ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『新しい果実』GRAPEVINE

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 遂にそのポテンシャルを尖らせて出した作品を放ってきたな…って感じの今回のGRAPEVINEのアルバム『新しい果実』。自分も何度も聴いてて、ここまで続けてきたバンドだからこその強固さと、それ以上に何か劇薬が混じったかのような変質っぷり*1を楽しんだり驚いたりしています。何がどうなっているのか、どう異質で、埋もれようのない”尖り”が現れているのか、ちょっと確認しておきたいと思います。

 

最初に思うところ

曲順

 まさか冒頭3曲に先行リリース曲を集めるとは。もしくは最も先鋭的な楽曲を集めた冒頭という曲順になったので、それを全部先行曲にしたのか。今作の「今回なんか思い切りがすごいな」という印象の最たるもののひとつ。

 荘厳でどこか退廃的な『Gifted』も先行公開時の衝撃はそこそこあったけど、やっぱそれ以上に『ねずみ浄土』が公開されたときの「は…?」っていう感じと、そしてそれをアルバム先頭に持ってくるセンスは、今回彼らが”攻め”に入ってることの最も象徴的な局面だと思えた*2

 

曲目・作曲者

 彼らは作曲者が複数いることや、キャリアの途中からセッションでも楽曲を作るようになったことが強みだけど、でも各アルバムで一番多く曲を持ってくるのはいつもドラムの亀井亨で、彼の書くキャッチーなメロディの歌ものが所謂バイン節で、彼の楽曲の幅がバンドの音楽性の幅になっている節のある作品も幾らかあった。

 10曲を収録した今作は亀井曲が最多ではなく、最多はセッション曲でもなく、ボーカルギターの田中和将の5曲となっている。これもまた、むしろこれこそが、今作が今までの作品と根本的に何かが違っていることの、重要な要因なのかなと思う。どうしてそうなったのかは不思議なところだけど。

 田中曲の特徴として、亀井曲よりもキャッチーさの薄い、あえて誤解を承知で悪い言い方をすれば”抜けの悪い”サビのメロディが多い。そこには彼が敬愛するブルーズやソウルに対する畏敬の念がこもっているのだろうし、キャッチーな部分を亀井曲に任せているが故のマニアックさ、みたいなのも多分にあるんだろうな、と思わせる。

 今回の5曲も、割とそんな従来からの田中曲的な雰囲気を曲自体が大きく逸脱している風ではないように思う。確かに『ねずみ浄土』は流石に普段のバンドの雰囲気を大きく大胆に逸脱しすぎて逆にキャッチーになっている感じもするけども、どの曲にも、本作の4曲の亀井曲と比較しても”晦渋”と言ってよい性質のものが宿っていると感じられる。そういった楽曲がアルバムのメインを占める、ということで、やはり作品としての聴かせ方が、これまでの亀井曲推しの作品と異なってくるのは、理にかなった話でもあると思う。

 

サウンド

 前作『ALL THE LIGHT』が外部プロデューサーを招来しての、レコーディングメンバーも異なるような異色作だったのに対して、今作はセルフプロデュースで、それこそ『イデアの水槽』時代からの長い付き合いであるメンバー3人+サポート2人の5人体制による録音。なのに作品としての異色度合いは今作は前作の比ではない、というのも不思議な話。インタビューを読む限り別にリモートで制作とかそういう大きな変化要因があるわけでもないのに。あるいは、インタビューでは本人たちは否定気味だけど、コロナ禍における非常に鬱屈と混迷と理不尽とが渦巻く状況も、こういう音を発する意識に何かしらのものを投げかけてるのかもしれない。

 暗いジャケットが示すように、今作のサウンドはダークで、閉塞感に満ちている。それはサウンドというより作曲のせいかもしれないけど、少なくともフォーク・カントリー的な牧歌的な雰囲気は今作には殆ど残されていない。それこそ、『TWANGS』あたりからずっと彼らが熱を入れてきたWilco的な、開放的なバンドサウンドは、今作ではほぼ封印されている。ここは、非常に大きな変化だと考える。

 代わりに溢れているのが、現代のR&Bをどうにかバンドサウンドに落とし込もうとするアレンジや、どこか密室的なマイナー調のサウンドの数々。それまでの作品でも頻度はともかくとして見られた後者はともかく、前者はかなりこれまでと違った、思い切ったことをしているような箇所が散見される。それでも、完全にR&Bに振り切らず絶妙に従来のバンドサウンドと陸続きな部分を保っている上で演奏のアイディアが尽きないことは流石。

 そして、所々で非常に奇妙なギターサウンドが挿入され続けることにも言及したい。ともかく、極端にエフェクトをかけ過ぎた、普通の”いなたい”バンドサウンドではなかなか使い道の思い浮かばないようなサウンドが、今作では特にリズムギター側のサウンドとして色々と出てきており、変な歪みやモジュレーションを、そうやって使うのか、という部分が結構地味に斬新で興味深い局面を多々耳にする。

 

歌詞

 先行公開だった『Gifted』『ねずみ浄土』が確かに圧倒的な言葉遣いでインパクトがあるけれど、歌詞については書いた本人が言うように、近作からの大きな飛躍、といったものはそこまで感じられるものではない。近作だって大概フリーダムな語彙抽出と音韻載せをしており、音節数に導かれてどこかから取り出した変な言葉を並べて偏屈な意味が通ってしまうことを楽しんでいるかのような作詞が今作でも多々見られる。

 世間への皮肉と毒々しさと晦渋さと意味不明さを一番高度に含んでいるのは『ぬばたま』だろうか。タイトルからして何だそれは、って感じだし。

 

ジャケット・アルバムタイトル

 それにしてもここに映る果物の実に美味しくなさそうなこと。アルバムを再生して最初の言葉をそのままアルバムタイトルにする、っていう発想もある意味思い切りが良すぎる。というかアルバムタイトルは『ねずみ浄土』が1曲目になった段階で決めたのかな。新鮮そうなフレーズのはずなのに、楽曲での言葉の使われ方とジャケットの暗さとそして世相とで、見事にダークなイメージに染められている。もしかしなくてもBillie Holiday『Strange Fruit』のイメージも重ねられているのだろう。

 

楽曲精読

 

1. ねずみ浄土

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 間違いなく、GRAPEVINE史上最も思い切った1曲目。これまでもアルバム中の1曲として置かれることはあったR&Bタイプの楽曲だけど、奇妙で濃厚なバンドサウンドによるネオソウルを、正面切ってアルバム冒頭に置く今回の吹っ切れっぷり。作曲者でもある田中氏曰く「いきなり歌から始まりで前作とかぶるから」という反対理由は、しかし本当は自作曲がここまで前面に立つことを恥ずかしがった側面のあるのかなと思った。だけどやっぱり、この奇妙な作品の1曲目としてこれ以上相応しい曲も無い。

 冒頭から、ソウル的に多重に重ねられたファルセットのボーカルが聴こえ、その段階でドキリとするのに、そこから楽器が入った瞬間の、リズムギターの非常に奇妙な歪み方による「!?」が大変大きい。このギターの音一発で、無骨でスカスカで濃厚なネオソウルのビートを「まあそういうのもあるよね」的な埋没してしまいかねない世界観から完全に異化してしまっている。「本格的R&B志向の楽曲」と形容されるようなものから、『ねずみ浄土』という独特の楽曲に引き上げてしまっている。極端なコーラスを掛けた上で汚いビットクラッシャーで歪ませたかのようなそのギターサウンド*3は、ある意味歌以上に饒舌にこの曲の歪さを象徴していて、その思い切り方はどことなくかつてのゆらゆら帝国を彷彿とさせさえもする。

 このひどく特徴的なギターがあるからこそ、もう一本のギターもワウを効かせたりディストーションロングトーンを流したりディレイを効かせたりと、エフェクティブな応酬を繰り広げている。間奏だけいつものGRAPEVINEっぽいギターフレーズの入るいつも的なバンドサウンドになるのも面白いし、終盤だけリズム構造を変化させパタパタして、クラシカルな鍵盤なども入るところがこのバンドのポテンシャルの高さを思わせる。そしてあっさりとブレイクして歌だけ残して終わることで、この曲の「ギョッ」とする感じを完遂する。この最後のタグ的なコーラスは、2回歌われるそれぞれでその前のメロディが違うところも実にひねくれていて、曲構成としてとても面白い。

 切れ端のようなメロディの断片の数々は殆どファルセットで歌われ、多重録音によるコーラスワークも実に煙い雰囲気とも、奇妙ともつかない世界観を、変テコな言語センスとともに構築している。田中曲特有の晦渋になりがちなメロディは、最早ここまでバラバラにしてしまうと別のキャッチーさが生まれてしまっていて、まさに「裏返った」キャッチーさこそがこの曲の強み、とも思える。

 歌詞のセンスもトンでいて、性的であるようでありながら、そのスケールを聖書レベルに引き上げたり、かと思えば日本の童話の表現を実にあっさりとR&Bのリズムの歌にしてしまったり、しまいにはそうして出来上がった楽曲に『ねずみ浄土』なるタイトルを与えてしまう*4*5、その圧倒的に整然とした混沌のセンスは、田中和将ワークスでも最上級の尖り方をしている。

 

おやすみダーリン お餅は搗けましたか

鼠降臨 葛籠はどっちでしたか

おむすびころりん わたしは正直でしたか

オリジナルシンのせい

 

新たな普通 何かが狂う 眉ひとつ動かしもせず

 

 こんな歌詞を意味盛り盛りで書けてしまう人なんで日本で彼くらいのものだろう。

 

2. 目覚ましはいつも鳴りやまない

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 3曲目の先行リリースされた楽曲。これも田中曲。1曲目よりもオーセンティックにStivie Wonder等のR&Bを志向した楽曲で、実際歌詞にStivie Wonderの楽曲『Living For The City』の歌詞が(カタカナ英語で、かつこの曲で随一のテンションの高い歌唱で)出てくる。2曲連続R&B色全開のアルバム、ということになり、今作の異質さを雰囲気として高めている。

 この曲はそういえばギターの音は割と普通で、歯切れ良く心地よいクランチサウンドのコードカッティングが先導するイントロから、前の曲で意表を突かれてフワフワ状態なリスナーの気持ちを落ち着けさせるだけの爽やかさがあると言える。この曲もよく聴くとカウベルが変な音階を伴って鳴ってたりと偏執的な仕掛けはあるけども。後述のメロディの件がなければ、さっぱりした歌の感じといい、まだ「普段のバイン」として受け入れられるラインを保っている。『ねずみ浄土』の次が『Gifted』になって急に終末感をぶち撒けるよりかは、ここで渋めながらも一息つけるのは曲順として良いかと思った。

 メロディはこれぞ田中曲、という具合の晦渋さ。サッパリ気味なAメロはともかく、特にサビの抜けの悪さは実に彼らしいメロディの書き方。一瞬晴れた感じになるのにそこからまた下降するのが実にアンチキャッチーな仕掛け。そんなメロディで「あさっての夢 今日も探そう」なんてややポジティブそうなこと歌われてもなんとも、という具合。曲タイトルをそのまま歌ってるくせに全然目覚めの良くなさそうな混濁したメロディになっているのはわざとなのか、むしろタイトル的には合ってるのか、とさえ考えて可笑しくなってしまう。

 メロディだけならそもそももっと他にキャッチーで先行曲にふさわしそうなのあるのに、なんであえてこれを3つ目の先行曲にしたのか、と考え出すと、なんとなく今回スタッフ側が推したかった方向性というのが見えてくる。ネット上での普段よりも評価高めな雰囲気を思うに、その方向性は成功してるのかもしれない。

 

3. Gifted

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 今作へと繋がる先行曲として最初に公開された、非常に無骨で圧倒的で退廃的な雰囲気を持つ楽曲。リリックヴィデオとしつつもそのグスタフ・クリムトエゴン・シーレじみた痛々しい女性の絵がパノラマ的に連なっていくシュールなイラスト*6といい、毒々しさに満ちた表現を”先行曲”として放ってきたことに少なからぬファンが衝撃を受け、今作への期待を高める最初の契機となった。亀井曲。今作は亀井曲だって”こう”なんだな、と思わされる楽曲。

 楽曲のタイプ的には、彼らが『壁の星』あたりから始めたRadiohead的なアブストラクトさ*7を欲した類の楽曲群に連なるものと言うこともできるだろう。この系統の曲は『豚の皿』だとか『Juxtaposed』だとか『CORE』だとか、数々の名曲・ライブでのハイライトを生んできたけども、この曲はまた一段と、狂的な勢いよりも諦観に満ちた厳粛な雰囲気が支配している。

 冒頭から無骨で無機質なドラムの音から始まる。このどこか機械的に響くドラムは基本的にオンかオフのみで、シンバルの強弱と多少のフィルの変化以外は延々と同じリズムを刻み続けることが、この曲の心地良い虚無感・途方の無さみたいなのを支えてるし、よく聴くと妙なノイズも伴っていて、こういった仕掛けが廃墟のような雰囲気を底支えしている。そして、無機質に三音を繰り返すエレピや緊張感漲るギターのストロークなどによるイントロ部分は1分近くあり、ようやく出てくる歌まで、ピリピリした空気感を形作っている。

 抑制したAメロ→サビの神々しくもヒステリックなメロディという構成は別にこれまでの彼らの曲に無かったものでは無いけど、厭世的な歌詞のこともあって、これまでの同系統の曲とはまた違った光景を現出させている。ダークで辛辣ながら、その超善的な佇まいは確かに、時代に対峙するような部分でキャッチーさがある。

 

神様が匙投げた 華やかなふりをした世界で

去る者と縋る者と ここでそれを嗤っている者

どれもこれももういい

 

4. 居眠り

 冒頭3曲が先行リリースだったので、ここからアルバム本編のような錯覚に陥るけども、その冒頭いきなりぐわんぐわんにモジュレーションのかかったギターの音で、やっぱりこのアルバムの音はおかしい、と思わされる楽曲。歌が始まると実は割と普段通りのメロディを持った亀井曲だってことが分かるけど、それでもこのチューニングがグチャグチャになったかのようなギターの音はヒステリック。

 それにしてもすぐに歌が入る曲が今作には多い。冒頭の音の後も、チューニングがベロンベロンになったような強烈なモジュレーションを左右どっちのギターも弾いてたりして強烈さはあるけれど、この曲はしっかり亀井メロがあるので、歌が入ると一気に安心するし、サビのメロディは実に安定して良い。サビは伴奏も安定するので、旋回するようなギターリフといい、相変わらず安定したメロディとアレンジ力を堪能できる。ミドルエイトの箇所ではやはりベロンベロンなギターの音が鳴って、これはそういえば曲タイトルのようなだらだらした状況を表してるのかな、なんて思ったりもする。

 

5. ぬばたま

 先行曲の影で密やかに圧倒的に奇妙で幻想的な世界観とアルバム中でも最も直接的に毒々しい皮肉の言葉を含んだ謎の和の要素の充満した歌詞を持つ、静かにかなり実験的な雰囲気のする田中曲のバラード。バラードと言い切っていいんかこれは…?

 イントロを聴くと、ピアノを主体としたシックなバラードかと思うけれど、その様子は、短いブレイクを挟んで始まるサビ以降どんどん崩れていく。やはり、リズムギター側のギターに極端なコーラスが掛かっていて、これとサビメロ後の奇妙な展開・コーラスアレンジへの着地が目立つ。サビのメロディは田中曲の中でも抜けがいい方なのに、なんでこういうひねくれ切った展開をしてしまうのか。気が変になるような展開の崩れ方が不思議に美しい。

 そして間奏以降はウネウネと暴れ倒し始めるリードギター、ブロークンワード気味に崩れるメロディ、不協和音的に挿入されるピアノのアルペジオと、さりげなくスリリングなバンドサウンドの重ね方をしてみせる。この辺は『TWANGS』以降の実験精神の結実の仕方が実におどろおどろしく、また歌詞となっているフレーズ自体もアルバム中最も毒々しいものがあって、非常に不穏な要素に溢れてる。ここを暗いテンションでブツブツとダルくラップするように進行し、そこからまたサビの美しいメロディに帰結する辺りは非常に良く形作られた構成だと思う。

 

能面の顔で書き足すコメント

匿名の名の下で満たす邪念

小便と脂を炒めるスメル

放免と開き直り喚く真似

まるで 股関節が外れてしまった時代は

飢えに飢えり 射干玉の逃避行

(「飢えに飢えり」の箇所はどう聞いても「トゥウェンティー・トゥウェンティー」って歌ってるように聞こえる)

 

 もっとロマンチックに作り通すこともできたであろうに、どうして演奏と曲構成と歌詞でこんなにグロテスクにしてしまうんだろう、とも思うけど、そのスタンスこそが本作を彼らの異端の傑作に押し上げている要素だと思うので、そういう意味では『ねずみ浄土』と並んでこの曲がそういうことに一番成功しているのかな、とも思う。

 

6. 阿

 「1曲くらいは勢いのあるセッション曲を作って入れておくか」という意思のもと作られた、まさに勢いのあるセッション曲といった感じの、ある意味それ以上でも以下でも無いような楽曲。タイトルは「阿る(おもねる)」の意味で、歌詞はやはり和の要素をどこか引きずった、かつ他のアルバムでも「あっこの曲ライブツアーで映えるタイプの皮肉っぽい感じの曲だな」っていう具合に存在しているノリの楽曲。

 セッション曲ということで、ゴリゴリと低いところで反復してうねり続ける、それこそRadiohead『National Anthem』みたいなベースラインが楽曲を引っ張ってる。そこにめいいっぱい不思議キーボードを入れて、ギターと歌。展開のさせ方もロック的なバリっとした分かりやすい切り替え方で、間奏でのギターの掛け合い具合といい、ライブで映えるなー(音源で聴くとアクセント程度かな)という具合の存在感になってる。

 セッション系の曲はやっぱりアルバム『BABEL, BABEL』でひたすらやり尽くした感があって、その後の楽曲でその時期のを超えて驚かせてくるような楽曲はなかなか現れてない、という気がする。この曲と次の曲は、良くも悪くもアルバム中で最も「いつものバイン」を味わえる箇所だと思う。

 

7. さみだれ

 あの『風待ち』を書いたのと同じ作曲者だなあ、というのを存分に感じられる、今作きっての「普通にいい歌」テイストの亀井曲バラッド。そんな曲でもロクなイントロなしにいきなり歌から始まるのが今作風ではあるけれど、どの曲よりも妙な翳りの無い、素直に伸びやかなメロディが、それを尊重したと思われる余計な変なサウンドを排した素直なバンドサウンドと歌で彩られる。まさに亀井節のグッドソング。流石にこういう曲が1曲も無いと不安になるので、この辺の位置にあるのはいい塩梅か。それとも退屈に思う人もいるだろうか。

 少しねばっとしたコードストロークの感じも、リードギターがフレーズを弾くときの最初ブラッシングで入る感じも、実は案外最初期から変わらない、 GRAPEVINE式のギターロックのスタイル。この曲ならではの事柄としては、サビ的なメロディの後にさらに大サビ的なメロディが被さっていくところ。サビの伸びやかさに程よい焦燥感を与え、またその焦燥感の展開がそれ以外のパートの朗らかさを逆に浮かび上がらせる。効果的で的確な曲展開に、流石にこういう曲をもうどのくらいの年月作ってきたというのか、というベテランの凄みを地味に感じさせる。飽きるとかでもなく、今回もお美事、という具合の哀愁があって、やっぱりこういうの好きだなってなる。

 

8. josh

 いかにもなシンセのチープな電子音がリズムと並走し、リズムもクラップの音が入るヘンテコな実験をしてる田中曲。ダンス系の曲、ということになるのか…?

 シンプルそうなコード感からは意外なくらいに晦渋で掴みどころの無いメロディをしていて、まさに田中曲、という感じ。間奏の後のミドルエイトのメロディはハッとするようなロマンチックな感じもするけれども、それ以外のメロディは本当に「?」って感じがして、やっぱり作曲者のメロディの根っこがかなりR&B寄りだからこうなるのかな、それを無理矢理ロックでやるもんだからこういうシュールな感じになるのかな、とか思った。

 終盤にはいかにも80年代的な実にペナペナなシンセなんかも入ってきて*8、悪ノリじみた感じがユニーク。どちらかというと『BABEL, BABEL』にセッション曲として入ってそうなノリなのかも。

 歌詞の自由さはいよいよ、という感じで、どうしてこんな断片的なイメージを散らしたロマンスが書けるのか、とも、適当に歌詞を埋めてないか…?とも思えて実に惑わされる。正直本作、前半に比べると後半が少々弱いかな、とも思ったりはする。

 

9. リヴァイアサン

 冒頭のオーソドックスに快活に掻き鳴らされるクランチギターで「おっようやくこういう爽やか曲来たか」と思わせといて、実際始まってみると肩透かし気味なくらいに色々とハズしてくる亀井曲。このアルバムだとこういうタイプの曲もここまで捻くれさせられるのか〜、とか最初聴いたときは思って笑ってしまった。

 冒頭の爽やかなギターストロークの後に来るのは、2小節爽やかに演奏したらその後1小節分ダーティーな演奏に続く、という不規則的な展開。その悪意の溢れそうなぎこちなさのままAメロを駆け抜け、本作に珍しい純然たるBメロを経て、満を辞して展開されるサビのなんと抜けの悪いこと。同じ音で言葉数多く畳み掛ける系のサビなおかげで、爽快感みたいなのはあまりなく、どっちかというと彼らのThe Rolling Stones式の楽曲に見られる*9ゴツゴツしたメロディ構造を取ってくる。爽やかイントロ詐欺だ〜って思って笑ってしまった。

 そもそも”リヴァイアサン”なんて物騒な語をタイトルにした曲が爽やかなわけないのか、とも。何言ってんだおめえ…?的な自由さに満ちた歌詞の中で突如若者にハッパかけてくる辺りは田中和将のおじさん面が出てきている。『スレドニ・ヴァシュター』とかと似たようなそれというか。

 

10. 最期にして至上の時

 中上健次みたいな曲タイトルでもって始まるのは、まどろみのような雰囲気から煙るバーのような具合に変異していく、混濁しきったAOR、といった風情の楽曲。田中曲。

 ピアノに導かれたイントロと序盤はそういう曲か、と思うけども、リズムが入るといきなりトラップ的なハットが入ってきたり、拍の取り方が3拍子気味だけど普通に8分だったり、メロディの途中でサビに接続したり、相変わらず晦渋なメロディの中に淡いロマンを滲ませてくるしで、今作の田中曲らしいひねくり倒し方が最後にまた吹き出してくる。よく聴くとサビ以降に出てくるリズムギターはひたすらチューニングがおかしいんじゃないの?って具合のモジュレーションが掛けられ続けていて、ピアノとベースがジャジーな優雅さを取り繕ってもひたすら変な音を発し続ける。最後のAメロではリードギターの方もずっとノイジーなプレイをしていて、このバンドだからこそのトリッキーで空中分解寸前なアンサンブルを見せる。

 突如ブレイクしてムーディーな長音で終わるのか、と思ったら、珍妙なヴィブラスラップサウンドから一気に間奏が噴出して、その音圧感が増した状態で最後のサビを駆け抜けていく。オルタナティブAOR、というジャンルがあったらこんな感じなのかな、というその奇妙に優雅な騒がしさに、このバンドの不思議なポテンシャルの吹き出し方を感じ取れる。

 それにしてもこの曲の、小説の一幕みたいな歌詞はなんなんだろう。ここまでの様々なベクトルの言葉が入ってきてる感じと違って、ストレートに晦渋な世界観を作り出している。カタカナ言葉がひとつもないもの。

 

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おわりに

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 以上全10曲、43分のアルバムでした。

 これが彼らの最高傑作、と言い切ってしまうつもりはないし、Wilco的なカントリーロックからすっかり離れてしまったのは彼らのそっちの側面が好きだった自分からしたら寂しいし、強烈な前半と比べると後半が弱い気もするけども、それでも本作が彼らの数ある作品の中でもとりわけキャラの立った、異色さに満ちたスリリングな作品だということには異論はありません。

 どうしてここまで爽やかさとかを脇にやってダークで悍ましげな音像に向かったのか、これからは今作みたいなサウンドが標準となっていくのか、等は全然分かりません(後者はそうはならないんじゃないかな、とか思います)けども、時々思ってた「このバンドの持ってるポテンシャルって、バランスとか無視して凄まじい形で発揮したらどんな風になるんだろ」ということを、相当のレベルでやってくれた作品だと思いました。似たようなことを『BABEL, BABEL』の時にも思いましたけど、変化の凄さと徹底具合でなら本作の方が凄いのかな、とは思います。

 そしてそんな変化が、田中曲中心のラインナップによって引き起こされたということが、今後彼らが作品を作っていく上でどう影響していくんだろう、ということを思いました。よく考えると今作に収録された5曲の田中曲はどれも変で、”王道のバイン節”から遠い感じがして、これからはそういう変なのを中心に据えるのか、エクストリームな道を歩んでいくのか、もうカントリーロックはやらないのか、等々、期待と不安とが筆者の中でも様々に渦巻くところで、このバンドが多くの音楽性とそのどれにも絶妙な魅力とを持ち合わせていることを思い出させてくれます。

 ひとまずは、ライブのチケットを取ったので、これらの楽曲がライブではどんな感じになるのかも楽しみにしていようと思います。いやそれでも、今作の密室的な感じは録音物だからこその魅力な感じもします。もっと言えば、ライブで『ねずみ浄土』はどうやってコーラスワーク再現すんの?っていうか

 

 ちなみに、今回こうやってアルバムレビューを書いたので、なんとなく、昔書いた簡単なバインの各アルバム短評等の記事も、書いてなかった『ALL THE LIGHT』や今回のアルバムを加筆しておきました。興味ある方はこちらもどうぞ。この記事、もっとしっかり書いておけばよかった。

ystmokzk.hatenablog.jp

*1:本人たちはインタビューではそういう様子をおくびにも出さないけども。

*2:作曲者自身は前作『ALL THE LIGHT』から引き続き2作連続ボーカルから始まるのは如何かと思って反対したらしいけども。

*3:今作のレコーディングを先導したキーボードの高野勲による発案とのこと。

*4:なんとなく、このタイトルは水俣病を描いた西牟礼道子『苦海浄土』からの影響だろうか、と思ったりする。土井玄臣氏も楽曲で取り上げてる小説。まだ読んだことないけども。。

*5:そもそも、青森県の昔話として『ねずみ浄土』というものが存在しているらしく、ネットで読むことも可能。これもまた、読み取り方次第では示唆的な内容になっていると言える。最後に欲をかいた結果のオチが、なんとも言えない。

*6:車と思ったら浴槽に切り替わっていくところといい、実に不条理なイラストになっている。

*7:この彼らに限らずしばしば引用元として語られる”Radiohead的なアブストラクトさ”というものが、よくよく考えると実際はRadioheadにおいても『OK Computer』に時折見られる程度、その後はたまにしか顔を出さない要素であることは注意を要する。

*8:歌詞でネタバラシしてるけどこれはPrince『When Doves Cry』を意識したもののよう。

*9:『R&Rニアラズ』とか。