ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

"ウォール・オブ・サウンド"って何なんだろう:中編 〜ナイアガラ・サウンドって何なんだろう

 

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 ウォール・オブ・サウンドの記事、前回はその大元であるPhil Spectorの経歴と作品について見ていきました。

ystmokzk.hatenablog.jp

 この一連の記事は3章構成で、第1章が上記のPhil Spectorの話。これから第2章と第3章を書いていって「後半」の記事にするつもりでしたが、思いの外第2章が延々と長くなるので、また記事を分けることにしました…計画性が無さすぎる。

 第2章は、いわゆるナイアガラ・サウンドとも呼ばれるアレです。「また大瀧詠一で記事書くのか…」と思った方、ぼくもそう思いました…。

 

 

第2章:「日本での傍流」ナイアガラサウンド

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  Phil Spectorの生み出したWall of Soundを発展的に継承した主要な人物といえば、まず真っ先にThe Beach BoysBrian Wilsonがいて、彼は同時代の人物として実際にフィレスのレコードの録音にも参加したりして*1見て聞いて学び、すぐにそれを取り入れていきます。

 その辺のことは後述するとして、ここ日本ではBrianと並んで大瀧詠一というもう一人の重要な存在が浮かんできます。彼の洋楽二大ヒーローはElvis PresleyPhil Spectorで、特に感傷的な歌ものを得意とする(+世間が求めてくる)彼の場合、自身のサウンドの中でどのようにWall of Soundを実現するか、というのは長い間ずっと重要なテーマであり続けました。いま手元にある唯一の大瀧詠一に関する本『文藝別冊・大瀧詠一』においても、ロンバケ以前以後を問わず、またインタビュー・レビューを問わず、ウォール・オブ・サウンドPhil Spectorに関する言及が何度も何度も出てきます。

 そして、何度かのトライアルを経て完成した、アルバム『A LONG VACATION』中の幾つかの曲が、日本におけるウォール・オブ・サウンドの典型例、お手本のようになった、ということ。というか極限すれば君は天然色』が日本における最重要ウォール・オブ・サウンド曲だということ

 そして彼はナイアガラレーベルという枠組みを有し、ロンバケ以前・以後問わず他のアーティストやアイドル等の楽曲提供やプロデュースを行っていて、かつより強力に他のアーティストを巻き込むNIAGARA TRIANGLEというユニットを2回結成していたりで、日本におけるウォール・オブ・サウンドの一大勢力となっている訳です。ナイアガラと直接関わりがない後進のアーティストも、主に『君は天然色』に理想のサウンドを見出して模倣したりということが続いて、日本においてウォール・オブ・サウンド≒ナイアガラサウンド、のような図式が出来ていきます。

 今からそんなウォール・オブ・サウンドなナイアガラサウンドの楽曲をいくつか見ていきます。なお、以下の冗長な文章を読むよりも、以下のサイトを見て行った方が、より多くのナイアガラ式ウォール・オブ・サウンドも、そうじゃないウォール・オブ・サウンドも見つけることが出来ます。世の中には本当にすごい人が色々いらっしゃる…と見てて深く思いました。

plaza.rakuten.co.jp

あとこちらはナイアガラサウンドのフォロワーを沢山扱ったサイト。

www.alongvacation.com

以下の文章の多くはさしあたり、これらのサイトで見知った楽曲を聴いた感想文のようなものです。そんなもの書く必要性あるか…?元のサイト見りゃいいじゃん…とは心底思います。

 何にせよ、これから楽曲を見ていきます。なんか色々調べてたのを積み上げたら16曲にもなったんですけども。

 

A-side:〜1980年代

 今回あまりこうやってセクション分けする意味あんまり無い気がしますが、1980年代までというと大瀧詠一本人がアーティストとして作品をリリースしていた頃で、地震のリリースが途絶えてからも他アーティストへの楽曲提供とかが余熱的に続いていたこともあります。

 

1. 君は天然色 / 大瀧詠一

(1981年3月 Album『A LONG VACATION』)

 ナイアガラ・サウンドとは突き詰めればこの曲でしょ、という、大瀧式ウォール・オブ・サウンドの決定版にして永遠の名曲!

 流石に以下の記事で書けることは書き尽くしたので、もうここで付け加えることは殆ど無いです…。勘弁してください。

ystmokzk.hatenablog.jp

 ただ、この曲のどこまでも透き通るような溌剌としたサウンドの感じは、必ずしもPhil Spectorのそれのそのまま再現では無いということには注意が必要。そもそも元のPhil Spectorのはモノラルが中心で、大瀧詠一はステレオだという大きな違いがあり、そもそもスタジオの設備も規模も何もかも違う。どちらかといえば「大瀧詠一が色々手法を真似てレコーディングしてたら、本野よりもずっとクリアな別物だけどなんかいい感じにドリーミーになったサウンド」がナイアガラ式ウォール・オブ・サウンドだと思われる*2ので、共通する要素は数あれど、基本的には別物と思ってもいいかもしれない。前編でも紹介した記事での高橋健太郎さんの言及が端的だと思います。

kompass.cinra.net

 ただ、大滝さんの『LONG VACATION』『EACH TIME』に関しては、あまりオールディーズという印象はなくて。「シナソ(ソニー信濃町スタジオ)の音だなあ」と思いました(笑)。

(中略)

 だけど、シナソでゴールドスターのサウンドを再現しろと言われても、さっきも言いましたが作れるわけがない。逆に言えば、抜けの良いサウンドを作りたい保さん(※ロンバケのエンジニアを務めた吉田保)に、シナソでウォール・オブ・サウンドを作らせたという「矛盾」こそが、『LONG VACATION』や『EACH TIME』にしかないサウンドになっていると思うんですよね。

 

 そして、ナイアガラ影響下の日本のウォール・オブ・サウンドは全てこの、ゴールドスターのサウンドではなく、ソニー信濃町スタジオ式のウォール・オブ・サウンドになっている、ということに注意が必要。なので、原義とナイアガラ式と両者の間にも断絶があると理解しておけば「あれっ同じウォール・オブ・サウンドなのに全然感じが違う…」という混乱をせずに済みます。

 ただ、ナイアガラ式のウォール・オブ・サウンドは幾つかの要素を原義のものから執拗に引用し続けています。それはカスタネットの連打と、高速3連アルペジオの多用です。あと、1980年代っぽい夏のリゾートなイメージってこの曲と『君に、胸キュン。』で出来てるよなーとか思ったり。結局大瀧細野か。すごい人たちだ。

 …そういえば、大瀧詠一ってPhil Spectorより先に死んじゃったんだな。

 

2. 夢で逢えたら / 吉田美奈子

(1976年)

 少し時を巻き戻して、大瀧詠一のもう一つのひたすら継承され続けてる大名曲『夢で逢えたら』を。これは初出の吉田美奈子バージョン。この時期は本人的にはまだ自身の作るウォール・オブ・サウンド的技法に試行錯誤していた頃で、当時のインタビュー等の隙間からそのようなもどかしそうな具合が覗く。

 歌が始まる前からしてもう、あからさまにThe Ronettes『Be My Baby』のドラムパターンの借用から始まるこの曲は、その後のカスタネットの連打にも、後のナイアガラサウンドの先取りのような感じがある。一方で、フルートやハープシコード、ヴァイオリンのピチカート音の多様などは、むしろさらに後の渋谷系的な装飾で、本当に不思議な時代の跳躍が現れる。吉田美奈子の歌は、とりわけアウトロでのスキャットの存在感が強力で、翌年のナイアガラレーベルから出たシリア・ポール版ともそれを歌い直した大瀧版とも異なる感情的な情緒が、このアウトロだけで演出される。

 

3. SOMEDAY / 佐野元春

(1981年6月 ※同名アルバムは1982年5月)

 『A LONG VACATION』の録音光景を佐野元春が見学したことがあるらしく、感銘を受けたためか、初期作品は大瀧式ウォール・オブ・サウンド的な質感が多々出てくる。この彼のブレイク作も、制作に大瀧詠一は関わっていないらしいのに、色々とナイアガラ色が垣間見える作りになっている。分厚いストリングスやコーラスワーク、リバーブの感じなどにナイアガラ感。リバーブの感じは単に当時のソニー録音の音なのかもしれないけども。そして間奏の直前でやっぱりちょっと入ってくる『Be My Baby』のリズム。この後も、こういうパターンの楽曲ではこのリズム入れる定めなのか…?ってくらいよく出てきます。

 ところで、この曲のウォール・オブ・サウンドっぷりは大瀧詠一感もあるけど、同時にどことなくBruce Springsteen感もある*3。特にグロッケンの入れ方とか、あと少しポップスというには力強すぎる感じとか似てる気がする。

佐野元春 SOMEDAY - YouTube

 

4. 風立ちぬ / 松田聖子

(1981年10月 ※同名アルバムも同じ月にリリース)

 ここから猛然と大瀧詠一による「歌謡曲ナイアガラ・サウンド化計画」が進行していく。ナイアガラ・サウンド≒ウォール・オブ・サウンド、と考えるとつまりそれは「歌謡曲ウォール・オブ・サウンド化計画」とも捉えられる。

 自身の作品ではウォール・オブ・サウンド全開にはそんなにしなくても、他者のシングル曲についてはもうお決まりのようにナイアガラ式のウォール・オブ・サウンドのガジェットを駆使しまくる様子が、まずこの曲でよく理解できる。アイドル仕事だからこその、自身の曲以上にポップな方向への舵の切り方の徹底っぷりがイントロから吹き出してくる。そしていきなりサビの構成による強烈なキャッチーさに吹き飛ばされそうになる。カスタネットは乱打され続け、そしてストリングス共々徹底的にキメを連打しまくる。そしてこの曲のリズムはサビもAメロも『Be My Baby』のリズムを基調としているのだ。大瀧先生やりすぎです。あとこの曲のラスサビ前の上昇していくリズムのキメは世の他の楽曲でもよく挿入されるタグだけど、どこが初出なんだろう。

 驚くのは、これだけの楽曲をコード進行やオケを先に作って、歌メロは松田聖子が歌いにくるまで事前に知らされておらず、しかもそこから成り行きで変更を重ねまくる作曲方法。たまにオケ録音したのにそれに載せるメロディが浮かばずにボツになることすらあるという、オケ先メロ後という異様でかつ無茶な作曲方法は、その無茶さ自体もまた、無茶な録音方式であるウォール・オブ・サウンドというものを根源的に実現するための仕掛けなのかどうか。

 あと、この曲なぜか『A面で恋をして』や『恋するカレン』と一緒に後年の大瀧詠一トリビュートアルバム『CANDY ISLANDS 〜大瀧詠一作品集』にてウォール・オブ・サウンドの大元であるThe RonettesRonnie Spectorによって歌われている。凄いことのはずなのに、アレンジが全然違い過ぎて、うーん…?っていう出来になってる…。

 

5. 冬のリヴィエラ / 森進一

(1982年11月)

 遂に「演歌歌手」*4森進一を捕まえて、そういう方面にもナイアガラ・サウンド≒ウォール・オブ・サウンドを浸食させていく当時の大瀧=松本コンビの強烈さが見事に結実した楽曲。当時のコンビの「アメリカンポップスの翻案+トレンディ気味な歌詞」の要素と歌唱等でアクセント程度に効かされた演歌要素とが、ここでは見事に融合している*5

 ”演歌歌手”への提供曲ということからか、大瀧詠一に多い洋楽的なVerse-Bridge繰り返し的な構図から離れ、展開が多いことも特徴か。普通だったら最初のメロディが終わった後のⅠ→Ⅳm繰り返しのところ*6だけをサビにしそうだけど、そこからさらにどんどん展開していくのは、歌謡曲に寄せている感じ。それが本家大瀧詠一では味わえない類の良さにつながっている。演奏のオプションもカスタネットとストリングスを効果的に配置し、そしてAメロのリズムは『Be My Baby』からスネアを抜いた形。その後のブリッジ部ではやっぱり出てくる『Be My Baby』リズム。

 歌詞の乗り方的には英語詞の『夏のリヴィエラ』の方が自然な感じがするけど、しかし森進一の歌唱は、大瀧=松本曲にありがちな字足らず・字余りを余裕で超越して、このやや歪な言葉配置を完全に”この曲のクセ”として活かしきっている。彼の歌謡曲スキルが入り込むとここまで字余りがサマになるのか、と感嘆するし、そしてメロディの最も強い部分の半ばシャウトのような強烈な歌唱力に、問答無用でねじ伏せられる。

 それにしても、松本隆は一体どういう風にして「リヴィエラ*7」なんて単語を引っ張ってきてるんだろう。この曲以外で人生で使う気がしねー。

www.youtube.com

 

6. もう一度 / 竹内まりや

1984年4月)

 山下達郎編曲の楽曲で、彼はNIAGARA TRIANGLEの第1弾でも一緒だし、そもそもSUGAR BABE以来の付き合いで、大瀧詠一のレコーディングに参加した経験も多数、大瀧詠一が活動しなくなってからも自身のラジオ番組に引っ張り出して生存報告を兼ねたトークを繰り広げたりと、限りなく身内に近い人。大瀧詠一の死後出たベスト盤で冒頭にコメントするのは当然。

 竹内まりやは1981年に活動休止、1982年に山下達郎と結婚。休業中に彼女が書き溜めた楽曲を彼が編曲することで、1984年にシングルとアルバムをリリースし、そのシングル曲かつアルバム冒頭に置かれたこの曲は、ポップさに満ちたメロディと、そもそもThe Beach Boysフリークでかつ大瀧詠一の”身内”である彼の編曲センスが融合した、非常に晴れやかな1曲になっている。『冬のリヴィエラ』等でも聴ける「ダーンダーンダーン、ダーンダダダダン」みたいなリズムと、『風立ちぬ』等で聴けるサビ前の上昇するリズムなども取り入れたナイアガラ感と、大瀧作品以上にフル活用されるThe Beach Boys的に張り巡らされたコーラスワークとが非常に眩しい作品。

 なおそのアルバム『VARIETY』の2曲目が、昨今の世界的シティポップブームで突如膨大な再生回数を叩き出しているかの『プラスチック・ラブ』である。本当に何故か、ナイアガラ的作品は微妙に・絶妙にかのシティポップブームに乗ることがないのがなんか面白い。

 

7. 熱き心に / 小林旭

(1985年11月)

 大瀧詠一による「歌謡曲ウォール・オブ・サウンド化計画」の完成がこの、日本有数の俳優で歌謡曲歌手である小林旭*8への楽曲で成し遂げられた。何し遂げられたといって過言じゃないだろこんなの。大ファンであり彼の日本音楽史上の重要性等もインタビューで語っていたほどの大瀧によるこの楽曲で、彼は新たなヒット曲・代表曲を獲得し、ずっと大事に歌い続けてきた。大瀧は彼の4枚組CDボックスの監修も申し出たという。

 楽曲的には『冬のリヴィエラ』を更に発展させた、というか、より歌謡曲に寄せた感じか。こっちも冬の大地の話をしてる歌詞だし。歌詞は松本隆ではなく阿久悠だけど、何故か冬というテーマが『冬のリヴィエラ』と共通する。楽器のバリエーションもストリングスが主体となって、得意のカスタネットも要所要所で煌かせて、そしてそれ以上に、歌の圧倒的な太さが非常に印象に残る。やはり演歌的なこぶしを効かせるセクションも含めた展開の多い曲構成をしていて、そのこぶしの効かせ方や、昭和的な厳しさの響かせ方も『冬のリヴィエラ』以上に強力なものになっていて、少し『さらばシベリア鉄道』みたいに感じる箇所もある。

 ただ、一番驚くのは、そういう厳しさの響くサビで終わるのかと思ったら、またAメロに戻って、しかも最後はⅠ→Ⅳmの繰り返しによる、厳粛さとジェントルさの合わさったような雰囲気で、存外優しく包み込むように歌が終わっていくところ。この、絶唱で終わらせずに着陸させる曲構成は、まるで映画のエンディングのような寂しさとやり遂げた感じとがない混ぜになって、とても美しい。ここが一番肝いりだったりしたんじゃなかろうか。

www.youtube.com

 

B-side:1990年代〜

 ここからはこの括りの盟主・大瀧詠一はほぼ沈黙してしまいますが、それでもフォロワーがどんどん出てくることが、以下のリストからだけでも分かると思います。勿論沢山見落としがあると思っていて、特にここ10年のインディロックバンドとかアイドルとかにもっと幾らでもありそうな気がしてて、自分のディグの中途半端さを感じています…。

 

8. 一時間遅れの僕の天使 / 楠瀬誠志郎

(1990年9月)

 このシンガーソングライターは元々山下タウ郎のバックコーラス等を務めていた人らしく、達郎譲りの美麗なコーラスワーク等を駆使し、かつもう少し90年代ライクな緩めの空気感を感じさせる楽曲を作る印象を、今回の記事のために調べてその存在を知って聴いて抱いた。

 この曲はクリスマスソングで、なるほど、いかにもなポップなナイアガラサウンドは夏っぽい音楽だけでなく、クリスマスソングにも援用できるんだった、と気付かされる*9。シャッフルビートの楽曲は、コーラスワークはThe Beach Boys的だけど、それ以上にともかく『君は天然色』のリズムのキメを援用しまくってるのが耳を引きまくる。あれっこの人大瀧詠一の方のお弟子さんだったっけ?*10ってなるくらい徹底的に「ダンッ、ダンッ、ダダン」のリズムを隙あらば挿入しようとしてくる姿勢。そこにピースフルであらかじめ懐かしい感じのメロディが乗って、なんだか本当に大瀧詠一作曲の後に出る『うれしい予感』(1995年)を先取りしてるかのような雰囲気さえある。

 転調も強烈に援用し、左右のティンパニの駆け抜け方なども効果的な華やかさがあって、特に終盤は「ビーマーイ、ビーマイベイベー」って突如歌い始めるところまで、実にはっちゃけてる。その割にはこの曲に『Be My Baby』のリズムはないけど。シャッフルだしね。

 

9. 応援歌、いきます / 細川たかし

(1991年?月)

 「歌謡曲ウォール・オブ・サウンド化計画」が済んだ後の世界だということを証明するような楽曲。聴いていただければ判るけど、ガッツリ歌謡曲なメロディ・歌で非常にどうでもいい歌の内容なのに、リズムのキメ方やら『Be My Baby』のリズムとカスタネットの掛け合わせ方とか、やたらとナイアガラしている。というか『Be My Baby』についてはいつの間にか日本歌謡曲の標準装備となっていて、「『Be My baby』歌謡」というジャンルがあるのかって世界。歌い出しの往年の歌謡曲のような爽やかな滑り出しといい、サビの純正アメリカンポップスなコーラスワークといい、こんなサビで「生ビールがあるじゃないかー」と歌うしょうもない歌にミスマッチしまくる豪華なアレンジが耳を引く。

 正真正銘、大瀧詠一はこの曲に関わっていない。編曲で関わっているのは、この後アニメソング等でナイアガラ式のアレンジを積み上げていく岩崎元是という人。マニアックなウォール・オブ・サウンド/ナイアガラファンの間では最大のフォロワーと目されることもある人で、1980年代後半に行っていた自身の歌手活動を中止して以降、このように裏方世界でナイアガラしまくる事になる。彼の楽曲はサブスクに上がっていないものが、後の彼のソロアルバム等も含めて多数だけども、なかなかに歌の中身がしょうもないこの曲は何故かきちんとサブスクにあるというのが、少々もどかしい。

 

10. うれしい予感 / 渡辺満里奈

(1995年2月)

 身内以外の強烈なフォロワーが出てきたこの辺りで満を辞して(?)、大瀧詠一ご本人の再登場。元おニャン子という唾棄すべき経歴を1990年代以降サブカル方面への進出で書き換えようとしてた節のある渡辺満里奈が歌唱し、『ちびまる子ちゃん』主題歌としてさくらももこが作詞、という不思議な面々でもって、君は天然色』の再来、というか、冬仕様*11の公式焼き直し、というかなこの曲を披露した。「みなさん、一応これが僕のやるところのナイアガラ・サウンドなんですけど」的な。

 流石本家、様々なマニアックな引用を散りばめながら、見事に「あれっこの展開『君は天然色』じゃん…」っていう仕掛けを実に見せつけてくる。だって作曲者同じだもの強い。歌もメロディも『君は天然色』に比べてずっとのっぺりしてるけれども、その分装飾についてはコーラスワークから間奏のハーモニカから、色々とゴージャスな装飾できっちりと冬仕様に切り替え、そして伝家の宝刀3連のピアノリフレインとカスタネットを適宜適切に用いてくる。リズムのキメまで同じものを持ってきたりして、ここまで来るとセルフパロディ的な領域に踏み込んでいて、提供曲だからこそできることだなあ、と思える。意外なところでは、自身の歌う曲ではそんなに表に出さなかったThe Beatles関係のネタを複数繰り出してくるところ。メインのメロディがちょっと『Please Please Me』っぽいことがあったり、アウトロの終わり方が『With a Little Help From My Friends』だったり。

 個人的には本当に大瀧詠一本人歌唱の『幸せな結末』よりも、この精巧な『君は天然色』焼き直しの方が彼の1990年代の活動としては印象深い。こんなんフォロワーに「ナイアガラ式のガールズポップはこうすればいいのよ」って説明してあげてるようなもんじゃん…。

 

11. あのね…。 / (作曲・編曲)岩崎元是

1996年7月 サントラ『それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ ソングコレクション』

 かくして、ナイアガラ・サウンドフォロワーの最大手・岩崎元是の手によるアニソン・ゲーム楽曲等における「『君は天然色』無双」のシリーズが始まる。1個もサブスクにないのが残念だけども…。ときめきメモリアルの楽曲『夏に、まだ少し…』、知らないアニメのキャラソン『きっときっと…』デジモンのキャラソン『Be All Right…』、そしてこの曲あたりを筆頭に、正直目立たない場所で、本当にナイアガラ式に奮闘していた。この辺の楽曲全部に”…”が付くのは本人意識してあえて…?

 彼のこの手の楽曲は編曲のみのパターンと作曲も込みの場合とがあるようで、この曲は作曲も彼が担当しているため、純度の高い岩崎元是式のナイアガラ世界が展開されていく。そんなシャッフルビートとエコーと3連ピアノやコーラスワークの多幸感に満ちた音世界については、ぜひ上の『幸せな予感』と聴き比べて、なんならどっちの方がよりナイアガラ感が高いか考えてみても面白いかもしれない。少なくともメロディの伸びはこっちの方がポップかなあ。あと、彼の場合打ち込みメインでこのようなサウンドを作っているらしく、いよいよ「同じパート複数人抱えた多人数の一発録りによるモコモコ感がキモ」だったWaa of Sound本来のスタイルさえ揺らいできていることにも着目できる。手法が手法だけに再現しづらいように思えるけど、彼の作品を聴くとそれっぽい雰囲気は全然打ち込みでも作れるんだ、という知見を得ることができる。勿論簡単ではないだろうけども。

 それにしても、彼の名前でSpotifyで出てくる(2021年5月6日現在)のがVガンダムの挿入歌『いくつもの愛を重ねて』だけなのは残念。というかあのリインホース特攻のシーンの楽曲もこの人なのか…これは彼自身が歌っているとのこと。

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12. ヘロン / 山下達郎

(1998年1月)

 サブスクに無い曲が続きます。”身内”山下達郎が1990年代に突如発表した、彼流のナイアガラ・サウンドの決定版たる楽曲。自分が子供の頃テレビで聴いてても全然そんなこと思わなかったのに、今聴くと”それっぽく”すべく気合が入りまくってることに気づいて、なんというか圧倒される。知る子が聴けば泣く子も黙るほどの鉄壁のナイアガラ・ポップスっぷり。前年の大瀧詠一本人のリリースがあったことを受けての気合か、と思うけど「本当は1993年時点で録音が終わってたけど気に入ってなかったのを、タイアップの関係で推されて追加録音したもの」とは本人の弁。でもその追加録音が本家ナイアガラ録音に参加していたパーカッション4人の録音含むもので、やっぱり相当気合入ってたと思う*12

 有名な曲だからサビのメロディは幾らでも浮かんでくるけど、こういう意識で楽曲を聴くと、冒頭からそのダビングされたパーカッション隊のカスタネットの乱打が、もはや最重要のバッキングとして機能していることがありありと判る。このカスタネットは延々と鳴り続ける。リズムもモータウン式の頭打ちで徹底されていて、ひたすらにポップ。サウンドのエコー聞いた感じもリスペクト全開の、どこまでもナイアガラな世界。

 そういえば、こうやって改めて真正面からポップな彼の歌い方を聞くと、思いの外スカートの澤部渡と共通する感じがあって、スカートの歌い方はこういうところから来てるのか、とか思った。スカートがカバーしたらすごく様になると思った。

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13. LOVE AFFAIR 〜秘密のデート/ サザン・オールスターズ

(1998年2月)

 日本の夏の歌といえばサザンだけども、そんな彼らもやっぱりやっていたナイアガラ・サウンド!この曲はもうモロにそっちに寄せていて、思うに1990年代のどこかくらいからナイアガラ・サウンドが「色んな音楽性の曲を演奏するうちの1パターン」みたいな感じで雑食化していくアーティストの間でひとつの定番パターン化されてきたのかも、と、この曲なんかを聴いてると思う。

 初期The Beatlesっぽいギターサウンドでフェイントをかけてからのいきなり膨れ上がるドリーミーなBrian Wilson〜ナイアガラなサウンド。そして歌に入ると、これもすっかり定番パターンになったのだろう『Be My Baby』リズム+カスタネットの合いの手のコンビネーション。この曲においてはこのリズムパターンと8ビートとの切り替え方が巧みで、Bメロやサビでも効果的にこの2パターンを往復して緩急をつけて来る。そう、グランジの静と動くらいのざっくりした感覚で『Be My Baby』のリズムの挿入が使用できることをこの曲は証明しているのかもしれない。

 伴奏でこっそりThe Bryds的なギターとGS的なギターフレーズを往復してたり、Bメロのピチカート奏法だったり、間奏の後のアカペラコーラスパートだったりと、これでもかというほどごった煮なゴージャスなポップスの仕掛けを凝らすのはサザン流。そして歌詞は許されざるであろう不倫のテーマを実に純愛風味に描くという、なんともな悩ましさ具合。サザンの”夏”も、ここまで手が混んでいるとなるとなんか静かに壮絶なんだなあ…ということを今回思わされました。

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14. 雨のマルセイユ / 市川実和子

(199年8月 Album『Pinup Girl』)

 これもサブスクがありません。今回のリストでも最もマイナー気味な感じもしますけど、これはれっきとした大瀧詠一作曲の楽曲。市川実和子は、どっちかといえば小西康陽作品でしばしば出て来る印象があったけど、彼女の1999年のアルバム『Pinup Girl』には非常に豪華な製作陣が並ぶ。細野晴臣鈴木慶一筒美京平に、一体何で…?というくらいのメンツが彼女の作品に集結し、そして何故か見事に歴史の中で埋没している。なんでこんな製作陣豪華な楽曲も充実した作品が埋もれているのかわからん。まあ自分も今回ちゃんと調べるまで存在知らなかったけど。というかこの人歌手デビュー曲から大瀧詠一作曲の楽曲とか、どれだけ業界内で気に入られてるんだ…。なのになぜこんなに埋没してる?

 楽曲的には、ナイアガラ感を派手派手に出すのではなく程よく1990年代式なドライさに抑えて照射したような、ささやかなポップさに抑えてある。エコーがかったギターの反復するリフがコード進行を無視して鎮座する様は少しThe Beach Boysの『I Know There's an Answer』みたいな具合。いっつもドッカンドッカンいわせたがるリズムも実に控え目で、歌謡曲っぽいまったりしたメロディを歌う彼女声も実に低くて、いつもの大瀧節の派手な感じを全然強調しない、不思議なトラックになっている。さしずめ、人気のないリゾート地でまったりまどろんでいるかのような情緒。これはこれで実に魅力的なナイアガラ・サウンドの使い方。

 ちなみに、大瀧詠一本人のこの曲セルフカバーは存在するのかしないのか『DEBUT AGAIN』には収録されていないけど、代わりにこの曲とコード進行やアレンジの抑え方やメロディ展開がやたらと共通すると言われる『So Long』が2020年の”新作”アルバム『Happy Ending』に収録されている。『So Long』を最初に聴いた時は「なんだこの気の抜けた『恋するふたり』の焼き直しは…」と思ったりもしたけど、この辺の不思議な関係性を知ると、また独特の大瀧詠一宇宙が広がっているものだと、変に感心した。

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15. 七色の風 / キンモクセイ

(2002年5月)

 ゼロ年代邦楽バンド勢でもとりわけ歌謡曲要素の援用に長けていたキンモクセイの、『二人のアカボシ』でスマッシュヒットした次のシングルがこれで、これまた懐かしい感じの曲調だなーって子供の頃テレビで見て思ってた気がするけど、こうやって改めて聴くとそのナイアガラっぷりにちょっとびっくり。この曲の場合、むしろプロモーション盤のジャケ等であからさまにナイアガラアピールしていたという事実を今回調べて知って驚いたりもした。結構やりたい放題できたんだなあ。楽しそう。彼らは後に『夢で逢えたら』のカバーもシングルでリリースしている。

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 楽曲の方は、歌メロからは意外なくらいのベースラインの剽軽さは1970年代歌謡曲っぽく、歌い出しの伸びていくメロディ等は松田聖子青い珊瑚礁』等の歌謡曲テイストを実に真正面から捉えていて、あらかじめレトロでキャッチーな雰囲気。タンバリンの連打やピチカート音が入るのも実に効果的。面白いのは、サビの次がAメロ、というよりも、むしろVerse-Bridge-Verseという曲構成をしていて、これもまた昔の歌謡曲で時折あるサビ無しの曲構成に近い。そしてこのBridgeのセクションでナイアガラ要素が爆発し、『Be My Baby』+カスタネットのコンビネーションで一気に楽曲の空気をそっちに持っていくし、ミドルエイトのセクションに至っては『冬のリヴィエラ』以来のあのリズムパターンできっちりとメロディを積み上げていき晴れやかな間奏に展開→『風立ちぬ』的なリズムでブリッジに到達、という流れが徹底している。ゼロ年代で最もナイアガラの空気感を上手に楽曲に差し込んだパターンかもしれない。

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16. ありふれた人生 / スピッツ

(2005年1月 Album『スーベニア』)

 このリストが今回2005年のこの曲で終わってしまうのは忸怩たるものがあって、この後も色々とナイアガラパターンの曲は絶対世の中に存在してるんだけども、自分の捜索能力の都合でこの辺で終わりに。なんでナイアガラ特集なのにこのリストはスピッツで終わるんだ…?

 リリース当時からリアルタイムで聴いてて、彼らの『スーベニア』というアルバムはバンドがバンドのできることを超えて色々やろうとしてた作品なんだな、それにしてもとっ散らかってるな、あと音圧でかいな…と色々思ってたけども、今思うと、彼らとプロデューサーの亀田誠治とによる様々な音楽的探求をしてたんだな。それにしても当時は「なんで2曲目からいきなりこんな歌謡曲なんだ…?」と不思議に思ったりした。

 こうやって聴き返すと、『be My baby』のリズム+派手なストリングス+エアリーな音響のピアノ、という取り合わせが実にナイアガラしてたんだなあと気付かされる。逆になんでカスタネット入ってないんだろう、とかも思ったけど。ギターロックバンドとしての表現力を探求してるスピッツの方が好きだけど、ここでの挑戦や『さざなみCD』でのポップス的な自由なアレンジによって、草野マサムネの作曲能力の性質が浮かび上がって来るような感じも覚える。この曲でいうと、Aメロはともかく、サビ的な箇所のメロディはやっぱりナイアガラ的じゃなくてスピッツそのものなんだよなあ、とか。そういうミスマッチ感も含めて楽しむ、ナイアガラなAメロからカチッとサビでスピッツになる、そういうグランジ的な切り替わり方を楽しむべき楽曲だったのかもしれない、ということを、今回のこの一連の記事の中で聴き返してて思いました。「こんな豪華なストリングスに囲まれて歌ってる状況が”ありふれた人生”な訳ないだろ馬鹿野郎」とか思ってた昔がちょっと懐かしいな。

 

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第2章まとめ

 以上、16曲でした。本当はもう1曲より近年の楽曲があったけど、それは諸事情により次の記事に回します。

 それにしても日本の曲だけでこういう感じに書いたのなかなか無いかもな。それだけナイアガラ・サウンドというものが人気も普及も日本国内に留まってるもの*13、ということなのかも。世界的なシティポップブームでもこの辺が注目を集めてるような感じしないし、もっとファンク寄りなものがウケてるのかなあ、という感じだし。

 こうしてナイアガラ式のウォール・オブ・サウンドに共通する要素で今回思ったのが、やっぱりこちらの方もどこか子供っぽい雰囲気が全体的にあるなあ、ということ。『冬のリヴィエラ』や『熱き心よ』のどの辺が子供っぽいかよ、と言われそうだけど、でも同じ曲をファンク調でやったらもっとアダルトっぽくなるだろうし、そうではなくこうしてポップスのリズムでやることによる清涼感、みたいなものは、それがストレートな8ビートであろうとシャッフルのものであろうと、どこか共通している感じがしました。そう、今回のリストには16ビートの楽曲が存在しないんだ。典型的なナイアガラサウンドの中では16ビートは存在し得ないのかもしれない、と思いました。ここら辺が、ここ10年くらいの世間で持て囃されるところの”シティポップ”概念とナイアガラ式ウォール・オブ・サウンドとで距離がある理由かも。原義にしたって、ウォール・オブ・サウンドでファンクってイメージ湧かないもの。

 あと思ったのが、日本で多いサビがⅣのコード始まりの感傷的で扇情的なメロディにはウォール・オブ・サウンドはそんなに合わないかも、ということ。どこか底抜けに朗らかなことがウォール・オブ・サウンドの前提にあるとすれば、それはやっぱりトニックのコード感が強く感じられるメロディだからこその空気感なのかもしれない。特に今回のリストだと最後のスピッツのやつでそう思いました。

 とはいえ世間ではロンバケ40周年&大瀧詠一サブスク配信開始で、にわかにナイアガラ・サウンドへの再評価が噂されるところ。というか再評価始まってくれ。これで今後またナイアガラ・サウンドを援用する楽曲が増えて来るかどうか見ものです。本来であれば一番上の方で書いた「ソニーのスタジオに大勢のミュージシャンを詰め込んで一発録り」がこのサウンドの条件だったのに、時代が降って別に宅録でもそれっぽくは出来る、ということが分かってきてるのは、こういったサウンドを再現していく上で重要なことだとは思います*14。ストリングス音源とカスタネットの実機と『Be My Baby』*15のレコードを準備して、皆さん是非ナイアガラ・サウンドを作っていきましょう(?)。

 

 ということで、思いの外このセクションだけで長くなり過ぎてしまった*16ので、最終章である第3章:その他、については次の記事で書きます。なお、第1章〜第3章までの楽曲を可能な限り収録したプレイリストも第3章が書き終わったら公表します。奇特な方はぜひお楽しみに。

 

補稿:ナイアガラサウンドはロックンルールじゃない?

 この記事を投稿した後に思いついてしまったので、やや剣呑な話題ですけど、書きます。といっても、表題の時点で言いたいことのかなりの割合は終わってます。

 今回の記事を書いててずっと違和感があったのが、なんか書いててこう、フワフワしてるというか、1個前のPhil Spectorの時ほど、自分の内でストンと来ない感じがして、それはおそらく、次の記事に回すことにした1曲にも関係することだと思う。

 今回の曲目を見ていて、いいポップソングが沢山あるなあ、ポップだなあ、とは思うものの、なんか、突き抜けて来るような感じがしなかった。1個前の記事で『Da Doo Ron Ron』とか『Be My Babe』のところを書いてた時の、爽快な感じ、音大きくしてこれを聴いとけばOK!みたいな感じに、今回は全然ならなかった。それで思ったのが、あまりいい言い方ではないけれど、これだけ散々歌謡曲化してしまったナイアガラサウンドって最早ロックンロールでも何でもないな、ということ。

 別に歌謡曲を否定したいつもりがある訳じゃない。ただ、自分の趣味からすると、なんかそっち方面のことは比較的どうでもいい、というか、自分が致命的に興奮できるような何かが、今回扱った曲の多くに感じられない気がした。その要素を雑に捻り出せば、ロックンロール、という語になる。

 たとえば『うれしい予感』を自分ははじめ大瀧詠一のバージョンから聴いたけども、ゴージャスで多幸感ある音はいいんだけど、気持ち的にこう、突き抜けて来る感じがしなかった。単にメロディがベタっとしてる、というのもあるけど、今の目線で考えるとそれは、ロックンロールが楽曲に不在している、という事になる。

 ロックンロールというのは別に音楽の演奏様式の話ではない。そもそも自分の中でこれのありなしを上手に説明できる自信がない。『Be My Baby』はロックンロールで『ありふれた人生』はロックンロールじゃない、とか、そんなこと言われて意味が判るだろうか。感覚、個人的な感覚の話で、こんなの書いて主張してもどうしようもないような気もしてくる。

 

 もう少しちゃんと筋道を立てて考える。ナイアガラサウンドというのは日本で生まれた、ほぼ大瀧詠一を祖とするサウンドと言えるだろう。今回取り上げた中にも、あるいは次回記事でもちょっと入って来るけど、そもそもの話をすれば、これははっぴいえんど界隈・ニューミュージック界隈におけるロックンロールの不足・不在の話が関わって来るのかもしれない、と思った。この界隈の方々はプロミュージシャンとして本当に日本の今の音楽に繋がる様々な要素を作ってくれたと思うし、その価値を疑うつもりなんて毛頭ない。でも、例が良くないと思うけどユーミンはロックンロール」って言い切るのには、ちょっとかなりの飛距離と勇気が要るでしょう。そういう感じ。

 でも、この界隈って根っこにロックンロールが大いにあるはずの世代なのに、時にそういうのが全然感じられないような場面が多々ある。ポップスの引用だったり、ロックンロールからだとしても、要素を「引用」して楽曲の装飾で終わってしまう感じがすることが、自分の中ではしばしばある。彼らは基本音楽至上主義、それも「録音したもの」と「作り手の感情」とがどこかサッパリと切れてる感じがしてしまう時が多々ある。曲に感情を込めない技術を鍛え続けてる感じさえあるかもしれないし、その音楽単体で、アーティストの存在抜きで語れる音楽というのは、ひとつの理想のようにも思えるけれど。

 一方で、Phil Spectorの作り手としての感情を重視するのか、女性蔑視で抑圧的な彼のポップスの歌詞世界に熱を上げるのか、というと別にそうでもない。逆に、なんでポップスとして作られてる彼のレコードにロックンロールの要素を感じるのか。たまたまRamonesとプロデュースしてたからか。Brian Wilsonはじめ多くのアーティストがそう言うからか。次の記事で書くけど、後年の参照のされ方がロックンロール的側面が大きいからか。まさか、無理矢理支配力で突破してしまう、混沌に満ちて破綻しきっているWall of Soundの制作方法の矛盾自体がロックンロールになっているのか。自分みたいなのはこういう訳分からんことも言いかねない。

 日本のニューミュージック勢が形作り後進がスタイルを半ば”音楽的コスプレ”的に引用するスタイルのナイアガラ・サウンドと、結局のところ原義そのままの引用はそんなに行われず、変な拡大解釈に満ちている感じのあるPhil Spectorのウォール・オブ・サウンドと、恣意的に書けば、こういう違いが見えてくる。その違いのどこかに、自分がロックンロールが不在していると思うような何かがある気はする。

 

 …で、もう少しややこしい話をすれば、自分はニューミュージック勢の音楽全てがロックンロールが不在している、なんてことは全然思わない。たとえば変な話だけど、YMOはロックンロールだと思ってる。『BGM』とか『テクノデリック』とか、特にロックンロールな気がしてる。なんか、権威主義がバグっただけの物言いになってるかもしれない。実験的ならロックンロール、くらいの感じで考えてしまってるのかもしれない。そういうのじゃないつもりだけども。

 そもそも、はっぴいえんどというバンドはそこそこロックンロールだった。ただそれは、楽曲別で見ると、細野晴臣鈴木茂もそんなにそういう方向の楽曲は書いていないと思う。はっぴいえんどロックンローラーなのは、間違いなく大瀧詠一その人だ。当時前衛的で尖っていた松本隆の悪意マシマシの歌詞で彼が『はいからはくち』を歌う場面が、ロックンロールでないはずが無い。そしてそもそも、Phil Spectorと同じくらいにElvis Presleyを愛し、そして自分の作品で実践してしまう彼は、ロックンローラーとしての素質に満ちている。むしろ、日本の音楽史でも有数のロックンロールの潜在能力をも、彼は有していた。

 ナイアガラ・サウンドの不思議なのは、そんな誰よりもロックンロールが可能な大瀧詠一という人物が、その知識と技術とを振り絞って生み出したであろうナイアガラ・サウンドが、これほどまでに中庸な、漂白された音楽になっていることだ。彼はおそらく、ロンバケ以降の彼の音楽の多くにロックンロールが不在なことを自覚していたんじゃ無いかと思ったりする。特に提供曲については。そんなだから『EACH TIME』をポップス大展覧会にせずあんな暗い感じにしてしまったのかもしれない。妄想だわ。

 そして1点だけよりややこしい注釈を挟むと、君は天然色』は全然ロックンロールだと思うんです。上の方の高橋健太郎の言及にあった”矛盾した制作過程”、これはまんまPhil Spectorのそれと同じ倒錯した何かを有していて、それが最初に現出したこの曲だけは、その倒錯からロックンロールが生まれたのかもしれない。ホントかよ。そんなことよりも、この曲の激しく上がったり下がったりするメロディ、特にサビでは歌が汚くなるからとキーを当初より下げられた程の無茶なメロディの昇降に、どうしようもなくロックンロールを感じる。もしかして、どんなにサウンドを中ようなポップス仕様にしても、そこに無茶なメロディを載せればロックンロールになってしまうんだろうか。そんなことを考えてしまうくらいには、あの曲のメロディの、特に高音をあの大瀧詠一が半ば叫ぶかのように歌わないといけなくなるあの様相に、中庸さや漂白を打ち破ってしまう何かを強く感じる。

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 彼が長い沈黙から復帰して『幸せな結末』を作る際、リハビリセッションと題して古いロックンロールのカバー等を色々演奏していたというのが、実に惜しい話のように思う。結果生まれた曲のうち『幸せな結末』は当然ロックンロールさなど全然無いけれど、カップリングの『Happy Endで始めよう』は色々無茶な感じがして、ロックンロールしてるもんな。これはやや”音楽スタイル”のロックンロールの話かもだけど。ぼくは彼にもっと無茶をして欲しかったのかもしれない。

 

 そして、ナイアガラ・サウンド全般の話に戻る。ナイアガラ・サウンドという中庸なスタイル、『Be My Baby』のビートを援用し、サイケにならない程度のエコーを全体にまぶし、いい具合のカスタネットを響かせ、サビ頭のⅣコード等の緊張感ある展開を避ける、といった手順で立ち上がってくるナイアガラ・サウンドでは、『君は天然色』ばりにメロディを昇降させないとロックンロールにならないのか。これは、実はそんなことはなくて、ナイアガラ・サウンドを志向しながらしっかりとロックンロールになってしまってる例を1曲知っています。今回の曲目からはそれを抜いて、次回に回すことにしました。詳しくは次回書きますが、その曲において、そのスタイルを取ることを選択した時点で中庸さが約束されてしまうものを、こんな無茶をして打ち破っていたのか、ということに気付いた時に、この一連の記事の終わらせ方がようやく分かった気がしました。なので、この補稿はその前段みたいなものかもしれません。

 ナイアガラ・サウンドでロックンロールする手法について、いやこれはロックンロールでしょうが*17、とか、こういう風にしたらいいのでは、とか色々ご意見あるかもしれませんが、ひとまず自分の考え方については、次の記事のおそらく最後の方で書けるかと思います。わざわざこのとっ散らかった補稿を読んでいただいた方は、そちらもお楽しみに。

*1:クリスマスアルバムでピアノをプレイしたけど、下手くて採用されなかったらしい。

*2:そういう意味では、元のサウンドからの忠実さは流石に同時代に再現を試みたBrian Wilsonの方が遥かに高い。だからといって、ナイアガラ式のものの価値が下がるわけでも無いけど。

*3:紹介が前後して次回になるけど、Bruce SpringsteenPhil Spectorに感銘を受けサウンドを取り込んだアーティスト

*4:森進一本人はこう呼ばれることを嫌っているらしく、むしろ演歌を離れたポップソングのこの曲を自身の代表曲としているらしい。

*5:なお、その微かな演歌要素を大体抜き去ったものが大瀧詠一英語詞セルフカバーの『夏のリヴィエラ』だろう

*6:この箇所本当に好き。『夏のリヴィエラ』の方だったらもうここ繰り返しだけサビにすればいいのにって思っちゃう。日本語詞だとこの後のメロディ展開が無いと物足りなくなりそうな気もするから、不思議。というかサブドミナントマイナーのコードの使い方が大瀧詠一も上手。

*7:イタリア語で「海岸」という意味らしい。

*8:経歴や大瀧詠一のインタビューでの力説を見るに本当にすごい人物だということは判るけども、でもwkipediaを読んだだけでも、時代が時代とはいえ暴力団との関係やら、近年におけるパワハラ告発の話やらがあって、全面的に肯定できるものでもないんだな、ということも分かった。存命の方である分、よりナイーヴな問題かもしれないけども。

*9:『B-EACH TIME L-ONG』と『SNOW TIME』の関係性みたいな。

*10:なお、この曲の歌詞には「”きっと君は来ない”なんて/よけいな歌を口づさむけど」という、本来の師匠さんの超有名クリスマスソングを意識したフレーズも。

*11:別に歌詞には冬っぽい単語全然出てこないけども。でも大瀧本人も『SNOW TIME』再発の際にこの曲のインストを追加してるので、やっぱり公式で冬の曲カウントっぽい。

*12:「こういうのやるからには徹底的にやらないと」っていう気合の入れ方なんだろうなあ。本当に真面目な人だと思う。

*13:ひょっとしたら東アジア圏内くらいは結構フォロワーがいたりするかもしれませんが、そこまでのアンテナが無いですすいません。

*14:その分、手法的には大元のPhil Spectorからはどんどん離れていくんだろうけども。あんなの現代でできるかよ…。

*15:もしドラムフレーズに印税かけられたらこの曲が割と本当に世界1位だったかもしれない。

*16:最初はこの第2章を独立させる構想すらなくて、せいぜい今回のリストのうち3,4曲程度しか扱わない予定でした。

*17:個人的には佐野元春がかなり苦手で、彼の音楽がロックンロールだというのが今ひとつ分からないままずっと来てる。