ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

フェードアウトする楽曲【後編25曲(1990s〜)】

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 後編です。1990年代〜現在まで行きます。今回の50曲のリストを作る際に「これを入れるために作った」という幾つかの曲はどっちかというと今回の記事に多めに入っています。

ystmokzk.hatenablog.jp

 今回の記事で最初に作った50曲分のプレイリストの全曲に触れ終わりますので、記事の最後にそのプレイリストを参考資料として添付しときます。よろしくお願いします。

 

 

本編

ちなみに今回は同じ年の曲があっても厳密にリリース順に並べたりしません好きに並べてます。

 

1990年代

 1980年代のどこかで発明されたことが普及していったことで、1990年代には色々なことが変わっていった。DJ文化が普及・発達したことはそのひとつで、それに必須なクロスフェードという概念が急速に普及していった時期。

 しかし、バンド演奏においてはニューウェーブと、1980年代中途から発生してきたオルタナグランジサウンドに共通する「無骨であっさりしてて良し、そっちの方がむしろ良し」的な文化のことがあり、ブツっと曲が終わることの格好良さが追求されるようになってきた。曲の終わりはフェードアウト、というのが”普通”ではなくなってきた時代で、曲によって何らかの効果を狙って”あえて”フェードアウトさせる、という側面が以前よりも強くなってきたのではないか、と考えます。特に、ポストロックの展開によって、録音したものをポストプロダクションで弄り倒すのがスタイルのひとつとなって、楽曲全体ではなく特定の楽器だけ残してフェードアウトさせる、といったスタイルが色々出てくるのはこの時代からだと思います。

 

26. Come Together / Primal Scream(1990年)

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 このシングルバージョンをアルバムに入れなかったせいで『Screamadelica』の歴史的価値が分かりづらいものになってるんじゃなかろうか…と思う1曲。渋谷系が模倣したところのマッドチェスターな感じっていうのも突き詰めればこの曲が一番のポイントだろうし、少なくとも『ヘッド博士の世界塔』はこれと『Loaded』ですよねっていう。仮にも地名の入ったムーブメントの代表作がスコットランド出身アーティストのこれでいいのか、という気もするけど、それにしても本当に完成度の高い曲。彼らの楽曲でも官能具合とポップさがここまで見事に調和してるのは他になさそう。案外演奏はそこまでエフェクティブでもサイケでもないところもいい。それでいてこの、打ち込みのリズムに合わせたジャムセッションが延々と続いてほしい、と思わせるカジュアルな心地よさがある。そりゃ渋谷系の注目の的になる。

 一回演奏がブレイク気味にあった後に、曲中で最も華やかに展開していくところはこの曲でも最もキャッチーなところ。女性シンガーのボーカルの掛け合いも非常にアッパーなものがあって、歌本編よりも盛り上がる。そしてその盛り上がり方に、どこか穏やかさがあるところが実にいいところ。それはガツンと来る喜びではなく、どこかからいつの間にか来ていたような、パレードのような多幸感だ。このパレード性を嗅ぎ取ってこの曲のスタイルを引用して「パレード」という曲を作ったサニーデイ・サービスみたいなのもいる。そして、パレードは通り過ぎていくものだから、この曲がフェードアウトで終わっていくことも、至極当然のことのように思われる。それは、ずっと続いていってほしい気もするけども、でも現実的にも象徴的にも、パレードは通り過ぎていくものだし。

 そういえば先日『Screamadelica』30周年だったとか。おめでとうございます。

 

27. Soon / My Bloody Valentine(1990年)

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 1991年が色んな歴史的名盤が出てすごい年!と言われるけど、その種は前年に撒かれてたんだなって、上の曲といいこの曲といいそんな感じ。ただ、この曲も上の曲も、そこから出てきたアルバムからはちょっと浮いてたりするのかもしれない。あと、この曲もちょっとマッドチェスター風味の打ち込みビートなのは時代的なものを感じる。だけどそれが彼らのシューゲイザーな楽曲でもとりわけダンサブルな要素になってるし、またこのことで一部シューゲイザー勢がこういったハウス方面に発展していくきっかけになってる、とは言えそう。この曲自体の他の色々はもう以下の記事で書いたのでちょっと出てこない。

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 それで、この曲も延々と続くビートにずっと揺られていたい系の楽曲ではあるけど、作品として締めるべく、ピリオドは打たれる。打たれるけど、そこの仕組みが普通のフェードアウトではなく、一旦フィルターで音質が大きく変化してから、そこからスッとフェードアウトしていく様が、上の曲みたいなパレード感とは大きく趣を異にしていて面白い。もうちょっと無機質で超然とした場所で鳴ってるダンスビートというか。思えばイントロからフィルターかかった音でフェードイン気味に始まり、そして同様の仕組みで終わっていく、という一連の流れが実にシステマチックで、概念的な様式美がありつつ感覚的にもクールな質感があって面白い。アルバムの末尾の曲として聴くと、轟音に翻弄され続けたアルバムの最後のちょっとした目覚まし的にも感じられて、この最後の仕掛けは作品が終わる寂しさをちょっと別の形に異化してくれている。考えようによってはそれはちょっと剽軽なことだ。

 

28. Katy Song / Red House Painters(1992年)

 スロウコアの代表選手のひとつであるバンドが当時所属レーベルの4ADっぽいことを一番していた時期の名曲。その後のバンド後期のカラッとしたアメリカーナ的サウンドと好対象を成す潤み切ったサウンド、特に潤沢なコーラスとリバーブで溶けそうな音質になったギターには、4ADのレジェンドのCocteau Twinsの影さえ感じれる。まあ当時の時点でPixiesだって4ADだけども。当時まだ若かったMark Kozelekの声も、しかし既に憂いに満ちたどんよりしたトーンで完成していて、淡々としてしかし絶妙に可憐なメロディを辿っていく。

 この曲のカタルシスはやはり終盤の、ひたすら同じメロディを繰り返していくところで、コード感の哀愁具合はここで陰鬱に爆発し、ギターの響き方はどんどんより不安定な音が重ねられていって、実に底の見えない感覚の堕ちていく情景が見事な筆致で描かれる。何らかの最悪めいた情緒がこんなに延々と耽美に耽美を重ねる形で描かれて、そここそをフックにする音楽。その情緒の具合には終わりはなく、なので単体の楽曲としてはフェードアウト以外で終わらせようがない、という演出になっていると言える。

 

29. すばらしい日々 / ユニコーン(1992年)

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 奥田民生の本気。いやユニコーンがこの曲に至るまでに別に彼も手を抜いていたなどと口が裂けても言えないけども、この曲ばかりは何か奇を衒うとかパロディをするとかそういった要素が、バンド末期の悲観的で切実な状況等により封じられた結果、虚無的な心境を実に素直な曲調で発揮するしかなくなったんだろう。後に彼の音楽性の大きな拠り所のひとつとなるThe Beatles的ないなたいギターアルペジオを中心に、楽曲は淡々と進行しつつも、サブドミナントマイナーのコードが出てくることもありどこか憂いをたたえたメロディは、ぼんやりしながらも美しいラインを結んでいく。

 この曲の淡々とした具合は、歌のない箇所の演奏を延々と冒頭からのアルペジオだけで埋めていくところが非常に大きい。特に最後のサビが終わった後の延々と続くアルペジオについては、バックのコード進行が劇的なものに変化していくことで、それまでアルペジオが醸し出していた虚無的な明るさが変化して、同じフレーズなのに悲壮な響きに聞こえてくるのが実に印象深い。平坦なのに悲壮感に溢れ、そしてなおかつどこかギリギリの勇敢さも感じられるこのアウトロは、フェードアウトで終わることによってどこまでも果てしない風景のように感じられる。その果てしなさはうんざりするようでもあるし、それがゆえにか素晴らしくもある。

 

30. I Heard You Looking / Yo La Tengo(1995年)

 オルタナシューゲイザー的なギターサウンド等を手に入れて、突如楽曲もサウンドもついでにジャケットも”夜”化した彼らのアルバム『Painful』の、その一番最後に収められたインストナンバー。日本盤だとボートラの都合で最後っぽくなくなってるけども。時に軽快に、時に怪しく、時に気が遠くなるように”夜”を積み上げていった作品が、このある夜中のボーッとしたような、ちょっと涼しいような光景そのもののような楽曲に着地するのは流れとしてとても美しい。同じメロディの繰り返しのようでいて、次第にフリーキーになっていくギタープレイがその光景からの熱量を静かにしかし鮮やかに変化させていく。楽曲のBPM自体も自然に走っていくバンドアンサンブルで変化していって、その有り様がとても温かみがあるように思えるから不思議だ。

 この曲のフェードアウトの始まりはかなり早く、1分30秒以上をかけてゆっくり、ゆっくりと音が小さくなっていく。それはまるで夜が更けていくのを、もしくは夜が通り過ぎて朝に向かっていくのを長回しで撮影し続けているかのような情緒がある。その様は不思議に感傷的でもあり、どこかひたすら優しげでもある。車がある人は深夜の高速道路のSAかどこかでコーヒーでも飲みながら聴くといい。

 

31. Brown Sugar / D'Angelo(1995年)

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 煙っぽい感じのイントロだ…と思ってたらPVがまさにそういう演出がされてて笑ってしまった。ジャジーさとヒップホップ以降のフロウの感覚とを独自のスモーキーさで自然に包み込んでしまっているこの曲は最初のアルバムタイトルにして、同作の他の曲よりも生々しいバンドサウンド的な溜めの躍動の感じがあって、その出口の無い空気感共々、次作にして大傑作『Voodoo』に一番繋がっていく楽曲でもあったのかな、などと思う。

 このひたすら展開とかエンディングとかなく、濃厚な空気感をただ切り取っただけ、的な雰囲気は、特段何か盛り上がるようなことも無いままに進行し、気怠げなテンションをずっと引きずったまま、フェードアウトで遠ざかっていく。それはどこか、ただカメラを遠ざけていっただけ、とでもいうような、そんなそっけない感覚を催させる。何らかの停滞した場面を切り取っただけ、みたいなこの曲に覚える印象は、そうやって演奏をはっきりと終わらせないことから来てるのかもしれない。

 

32. ゆらめき IN THE AIR / Fishmans(1998年)

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 小さな音でフェードインしてくるリズムからの、ボーカルを中心とした静かに爆発的な入りが印象的な、Fishmansの実質的に最後の”新曲”。アルバム『宇宙 日本 世田谷』の時点で、既に大概なはずの『空中キャンプ』の世界観が牧歌的に思えるくらい行き詰まりの果てでの拡がり方をしていた彼らの、最後の到達地点がこの曲というのが実に虚しくて、しかし実に必然的にも感じれる。延々と展開し続けてタイトルコールになかなか戻ってこないメロディラインといい、歌が終わった後の長すぎるスキャット的な展開といい、行き詰まりの果てにこそ宇宙を感知していた佐藤伸治の、「本当にこれ以上進めなくなるギリギリで完成させた」という感じがものすごい。

 中盤以降は、完全に楽器と化したボーカルが赴くままに曲の尺が伸びていくような感覚に陥って、これは当時の彼の無限の想像力によって無限に続くんじゃなかろうか、と不安になるものの、それがいつの間にか反復するシンセのラインに取って代わって、そのシンセのみが残って、そしてそれさえもフェードアウトで遠ざかっていくのは、実に心細い感じがする。一部の楽器が残ってフェードアウトしていくのはエレクトロニカ的な手法だけど、ここでは虚無から奇跡的に這い出てきたものが、やはり元の虚無に帰っていくような、そんな絶望的な整合性が感じられる。リズムトラック等も残ったままのフェードアウトではそうは感じなかっただろうから、ここにはある種残酷なまでの的確さがある。

 

33. …And Carrot Rope / Pavement(1999年)

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 この曲もまたバンド最後の曲になってしまった楽曲。こちらは上の曲とは逆に、サウンド的にブレイクスルーのための行き止まりに向かった最終アルバムの最後で、この曲だけ明らかに「いつものバカで楽しいPavement」を演じてる感じが、どこか痛々しくて切なくなるようになっている。演奏も曲展開も、”ローファイ”なんて言葉がまるで似合わない程に洗練されきってそれで”Pavement的”なドンくささを的確に表現しきっているのが、幾重にも矛盾を抱えてる感じがしつつも、でもバンド的なファンタジーが最後の最後にこれでもかと詰め込まれて、とてもポップで、感傷的な気持ちになれる。

 そもそもPavementはローファイというムーブメントの騎手として、野暮ったいバンドサウンドの魅力をひたすら表現し続けてきたバンドだ。つまり、フェードアウトなどせずに「ジャーン!」で終わったり、もっと外した感じで終わったりすることに格好良さを見出し、そのパターンを沢山発明したバンドだ。そんなバンドの最後の最後がこの曲の、最後の明るいメロディ展開をやりきった後のブレイクから、バンドアンサンブルが帰ってきて、次は何をどう展開しようかな、と永遠と続きそうなグルーヴがフェードアウトで遠ざかって、それでお終い、というのは、逆にバンドを終わらせる手法として、この上ないほど的確なのがとても悲しい。この曲が大変素晴らしいからこそ、その悲しみはひたすら行き場のない具合に浸透していく。

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34. Back seat dog / the pillows(1999年)

 今回取り上げたフェードアウト楽曲の中でも一番呑気で楽しげなフェードアウトをする楽曲は多分これ。アルバム『HAPPY BIVOUAC』は日本におけるオルタナティブロックのひとつの理想的な完成系で、その「USオルタナティブロック特有のドライブ感」の軽快な部分だけを的確に取り出して、スマッシュな雰囲気の楽曲として表現しきったスタイルはいつ聴いても心地いい。元ネタへのいい具合に軽薄なリスペクトも愉快で、この曲と次の『Kim deal』という曲ではPixiesに対するそれを軽妙に捧げてみせる。

 この曲はそのPixiesの『Here Comes Your Man』をオマージュして作られた楽曲で、ゆったりしてちょっとマヌケなリズムの感じなどを上手く自分たちのものに取り入れている。そしてそのユーモラスでピースフルなビート感を最後はフェードアウトでゆったり終わらせていくけど、そのボリュームが下がり切る直前に、音量が小さくなったのをいいことに、元ネタと同じサビのフレーズを歌い始める。元ネタの開示をシャイネスと遊び心で上手いこと実施した事例。

 

2000年代

 ことフェードアウトに関して言えば、ポストロック以降的な「特定の楽器のみを残してフェードアウト」することの意味が完全に確立されていくのがこの年代初頭なのかな、という感じ。The Strokes以降的なインディーロックは簡素なスタイルを志向するからあまりフェードアウトを用いない印象。ヒップホップとかも、ストンと楽曲を終わらせる傾向にある気がする。Kanye Westとか全然フェードアウトしないんだな。

 あと、この年代だけ邦楽が特に多めです。そういう世代なんだなあ。逆らえませんでした。

 

35. Everything in Its Right Place / Radiohead(2000年)

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 Radioheadもバンドサウンドが時折発するそっけなさの側面を非常に大事にしているバンドで、楽曲の終わらせ方をどれだけそっけなくも壮絶にできるか、という側面に命を注いでいる節がある。タイトルからしてフェードアウトが似合いそうな『How to Disappear Completely』がフェードアウトじゃない時点で、その拘りようが感じられる。ある程度調べたけど、本当にフェードアウトの楽曲は滅多にない。

 そしてだからこそ、この曲がフェードアウトで終わることに不思議な納得が感じられる。この、バンドサウンドから離れまくってほぼエレクトロニカ化した、拍の取り方もおかしくなりまくった、不自然さだらけの楽曲が、終わり方だけフェードアウトでヌルッと終わるのは実は笑いどころかもしれない。徹底的にポストプロダクションで加工されまくったボーカルの断片が飛び交う中静かにフェードアウトしていく様は、次の曲『Kid A』のイントロがフェードインしてくるところも合わせて、アルバム『Kid A』の「どこに連れてこられてしまったんだろう」という爽やかな心細さに直結してる、とも言えるのかもしれない。

 

36. Rain Song / Sunny Day Real Estate(2000年)

 まるで神への供物であるかのようにアルバム『The Rising Tide』は厳かで超越的で、グランジ以降のギターロックの手法を援用してここまで異形の、まるで天国と地獄を反復横跳びするかのような豪快にして悍ましきバンドサウンドをあちこちで展開させる。特に冒頭2曲の畳み掛け方は異様で、まるで聴く者を殺した後に壮絶にして無情な神話の世界に引き上げるかのような勢いだ。その流れで行けば、アルバム中最も穏やかなこの曲は、麗しき天界の情景描写とそこで抱く言い知れぬ郷愁をなぞるかのような、実にしっとりとしてナイーブな楽曲になっている。

 ドラムレスで、ストリングスを纏って、ナイーブなアコギの爪弾きをメインに進行していく歌は、過激なラインは無いのに、トータルでアルバム中一番現実感の無い、不思議な世界を漂ってるような気持ちにさせられる。聴き手の人格が薄れて、ただのカメラになったような気持ち。歌が続いてるうちから始まるフェードアウトは、まるでその夢見心地な状態からアルバムの基調の強烈さに引き戻されていくような、不思議な名残惜しさがある。

 

37. 真夜中のサイクリング / 岡村靖幸(2000年)

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 日本屈指のR&Bシンガーソングライターにしてエンターテイナーであった彼が1990年代終盤以降世間から遠ざかり、2003年に麻薬関係で逮捕されるまでの流れで出てきた、世の中の欲望の有様を嘆くシングル群の中でも、とりわけ穏やかで、日常的で、メロディアスで、だからそこ壮大でロマンチックな楽曲。彼のR&Bな曲でここまで穏やかに流れていく、そしてその穏やかさ自体に切実なロマンチックさが詰まった楽曲もない気がする。

 この曲ではどこかエレクトロな音の飛び交い方が本当に魅力的で、アコギのプレイも相当細切れに解体されて配置され、音の組み込み方が相当に偏執的なはずなのに、不思議と密室ではなく、夜の心細くもどこまでも開けた光景が浮かぶようになっている。そして、束の間の激烈なロマンを最後のサビで展開した後は、長いスキャットの時間に入る。イントロと同じく穏やかでゆったりロマンチックが飛び交う光景の中を、行き場をなくしたようにスキャットが途切れ途切れに現れては消えて、やがてフェードアウトして全て消えていくのは、この束の間の切実なロマンチックさが日常の無味乾燥に溶けて消えていくかのようで、実に寂しい。けれど、そういうものだもんな。そこに反抗をかけようとしている歌詞共々、実に寂しい。

 

38. さらばユニヴァース / スピッツ(2000年)

 荒野をしっかり踏みしめるようなバンドサウンドが印象的な、スピッツのロック宣言のようなアルバム『ハヤブサ』の中でやや地味ながらも力強い存在感を示す曲。どっしり構えたバンドサウンドとアコギや歌に残された従来的なフォーキーなスピッツっぽさが交錯する。ひたすらオルタナティブに歪み倒したエレキギターサウンドが奮闘し、あえて終わり方を不明瞭にされたサビ等のメロディとともに、明確なエンディングの来ないソングライティング・アレンジを構成している。

 その終わりのなさは、最後のサビが終わった後の、フェードアウトで終わらせるしか仕様のない、1分ほど延々と続くアンサンブルに一番表れている。下降する4つのコードを延々と繰り返しながら、パワフルにフィルを繰り返し挿入するドラムと、ノイズとして楽曲を彩り始めるギターの様がおるなタティブロック的。特に最後まで残るギターについては、逆再生サウンドも混ぜられて、宇宙的な広大さの中でかき消えていく。それは「箱庭の外に出るんだ」と宣言した前作『フェイクファー』からの飛躍を音で雄弁に示そうとした努力の形跡かもしれない。

 

39. ばらの花 / くるり(2001年)

 この辺邦楽ばっかりです。Radioheadの『Kid A』によって俄にエレクトロニカづいてきていた2000年代初頭のロック情勢に日本で最も器用に順応したのが彼らで、アルバム『図鑑』でのJim O'Rourke起用からシングル『ワンダーフォーゲル』と来て、そしてこの渾身の楽曲にてその「若者的なセンチメンタルをエレクトロなサウンドに乗せる」という当時の彼らの試みがひとつの頂点に達した(『ワールズエンド・スーパーノヴァ』は言うなればダメ押しのようなもの。)。

 この、淡々としているようでしっかりとロマンチックに展開していく楽曲の、そのリフレインにおいて一番強力なのは、細かくプログラムされたピアノの反復とフルカワミキのゲストコーラスが交錯していく強さだろう。歌が終わった後でも反復し続けるこれら二つが楽曲の景色を切なげに押し広げ、そしてピアノのみが残ってゆっくりとフェードアウトしていくところで、実にしみじみとした後味が残るような仕組みになっている。今聴いても、とてもロマンチックな寂しさが感じられていいなと思う。

 

40. アナザーワールド / GRAPEVINE(2002年)

 2000年代初頭は本当に、曖昧さの中に切なげな情緒を表現することが流行した時代だったんだと思う。その感じが好きだから、自分は2002年という年の音楽に色々と特別なものを感じたりしてる。これもそんなものの一角で、最初期の『Paces』からそのような表現方法を手にしていた彼らが、この年にこのようなひたすらぼんやりに幻惑され続ける代名曲を手にしたことは、後世である今日から見れば、ある種の必然めいてはいる。

 冒頭から聴かせる曖昧調なリズムギターのカッティングの時点でとても意識を持っていかれるし、最後の歌が終わった後の延々とこの、メジャーでもマイナーでもない、ひたすら宙吊りになり続けるような曖昧なコード感が演奏され続けていく時間は、”感傷的”という言葉で済ませたくないほどに絶妙に微妙な情緒を湛えている。これを30秒弱かけてゆっくりフェードアウトさせていくのは、「まさに」と言いたくなるような途方もなさが感じられて、心地いい。

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41. Crown of Love / Arcade Fire(2004年)

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 大所帯バンドならではのオーケストラサウンドニューウェーブリバイバル的な楽曲とが派手にかつドラマチックに交錯するのが彼らの1stアルバム『Funeral』の必殺の構図だったと考えれば、この楽曲はそのうちクラシカルなオーケストラの方に大きくフォーカスした楽曲。三連符でゆったり進んでいく楽曲はそれ自体も魅力的な優雅さがあるけど、2分半頃にボーカルが一気に音程をシフトアップして以降は、今にもその優雅さを突き破らんとする勢いに溢れ、サブドミナントマイナーのコードであからさまに優雅さを破綻させかけて、そしてあるところで一気に4つ打ちのビートに雪崩れ込んでいく。結局テンション爆発するのかよ!っていう楽しさがある。

 でも、この4つ打ち以降のセクションはあくまでこの楽曲のコーダの部分に留まっている。ボーカルがその後絶唱するわけでも無く、勢いのある4つうちビートの上でストリングスが優雅にリフを重ねていく。そして、そのちょっとした高揚感を持ったまま、次第にフェードアウトしてしまう。この呆気なさは、この曲単体で聴くよりもアルバムの曲順で聴いた方が盛り上がる。何せこの曲の次の曲が『Wake Up』だから。フェードアウトの後にあの強引なイントロが聞こえてくる箇所はアルバムを聴いてて最もグッとくる箇所だと思ってる。

 

42. つぎの夜へ / ゆらゆら帝国(2006年)

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 まさに「夜に浸る」感覚そのもの、といった感じのサウンドを徹底した楽曲。淡々としたリズムに、薄いトレモロでスカスカの空間に千切れ千切れて撒かれたギタープレイが微かに空間を切り取って楽曲のフォルムを作り、ボーカルはボソボソしているようできっちりとサビのメロディを最小限の音数で構築していく。それは、夜の寂しさというのは情緒的なものではなく、もっと根源的にそういうものなんだと示しているかのように思える。微かなハードボイルドさがそう思わせるのか。

 8分近くという案外長い尺は、1分以上残して歌が終わって、その後の豊かな平坦さで進行するアウトロも存在感が大きい。ライトの明滅のようなコーラスに、いつの間にか追加されたマラカスがほんの少しだけアンサンブルを華やかにして、そしてかなりゆっくりなペースでじわじわとフェードアウトしていく。夜の無音に帰っていくみたい。そのフェードアウトの中で意外とベースの音が目立って聴こえて、こんなロマンチックなラインを描いていたのか、と気付かされたりもする。

 

43. テレ東 / 相対性理論(2009年)

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 相対性理論も演奏終了後の余韻と無音のバランスに気を使っているバンドで、フェードアウトで終わる楽曲はかなり限定される。でもよりによって、出世作『ハイファイ新書』の冒頭のこの曲がフェードアウトで終わるので、ちょっと面食らってしまった。そういえばそうだったなあ、って思った。

 クラブミュージック的な4つ打ちのリズムと細かくリフを形作っていくギターの反響で形成されたトラックは緩やかで予め黄昏たようなダンスフィールがあって、そこに例のウィスパー気味なボーカルが乗って、ひんやりしつつもゆるやかな空気感が生まれる。その空気をフェードアウトで終わらせるのは、ニューウェーブ的な刺々しさを案外信条とする彼らには珍しいタイプの優しさで、でもここからその次のふんわりと刺々しい『地獄先生』に繋がる流れは、やっぱりよくできてる。

 

2010年代〜現在

 もはやフェードアウトの手法について何か新しいものが発明される・付け足される、ということは考えにくい時代になってしまって、それは多分バンド演奏そのものが割と同じような状況なんだろう、と思われてしまう2010年代〜現代のこの状況。

 でも別にそれで、この時代のバンド音楽で何かそれまで会った事のない情緒みたいなものに触れられなくなったかというとそんなことはなくて、音楽は分かりにくい次元でも更新されていくんだろうと思っています。フェードアウトも、どこかレトロめいた機巧として存在し続け、それが楽曲の情緒にどんな効果を発生させるか、その微細な部分については、全てをやり尽くした、なんて状況はありえないことだろうと思っています。

 

44. Helicopter / Deerhunter(2010年)

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 インディーロックバンドが自然に作れる楽曲ではないな、という具合の曲。だけど彼らはエレクトロニカめいた作品も作ってたからこそ、こういう楽曲のアレンジもできるんだろうと思う。ギター以外の音色も様々用いることができるし、さらにはそれらの音色と似た音をギターで発出する方法にも長けている。この曲をバンドでライブ演奏しているのは結構衝撃的で、ライブで生で見れたのは良かった。爆発的だった。

 爆発的なライブ演奏と異なり、音源だと空間を埋めていく反復する水泡のようなノイズが、結構しっとりと炸裂するサビの中でも存在感を失わない。そしてこの水泡のようなノイズが、絶望的なアンサンブル終了後に一気に溢れ出しては、次第にフェードアウトしていく。その様は奇妙で、やや気色悪くもあるけれど、でもその混沌の煌めき方や意味合いにはどこかしら美しさが宿ってるように感じれてしまう。

 

45. 大きな地図 / 小島真由美(2010年)

 ゆったりとしたロードムービーめいた楽曲。この人のこういったふんわりしたポップさは、昔の精神擦り切れるような情緒が後退して行くにつれて逆に豊かになっていってる。実にささやかな旅情に、あからさまでない程度のシャッフルのテンポに、あっけらかんとしてスキャットになるとちょっととぼけたようになる声の具合に、いちいちロマンチックさを覚えて、こういう旅をしてみたいなってなる。

 3分経つより前に歌のラインは終わって、あとはひたすらトニックのコードに戻らないまま、展開部の繰り返しの上をスキャットやピアノ・フルートの演奏が延々と続いていってやがてフェードアウトして行くその様に、この心地よい旅がずっと続いていけば、なんて感覚を覚える。旅なんて普通いつかは終わるものだけど、現実では疲れて早く家に帰りたいなんて思ってしまうものだけど、こういう音楽の中の旅は延々と続いていてほしい気がしてくる。

 

46. Born Alone / Wilco(2011年)

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 今思えば、当時も今も表現力について世界で最高水準の6人組バンドと思しき彼らが、この曲の入ったアルバムの次のアルバムで作品を挙げて実験に取り掛かっていたことは、逆にこの曲の入ってるアルバム『The Whole Love』の完成度はともかく、彼らほどのバンドでさえ行き詰まるんだな、ということに気付かされる。「カントリーロックにオルタナティブロック要素を混入させる」という彼らのスタイルの、何かしらの行き止まりがこの辺にあった、ということを思うと、この曲の「何かオルタナティブロック的な崩壊感を楽曲に込めよう」という仕掛けは、どこかもがいてるようにも感じれる。

 そのもがきのようなセクションである、延々とコードが下降していき演奏がバーストしていくセクションが間違いなくこの曲の聴きどころで、それは間奏では晴れやかなコード感に抜けて行くものの、歌が終わった後のコーダ部のセクションでは、一旦降下が始まるとその後延々と続いていき、1分近くもフェードアウトしながら終わりもなくのたうち回り続ける。本当に、ドラムがドコドコ鳴りながらコード感がどんどん下がって行くので、なんかシュールではあるけど、その奇妙さはとてもきっちりしている。

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47. Nikes / Frank Ocean(2016年)

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 アンビエントR&Bなる新しい言葉が生まれるきっかけになった大名盤『Blonde』は、でも意外とフェードアウトで終わる楽曲はないことを確認した。アンビエントな音配置の中では、何かの残響が自然に消えるのを聴かせる方が、フェードアウトよりも印象的に響くものなんだろうな。『Solo』のキーボードの唐突な途切れ方の饒舌さ。もしくは何かのSEを聴かせてイメージ喚起させる。でも、冒頭のこの曲だけはフェードアウトして楽曲が終わる。不思議だ。

 アトモスフィアーって感じのシンセと機械的なビート、その中に突如ボイスチェンジャーの掛かったボーカルが現れるのに当時は面食らったけど、その意味を考えられるようになると、最後の普通のボーカルの登場共々印象深くなる。普通のボーカルのところでリズムが消えることの有効性。声は具体的になるのに、背後の音はどんどんアンビエンス的に曖昧になっていく。そしてそれが、リズムが帰ってきて、そこからフェードアウトをして退場していく。次のいきなり歌から始まる『Ivy』のためのフェードアウトとも言えるかもしれないけども、単体でもそこには、イントロに戻ってからフェードアウトするというパターン特有の寂しさがまとわりついている。

 

48. Strange / Big Thief(2019年)

 2019年のBig Thiefが手にしたバンドサウンドの、幻想的なまでのデッドさ・いなたさは本当に素晴らしくて、どんな録音をしたらこんな音で録れるんだろうっていうパートばっかりある。この、実に盛り上がりというものを無視して淡々とシャッフルビートで展開して行く楽曲についても、突如リバーブを纏って展開し、その後スッと元に戻る様のシュールさといい、実に過剰なところが無く、不思議な快適さがある。

 後半のリバーブが掛かったセクションは長く、そのまま楽曲自体フェードアウトして行ってしまう。えっこんな展開で終わる…?っていう不思議さが面白い。なんか狐につままれたような心地。このスペイシーさも実にうっすらで、そこがフェードアウトしたからって過剰な壮大さは感じさせず、かえってフェードアウトによってリバーブの感じが薄れて元のいなたいサウンドに帰って行くよう聞こえるのは、狙ってなのか不明だけどなんだか可笑しくて面白い。

 

49. Whiskey Whiskey / Joshua Burnside(2020年)

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 冒頭のエフェクト以外、ほぼほぼ陰気なアコギ弾き語りのこの曲がシングルとして切られてるのはちょっと可笑しいけど、でも分かる感じもある。この3分にも満たない、別にキャッチーなサビがあるわけでもない楽曲はでも、そのアコギの響きや、その裏でうっすら広がる音だけで、十分以上にこのSSWの楽曲の”雰囲気”を放つことに成功している。アルバム『Into the Depths of Hell』は当ブログ激推しのアルバムです。是非に。

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 それでこの曲、変なのが、2回目の間奏の後、また歌が始まるけれど、ここで早々にフェードアウトして終わってしまう。なんでわざわざ歌に戻ってから、その歌い出しでフェードアウトさせてしまうのか。思うにこの、バーの隅で延々と独りごちてるかのような雰囲気を表現したいが故の処置なのかなと。それで、上のPVではきちんとフェードアウトしきっているけど、アルバムでは次の曲とクロスフェードのためこの曲単体ではフェードアウト途中でブチ切れる。可笑しいのは、この曲のシングルバージョンもサブスク上では同じようにブチ切れること。クロスフェードする次の曲が存在しないのになんでだよ。

 

50. トニック・ラブ / ミツメ(2020年)

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 今回のリストの最後はこの、ミツメの近年のとぼけきったポップさが可愛らしくも不思議な1曲。久々に全面的にギターの音を無視して作られたトラックの感じが、グロッケンやらベルやらの反響のさせ方がユーモラスで、そこにボーっとするようなヴァースのメロディと、そしてアルバム『Ghosts』以降的なキャッチーなサビとを取り付けた、新たなミツメの代表曲。ライブでどうやって再現するんだろう…と思ったら、普通にギターに置き換えて演奏してた。別物だ…。

 スタジオ音源では、二度目のサビの後、少しロマンチックなラインをなんかの楽器がなぞってみせて、間抜け気味なイントロに戻ったところでゆっくりフェードアウト…で終わるのかと思ったら、まさかのフェードインで演奏が戻ってきて、そしていい具合にドラムが音頭を取って、完奏。フェードアウトで終わらない…!今までフェードアウトで終わる楽曲を選んできた中でこれはアウトのようではあるけど、でも一応1回フェードアウトしてるから、まあ今回のリストに入れてもいいでしょ、ってなった。実に憎めない楽曲だ。

 

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おわり

 以上、前半と後半とで50曲でした。

 世の中いろんなフェードアウトがありますね。穏やかに消えて行くのがいいのか、ある瞬間にフッと途切れるのがいいのか。こういうのはあくまで音楽の話だけに留めておきたいものです。当ブログも、フェードアウトせずに細々と続けていければと願っています。

 それでは、最後に今回取り上げた50曲のプレイリストを以下に貼り付けて、この記事を終わります。読んでくれた人はありがとうございました。こういうフェードアウトの名曲がある、等情報ありましたらぜひください。

 

追記:フェードアウトの機能

 折角なんで自分の思うところを整理しておきます。とりあえず以下の3つに大別できるということにしておきます。

 

1. ”永続””永遠”の感じを出す。

 フェードアウトによって、演奏が終わる地点が見えなくなるので、考えようによってはその消えて行く演奏は「永遠に続く」ようにも捉えられるわけです。

 なぜ演奏を”永続”するものとして聴かせるかと考えると、大雑把に以下の2パターンを想定しておきます。

 A:華やかさ・楽しさが永遠に続いてほしい、と祈り願うため

 B:苦しみやら憂鬱やらは永遠に続くものだからその表現として

 

2. ”果てしなさ”を演出する。

 1.とは似て非なるものと思っています。”果てしなさ”の対象は風景だったり、大地だったり、空だったり、時間だったり。ある意味では”日常”というのも果てしなさの一種ではあるかもしれません。

 

3. ”ある時間・風景”を楽曲として切り取るための便宜的な手法。

 具体的な情景を喚起させる楽曲については、カメラがその映像を延々と映し出していては「楽曲」として完結しないので、どこかで切り取る必要があるけど、そこをぶつ切りにするわけにはいかないから、仕方なくフェードアウトで穏やかにカットする、といった具合。

 3つの中で一番ふわっとした説明だと思うんですが、実際、楽器によっては音量を絞らない限り音が出続けるものなんかもあり、そういうのの演奏を止めるには音を絞り切るわけですが、そういった考え方を楽器、もしくはカメラに当てはめた、というものです。そもそもフェードイン・フェードアウトという用語自体が映像分野で生まれたものらしいので、案外一番生合成があるのはこの考え方なのかもしれません。

 

 以上です。結論とかは特にないです。