のキャリアで見てもこのアルバムは異質な感じがする。

 シンプルで牧歌的な感じさえあるヴァースのメロディは、しかしそれでいてどこか翳りのあるような、鄙びた感じのあるような雰囲気を持ってる。そこからブリッジの少しドラマティックで焦燥的なメロディを経て、ヴァースと同じメロディを違うコードで歌うコーラス部、という曲構成をしていて、メロディの朴訥とした雰囲気とは裏腹にこれもヴァース→ブリッジ→コーラスの凝った構成になってる。楽曲の終盤はヴァースのコード進行を繰り返しながらコーラス部の歌詞を歌う形式となっていて、ここもメロディの共通していることを利用した構成になっていて、Neil Youngが時々発揮する巧みな曲構成の最たる事例となっている。

 バンドサウンドではあるけども、うわもの楽器はアコギとピアノだけの相当シンプルなもの。演奏自体もかなりシンプルで、ピアノが少しブリッジで洒落た響きをもたらす程度の伴奏。それでもそのシンプルさが、上記の朴訥さとドラマチックさを含んだメロディ展開に合っていて、むしろ余計なものがないこのアレンジがいい、と思えるから不思議。そしてそのカラッと空いた音空間を、ブリッジから入ってくるコーラスワークが埋めていく。特にコーラス部のタイトルコールでのコーラスワーク(ややこしい書き方…)の厚みはこの曲の繰り返しのメロディを強力なフックにしている。

 歌詞もまた、アルバム冒頭から続く孤独と人間不信の感じを綴っている。曲タイトルからして「君のハートを壊す」というのはどういう意味か、と考えさせるけど、歌詞本編を読むとより様々な意味に取れる感じがする。

 

若くて 自分しかこの世にいない みたいな具合の頃

ひとりきりってどんな感じだった?

ぼくはいつも 自分がこなすゲームのことを考えてた

自己ベストを出すんだって 躍起になってた

 

でも 愛だけがきみの心を砕くことができる

初めから正しかったって確かめてみよう

そう きみの心を砕けるのは愛くらいなもの

きみの世界が砕けてしまったらどんなだろうね

 

これだけを読むに、単純な二人の関係性というよりも、もう少し自問自答風なところがある。この後歌詞では「ぼくの一度も会ったことない友達」も出てきたりして、より哲学的な感じになってしまう。けどそういうのと関係なく、コーラス部の「きみの世界が砕けてしまったらどんなだろうね」というフレーズは挑発的でロマンチックだよなあと思う。スピッツ的な感じ。

  この曲は他のアーティストのカバーがやたら多く、もしかしたら彼の全楽曲でも最もポップソングとしてのポテンシャルが高い曲なのかもしれない。Saint Etienneによるこの曲のセンチメンタルさを剥ぎ取ってちゃちくて気だるげなハウスにされたバージョンがとりわけ有名。曲名も時折他のアーティストからもじられたりする*11。あと、Burt Bacharachによる同名の楽曲は無関係(そっちの方が発表は早い)。  

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4.Southern Man(5:31)

 ここでキリキリしたバンドサウンドが登場する。前作『Everybody Knows This Is Nowhere』にて彼がCrazy Horseと築き上げた初期のwith Crazy Horseサウンド、特に『Down By The River』や『Cowgirl In The Sand』で見せた緊張感に満ちた楽曲・演奏を、前作ではそれぞれ9分とか10分とかやってたのをここでは5分半程度に抑えている。後々もハードなコード進行で長尺の曲というのはCrazy Horseとの共作でよく出てくるので、ここでの5分半は相当抑えてあるな、って思う。

 今作までのこういう曲のギターサウンドは時代の制約もあってか、細く鋭いギターの音を主体とした、今の耳で聴くとシャリシャリとしてやや耳に痛いクランチサウンド*12。前作ではそんなギター2本のバトルという具合だったけども、ここではそんなギターとピアノとが並走しているのが特徴。こんな曲でもピアノが出てくるあたりに今作的な要素を感じる。一発録りなのかなと思うと、ギターはNeil本人でピアノは他の人物か。マイナー調の血の滾るような淀むようなタイプの彼の楽曲においても、ピアノが入ることによってかなり感じは変わってくる。まろやかさだったり、ビート感への影響だったり。

 この曲で特徴的なのはやはり、ギターソロパートではリズムが速くなっていくところか。ややシャッフル気味なビートに乗ってピアノが同じリフを繰り返しながら、ギターはひたすらに不器用にギャリギャリと掻き鳴らされ、流麗な情緒の表現とはかなり離れた、ノイジーで緊張した響き自体を表現しようとするスタイルになる。これと歌の部分のコーラス部(?)の基本がなってるようなボーカルとで、この曲特有のヒリヒリしたテンションが形作られる。タイトルコールもあるヴァース部が重ねられたコーラスワークで進行するのとは対照的に、ひしゃげそうなシングルボーカルの録音は痛々しくも切実に響く。

 タイトルにあるとおり、歌詞はアメリカ南部の黒人差別への憤りを歌にしたもの。彼は次作『Harvest』においても『Alabama』というまさに黒人差別の最も甚だしい場所への批判の曲を歌っている*13。彼はCSN&Yでも当時のベトナム戦争反対運動をしていた学生が射殺された事件を歌った『Ohio』をリリースしていたり、1990年のライブ盤『Weld』では当時の湾岸戦争を非難すべくBob Dylanの『Blowin' In The Wind』を取り上げたり、2000年代のブッシュ政権へのプロテストでアルバムを作ってしまったりと、社会状況にすぐにリアクションしようとすることが多々ある。英語のWikipedia記事でも音楽家等と並んで「活動家(activist)」と記述されている。この曲はそうした、彼の活動家としての部分が露出した1曲でもある。

 こういう曲を歌詞として「楽しむ」ことは難しい。正調な抗議の言葉は「楽しい言葉・ユニークな言葉」であるべきではないからだ。

 それにしても、ピアノと5分半の尺によってこの、全体的にメロウなアルバムから浮きかねない1曲をどうにか今作に収めている。この歯止めを外したこの曲のプレイが、たとえばCSN&Yの『4 Way Street』などに収められている。13分45秒という圧倒的な長尺で演奏されるこのバージョンは、流麗なプレイのStephen Stillsと、あまりに下手糞すぎる瞬間と物凄い熱量で響かせる瞬間とが交差するNeil Youngとの対比が強烈な、なんか壮絶なテイクになっている。グループの軋み・緊張感そのものを音にしてるかのような。

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5. Till the Morning Comes(1:28)

 激しさを表現した前曲の余韻をなだらかに通過させるためにあるかのような、短くて軽いお遊びチックな楽曲。完全にインタールード的な目的で作曲され収録されているものと思われる。LPであればここまでがA面となる。こういうのを余計なものと思う向きもあるだろうし、箸休めにちょうど良いと思う人もいるだろう。

 個人的には、ここでアルバムで1番フラットに呑気な感じの曲が来るのは好ましいことだと思う。特にCD時代以降のリスナー的には、これより後がアルバム後半としてはっきり示されてるような感じがして、いいと思う。

 この曲は軽快なピアノをメインに、少し野暮ったいシャッフルのリズムで進行する。不思議と泥臭い感じは殆どなく、あっさりと剽軽にしてる。面白いのは、間奏のトランペットが少しソフトロック的な鄙びた感じがすること。1960年代末ごろからしばらくがソフトロックの全盛期であることを思うと、このアレンジは偶然ではないと思う。そこから先のこのアルバム的な厚いコーラスワークもあっさり風味で、そのままフェードアウトしていってしまうのに、少しばかり寂しさを感じもしたり。

 

6. Oh, Lonesome Me(3:50)

 アルバム後半はNeil自作曲ではなくこのカバー曲から始まる。Don Gibsonの1958年の楽曲が原曲。おそらく原曲よりもここに収録されてるバージョンの方が有名になってしまってるのではないか。

www.youtube.com 原曲はカントリータッチのロックンロールといった趣だけど、ここでは放浪の空気感と哀愁たっぷりの、実にNeil Youngらしいカントリーナンバーに改変されてて、正直元の面影はほとんど残っていない。よくよく考えると、彼的な感じのカントリーナンバーは今作ではこの曲が最初だったりする。

 このゆったりしたアレンジの中で彼は原曲のメロディを解体し、タイトルコールをコーラス部としたヴァース→ブリッジ→コーラスの構成に曲展開・メロディを再構築してさえいる。さらに、一応原曲にもあるけどあっさり通過するミドルエイト部分を、ここでは大きくフューチャーしてドラマチックな曲構成にし直している。ここまでいじったらただのオリジナル曲な気もする。

 冒頭のハーモニカから「いかにも」な味付け。荒野をたゆたうような雰囲気が、ひっそりと敷かれた3/4拍子とそれに乗る言葉の置き方がゆったり気味に配置し直されたメロディによって演出される。アコギとピアノを基本としつつもエレキギターのカッティングも時折聞こえてきて、そして所々にNeil以外のコーラスが入る、というスタイルは実にカントリーサイドのNeil Youngのスタンダードなスタイル。ミドルエイトのブレイクからしっとり盛り上がってくる部分は、少々彼らしくない丁寧な展開にも思える。しかしリズムが戻ってからのコーラス*14を伴ったメロディは美しい。

 歌詞も、カバーには感じられないくらい今作的な要素が感じられる。

 

こんな孤立無援のブルーズから逃げれる方法

あるに違いないんだ

過去なんて忘れて 新しい誰かを探すんだ

何から何まで考え尽くしたのに

ああ ぼくは孤立無援

 

この曲を選曲しこのようにアレンジしようと発想した段階で、彼の当時の才気走った具合が思われる。アルバム内での存在感は地味ながら、確実に今作のイメージの一端を担っている楽曲。

 

7. Don’t Let It Bring You Down(3:00)

 今作で一番好きな曲。今作で一番典型的にNeil Youngしているのはこの曲だと思う。正確には、この後の作品でもよく現れるような、明朗とも悲痛ともつかないまま、荒野を不毛に歩んでいくような感じの空気が、この短い曲にはしっかりと存在している。この曲の静かな緊張感あっての本作だと、個人的には思ってる*15

 冒頭の、バンド演奏でただ単に2つのコードを鳴らしてるだけだというのに、それだけで空気感が一気に乾いて張り詰めていく感じが素晴らしい。楽曲のキーのコードとその1音下を交互に鳴らしてるだけで、こうなるものか。そもそもこの曲はコード進行からして相当に普通でない展開をしていて、歌い出しからしてキーのコードがメジャーで始まるのに、同じコードのままマイナーに裏返ったりと、基本的なダイアトニックコードから色々と外れた、かなり不安定でキリキリしたコード進行になっている。ここがおそらく、より安定したコード進行の多い今作の他の曲との大きな違いと思われる。メジャーコードで始まるのにこんな不穏な空気になるという、コード進行の妙。

 このコード進行の上を頼りなくも言葉数多く歩んでいくメロディが、まさにこの曲のぐずついた雰囲気を表現しきっている。伴奏も相当シンプルなプレイに徹したアコギとピアノがメインで、ボーカルもコーラスなしのシングルトラックで延々進行していく、それだけのことで、今作でも最も荒涼とした雰囲気が表現される。長い間ずっと、どうしてこんな雰囲気になるのかと思ってたけど、それは上記のとおり、少し毒々しさすらあるコード進行によるものだった。

 この曲はその暗いままに終わらずに、終盤で普通のダイアトニックコードで明るいメロディに転換する。それがこの曲をキャッチーなものにしているし、また今作的なポップさに繋ぎ止めているとも言える。ブレイクして明るいメロディに導かれるところが、束の間の休息のような感じ。1度こうなって、イントロの荒涼感に戻った、と思ったらもう1度この明るいセクションになって、そのままあっさり終わってしまう。なんならこの間奏部分をもっと長く聴いていたい気もするけど、でも今作に収めるにはこのあっさり具合がちょうどいい気もしてくる。

 歌詞も、楽曲の荒涼とした具合と同じくらいに、淡々と荒涼としている。

 

老人が路肩で倒れてる 側をトラック達が通り過ぎてく

その積荷の重さで青い月が沈んでくし

建物も空をこそぎ落としてしまう

冷たい風が夜明けの裏通りを破壊していき

朝刊も飛んでいく

男性の死体が路肩で倒れてて その目には陽の光

 

めげちゃ駄目だよ お城が燃えてるだけなんだ

振り向いてくれる人を見つけるんだ

きっと正気でいられるさ

 

風景描写の病みっぷりが実に彼らしい荒涼さ。こんな風景の中で「めげちゃ駄目」なんて厳しいことを歌ってる。「お城が燃えてるだけだよ」なんていう慰めの言葉かあるだろうか。ちなみに、終盤の明るいメロディの箇所は前半のタイトルコール以降の歌詞と同じ内容をより柔らかいメロディで歌い直しているもの。同じ歌詞でも全然印象が違ってくるのが面白い。

 この曲もCSN&Yの『4 Way Street』に弾き語りバージョンで収録されている。他メンバーのコーラスが付く訳でもなく、淡々とNeil一人で弾き語ってるだけにしか聴こえない。グループなのにこういうライブの仕方をしてることがこのアルバムのアコースティックサイドでも結構あって、CSN&Yって不思議なグループだって思う。

 

8. Birds(2:33)

 ピアノ弾き語りのカントリーバラッド。割と本当にコテコテのピアノ弾き語りカントリーバラッドで、まるでSSWの楽曲みたい、とか思ってしまう。勿論彼もSSWだけど、ここまで如何にもなピアノバラッドは珍しい。これこそ誰かのカバーなんじゃないか?とさえ時々思ったりする。

 今作タイトル曲のような、不思議な空間を思わせる楽曲ではなく、本当にひたすらにピアノバラッドなこの曲の存在が逆に不思議になる。ヴァースでゆったりメロディを燻らせて、コーラスで一気にゴスペル的な神々しいメロディを高らかに歌う。コーラス部ではコーラスワークも大きく展開していくのでよりゴスペルっぽさがある。本当にピアノと声だけで完結していて、コーラス部の後に続いていく「It's over」の呟きのリフレインが淡い印象を残して、あっさりと終わる。彼が実はこんな正統派なバラッドも書ける、ということを必要最小限で示しているけれども、今後の彼の作品にはこういう曲は滅多に出てこない*16

 歌詞も、愛していた二人の別離を鳥になぞらえて歌ってて、割と普通な感じがする。

 

きみを置いて飛び去るぼくを見たら

きみのいろんなことに影が差す

羽根もきみの周りに散らばって

きみの行くべき道を示してくれるよ

終わりさ 終わったんだ

 

優しいような全然そうでもないような。遠回りな表現、という感じがする。

 

9. When You Dance I Can Really Love(3:46)

 今作でも『Southern Man』と並んでゴツゴツしたバンドサウンドで進行していく楽曲。アルバム後半のバンドサウンド担当曲、といった感じ。『Southern Man』ほど激情にあふれた感じでもなく淡々と進行していくので、アルバム後半のあっさり感を邪魔しない作りになってる。

 ギターとピアノが併走する具合も『Southern Man』と一緒だけど、こちらの方がよりゴツゴツとしたギターサウンドが目立ち、というかピアノが引っ込んだミックスをされている。曲構成も込みでゴツゴツしている作りで、Neilのギタープレイも、長尺のギターソロパートこそ無いものの、リフ的な箇所とグチャッと弾き倒す箇所とが上手く合わさった奏法は後の彼の基本的なプレイスタイルがこの段階でそこそこ完成されている風に感じる。対照的にピアノはコードを連打してる箇所が多く音量も低く、楽曲の作りがそうなっていないことも含めて、華やかさ・リリカルさは全然無い。何気に最後1分以上はインストというか、カッティングで引っ掻き回すようなギターソロに展開していき、やがてフェードアウトする。

 彼の激情的な路線の楽曲とは一線を画した淡々としたメロディ運びは、ひたすらタフさだけを感じさせる。前作だと『Cinnamon Girl』に近い平板さ。リズムも平板で、メロディも繰り返しのコードの一部で多少音階が跳ね上がるけど、それくらいの盛り上がりのみに抑制され、さらに歌のすべての箇所でコーラスが付くので、やはり歌の良さとかよりむしろ、歌込みで淡々と進行していくバンドサウンドを堪能するために仕上げられたものだと思う。歌詞も今作的な孤独さを全然出していない、ただ情熱的な歌だ。

 おそらくCrazy Horse前提で作曲されたであろう楽曲。後年の彼らとのライブにおいても頻出のレパートリーのうちの一つになっている。いつ頃からか(1990年代ごろ?)終盤を延々と演奏するようになってて、その例としてはライブ盤『Year of the Horse』の冒頭のバージョンなどがある。

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10. I Believe In You(3:27)

 アルバム終盤をしっとりと飾る、落ち着いててメロディアスなカントリーロック。アコギとピアノをメインとした素朴な演奏があって、コーラス部での豪華なコーラスワークがあって、しっとりとポップと、今作的な特徴を多く備えた楽曲。

 スカスカのリズムと伴奏が広大な大地の感じを思わせるけども、メロディは彼の楽曲でもかなり優しげな旋律となっていて、特に、短く鄙びた具合にまとめたヴァースから一気にコーラスで舞い上がっていくのが印象的。2回目のヴァースで演奏が1回ブレイクするのも効果的。コーラス部についてはコーラスワークの今作1の派手さで、歌に重なるだけでなく、バッキングボーカルとして壁のように広がっていくのが鮮やか。特に最後のコーラスについては、その後ピアノの響きが前に出て盛り立てていきながら、より華やかになりそうな手前でフェードアウトする。しみじみとした良さを感じさせて終わる様は、普通によく出来たカントリーソング、っていう感じ。ソフトな聴き心地の今作を、歌詞のテーマとともに優しく大団円に導く。

 歌詞も、今作で幾度か歌われた孤独の感じにどうにか一応のケリを付けようとしている様子がうかがえる。

 

夜にきみを思うと

自分の抱える疑問が判る 猜疑心が感じ取れる

1、2年もすれば

ぼくら笑いあえるし何でも話してしまえるようになる

そうなればいいのにね

 

今きみはぼくを愛そうと躍起だったけど

ぼくが1日でそういう気になれると思うかな

どうすればきみに敬意をもっていれるかな

ぼくがきみを信じてるって言ってるとき

ぼくはきみに嘘をついているのかな

ぼくはきみを信じてる

 

今作の自分含む人間不信のこじれた感じが、特にコーラス部のフレーズによく出ている気がする。嘘だとか疑問だとか猜疑心とかを乗り越えて「ぼくはきみを信じてる」と言ってみるところで、今作の物語はひとまずの終わりを迎える。

 

11. Cripple Creek Ferry(1:34)

 今作の最後の最後は、このやはりお遊び的な楽曲で締められる。今作はA面とB面の最後をこのような短いお遊び的な曲で締める作りになっているけど、『Southern Man』の後の『Till The Morning Comes』と、この位置のこの曲とでは意味合いがまた大きく違う。まあそもそも曲調も大きく違うけども。

 ゆったりとしたリズムの上をたゆたうようにコーラスワークで進行していく作りになっている。主な伴奏はやはりアコギとピアノ。タイトルにもあるとおり、航海の感じを出した具合のもっさりしたリズムとメロディになっている。もしくは、タイトルが被るThe Bandの『Up The Cripple Creek』に傚った、なんちゃってスワンプロックというか。The Bandのような渦を巻く具合のグルーヴはハナから目指さず、そのもっさりして楽しげな感じだけを引っ張って来たかったのかもしれない。

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 もしくは、今作の冒頭『Tell Me Why』の歌い出しが頼りなく浮かぶ船の話だったこともあって、作品の最後にこのようなユーモラスな「ブッ壊れたフェリー」の歌を作って、とぼけたオチをつけてみたのかもしれない。寂しい航海でせめて少しでも気を紛らわせるように。

 

ひとりぼっち 船長は立ち尽くす

甲板員からは何も聞いちゃいない

ギャンブラーが帽子を取って挨拶し

ドアのある方に歩いていく

航海も後半戦 彼は負けたくないんだ 分かるだろ?

 

「いろいろ大変だけど、そして船は行く」という感じのエンディング。この、大変なんだか面白おかしくしたいんだかな雰囲気で締める彼のはにかみが、少し可愛らしい。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

終わりに

 以上、11曲で35分とちょっと。

 ロック史にもSSW史にも残る大名盤を1曲ずつ、自分なりに丁寧に見て行ってみました。前半に比べて後半がやや駆け足気味なのは、正直言って前半ほどには面白くないからです。かなりベタにSSWっぽいことをやってるなあというのが後半の数曲にあって、そんなソフトなところが今作をSSWのスタンダードな名作になるよう効果してるのかなあとも思う。Neil Young的な壮絶さの感じがするのは後半は『Don't Let It Bring You Down』だけな気もする。

 でも、全体を聴いてするっと心地よい感傷と薄明の感じがするのは、彼の作品では間違いなくこの作品が1番だと思います。本当に聴きやすい。そして、聴く方の様々な不安を持った心を程よくエンターテイメントしてくれる。お酒で言うなら、あっさりと抜けていく感じが気持ちいい塩梅のハイボールみたいな、そんな作品なのかもしれないと、今回何度も聴き直して色々考えてみて実感しました。

 思ったのは、本当に、彼らしくないくらいに様々なことが丁寧に整えられている、ということ。最初の方でも書いたとおり、楽曲は彼的なぶっきらぼうさをかなり封印して、極力丁寧に、彼のメロディアスな要素を活かせるよう丁寧に仕上げられたものが多く用意され、それをアコギとピアノとコーラスワークを中心にして、豊かなハンドメイド感に満ちた作品集に誂えた、という感じ。あるいは、各楽曲のそこそこ短い尺で揃えられた感じさえ、丁寧に3分ポップソングを作ろうとする彼の石が見え隠れします。CSN&Yも同時並行している忙しいはずの時期に、何でここまで丁寧に作ったのか、とか思うけど、単にそれだけ当時の彼が、様々な面で才能がドバドバ出てた時期だったから、折角なんで今回は丁寧にやってみよう、ってなっただけのことなのかもしれないです。

 何にせよ、今作だけを聴き続けるだけじゃあNeil Youngもつまんないな、とも思うけど、でも様々な、様々にギドギドな作品が存在する中に、この清涼剤のような作品がひとつあることの意味は、とても、とても大きいな、と思います。

 ぼくも今作で彼の作品を聴き始めた人間で、今作と『Harvest』の2枚だけを持ってた時期がそこそこあった気がします。最初の印象というのは大事、というかむしろ深刻なもので、ぼくは死ぬまでこの作品から受けたNeil Youngのファーストインプレッションを拭い去ることはできない気がしてますが、でもそれで全然構わないくらいに、やっぱりこの作品が大好きなんだなと思います。メロディがどうとか、コーラスがどうとかと、細かく分析してたら段々つまらなくなって来た*17けど、何気ない時にさらっと流して聴いたら、本当に実に素晴らしいな、って単純に思えた。いつまでこの音楽に人生を、自分の人生もそうだけど、様々な人生の悲喜こもごもだとかを重ねて見てるんだろう、とか自分で思うけど、それもきっと死ぬまでなんだろうな、と思います。

 つまり、ぼくの中のある種の価値観、音楽に限らずの色々な価値観は、今作の感覚によって作られてたのかもしれないな、という話。だって憧れませんか、こういう寂しげだけど歩いて行かざるを得ないから歩く、みたいな雰囲気。

 ちなみに今作的な荒涼感を端的に表現したジャケットは、この撮影現場は当時のままニューヨークのグリニッジヴィレッジに残っているらしいです。この格好良くかつ真似しやすそうなジャケットのイメージは、意外とオマージュ作品が見つからなかったけど、少なくとも日本のART-SCHOOLの1stアルバム『Requiem For Innocence』は間違いなく今作のオマージュ。

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 なんかあまり締まってないですけど、以上でこの記事を終わります。こんな書いてる側まで段々つまらなく感じて来てしまうような記事を最後まで読んでいただいてありがとうございます。

 次は個人的ベスト20の1位となる、1974年の作品『On The Beach』です。なるべく早くアップできたらいいのにね…と思います。

 

11/10追記:SSWとバンドの境界線について

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 記事をアップした後に書くことが思いつくことはままありますので、今回このような形で追記をさせていただきます。

 あるときTwitterで「SSWのアルバムオールタイムベスト」という企画をあげてる人がいて、面白いなーと思って見てました。それで、自分も同じものを作るとしたらどんなものになるかな…と色々考えてる時に、まあ今作も上がってくるんですけども、しかし、たとえば自分だとJudee SillとかBeckとかElliotto SmithとかAndy ShaufとかPhoebe Bridgersとかも取り上げそうだと思うけども、それらは全然SSWだなあ当然上げるなあ、と思うけど、しかし話がNeil Youngに及ぶと「んっ…?」と、何か引っかかりのようなものを覚えました。あれっ、Neil YoungってSSWで良かったっけ?という感じが、別に全然SSWだから問題ないはずなのに、漠然と違和感を覚えたりしました。

 今回取り上げたこの『After The Gold Rush』はその点、まさにSSW的な作品で、上記のアーティストと並べるのに抵抗はありません。けど、たとえばこの1枚前のアルバム『Everybody Knows This Is Nowhere』も同じように取り上げられるか、と考えると、あれっそれは無理だ…と思いました。好きじゃないから上がらないとかじゃなくて、これは確かにNeil Youngの作品だけど、でも自分はこれをSSWの作品とカウントできない、と気づいたのです。Crazy Horseとの共作による全編バンドサウンド「のみ」詰め込まれたこの作品は、SSWの作品という枠組みよりもむしろロックバンドのそれだと思うのです。あのアルバムをJoni MitchellとかJames Taylerとかの作品の横に並べるよりも、The BandとかThe Stoogesとかの横に並べた方がまだしっくりくる。そう考えるとやっぱり、バンドの作品なんじゃないか、と思うわけです。

 Neil YoungがCrazy Horseと組む際は全編バンドサウンドになることが多く、そうなるとSSWの作品として急にカウントし辛くなることにふと気づいて、今回この追記をしているところです。Crazy Horseは別にNeil Youngのバックバンド的なものなので別にSSWと言い切ってしまってもいい気もするけれども、でも何故か、それは違うように思える。Crazy Horse以外の作品でもバックバンドを従えて制作する作品は多々あって、それらはじゃあSSW作品じゃないのか、と聞かれると、まあThe Promise Of Realとの共作もSSW作品と呼ぶのに抵抗がありますが、それ以外は一部の例外を除き、基本的にSSWの作品って言っちゃってもいいかなあ、とか思います。『Harvest』とか『Harvest Moon』とかにおいてはStray Gatorsをバックバンドにした作品ですが、これらは全然SSW作品として受け入れられるなあ、と思うんです。『On The Beach』とかになると微妙だなあとか、作品ごとに色々ムラはあります。『Trans』は…あれは何だろう…。

 それで、どうして同じNeil Youngの作品でこんな差を感じてしまうんだろう、と考えると、やっぱり「SSW的な音楽性」というのはあるんだな、ということに思い至ります。正確には「SSW的な音楽性“と感じてしまう”サウンド」というか。

 SSWの作品も、弾き語りオンリーとかでなければ多かれ少なかれバンドサウンドは入っていたりするものです。だけども、そのバンドサウンドの中でも、「SSW的」という範疇に収まるサウンドと、そうじゃないサウンドがある、ということに気づきました。Neil Youngにおいてそれはやっぱり「荒々しさ全開のバンドサウンド」というものが非常に大きいんだと思いました。

 思えば、有名なSSWやその作品の多くは荒々しさ全開のバンドサウンドになっていないな、と、逆にそういうことに今更気づきました。バンドサウンドがあっても、アコギやピアノを主体にして、様々な楽器が入って、メロディアスで感傷的で…みたいなことを典型的なSSWサウンドと、いつの間にか認識しきってしまっている。まあ、近年で言えばKurt VileとかCourtney BarnettとかはSSWだけどはっきりバンドサウンドで、あれっ、でもSSWだよなあ…みたいな混乱の仕方もありますが。

 

 SSWと考えられそうなアーティストの中に、時々こういう、作品によってはこれはSSWではないのでは…となってしまう人がいます。David Bowieとかに至っては、そもそもなんかSSWっていう認識に全然ならないな…とかも思います。自分で曲を書いて歌うソロアーティストだからと言って必ずしもSSWの枠組みにピッタリくる訳でもないのか、ということがあります。

 そして、今まで書いてきたこの追記を逆に考えると、Neil Youngの作品でもとりわけSSW的と感じられる『After The Gold Rush』と、バンド作品としか思えない感じのする『Everybody Knows This Is Nowhere』との、それぞれの作品間での様々な違いの中に「SSWっぽさとは」といった要素が詰まっている、ということが言えるかもしれません。それはサウンドにせよソングライティングにせよ歌い方にせよ、様々な次元での要素が考えられて、その仔細が適切に把握できればもしかしたら、「SSWという音楽ジャンル」についての本質や魅力を端的に理解することができるのかもしれない、と、考えついたりしました。かなり余談でした。

 

 SSWアルバムオールタイムベストはいつかこのブログでも書いて見たい気がしますが、今作はその中に全然入りうるアルバムだと思います。少々SSWっぽく「しすぎてる」ような部分もありますが、そここそを楽しむことも可能だということを頭の片隅に置いて、今後のこの素晴らしいアルバムを聴いていきたいなと思います。

*1:当時のライブ盤などにも収録されているこの曲は、しかし長いことずっと公式でリリースされることがなく、ライブでしか演奏されない「隠れた名曲」のひとつとなり、そしてずっと後の1980年代になって、何故か全編ロカビリースタイルで通す変なアルバム『Everybody's Rockin』に本当に何故か収録された、しかもやはりElvis Presleyばりの古いロックンロールスタイルにて、という数奇な運命を持つ。

*2:しかしこの50周年盤、てっきりボーナストラック沢山の内容かと思ったら追加はこの『Wonderin'』だけなのか。。

*3:個人的にはこれは否定したいけども世間的にはそう受け止められてたんだろうと思われる。

*4:正確には、CrosbyとNashについてはこの後2人でしばしば作品を出すことがあったり、また仲違いしたはずのStillsとYoungについても1976年に共作アルバムをリリースしてライブして回ったり(ここでもまた仲違いするけど)、結構お互い付かず離れずの活動をしている。1974年には再結成し、結局アルバム制作は頓挫したものの大々的にツアーを行ったりもしている。CSN&Yとしての新作は結局かなり後の1988年の『American Dream』となる。

*5:しかしながら、この見方だとその後の人間・Neil Youngがより濃厚に出まくる「ドブ板3部作」や、『Rust Never Sleeps』によるオルタナティブロックの萌芽など、その後の様々な素晴らしい作品を見落としかねない。全盛期を過ぎた後は云々、という誤った先入観でそういった作品等を見逃してほしくはない。

*6:この辺の彼の人生の混乱だらけの状況については、『On The Beach』の方の全曲レビューで整理し直して書くと思います。

*7:というか彼の様々な魅力や年月を経て湧き出す魅力の類が1枚に収まるはずもないけど。そもそも彼に限らず、多彩な魅力を内包してるアーティストの活動を「これ1枚で全て分かる」みたいに言い切ってしまうのは、少々乱暴だよな。

*8:実際、今作と同年の1970年の各ライブ盤においては後に発表される『Winterlong』『See The Sky About To Rain』なども演奏されており、上記の『Wonderin' 』のこともあるし、やはりこの時期の楽曲の充実っぷりは間違いなさそう。てっきり今回の50周年盤でこの辺の当時のアウトテイク全部蔵出しされるのかと思った。。

*9:この曲のこの部分の歌詞を「やり直すには歳をとりすぎて、投げ出すには若すぎる」と訳してるのをしばしば見かけるけど、そう訳したい気持ちは分かるけど、元の英文を読むとそうは訳さない気がする。

*10:しばらく後のこの曲とかなり似たメロディのピアノ弾き語り曲『Johnny Through the Past』も、この曲の超然具合とはかなり違って聞こえる。この曲の不思議な存在感はこの曲ならではだと思う。

*11:Wilcoの『I Am Trying To Break Your Heart』はこの曲の題名インスパイアだと思ってる。

*12:これがもっとディストーション気味な歪んだサウンドになるのは次作『Harvest』から。何気にここで一気にギターの音がより強く歪んだものになってる。

*13:最も、その返歌として「美しい俺たちのアラバマ」を「黒人差別を全く無視した形で」「当時の人種差別主義者の州知事を褒め称える形で」歌にしたLynyrd Skynyrdの『Sweet Home Alabama』をよりにもよってNeil Youngがライブで歌ったり共演したりして、彼の中でどこまで黒人差別に対する本当の憤りがあるかは怪しい部分もある。

*14:このコーラスはおそらくセッション初期のみ参加したDanny Whittenと思われる。

*15:じゃないと今作の後半ポップすぎません?

*16:こういうとこが、こういう曲ばかりを好きになってしまったファンが「ニール・ヤングはこの1枚で才能が枯れてしまった」とか言ってしまうのかもしれない。

*17:こういう聴き方は時に不健康かもしれないと思う。感動とか感覚とかを要素要素でバラしてしまって、キザな喩えをするなら綺麗な花を花びら一枚一枚剥がして調べて見てるような、そんなことをして元のままに楽しむことなんてできるものなんだろうか。