この画像は、Googleの画像検索で「Wall of Sound」と検索すると上位に出てくる画像で、これがなにかと言うと、アメリカの有名バンドGreatful Deadが1973年くらいに作ったライブ用の音響設備”Wall of Sound”なのだそうです。楽曲の表現手法としてのWall of Soundとは全然関係ないもののようです。ややこしい。でも多分「音の壁」って語を予備知識なしに聴くとこういう沢山のスピーカーから出力される轟音のこととかを思い浮かべるだろうな、と思いもするので、こういう”誤解”は全然起きるだろうし、何が正解とか別に無いのかもしれないしなあ…などとふにゃふにゃしたことを考えてしまいます。
長かったウォール・オブ・サウンドの記事、今回で最後になります。3章仕立ての第3章目のテーマは、第1弾の”原義”Phil Spector作品にも、第2章のナイアガラ・サウンドにも当てはまらない、「その他」のウォール・オブ・サウンド楽曲、です。
とはいえ、幾らかの系統だてた話ができればと思っています。
なお、記事の最後には、この3回分の記事で取り上げた楽曲を極力収録したプレイリストも掲載します。
- 第3章:”その他”のウォール・オブ・サウンド
- 3-1:Brian Wilsonの”ウォール・オブ・サウンド”
- 3-2:ノイズと”ウォール・オブ・サウンド”(ジザメリが悪い)
- 3-3:その他のウォール・オブ・サウンド
- 1. The Sun Ain't Gonna Shine Anymore / The Walker Brothers
- 2. Metal Guru / T. Rex
- 3. See My Baby Jive / Wizzard
- 4. Born To Run / Bruce Springsteen
- 5. Heroes / David Bowie
- 6. YOU MAY DREAM / シーナ&ロケッツ
- 7. ドゥー・ユー・リメンバー・ミー / 岡崎友紀
- 8. Don't Answer Me / The Alan Persons Project
- 9. Lorelei / Cocteau Twins
- 10. Well I Wonder / The Smiths
- 11. I'll Be There For You / Primal Scream
- 12. Sonnet / The Verve
- 13. Stop Your Crying / Spiritualized
- 14. (It's Only)R'n R Workshop / くるり
- 15. You Are the Generation That… / Johnny Boy
- 16. Daddy's Gone / Glasvegas
- 17. Tension / Vivian Girls
- 18. Ghost Mouth / Girls
- 19. 花火 / サニーデイ・サービス
- 20. Gold City / Iceage
- 前・中・後まとめての終わりに
第3章:”その他”のウォール・オブ・サウンド
3-1:Brian Wilsonの”ウォール・オブ・サウンド”
The Beach Boysのリーダーbrian Wilsonは大のPhil Spectorファンで、『Be My Baby』に同時代的に物凄い衝撃を受けた人物の一人で、その自分のバンドでの再現から始まり、次第にウォール・オブ・サウンドという概念をサイケ以降の時代に沿った、実にロマンチックでセンチメンタルな方面に発展させていくことになります。ウォール・オブ・サウンドにおいてはPhil Spectorの次に大事な人物だろうと思われます*1。
1. Kiss Me Baby
(1965年 Album『Today!』)
Brian WilsonがPhil Spectorの影響を自作に反映させ始めるのはとりわけ1964年頃からの話。バンドである彼らは当初大人数での録音を標榜していなかったが、代わりに彼らにはメンバー5人中5人ともコーラスができるという、ただコーラスグループ的側面だけ見ても類まれな武器があった。代表曲のひとつ『Don't Worry Baby』は彼が自身のバンドの装備と武器でWall of Soundを志向した最初の完成品。だけど、1964年12月に精神が崩壊してライブ活動から離脱して以降、彼のWall of Soundはバンドのくびきからも次第に解放され、Phil Spectorからの燃料でよりセンチメンタルでイマジナリーな”音の壁”を構築していく。
そのトライアルの最初の大傑作はこの曲だと思う。段々とバンド離れしていく伴奏もそうだけど、ここではメンバーによるコーラスワークのみで、どんなバンドも獲得したことのなかった豊穣なオーケストラを獲得してしまっている。サビのタイトルコールの箇所の、何層にも渡ってタイトルフレーズが響いてくる光景は、彼らだけがなし得る類の音響を完全に”発明”してしまった。リバーブ感のある楽器の感傷的な響き方との対比で、声の洪水とでも言いたくなるような渦巻く世界観の、この方法でしか現出しようのない、ゴージャスさとはまた違った多幸感の感じ。特に低音コーラスが実に効いてる。
なお、Phil Spectorといえばモノラルのモコモコしたサウンドによる”音の壁”で、おそらくBrianもそれを想定して『Today!』以降の作品をずっとモノラルで作っていくけれども、かなりの時代を経て製作されたこれら作品のステレオバージョンの完成度の高さには驚く。The BeatlesやThe Rolling Stonesとかの1960年代バンドのステレオのようなドラムが右か左に振られた極端さは無く、かつ幾つものボーカルトラックや楽器を実に立体的にかつ違和感なく配置し*2、クリアでかつドリーミーさのより深まった音像を見事に構築している。CDでもサブスクでも十分に彼らのステレオ音源が普及した今、聴くならステレオ版だと思う。
2. Then I Kissed Her
(1965年 Album『Summer Days』)
まさにPhil SpectorワークスのひとつであるThe Crystalsの『Then He Kissed Me』をカバーしたもの。ある日BrianがPhilに直接『Be My Baby』は最高ですね!って伝えたら「でも『Then He Kissed Me』の方がいいと思うけど」という返事が返ってきたらしく、それが原因かともかく、このようにBrianによるPhil Spectorソングの完璧なカバーバージョンが存在するのはとても貴重なこと。
同じ楽曲で、特徴的なカスタネットの鳴らし方も原曲と共通するところ。大きく異なるのは、原曲ではモコモコした音像の中から声とストリングスが浮かび上がってくるのに対して、こちらでは多用されたキーボード類による奥行き自体が強調されて聞こえるところ。これは『Pet Sounds』や『Smile』に象徴される典型的なBrian Wilsonサウンドで、この曖昧で少しセンチメンタルな感じのする音響構造が、1990年代以降のバンドに模倣されるポイントになったりもした。ただキーボードでコードを連打してるだけなのに、どうしてこういう奥行きのある響きになるんだろう。ミドルエイト部分の原曲だと印象的にストリングスが響く箇所もオルガンに置き換わっていて、そして歯切れの良いボーカルが原曲と異なる爽やかな響き方をしていく。
3. Wouldn't It Be Nice
(1966年 Album『Pet Sounds』)
Brian Wilson式Wall of Soundの完成は、Phil Spector顔負けのスタジオミュージシャン大量使用・同時に大人数での録音スタイルでもってその独特の音響感覚を透徹した名盤『Pet Sounds』にてその完成をみた。これもステレオで聴くと、その驚異的な音響の感じが実に分かりやすく、でもここまでモノラルを超えた凄さがあると、これは録音したBrian Wilsonが凄いのか、このように素晴らしいステレオリミックスを作ったMark Linettの功績なのか、段々よく分からなくなってくる…素材を作ったのは間違いなくBrianなんだけども。
アルバムの冒頭を飾り、割と内気な作風のアルバムの中でも最も開放的なポップさがあるこの曲で、もはや彼はPhil Spector式のポップソングから遠く離れたところで、パズルのようなWall of Soundをすっかり完成させてしまっている。どの楽器もコーラスも、実に甘美な感傷の感じの乗ったリバーブを得て、それらの奥行きに豊かな”永遠”の感じをもたらしてる。陽気なシャッフルのリズムをオンにしてキャッチーに振る舞ったり、リズムを抜いてセンチメンタルな雰囲気に移行したりして、この往復の強力さで名作のイントロとしての役割を完遂してる。
そしてその裏で、イントロから歌で全然違うコードに転調するだとか、ひたすらルート音を回避し続けるベースだとかの、へーっそう言うのでこんな不思議さが生まれてるのか、ってなる仕掛けが蠢いている。いるけれど、そういったのが頭でっかちな感じにならず、実に自然にポップソングとして落とし込まれていることは重要。その構造こそを聴くような楽曲になってしまうと、もはやティーンエイジ・シンフォニーとしてのウォール・オブ・サウンドの線を逸脱してしまうものな。
3-2:ノイズと”ウォール・オブ・サウンド”(ジザメリが悪い)
この項目は厄介です。おそらく今日「音の壁」という単語が歪ませた大音量のギターによる轟音サウンドに向けられがちなのは、この系譜の存在のせいと思われます。つまり”原義”や”ナイアガラ”の方のファンからは「邪道」と言われそうな系譜とも言える訳です。
ややこしいのが、どうもこの系統の祖であるバンドはでも割と本当にPhil Spectorの感じを目指していたような節があることです。見ていきましょう。
1. Just Like Honey / The Jesus and Mary Chain
(1985年 Album『Phycho Candy』)
殆ど反則に近いような、奇跡の1曲。絶対にPhil SpectorやBrian Wilsonや大瀧詠一のような複雑でプロフェッショナルなレコーディングの方法をしていないのに、非常にオーソドックスなバンドの楽器だけが、しかもかなり雑然とした鳴り方で並んでいるだけなのに、なのに上記のアーティストの美しい楽曲と同様の美しさをなぜだか得てしまった、1980年代最大のティーンエイジ・シンフォニーな楽曲。
ザラザラしたギターは実に思い切った歪ませられ方で、普通であればこんな歪ませ方は失敗で、採用されないと思う。ボーカルも、ボソボソとしていて、とても美しい声、みたいな具合ではない。ベースも音色は凡庸で、ドラムに至ってはえらくひしゃげたスネアの音が、キックもドラムも強引にリバーブ掛けられてる。淡々としか起動しないこのドラムは後にPrimal Screamを立ち上げるBobby Gillespieによる。よりによって楽曲の大部分で『Be My Baby』のリズムパターンを借用してるため、こんなドシャメシャな音でありながらも、自分たちは明確にPhil Spectorを意識している、という宣言をしている。スコットランドのヤンキー4人が。非常に雑な形で。彼らの初期の楽曲は、ギターノイズを重ねまくり振り撒きまくりで発生する”音の壁”という、原義から離れた”ウォール・オブ・サウンド”の誕生の場面でもある。
なのに、これは本当に”ウォール・オブ・サウンドのジャンク的インディーロック的解釈”としてまさにど真ん中で、そして実に美しい音響をしてる。メロディがいいのか、ザラザラと反響するギターサウンドがいいのか、雑に『Be My Baby』しているところから実に効果的に8ビートに切り替わるドラムがいいのか、それらを雑なようで的確に包み込むエコーの具合がいいのか。幾らでも簡単に真似できそうな要素ばかりが並んでいて、実際後進から幾らでもオマージュされたりパクられたりしてるのに、でもこの曲の不思議なオンリーワン具合は保たれ続けてる。
彼らがこういうジャンクなサウンドでPhil Spectorを模倣したことにはもうひとつ大きな意味があって、やっぱりPhil Spectorのポップソングはロックンロールなんだ、ということを、もしかしたら実際にプロデュースされたRamones以上に、この時期の彼らの曲が意味付けてしまった感じがある。共通点である”だらしなく甘い”という要素が、もしかしたらロックンロールの重大な構成要素のひとつなんじゃないか、ということを、この曲に照射されたPhil Spectorポップスが物語る。どうなんでしょうね。
参考までに弊ブログ記事を貼っておきます。
2. When You Sleep / My Bloody Valentine
(1991年 Album『Loveless』)
ジザメリから派生してくるシューゲイザーというジャンルは、ジャンル自体が轟音サウンドとしての”音の壁”が発生しやすいこともあって、逆にそっちから入った人が原義であるPhil Spector作品を聴いて「何これ…?全然壁っぽさないやん」ってなる大きな原因のひとつになってると思われる。
そしてシューゲイザーのイメージ、シューゲイザー的音の壁を完成させたマイブラことMy Bloody Valentineの『Loveless』は、さまざまな場所でそのサウンドを「ウォール・オブ・サウンド」と言われてしまうことで、上記の誤解を永続的に深めていってしまう。まあ、言葉だけ取り出して考えると、あのアルバムのサウンドが「音の壁」って呼ばれることには納得しかないものだし。あと、Kevin Shieldsは一応Phil Spectorにも言及したことがあるから、”原義”のウォール・オブ・サウンドをある程度分かった上で自分たちの楽曲が同じように呼ばれてるのを見知ってるんだろう。どんな気持ちだろう。
彼らの楽曲でジザメリほど露骨にPhil Spectorマナーした楽曲はないけれど、この曲あたりはオールディーズポップス的なメロディと、どこか性急さを感じさせるフレージングやドラム配置になっていて、割とSpectorしてると思う。そうかな?
こっちの記事で色々書いてるので、これ以上は特に話すことないです。
3. That Great Love Sound / The Ravonettes
(2003年 Album『Chain Gang of Love』)
シューゲイザーの中の「男女の感じ」や「雑然としながらロマンチックな感じ」だけを確信犯的に抜き出してプレイしていたのがThe Ravonettesの初期。男女二人のユニットでピンポイントなコンセプトをアルバム1枚やり尽くすそのスタイルは、ニッチでイージーでポップな、インディロックの洗練が進んでいくゼロ年代のロック史の先取り的な感じがあって、2010年前後にUSインディに多くいた多くのサーフロックバンドの先駆け的にも感じる。彼らはデンマークだけども。
一方で、The Ronettesを露骨に意識したバンド名からも分かるとおり、彼らは明確にPhil Spectorフリークであることを前面に出してきていて、これもまたより端的に過去のサウンドやスタイルを標榜するゼロ年代以降インディロックっぽさを感じる。その上でサウンドはよりジャンクにジザメリしてる感じで、初期の彼らほど”確信犯的”って思えるグループもなかなか無いなって思う。
アルバム『Chain Gang of Love』の曲はどれもが彼らのPhil Spectorに対する実に意図的にいびつなオマージュに溢れまくっていて、そしてそれはやはり逆に、ジャンクでイージーでポップなロックンロールとしてのPhil Spectorポップスへのイメージを高めていく。こういう自身の良くも悪くも雑に神格化された”消費”のされ方について、当の本人はどう思ってたんだろう、とも思うけど、そういえばあのアルバムと同じ年に彼は人を殺して捕まってるのか。冗談みたいな、酷い話。
3-3:その他のウォール・オブ・サウンド
今までのカテゴライズで拾われていない楽曲を以下見ていきます。なんか色々、って感じです。ちゃんと本家の録音方法に準じてるものや、ピンポイント的にPhil Spectorの楽曲のクリシェを援用してるだけのもの、Phil Spectorのフォロワーとしてここまで紹介したもののフォロワーみたいなものまで。
1. The Sun Ain't Gonna Shine Anymore / The Walker Brothers
(1966年)
アメリカ出身ながらイギリスに活動拠点を移して以降ヒットしたという彼らの経歴には、プロデューサーJohnny Franzの存在が関係する。このプロデューサーは他にDusty
Springfieldなどもプロデュースしていて、1960年代UKポップス界のキーマン、といった感じ。彼はアメリカンポップスの要素を上手に掬い取り作品に取り入れるのに長けている印象。
日本でも『太陽はもう輝かない』という邦題でヒットしたらしいこの曲は、同時代的にPhil Spectorのウォール・オブ・サウンドに挑戦して成功を収めた代表曲ともされている。確かに、『Be My Baby』式のリズムに多用されるパーカッションはそれらしく、そしてストリングスやコーラスを伴って壮大に広がっていくサビの感じは『You've Lost That Lovin' Feeling』みたいな感じがする。終盤でドラムのフィルインがやたら挿入されまくるところもスペクター式で、実にリスペクトの度合いが高い。
2. Metal Guru / T. Rex
(1972年 Album『The Slider』)
グラムロックをある意味で一番代表する、軽薄な享楽感を延々と繰り返す楽曲だけども、この享楽感はホーンやストリングスやコーラスで大層に彩られてて、それはかなりウォール・オブ・サウンドの構成要素と共通する。というか、スペクターポップスのアホっぽくも煌びやかなサビを延々とダラダラ繰り返してる、というのがこの曲の構造なんじゃないか、とも思ったりする。
と同時に、スペクターポップスの多幸感あふれる部分だけを抜き出して繰り返すだけだと、こんなにもダラダラグダグダして、ドラマチックさの欠片も無いような事態になるのかも、とも思った。この曲の徹底してドラマチックさに欠けた構成は実験的ですらありそこがまさに良さだけども、逆に普通にポップスになるにはやっぱり曲の展開って欲しくなるもんだなあ、と改めて気づかせられたりする。しかし、この曲がスペクターポップスのだらしなく甘美な側面を見事に掬い取った名曲のひとつであることには変わりない。
3. See My Baby Jive / Wizzard
(1973年)
大瀧詠一『君は天然色』の元ネタとしても知られるこの曲だけど、このリストの曲順に並べると思いのほか上で挙げたようなT. Rex式の華やかなグラムロックをもっとドラマチックにやろうとしたもののようにも聴こえてくる。曲が展開するときの、切なげなコードの響きとともにビートが頭打ちになるあたりの情緒のコントロール具合は絶妙で、それ以外の大味そうな雰囲気や派手目なドラムのキメの数々といい対比になっている。ツインドラム+オーケストラを伴ったバンド編成を、ここまでポップに活用するという例もなかなか無いものかも。これできっちりと全英No.1ヒットになってるというのもなんかいい話。
それにしても、録音の具合といい、いい意味で1973年の録音物という感じがしない。いや、1960年代ならこんなに楽器の分離は良く無いんだろうけど、それでもホーンの入り方もコーラスワークの具合も実に1960年代的な、実に的確なバブルガムさ加減。どことなく『Da Doo Ron Ron』の雰囲気があるのもそんないい意味でのバブルガムさに繋がってるのかも。これが大瀧詠一『君は天然色』に大きく繋がっていくのは前の記事でも触れたところ。
あと、Wizzardの中心人物はRoy Woodで、この名前がなんともRon Wood(Faces, The Rolling Stones他)だとかRonnie Lane(Small Faces, Faces他)だとかと似ててややこしい*3。この人は最初期のElectric Light Orchestraにも所属していたけれど、すぐに脱退してWizzardを組んだ、という経緯をしている。
4. Born To Run / Bruce Springsteen
(1975年 Album『Born To Run』)
Bruce Springsteenと佐野元春はやっぱなんか似てる印象を持ってる。どっちも対象は違いこそすれウォール・オブ・サウンドを志向し実践してるし、どっちも無骨なロックンロールのイメージと裏腹に出てくる音がポップス方面に洗練されてるという感じだし、間奏でホーンとかが鳴り響いたりするゴージャスなロックンロールの感じがちょっとダサく感じられたりとか。
この曲とか、”泥臭いロックンロール”の感じは全然しなくて、最初聴いた時は「?????」って感じだった。グロッケンとかがキラキラ鳴り響いて、だらしなさも少なめなキビキビした曲展開をして、きっちりと晴れやかな高揚感を示して、この人の真面目さみたいなものを感じれて、それは音的にはPhil Spector式ウォール・オブ・サウンドを援用しながらも、根本的な性質はPhil Spectorとは全然違うんだろうなあ、と思った。まあ、根本的な性質がPhil Spectorと同じ、ってされるの印象全然良く無い気がしないでも無いけど。イントロのフィルインからメインテーマに繋がるところの景色が開けるような感じには、この曲の名曲としてのポテンシャルが存分に感じられる。*4
5. Heroes / David Bowie
(1977年 Album『Heroes』)
英語版Wikipediaには"Wall of Sound"のタグがあって、そのリストのなかにこの曲も入ってて「えっ…?」ってなった。これは本人たちがそう志向したというよりは、この曲を聴いた音楽評論家の中に、これをウォール・オブ・サウンドと関連付けて論じるものがあった、ということのよう。
Robert Frippによる棚引くロングトーンのギターサウンドはむしろジザメリ・マイブラ側の「音の壁」的にも感じるけれども、でもこのエクストリーム寄りなギターサウンドやSEに包まれた、ゆったりとポップなフィーリングを持つロックンロールということで、確かにPhil Spectorと結び付けられないこともないギリギリの何かがあるようにも感じられる。
6. YOU MAY DREAM / シーナ&ロケッツ
(1979年 Album『真空パック』)
福岡出身の、いわゆる”めんたいロック”的な扱いをされるバンドの一角である彼らだけど、1979年にアルファレコードに移籍していて、このレーベルは当時のニューミュージック系のアーティストが数多く所属していて、とりわけ当時はイエロー・マジック・オーケストラが活躍していた頃。バンドのイメージからすると意外だけど、更にはそんなイエロー・マジック・オーケストラのメンバーからプロデュースを受けてたりするというのがもっと意外だった。こんなところにも絡んでくるのか…。というか鮎川誠はYMOの作品にもライブにも参加してて、今回調べててすごくびっくりした。
そして、彼らの代表曲のひとつ的に扱われるこの曲は、細野晴臣プロデュースで、「この曲はトラックを自分に作らせて欲しい」と言って、YMO的なテクノサウンドや、怪しい英語のささやきが挿入されたりなど、プレーンにポップな曲にいよいよYMO的な様々な加工がなされてる。
そして、何故かそこに挿入されるPhil Spector要素。『Be My Baby』のリズムに実にそれっぽいカスタネットの掛け合わせ。「一回やってみたかったんだよね」とか言いそうな細野さんの顔が浮かびつつ、何故、それを自身の作品ではなくこんなところで…?と、かなり激烈に謎な感じがして不思議で、つまりこれは、ロックンロールバンドの楽曲にテクノ要素とPhil Spectorサウンドが混ざった、何気に快曲なのでは。なんでこうなった?でも総合的にはきちんとポップで程よい手触りになってるのは良い。終盤の鳴きまくるギターサウンドが普通にテクノ的シンセと並走する様はなかなか不思議な光景で、ユニークだと思った。
7. ドゥー・ユー・リメンバー・ミー / 岡崎友紀
(1980年6月)
和製ウォール・オブ・サウンドの愛好家の間で名曲とされ続ける楽曲。作曲は加藤和彦。フォーククルセイダーズ〜サディスティック・ミカ・バンドとキャリアを重ねた後にソロに転向して、この時期の前後には”ヨーロッパ三部作”と呼ばれたアルバムをリリースし続け、欧風なゴシックさと美意識に貫かれた、かなりキザな音楽を作っていたけど、この曲ではそっちでできないポップスの要素を全開にしたのか、彼の楽曲でもとりわけストレートなポップスに仕上がっている*5。
それこそ『Be My Baby』のようなポップソングを目指して製作されたという、加藤和彦式のウォール・オブ・サウンド的な楽曲になっている。とはいえ、露骨にリズムやアレンジを借用してはいなくて、あくまで楽曲全体のイメージでそちらに寄せようとしている感じが独特。さっぱりしてキラキラした音像はPhil Spectorのそれとはかけ離れてるようにも感じるけど、ボーカルに掛けられたドリーミーな深めのエコーがそれっぽさを感じられ、さらにキビキビとポップに展開するメロディが、別にPhil Spector的なメロディでも何でもない気もするのに、なんか妙にそれっぽく感じられてしまって、不思議な感覚になる。というか、実に抜けのいいさっぱりしたメロディで、ずっとファンがいることも、度々カバーされたりしてることも何となく分かる名曲。
サブスクにはこの原曲はなかったので、最後に掲載するプレイリストには2001年リリースのキタキマユのカバーを入れておいた。こっちのプロデュースはOliginal Loveの田島貴男。ブリッジの部分のコーラスとシンセの重ね方は、今度は田島流のウォール・オブ・サウンドということなのかも。
あとどうでもいいけど、こうやって年代順で並べていくことで、79年細野、80年加藤ときて、81年に満を辞して大瀧詠一『A LONG VACATION』が出たのかー、とか持って回ったような偶然に想いを馳せたりした。
8. Don't Answer Me / The Alan Persons Project
(1984年 Album『Ammonia Avenue』)
The BeatlesやPink Floyd等のプロデューサーとして知られるAlan Personsが中心となった音楽プロジェクト出る彼らは、AORサウンドの典型的な例のひとつとしても知られる。この曲が収録されたアルバムでも全体的にAORのテイストが感じられるけれど、とりわけこの曲はPhil Spector〜Brian Wilsonのサウンドを経由したAORといった風情で、まるで大瀧詠一『A LONG VACATION』収録曲と辿ったコースは違うのに似た地点に達したかのような雰囲気が漂っている。
爽やかに開けるBREEZIN'な海の光景!みたいなイントロの爽やかさは1980年代式のリッチなサウンドだけど、定期的に鳴るカスタネットやティンパニの挿入が、分厚いコーラスで適宜エンチャントされる爽やかな歌メロをリゾート的な幻想性で包み込む。間奏ではサクソフォンが咽び泣き、いかにも落ち着き払ったゴージャスな感じは、ファンク的なAORとはまた違った、不自然なほどに不思議な”曇りのなさ”が感じられる。80年代のAORサウンドのあのツルッとしすぎたような音の感じって何なんだろうな。
9. Lorelei / Cocteau Twins
(1984年 Album『Treasure』)
Phil Spector楽曲とドリームポップを接続する言説はそこそこあるけれど、いまいちどう接続していいのか分からない。一応英語のWikipedia記事に、Cocteau Twinのメンバーもウォール・オブ・サウンドに影響を受けた旨をどこかで話しているらしいので、ひとまず一番ポップな感じのあるこの曲を入れてお茶を濁しているところ。今回のリストで最もウォール・オブ・サウンドから遠い曲か…?
でも、この曲の極寒の最果ての中のクリスマスみたいな雰囲気のポップさは、ギリギリまあ件のクリスマスアルバム的なムードがあるような気もしなくもない。そもそも、どういう要素があればウォール・オブ・サウンドだって言うんだ。ちゃんと大人数1発録りしないと認めないのであれば最早フォロワーの出てくる余地は無いし、逆に『Be My Baby』的なリズムがあればどんなに音が薄くてもウォール・オブ・サウンド、くらいまで基準を落としてもいいものか。今回の一連の記事を書いていけばいくほどどんどんこの辺の基準が訳分からなくなってきてどんどん自分は何を書いてるんだろう…と言う惨めな気持ちにもなるけども、でもこの曲の柔らかくも死ねそうな”音の壁”感は気持ちがいい。
10. Well I Wonder / The Smiths
(1985年 Album『Meat Is Murder』)
かつて「ギター1本でPhil Spectorを演奏するんだ」とかいうよく分からないことを言ってた人がいたんです。心構えとしては分かるけど流石に1本は厳しいですよね…ということをThe Smithsの1stとかを聴いてると思ったりする。The Smithsの少ない曲は、むしろスカスカのバンドサウンドでどう妙味を感じさせるか、みたいなところがあるから、ファットでモコモコしたウォール・オブ・サウンドと趣が根本的に違ってるような気もするけど、でも1stより後くらいからは各楽器のエコー具合により力が入ったりあと普通にダビングをよくするようになったりで、少し近づいていく。やっぱり1本でスペクターサウンドは厳しいですよ…。
で、しかしながらもっとはっきりとPhil SpectorしてるThe Smithsの楽曲無いかな…と探してて、それでこの曲が見つかった。使い方がちょっと違うかな…という気もするけど、一応この曲には『Be My Baby』のリズムが入ってるし、あとタンバリンの挿入の仕方もスペクターサウンドのカスタネットのような使い方だし、タイトルもどこかThe Ronettes『I Wonder』っぽい感じだし、サウンドもそこそこエコーでドリーミー。コードの感じは全然The Smithsって感じだけど、サウンドはこれが一番Phil Spectorっぽさが感じられるのかもしれない、と思ったところ。終盤で謎の水の流れる音なども入ってきて、不思議なエコー感が出てる。
11. I'll Be There For You / Primal Scream
(1994年 Album『Give Out But Don't Give Up』)
ここから3曲連続で、Phil Spector作品のうちでもDion『Born To Be With You』に影響を受けたと思しきUKロックの楽曲が続く。90年代のUKロック、所謂ブリットポップ的なもののうち特に大仰なものについては、意外とあのアルバムで示されたようないなたいカントリーロック+ウォール・オブ・サウンド的な装飾(特にストリングス)、のコンビネーションがサウンドのカギになってるのかもしれない。
この曲が入ってる彼らのアルバムは、自分はずっと長いこと「ストーンズが大好きでたまらないってのを煎じ詰めたアルバム」なんだとだけ思ってたけれど、ここにウォール・オブ・サウンドの視点が入ると、少し聴こえ方が変わるような、別にそうでもないかもしれないような…。
でも少なくとも、アルバム終盤のこの曲ともう一つの曲とのカントリーロックバラード2連続の流れには、ストーンズが時折やるバラードの模倣以上の成分が、もしかしたらDionのアルバムのウォール・オブ・サウンドから来てるのかも、と思うに十分な性質を宿している。特にこの曲では、華やかなホーン隊とコーラスのバックがしっとりとしつつも膨れ上がる音の塊のようなまとまり方をしていて、全部ストーンズ由来だと思ってたそれを別の角度から埋める要素があったことで、これらの聴こえ方がより面白くなった気がした。Dion式のウォール・オブ・サウンドをもしPhil Spectorが正常な精神でもって多くのアーティストに提供できていたら、歴史はどう変わってたんだろう、とそんなifを、この曲などを聴くと想えるかもしれない。
12. Sonnet / The Verve
(1997年 Album『Urban Hymns』)
やはりストーンズからのパクリ問題で1番の代表曲『Bitter Sweet Symphony』がモメたりした彼らのアルバム『Urban Hymns』は、一度解散して再結成した彼らが、元来のサイケデリックロックから、荘厳なストリングス隊を纏った英国歌謡曲的な方面に大きく転換することになった作品で、その後のボーカルRichard Ashcroftのソロもより歌謡曲的なところとなるけれど、これらの、歌謡曲にしてもどこか”予め旧く良い”感じの大元を考えるに、スペクターサウンド、特にゆったりしたリズムでそれをする、Dionの作品の影響が見えてくる。
いきなり冒頭その大ヒット曲から始まるアルバムの2局目に置かれたこの曲も十分に壮大なスケール感を持ったバラードになっており、その壮大さのサウンド上での中核となるのはストリングスとギターの絡み方だろう。ギターだけでもそれなりに成立しそうなものをさらにストリングスでコテコテ気味に荘厳さを付与する、という構図は、思えばThe Beatles『Let It Be』に通じるところがある。そういえばPhil Spectorの実際の活動はイギリスでは1970年代以降のストリングス振り掛けおじさんの側面が大きいのか、と改めて気付かされる。そして更に、Dion式のダウン・トゥ・アースでスウィートソウルなウォール・オブ・サウンドの形式がまた、この曲のオーケストレーションの見方を少し変えていく。
13. Stop Your Crying / Spiritualized
(2001年 Album『Let It Come Down』)
ここまでの3曲連続”いかにもな”UKロック歌謡の流れを見ていくと、そういった側面でスペクターサウンドが重視され、そしてその流れから満を辞してのStarsailorの2003年の作品におけるPhil Spector本人起用の流れだったんだなあ、ということが判る。割とこれは本当にそうかもしれないなと思ってる。
Spiritualizedの2001年のアルバムにおいては、製作者本人が具体的にPhil Spectorからの強い影響を宣言している。録音メンバーがやたらと多いクレジットを見るに、これは本当に大元のウォール・オブ・サウンド的な大人数1発録りを敢行したんだろうか。ゆったりとしたリズムの楽曲に添加されるそれはやはり70年代以降のスタイルで、そしてやはり、Dionのアルバムのスタイルがその模倣先の最たるものとしてあるように思える作りになっている。このゴスペルスタイルで静と動を繰り返す曲にはそのような特徴がとりわけ顕著に出ていて、ヴァースではボソボソと歌われてるのと同じメロディで、分厚いコーラス隊とストリングスを纏って吹き上がってくるのは緩急の付け方が強い。ウォール・オブ・サウンドに映画のエンディング的な壮大さを見出した向きの中でも一際その威風堂々としたスタイルを正攻法でゴリ押ししたような楽曲。
それにしても、90年代のイギリスのバンドってちょくちょくオーケストラをがっつり纏った大団円感ある楽曲やらを出してくる印象。Portisheadですらオーケストラを纏ったライブ盤を出すくらいだし。なんなんだろう。
14. (It's Only)R'n R Workshop / くるり
(2005年 Album『NIKKI』)
段々壮大になっていった感のある90年代のインディロックに対してゼロ年代に入ってより軽量化していく流れがあると思うけれど、そういったバンド群によるウォール・オブ・サウンドの参照の仕方についても同じことが言えそう。ストリングスを盛大に使った壮大でゴージャスな感じ、よりも、限られた人数での演奏で表現できる範囲のスペクターサウンドの気の利いた模倣、という方面。1970年代より1960年代。というかひたすら『Be My Baby』というか。
1960年代UKロックサウンドという旗印で製作されたくるりのアルバム『NIKKI』の最後に収められたこの曲もそういった潮流の中で理解できそう。リアルタイムで聴いた時はそう思わなかったけど、冒頭のリズムには薄くカスタネットも重ねられ、あからさまにスペクター。楽器数がシンプルで輪郭も分かりやすく、コーラスワークも含めて正直ウォール・オブ・サウンド的なモコモコ感には欠け、その辺は漠然と”1960年代”というテーマの中でパリッとしたUKロックとちゃんぽんになってるのかな、という具合。それでも全体的に薄めだけど掛けられたリヴァーブはウォール・オブ・サウンドの方を向いているし、ミドルエイト部でのアホな掛け合いコーラスは『Be My Baby』のリズムの使い回しの可能性を広げようという地味な欲望を感じさせるものだったことに今回ようやく気づいた次第。
15. You Are the Generation That… / Johnny Boy
(2006年 Album『Johnny Boy』)
『Be My Baby』オマージュ選手権なるものがあるなら、その大賞はこの曲にあげたいかもしれない。ゼロ年代中頃のイギリスに唐突に咲いてアルバム1枚を残して役割を完遂したかのように消えていった男女ユニットの、一際大きく咲いた”シニカルなままポップスをするということ”をやり切った、僅か3分ちょっとの大名曲。
冒頭の『Be My Baby』のリズムから、ノスタルジックな楽器を使いながらも同時に逆再生のエフェクトが入るところは”過剰で異質な”ノスタルジックさを巧妙に混入させ、そして楽曲のセクション分けが曖昧な曲展開やチェンバーポップ的な高揚感のあるセクションにどことなくArcade Fire以降の何かを感じさせ、そしてはっちゃけた”Yeah! Yeah!”の掛け声や”パッパー”のコーラスになんとも心地よい投げやりさとポップさの調和を見せる。特に終盤、原曲『Be My Baby』と異なり実にあっさりと終わってしまうところには、歌詞のこともあってか絶妙な侘しさと醒めた感じがある。まるで、1960年代の狂騒と多幸感のイメージとは遠く離れた自分たちの世代の感覚を注ぎ込んだようなあっさりとして醒め切った具合。今日び男女2人組ユニットなんて醒め切ってないとやらないよ、っていうか*6。
凄く長い楽曲タイトルとしても有名で、正式名称は『You Are the Generation That Bought More Shoes and You Get What You Deserve』。これはこの曲のコーラス部の歌詞の一節で、「きみはより多く靴を買わされてる世代で、相応に受け取るべきものを手に入れるるんだ」という、楽曲の華やかさに著しく反する、行き過ぎた資本主義・消費社会に対する警鐘のような楽曲になっている。そんなものをこんな当代の手法をフルに用いたレトロスペクティブな華やかさでもって表現し切ったこの曲の素晴らしさの段階で、このユニットはある程度の目標を達成してしまったんだろうと思う。
それにしても、映画『MEAN STREET』に影響されたユニット名・ビジュアル等、本当にここまでコンセプチュアルにやり切った感じの”一発屋”は案外そんなにいないのかもしれない。唯一のアルバム冒頭がこの曲で、その後も色々と面白くて、今回の一連の企画をやった中でもなかなかの拾い物でした。アルバムの他の曲を聴くに、この人たち、「イギリスのPizzicato Five」みたいな感じが今思えばするなって気づいた。
こちらのブログが彼らのアルバムについて詳しく書かれてますので紹介させていただきます。
16. Daddy's Gone / Glasvegas
(2008年 Album『Glasvegas』)
なんかずっとUKのバンド・グループばっかりで、本当は他にももっと色々あるんだろうけど、どんだけイギリス人Phil Spector好きなの…みたいなラインナップになってしまってる。90年代の70年代志向とゼロ年代の60年代志向とではややレイヤーが違うものの。
オールディーズポップス的なメロディでいかにも90年代以降UKロック的な大袈裟でファットなスタジアム式ギターロックをする、という具合なグラスゴー出身の彼らもやはり、その楽曲センスの根底の一角にPhil Spectorを宿らせていて、その辺が最もよく出ているのはこの曲あたりか。まあやっぱり『Be My Baby』なんだけども、この曲においては、シューゲイザー以降的なギターのレイヤーを交えながらも、定型のリズムのうちスネアの部分をなかなか叩かないことで楽曲のエモーションをコントロールするという、このリズムの使い回しでも極北の豪快なストイックさを見せている。その溜め方は凄まじく、4分半の楽曲で、一回のブレイクを超えた後の3分34秒まで一切スネアを叩かず、そして3分35秒にて万感の思いで、エコーのがっつりかかったスネアを1発叩きつける、まさにここを楽曲中のテンションの頂点に持ってきている。矛盾する言葉のようだけど、これはやっぱり”豪快なストイックさ”だと言わざるを得ないと思う。そしてその後決して普通の8ビートにならず『Be My Baby』定型ビートで最後まで完奏する彼らのスタイルに、どうにも”漢”的な要素を感じてしまうかも。
17. Tension / Vivian Girls
(2009年 Album『Everything Goes Wrong』)
なんとなくだけど、いわゆるUSインディー界隈においてPhil Spector的なものが基本構成要素のひとつとして共有される
Vivian Girlsはこれらのバンド群の中でもとりわけ粗暴で、オリジナ
18. Ghost Mouth / Girls
(2009年 Album『Album』)
こちらもまたUSインディーBe My Babyしてる。Girlsって結局何だったんだろう。ほんのり甘くヘロヘロなUSインディーロックって感じで、音楽的に何か突き抜けてこれをやっているという風ではなくて、でも意外と器用に様々なサウンドをやってた。リアルタイムではあんまり熱中しなかったし、今もよく分かってるわけではない。
この曲は冒頭の『Be My Baby』のリズムから、幻想の”ひたすら甘い1960年代ポップス”をバンド形態でなぞるような甘くヘロヘロなメロディとキラキラしたギター、バタバタと転げ回るドラムが可愛らしい、うっとりしたノスタルジックさに塗れた楽曲。そう、思うのは、『Be My Baby』のリズムを”ドリーミーなもの”の呼び水的な活用の仕方をしてるんだな、ということ。”ドリーミーさ”に焦点を充てたリスペクトだから、音圧感のスカスカさとかモコモコした感じが存在しないこととかは別に大事なことじゃないんだな、ということ。思えばそれが、ゼロ年代的なPhil Spector受容の共通するポイントだったのかもしれない。というかみんな『Be My Baby』を”世界で最初のドリームポップ”くらいに捉えていたのかもしれない。
19. 花火 / サニーデイ・サービス
(2017年 Album『Popcorn Ballad』)
これは最初は、前回の「ナイアガラ式ウォール・オブ・サウンド」の方のリストに入ってましたが、とある事情でこっちに移したものだった。
前回の記事の最後に追記した文章で、「ナイアガラサウンドはロックンロールにならない」みたいなことを書いていて、それはあのラインナップならそう間違ったことでもないと今でも思っていて、逆にそう思い切って書けるあのラインナップにするためにこの曲を外した。そう、この曲はナイアガラサウンドでありながら余裕でロックンロールでもあるようなところのある楽曲だと思ってる。リアルタイムではそんなこと全然思わなかったけど、最近気づいた。何気にすげえ。
この、アブストラクトなアルバムの中でやたらとポップス然としていて浮いてるようにさえ思える曲が、どうしてロックンロールなのか。それは、サウンドと歌詞、ということになる。
サウンドについて。勿体ぶらずに言おう、この曲はナイアガラ・ミーツ・ジザメリなサウンドだったんだな。Aメロ等の伴奏を聴くとよく分かるけど、デタラメに歪んだノイジーなギターがレイヤーを作っていて、シューゲイザーと呼ぶにはノイジーでグチャグチャな雑音を密やかに奏でている。サビではピアノやカスタネットが入って一気にナイアガラな雰囲気になるから分かりにくいけど、基本的にメタクソに歪んだギターのコードカッティングがこの曲には入っている。それはまさに、ちょうど上述の『Just Like Honey』でジザメリがやったそのサウンドだ。そう思うと、やたらとエコーが掛かりすぎて原音を失いかけたスネアの音も、『Just Like Honey』的な音を狙ったもののような気がしてくる。
そして、執拗な『Be My Baby』のリズムがサビで軽やかな8ビートに変わるのは気持ちがいいし、終盤は8ビートと『Be My Baby』のキックを強引に混ぜ合わせたようなリズムを鳴らし始める。つまりこの曲は、Phil Spectorと大瀧詠一とThe Jesus and Mary Chainを一度に全部やった、大変欲張りな曲。サニーデイの雑食性の極みのような、しかしウォール・オブ・サウンドという同じベクトルを含む要素を集めて美しいメロディを載せたことで実にさりげなくやりおおせてしまった、曽我部恵一の周到な完全犯罪。素晴らしいと言わざるを得ない。
そして、その実は混沌としたサウンドが、歌詞にとって必然性があるように感じられるところもまた、この曲のヒロイックなロックンロールさを醸し出している。サビの訳の分からない、ピラミッドとか、スフィンクスと盗賊と踊る、とか、何を言ってるんだ…と思わせる歌詞の中に、実にどうしようもないサイケデリックな憂鬱が、さりげなくものすごく盛られている。
きみの中で白い花火が
ぱっと上がったのが見えたよ
ここはずっと 大停電のようにまっくら、
もうなれてしまったよ
わけのわからない とこにいるみたい…
遥か彼方の 戦場のダンスホール
もしもすべてが夢だとしても
踊り続ける ファラオにあわせて
ぼんやりと綴られる、何か永遠を思わせる喪失の感覚。今思うと、アルバム『Popcorn Ballad』はそんな曲ばっかりのアルバムだった。こういうのはタナトスに満ちたロマン、として純粋に受け取りたいけれど、でもこの曲が世に出た1年後に彼らのオリジナルメンバーの一人が亡くなってしまうことを思うと…。
少なくとも、優れたポップスのように擬態した中に、どうしようもない混沌が満ち満ちたこの曲は、やっぱり当時の曽我部恵一の精神が拉がれ倒した、渾身のロックンロールだったんだな、って、リリースから何年もたった最近ようやく腑に落ちてしまった。ナイアガラもこうすればロックンロールになるのか、という手法的な参考になるようにも思ったけれども、それ以上に当時の彼らのテンションが、この曲をもロックンロールにしてしまったのかなあとも思われて、この文章に何かはっきりした結論をつけられずにいる。
20. Gold City / Iceage
(2021年 Album『Seek Shelter』)
まさかPhil Spectorの話の最後の最後にIceageを取り上げることになるなんて夢にも思わなかった2021年皆さんどうお過ごしでしょうか。デンマークが生んだ21世紀屈指のハードコアバンドと呼ばれていたのも今は昔、前作くらいから一気にポップなメロディとロックンロール的なスタイルを身につけて、今年の新作は実に素晴らしい。詳しくは別の記事を書くときに取っておきたいけど本当に素晴らしい。
そんな彼らの素晴らしい楽曲のうち、中盤過ぎくらいに置かれたこの曲。前の曲が「彼らも本当に随分ハードコアから遠いとこまできたな…」って感じのバカラック風の陰気なポップスだったりで驚くけど、この曲ではまたロックンロールを取り返して、楽曲が展開するたびに言葉数多めにジリジリとテンションを上げていく様が実にヒロイックで、日本語版ライナーノーツでは天井潤之介氏は「Bruce Springsteenがシンガロングを誘うような」と評したけれど、この楽曲の最もテンションが上がりきる、ブレイクしてタイトルコールをぶち上げる箇所のリズムをよく聴くと、あっ『Be My Baby』のパターン…。
ほぼそれだけの理由で、このリストに入れてしまった感じでもある。けれども、ここで思うのはその『Be My Baby』のリズムの箇所における、スネアの部分に強烈にかけられたリヴァーブの強烈さ。このリズム自体に、どこかノスタルジックでドリーミーな作用があって、それを彼らはこのエアリーなスネアによって強烈に引用して見せたのだろうか。そしてそれが見事にこの曲のロマンチックさのブレイクスルーになっているんだから、その試みは見事に成功している。本当に、このビートの可能性ってまだまだまだ全然あるんだな…って驚かされる瞬間。
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前・中・後まとめての終わりに
以上、3回分の記事に無闇に膨張してしまったウォール・オブ・サウンド特集でした。元はひとつの記事にするつもりが本当に膨張した。
ウォール・オブ・サウンド(もしくはそのイメージ)の分類
1.ドリーミーなポップスの側面
この側面の代表がまさに『Be My Baby』な訳で、これは本当に手法を真似したBrian Wilsonや大瀧詠一から、ドリーミーなポップスとしての"記
2.リッチなR&Bトラック製作者
Ike & Tina TurnerとかThe Checkmate ltd…とかの楽曲が当てはまる側面。
正直、この点についてのフォロワーというのをあまり見たことがな
3.70年代のゴージャスなバラードのアレンジャー
90年代UKロックでこの側面が重視されたのはやはり『Let It Be』を産んだバンドの国だからか。そしてDion『Born To Be With You』というキーワ
4.ロックンローラー
この側面はRamonesのお陰なのか、それともジザメリ以降の
本当の最後
本当に結論らしい結論もなく、この記事を終えます。
割と真面目に、この2021年の時代に、本当にPhil Spectorがやったのと同じ方法でウォール・オブ・サウンドを作ることの意味があるのか、自分には全然分からない。正直、相当にアウト・オブ・デイトな音なんではないか。でも実際は今まで取り上げたように、様々に継承されたりイメージを引用されたりリズムパターンを執拗に引用されたり、といった形で彼の音楽は現代にもなんらかの形で”生き続けて”います。
コロナで死んだのは実に不思議な感じだけど、雰囲気的には正直2003年に殺人事件を起こした段階でもう死んでるようなところもあったし、その殺人事件や、それにつながるであろう彼の暴君的な振る舞いや数々の人権侵害・無法な行為は、音楽が素晴らしいとか功績があるから、といったことで許されるものでは到底ないことは、分かっておかないといけない。だけど、彼の殺人事件に至るようなひどい振る舞いによって、彼の音楽やそこから派生した音楽の素晴らしさが全て否定されるものでもないんじゃなかろうか、ということについて*8は、そうであってほしいな、と思いはします。
自分でもゲンナリするくらいよくわからなくなってしまったこの一連の記事を奇特にも読んでいただいた方、ありがとうございました。グダグダですが、何か参考になれる点が少しでも含まれていれば、すごく光栄です…。
最後の最後に、この3回に渡る記事で取り上げた楽曲を全て揃えたSpotifyのプレイリストを貼ってこの記事を終えます。53曲、3時間40分に渡る実に長尺のプレイリストですが、興味がある方は聴いてみてください。このブログで取り上げたとおりの順番で楽曲が並んでいます*9。
*1:日本だと前の記事で述べたように大瀧詠一がここに並ぶことと思われます。
*2:そもそも当時は録音機材が4トラックとか8トラックとかしか録音できない状況で、こんなにクリアに各声部や楽器を配置できない気がするけど、1990年代以降の現代技術によって上手いことマスターからそれぞれ切り分けたんだろうか。
*3:というか、Ron WoodとRonnie Lane両方が所属してたFacesの方が、バンド名的にも実にややこしい。
*4:あと余談ですけど、昆虫キッズの解散ライブツアーの時の冒頭SEで使われてたのが印象的だった。
*5:とはいえ、彼の膨大な提供曲を網羅して聴いているわけでは全然ないので悪しからず。調べたら膨大すぎて笑ってしまった。
*6:2006年という2021年からしてそこそこ昔のことを”今日び”などと言うこのブログの感覚大丈夫か…?
*7:個人的には、こういうのはBe
*8:ただ、近年あったRhyeについての、あまりに酷い性的暴力の有り様は、その酷さがサウンドやアートワークに文字通り直結していて、ちょっと聴く気にはならなくなって、またアメリカ大統領選で議事堂に突入して暴徒と化したトランプ支持者の中にAriel Pinkがいたことを受けてやはりゲンナリして聴く気が失せたこともあったりして、この辺の「作品と作り手の性格は切り離して考えるべき」というのにも限界があるようにも思えて、非常に難しいな…と思ってしまう。それこそPhil Spectorも、彼の音楽の象徴であるThe Ronettesのボーカルにした仕打ちは、リアルタイムでそれを知ったら、彼への興味が一気に色褪せるレベルのもののようにも思えて、実に、実に難しいな…と思った。
*9:というか、プレイリストに並べたとおりに書いたので、プレイリストがメモ帳を兼ねているような状況だった。