ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

頭打ち?モータウン・ビート?そういうアレ(50曲)

 何とも煮え切らないタイトルですが、今回はいろいろ調べた結果、こうせざるを得なかった…ドラムの、とある特徴的なリズム形式についての話です。説明するよりも、おそらくこのリズムで世界一有名な楽曲を聴いていただいた方が、何についての話をするのか分かりやすいと思います。

 

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 今回はこの「ドラムのスネアを普通の8ビートみたいに2拍・4拍で打つのではなくて、4つ全ての拍で打つ、スネア4分打ちのプレイスタイル」についての個人的な考察と、50曲のセレクトに関する記事になります。それにしても呼び方が微妙に揺れてるせいでこんなタイトルになってしまうの、マジ満足いかないぜ…。

 

 

このリズムに関する様々な調べたり思ったりしたこと

 今回はタイトルをもっとはっきりと確定させたかったので色々調べたんですが、今ひとつちゃんと調べきれず、このまま出す感じになっています。

 タイトルが決まらないなりに、まずは色々と整理をしておきましょう。

 

 

A:このリズムでどんなことを感じる?

 一口に「このリズム」と言っても、使われ方は正直様々です。よって、ドラム的には似たようなプレイであっても、それを使う楽曲の雰囲気やBPM、プレイの細かい内容によって、その印象は大幅に変わります。

 大きく分けたら以下の3つの印象パターンがこの演奏法から生まれると思われます。

 

①楽しさ・華やかさ

②硬派さ・ロックっぽさ

③激烈さ・破滅的なエモーショナルさ

 

この辺後ほど詳しく見ますが、同じドラムのプレイ技法でこんなに印象が変わるもんなのか、と思われるため、そもそもが同じ「スネア4分打ち」のプレイでも、まるで違うスタイルのように思えます。

 そして、今から述べる「モータウン・ビート」はどうも、その言葉の発生元の印象もあってか、①にしか該当しないようにも思えるのです。この辺が難しい問題。

 

 

B:モータウン・ビートとは━その“ダブルミーニング”具合━

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両方の“モータウン・ビート”の曲でドラムを演奏している名手・Benny Benjamin。

 

 今回取り上げるビートがアメリカで1960年代に興隆したモータウン(Motown)に由来がありそうなことはおそらくそうっぽいです。オールディーズ等でも使われてそうなどこか懐かしげなビートでありながら、1950年代までのドゥーワップやポップスなどでこのリズムを聴くことは無く、割と簡単に調べられる限りでは、モータウンレーベルの1960年代中頃の楽曲にその起源を辿ってしまえそうです。

www.youtube.comホーンにドラムフィルに、Pizzicato Fiveとかでやたら聴き覚えのある…。

 

 シンプルなビートなのでもっと昔から誰かやってそうでありながら、意外とこの辺の時代の曲くらい以降しか聴けないものなので、これは演奏技法における一種の“発明”だったはずです。

 

 

2つある“モータウン・ビート”(日本だけ…?)

 このモータウンが発明した華々しいビートだけを「モータウン・ビート」と呼べたらシンプルなんですが、おそらく英語圏ではこのスネア4分打ちだけを指すようですが、日本では何故かもうひとつ「モータウン・ビート」と呼ばれるタイプのリズムがあり、なんなら界隈によってはこっちの方がメジャーなようなので話がややこしくなります。

 このビートのことです。

 

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 確かにこの曲もまたモータウンの大ヒット曲で、特に日本ではThe Supremesというグループ名は知らなくてもこの邦題『恋はあせらず』という曲を聴いたことがある・何となく知ってる人は沢山いると思われます。この躍動感に満ちた、華やかにハネたリズムの曲は、おそらく日本で最もよく知られたモータウンの曲でしょう。

 そして、日本では特に歌謡曲・アイドル文化の中において、このリズムが多用されてきた歴史があります。あまり詳しく挙げすぎると何の記事か分からなくなっちゃうので少しだけ。

 

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しかし、ちょっと考えてみると、日本においては今回取り扱うような「スネア4分打ち」のリズムに「頭打ち」という名前が与えられています。小節の頭でスネアを打つから「頭打ち」と呼ばれるこれは、個人的には日常ではネガティブな要素で使われる単語を当ててるのがあまり好きではないですが、ともかくこの「頭打ち」という言葉の存在によって、「スネア4分打ち」の方に「モータウン・ビート」という語を当てる必要性が下がり、よって他に呼び方が特に無い*1「『恋はあせらず』のビート」の方に優先的に「モータウン・ビート」の語を当てることが多い、という事情があるのかもしれません。

 それにしたって、ややこしいことに変わりは無いんですけども。

 

 

C:「非モータウン化」していく“モータウン・ビート”

 このスネア4分打ちのビートが本当にモータウンで使われていた頃は、確かにこのビートは華やかさや楽しさを象徴したようなビートで、ポップス的なガジェットだったように思えます。しかしそれが段々変わってきて、ロック的なもの、更には破滅的でエモーショナルなものにさえ印象が移行していく、というのがこの記事での個人的な見立てです。

 発端は既に冒頭で動画を貼ったThe Rolling Stonesでしょう。彼らの最初の大ヒットシングルとなった『(I Can't Get No)Satisfaction』は1965年の6月リリース。これはおそらくはモータウン以外のアーティストがこのリズムを取り入れた相当早い事例だと思われます。モータウンで最初にこのリズムでNo.1ヒットとなったのはThe Supremes『Stop! In the Name of Love』で、この曲は1965年2月リリースです。いかに当時のストーンズが流行に敏感にあろうとしていたか垣間見えるタイミングだと思います。

 『Satisfaction』はそれでも楽曲の全編でこのリズムを採用し、どこかモータウンの華やかさをそのまま借りてきたように感じられます。しかしここから、彼らをはじめ多くのバンドが、このリズムを好きなように、コーラスだけとか、逆にヴァースだけとか、そういった具合で好き勝手使うようになってから、このリズムの意義がどんどん拡散していくこととなります

 

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この拡散はフォークロック的なところから始まり、次第にサイケ、ブルーズ、ハードロックと続いていき、そのうちこのリズムはすっかりロックに簒奪されてしまいますモータウン側も1970年代以降のもっとゆったりしたニューソウルに移行していき、あまりこの手のキビキビしたリズムを多用しなくなっていったことも、この移行に影響したのかもしれません*2

 なお、モータウンの1973年の楽曲に、スネアを4分で入れていた代わりにバスドラムを4分で入れてみた楽曲『Girl You Need a Change of Mind』があり、これがディスコビートとして有名な「4つ打ち」のビートの発祥とされています。が、これは別の話。

 

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 1970年代後半以降は、このリズムがさらに元のモータウンの雰囲気から離れていくこととなります。即ち、パンクとメタルの登場、そしてそれらにこのリズムが取り入れられたことで、このリズムはより野生的で破滅的な役割を付与されていくこととなります。両者を折衷していった1980年代末以降のオルタナティブロックについても同じ傾向が続き、元々は華やかなポップソングのフレッシュさの表れだったはずのスネア4分打ちのドラムは、いつの間にか「ハードコアな演奏様式」となっていきました。

 

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確かにこういう破壊的なスネア4分打ちの演奏形態に対して「モータウン・ビート」とは呼びづらいような気にもなってきます。日本で元の由来からの用語を横に置いて「頭打ち」という言葉がつけられたのは、そういう意味では合理的と言えばそうなのかも。

 その後、次第にマス的にもインディーロック的にもこのリズムの原初たるモータウン方式の軽やかさへの再評価なんかもありつつ、様々に活用される現代に現状なっているのかなと思われます。

 

 

D:このリズムがあまり合わないジャンル

 このビートは実は案外クセの強いビートなので、どんなジャンルでも使える、という感じのものでは無いように思われます。どんなジャンルだと合わないか、ちょっと考えてみます。あくまで一人の偏見なので、例外は大いにあると思われます。

 

①ソウル・R&B

 元々はR&Bから生まれたビート様式にも関わらず、どう考えてもこのビートは1970年代以降のソウル・R&B的な音楽には合いません。どんどん大人っぽく生々しく湿っぽくなっていく1970年代以降のニューソウルの流れにおいては、元気溌溂そのものって感じのモータウン・ビートは置いてけぼりを食らってしまった感じがあります*3。縦ノリから横ノリへ、リズムの根本がすっかり変わってしまったように思います。

 モータウン・ビートは上記のとおりにディスコに裏返ったりはしましたが、でもディスコも、スネアではなくキックを4分で刻むため、質感はもっと落ち着いたものになります。その後の1980年代のブラコンにおいても、1990年代以降のネオソウルにおいても、このシンプルなビートは出番がさしてあったようではありません。ましてアンビエントR&Bとかにこの騒がしいビートの居場所があるはずもなく。

 

 

②ヒップホップ

 ソウル・R&Bに合わないとなると、そこに隣接する存在でもあるヒップホップにおいてもやはり出番は殆どないところ。ゆったりしたビートの中で気怠げにライムを刻むことで凶悪さや不穏さを演出するジャンル、と考えると、健全な煌びやかさを有するこのビートの出番が稀になってしまうのも理解されるところ。ヒップホップでこのビートを使おうと思ったら相当デチューンする必要がありそう。

 

 

③ジャズ

 スネア4分打ちはシンプルで子供っぽい響きがあるためか、ジャズにも根本的に合いそうにありません。なんかこのリズム、確かに黒人の生み出した文化のはずなのに、段々まるで鬼子めいたもののように思えてこないでもない。

 

 

プログレ

 演奏の複雑性・高度さを求めるこのジャンルにおいても、やはりこのシンプルなリズムが入る余地は中々無いのかもしれません。まあでも、このリズムが実は破滅的な効果も有していると明らかになった1980年代以降だと、またちょっと違ったりするんでしょうか。少なくとも、1970年代のいわゆるプログレ、って感じの音楽で聴くことは稀。

 

 

⑤ポストパンク・ニューウェーブ

 ダークでゴスな感じのポストパンク・ニューウェーブでもこのビートを見ることは多くない気がいます。ダークで無感情気味なトーンを演出するにはこのビートは強すぎるのかもしれないです。明るくガチャガチャした曲調だとまた違うんですが。

 

 

⑥スロウコア

 このリズムをスロウなテンポで叩いてもなあ…というところ。ただ、このジャンルについてはまだ多少は見られるところで、ただそれは「言われてみれば4分でスネアを叩いてるな…」程度のものと思われ。ある意味このリズムの進化系ではあるかもしれないけども、それはもっと人類の原初のリズムめいてるような。

 

 

みんなこのリズムに何を感じてるのか?

 このように、合わないジャンルではとことん合わないように思われるこのビートですが、しかしながらそれ以外、大まかに「ロック・ポップス」なんて言っちゃうような範囲の世界においては、特徴的なリズムのひとつとして非常に多くの、数え切れないほどの曲で使用されている訳です。

 じゃあ、それらは一体どう感じられて、どんな使われ方をしているのか、それを少しここで整理し直しておきたいと思います。全部個人の偏見ですが。なお、本編の各楽曲レビューにおいてもどの性質があるかをタグ付けしております。このタグ付けもまた個人の主観ですが。

 

 

A. 楽しく晴れやかな感覚

 これこそが元来モータウンがこのビートに求めていた効能で、真っ直ぐでタメの無いキビキビとした躍動感が、心が躍り出すような雰囲気を醸し出します。ビートの周りの演奏も華やかに彩られることが多く、ホーンが高らかに鳴ったり、タンバリン等のパーカッション類がいい具合に騒がしく鳴ったりしてます。そして、このリズムで終始通していくことにより、このリズム自体が楽曲の骨組みとなっていきます。まるでこのリズムにどう楽器や歌を重ねていくか、みたいな。

 今でも、アイドルの曲とかにこのリズムが楽曲の骨組みとして用いられる場合はこの用法になることが多いんではないかと思われます。基本的にはポップスを主眼に置いた用法なんだろう、というところでしょうか。

 

 

B. 適度にタイトなロック的感覚

 上記のとおりThe Rolling Stonesがこのリズム形式を取り入れて以降、どんどんロック的な価値観の中に浸透していきましたが、その過程でいつの間にか性質がこっち寄りになっていった感じが見受けられます。

 まるで漆黒のレザージャケットをタイトに着込むかのように、ソリッドなロックにおいてこのリズムは適度な縦ノリの爽快感を生み出します。そこにはある種の硬派さと、だからこそのホーン等を纏ったときの独特のグラマラスさがあります。

 

 

C. ラフで野放図な感覚

 このリズム形式はとてもシンプルなプレイなので、ともすれば乱暴な・雑な響き方にもなります。ジャンクに爽快感を得たいからこのビート、テキトーにアガれるようにこのビート、とりあえずデタラメさを出したいからこのビート、みたいな感じに使えるように特にパンク以降でなっっていったことで、このビートの使用感の幅が確実に広がるようになったはずです。

 

 

D. 苛烈で激情な感覚

 いつの間にかこのリズムは、ある種の思い詰めた感覚の表現にも使われるようになりました。縦に揺れるタイトさの中に何かしらの愚直さ・シンプルが故の攻撃性や激しさを見出されて以降、ここぞというタイミングでこのリズムを打ち込んで、そのコントロールを失っても構わないかのような感情・熱情の炸裂を表現する、というのは、おそらくモータウン時代にはまるで想定されなかったであろう、しかし大変有効なこのリズムの活用方法の一つです。

 

 

E. 無邪気さ・子供っぽさ・キラキラ感

 シンプルなこのリズムは子供っぽさのようにも感じられて、このリズムに何かグッとポップでセンチメンタルなメロディやリフが乗れば、一気に爽やかな感覚が溢れかえってきます。胸の内で蠢くポップな色彩を一気に吐き出さんがために、あるいは、一度通り過ぎたら戻ってくることのないある種の疾走感を永遠に刻み込むために、この直情的なビートで記憶に楔を打ち込むかのような。

 

 

F. ある種の“停滞”感・宙吊り感

 このリズムはシンプル過ぎて、時に普通のバックビートと比べて落ち着きもスリルも無く中途半端で退屈なものに感じられますが、時折その「中途半端で退屈なこと」を目的にしたとしか思えないようなこのリズムの使い方が存在します。音楽においては何が吉と作用するかわからないことの好例のひとつかも。

 いい具合の気怠さを表現するのに向いてることはもとより、そこから別のリズムに移行して変化をつけるときの鮮やかさが映える、という副作用も。このリズムのダルい部分というのは上手く使えば快い発散への滑走路にもなるんだってこと。

 

 

G. ちょっとした浮遊感・サイケデリア

 このリズムの持つ単調さの性質の応用。ある意味ではハンマービートと似た単調さをこのリズムが持つことから、これを延々続けていくことによる変化の無さにおいて、ふいに妙な浮遊感やサイケデリアに感じられてくる、という効能です。エキサイティングなリズムとして生み出したであろうモータウンからすればバグのような機動ですが、でもこれもこのリズムの重要な駆動方法だと思われます。

 さらに特殊な用法として、ワルツの拍子でこのリズムを使うことによって、さらに複雑な、変にねっとりした浮遊感が生じることがあります。そこには、8ビートのようでそうで無いということによる妙な感覚のズレを信頼する不思議な倒錯が滲みます。

 

 

H. 壮絶にヤケクソ

 クソ。もう全部クソ。うんざり。そういうのを表すのに、考えること自体から逃げ出すように無心めいたスネア4分打ちのリズムの乱暴なまでの単純単調さは、あまりに適していないだろうか、ということです。思うのは、ロック的なタイトさと、このコントロールを放棄するような性質とがどこか隣り合っていることの不思議さ。そのシンプルなのにひたすら破滅的な乱打の様の、勇敢さからなのかヤケクソなのか区別がつかなくなるような状態の、そのエモさを思いましょう。

 

 

I. バースト感

 激情の果て、もしくはヤケクソの果てなのか、何かが強烈に炸裂している感覚をこのビートが帯びることがあります。思うに、ハードコアパンクやメタルで用いられるブラストビートと高速のスネア4分打ちは裏表の関係にあり、高速で、しかも場合によってはツーバス込みで強靭に打ち込まれるこのビートはブラストビートの混沌とした炸裂感をさらに前のめりにしたものと解釈されます。

 特にツーバスが入った激烈なものになればなるほど、流石にこの奏法までもをモータウン・ビートとは呼べんだろ…という風情になってきます。どうして英語に「頭打ち」に相当する単語が無いのか。もしかしてあるのか。情報求む。

 

 

J.  端的に強烈な“場面転換”

 忘れてはならないのがこの効果。シンプルにも関わらず、むしろシンプル過ぎてなのか、普通のバックビートの中にこのリズムが挿入される瞬間、もしくはその逆の際の、パッと一気に雰囲気が変わる機能は大変重要で、これは下手をするとこの効果込みでソングライティングがなされたり、演奏の盛り上げの最終段階としてこのリズムが放り込まれたりといった形で、様々に活用されています。サビで急に縦ノリになるときの快感やら、曲の終盤で感情の振り切れるように縦打つ鮮烈さなどのいい意味で大味な使用法もいいし、または非常に局所的にこのリズムを発生させて・もしくは解除して効果を得る場合も面白いです。

 逆に、この鮮烈な場面転換の機能があるからこそ、あえてこのリズムを延々展開し続けることによる停滞感や浮遊感も格別のものになる、という表裏一体の関係があるようにも思います。

 

 

K. “興奮剤”としての用法

 上記の中でもDやHなんかと被るような特性だけども、ともかく強い感情をこのビートに注入するかのようにプレイして、逆にこのビートのシンプルで強い躍動感がまた歌の感情を昂らせるような、そんな働きをすることがあります。そもそもこのビートは曲の盛り上がるセクションで使用されることが多いものですが、特に一部の、このビートでもって強烈さを強調するアレンジは大変重要な効果となり、往々にしてその曲の一番盛り上がる箇所を形成します。

 この記事では特にこの作用が強いと思われる曲にタグ付けしておきます。

 

 

本編

 ようやく。それぞれの曲が上で挙げた属性のどれに当てはまるかも記しておきます。

 

1960年代

 「モータウン・ビート」という形でこの年代半ばに誕生し、それがどんどんロックの世界の中で広がっていく時期。

 

 

1. Stop! In the Name of Love / The Supremes(1965年):A

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 正真正銘のモータウン・ビート。このビートを用いた世界初の楽曲かどうかはともかく、少なくとも最初期の最も大ヒットした楽曲であることは間違いない。扇情的でその昂りが憂いじみたようにも感じられるサビメロと、安定感のあるヴァースの部分との行き来を全てこのスネア4分打ちの上で展開していくことによって、3分間のポップソングの中に「永遠に晴れやかでドラマチックな世界」を閉じ込めるかのように作用する。

 この曲の純粋にポップス用途なリズムの躍動感においてファンク的な要素は薄く、このリズムはひたすらに「恋に胸を痛める様子を華やかな歌として躍動させる」ことにその機能を尽くしているように思える。そもそもThe Supremes自体がはじめからそういうものだったのかもしれないけども。何気に終盤、ヴァースの回数を減らしたり、サビメロディ別のメロディが付随してくる変化には、楽曲の終わりかけに最も情熱を注ぐ類の根性が感じられる。

 

 

2. Get Off of My Cloud / The Rolling Stones(1965年):C, J

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 上でも記述したとおり、『(I Can't Get No)Satisfaction』は驚異的な大ヒットとなって、それはリズムの元ネタだったモータウンの楽曲よりも大きなヒットだった。その長いキャリアで延々と演奏し続ける代表曲を得た訳だけど、その「次の曲」というプレッシャーもありつつ、しかしリズム的には早速、モータウンのリズム”だったものを楽曲のフック部分をキャッチーにするガジェットに転用してしまったこの曲が、およそ3ヶ月後に「次のシングル」としてリリースされた。

 まだ『Satisfaction』のスネア4分打ちにはモータウン的な響き方が残っていたけど、この曲のように部分的な使用になってくると、その本質はモータウン的な煌びやかさよりも、もっと直情的なブチ上げに移行してきている。その射程は、あくまでポップなフィーリングを維持しつつも、その荒いギターカッティング共々、少々ガレージロック的領域に入り込んできている。この曲のがむしゃらに縦ノリに移行する感じは、後年のパンク以降のヤケクソさ具合が垣間見えるようにも思える。

 

 

3. So Sad About Us / The Who(1966年):E, J

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 1965年のうちに有名になりまた部分的にも使用できることが判明したこのビートは早速広く受け入れられて、もしかしたら2010年代の邦楽ロックで高速4つ打ちが流行ったみたいに、何かしらのトレンド性があったのかもしれない。このビートのパワフルでかつフレッシュな側面を最も的確に捉えられたのはたとえばこの曲なんかかもしれない。稀代のはしゃぎ倒しドラマーのKeith Moonの、このビートを叩いてる間に溜まった抑圧分をバネの勢いみたいにフィルインで開放しまくるその勢いの様は、ソングライティングも素晴らしいこの曲に決定的な「永遠の若さ」みたいなものを付与している

 メロディ展開、コーラスワーク、キラキラしたギター等々、この曲の美点はたくさんあるけども、そういったしっかりと整ったポップソングのポップさを、この曲のはしゃぎ倒すドラムは破壊するどころか、むしろもっとポップでキャッチーなものに高めている。全面的にボコボコにロールしまくるのではなく、要所要所でスネア4分打ちに回帰していく展開の引き締め方が効いてる。もっとも、彼が叩くとその抑制的なはずのスネア4分打ちの箇所すらパンクじみたパワフルさがどうにも滲み出てしまうけども。

 

 

4. Darlin' / The Beach Boys(1967年):A, K

 モータウン・ビートをファンク的なものとして捉えるにはおそらく上で動画を貼ったStevie Wonderの曲とか、そういう思ったほど多く無い事例を引っ張ってくる必要があるのかもしれないけど、その点The Beach Boysアメリカーナなサイケへの偉大な試みの失敗の後に、本当に何故か急にStevie Wonderを手本にしたポップなR&Bへの志向を一時的に強めて、曲の骨格や歌い回しはR&Bっぽいけど演奏はチープなサイケ感に満ちているという不思議で、だからこそ唯一無二なアルバム『Wild Honey』を残している。

 その中でも間違いなく飛び抜けてポップでクッキリとした勢いを持ったこの曲の存在は大きくて、当時の彼らが目指していたであろう類の躍動感が最もはっきりと表現されている。そしてそれは、甘いヴァースからサビで一気にモータウン・ビートのブーストが効いた縦ノリの展開に移行するところの鮮やかで強烈な効き目が大いに貢献している。このシンプルながら大変強力な対比の間をピアノとホーン、そしてコーラスワークが効果的に華やかに躍動する様は、彼らにしかなし得ない類のミニマルなR&Bのひとつの理想系が生まれてしまっていた。

 なお、後年のライブではもっと勢いづいた演奏がなされ、件のビートはよりロック的でワイルドな縦ノリに昇華されてたりもする。テンポが上がるといよいよこの縦ノリが興奮剤的な作用も帯びてくる。

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5. All Along the Watchtower / Jimi Hendrix(1968年):D, J

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 モータウンより始まった件のビートは使用者も使用方法もどんどん拡がり、このビートを多用し様々なパターンを築いた少々意外な人物としてJimi Hendrixがいる。かの特徴的な“ジミヘンコード”で知られる『Purple Haze』もスネア4分打ちセクションがあるし、各スタジオアルバムに2曲くらいはこのパターンのリズムが使われた楽曲が収録されていた。パターンも様々で、落ち着いたテンポのものも多くそっちも興味深いけど、彼のこのリズムパターンの曲で最も有名で強烈なのはこのBob Dylanのカバーだろう。

 荒々しくささくれ立ったコード進行をバックに立ち上るスネア4分打ちのビートの、まるで充血をそのまま音にしたかのような出立ちに緊張感が満ちる。そして、このビートのいいところは、適宜ブレイクしたりバックビートに変化したり、または元の形に戻ったりより激しく派生したりして、スタジオ録音でもかなりアドリブ的ながら、しかしだからこその生命感をギターや歌に負けじと注ぎ込む。この熱情そのもののような縦のビートの有り様はこの1968年も今も根本的には何も変わらない。ここでドラマーのMitch Mitchellが叩いたドラムが体現していたものこそが、パンクであり、オルタナであるような、そんな気もしてくる。

 

 

6. Dance to the Music / Sly & the Family Stone(1968年):A, F, J

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 このビートを本当にファンクに用いた事例。ただ、この曲自体は本人たちが望んだものではなく、レーベルからもっと売れる曲を、と言われて半ば嫌々制作したものらしく、メンバーの一人からは「栄光に伏されたモータウン・ビート。僕らにとってこの曲は演ってて時代遅れそのものだった」と冴え言われている。それでも、全米8位まで上がったヒット曲になった訳だけども。

 本人たちも認めるとおり、モータウン・ビートの跳ねるような爽快感をより強めて、タンバリンも交えて派手にぶん回す様は、このビートのモータウン式の活用方法として完成の域に達したそれのように感じられる*4。そのくらいにこの曲の様々な仕組みはポップでキャッチーで、歌メロはたいして無くとも元気あるリズムに沿って次々に飛んでくるヴォーカルは爽快だし、そしてブレイクで入ってくるヴォイス・パーカッションの展開は最高の緩急の付け方。これがあることによって、延々とこのビートで異性よくファンクされてもダレるかも…みたいな気分が見事に吹き飛んでしまうのは絶妙。嫌々で作ったにせよ、才気走った彼らが狙い澄まして作ったであろう見事な1曲であることに違いはない。

 

 

7. Brief Candles / The Zombies(1968年):A, E, J

The Zombies - Brief Candles (Lyric Video) - YouTube

 ジミヘンのようにブルーズ方面でのこのビートの導入というイレギュラーはありつつも、1960年代のうちはそれでもまだモータウン以来のポップな方面でのこのビートの使用が多かったような印象がある。ソフトロック・サイケ方面でもこのリズムは時折使用され、その元来からの陽属性の性質をよりイノセントでキラキラとした形で響かせることに長けていた。

 たとえばThe Zombiesのソフトロック名盤『Odessey & Oracle』収録のこの曲では、クラシカルなピアノと歌のみのパートからパッと曲調が変わり一気に甘く弾けたメロディに変わる際に、まさにその基底として心が跳ねるような感覚そのものをこのリズムが担っている。この曲の場合、ビートレスで少々曖昧なサウンドの中から打って変わってこのクッキリしたビートが出てくることで、曲調自体の変化をより際立たせる効果も発揮している。不思議なのは、この元気のいいパートの方がまるで思い出の向こう側のファンタジーみたいに感じられるところ。全体的に効いているエコーの効果もさることながら、Colin Blunstoneの絶妙に弱すぎる声質がそう思わせるのか。

 同じアルバムには、このリズムをもっと全編に渡ってポップに響かせ続ける『Friends of Mine』もある。このリズムの無邪気さ・それ故に纏わりつくある種のレトロさなんかを象徴している。

 

 

8. Pour Your Love on Me / Delaney & Bonnie(1969年):A, C

Delaney & Bonnie - Pour Your Love On Me - YouTube

 1970年代前半のロックにどこか共通する、1960年代と比べてよりもっさりした雰囲気には、多分にスワンプロックの影響があると思われる。アメリカ南部の湿地帯から連想された「スワンプ」という呼称にはミシシッピデルタ発祥の音楽に接続していく音楽というイメージが重ねられたが、スワンプロックは基本的に白人による音楽だった。その代表格である彼らは、片割れは確かに南部出身だけど、活動拠点はロサンゼルスだった。

 スワンプロックの流行以降、ロックは8ビートから16ビートに変化していく。彼らの実際の1stアルバムがその流れの先駆けのひとつとなったであろうが、その前に制作されていた幻の1stアルバム『Home』には、もっと1960年代寄りというか、過渡期的な感覚があって面白い。この曲では、モータウンのリズムを借用して、曲もボーカルもホーンもその形式で束ねられているはずなのに、でもリズムに16のフィールが含まれるからか、スワンプロックなテイストをしっかりと感じれる。サザン・ロック的なテイストというのは案外モータウンから引き継いだものもあったのかもしれないとか、この曲を聴いてると思ったりした。*5

 

 

1970年代

 モータウン形式のポップスの栄光は過去のものとなっていき、ロックが成熟を極めていき、その分肥大化して、そして末頃にはパンクという名のニューディールが起こった時代。このビートにおいても、過去のポップス要素は次第に忘れ去られて、そしてパンクの登場を機に、一気にその性質を違えていく流れになっているように感じます。

 

 

9. What is Life / George Harrison(1970年):A, F

George Harrison - What Is Life - YouTube

 The Beatlesという1960年代を代表するグループの解散後に彼が出した2枚組の大作アルバムは、しかし様々な意味で「1960年代と1970年代の間に立つアルバム」に感じられるところが面白い。すなわち、サウンド的にはスワンプロックに大きく傾倒しつつも、元々のドゥーワップモータウン好きの気質もしっかり作曲に残り、そしてまさに1960年代な人物のPhil Spectorをプロデューサーに迎えて、実に混沌とした要素をスッと一本に通せているのは、George Harrisonの調子がとても良かったからだろう。

 この曲なんかまさに、モータウンとスワンプロックを強引に繋げたことを、モータウンビートセクションとサビとの繰り返しによって如実に表している。演奏にはどことなく1970年っぽさを感じさせるもっさり感があるのに、しかしヴァースのリズムとそこに乗るメロディの仕草はモータウン式で、そのチグハグさを覆うのがPhil Spectorによるウォール・オブ・サウンドなんだから、そのちゃんぽん具合は中々のもの。しかしこのビートがまるで抑えになっていたかのように、バックビートに変化したサビのメロディや演奏の華やかな拡がり方は印象的。要素だけ見たら空中分解しそうなのにそうならないのは、やっぱ曲がとても良いからなのか。

 

 

10. 20th Century Boy / T-Rex(1973年):C, F, H

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 成熟を重ねていく1970年代前半のロック界隈において、成熟を否定してぬるい享楽に浸り続けるように作品を重ねていたT-Rexは異端的存在で、しかしだからこそ、特にこのバンドの典型的なユルいブギーは唯一無二の個性を有することができた。ポップであってもロックであってもロマンチックであっても、まるで本気か分からない、まるで本機に接続できない、みたいな性質は、翻って独特の停滞感とそれに伴う哀愁を持ち得る。

 ギターリフがハード気味なこの曲でもやはりそうした個性的な停滞感があり、サビの箇所のスネア4分打ちへの変化も、コード感さえ失くして、ただただ雑な狂騒感だけを正確に撒き散らしていくのが徹底している。パーカッション類の躍動も、コーラスとホーンが歌メロとユニゾン・ハーモニーを形成することも、そこにノスタルジックだったりセンチメンタルだったりは一切なく、ただただ無意味に騒ぎ立てることだけを取り出している。その的確な無意味さ・雑然とした感じには、むしろどこか破滅的なものさえかえって感じられてきて、なるほど確かにパンクに親和性がある、と思えるところでもある。

 

 

11. Win / David Bowie(1975年):G, J

Win (2016 Remaster) - YouTube

 今回のリズム形式は1970年代以降のソウルではあまり使われない、という話を上で書いたけど、何にでも例外はいくらかあって、たとえばこの曲。フィリーソウルに熱中した彼がそれ以外のコンセプト等もあまり拘らずにひたすら制作に没頭した末のアルバム『Young Americans』では2曲目に置かれたこの曲は、もっとしっとりとしたソウルを志向し、ギターの音もモジュレーションエフェクトでかなり濡れた音色になっている。というかギター使いまくりの編曲が同時代のソウルと比較しても異端めいた感じもするけども、それ以上に、サビで突如5拍子のリズムに移行し、頭打ちのリズムを刻みつけてくるところの異様さが、曲の陶酔感をさりげなく打ち破ってきて面白い

 当時のフィリーソウルは勿論、ソウル全般を見ても、こういうリズムチェンジを取り入れることは稀も稀だと思われるので、そこを唐突に入れ込んでくる彼の奇怪さが感じられる。ここでバックで演奏されるギターの音色といい、どこかThe BeatlesAbbey Road』っぽさが感じられる展開で、どうしてこれをわざわざこの曲のサビに取り入れたのかよく分からないけど、でも確かに彼が本当にフィリーソウルのそままの作品を作ってしまうよりも、こういう謎めいた変化球があった方が面白い感じもある。ウェットなフィーリングで何か混沌としたことをしてるのは面白い発想だと思う。

 

 

12. Go Your Own Way / Fleetwood Mac(1977年):D, J

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 リリース当時も大売れしたし2020年代にもなって収録曲がTikTokでバズるなどしていまだに売れ続けてるモンスターアルバム『Rumours』。一番有名な曲は『Dreams』だけども、当時先行シングルでリリースされたのがこの曲。当時の破局ばっかり蠢くバンド状況とか、そこを赤裸々に綴った歌詞だとか、その上で彼らの初のアメリカでのトップ10入りの楽曲になったとか色々あるけども、それにしても1977年にして理想的すぎるエモ/パワーポップだなあ、と聴いてて思う。アルバム全体にうっすら漂うカントリーテイストからも外れているけど、ちょっと大袈裟な感じも含めて、勇敢で格好いい曲だ。

 で、そんな抑制と開放の外連味が効いた名曲の終盤、それまでもフィルインで少しばかり見せていた頭打ちのリズムが満を辞して、終盤サビ以降のビートの基調としてずっと打たれ続けていく。最後の盛り上がりと言わんばかりに演出するこの縦ノリの変化の熱情の迸る感じは、もう殆ど1990年代以降のオルタナティブロック以降の世界に先駆けてしまってるようにも感じる。そりゃこんな格好いいの1977年時点でキメてたら売れもするわ。淡々としすぎたことで時代を超えた感のある『Dreams』共々、時代性を感じさせない名曲っぷりが、もしかしたら今日でも新しいファンを増やしてる原因なのか。

 

 

13. Seventeen / Sex Pistols(1977年):C

Sex Pistols- Seventeen - YouTube

 「パンク以降このビートは破壊的な形で用いられるようになっていった」という文章を書いていく上での1番の懸念は、果たしてそういうリズムの楽曲がパンクの象徴たるこのバンドに存在しているのか、ということだった。昔読んだとあるネタ本では「セックス・ピストルズこそが唯一無二のパンクバンドなのだから、全てのパンクバンドはセックス・ピストルズがしていたことしかしてはならない」と書かれていて、その論でいけば、今回取り上げてるスネア4部打ちもこのバンドがやってなければパンクとは呼べないのでは…?という懸念が。

 まあ、この曲で演奏してたのでホッとしたけども。正真正銘このビートはパンクだと呼べそう。この曲自体はずっとこのビートで進行するわけでもなく、50秒過ぎくらいまでのメロディのセクションで使用された後は別に出てこない。というか結構曲調が色々と展開するもんだな。というか実はこのバンド、ドラムパターン意外と多いな。Paul Cookってもしかしていいドラマーなのか。

 

 

14. Born to Kill / The Damned(1977年):C, H

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 パンクからもう一例。The Damnedのパンクは、当時のロンドンパンクバンドと比較しても最も勢い任せで、思考よりも瞬発力といった感じで、それゆえにSex PistolsThe Clashと比較しても後のハードコア等との親和性がずば抜けて高い。ひたすら速く、ひたすら騒然とすべし、と言わんばかりの楽曲にはある種の潔ささえ感じさせる。金太郎飴的とも言えるのかもだけど。一時期後述のMotörheadのLemmy Kilmisterが在籍していたというのも分かるところがある。

 それで、この曲。はじめは普通に勢いのあるバックビート、って感じなのに、すぐにもう耐えられんとばかりにスネア4分打ちに移行して、その後ずっと高速頭打ちで駆け抜けていく様は実にアホっぽい、又は潔い。同じメロディの繰り返しの中で唐突にリズムがこのビートにすり替わるところも衝動性が高く、そこからずっと殆どをこのビートでやり抜いてしまうところはやけっぱち感も高い。いやいや、でも音楽なんてやけっぱちで演奏されるべきもんでしょ、というムードで充満するアルバムの中でも、このひたすら縦ノリを叩きつけ続けてたまにカッコよさげにブレイクを挟むこの曲のスカしているのかバカっぽいのか判然としない感じは、このバンドを始祖とする音楽の流れの源流っぽさが感じられなくもない気がしないでもない。

 

 

1980年代

 ヘヴィメタルの本格的な進展によってこのリズムのエクストリームな方面の性質はいよいよ極まり、果たしてこれを「モータウン・ビート」と呼べるのか甚だ怪しくなってきます。そしてオルタナティブロックにおいても血走ったような使用法が一般的で、やはり攻撃的なものとして完全に変質していく時期と言えそうに思えます。このブログの性質上、この年代は特に後半のオルタナバンド多めです。

 

 

15. (We Are)The Roadcrew / Motörhead(1980年):B, C

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 ロックからヘヴィメタルへの橋渡し的ポジションを延々と体現し続けたMotörheadは主導者Lemmy Kilmisterの日本語Wikipedia記事には「独特の爆走系ロックン・ロール」とその音楽性を呼称されている。なんだ「爆走系ロックン・ロール」って。でも、この曲みたいにメタルって感じでもない、ブルーズ派生のロックンロールだって感じがまだするタイプの曲だと、そういう言い回しもわからないでもない気持ちになる。この曲についてはタイトルからしていかにもバイク野郎な感じだし。

 そしてこの曲がまた、延々と齧り付くような頭打ちのリズムで進行し、ケレン味あふれるブレイクに向かっていく曲構成になっている。ハードロックとして捉えようとしてもどこか無骨すぎる演奏の感じと、そして野太く鈍いボーカルの響きが直接縦に揺らされて、ざっくりしたブレイクを決めていくのは単純にとても格好いい。特に終盤、フィードバックノイズやワウでグチャグチャな中を縦のビートで力強く駆けていく様は勇猛そのもので、そして後のジャンル分けに当て嵌めにくいこのバンドのオンリーワン具合がよく感じられる気がする。

 

 

16. No Thugs in Our House / XTC(1982年):C, F

XTC - No Thugs in Our House - YouTube

 このリズムはどうもクッキリしすぎてしまうからか、ダークな感じのニューウェーブ勢で使われにくい感じがあるのは上で述べたとおり。で、明るい曲調メインのガチャガチャした感じのニューウェーブバンド、すなわちXTCみたいなのになるとまた状況が違って、彼らはそこそここのリズムを使ってる。実際、この曲は延々とこのビートで進行し続け、なおかつこのビートの具合を微妙に調節することで曲展開の変化も担っているという結構特殊なこともやっている。単調さこそが信条と思えるこのビートにもやりようはあるんだな、と思わされる。

 この時期の彼ららしくポップさが捩じくれまくったメロディ展開をしているけども、その中でもサビ的な箇所はよりはっきりとキャッチーに感じられる。そこにおいてリズムはそれまでのキチッとした8分刻みをやめて、ハイハットを4分で強く打つプレイに移行する。これによって、あたかもリズム全体がバウンドするかのような、少しシャッフルが入ったかのような感覚を覚えさせる。ここのぜつびょうなギアコントロールにより、同じリズムを継続してるにも関わらずこのセクションが少し浮かび上がる演奏構成となっているのはとても巧みだと思った。

 

 

17. バチェラー・ガール / 大瀧詠一(1985年):A,

大滝詠一 バチェラー・ガール - YouTube

 こうして並べてみるとこの曲が、このリストの最初に挙げたThe Supremesの『Stop! In the Name of Love』のもじりであることがちゃんと理解できた。キャッチーながらマイナー調的な緊張感あるサビのメロディと、ポップス然としたゆるやかな高揚感に溢れたヴァースのコード進行の対比関係を、彼はここで堂々と借用する。そこには当然のように、“原曲”と同じモータウンビートで延々と進行するリズムが付随してくる*6

 こうやってポップス然とした形でこのビートを聴くと、改めてポップな生命力を吹き込むビートでもあるんだなと、次第に攻撃的な方向に触れてきたリストの中でもそう気付かされる。元来のポップさの再評価というか。ただ、大瀧詠一の場合再評価も何も、初めからずっと往年のポップスばかりを見つめ続けていたということなんだろうけど。リヴァーブ多めのピアノを鐘のように使うのは1980年代的だなと思った。

 

 

18. Angel of Death / Slayer(1986年):I, K

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 1980年代以降に隆盛したスラッシュメタルは、それまでメタルに残っていたハードロック的でグラマラス気味で余裕ある属性を削ぎ落とし、ハードコア的に速さをストイックに追い求め過ぎることで狂気じみた勢いを獲得することに成功し、何と言うか、「突き抜けたエッジさ」みたいなものを獲得することに成功したジャンルだと思う。金属楽器の鈍い軋みそのものを高速で躍動させるそのプレイは正しく「メタル」という感じがして、この感覚こそ、幅広く奥深く展開していける音楽性の起点になったとも言えそうだ。

 スラッシュメタルの名盤である彼らの『Reign in Blood』冒頭に置かれたこの楽曲はその歌詞による政治的な問題もさることながら、冒頭から重いギターリフとドラムのアタック感がひたすら炸裂し続ける演奏が非常に典型的にスラッシュメタルを体現する。特に、イントロ等で繰り広げられる高速の頭打ちがいつの間にか裏返ってブラストビートになってグチャグチャに疾走し始めたり、逆にまた裏返って高速頭打ちの思い詰めたかのような迫力に咽ぶ辺りはこのジャンルならではの倒錯っぷりに満ちている。この曲はその後、テンポをやや緩める展開をしながら、またどこかの地点で加速し、おかしいくらいのテンションで縦に乱れ打つ。この、どっちが面でどっちが裏かまるでわからなくなってしまいそうな混沌の具合こそ、モータウンから遠くに来すぎてしまって帰る場所などとっくに振り切ってしまった、エクストリームなロマンの行き着く先として相応しい。

 

 

19. Son of a Gun / The Vaselines(1987年):C, E, F

The Vaselines-Son Of a Gun - YouTube

 1980年代の最後何年間かはオルタナティブロックの前哨戦としての役割が非常に大きく、この時期に撒かれた種が1990年代に急成長し、やがてインディー的なロックの軸となっていく。その中で、スコットランドで伸び伸び活動しては短命で活動を終えたこのバンドの「そんな難しいことはできないから演奏はパンク的だけど、別にパンク的なことがしたいわけでもないからできる限りでポップなことをやる」みたいな姿勢は、ひとつの安らかな開き直りとして重要であり、そこに自由な安らぎを覚えるKurt Cobainみたいな人も出てくるわけである。

 デビューシングルだったこの曲の、冒頭で重く歪んだ不穏なギターを出しておきながら、そんなの全然関係ないくらいに明るいコード進行とこのビートでナチュラルにヒネた天真爛漫さを吐き出してくる様が眩しい。サビの単音ピアノの連打といい、終盤の単音ギター連発や歌メロ後ろでミスマッチギリギリで鳴り響くギターフレーズ等々、ひたすら単調なリズムのままやり通してしまう。ここには整合性への努力は最低限で、それよりも多少ズレてる感じも天然でやり通してしまう清々しいバカっぽさがある。そのジャッジのラインはある意味ひとつの理想でさえある。

 

 

20. Budge / Dinosaur Jr.(1988年):D, H, K

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 極言すれば、彼らの1988年のアルバム『Bug』こそがオルタナティブロックの基本形のサウンドなのかなと思ったりする。クランチとデュストーションのギターの切り替えを小気味よく行うことで表現されるドライブ感や、ダルいようでしかしポップさはちゃんと表現された楽曲メロディや歌い方など、ここには何か基調的なものが大体備わっている。ヤケクソ気味なパンクさについても、この曲や『Don't』などをはじめとして備わっているのがとても大きい。

 この曲冒頭からの、頭打ちの激しいリズムといきなり切羽詰まった歌、というインパクトは大きく、またこのサビ以外のセクションのユルくダレ切ったメロディ運びとの対比の構成はシンプルに強烈だ。まるで普通のバックビートが脱力し切ったものかのようにヘロヘロなメロディを当て、しかしそっちも小気味良いクランチギターを聴かせる。そしてサビでは急変して鬼気迫るテンションを見せる。これは典型的なグランジと質感は大きく異なりつつも、やっていることは同じだなって思う。

 

 

21. Nothing Much to Lose / My Bloody Valentine(1988年):C, F

My Bloody Valentine - Nothing Much To Lose (Album version) - YouTube

 ノイズまみれの轟音の中に脆弱や安らぎを見出す、というシューゲイザーの典型パターンにおいては、このリズムは元気が良すぎて敬遠されるところがある。でもそういう典型というのは後付けで見出されたようなものであり、実際のシューゲイザーバンドはもっと自由にいろいろなことをしている。“典型”を作り上げた原因であろうこのバンドも、1stフルアルバムの頃はもっとサウンド様式は混沌とした状態で、中にはこの曲のようにパンク的なワイルドさを持った楽曲も存在している。

 この曲の場合、イントロの暴力的なノイズのフックと対比させるかのように、いい具合に野暮ったく響くこのリズムとサビフレーズが置かれるところが、バンドの持つ案外腕白な部分を象徴しているかのようで楽しい。殺伐として冷め切っているような世界観を全体的には持ちつつも、時々こうやって持ち前のポップさがまろび出る感じがどこか人間的で好きだ。曲の終盤ではイントロと同様のノイズのフックの中で頭打ちのリズムを叩くセクションなんかもあって、その重ね方のクールなのか熱いのか分からなくなる感覚がまた楽しい。

 

 

22. Wave of Mutilation / Pixies(1989年):B, E

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 Pixiesの2nd『Doolittle』もまた、オルタナティブロックの基本形を沢山含んだアルバムで、ポップで爽快でロマンチックな名曲が複数収録されているのが大変に強い。『Debaser』『Monkey Gone to Heaven』『Gouge Away』そしてこの曲辺りは、いつまで経ってもある種のインディーロックの理想系たり得るものを確実に持っている*7。特にこの曲の、僅か2分ちょっとに含まれたギターロックの爽快感たるや。ベスト盤のタイトルになっちゃうのも納得する。

 イントロで一通りの展開を示すわけだけど、そこからメロディが乗っかって以降のロマンチックさはインストだけでは分からないから、そこはソングライティングの力ということになる。特に、拍足らずの頭打ちで進行するサビの箇所の、タイトルを連呼してるだけなのに不思議にポップさ・フレッシュさが溢れ出るところは魔法じみてる。何らかの絶望で海に投身自殺する歌とは思えないほどのこの明るさは、その逆説は、しかし言葉と音という切り離された2つの要素で成り立つポップソングだからこそ可能なものを端的に示しすぎている。キラキラした生命力に満ちた死の歌、なんて可愛らしい捻くれっぷりなんだろう。

 

 

23. I am the Resurrection / The Stone Roses(1989年):A, E, J, K

The Stone Roses - I am the Resurrection - YouTube

 1980年代末を「長い1990年代の一部」と思わせることに音楽的に一番貢献しているのはもしかしたら彼らの1stアルバムかもしれない。その後のUKロックの指針となったキラキラしたギターサウンドのビート感覚、そしてブライトなポップセンスは、このアルバム最終曲でも思う存分に、何なら1,2を争うくらいの高品質で作曲・演奏され、そしてそれにも関わらず、楽曲の後半はより自由自在でエネルギッシュなジャムセッションに展開していく。

 自由闊達なリズムを有する彼らがしかし、この曲前半においてあえて頭打ちのリズムを採用しその自由さを自ら“効果的に”制限したことは興味深い。そして、その制限によってかえって曲のメロディの良さが強調されるような作用が確実にあって、また部分的にこのりz有無を解いて普通のバックビートに差し代わる具合も絶妙で、彼らがどこまで計算で/天然でこういうアレンジを組んだのか気になる。しなやかなバックビートが基調となる後半のセッション部分も、やがて前半と同じ晴れやかなコード進行に戻った上で、最もテンションが高まる箇所でこのリズムに回帰するのは熱くなるものがある。

 

 

1990年代

 オルタナティブロックがパワーポップやエモ等に発展して、その中でこのリズムも様々な形でねじ込まれていく年代です。直接1960年代の再評価が進んでいく中でこのリズムが復権する側面もあったように思います。また、日本においては特にこの年代から急にこのリズムが多用されるようになって、ヒット曲にも時折登場するようになった印象があります。

 

 

24. Territorial Pissings / Nirvana(1991年):H, K

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 今回のこのリズムの重要な使用法のひとつとして「楽曲の最後をこのリズムにしてヤケクソのようにテンションをぶち撒ける」というものがある。上述のFleetwood Macなど先駆けとなる楽曲はあるけども、この“作法”を反復して使用し定着させたのは誰だろうか、というのを検討していくと、有力なものとして1番に出てくるのはこのバンドだった。彼らの楽曲にはこのタイプの曲がこの曲と他に『On a Plain』『Rape Me』『tourette's』などがあり、他の曲でもこのリズムの用法も含めて、ヤケクソなテンションをぶち撒けるものとしてこの演奏技法が用いられているのが分かる。

 そしてその意味で、この曲は非常に典型的に、グチャグチャなテンションを悲痛なまでに撒き散らすために終盤頭打ち化し、振り切れて言葉さえ崩壊したボーカル共々、見事な惨たらしさを爆発させて果ててみせる。あるいは、この演奏様式が実際はそこまでオリジナルパンクで多用されているわけでもなさそう*8なのに「パンク的な演奏」などと呼ばれるのは、彼らのこういうパンク気味な楽曲の存在がとても大きいのかもしれない。それにしたって、彼らのこの曲みたいな具合に見事にぶちまけて見せられる例ってのはそんなに多くはないんだろうけど。

 

 

25. スウィート・ソウル・レビュー / Pizzicato Five(1993年):A

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 それまでそこまで売れてなかったこの人たちが、それまで日本でさほどヒット曲が出てたわけでもなさそうなこのリズムを採用したこの曲でスマッシュヒットしたのは不思議な感じがする*9けども、もしかしたら何か潮流の変わり目だったのかもしれない。良くも悪くも野暮ったい感じの1980年代の日本音楽業界がもう少しカジュアルな感じになっていこうとする、その過程でのヒット曲のひとつ、として見ることも出来るかもしれない*10

 それにしてもこの曲の面白いのは、延々とモータウンビート方式で楽曲を展開させつつも、リズム以外の演奏にはどこか1970年代以降のソウルの痕跡があって、非モータウンビート化した1970年代ソウルを無理矢理再モータウン化させたようなところがあること。具体的にはエレピの音色やベース、パーカッション、フィリーソウルっぽいストリングスなどが1970年代っぽい。それを強引にモータウンビートに結びつけてしまうのは、直接そういうソウルの系譜を引いているわけでも何でもないが故に脳内で幾らでもこねくり回せる日本のアーティストだからこそなのかもしれない。もしくは、Benny Benjaminが1970年代まで生きていればこういうソウルでドラムをこう叩いてたかも、という願望めいた妄想か。

 余談だけど、この曲はそうでもないけど、何気にPizzicato Fiveもこのビートをヤケクソ方面で使用することの多いアーティストのひとつだと思う。

 

 

26. Rocks / Primal Scream(1994年):B, C

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 どうして1990年代に1960年代の復権が進んだのか理由はよく分からないけど、でもたまにこういうコテコテにやっちまおうとする人がいたから、っていうのは大きいんだろうと思う。ヘロヘロなダンスフィールを『Screamadelica』で極めた後に、そのヘロヘロさのままThe Rolling Stonesサウンドにリズムの快楽を見出して彼らが制作に向かったアルバム『Give Out But Don't Give Up』は、彼ら自身からも若干失敗作扱いされつつも、『Rock』というやり切った名曲を輩出した。

 イントロのリズムからして「『Satisfaction』を1960年代末以降の“全盛期”ストーンズサウンドでやってしまおう、そんなの絶対最高にしかならないから」という確信に満ち溢れ、そのままこのリズムでサザンソウルっぽい狂騒感をやり切ってしまうスコットランド出身のかつて繊細なギターポップをやってた人間が、ここまでコテッコテにロックンロールに傾倒してみせられる、このテキトー極まる自由さこそが1990年代なんだっていう、何かしらの精神を体現してさえいるような気がしてくる。こんな小難しいこと考える方がかえってこの曲のバカっぽさに失礼な気もしてくるけども。

 

 

27. Surf Wax America / Weezer(1994年):D, E, K

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 この辺の時期は本当にこのリズムの再びの最盛期な気がしてくる。“パワーポップ”という概念を再定義してしまった感のあるWeezerの1stにおいて、特に威勢のいい1曲としてブチ上がるこの曲では、まさにブチ上がるための装置としての頭打ちのビートの使用方法の最適解とさえ言えそうなくらいに、このビートがしゃぶり尽くされるかのような具合で前のめりに使用されまくっている*11

 抑制していた最初のヴァースが終わってもう辛抱ならん、と言わんばかりに、同じメロディのままこのビートで強烈に興奮したテンションは、むしろサビのバックビートによって冷まされてる感じさえある。最初のサビでブレイクしても結局テンションは止まず、次のヴァースはいきなり縦ノリがブチ上がる。そして、サビの繰り返し地点よりも手前でまた縦ノリが溢れてきてしまう。ここから先、リズムがバックビートから縦ノリに変化する箇所は全て小節の変わり目よりも前、という、徹底して前のめりな勢いが表現されるのが本当にバカみたいなテンションの高さを表現し切っていて素晴らしい。ある種のYouthさはかくあるべき、みたいな何かをこのアレンジに思ってしまう。

 

 

28. Round / Sunny Day Real Estate(1994年):D, K

Sunny Day Real Estate - Round - YouTube

 NirvanaKurt Cobainの自殺により機能停止した1994年に新型パワーポップの始祖たるWeezerの1stと、そしてエモの始祖たる彼らの1stが出ていたのは象徴的な感じがすぎる。歴史の偶然って時に怖い。この1st『Diary』での彼らの音楽性は、まるで病んだ血管を冷ましては急にバーストさせるかのような振り幅でバンドサウンドとボーカルを躍動させ、そこにこそ初期エモの爆発力がある。ある意味ではグランジの変奏とも呼べるかもしれない。

 そして、その感情の噴き上げる様を表現するのに頭打ちのリズムの無情な打ち付け感は実に合うことが、この曲のサビ的なセクションの複雑なリズムの移り変わりの中で示される。彼らが特徴的だったのはこのリズムの切り替え方の頻繁さと、そこに感情的な必然性が強烈に伴ってくるところ。この曲でも、ヴァース以外の箇所のうねるようなリズム構成の中でこのリズムが登場すると明確さ・冷徹さが際立ち、特にそこに血が逆流するかのようなボーカルが乗ると、何らかの絶望的な感情が吹き上がる。この何か、取り返しのつかない感覚に貫かれてその身をあられもなく震わせることを、あるいはエモと呼んだのかもしれない。

 

 

29. シーソーゲーム / Mr.Children(1995年):A, E, H

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 日本で一番売れたこの手のリズムの曲となるとこの曲になるんだろうか。『innocent world』が大ヒットして以降の快進撃の中で、とりわけ下世話で月並みな恋愛模様をどこか皮肉ったような自ら絡め取られに行ったような歌詞を一際ポップな勢いに満ちたサウンドElvis Costelloオマージュのボーカルでやり切る様は、ある意味で当時のなんでもあり感と投げやりさが大ヒット曲としてよく現れた形だと思える。ここまでポップさが振り切れていればこれをシングルにしない手もないだろうし。

 冒頭から現れ、サビでも心弾むかのように展開されるモータウンビートがこの曲の肝であることは間違いない。この、これでもかとどポップが展開される様にはどこか、当時のバンドがポップなものにうんざりしつつあったことの裏返しのようなものさえ薄ら感じられて、案外投げやりだったりしたのかな、と思える。しかし、サウンドの方はギターもそれなりにリードを取ろうと健闘し、初期〜中期The Beatles的ないなたさのあるギターリフはその後の『名もなき詩』等と陸続きなサウンドだったりする。

 

 

30. 虹 / L'Arc~en~Ciel(1997年):D, K

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 ドラマーの薬物所持での逮捕という事情により活動休止した後の、復活のシングルで自身のバンド名を冠したこの曲を持ってきた、よりによってこの曲を出せたということが大変素晴らしい、当時3人だった*12彼らが自身の根幹を抉り抜けたかのような名曲。そしてそのいきなりサビの展開の中で、いきなりこの縦のリズムが強烈に響くのは大変力強く、また輝きも暗がりも含んだ生命力に満ちたものとして大いに印象に残る

 この曲の場合、全編このリズムではなく、サビ以外ではもっとしなやかなリズムに切り替わるというところが非常に重要で、だからこそ2回目以降のサビの、重い身体を重力のくびきから何とか解き放たんとするかのような懸命の縦のビートとボーカルが映える構図となっている。特に最後のサビの、繰り返しによってまたこのビートに戻ってくるところの重力に逆らうようなテンションの高まりは素晴らしい。

 

 

31. 冷たい頬 / スピッツ(1998年):D, K

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 スピッツの数あるシングル曲の中でも、はっきりと頭打ちのリズムが用いられるのはこの曲くらいのもの。この時期特有のJ-POPに寄せた感じの展開の多いサビメロディにおいて、その前半部分で感情を一気に「絶望と困惑と蛮勇の半狂乱」色に染め上げてしまう役割をこのリズムが担う

 ここのサビの縦のリズムの切迫感というのは、ヴァースの箇所の雰囲気が非常に穏やかな感じから急にここに接続されるからこそ生まれる。メロディも実に高く飛翔し、だからこその歌詞で描かれる「不可逆な別離」の感じがどうしようもなく、痛々しく響いてくる。逆に、この痛々しさを際立たせるために、ここで彼らは縦に激しくリズムを打たなければならなかったんだろう。そこが充血するように激しければ激しいほど、サビ後半のリズムの解け具合の可憐さもまた際立つ。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 

32. Sidewalk / Built to Spill(1999年):D, E, K

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 オルタナ以降のギターロックにおいて、このリズムが活発にせよ陰鬱にせよ、溢れ出るパッションめいたものを表現するために使われていくことは十分に理解されたと思う。そんな流れのダメ押しのように、この曲は大いに頭打ちを繰り返し、自由自在にドライブするギターサウンド共々、高らかに飛んでいけそうな勢いを演出する

 イントロの妙に地味な感じから、テンポがゆっくりになったところで浮遊感あるギターサウンドが展開し、そのままこのリズムに変化して歌が始まる頃にはもう、どこからかやたらと湧き上がるアップリフティングなテンションに任せるまま、と言わんばかりの雰囲気が溢れ出す。どれだけ間奏で空間的な停滞感を表現すべくダウンテンポしても、歌が帰ってくる頃には結局この溌剌そのものなリズムに戻ってくる。この曲の収録されたアルバム自体も全体的に何か生命力が溢れ出る感覚を覚えるけども、この曲のアップリフティングさの溢れ出し具合は強力だと思う。

 

 

2000年代

 この辺からもう年代でどうこうとかいう特徴付けをすることが少々バカらしくなってくる気がします。インディーロックの展開によって、過去の様々なロックサウンドの研究が一気に進んだ結果「こういう用途・目的でこのリズムを使う」というのがはっきりしてきた感じがあるかもしれません。

 

 

33. Do You Believe in Magic? / Cymbals(2000年):B, H, K

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 スマートなのにどこかパンクじみたキュートなヤケクソさも感じさせる、といった音楽性が初期Cymbalsの持ち味で、それはちょうどPizzicato Fiveのヤケクソ部分を抜き出してよりヤンチャにした格好にも思える。お洒落なサウンドとポップなメロディをどれほど手数の多いドラムで引っ掻き回せるか、が当時の彼らの大きな基本方針で、特に頭打ちのリズムの挿入は後に沖井礼二がアイドルや声優に楽曲提供する際のシグネイチャーサウンドのようになっている。

 その“沖井礼二シグネイチャーとなった頭打ちのリズム”を最も典型的に、乱暴なまでにサビで躍動させまくるのがこの曲の最大の特徴だ。複雑なことなど何も無い、ただただシンプルに打ち鳴らされる縦のリズムの中でタイトルコールのメロディは駆け上がり、そこにささやかなコーラスも寄り添う。こんな、ブチ上がることしか考えていないアンサンブルの中で歌われるのが「魔法を信じるかい?」というフレーズなのだから、とってもポップを狙い澄まされている。

 というか、改めて調べてみて、この曲が20世紀の終わりに間に合ってないことを初めて知った。Cymbalsって本当にシブヤ系ブームの末頃もしくは終わった後に現れたんだな。1stも2ndも2000年リリースで、“初期Cymbals”の大半はこの年に収まってしまうことにちょっと驚く。

 

 

34. 胸いっぱい / サニーデイ・サービス(2000年):A, E

サニーデイ・サービス - 胸いっぱい - YouTube

 次第に「曽我部恵一が何でもかんでもやるバンド、というかユニット」みたいになってきていたこのバンドの最終アルバムにおいて、その多くの楽曲はリズムに打ち込みが使われたけれど、いくつかの例外のうちとりわけこの曲は例外的にバンドサウンド的な野暮ったさ・いなたさに溢れ、そしてそれ以上に曽我部作品でも随一のポップさに満ち溢れてしまった。解散後のソロでも再結成後でも演奏し続けるくらいには、いつの間にか彼の「とっておき」の1曲になっていた。

 この曲の野暮ったさの大きな要因はシャッフルのリズムだけども、そのシャッフルのまま頭打ちのリズムを展開することによる独特の弾み方がこの曲のサビのキャッチーさに繋がっている。シャッフルでのこのビートは、元々大味なものがさらに大味になる感覚があるけど、ここぞという場面で効果的に使用すると、他のリズム形式では到底果たせないくらいの陽性のエネルギーを放つ。この曲はそれをうまく抽出しつつ、一方でボーカルはダブルトラックだったりといった「あらかじめレトロ」な演出も効いて、独特のノスタルジックさが煌めく、何気にこのバンドでも特異な楽曲になっている。

 

 

35. The Modern Age / The Strokes(2001年):B, F, J

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 ガレージロック・リバイバルなるものの種火になったThe Strokesは、超お坊ちゃん連中でありながら、その頭脳を活用してなのか、徹底的にロックンロールを“ハック”することによって拭い去り難い音楽的挑戦と、それ以上に広範に影響したロックのダウンサイジングに貢献した。重厚長大のロックから1960年代ライクな軽快なロックンロールに引き戻したとされるアルバム『Is This It?』のサウンドは、むしろ1960年代と比べてもより“軽量”であることに、彼らのどこか理系的なセンスが窺える。

 デビュー曲となったこの曲こそいきなりその「ロックンロールを解体した」ようなセンスが見え隠れする。即ち、モータウン式の「アップビート」のドラムに対して、リードギターが常に逆の「ダウンビート」をスタッカート気味に弾き続けるのは、何かしらの理系的計算がなければしないようなことではないか。地味なアンサンブルだけど、このギミックが確実にこの曲の強い個性となっていて、それがサビ前で少しの間リズムがバックビートになることで一致し、またサビでサラサラと流れていくことに対して、それらそのものの質感以上の爽やかさをさりげなく付与している。デビュー時から彼らは巧妙で抜け目がなく、そういう意味ではそういうトリックを一番やり切った『Is This It?』は完全犯罪っぽい構成のアルバムと言えるかもしれない。何だそれは。

 

 

36. TUESDAY GIRL / Number Girl(2001年):D, H, K

Number Girl - Tuesday Girl - YouTube

 考えてみればシングル『Destraction Baby』以降のサウンドの構成要素の概ねがポップとは言えないようなハードコア等からのガジェットが多いにも関わらず、バンド全体としてはそれでもそれなりにこのバンドがキャッチーなものとして扱われていたのは少し不思議で興味深い。ポップでなくても、ある種の強烈さ・センセーショナルさというのもキャッチーさを産むということか。

 その意味でも、『Destraction Baby』以降のこのバンドの詩情・サウンドの総決算という趣のこの曲の存在は面白い。鋭角的なギターサウンドのイントロの後に頭打ちのリズムが乱暴に入る際のキャッチーさや、ミドルエイトを駆け上がるメロディの背後で激しくこの縦のリズムを打ち鳴らす様のキャッチーさを、この曲は端的に持っている。このビートの持つ暴力的な側面・絶望的な側面をこの曲はとてもキャッチーに描き出す。ヤケクソじみたものに聴こえつつも、それはおそらく冷静に計算されたものなんだろうな、と、この曲が様々に展開しつつも3分に収まってしまう尺のことなども踏まえて、考えてしまう。

 

 

37. EVIL / Art-School(2003年):C, H, K

ART-SCHOOL - FACTORY 2003 10 04 EVIL, BUTTERFLY KISS - YouTube

いつまでPV消えてるんだこの曲…。シングル曲なのに。

 こと日本においては、彼らほどこのリズムを徹底的に使用しているバンドも珍しい。彼らの場合、Nirvana以来の「曲の終わり頃にグチャグチャのテンションをばら撒くべくヤケクソで叩くやつ」としての使用法を様々な楽曲で行い、時にテンションゲキ上げに貢献し、また時には何とも不思議な感動めいたものを生むことにもなる。特に初期は何でもかんでも曲の最後のこのビートを入れ込むから、ある意味このビートの実験場じみた光景が延々と広がっている。このビートにならない曲探した方が早いかも。

 もっと普通に縦ノリになる『サッドマシーン』が未だサブスクにないので代わりにこのシングル曲を。Nirvana直系のオンとオフを利かせまくったグランジを展開しつつも、独自要素的なCメロ部分において破滅的なテンションで縦のリズムを敢行し、細い声と身体を下から上へ絞り出す木下理樹の曲と絶唱は実にエモーショナルだ。そこには負の身体性というか、屈強さと逆のベクトルにあるからこその、ガリガリだからこそのグランジ要素が芽生えている。ガリガリだからこそのヒリヒリ具合、投げやり具合をこそ、この時期のこのバンドからは採集出来てしまう。未だにその虚しい爽快感は真なるものとして聴ける。

 どさくさに紛れて書きますが、活動再開、本当におめでとうございます…!

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38. Frantic / Metallica(2003年):I, K

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 Lars Ulrichの拘りで生まれた独特のドラムサウンドを中心に*13ファンからは否寄りの賛否両論扱いを受けている彼らのアルバム『St. Anger』はおそらく弊ブログで最も頻出のメタルのアルバムで、ありとあらゆる音が暴力かストーナーな感覚のどっちかのみに徹底的に貢献しているのが最高だと言える。金属の躍動と反響こそがロックンロールの根幹、と考えるならば、これほどロックンロールなアルバムも他に無いかもしれない。

 その先頭のこの曲。重く激しく刻まれるギターリフとドラムフィルの応酬から、やがて顔を見せる頭打ちリズムの実に無情で絶望的な破壊力の様に、まさにこういうのをメタルに求めてるな、という気持ちを隠せなくなる。それが突如止んでストーナーなリフだけ残って、その後またこの無限にすりつぶすかのような地獄のハンマーめいたドラムが帰ってくるところの具合が堪らない。そこからダウンテンポして緩急を付けながら進行していくこの曲は、アルバムの他の曲と比べても構成的な間延びも見当たらず、このアルバムのオープナーに相応しい緊迫感と制圧力を有している。

 

 

39. Don't Steal Our Sun / The Thrills(2003年):E

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 この曲も果たして何回このブログで取り上げたことか。アイルランドはダブリンのバンドがどうしてカリフォルニア全開なサンシャインポップに憧れたのか、彼らの1stアルバムはそんな彼らの憧れが眩しく連なっていく、本物よりも眩しくあろうとするかのような様に何か音には出てこない悲哀さえ感じさせる、珠玉のポップアルバムだ。

 そんな中でもこの曲がやっぱり最高に輝いていて、シャッフルのリズムにテンションパッツパツな頭打ちのリズムで「ともかくこうでもしないと張り裂けそうなんだ」と言わんばかりの謎のパッションが溢れてくるのがとても強い。この手のリズムの名手であり本家のThe Beach Boysでも、ここまでの切羽詰まった幸福への希求は表現していなかっただろう。このリズムの引っ込め方、及びサビでのリズムの解き方共々、その感傷の爆発の仕方は美しく、永遠に尊い。こういう刹那的なものを何度でも再生可能にしてしまう録音芸術というのは不思議なものだ。

 

 

40. Robot / The Futureheads(2004年):E, H

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 ガレージロック・リバイバルの後に来たポストパンク・リバイバルにおいては、Joy DivisionThe CureなどのダークでローテンションなものよりもむしろGang of FourXTCといったハイテンションのものがより重視されていた印象があり、そういった感覚を最も直接的に自身のサウンドとしたのがこのバンドだった。今思えば「ポストパンクのガジェットで作り上げたパワーポップ」として、彼らの音楽はその初めから非常に完成度が高い。

 そして1stアルバム、冒頭曲のやや不思議なサイケ感を潜り抜けた後のキラーチューンのポジションに置かれたこの曲のハイテンションは文句無しで、いきなりスネアを強く大雑把に4分打ちしてケレン味たっぷりにメロディを展開させる様はもうはじめっから完成され尽くしている感じさえある。何気に自在のコーラスワークを持ち、そこにどうザラザラしたギターロックを据えるか、という話で、このペラッペラすぎてギクシャクするほどの8ビートの率直さはもはや清々しさにすり替わってしまう。次の曲も4つ打ちが響き渡り、実に威勢のいいアルバム冒頭だと思う。

 

 

41. 魚藍坂横断 / カーネーション(2004年):G

魚藍坂横断 - YouTube

 5人から3人に変化して2枚目のアルバムということで、手探りで3ピースバンドサウンドを求めていた頃は通り過ぎ、もっと単純にソングライティングに注力した結果、という風な充実の仕方を『Super Zoo!』というアルバムはしてる。3ピースサウンドに拘った曲もあり、逆にそれに拘らず沢山音を入れた曲もあり、という自由さ。

 その中で第2のソングライターだったドラムの矢部浩志作曲のこの楽曲は、彼っぽいロマンチックなポップさをノスタルジックなサイケデリックさの中で花開かせた楽曲だけど、そのサイケデリアの表現に、延々と終わりなく続いていきそうな単調なスネア4分打ちのドラムは大いに貢献していると言える。もっとこの曲を盛り上げようと思えばリズム変更もありな曲だけど、あえて延々と逆ハンマービートのような、ハンマービートをもっと野暮ったくしたようなこのビートにすることで、この歌詞に綴られた「何となく目の前に広がった光景の鮮やかな果てしなさ」が音としても感じられる仕組みになっている。この切れ目のなさが、ここでは大変大事なんだと思う。

 

 

42. Underwater(You and Me) / Clap Your Hands Say Yeah(2007年):A, G

Clap Your Hands Say Yeah - Underwater (You and Me) - YouTube

 どうやらNYの伊よろこの彼らもまた、カーネーションの上の曲と似たような発想に至ったらしく、やはり延々と続く“逆”ハンマービートの平坦で切れ目ないビートの感覚に、まるでPhil Spectorを無理矢理バンドで真似ようとしたThe Jesus & Mary Chainの仕草をもっと現代的で巧みにかつ単調にやり通したような楽曲になっている

 流石にジザメリと比べると細かい装飾性を重視していて、鈴の音のように響くギターカッティングや、延々と反復しつつドラムのリズムと少し異なる箇所も見せるタンバリンなど、全体の音像は実に丁寧に構築され、そして特に展開を用意していない楽曲が延々と同じメロディとコード進行を繰り返しながら、歌を抜いたり変な音のサウンドを挿入したりなど手を替え品を替えで、5分を超える尺を延々と渡り歩く。途中ではこのリズムは続けつつも、ダブルドラムの利点を利用してもう一方のドラムが颯爽と駆け抜けるトリックなども用いている。終盤はそういったリズムの移り変わりが自然にフェードアウトし、ギターサウンドがオブスキュアーさの向こうに消えていく。

 

 

43. You Got Yr. Cherry Bomb / Spoon(2007年):A, B

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 ソリッドなロックンロールを実験的な手法で希求するバンドである彼らの出世作アルバム『Ga Ga Ga Ga Ga』において一際ポップなこの曲は、『Satisfaction』仕草なドラムスタイルを軸にしながらもよりポップス然としたアレンジもレンジに入れ、それこそかつてKieth Richardsが本当に作りたかった『Satisfaction』を再現したかのような、ホーンも入った華やかなロックンロールを形成してみせる

 この曲の巧妙なのは「明確なメロディは無いはずなのに大変ポップに感じられる」というストーンズの原典のラインを絶妙に狙い、全然メロディがあるはずなのにそう思わせないで、リズムの躍動感等々込みでポップなんですよ、というスタンスを貫き通すところ。このリズムを明るく扱う上ではもはやインディーだろうと必須要素と言わんばかりのタンバリンが少し遠くで鳴り、かと思ったらサビ的なセクションで更に逆チャンネルにタンバリンが増える様は、このバンドの妙にリズムオリエンテッドな具合が垣間見え、そしてそここそがもしかしたらこのバンドの最大の強みなのかもしれない。

 

 

2010年代〜2020年代

 もはやこのリズムの歴史について付け加えるべきことはこの年代には特に無いと思われ。日本ではアイドルブームの中で渋谷系の再評価が見られたけど、それでもこのリズムが一世を風靡したようにはあまり思えません。とはいえ、勢いを出すガジェットとして、もしくはノスタルジックな装置として、曲調変更のトリックとして、このリズムは様々に使い続けられるだろうと思います。

 

 

44. Revival / Deerhunter(2010年):C, F, J

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 所謂USインディーのバンドだとDeerhunterがこのリズムのベタな採用数がかなり多い。彼らにかかると、このリズムの持つ単調で子供っぽい質感が「いい具合にサビを際立たせるガジェット」くらいの気軽さで援用され、その度にビートのバックに不穏なサウンドが広がっていくこととなる。

 この曲も「妙にうだつの上がらない奇妙なソングライティングだなあ」と思ってたら突如このリズムに切り替わって、そんなにアッパーなメロディでも無いのに謎に乱暴にテンションをちょっと上げられてしまう構造になっている。ある意味で1960年代サイケロックへの先祖返り的なようにも思えるし、もっと根源的にノスタルジーと病理とがないまぜになった結果の出力みたいにも感じられる。この「分析できるっちゃあできるけどでもなんか割り切れない部分が残ってくる」感じこそがこのバンド独特のポップさだと思ってる。

 

 

45. Apocalypse Dreams / Tame Impala(2012年):B, G, J

Tame Impala - Apocalypse Dreams (Official Audio) - YouTube

 サイケデリックなアクトから始まり、いつの間にか世界的なトラックメーカー的な立ち位置にまで駆け上っていたこのバンドの、世間から注目を集め始めた2ndアルバムの中で、冒頭から3曲目にしてそれまでで一番ポップソングめいたフォルムをした曲としてこれが登場する。

 サイケ具合が強力すぎて慣れるまでエレクトロニカみたいに聴こえて捉えづらかった自分みたいなのにとって、この曲の分かりやすくロックなリズムが連なってくれることは非常に助かったし、そこからリズム変化での無重力ゾーンみたいなのに突入していく曲展開によって「そういうことかあ」と思わされたりした。曲の半分を過ぎたくらいからはスローダウンした曲調に移行して、そこまでのビートは出て来なくなるけど、この変わり方には、1曲のうちにどこか違う場所に飛ばされてしまったんだろうか、と思わされるものがある。結局この曲もどこの果てか分からない幻覚めいた世界に連れて行かれて、その強烈さが次第に遠くなっていくのを最後は見送るばかりだ。

 

46. Dunes / Alabama Shakes(2015年):C, J, K

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 このブログで今回みたいな企画をすると、このバンドのアルバム『Sound & Color』の曲がよく入ってくるようになっているのも、別に狙ってそうしてるわけでも無いのになんか不思議な感じ。それだけ温故知新なガジェットを様々集めてきてはモダンなサウンドにやりかえる実験を繰り返していたということなのか。

 この曲も、静かなパートは落ち着いたバックビート、激しいパートは大味でワイルドな頭打ち、という構成を繰り返す、割とあるタイプの曲だけど、静にも動にも、1つの楽器のあるなしで響き方がやたらと変わる音響感覚のおかげで、静から動への炸裂の仕方に新鮮さが生じてきている。伝統的な楽器で伝統的なことをやってるだけのように見えて、そこには2010年代的な“音の抜き方”への共通認識と拘りが横たわっている。そしてそれを手がけたプロデューサーが、Big Thiefの今年の新作で実験的なタイプの楽曲を多く担当してたShawn Everettだということで、妙な納得が生まれてくる。

 それにしても、やっぱもうやんないのかなAlabama Shakes。

 

 

47.  Elevator Operator / Courtney Barnett(2015年):C, F, J

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 新進の女性SSWのアルバム1曲目にいきなり歌で始まり、いきなりスネア4分打ちのリズムで始まるこの曲をぶっ込んでくる、そのラフで捻くれた根性にまず驚かされる。上のPVではなんか物語の関係かえらい引っ張られるけど、アルバムではもっと唐突に歌とリズムが始まって、何だこのテキトーさは、と驚かされつつ、意外とその手がまだあったのか、と、他のもっと綺麗めな女性SSWとは違うんだ、ということをアピールしてくる。

 それにしても、メロディがあるのか無いのかよく分からない感じはやはりストーンズの『Satisfaction』仕草で、それにしても華やかさがまるでなくて代わりにたっぷりべっとりとまとわりつくダルくてうんざりしてそうな感じが、確かにこの人はちょっと捻くれ方が堂に入ってる、と思わされる。この気だるさの象徴のようなリズムが解けて僅かに展開する箇所においても、寝ぼけてるかのようなメロディだけを的確に挿入して見せてくるのには笑ってしまう。それでいて、快さだけは少しばかり残ってくれているのが奇妙で、変なレベルでのスリリングさがまた面白い。

 

 

48. ストーリーテラーになりたい / スカート(2016年):A, E

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 東京インディー界隈きってのポップアクトとして、メジャー行き前最後のアルバム『CALL』にはメジャーより前にやってきたことの総まとめと、そしてどこか浮世離れした優しげなファンタジーを演奏してみせるその最奥が収録されている。

 この曲はアルバムでもとりわけ活力のあるポップさで、冒頭から頭打ちのリズムを快活に跳ねるように躍動させて、手数の多いドラマーの特質がいい具合に活きた清々しさをポップなメロディとともにコンスタントに打ち込んでくるフィルインのアイディアがともかく豊富で楽しい。ミドルエイト的なセクションが終わった後またサビに行かずにさっさと終わってしまうのはスカート節。この名残惜しいような、そのあっさりしてどこか寂しいような感じを聴くと、スカートを聴いてるなって気持ちになる感じがある。

 

 

49. ANGELS / The Novembers(2020年):C, G, K

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 「アルバムの最後に壮大なタイトルトラックを置く」という音楽的にロマンチックな行為を大々的にかましてくれたこの曲。ワルツのリズムを強引に8ビート風の拍の取り方で押し通していくところに奇妙な美学が栄えていて、特に冒頭や間奏でギターサウンドとともに吹き上がる頭打ちのリズムは、まるで荘厳さをうち建てようとする、建築行為みたいに響いてくる

 インダストリアルな音にかなり寄ったアルバムの最後を、このバンドサウンド全開な楽曲で閉じてみせる。シューゲイザージザメリまで帰って分解して再構築し直してみせたこの曲のギターサウンドの荒々しさは、大味を超えて柱みたいに響く頭打ちのドラムに実によく馴染む。その上でこんな、機械仕掛けの奇妙で無骨な鉄塔みたいな楽曲に対して「天使たち」という題を付けるセンス。アコギとかその類の音を決して入れようとしない、確信に満ちたメカメカしさに敬意を表したくなる。

 

 

50. All Across the World / Wilco(2022年):G, J

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 今回のリストの最後は、素晴らしくドリーミーでソフトなカントリーロックを2枚組のボリュームで作り上げたWilcoの今年の新譜の、その中でもとりわけお気に入りなこの曲。まるで昔のどこかのミュージカルの主題歌みたいな、不思議にレトロで柔らかで軽やかな楽曲が、サビで少しだけはしゃぐかのように頭打ちのリズムに転換し、そしてそのリズムの響き方の不思議に全然“強烈じゃない”、不思議な穏やかさに、逆に驚かされた

 オルタナティブロック以降、散々はしゃぎ、血が沸騰し、熱情や絶望を打ちつけるために用いられてきたこのリズムが、ここではとても軽やかに鳴らされている。Wilcoだって過去の作品にこのリズムを激しさとして用いた例が幾つもあるけれど、前作の『Ode to Joy』収録の『One and a Half Star』という曲でこのリズムを実に優しくプリミティブなものとして扱って以降、彼らはこのリズムをすっかり「ソフトでキュートなもの」として扱えるようになっている。モータウン的な・アイドル的なそれとはちょっと異なる感覚でのこの「ソフトでキュート」な響き方は、この提携のリズムにもまだまだやれること、入っていける世界はあるんだろうな、ということを少し予感させてくれもする。

 それにしても、何もかもが素晴らしく「あらかじめレトロ」で、とてもいい曲だ。2個前の記事に書いたとおり、トレモロギターの柔らかに舞う様もとても印象に残る。

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あとがき

 以上50曲、プレイリストにすると実に3時間越えの楽曲群でした。最初は40曲でやろうと思ったけど、色々と発見してしまって早々に収まらなくなったので50曲になりました。

 一口に「縦に躍動するスネア4分のリズム」と言っても、ここまで見てきたとおり、様々な用法があることが分かりました。モータウンの用法とメタルの用法が、果たして同じドラムプレイ形式として一括りに出来るものなのか、甚だ疑わしいところですが、でもどちらもスネアを4分で打つということでは同じことなので、一緒のリストにしました。なので50曲分のリスト、それも同じリズム構成ばっかりのリストとはいえ、局長は様々にはなったかと思います。混沌としているとも言えそうですけど。

 今回ひたすら見てきたこのリズムというのは、ある意味一番シンプルで原初的なビートでもあります。1、2、3、4と普通に数える時のリズム、小さい子が机を叩いたりして生まれるリズム、コンサートのアンコール待ちでてを打ち鳴らすリズム…様々な世の中のリズムと最も近いのは、この何の仕掛けも無しにスネアを4分で打つことなのではないでしょうか。なので、音楽的にもっと高度なことをして趣深い音空間を作ろうとしても、ふとこのビートに帰ってきて時にはしゃぐように、時にやさぐれ切って、このビートを打ち込んでしまいたくなることも、多くのアーティストにあることなのかもしれないな、などと何か分かった風なことを思いついたりしました。

 50曲分文章を書くのはいささかうんざりしました*14が、それでも世の中には間違いなく、このリストに載せられていない、このリズムのもっと素敵な曲があったりするんでしょう、もしくはこれから生まれたりするんでしょう。せめてそういうのとの出会いを楽しみにしながら、時にはアップリフティングな気持ちで暮らしていきたいものです。

 

 

今回のプレイリスト

 今回の50曲分のプレイリストは以下のとおりです。上述のとおり、3時間を超えるロングプレイですので、聴くにしても何かの作業中とか移動中とかの方がいいのかもしれませんが、それにしてはアップテンポすぎる、時に激情が迸りすぎる、中途半端なプレイリストかもしれませんが、よかったら聴いてみてください。本当に延々と同じリズムが聴こえてくるので段々笑えてくる作用もあります。

 それではまた。

*1:おそらくこっちのビートの英語での呼び名は本当に無いのでは。

*2:ちなみに、モータウンでの録音にてこのリズムを発明した人かもしれない、実際このリズムのドラム録音に多数参加していた名ドラマーのBenny Benjaminは、1970年代を迎えるよりも前の1969年に脳卒中で亡くなっています。晩年は薬物中毒で苦しんでいたとも。

*3:そもそも1960年代のモータウンの音楽自体、黒人的要素を薄くして楽曲を白人にも届きやすくする目的があったので、それをすっかり辞めてしまった1970年代以降とはその質感が大きく変わってしまうのも仕方がないのかも。

*4:彼らはモータウン所属ではなかったけれど、この曲や同名のアルバムで感じられる徹底的にエンターテイメントなファンク手法は後のJackson 5において積極的に取り入れられた。

*5:全然関係ないけど、この曲のミドルエイトで歌われる「Hold Me, Kiss Me, Thrill Me, Love Me」のフレーズは強力で、これはおそらく元ネタは1952年の楽曲『Hold Me, Thrill Me, Kiss Me』からもじっていて、同じ元ネタから1995年にはU2が『Hold Me, Thrill Me, Kiss Me, Kill Me』という曲を出しているし、また日本のArt-Schoolのメジャーデビューシングル『DIVA』のミドルエイトにはそのU2を受けてか「Hold me, Touch me, Kiss me, Kill me」と歌われる。このことから、三段論法形式で強引に行くなら、Art-Schoolはスワンプロックということになってしまう。

*6:正確には1拍目のスネアが入らない叩き方だけども。

*7:『Here Comes Your Man』も名曲だけど、ちょっと方向性が違うように思う。

*8:The Damnedは除く。

*9:売れたのは化粧品CMタイアップのおかげな気もする。

*10:でも正直日本のヒット曲の歴史にはあまり興味が持てない。

*11:この辺もしかしてメタルを齧っていたことも影響しているのかもしれない。

*12:のちに正式にドラマーとなるyukihiroはこの曲発表時はまだサポート扱い。

*13:「曲が単調」というのもよくある批判。これはまあ確かに曲によってはそうかも…。

*14:うんざりしつつも、聴こえてくる曲はテンションが高いものが多いので、そのギャップでますますうんざりする感じに今回はなりました。