ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

Mr.Childrenの地味な名曲・佳曲プレイリスト(20曲)

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 1989年の結成以来、特に1994年以降はずっと日本の音楽業界でトップセールスを続ける、日本でも最も大衆的なバンドのひとつとしてMr.Childrenは知られてるところかと思います。今年も12月に新作アルバム『SOUNDTRACKS』をリリースするとのことで、「テレビ番組で往年の名曲を歌う大御所」になるまいと、粘り強く活動してる感じがします。

 そんな彼らは、かつて「ミスチル現象」という日本のCDセールス氏の最盛期を現出させた時代などもあり、非常に多くの人たちに知られる大衆的な「名曲」をたくさん持っているところですが、しかしながら同時に、ファンの母数が多いゆえに、その中の一部の好事家が盛り上がるような「隠れ名曲」も多数抱えています。そっち側の楽曲群においては彼らの大衆的なイメージであるところの「センチで大仰なバラード」等から大きく趣を異にする楽曲もたくさんあります。

 今回はそういう方面の曲を20曲集めてプレイリストを作ったので、1曲ずつ取り上げて見ていきます。「大衆におもねった」部分ばかりでは全然ない彼らの様々な歌や作曲やアレンジの魅力にせめて少しでも触れられれば幸いです*1

 

 というわけで早速プレイリストです。

 20曲で1時間37分程度のものです。彼らはこの投稿をしている2020年10月現在で40枚前後のシングルと19枚のアルバム及び各種コンピレーションを残しており、今回はその中から選曲してます。ただ、個人的な趣味のこともあり、1996年のアルバム『深海』くらいの時期以降の曲しか入っていません。あしからず。また、Spotify上でのプレイリスト作成ありきのリストなため、配信されていない楽曲はリストに入れられませんでした。本当はthe pillowsの『ハイブリッド・レインボウ』のミスチルカバーを入れたかったですが無かったので入れてません。それでも、音楽的に色々と面白くて、そして彼らならではの味わいも色々と出ている楽曲群を選べたと思います。

 また、各楽曲の出典はその曲が初めて収録されたものを記載していますが、少なくともこのプレイリストで出てくる「シングルのカップリングとして初出」の曲については、後ほどアルバムに収録されるかもしくは2007年の『B-SIDE』に収録されています。
 

1. 空風の帰り道

(2002年 シングル『HERO』カップリング)

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 いきなり話が逸れるけど、『HERO』は彼らのシングルの中でも一番好きな1枚。表題曲についてはいつ聴いても本当に、ため息が出るくらい素晴らしいと思う。彼らの大衆的なバラードの良さと小林武史的アレンジとバンドサウンドとが、実に素晴らしく感傷的な地点で折り合った、彼らでも有数の大名曲だと思う。
 で、そんな大名曲の次に来るこの曲もまた、乾いた空気感ながら遠くまで見渡せるような安らかなカントリータッチの作曲およびアレンジが見事に機能した素敵な曲。本人たちも気に入ってたのか、後のアルバム『シフクノオト』にも表題曲共々そのまま収録された。
 彼らの大げさな曲にありがちな壮大なストリングスはここには無くて、もっと小さくてしみじみと、少人数で手元の楽器で奏でるような味わいが、音数を絞ったスタイルでじっくりと演奏される。概ねカントリー的なオーガニックな演奏なのに、間奏で急に躍動感を発揮するワウギターはユニークだ。楽曲自体も、派手なサビを作るのではなく、ヴァースとブリッジを繰り返すその作り方は、大方の人は地味と感じるかもしれないけど、これはこれで、桜井和寿という日本有数のシンガー兼メロディメーカーのラフさとジェントルさを余すことなく表現してる。
 歌う内容も、恋の喜びや別れの悲しみのような歌謡曲的なものやミスチル的説教臭さから離れて、日常の中のふと湧いたモノローグを切り取ったようなさりげない光景が広がる。『HERO』共々、歌の視点が恋愛・性愛めいた世界から、より「世界の中で暮らしてるいち個人」の目線に移行しつつある、そのしみじみ具合が涼しげで心地いい。


2. one two three

(2002年 アルバム『IT'S A WONDERFUL WORLD』)

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 アルバム『IT'S A WONDERFUL WORLD』は、冒頭の『蘇生』の今後のミスチルの柵引いに繋がりそうな気高さの割には、その後の内容はひたすら恋愛のドロドロに塗れまくった作品で、そんな情念を込めて量産された多数の丁寧な楽曲が、この1枚前のアルバム『Q』で一定の高みに達したサウンドの多彩さと相まって作品の雰囲気を形作っている。
 とはいえ、『蘇生』前後のオープニングを終えてアルバム本編に入っていきますよ、的なこの曲の足取りは非常に軽快でユーモラス。かなりハネの効いたリズムの上で紡がれていくメロディはまさに、「日本語によるポップソングならどんな形でも作ることができるぜ」と言わんばかりの、傲慢とさえ思える桜井和寿の才能が縦横無尽におどけ回っている。サビでリズムが雑にスウィングしていくところの軽妙で軽薄で、だからこその独特の突き抜け感さえあるポップさは、氏の『シーソーゲーム』等のおちゃらけポップスの系譜でもとりわけファニーで楽しいものだ。終いにはアントニオ猪木の有名な引退時の語りをサンプリングするなど、あまつさえそこから曲タイトルを練り上げるなど、まさにやりたい放題。この曲については『Q』の楽曲群と同じくらいやりたい放題だよなあって感じる。
 それでも歌詞が男女のお別れの歌であるところは、なんか逆にそういう縛りの上でどこまでテーマを羽ばたかせられるか、みたいな挑戦というか実験というか雰囲気さえある。この振られた男の負け犬の遠吠えから始まる心境が、情景描写やら何やらを通って謎の実によくわかんないポジティブさに到達するのは、半ばギャグでやってるのかな。ギャグなのかユーモアなのか本気なのかよく分からない妙にヘラヘラした感じを高いポテンシャルで発揮する、これは日本の音楽史でも桜井和寿がとりわけ得意とする分野かもしれない。


3. Heavenly kiss

(2000年 シングル『口笛』カップリング)

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 実に素朴でノスタルジックでセンチメンタルな名曲として知られる『口笛』の裏で、その真逆に実に倦怠感まみれでかつやたら歌い方がエロい曲が存在してるのもまた、お前ら何のつもりなんだと、これはリスナーのツッコミ待ちなのかと思うような構成をしてる。ロサンゼルス録音であることさえ笑いを誘う。
 でも、楽曲としてはまさに、桜井和寿のエロティックサイドを代表する曲のひとつと言える充実っぷりを誇ってる。冒頭から、いなたいギターに先導されて始まるバンドサウンドの実に気だるい演奏が心地よい。所々に入るホーンセクションの利かせ方やクラヴィネットなどもあって、彼らなりにSly等を標榜してる風なソウルテイストが存分に表現されている。特にリードギターはここぞとばかりにワウを効かせまくったギタープレイを連発している。田原健一は目立たないギタリストとして有名な節があるけど、ワウやスライドを効果的に活用したバッキングプレイには定評がある。楽曲構成もヴァース・コーラスのみのシンプルさで、コーラスの煮え切らないコード進行も実にじっとりとしてて曲の雰囲気の表現にうまく機能してる。
 そして桜井和寿の歌がまさに、持てる限りの気だるいエロさの技巧を費やしている。この、彼の声質のうちおもしろおっちゃん的要素を極限まで削り落とした、絶妙にサディスティックに湿った声の響き方に彼のシンガーとしての技法の多様さと、そしてこっちの方面を突き通しても面白いのに、というポテンシャルを感じさせる。くたびれきってるふたりの関係を俺様の「天国のような」キスでどうにかしてやる、という傲慢さもまた桜井和寿しまくってる感じ。
 

4. I'm talking about Lovin'

(2010年 アルバム『SENSE』)

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 上の曲とまるで逆に、初恋のような純真さをジャズな楽曲で表現した爽やかな曲。アルバム『SENSE』はノーシングル・発売直前まで情報を伏せる等、久々に彼らのチャレンジングな姿勢が表れた作品だけど、収録された楽曲もこれより前の2枚のアルバム(『HOME』『SUPERMARKET FANTASY』)より多様で、特に冒頭からこの曲までの4曲の流れは彼らの多彩さが端的に出る。まあこの曲の次の曲はあの『365日』だけど。
 軽快にスウィングしていくサウンド。こういう彼らのサウンドの「本流」から外れた曲でもきっちりと甘くファンタジックな雰囲気をデコレーションされてるあたりは小林武史プロデュースの鉄壁なところ。曲調に合わせるようにひたすらメロディックに昇降するランニングベースが楽しい。そしてヴァース・コーラスの曲構成も、シングル曲的な壮大さと逆の、さらっとしたポップな質感をこの曲に与える。歌い方も彼の声の爽やかな部分をかき集めたような清涼感。
 アルバムにこういうのが1曲あると雰囲気がいい具合にバラけて華やぐよね、っていうのをまさに体現する楽曲。このプレイリストでもそういう効果が出てるといいなって思う。
 

5. 靴ひも

(2005年 アルバム『I♡U』)

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 これも彼らの爽やかサイドの性質がよく出た楽曲。やはりエロさもチャラさも説教臭さもユーモアも抑えられ、ひたむきな恋愛の感じと感情の静かな高鳴りが、素朴なバンドサウンドでもって割とコンパクトに表現される。彼らは時々こういう楽曲をさりげなくアルバムに忍ばせてきて、それらは彼らが表現する様々なタイプの楽曲の、一番日常に沿ってくれるポップソングの上澄みの部分にあたる。
 ヴァース・コーラスの繰り返しで、落ち着いたヴァースからやや唐突にコーラスでテンションを上げていく、この計算され尽くした「不器用さ」が実に効果的にドラマチック。そう、歌の中の光景として、大恋愛や大悲恋よりもこれくらいの光景が一番聴きやすく感じてしまう。フォーキーなギターの響きの爽やかさに、少しウェットなエフェクトのかかったギターやキーボードが被さって生まれる透明感のあるサウンドは、まさにミスチル的な清涼感という感じ。コーラスで高揚する桜井ボーカルも激情に走りすぎない絶妙なコントロールで、ひたすら清々しい。「靴ひもも結ばずに 駆け足で飛び出して」という爽やかなフレーズを、他の曲ではエロにまみれていようとサッと出せる彼の作詞作曲能力はやはり高いし、そして器用。
 ところで、ぼくは2000年〜2005年の間こそが彼らの最盛期だと思ってて、それはアルバムでいうなら『Q』〜『I♡U』の期間に相当する。1990年代中盤〜後半にて練り上げられた「桜井和寿」という強固な人格とソングライティングを持ったバンド及び小林武史のチームが、楽曲のジャンルにおいてもサウンドにおいても何でもできる、という全能感をもって、ソングライティングの充実と様々な実験とを高いレベルで両立させ続けた時期だったんだと、それによって生み出された実に多様な趣向の楽曲を聴くにつけ、とても強く思う。軽薄も誠実も、清涼も荒涼も、恋愛も変態も、ともかく桜井和寿が曲を書いてさえいれば何でもありと言わんばかりの、とても充実した時期。
 

6. また会えるかな

(1996年 シングル『名もなき詩カップリング)

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 このリストで最もリリースの古いのがこの曲の入ったシングル『名もなき詩』。前にもどこかで書いたけど、あの大名曲およびそれに続くアルバム『深海』によって、彼らは「世相を絶妙に反映した人気バンド」から「桜井和寿というのたうちまわる才能を核とした、自身の表現を追求していくユニット」に強烈に変貌していく。そしてその変貌さえ世間に広く受け入れられたことに、彼らの幸福がある。『名もなき詩』は彼らで二番目にハンパなくよく売れたシングルとなった。バブル期的な打ち込み重視のサウンドからバンドサウンドへの転換もまた時勢の移り変わりと同機していた。
 そんな「めっちゃ売れて熱狂的に受け入れられた代表曲」の影でこの曲は、表題曲の苦悩でのたうつままにブチ上げていく感じとは全く裏腹の、実にセコくてスケべな、桜井和寿のチャラいサイドを的確に表現してみせた。彼らが時々出す「この曲はチャラくてセコくてスケベだよ〜」って明確に示された楽曲は、ある意味ではそうはっきり示してるあたりに逆説的な彼らの誠実さを感じさせる*2
 すっかりトボけ切った曲調・メロディ。これはリズムのハネの効かせ方が大きく作用してると思う。表題曲共々ハンドメイド感溢れるバンドサウンドは、特にこういうハネの感じを出すのに適していたと言える。ヴァース・ブリッジめいた曲構成はカップリング的なこじんまり感だけど、特にリズムのいなたさやフィルインの感じ、ミドルエイトの曲調の変化や、そこから突如混沌としたエフェクトがやたら重ねられる感じなどに、中期The Beatles的なサイケなバンドサウンドを強く標榜してたことが感じられる。ボーカルも終始ダブルトラックで、桜井和寿的な声質の強いクセは抑えられている。あとこの曲もワウギターがボワボワと鳴ってる。ワウ好きですよねミスチルって。
 歌詞は実に軽薄にスケべ心が描写されてる。「僕の大胆不敵な恋愛観は 君にとってもきっとプラスになんだ」というフレーズの実に雑でチャラい感じは、まさに人間・桜井和寿の表出はじめの一場面だった。しまいには「次会うときは僕がつけ入れるようにあの娘が弱ってるといいな」みたいなことまで言いだして、なかなかにサイテーな感じになってくる。こういう歌にも関わらず、ミドルエイトの箇所では歌詞に合わせて混沌としたサウンドに突入するあたり、軽薄な日常と非現実的な混沌が交錯する不思議さも持ち合わせてて、それはある意味では、当時のバンドの状況にも重なるものだったのかもしれないしそうでもないかもしれない。
 

7. ありふれたLove Story 〜男女問題はいつも面倒だ〜

(1996年 アルバム『深海』)

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 上でも書いた彼らの最重要な転機であるところのアルバム『深海』からはこの曲を。露骨に鬱屈とした雰囲気がアルバム冒頭から充満する中で、4曲目のこの曲でやっと、少なくとも曲調の上ではポップで明るく楽しげな演奏を聴かせてくれる。
 ファニーさも含んだそのポップさには『また会えるかな』と通じるところがある。はじめはフォークチックな演奏なのにBメロでは急にロックンロール的なリフの刻み方が始まり、キーボードも実にそれらしいプレイに変化していく。そしてサビでドレミファソラシドの音階でメロディを駆け上がっていく様はまさにポップをひとつ極めたような具合。Aメロでマンドリンを弾き、サビでスライドギターも担当する田原健一氏の演奏が割と表に出てる。そして全体的なバンドサウンドのいなたさはやはりThe Beatlesっぽく感じれる。『名もなき詩』といい、彼らが素朴なバンドサウンドに立ち返ろうとした際には、The Beatles的な要素がかなり重視されていたんだなと思う。桜井ボーカルは『シーソーゲーム』以来のElvis Costello風のラフさとがなり方で歌い抜けるけども。
 あと、3人称のみで完結した歌詞はミスチルの数ある楽曲の中でも相当に珍しい。「現代社会に翻弄されて恋してうまくいかなくなって別れる男女」というストーリーを早足で駆け抜けていくから、中身自体はありきたりだけど、終盤の流行歌への皮肉も入り混じってくるのはこの時期の桜井和寿的な感じ。


8. 幸せのカテゴリー

(1997年 アルバム『BOLERO』)

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 『深海』に入らなかった「ミスチル現象」時代のシングル曲+新録6曲で構成されたアルバム『BOLERO』は、そのシングル曲の多さに半ばコンピレーション的な性質もあるけど、特に新録6曲は明確に『深海』と陸続きの憂鬱さを描いていて、かつやはりバンドサウンド重視の楽曲が多い。売上絶頂期の勢いと派手さがあるシングル曲と比べればどうしても地味だけど、その地味さの中に色々な複雑さがあることは、聴き込むとシングル曲よりも味わいのある部分かと思う。
 この曲もその新録の方の楽曲のひとつ。ゆったりとしたテンポでボンゴ等も伴った弛緩しきったポップ感はPrimal Scream『Movin' On Up』以降の、渋谷系でも時折引用されたようなヘナヘナしたソウルテイスト。ベースが一生懸命動き回ってこの曲ならではのひねくれ切った雰囲気を下支えしてる。歪んだギターの音が意外と曲全体で鳴らされ続けてて、こちらも歌のバックで色々なフレーズを弾いてて面白い。歌のメロディもセブンス的な気だるく疲弊した雰囲気がとりわけサビで見え隠れし、なんかそのへんのこともあるのか、初期のGRAPEVINEの気だるさと似た質感を感じたりもする。歌い方のシニカルにひねた感じも似てる。
 歌詞はモロに男女関係が疲弊し切って別れる様を描いていて、たとえば上の『ありふれたLove Story』みたいな曲で出てくる破局の詳細を描いたようなところがある。特に面白いのが、別れる「君」に対する未練が全くないわけでもないがしかし「でも君といるのは懲り懲り」とはっきり拒絶を歌い上げるところ。別れを後悔する未練がましさを魅力とする歌が世に多い中で、別れた相手に辛辣な言葉を時々投げつけるのは桜井和寿の作詞の特徴のひとつかもしれない。この曲のひどく傲慢なまでの醒め切り方はやっぱユニークだと思う。その辺もやっぱ初期GRAPEVINEっぽい。
 

9. 渇いたkiss

(2002年 アルバム『IT'S A WONDERFUL WORLD』)

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 桜井和寿プレゼンツの辛辣な別れの歌シリーズでも、この曲ほどそら恐ろしいものもないかもしれない。エロと倦怠感でもって恋愛を描いていくアルバムの作風を、実に陰な地点から描き切った名曲で、陽サイドを象徴する『youthful days』と連続するあたりはこのアルバムの面目躍如といった感じ。あるいは、aikoスガシカオ等と並置されて「捻くれ切った楽曲を制作する日本の作家」として桜井和寿が評価されるときの象徴のような楽曲。というかそういう評価は大体あのアルバムの楽曲群がまず思い浮かぶ。
 この手の曲は上で書いた『Heavenly kiss』といい『幸せのカテゴリー』といいソウルテイストが入ってくるのか、この曲もやはりそのようなしなやかなビートと金管楽器のソフトな響きが印象に残る。これらの系統の楽曲群の中ではとりわけソフトでウェッティなメロディ・演奏で纏められているところが、この曲の価値を揺るぎないものにしている。特にホーン類の実にソフトな鳴らされ方は、この曲の厭らしさを厭らしいほどに高めていると思う。
 コード進行については、ミスチルの楽曲でも最もいやらしく捻くれた部類で、なるほどこれがこの曲がaikoなどと比較される理由なのか、と今回改めてコードを調べてみて思った。特に、同じコードをメージャーマイナー両方行き交うところや、あとsus4の多用がとても印象的。楽器をする人はぜひアコギでもピアノでもいいので一回コードを追ってみてほしい。
 歌詞も実に厭らしい。『Heavenly kiss』では「閉塞した二人の関係も俺のキスでどうにかするぜ」という感じだったけど、この曲はそれすらもう効き目がなくて別れてしまう場面の歌。アダルティックといえばそうかもなムードだけど、でもきっと普通の人はこの歌詞の男みたいな、未練がましさと冷酷さの入り混じった呪いの言葉は吐かないと思う。
 
ある日君が眠りに就く時 僕の言葉を思い出せばいい
そして自分を責めて 途方に暮れて
切ない夢を見ればいい
とりあえず僕はいつも通り 駆け足で地下鉄に乗り込む
何もなかった顔で 何処吹く風
こんなにも自分を俯瞰で見れる性格を少し呪うんだ

 

情けなさと冷酷さは容易に共存するんだなあということを、この曲を聴くと考えさせられる。このねちっこくて厭らしい情念の渦巻き方はやはり、こういうサイドの桜井和寿の才能の頂点と呼ぶに相応しい冴え渡り方。

 アルバム『IT'S A〜』は『youthful days』も『ファスナー』も『UFO』もひたすらセックスセックスしてて、桜井先生による「面倒な男女関係大全」と化してるけど、この曲の爛れ切ったうんざり感はやはり格別。
 

10. ロックンロールは生きている

(2010年 アルバム『SENSE』)

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 プレイリスト的には、面倒な男女関係のネッチョリした楽曲が続いたところで雰囲気を変えたいところなので、『SENSE』からこの、ミスチルらしい暑苦しい情熱が迸るマイナーコードの楽曲を引いてきた。『ニシヘヒガシヘ』『フェイク』等のこういった系統の楽曲の中でもとりわけテーマが真っ直ぐで、かつアレンジが実にヘンテコな面白い曲。こういうラテンっぽい情熱的なマイナーコードの楽曲を変なアレンジでキャッチーにブッ飛ばすあたりはサザンオールスターズにも通じるセンスだと思う。
 彼らが時々出してくるデジロックは概ね「ダサい」感じがあってそこが魅力でもあるけど、この曲ではむしろその「ダサい」ことによる魅力をしっかり自覚して作ったんじゃないかと思ったりする。じゃないとイントロのすげえダセえ入りは出来ないと思う。なんだあのプチプチ鳴る変な電子音。ところどころ挿入されるシンセも妙に古臭くて、その悪ノリじみた勢いを爽快に高めている。ここまできたらこのダサいのが逆にかっこいいんだなってなってくるので楽しい。バンドサウンドも実に饒舌に伸び伸びと演奏され、時勢を反映した裏打ちのリズムに乗る演奏は、終始思うがままにへしゃげて回るボーカル共々、荒野っぽい風景を思わせながらも、実に伸び伸びとはしゃぎ倒している。
 ひたすら手数の多い言葉のリズムの畳み掛け方は実に桜井和寿のソングライティング。突如ライラライラ連呼するところやラップ調の箇所のダサさも含めてもう、この曲では俺たちテンションだけで突き抜けていくぜ、っていう感じがしっかり出てて、ここまでやってくれると痛快さしかないなと思う。「慌てないで ほら1,2の3の きっかけで飛ぶんだ清水の舞台」の微妙に危ういことを言ってる風でもあるけどでも意味不明な箇所など、ひたすら内に渦巻く謎なテンションを形に出来た喜びが感じられて、それはそれでとても清々しい光景だと思った。
 

11. I Can Make It

(2015年 アルバム『REFLECTION[Naked]』)

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 アルバム『REFLECTION』においてついに彼らはメジャーデビュー以来の小林武史との協働関係に区切りをつけた。それによってサウンドがバンド的な音のみになったかというと全然そうではなくて曲によってはこのアルバム以降も全然小林武史時代と変わらないし、このアルバムでいえば全14曲の[Drip]バージョンの曲目だとさしてこれより前のミスチルの諸作と変わらないというか、いつもの世間的なポップさに寄ったミスチルだなあ、としか思わない気がする。もう少し[Naked]だけの曲を[Drip]に入れても良かったのでは、と今回聴き返して思った。小林武史と離れたことによる伸び伸びとバンドサウンドを追求した楽曲群はむしろ[Naked]の方に多い。
 たとえばこの曲。イントロから少し重厚なギターサウンドを軸としたオルタナティブロック風なイントロには、彼らが押し出したかったバンドサウンドが典型的に鳴ってる気がする。その後もヴァースはNeil Young的な空気と重さを引きずるような曲調・演奏が展開され、でもそこをコーラス部でポップに転換するところは実に機能的なポップさを保っている。重みのあるヴァース→ファルセットを多用するコーラス、というボーカルの展開もこの曲構造の仕掛けにとても自覚的で、そこからミドルエイトのミスチル的な情念の発出に繋げる箇所も、彼らが長年の活動で築いた「ミスチル性」をどうバンドサウンドだけのサウンドに落とし込むかを改めて手探りで探求するダイジェストを感じさせる。
 男女関係が一切出てこない、ひたすら自身の創作の過程をやや自虐的に歌い上げる歌詞もなかなか印象的。「器用な貴方がそういう底辺にへばりついてます的な歌を歌うのはどうなの」と思ったりもするけど、でも少なくとも彼らがそういう意識のもとに曲に取り組んでるときはちゃんと本当にそういうつもりになり切ってやってるんだと思う。最後のサビで「締め切りを前に取り下げるアイデア」と歌われるところまで来ると流石に、なんてテンションでそんなしょっぱいこと歌ってるんだよ、とクスリとくるし。
 総じて、[Naked]のみの曲でもとりわけバンドサウンドしててかつポップでキャッチーでミスチル的な苦悩の感じも入ったこれを[Drip]の方に収録しなかったのか理解に苦しむ。これ1曲あるだけでかなり雰囲気変わると思うけどなあ。「小林武史抜きの、セルフプロデュースによるミスチルのバンドサウンドの魅力」を示すのにまさに絶好の楽曲だと思うけれども。
 

 12. ほころび

(2006年 シングル『箒星カップリング)

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 まさにシングルのカップリング曲かくあるべしな風情のある、非常にシンプルで楽曲の尺も3分ちょっとという、「隠れた名曲」と言いたく鳴ってしまうような丁度よさに満ちた楽曲。アルバム『I♡U』の余勢を感じさせるシングル『箒星』は表題曲含めた3曲が、過剰な装飾を排したシンプルなバンドサウンドで演奏されていて、のちのアルバム『HOME』の方向性からすれば意外なほどにソリッドに「バンド・ミスチル」を押し出した作品になってる。とりわけこの曲のソリッドさは印象的。
 バタバタしたフィルインから始まる冒頭からして、出し惜しみのないシンプルにシリアスなコード感で始まり、サクッとヴァース・コーラスの展開をしていく。ヴァース・コーラスそれぞれもひと回しを彼らにしては短めのサイクルで形作られていて、この曲のソリッドな佇まいに一役買ってる。頭打ちのビートで延々と進行していくのもこの曲の印象をシャープなものにしていて、伴奏はキーボードの存在感が大きいけれど、特に2回目のヴァースのハープシコードミスチルの伴奏としては珍しい刺々しいメロウさが心地よい。2回目のコーラスからそのまま楽器がブレイクして最終コーラスに突入していく様も、この楽曲を極力短い尺に収めようとする努力の過程を思わせる。男女関係の崩壊を薄味気味にさらっと感傷的に処理する歌詞も無駄が無い。
 桜井和寿のソングライティングは基本的にヒット曲でもマイナー曲でもねっとりとした展開てんこ盛り、のイメージが強く広くあるけど、その気になればこの曲や『花言葉』(アルバム『シフクノオト』収録。このリストでは残念ながら選外)くらいまでシンプルにソリッドに纏め上げることもできるということは知っておいて損はない。そしてそういう曲こそもしかしたら彼特有の感傷の感じが最も効果的に出るのかも、と思ったりもして。そもそも筆者個人がシンプルな作りの曲が好きということもあるけど。
 

13. Prism

(1998年 シングル『終わりなき旅』カップリング)

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 アルバム『BOLERO』後の活動休止で「ミスチル現象」に自ら終止符を打った後の、彼らの復帰シングルとして申し分のないスケールとポジティブさに貫かれたシングル『終わりなき旅』において、そのカップリングにはこの、実に鬱屈とした楽曲が収録された。のちのアルバム『DISCOVERY』でも3曲目に収録され、あのアルバムに暗い印象を抱かせることに大いに寄与している。というかモロにU2の『Joshua Tree』なジャケットの『DISCOVERY』もそうだけど、『終わりなき旅』もこれU2の『Achtung Baby』っぽいなあ。
 彼らが活動休止から復帰するにあたっては、「ミスチル現象時代のポップスめいたサウンド」から「泥臭く這い上がるバンドサウンドミスチル」へ転換しようとしてた節が散見される。そ子においてはそれこそジャケットをオマージュしてるU2や、または彼らが『BOLERO』を出したのと同じ年に名作『OK Computer』を出したRadiohead、そして彼らの知り合いでありながら売上げ面で苦渋を舐め続け、ついに諸々を鬱々としたまま振り切った名作『Please Mr. Lostman』をやはり1997年にリリースしたthe pillowsといったバンドのサウンドが参照されたと思われる。この曲についてはまさにそのthe pillowsからの影響が公言されており、仮タイトルは「さわお*3だったという。別にこの曲そんなにthe pillowsっぽくもない気がするけど…。
 音楽的には特に、タイトル通りの光の幻想的な感じを表現するギターサウンドが印象的。この辺の、荒涼とした光景にかかる光の筋、みたいなサウンドは上記のバンド群からの影響を強く思わせる。終始マイナーコードで進行する重苦しい展開においては、ボーカルにも深くリバーブが掛けられ、鬱屈として土臭い1990年代後半式のサイケデリアが色濃く展開される。ストリングスやキーボードも特に見当たらず、ひたすらにエフェクティブなギターサウンドで空間を埋める作りは当時の彼らの意欲的な面が伺えるけど、でもこの憂鬱な曲を当初はシングル曲にしようとしていたというのは、確かに迷走してたのかもなあ…とも思ったりする。何度も何度も転調して上り詰めていくド派手な『終わりなき旅』とは好対照で、そしてバンドにとってもそこは史実通りで良かったなあと思う。
 一応申し訳程度に男女関係を絡めながらも、結局は自虐自嘲に言葉を費やす歌詞も、ミスチルのダークサイドを象徴する。よく鬱作品と言われる『深海』や『BOLERO』よりもこの辺の曲の方がより同じくらいテーマが深く考証されて言葉になってるので、彼らの暗さを調べていく上ではこの曲を取っ掛かりにするととても分かりやすい。彼らの暗い曲に頻出する「厭世」「虚飾」「自嘲」「君への懇願と絶望」がこの曲には満遍なくまぶされている。また、この辺のテーマは確かにthe pillowsの名曲『ストレンジ・カメレオン』と共通するので、当時の彼らのthe pillowsへの共振、及び後年のトリビュートアルバムでのカバーは、そう思うと実に納得の行くところ。
 

14. Pink〜奇妙な夢

(2004年 アルバム『シフクノオト』)

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 今回みたいなバラエティに富んだ楽曲群のプレイリストを作る際は、似た曲調の楽曲を連続させて「暗いゾーン」みたいなのを作りたくなってしまうので、『Prism』から続けて、また重たいこの曲を連続させたりする。アルバム『シフクノオト』はシングルからの楽曲が5曲と多い(事前にラジオで公開された『タガタメ』も含めれば既出曲は6曲)けれども、それ以外のアルバム曲も気合が入っていてかつダークなものが割と多いのがあのアルバムのいいところで、個人的には上で書いた『Q』〜『I♡U』の彼らの「全盛期」の中でもこれか『I♡U』のどっちかを彼らの最高傑作としたいと思ってる。さらに個人的なことを言えば、リアルタイムで購入した初の彼らのアルバムだったので、そういう意味でも思い入れが強い。
 この曲のダークさは、割と出所不明なところが面白い。ある就寝中に見た変な夢を曲として具現化してみた、といった趣だけど、それがこれだけ重苦しいサイケデリックさの出た曲になるところは、バンドとしての彼らの底力を感じれるし、それこそ『スロウ』以降のGRAPEVINEが時々やるようなダークさとも似た性質などもあったりして、またはsyrup16g的な属性を見いだすことも可能なわけで、そういったバンドが時に「闇のミスチル」と呼ばれる際の性質を逆輸入したかのようなこの楽曲は、製作者側の意図が相当に不明なことも含めてとても面白くて興味深い。
 彼らの楽曲でも屈指のスローなテンポで展開していく楽曲は、バンドサウンドメインのどっしりした演奏構成になっていて、いい具合に乾いたクランチなギターの音がマイナーコードの間の中に砂埃を舞い上げるように響くのが、実に怪しくも奥深いムードを作り上げている。ギター2本のアンサンブルとしては、この曲は彼らの楽曲中でも最上級に面白い部類だと思う。コーラス部の3音アルペジオなどは実にロキノンな雰囲気。かなり控えめに鳴るキーボードもこの曲のゴシックさをよく縁取っている。コーラスに入る直前のフェイザーエフェクトもベタな使用法だけど、確実にこの曲の不穏さ・空間のねじれる感じを演出している。
 ひたすら奇妙だけど、しかしよく読むと別にさして暗いわけでもない歌詞も不思議さに満ちてる。怪しい誘いのようでもあり、歌詞にある通り何かのメタファー的でもあり、シュルレアリズムのミスチル的解釈としても面白さがあって良い。近年のセルフプロデュース以降のバンドサウンド重視の彼らには、この手の重苦しいサイケデリアの楽曲も期待してしまう。
 

15. addiction

(2018年 アルバム『重力と呼吸』)

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 全10曲で48分という、ミスチルらしからぬ凝縮されたボリュームで「俺たちは今、濃いものを作りたかったんです」と喧伝された2018年のアルバム『重力と呼吸』は、セルフプロデュース移行後の彼らの歩みの、ひとまずの大きな成果となった。前作アルバム『REFLECTION』のどっちかというと[Naked]側の要素を幾つかの曲で強く練りこんであり、「大げさなストリングスのバラードがメインじゃないミスチルの作品」としてまた1歩前進した、といったところ。個人的にはもっとポップさを削ってシニカルな桜井和寿の面を押してくれても…とも思うけど、売上のこともあるから難しいところ。
 そんな10曲の中でもとりわけ「シニカルな桜井和寿」が出てて、かつそれがサウンドと相乗効果にあるのがこの曲。デジロックの系譜に当たると思われる1曲だけど、でもここにおいてはダサさよりもむしろ「洗練されたNew Order」みたいな具合の鮮烈さ・オシャレさが出てる。特にドラムの鈴木英哉の変則的なプレイがこの曲では実にその躍動感に貢献している。彼の8ビートをあまり基本としないドラムスタイルは結構な楽曲で「ミスチル的な盛り上がり」を影で演出してきたけど、この曲のとりわけコーラス部の彼はむしろ主役のような格好よさがあって、セルフプロデュースの重要な成果のひとつだと思える。マイナー調気味なメロディもミスチル的な透明感と全能感のあるメロディで貫かれて心地良く、ギターもアルペジオオルタナティブなフレーズに奮闘していて、ベースも浮遊感のコントロールに積極的に努めていて、デジロック系統だけども、むしろバンドサウンドの充実を思わせる。
 歌詞においても、現実の抑圧された自分と「あちら側」の解放された自分との危うい対比を高いテンションで表現している。曲タイトルといい、場合によっては薬品的な危うさも感じさせるが、そこは音楽でもってそういう状態に持っていくんだ、ということでバランスが取られている。まあ流石にミスチルクラスのバンドで薬はね…。
 

16. 友とコーヒーと嘘と胃袋

(2000年 アルバム『Q』)

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 ある程度以上のミスチルファンにとって、アルバム『Q』はまさに「隠れた名曲の宝庫」とでも言うべき作品に変貌する。当時としては実験的な楽曲が多数収録されてたのが災いしたのか、チャート1位もミリオンヒットも逃した「失敗作」として見なされていた節があるけど、でも本人たちも一定以上のファンたちも、この作品にそんな想いは抱いていない。むしろこのアルバムでの自由自在な作曲・編曲こそが、ここから『I♡U』に至るまでの様々に実験的な楽曲群のスタート地点になっているから。この曲と次の曲と、2曲連続でリスト入りさせました。あと2曲くらい入れたかったけども。
 この曲はそんな自由なアルバムの性質を最大限に象徴する、自由すぎて、「凄くいいんだけど…でもこれ結局何…?」みたいな楽曲。「透明感のあるシンセエフェクトの中をブレイクビーツに乗って桜井和寿吉田拓郎ばりにベラベラと語り倒す楽曲」と一言で表してみて、「は?」って感じになるのが実にこの曲の明後日の方へ向いた自由さを感じさせる。泥臭いバンドサウンドを探求した『DISCOVERY』から透明感のあるサウンド構築に向かった『Q』への転換は彼らのサウンド的には『深海』の時と同じくらい重要な転機だったように思うけど、その転換したサウンドをいきなりここまで奇妙奇天烈に活用するのが、当時の彼らのテンションの高さを思わせる。というかアルバムジャケットのコーヒー飲んでるのはこの曲の歌詞由来なのか…。
 語り倒す桜井和寿のボーカルも、しかし野暮ったすぎないで妙につるっとしたところがあるのがテンションがおかしくて面白い。野暮ったいテンションは感想の語りのセクションで挿入され、ここでは落研経験を生かした落語的な噺によって、桜井和寿個人の明け透けな人間観が疾走していく。そこからリズムが途切れて元の語りに入っていくところは、歌ってる内容の割に実に不思議なクールさに包まれていて、ヘンテコなアンサンブルのはずなのに妙に冷え冷えとして格好いい。終盤のささやかで変な祝祭感も妙に可笑しいし楽しい。
 以上のとおり、ミスチルという範囲に限らずとも音楽的に非常に奇妙なことをやっている、彼らでも有数の実験的な楽曲。その実験が高尚な感じではなくむしろ非常にユーモラスでかつそれでもちょっとクールな風に機能するところは、ポップスターたる彼らの諧謔とサービス精神によるものか。ある意味、『Prism』とこの曲の両面でなんとなく「作詞家・桜井和寿」の性質を概観することができるかもしれない。
 

17. ロードムービー

(2000年 アルバム『Q』)

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 10人一定以上のミスチルファンがいたらその10人ともが「隠れた名曲」として取り上げかねない、もはや隠れていないような気さえする名曲。上の曲からこの曲へ続くのはアルバム『Q』と同じ流れで、まさにこの辺りで「『Q』ってめっちゃいいアルバムだなあ」と思えるセクションになってる。
 「普段の大仰なシングル曲からは分からない、シンプルなミスチルの良さ」をまさに象徴する楽曲。4分19秒という普段1曲5分以上が当たり前な彼ら的には短い尺の中で、ヴァースとブリッジの繰り返しだけで構成されたコンパクトでささやかに鮮やかな情景は、桜井和寿の中のロマンチックなポップスを作る回路が上記の『靴ひも』などと共に最もシンプルに機能したもの。シンプルだからこそ伝わる上官ってあると思うけど、この曲の示す情緒というのはまさにそういった類のもの。
 冒頭のテンポよく展開するドラムとグロッケンから、穏やかなトーンで進行する楽曲のメロディはほどよく甘く優しく、でも良風の冷たさも感じさせるような、絶妙な透明感を持って駆け抜けていく。ブリッジ部でのじわじわと疾走していく感じはまさに、バイク二人乗りの歌詞の光景を体現するようなドライブ感をたたえている。ピアノやグロッケンが目立つサウンドではあるけど、作曲当初桜井が入る余地がないと思っていた田原健一のギターが、右チャンネルでジャズっぽい気の利かせ方をしたバッキング演奏で奮闘しているのはよく聴くとなかなかに面白い。デビュー当初の彼らの「お洒落なポップを作るバンド」という出自を思わせるこのギタープレイは、楽曲のノスタルジックさを陰で支えている。
 歌詞も、面倒な男女関係とか世間との軋轢とか苦悩とかから切り離された、ただシンプルに「君と僕でバイクで駆け抜けていく夜の光景」を描き、そこに未来への展望やら不安やらをそっと重ねるという、ささやかながら非常に技巧的に冴えた作り。桜井和寿本人もこの歌詞を最も気に入ってると語ったことのある仕上がり。
 
街灯が2秒後の未来を照らし オートバイが走る
等間隔に置かれた 闇を超える快楽に
また少しスピードを上げて
もう1つ次の未来へ

 

この、不安もはらむ未来に対するひとまずの落ち着いた楽観は、この後の彼らの作品で頻出する彼らの歌詞の基本スタンスとなる。たとえば、この価値観を最大限にスケールを大きくすれば『Worlds end』(アルバム『I♡U』収録)になるわけで、そういった意味でも、この曲の風景描写にひっそり忍ばせたうっすらと信念めいた何かは、彼らのとても重要な「発明」だったのかなと今頃になって思う。

 

18. I wanna be there

(2015年 アルバム『REFLECTION[Naked]』)

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 『REFLECTION』のやはり[Naked]からもう1曲、「セルフプロデュースの良さ」という意地をしっかりと貫き通したバンドサウンドが伸び伸びとした佳曲。晴れ晴れとしたスケール感の楽曲で開放感もあって、意外とこういうプレーンなエヴァーグリーンさの楽曲ってこれ以前のミスチルに無かったかもしれない。やはり何故[Drip]に入れないのか…とか思うけどもまあサブスクでは普通に聴けるのでいいや。
 ずっと草原が広がっていく感じのサウンド、というのが世界に様々な形態のあるバンドサウンドの中にも多数あると思うけど、そのパターンを彼らが演奏してみた、という趣き。フォークとカントリーの中間のようなおおらかなコード感・リズムで、言葉数も詰め込み過ぎないように誂えられたこのポップソングの風通しの良さは、ちょっとミスチルっぽくないかもと思えるくらいに爽快な開放感に仕上がっている。風が吹いたらその身ごとふわっと浮遊しちゃうんじゃ、みたいな感じのロマンチックさ。ギターのアルペジオの煌めきもかつてない爽やかで、スライドギターも実に伸び伸びとしてる。間奏のギターソロは桜井によるプレイだけどそんなの些細なこと。
 抑圧された日常を飛び出して旅に出る、という筋書きの歌詞は、楽曲の開放感と同機している。ちょっとした内なる自嘲の声も織り交ぜつつ、綴られた旅情のプレーンな喜びの様は心地よい。そしてたびに思いを馳せるポジティブな心境を「さみしそうに見送ってくれないか」でちょっとセンチメンタルに締める、その手際の良さは流石。ここまで罪のない感じのする楽曲はミスチルでも本当に珍しいのかもなあ。
 

19. Another Story

(2007年 アルバム『HOME』)

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 アルバム『HOME』で彼らは方向転換をした。桜井和寿個人の視点から、より世間の人々の日常に視点を移していこうとする、聴いた人々の喜びこそを重視した作風とされたそれは、個人的には面白くない方面で、なんで折角かつて「僕の大胆不敵な恋愛観」とさえ歌ってた良くも悪くもユニークなエゴが出まくった視点や音楽性を放棄して、大衆におもねった「みんなのうた」になることを全肯定する方面に行ったんだろう、と、あのアルバムおよび次作となる『SUPERMARKET FANTASY』については、あまりいい印象を持っていないのが正直なところ。
 そんな中でも、『ロードムービー』や『靴ひも』のようなストーリーテリングの方式で形作られたこの楽曲は、桜井和寿の作家性が無理なく表現された名曲だった。やはりこの作曲パターンは強い。
 この曲の素晴らしいのは、上記のとおりの『ロードムービー』的な素朴なポップさをややソウルテイストなバンドサウンドに落とし込んで、実に穏やかな楽曲として成立させたところ。彼らのソウルテイストというと、上記『Heavenly kiss』や『幸せのカテゴリー』や『渇いたkiss』のような、どっちかというと倦怠エロ路線で見られるサウンドだったけど、ここではそれが無理なく素朴なラブストーリーの楽曲と融合していて、シックなポップソングとして鮮やかな存在感を放っている。そしてそのソウルテイストをリズムや間奏のサックス以上に表現してるのが、定期的に小さくアヒルのようにクワックワッと鳴るワウギターなのが面白い。実にさりげないプレイだけど、ささやかにこの曲にアダルトさと、それ以上のファニーさを添えていて可愛らしい。裏打ちのリズムで進行していくコーラス部も、実に落ち着いたドライブ感で響く。
 シンプルなヴァースからブリッジ抜きでコーラスに展開し、特にそのコーラスの中で2段階で展開する曲構成は、彼らの作家性と大衆性の折り合う地点としてやはり無理のない着地をしてる。コーラス後半のファルセットを多用した歌唱も、この曲にエロくない透明感とソウルテイストを添加していて心地よい。
 面倒な男女関係をずっと取り上げてきた彼らの歌詞世界的にも、この曲のささやかな結論めいた着地点の穏やかさはホッとするものがある。「記念日を携帯が知らせてくれて そんなときばかりうまく立ち回って」のくだりは実に桜井節な男性の心理描写という感じだけども、ここでの「君」の優しさや、二人の間の不安をひとまず横に置いて続いていく日常を祝福するスタンスは、確かにあのアルバム的な穏やかさではあるけども、でも「綺麗事すぎない」落とし所として、なんか妙に納得してしまうところがある。
 

20. 潜水

(2005年 アルバム『I♡U』)

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 今回のプレイリストを作るとき最初に決めたのは、この曲を最後に据える、ということ。ミスチルの作品数あれど、この曲ほどシュールにサイケデリックに作品を締めることは他になく、なおかつそれを「生活の描写からギリギリはみ出る」ことで表現してしまう技法が素晴らしい。多くのシングル曲とか目当ての人たちからは疎まれてるんじゃなかろうかと余計な心配をするけど、この曲は本当に素晴らしい。やや後半が弱いアルバム『I♡U』もこの曲で終了することによって、その後半の弱さ自体に意味が生じてくる辺りが、非常に美しく感じる。『シフクノオト』が『HERO』で終わるのと甲乙つけがたいけども。
 サウンド的にはまさにタイトル通り、水の中をたゆたうような質感のサウンドがひたすらに展開していく。それは緊張感とか安らぎとかそういう情緒的な感じではなく、ただ単に曖昧に「水の中」っていう感じなのがとても感覚として透き通っている。ギターエフェクトと打ち込みリズムで構築された箱庭の中を、桜井ボーカルもどこかピントが定まらないような、シリアスでもファニーでもメロウでもダークでもない、曖昧なメロディを紡いでいくのが、曲の雰囲気に実に合っている。
 ヴァース・ブリッジの曖昧さを抜けて、コーラスで更に音的に「潜水」していくのがこの曲のユニークなところ。ボーカルには強いエフェクトが掛かり、サウンドもより深い混濁の度合いを見せて、ここではストリングスすらそういう妙なサイケデリアの構築に一役買っている。この辺の、曖昧な日常からほんのちょっと転落したような感覚、というのを音楽的に万全に表現し切ったことがこの曲の素晴らしさで、だからこそ、終盤に突然ヴァースのメロディを繰り返しながらも中期The Beatles的な大団円のオーケストラサウンドに展開していくところのシュールさ、束の間の別世界さが物凄く際立つ。ここで突如湧き上がるこの別世界は、歌詞にあるように、本当にちょっとビールを飲んだとか、ちょっとプールで深く潜ったとか、そういうところと陸続きに迷い込んでしまえる世界なんだという、この不思議な並行世界的感覚が、ひたすらぼんやりしたままギリギリの生の実感を歌い上げるこの曲のファンタジックさにトドメを刺す。
 それにしても、歌詞だけ見ても本当に不思議な曲だ。ともかく焦点が合わない、だらしなくもぼんやりした日常の中で、でもちょっと思い出した「君のいじらしい言葉」でグッとくる辺りなんかはいじらしいものがある。生きる意味とか未来への不安とか何とか、どれも永遠に解決する気のない問題が遠くで渦巻く中で、最後のコーラス部の歌詞の、何でもないんだけども何かあるような感じは絶妙だ。
 
そうだ 明日プールに行こう
澄んだ水の中 潜水で泳いで
苦しくたって 出来るだけ 出来るだけ
遠くまで あぁ あぁ あぁ
あぁ 生きてるって感じ あぁ 生きてるって感じ

 

この、ひどくぼんやりした意識の中でたどり着く結論がこれ、というのが、この曲を最後に置いたアルバム『I♡U』の、本当に素晴らしいところだと思う。ビールにプールで、ちょっとおっさんくさいけども。ビールとプールで韻を踏んで音もサイケデリックに拡げてみるって完全におっさん的な行為だけども、でも妙にノスタルジックでもあるのかも。

 同じようになんてことのないぼんやりした日常から異世界に迷い込みそうになる楽曲に奥田民生の『ドースル?』があるけど、あっちもアルバム『E』の最後に置かれた、最後の最後で危うさを放つ大名曲だったけど、こっちの、別に危ういことは全然ないっちゃないんだけど、ふとしたことで「日常の歪んだ非日常の光景」を垣間見たりして、そこから戻って生の実感をなんか得ました、という変な締め方は、その妙なところから妙な形で表出したポジティブさも込みで、実に桜井和寿的なオチで、彼の表現の中でも最上級に好きな場面だ。

 

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 以上、20曲でした。
 なお、この記事を書き換える前にも数曲入れ替えたりして、今回のリストは結構悩み悩み作りました。一度リストに入れたけど残念ながら外した曲は『旅人』『デルモ』『傘の下の君に告ぐ』『十二月のセントラルパークブルース』『花言葉』『こんな風にひどく蒸し暑い日』『CANDY』『羊、吠える』『箱庭』といったところです。『旅人』『デルモ』は彼らの隠れ名曲としてよく名前を聞きますね。あとベスト盤に収録されてしまってるから流石にリストに入れられなかったのが『つよがり』『Worlds end』『擬態』。最初の方で書いた通りSpotifyにあれば入れてたのが『ストレンジ・カメレオン』のカバー。
 この記事やプレイリストで、Mr.Children小林武史のチームが作り続けてきた楽曲群の、意外な面白さだとか何とかについて何かしら伝えることができたならこの上なく幸いです。次なるアルバム『SOUNDTRACKS』にも変な曲や面白い曲があるといいなあと期待しながら、この記事を終わります。

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追記:余勢があったので、シングルからも10曲選んでみました。

ystmokzk.hatenablog.jpこっちはプレイリストはありません。

*1:勿論、彼らのヒット曲の全てが「大衆におもねった」だけでできてるはずもなく、特にいくつかのヒット曲は彼らならではの大胆さとスケール感が感じられて最高だと思っています。たとえば今ここで5つ挙げるとすれば『名もなき詩』『花』『youthful dys』『HERO』『and I love you』はどれもミスチルだからこその、これらの曲がとても多くの人に支持されてることが感動的な気にもなったりする楽曲です。

*2:逆にその辺のスケべさと、普段的で普遍的なシリアスさとが不可分なままにドロッと混ざり合うタイプの彼らの曲は時々ちょっと嫌になることがある。『あんまり覚えてないや』とか。

*3:the pillowsのソングライター兼ボーカルの山中さわおから取られたもの。