これはTwitterでフォローしてる方が実施してる「#オールタイムベストレディオヘッドソング」の投票のための記事です。この投票のルールは以下ツイートのとおり。
やることにしました。
— ジュン (@h8_wa) 2020年12月6日
ふるってご参加ください#オールタイムベストレディオヘッドソング
以下、ルール pic.twitter.com/VTFhb2SBt5
なので、Radioheadの数ある名曲の中からぼくも20曲選んで、20位から1位まで並べてみました。今回はそういう感じの記事です。今から挙げる順位が妥当なものかは全然分かりませんしぼくでさえ担保できません。20位から1位まで順番に記していきます。
投票期限が迫ってきてた2020年12月25日にバッと決めた選曲及び順位で、選曲においては自分の好みと歴史的重要性みたいなのとをどう取るべきか考えたりしました。その結果が以下の20位から1位までです。単に自分の好みだったらもっと別の曲が入ってるな…という感じの部分も色々あります。たとえばSpotifyの方に投稿していたこのリストのような。
基本的にはこのリストと大部分重複しつつ、幾つかぼくが取りうる限りの謎の「客観的目線」で数曲入れ替えて順位づけしたような感じかもしれません。いわゆる外せそうに無い「代表曲」をいくつか拾った形というか。
Radioheadほどのバンドに長々と無駄な前置きを書く必要も無いかと思いますので、今回はちゃんといきなり本編の、20位の曲から順に行きたいと思います。
20. Videotape (from『In Rainbows』2007)
彼らが「ポスト『Kid A』の世界における優秀なインディーバンドのひとつ」として十全のソングライティングと演奏を寄せた作品だと、今現在のディスコグラフィ等も踏まえた上でアルバム『In Rainbows』を定義することも可能だろう。そんな優れた楽曲群の最後に置かれた、実に彼ららしい非現実的な感覚と現実的な質感の狭間で膨らむファンタジアが実に静謐な形で綴られた楽曲がこれ。
今にも途切れてしまいそうな、駆動をやめてしまいそうなピアノの響きと丁寧に囁くようなThom Yorkeのボーカルで紡がれるこの『Kid A』後の彼ら流のバラードは、今思うと彼らの楽曲でもスロウコアっぽい雰囲気が強い方だと感じた。途中から入ってくる反復するリズムもアナログ機械みたいな具合で、ここには人の手触りによる音だけが鳴っているのに、人の魂の感じは丁寧に取り除かれているように感じる。霊的な演奏というか。今思うと。この曲のようなスタイルがより発展するとアルバム『A Moon Shaped Pool』みたいな感じになるのかもしれない。
歌詞についても実に儚げに感じれるけど、世界の儚さを前提にしたポジティブさも感じられる。作詞者本人は「今まで作ってきた中で最もポジティブな曲」だと言う。
これはぼくなりのさよならの言い方なんだ
面と向かっては言えやしないから
きたるべき日の前に話しておこう
今 何が起こったとしても きみは怯えなくていいんだ
今日が今までで一番いい日だって ぼくは知ってるから
それにしてもヴィデオテープなんて言葉、今やヴェイパーウェーブ関係の話とかでしか出てこないタームかもしれない。時代は変わる。
この曲については、2006年のボナルー・フェスティバルにて演奏されたバージョンが伝説化している。ずっとギター演奏が絡んでいくアレンジはスタジオバージョンよりも緊張感に満ちているし、中盤以降の楽曲全体が過熱し加速してていくようなアレンジは、特にドラムとギターの豪快なブラッシングは非常に印象的で壮大な感じがする。だけど、アルバムのクローサーとしては、実態にスタジオ音源としてリリースされた静謐なまま収束するバージョンの方が相応しいのかもしれない。
19. Paranoid Android (from『OK Computer』1997)
真面目にRadioheadの歴史を拾っていくなら決して無視はできない楽曲。彼らが「素晴らしいUKロックバンド・オルタナバンド」の枠を超えていくための広範な野望と実験と屈折とフラストレーションが特盛りに積まれて、その特盛り感そのものが「冷戦終結後の万能感と、より長時間詰め込めるCDの普及に導かれ、何でもかんでも特盛り的に膨張していった時代」としての1990年代に対する強烈な皮肉のように機能する。この曲が時代の一側面を作り上げたかのような錯覚がする程度には、やはり無視のできない楽曲なんだと思う。
ボサノバと呼ぶには毒々しすぎるコード進行でアコギと歌メインに神経質に紡がれる第1部と、変調してより攻撃的でロック的な毒々しさのリフとメロディを持つ第2部が途中でアコースティックから激烈なロックサウンドとシャウトに変化していき、そしてその勢いが崩壊したかのように雪崩れ込むチョ然として宗教音楽的な第3部、そして再び攻撃的なサウンドをよりエフェクティブに展開する第2部のリプライズで終わる、という構成の激烈さは、今後彼らが同じような構成の楽曲を作らなかったからこそ際立つ「キワモノ感」に満ちている。一世一代、この1曲しか残さないつもりとしての曲構成に相応しいエグさと、それに見合う強烈な演奏を多々含んでいる。複数の楽曲を強引に接続したThe Beatlesの『Happines Is a Warm Gun』*1の手法を参考に、このような別個の曲を接続した構成になったとされる。プログレ的とも言われる曲構成も、豊かなセッションによる産物というよりも、むしろ「攻撃性」に焦点を合わせ切った結果、という感じがする。それこそ、この曲は当時の彼らが抱えていた「ヘドが出るような感情」が手を替え品を替え、様々な手法と構成によって完全に表現され切ったことにより完成した怪物、と言えそう。
曲展開もコード進行も演奏も言及すべき点は無数にあるけれど、特にリフメイカーとしてのThom Yorkeの才能の開花っぷりと、激烈さと混沌とを的確に表現するJonny Greenwoodのギターアクションの2点が突き抜けていると思う。ワーミーやグリッチを駆使したギタープレイはオルタナ的なプレイを志向するギタリスト*2の永遠の憧れになっているだろう。世の中の作曲者もギタリストもみんな、この曲みたいに激烈な負の感情の表現をしたいけど、ここまでのものは中々出来るものではない。
PVもアニメーションを通じた、決して実写では表現できないであろう表現によって、この曲のエキセントリックさを十全に表現している。ギリギリでファニーなところが特にこのバンド的。サムネ画像に写っているバンドメンバーの冴えない感じとかこれで笑わせにきてるんだろうな。
18. Present Tense (from『A Moon Shaped Pool』2016)
良くも悪くも『Kid A』以前と以降とで楽曲の形態も演奏方法も表現する情緒も全然変わってしまって、でもそれでも変わらないように感じるのは、Thom Yorkeという人物のシンガーソングライター的な、というか吟遊詩人的な立ち位置の、その吹けば飛びそうなほどの儚い具合だと思うことがある。その儚さは初期は情緒的な、後期は周縁的な情緒を帯びる。この曲なんかは、その後者の方を端的に、実に質素「に感じれる」形式で表現した名曲だと思う。この曲の、世界の果てのどこかで慎ましやかに演奏されてる雰囲気が、とても好き。その雰囲気はアルバム『A Moon Shaped Pool』リリース後に公開されたThomとJonnyとリズムマシンのみのセッション映像でより強調されて感ぜられる。実に熟練されていながら*3、同時に実に吹けば飛びそうな情緒がある。
それにしても、彼らの特に『Kid A』以降の楽曲から感じられる、実に枯れた雰囲気のマイナー調の、寂しげで不安げな雰囲気はとてもいい。『Kid A』以前の手法では到底到達しない類の「世界の果て」に向かってるかのような、不思議な旅情が感じられる。古いフォークロアやら民謡やらから、こういう雰囲気を学んだんだろうか。そんな雰囲気を一番丁寧に、ソフトな演奏でもって表現すると、この曲になるのかなと思った。爪弾かれるアコギの音も、ずっと鳴り続けるシェイカーの音も、実にしみじみとして、エフェクトがほとんど掛かってないThomの声も切々と響く。ボサノヴァ的な感覚もあるけれど、こんなに寒々しい雰囲気がするのは彼らだからか、それとも『A Moon Shaped Pool』収録曲だからか。途中の薄っすらとサイケデリックなアコギ等のダビングもとても効果的。
そして「現在形」という文法用語を題にしたこの歌で歌われる事柄の、実に寂しげな調子。
ぼくはもう振り向かない やっと解った
もう立ち止まらない 呆けたりしない
この愛はみんな 虚しくなるんだろう
暗い穴に落ち込んでくのを止めよう
これは誰でもない ぼくの本分だ
この愛はみんな 虚しさにしか辿り着かない
きみの中で ぼくは失くす
17. Street Sprit (Fade Out) (from『The Bends』1995)
「他より過激で毒々しいオルタナサウンドのUKロック」だった頃の彼らを象徴するアルバムが『The Bends』で、そのロックバンドとして充実した、元がネガティブからとしてもエネルギッシュなサウンドと楽曲の連なりは、確かに後年の彼らの性質と大きく異なるけど、でもこれはこれでとても最高なものであって、この時期こそを1番に好む人も多い。
そんなアルバムの末尾において、しかしそこまでの楽曲にあった情緒に満ちた雰囲気とは異なるムードをこの曲は放っている。正直、最初に聴いた時は「この曲だけ他と感じが違う」と違和感を覚えた*4。アルバムに通底する情緒的なエネルギッシュさとは異なる、冷めた感覚。それがこの後の彼らのキャリアにつながっていく要素だということに、長い間気付きもしなかった。
マイナー調のアルペジオに導かれた歌は、その歌における「魂のあり方」からして当時の他の楽曲と趣を異にしていて、むしろ『Kid A』以降の楽曲と類似しているのかもしれない。つまり上の『Present Tense』とかにも通じるような、華やかなところとは別の場所で鳴らされる「世界の果て」への憂鬱なフォークソング、としての性質が、この曲にはすでに大いに詰まっている。
面白いのは、イントロでは憂鬱に感じれるアルペジオは楽曲の間ずっと、多少コードを変えつつもずっと反復し続けて、特にコーラス部の雄大さの中でこのアルペジオが鳴り続けることで、その雄大さにそれまでとの連続性と複雑さが付与されること。彼らのアレンジにおいて「曲のパートが切り替わっても同じフレーズを反復させ続ける」という手法は後に非常に重要な武器のひとつとなっている。この曲はその先駆けでもあったんだと思う。
そして、こんなうんざりするようなマイナー調のイントロなのに、歌詞が最後の最後でギリギリのポジティ美ティーを獲得していく様は感動的で、作者本人も誇りにしているという。ライブのアンコールでこの曲の合唱の中最後のフレーズに到達する様は、確かに誇らしくも美しい瞬間だろうなと思う。
砕けた卵 鳥達の死骸
叫びは命懸けで戦うかのよう
ぼくは死を感じれる 小さく光る眼が見える
こんなこと全て 在るべき場所へ
こんなこと全て ぼくらいつか丸呑みしてしまう
そしてまた消えていく また消えていく
魂を愛に沈めよう 魂を愛に沈めるんだよ
16. Pyramid Song (from『Amnesiac』2001)
ある意味ではこの曲こそが『Kid A』以降のこのバンドの超然的な音楽性を最も象徴する1曲なのかもしれない。ひたすら超然とした世界観を拍のおかしなリズムと厳かな演奏で作り出す楽曲。この曲もまた、彼らの歴史の中で他に同系統の楽曲が見つからない、孤高の1曲のように感じられる。もしこの曲を『Kid A』に収録してたらものすごく浮くだろうなと思えるくらい。これが馴染む『Amnesiac』というアルバムは今思うと「当時の彼らが作った『Kid A』に馴染みそうにない変な楽曲のごった煮」という趣もあるなあと思う。むしろ『Amnesiac』収録曲の方がその後の彼らのキャリアの出発点のようにも感じるけれど。
重々しいピアノの入り方からして、この曲を演奏するバンドが『OK Computer』までとは別物のような感じ。ここでのピアノも途切れ途切れだけど、その佇まいは儚さよりも断定的な存在感があり、拍子が取りづらいリズムといいその超然さはまさに「ピラミッド」的な、黄金比で形作られた建築物のような趣。楽曲の半ばでドラムが入って以降はストリングス等も厳かな音響を形作り、ドラムのリズムとピアノのリズムがズレているようでどこかで帳尻が合う、所謂ポリリズム的なアンサンブルもあり、ますますこの曲ならではの「最果ての感じ」を表現する。
この曲はまるで、別世界への移動のための儀式かのような感じがする。それは歌詞においても、「ぼくは川に飛び込んだ」から始まる、過去も未来も見通せる不思議な世界についての描写がなされていく。それはある意味で死後の世界についての夢想のようでもある。ここでの詩的感覚は社会に関する視点を持たず、ひたすらに別の世界を漂っている。その辺もまた、俗世と訣別した「ピラミッドの世界」みたいな感じなのかなと思う。こんなよく分からない曲が代表曲のひとつで、でもまあ納得してしまうようなバンドもなかなか珍しいんだろう。
15. Lotus Flower (from『The King Of Limbs』2011)
ダブステップ以降の潮流を取り入れて、リズムに関する様々なトライアルを実践して完成した8曲37分という比較的ミニサイズなアルバム『The King Of Limbs』は、ある意味では『Amnesiac』等でやってたことのうち「分かりにくい部分」をより深めていったような作品にも感じれる。彼らのアルバムで最もキャッチーさに欠けた感じもあり、彼らならではの「偏執的な工夫」もかなり細部のアレンジに費やされた感じがして、どうしても他のアルバムと比べると地味な感じがする。そんな地味なアルバムの中でこの曲が1番キャッチーだというのは、まあ確かに間違いないなと思ったりする。
この曲はまさにダブステップ的な漆黒の世界観の中で極めてRadioheadな神経質さを走らせ、そしてアルバム中最もスウィートなメロディラインを加えた楽曲となっている。ハイカットが徹底されたダビーなベースラインの上で躍動するのは、歌や効果音よりもむしろ様々なリズム。曲のテンポからズレた形で鳴り続ける手拍子が左右のチャンネルを行き来し、また時折機械的なフィルインも挿入される。この辺りの仕掛けはヘッドフォンやイヤフォンで聴いた方が分かりやすい。途中のブレイク部以降で左右に散らされて挿入されたスネアの音など、リズムの仕掛けは相当に作り込まれている。
ひたすらダークな反復を二つのメロディを行き来するだけの曲にもできただろうけど、そこにキャッチーで優雅なファルセットで紡がれるコーラス部を付けたことが、この曲を実に劇的なものにしている。ファルセットでぼんやりした音のアンサンブルの中を歌い上げていく楽曲はこの曲より前にも何曲かあるけど、そのボーカルの雰囲気をダブステップ式の硬質なバンドグルーヴの上に引き摺り出してきたことによって、Thomの「いつもの」神々しさが見事に異化されている。複雑なリズムの仕掛けよりもこのドラマチックさこそがこの曲の1番の魅力だと思ってしまう自分は、まだリズムの修練が足りないのかもしれない。
勿論、Thomがひたすら摩訶不思議なダンスを踊り続けるクリップも、この曲の魅力をさらに高めている。痙攣というか、暗黒舞踏というか。たまに手拍子を曲と合わせてくるのがなんか笑える。時々Joy DivisionのIan Curtisを意識したような動きも見える。
14. Idioteque (from『Kid A』2000)
アルバム『Kid A』は確かにバンドの歴史を二分する存在ではあるけど、でも時々思うのは「このアルバムの音楽性は案外このアルバムだけのもののように感じられる」ようなところ。確かに電子音や打ち込みのリズムは『Kid A』以降も出てくる要素ではあるけど、後年のそれらはあまり『Kid A』を感じない。むしろ『Kid A』時点からすると意外なほどこの後ずっと「バンドによるトライアル」に拘っていく彼らの姿を知っていると、そういうトライアルの始まりは『Amnesiac』から*5、という方がスッキリする。結構『Kid A』というアルバムの音楽性は彼らの歴史でも特殊なものだと思う。
その「特殊さ」を典型的に身につけながら、しかしライブのハイライトになるまでに「アンセム化」したこの曲の屈強さは、やはり彼らの歴史を拾っていくにあたって無視できない楽曲。ひたすら反復し続ける「明らかに人力ではない」リズムと、「明らかに普通のバンドが出す音ではない」類のシンセの音とが神経質に交錯し、その上をひたすらThomが神経症的に歌い倒していくスタイルは、しかし不思議なキャッチーさがある。はっきり言ってこの曲は、こんなに強迫症的な音楽なのに、どうしようもなく「踊れる」んだと思う。1回のセクションの反復でちょっと小節がはみ出していくのも、この曲の独特の間とリズムとを作り出している。
そして、コーラス部におけるThomのファルセットを伴ったボーカルラインと、冷たいシンセの寒々しいラインとが重なった時の、あの不思議な解放感。その解放感が用意されているからこそ、「氷河時代が来る!」とジャケット画の要素をヒステリックに歌い上げて回収する箇所でも謎にテンションがアガる。そうやって冷え切ったこのトラックでも踊ってしまう人たちを「idiot(馬鹿)」と「discotheque」の造語であるところのこの曲のタイトルが見下ろしている。この曲をライブで演奏する時のThomも踊ってるから別にいいんだけど。なんでこんな冷たい曲で、こんなに高まってしまうんだろう。
この曲はライブでどんどんアレンジが変わっていくのも魅力。以下の映像における、シンセが消えてドラムとシェイカーが始まるところの感じはたまらない。そして終盤の何かを喚き続けるThom Yorkeの人力「ぶっ壊れた」リズムボックスっぷり。
13. A Wolf at the Door (from『Hail To The Thief』2003)
『Kid A』『Amnesiac』というバンドにとってのポイントオブノーリターンを超えた後の最初の作品が、ツアーの手応えと勢いを活かしたバンドサウンド重視のアルバム『Hail To The Thief』に行き着くという流れは、思いの外人間臭い話だと今思うと思う。911同時多発テロとその後のイラク戦争に流れていった世界情勢に対する憤りもエネルギーにして、全体としての質よりもひたすらバンドの瞬発力を試したかのような楽曲群は、どこか拡散的でありながらも、より気軽に実験し倒してるムードが一貫してあるから、これはこれで作品として調和してる気もしてくる。曲の質をバンドの瞬発力が凌駕してる感じというか。
ただその中で精緻に形作られた曲も幾つかあり、アルバム終盤の2曲はそんな側面をとりわけ強く持っている。この曲はJonny Greenwoodのみで作曲が行われたという珍しいタイプの曲で、Beethovenのピアノソナタ『月光』を下敷きに、それをどこまでジャンクでかつ美しい破滅的なバンドサウンドに展開できるかというトライアルが結実したものとなっている。3/4のリズムで進行し、特に間奏部の静まり返った美しさから冬の猛威を音にしたかのような展開は絶妙。そこからリズム自体を破綻させんばかりにドラムがのた打ち回る第2ヴァースなどの毒々しさは、少し『OK Computer』の頃の感じがする。
そしてそんなトラックの上にThomがひたすらにラップ調で言葉を載せまくる。ここで綴られる言葉の節々から、『OK Computer』の頃とは違った視点から、しかし同じ熱量で、資本主義で動く世界に対する「うんざり」な感覚がひたすらに放たれる。彼のヒステリックなボーカルによってこの曲がひたすら「ギトギトしたマイナー調」になっていく。そしてコーラス部でしっかりとドラマチックでメランコリックなメロディを結んで、まるで「2003年の混沌の中の聖歌」かのような雰囲気を残して、そして呆気ないアウトロで実にもの寂しく終わる。歌詞の混沌とアンバランスすぎるこの呆気ないもの寂しさが、このアルバムの締めには妙に合ってる感じがする。
なお、代表曲でもライブ定番曲でもないのに妙に今回のランキングでの順位が高いと思われる人もいるかもしれないけど、それは以下のファン制作のアニメーション動画がとても好きなせいかもしれない。Edward Gorey的な絵柄で描かれた光景は、歌詞のクソミソな感じとは別の光景を描いてる感じではあるけど、でも最初観た時からずっと、胸が痛くなるような切なさがして、好きだなあ、としか言えない。
12. Knives Out (from『Amnesiac』2001)
『Kid A』以降の彼らのマイナー調フォークソングの雰囲気を決定づけた、整然として底知れない不穏さに満ちたマイナーフォーク楽曲。『Amnesiac』の名曲群の中では割と平板で地味目なこの曲だけど、The Smiths的なマイナー調に挑戦してみよう、という地点から誕生したこの曲のコード感は、その後の彼らの楽曲におけるコード進行の調子を大いに左右してる気がする。
完成までに実に373日という長期間を要したとされるこの曲は、ただ聴いてるとそうは思えないほど実にさらっと流れていく。延々とライドシンバル連打で8ビートを駆け抜けていくドラム、ひたすらダウナーに連なっていくコード進行とメロディ、特に派手な仕掛けもなくアルペジオなどを紡ぐエレキギターとひたすらコードをかき鳴らすアコースティックギター、言うなればこの曲はそれだけの曲。驚くようなギミックは「表面上は」何も無い。
ただ、この曲のコード進行のうだつの上がらない具合、というか暗い調子のところから更に暗いコードに転移していくような展開は、静かに恐ろしい感じがする。特にダイアトニックコード的な部分から外れる箇所のコードのエグみは印象的で、決して安定したコードに辿り着かないことで不穏な雰囲気がずっと垂れ流されていく。この曲はヴァースとコーラスから成るけど、どちらも同じセブンスコードの気持ち悪い感じで締められ、しかも標準的な小節数を超えて、まるで曲構成自体が爛れてしまったかのようにだらしなく伸ばされるため、余計に薄気味の悪い感じが続いていく。つまり、曲構造自体に封じ込められた気味悪さを平板なサウンドに埋没させ、その平板さから浮かび上がってくる気持ち悪さ自体を面白がる曲なのかこれは。悪趣味さを一度隠して逆説的に浮かび上がらせるその手法が、実に悪趣味。
そして、この曲は『Amnesiac』というアルバムのテーマである「世界はカニバリズムの迷宮の中にある。我々は共食いから逃げられない」という命題を象徴する歌でもある。誰目線で歌われてるのか不明な歌詞の内容が、さりげなくおぞましい。
きみに知ってほしい 彼は帰ってこないよ
彼は太らせた上で凍らされてる
無駄にしてしまうような部位なんて何一つ無い
だからナイフを出してネズミを捕らえようね
彼の頭を潰してしまおうね
彼を鍋に入れてしまおうね
「誰かの幸福は世界のどこかの他の誰かの搾取によって生まれている」という比喩としてのカニバリズムの話を、この曲およびこの曲のPVはカニバリズムそのものとして表現してしまう。そういう視点が分かってしまうと、以下のPVがどれほどおぞましいか分かると思う。静かに放送コードギリギリ(アウト?)の映像が展開していく。本当に薄気味悪い楽曲だと思う。
11. Bodysnatcers (from『In Rainbows』2007)
アルバム『In Rainbows』を「Radioheadっぽいことを一番上手にすることができるインディーロックバンドはRadioheadであることを証明したアルバム」と書いてしまうと、彼らが自身の縮小再生産を始めてしまった、みたいに取られてしまうかもしれないけど、縮小ではない。『Kid A』『Amnesiac』以降の「変わり果てた」後のバンドとしてしてきたこと・出来ることを整理し、『Hail To The Thief』よりもソリッドでハンドメイドなバンド演奏に立ち返り、丁寧に楽曲を書き、整え、ついでにメジャーレーベルから離れて、そして完成した『In Rainbows』はインディーバンドとしてのRadioheadの最高傑作じゃなかろうかと思ってる。ところで今回の文章、順位が下がるごとにアルバムの話がどんどん増えていってるな…。
そんなアルバムの2曲目に置かれたこの曲は、もう言い切ってしまおう、『Kid A』以降のRadioheadがガリッガリのガレージロックを演奏したらこうなった、って感じの、変なテンションに満ち溢れつつも鮮烈な楽曲だ。3本のギター、ベースとドラム、そしてThom Yorkeのボーカル、これだけの要素で当時の彼らが産み出しうる最も直線的な攻撃力で突っ走る楽曲。多分シンセだとか電子音だとかそういう「まだるっこしい」ものは使ってないはず。
3本のギターによるギターリフの重ね方は、手法としてはハードロック的なのに、彼らの根っこのポストパンク的な根性のせいか、荒くれまくったJoy Divisionのように聴けなくもないのが笑えるところ。このリフをメインで弾いてるのがThomだということで、やはり彼は作曲家・歌手としてと同じくらいに、リフメイカーとしての資質が凄い人物だと分かる。ライドシンバル連発のドラムのおかげで、どこまでいってもこの曲のサウンドの中心は3本のギターの暴れ具合に満ちている。次第に右チャンネルで何気にやりたい放題に暴れ倒し続ける十中八九Jonny Greenwoodと思われるギターはひたすら痛快。
そんな暴走の感じから間奏〜ミドルエイトにおいてはギターサウンドを変化させ、疾走感に仄かなドラマチックさを添えてみせる。Thomのボーカルも高らかに伸びていき、そしてその後のブレイクで派手にぶっ壊れていく様はまさにロック。奇妙な停滞感も演奏復帰後のアブストラクトさ全開なサウンドも、最後の最後のThomのシャウトも経て、スパッと駆け抜け終わった後の余韻がひたすらストレートに気持ちがいい。曲構造とかメロディとか単体で抜き出すとどう考えても『Kid A』後のそれなのに、なのにこんなに「やり切った感じ」のすっきりした終わり方は珍しいかもしれない。
ライブの定番にして最大の見所のひとつ。2016年のサマソニ東京で『Creep』の大合唱の余韻をこの曲のイントロが破壊し尽くす様は楽しくて楽しくてしょうがなかった。そして彼らが「浮世離れした禁欲家・仙人」ではなく意外とこういうエキサイティングなロックンロールも全然大好きな方々だということが大いに分かる。
10. Lift (from『OKNOTOK』2017)
彼らが最初に真に世界的バンドとなったアルバム『OK Computer』を作り上げるまでの期間は、彼らが最もソングライティング的に充実した期間とされている。この時アルバムに収録されなかったマテリアルが後年のアルバムでリサイクルされるケースが多々ある。『In Rainbows』収録の『Nude』は元々は『Big Ideas』というタイトルで『Ok Computer』セッションで生まれた曲だったりするのが一例。
そんな有力なデッドストックの中で、元々はアルバムからの最初のシングルになるかとさえ言われていたのに、収録が見送られ、その後も延々リサイクルされずに捨て置かれ、ファンの間で伝説となってしまった楽曲がこの『Lift』。『Ok Computer』リリース20周年を記念したリマスター『OKNOTOK』にて突如この曲の収録が発表された時の驚きと、「結局この曲はリメイクされずに放出されるのか」という感覚を思い出す。
でも実際にリリースされた『OK Computer』の社会批判の痛烈さとその暗さとを思うと、この曲が収録から漏れたのも仕方ない感じはする。ポジティブな壮大さをたたえたコード進行と、ロック的なサウンド展開が素晴らしい名曲だけど、これと『Paranoid Android』とかが並ぶところは確かに考えにくい感じがする。後年も何度かリメイクしようとして結局形にならず、このように当時の姿のまま放出されたけど、リメイクされてたらどんなサウンドになってただろう。
1996年のThom Yorkeの絶好調なソングライティングの、最も伸びやかな部分がこの曲には宿っている。ヴァースでゆったり助走をして、そしてコーラスでグッと飛び上がるような、そんな屈折のない、童心じみてるくらいにファンタジックな曲展開が、特にクランチのコードカッティングから一気に歪みを増すギターサウンドで演出される。この曲に添えられたシンセは実に素朴な使い方で、コーラスの後半で出てくるフニャフニャした音のラインが特に印象に残る。Thomのボーカルも実に透き通った響きがして、この曲はどこまでも真っ直ぐなポップさ・キャッチーさを有していて、だからこそ、次第にダークさに満ち満ちていくアルバム制作の中でボツを喰らい、その後のキャリアにおいても立場のない楽曲となってしまった。
歌詞に至ってはよりポジティブで、『The Bends』製作時の日本ツアーで知り合った女の子から貰った手紙を元に歌詞を書いた(!)というエピソードを持つこの歌詞は、なんと「閉じ込められた場所にいるThomを助ける」というストーリーになっている。
ここが貴方の場所 座って もう大丈夫
貴方はリフトの中に閉じ込められていた
私達 貴方に手を伸ばしていたんだよ トム
ここは貴方の場所 もう傷つくこともない
エアコンの臭い 魚が死んで浮かんでる
ポケットの中を全部空にしてよ
だって もう家に帰る時間なんだよ
こんな歌詞アリなのか…?って当時リリースされてたら多くの人が衝撃を受けただろうし、でもこんなハッピーエンドがあるのか、と思ったりもする。彼らがシリアスな世界の状況を見つめるようになって、自分だけが救われる歌を歌うわけにはいかない、となってボツになったという田中宗一郎氏の見立ては納得してしまう。
この曲はレコーディング当時ライブで演奏して客の反応が物凄く良かった、良過ぎたためにボツにした、とのメンバーの発言もある。第2の『Creep』にすらなり得たかもしれない曲だったと思うと、それはそれでまた事の大きさが感じられる。何にせよ、2017年より後はこの曲を、他のRadioheadの名曲と並べて聴くことが叶うようになった。彼らがそれについてどう考えるかとか*6そういうややこしいことは考えず、シンプルにこの素晴らしい楽曲を聴いていたい。
www.youtube.comそれにしても、新しいPVまで作られるとは思ってなかった。『Daydreaming』と同じ手法だけど、最後のオチが利いてる。
9. Fake Plastic Tree (from『The Bends』1995)
このリストで最もソフトな楽曲。これに関してはバンドの歴史とかサウンドや方法論の変遷とかどうでもよくて、ただただ美しいなって思う。Thom Yorkeがそもそもリリカルなリリシストとしてどれほど優秀か、ということをこの曲ではまざまざと見せつけられる。
改めて一言でこの曲を示すなら、静かな歌い出しに始まり次第に壮大になっていく、美しくも儚いバラッド、ということになる。静と動のサウンドの落差で聴かせるのは初期の彼らの基本的な手法だけど、それを攻撃性ではなく美しさの表現としてのみ活用すると、ちょうどこの曲になるということか。素朴なアコギのストロークと歌から始まって、非常に静かな形でバンドサウンドが入ってきて、終盤にはいつの間にかシューゲイザー的なギターサウンドの厚みを備えている、という構成。特にこういう楽曲でもストリングスの中でノイジーに暴れ倒しているJonnyのギターが印象的。
そういったギアの変わり目のセクションの合間には曲構成上のブリッジが入ってくる。この曲はヴァース→コーラスではなくヴァース→ブリッジ→ヴァースの構成で出来ていて、最初に出てきたメロディが最後の盛り上がりでも出てくる。それはつまり、同じメロディでも歌い方や表現方法によって聞こえ方は劇的に変わるということだし、その効かせ方によってはサビが無くても感動的な楽曲は余裕で作れるということ。この曲では実に抑制的なブリッジの存在が、後に続くギアの上がったヴァースのメロディとの落差を効果的に演出する役割になっている。ボーカル的にも非常にソフトな囁きから、特に終盤では一気に絶唱気味のボーカルに切り替わるあたりは実にエモーショナル。
曲タイトルの感じは実にRadiohead的なシニカルさが浮かぶ。けどタイトル自体は歌詞に出てこない。疲労感で屈折した思いやりの感じが、絶妙な詩情になっている。
彼女は本物に見える 現実めいた味がする
ぼくの偽物の プラスチックの恋人
でも こう思えてならないんだ
もし振り返って走っていけたら
ぼくは天井だって突き抜けていけるって
そしてそれがぼくを擦り切れさせる
8. Let Down (from『OK Computer』1997)
『Lift』からこの辺までソフトでポップな曲が続くのはたまたまです。
『Paranoid Android』は確かに凄いんだけど、でもアルバム『OK Computer』で1番好きな曲は?となると、他の残酷で美しい曲とかひたすら美しい曲とかに票が入りがちな気がする。ぼくも、前者の曲1曲と後者のこの曲とで迷うな…と思った。幾重にも重なった灯りの明滅のようなサウンドとエモーショナルさを潜ませた歌が神々しい名曲で、『OK Computer』で最初に好きになった曲はこの曲、という人も多いかもしれない。
『OK Computer』は確実に名盤中の名盤だけども、しかし彼らの歴史の中では実に過渡期な季節で、そもそもアルバムタイトルの割にはレコーディングにコンピューターのプログラミング等は殆ど用いられてないらしい。なので、この曲の天に昇っていくかのように美しいサウンドの連なりも、ギターやシンセの範囲にて演奏されている。上で「灯りの明滅のよう」と書いたサウンドも、よく聴くとギターのアルペジオやエレピやグロッケン等によって形作られている。特にギターの重なり方は複雑で、印象的なイントロのアルペジオも、初めから普通な曲のリズムとズレたポリリズムで反復している。さらに細かいポリリズムのギターなども入り込んで、この規則的な灯りの明滅で編んだようなサウンドが形作られている。楽曲が進行して行く度にその構成する音のリズムやフレーズも変化していくので、この曲のサウンドの奥行きが、まるで灯りが拡散していくかのように、あるいはあらゆる情報がインターネットを通じて世界中にどんどん拡散していくかのように、どんどん広がっていくように感じられる。
ひたすらキラキラしたサウンドの中で、漂うようなヴァースと歌詞どおり旋回するようなコーラスのパートが交互に現れる。Thomのボーカルもこのサウンドに包まれて悠然と存在し、特に最終ヴァースでは左右に分かれて現れては、片方が神々しいファルセットに移行したりして楽曲を幻想的に彩る。
この曲はまるで夜の遊園地みたいな感じがする。歌詞ではひたすら疲弊と機能不全を起こし続ける社会の様子が描かれていくけれど、そういったネガティブな情報それぞれが灯りになって、明滅してこの曲を照らしているかのような、そんなアトラクションみたいに感じられる。人々の疲弊と失意を糧に輝くこのアトラクションの罪深い機巧による輝きが、この曲の美しさをこの上なく甘美なものにしているのかもしれない。
出発し やがて止まる 離陸し じき着陸する
虚しさは果てなく咲く
失意まみれの人々 アルコール漬けになる
虚無と失望とで廻り続ける
低くなって うろついてる
虫けらみたく路にすり潰され
低くなって さまよってる
7. How To Disappear Completely (from『Kid A』2000)
タイトルからして終わり切っている、Radiohead史上でもとりわけ彼岸的な響きに満ち溢れた、忘我の果てのような、世界の果てのような、そんな音楽。ただ、電子音也エレクトリカルな楽器による無機質な音響による「この世の果て」がメインの『Kid A』においては、この曲は例外的にアコースティックなサウンドを軸とした、流浪の感じの強い、アルバムの中でもとりわけ有機的なバンド演奏となっている。それでも、ウォームな感じはまるでしないのは流石この時期、という感じ。
3拍子のマイナー調フォーク弾き語りをバンド演奏が支え、そしてその上空をストリングスやオンド・マルトノ等の楽器による超越的なサウンドエフェクトが飛び交う、という構図で進行していく楽曲。アコギのカッティングが始まる前から「向こうの世界」のように鳴るストリングスか何かのサウンドが停滞していて、この時点でやはり肉感的な世界とは異なる風景が広がっていく*7。様々なエフェクトの旋回は荒野を吹く風のようでもあり、「向こうの世界」から降りてきた帳のようでもあり、特に終盤で強烈にクレッシェンドしていくストリングスの類は殆ど、こちらの魂を攫っていかんばかりの鳴り方。ボトムではベースがジャズ的なランニングをしていて、これがまた楽曲を「地に足が付いていない・浮かんでしまっている」ような感覚にさせる。
これらのサウンドに対峙するThomの声が、ひたすらに心細い。これもまた、吹けば飛びそうな弱々しさで、特に終盤はほぼ全編ファルセットで、ストリングス等の「向こうの世界からの手招き」に一体化するかのようなボーカルになっている。言葉数も少なくボソボソと音を伸ばして歌われる様は、ひたすら現実味も生活感も無い荒野を彷徨い続けて、遂に天に召されるのが許されるまでの流れを見せられているかのよう。そんな風情が、ひたすらにこの曲を清々しい陰鬱さで埋め尽くしていく。
世紀末的な終末観が節々で見られる『Kid A』の楽曲でも、最後の『Motionpicture Soundtrack』とこの曲が一番そういう雰囲気がある。でも、こんな「行き着いてしまった」ような音楽から、その後もしっかりとバンド活動を続けて素晴らしい作品を作り続けていった彼らは、タフだし、創造力がハンパないし、やっぱひたすらタフだなって感じる。
ほんのちょっとして ぼくは消え去る
その時はもうすでに過ぎ去ってしまった
ああ 行ってしまった
ぼくはここに存在しない
何も起こってはいない
ぼくはここにいない
6. All I Need (from『In Rainbows』2007)
今回のランキングで一番多くの人から場違いに思われそうなのはきっとこの曲。でも別に、この曲がもっと他の6位に相応しい曲の代わりに「不当に」この位置にあるとしても、そのせいで世界の誰かが死ぬわけではないはずだから、好き勝手にこの曲を6位にする。このせいで誰かが死んでしまったのなら申し訳なさくらいは感じるけども。
アルバム『In Rainbows』においては、それまでの「資本主義と世界の混沌」を見つめ皮肉や憤りを吐いていた歌詞の視点が、そういうのもキープしつつも、しかし所々でやたらと私的なものに帰ってきていたりする。アルバムのテーマ等に縛られず、リラックスした制作環境を過ごしていく中でそうなったんだろうか。
この曲は、『Kid A』以降でも珍しいくらいに、ウォームな感じのする、幻想的なポップささえ纏った、そして何よりも、ラブソングである。歌詞に多少の含みはありまたPVには相応の含みがありつつも、このゆったりしたテンポでしっとりと展開する美しい歌とサウンドがあって、どうしてそこまで名曲とされてないんだろうと思う。
この曲のサウンドをリードするのは幾重にも重なった抽象的なシンセサウンド。中にはかなり太く歪んだ音もあって、この辺はアルバム発売の前年のThom Yorkソロからの逆輸入もあるのかも。淡々と8ビートを刻んでいくドラムと、それ以上に淡々と、しかし静かに優雅なメロディを歌い上げていくボーカルが、この曲の不思議に安定した、浮遊するようなムードを作り出している。この、何も起こらない、不穏な雰囲気もない、不思議に平穏で落ち着いた空気が、なぜかとても好きだ。
だから、2分45秒辺りからその雰囲気から転換して、不穏なストリングスやシンセの高まり、Thomの消え入るようなボーカルなどによる、劇的だけど悲観的なコーダ部は、凄くいいとは思うけども、時々邪魔に感じる。それより前の楽曲の雰囲気で4分も5分も過ごしてくれていいのに…と思ったりする。
うん、あの雰囲気が好きなことをこれ以上どうにか説明できる言葉が出てこない。歌詞の話でもしよう。印象的なタイトルコールのライン周辺だけ見るとこれはもう純然たる、パートナーに対してのラブソングだ。だけどヴァースの歌詞のよく分からない比喩には確かに何か含みがあるようにも思える。
ぼくは次なる演者 舞台の袖で待ってる
ぼくはきみの熱い車内で罠にかかった動物
ぼくはきみが忘れることにした日々全て
きみが全てだ きみがぼくの全てなんだ
ぼくはきみの写真の真ん中で
草むらに寝そべってる
「ぼくはきみが忘れることにした日々全て」の部分が強烈に分からない。この歌に出てくる二人はもしかして別に今や恋人でも何でもなくて、こいつは未練がましい奴か、もしくはストーカーか何かなのか。
ぼくは蛾 きみと光を分かち合いたい
ぼくはただの虫けら
この夜から抜け出そうとしてる
きみにしがみついてる
他に誰もいないのだもの
自分を虫けら扱いするなんてまるで『Creep』みたいで、このセンテンスを見た時はちょっと驚いた。だけどなんか『Creep』よりも粘着質だなこいつは。
全て間違ってる それでいい
全部間違ってる それでいい
コーダ部まで含めて読むと、やはりこれはしっかりと関係を築けている恋の歌ではないようだ。何なんだろうこれは。どうして今更こんな歌なんだ?何かどこかに深い意味が潜んでいるのか?などと考えるけど、よく分からない。同じアルバムでは『House Of Cards』もなんか不倫の歌っぽい内容だし、この時期の歌詞って結構不思議というか、案外下世話というか。なぜなんだ…だけどこの曲の音の雰囲気はやっぱり好きなんだよなあ。
5. There, There (from『Hail To The Thief』2003)
ここから先は名曲中の名曲をポンポンポンとリズムよく出してこのランキングを終わらせます。まずはこの、クラウトロックとアフリカの部族音楽とをヒステリアで強引に接続した、彼らでもとりわけ地属性的*8な感じを受ける大名曲から。この曲もまた『Pyramid Song』と同類の建築物的な揺るがなさ・構築美を感じさせる。勢いで作ったアルバム『Hail To The Thief』の中でもとりわけ難産で時間がかかっただけのことはある。こんな曲を勢いだけで瞬時に作られても困るし。
『The King Of Limbs』収録曲は細やかなリズムのポリフォニックな重ね方がサウンドの主軸となるけれど、その点この曲は、複数のタムを同機してプレイするという、原始的で祝祭的な仕掛けがサウンドの要点になっている。実に大雑把なようでいて、かつ大地の感じが強くしながらもしかし完全に規則性によって反復させられ、この楽曲の重心がひたすら低く重くなることに貢献している。タムのリムを叩く音さえも利用している。この中であるからこそドラムセットによるプレイやフィルインも通常とは異なる効果を生み出しているし、ゴツゴツした低い音のギターの躍動感もリフ的なベースの動き方もより立体的に響くようになっている。
そんな安定した反復から楽曲が変貌していくのが、楽曲が半ばを過ぎてしばらく後のタイトルコールが挟まって以降の展開。ここでいよいよギタープレイが神経質な高音を鳴らし始め、Thomのボーカルも重ねられて、楽曲の雰囲気に超越的な感じと破滅的な気配が生じてくる。4分の手前あたりで遂にタムが後景に下がって、オーソドックスな8ビートが前に出た上でThis is Jonny Greenwood!な強烈に引っかき倒していくギタープレイが響き渡る。その勢いのまま楽曲は終盤を駆け抜け、そして二発のスネアフィルインで呆気なく終了する。
この曲の歌のメロディは中盤までに終わってしまうブリッジ以外はずっと同じもので、それがタムの重量感ある反復とともにずっと繰り返される。メロディ自体も凝ったものではなくサウンドの添え物的で、曲構造だけだと相当シンプルで退屈そうな作りなのに一切そう感じさせないのはやはり、サウンドの強靭さと変化の付け方のカタルシスによるものだろう。彼らの楽曲でも最も重厚な演奏の曲かもしれない。歌詞も、当時の政治や社会や戦争に対する憤りから生まれたアルバムであるところの『Hail To The Thief』楽曲群に連なる、寓話的なところから始まりながらもやがて警句的な表現に発展していくスタイル。そしてPVも、何かを象徴している「森」に迷い込んだThomがやがて森の最深部に触れた後、森に「逆襲」されて取り込まれる、という、どこか教訓じみた物語になっている。オチの最後の映像で笑ってしまう(シリアスな笑い的なやつか)けど、でもこの抜け出せない森の暗喩は「我々は災害だ 今にも発生しそうな」という、グローバル化する世界の中では全員が加害者であり被害者、といった世界観が重ねられている。とは言えPV最後の顔オチはやっぱり笑うけど。
4. Karma Police (from『OK Computer』1997)
名作『OK Computer』で一番人の目耳を引き付けるのは強烈な『Paranoid Android』あたりかもしれないけど、一番魂を持っていく曲は、この曲だったりするかなと思う。この残酷で美しい、ダークさと優美さを怪しく反復し続けるピアノバラッドは、ライブではアンコールの最後などに歌われて、終盤のリフレインするフレーズの合唱が起こるという。こんな不穏な楽曲で大観衆の合唱が発生するということに強いアンビバレンツさを感じつつ、そんなことが出来るのは彼らくらいのものだろうと思ったりする。
『OK Computer』の頃から顕現してきて、『Amnesiac』の頃に完全に定着したものとして、腐り果てていくようなダークで退廃的なコード進行が挙げられる。この曲はそのコード感が典型的に現れた代表的な楽曲で、そして本人が公言する元ネタがあることから、そのコード感覚の源泉を知ることができる。それはThe Beatlesの『Sexy Sadie』で、John Lennonが『White Album』*9*10の時期に特に没頭していた半音ずつ下っていくコード進行をはじめとする、ダイアトニック的な生合成を感覚で無視した強引な、しかし的確に気味の悪いコード進行と、それをピアノで優雅に繕うことで独特の毒々しい質感が出てくるという手法とを、彼らはこの曲でオマージュしている。とりわけこの曲のコーラス部の、優美クラシカルなピアノプレイの中に「G→F#7」という強引な半音下がる進行を挿入し穏やかなパートに歪んだ雰囲気を持ち込んでいる箇所は強烈にSexy Sadie的と言える。
楽曲はゴツゴツと荒廃したヴァース(こっちはPortishead等のトリップポップからの影響が強く感じられる)と上記の優美さに陰りが加わったコーラスの反復を基調として進行する。それぞれで、煽り立てるような歌い方にしたり呟くようになったりと変化をつけるボーカルも曲のテンションの昇降に大きく寄与している。そして2回目のコーラスの後には残りの尺1/3を残したままこの曲のコーダに突入していく。それまで暗くても破綻せずに収まっていた何かが、高音のボーカルがヒステリックに舞い上がると共に爆ぜて、ゆっくりと崩壊していってしまうかのような感覚に襲われる。奇妙なコーラスの重ね方や、ゆっくりとクレッシェンドしていくノイズ等、この曲を覆っていた不穏さの正体が現れたかのような曲展開は病んだカタルシスを生み出し、そして繰り返される最後のフレーズをライブでは観衆が大合唱する。繰り返しだけど、こんな病んだパートで合唱が起こるこの曲の不思議な倒錯の感じが、とても尊いもののように思える。最後はせり上がったノイズさえ死に絶えてから、次曲『Fitter Happier』の自動音声に接続していく。
こんな毒々しい曲だけど、歌詞については作者は「あくまでユーモアだ」と言いきっている。そもそもこの曲のタイトルはレコーディング中にメンバー間で出てきた皮肉っぽいジョーク由来らしく、おそらく「カーマ警察だ!神妙にお縄を頂戴しろ!」みたいなことを逝って笑ってたのを起点としてできた曲なのかなと思うと、そんな発端からこのような大名曲が生まれた彼らの姿もまたバンドマジックかもしれない、と思ったりする。このジョークからの作曲・録音を提案したのはEd O'brienだという。
カーマ・ポリス あいつを逮捕してくれ
数学的な理詰めでしゃべる奴なんだ
冷蔵庫みたいに唸ってうるせえんだよ
壊れたラジオか何かかよ
カーマ・ポリス 今度はあの女を捕まえろ
あのヒトラーみたいな髪型 気分悪くなるぜ
だから僕らで彼女のパーティーをブッ壊したんだ
確かにこうやって読み返すと、露悪的な感じにノリノリで筆を進めてた感じが浮かんでくる。ちょっとした気に食わないことで「あんな奴燃やしてしまえ!」ってなるのはどこか2010年代以降のSNS上の出来事とオーバーラップするところでもある。しかし…。
カーマ・ポリス ぼくは可能な限り捧げただろ
十分じゃないっていうのか
できうる限り捧げたのに
なのにぼくらまだそのリストに名前が載ってるのか
「正義」を自認して権力をけしかけていた「つもり」だった者が結局その権力に抑圧されてしまう、という、まさに「これがオチなんだよ」という結末が第2ヴァースで歌われる。この辺のカリカチュアの具合は本当に、かえってここ数年のSNSを巻き込んだ政治や社会の流れに妙にフィットしてて、笑えるような恐ろしいような。
そして、こんな失敗込みの妄想について、大観衆が合唱するコーダでこうやって歌われる。
あっ ちょっとの間 我を失ってた
我を失っちゃってたよ
あーあ ちょっとばかりぼーっとしてたよ
我を失っちゃってましたよ
ここでそのブラックジョーク的な「カーマ警察」について妄想に耽った後、ハッと現実に帰ってくる感覚が歌われる。この、漫画で言うところの夢オチみたいな結末はまさに、この曲のジョーク性を象徴するフレーズ。これをアルバム中でも最も退廃的なテンションで歌い上げるThomの技量は流石だと思うし、これで大合唱する観衆という絵は面白すぎるし、でもSNSの話にもあるように、誰もがたまに「俺の正当な正義に叶うように警察とかが動けばいいのに」という妄想をしてしまったりすることがあるように思えるから、そういう点でこの歌は身につまされるものでもある。
PVも、誰かがThomが後部座席に乗る車に追いかけられ続ける、という、象徴的で神経症的な映像が繰り広げられる。最後に逆襲されて炎上するのもまた面白い。Thomは本当にPVでは芸人みたいになって面白い。
3. I Might Be Wrong (from『Amnesiac』2001)
これも高すぎ?でも名曲でしょ?これこそもっと評価されるべきと考える。
アルバム『Amnesiac』は要するに、『Kid A』で見せた「Radiohead式ポップソングの解体と不可逆的な再構築」をバンドサウンドでやったらこんな感じですよ〜みたいな側面が大いにある作品だと思う。そしてその点において、この曲こそがまさにその極北なんだと思っている。己の世紀末的な神経質さを、デルタブルーズの質の悪い曲解的な参照によって刺々しく稼働させた、この時期の理念構造そのものが音になって曲になっているかのような楽曲。面白いのが、これだけ徹底的にアクロバティックでアブストラクトなことをやっても、それでも全然、これをロック音楽以外の用語で呼ぶことが出来なさそうなこと。「ロック音楽なんてゴミだ」などと言いつつも、その裏ではこうやってロックをどう異形化させるかにせっせと取り組んでいた彼らのタフさ。
こだまのような無機質なシンセのイントロから何が出てくるかと思えば、いなたく歪んだギターがひたすら鈍く反復し続けるギターリフ。曲の大部分で延々と機械的に反復し続けるこれを「デルタブルーズからの参照」などとしれっと言ってみせる、この、確かに参照はしてるかもだけどこういう使い方は絶対デルタブルーズ側は想定してなかっただろ、という、ゲームのバグ技みたいな参照の仕方が、ひたすら邪悪で、そしてこの冷酷な「してやったり」感こそがRadioheadの本質の一部なのかなとも思ったりする。この太く鈍く歪んだギターの反復は、機械的だけどもでも確実に人力のハンドメイドな質感もあって、不思議な存在。
それを主軸に、延々と後拍を強調したリズムや高音をうねり続けるベースが躍動し、ボーカルはファルセット気味に不穏でメロディにもならないようなメロディを唱え続ける。この異形のグルーヴで示されたダークさの、しかし決定的な崩壊の様子でもないし、深い悲しみの表出でもない、ただ延々と、暗い不穏な感じが続いていくだけ、みたいな雰囲気が、この居心地の悪さの奇怪なまでの「居心地の良さ」が、この曲の本当に素晴らしい点だと思う。
4分を前にしたあたりで、「仕方ねーなこの辺で展開してやろう」と言わんばかりにブレイクして、もの哀しげでザラザラしたギターのアルペジオに移行するのもまた、絶妙なギアチェンジで素晴らしい。あの不穏さに、出所不明の謎の哀愁が添加されて、本当にこの曲は何なんだ、何がしたいんだ、この哀愁にどんな意味があるんだ、という不思議な感覚に突き落とされる。そのままサイド盛り上がることもなく、しぼむように終了地点に向かっていく様もまた、正体不明の儚さがあって素晴らしい。Radioheadは時折このような、しぼんでいくようなコーダ処理を時折する*11けども、この曲のそれは特にそのい向き的で有機的な駆動が闇に消えていく感じに、この曲でしか味わえないような変な哀愁を感じれてしまって、とても完璧だと思う。
そして、一番意外なのが、こんなに暗い曲だというのに、この曲の歌詞は案外ロマンチックで可愛らしい、ということ。ナイーヴさがこういう風に救われてほしい、みたいな、ナイーヴな感覚を持ってる人の妄想みたいなストーリーが、ここでは実は実に魅力的に描かれていたりする。
ぼくが間違ってるのかも 間違ってるのかも
誓うことも出来たんだ 光が差し込んできてたと
かつては考えてた 考えてたさ
もはや未来なんて残されてないって 考えてた
心開いて もう一度始めよう
いっしょに滝のほとりまで行こうよ
素敵な時間のことを考えて
そして決して過去を顧みない 振り返らない
本当にこの「駄目なぼくがきみといっしょに過ごして救われる」ストーリーが、なんでこんな邪悪な楽曲に載っているんだろう、というそのミスマッチさが不思議で仕方がない。勿論ここに『Knives Out』に象徴される「誰かの幸福は誰かの死や不幸から生み出される」式のカニバリズム的加害者意識を照射することも出来るけども、そんな野暮なことを考えるよりも、こんなダークで無感情的に躍動する演奏の上で、何故かこんなにぬるま湯のようなファンタジーが展開されているという、その不思議な取り合わせ自体を単純に楽しみたい気がする。こんな気味の悪いロマンチックさがあってもいいのか。別にあってもいいんだろう。ロックとか関係なく、音楽は、少なくともインディーミュージックは幾らでも自由なものなんだから。
2. Daydreaming (from『A Moon Shaped Pool』2016)
『OK Computer』だって『Kid A』だって『Amnesiac』だって暗い暗いとんでもなく暗い音楽だとは思うけど、でも今のところ最新のアルバムな『A Moon Shaped Pool』ほど、何かしらの絶望を纏った作品は彼らでは他に無い気がしてる。その絶望は、一方では長年のThomのパートナーであったRachel Owenの、不治の病によるものと思われる離婚(と、その後の死去)によるものとも思われるけど、一方で、それこそ田中宗一郎氏が度々言及しているように、SNS文化以降の、当初それは緩やかで豊かな連帯と協調を生むと思われていたものが、反転してあらゆる分断と対立を無限に生み出していく現状に対する無力感・徒労感に影響されたものであるのかもしれない。
そういう両方の視点を踏まえて、このリードトラックを聴くと、この曲ほど絶望的な楽曲も無いのではないか、と思えてくる。ポストクラシカル的な優美さの向こうに諦観に苛まれたその身を埋没させるかのような、優しくも個人的な終末観にモノトーン式に彩られた、スロウコア的大名曲。『Paranoid Android』の頃が平和に思えてくるし、『How To Disappear Completely』よりもずっとファンタジー的でない寒々しさが延々と広がっていて、この曲こそが今のところのRadioheadの、一番の「最果ての光景」のように思える。それは一方では、とても悲しいことのようにも思えるけども。
いつものように、何かしらのシンセのぼんやりアンビエントした音に導かれて、でもこれまでなら不穏がギターとかダビーなシンセとかが響いてきそうなところ、この曲においては非常に端正で寒々しい、アコースティックピアノの3音のアルペジオがクレッシェンドしてくる。このアルペジオを軸に、エレクトロニカ的な装飾を伴って、それだけで実に美しいトラックなのだけど、そこにThom Yorkeのボーカルが入ることで、急に「Radioheadの楽曲」に変貌する。彼の紡ぐボーカルのメロディラインはいつもより遥かに弱々しく、殆ど「ただ声を添えてるだけ」のようにも感じられるのに、でもその徹底して「魂の抜けたような」弱々しさが、間違いなくこの寒々しくも美しさに満ちたサウンドの中心にあって、この曲に「死にそうなほど美しい」以外の意味を確実に発生させている。4分前までに歌詞のあるラインは全て歌い終わるというのに。
そして、4分で歌が終わってからのサウンドの、その様々な要素が迫り来る感覚がまさに、静かにこの曲の悪夢的で残酷な光景を形作っていく。そういう意味でもやはりこの曲は『How To Disappear Completely』の発展という感じがする。アルバムの幾つかの収録曲でLondon Contemporary Orchestraと共演しているが、どの曲のオーケストラも優美さよりも神経質さや怜悧さを曲に付与する機能で活用されており、この曲においても終盤で雪が吹き荒ぶかのようなストリングスの挿入が、暴力的に活用されたシンフォニックさが、他のエレクトロ的サウンドと束になって、聴く人の体温と神経とを奪い去っていく。
最後は、そのような暴風雪が過ぎ去った後に、静かに眠りにつくかのように楽曲は終わるけども、その割にノイジーないびきのような音がクレッシェンドしてきて、最後はその音で締められる。このいびきみたいな音が、逆再生すると「ぼくの半生(half of my life)」と歌われているとされていて、その意味するところは…と考察されているけども、ともかく音楽的には、穏やかな終わりを阻害する方向に働いていて、そちらもどういう意図なのか興味深いところ。
歌詞は、やはり何かの終わりと諦めと、その地点から来る感謝の念が編み込まれた、実に身も蓋もなく寂しげなもの。
夢追い人たち 彼らは決して
決して 学ばない
ポイント・オブ・ノーリターンを
超えてしまった もう手遅れだ
ダメージを負ってしまった ダメージを
第1ヴァースは、アルバムを渦巻く諦観の部分が色濃く出ている。この挫折の感じはなんのファンタジーもなく、ひたすら現状の社会に絶望した感じしか受けない。なお「The Damage is done」というフレーズは、Thomが敬愛するNeil Youngの『The Needle And The Damage Done』という曲タイトルを参照したのかもしれない。Neil Youngの方はドラッグで人生を破滅させる人々のことを歌ったものだけど、それを踏まえた上で『Daydreaming』の歌詞を読んで、夢追い人はじゃあ何にラリってたのか…ということを考え出すとひたすら悲しく、行き詰まった気持ちになる。
これはぼくを そしてきみを超えていく
ある白い部屋の窓際を 太陽が過ぎていく
ぼくたちは ぼくたちはただ
貴方に仕えることができて幸せだ
第2ヴァースにおいては「ぼく」と「きみ」が登場する。意味がぼかされているけれど、ここでThomとRachelの関係のことを思わずにはいられない。そして最後の、唐突にキリスト教的な何かが表出するところは、それほど「神」について言及することがないように思える彼の詩作の中で、突然出てくるこれは、この不幸な結末において幸いなことを述べるなら、せいぜいこれくらいしか出てこない、みたいなことなのかと邪推をしてしまう。そして曲の最後の例の「half of my life」の件。
この曲の歌詞はぼんやりと幻惑的であるようでいて、でも同時に身もふたもないくらい現実の何かを反映していて、やはりファンタジーやロマンは存在する余地が無い。それは、Paul Thomas Andersonが作り上げたこの曲のPVの様子からも見て取れる。こちらも考察の余地が無数にある映像となっているけれど、ここでは最後の、雪山に出て洞窟に入り込む展開が曲の展開と完全に一致していることのみを述べる。ひたすらドアを開け続けて彷徨い続けたThomが、洞窟の中で眠りに落ちる結末は、あまりに辛くてしんどくて、でも美しくて必然的に感じれる。
1. True Love Waits (Not from『A Moon Shaped Pool』)
そして、もの悲しさの極地のアルバムの末尾に、実にそっけない、もの寂しい、ミニマルなピアノアレンジで配置された『True Love Waits』のことを思う。ある種の如何しようも無い「興醒め」を感じさせるこの楽曲の最終的な登場の仕方を、これ以上ないほど無情に美しいあのアルバムのクローサーだと認識しながらも、でもぼくは同時に、あの存在を認めたくない気持ちがしている。あれは『True Love Waits』という大名曲になるはずだったものの死骸を厳粛に弔うかのようなトラックだと思ってしまう。逆に、冷たくなった『True Love Waits』の死骸を見せつけられることで、あのアルバムの絶望は完成するんだと思う。それは苦しいほど、うんざりするほど美しくて、そして決して認めたくない存在でもある。これならまだ「在りし日の姿」そのままで乱暴に放出された『Lift』の方がマシじゃないか。
1996年ごろ、Thom Yorkeが最初の作曲能力のピークに到達した時期に作られた、それこそ『Lift』と並んで長年伝説的な未発表曲となっていた楽曲。「真実の愛」などという彼らしくない、恥ずかしくも大それた単語を冠した、彼ら史上でも最も雄大で、勇敢で、慎しみ深い第名曲、そうなるはずだった幻の大名曲。彼らの歴代の楽曲でも最上位に素晴らしい楽曲となるはずだったこの曲は、結局のところ上記のとおり、永遠に葬られた。それはおそらく、『Daydreaming』でも書いたRachel Owenとの関係の終わりと深く関わっていることなんじゃないかと思ってしまう。つまり、この曲は死にゆくRachelに永遠に捧げられたんだと思う。
この曲の在りし日の姿が垣間見える、その欠片が、ライブ盤『I Might Be Wrong』に収録された、Thom Yorkeアコギ弾き語りによるパフォーマンスだろう。アコギのシンプルなストロークだけでもこの曲の、雄大なコード運びや、2弦や1弦を有効に使ったフレージングの妙*12、そして彼の魂の繊細さと真摯さが全楽曲通じても最も伝わってくるような、魔を大きく取った雄大なメロディ展開など、その魅力が網羅されている。そしてこの雄大さや繊細さ・真摯さが、『A Moon Shaped Pool』バージョンで全て「殺されて」いることが、ひたすらに悲しい。
夢追い人は永遠に学ばない。学ぼうとしないから、ぼくはありもしないこの曲の「あるはずだった完成形」をこのランキングの1位に据える。『A Moon Shaped Pool』バージョンが完成形なんて、そんなの作者が勝手に言ってるだけでしょ*13、という話。もしかしたらいつの日か、夢の中とかでこの曲の「完成バージョン」を聴くことが出来るかもしれない。そう思えたら、ずっとRadioheadを聴き続けてられるし、そんな生活を続けていくことが出来るかもしれない。
信条なんてドブに沈めてしまうんだ
きみとの子供を持つために
きみの姪みたいにドレスアップして
きみの腫れた踵を洗ってあげる
ああ 行かないで
どこにも行かないで
ぼくは生きてなんかいない
ただ時間を潰してるだけ
きみの小さな手 気のぐれた猫みたいな笑顔
ああ 行かないで
どこにも行かないで
そして
真実の愛 それはお化けの出る屋根裏にある
真実の愛 それはロリポップキャンディや
ポテトチップスの中にある
ねえ 行かないで
どこにも行かないで
例の弾き語り音源を活用した、ファンが作ったバンドバージョン「風」の音源がずっと公開されている。これをバンド側やレーベルが削除要請せずにずっと残り続けているのは、きっとそういうことなんだろうなと思う。これも素晴らしいけれど、もし本当に彼らがこの曲に取り組んでいたら、もっとすごい何かになっていたんだろうな、とも思ったりする。
また、『OKNOTOK』が世に出てしばらくしてから、『OK Computer』製作時のマスターテープが流出したとのことでそれを受けて突如Bandcampで期間限定でリリースされた、16時間に及ぶセッションテープ『MINIDISC(HACKED)』の中にも、この曲を『OK Computer』収録曲とすべく取り組んでいたメンバーのセッションの場面が含まれている。あるのかよ…!、以下の動画がそれで、でもこれがこの曲の「完成形」かは分かったものではない。作者が苦し紛れに出したものの中に、たまたま紛れ込んでいただけだもの。ただ、上のファン制作のものと同じ反復フレーズが入っていたりする。逆に上のファン動画は海賊盤か何かで以下のトラックを入手してから作ったのかな。
・・・・・・・・・・・・・・・
終わりに(プレイリストもあります)
以上、20位から1位まででした。冒頭の繰り返しになりますが、今回のランキングは世間的・歴史的な重要性と個人的な趣向とがないまぜになったもので、客観性があるようなまるで無いような、よく分からない、中途半端なランキングとなっています。勿論何の権威性も持ち合わせていないので、そんなことはどうでもいいことです。
ただ、今回この「#オールタイムベストレディオヘッドソング」という企画があってくれたおかげで、このようにぼく自身の中にあった色々なRadioheadについてのああでもないこうでもないという事柄を一応纏めることができたのは、非常にいい機会になったと思います。この場を借りて、感謝させていただきます。
最後に、一応今回もプレイリストを作成しましたので、以下に貼り付けておきます。もしかしたら一部順位について、プレイリストの曲順を考えて順位を入れ替えたり、もしくは自然と曲順ベースで順位つけちゃったりしてる箇所が無いとも言い切れない…。
こんなに素晴らしい楽曲群と、そして様々な気付きと情感をありがとうRadiohead。これからもよろしくお願いします。
*1:この曲もまた、突然攻撃的サウンドに目覚めた当時のJohn Lennonが自身のヘドみたいな感覚を存分に吐き出し倒すかのような作りと歌詞になっている。
*2:又は「練習よりもセンスで格好いいことをしたい怠け者ギタリスト」とも言えてしまうのかもしれない。ぼくも含まれる。
*3:Thom Yorke、複雑なリフやアルペジオを弾きながら歌うのがとても上手くて、ギターボーカリストとしても最も素晴らしい人物の1人だなあとよく思う。
*4:というか、日本盤で聴いてたのでその後のボーナストラック2曲が丁度良いクローサーのように感じれて、尚更この曲を地味だと感じてた。
*5:『Kid A』にもその手のバンドサウンドな曲が入ってない訳ではないけど、でも「『Kid A』といえば電子音」という先入観が強いせいか、そう感じる。
*6:別に今更彼らも何も考えない気はする。
*7:逆に、同じマイナー調フォークでも『Knives Out』はそのサウンドが妙に肉感的で現実的だからこそのあの気持ち悪さなのか、と思ったりする。あれに比べればこの曲の空気はずっと透き通っている。
*9:『Paranoid Android』もやはり『White Album』の頃のJohn Lennonの楽曲『Happiness is a Warm Gun』を参照していたりと、『OK Computer』時期の参照元においては意外とThe Beatlesの『White Album』の存在感がある。
*10:それにしても、本当に『White Album』の時期のJohn Lennonのマッドなロックンローラーっぷりは格好いいし最高。それがたとえドラッグ中毒で苦しんだ結果だとしても。
*11:『Creep』の最終ヴァース以降の処理とか、『Fake Plastic Trees』の終盤とか。
*12:特に、2回目のヴァースで見せる1弦のリフレインをコードが変わっても反復させる手法は実に効果的かつ彼ら的な音響感があって、また、自分で真似て弾いてみるとその意外な簡単さに驚いたりもする。